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はてなキーワード: 饅頭とは

2025-11-06

anond:20251106171258

彼の文章は、素でゴミなんだけど、信者にとってはゴミ具合が「エリートと違う!」って好評らしい。

論理的破綻しているし、コピペだし。

頭も目も感性も腐ってるんだけど、それでも俺の友達を喰い物にされるのはなぁ。

もう一杯稼いだだろうし、タワマン生活やめて、物価の安い国に移住して、一切の連絡を絶ってくれ白饅頭よ。

饅頭被害がひどいんだが

新興宗教立ち上げるの止めてくれない?

2025-11-02

20251102 BS10[アタック25] 2025年11月2日 新作 コレクター大会 2025-11-02 結果

★「今回」の再放送はいつもと違って6日木曜日の16時、午後4時から

 

赤:肥山健太郎@東京

緑:當山尚志@東京

白:寺田悠紀@埼玉

青:窪坂雅人@東京

 

BSジャパネクストリニューアル BS10無料放送側で日曜昼などに放送

見られなかったケーブルテレビ局でも見られるようになったので要確認

つながるジャパネットアプリ放送同期・スマートテレビ4月からtverを含め見逃し配信あり

 

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今日の答え(放送とは表現が異なる場合があります

・01 [隠し絵][ある人物名前]草なぎ剛 くさなぎつよし

・02 もみじ(饅頭

・03 北原白秋 きたはらはくしゅう

・04 [アンバー]琥珀 こはく

・05 [視聴者投稿クイズ]いぶりがっこ

・06 スウォッチ

・07 [すべて]神戸市 姫路市 西宮市 尼崎市

・08 [近似値]1336億(483万8700円

・09 ゴッホ

10 [2答]ノースダコタサウスダコタ

11 [ポチャッコ:見えてくる慣用句]宝の持ち腐れ

12 メビウス(の帯

・13 Perfume パフューム

・14 木村沙織 きむらさおり

・15 [英語を使って]エコーチェンバー(現象

・16 高橋真梨子 たかしまりこ

17 マリー・アントワネット

・18 キャピュレット(家

・19 皮下(組織

20 [2択]大坂)冬(の陣

・21 きつね(につままれ

・22 [AC]O次郎

23 小田凱人 おだとき

24 陽明(門

・25 恩田陸 おんだりく

・26 [アルファベット3文字]MRI

・27eタグ(ボート

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・xx [ある西暦何年]1985 年

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(日曜本放送)このあと今週はBS10からのお知らせ

14:30からは「蛍原徹真剣ゴルフ部! ホトオープン #177」

(2日日曜日)

2025-10-30

anond:20251030110053

マジレスすると俺も夏場はトイレ近くて1時間に2回行ってた。単純に水分のとりすぎでよく言う「頻尿」ではない。水分を取らなければいいだけの話なので

1.コーヒーを控える

2.コーヒー以外の水分を抑える

この二つをまず実践してみよう。繰り返すが「頻尿」とか病気の類じゃないので心配するな。

最近SNS話題になってるボンタン飴や饅頭眉唾なので無視するといい。

2025-10-24

伊香保 寺田寅彦

 二三年前の夏、未だ見たことのない伊香保榛名を見物の目的で出掛けたことがある。ところが、上野驛の改札口を這入つてから、ふとチヨツキのかくしへ手をやると、旅費の全部を入れた革財布がなくなつてゐた。改札口の混雜に紛れて何處かの「街の紳士」の手すさみに拔取られたものらしい。もう二度と出直す勇氣がなくなつてそれつきりそのまゝになつてしまつた。財布を取つた方も内容が期待を裏切つて失望したであらうから、結局此の伊香保行の企ては二人の人間失望させるだけの結果に終つた譯である

 此頃少し身體の工合が惡いので二三日保養のために何處か温泉にでも出掛けようといふ、その目的地に此の因縁つきの伊香保が選ばれることになつた。十月十四日土曜午前十一時上野發に乘つたが、今度は掏摸すりの厄介にはならなくて濟んだし、汽車の中は思ひの外に空いて居たし、それに天氣も珍らしい好晴であつたが、慾を云へば武藏野の秋を十二分に觀賞する爲には未だ少し時候が早過ぎて、稻田と桑畑との市松模樣の單調を破るやうな樹林の色彩が乏しかつた。

 途中の淋しい小驛の何處にでも、同じやうな乘合自動車アルミニウムペイントが輝いて居た。昔はかういふ驛には附きものであつたあのヨボ/\の老車夫の後姿にまつはる淡い感傷はもう今では味はゝれないものになつてしまつたのである

 或る小驛で停り合はせた荷物列車の一臺には生きた豚が滿載されて居た。車内が上下二段に仕切られたその上下に、生きてゐる肥つた白い豚がぎつしり詰まつてゐる。中には可愛い眼で此方を覗いてゐるのもある。宅の白猫の顏に少し似てゐるが、あの喇叭のやうな恰好をして、さうして禿頭のやうな色彩を帶びた鼻面はセンシユアルでシユワイニツシである。此等の豚どもはみんな殺されに行く途中なのであらう。

 進行中の汽車から三町位はなれた工場の高い煙突の煙が大體東へ靡いて居るのに、すぐ近くの工場の低い煙突の煙が南へ流れて居るのに氣がついた。汽車が突進して居る爲に其の周圍に逆行氣流が起る、その影響かと思つて見たがそれにしても少し腑に落ちない。此れから行先にまだいくらも同じやうな煙突の一對があるだらうからもう少し詳しく觀察してやらうと思つて注意してゐたが、たうとう見付からずに澁川へ着いてしまつた。いくらでも代はりのありさうなものが實は此の世の中には存外ないのである。さうして、ありさうもないものが時々あるのも此の世の中である

