はてなキーワード: 私物とは
妻が子供を欲しがるが、色々あって私はこの人と子育ては難しいと思っている。
飼い猫に夜中に起こされたことに憤慨して狭いクローゼットに閉じ込めた人が、3時間おきの授乳で発狂して虐待死させる蓋然性は高いと思う。
他の場面でも睡眠を妨害されると怒りが発火して手に負えないので、乳幼児を育てるのに不向きなんだと思う。
自分は元カレと連絡取り合って食事に行くのに、私は"男"友達と出かけることさえ許さないのはめちゃくちゃ過ぎると思った。
元カレと食事に行く人が托卵する蓋然性はそれなりにあると思うし、私は信頼できないのでそんな相手と子供を設けたくない。
私の私物を勝手に捨てるのも酷いなと思った。本、契約書、アルバム、銀行からの封書…なんで人の物を確認も取らずに捨てるのか理解に苦しむ。
大人からしたらガラクタでも子供にとっては大切なものとかもバンバン捨てそうで、そうなったら子供がかわいそうだと思う。
弁当を作ってあげたら「ベーコンとかは保存料とかが入ってるから私は使わないんだよね」
なんで作ってもらってそんなことが言えるのか、この人は人の心とかわからないのかな、この人が作れる子育て環境っていいものになるかな、とか考えちゃう。
こういったことへ反発すれば「そんなふうに人を糾弾するのは悪」とか「言い方に傷付いた」とか「お前だって云々」とかそういうふうに論点ずらして話にならない。
多分、自己愛性人格障害か何かなんだと思う。
抱かなきゃキレ散らかして面倒だから抱くけど、やれゴムをつけるな中に出せとしつこい。
幸い気付かない…のか、托卵のアリバイさえこさえればいいから気にしてないのか。
正直、しんどい
悪いんじゃなくてすごいほうでやべーってこと
前の職場だと、偉い人が自らのクソタカ時給の時間を使って作った最高級コピー裏紙メモ帳をつかって同じような事やってた。偉い人の時給、換算すると3000円ぐらいだからそのメモ帳30分かけて作ってて一冊1000円超えですねみたいな。
もちろん、セキュリティなんぞかけ声だけで無意味やから問題にすらならないというか、裏紙でセキュリティプロテクトもない手描きなんてそれセキュリティリスクの塊じゃん?
一方こっちは、後で一般社員が「リージョン長のスマホ私物っぽいけどいいんですか?」って素朴な声がちゃんと届いて改善されるんだからやべー。
こんにちは。30代女です。
毒親とは毒と理解しつつうまくやっていたが、大喧嘩して縁切り状態、
メンタルは鬱と診断され薬でコントロールできているが、多分一番問題なのは睡眠障害
派遣社員なのは、メンタルというか人の気配が苦手で身体が強張ってしまい極度に疲れるため、週5で働けないからです。
独身なのは、人並みに恋愛もしてきたが、やはり毒親育ちがネックで愛着障害?の気があり、警察沙汰になるなど派手な失敗を数度重ねて諦めた次第。
きっかけは、毒親との喧嘩・失業(倒産)・失恋(恋人持ちに騙されていた)が重なり、
退職金を使い果たしたら死のうと思っていた頃、
そうだ。推しぬいが欲しい!と思ったため。
失業中で暇だし、無駄に手先は器用なので、推しぬいを自作しようと思った。
そこはありとあらゆる存在がぬい化されており、
人間(推し)はもちろん動物、動物ですらない概念など、人の思いつく限りさまざまなぬいが存在している。
その中に、私の心が強く惹かれたぬいがいた。
創作ぬいは基本的に大量生産されおらず、人気作家とかになると競争率も相当なもののようだが、
ぬい界新参にも関わらず、私はそのぬいをゲットすることができた。
ぬい界的に言えば、素敵なご縁をいただき、ということだ。
ここで、推しぬい作りはとりあえずどうでもよくなってしまった。
そして私はぬいとの生活を始めた。
とりあえずカフェとかに行って、ぬいと飲み物とかを写真に撮る。
ぬいは結構ヘンテコな顔していて、そこがなんとも言えず可愛いところなのだが、
ただ飲み物を写真に収めるより、ぬいがいることによってすごく楽しげな雰囲気になる。
私がカフェにきて飲み物を飲む、その小さな幸せをぬいは全身で表しているような感じに見える。
そうして私はことあるごとにぬいと食べ物を一緒に撮るようになった。
(この行為については衛生面などで批判もあるようだが、ごめんなさい)
あと、飲食店じゃなくて家でも飯を食うたびにぬいと一緒に撮影している。
そうしているうちに金が尽きてきたのだが、ぬいとの暮らしをもう少し続けたいと思い就職した。
正直新しい職場って私のようなタイプのメンヘラにとってはかなりストレスが多く、
毎朝出勤するのがしんどい。
