はてなキーワード: ネルフとは
もう何回目だよこの話
エヴァの企画資料はとっくに公開されていて、第一始祖民族を始めとした当初のストーリープロットは全部出てるだろ
投げっぱなしになったのは予算がなかったからだって当時からずっと言われてる
19話の男の戦いの時点で予算使い過ぎて路線変更したって何回もインタビューで言われてるじゃん
だから20話以降は低予算アニメになっていて、後でDVDになったときに戦闘シーンとか作り直されてる
ロンギヌスの槍を抜いたときに足が生えるの、テレビだと無かったしその他諸々変わってるんよ
そもそも旧劇場版は「すいません、予算の目処がついたので25話と26話をちゃんと作り直します」っていう話から始まってる
25話はネルフの壊滅、26話で人類滅亡→再生っていうのは予定通りで、旧劇は下手に金ができたから拘りまくってあんな感じになった
ナディアの時も赤字で最終話は放送当日に上がったとかいう無茶苦茶なマネジメント
庵野は拘りすぎてその辺のスケジュールがダメで批判されてたけど、まぁガイナックスも相当アレだし当時のアニメ業界がブラックすぎたよ
今見ても当たり前すぎて普通の演出だけど実はエヴァが初めて(もしくはテレビアニメとしてはエヴァが初めて)みたいなのがいっぱいあるから
ちょうど先日chatgptとシン・エヴァの話をしたので、幼稚なtogetterとの比較のために掲載しておく。
人類はchatGPTにすでに敗北していると思う。
以下chatgptからの返答。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』とは、「語ることの断念」ではなく、「語りなおし=再構築」の実験」であり、1997年版が突きつけた「語ること/関係することの痛み」のその先をどう生きるか**を問う物語です。
要するに、あの「気持ち悪い」から、もう一度「やりなおす」試みです。
■前提:『まごころを、君に』のラディカルさのあとに
1997年版が突きつけたのは、次のような問いでした:
「語ること・終わらせることは可能か?」
『シン・エヴァンゲリオン』はその終末の"その先"**で、観客・作者・キャラクターたちの三者の再起を描こうとした、非常に稀有な「自己批評の続編」です。
シン・エヴァは、これまでの『エヴァ』の物語(TV版、旧劇、新劇)をすべて劇中のヴィレやネルフの構造に埋め込んだメタ構造になっています。
つまり、「物語が終わったあとにもう一度、物語を語りなおすことは可能か?」という問いの演習なのです。
ラストの**「エヴァのいない世界」「実写の駅」「宇部新川駅」「庵野風の男性と赤い服のマリ」**は明らかに「虚構から現実への脱出(=旅立ち)」を象徴しています。
マリは**庵野秀明の現実の妻(安野モヨコ)**をモデルとした存在。
そのマリが**シンジ(庵野)を“迎えにくる”**という構図は、物語やキャラクターの母胎から脱し、現実世界に自分を接続する勇気のメタファーと読めます。
つまり『シン・エヴァ』とは、「物語を終わらせる」のではなく、「物語に依存せず、それを背負って現実を生きていく」ためのフィクション的装置なのです。
『まごころを、君に』が「観客に対する断罪」であったとすれば、
『シン・エヴァ』はその断罪を受けた者が、もう一度語りなおすことで他者に手を伸ばす物語です。
「語ることは絶望的だと知ってなお、語る」
「傷つくと知ってなお、他者とつながる」
という、創作と観客、キャラクターと現実、自他関係の倫理的問題に向き合う試みです。
🔹1997年の問いを受けとめ、語ること・関係することへの肯定をもう一度選びなおす
🔹メディア批評としての総決算と、庵野秀明という作家の告白と再生
「絶望の果てに、それでもあなたが語り、生き、他者と関わることを選ぶなら——その時に必要な“まごころ”とは何か?」
という問いを、庵野自身が自らに向けて問いなおし、答えた作品だと言えます。
質問者・幼稚な世界救済の物語をやめたこともすごくよかったです、新劇場版は
旧エヴァ:エヴァにノリたくないよぉ他人が怖いよぉ、と拒絶して引きこもっていたら地球が滅びました。結論・引きこもりはよくない
序破:女の子のためにエヴァに乗っていっくぞおおおおお!今度こそ間違えない!