 澁川驛前にはバス電車伊香保行の客を待つてゐる。大多數の客はバスを選ぶやうである電車の運轉手は、しきりにベルを踏み鳴らしながら、併しわり合にのんきさうな顏をしてバスに押し込む遊山客の群を眺めて居たのである。疾とうの昔から敗者の運命に超越してしまつたのであらう。自分も同行Sも結局矢張りバスもつ近代味の誘惑に牽き付けられてバスを選んだ。存外すいて居る車に乘込んだが、すぐあとから小團體がやつて來て完全に車内の空間を充填してしまつた。酒の香がたゞよつて居た。

 道傍の崖に輕石の層が見える。淺間山麓一面を埋めて居るとよく似た豌豆大の粒の集積したものである。淺間のが此邊迄も降つたとは思はれない。何萬年も昔に榛名火山自身の噴出したものかも知れない。それとも隣りの赤城山の噴出物のお裾分けかも知れない。

 前日に伊香保通のM君に聞いたところでは宿屋はKKの別館が靜かでいゝだらうといふことであつた。でも、うつかりいきなり行つたのでは斷られはしないかと聞いたら、そんなことはないといふ話であつた。それで、バスを降りてから二人で一つづゝカバンを提げて、すぐそこの別館の戸口迄歩いて行つた。館内は森閑として玄關には人氣がない。しばらくして内から年取つた番頭らしいのが出て來たが、別に這入れとも云はず突立つたまゝで不思議さうに吾々二人を見下ろしてゐる。此れはいけないと思つたが、何處か部屋はありませうかと聞かない譯にも行かなかつた。すると、多分番頭と思はれる五十恰好のその人は、恰度例へば何處かの役所の極めて親切な門衞のやうな態度で「前からの御申込でなければとてもとても……」と云つて、突然に乘込んで來ることの迂闊さを吾々に教へて呉れるのであつた。向うの階段の下では手拭を冠つて尻端折つて箒を持つた女中が三人、姦の字の形に寄合つて吾々二人の顏を穴のあく程見据えてゐた。

 カバンをぶら下げて、悄々しをしをともとのバスの待合所へ歸つて來たら、どういふものか急に東京へそのまゝ引き返したくなつた。此の坂だらけの町を、あるかないか當てにならない宿を求めて歩き※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はるのでは第一折角保養に來た本來の目的に合はない、それよりか寧ろ東京の宅の縁側で咲殘りのカンナでも眺めて欠伸をする方が遙かに有效であらうと思つたのである。併し、歸ることは歸るとしても兎も角も其處らを少し歩いてから歸つても遲くはないだらうとSがいふので、厄介な荷物を一時バスの待合所へ預けておいてぶら/\と坂道を上つて行つた。

 宿屋が滿員の場合には入口に「滿員」の札でも出しておいたら便利であらう。又兎も角も折角其家を目指して遙々遠方から尋ねて來た客を、どうしても收容し切れない場合なら、せめて電話温泉旅館組合の中の心當りを聞いてやる位の便宜をはかつてやつてはどうか。頼りにして來た客を、假令それがどんな人體であるにしても、尋ねてくるのが始めから間違つてゐるかのやうに取扱ふのは少し可哀相であらう。さうする位ならば「旅行案内」などの廣告にちやんと其旨を明記しておく方が親切であらう。

 こんな敗者の繰言を少し貧血を起しかけた頭の中で繰返しながら狹い坂町を歩いてゐるうちに、思ひの外感じのいゝ新らしいM旅館別館の三階に、思ひもかけなかつた程に見晴らしの好い一室があいてゐるのを搜しあてゝ、それで漸く、暗くなりかゝつた機嫌を取直すことが出來たと同時に馴れぬ旅行疲れた神經と肉體とをゆつくり休めることが出來たのは仕合せであつた。

 此室の窓から眼下に見える同じ宿の本館には團體客が續々入込んでゐるやうである。其の本館から下方の山腹にはもう人家が少く、色々の樹林に蔽はれた山腹の斜面が午後の日に照らされて中々美しい。遠く裾野には稻田の黄色い斑の縞模樣が擴がり、其の遙かな向うには名を知らぬ山脈が盛上がつて、其の山腹に刻まれた褶襞の影日向が深い色調で鮮かに畫き出されて居る。反對側の、山の方へ向いた廊下へ出て見ると、此の山腹一面に築き上げ築き重ねた温泉旅館ばかりの集落は世にも不思議な標本的の光景である。昔、ローマ近くのアルバ地方遊んだ時に、「即興詩人」で名を知られたゲンツアノ湖畔を通つたことがある。其の湖の一方から見た同じ名の市街の眺めと、此處の眺めとは何處か似た所がある。併し、古い伊太利の彼の田舍町は油繪になり易いが此處のは版畫に適しさうである。數年前に此地に大火があつたさうであるが、成程火災の傳播には可也都合よく出來てゐる。餘程特別防火設備必要であらうと思はれる。

 一と休みしてから湯元を見に出かけた。此の小市街横町は水平であるが、本通りは急坂で、それが極めて不規則階段のメロデイーの二重奏を奏してゐる。宿屋お土産を賣る店の外には實に何もない町である。山腹温泉街の一つの標本として人文地理學者の研究に値ひするであらう。

 階段の上ぼりつめに伊香保神社があつて、そこを右へ曲ると溪流に臨んだ崖道に出る。此の道路にも土産物を賣る店の連鎖が延長して溪流の眺めを杜絶してゐるのである。湯の流れに湯の花がつくやうに、かういふ處の人の流れの道筋にはきまつて此のやうな賣店の行列がきたなく付くのである。一寸珍らしいと思ふのは此道の兩側の色々の樹木に木札がぶら下げてあつて、それに樹の名前が書いてあることである。併し、流石にラテン語の學名は略してある。

