はてなキーワード: メソとは
『消費税を否定されたらぼくの人生の30年が全て否定されたことになる』みたいな宣伝を見た。
ふざけるなよ。
消費税を否定するってのは、その三十年間で消費税に金を払ってきた全ての人、一億人以上の人間をちゃんと否定する行為なんだよ。
たかだか国の財布の紐が偉そうに泣き喚くなよ。
それでも否定されるべきは否定されるべきで、それでもなお賢くお財布事情とドライにクールに向き合っていくのがお前ら財布の紐の役目だろ。
人情を差し込んでるからおかしくなってることに気付かねえのかお前は。
たかだか政策作ったり財政作ったりした奴らの何日分何百日分何万日分をも否定してでもその時の状況を立て直さなければいけないのがお前らが脈々と引き継いできた歴史なんだよ。
メソメソ泣いてるなら政治なんざやるな。人情で紐を緩める馬鹿なら他人の金に関する場所に居ないでくれ。
お前の人生を思って否定してほしくないというならお前ら国家の奴隷はちゃんと一円単位でも国民の為に還元すべきだったろうが、公務員も人間だからね、じゃねえ。公務員は国家の為に命を捧げてるから否定するのにも二の足を踏むぐらいのことを言わせられるようになれ。
ちょっと税制変更しただけで脱税がバレるようならもう二度と『僕らの何年間が無駄に』とか抜かすな、ヨゴレが。
妊娠中10キロ太って、産後4キロしか戻ってない。普通に生きてて、6キロも一気に太ったことないから、困惑している。肩、腕はアジアのババアのごとき逞しさ、腹回りは扇風機おばさんのような肉が四方八方についている。加えて腰回りが広くなったことで産前の服は何ひとつ入らなくなった。タイトスカート、入りません。スキニージーンズ、太すぎて下がってきます。薄手のニット、見るに耐えません。スカートの下に履くペチパンツ、なんならパンツまでサイズアウトして全て買い直し。あ、太る時って足も太るんだね.靴も1センチアップでお気に入りのパンプスもスニーカーも入りません。
いきなり猫っ毛になった。チリチリして軽すぎて、パーマかけても言うこと聞かない!髪をセットして、下ろして家を出て,2分でアホ毛まみれの汚いばばあ爆誕です。死にてえ。結んだら結んだで顔でかい。死にてえ。
今まで生理前の不調とは無縁だった私ですが、産後なぜかご縁ができてしまいました。お腹痛い、尚且つ精神的に不安定。死にたい死にたいとメソメソする。メンヘラじゃないという理由で私を選んだ夫、困惑。
産前は酒好きで、居酒屋で飲んだり、家でおつまみ作って飲んだりするのが無上の幸せだったわたくし。夕飯はきゅうりと塩と赤ワインでよかった。産後は酒激弱になり、缶ビール1杯で体調不良。代わりに米が好きになり、焼き菓子が好きになり...とデブに近づくための食べ物が好きになる。今はシャトレーゼの常連。いっそ殺してくれ。
これが一番まずい。自己顕示欲が爆発してる。仕事やら飲み屋やら、社会とつながりをもつ場がなくなったからか、SNSでの自己顕示欲が爆発している。アグレッシブなママ垢や、中年のババアが大暴れするのを見るたび不思議だったが、その人たちももとは普通の人だったのだろう。Xはもとより、発言小町、スレッズなどの地獄に足を踏み入れ、話の通じないバケモノたちとレスバを繰り広げる。が、そう言う私もすでにバケモノなのである。バケモノ同士の醜い絡み合いは一銭も生み出さない。早く鬼殺隊こないかなー。ここでーす。ここが令和の無限城でーす。
むりだね。私にとっての人間であるための暮らしっていうのは、運動でも読書でも映画鑑賞でも、自分で時間を作れるような自由な暮らしだった。今はずーっと小鬼に追いかけ回されて、泣き喚かれて、本も読めない。ランニングにも行けない。小鬼体が弱くて、保育園にもしばらく入れない。
私はこれからもどんどんバケモノになっていって、いつかネットで後ろ指さされるような激太り小汚いババアになるのだろう。そしてある日裏の竹藪はないから草むらに入っていってマダニに刺されてうぉんうぉん泣く変質者になるのだ。そのときはこの増田をそっとXでシェアしてほしい。
まだギリギリ生きてるけど、遺品整理とかをしないとなーと思って色々片付けている。
お金周りもやらんとなぁと思い、嫁の通帳が入ってる棚を探っていたら、棚の中から色々手紙が出てきた。
