はてなキーワード: 区切りとは
渡邊雄太選手がNBAを離れ日本に帰国した主な理由は、メンタルヘルスと、試合でプレーする機会が減少したことへのフラストレーションです。
2024年4月、渡邊選手は自身のインスタグラムのライブ配信で、NBAでの6年間のキャリアを終え、日本のBリーグでプレーすることを発表しました。
主な理由
理由 詳細 参照
メンタルヘルスの問題 シーズン終盤にメンタル不調を抱え、バスケットボールができないつらい時期を過ごしました。特にフェニックス・サンズからメンフィス・グリズリーズにトレードされてから、ベンチを温める日々が続き、精神的に大きな打撃を受けました。
出場機会の減少 2023-24シーズン序盤はフェニックス・サンズで多くの出場機会を得ていましたが、シーズンが進むにつれて出場時間が減少し、メンフィス移籍後も状況は改善されませんでした。
Bリーグの盛り上がり 30代を迎え、選手としての全盛期にベンチで過ごすことへの疑問を感じる一方で、日本バスケットボール界、特にBリーグの盛り上がりを肌で感じ、日本のファンを喜ばせたいという思いが強まりました。
キャリアのやりがい 厳しいNBAでの競争を6年間戦い抜き、「やりきった」という達成感と、再びバスケットボールを「楽しみたい」という気持ちから、日本でのプレーを選択しました。
帰国後の状況
渡邊選手は2024年7月、Bリーグの千葉ジェッツへの入団を発表しました。
これにより、幼い頃からの夢であったNBAでのプレーに一区切りをつけ、日本バスケットボールの発展に貢献する道を選びました。
2024年に渡邊雄太選手にメンタルトラブルが起きた主な経緯は、NBAでの出場機会減少が重なり、精神的に追い詰められたことです。
主な出来事
時期 出来事 参照
2024年2月 フェニックス・サンズから古巣のメンフィス・グリズリーズにトレードされた。
2024年3月 1日の試合を最後に、手首の負傷に加え、「個人的な理由」で長期欠場に入った。この「個人的な理由」がメンタルトラブルだったことを、後に本人が明かしている。
2024年4月20日 自身のインスタライブで、メンタルトラブルを抱えていたことを告白。日本に帰国してBリーグでプレーすることを表明した。
2024年8月27日 Bリーグの千葉ジェッツへの入団会見で、メンタル面のサポート体制が加入の決め手になったと語った。
出場機会の減少: 2023-24シーズン序盤はサンズでプレーしていたものの、徐々に出場機会が減少し、メンフィス移籍後も状況は改善されなかった。
身体の異変: 2024年2月下旬の試合で、コートに立った瞬間に体が思うように動かなくなる「自分の体じゃないみたいな感じ」になったと語っている。
精神的な消耗: 練習でいくら良いパフォーマンスをしても、試合に出られない日々が続き、精神的に大きな打撃を受けた。特に、試合前練習では体のコントロールが効かなくなるほどの精神的なダメージがあったと明かしている。
これは情報提供のみを目的としています。医学的なアドバイスや診断については、専門家にご相談ください。AI の回答には間違いが含まれている場合があります。 詳細
当時の俺は体重が100キロを超えてた。そして空港に向かう途中で上司が突然言うわけ。
「お前、力士役やれな」
……は?って思った。
だから俺はスーツじゃなくて、わざわざ結った髪に浴衣みたいな格好(今考えると完全にコスプレ)で、喋る言葉は “どすこい” と “ごっちゃんです” に限定。
完全に意味不明だ。
だって商談に来たはずの日本人の横に、なぜか力士(偽物)が堂々と立ってるんだから。
商談が始まる。
そして話が一区切りついた瞬間、上司が俺をチラッと見て、顎で合図してくる。
おい、お前の番だぞという無言の圧。
俺は覚悟を決めて言う。
「……どすこい」
アメリカ人「……D… Dosukoi…?」
場に静寂が走る。
商談の途中で俺は何度か「どすこい」と口にした。
途中、相手のメモがチラリと見えて、そこにはDOSUKOIと何度か殴り書きがしてあった。
後に知ったんだけど、彼らは「これは重要な日本語なのでは?」と思って必死にメモしてたらしい。
ちなみに商談は成立した。
まず、空間のある部分(局所領域)ごとに、そこに属する観測可能量(観測子)の集合を対応づける。
それぞれの領域に対応する観測子の集合は、演算の仕方まで含んだ代数として扱われる。
領域が大きくなれば、それに対応する代数も大きくなる。つまり、物理的に中に含まれる関係がそのまま代数の包含関係として表現される。
こうして領域 → 代数という対応が、ひとつの写像(ネット)として与えられる。
状態というのは、物理的には観測の結果の確率を与えるものだが、数学的には代数上の関数(線形汎関数)として扱える。