 崖崩れを石垣で喰ひ止める爲に、金のかゝつた工事がしてある。此れ位の細工で防がれる程度の崩れ方もあるであらうが、此の十倍百倍の大工事でも綺麗に押し流すやうな崩壞が明日にも起らないといふ保證は易者にも學者にも誰にも出來ない。さういふ未來の可能性を考へない間が現世の極樂である自然可能性に盲目な點では人間も蟻も大してちがはない。

 此邊迄來ると紅葉がもうところ斑に色付いて居る。細い溪流の橋の兩側と云つたやうな處のが特に紅葉が早いらしい。夜中にかうした澤を吹下ろす寒風の影響であらうか。寫眞師がアルバムをひろげながらうるさく撮影をすゝめる。「心中ぢやないから」と云つて斷わる。

 湯元迄行つた頃にはもう日が峯の彼方にかくれて、夕空の殘光に照らし出されて雜木林の色彩が實にこまやかに美しい諧調を見せて居た。樹木の幹の色彩がかういふ時には實に美しく見えるものであるが、どういふもの特に樹幹の色を讚美する人は少ないやうである

 此處の湯元から湧き出す湯の量は中々豐富らしい。澤山の旅館の浴槽を充たしてなほ餘りがあると見えて、惜氣もなく道端の小溝に溢れ流れ下つて溪流に注いで居る。或る他の國の或る小温泉では、僅かにつの浴槽にやつと間に合ふ位の湯が生温るくて、それを熱くする爲に一生涯骨を折つて、やつと死ぬ一年前に成功した人がある。其人が此處を見たときにどんな氣がしたか。有る處にはあり餘つて無い處にはないといふのは、智慧黄金に限らず、勝景や温泉に限らぬ自然の大法則であるらしい。生きてゐ自然界には平等存在せず、平等は即ち宇宙の死を意味する。いくら革命を起して人間の首を切つても、金持と天才との種を絶やすことは六かしい。ましてや少しでも自己觸媒作用オートカタリテイツク・アクシヨンのある所には、ものの片寄るのが寧ろ普遍現象からである。さうして方則に順應するのは榮え、反逆するものは亡びるのも亦普遍現象である

 宿へ歸つて見ると自分等の泊つてゐる新館にも二三の團體客が到着して賑やかである。○○銀行○○課の一團は物靜かでモーニングを着た官吏風の人が多い。○○百貨店○○支店の一行は和服が多く、此方は藝者を揚げて三絃の音を響かせて居るが、肝心の本職の藝者の歌謠の節※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はしが大分危なつかしく、寧ろ御客の中に一人いゝ聲を出すのが居て、それがやゝもすると外れかゝる調子を引戻して居るのは面白い。ずつと下の方の座敷には足踏み轟かして東京音頭を踊つて居るらしい一團がある。人數は少いが此組が壓倒的優勢を占めて居るやうである

 今度は自分などのやうに、うるさく騷がしい都を離れて、しばらく疲れた頭を休める爲にかういふ山中自然を索たづねて來るものゝある一方では又、東京では斷ち切れない色々の窮屈を束縛をふりちぎつて、一日だけ、はめを外づして暴れ※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はる爲にわざ/\かういふ土地を選んで來る人もあるのである。此れも人間界の現象である。此の二種類の人間相撲になれば明白に前者の敗である後者の方は、宿の中でも出來るだけ濃厚なる存在を強調する爲か、廊下を歩くにも必要以上に足音を高く轟かし、三尺はなれた仲間に話をするのでも、宿屋中に響くやうに大きな聲を出すのであるが、前者の部類の客はあてがはれた室の圍ひの中に小さくなつて、其の騷ぎを聞きつゝ眠られぬ臥床ふしどの上に輾轉するより外に途がないのである。床の間を見ると贋物の不折の軸が懸かつて居る、その五言の漢詩の結句が「枕を拂つて長夜に憐む」といふのであつたのは偶然である。やつと團體の靜まる頃には隣室へ子供づれの客が着いた。單調な東京音頭は嵐か波の音と思つて聽き流すことが出來ると假定しても、可愛い子供の片言は身につまされてどうにも耳朶の外側に走らせることの出來ぬものである。電燈の光が弱いから讀書で紛らすことも出來ない。

 やつと宿の物音があらかた靜まつた後は、門前のカフエーから蓄音機の奏する流行小唄の甘酸つぱい旋律が流れ出して居た。併し、かうした山腹の湯の町の夜の雰圍氣を通して響いて來る此の民衆音樂の調べには、何處か昔の按摩の笛や、辻占賣の聲などのもつて居た情調を想ひ出させるやうな或るものが無いとは云はれない。

 蓄音機と云へば、宿へ着いた時につい隣りの見晴らしの縁側に旅行蓄音機を据ゑて、色々な一粒選りの洋樂のレコードをかけてゐ家族連の客があつた。此れも存在の鮮明な點に於て前述の東京音頭の連中と同種類に屬する人達であらう。