古くからの友人だったり、新卒の頃の先輩からの手紙だったり。友達を大切にする妻の人となりをとても感じた。
その中には僕が何年も前に妻へ送った手紙も混じっており、不意を突かれ僕は少しメソメソ泣いてしまった。
僕は字も汚く、あまり手紙を書くのも上手くはないので好きではない。
(女の子同士だと手紙を送り合う文化がある気がするけど、男性同士だとあまり文化ないよね?)「私はあなたに何度か手紙を送っているが、何故あなたは私に手紙を書かないのか?」といった感じで半分妻に強要されつつ書いた記憶がある。
拙く少し上から目線のたった数行の手紙。書いたことすら忘れていた。そんな大したことない手紙を、妻が大切なものが入っている棚に保管してくれていた事は正直意外だった。
子供・血の繋がりのある親兄弟・友人、妻には沢山の大切な繋がりがあり、僕はそれより優先順位が低いと勝手に感じていた部分があったのだが、そこまで低くはなかったのかもしれない。
流産の当事者である女性と、それを支える男性で、喪失感にギャップがあることはよくあることらしい。
妊娠初期の流産を経験したうちもそうだった。それが当然だと思う。痛みや吐き気含めた肉体的変化があり、「妊娠している」と日々五感に訴えかけられ続けている人間と、その様子を見る・聞く人間なのだ。
個人的には、メソメソしている自分のそばに冷静で頼りになる夫がいてくれることでとても助かった。
しかし夫はいつも「もっと自分もあなたの苦しさを理解したい、教えてほしい」と言っていたので、ここに「赤ちゃんを失った」以外のつらさを言語化しておきたい。
勢いで書いたので同じようなものも並んでいるがご容赦いただきたい。
自分は完全流産だったが、冷や汗が出るほどの腹痛、身体からニュルニュルと出ていく感じ、出てきた塊を見た時の衝撃、途端に身体の症状が軽くなる感じ。あれはトラウマ。
→細かくレポートしている方も多いが、これはトラウマと向き合い闘っているのではないかと思う。
妊娠中の、思わず前屈みになる下腹部の感じ、お腹の張りなどがなくなった。
「母体優先」で毎日を過ごしていた時間が急になくなってしまって、生活の軸や意味を見失ったような感覚になる。
→自分は特にこれが顕著だった。自己肯定感が低いので、「母体であること」を自己肯定の強烈な要素に据えていたんだと思う。それがなくなった今、「母体じゃない私ってなんで存在してるんだっけ……?」みたいな「無価値感」があってしまう。
母体じゃない人は必要ないとかそんなんじゃない。一旦優先順位をしっかり自分の中で作ってしまったことで、壊して再構築するのが難しいのだと思う。
・大きなプロジェクトを失った虚しさ
まずは引き継ぎの文書を作って、産院を探して、〜月には生まれることになるのか……なんてスケジュールを引き始めていたプロジェクトがなくなり、じゃあ何をすればいいんだっけと戸惑う。
自分自身への肯定感どうこうではなく、「今頃〇〇していたはずなのに……」という、特に確定もされていなかった「期待していた未来」がなくなったことへの
自分も当事者になるまでは理解できなかった。「いや、初期流産は特に本人じゃどうにもならないのに」と思っていた。それでも、妊娠報告に喜んでくれた両親、支えてくれた夫に申し訳なく思ってしまう。どうしても自分の身体で起きたことなので責任を感じてしまうのだ。
自分の担当エリアで事故が起きた責任者の気持ちだろうか。防げない事故だったと言われても、安全点検が必要水準だったかとか色々考えちゃう。
・妊娠期間を美しく思い出す切なさ
「文化祭が中止になったけど、準備期間も楽しかったな」と振り返るみたいに、短かったけれど妊娠していた日々は本当に特別で、かけがえのない記憶になっている。
ふつうは体調不良はそういうものなのだが、これまでは「子どもを育てるためだから」と我慢していた体調不良が、もう子どもがいないのに続いていることがもどかしい。
じゃあまた妊活にトライしよう、と思っても何回かスキップしなければならない。もしまた妊娠できても継続できるだろうかという不安。
「身体のトラウマ」「母体としての価値を失った感覚」「未来の予定がなくなった虚しさ」など、たくさんの“複合的な喪失”だからこそキツイし、言葉にもしづらいんだと思う。