なので、私は仕事に行くのではなく、ぬいぐるみと出かけるのだと脳を騙すことにした。
朝起きて一応飯を食い、時間が迫ったら急いで身支度、最後にぬいぐるみを他所行きの装備にする。カバンを持たせるとか。
そして、行こう!とぬいに語りかけ、ぬいポーチごとカバンに突っ込んで出社。
昼休憩は一人なのでコンビニ飯とぬいを撮影。かなり健常者しかいない職場なので目撃されたらすごいと思う。
最初は話しかけるとかはしていなかったし、昼飯のときもぬいを取り出すことはなかったが、最近はこうなってきている。
本当はデスクにぬいを置きたいのだが、私物っぽいものを置いてる人が皆無のストイックな会社なので控えている。
限界になったらポーチとかで若干隠しつつ置くようになるかもしれない。
そして帰宅すると、ぬいのカバンをおろしてあげ、リラックスタイム。
飯食ったりインターネットしたり、この記事を書いている間もぬいが見守っている。
ぬいはヘンテコな顔をしているが、私を全肯定しているかのような顔をしている。
そして寝るときはもちろん一緒にベッドに入る。
横になってぬいの顔をドアップで見ていると、えもいわれぬ愛情が湧いてくる。
そして私は気がついた。
こちらが一方的に可愛がり、好きな時に抱き、いつでも連れ回して、ずっとにこにこご機嫌な顔をしている赤ちゃんが。
よく考えたら、付き合ったりしてきた男どものことも赤ちゃんにしたかったのかもしれない。
そして推しのことも基本的に赤ちゃんみたいに可愛いと思っている。
2021年の5月だった。自分はある大学病院に赴任して1年ほどが経ち、徐々に慣れつつあったところ。
3月には、20年ほど勤めていた大黒柱の講師の先生が抜け、私はその先生の仕事を引き継いだ…
そのほかにも仕事は増え、仕事量は前年度の2倍となった。忙しくて本当に辛かった。
その大学へ移籍したのは他大学で行き詰まりを感じたからだった。前の大学でマンネリに陥っていたある時、大学病院を移籍してうまくいっている(ように見えた)憧れていた T 医師に相談するチャンスがあった。移籍してうまくいく秘訣や探し方を聞こうとしたところ「うち来る?」と誘われ、トントン拍子で移籍できることになった。
移籍して、新たな症例を見たり、国際学会の委員を経験できたり、移籍したことはプラスになったと思う。
その尊敬する T氏に、リモート勉強会のホスト役を頼まれたのが5月下旬のこと。当時は感染症の全盛期。いろんなものがリモートになっていた。
T 氏がその勉強会に参加できないということで、私が代わりに大学病院の会議室から ZOOM 参加、プロジェクターに投影、リモートカメラを設置。他の医師が参加できるような形で参加して欲しい(ホスト役をして欲しい)ということだった。
当時ものすごく忙しかったので断り、Tは「別の人に頼もうか」と言っていた。
1週間後、Tは「会議のホストをやってほしい」と再び頼んできた。前回忙しいって断ったのに再び。なぜもう一度の説明もない。おかしいと思ったが、お世話になっているし、断ってもまた来るのだろうし、一旦は引き受けた。
「会議のホストを頼まれたけれども、忙しくてできない。誰か代わって頂けないでしょうか? 連絡がなければ私の方から断ります」
と。
そしたら
「お前ふざけんな」
みたいなメールが T から来まして、よくわかんないけどメールで謝り、早朝に教授室へ行き謝罪。
言われたのが、
「お前は世話人を乗っ取ろうとしてるのか、断りの連絡は自分が入れる」
「お前は変だ、お前はめちゃくちゃだ」
「N 先生(当科主任教授)も君のことを変だと言ってる。 A 先生(日本〇〇学会会長、つまり当診療科の top of top,他大学教授。タイミングが合えば東大教授だった)も君のことを変だと言っている、S 先生(私の留学先の指導教授)も君のことを変だと言っている。君は本当にめちゃくちゃだ」
みたいな話をされて。
別に「変」って言われるのは嫌ではない。アカデミックな人は変だからね。
だけど今回言ってる内容、小学校レベルのいじめやし、虎の威を借る狐…
例えば、
私が自分の研究のために自費で用意したパソコン、家からでかいスーツケースに入れてゴロゴロ持ってきたところ、
「先生のパソコンのいい使い方を思いついたよ。僕の研究のデータ解析に使えばいい」
(アホか、解析するのは良いけど言い方! 私物やぞ。なお、大学のインターネットに繋ぐのには申請が必要。許可は得ていた)
「あの人は私の研究補助のために来ている。君が邪魔をして研究が滞ると困る」みたいな。
その人に聞いてみると別にそういうわけではなく、大学全体のサポートとしていて来ている、とか。