 夜中に驟雨があつた。朝はもう降り止んではゐたが、空は低く曇つてゐた。兎も角も榛名湖畔迄上ぼつて見ようといふので、ケーブルカー停車場のある谷底下りて行つた。此の谷底停車場風景は一寸面白い。見ると、改札口へ登つて行く階段だか斜面だかには夥しい人の群が押しかてゐる。それがなんだか若芽についたあぶら蟲か、腫物につけた蛭の群のやうに、ぎつしり詰まつて身動きも出來さうにない。それだのにあとから/\此處を目指して町の方から坂を下りて來る人の群は段々に増すばかりである。此の有樣を見て居たら急に胃の工合が變になつて來て待合室の腰掛に一時の避難所を求めなければならなかつた。「おぢいさんが人癲癇を起こした」と云つてSが笑出したが、兎も角も榛名行は中止、その代りつい近所だと云ふ七重の瀧へ行つて見ることにした。此の道筋の林間の小徑は往來の人通りも稀れで、安價なる人癲癇は忽ち解消した。前夜の雨に洗はれた道の上には黄褐紫色樣々の厚朴の落葉などが美しくちらばつてゐた。

 七重の瀧の茶店で「燒饅頭」と貼札したものを試みに注文したら、丸いパンのやうなもの味噌※(「滔」の「さんずい」に代えて「しょくへん」、第4水準2-92-68)を塗つたものであつた。東京下町若旦那らしい一團が銘々にカメラを持つてゐて、思ひ思ひに三脚を立てゝ御誂向の瀧を撮影する。ピントを覗く爲に皆申合せたやうに羽織の裾をまくつて頭に冠ると、銘々の羽織の裏の鹽瀬の美しい模樣が茶店に休んでゐる女學生達の面前にずらりと陳列される趣向になつてゐた。

 溪を下りて行くと別莊だか茶店だかゞあつて其前の養魚池の岸にかはせみが一羽止まつて居たが、下の方から青年團の服を着た男が長い杖をふりまはして上がつて來たので其のフアシズムの前に氣の弱い小鳥は驚いて茂みに飛び込んでしまつた。

 大杉公園といふのはどんな處かと思つたら、とある神社杉並木のことであつた。併し杉並木は美しい。太古の苔の匂ひがする。ボロ洋服を着た小學生が三人、一匹の眞白な野羊を荒繩の手綱で曳いて驅け※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)つてゐたが、どう思つたか自分が寫眞をとつて居る傍へ來て帽子を取つてお辭儀をした。學校の先生と間違へたのかどうだか分らない。昔郷里の田舍を歩いて居て、よく知らぬ小學生に禮をされた事を想ひ出して、時代が急に明治に逆戻りするやうな氣がした。此邊では未だイデオロギー階級鬪爭意識が普及して居ないのであらう。社前の茶店葡萄棚がある。一つの棚は普通のぶだうだが、もう一つのは山葡萄紅葉てゐる。店の婆さんに聞くと、山葡萄は棚にしたら一向に實がならぬさうである。山葡萄は矢張り人家にはそぐはないと見える。

 茶店の周圍に花畑がある。花を切つて高崎へでも賣りに出すのかと聞くと、唯々お客さんに自由に進呈するためだといふ。此の山懷の一隅には非常時の嵐が未だ屆いて居ないのか、妙にのんびりした閑寂の別天地である。薄雲を透した日光が暫く此の靜かな村里を照らして、ダリアコスモスが光り輝くやうに見えた。

 宿へ歸つて晝飯を食つてゐる頃から、宿が又昨日に増して賑やかになつた。日本橋邊の或る金融機關の團體客百二十人が到着したのである。其爲に階上階下の部屋といふ部屋は一杯で廊下の籐椅子に迄もはみ出してゐる。吾々は、此處へ來たときから約束暫時帳場の横へ移轉することになつた。

 部屋に籠つて寐轉んで居ると、すぐ近くの階段廊下を往來する人々の足音が間斷なく聞こえ、それが丁度御會式の太鼓のやうに響き渡り、音ばかりでなく家屋全體が其の色々な固有振動の週期で連續的に振動して居る。さういふ状態が一時間時間[#「二時間」は底本では「二間時」]三時間と經過しても一向に變りがない。

 一體どうして、かういふ風に連續的に足音や地響きが持續するかといふ理由を考へて見た。百數十人の人間が二人三人づつ交る/″\階下の浴室へ出掛けて行き、又歸つて來る。その際に一人が五つの階段の一段々々を踏み鳴らす。其外に平坦な縁側や廊下をあるく音も加はる。假に、一人宛て百囘の音を寄與コントリビユートするとして、百五十で一萬五千囘、此れを假に午後二時から五時迄の三時間、即ち一萬八百秒に割當てると毎一秒間に平均一囘よりは少し多くなる勘定である。此外に浴室通ひ以外の室と室との交通、又女中下男の忙はしい反復往來をも考慮に加へると、一秒間に三囘や四囘に達するのは雜作もないことである。即ち丁度太鼓を相當急速に連打するのと似た程度のテンポになり、それが三時間位持續するのは何でもないことになるのである。唯々面白いのは、此の何萬囘の足音が一度にかたまつて發しないで、實にうまく一樣に時間的に配分されて、勿論多少の自然的偏倚は示しながらも統計的に一樣な毎秒平均足音數を示してゐることである。容器の中の瓦斯體の分子が、その熱擾動サーマルアヂテーシヨンのために器壁に反覆衝突するのが、いくらか此れに似た状況であらうと思はれた。かうなると人間も矢張り一つの分子」になつてしまふのである

 室に寐ころんだ切り、ぼんやり此んなことを考へてゐる内に四時になつた。すると階下の大廣間の演藝場と思はれる見當で東京音頭の大會が始まつた。さうして此れが約三十分續いた。それが終つても、未だその陶醉的歡喜の惰性を階上迄持込[#「持込」は底本では「持迄」]んで客室前の廊下を踏鳴らしながら濁聲高く唄ひ踊る小集團もあつた。