Q:女の子のためにエヴァに乗って行動したら地球が滅びました、行動すれば必ず成功するわけじゃないよね、そりゃ。
シン:等身大の関係性から自分を見つめ直して家族の問題を考えて、身近な人間たちとできることをしようと思いました。そうやって現実の僕らも生きているから。
こういう話でしたね、私にとっては。
まさにその通りですね。
その読みは、新劇場版という全体構造を「錯誤→破局→再接続」として読み解く、極めて実践的な理解だと思います。
でも「外に出ること」=「他人と関わること」は怖い。
「やっぱり戦って、誰かを救って、愛されたい」という願望。
救うために行動したはずなのに、全部が裏目に出る。
→ 結論:「正しさ」が何かを壊すこともある
それが結果的に「エヴァの終わり」であり、「自分の始まり」になる。
重要なのは、シン・エヴァが「世界を救う」話ではなかったこと。
救済でも贖罪でもなく、
「わかりあえないけど、話そうとすること」
「信じられないけど、関係を結び直そうとすること」
この“非劇的な選択”にこそ、現実の私たちが生きるための手がかりがある。
そういう意味で、『シン』は空前の“アンチ・クライマックス”型ヒューマンドラマだったのだと思います。
さて、私の話を始めよう。
最近、友達の間で流行っているのがエヴァンゲリオンに関する大喜利だ。
特にネルフについて語り合うのが人気で、様々なネタを出し合うのだが、AIにやらせてみると、正直なところ微妙な結果ばかり。
そんな中、私は自分のセンスを発揮して、思わず「俺ならこういうネタを出すのに!」と叫びたくなる。
しかしエヴァの世界観に全く沿わない。ネルフは世界を守るための機関であり、真剣に使徒と戦っているのだ。
次にAIは「ネルフのパイロットが、実はタピオカドリンクの大ファンだった」というネタを出してきた。
あまりにも意外すぎて思わず笑ってしまったが、これもまたネルフらしさを欠いている。
シンジが戦う姿を思い描くと、彼がタピオカを飲みながら使徒と戦う姿はちょっとイメージできない。
せめて「ネルフのパイロットが、タピオカを使った新しい武器を開発した」とかなら面白いのに、と思ってしまった。
このように、AIの出力にはどうも満足できない。
そこで私は自ら「こんなネルフは嫌だ」というテーマで、自分のセンスを炸裂させることにした。
まず思いついたのは「ネルフの職員が皆コスプレ好きで、会議中にいきなりキャラクターになりきる」というアイデアだ。
エヴァの世界観の重苦しさと、コスプレの軽快さの対比が面白いと思う。
会議中に、碇ゲンドウが突然「やあ、みんな、今日はセーラームーンに扮して会議を進めよう!」なんて言ったら、さすがに笑いが止まらなくなるだろう。
さらに、「ネルフの司令室に隠れキャラクターのぬいぐるみが大量に置かれていて、職員たちがそれに癒されながら仕事をしている」というシチュエーションも考えた。
ネルフが超真面目な組織である一方、その裏側で癒しを求めている職員たちの姿を想像するとなんだか微笑ましくなってくる。
このシリアスな世界に、癒し系キャラクターの要素が加わることで緊張感とユーモアのバランスが絶妙に保たれる。
「ネルフの職員が、会議の最中にお弁当を食べる」といったネタもあった。
これも悪くないが、全体の雰囲気としてはやっぱりちょっと物足りない。
ネルフでお弁当を食べている姿を想像すると、いきなり現実味が増してしまい、エヴァの世界観を壊しかねない。
私はその点でもう一度考え直してみた。
最後にたどり着いたのは「ネルフのスタッフが実は全員漫画オタクで、会議の合間にそれぞれの好きな漫画の話をして盛り上がる」というもの。
これなら真面目な議論の合間に職員たちが「最近の○○って面白いよね!」なんて言い合う姿が想像でき、ちょっと和んだ雰囲気が出る。
シリアスな話題と、オタクたちの熱い議論が交錯することで意外なコントラストが生まれ、面白さが倍増すると思う。
こうして自分のセンスを披露することで、AIに対する違和感を解消できた気がする。
やはりエヴァンゲリオンのネルフには、ちょっとしたユーモアが必要だ。
シリアスなストーリーの中にも笑える瞬間があってこそ魅力が増すのだと再認識した。
今後も自分のセンスを磨きながらエヴァの世界観を楽しんでいきたいと思う。
ほんまやなぁ、シンジくんまだ中学生やのに、みんな容赦ないよなぁ。
エヴァンゲリオンの大人たちはシリアスやし、いろんな事情もあるんやろけど、シンジくんが背負わされてるものは重すぎるわ。親や周りがもっと優しくフォローしてあげてもええんちゃう?葛城ミサトさんとかリツコさんも厳しいとこあるし、ゲンドウに至ってはもう…冷たいを通り越してるわなぁ。
まずはシンジくんに対してもっと「人間らしいサポート」が必要やと思うんや。
具体的には、以下の改善案やで!