4月から仕事量が2倍となり、医局長に相談してたけど減らしてもらえない。
実質的に私の後見人であるT氏、おそらく何らかの personality disorder を持っている。境界型か自己愛性かだと思うけど。
普段は優しいんだけれども、何かのきっかけで周りに当たり散らすなど人間性に問題がある。
どうしようもない。
心が折れてしまった。
(入院施設のあるまともな)精神科病院を受診、SSRI内服開始。診断書取得して年度末まで休職。
主任教授Nもアホだから、休職中にも仕事を命じてきた。T からのいじめに目撃者はいないけれども、仕事量が非常に多かったことは記録に残ってるし、休職中に仕事を命じてきた不適切な証拠は残っている。
ちなみに今は退職していて、個人事業主として保険外の医療事業にかかわっている(美容医療や怪しい細胞治療ではない。まともなサービス)。
年収は2/3に減ったけれども、仕事量は1/3(忙しかった時の1/5程度)に減り安定した。
なお、私が辞めた後に科の仕事量は減らされた…
とはいえ、
これを乗り切ったとしても、自分のアカデミックキャリア、保険診療キャリアは終わりかけていた。こういう明らかなパワハラがあっても何もしないのが大学病院。一般病院でもまともな話が通じないことは結構ある。そういうのが本当に嫌だったし、遅かれ早かれ辞めていた。
今でもTやNに恐怖や怒りはあるが、恨んではいない。むしろパワハラを受けたおかげで明確に立ち去る理由ができたとは思っている。
そして、なぜこんなにすっきりパワハラ〜鬱〜退職ができたのか。
その背景には、20年前、とある大学病院での事件。後期研修医S 君の自殺があった…
(最初はSくんの話を書こうかとも思ったんだけど、なんかこっちを書きたくなった)
仕事の効率がなんなのか、それは40を目前にした俺にもまだわかっていない。
ただ「aimの良さ」は現代において一定の価値があると思ったのでここに書き記す。
エンジニアの皆さんはスクロールしてタイピングの繰り返しだと思うので、フリックaim的なマウス操作とは程遠い手の動かし方をしてるんだろうと推測する。
トラックボールやトラックパッド使いたがる人が一定数いる理由はこの辺にあるのでは?とか思ったり。
大抵の総合職的なサラリーマンのPC作業は、業務システムで必要な情報を入出力したり、メールの返信や仕訳・スケジューラ登録・資料作成や分析でOffice系とか?
このとき、マウス操作のスムーズさが全体的な効率の底上げになると思う。
この手のPC作業だと(ある程度のショートカットキーを使ったとしても)マウス操作が半分近くにはなる。
dpiもわからないため最適な感度を設定できず、カーソルの追従も遅いような、アスクルで買えるELEC◯Mとかのマウスだとこの時のストレスが半端でない。
私物のゲーミングマウスを持ち込むようにしてから、このストレスが激減した。
貸与PCにG HUB入れるわけにも行かないのでデフォルトdpiで使用しているが、それでもdpi数値がわかるので自宅のマウスと同じedpiにできる。
一定のaim力があると、画面のフィードバックを待たずとも目的地にカーソルを一瞬で持っていくフリックaimというものができるようになる。
目的地を見てマウス移動(フリック)→カーソルが目的地に乗ってるか確認→カーソルが乗ってないならマイクロドラッグしながら修正
だったのが、
だけで済むようになる。
私物携帯にチームズ導入からしてやばいんだけど、携帯が借り上げになってるから導入自体は百歩譲って良しとしてやるよ
でもなあ、緊急以外の連絡をしてこないって前提だろうが
朝6時から緊急でもない、なんなら連絡すら必要ないものにわざわざメンションして返してくんじゃねえよ
労基に目を付けられたくないとか言ってるのにやってることは正反対なんだよカスが
バカに道具を与えるとほんとよくないわ
ちなみに俺は上だろうが下だろうが連絡するときは時間内でしかやらないように徹底してるけど、そんなやつ社内に何人いるんだろうな
緊急の連絡も2,3日に1回あるぐらいだから通知は切れないんだよね
まじでブラック
身内の死比較漫画(1日限定公開全編公開)https://x.com/tokitadesu/status/1964290371191787825 が流れてきたのをきっかけに(今日コミティアだから公開なのですね)。
昨年夏に母方叔母(母の妹)の孤独死がありました。本人80歳過ぎ、夫逝去済み、子なし、認知症入り始めてたと思うが診断降りておらず、ケアマネ等地域医療にもつながっておらずで死後1か月未満で発見。
