はてなキーワード: 責任とは
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「前に私は「日本には死気が漂っている」と言ったが、多くの人は信じなかった。
しかし今見てみれば、その“死気”ははっきりと顔にまで現れている。
気数が尽きつつある者は、どうしても死気が重くなる。ときに言動は荒唐無稽になり、意味不明の妄言を吐き、逆行するような行動をとる……。
死に瀕した者ほど、因果が遮られ、心智が曇り、目前に迫る破滅に気づけなくなる。
死気が頭にまで入り込めば、当然、破滅の道へと狂奔するだけだ。
日本のここ数十年の発展は、アメリカの庇護と冷戦の恩恵に頼ったものだった。その結果“ショーウィンドウ国家”として作られたが、そうした価値はすでに失われている。
そもそも、日本の資質、資源、規模では、持続的な発展など本来不可能だった。
過去、日本を「発展した国」と見るフィルターを外せば、次のような事実に気づくだろう。1990年以降、日本の半導体産業は死に、2000年以降は家電産業も死んだ。そして今や、自動車産業も長くはもたない。
トヨタ・ホンダ・日産など日本の主要自動車メーカーの2025年度上半期の決算によれば、2020年以来初めて7大メーカー全てが減益となり、合計損失は約100億ドルに達した。
今年9月には、中国における日本車のシェアは11.6%まで落ち込み、2020年の24.1%から半減した。
自動車産業は日本最後の大産業であり、日本経済の柱。その産業チェーンは500万もの家庭に関わっている……。もしこの産業が倒れれば、日本社会と経済は極めて大きな動揺に襲われる。
日本のインフラも産業も生産力も発展モデルも、どれも数十年前のまま。日本に旅行に行けばわかる。1億を超える人口が、まるで90年代で時間が止まったかのような世界に生きている。
今なおFAXを大量に使い、その横には判子を押すだけの社員がいる国だ。
家は古く、道路は古く、社会のあらゆる職場の人々も老いている。
技術者も、管理職も、一般社員も、同じ場所で何十年も動かず、辞めず、入れ替わらず、ポストを占有し続ける。若者には上に行くチャンスすらない。大した技術のいらない単純作業ですら、惰性で居座る“先輩”が大量に残っている。
日本社会は極めて抑圧的で、上下関係は硬直し、封建的残滓が随所に残る。「皿を7回洗う」「便器の水も飲める」とかつて称賛されたことも、実態は常態化した職場いじめであり、上から下へ、年長者から若者への服従テストにすぎない。
数十年の停滞の中で、日本人は皆“真面目なふり”“積極的なふり”を覚え、形だけの残業をし、プロジェクト書類は細かい条項で埋め尽くされ、一見厳密で職人気質のように見えるが、実は責任逃れの“免責文”にすぎない……。企業も社会も、誰もかれもが“不粘鍋(責任が付着しない鍋)”になっている。老いぼれた気配と死気が、日本人一人ひとりから漂っている。
今日、日本の多数の産業は競争力を失い、伝統的優位産業は次々と他国に取って代わられた。造船も太陽光発電もすでに壊滅。
日本のEV、インターネット、ドローン、AIはほとんど発展していない。
多くの日本人が不安、抑圧、苦悩の中に暮らしているが、文化と環境がそれを許さず、感情を外に出せない。そのため、日本人は長期にわたり異常で歪んだ状態に置かれてきた。
だから彼らは、時折“発狂”せずにはいられないのだ。歴史上何度もそうしてきたように。しかし、今の日本には賭けに出る資格すらない。航空機も艦船も年代物のポンコツ。空軍は未だF15(1976年就役)を主力とし、老朽化は激しい。駆逐艦もわずか8隻、レーダーもミサイルも技術は大きく遅れている……。
こんな状態で、何を賭けられるというのか?