数ヶ月前から何となく別れたいなぁと思っていた彼氏と、改めて関係を継続しようと頑張ろうって思い直した矢先にLINEブロックされてしまった。
いつも週末に彼氏が家に来ていたので、部屋には彼氏の私物が沢山置いてあって、その処分に困った。
とりあえず洗濯してまとめて置いてあるが、最終的に取りに来なかった場合、いつ捨てたらいいのか。
関係が悪化してると感じたのは、三ヶ月前程で、その時に振られてもおかしくは無かったのだが、彼から別れ話を切り出す様子もなく、放っておいたらこんなことになっていた。
別れたいなぁと思ったら、速攻で別れ話をするべきだったな。反省
関係を頑張って継続しようなんて思う必要なんかなかった。初めて二年も付き合ってたから気合いが入りすぎていたような気がする。
二年間も人の住処に入ってきておいて、別れ際は無言で去ろうとするその身勝手さに腹立つけど、どうしようもない。半同棲までしたなら、どんなに私に思うことがあっても、一言言えばいい。
そんなこともできない人と二年も付き合ってたとは…
LINEブロックされたことに気がついてから数日は何もやる気が起きなくて、とにかく自分がブロックされる人間性なんだとか、荷物やらを置いてまですぐに逃げたいと思われてたこととか、クヨクヨ悩んだけど、
普通の人間はそんな事しないよなぁって思って割とすぐ立ち直った。
対話を避けようとして、自分が逃げればOKなんて思ってる奴は、今後上手くいくはずがない…
とにかく、この歳でこんな中学生みたいなムーブされたのびっくりしてしまった。
私も反省するところはある。本当に。
もっと素直になろうと思う。
【追記】
元増田である。たくさんのコメント、ありがとうございます。
一ヶ月ほど前に書いたやつがなぜ今見られてるのか全く分からない。あれから彼からの連絡は一切ないということをここに報告する。
「女版筋通しネキ」ってコメントついてて、本当にその通りだと思った。
ただ、彼と過した時間は一時間やそこらではないのである。シンプルに、二年の年月を過ごしでもなお、LINEでブロックして関係を切るという考え方に拍子抜けしてしまったのだ。今度これ食べようね〜とかそういう会話をしている中、急にブロックされたので尚更。
大きな喧嘩をした訳ではないが、倦怠期が続いており、たまに別々で寝たりしていた。私はこれを乗り越えられたら…なんて思っていたが相手は話し合いにも応じないし、思ってることも言わないので、ずっとすれ違った状態で最悪だった。そういう空気になってしまったのは、私が悪かったのかもしれない。放っておけばよかったのか…。
あの日から数日メソメソしながらLINEを見返してたりしてたら、彼が私のことをあまりにも下げた話し方をしていたことが見えてきたので、冷めてしまった。俺がLINEブロックしたら増田ショックでしょやら、俺がいないとお前はダメなんだよな〜みたいな発言がマジであって、彼と離れるまでそれが何を意味していたか一ミリも分かっていなかったのが怖い。なにかの冗談かと思ってヤダな〜笑で捉えてたけど、初めから対等に見られていなかった。これは隙を見せた私が悪い。精神的に自立してないと恋愛は難しい。
ブロックされてから、私にそのようなことを言う人はいなくなり、自信も戻ってきたみたいで色んなことが上手くいっている。あの時の楽しかった時間は事実で、相手もまた同じだと思う。別に忘れたいとかそういう気持ちはもうない。
医療少年院に勤めていた精神科医の本が話題になるたびに思い出す人がいる
ゲームが好きだった
ど田舎で特別支援学校が近くにないという理由で小中は知的障害のある子も割といる学校だったからその頃はあまり目立たなかった
Aはよく泣く男だった
理由を聞いても答えない
小中の出来事は忘れたけど
高校では
授業中に当てられて泣き、
テスト返却で泣き、
当番になって泣き、
マラソン大会で泣き、
そしてケーキが切れずに泣いた
4人一班で2人は片付け、1人は先生に呼ばれたのでAに切るのを頼んだ時、Aはケーキを見つめ包丁に手を伸ばさなかった
どうした?と声をかけると泣き出してしまった
その時は均等に切らねばいけないとプレッシャーを感じてしまったのかもしれないと思っていたが