バス切符を御忘れにならないやうに」と大聲で何遍となく繰返して居るのが聞こえた。それからしばらくすると、急に家中がしんとして、大風の後のやうな靜穩が此の山腹全體を支配するやうに感ぜられた。一時間前の伊香保とは丸で別な伊香保が出現したやうに思はれた。三階の廊下から見上げた山腹の各旅館の、明るく灯のともつた室々の障子の列が上へ上へと暗い夜空の上に累積してゐ光景は、龍宮城のやうに、蜃氣樓のやうに、又ニユーヨークの摩天樓街のやうにも思はれた。晝間は出入の織るやうに忙がしかつた各旅館の玄關にも今は殆ど人氣が見えず、野良犬がそこらをうろ/\して居るのが見えた。

 團體の爲に一時小さな室に追ひやられた埋合せに、今度はがらあきになつた三階の一番廣く見晴らしのいゝ上等の室に移され、地面迄數へると五階の窓下を、淙々として流れる溪流の水音と、窓外の高杉の梢にしみ入る山雨の音を聞きながら此處へ來てはじめての安らかな眠りに落ちて行つた。

 翌日も雨は止んだが空は晴れさうもなかつた。霧が湧いたり消えたりして、山腹から山麓へかけての景色を取換へ取換へ迅速に樣々に變化させる。世にも美しい天工の紙芝居である。一寸青空が顏を出したと思ふと又降出す。

 とある宿屋の前の崖にコンクリート道路と同平面のテラスを造り其の下の空間を物置にして居るのがあるのは思ひ付きである。此の近代設備の脚下の道傍に古い石地藏が赤い涎掛けをして、さうして雨曝しになつて小さく鎭座して居るのが奇觀である。此處らに未だ家も何もなかつた昔から此の地藏尊は此の山腹の小道の傍に立つて居て、さうして次第に開ける此の町の發展を見守つて來たであらうが、物を云はぬから聞いて見る譯にも行かない。

 晝飯をすませて、そろ/\歸る支度にかゝる頃から空が次第に明るくなつて來て、やがて雲が破れ、東の谷間に虹の橋が懸つた。

 歸りのバスが澁川に近づく頃、同乘の兎も角も知識階級らしい四人連の紳士が「耳がガーンとした」とか「欠伸をしたらやつと直つた」とか云つたやうな話をして居る。山を下つて氣壓が變る爲に鼓膜の壓迫されたことを云つて居るらしい。唾を飮み込めば直るといふことを知らないと見える。小學校や中學校でこのやうな科學的常識を教はらなかつたものと思はれる。學校の教育でも時には要らぬ事を教へて要ることを教へるのを忘れて居る場合があるのかも知れない。尤も教へても教へ方が惡いか、教はる方の心掛けが惡ければ教へないのも同じになる譯ではある。

 上野へついて地下室の大阪料理で夕食を食つた。土瓶むしの土瓶のつるを持ち上げると土瓶が横に傾いて汁がこぼれた。土瓶の耳の幅が廣過ぎるのである。此處にも簡單な物理學が考慮の外に置かれてゐるのであつた。どうして、かう「科學」といふものが我が文化日本で嫌はれ敬遠されるかゞ不思議である

 雨の爲に榛名湖は見られなかつたが、併し雨のおかげでからだの休養が出來た。讀まず、書かず、電話が掛からず、手紙が來ず、人に會はずの三日間で頭の疲れが直り、從つて胃の苦情もいくらか減つたやうである。その上に、宿屋階段の連續的足音の奇現象を觀察することの出來たのは思はぬ拾ひものであつた。

 温泉には三度しかはひらなかつた。湯は黄色く濁つてゐて、それに少しぬるくて餘り氣持がよくなかつた。その上に階段を五つも下りて又上がらなければならなかつた。温泉場と階段はとかくつきものである温泉場へ來たからには義理にも度々温泉に浴しなければならないといふ譯もないが、すこしすまなかつたやうな氣がする。

 他の温泉でもさうであるが、浴槽に浸つて居ると、槽外の流しでからだを洗つて居る浴客がざあつと溜め桶の水を肩からあびる。そのしぶきが散つて此方の頭上に降りかゝるのはそれ程潔癖でないつもりの自分にも餘り愉快でない。此れも矢張り宿屋蓄音機を持ち込み、宿屋東京音頭を踊る Permalink | 記事への反応(0) | 18:19

2025-10-20

やめろと言われたらやりたくなっちゃうだろ、それが特にガチ目の拒絶なら尚更!

饅頭怖い、押すなよ絶対に押すなよ、カリギュラ効果、誘いやがって売女が!ってこった

悪いけどそれ、【誘惑】ですからね?

お金が怖いエロが怖いみたいな見え見えのネタ拒絶はまだしも、ガチの拒絶や嫌悪なんて見せられたらどんな反応しちゃうか気になっちゃって仕方ないよね仕方ないよね!

相手が本気で嫌がってたら誘っちゃってんのと同義同義同義!いけない子だねぇ、誘ってきたのはそっちだ売女め!

ビッチビッチ!ビィィィィィッチ!!