家の資産が豊富で、体力もあり、生命力に満ちた国は、国運を賭けるような無謀はしない。なぜなら、公平に競争しても勝てるから、賭ける必要がない。
経済や産業の分野で少し圧力をかければ、規模と慣性と技術の差だけで、相手は疲弊し、穴だらけになり、支えきれなくなり、最後には行き詰まる。
それ昨日見たわ
「日本死気」
https://x.com/koheinet608/status/1989952126353903733
「前に私は「日本には死気が漂っている」と言ったが、多くの人は信じなかった。
しかし今見てみれば、その“死気”ははっきりと顔にまで現れている。
気数が尽きつつある者は、どうしても死気が重くなる。ときに言動は荒唐無稽になり、意味不明の妄言を吐き、逆行するような行動をとる……。
死に瀕した者ほど、因果が遮られ、心智が曇り、目前に迫る破滅に気づけなくなる。
死気が頭にまで入り込めば、当然、破滅の道へと狂奔するだけだ。
日本の戦後の発展は、アメリカの庇護と冷戦の恩恵に頼ったものだった。その結果“ショーウィンドウ国家”として作られたが、そうした価値はすでに失われている。
そもそも、日本の資質、資源、規模では、持続的な発展など本来不可能だった。
過去、日本を「発展した国」と見るフィルターを外せば、次のような事実に気づくだろう。1990年以降、日本の半導体産業は死に、2000年以降は家電産業も死んだ。そして今や、自動車産業も長くはもたない。
トヨタ・ホンダ・日産など日本の主要自動車メーカーの2025年度上半期の決算によれば、2020年以来初めて7大メーカー全てが減益となり、合計損失は約100億ドルに達した。
今年9月には、中国における日本車のシェアは11.6%まで落ち込み、2020年の24.1%から半減した。
自動車産業は日本最後の大産業であり、日本経済の柱。その産業チェーンは500万もの家庭に関わっている……。もしこの産業が倒れれば、日本社会と経済は極めて大きな動揺に襲われる。
日本のインフラも産業も生産力も発展モデルも、どれも数十年前のまま。日本に旅行に行けばわかる。1億を超える人口が、まるで90年代で時間が止まったかのような世界に生きている。
今なおFAXを大量に使い、その横には判子を押すだけの社員がいる国だ。
家は古く、道路は古く、社会のあらゆる職場の人々も老いている。
技術者も、管理職も、一般社員も、同じ場所で何十年も動かず、辞めず、入れ替わらず、ポストを占有し続ける。若者には上に行くチャンスすらない。大した技術のいらない単純作業ですら、惰性で居座る“先輩”が大量に残っている。
日本社会は極めて抑圧的で、上下関係は硬直し、封建的残滓が随所に残る。「皿を7回洗う」「便器の水も飲める」とかつて称賛されたことも、実態は常態化した職場いじめであり、上から下へ、年長者から若者への服従テストにすぎない。
数十年の停滞の中で、日本人は皆“真面目なふり”“積極的なふり”を覚え、形だけの残業をし、プロジェクト書類は細かい条項で埋め尽くされ、一見厳密で職人気質のように見えるが、実は責任逃れの“免責文”にすぎない……。企業も社会も、誰もかれもが“不粘鍋(責任が付着しない鍋)”になっている。老いぼれた気配と死気が、日本人一人ひとりから漂っている。
今日、日本の多数の産業は競争力を失い、伝統的優位産業は次々と他国に取って代わられた。造船も太陽光発電もすでに壊滅。
日本のEV、インターネット、ドローン、AIはほとんど発展していない。
多くの日本人が不安、抑圧、苦悩の中に暮らしているが、文化と環境がそれを許さず、感情を外に出せない。そのため、日本人は長期にわたり異常で歪んだ状態に置かれてきた。
だから彼らは、時折“発狂”せずにはいられないのだ。歴史上何度もそうしてきたように。しかし、今の日本には賭けに出る資格すらない。航空機も艦船も年代物のポンコツ。空軍は未だF15(1976年就役)を主力とし、老朽化は激しい。駆逐艦もわずか8隻、レーダーもミサイルも技術は大きく遅れている……。
こんな状態で、何を賭けられるというのか?
