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はてなキーワード: 立体交差とは

2025-08-26

渋谷猿楽鉄橋架け替えに時間が掛かる理由

これ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2594082

 

エントリでは、交通が不便になるから代官山はもう終わり、猿楽橋一つで10年かかるから震災が来たら復興無理との話だが推定おかしいので指摘。

鉄道交差道路工事特殊性

営業運転中は工事禁止

まず鉄道が走っている時間工事が出来ない。これは元エントリでも言われている。

山手線終電は車庫最寄り駅である池袋大崎の着時刻が1:10頃だ。更に始発は朝4時半。だから線路に立ち入る工事は3時間20分くらいしか猶予が無いのだ。

特に始発前は猶予を多めにとって3時半には撤収を始めないといけないから、2時間20分くらいしか工事はできない。

また、埼京線線路は元々貨物線だ。今は貨物列車埼京線線路を走る事は原則無いが、車両回送が行われることがある。

また、保守工事車両が走る事がある。営業列車と違って工事車両工事現場前で止まってくれるのだが、接車事故防止の為に一度軌道敷から退去する必要がある。

まり時間がやたらと掛かるという事。

昔は営業運転中でも工事させていた。だが架道橋工事線路が狂って危うく脱線というインシデントを数回起こして、大物の吊り上げなどは営業中はダメとなってしまった。

 

鉄道交差部分は鉄道ゼネコンのみの指定

道路橋や河川などの工事では交差部分のみJR指定した下請け鉄道ゼネコン委託しないとJR工事を認めない。東京なら東鉄工業だ。このゼネコン橋梁工事会社土建業者に下請けして工事をするという形になっている。

これは万が一の事故の際の責任問題の為と、何かあった時の連絡系統問題の為だ。因みに交通広告関係も同じように系列広告社通す事指定がなされる。線路内の看板などがある為。

 

で、この鉄道ゼネコン、他の工区担当ゼネコン平仄を合せないのだ。だから道路橋なら取付道路が出来てから2時間20分/日の工事が延々と続くって事になってしまう。

 

阪神大震災での脅威の復旧速度

高架橋が落橋したにも拘らず、JRが74日間で復旧し、全面的に落橋した阪神電車も3年で完全復旧したのは有名でプロジェクトXでもやっていた。

一方、池袋では埼京線湘南新宿ライン線路が平面交差するのを解消する為に立体交差工事が行われたが、これには10年かかった。

この二つの違いは?といえば電車が走っているかどうか。それだけでこれだけ違ってくるのである

 

そもそも近くにう回路があるよね

https://maps.app.goo.gl/SmTvmxZxZhBYmLch9

ここが八幡通りの猿楽橋なんだけど、近くにR246もあるし、恵比寿方に300m行きゃガードもある。別にそこまで不便になるわけでもなし。下にハチ公バス停留所がある跨線橋場所には昔踏切があった。そこが廃止されて通れなくなったけど別に大した事にはなってないじゃない。だからちょっと大袈裟なんよね。

 

なぜ代官山がオシャレ街になったか

ここで代官山流行商店資本が集まるようになった流れを説明していくよ。

それは「盛り場から少しズレた場所」だったからだ。

渋谷は言うまでもなく繁華街大資本テナントビルも多い。「流行最先端」にいる人というのはこういうのを嫌うのだ。

そこで渋谷から一駅の代官山に「知る人ぞ知る」ような出店が為されるようになった。例えばどっかの民家を改装しただけのbijinちゅう美容室があってそこにはチェッカーズフミヤ御用達とか、そういう口コミだけで広がる店というのがあった。ハリウッドランチマーケットなんかも最初は民家改装雑貨ショップだった。裏原ショップ形式だな。そういう店をファッション誌が紹介するなどで段々メジャー化していく。ファッション誌の編集者スタイリストはそういう店の店主と知り合いであることが多い。

こういうのが増えていくとアパレル会社事務所を構えるようになり、「オサレ」な雰囲気が出来てくる。

すると中小デベロッパが参入して小さめのコンクリ打ちっ放し店舗ビルなんかが乱立し、そこに新鋭ブランドアンテナショップが入居するという風になって行く。

その後は大手デベによる巨大商業施設乱立という流れだ。でもこうなると入るテナント大衆化して大手資本の店が多くなるから、新しいものが得られる土地という価値は失われている。

 

そうなると新しいもの流行の先端に居るような人はズラシの文脈でその隣の土地に行ってしまう。だから今度は中目黒なんかが嘗ての代官山立場になるのだな。

 

こういうズラシの文脈による流行地というは方々にある。例を挙げると

 

原宿裏原宿原宿竹下通り竹の子族ブティックやその後のタレントショップ隆盛でジャリ向けという印象が持たれるようになった。そこで大通りを挟んだ旧渋谷暗渠沿いにインポートショップが林立するようになる。BEAMSなんかもここ出身だ。やがて区が暗渠道路指定建築条件緩和でビル林立→アンテナショップというメジャー化を辿る。

 

渋谷ファイヤー通り公園通りが栄えパルコが出来ると大手資本が参入。それを嫌ったインポートショップ公園通りから路地を入った辺りや神宮通りに出店。その辺りが流行の中心となり、タワレコ渋谷店はその中心近くに出来た。同店は「これから流行するもの」「店員推し」だけを置いてJPOPヒットチャートCDなぞは置かないというポリシーであった。

因みに明治通り渋谷暗渠交点近くに靴屋クラークス、2Fにアニエスbカフェが入るビルがあるが、実はここの大家って統一教会フロント企業霊感商法の品々を扱ってた商社なのな。

 

六本木西麻布六本木ディスコが林立する繁華街になったがメジャーになりすぎ&人多すぎで、バーなどが西麻布流出した。今はそれも過去の話で裏手通りに高級飲食店が軒を連ねる。

 

六本木麻布十番:元々ディスコ聖地新宿だったが年齢層が低下、それを嫌った人らが六本木に来るようになったという経緯があった。だが六本木でも既存ディスコ陳腐化と共に低年齢化は進んだ。そこで鉄道が通らず交通不便な麻布十番マハラジャオープン。人気を博しバービストロなどが軒を連ねるように。元々麻布十番下町であった。

 

青山青山同潤会アパート青山は高級ブティック街だった。一方同潤会アパートという古い建物が残りその1Fに出店する若手デザイナーインポートショップが多く、不思議景観を為していた。エルベ・シャプリエっていうバッグのブランドを知ってます?余り高くないナイロンバッグのブランドなんだけど、若い同氏がブランドを立ち上げ、パリ同潤会みたいな建物で売っていた品をバイヤーが輸入して表参道や裏原のインポートショップで売り出したこと知名度が上がった商品なのだな。

こんな同潤会だったが表参道ヒルズに建替え。すると大手アパレルセレクトショップが入って、それまでの文化的文脈は死んでしまった。

 

こういう感じで、メジャー盛り場からの逃避→家賃が安い隣接地区に才能はあるが金が無い人が流出メディアでの紹介→メジャー化→不動産投資新築ビル)→アパレル資本参入→栄えるが新しいものはもう無くなる

というサイクルなんで、文化文脈的には代官山はもう死んでると言えば死んでる。だが資本主義的な金銭勘定の点では生きていて利益を出しているという状態

また例えば中華の新興ガジェっトメーカーなんかもイベント代官山で開催したりしてる。でもそれって「メジャー安全もの」って記号を付ける為なので昔の代官山記号的消費だ。消費されるだけで新たな価値が生まれなきゃそのうち無くなる。

デベによる大規模開発は相変わらず進んでいて、デンマーク大使館裏の30年くらい仮囲いで囲まれていた土地にも新たな建物が出来てる。高級版ベッドタウン駅ビルみたいな街になってる。だが渋谷再開発が進んでいてそっちの完成時には当然渋谷の方が新しくなるので、文化文脈的にバッティングしているのならその時に一気に衰退しないか?という疑念はある。

2025-01-20

小田急線複々線化の遅れは反対運動のせいじゃない

元増田https://anond.hatelabo.jp/20250119141453

 

元増田が言うように小田急線複々線化が遅れ、ラッシュ時の酷い混雑率とノロノロ運転に悩まされていた。

線路脇には中途半端地上げした空き地が点在し、沿線の民家には複々線化反対の幟や横断幕。通常新宿町田間は急行で35分だったがラッシュ時は50分。こういう状態20年くらい続いていた。

ところが1990年代中頃になると一気に地上げは進み方々で工事開始、2000年代になると完成区間から供用されていったのである

何が起こったのか?反対運動側が折れたのか?

特定都市鉄道整備積立金制度

それは首記の「特定都市鉄道整備積立金制度」のせいである。ぶっちゃけて言うと鉄道会社複々線事業の原資を貯めるために運賃の値上げをしてよいという制度だ。

この制度根拠法の「特定都市鉄道整備促進特措法」は1986年施行なのだ活用が進んだのはバブル崩壊後の1990年代前半からであった。

 

鉄道運賃許可制

そもそも知っておくべきなのは鉄道運賃が国(運輸/国交大臣)の許可制で、勝手に値上げ出来ないという事である

バブル崩壊後にデフレが進行するという異常事態に陥ったが、通常の国民経済ではインフレ傾向が定常状態だ。すると鉄道会社バス会社運賃を値上げしたい。だが公共交通インフラであるので値上げは沿線住民が困る。また逆に平行路線との過競争運賃を値下げして競争会社を潰してしまうとその会社運行する別路線交通インフラが無くなってしまう。

なので運賃は国の許可が無いと変更する事が出来ない。運輸/国交大臣会社財務状況などを勘案して値上げの許可を出すのである

という事は、鉄道会社鉄道事業で金を貯め込んだり株主に高配当するという事が難しいのだ。

制度運賃値上げの理由として複々線事業の積立を認めるものである

 

租税回避

余剰収益を積み立てたらそこに法人税が掛かるものであるが、同制度により積み立て分への課税回避される。

 

金利回避

ずっとゼロ金利状態なのでピンと来にくいが、バブル以前は金利は高かった。しかバブル時はインフレ加熱を懼れて公定歩合を一気に引き上げた。事業をやっている人は常に公定歩合の上げ下げに気を留めていたのである。(現在基準貸付利率というが慣習的に公定歩合と言う人も多い)

ゼロ金利であっても、鉄道などの土木インフラ事業では償還期間が長いので利子の負担も重くなる。

だが非課税積立金であれば無利子なので経営を圧迫しない。

 

 