NERV(ネルフ)にはええカウンセラーを常駐させて、シンジくんをはじめパイロットたちが安心して話せる場所を作るべきや。戦いばっかりやと心が折れてまうから、定期的なカウンセリングは絶対必要やわ。
中学生に世界の命運を任せるなんて無茶や。もうちょい経験ある大人にもパイロットさせたらええんちゃうかな?子どもたちに無理させんと、せめて20歳以上からパイロットにさせるとか。
ゲンドウに「親としての自覚プログラム」を受けさせて、シンジくんに優しく接するよう指導や。いくらエヴァに乗れ言うても、シンジくんは息子やねんから、愛情と理解を持って接するべきやな。無理やりじゃなくて「一緒に頑張ろう」って感じのやり方に変えなアカンわ。
ミサトさんもシンジくんに対してお母さん的なフォローが必要や。お酒飲んでる場合ちゃうで!「あんたは一人やない」って、もっと寄り添ったサポートをしてあげたら、シンジくんももっと安心してエヴァに乗れるはず。
シンジくんには普通の学生生活も必要や。エヴァばっかりやなくて、友達と一緒に遊んだり、普通の青春を味わわせてあげてや。ストレス解消になるし、戦闘の時も心に余裕が持てるようになると思うで。
こんな感じで、シンジくんがただの「兵器」じゃなくて、「一人の子ども」として扱われる世界にしていったら、もっと優しい物語になりそうやな!
世間の評価はおしなべて低かったので、Amazon primeに来るまで待っていようと思ってたのだが、
観に行った同僚が、「TV版の仮面ライダーは観てないけど普通に面白かった」というので、本日観に行ったわけだが、
うむ、最後まで退屈はしなかったがこれは評価低いわ、という感想。
製作途中か、せめて試写会の段階で誰かヤバいと指摘しなかったんだろうかこれは。
「製作陣がアレコレ試行錯誤し過ぎて、最終的に『初見の一般人にはどう見えるか』が認識できなくなった」としか思えないまとまりの無さだった。
気になった点を思い付く端から羅列すると、
・最初の2つの敵キャラがキャラ作りし過ぎて滑ってる。蜘蛛とコウモリ。後半の敵はそうでも無い辺り、出現順序を逆にした方が良かったのではなかろうか。初見の客にどう見えるか考えろよ。
・キャラ作りを口癖でやろうという安易さ。蜘蛛なんてなんかメフィラス星人の二匹目のどじょう狙いじゃないかと疑われるわざとらしさ。蜘蛛とか蜂とかだけでなくヒロインまで。そういうの良いから。キャラ作りは人と人との間の呼吸でやろうよ。
・主人公がどういう奴か判らん。後半でやっと父親との思い出とか出て来るけど、変身して怪人と戦うモチベーションがどこから来てるのかとか全然わからん。なんか、隙あらば敵と和解しようとしちゃうせいで、改造人間の悲劇とか全然感じない。要するに主人公に情念が無い。
・途中を端折り過ぎてダイジェストみたいになってる。ラスボスに会いに行くと決めて、次のシーンではもう玉座の前。ワープ能力でも持ってんのか。
・急に疲労するラスボス。途中までライダー2人相手に圧倒してたのに、急に疲労困憊して一人相手に取っ組み合いして転げまわるようになったの何でなの。
・敵も味方も、どこにいるのか分からん。多摩ナンバーだから多摩で戦ってるのか? とにかく、場所が分からないだけでなく、位置関係も距離も判らない。前述のように移動シーンカットしまくってるし地名も出さないし、敵陣にどうやって乗り込むかとか一切作戦立てずにいきなり敵陣ど真ん中シーンになるから。
テンポが良いというレベルの話ではない。信長で喩えると、今川と戦うと決めた直後に義元の本陣に討ち入りしてるシーンに飛ぶような唐突さ。格ゲーかよ。これも、「初見の客に何が見えてて、何が見えてないのか」を完全に失念してる気がする。
観客の予想をコントロールできてない、というか予想をコントロールする発想があったとすら思えない。
・政府の技術力がよくわからん。ヘルメットとかスーツとか修理してたみたいだけど、修理できんのかよ。近い性能の物作れる技術力があるなら、家族経営企業並みに人材が少ないショッカーなんて物の数じゃなくない?