2025-10-06

まんじゅうが怖すぎる

昨日の昼休、同僚とホラー映画話題で盛り上がったんだ(ちなみに俺はショーン・オブ・ザ・デッドが好き)。

そんで不意に同僚が「俺、まんじゅうが一番怖いんだよね」って言ったんだよ。

は?って思うじゃん。なにそのオーガニックな恐怖。

ゾンビとか幽霊ならわかるけどまんじゅうって。

甘味界のピースメーカーやん。

でも同僚は真顔で言うんだよ。

「いやマジだから!あれ見ると心拍数200になる」なんてことを言うわけだ。

こっちは笑いながら「まじ?w」って言ったら「あんま軽く言うなよ!まじで怖ぇんだよ!」って机ドンしてくる。

いやお前が怖ぇわ。

で、今日の昼休にイタズラで買ってきたのよ。

コンビニにあるちっこいやつ。

同僚のデスクに気付かれないようにそっと置いて「今日おやつだよ〜」って声掛けた。

その瞬間——同僚、饅頭を手に取って大絶叫。

「うわああああああああああああああああ!!!!」

立ち上がって、椅子ごと吹っ飛ばして、上司のお気にの観葉植物を薙ぎ倒して、しりもち着いた。

俺らもう腹抱えて笑ってたんだけど、次の瞬間大の字になって倒れてた。

やばいネタじゃねえ!!!」ってみんなで駆け寄ったら、同僚の右手から出てきたんだよ。

饅頭の包み紙。

そこには震えた文字でこう書いてあった。

ほんとは緑茶が怖い

2025-09-25

anond:20250924182825

饅頭ノートで読んだけど

自己中心的他責大好きで共同体に馴染めないタイプの女ほどすぐ東京に出てくる

同じ地方都市に生まれた女でも、そこで上手くやっていける女はそこに住み続けるんだよね

まり地方からいなくなる女はフェミの素質がある女

から人口減少は地方から逃げ出した女のせいで合ってる

照明おわり

2025-09-24

饅頭を棘…もといposfieで持ち上げるまとめなくなったのってなんでだろう

さすがに弱男でも敵認定したのか

2025-09-16

anond:20250916110927

問題の根幹はオタク作品自分を同一視している点。

作品のあり方の話をしているのであって誰一人オタクの話はしていないが、ファビョって頓珍漢な話をしているオタクたちは自己表現したりアイデンティとするものが2次元コンテンツ依存しすぎている且つ自己肯定感は低いが自尊心は異様に高い。

そのため、1つの次元コンテンツ特定表現を「ノイズ」というネガティブに取られやす単語表現した記事文脈を欠片も理解することなく、自身に向けられた悪意だと受け止めている。

文脈関係なく、この場合いわゆるオタクの敵且つ屈服させることで爽快感をえられる格好のエサであるフェミ女性当事者の自認は問わずオタクたちの高くて脆い自尊心を傷つけた女と判断された時点でフェミである)が、特定の2次元コンテンツ表現に難癖をつけたと曲解可能記事であるので燃やしてよいのである

そう読み取れてしま文章であった、誤解が生じた、ではなく、「ノイズ」というネガティブに取られ得る表現発言者が女である、人気コンテンツであること。

材料があるのであとは本来文脈関係ない。材料使用して勝手に「またフェミが僕達オタクに難癖をつけて頭の悪い発言をしている」とスカッジャパンごっこができるようにストーリー作成して貶めて気持ちよくなれれば良いのだ。

人気コンテンツということはそのコンテンツを好きでいるオタクコンテンツ同等の評価をされた存在ということになっている。彼らの中では。どこまでそれを彼らが客観的認識できているかはわからないが。

アイデンティティコンテンツ依存すると、自身努力なしでコンテンツ評価されれば勝手自分評価されたように感じられて気持ちが良いのだ。

(これは僕自身がかつてそうだったので・・・ネトウヨも同じ原理国籍という努力なしですでに手に入れたものだけで価値を高められる。)

少し前に「頭の悪い女さん」とか「ツイフェミ」の中でもとくにオタクが叩きやすい、都合の良いアカウントが実はアンチフェミニストの白饅頭さんのなりすましだったにもかかわらず、アンチフェミたちは『だんまり』であった。

彼らがしたいのは議論ではない。スカッジャパンごっこにより都合の悪い発言をする相手を貶めて気持ち良くなること。

おそらくこの手のアカウント話題自尊心を満たすためのマッチポンプも多く、そこで盛り上がって実在人物にも同じことをしてしまっている。

メンタルヘルスでよく言われることだが、依存先というのは複数持っておくべきだなと感じられる。

2025-09-08

何回も食べるくらいおいしかった地方お菓子を教えてほしい

地方お菓子お取り寄せするのにハマっているから、本当においしいものを教えてほしいです。

何回も食べてる、ハマった、感動した、人に勧めたレベルのものが知りたいです。

わたしが今まで食べてめちゃくちゃおいしいと思ったお菓子は以下の通りです。

新潟仙台はおいしいお菓子が多かったです。

一番は茨城干し芋パイ、ほっしぃ~もです。

これを超えるお菓子出会たことがありません。

こっこ静岡

治一郎のバウムクーヘン静岡

うなぎパイ静岡

からす麦のクッキー広島

もみじ饅頭広島

一六タルト愛媛

笹団子(新潟

笹団子パン新潟

生クリーム笹だんご(新潟

ぽっぽ焼き(新潟

ミルクヨーカン新潟

コシヒカリモナカ(新潟

和泉屋のごま饅頭新潟

のしいちじく新潟

佐渡バタークリームサンドクッキー新潟

とうきびチョコ北海道

ほっしぃ~も(茨城

あんバターホイップサンド(愛知

手風琴のしらべ(愛知

萩の月宮城

喜久福(宮城

白松がモナカ宮城

さいちのおはぎ宮城

阿闍梨餅(京都

八つ橋京都

御座候関西

横濱ハーバー神奈川

横濱月餅神奈川

マーロウプリン神奈川

鬼滅の刃、とうとうリベラルに見つかってしまう。そして炎上へ…


2025-09-04

具のないまんじゅうが食べたい

肉のない肉まんとか、あんこの無いまんじゅうみたいなの。

中国では饅頭マントウ)と呼ばれていて、地域によっては主食として食べられているそうだ。

食べたいなぁ。

調べたところ、業務スーパーとか冷凍食品通販とかで扱ってるそうだが、近所のスーパーコンビニとかで常温かつ少量で売ってほしいなぁ。それで、おにぎりパンと同じくらい手頃に食べられたらなぁ。