制度が動き出すまで私鉄はどこも複々線事業全然進展していなかった。例えば地下鉄有楽町線新桜台まりの支線がずっとそのままだった。これは乗り入れ先の西武池袋線練馬駅工事が手付かずのままだったからだが、同制度が動き出してから後には瞬く間に工事が開始されて一駅だけの無意味な支線は解消された。

 

一方、JRでは既に複々線工事昭和の中期に完了していた。これは国の金で工事が出来たからだ。具体的には工事自体鉄建公団負担して行い、完成後に国鉄負債転嫁するというスキームになっていた。

また、国鉄には地上げ専従の職員部署があった。新線、線路改良が定常的に行われていたという事である

例えばJR化後直ぐに東北新幹線上野東京間が開通したが、この区間国鉄が既に地上げをしてあったのでやったのは工事だけだった。

上野東京ライン開通時に「神田付近地上げが難しくて新幹線の上を通す構造にした」という話を聞いたことがあるかも知れないが、これは国鉄時代の事なのである新幹線線路上の三階建てにする高架構造も既にその時に決まっていたという事だ。

 

こうして同制度によって90年代には各社線で値上げと工事が一気に開始され、2000年代には完成して供用されるようになった。

 

利用者には辛い制度

だが利用者には結構キツイ制度ではあった。

増田90年代小田急利用者だったが、この為に運賃が値上げ、しかも通学運賃は2倍になった。

更に工事の為に急行退避駅の待避線が幾つか使えなくなった。成城学園前が退避不能になった場合は、経堂から向ケ丘遊園まで各停の追い越しが出来ない。故に急行各停にすぐに追いついて各駅手前停車列車と化した。大変なストレスであるしか運賃2倍なのだ。そして複々線完了する時には卒業していて利益還元ゼロ理不尽仕打ちであろう…。

 

制度による混雑緩和の限度

多数の私鉄線が同制度を利用して複々線化を行ったが、一つ事業キャンセルになった所がある。それは西武新宿線で、積み立てをしていたがバブル崩壊後の経済低迷で利用者増の見通しが下方修正となった。それで複々線化の必要なしとの判断になり、積立金は取り崩して運賃還元、つまり運賃値下げして利用者還元された。

故に西武新宿線の混雑程度が同制度による混雑緩和限度、つまり利用者受忍限度と見做す事が出来る。

 

連続立体交差事業との混同に注意

特定都市鉄道整備(特々)には複々線化だけじゃなくて連続立交化もある事に注意が必要だ。

複々線化は原資が運賃積立金、連続立交化は補助金が原資となる(それぞれ事業金の100%ではない。持ち出しや借入、社債発行もある)。

この二つは別事業なのだが、同時に行われる場合もある。小田急場合が将にそれで、高架化やトンネル化が複々線で行われた。この為に原資としては運賃積立金と補助金両方が入っている。

元増田は「騒音問題が」と何度も書いているが、これは高架化の事だ。同時に行われたから不可分に見えるが、制度と原資の面で違うのだ。

 

反対運動の核は地下化か高架化か

元増田勘違いしてるであろうのは反対運動の主張のコアだ。当時、沿線ベランダにたなびいていた幟や横断幕文言は専らが「複々線化は地下式で」だ。つまり複々線化は前提にして地下式を求め高架式を拒否している。

地下化なら騒音はないし日照問題も無い。工法によってはもしかしたら沿線住宅が立退きしなくても良くなるかもしれない。そういう見立てだ。

だが地下化は金が掛かるからちょっと困難である。但し東急池上線という都内ローカル線が地下化された事はあるのでそういうのを参考にしたのかもしれない。

元増田自分騒音問題忌避住民エゴ批判する事を書きながらそれを「複々線化反対」と断じていて筋違いである

 

地上げの各段階

線路道路計画段階では住民説明が行われ時に紛糾したりするが、その後の進捗というのは一直線ではない。計画説明会→地上げ工事と滞りなく進むものばかりではないのだ。計画のまま何十年も塩漬けになったり資金不足で地上げがチンタラ進まない場合もある。小田急複々線化は将にこれに該たる。

から反対運動の方も計画段階で反対している時と、事業側がやる気になって金突っ込んで工事内容を策定するような「詰めてきた」状態での反対では温度差がまるで違う。

また反対の内容も計画自体に反対から補償金や公共施設の築造を求める、曳家で引っ込めたいか工事業者銀行紹介してくれなどに変わったりする。その上で強行的に反対する場合もある。

でもネットフィルター通すとこういう各段階での温度差は見えなくなって、一律反対派住民となってしまう。土地とか持ってない人間が集まって集合意識を形成してしまうのだ。元増田もその気配がある。

 

自衛隊東富士演習場に食い込むように未収用の土地があるのをご存じだろうか?ここではやはり収用反対運動が展開された。

その未収用の土地一角を所有する人の下で働いたことがある。所有と言っても親戚兄弟姉妹で共有になってる山林だが、この人の家には収用の役人が一度も来た事が無いそうである。だから一見揉めてそうで全然揉めてもいないし交渉自体行われた事が無い。

だがネットではその辺の事が判らずに「反自衛隊的な人間がごねている」と書かれているのを見た事がある。そういう事を書く人は自分が住む家が何十年も前から再開発地域になっていて説明会がたまに開かれていても判らないであろう。

 

まとめ

鉄道会社運賃許可制により過剰な儲けが出せない仕組みになっており、また普通経営的にも蓄財には課税され借入は経営上のリスクになるので莫大なコストが掛かる複々線化はまるで進捗しなかった。

そこで特定都市鉄道整備積立金制度スタートして運賃値上げによる非課税積立が許されるようになり各社一気に工事が進捗しほぼ完成した。

同じ特々事業の高架化(連続立交化)と同時に行われて混同やすいが制度と原資の調達面で違うもの

反対運動と言っても地上げの各段階で温度差があり要求も変化する。

 

制度説明は以上で終わりだ。

その2→https://anond.hatelabo.jp/20250120181623

2024-10-20

横浜文字通り横に浜があったか横浜なのよ

なのよ。

https://anond.hatelabo.jp/20241018154926

画像で見たら一目瞭然なのだ

https://maps.gsi.go.jp/#14/35.444624/139.627604/&base=std&ls=std%7Crelief_free&blend=1&disp=11&lcd=relief_free&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&d=m&reliefdata=03G6060F7G6GGG

今の横浜駅場所関内駅場所も水の底。M字ハゲだった頃の舛添要一みたいな地形で、野毛山や戸部の辺りが半島突き出していて、その隣に二つの湾が剃り込みが入ったみたいにあったのだ。

みなとみらい高島の辺りは近年の埋め立てで高くなっているが無視して欲しい。

というか、東京湾内の神奈川県多摩川河口の三角州以外ほぼ全域が、崖がストンと海に落ちる地形だった。これはリアス海岸のような沈降海岸の特徴でもある。

 

さて、そんな中に山下公園に接した、地下鉄元町中華街駅~日本大通り駅がある一帯が棒状に少し高くなっていて水に沈んで居ない事に気が付くだろう。更にその根元は外人墓地がある山手の丘の方から生えるようになっている。

これは砂州なんである。南の方から沿岸流が漂砂を持ってきて、湾状になっているので山手の崖海岸を延長するように砂州が伸びて来ていた。天橋立とかサロマ湖と同じだ。

まりはこれこそが「横浜」だったのだ。

この横浜砂州があるのでその内側はラグーンになっていて貝とかが獲れる。また周囲は崖海岸ばかりで船を係留するのに便利なのは横浜砂州しかない。

という事でここに横浜村という小さな漁村が出来た。

 

埋め立てて吉田新田

さてこの湾はラグーンで全域水深が浅いし、横浜入口を塞いでいる。この横浜って締切堤防に最適じゃね?

って事で江戸幕府江戸商人吉田さんにここの干拓事業承認を出す。横浜を延長してガッツリ閉鎖、土砂で埋め立てた。この辺はタウンニュースが書いてるので興味のある人はタウンニュースへ。

https://www.townnews.co.jp/0113/2017/01/01/363616.html

リンク先大まかな地図もあって、「横浜」も見える。横浜の先端付近馬車道駅の辺りだ。

 

横浜開港

こんな田舎埋立地だった横浜だが大転機が訪れる。

ペリー黒船がやってきて幕府に門戸開放を迫ったわけだ。幕府はイヤだったが大砲デカ動力軍艦で脅かされては何も言えない。

そこで江戸に近すぎると困るので距離が随分と離れて交通も不便だが不便すぎないという場所を探していた。そこで白羽の矢が立ったのが横浜ってわけ。

今の大桟橋の途中にある「象の鼻」はこの幕府が作った横浜港の防波堤だったものだ。

 

鉄道開通

横浜の名の由縁はこれで終わりだが、横浜駅横浜村が大きくずれてる説明必要だ。だからもうちょい書く。

幕府は倒れ明治政府汐留横浜の間に鉄道を敷くことになった。

さてここで問題になるのが、野毛山を挟んでもう一方の剃り込みだ。

話は前後するが、高島町駅から浅間神社を結ぶ、県道13号より南側幕末にすでに干拓されていた。

https://maps.app.goo.gl/nuiDnwfHNRUhaT2cA

平沼さんが3代に亘って工事をやった平沼新田岡野さんが2代でやった岡野新田などがあり地名として残っている。

すると陸地を通ると神奈川宿京急神奈川駅付近)→浅間神社高島町という迂回ルートになってしまう。

そこで、神奈川宿から高島町に掛けて海の中に土手を通してそこに線路を敷くという思い切ったコースにした。

終点横浜駅現在桜木町駅だ。

 

こうして嘗ての寒村だった横浜村には鉄道が来て倉庫街や歓楽街官庁街、商社街や異人街が出来て異人さんが闊歩するハイカラな街となったのでありました。

 

漂流する横浜駅

さて官製鉄道神戸まで延長される事になったのだが、ここで厄介なのは横浜駅(現桜木町)の存在だ。横浜駅から延長すると遠回りになるし港南区丘陵地帯を突っ切る必要が出てトンネル必須になってしまう。

から本線は神奈川駅から保土谷に直行して、横浜駅盲腸線扱いにした。でも大事な駅なので通過はできず、一度横浜に行ってから機関車を付け替えて神奈川に戻り、再度機関車付け替えで神戸へ、という運転をしていた。

クソめんどくせえ。

客もめんどくさいが貨物は更に、で運転系統がややこしいので横浜駅貨物が溜まりまくってしまい、神戸から送った荷物郵便汐留着が1ヶ月以上先、とかがザラになってしまった。