家の資産が豊富で、体力もあり、生命力に満ちた国は、国運を賭けるような無謀はしない。なぜなら、公平に競争しても勝てるから、賭ける必要がない。
経済や産業の分野で少し圧力をかければ、規模と慣性と技術の差だけで、相手は疲弊し、穴だらけになり、支えきれなくなり、最後には行き詰まる。
「良い部分も悪い部分もあってこそ正しい見方と言うべきだろう。なので、私がこの質問を投稿したのは別に日本をわざと貶めようと考えてのことではない。
日本のラーメンは美味い、空気はきれいだ、景色が美しい、おもしろいことがたくさんある、日本人は礼儀正しくて民度が高い(少なくともあなたの目の前では)……と。でも、逆によくないことは何があるのか?」
2018年、中国質問サイトで日本通の回答者により書かれた内容は当時もその通りと感心したし、今なお的確だ
・どんなものでも「日本化」したあとは、器が小さくなり「井のなかの蛙」的な雰囲気をまとう。
・自分たちの世界の狭さを感じるときがあっても「まあ仕方ないや」と自分を慰めるだけで終わる。
・日本人はとにかく組織に架空の責任を負わせたがり、個人の責任を宙に浮かせたがる。トラブルが起きたときはみんなで「どうしよう」と言い合うが、誰ひとりとして問題を解決しようと勇敢に立ち上がることも、みんなで団結して問題に蹴りをつけようとすることもない。
・結局最後にどうしようもなくなれば、世論に頼って責任を追うべき人間を選び出す。そうして選び出された人間がやるのは問題の解決では決してなく、謝罪して辞職して、あとは列車に飛び込むことだけだ。
・彼らは極めて誠実で善良だ。ただ、彼らの骨身になんら明確な正義の概念がないだけである。彼らはなにが正しくてなにが間違っているといったことを明言することができないのだ
https://gendai.media/articles/-/54234
ではあなたたちはどうなのか?をはじめ多くの反論は出てくるだろう
だが問題点を指摘された時に話をそらし相手を攻撃するやり方は仕事でも人間関係でも上手くない
しかも相手は丁寧に「こういういい部分もあるが、悪い部分もある」と言っているのだ
まず、何を言われているのか、それが真に問題点なのかを考え、向き合う
相手が正しいから正しい指摘が出てくるのではない。どんな相手からも考慮すべき指摘はある
なぜなら我々は好意的な相手とだけ関係を結ぶことはできないからだ
昨日大好きな友達と旅行をしたのだが、見事に色んなシーンで不快な気持ちにさせてしまい、楽しい旅行にできなかった。
細かい部分は身バレしそうなので除くが、ASDの特性や自分のトラウマから由来する防御反応が言動に全部悪い方向で出た。
今まで制御できていたものが、その人と話すことに慣れてもういいやと思ってしまったのか、旅行という非日常に対応できなかったのか。
どちらにせよ、おそらく縁を切られるのではないかと思っている。
今までたくさんの人が離れていったが、唯一その友達が違ったのは私の欠点を正確に把握し、それがダメな理由、それを続けるとどうなるかということを伝えてくれたことだった。私の人格や過去の否定まではしなかった。
私にはわからなかった。
なんとなく今まで注意された言動をしないようにしようとは思っていたけれども、その理由までは「人がとにかく嫌がるんだ」という認識でしかなかった。
ああ、そういうことだったんだ、と謎の伏線回収をした気分だった。
私は今まで人と上手くコミュニケーションができず、コミュニケーションに対して苦手意識があることから心を閉ざしていた。ような気がする。
そんな私が初めて心を開いた相手だった。楽しいと思える相手だった。今度こそ自分も普通の人になれるかもしれないと救われた人だった。
前から恐れてはいた。自分がひた隠しにしなんとか消そうと思っていたこの特性がいつかバレて、嫌われることを。
何より、自分を救ってくれた人に、自分と何日間も一緒に行動してもいいと思ってくれるような人に、自分は何も返せなかったどころか不快な気持ちを与えていたことが嫌だった。
自分は何も変わっていなかった。
今日もバイトだけど行きたくないし、何なら全部放り出して〇んでしまいたい。
けれども前より私は中途半端な知性を持っているので、バイトを休み続けたらどうなるか、今〇んだら世間一般的には誰のせいになるのか、どちらも失敗した場合どうなるか、ということを理解できる。
適応しようと頑張っていたのに、高い金払ってカウンセリングやメンクリ行って治そうとしたのに、何も分かっていなかったし何も変わっていなかった。
治そうとした結果、のこれだった。
私はこれから何回失敗すれば、何回人に迷惑をかければ、何回別れを経験すれば普通になれるんだろうか。
そして今までの失敗の過去を、簡単に〇ぬこともできないならどう生きていけば償えるだろうか。
発達障害や過去のトラウマが原因だったとして、それを治すのが大変だったとして、不快な思いをさせた以上、相手には関係ない。
とにかく謝ることしかできない。もうしないと言うことしかできない。何回も傷ついて傷つかせて、経験して普通になっていくしかない。
もうやり直せない。久々に家族以外の誰かと話して、楽しかったあの時に。