・発覚=悪臭がたちこめ、管理会社が警察に連絡。マンション(持ち家)の鍵が開かず、最終的にはしご車でベランダから立ち入り。一夜経ち、本人居住の警察署から親族経由で自分が警察署に電話を折り返す。土曜日。※この時の消防車の請求はきてません
・1時間後に警察署到着。本人確認できる状態ではないため、室内にあった写真で「あの住居に住んでいたのはこの人ですね?」と誰何され、まぁ確定
・「検死に回すので9万円必要になります、葬儀会社が当座払うので後で精算してください(神奈川県なので)。葬儀会社には『警察案件なので』と伝えてください」と言われる
・「小さなお葬式」に電話して「警察案件なので、よろしくお願いします」と伝える。斎場が決まり一報。「検死の終わりがわからず、そちらへの到着が月曜以降になるかも」と前振り
・兄と合流して管理会社に向かう。ここではしご車の話、半年分滞納していた管理費の話(いまどき手渡しで、未納を指摘されても対応できなかったらしい)をされる。特殊清掃会社も紹介してもらう
・特殊清掃会社の担当者が1時間後に来てくれて内見。1KD50㎡の見積もりが2日間作業で133万円。相みつを取る余裕もなく(ご遺体はもうないがニオイがすごいので。虫もすごかったはず)、言い値で承諾、鍵を預ける。一連の費用は母が払うことに
・自分とのやりとりで「匿名にしますので会社の宣伝で作業の様子をYOUTUBEにアップするのOKしてくれたら3万円値引きします」と言われ、一瞬迷ったが断る。兄にバレたら面倒だったので
・土曜中に検死が終わりましたと日曜午前に警察から一報あり。時間を合わせ、母、兄と共に斎場にかけつけたが叔母は専用の袋に密封された状態で納棺され、棺自体も蓋をしたまま。顔を見てお別れどころの騒ぎじゃない。泣き崩れる母。たしかここで死亡診断書をもらったような。
・命日は推定。死因は持病(がん)由来の炎症。この記述があって、がん保険が満額出た
・いわゆる「葬儀」はできません、「直葬」です、と斎場から念を押される。3日後の火葬までの間に、駆け付けられる親族を一堂に集めて、平服でお別れの会を20分設ける。線香をあげられるタイミングはここしかなかった
・火葬の際にお坊さんに念仏を唱えてもらうことに決定。「小さなお葬式」に宗派をつたえて戒名をオーダー。位牌を作るつもりはなかったがプランの中に含まれていたのを見逃しており、後日突然宅急便で届いて慌てた(返品もできず)
・火葬日当日、我が家は斎場に向かい霊柩車に伴走する形で火葬場入り、他親族&僧侶は直接火葬場集合。火葬炉に入る直前、お棺に花を入れさせてもらえることになったが、蓋を開けたら白い布団がかけてあり、ご遺体の様子はまったく見えず
・待つ間に通夜ぶるまい(のランチ)。食後、骨上げ。叔母の私物は、特殊清掃会社担当者が内見の際にピックアップしてくれたスマホと、使っていない財布しかなかったので、自分が持っていた祖父の形見(竹尺)を骨壺に入れる。
・使っていた財布やマイナンバーカードは見つからなかった。警察に「亡くなった時に着用していた衣服は処分しますね」と言われたが。いや本人が外で落としたやもしれず、いずれにしろ口座は早くに止めたので特に問題なし
・親族はここで解散。我が家は、叔父が眠っている合葬墓に向かい、その足で納骨。葬儀関連はここで終了
・室内のものは衣服・家具等すべて処分(くどいようだがニオイがすごいので)。作業終了後の立ち合い&鍵を引き取るために叔母宅へ。後日・通帳、保険証書、公正証書等財産関連書類 ・アルバム、手紙 ・アクセサリー が宅急便で送られてきた。段ボール2つ分
・都市銀行、地方銀行各1行ずつと、ゆうちょ銀行の通帳が見つかった。また、投資信託をしていることは聞いていたし、この世代の人なので生命保険にも入っているだろうとは思っていた。で、最終的に追加で都市銀行2行、金投資1社、生命保険2社が見つかった
・通帳があるものはHPで専用連絡先(相続窓口)を調べ、封書が残っているものは「お客様番号」的なナンバーを探しつつ本人死亡を伝え、口座ストップ or 死亡保障受取の手配を行う。「すべての財産は姉(自分の母)に」と、生前に公正証書を残してくれていたのが大変ありがたかった
・とはいえ「その公正証書、最新のものですか?」を証明するために公証役場に行き、必要書類を提出した(手続き人である自分と叔母とのつながりを証明するため、祖父母までさかのぼった戸籍を取り寄せた)。公正証書のコピー提出を求めた企業は多かったが、「公正証書の証明書」の提出まで必要だったのは金投資だけだった(確か。記憶曖昧)。