これに陸軍はぶちギレ。鉄道省に文句を言ったが改善しない。しかも当時の役人は元武家ばかりなのでメンツに拘り軍といえども罵倒なんてしたらエライことになる。

なので陸軍の持ち出しで保土谷→高島横浜という線路を敷いて軍の貨物は優先で動かせるようにした。

 

鉄道省も横浜駅の扱いの厄介さと滞貨には頭が痛かったので、盲腸線方式を辞める事にした。最初線路東側線路を新設し、陸軍が敷いた線路に繋げる。で、その繋げた辺りに横浜駅移転、元の横浜駅桜木町と改称した。

https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=35.456283&lng=139.626467&zoom=15&dataset=tokyo50&age=1&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2

 

しかし見れば判るが港にも繁華街ビジネス街からも遠くて不便で、かなりの不評だった。

そこに関東大震災。新しい駅は木っ端微塵に崩壊してしまった。

そこで三度目の正直で、どうせ不便なら分岐点の方がいいだろという事で、今の場所横浜駅移転したのだった。2代目の駅は基礎だけが残っていて、マンションの公開空地として公開されている。

https://maps.app.goo.gl/ZCBUxiAJ9RwfSxvw5

 

3代目駅はもう最近まで海の上だったところで、全く何もないとんでもない場所で今で言う秘境駅だったが、今までと違うのは、帝都震災復興と開発計画が付随していた事だ。

市電が来て新しく開通する東横線京浜急行東海道線立体交差する様に建設されていた。ただ、駅の西側に残っていた水面の埋立地戦後米軍摂取されてしまった。

しか高度経済成長期に摂取解除されると商業ビルが一気に立ち並び、それで横浜=現横浜駅付近認識されるようになったのであった。

因みに駅西側に残った水面は平沼と呼ばれていた。平沼という地名が近くにあるので誤認されたものだ。元は平沼さん埋め立てしたところが平沼なので間違いなのだが、国が発行する地図にも平沼と書かれていた。

 

と、こういう経緯。

横向きの砂州横浜→埋立てで砂州消滅横浜開港鉄道横浜駅場所邪魔素寒貧海辺移転駅前米軍接収解除で繁栄→今はそこが横浜という流れ。

駅前徒歩2分くらいの場所に金港という港があるのもこういう経緯による。

2024-08-19

クルド問題で良くやり玉にあがる解体トラックの積載とヤード問題に就いてパート1

産経新聞が報じているクルド人ヤードで大騒ぎ問題に関して。因みに本稿では記事事件のものには触れない。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sankei.com/article/20240818-Q7DJ43L7IVGBVIXACY4JX5FRBY/

 

トラック制裁制限

産経記事では冒頭に「過積載の(解体業)トラック」の写真掲載されている。Xでもよく同じような写真が「クルド人解体屋の過積載トラック」として掲示され「何故か警察検挙しない!」と指弾されている。

これらは違法積載なのだろうか?

 

道交法は近年改正され、車両からのはみ出しの制限が緩和された。

後方については車両長の20%以下となった(はみ出しが後方だけの場合)。これはいすゞエルフ2t積みの場合全長が4.7mなのではみ出しの最大は940cmとなる。写真トラックはそんなにでっぱっていない。

 

側方については片方10%づつの両方で20%までが可能になった。

産経写真トラックは上の方が広い積み方がされている。一番上に畳が2枚並んであるのでこれを基準に幅を考えてみる。

畳は地方により寸法が違うが関東で使われる江戸間だと短辺は88cmだ。これが2枚で176㎝。真ん中に間隙があり、柱も一本挟まっている。また少し斜めになっている。それらを修正すると188cmくらいか

エルフの全幅は1.7mなので両側合わせて34㎝まではみ出し可能だ。幅は1.7+0.34=2040㎝まで積載okであるから全然余裕である違反ではない。

 

では高さは?というと、実は規制がないのだ。いくらでも積んでいい。

でも道交法では「道路運行する車両の最大寸法」が決まっていて、3.8mとなっている。だから荷台の高さに拘らずに全車3.8mまで積める。

しかし3.8mというのは観光バス屋根とか電車の2階建てグリーン車屋根の高さで、とんでもない高さだ。だからトラックでそこまで積むという事はあまり無い。で、写真トラックもそこまで積んでいない。見たところ3.2~3.4mくらいだ。

 

重量は?というのは測らないと判らない。でも間隙が多い廃材なので重量はそこまでいかない。2tくらいではないだろうか?因みに木造住宅の重さは30坪2階建程度で30t強といったところ。検索すると1600kg/㎡という数字が出てくるだろうが、これは家の積載荷重と耐雪荷重を合わせた重さで、自重は半分程度になる。また壁材のモルタル石膏ボード漆喰を合わせた重さだから木材だけだと大した事ないのだ。

 

となると、これは過積載でも何でも無い定積載なのだ

 

トラックの積み方

トラックに積む場合、まずはあおりの内側にコンパネなどで壁を造る。その中で安定するようにテトリスみたいにぴっちり積んで、時にTスピンなんかも駆使して動かないようにする。

コンパネ壁の上に来たら安定する大物を外側に積んで真ん中の方に小物を積んで行く。これもテトリスっぽいな。

いい所まで来たらロープを掛けて思い切り絞り完成。コンパネと大物が押さえになって荷崩れを防止する。

 

多分、Xとかで騒いでいる人らは平トラックの積み方知らないのだろう。なので解体屋のトラックを見たら全てで「過積載」と騒ぐ。しかも慎重に情報を流すという動機がない。

しかも後ろからではドライバーが何人かなんて判る由もない。クルド人かどうかなんて聞かないと判らない。更に言うと撮影場所がどこかとかどこナンバーかというのも確認しないしその動機もない。

警察はなぜ検挙しない!」ってそれは平トラックの定積載だからだ。アホやね。

 

ヤードの中が見えない問題

ヤードっていうのは物流基地屋根のない構内をいうのだが、特に自動車解体屋の車両置き場の事も指す。最近ではそこから建築業の資材置き場や金属スクラップ置き場なんかのことも指す。これは自動車解体屋のヤード誤用っぽい転用だ。

で、この自動車解体ヤードは簡易な壁で仕切られて中が見えない、中で盗難解体しているのではないか?と言われ、それもクルド人問題として語られる事がある。

 

だがこれは無体な論難だ。壁を建てるのは法規制に拠る。

昔の自動車解体屋はテキトーで、その辺に廃車を積み上げ、外して売り物にするエンジンやボディーパーツをその辺に積み上げていた。

だがこれだと廃油や廃冷却水がタレ流しになって土壌にしみ込んでしまう。廃冷却水は河川流れると魚毒性が高い。

そこで各条例でこういう規制が出来た。

・1.廃車置き場と作業場コンクリ打ちして排水路を作り、オイルトラップを設置せよ

・2.1が難しい場合作業場だけコンクリ打ち+排水路+オイルトラップとしてそこで全液体を抜いてから廃車置き場に置け

・十分な高さのある塀で囲って部外者が入れないようにせよ

 

最後の塀は子供が入り込んでかくれんぼをしてたら転落したり、車ごとプレス機に突っ込まれキックアスの悪役みたいな死に方するのを防ぐ為の規制だ。

増田学生時代、金がないかマイカーは買えなかったが整備の腕は幾分あるのでバイト先の友人に駆り出されて工具箱持参で解体屋にフォークリフト86の廃車を下ろしてもらいミッション自分たちで外したり、シルビアのノンスリップデフを外したりして金払って帰り、それらを交換したりしていた。日産のL型エンジンは重かったな。

でも今はそういうのは出来なくなっていて、勝手ヤードの中歩いたりさせてくれないしそもそもから見えないか在庫が判らない。つまらん。

こういう仕事は当然がっつり汚れて暖房冷房も無いところで働くから人気が無く、外国人従業員が多くなっている。

それで色の黒いガイジンヤバいとなって、「中が見えない=犯罪?」と連想ゲームになるのだが、法規制ぐらい知っておけという話である

 

事件地の推定

「本稿では記事事件のものには触れない」って書いがあれは嘘だ。やっぱ記事の中身に触れたくなったわ。というのも地理的条件説明したいから。

 

記事中に「(川口)市東北部とあるが、市の東北側には人家がまれ地域があるのだ。一つは旧見沼、もう一つが木曽呂という地区だ。

 

見沼

 

江戸時代まで川口から大宮にかけて見沼という巨大な沼があった。土木工事狂の三代家光になると、見沼の下の方に堤を造って、今の川口市~足立区開拓する事になった。その直接指示官は利根川東遷事業荒川西遷事業を為した治水土木界のチャックノリス、かの伊奈忠治である

そこで八町堤が築造され、見沼は巨大溜池となり、その南は広大な田圃となって幕府石高を上げ、財政情況改善したのである

ところで荒川はそれまで元荒川を流れていたので、上尾より下流入間川けが流れていた。しかしこの入間川下流は今の荒川と相当に違う所を流れていた。

指扇付近からは今の荒川の西を蛇行して流れ、中浦和駅武蔵浦和駅南浦和駅浦和シリーズスランプラリーしてるみたいな流路を取ってから浦和競馬場に踵を返して川口市を横切り今の外環道クロスして、川口オート→毛長川→八潮という風に流れていた。地方競馬からオートレースはしごかよ。

で当時綾瀬駅を流れていた利根川に合流して自由に氾濫し辺りをぐちゃぐちゃにしていた。オケラオヤジの大暴れみたいな奴である

この川も荒川西遷で廃川になったので広大な土地を開墾でき、その辺は川が無くなったから見沼の溜池で潤すって感じだ。

この川の痕跡戦後すぐの航空写真にはくっきりと写っている。

https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=35.841125&lng=139.699960&zoom=14&dataset=tokyo50&age=10&screen=2&scr1tile=k_ort_USA10&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2

河川跡は出水やすいので田んぼとし、その横に形成された微高地自然堤防曽根)に集落を築いていたので川跡がくっきり残ったのだな。

 

享保の改革吉宗時代になると、見沼に泥が溜まって貯水力低下。そこで、見沼を全部干拓しちゃえという事になった。でもそのままじゃ水が足りないね。そこで見沼代用水という用水路を作るのだが、どこから取水してるというと羽生なのだ。見沼から60㎞以上あるのだ。