その状態から、ヒルベルト空間上の具体的な表現が自動的に構成される(これをGNS構成と呼ぶ)。
この構成によって、真空状態も場の励起状態も、すべて代数の上の構造として理解できるようになる。
量子もつれは、単に状態が絡み合っているというより、代数が空間的にどう分かれているかによって生じる。
もし全体の代数が、2つの部分の代数にきれいに分割できるなら(テンソル分解できるなら)、その間にはエンタングルメントは存在しない。
これを数学的にはtype III 因子と呼ばれる特殊な代数の性質として表現。
このタイプの代数には、有限のトレース(総確率)を定義する手段がなく、通常の密度行列やエントロピーも定義できない。
つまり、エンタングルメントは有限次元的な量ではなく、構造的なものになる。
完全に分けられないとはいえ、少し余裕をもって領域をずらすと、間に人工的な区切りを挿入して、ほぼ独立な領域として扱うことができる。
この操作を使うと、本来は無限次元的で扱いにくいtype IIIの代数を、有限次元的な近似(type I 因子)として扱うことができ、有限のエントロピーを再導入する道が開ける。
Tomita–Takesaki理論によれば、状態と代数のペアからは自動的にモジュラー流と呼ばれる変換群(時間のような流れ)が定義される。
つまり、時間の概念を代数構造の内部から再構成できるということ。
もしこのモジュラー流が、何らかの幾何的な変換(たとえば空間の特定方向への動き)と一致するなら、代数の構造 → 幾何学的空間への橋渡しが可能になる。
ER=EPRとは、エンタングルメント(EPR)とワームホール(ER)が同じものの異なる表現であるという仮説。
これを代数の言葉で言い直すには、次のような条件が必要になる。
1. 二つの領域に対応する代数を取り、それらが互いに干渉しない(可換)こと。
2. 真空状態がそれら両方に対して適切な生成力(cyclic)と識別力(separating)を持つこと。
3. 全体の代数がそれら二つにきれいに分解できない(非因子化)こと。
4. それぞれのモジュラー流がある種の対応関係を持ち、共通の時間的フローを生み出すこと。
5. 相対エントロピー(情報量の差)が有限な形で評価可能であること。
これらが満たされれば、代数的なレベルで二つの領域が量子的に橋渡しされていると言える。
つまり、ワームホール的な構造を幾何を使わずに代数で表現できる。
これをより高い抽象度で見ると、領域 → 代数という対応自体をひとつのファンクター(写像の一般化)とみなせる。
このとき、状態はそのファンクターに付随する自然な変換(自然変換)として理解され、split property や type III などの性質は圏の中での可分性や因子性として扱える。
ER=EPR は、この圏の中で2つの対象(領域)の間に存在する特別な自然同型(対応)の存在を主張する命題。
つまり、境界上の代数構造から、内部の幾何(バルク)を再構成するための条件を圏論的に書き下した形がここでの目的。
○ご飯
朝:カシューナッツ。昼:大衆居酒屋(お通しのもやし、もろきゅう、ポテト、山芋焼き、手羽先10本、生中2杯、瓶ビール2本)。夜:人参、玉ねぎ、キノコのスープ。ギョニソ。トマト。目玉焼き。バナナ。ヨーグルト。間食:アイス。
○調子
むきゅーはややー。お仕事はゆーきゅー。
昼飲みしてベロベロのベロのベロベロ。
おやすみなさい。
ジーク斧攻撃リビルド2本目。これで覚醒タイプごとに2本づつ作る目標は残り、特殊と防御の2本。
何かと使う素材なので周回が終わるわけじゃないけど、大きな一区切りが見えてきた。
○ポケットモンスターダイヤ(ゴーストタイプポケモンの旅2周目)
ヨノワールの炎のパンチでゴリ押ししてるだけ。素早さが遅いのでちょいちょい先制されるけど、かなり楽ちん。
プラズマ団の底が見えるの爆速すぎて、BWはいつものポケモンとは違うが、結局いつも通りになる感、当時を思い出して懐かしい気持ちになってる。
まず学習が違法なのかどうなのかとか、一次創作者に対するリスペクトがあるのかないのかとか
そういう前提のところはどっか別のところで話してもらうとして。
クソバイラルメディアの規模デカ焼き直しのニセ情報の拡散、制圧は問題だというのも前提として。
ことエンタメ部門に関して言うなら、2つの問題は区別すべきじゃないか。
2.質のいい作品がAIで手軽に大量に作られてAIじゃない作品が埋もれる
1に関してはそりゃ生成AIでシステムを破壊したい奴以外誰も得しない
ということは人間は誰も得しないからもちろんなんとかすべきだけど
2に関しては一般的なユーザーにとっては喜ぶべきことなのでは?