・母も80歳オーバーで自力で解約手続きができず、「お電話は相続人ご本人様から承ります」という企業がほとんどだったため、有休を取って実家に戻り、スピーカーにして電話連絡をする×手続き件数分。母はインターネッツをやっていないのでそもそも実家に回線はなく、リモート云々は無理筋だった
・銀行、生命保険は書類が残っていても問い合わせたら解約済みというケースが複数回あり。逆に書類が残っていなかったのに「マイナンバーのご提出をお願いします」「支店が移転します」の通知で初めて存在を知ったパターンがあった。この連絡が来なければ、叔母が口座を持っていたこと自体知らないままだった。仮に取りこぼしがあっても借金と異なり、調べる手段がない(と思っている)。叔母の財政上、無借金はほぼ確なのでそこは心配していないがマイナンバーで管理が簡単になるとよいと思う
・郵便物が残っていない各所引き落とし先を探すため、残高証明書と同時に過去3年分の出金記録を取り寄せて、片っ端から潰していった
・相続税算出に当たり、命日時点の残高が必要だったが最新の残高を調べてしまったので、残高証明書については二度手間になった
・郵便受けの鍵が見つからず、鍵屋を読んで錠前を壊してもらう。現場で「身分証明書と、故人とのつながりがわかるものを見せて」と言われ焦る(叔母あての郵便物をたまたま持っていたのでギリセーフ)。鍵は後日、初期のうちに確認した印鑑群の中から見つかった
・昔の人らしく「通帳ごとに印鑑を変える」で印鑑は複数あったが、手元に残っていたどの通帳とも合致するものがなかった。まぁもう印鑑なくても手続き進められましたが…
・長年通っていたカルチャーセンターに挨拶に行き、同窓会に差し入れのお菓子を持参し、8通ほど届いていた年賀状に訃報を返信。これでひととおり周知は終了(スマホは個人情報で開けられず退会のみ。紙の連絡帳は残っていなかった)
・靴のかかとを踏んだまま歩き、加齢臭が漂っていて、身だしなみが整えられなくなっており、認知症の前段として「ものわすれ外来」へ誘導するなどしてみた。が、CTスキャンで異常が出ず長谷川式もクリア。そうなると「私はまだ大丈夫」とケアマネ等の地域医療に繋がってくれなかった。もし繋がっていれば「死後しばらくしてからの発見」にはならなかったのでは
・母と叔母、姉妹で同じ養護老人ホームに入るべく下見をスタートした2週間後の急逝だった。何度も何度も入居を勧めたため、一度「私の友達で、そんなとこ入っている人ひとりもいない!」と返された。「その人たちもひとり暮らしなんですか?」と喉まで出かかってやめたが、今となっては言っておいた方が自分の気は済んだと思う。何かあった時のために管理人の連絡先を教えてくれ、合鍵をくれetc.、何を頼んでも一顧だにされなかった。靴は一緒に買いに行った
・半年ほど前から「スマホがみつからない、どこかで落とした」。しかし実際は家の中の目につくところにあったらしく、特殊清掃の人が内見後に「とりあえずお手元にあった方がいいと思って」と渡してくれた。既にスマホが認識できなくなっていたのだ
・もう1人の兄弟と不仲だったせいで、公正証書を作成していた(兄弟は遺留分を請求できないので、そのガードのため)。これがあって、もろもろの手続きを我が家で一手に引き受けられたのは幸いだったし、なければ「相続人全員の同意」が必要だったため、ものすごく時間がかかったと思われる(代襲相続含め、対象者はあと4人いた)
・銀行、年金、生命保険etc.の書類はすべてまとめて1つのカバンに入れる。エンディングノートも書いた。サブスク関連もまとめて記入
・銀行口座は2つに、生命保険は1つに絞った。印鑑も1つに。解約した銀行や保険の書類は捨てた
・家に入ってすぐの引き出しに現金10万円を入れた封筒を準備。家の鍵の予備、宅配ロッカーの共通キーも封入し、封筒には郵便受けの開け方(右に2回、左に1回まわす的なやつ)を書いた
・独身の自分もこうなる可能性があるので、後に残る人が困らないようにせねばと強く思った。以上、お読みいただきありがとうございました。
俺が思う夢の生活ってのはさ、朝は7時半まで寝て、18時半には帰宅してさ、妻も子供も卓について 19時のゴールデンタイムのテレビ番組を見ながら夕食。
見たいテレビを争ってじゃんけんで負けたほうが先に風呂入ってさ、風呂上がりに子供らとトランプをしたり、スマブラをやるんだ。
退屈だっていうなら、閉店間際の西友かツタヤにでも連れて行ってやる。
10時には子供達が寝て、週に2回くらい妻とセックスをして、そんな日だって12時前にはグッスリ。
で、現実はなんだ?