途中には当然沢山の川がある。そこでどうしたかというと、全部立体交差で通したのだ。江戸時代なのにちょっとイカれた工事だ。舎人ライナーに見沼代用親水公園って駅があるが、この代用水とは見沼の代わりの用水って意味なのだな。

それ以来、旧見沼は田んぼ地帯となっていて、地盤も悪いし土地が低いか都市化した後もそこに家を建てたり開発行為をしてはならないという規制が敷かれている。

武蔵野線東浦和東川口間、東武野田線大宮公園~大和田七里岩槻で突然住宅街が途切れて田園地帯や荒れ地が広がるのを見た事ないだろうか?あれが見沼なんである

 

で、八丁堤の下にあたる川口市の方は開発一切禁止というんじゃなくて調整地域という形になっている。これは一般都市計画建築物規制するやり方で、住宅工場などは建ててはならない。でも例外が設けられていて、学校病院特養ホームなんかはokなので、家は無くそういう建物ばかりが閑散に建つという風景になっている。

建物規制なので駐車場など建物がない用途では規制されない。すると、中古車屋(事務所は移動可能プレハブ)、解体ヤード建築資材置き場などは規制されないのでそれらが集まってしまい、景色としてはあまり良くない地域になっている。

 

パート2→https://anond.hatelabo.jp/20240819185125  

2024-05-17

anond:20240517161340

都会の道の複雑さを是非体感して欲しい

10mごとの交差点普通交差点に見せかけた五叉路、交差点に見せかけたT字路(一本は私有地搬入口)、「右折」って右側にある三本の内どれだよってなる交差点、四車線ある一方通行、二車線で路駐あり&右折用車線なしの幹線道路、知らないとパニック必至の立体交差、車間距離10mで速度維持しないといけない首都高駅前スーパーといった歩行者車道軽率に出てくる生活道路歩行者天国でもないのにほぼ歩行者天国な渋谷センター街、ふらっと出てくる自転車・LUUP、信号なし横断歩道での歩行者との駆け引き迷子になっても停める場所Uターンもできない環境ビルしか見えないので方向を景色見で確認できない環境、狭すぎる駐車場etc

都会で車乗るの結構大変なんだよ。

免許取るなら合宿免許おすすめ

2024-05-03

anond:20240501104541

武蔵府中熊野神社古墳

後ろに東芝エレベータ試験棟が見える映えポイントだと思う。

日野バイパスに抜ける立体交差が開通してるようで開通してないから注意しよう。

2024-04-26

鉄道会社って儲かってるくせに開かずの踏切なんとかしないのか

京王線とかすぐ立体交差か地下化すればいいのに

いったい何十年ほったらかすんだろうな

というか都心部踏切2050年くらいまでに全て撤去できるような計画をするべきでしょ

26年くらいあればできるでしょ

地方ならまだしも都心部でできないのは怠慢

2024-03-18

川口駅に関してほんのちょっとだけ語る その2

その一 https://anond.hatelabo.jp/20240318182037

 

 

地下街があった

東口の地下に何やら変な駐輪場があるのだが、実はこれは1990年までは地下街であったのだ。出来たのは1960年代のはず。

天井低くてしょぼいし店舗も狭いし店も昭和中期っぽくて古いしで、テコ入れされないままに90年に廃止

というのも、90年にそごうが出来る事になったので、橋上駅の高さのままにデパートに入れるペデストリアンデッキを築造し、地下じゃなくて上の方で発展させる方向になったのやね。

で、駅の真ん前のデッキの基礎を建てるには地下街通路邪魔。って事で、通路を閉鎖してデッキ基礎が貫通する形になった。残りの部分は店舗仕切りなどを取っ払って駐輪場へ。

なので一部閉鎖区画があって鉄板や木の板で塞がれているのだ。増田はここにどうにかして侵入できないかを昔から考えているのであった。

 

川口の乗越線と三菱重工爆破事件関係あるって?

ちょっとあるよ。

本来東アジア反日武装戦線「狼」はお召列車爆破と昭和天皇暗殺を狙っていた。場所東北本線貨物線荒川鉄橋。

1968年まで赤羽以北の東北本線は貨客混合の複線だったが、輸送力増強の為に複々線化されて貨客分離された。これでお召列車貨物線を走るようになった。原宿駅お召列車ホーム自体山手貨物線接続されているから。

そうすると、貨物線橋梁爆破しても一般人危害は与えないという事になる。そこで一味は爆弾設置の為に電線を設置しにいくが、人影があり、付近徘徊しているので恐れて中止した。

そこで目標を変更して三菱重工爆破事件に至ったというワケ。元の一般人への危害回避はどこに行ったんだ。川口の乗越線はやっぱりこの貨客分離が元だから関係があると言えば関係がある。

wikipediaの虹作戦の項には「爆弾を仕掛けようとしたのは旅客線」と書いてあるが、これは間違いじゃないかと思う。そこは間違えんだろうし、増田が聞いていた話と違う。

 

そごうってどうなってんの?

東口駅前そごうそごう西武グループが売却してゴーストビルのままになってるが、三井が取得する見通しと、去年市議会で報告があった。三井という事はララガーデンかららなんとかとかららクロフトかになるのかと思われる。

しかデパートというのはハイコストハイリターンの業態に合わせた建物で、コストメチャクチャかかるんだな。それは冷暖房費やエレベーターエスカレータなどもそうだし、搬入口が狭くて外部の納品代行業者経由で整理して混載で搬入するのでないとパンクするっていうのもある。

から巨大ダイソー一棟貸しみたいなのなら行けるが、色んなテナントが入って納品代行は使わないっていうのは無理など、難点が多いのだ。

そもそもデパート損益分岐点って日商4000万円とかそういうレベルなんでショッピングモールなんかに入るテナント業態が合わないのだ。

からどうなんのかなと様子見。結局開店が流れちゃう可能性もあるね。

 

SLあおば通りってSL走ってたの?

SLあおば通りって道があって、ファミマSLあおば通り店っていうのもありhttps://maps.app.goo.gl/fWvvCmGbAjvhLPZw6 、道筋にはSLオブジェとかもある。

でもこれインチキなんだよね。ここに線路があった事ってないんだ。

アリオは元はビール工場で、そこと川口貨物駅の間にユニオンビール専用線という貨物線があった。でもその専用線は現線路に平行していてJR保線基地に使ってる。

そこでビール工場跡を再開発するにあたり、専用線跡を記念するオブジェを配置したい、でも専用線跡はJRが使ってる…って事で隣の道を指定しちゃったと思われるのね。こういうのは混乱の元だから止めて欲しいですな。

 

地下道入口付近に巨大石碑があるが読めん

あるね。https://maps.app.goo.gl/dGPVNnEXP6hMg3n26

植物の繁茂で全然読めないが、実は同じものが陸橋の西詰にあるよ。https://maps.app.goo.gl/GNdf7d4UP3eT9aYj7

石碑の内容は、整圃事業の謝辞だよ。戦争中にまだ農地ばかりだった駅付近一帯を碁盤目状に土地区画整理をして、その協力した地主達を名上げして感謝している。川口江戸から離れ鋳鉄で栄え舟運で製品を出荷してやがて鉄道が来て~という事を漢文で書いてある。

この区画整理を戦前にやっておいたせいで、戦後に鉄の民需が爆上がりした時に鋳鉄工場が大量に出来て鉄の街となったのだな。

 

また、最初の碑がある場所というのは実は大踏切があった場所だ。駅の方から来た道が斜めに線路群を渡り、対面の斜めの道に踏切で抜けていた。

でもこれは当然危ないわけで、昭和30年代に埼玉県荒川大宮間の踏切を全部立体交差にする工事をしたのだ。それでこの大踏切廃止になって代わりにこの北の川口陸橋が掛けられた。

因みにこの陸橋の開通セレモニーでは神主が来てお清めしから神主渡り初めをしているのが写真に残っている。

から王子から赤羽には踏切が幾つか残っているのにその北の大宮には踏切が無いのだ。

多分西詰の石碑は元は大踏切の反対側にあったのがこの時に移動されたのではと思う。

 

なんで川口はタワマンばかりなの?

そりゃ工業地帯を転換したからよ。

タワマンというのは住宅地には建てられないの。日影規制もあるし、日照権も主張できるからあとから訴訟になる。

でも商業地工業地ではそれらは主張できない。だから工業地帯から転換した地域はタワマンに最適というか、それ以外では建築が難しいの。

更にタワマンには建物の周りに公開空地を設けないとイケないのだが、「大規模な町工場」というのはこれで必要とされる広さに丁度いいのだ。

そういう訳で、川口にある〇〇製鉄、○○鋳造なんて名前会社は、多くがもう工場を持ってないか縮小して他所移転していて、不動産業メインの会社ばかりになってる。

日本初のタワマン川口元郷のエルザタワー32なんだけど、ここは日本ピストンリングというエンジン部品を造っていた会社工場だったところ。

因みにピストンリングは昔は鋳鉄を丸く繰り抜いたものが使われていた。鋳鉄には細かな穴が沢山あるのでここにオイルを保持して焼付き防止になっていたのだ。って事でやはり川口なので鋳鉄なのだ

 

東口にイート川口ってビルがあるが、パチンコ屋ばかりじゃね?

実はここは元は丸井だったのだ。丸井は0101って書くやろ?

その丸井が閉店になって共同所有になり、ビるの愛称を決めた。もとが0101だから1110って訳でシャレや。

 

その他川口面白いところある?

西口から徒歩7分くらいの所に飯塚氷川神社という神社がある。https://maps.app.goo.gl/fKh6qXTZGCNTYGRE9

ここだが、境内結構古い社務所があるのだが、なんとこの社務所選挙投票所指定されている。中は畳と板張りなんだが、そこに土足で入れるようにシートを敷いて投票箱と記帳所を置いて公職選挙が行われる。

すげえ田舎離島神社投票所というのはあるだろうが、東京都から徒歩10分、駅で一駅のタワマン林立地帯でこんな投票所があるというのは珍しいんじゃないか

好事家の皆さんは選挙の日に覗きに来てはどうだろうか?

 

荒川河川敷に教習所みたいなのがあるけど何?