学年主任の先生に入試用書類の添削をしてもらってたらクラス担任が駆け込んできた
一度も教員に見せずに勝手に志願書を提出してしまった生徒がいる
疲れ切った学年主任が戻ってきた
今日忙しくなっちゃったからまた今度と言われ教室に行くとAが泣いていた
近づいくと机に鉛筆で書き殴られた入試関係の用紙が置いてあった
自己PRの楽しかった事みたいな欄に虫をすりつぶした事と書いてあるのが見えてしまい何も言わずに教室を出てしまった
何か障がいがあるんだろうとは思っていたが
提出書類を鉛筆で書いている、しかも線や枠をはみ出している、虫を殺したことを書いている、それをもう郵送してしまった
必ず先生に見せることも
何度も何度も言われていた
十数年たった
Aも今だったら色々な支援を受けもっと穏やかに学校に通えてたんじゃないかと思う
そして学生時代Aは少しみんなと距離はあったけど無視されたりいじめられたりはなかった
友達もいた
何か一つ欠けていたら自殺や他害、犯罪の方に走っていたかもしれない
少年犯罪を起こした子達も環境が違えば正しく前に進めた子もいたかもしれない
夏が来る度にそんなことを考えてしまう
酒よりは、害にならぬと奥さんも言い、自分もそれを信じて、また一つには、酒の酔いもさすがに不潔に感ぜられて来た矢先でもあったし、久し振りにアルコールというサタンからのがれる事の出来る喜びもあり、何の躊躇ちゅうちょも無く、自分は自分の腕に、そのモルヒネを注射しました。不安も、焦燥しょうそうも、はにかみも、綺麗きれいに除去せられ、自分は甚だ陽気な能弁家になるのでした。そうして、その注射をすると自分は、からだの衰弱も忘れて、漫画の仕事に精が出て、自分で画きながら噴き出してしまうほど珍妙な趣向が生れるのでした。
一日一本のつもりが、二本になり、四本になった頃には、自分はもうそれが無ければ、仕事が出来ないようになっていました。
「いけませんよ、中毒になったら、そりゃもう、たいへんです」
薬屋の奥さんにそう言われると、自分はもう可成りの中毒患者になってしまったような気がして来て、(自分は、ひとの暗示に実にもろくひっかかるたちなのです。このお金は使っちゃいけないよ、と言っても、お前の事だものなあ、なんて言われると、何だか使わないと悪いような、期待にそむくような、へんな錯覚が起って、必ずすぐにそのお金を使ってしまうのでした)その中毒の不安のため、かえって薬品をたくさん求めるようになったのでした。
「勘定なんて、いつでもかまいませんけど、警察のほうが、うるさいのでねえ」
ああ、いつでも自分の周囲には、何やら、濁って暗く、うさん臭い日蔭者の気配がつきまとうのです。
「そこを何とか、ごまかして、たのむよ、奥さん。キスしてあげよう」
自分は、いよいよつけ込み、
「薬が無いと仕事がちっとも、はかどらないんだよ。僕には、あれは強精剤みたいなものなんだ」
「ばかにしちゃいけません。お酒か、そうでなければ、あの薬か、どっちかで無ければ仕事が出来ないんだ」
「お酒は、いけません」
「そうでしょう? 僕はね、あの薬を使うようになってから、お酒は一滴も飲まなかった。おかげで、からだの調子が、とてもいいんだ。僕だって、いつまでも、下手くそな漫画などをかいているつもりは無い、これから、酒をやめて、からだを直して、勉強して、きっと偉い絵画きになって見せる。いまが大事なところなんだ。だからさ、ね、おねがい。キスしてあげようか」
奥さんは笑い出し、
「困るわねえ。中毒になっても知りませんよ」
「一箱は、あげられませんよ。すぐ使ってしまうのだもの。半分ね」
「ケチだなあ、まあ、仕方が無いや」
「痛くないんですか?」
「それあ痛いさ。でも、仕事の能率をあげるためには、いやでもこれをやらなければいけないんだ。僕はこの頃、とても元気だろう? さあ、仕事だ。仕事、仕事」
とはしゃぐのです。
深夜、薬屋の戸をたたいた事もありました。寝巻姿で、コトコト松葉杖をついて出て来た奥さんに、いきなり抱きついてキスして、泣く真似をしました。
薬品もまた、焼酎同様、いや、それ以上に、いまわしく不潔なものだと、つくづく思い知った時には、既に自分は完全な中毒患者になっていました。真に、恥知らずの極きわみでした。自分はその薬品を得たいばかりに、またも春画のコピイをはじめ、そうして、あの薬屋の不具の奥さんと文字どおりの醜関係をさえ結びました。