早く普通の人になりたい
お前の言ってる「みんなでイジメて黙らせる」「見せしめとしてネットリンチを使う」ってやつ、聞いていて思わずため息が出るくらい構造理解が甘い自己放尿だな。
まず、群衆が一斉に叩きに行く現象を戦略とか示威行動だと思っている時点で、自分の立ち位置を過大評価して自己放尿している。
あれは政策でも統治でもなく、単なる反射。いわば大量の自己放尿が偶然同じ方向に飛んでるだけの物理現象だ。
そもそも「逆らったら怖い目にあうよ」と見せつけたいなら、加害側に権力性と一貫性が必要なんだが、匿名の烏合の衆にはそれが存在しない。
誰も指揮してないし、誰も責任を取らないし、誰も翌日まで覚えていない。
観察者から見れば、見せしめというより騒音だ。抑止ではなく、ただの不規則ノイズ。統治のふりをした偶然の群集行動の自己放尿。
そしてもうひとつ致命的なのは、加害側の意図が相手に届いていないことだ。
お前らが「俺たちは規律を作ってる」と思ってるだけで、客観的には誰が叩かれるかはランダムという事実だけが残る。
ランダムな攻撃には威圧効果なんてない。あるのは萎縮だけ。つまり、本来見せしめで得るべき統治的効用ではなく、ただ関わりたくないという沈黙を増やすだけの逆効果だ。
お前が語っているのは戦略的ネットリンチではなく、偶然集まった自己放尿の群れが自分を権力だと誤解しているというだけの光景なんだよ。
https://x.com/koheinet608/status/1989952126353903733
「前に私は「日本には死気が漂っている」と言ったが、多くの人は信じなかった。
しかし今見てみれば、その“死気”ははっきりと顔にまで現れている。
気数が尽きつつある者は、どうしても死気が重くなる。ときに言動は荒唐無稽になり、意味不明の妄言を吐き、逆行するような行動をとる……。
死に瀕した者ほど、因果が遮られ、心智が曇り、目前に迫る破滅に気づけなくなる。
死気が頭にまで入り込めば、当然、破滅の道へと狂奔するだけだ。
日本の戦後の発展は、アメリカの庇護と冷戦の恩恵に頼ったものだった。その結果“ショーウィンドウ国家”として作られたが、そうした価値はすでに失われている。
そもそも、日本の資質、資源、規模では、持続的な発展など本来不可能だった。
過去、日本を「発展した国」と見るフィルターを外せば、次のような事実に気づくだろう。1990年以降、日本の半導体産業は死に、2000年以降は家電産業も死んだ。そして今や、自動車産業も長くはもたない。
トヨタ・ホンダ・日産など日本の主要自動車メーカーの2025年度上半期の決算によれば、2020年以来初めて7大メーカー全てが減益となり、合計損失は約100億ドルに達した。
今年9月には、中国における日本車のシェアは11.6%まで落ち込み、2020年の24.1%から半減した。
自動車産業は日本最後の大産業であり、日本経済の柱。その産業チェーンは500万もの家庭に関わっている……。もしこの産業が倒れれば、日本社会と経済は極めて大きな動揺に襲われる。
日本のインフラも産業も生産力も発展モデルも、どれも数十年前のまま。日本に旅行に行けばわかる。1億を超える人口が、まるで90年代で時間が止まったかのような世界に生きている。
今なおFAXを大量に使い、その横には判子を押すだけの社員がいる国だ。
家は古く、道路は古く、社会のあらゆる職場の人々も老いている。
技術者も、管理職も、一般社員も、同じ場所で何十年も動かず、辞めず、入れ替わらず、ポストを占有し続ける。若者には上に行くチャンスすらない。大した技術のいらない単純作業ですら、惰性で居座る“先輩”が大量に残っている。
日本社会は極めて抑圧的で、上下関係は硬直し、封建的残滓が随所に残る。「皿を7回洗う」「便器の水も飲める」とかつて称賛されたことも、実態は常態化した職場いじめであり、上から下へ、年長者から若者への服従テストにすぎない。
数十年の停滞の中で、日本人は皆“真面目なふり”“積極的なふり”を覚え、形だけの残業をし、プロジェクト書類は細かい条項で埋め尽くされ、一見厳密で職人気質のように見えるが、実は責任逃れの“免責文”にすぎない……。企業も社会も、誰もかれもが“不粘鍋(責任が付着しない鍋)”になっている。老いぼれた気配と死気が、日本人一人ひとりから漂っている。
今日、日本の多数の産業は競争力を失い、伝統的優位産業は次々と他国に取って代わられた。造船も太陽光発電もすでに壊滅。
日本のEV、インターネット、ドローン、AIはほとんど発展していない。
多くの日本人が不安、抑圧、苦悩の中に暮らしているが、文化と環境がそれを許さず、感情を外に出せない。そのため、日本人は長期にわたり異常で歪んだ状態に置かれてきた。
だから彼らは、時折“発狂”せずにはいられないのだ。歴史上何度もそうしてきたように。しかし、今の日本には賭けに出る資格すらない。航空機も艦船も年代物のポンコツ。空軍は未だF15(1976年就役)を主力とし、老朽化は激しい。駆逐艦もわずか8隻、レーダーもミサイルも技術は大きく遅れている……。
こんな状態で、何を賭けられるというのか?