何?じゃなくて教習所や。元々地産グループ教習所だったが、グループ首魁が逮捕された影響で元会社倒産、売りに出されて飛鳥ドライビングカレッジとなっている。

ここだが、ちさん時代から教習料が安いのが特長。都心から近いのに首都圏で一番安いという穴場なんだな。免許取りたい人はイイゾーここ。

因みに2019年台風19号の増水ではコースが7mの泥水の底になって、後にはコースも見えない泥の沼が残り、教員たち総出で泣き泣き泥かきをしたそうだ。

 

 

以上、川口についてちょっとだけ書き記した。

川口駅に関してほんのちょっとだけ語る その1

上野東京ライン川口駅停車が正式決定されて「あそこは乗降客多いから当然」とか「停車駅増えるのヤダ」とか巷間喧しいところであります

そこで川口駅の事をちょっとだけ知っている増田川口駅のあれこれを少しだけ説明するよ。

 

川口市ホーム増の為の土地をずっと確保してした…が足りない件

川口駅西側1980年代までみっちりと町工場が密集していて、特に線路に面したところは国の燃料研究所(後に公害研究所)という大工場があったので、西口広場ってものは無かったのよ。

この公害研が廃止され環境研に改組されたのでその空き地西口ロータリーを造る事になった。

だがこの当時に、今の湘南新宿ラインの元になる東北本線池袋乗り入れが開始されたってわけ。

そこで川口市は駅の西側にこの列車用のホーム増設できるように何も建てない土地をワザワザ造って、「池袋支線停めてよ」アピールをする事にしただった。

場所はここ。https://maps.app.goo.gl/eiJk19EmifLCYrzCA

川口西口緑地噴水ってのがそれ。

 

しかし、これ無理だろ?と気が付いた人も多いかと思う。現在湘南新宿ラインは15両編成だから隣の10両用京浜東北線ホームの1.5倍になり、ホームを造るには全然長さが足りないんだ。

なんでこうなったの?というとその後の川口市がいけないのだ。

実はこの「川口西口緑地噴水」の場所駅前ロータリーだった場所なのだ。つまり道路。こんなせせこましい場所バスの方向転換とかどうやってたんだか?

で、ここは大きなロータリー別に造るから廃止になるんだけど、池袋支線のホーム用地にしよう、という事で期待を残して建物を建てなかった。

だけども公害研跡地再開発では人工地盤の巨大公園、更にその下の1階と2階にはコンクリート製の駐輪場を造ってしまったのだ。ホーム用地にすんのかしねえのかで全く平仄が取れてねぇ。やる気に統一感がなかったのだ。

からホームを造る為に線路敷きを拡幅するには立体駐輪場公園を一部破壊する超高額な工事をせにゃならん。

 

詰んでるじゃん。…ところがそうではないのであった。

 

川口市は駅の東側土地を沢山押さえている

駅の東側線路際に大きな駐車場が見えるだろう。ここ、実は川口市土地なんだな。だからここを利用して線路全体の線形を変えるって方法でも行けるって訳だ。

 

この駐車場土地って何よ

なんで川口市がこの土地持ってるの?かというと、ここは川口貨物駅だった場所なのだ。正確には貨物駅東口のきゅぽらという高層建物、その隣の駐車場、タワマン場所にあった。駐車場場所貨物駅に入る為に線路輻輳してあった場所だな。

 

国鉄は超大赤字を積み上げており、特に貨物営業に人が多すぎで、人件費が莫大だった。

そこで国は思い切って貨物営業をほぼ全廃してしまう事にした。石油の直通便とかコンテナだけ残す。

それで全国の貨物駅遊休施設となった。例えば都心部だと新宿高島屋スクエア渋谷南口オフィスビル群、汐留電通とかあのあたり、秋葉原ヨドバシなど、飯田橋3丁目のオフィスビル群などは貨物駅だった所だ。

 

次に国鉄民営化する事になり、その遊休土地国鉄清算事業団に移管される。売却益を赤字補填にするというスキームやね。

それで川口貨物駅施設川口市ががっぽりと全取りしたってわけ。

んで駅南側は立体公共駐車場とか貸しビル図書館市役所出張所のきゅぽらなんかを建てた。そして北側はそのまんま。何分元が複々線線路から狭くてビル建てるには手狭。でも元が線路から線路用地にするのが一番やね。

 

但しそうなると駅全体を改造する事になるから工費はかなりのものになる。新駅ビル建造込みの工事になるかと。

因みにこういう時、JR線路部分の工事は他社にやらせないで自ら発注するのしか認めないのね。事故があるとヤバいから。だから自治体に金だけ貰うって形になる。

 

ただ、この全体線形変更案は増田の予想なんで、実際はどうなるかは判らん。立体駐輪場公園を壊してホーム用地を西口方に確保するかも知れないし、南の方へ伸ばして途中の家屋を買収するかも知れない。そこはまだ全然決まってない。

 

あと、東口の駅舎(と言っても階段があるだけ)と京浜東北線ホームとの間に隙間のデッドスペース飲食床屋店舗群があるけど、そこも川口市有地でここも活用できる。

とするとやっぱ全体を東に移して駐車場活用案にあるんじゃないかと思われる。

 

川口駅FAQ

 

川口駅西川口駅の間にある高架みたいのって何よ?

電車に乗ってると気になるこれだけど、 https://maps.app.goo.gl/uPyzTQ8tn1QQhPTQA

これはなにかというと、貨物駅に入る為の乗越線だったものだよ。

貨物駅貨物線(現湘南新宿ライン線路)と反対側にあるから貨物列車が駅に入る時には東北本線京浜東北線を全部横切らなきゃならない。その為には全部赤信号にして止めなきゃならないから大遅延の元になる。

そこで乗越線で立体交差にした。

昭和43年まで赤羽から大宮京浜東北線東北線複々線だったんだけど、東北線高崎線特急を増発する際のボトルネックになっていた。貨物列車が多いし、新幹線が無い時分だから新潟行きも仙台行きも秋田行きも青森行きも全部ここを通る。

そこで貨物線を増設して貨客分離する事にしたんだが、問題になったのが川口貨物駅貨物線と反対側にあるこの駅に線路を全部渡って行くったって、既に京浜東北線通勤ラッシュ常態化で、東北線列車増発の為に線増したのにボトルネックを造ってどうする。

ってことでこんな大がかりなものをこしらえた。

 

因みに運転結構大変で、なにぶんにも片方しか入れない。そこで下り列車であれば、一度蕨駅まで行く。そこで機関車を後ろに付け替えて今来た方に出発。西川口付近で乗越線に入って川口貨物駅に到着。

逆に上りでは駅に着くのは普通でいいが、出発後はやはり蕨駅まで行ってから機関車を付け直して赤羽方に出発という何とも迂遠方法を取っていた。

 

貨物駅廃止不要になった筈だが、廃止された線路の一部を保線基地転用した為に、この乗越線を使って湘南新宿ラインの方にレールを輸送するので残されている。

 

そもそも貨物駅貨物線と反対側にあったのがいけないのだけど、川口アリオ場所ビール工場があったのでこっちに造られた。ビール輸送鉄道貨物の大お得意さんであったので無視できないのだ。

因みにビール工場がここに設置された理由は、見沼代用水の分水が取水できた為で…(以下略

 

きゅぽらって名前は何よ?

鉄の鋳造で使うキューポラから取っているよ。

鉄の製造には3種類あって、

1.鉄を融点以上に加熱して砂型に入れて固める鋳造(出来るのは鋳鉄)

2.鉄を加熱してハンマーで叩いて形にする鍛造(刃物など)

3.圧延ロールで押しつぶして板状に、またはパイプ状や棒状にする圧延

というのがある。今一番使わているのは圧延で、何段にも圧延ローラーを掛ける為に長いライン必要になるので工場資本も巨大になる。量産効果製品単価は低くなる。

川口で多かったのは鋳鉄で、町工場ばかりだった。

キューポラ炉はたたら製鉄の応用で、コークス石炭を乾留して硫黄分などを飛ばしもの結構高い)→鉄→コークス→鉄とウエハース状に重ねて入れて鉄が溶ける温度を確保する。

入口が2~3階にあって取り出し口は1階という結構大がかりなものです。

鋳鉄は炭素が多いので、コークス温度を上げるだけじゃなくて鉄に炭素を含有させる働きもあるのだ。

このキューポラが沢山稼働していたから昔の川口大気汚染がすごかった。炭塵だけじゃなくて鉄が溶けた蒸気(ヒューム)も混じってるから健康には悪い。

 

あと一つ入らないのでその二に続く

https://anond.hatelabo.jp/20240318182134

2023-11-19

anond:20231117171729

東京周辺の道みたいなしょっちゅう工事してるところを古いナビしか載せないで走ったら、今でも記憶だけで何とかしなきゃいけないだろ

俺の車のナビ上では江戸橋ICはまだ使えて、環二のトンネルは全通しておらず、新宿御苑明治通りバイパストンネル高田馬場駅近くの諏訪通りの立体交差存在していないことになってるぞ

2023-08-29

なぜ亀有に行くのが難しいか解説してやんよ

これ https://b.hatena.ne.jp/entry/s/trafficnews.jp/post/127759

関西人亀有行くのが難しいという嘆きに対して「老害じゃね?」「スマホ乗換案内見ろ」と好き放題な罵倒がされているが、はっきり言って亀有を含む、JR常磐線綾瀬金町に行くのは東京もんでも難しんだよ!

増田東京西側ばかりで活動していて、ある日仕事亀有の隣の綾瀬に行くことになった。だが路線図を見て行き方が判らなくなってしまった。

何故なら乗換駅のJR北千住駅には綾瀬金町に行く各駅停車ホームが無いのである

 

迷惑乗り入れ

実は常磐線列車線と緩行電車線の複々線になっており、各駅停車が走る緩行線綾瀬地下鉄千代田線に直結している。

北千住綾瀬の間は地下鉄千代田線なのである

当然北千住ホーム場所問題となる。普通はこういう時は北千住駅手前で地下鉄が地上に出て常磐線に並んだホームで乗り換えできるようにするじゃない?