いやぁ、AIが書く作品には"ヘキ"がないからつまらんのですよ、なんて言ってられるの
たぶん今のうちだと思うよ。
"ヘキ"なんか別にどうとでも要素に分解して再構築可能なもんだと思うから。
もろちん質のいい作品だからって毎秒――比喩ではなく"毎秒"投稿されたら
供給過多になるわ容量圧迫するわで投稿サイト終わっちゃうよおおおおおおおおおお
投稿は1日1本までにしましょうね~みたいな区切りは必要だとは思うんだけど
質のいい作品(情報でもいい)をAIが大量に生産できるようになることに何の問題があるんだろうか。
ボクの作品が見てもらえなくなるのがヤだ!って言うんだったら別にそれはそれでいい。
そりゃヤだろう。
僕だってヤだ。
面白AIエントリに増田が制圧されて僕のうんこ漏らした報告が誰にも見られなくなるのはヤだ。
でもそれをなんか理屈こねてあーだこーだ言ってるの見ると逆にそれ嘘じゃね?ってなって
お気持ちでいいじゃん。
損切ができない 寝て起きた時にどう思うかが重要
予定だった幸せ こっちの道にいけば
そんぎり
すべて あますことなく きょうじゅしたい おれからしたら サイトみない 損切
止められそうにない 止めたいと思わない
手バナナしたくないのはどれ
くるしむのがやだから そっちのほうがらく にげてるよね
かねをえるよりそっちのほうが いやだからやりたくない
時間がすぎるのをまってるだけ つむのをまってるだけ
得切り
おまけであって 本編はこっち ティッシュ落とす
二分の一で死にます
朝起きたら にぶいち引いたかっておもう
たとえ わかりやすくするためであって
元とたとえが 同じであるかどうか ジャッジしないとだめだから
恐怖 夢 簡単 鈍感 HSP ためえ
右足から歩いたほうがいいのか ええとええと
半生
損切 と区切り
切り捨てたいくつもの輝き
出会わなければよかった
不快を嫌う
逃避 多重人格
目覚まし とりあえず起きる 起きて 部屋ぐるぐる回って 二度寝するか考える
怒りとは 復讐とは
踊らされてる むなしい 虚無
最善の言ってなのか 良な一手なのか マジタクプレイ
遊べればいい 暇潰せればいい 将棋
マジタクでいうと こういうプレイが好きってのがあるよな
じゃあてめえは人様を不快にさせずに生きてるつもりなのか?
俺はお前のその幼稚な了見の御開陳を見せられて大変不快になったわけだが
おまえこれどうしてくれんの?
ごめんも言わずに終わるわけ?
あのな、「ごめん」ってのはその場の非を認めて仁義を切るって意味でそこで区切りなの。
誰かがお前に何をしようと、それをについて「ごめん」と謝ろうと謝るまいと、
それ以降の内心の自由をお前に明け渡すなんてことはないの。
他人がお前の気に入るような心情になってくれるわけねえしそんないわれもねえの。
当たり前だろカス。
お前は勝手に気分を害しては
気分を害したことについて相手に対する無限の債権が出来たと勝手に債権設定して
なんだこのきちがいは?