家の資産が豊富で、体力もあり、生命力に満ちた国は、国運を賭けるような無謀はしない。なぜなら、公平に競争しても勝てるから、賭ける必要がない。
経済や産業の分野で少し圧力をかければ、規模と慣性と技術の差だけで、相手は疲弊し、穴だらけになり、支えきれなくなり、最後には行き詰まる。
野党「なぜ事前に議論を深めなかったのだ、どのレベルの軍事衝突なら日本はこのように行動すると、個別具体的に世界に発信し、かつ国民合意形成を事前に済ませていれば迅速に行動できたではないか、責任がぁぁぁ、諸外国でわーわーわー、政府は場当たり的すぎるーるーるーむきぃぃ」
って言うんだぜwどーせ
■現実が共有できない
「存立危機事態=関係深い国が戦争状態になり日本も巻き込まれる状況」だから、台湾に適用するのは台湾を独立国家だと宣言することだ!共和国への裏切りだ!」というのが奴隷サヨクのロジックである。
待て待て。
日本は中共当局を中国の正式な政府と認めている。これは国際的・公式な取り決めである。
では台湾政府はISか何かみたいな扱いでありいかようになさろうとも中国様の御心のままですよと正式に認めてるのか?そうではない。
日「お互い話し合いでおさまるといいですね」
中「台湾の奴らを力ずくでどうにかしようがこっちの勝手だと認めるんだな!?」
日「話し合いでおさまるといいですね」
そもそもなぜ「存立危機事態」などという言葉からしていかにもこなれない概念を日本政府は用いているのか?
「日本は戦争放棄してるから」である。危機が迫れば自分の責任と判断で火の粉を払いますとシンプルに言えない。
「日本は戦争にはゼッタイ関わらないんです。そう決めたんです」そんなこと言っても巻き込まれるときはあるよねえ、じゃあどうする?しゃあないしボチボチやりまっさという、憲法には触らずに弥縫策でやりくりしますよという表明だ。
そういうあくまで内輪レベルの話と、対外的に正式に台湾を独立国家として承認するしないという話とはレベルが違う。レベルが違う話は直接に接続しないのである。
例えばいち地方議会がなんかのはずみで他国の主権だったり国際条約と相容れない内容の決議をしたとしよう。その決議過程において手続き上の瑕疵は一切なく、決議は決議として成立したとする。しかしだからといって国際関係上、発効はしない。
例えば、日本国内に台湾の大使館はないが、それっぽいものはある。それ一つ取ったって奴隷サヨクのロジックでは「人民共和国に対するあからさな主権侵害であり宣戦布告に等しい」と言えば言える。
台湾のパスポートで入国させてるのだってそうだよ。どれもこれも「台北のニセ政府を独立国家の正統なる政府かのように認めている!」「偉大なる人民共和国に対するあからさな主権侵害だ!」って騒がなきゃダメじゃないか。全てがフラットで字面が全てのアホアホ奴隷サヨクの世界観においては看過できるものではないはずだ。
これってつまり「そろそも人生は楽しくない」ということを認めたうえで「だから人生を楽しいものだと思い込む努力(つまり現実逃避)が必要だ」っていう主張だよね?