ところが北千住ではそうならないで地下にホームがあり、その地下の北千住駅を管理しているのは地下鉄なのだ。途中駅なのだから当然だ。

からJR常磐線各駅停車北千住駅は無い」というとても奇妙な事になっている。

乗換駅がJR地下鉄接続駅じゃなくてその次の快速以上が止まらない綾瀬が両社線の接続駅なんて無茶すぎる。

渋谷とか新宿以西でばかり活動していた増田はこんな無茶な構造になっている事は知らなかった。

からマジで綾瀬駅に行く方法が判らなかった。

 

この構造千代田線乗り入れ開始で出来たのだが、綾瀬亀有金町の人らは激怒したらしい。

それまで例えば亀有から上野は一本で行けた。だが乗り入れ後は北千住で乗り換えで、更に地下の地下鉄ホームから高架の常磐線ホーム階段で上がる必要があり、やたらと時間と体力を食う。更に当時は地下鉄路線がまだ少なくて都電が現役だった頃だ。地下鉄都心に直通出来るメリットも少なかった。

 

複雑怪奇列車種別

常磐線には

特別快速

普通

快速

各駅停車

という列車種別がある。普通各停普通快速特快の順で速くなると思うわな。

ところが普通快速より速いというのが常磐線ワールトである

しか各停地下鉄に直通するから行先が違うという複雑怪奇である

快速っていうのは各停の駅を飛ばすから快速らしいのだが、走る線路が違ってこっちは地下鉄に入らない。

しか普通より遅い。

昔は「普通」は機関車の曳く客車ボックス席車で、「快速」は通勤電車だったので何となく判り易かったみたいだがJRが全部通勤電車にしてしまったので訳が判らなくなった。これも関西人じゃなくても混乱するポイントだ。

因みに普通列車由来なのでトイレがあるが快速トイレがない。ならば便通の方が適当ではないのか?

 

昭和初期に遡る

記事では、列車種別ごとに別路線のように描くのは、昭和中期の国鉄5方面作戦がどうこうと鉄オタ好みの説を書いているが、そうじゃなくて戦前昭和初期の電車網築造に遡るのだ。

まず、京浜東北線東海道線東京東北線上野で分断されるのに対してこれらを直通して、更に東北線の方は尾久に車庫を作って列車線の方は車庫の向こうを回る形にした。すると途中の駅が違ってくる。そしたら別路線として案内した方がいい。

山手線。これは大正の終わりから環状運転を始めた。田端東京品川東海道線東北線だが跨って走る上に渋谷の方に曲がっていくからこれも別路線扱いで案内した方がいい。

中央線総武線複々線にしたのだがこれのキモ秋葉原駅で、中央線お茶の水から分岐して秋葉原立体交差総武線の始発だった両国に繋ぐ路線建設

地上2階くらいを走る京浜東北線の上を跨ぐために街の上に高架を作るというのは当時は先進的であった。しか秋葉原駅東側(今のTX入口ロータリーアキバヨドバシ)には貨物荷捌き場と舟運用の堀があり、それを跨いで地上6階くらいの総武線ホームに直通するためのエスカレータもあった。

当時エスカレータ銀座の高級デパートくらいしか設置されていなかったのに駅に設置されるというのは相当に革新的に写ったと思われる。

また、御茶ノ水駅前後代々木駅新宿駅には乗越線を築造した。

お茶の水前後で一本づつ乗越しして、これによりお茶ノ水で東京方面両国方面乗客が同じホームの反対側で乗り換えが出来るようになった。

新宿山手線総武線中央線各停)が同ホームで乗り換えが出来るようにした。

今もあるあの便利な乗り換えが出来たのは戦前なのだ工事量が2倍に増えるが当時の当局利便性を優先した。「立体交差ダイナミックさ」に取りつかれていた感じがしなくもない。

 

こういう感じで、

1.別路線縦貫する、更に他の方向へ行く路線を作ったため

2.同ホームの表裏で別方面へ行く乗り換えを作ったため

大正末~昭和初期に複々線の同じ線路を走る電車を別路線として案内するのが一般化した。そして駅名表にもその電車が止まる駅だけ表示するようになったので、実はかなり古い方式なのだな。 

 

因みにだが、その別路線扱いの電車をそれぞれ違う色に塗るというのは昭和30年代後半に始まった。

更に路線が増えてきた営団地下鉄がその方式拡張して、電車だけじゃなくて駅もテーマカラー統一して、乗換案内を色で示すようになると、これは大変判り易い上にサインシステムとしても優れていると絶賛され、各国の地下鉄も同じ方式をやり始めた。

今はどこの国の地下鉄路線ごとのテーマカラー統一されていてありふれたサインシステムだが、そのオリジナル東京交通営団で、更にそのオリジン国鉄で、その国鉄昭和初期の別路線扱いの案内法をもっと判り易くする為に路線カラーを始めた訳なのだな。

 

から亀有に行くのが判り難い」というクレームは叩き潰すんじゃなくて、先祖が始めた判り易い路線システムサインシステムの流れに反する退化だなと考えないとダメなんじゃないかと思うところだ。

2023-08-09

むさしの

っていう、八王子から普段は直接行けない大宮まで行く列車があることを知った。

どうやって中央線立体交差している西国分寺から武蔵野線に入るんだろう?と思ったけど、いっこ手前の国立から貨物用の線路を使うらしい。

けれど、いくらGoogleMapの航空写真を見ても分岐路線が見つけられない。

と、書いていたらようやく見つけた。地下だし貨物線だし地図には出さないのか。

https://goo.gl/maps/gSEoZVe16So284LdA

2023-07-16

https://news.yahoo.co.jp/articles/2fddd56b7974ae54673e3c41595c73efb258d253

もちろん、無謀に踏切侵入した2人が悪いのは大前提

しかし、この区間立体交差事業により、本来なら2022年(昨年)までに高架化され、踏切が無くなるはずだった。

それを付近プロ市民反対運動起こしたせいで工事が進まず、2030年まで延期になってしまった。

予定通り高架化が完成していれば、失わずにすんだ若い命ではある。

プロ市民人殺しの顔をしよう

2022-10-03

NHKブクマカも雑踏事故を甘く見過ぎ

インドネシアスタジアムでの暴動で多数の死者が出た事件で、NHKがあたか暴力が主原因で170人以上が死んだと取れるような報道をしているが

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20221002/k10013845461000.html

はっきり言って間違いだと思う。素手暴力でこんなに死者は出ない。

一方、雑踏の事故では簡単にこれだけの死者は出る。だからこれは観客席に催涙弾を打ち込んだ警察が原因と思われる。

日本警察であればこんな事はまず起きない。だがこれは日本スゴイって話じゃない。ちょいと説明しようと思う。

 

行政権としての警察権力

警察司法権機関であるだけでなく、行政としても強い権力を持っている。

から雑踏に関しても命令する権限があって、人が集まるイベントを届け出なくやったりすると怒られるわけだ。

店の外の行列放置していれば「ちゃん店員警備員雇って整理しなさい」と言われるし「○○という有名人が△△に来てる」っていうデマを流して将棋倒し惹起したら逮捕される。

 

警備業というのは監督官庁警察になっていて、更に警察官の天下り先でもある。また社長警察上がりというケースも多い。

元々警備業はボディガードなどから派生して色々な形態の警備を請け負うようになったのだが、実はその前から同様の警備請負をする人士達が居た。右翼である

右翼ボディガードだけでなく労働運動潰しなども請負い、暴力行使や時に殺人も行っていた。更に昔の右翼ヤクザと不可分の所も多かった。

 

昭和30年代にTVで「ザ・ガードマン」というドラマ放送されると雨後の筍のように警備業者起業されたのだが、ここに右翼/ヤクザ経営企業舎弟会社が大量に入り込んでしまったのである

警備請負というのは暴力からの防御という仕事が多い。それは即ち対抗するための暴力だ。

一方、警察というのは国家という暴力装置の実行装置だ。暴力装置たる所以暴力の独占であり、警察コピーした暴力世間にあってはならない。

また、道路工事での交通規制でも警備員必要だが、土建業というのはヤクザ企業舎弟が大変に多い分野だった。つまりヤクザ資金源になってしまう。

という事で警備業法というのが施行され、警備業は警察監督庁とする許認可事業で、前科がある人間雇用禁止警備員は法含む研修必須などが定められ、業務が完全に警察の指揮下に置かれたわけだ。

警察天下り先って事で、利益誘導の面もあって警備業の派遣先が増える結果にもなった。「これやるなら警備員を何人以上配置せよ。その配置図を出せ」って何かにつけて言われるって訳ね。

因みに以上の経緯から警備員の装備というのは厳しく制限されているよ。例えば警察署の前で長い棒をついた私服警官が立ってる事がよくあるが、あれは実は軍隊と同じ立哨で立ち方も決まっている。持っているのは「警杖なのだが、あれを警備員が持つことは禁止されてる。警棒の長さや形に制限がある為だ。

兎に角暴力装置代替ダメなのだ

 

日本で雑踏事故が少ないのはこういう戦後の経緯の末に、人が集まる事をせんとする場合警備員の配置と雑踏警備計画を提出させられるからだ。

雑踏での人の流れは流体として考える

 

雑踏警備での鉄則は「一方通行」と「ボトルネックを無くす」である。これは群衆が流体のような動きをするからだ。

 

一方通行にしない場合にどうなるというと、「クサビが噛み合った状態」になる。

例えば広いところの間にトンネル通路がある場合で、通路の両側から群衆が押し寄せた場合通路入口では「通路の半分からはみ出さない」という動機が働きにくいので通路のほぼいっぱいに広がって進行する。

だがこれは反対側でも同じなので、出口付近では人一人くらいの隙間をぬって通る事になる。

これは上から見ると三角形のクサビが噛み合っているような状態になる。効率的には最小化だ。

後ろから押されているので隊列が狭くなると群衆密度が増す。だが人は一定以下では足の歩みが出来ないので押されてやがて転んでしまう。

後ろの人間は前で起きていることが見えないので前にどんどん進行してくる→それらも更に転倒する、となって、転んだ人とのその手前の人間には数百キロ~数トンの圧力がかかり、皆死んでしまう。

これが通路を対面通行にした時に起きる雑踏事故だ。通路一方通行が鉄則なのはこういう理由だ。

 

ボトルネックがあった場合は、細くなる手前で群衆圧力が上がる。

更にボトルネック手前の壁に当たった人間通路に戻ろうとして横から割り込む→圧力が高いので弾き出される、となってそこでグルグル回って出られなくなったりする。まるで落ち葉だ。

でもそうする事でただでさえ高い群衆密度へ割り込まないとならない人が出て局地的に密度が極度に高くなる→転倒事故、あとは上記の例と同じで死亡事故まっしぐらである

から「狭くなる」箇所というのは作ってはいけない。狭い場所があったらそのずっと手前からパイロン等で狭い状態継続した状態にせねばならない。

 

ボトルネックを無くす」の類型に「通路をのばす」というのもある。

立体交差する駅で秋葉原駅階段一本で山手線総武線ホームが直接行き来出来るのに、武蔵野線南浦和駅はわざわざ遠回りして通路を歩かされる。不合理だと思った事ないだろうか?