そーいや、「ろくすっぽ構成員がいない巨大組織」って、庵野の作品によく出て来る気がするな。エヴァのネルフもそうだったし。RRRみたいにむやみやたらに人海戦術になるのもアレだが、幹部やらボスやらが1人~数名の部下だけ連れて白兵戦とか笑止である。
っつーか、誰向けに作っとんじゃこの作品。初見の子供向けでは無いよな。かと言って当時はTVで見てましたという層向けでもない。前述のようにキャラ作りが強引すぎてメフィラス星人もどきだし。まあ初代仮面ライダーは観た事ないけど、幾らなんでもあんな敵だったはずがないと思う。ラブロマンスもねーし。SF的な仕掛けもねーし。今時CGで唸らせようというわけでもあるまい。本当に誰向けか判らない。
致命的なのが、美学の無さ。監督の美学が観客に刺さらずにコケた、というより、元々大して作りたい物などないのに取り敢えず何か作らなければならず、アレコレ突っ込んだり削ったり入れ替えたりと繰り返してる内に作ってる側も良く分からなくなったけど完成はさせなきゃいけないので何とか章立てした、という雰囲気がただよう本筋の無ささだった。あらすじ書けと言われたら困るぞこれ。
結論としては、各シーンの頑張りと、取り敢えずダラダラはしてない進行速度のおかげで最後まで見られるが、一本の映画としての核心の無さがひどい。製作陣には反省を求めたい。反省すべき事が山のようにあるだろこの出来なら。
そのためのネルフですみたいに言うなよ
中学生の恋愛なんて 憧れの延長線。自分にない魅力を持ってる人に惹かれるだけ。
シンジとアスカは、エヴァパイロットという苦痛を共有しながら、お互いに自分にないものを感じあっていた。本当にそれだけの話。
(エヴァパイロットの感情はコントロールされている…との言及があるので、それすら作為的なものである可能性があるが。)
だからアスカは「好きだった。でも私の方が先に大人になっちゃった。」と言う。
大人は『お弁当が美味しい』『私には他の人と違う態度をとってる』みたいな理由で好きにならない。確かにあの時は好意を抱いていたけど、精神年齢が28歳になった自分が同じような執着心をシンジに感じていないということに気付いた。
と思っている。
ないんじゃね。覚えてないけど。
惣流をベースにした式波モデルと思っている。なんか解説とかあるんかね。
・マリはゲンドウとユイと一緒の研究室にいた同世代の仲間のはずなのに、なんでシンジと一緒に中学生の身体で戦ってたの?一度大学生や大学院生になったあとで身体を中学生に巻き戻したの?成長を止めるんじゃなくて巻き戻すとかアリ?あとラストシーンでシンジと同年代に見えるのは何なの?エヴァパイロットの義務から解放されたら、アスカの身体が急にあのピチピチスーツよりでかくなってパツパツになってスーツが破れたみたいに、本来の肉体のタイムラインに戻るんじゃないの?つまりマリはエヴァパイロットやめたらゲンドウと同世代のルックスに戻るんじゃないの?