需要あると思うんだけどなぁ。

おにぎりに比べれば日持ちするだろうし、生米やアルファ米やパックのご飯に比べたら炊飯やお湯やレンジ必要無くすぐに食べられるというメリットがある。それに健康志向の昨今では、具材で余計なカロリー塩分が無いというのも強みになるはずだ。

そもそも利便性栄養面以前に、美味いと思うんだけどなぁ。

肉まんピザまんカレーまんでも、もちもちの生地があってこその美味しさであって、中身そのものは大したことないでしょ。

まんじゅうでも、薄皮まんじゅうとかわかってないなぁと思う。あんこをメインに味わいたいなら金鍔(きんつば)や羊羹ようかん)を食べればいいじゃん。

町中華なんかでも、饅頭マントウ)があるといいなぁ。

洋食レストランなんかでご飯パンか選べるのがあるけど、それと同じようにご飯饅頭かなんて選べたらいいなぁ。

本格的な中華料理屋なら饅頭あるのかなぁ。行ったことないからわかんないや。

ああ、具のないまんじゅうが食べたいなぁ。

2025-08-31

餃子をおかずにご飯食べたろ!」

https://togetter.com/li/2594552

Xのまとめ読んでなるほどなぁとは思うけど

オレはラーメン定食うどん定食でもご飯は喰える。

あじじぃになって食えなくなってきたけど。

 

 80年代頃?の椎名誠エッセイ中国に行った時の話で朝に人民広場的なところに行ったとき

多くの人が広場で思い思いに体操太極拳をしたあと饅頭と白粥をワシワシと食していた、

椎名誠らの面々も御飯饅頭で粥が味噌汁なのか!みたいな感じで同じく饅頭と粥を食べたとと書かれていた。

おそらく鄧小平改革開放がそろそろ本格的に加速するころで貧しいながらも中国全体が活気に満ちていた

感じのエッセイだったと思う。

 それから00年代初めの中国でたしか上海近郊だったと思うけど

高速のSAで朝飯食ったときに、平日の朝だったので行楽の車なんてのは無く(そもそも今よりは貧しかったと思う)

トラックの運ちゃんたちが気合入れて朝飯食ってたんだけど、蒸かした肉まんと粥を食ってた

同じものを頼んだけど、椎名誠と一緒で、まあ肉まんパンで粥がスープって感じだった。

肉まんは不味くて蒸しパンに中身の餡はジューシーでもなんでもないミートボールっぽい肉団子かツミレっぽい

餡だった、粥はなんでもない薄い白粥だったけれども滋味があって美味しかった。

(中国の粥は総じてどこで食べても旨かった気がする)

それからしばらくたってから上記椎名誠エッセイを思い出したのだけれど

 中国ディスるつもりでもなく。その後、中国へ行ったとき粥に饅頭メニューにもあわなかったけれど

粥+饅頭は手っ取り早くカロリー摂取したいときは悪くない気はするし、実際食べてみて美味しかった

ように覚えてる。

20年代以降は中国にもさっぱり行かなくなって、

そういう文化はあるのかあるいは中国が発展する一過程としてあったのか

なんてことはないお前の妄想だよってだけなのか

ちょっと知りたい気がして書いてみた。

2025-08-09

おぎの議員

結婚式自称ミクの夫を招待、白饅頭講演会に招く、借金玉に金を借りるなどネットのやべー奴らと公私に渡って濃厚なお付き合いをなさってるワケですが

やべー奴らはケツモチやらせる気マンマンだからからトラブルになりそう

2025-08-07

anond:20250807155945

それは仰る通りだと思う

ずーっとなんか書いてるのは苦痛じゃないんだけど

義務一定ペースとなると別物だよな

饅頭とかですら凄いと思う

2025-07-22

日本語の衰退が怖い

仰々しい題名を付けた。

でも内容は全くの一般人ぼやきしかない。

駄文長文だ。スマン。

書きたいことはそのまま。

日本語の衰退が怖い。まんま。

最近、色々な場所外来語(という呼称が正しいのかは分からないが)を見かける。

例えば時事ネタで言えば某政党の「日本人ファースト」など。あえて外来語呼び方を使うようなそういうやつ。アレが怖い。饅頭的怖い的な意味ではなく。

他でいえばマッチングアプリなどは最たる例かと思う。本質は古からある出会い系サイトと同じだが、それまでのイメージ一新、または払拭するために外来語を混ぜた呼び名があえて使われ、それが功を奏した。

出会い系サイト…というと昔は忌避されていた印象があるが、今の若者マッチングアプリを使ったことがない人はごく少数になりつつあるだろう。

(現代インターネット現実の延長となり、とても身近な存在になったことも勿論影響しているだろうが)

イメージ払拭したいのは良い。

それらが日本語言葉遊びでは無くて、英語等の翻訳から怖いのだ。

一度成り代わった言葉、一度定着してしまった言葉はそうそう入れ替わらない…ように思う。

かくいう自分イメージという、画像想像という意味では無く、ぼんやりとした意味を持つ、外来語を使ってしまっている。

他にも暮らしの中で言えばリビングキッチンハンガービジネス関連でいえばアジェンダアサインシナジー…。(調べると元は英語じゃない表現もいくつかあった)


日本語として言い換えは出来る…がしかし、言葉として使う時に口から出てくるのは、以上に挙げたような言葉ではないだろうか。対して今はそうでないカタカナ言葉も沢山あるだろう。

ちょっと外国に被れて、使ってるだけの人だって少なからず居るはずだ。直接表現するのは憚られるから、印象を和らげるために、とか。

なんならお洒落だし、とか。

そんな軽い気持ちで。



良くないね

非常に良くない流れだ。


まり何が言いたいかというと、日本語もっと大切に扱われて欲しい、ということだ。


カタカナ和訳された外来語も、日本人しか読めない、かつ、ちゃっかり日本語発音なので、日本人による日本人の為の言い換えでしかない。

でも同じように、その直前にあった呼び名日本人日本語話者しか扱えない言葉である、と自分は思う。

当方法律関連の勉強をしている身分なのだが、法律の条文の解説書にイニシアチブかいった表現が出てきた時はとかなりイラッとしてしまった。


いやいや、あるじゃん!最適な日本語が!