これは秋葉原通勤ラッシュなどを然程考慮してなかった昭和初期の建設南浦和痛勤ラッシュ常態後の昭和後期開業である為で雑踏事故対策なのだ

電車の降車客は波状的なので、長い通路をダラダラ歩かせてそこで客の波を吸収してしまおうという思想だ。

秋葉原では短い階段ホームに直接客が展開してしまい、群衆密度が高い箇所がホームという危険状態になってしまう。

 

地下鉄高田馬場駅の改札はホーム端の先にあるが、2004年頃の改築でホーム中ほどから改札への通路増設した。

出口は一緒だから一見無意味な改造だ。だが長い通路で吸収して階段の手前で滞留する客がホームに溢れるのを軽減する効果があるのだ。

過去の事例

 

日本の雑踏警備に影響を与えた事故というのがいくつかある。

 

彌彦神社事件1955年

新潟神社で行きと帰りの初詣客がかちあって滞留状態になった。そこでやがて参道石垣が崩れて100人以上の死者。

だが石垣だけに問題があったのではなくて、群衆密度が上がりすぎて路肩にせり出し崩壊したものと思われる。

これは一方通行にしていなかったのが主たる原因の例。

 

日暮里駅跨線橋事故1952年

列車が遅延し、混雑が激化して日暮里駅の板張り跨線橋の羽目板が客の圧力に負けて崩壊。転落した客13人が電車に轢かれ8人が死亡した事故

対面クサビ状態ボトルネックの混合と思われる。跨線橋の角に押し込まれた客が流れに戻れず圧力が高くなって壁崩壊

 

上尾事件1972年

雑踏事故じゃなくて暴動なのだが、国労動労の順法闘争の為にダイヤが大きく乱れてカチ切れた乗客が駅員をぶん殴る、電車を悉く破壊するなどで収拾が付かなくなって機動隊が動員されて鎮圧

翌日から他の駅多数で度たび同じ暴動が発生する国電暴動となって東京カオス状態に。

大混雑と電車がいつ来るか知れないストレスフルな状態の上にアナウンスもせずにいた為に乗客の怒りメーターがレッドゾーン振り切ったの原因。

なのでこれ以降雑踏では拡声器を使ってうるさい程に行列に関する情報を与えろというのが鉄則となった。

 

宇崎ちゃん献血ポスター騒動の地と閉鎖区画フォークゲリラ集会禁止政策

数年前に宇崎ちゃん献血ポスター騒動というのがあった。セクハラっぽいポスター公益性が高い日赤が使うな!という騒動だ。

この騒動は一枚の写真から始まったのだが、このポスターが掲出されていた場所というのは新宿西口JR京王の乗り換え通路である

ここには「新宿駅西口広場イベントコーナー」というのがあり、その対面に「新宿西口献血ルーム」があって、そこに掲出されたポスターだったのだ。

この「新宿駅西口広場イベントコーナー」だが、実はここは1992年頃まで工事バリケードなどで塞がれた単なる閉鎖区画だった。

照明もなく、ホコリが積もったままで少ない資材が置かれただけの殺伐としたところで、居心地の悪い場所だった。

実はここが封鎖されていたのは「新宿フォークゲリラ」という騒動による。

ここが広くなっているのは1966年竣工西口立体化時に地下広場として作られたかなのだ1969年学生中心のベトナム反戦集会新宿フォークゲリラが開かれ、機動隊が導入されて解散させれらた。この際、広場として整備されたもの東京都は「通路」に変更するという禁じ手使用通路公道占拠道交法違反)。

だがこの後も若者が集まり勝手ギター演奏などは続いていた。

そこに起きたのが国電暴動で、新宿駅でも暴動が発生。「別に反体制学生じゃなくても暴動起こすのかよ!」と頭を抱えた警視庁東京都は、別にギター持って屯してた連中と暴動関係なかったが、万一を恐れて乱雑にこの区画を閉鎖してしまった。

 

時代が下って最早反体制なども流行らなくなり、閉鎖区画のせいで逆に荒んだ状態になっている元地下広場有効活用として即売会催事場としての活用をするようになった。

初めはしょぼかったが、やがて政策アピール掲示や地産フェアなど商売がうまくなり、綺麗な内装もされて有用イベントスペースとなってきて人の流れも出来てきた。

そこで対面に献血ルームが出来る事になったわけ。

 

上記のように日本警察は雑踏事故防止に関しては極めて有能なんだが、その反面「人が集まる事」を嫌いすぎるきらいがある。

広場否定論なんだな。あんまり人が集まるのを封じてしまうと今度は現在ロシアみたいな事になってしまう恐れもある。

で、最近だと東京駅や池袋駅西口渋谷駅(予定)みたいにロータリーを追い出して広場を作るという方に行政の方がシフトしてきている。

そういう戦後史と行政史の果てに出来たのが「新宿西口献血ルーム」でそこに掲出されたのがあの宇崎ちゃんポスターだったってわけだ。

あの騒動は色々感情的過ぎたが、でも一方でその辺知ってるとアゴラの復活でもあったって訳なんだな。

 

という訳で、統率されない人間が大量に集合すると雑踏事故が起きるのはデフォルト状態で、警察行政が力を入れて制御してるから日本じゃ事故があまり起きないのだ。

インドネシアのは警察問題があり、観客席に催涙弾を撃って視界が乏しくなった客がパニックになったらどうやったって雑踏事故になる。観客席は階段状でそこに下り階段があるという構造ゆえ先が見えなくなるから普段でも危険構造なのだインドネシア警察は雑踏警備の監督指導などを普段からしていないのではないか

1964年ペルーで同じように暴徒に催涙弾を打ち込んで300人以上が死ぬ事故があったので、そういう事例研究をしていないと思われる。

警察が私らを人間扱いしていない」との被害者コメントが報じられているが、インドネシア警察人間扱いと同時に流体扱いをすべきだった。

日本警察がこんな事をしないのは人間の扱いの違いだけでなく技術的に経験を蓄積しているかである

2022-07-15

anond:20220715141047

というと、1971年から1978年のことか。まさに50年くらい前の話か。

ということは、元増田は50年も前の事を今ごろわざわざ持ち出しているのか。共産党系市長時代はとっくの昔に終わってるわけだろ? 駅前再開発が遅れたとかって大昔の話じゃん。

もし小金井市のことだとすると、たぶん隣の市とは国分寺市で、誘致した新駅とは西国分寺駅で、小金井市開かずの踏切とは武蔵小金井駅の近くの踏切だろう。

だけど、これもおかしな話であって、1973年西国分寺駅開業武蔵野線の開通にともなって中央線と交差する場所に新駅ができただけのことで、国分寺市が頑張ったわけじゃないだろ。しかもこの駅は国分寺市内で二つ目の駅に過ぎない。

一方、小金井市内には当時既に二つの駅があった上に、1964年には三つ目の駅である東小金井駅ができている。西国分寺駅に先立つこと9年。こちらは地元が頑張って誘致した「日本初の請願駅」として知られている。

さらに、開かずの踏切問題小金井市が怠けていて起こったわけではなくて、中央線沿線では国分寺市も含めてどこでも困っていたのであって、これまた解決国分寺市独自に行なったわけではなくて、東京都事業主体となってJR東日本沿線の六自治体三鷹市武蔵野市小金井市国分寺市国立市立川市)と共同で中央線立体交差化を行なってやっと解消したのだよ。

住民として言わせてもらうと、小金井市は住みやすかったよ。ジブリ国分寺市ではなくて小金井市を選んだのだよ。国分寺市を選んだのは駅前書店のオババくらいだったんじゃないの?

2021-10-06

anond:20211006004710

うはw

どっちも

夫👨何言ってんのかな?

妻👧説明してるのに~なんでわからないの~

立体交差やん。

2021-08-29

anond:20210829191242

100m先で左右に分岐してて左に行くと側道、右が本線で立体交差を直進

てことか?

このケースで「右に行け」って言うナビがあるかなあ。「直進です」とか「右車線です」とかじゃないの?

anond:20210829122513

書いてあることの意味がわからない…

「この先5km以上道なりです」って言われた後に「100m先、右です」て言われた ←これは何が起きたことを言いたいのです?立体交差がどう関係してくるの?

教習所もっと気合い入れて教えて欲しかたこ

立体交差

カーナビないと身動き取れない運転下手なんだけど、「この先5km以上道なりです」って言われた後に「100m先、右です」て言われた時の私の発狂振りに共感してくれる人いませんか。

立体交差って入口交差点の300mくらい前にあるから「えっ、えっ、これなに?? この道なに??? 入っちゃったらどうなるの???」てなって入りそびれてカーナビ通りじゃなくなったりする。

立体交差の直進道に入り損ねても直進できることを知ってから発狂度は減ったけど、運転中にパニックになるのマジ危ないので教習所の段階でもっときちんと教えて欲しい。

カーナビ立体交差であることをもっとちゃんと伝えて欲しい。

ガソリン

親が車にレギュラー入れてたか自分セルフレギュラーで給油してたら、スタンドから爺さんがやってきて「何でこの車にレギュラー入れるんだ!!」ってすげー怒られた。

ていうかセルフでもガソリン出す出さないのボタンはそっちで制御してるんじゃなかったっけ?

満タン入れてから怒りにくるのおかしいだろ。全部捨ててハイオク入れ直せってか? お金は? 捨てられるレギュラーの分も払えって?

教習所ではガソリンスタンド空気圧変えられるくらいのことしか習わなかった気がするんだよね。あと灯油ポリタンクガソリン入れるの禁止くらい。そもそもセルフの給油に関しても教わらなかったから友人に聞きつつ機械説明読みつつだったよ(親はそれを嫌って断固セルフで給油しない)。

ガソリン違ってダメならもう車の給油口にハイオクの色付けるなり「この車はハイオクです」て書くなり接合部に爪付けてちゃんとハマるノズルじゃないと給油できなくするなりしてくんねーかな。ガソリンスタンドスタッフにどのガソリン入れるかの指定する必要もなくなって世界平和になるんじゃない???

ところで自分は怖いかエンジン切って給油する(してもらう)けど、エンジン付けっぱなしで給油してる人いない? あれつけっぱでいいの? それも教習所で聞いた覚えないんだよね。なんで教えてくんないんだろ。

教習所関係ないけど文句

246を池尻大橋から青山一丁目方向に走ってだんだけど、渋谷駅前で4車線あって、Googleマップの「左車線で走ってください」の指示に従って左折レーンのすぐ右の直進レーンにいたんだわ。

左折レーン、直進、直進、右折の4レーンだったからそれでいいと思うよな?