仮面ライダー電王に特異点って存在があるんだけど、そいつはタイムトラベルをしても記憶を持ち越すことができるんだよ。
「あ、マリとカオルは新劇場版の特異点なのか」って思ったら、割と腑に落ちたな。公式の認識と違ってるかもしれないけど。
カヲルが言うには エヴァって【繰り返される円環の物語】らしいから、微妙に変わりながら繰り返してるんだよ。
その中で 3つのストーリーが映像化された…というていにしている。
カオルは作られた存在だからずっと同じ姿で登場するけど、マリは違う姿で転生してるかもしれない。
②で、マリはゲンドウたちと近い歳で研究をしていたけど、③では②の記憶をもったまま シンジと同じ年齢に産まれた。
(そう思ってたから、年齢は巻き戻ったわけでもないし 同年代でもおかしくないんじゃね?と勝手に納得している。)
(カオルが「今度こそ君だけは幸せにしてみせるよ」という思いで新劇場版のシンジに接しているけど、マリはマリで「ユイが遺したシンジを幸せにしてみせるよ。(だから全人類巻き込むとかアホなことするなよクソゲンドウ)」と思ってんじゃないのかな。)
ラストシーンは、シンジがつくった【エヴァがなくてもいい世界→③-2エヴァ無いバージョン】。
たぶん、このタイミングでシンジも特異点になった。というか、マイナス宇宙で世界の書き替えをしたシンジ&そこからシンジを掬い出したマリだけが特異点として【③-2エヴァ無いバージョン】に転生した。…ということに自分はしている。
エヴァが要らないということは使徒も来ません。海は青いし、冬もきます。
エヴァがないということは、エヴァパイロットの身体の成長が止まることもありません。だからシンジも大人の姿です。
(たぶん、ユイがエヴァに溶けることもないかな。違う理由で死ぬとかはありそうだけど。)
ネルフがないということはシンジはレイやカヲル、アスカと出会う理由がありません。
でも、マリとシンジは特異点なので【③-1エヴァあるバージョン】の記憶をもって転生しています。
だから③-1で同世代だった2人は同い年の大人になったし、なんやかんや山口県で会ってる。
…ってことで、とりあえずのところ 納得してる。
序、破までは普通に楽しめていた。
なぜなら新劇場版で登場するのは、TVアニメ版でも再三出てきた「人類補完計画」や「セカンドインパクト」など、ニワカファンの俺でも「あ~聞いたことあるアレね」なワードばかりだったからだ。
ところがエヴァQで出るわ出るわ、わけわからん新ワード。「アダムスの器」、「インフィニティのなり損ない」などなど。あれ?オレ観てる映画間違えたかな?
しかもQの悪いところは、登場人物たちが新ワードの意味を、シンジくんに対してどころか我々視聴者にも教えてくれない!
・・・とぼやいていたら、シンエヴァはさらに輪をかけて新たな謎用語を投げつけてきて無事脳のキャパシティをオーバーしたので、劇場では思考放棄して映像を楽しむことにした。
ところが最近になってアマプラで配信が開始され、今度は自宅で気楽に何度も観返せるようになったので、とうとう重い腰を上げいままで理解を諦めていたシンエヴァ用語たちについて調べることにした。
以下、その自由研究の結果である。(もし間違っていたらやさしく教えてくれよな!)