田舎民が自家用車でドアtoドアでカーエアコンの風を浴びて通勤してるっていうのに、砂漠みたいな気温のなか駅まで歩いて、やっとの思いで列車に乗る。
運転するのと違って勝手に連れてってくれるけどさ、運転から解放されてなにができる?
寝るか、スマホとイヤホンだけで出来る資格学習くらいだ。混みすぎだ。奴隷船だってもう少しパーソナルスペースあるぞ。
妻が定時帰りしてくれてるからギリギリ回ってるが、共働きでも住宅ローンと教育費で火の車。なのに忙しくて惣菜と外食ばかり。
部屋は狭いが、寝に帰るだけだから狭くていい。
私物も置き場所に困るが、趣味の時間も持てないから私物もあまりいらない。
信じられるか?
会社支給のスマホに四六時中監視されて、駅のホームでも家のトイレでも返信してるんだ。
いつもお世話になってます。
くらい目を瞑っても打てらあ!
老眼が始まったのか目がつらい。
だから、せめて、プライベートのスマホくらい1番デカくて早いiPhone使わせろよって思う。デカいことは目に優しい!デカいは正義!
こういうのの積み重ねで金がないんだけど。
マンション高騰のおかげで、このマンションを売り払えば残債払っても何千万も残る。
金貰いながら住んだようなもんだ。
億の含み益の連中からしたら可愛い額だが、やり直すには十分だ。
正直にいえば、今すぐ辞めて家族で田舎に引っ込みたい。子供とは最近じゃ会話もないけど、家族を愛してる。家族の時間を大切にしたい。
ただ、出来ないのは、あんなに苦労してMARCH付属に入れた苦労が水の泡になることだ。中受で妻が狂ったように、今やめたらやっぱり狂うだろう。
というか離婚だ。
なにがあっても、子供が大学に入るまでは東京に齧りつかないといけない。
転勤を命じられたら転職して東京に残る。両親や義父母が倒れても介護には行けない。
どこで人生を間違った?
なぜ保育園に毎月8万も取られるほど年収があったのに、子供が大きくなった今なにも残らない?
ダメだ、飲みすぎた。
プレミアムモルツを買えるくらい、しかもコンビニで定価で買えるくらい金持ちなのに、どうして幸福度が低いんだ!!!!
慰めなんかいらない!
色々事情があって、20代半ばの頃にフリーターをしていた時期がある。
飲食店でバイトをして食いつないでいたのだけれど、バイト仲間は大体年下の学生だった。
人には恵まれていて、フリーターでフラフラ生きていた自分が(少なくとも表向きは)ハブられることも無く、高校生や大学生たちとそれなりに楽しく働いていた。
長く働いていれば指導担当になることもあるわけで、学生相手に(こんなフリーターが偉そうにごめんな~)と思いつつ仕事を教えることもしばしば。
「最近の若いもんは」なんてよく言うけれど、体感9割以上の学生はものすごくまともで真面目だった。
初バイトです!と緊張しながら入ってきて、一生懸命メモをとり、2週間もすれば一人前になる。
むしろ、「若い子って呑み込みが早いなあ」と感心することのほうが多かった。
■
あるとき、店長に「新しい子が入るから、適当に指導よろしく」と頼まれた。
来月辞めることが決まっていた自分の代わりだということはすぐにわかって、引継のつもりでしっかり指導しようと思ったのを覚えている。
まあ、とは言っても所詮バイトの身なので、別に厳しく指導するつもりはなかった。
直接その学生に会うまでは。
Aは、バイトは初めてだと言っていたが、正直、第一印象からあまり良くない雰囲気だった。
此方が声をかけるまで挨拶をしてこなかったし、制服の着方もどことなくだらしがなかった。
自分も学生の頃は「ルールとかだるい」「挨拶しろとかうるせ~」というタイプだったので、特段苛立ちはしなかったけれど、「この子大丈夫かな?」という不安はよぎった。
