はてなキーワード: うまいとは
ココナッツミルクはないので、トマト缶でトマト分増やして、トマトベースで
味見
なんか違う…😟
もう残り少なそうだと思って、ガーリックパウダーを全て投入したら、想像以上の量…
部屋に広がるニンニク臭…
味見
これは…、うまいのでは?😟
具が鶏肉なら合うのでは?
レトルトをそのままレンチンできないのはなんとかしてほしいけど、冷えたままでもうまいよ、これ…
やっぱり、勝間なんとかは駄目だね、このぐじゃぐじゃなジャガイモがいいんだよ、肉じゃがもそう…
天高く俺肥ゆる冬…😟
AIに調べものしてもらうと本当にコイツ人間みたいだなと感心するのだが、機械に人間みたいな挙動をさせられるようになったということは、本物の人間の脳みその演算システムも近似的におよそ解明されたということなのではないのか?AI自体の進歩度合いの話ばかりで、副産物として「人間がわかった」という話は聞こえてこないのだが。それともあくまでAIはモノマネがうまいだけでAIと人の脳は根本的に異なるシステムで動いているのだろうか?
【Grok高速】
面白い疑問ですね。AIの「人間っぽさ」が、実は人間の脳の仕組みを解明した証拠なのか、それともただの高度なモノマネなのか——これは認知科学や神経科学、AI研究の最前線でまさに議論されているテーマです。結論から言うと:
「AIが人間らしく振る舞える」=「人間の脳の演算システムが解明された」ではない
むしろ、AIは「結果としての振る舞い」を再現しているだけで、脳の「内部構造」や「計算原理」を再現しているわけではない。
→ 膨大なテキストデータから「次に来る単語の確率分布」を学習し、それに基づいて「それっぽい文章」を生成。
…など、AIとは全く異なる物理・生物学的基盤で動いています。
つまり、AIは「外から見た振る舞い(function)」を模倣しているが、「内部の仕組み(structure)」は根本的に違う。
→ 同じ「飛行」という機能を達成しても、仕組みは別。
確かに「AIの進歩=人間理解の進歩」とは言えませんが、逆方向のフィードバックはあります。
→脳の「選択的注意(selective attention)」との類似が議論される
つまり、AIが「ある振る舞いをどう実現するか」を解くと、それが「脳も似た戦略を取っているかも」というヒントになる。
特に、「予測」「注意」「記憶の圧縮」などの機能は、AIと脳で収束進化(convergent evolution) 的に似た解にたどり着いている可能性があります。
半分正解、半分不十分。
→ これらは「単なるパターンマッチ」では説明しきれない高次の認知機能に近い。
ただし、意識・主観的体験(クオリア)・意図の本質などは、AIには全くない(少なくとも現時点では)。
いいえ、まだ遠い。
AIが「人間っぽく話す」のは、脳の「出力」を模倣しているだけで、「どうやってその出力が生まれるか」の内部プロセスはブラックボックスのまま。
その鏡に映る姿がリアルすぎて「人間の脳もこう動いてるのか?」と思ってしまう。
→ でも、「人間の脳の計算システムが解明された」わけには程遠い。むしろ、AIが賢くなるほど、「人間の脳はどれだけ複雑で未知か」が浮き彫りになっているとも言えます。
→ 将来、構造と機能を両方再現するAIが現れれば、「人間の脳の計算原理」が初めて近似的に解明されるかもしれません。でもそれは、「AIが人間らしくなった」からではなく、「人間の脳を直接コピーする技術」が進んだときです。
でも、役者の頭の中と、本物の人間の頭の中は、全然違う。でもその演技がうますぎて、「人間ってこう動いてるのか?」と研究のヒントにはなっている——それが今の状況です。
足し算じゃない、引き算だよ
SNSで女装おじさんの自撮りが流れてくることがあるけど、加工してもすぐに女装ってわかるんだよね
なぜわかるかって?