死にたい、いっそ、死にたい、もう取返しがつかないんだ、どんな事をしても、何をしても、駄目になるだけなんだ、恥の上塗りをするだけなんだ、自転車で青葉の滝など、自分には望むべくも無いんだ、ただけがらわしい罪にあさましい罪が重なり、苦悩が増大し強烈になるだけなんだ、死にたい、死ななければならぬ、生きているのが罪の種なのだ、などと思いつめても、やっぱり、アパートと薬屋の間を半狂乱の姿で往復しているばかりなのでした。
いくら仕事をしても、薬の使用量もしたがってふえているので、薬代の借りがおそろしいほどの額にのぼり、奥さんは、自分の顔を見ると涙を浮べ、自分も涙を流しました。
地獄。
この地獄からのがれるための最後の手段、これが失敗したら、あとはもう首をくくるばかりだ、という神の存在を賭かけるほどの決意を以もって、自分は、故郷の父あてに長い手紙を書いて、自分の実情一さいを(女の事は、さすがに書けませんでしたが)告白する事にしました。
しかし、結果は一そう悪く、待てど暮せど何の返事も無く、自分はその焦燥と不安のために、かえって薬の量をふやしてしまいました。
今夜、十本、一気に注射し、そうして大川に飛び込もうと、ひそかに覚悟を極めたその日の午後、ヒラメが、悪魔の勘で嗅かぎつけたみたいに、堀木を連れてあらわれました。
堀木は、自分の前にあぐらをかいてそう言い、いままで見た事も無いくらいに優しく微笑ほほえみました。その優しい微笑が、ありがたくて、うれしくて、自分はつい顔をそむけて涙を流しました。そうして彼のその優しい微笑一つで、自分は完全に打ち破られ、葬り去られてしまったのです。
自分は自動車に乗せられました。とにかく入院しなければならぬ、あとは自分たちにまかせなさい、とヒラメも、しんみりした口調で、(それは慈悲深いとでも形容したいほど、もの静かな口調でした)自分にすすめ、自分は意志も判断も何も無い者の如く、ただメソメソ泣きながら唯々諾々と二人の言いつけに従うのでした。ヨシ子もいれて四人、自分たちは、ずいぶん永いこと自動車にゆられ、あたりが薄暗くなった頃、森の中の大きい病院の、玄関に到着しました。
サナトリアムとばかり思っていました。
自分は若い医師のいやに物やわらかな、鄭重ていちょうな診察を受け、それから医師は、
「まあ、しばらくここで静養するんですね」
と、まるで、はにかむように微笑して言い、ヒラメと堀木とヨシ子は、自分ひとりを置いて帰ることになりましたが、ヨシ子は着換の衣類をいれてある風呂敷包を自分に手渡し、それから黙って帯の間から注射器と使い残りのあの薬品を差し出しました。やはり、強精剤だとばかり思っていたのでしょうか。
「いや、もう要らない」
実に、珍らしい事でした。すすめられて、それを拒否したのは、自分のそれまでの生涯に於いて、その時ただ一度、といっても過言でないくらいなのです。自分の不幸は、拒否の能力の無い者の不幸でした。すすめられて拒否すると、相手の心にも自分の心にも、永遠に修繕し得ない白々しいひび割れが出来るような恐怖におびやかされているのでした。けれども、自分はその時、あれほど半狂乱になって求めていたモルヒネを、実に自然に拒否しました。ヨシ子の謂わば「神の如き無智」に撃たれたのでしょうか。自分は、あの瞬間、すでに中毒でなくなっていたのではないでしょうか。
けれども、自分はそれからすぐに、あのはにかむような微笑をする若い医師に案内せられ、或る病棟にいれられて、ガチャンと鍵かぎをおろされました。脳病院でした。
女のいないところへ行くという、あのジアールを飲んだ時の自分の愚かなうわごとが、まことに奇妙に実現せられたわけでした。その病棟には、男の狂人ばかりで、看護人も男でしたし、女はひとりもいませんでした。
いまはもう自分は、罪人どころではなく、狂人でした。いいえ、断じて自分は狂ってなどいなかったのです。一瞬間といえども、狂った事は無いんです。けれども、ああ、狂人は、たいてい自分の事をそう言うものだそうです。つまり、この病院にいれられた者は気違い、いれられなかった者は、ノーマルという事になるようです。
神に問う。無抵抗は罪なりや?