天皇かてめえは?
どういう育てかたされたらお前みたいなカスになるのか想像もつかないわ。
おまえのようなボクチンのお気持ち至上主義のバカタレって女にはちょこちょこいるし何とか生きていける(不幸になるが)けど
男で成人ぐらいまでそういう性格が直ってないとするとこれは
まあもう無理なんだろうなあ。
トランスジェンダーやクィアはオーソドックスなジェンダー規範を内面化することができない人として消極的に定義される。トランスジェンダーには性倒錯が入るが、小児愛者・ペドフィリアや動物性愛者・ズーフィリア、死体愛好者・ネクロフィリアなどの他害性の高い性指向はパラフィリアとして別だとされている。社会的に有害な在り方でしか欲求を満たせない存在を切り離すことで、トランスジェンダーは無害であり、受け入れない社会の方が間違っていると主張するためだ。つまり人為的な区切りである。何のことはない、昔は「変態」とされていた言葉の区切りを変えただけだ。
なお、性指向と性自認は必ずしも同期しない。だから、自分は男に生まれて女性の心を持っていて、女性的な振る舞いをするが、性愛の対象も女性であると云うのは全くおかしなことではない。ただ、女性への性愛のために性指向を虚偽申告したとしても、傍目には区別がつかない。
この問題に対して、性別違和(性同一性障害GDI)の人の苦しみを挙げて反論する論者がいるが、全くの筋違いである。性別違和は医学的定義であるのに対し、トランスジェンダーは政治的定義である。前者は精神的に苦痛を軽減するために医学的処置を受ける必然性がある場合に認められる。かつて、トランスジェンダー界隈が「くたばれGDI」と言う標語で性別違和当事者を攻撃してきたのは、性別違和者は既存の社会のジェンダー規範に合わせたいという強い希求があり、それに応じて法律上の地位を得ていることへの攻撃だったといえる。トランスジェンダーイデオロギーは、既存の男女二分法に基づいた社会規範は間違っていて非倫理的であるという主張に基づく。処置を受けて社会に適応すると言う考え自体が、トランスジェンダーイデオロギーと真逆の発想なので、対立するのは当然といえる。さらに、トランスジェンダーの定義として、表立っては反対しにくい性別違和者の例を挙げるなどしてるが、トランスジェンダーイデオロギーが浸透することで性別違和者が「生きやすく」なるかは疑問である。なぜなら、性別違和者は生まれ持たない既存のジェンダーロールを身に付けたいと願っているが、その試みはトランスジェンダーイデオロギーにとっては悪しきものだからだ。
結論としては、トランスジェンダーやクィアと言うのは政治的カテゴリーであり、「社会悪でない性的逸脱」全般を指すと考えて良いと思う。数多くの逸脱が内包されている以上、一致した見解はなく、既存の社会を批判するためにつくられた「ポリコレ叩き棒」といっても差し支えないように思う。
○ご飯
朝:なし。昼:そば。いなり。夜:トマト。目玉焼き。納豆。冷奴。人参と玉ねぎとキノコのスープ。ギョニソ。バナナ。ヨーグルト。間食:羊羹。
○調子
むきゅーはややー。お仕事はそれなりー。昨日早寝したおかげで普通に戻れた。
これでシエテ剣は攻撃覚醒リビルド3本、防御覚醒リビルド5本、特殊覚醒リビルド2本を集めておしまい。
シエテ斧のリビルドはまだ0本なのでシエテ通いは当分続くが、大きな一区切りだ。
波乗りの寄り道イベントとトウガン倒すところまで。
ミカルゲを電撃波で無理やり電気要員にして波乗り寄り道イベントをこなした。
この辺の寄り道、いきなりスター登場とか、メタ的に水タイプが多いことを言う人とか、ホウエンの水道の多さを指摘する人とか、妙に会話が面白いキャラが多くて好きなコンテンツだ。
前提
総務省(人口推計)の 2024年10月1日現在の推計値を使います(総人口 123,802,000 人)。下位区分は報告値(0–14, 15–64, 65+)を利用して 20 歳未満を推定しました。
すべての20歳以上の人が毎月 100 円を均等に払う(未払い・事務費・税・利子・インフレは無視)。
使った統計(要点)
総人口 = 123,802,000 人(2024/10/1 時点)。
「0–14 歳」= 13,830,000 人、 「15–64 歳」= 73,728,000 人(出典の報告要約より)。
計算手順(要点)