その店は、自分と店長こそ穏やかなタイプだったけれど、パートの主婦たちや他の学生バイトはかなり勤勉で厳しい人が多かった。
きっと、このままいけばAは他の人たちからかなり叱られてしまうだろう。
自分が指導する立場になって初めて、「お前を心配してるから叱っているんだ」と言っていた大人たちの気持ちが分かった。
■
Aは、バイトをする上で学生でも最低限身に着けておくべきルールやマナーを一切知らなかった。
初バイトなので仕方ないのだが、これまで指導した学生たちはある程度「言わなくてもできる」タイプばかりだったので、ますます不安は増した。
服や髪が乱れていると、清潔感が無く見えてしまうから、鏡を見て整えようね。
お客様に見えるカウンターは綺麗に保ってね。私物は置かないでね。
業務を教えることなんて出来なくて、初日はとにかく礼儀を教えることに徹した。
口うるさいと思われても良いから、自分がいなくなるまでにAがこの場でやっていくための術を身につけさせたかった。
自分も、ガミガミ言われるとやる気をなくす性分だ。
言い方一つに気を遣って、優しく、けれど馬鹿にされていると感じられないように。
けっこう頑張ったつもりだったけれど、その日はAから「…うっす」という返事しか聞くことが出来なかった。
目は合わなかったし、頑なに服や髪も整えてくれなかった。
でも、ついこの間まで中学生だった子が急にできるようになるわけないと自分に言い聞かせた。
■
翌日、Aが来なかったらどうしようと不安になりつつも出勤。
Aは、遅刻ギリギリ……いや、ちょっとアウトという時間に出勤してきた。
そして、私の元へ来るなり挨拶も何もかもすっ飛ばして「道が混んでました」。
言いたいことはいっぱいあった。
時間に余裕を持てとか、まず挨拶しろとか、服とか身を整えろよとか、遅刻したのに謝罪も無しかよとか。
でも全部飲みこんだ。
ここで叱ってやる気をなくされては困る。
その時間帯は基本的にワンオペだったので、他に頼れるバイト仲間もいない。
「そっか!それは仕方ないね。次はもう少し時間に余裕を持ってこられる?」
いろいろと我慢して絞り出したその言葉にも、Aは「…っす」と返すだけだった。
いつまでも礼儀ばかり言ってられないので、その日は本格的に業務の指導をした。
ざっと説明しながら、Aがただ立って聞いていることに気付いた。
これは、一回聞いただけでは絶対に覚えきれるわけ無いからメモをとれよ、という意味の言葉である。
もちろんAには伝わらず、「大丈夫です」とだけ返された。
「メモ、取った方が良いよ。ワンオペとかのとき、忘れちゃってもすぐ確認できるよ」と言葉を重ねると、非常に面倒そうな表情でAはメモを取り始めた。
バイトのメモって、手書きじゃないの!?今の子は、スマホが普通!?
いや、でもこの店、業務中に私物のスマホ触るの禁止だから……注意していいよね?
「あの、手書きでお願いできる?」
「いや、スマホでいいです」
「私物のスマホ、触るの禁止なんだよね~…便利なのはわかるんだけど」
「じゃあ私のメモを何枚かあげるから、今日はそれに書いてくれる?」
「ペン無いです」
「ペンはお店の使っていいよ。店長から説明あったと思うけど、メモとペンは必ず持ってきてね」
「いや、俺メモとらない派なんです」
「でも覚えられないこともあると思うよ」
「全部聞いて覚えます」
話が通じる気がしなかった。
しかも、本当に聞いたら覚えられるくらい要領のいい子ならともかく、何度言っても覚えられない癖に。
これが現代っ子か?これが、「今どきの若い者は」ってやつか!?