違うよ、同じことを楽しいかどうかは個人の受け取り方次第なのでお前の責任という話になる
楽しくないように受け取った方が楽だからそうしてるだけの話
頭のいい官僚が作成した国会答弁を軽視し、自分で赤ペンで添削した高市がすべての元凶だ。
官僚が作成した答弁を、高市がそのまま読んでいれば、今回の問題は起こらなかった。
台湾が先制攻撃で上海の火の海にして民間人殺しまくって開戦しても「日本の主体的な存立危機事態です」って言える?
言えないだろ。日本の責任の及ばない領域に開戦トリガーを設けること自体が重大なリスクな訳
25キロだ。
数字で見ると、大きな変化に見える。
実際、そうなんだと思う。
痩せるまでの私は、太ってることを知ってた。
知ってたけど、何もしなかった。
そういう理由をつけて、怠けてた。
痩せたら何が変わるのか。
今、目の前の食事を楽しむこと。
そっちの方が、簡単で、快適だった。
30代前半。
独身。
仕事は充実してた。
給料も悪くなかった。
ただ、新しい服が欲しい時が困った。
Lサイズがない。
その繰り返しだった。
でも、その程度のことだ。
生活に支障はなかった。
でも、薬が必要なほどではない。
数値が高い、という指摘だけだ。
そう思ってた。
変化が起きたのは、去年の冬だ。
親友が、突然、痩せてた。
どうしたのか聞いたら、ジム通いを始めたと言ってた。
その親友が、私に言った。
一緒にジム行かない。
最初は、断った。
そう言った。
でも、その親友が、ずっと誘ってくれた。
何度も何度も。
その誘いが、最後に通じたのか。
それとも、別の理由があったのか。
正確には、わかんない。
でも、私は、ジムに行った。
体が重い。
体力がない。
それでも、週に3回、ジムに行った。
1人だったら、すぐにやめてたと思う。
3ヶ月経つと、体が変わった。
体が軽い。
朝起きるのが楽だ。
夜中に目覚めることが減った。
そして、体重が落ちた。
75キロになった。
5キロだ。
3ヶ月で5キロ。
その時点で、何か、変わった。
数字が下がることが、嬉しくなった。
今までは「太ってることに悩んでない」と思ってたけど。
実は、深いレベルで、悩んでたんだと気付いた。
ジムは週5に増やした。
食事も気をつけた。
それを、やめた。
お菓子も減らした。
甘い飲料も避けた。
1年かけて、70キロになった。
65キロになった。
60キロになった。
体が変わった。
顔が変わった。
周囲の反応が変わった。
80キロの時は、街を歩いていても、誰も見てくれなかった。
それが、55キロになると、見られるようになった。
駅で、男性が目で追う。
その変化に、最初は、戸惑った。
なぜ、周囲の反応が変わるのか。
その時、私は気付いた。
でも、同時に、嬉しかった。
やっと、見てくれる。
やっと、認識してもらえる。
その喜びと悔しさが、ごちゃ混ぜになってた。
仕事でも、変化があった。
親友は、その変化を見て、喜んでくれた。
でも、何か、微妙なところもあった。
親友も痩せてたけど、私ほどではなかった。
比べると、私の方が痩せてた。
その状況に、何か、複雑な感情があった。
でも、結果として、私の方が、より成功した。
その時点では、よくわかんなかった。
正直に言うと、わかんない。
満足してる部分もある。
鏡に映った自分が、好きになった。
洋服選びが、楽しくなった。
買える服の種類が増えた。
体が軽い。
体力がある。
朝も気持ちよく目覚める。
でも、同時に、失ったものもある。
80キロの時の、気楽さだ。
何も考えず、ラーメンが食べられた。
お菓子が食べられた。
人目を気にせず、だらだら過ごせた。
その気楽さが、今はない。
そういう不安がある。
57キロになった。
その時、パニックになった。
やばい。
また太ってく。
結果として、57キロで安定した。
でも、その不安感は、なくならない。
気楽だった。
でも、その気楽さは、同時に、無責任だった。
それに気付いて、責任を持つようになった。
最近、思うのは、痩せたことが、本当に正解だったのか、ってことだ。
外見は良くなった。
体力は付いた。
営業成績も上がった。
でも、心の中では、何か、複雑なものがある。
未だに、わかんない。
ただ、今の私は、戻りたくない、と思ってる。