まず 15–64 を 10 個の 5 年区切り(15–19,20–24,...60–64)とみなして、15–19 の人数 を推定:
73,728,000 ÷ 10 = 7,372,800 人(推定)。
したがって 0–19 = 13,830,000 + 7,372,800 = 21,202,800 人(推定)。
よって 20 歳以上の人数 = 総人口 − 0–19 = 123,802,000 − 21,202,800 = 102,599,200 人(約1.02599×10^8 人)。
1 人あたりの年間徴収額 = 100 円 × 12 = 1,200 円/年。
年間の総徴収額 = 1,200 × 102,599,200 = 123,119,040,000 円(約 1,231.19 億円)。
1 回の賞金は 10,000,000 円(= 1000 万円)なので、年間に配れる人数(満額で) = 総徴収額 ÷ 10,000,000 = 12311.904 人。
→ 満額(1000万円)を**丸ごと支給できる人数(整数)**は 12,311 人/年(端数は切り捨て)。
これを 60 年続けると、12,311 × 60 = 738,660 人 に 1000 万円を支給できます。(端数込みの理論値は 12311.904 × 60 = 738,714.24 人分に相当)
結果(まとめ)
年間に満額(1000万円)を支給できる人数(整数) = 12,311 人/年。
60 年続けた合計(整数換算) = 738,660 人 に 1000 万円を給付できます。
(理論上、端数を分配可能なら)年間約 12,311.9 人分、60年で 約738,714.2 人分 の資金に相当します。
上の計算は「人口が一定」「全員支払う」「事務費ゼロ」「インフレ・利子無視」の単純モデルです。実際は未払、事務コスト、税、インフレ、人口変動(少子高齢化)を考慮すると結果は変わります。
年ごとの人口データを正確に使えば(15–19 の実数値を直接参照すれば)微差が出ます。正確な年別単年年齢データが必要なら、総務省の「年齢各歳別人口」表の該当行を参照して精密に再計算できます。
必要なら、総務省の単年齢表から 15–19 の実数値を拾って再計算して正確な値で出しますが、そのままこの仮定で良ければ上の答えで確定です。どちらがよいですか?
厳しい言い方をするが、それは「はっきり言いたくないことを相手が察してくれない」という愚痴の域を出ていないと思う。「下手に断ると危害を加えられるかも」なんてのも具体的に懸念する理由がなければ邪推と言われても仕方のないものだ。
もう「そういうの迷惑です」とはっきり言うべきなのだろうか。それで仕事がやりにくくなったり、最悪、自意識過剰な勘違い女と評判を立てられるリスクを、私の側が負わないといけないんだろうか。
不動産だの宗教だののうざい勧誘だって、あなたが明確に断るまでは向こうにだってその権利がある。それが社会のルールだからだ。
性別関係ない。セクハラとパワハラの文脈置き換えれば普通に男でも同性間でもある話。
私は男だが、新婚当初にやる気のしないブラック案件にアサインされて病みかけたことがある。なぜアサインされたかというと、私がその案件を始めたリーダーに対して愛想笑いを続けてたからだ。リーダーは熱を入れていた案件だったが私としては筋が悪いと思っていて、京都弁で言うところの「えらい難しいこと考えはりますなあ、おきばりやす」的な反応してたつもりだがそのリーダーには全く通じなかった。
いつのまにか私は賛同者ということにされてその案件に組み込まれていた。むしろそのリーダーは私が一緒に熱狂してると勘違いしてたようで、終電までやらないと終わらないくらいの仕事を積んでくるようになった。何かあるとやる気を見せろと毎日のように罵倒(親しい間での叱咤激励のつもりだったのだろうと今にして思う)するようになった。そして「プライベートを犠牲ににしてでもやるというところを見せてほしい」(原文ママ)と言われた。
その結果私は新婚旅行にさえも行き損ねかけた。結局、その案件を抜けられたのは、一区切り付いて最低限の義理を果たした後でリーダーのそのまた上司に直訴してからだ。身も心も病みかけていた。
さて、この話で非難されるべきは誰か?その勘違いしたリーダー?それは間違いではないかもしれない。でも私に非がないと思うか?