それはね、足しすぎなのよ
ウィッグがサラサラ髪すぎたり、スカートが短すぎたり、変な帽子かぶってたり
女になるために、いらんもん足しすぎなの
子どもが生まれる前は、危険とか安全なんて、少し考えればだいたい片がつくと思っていた。
働いて生活を安定させて、リスクの高い選択を避けて、周りと大きく外れなければ、人生はまあまあ平穏に進む。
そんな感覚で生きていた。
今思うと、それは“気楽な合理主義”みたいなものだった気がする。
ある日、うちの五歳の息子が、公園の木に登ろうとしていた。
「おい、どうするべきかな」と考えているうちに、気づけば思ったより高いところまで登ってしまっていた。
そこから落ちれば、最悪命を落とすかもしれないし、良くても大怪我だろう──そんな想像が頭の中で勝手に動き出す。
その瞬間に、自分が親になってからずっと抱えていた“合理の揺らぎ”みたいなものが、一気に表に出てきた。
危ないから降ろすべきなのか。
しかし、自然の木というのは何かしら特別な意味を持っている気もする──。
そんな考えがぐるぐる回ってまとまらない。
ChatGPTまで開いて、都会と田舎の環境差とか、経験の有無が性格にどう影響するかとか、調べれば調べるほど深みにハマる。
子どものいない友人に話すと、
「そんなの、どっちでも良くない?」
とよく言われる。
言ってることは分かる。
ただ、こちらとしてはその“軽さ”がどうしても引っかかる。
危険かどうかだけじゃなく、“もしもの最悪”が具体的に思い浮かんでしまうからだ。
この感覚は、説明して理解はされても、たぶん実感としては共有されにくい。
木登りの影響なんて、人生全体から見れば本当に微々たるものだ。
研究だって結論は割れるし、どちらにしても大きな差が出るわけじゃない。
でも、微々たる差だからどうでもいい、とはなぜか思えない。
理屈では処理しきれない種類の重さだ。
今は、高い店で良いものを食べていても、頭の片隅に“帰ったらあいつ家の前の木に登ってないだろうな”という心配がついてくる。
価値観が変わったというより、人生の重心が勝手にずれたのだと思う。
木登りを許すか禁止するかは、結局のところ各家庭の価値観でしかない。
危険をどこまで許せるか、どこまで怖がるか。
合理的に説明できる部分もあるけれど、最後の最後は「自分がどんな生き方を大事にしているか」というところに戻ってくる。
子どものいる人は「それがシンプルに割り切れないんだよ」と返す。
木登りひとつでこんなにも考えてしまう自分が不思議に思えることもあるけれど、
結局のところ、親ってのは毎日少しずつ、
「自分はどこまで許せるのか」
「どう生きたいと思っているのか」
その境界線を試されてるんだろうと思う。
1月まで修理できない原因は代車がないから。
車の保険に代車特約があればすぐに修理できるはずだった。
一旦店を出る。
最近見てるノブロックTVでカップラーメンのコラボしてたのが頭から離れない。
小学生の子どもを自転車で迎えに行く。娘の持病で迎えに行くことになっていて、もう2か月くらい送り迎えしてる。
午後3時再びディーラー。
360°モニターはあるけど、さすがにシートヒーターが無いのが残念。
午後6時晩飯。さんまを塩焼きにする。あとは総菜の豚カツと昨日作った味噌汁。
娘がまだ食べたくないとごねる。
今や紅白ラッパーであるR-指定がフリースタイルバトル全国大会であるUMBを前人未到の3連覇しレジェンドとなった、その前2011年、2010年を2連覇していたのが晋平太だった。2010年のR-指定VS晋平太は歴代ベストバトルとの呼び声も高い。
晋平太はフリースタイルをHIPHOPという文化からスポーツにした最初の世代だったからだ。
KrevaやMC漢、般若らが鎬を削っているころ、フリースタイルバトルはラッパーとして音楽活動している連中のある意味での売名の場、ある意味での腕試しの場だった。クラブでライブをやっている連中の余興として、コミュニケーションとしてのサイファーの延長線上。
お互いの音楽性を並べて比べ合う、アーティストとしてのラッパーの力比べの場。
なので当時はPUNPEEやNORIKIYOといった楽曲系のラッパーも多く参加していた。
KrevaがB BOY PARKで当時の基準で圧倒的な押韻力で三連覇し殿堂入り、その後揺り戻しとしてフロウ、ヴァイブス系が盛り上がり、フリーなスタイルであるはずのフリースタイルバトルの"型"が見えてきた。その"型"を真正面から攻略しに来たのが晋平太だった。