それ!日本語に訳せないような外来語じゃないじゃん!


そういうのが多い。

多すぎる。

日に日に目にするカタカナ英語(及び外来語)が増えていく。


言葉意味や細かな表現が移り変るのはごく自然なことだと思う。言葉ってそういうもんだし。


今、平安時代言葉を使えるか?古文が読めるか?

勉強しなきゃ使えないし、解説がなきゃ読めない。

当たり前だ。そういうもんだ。

使われなければ淘汰される。違う言葉生まれる。

そういうもんだよね。

ただ日本語は、自分日本人のものだ。

自分達が使わなくなれば誰も使わない。外来語カタカナにしたって意味が無いんだ。

かい言葉意味の違いが翻訳では伝わらないことも、いか言語を他の言語代替することがあやふやで複雑であるかを表してるように自分は思う。


言葉とは色眼鏡だ。他の言語を通すと見える世界が変わる。なんかの本で読んだ。

MGS Vのスカルフェイスも言ってた。


「ある思想家は言った」

「人は国に住むのではない 国語に住むのだ」

「『国語』こそが 我々の『祖国』だ」

スカルフェイスというより、これはエミール・ミハイシオランっていうルーマニア思想家言葉元ネタだけど。

しかしさっきも書いた通りだ。言葉は移り変っていく。そういうものだ。言ってしまえば外来語から駄目なんて決まりもない。和製英語とかあるし。

じゃあどこまで良くてここからは駄目、とか、線引きなんて誰にも出来ないだろうし。

ただ一人勝手危惧してしまう。

こうやって少しずつ、日本語らしい日本語が失われていくんじゃないかと。

でも皆そんなことに関心が無い。

大きい企業商品名自体英語にしちゃってるし。SNS広報は当たり前のようにカタカナ英語を使ってPRをしてしまうし。お洒落グローバリズムかなんだか意図は知らないけど。

それが一番怖いね

そんなこと考えてたら寝れなくなって朝っぱらからこの記事を書いてるよ。この不安を拭えるような書籍とか言語学者の見地とかあったら教えて欲しい。

ただの一般人から、何にも分からいから怖いだけなのかもしれないし。日本語らしい日本語定義ってなんだよ、って我ながら思うよ。

ホントただの漠然とした吐露しかいね

でも、それが当たり前になって、いつか自分の愛した言葉達まで淘汰されてしまうかもしないって思うと、やっぱり怖い。

やがて平仮名漢字表現熟語は淘汰されて、和製英語カタカナ字ばかりの、さらガラパゴス的な進化を遂げるのかな?と思うとそれはそれで、少し面白いかもしれないけど。

いやその場合カタカナ文として原点回帰になるのか?

つか保守派だー!とか言って叩かれそうで怖い。まあそのための匿名なんだけど。

とりあえずもっかい寝るよ。

2025-07-16

anond:20250716112927

そこんとこは些細な違いで、要は

女性男性意識せずに嫌ってて、告白されて付き合うのは男性から逆恨みを避けるため、セックスは本当は嫌だけど断って相手の機嫌をそこねるという事実が嫌だから仕方なくする、結婚は好きだからではなく世間体のため

こんなのはレアケースなんで白饅頭小山だと思ってゲロ吐いて無視しとけという話

anond:20250716112312

Xのミサンドリスト見て怖がってるの、白饅頭とか小山とかのアンフェの罵倒を見て心が折れてる女性の写し鏡なんで

そんなものを参考にするな

2025-07-13

ニラ饅頭を焼いた

1個目は電子レンジしたら美味しくなくて外したと思ったけど、

皮をパリパリになるまで焼いたらめっちゃ美味しかった

やはりメイラード反応は正義

2025-06-22

公式禁止した方がエロ絵描くのに燃えるんだよ

性加害?上等だわ、十数年オタクや男は性加害者って罵倒されてきたからな

から性加害するんだよ、エロを描くなと公式禁止されてる作品エロを描くって形でな

絵心ある奴はその公式からエロ禁止されてるキャラ可能な限り犯しまくれ、絵心なくてもAIがあるぞ

しかもただのエロじゃねえぞ、NTR凌辱系だ

「やめろ」はカリギュラ効果なの、饅頭怖いなの、嫌よ嫌よも好きのうちなの、誘ってんじゃねえぞアバズレ

2025-06-20

増田リベラル批判って大体白饅頭が言ってることと同じなんだけど

なぜか増田は白饅頭ちゃんと認めようとしない

しろリベラル批判の先輩として神と崇めるべきでは?

2025-06-11

anond:20250609230146

御田寺圭(白饅頭)は知ってたけど、海燕って人は知らんかった

Xアカウント見たり、はてブ検索したりしても、パットリベラル批判っぽい内容出なかったけど、自分の知らないところでは結構有名なのかしら

まあ作品論評とかは素直に面白い

良い人知れたわ、ありがと

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