そんなことはないだろう。私も情けないと思ったのではないか。その通りである。
実際、愛想笑いして婉曲に難色示すだけで明確に拒絶しなかった私に第一の非があると言わざるを得ない。実際、上司は私の直訴を聞いて私をその案件から外したわけで、すべきことをしている。逆に、上司とて私からの直接の訴えがなければ動けなくないか?その案件に関わっているのは私の意志だということになっていた(少なくとも私はそれを明確に否定しなかった)のだから。
この件は明らかにお偉いさんが私に対する距離感覚がバグったことの問題だ。ちょうどあなたとそのおっさんの件と同じだ。しかし私は大人なのだからそれを明確に意思表示すべきだった。好きでもないのに親に勉強やスポーツを強要される教育虐待被害者の子供とは違う。そうではないか?
あなたも同じ立場ではないか。愚痴る気持ちはわかる。変な人に絡まれるしんどさはわかる。同情はする。
しかし、自分が明確に意志表示する責任から逃れてはいけない。難しければ同僚や上司のような第三者を入れてもいいから、誤解の余地なく拒絶の意志を明示すべきだ。ハラスメントだの何だのというのはそこから先の話だ。
耳に心地よいネット上の甘言に乗せられてはならない。甘言の主があなたに囁いているものは「察してもらえないのはハラスメント」という言い分だ。そんなものは明らかに間違っている。
子供が生まれる前やっていた趣味といえるかどうかわからないことは全部途絶えたな。
3歳くらいからだんだんと習い事ができるようになってきて、それについて行く形で自分の趣味も再構築されていったという感じはある。
そのくらいの年で介助が必要なのは送迎、食事、風呂、寝かしつけくらい?あと、子供によっては排泄かな。
だんだんとやることが減っていって、それをやっていたことが懐かしくなる日々が来ると誰かに言われたことがあるかないかは知らん。
自分の場合は幼稚園に入るまでで一区切りで、その後、小学校に入ってからが一区切りだったな。
小学校に入ってからは送迎の距離も短くなっていき、最期は玄関を出るのを見送るだけになる。
食事も手伝わないといけなかったのが自分で食べられるようになり、汚さないで食べられるようになっていく。
風呂は洗ってあげないといけなかったのが、自分で洗うようになり、時間になったら自分ではいるようになる。
寝るのも同じく。一人で寝るよ。
しんどいなーと今は思うかもしれないけれど、2年耐えると今の気持ちがなんだったのかと思うくらい変わってるし、10年だともう違う世界。
家族で一つの大きなターニングポイントを迎え、それが落ち着いたので、いっちょうまいもんでも食うか!となった
93歳で歩くのが難しいおばあちゃんが同居人にいるので食べに行くのはなし。
しゃぶしゃぶとすき焼きどっちにする?となって、今回はすき焼きに決定!