実のところ晋平太も地元でクルーを組んでおり、今本当に頭角を現している「フリースタイルをするためにフリースタイルを始めた世代」とはまた違ったHIP HOPにルーツを持つラッパーだったのだが、しかし活動範囲は小さくそして何よりフリースタイルに真摯だった。
Krevaの押韻と般若のヴァイブス、この両方を磨き上げたフリースタイルバトルのためのフリースタイル。これが圧倒的に上手かったし、なにより圧倒的に努力してきた。
しかしHIP HOPの中のラップが音楽である以上、フリースタイルがうまくて強いことは評価対象ではなかった。むしろ碌な楽曲もないのにフリースタイルがうまいからって調子に乗るなという見方のほうが強かった。
また普段自分たちが築き上げてきた"音楽"をぶつけあう場に一生懸命練習してきたラップを持ってくるのは無粋だというストリート的発想にも反していた。喧嘩をするのに練習してくる奴がいるか?ダサくないか?そういう文化と晋平太は真っ向からぶつかった。
そして晋平太のようにフリースタイルに"勝つために"フリースタイルするフリースタイラーが増えた結果、楽曲系のラッパーはフリースタイルの場を去っていった。もうこれはHIP HOPではない。HIP HOPとフリースタイルの決別だった。
その後、様々なラッパーが韻踏むだけのラップはラップじゃないといったフリースタイル、フリースタイラーのDis曲を発表するなど断絶は強くなった。そして晋平太はその象徴として蛇蝎のごとく嫌われた。お前みたいな奴が増えたからバトルはつまらなくなったとバトラーからも叩かれた。
しかし晋平太は愚直にフリースタイルを極め続けLEGENDとなった。
その過程で仲間が増え、楽曲もリリースし、フリースタイルを一般に開放したフリースタイルダンジョンでは初の全制覇を果たし、Youtubeでフリースタイルバトルの解説をはじめその楽しさを世に広め、一般社団法人日本ラップ協会を設立し小学校への出張授業などを通じてラップの楽しさを世に知らしめ続けた。
彼がいなければR-指定が今ほど有名になっていたかはわからないし、高校生ラップ選手権が盛り上がったかもわからないし、そこからさまざまなスターが生まれなければ、現在のラップスタア誕生があったかもわからない。
ラップ暗黒期をフリースタイルバトルという方向から支え続けた一人として間違いなく名前が挙がる人物だと思う。
愚直すぎる性格ゆえに心のバランスを崩してしまい、療養中に亡くなってしまった晋平太。
多くのラッパーが弔意を示した。多くの人が早すぎる死を惜しんだ。
R.I.P
そもそもウクライナがNATOに入るとか言わなければこんな事になっていないのだから、自業自得なのよ。
台湾はだめ。台湾有事でシーレーンが潰れたら、日本としては中国から兵糧攻めを食らうようなものだ。
断固阻止すべし。
うまいことやってほしいンゴね
あとで飲もうと思って冷蔵庫から出したヤクルトを逆さにしてこたつの上に置いている。独立洗面台のなかった1Kに住んでいた頃の名残で、部屋で髪を乾かす習慣が抜けない。つい数週間前まで冷房をつけていたというのに、もうこたつでぬくぬくとしている。最後に冷房つけたのいつだっけ?毎年記録しようとして忘れる。今季初めて息が白くなった日は記録に残せるけど、日常生活でこれが最後だと思いながら何かをすることはあまりない。
今まで生きてきて、何度か文才があると言われたことがある。学生時代の自由作文と、はてな匿名ダイアリーがTwitterの知らない人に呟かれてバズった時。どちらも匿名だった(前者は作者を伏せて先生が朗読する形式だった)。小学生の時には作文は大嫌いだったし、大学では理学系に進んだのでそういうのとは縁遠い方だと思うけど、思い返せばマニュアル作成を任されがちだ。ちなみに卒論のときにはちゃんとボコボコにされている(理科系の作文技術にはお世話になった)。それはさておき、言われてみると「文章うまい」「文才ある」ってなんなのか気になる。