「アダムス」というのは4機のヴンダーのことで、セカンドインパクトの映像によく写っている4人の巨人のことらしい。なんで巨人が飛行機になったのかは監督の趣味だからとしか。
エヴァ13号機もマリに「アダムスの生き残り」呼ばわりされてるので、じゃあこいつは5人目の巨人なのかもしれない。
破でニアサードを起こしたシンジくん+初号機に、カヲルくんがブン投げた槍。儀式を止めることができる。
実は破とQの間で起きた本物のサードインパクトの時にも活躍してたっぽい。カヲルくんがリリスに刺してサードを止めた(と思ったらゲンドウの策略でエヴァMark.6が第12使徒になっちゃって、結局サードは継続?)。
しょうがないので加持さんがロンギヌスの槍をMark.6にぶっ刺し特攻してサードは完全に止まった、って幕間があったみたい。
こういう経緯があったから、Qでカヲルくんは2種の槍がセントラルドグマにあると思っていた(実際にはすり替えられていたけど)。
Qでシンジ+カヲルくん+13号機が起こしそうになったやつ。発動条件は「13号機が使徒を喰う」+「13号機が2本の同じ槍を持つ」
Qは「使徒Mark.6」+「ゲンドウ製の槍」で起動してしまったが、カヲルくんのファインプレーで止まった。
これ、シンエヴァ初見時は気づかなかったんだけど、実はシンエヴァでもアディショナルインパクトの前にフォースインパクトがきちんと発生してるのな。
シンエヴァでは「使徒アスカ」+「黒き月製の槍2本」をトリガーに発動しちゃってる。
いわゆる「ゼーレのシナリオ」は「フォースインパクトで全人類の魂を浄化して、一つの生命体に進化させればオッケー(=人類補完計画)」って話なワケ。
でも、ゲンドウは「ユイにもう一度会いたい」をモチベーションにしてるから、フォースが完遂されて生命が一個になっちゃうと困る。
なのでフォース中に別のインパクトを起こして儀式を乗っ取っちゃおう。ってのがアディショナルインパクト。
トリガーはセカンドインパクトと同じ。「リリス(今回はエヴァイマジナリー)」+「4体のアダムス(今回はヴンダー4機)」+「槍」
マイナス宇宙にある、なんでも願いを叶えてくれる魔法の場所らしい。
最近だれかのツイートで見たけど、実はエヴァQのニアサーのシーンですでにチラッと登場してたらしくて感心した(ガフの扉の向こう)。
ポッと出とか言ってすまなかった。
アディショナルインパクトの目的は、このゴルゴダオブジェクトの力でこの宇宙のどこかにいるユイを見つけることだったっぽい。
劇中で説明が特になかったのは、メタ的に言えば「なんでも叶うスーパーアイテムなんてアニメの最終回ではよくあること。だから設定なんてどうでもいいし説明する必要もないでしょ?」ってことなんだと思う。
冒頭のパリでオーバーラッピング装備をゲットしたから使えるようになった8号機の新能力。
この状態の8号機はめっちゃつよいのでマイナス宇宙に行けちゃう。
元ネタはウルトラマンタロウの合体能力。ワードがそのまんまらしい。
そっくりさんは元々こいつらと同じ仕事をする予定だったけど、Qでマリandアスカに感情を動かされて自ら離脱した。
それに冬月とゲンドウがキレたのかしらんけど、今度は感情のない肉人形にしたみたい。
シンエヴァでようやく分かったけど、カヲルくんはあのまま2種の槍をつかってゴルゴダに行って「世界をやりなおす」って願い事を叶えてもらおうとしてたんだな。
要はシンエヴァのアディショナルインパクトっぽいことをQでやろうとしてたと。
人間はサードインパクトで大地が浄化されるとエヴァインフィニティ化するっぽい。
中途半端にニアサーを起こしたから、なり損ないがその辺を徘徊するように。
このインフィニティ、シンエヴァ劇中の経過を追っていくと、フォースで魂浄化 → アディショナル(feat.ゲンドウ)で3Dユイ化 → アディショナル(feat.シンジ)で無事もとの人間の姿になってる。
ただこれキルラキルでも思ったことなんだけど、怪物化していた一般人が人間に戻った時、空から降って(落ちて)帰ってくる演出はいかんでしょ。
生身だぞ生身。成層圏からフリーフォールしたら普通にぺしゃんこになるわ。