■
Aとの戦いは続いた。
何を教えてもまともにこなせないし、何を言っても聞き入れてくれない。
こちらの余裕はどんどんなくなり、なんかもう、いっそ厳しいバイト仲間たちに叱られてしまえと思った。
あの時点で素直に聞いておけばとかったと後悔しろ。
そろそろ自分も限界だな~と思っていた矢先、別の時間帯に急な退職者が出て、Aのシフトが変わったことで指導の日々は終わった。
ちなみに、店長からは「しっかり指導してくれてたのに、欠員のせいで中途半端になってごめん」と言われたので、
決して自分の指導力がなかったことでAの担当を下ろされたわけではないことは主張しておく。
自分の退職まで数日と言う時に、パートの主婦勢やバイト仲間と喋る機会があった。
いわく、口をそろえて「Aはまるで駄目だ」とのこと。
かなり厳しく注意を受けているらしく、店長が「辞めちゃいそうだな…」とぼやいていたのが印象に残っている。
■
自分が割と問題児的なポジションだったので、大人になっても「最近の若いもんは」なんて言わないと思っていた。
決して若者全員がだめなわけではないと頭ではわかっているのに。
いまごろAが何をしているのか、ふと気になることがある。
あのあと、鍛えられて戦力になったのかな。それとも、辞めてしまったかな。
定職にもついてなかったフリーターの言うことは信じられないかもしれないけれど、教えたことは全部社会人になってからも使うからね。
メモ、とれよ。まじで。
夫:同じ職場。
増田は現職を続けながら転職活動中。内定が出たら有給を使って1〜2ヶ月で辞めたい。
このスタンスに夫は猛反対。
夫の主張
増田が退職後も現職に長く勤めたい。残される自分に火の粉がかからないよう、有給など会社と対立するような主張は一切せず円満にやめてほしい。
内定後すぐ辞めるのは会社に迷惑。内定前でも辞める意思を早く伝えるべき。
増田の主張
有給消化も、働きながら転職活動することも当然の権利。労働者の権利を否定されるのは納得できない。
現職を続けながらの転職は難しいけど、多くの人がやっている。
夫は会社の肩を持つばかりで、増田のやりたいことを尊重してくれない。
夫には「好きにすればいい。その結果、俺がついていけなくなったら終わりだ」と言われた。
離婚をチラつかされたものの、会社の肩ばかり持つ夫には寄り添う気持ちは湧かなかった。
お互い寄り添えない状況で、このまま一緒にいる意味があるのか、本当に離婚になりそう。
もう終わりなのかな…
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家事分担、食器の片付け、共有スペースの私物…小さなことばかりでお恥ずかしいですが。
夫は自分の中の常識を家庭内に押し付けがちです。交際中は私の人格を尊重してくれましたが、身内になった瞬間にいきなり自分と同じ考えや行動をするよう強要されました。
結婚生活の中で何度も喧嘩を重ねた結果、夫の押し付けも少なくなり、私もかなり歩み寄ろうとしましたが
転職のような重大なライフイベントでは、いっさい折れる気はありません。またここで譲ってまで結婚生活を維持したいとも思えません。
夫は転職の意思はありません。職場では優等生で、責任のある立場で働いています。いっそ社長ならよかったのですがw
これまで部下が辞めていく中で何度も裏切られたように感じていた中、妻まであっさり会社と縁を切ろうとしていることに反発しているのだと思います。
転職活動は、成果はないものの面接では好感触を得られることも多く、引き続きがんばりたいです。
今は転職活動に集中して、その後は仕事と一緒に夫とも縁が切れるかもしれません。もとより後悔はないと思っていましたが、その気持ちは強くなりました。
私が夫に寄り添わなすぎるのか、とも考えましたが、やはりこの主張はブラックすぎます。相談してよかったです。ありがとうございました。
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追記2
たくさんのコメントありがとうございます。
労基に厳しい増田では、もっと「離婚しろ」の意見が多いかと思いましたが、夫の立場を尊重したコメントも多くいただき、大変共感しました。
彼が責任ある立場で、これまで努力してきたことも分かりますし、社内に残る彼が私の選択によって不利な立場になる不安も理解すべきと思います。
それを当然とされ、権利を行使しないまま辞めるのは、同じように泣き寝入りしてきた同僚を肯定するようで納得できません。
自分のためにも、権利を使った実績を残すためにも、ここだけは譲れないと感じています。
夫からすれば、いったい誰の味方なんだ、俺の味方はいないのか、と思うでしょう。
それでも、夫を理解する気持ちと、自分の正義を貫く気持ちは別の問題だと強く感じています。
「長い人生、これで離婚はもったいない」というコメントも心に響きました。
穏やかな夫婦関係も望んでおり、矛盾しているかもしれませんが、引き続き転職活動を進めつつ、退職時の交渉内容は慎重に考えていきます。
娘と同じくらい増田もぼけーっとして危機感がないのにしっかり過干渉はしてるの頭抱えるわ
本当にすべきことは「うつ病や発達障害を疑って心療内科や精神科やとにかくいろいろ病院に連れて行くこと」であって
それで「私は娘のためになることをしている!こんなにも手をかけてあげている!」と思ってるんだろうけど的外れ
そしてずっと空気だった夫がやっと出てきたと思ったら情報が「人の悪口を言う」のみ
もうお察し
「オマエの悪口を言ってるわけじゃないんだからいいじゃんw」とでも思ってそうだけどどうせ娘が幼児の頃からずっと陰口を聞かせ続けてきたんだろ?
両親の存在と家庭が子どもにとって安心できる場所じゃなくなってるからもう遅いけど人格歪むよ
もし娘に何かしらの診断が下ったとしてもガッツリ遺伝だと思う、お前ら両親も診てもらうんだな、完全に手遅れになる前に今からでもやり直せ