一言で言えば「読ませる文章」だというのは理解できる。技巧じゃないんだ!気持ちだ!またはセンスだ!という言説もわからなくもない。いややっぱりわからない。「自分運動のセンスないから」って言う人は言い訳してるように聞こえる。もうちょっと具体的な言葉を使っていれば言い訳には聞こえにくくなるのになーもったいないなーと思う。印象はいい方がいいから。どういう要素があれば/なければ文才があると言われやすくなるんだろう。あったからどう、ってわけじゃないけど、強みっぽく言えたらそれは強みだなと思う。
なんか今日はあまり筆が乗らなかったな。がーっと勢いで書いたときのほうが良い。書きたいものが先行しているから当然ではあるけどね。
・鍵っ子。ただし鍵はポストの中などに隠されている。その鍵が友だちに見つかり部屋を荒らされる。
・電子レンジを使いこなせる。
・家の中でも親が帰ってきた気配がわかる。
・ふと1人であることに寂しくなる。
クリームといっても牛乳とか乳製品は使わず白子のクリーム感だけでクリームを表現する究極のパスタな。
作り方はめちゃ簡単で、唐辛子をいれないペペロンチーノのソースを作って、そこに下処理した白子を適当に細かめに切って入れてゆで汁で伸ばす。
あとは仕上げに唐辛子を入れない代わりに白子と相性がいい「ゆず胡椒」を入れる。
白子にポン酢が合うのを考えれば必然的に辿り着くマリアージュ。
コツは特にないがとにかく新鮮でブリンブリンでギッチギチの白子を選ぶこと。
クターとなってるやつはやめといたほうがいい。
個人差だよなあ。
味噌カツ←昔はお弁当によく入ってた。味噌カツを頼まなくても、とんかつを食べに行くとつい味噌をかけてしまうので味噌カツになる.
味噌煮込みうどん←食べる。シーズンはもちろん冬だけど、あえて夏に食べてもうまい。
台湾ラーメン←辛いのが苦手なので全く食べない。食べたことはある。
ういろう←甘いものが好きな自分はそこそこ食べる。棒状のを買ってムシャる。大須と青柳とで結構固さが違う。
えびせんべい←知多半島方面に行く時にえびせんべいの里のものを買って家族で食べる。
しるこサンド←子どもの頃はよく食べてたが、最近はあんまりスーパーでも見ない。おばあちゃんおやつカテゴリ。
豆味噌←なにそれ?赤味噌のこといってんの?そりゃ食べるでしょ。
人生の9割を関東で過ごしていたが、4月から札幌へ転勤になった。
同僚や上司からは「札幌はいいところだよ」「北海道は美味しいもの沢山あるよ」等言われていたが、実際に過ごしてみるとしんどいことの方が多すぎる。
そのうちいくつかを愚痴として吐き出したいと思う。
①光熱費が高い
例としては東京電力で190kWh使った金額よりも、札幌で130kWh使った金額の方が高い。
ガスについては関東では都市ガスしか使ったことがないため、今のプロパンと比較はできないが、そもそも都市ガス物件が少なすぎる。
②美味しいものは沢山あるのだとは思うが、何を食べても美味しいというわけではない。
しっかり吟味すれば安くて美味しい店もあるかもしれないが、それは関東だってそうだ。
まあこれは私が偏食というのもあるかもしれないが、ジンギスカンよりも普通の牛肉の方がうまい。
関東の駅前では、駅を出てすぐのところに何かしらコンビニやチェーン店、ちょっとしたスーパーがあった。
少なくとも今まで住んだところ、よく利用していた場所ではそうだった。
しかし札幌は違った。さっぽろ駅から3駅のところであるにも関わらず、駅前にはローソンぐらいしかない。
④気温
札幌の夏は正直暑い。クーラーほとんど使わないと聞いていたが、そんなことはなかった。
元々暑がりではあるのだが、普通に6月後半~8月後半まで暑いと感じた。
湿度が低いとかどうとかいう人もいるが、私にとってはどっちも暑い。
夜は涼しくなる時もあったので窓を開けてクーラーなしで寝てみたが、
それでも朝には暑く、不快感で目が覚めたので結局は窓を閉めてクーラーに落ち着いた。
そのあとはすぐに寒くなってしまった。過ごしやすい期間で言ったら関東よりも短いくらいである。
(個人的体感では、関東の9月後半~11月中旬は過ごしやすかった。今年もちょくちょく関東に遊びに行っているが同様)
そして今、冬を迎えている。
11月になったばかりだというのに雪が降り、最高気温が1桁になる。
これが12月、1月、2月とさらに寒くなるというのだから、耐えられたもんじゃない。
凍れば滑るし、積もれば靴に浸透して靴下が濡れる。溶けたらグチャグチャになってそこかしこが水たまりになる。
ちなみに良かったと思える点は未だ見つかっていない…。