堀木のあの不思議な美しい微笑に自分は泣き、判断も抵抗も忘れて自動車に乗り、そうしてここに連れて来られて、狂人という事になりました。いまに、ここから出ても、自分はやっぱり狂人、いや、癈人はいじんという刻印を額に打たれる事でしょう。
人間、失格。
察せない女と察してほしい男が付き合っていて、めんどくさい
友人は自分は気にしないから!で平気で男友達と二人で遊びに行ったりする
まあ、異性と遊びに行くのはお互いに気にしないならいいと思うんだよ
でも友人の彼氏は嫌なのに「行きたいなら行けば?」とか言っちゃって、友人は「じゃあ行きたいから行ってくるね🎶」つって出かけて、彼氏は怒り友人はなんで怒ってるのか理解できない…と言うのを繰り返してる
というか、友人は過去の彼氏相手にも同じことを繰り返していて女友達複数人から口を酸っぱくして、もう耳にタコができるほど「お前は気にしなくても相手は気にするかもしれないから彼氏に確認しろ」と年単位で言い続けてやっと確認をするようになったわけ
で、嫌だから言ってほしくないと言われたら行かないようになったわけ
なのに肝心の彼氏が「行きたいなら行けば?」とか言って機嫌悪くなってる
友人が「一応増田に相談するんだけど、彼氏はいいって言ってて…」と相談してくる度「絶対行くな!!!!!!!!!!!!!!!!!!」と1時間くらい説得してやめさせてる
ガチでなんなの?
付き合い長いし共通の友人も多いから仲良くしてたけどこれ私が縁切ったほうが早いな
この話はこれで終了です
ありがとうございました
友達一同から「モラハラだよ」「やめときなよ」といわれ続け2年。ついに別れた。
【なんで別れたの?】
ひと悶着あり揉めていた頃、向こうから別れの申し出があったため。
【別れの理由は?】
向こうの言い分としては、「話し合いが出来ないと感じたから」。
ちなみに、上の「ひと悶着」と下の「話し合いが出来ないと感じた出来事」は別件。
【本編】
じゃあまず「ひと悶着」からエピソード書いていきます。分かりやすいように(?)事件として扱うよ。
ひと言で言うと、バレンタインに手作りを強制されたもののホワイトデーのお返しが無かった。
事の発端は去年のバレンタイン。向こうから、「バレンタインは絶対に手作りがいい」と申し出があった。「ホワイトデー何くれるの?」と聞いたら「バレンタインの内容による」との回答あり。
当日、クッキーを作って持って行った。
翌月のホワイトデー、特にお返しはなし。厳密に言えば、デート途中で思い出して、「忘れてた、今度持ってくる」と言ってくれたが。
私は「大したものじゃないからお返しはいいよ」と言っておいた。
結局何も貰ってない。
時は流れ、今年のバレンタイン。
「あげてもいいけど、去年のお返しが無かったな……」と私はモヤモヤしていた。何より、ホワイトデーのお返しはバレンタインの内容によるなんて聞いてたもんで、やっぱり素人の不揃いクッキーじゃダメだったのかな……と泣いてたりした。
とはいえ、去年のお返しは!? なんて聞くのはさすがの私も気が引けた。だから、「去年のバレンタイン何あげたっけ?」と聞いてみた。
次に、「薄情者だからお返しで何貰ったか覚えてないや〜」と言ってみた。向こうからは、自分も覚えてないと回答あり。その後、彼はお返しを渡してないことを思い出した様子で、次のようなことを言ってきた。
増田(私)が「お返しはいいよ」って言ったから、いらないのかと思った。自分の性格的にすっぽかすとは思えない。何か渡そうとしてるはず。
まあ、言ったよ。大したものじゃないからお返しはいいよ、って言ったよ、私は。
やっぱり私の発言がいけなかったんだ……とメソメソしていたら、向こうから電話がかかってきた。
開口一番「別れない?」と言われた。理由は、話し合いが出来ないと感じたから。