Q製作時点でここまで考えていたのかは怪しいところだけど、今回サクラの言った「碇さんは恩人であり、仇なんや!」で全て解決した。
「相反する感情が愛憎入り混じって生まれた態度」と解釈することで、Qの不快感を見事に反転させたのは今回シンエヴァで一番評価したいポイント。
公開前は「もし万が一シンエヴァでハッピーエンドになったとしても、シンジくんがQでかわいそうだった事実は消えないんだよなー」って思ってたから、この落とし所を作ってくれた脚本に感心した。
もし、俺が親や恋人を失ったヴィレクルーだと置き換えて想像してみると、うん確かに、シンジくんに対してはひどく罵倒したいとは思わないし、逆にやさしく慰めようとも思わないだろうな。
それこそ、劇中と同じく「もうエヴァには乗るなよ」としか言えないと思う。よくできてる。
忘れがちですけど、破のシンジくんって「地球滅亡クラスの巨大隕石を止めた超怪力ヒーロー。でもそのあと彼が調子乗って隕石にパンチしたせいで、割れた破片が降ってきてビルが倒壊しまくった」みたいな感じなんですよね。彼からすれば綾波を助けただけなんだけど。
13号機はクローン人間には乗れないので、シンエヴァでは「カヲルくん」+「オリジナル式波」の魂ダブルエントリーで動かしてる。
ミサトさんらはまだ誰も乗ってないと思ってたから停止失敗。(うっかりアスカ「シングルエントリーじゃなかったの!?」)
13号機の再起動にやたらと時間がかかっていたのは、Qで爆散したカヲルくんの体をLCLで再生させようとしてたから(といっても完全復活ではなくただの肉塊レベルらしい?出典不明)。
ちなみに魂だけでは13号機は動かないので、シンエヴァではゲンドウ(ネブカドネザルの鍵の効果でヒトを捨ててる)が実質の操縦者。つまり使徒アスカを含めると4人乗りである。
アディショナルインパクトの効果。フォースインパクトは「全ての魂を一つにする」だけど、アディショナルは「全ての魂の中からユイを探す」なので演出的に綾波になった。特に意味はない。
結局アディショナルではユイは見つかりませんでした。でも初めてシンジと向かい合ったらそこにユイの面影を見つけましたよーってだけ。
ゲンドウがシンジに向き合った時点でハッピーエンド演出が流れるってことは、破であのまま和解してればあそこでお話終了だった説が濃厚。
違うっぽい。(シンジくんも「世界を作り替えたり、時間を巻き戻したりもしない」って言ってるし)
正確な言い方ではないけど、いわば「エヴァのないパラレルワールド」を作って、シンジくんマリがそっちに平行移動しただけ。エヴァ時空のケンケンとかはそっちの時空でアスカとよろしくやってる。
映画公開後のいろんな考察サイトでは、「ネオンジェネシスによりエヴァ時空は消滅した」みたいに書かれてるけど、いや、絶対そんなシナリオじゃ無かった、と声を大にして言いたい。
というかそうでないと、わざわざヴンダーから地表に投下したスイカの苗とかの加持さんが守った植物のくだりがぜんぶ無意味になっちゃうだろ!
実際に、13号機から切り離したアスカのエントリープラグがケンケンハウス前に到着しているカットや、ペンペンの末裔?たちの前にタンポポの種子が着水するカットを、わざわざネオンジェネシス発動後に差し込んでいる。
なのでエヴァ(新劇)時空は、色んな人が傷ついて多くのものが失われたまま続いていくけど、(ラストでも第三村の豊かな自然のカットが意図的に映し出されてたし)今後は復興していくんじゃないかな。退艦時にミサトさんから「(息子のことも含めて)あとはお願い」って言われてたリツコが実質的なリーダーになるのかなーっていうのは俺の妄想。
一方、2人だけは記憶を保持して、エヴァが存在していないパラレルワールドへ。
そして最後のドローン空撮で、この新パラレルワールドこそが、視聴者の住むまさに "この" 世界だと言うことが明らかになる、と。そういうオチらしい。
「なんか延期してる間にSSSSグリッドマンとネタ被りしてない?」と言ってはいけない。
意味はない。ただの学生時代のあだ名をそれっぽいタイミングでそれっぽく言っただけ。
聖書ワードを意味ありげに使って考察班を喜ばせたろw!ってこのへんの言葉回しは、あーTVアニメ版スタッフの匂いだなーと感じた。