80キロに。
もう、あの生活には、戻りたくない。
その矛盾の中で、今、生きてる。
https://x.com/kurtz652/status/1989872628560269507
なぜビジネスでやってる動画の人気に反して、SNS石丸を妄信的に信じている人たちはフォロー数が100以下のカスばかりなのか
比較的大手の稲中ものという人物ですら5000フォロワー以下のゴミばかり。
これは本質が石丸支持ではなく石丸や立花を介してルサンチマンを発現したいからだ。
まともな人は、石丸や立花自身は全く信用していない。都合が悪くなったら切り捨ててよいものなのだ。
本当のバカにして最底辺のカスだけが本気で石丸や立花を信じている
現代のインターネット上で、特定の人物(石丸伸二氏や逮捕された立花氏など)を支持し、他人を攻撃したり引き摺り下ろしたりする行為を通して「権力体験」を味わう人々をニーチェ哲学の視点から解釈すると、「ルサンチマン(Ressentiment)」と「奴隷道徳(Sklavenmoral)」の概念が中心になります。
ルサンチマンとは、フランス語で「恨み、怨念、復讐心」を意味し、ニーチェはこれを道徳の根源の一つと見なしました。
根源的な感情: 自分の力の弱さや無力感からくる不満や屈辱感を、外部の強者や成功者に対する否定的な感情として溜め込むことです。
力の裏返し: 現実の世界で自分の力を発揮したり、望む地位や影響力を得たりできない人々が、その鬱積した感情を「攻撃」という形で発散させ、一時的な「権力」や「優越感」を得ようとしている状態です。
ネットでの増幅: インターネット匿名掲示板やSNSでは、集団的な攻撃によって個人の責任が薄れ、また、相手を簡単に貶めることができるため、ルサンチマンを最も手軽かつ安全に発散できる場として機能しています。
ルサンチマンが根源となり、「善悪」の価値基準を逆転させるのが奴隷道徳です。
価値の否定: 奴隷道徳は、「強者」や「主人」が持つ「力強さ」「大胆さ」「自己肯定」といった価値を「悪」として否定することから始まります。
自己の正当化: そして、「弱者」自身の持つ「謙虚さ」「従順」「弱さ」といった性質を「善」として祭り上げます。
ネット社会での適用: ネットでの攻撃の場合、攻撃対象となる「強者」(権威者、成功者、既存の体制)の欠点や過失を徹底的に暴き出し、「正義」の名のもとに集団で引き摺り下ろす行為が「善」であると正当化されます。
彼らの目的は、より良い社会の創造ではなく、既存の強者を無力化し、その没落を見ることで、自分たちの立場が相対的に上がったかのような錯覚(権力体験)を得ることにある、と解釈できます。
この現象は、ニーチェが説く生の根源的な衝動としての「力への意志」が、創造的な方向ではなく、破壊的な方向へと歪んで発現している例とも言えます。
本来、力への意志は「自己克服」「自己創造」に向けられるべきものです。しかし、現実世界でこの創造的な力を発揮できない人々は、他者を破壊し、引き摺り下ろすという消極的で容易な手段を選び、そこから「力を行使した」という一時的な満足を得ている、と解釈されます。
基本的にイベンターは中止にしたくない。別になんかあってもケツ拭くのは自分らだし、とにかく興行を実施して得た金で何とかすりゃいいから
これで中止して返金とかしたら身動き取れないからね
でスポンサーもあまり変な騒ぎじゃなければ中止にしない。例えば出演者が何かしらの不適切行為をして、それに対する抗議とかでもめたときは別だけど、
会場の所有者は本当に厳しい。土地の所有者とか、会場のスタッフとか、客とかいろんなところに責任を負っているから、安易にGOサインが出せない。
あと別にイベントがあろうがなかろうが貸出費用は回収できるから引き金が軽い
結局中止になる理由の99%はここ
ただし例外が2つある
1つはチケットが想定外に売れなかったとき。人件費すらペイできないとき、これ幸いと中止にして損切りする場合がある。
そして東京都とその外郭団体の所有施設。東京都だけは例外的に警視庁指針で絶対に折れないことになっており、コミケも毎回10件以上の結構ガチ目な犯罪予告が来ているが、全て突っぱねて開催している。