どの辺でそう感じたのか? なんと、話が去年の夏に遡るという。それが②。
話は去年の夏に遡る。出先で、夕飯のお店を探していた。良さそうな中華屋を見つけたので、私が予約の電話をかけた。
それでもどうにかお店の人とやり取りをしていると、「それじゃ通じないよ、〇〇って言わないと……」みたいな事を、横から彼に言われた。
相手は外国人だからこういう言い方をした方がいいんじゃない? ってアドバイスだったみたいだけど、いかんせんこちらはお店の人との会話に必死なもんで聞き取れない。で、彼のアドバイスが被ってお店の人の声も聞きづらくなる。
どうにか予約を取り付けて電話を切ってから、「あれじゃ通じないよ(以下略)」と電話中と同じようなことを言われた。
お前が黙ってれば聞き取るチャンスがあったものを……と思ったが、ここで喧嘩するのもな……と思い、「ね、次から気をつける」とだけ言った。
これがどうやら、「話し合いが出来ない」と判断されたらしい。
元彼的には、「次から気をつける」で会話を終わらされた=会話ができない と言う理論。
(ちなみに、「『気をつけるね』の言い方と態度が悪い」とのお言葉も頂いている)
【その他おもろエピソード】
付き合ってる間、元彼の出身大学以上のレベルの大学の人間とやり取りする事や、文化祭に行くことが禁じられていた。
藝大、明治、青学は、やり取りをしても何も言わないし、文化祭に行っても放っといてくれた。
東大の文化祭に誘われたので行ってきたいと話したら電話がかかってきた。
【さいごに】
付き合ってる間は、YouTubeで「モラハラの特徴!」みたいな動画を見たり、「彼氏 モラハラ」で検索をかけたりしていた。
けど、離れられなかった。稼ぐ人だったから。「こんな稼ぐ人、これ以降現れない」と信じていたから。
正直、元彼が本当にモラハラだったのかは分からない。単純に、私の精神年齢が低かったとか、期待しすぎたとかかもしれない(ちなみに当時は私21歳、彼30歳でした)。
アサクリシャドウズ、近畿が出てくると聞いており大阪奈良京都が舞台なんだろうなーとは思ってたが、福井も出てくる
福井、俺の故郷であり忌まわしい思い出しかなく二度と帰らない場所
ゲームの中で帰って来るとはな
終盤になってようやく訪れる土地という設定らしく、推奨レベルが高いゾーンだ
俺が福井にいた頃よりも数百年昔が舞台なので面影はないはず、だったが気比神宮に行くと懐かしさがあった
リアルではもう二度と行かない気比神宮、子供の頃にはお祭りなどで行ったものだ
ぞっとするぐらい「見慣れた」感覚があった
いろんな神社に作中で行けるが、気比神宮は塀(?)のデザインが独特なんだよな
ああこういう塀(?)だったわって記憶がよみがえる
アサクリシャドウズの建築物は当時を完全に再現したわけではなく、近世の建て替え後のものを参考にしていることがある
気比神宮は空襲で一回壊れて作り直した比較的新しい神社だが、作中に出てくるのは今の気比神宮をもとにしているのかな
父子家庭で育ち父は少女を養うために海賊になりそして死に、少女は賊の娘として迫害されている
少女はメソメソ泣くような者ではなく、いじめてくる奴らの集う食堂に侵入し毒物仕込んで腹を下させてざまあああするようないい性格した奴だ
主人公のうち、弥助は少女にドン引きするが、奈緒江は最近父を殺されたばかりで「父と娘」に思うところがあり、少女を勧誘して仲間にする
少女は暗黒の土地福井から脱出して主人公たちの住む屋敷に引き取られる
そこでは少女の過去を知りいじめてくる者はいないし、復讐のために鍛えた毒スキルは戦闘員として重宝される
屋敷の主人の女が、少女にもあれしろこれしろと労働を押し付けてきて、少女は「チッ、うっせーな」って反応をしつつも、女が母のようでちょっと嬉しそう