シンエヴァのラストを難解にしてしまっている元凶は、この「ゲンドウはユイを探すアディショナルを諦める」→「なのになんか色々やってたら結局ユイが出てきてゲンドウの目的も達成されたように見える」っていう二転三転具合なんだと思う。
これ、なんでこんなことになるかと言うと、「初号機の中にユイの魂がいる」って言うエヴァファンなら誰でも知ってる設定に、劇中ではこの時初めてシンジが気付くからなんですよね。
破のダミープラグの流れを見るにゲンドウはこの事実に気付いてたみたいだけど。
でも結局シンジがネオンジェネシスで自らを生贄にする、まさにそのときじゃないとユイは出てこようとしないわけなので、序からシンにかけてゲンドウのやってきたことはもう完全にただの空回り、意味が無かったってことになっちゃいますよね。でもシンエヴァの着地点はそういうことらしいです。父がすべきは息子との和解だけ。
逆に、ユイは十何年も前に「あ、将来うちのシンジちゃんが初号機に乗ってなんやかんやあって生贄になろうとするから、その時まで初号機の中で眠っとこ」って予知をしちゃう超電波キャラになるのが今作の難点よね。
まあエヴァっていう何十年分の巨大ストーリーを無難にまとめるためには、設定の皺寄せがシンエヴァのどこかに生まれてしまうのは仕方のないことなんだけど……言わせてくれ。
ユイ、お前は何者なんだよ。
要は映画の尺的に「カヲルと加持を同時に退場させる必要があった」→「劇中接点のない2人なので、実は元々仲良しでした〜って表現する必要あり」
で、加持はカヲルくんの指示で動いてた時期もあるんですよ、ってことにしたけど、分かりにくいから、破とQの間でネルフの司令になってたことにしたって感じ。
この設定いる?
普通に「ゼーレと内通してたときに仲良くなった」とかでいいじゃん。変なことするからゲンドウのクローンだのなんだの謎考察うまれてるし。
(13号機がクローン搭乗不可ってのがQで言及されてるので、カヲルくんクローン説はダウトですね。)
なんかまだまだ謎はあった気もするけど、今日はもう思いつかないのでこの辺にしておく。
ウルトラマンパロ多すぎだろ!!
アマプラでシンエヴァ観れるようになるみたいなのでアニメ、旧劇を視聴済みの姉に新劇エヴァ見せたいんだけど、
全部観る熱量なさそうなので、シンエヴァだけでも観てもらうためにQまでの内容をなるべく簡潔に説明したい。
《序》
・基本アニメ版7話までと内容は同じで、綾波がニコッするところで終わり
《破》
・アスカとか出てきて基本はアニメ版と同じ流れだが、途中で新キャラのメガネっ娘が出てくる
・アニメ版では3号機パイロットとしてシンジの友達のトウジが選ばれるが、こっちではアスカが選ばれて悲惨な目に合う
・最後超強い使徒が現れて綾波を食べてしまうが、勇気を出したシンジが頑張って綾波を助けて、なんだかんだでサードインパクトが起こって終わり
《Q》
・前回から14年経ち、初号機の中で眠っていたシンジは急に起こされる(なんかエヴァパイロットは成長しない設定で体が14歳のまま)
・ミサトさんがネルフに対抗するヴィレという組織を作っており、官長になっている
・アスカは無事だったが、めちゃくちゃ怒っている
・シンジのせいでサードインパクトが起こったせいか、ヴィレのメンバーはめっちゃシンジをにらんでくるため、いたたまれないシンジは襲ってきたネルフに乗り込みその場を逃げ出す
・ネルフにはカオル君がおり、フレンドリーに接してくるため仲良しに
・カオル君からシンジが原因でサードインパクトが起こり、人類のほとんどがLCL化(パシャ)したことを説明され、ショックを受ける
・父親の命令でネルフの下のほうにあるリリスから槍を抜けば元通りになるといわれたのでカオル君と向かうが、アスカとメガネっ娘が邪魔しに来る
・どうやら槍を抜くとフォースインパクトが起こるらしく、騙された責任を取るためにカオル君の首が飛んでしまう
・カオル君が死んでショックを受けたシンジはへなへなの自暴自棄になり、アスカ、綾波に連れられてどこかへ行くところで終わり
書いてて思ったが、やっぱりオリジナル展開のQは説明が長くなっちゃうので、大部分はシンエヴァ視聴中に都度説明でもいいかな。