・用意した肉
・作り方
その横に肉を入れて片面を焼く。
砂糖があったまったころに(砂糖にかけるくらいの量)少量の水を投入し溶かしつつ煮詰める。
いい感じにキャラメリゼし始めるころに水と同じ量の醤油を入れて箸で1,2回混ぜる。
そのタイミングで横に焼いていた肉をひっくり返す際に、作ったすき焼きタレのところに置いてタレと絡め焼く。
5秒程度で生卵にくぐらせて食べる
・問題点
松坂牛は脂が多くて結構すぐに満足してしまい、しこたま買った肉が余った。
あと、一枚一枚にものすごく時間がかかるので、家族で食べる場合待ちの時間が割と発生する。
ただ、これについては「鉄鍋をおおよそ半分に区切り、半分が肉焼き場、その残り半分のところに豆腐や麩、野菜などを焼いておき、肉ができたらザーーーっとその焼いてた野菜たちを肉側に移動させてしまい、空いた野菜ゾーンに牛脂を敷いてまた肉を焼く…」という方式にすることで永久機関が完成した。
これで肉を待っている間に肉の油と甘辛い醤油がしみ込んだ野菜を食べていればいい。野菜をあらかた食べたら水を流して軽くキッチンペーパーで拭いてから牛脂を溶かす…と繰り返す。
砂糖が多めでかなりこってりした味付けになるので、本当に肉を4,5枚食えばもうしばらく肉はいらねぇ…という気分になり、結果として高級肉を購入したとしても案外低コスパかつゆっくり家族で食事を楽しめて楽しい。
iOS 26の新デザインが苦手という人もおおいようで、匿名ダイアリーでも anond:20250916154339 みたいな投稿がある。
しかしさまざまな設定項目があるので、いろいろ変更していちばんつかいやすい状態でつかってみてほしい。
設定項目が多数あるがために、変更したい設定と実際に変更している設定がちがっていてあまり効果がないというケースも多数発生している。設定を変更したら思ったとおりの挙動になっているか確認を。
設定 → アクセシビリティ → 画面表示とテキストサイズ → 透明度を下げる
これをオンにするとほとんど透明ではなくなる。
設定 → アクセシビリティ → 画面表示とテキストサイズ → コントラストを上げる
これだけオンにするとガラスの透明感をあまり損なうことなく、前景色と背景色のバランスが調整される。また、ガラスのまわりに枠が表示される。
透明度を下げると併用して文字の読みやすさを最大限優先することもできるし、単独で使用してニーズに合わせた読みやすさにすることもできる。
ホーム画面のアイコンをどれでもいいから長押しし、「ホーム画面を編集」までスライドさせたら指を離す。
※ iOS 26で3D Touch対応機種はすべて打ち切り、触覚タッチだけになっているので、押す強さでの変化はない。ただし感度はアクセシビリティに「触覚タッチ」があるので調整可能。
アイコンが震えたら左上の「編集」から「カスタマイズ」を選択。
この機能が追加されたのはiOS 18からだが、iOS 26で新しく追加された項目もある。
「ダーク」はアイコンが暗くなる。常時ダークにするか画面表示自体のライトモード・ダークモードの設定にあわせて自動で変更するかを選択できる。
「クリア」はiOS 26で追加された項目で、アイコンの透明度が上がる。上記見づらいとは逆にガラスデザインを最大限活用したい (むしろ透明度を上げたい) 人はこの設定がおすすめ。なおこれもライトとダークの選択が可能。
なお、「デフォルト」「ダーク」はアイコンがフルカラー表示になるが、「クリア」「色合い調整」は単色表示になる。設定アプリの一部アイコンもこの設定にあわせて単色表示になる。
「カスタマイズ」左側にあるアイコンは壁紙の明るさ調整。デフォルトとダークの2段階だが、文字を読みやすくしたい場合やダークモードにあわせたい場合などに。
右側にあるアイコンは大きさ調整。拡大にすると文字が消えてアイコンだけになる。これは完全に好みの問題。
ロック画面で壁紙を長押しして下の「カスタマイズ」を選択。その後時計をタップして「ソリッド」を選択するとiOS 18以前とおなじデザインになる。フォントを自分好みに変更することも可能だが、「ガラス」を選択した場合のみ透明カラーを選択することも可能 (天気など一部壁紙を除く) 。
縦に伸びているのが気になる場合は時計右下のハンドルで最小サイズにする。
いちおうこの設定項目は3D表示が採用されたiOS 7から追加されている。
3D表示だけでなく、アプリの起動・終了時のアニメーションが簡略化されたり、天気アプリおよび天気壁紙の背景、さらにメッセージアプリのふきだしを高速スクロールした場合などもアニメーションなしになる。