そしたら左直進レーンは信号超えたら左折専用レーンだったんだよ。宮益坂誘導されて大パニック。(まぁ標識見えてはいた)(見えた位置からして私ごとき車線変更できる状態じゃなかったけど)

まり国道246号線かいデカ道路なのに進み続けられるのは右から2番目の直進レーンだけなのな! 渋谷怖い!! そうでなくとも246は路駐があって左走りたくないわ右折レーンなしの右折があって右走りたくないわ、真ん中走ってたつもりがいつの間にか左レーンなくなって右レーン増えて「???」てなるわ、意味不明なのに。

あとカーナビ地図更新されないのなんとかなりませんか。多分新東名入ってないんだよこれ。カーナビ名前Google検索しても7年くらい前に地図更新提供終了してるし。カーナビGoogleマップのナビの併用も割とキツいんで(ルートが違うが細かく合わせられない)(カーナビオリパラ交通規制反映されてない多分)(Googleマップ立体交差マジ分からん)、カーナビ各社または正規代理店はなんとかしてください…。

2021-06-16

小説想像することを楽しむ娯楽ではない

小説の情景描写には読者として苦労させられる。

具体名挙げてしまって著者には申し訳ないのだが「未来からのホットライン」の核融合炉の施設内部の描写がてんで理解できない。説明が緻密なのがむしろネックになってる感じで、キャットウォークとかトンネルとか配線とかの位置関係三次元的に脳内構成されていかないんだよ。本当に上下左右という程度の確度でしか把握できない。

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小説漫画とかと違ってイメージ押し付けられないのがいいという意見を聞くことがある。個人的にはこれはイメージという単語の前に「自分が気に食わない(特に人物容姿)」という文言が省略されているように思える。

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想像することって、はっきりいえば単に手間でしょ。小説想像することを楽しむものって手段目的が逆転してる感じで、本来は「筋書きを楽しむもの」だと思う。筋書きさえ面白ければ、そして挿絵とかが適切なら、想像しなくて済むのならそれに越したことはない。

くだんの小説建物の「構造」について図があるからといってイメージ押し付けられたと感じる人は例外的だと思うから文章で全て言い尽くそうとしないで見取り図ぐらい添付してもよかったと思うんだよね。

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私と同じ考え方っぽい人を二つ挙げとく

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情景描写小説は、すげえ小説だが、すげえ読みにくい

https://modernclothes24music.hatenablog.com/entry/2014/02/21/090746exit

小説風景描写が苦手なんだが

https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1514063554/exit

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そしてどうしてもこれだけは抜粋ときたい(5chのレスから)

既存文章を組み合わせるとか

文章だけで考えてると「この馬はどこから走って来てどこに行ったの?

なんでそんなとこから馬が走ってくるの?」

みたいな変な部分が必ず出てくる

読む側からしてもまさしくそういう感じで、結論としては始点と終点が一致したループだと言っていても、今までも風景説明から本当にそのことが導けるのだろうかという感覚になることがある。

各部分の描写から全体を統合できない感じで、整合性を認められないことがある。

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前記の小説施設見学するシーンでも各区画主人公たちの足取りに沿って説明していってるのだが、いつのまにか前いたところが主人公達の頭上にあることになっている。

かにエレベーターで地下に降りる描写はあったけど、上下関係で足取りが立体交差できるような文章だったか

区画という各部分の風景だけは十二分に頭に浮かび上がってくるんだけれど、ジグゾーパズルでいうならそれはピースの凹部や凸部があやふやになっている状態にたとえられる。

なのでそのパズルを組み合わせる=建物全体の構造を把握することもできないとなる。これが読後感にもやもやを生む。

そもそも自然言語というものねじれの位置とか含めた抽象的な位相関係表現するのに不向きなのかもしれない。

そうでないにしてもせめてPISAとかは単純な論理パズルで読解力を測るんじゃなくて風景説明文に対して、少なくともこれは与えられている文に矛盾しないという図を選択させる問題も導入してほしい。

ネックが読者側にあるかもしれないかもしれないのにその問題が十分には剔出すらされていないように思われるから

ㅤㅤㅤㅤㅤㅤ

そもそも情景(風景)描写側に難があるという場合もある。

「船べりに足をぶらぶらさせていた」文学事典に載ってるような作家の手になる表現だ。しかし「船べりに」とは一体どういう状況なのか。

「船べりで~」であれば人がデッキの手すりでも背にして寄りかかって片足をぶらつかせる風景が想定される。

この話は作家自身航海記であって大西洋を横断できるような鉄の船の話だから「船べりに」何かをするにはへりは高すぎると思われる。和船の小舟のように足をへりに置けるような状況じゃない。

たとえれば無理に腰よりも高い塀の上に片方の足を足の裏を外側に向けて乗せるイメージでただでさえ不安定姿勢から、せいぜいへりをかかとで擦るようなことはできても、重力に逆らってぶらつかせるとは描写として不自然と言わざるをえない。

思い込み文章を書くとそういうことになると聞いたことがあるからちゃんと正確に書いてほしい。

正確に書けば書くほど想像余地が少なくなるから小説としてつまらなくなる、というものではない。

想像する楽しみと小説の楽しみ方としては二次的なものだとは前にも書いた。限定的で端的な例だが、泥のように眠るという慣用句を小石のように眠るアレンジすることで生まれるような詩的な妙味を味わうことも小説の楽しみ方の一つだ。

酒などを希釈しないで飲むことを生一本といっても、水で薄めずにといっても、神の創りたもうたままにといっても、どれも全く「希釈しない」という全く同一の事態を指しているうえでにその同一性こそがその描写が正確であることを示す必要条件でもあるわけだが、こうした同義フレーズが畳みかけられている箇所にも、同じ事態概念への落とし込み方の多様さに面白みが認められるだろう。

俳句小説じゃないけれど、あれなどは兼題写真があるのが普通だ。写真というこれ以上なく正確な像を前提としているからといって、そこから派生される俳句の数々に「想像余地がないからつまらない」と批判する人間がいるだろうか。

しろ想像喚起を重視する人のブログとか見ると「容姿描写ほとんどされてないのを逆手にとってわざと金髪美少女イメージで読んだ」とか言ってるような人もいて、想像するのを楽しむというやり方は小説カップ麺の重しにするのと同じぐらいひねくれた本の使用法なのではないかとさえ思えてくるわけだ。筋書きを楽しむ、表現のものを味わうというのが文句なく一義的な意義であるとすればなおさらだ

ㅤㅤㅤㅤㅤㅤ

必要だと思ったとこだけ読み込んで不必要だと思ったところは読み飛ばせばいい、授業だって教師の言うこと全部覚えてない、それと同じだというような人もある。

しかし授業内容と違って小説は内容を問い合わせることができない点で致命的に異なる。

不十分だと思って読み込もうとした箇所も独力では一生かかっても理解できないかもしれない。

作者は思い描いた風景必死に文に落とし込もうとしたかもしれない。作者は情景を読者と共有したがってる。なのに十分に伝わらない。こんな悲惨なことがあっていいのだろうか。

小説には攻略本ITの専門書にありがちなサポートダイヤルもないんだ。

二重回しとか大島紬みたいな名詞の指すものが単に想像できないとかだったら画像検索すれば済むことだけど、実際に読んでてつまづくことが多いのは文や文章という総体がどういう具象や抽象を指し示しているかとことで、でもこうなったときには打つ手がない。

人工知能は与えられた文章イメージに接地させずに意味理解できるが、人間としてはイメージ還元できないことには文章を味わうことはできない。

もちろん読者側の能力問題かもしれないからそこは見極めなければならない。

先述のようなPISAなどの結果によりそういう能力が不十分と分かれば、出版業界小説には抽象的な構造に関して図解を挿入するよう働きかけるか、さもなくば教育刷新するか、そういう判断の指針が得られる。

教育刷新するというのは単に文章多読すれば読解力を身に着けさせられるはずだという今の態度が不十分という意味で、一つ文を読ませたらその文が一般的に指し示すことになる図を提示するといった訓練を導入するべきだと思うということ。

単文が示す風景(あえて情景とはいわないでおく)すらもまともにイメージできないようでは複文や文章の指し示す風景もまたイメージできるはずがない。

基礎(単文)を固めることでしか応用(文章)を扱えるようにはならないということではむしろ数学と同じだ。そういう心持で読解の養成には取り組むべきだ。

これはあくまで娯楽として小説を読むのに役立つのみではない。

たとえば百聞は一見に如かずといっても社会生活のうえでいつも文章が指し示す現物を持ってこさせられるとは限らないから、文章イメージ還元する力は実務的な能力でもあるわけさ。

2021-01-06

anond:20210106080315

宣言当日はまた渋谷立体交差点に集まるらしいね

密になるからこの情報はここだけのナイショ話だけど

2020-04-18

緊急事態宣言ってことで、距離を保ちつつ散歩デートした

近く(といっても2キロ歩く)の川に行った

おれは歩いてる時気がつくと彼女の方に寄ってしまい、いつも近い近いと嫌がられているのだが今回は2mのソーシャルディスタンス意識というコンセプトだったのでいつも以上に嫌がられた

家の近くとはいえ川の方には行ったことがないから楽しかった こんな店があるのか、菜の花が咲いている、すごい立体交差だ…発見は案外あるもの

川は思ったよりデカかった 水量は少なくてワジかよとおもったけど、河川敷がめちゃめちゃデカいし解放感があった キャッチボールをしている若者とかランニングをしている爺さんとかがいて、人間の営みという感じがした

付き合ってはじめてのデートで川に行ったことを思い出した 考えてみると同じ川だ 同じ川の、ひと駅隔てた違う部分だ あの頃から何が変わったか…というと案外変わっていない それこそ同じ川の違う部分って感じかもしれない

往復4キロも歩いたか疲れた 彼女ときどき「ソーシャルディスタンス!」と言って距離を取ってくるのがかわいかった コロナ禍はよ終わらんかなとはじめて思った

2020-02-16

ADHDかも知れない

まりにも無茶苦茶なしでかしをしたのでここに記す

とある試験の為に電車で某駅の某ビルに向かう予定だった。

これを1度行ったことのある場所なのにやらかした。

更に言うと、ついさっき再申込みをしたら試験科目を間違えた。キャンセルも科目変更も不可能だそうだ。

俺はもう終わりかも知れない。

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