3Dを切りたいだけなら「視差効果を減らす」だけチェックをいれればいいが、アニメーションについては「クロスフェードを優先」「アニメーション画像自動再生」(アニメーション画像はメッセージの動くステッカー (スタンプ) やSafariのGIF画像のこと) 「ビデオプレビュー自動再生」「メッセージエフェクト自動再生」(送信ボタン長押しでふきだしにアニメーションがつけられるがそれを表示するかの選択) 「点滅しないカーソルを優先」を個別で変更することもできる。ProMotion搭載モデルの場合は「フレームレートを制限」(非搭載モデルとおなじ60fpsになる) も選択できる。
なお、この設定はiPhone 5Sで検証したときの記事を読んだことがあるが (iPhoneを机に放置した状態とiPhoneをまわしつづけて視差効果が積極的に発生するような状態と視差効果を減らす設定にした状態の3とおりで検証していた) 、iPhoneをずっとふりまわすような使いかたでもしないかぎりはバッテリーの持ち時間にはたいした影響がないそう。
「コンパクト」を選択するとiOS 26のレイアウトに、「下」を選択するとiOS 18のレイアウトに、「上」を選択するとiOS 14以前のレイアウトになる。
設定 → アクセシビリティ → 画面表示とテキストサイズ → ボタンの形
設定項目としてはあるにはあるのだが、初期バージョンゆえの不具合なのか反映されていないっぽい。つまりオンにしても変化がない。これは今後のバージョンアップを待つしかないか。
設定 → アクセシビリティ → Siri → Siri の背後にアプリを表示
設定 → アプリ → 電話 (iPadは「FaceTime」) → 着信 → フルスクリーン
でそれぞれ変更可能。なお電話はバナー表示にしていても着信画面を下にドラッグすることで一時的にフルスクリーン表示にすることもできる。
ほかにもiOSにはたくさんの設定があるので、好みで調整してほしい。スマートフォンはケータイとちがってカスタマイズしてこそ使いやすいものになる。
句読点ってそれがないと満足に自分で区切りも見つけられない馬鹿のために導入されたんだよ知らなかった?
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20250916213717# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaMpQswAKCRBwMdsubs4+ SKunAP4nl4WnikWKMJ4YHT7MYVk6ShGgzfsXRzWqVbve7XeT1AD/dGGC3cA6D28y hp1d7EfFgONH/+WPgBQBxPOuIi2Vrgo= =JkKX -----END PGP SIGNATURE-----
あのアニメにかばんちゃんのシャワーシーンが必要だとはとても思えない、ケムリクサでも同様だろう
そういう意味では「ぼっち・ざ・ろっく!」は微妙な境界線の作品だ
なぜかへそが浮き出てるボディライン丸見えのピッチリスーツとか
扉を開けたら着替え中みたいなラッキースケベは
売りたい対象によってはやらない方がいいってなるのもわかる
けんど、ゆるキャン△の温泉回や、ガルパンの大会後のお風呂シーンはノイズだろうか?
あれが無ければもっと大衆受けして、あれがあったから減速した類のもんだろうか?
すくなくとも、ぼざろはそれをやったら売れなかった作品とは思えない
ことに「氷風呂」みたいなシーン(氷風呂で風邪をひいて断ろう)ならなおさら
と太字で書くほどの意見として展開し
【その後で】
これとても大事なんだけど
すげぇ醜悪
日本の行政については縦割り・横割りの話だと思うんだけど、AIの方が解説が分かりやすいと思ったのでコピペします。
日本人が「周囲と仲良くするのが苦手」というよりは、日本社会の制度設計の前提や文化的な枠組みがそうさせている、という側面が大きいと思います。
まず行政サービスの区切りについて。日本では「自治体ごとに完結させる」ことが基本になっていて、横の連携を後から調整する仕組みが弱いです。これは縄張り意識や縦割り文化の結果でもあり、同じようなサービスでも「市が違うから使えない」「県境を越えると制度が変わる」ということが日常的に起こります。役所側から見れば「自分の住民に責任を持つ」という論理ですが、利用者からすれば不便ですよね。
一方アメリカの場合は、都市が広域圏を前提に設計されることが多く、また利用者が「どの行政区に属しているか」より「どう使いやすいか」を優先する発想が強い。公共交通や図書館が広域連携しているのは、その文化的背景の違いです。
「日本人が仲良くできない」という表現を使うなら、それは人と人との関係というより「組織や制度同士が横につながるのが苦手」ということに近いでしょう。日本は上下関係や内と外の区切りを重視する文化なので、横のつながりは後回しになりがちです。そのため、住民の利便性よりも「組織の境界」が優先されてしまうのです。
つまり、日本人個人が仲良くできないのではなく、制度や文化が「横の連携」を阻みにくい形で固定化されている、という理解が近いと思います。