はてなキーワード: 傍観者とは
移住先を見つけられてない、ほかに趣味がないから惰性で見てる。
若い層はかなり少ないと思うし入ってくる導線が思いつかない。
たぶんだけど強い人はもうもっと良い代替を見つけて移住してるんだと思う。
タイトルだけとか本文の一部だけ見て、脊髄反射で書いた読む価値のないコメントばっかり。
特にアイコンがデフォルトのやつは、ほぼ捨てアカウントだから言いたいこと言ってるだけ。
「こんなアイコンなので...」←くっそどうでもいい。
コメントが良いか悪いかも分かってないで、雰囲気でスターつけてるだけ。
記事にムカついて何かモノ申したいけど、自分でちゃんとした文章を考えるのはめんどくさい。
だから、自分の気分に合いそうなコメントを探してスターをつける。
自分では何も言う元気も勇気も文章力もないけど、それっぽいコメントにスターつければ痩せこけた反骨心を満足させられる。
頭よさそうなコメントにスターつければ、自分もかしこくなった気になれる。
そもそも何か言えるほど読み込んでない。何となくムカついたから何かした気になりたいだけ。
そもそも記事自体にメッセージを送る機能があるのに、はてブで間接的にコメントする時点で本気で反論・同意する勇気はない。
どこまでいっても傍観者。
内容に関係なく、その人の過去の失敗を掘り返すコメントが一番スターをもらう。
ずっと昔のことにしがみついてるつまらない人たちが多い。今のその人を見てあげなよって思う。
何の役にも立たず足を引っ張るだけ。
でも移住先が見つけられてないので見てる。
メンバーが勝手に良い記事を探してくれるような。はてブの負の部分がまだないようなサービス。
無能だから代替を自分で見つけられてない。似た機能があるサービスはあるけど何か違くて。
ただコメントは本当に半分以上はくだらないしそういう人たちが集まってるので、昔よりはちゃんと見ることは少なくなった。
それだけ。長い自己紹介だった。
もう10年くらい前のこと。
ツイッターで痴漢を取り押さえてる映像を見て思い出したので書く。
混雑した電車内で駅に着く直前、「この人、痴漢です!!」っていう女性の声が聞こえて、
私の隣りにいた女性(連れではない)が、そのさらに隣の女性と一人の男を捕まえようとしてたので、流れに身を任せるように私(男)もそれに参加。
駅に着いてドアが開くとともに、男が逃げようとしたのを女性2名(被害者と隣の女性)と私とで捕まえたが、私が荷物をいくつか腕にぶら下げていたのと貧弱だったのとで逃げようと抵抗する男を私と女性二人で捕獲し続けるのが難しい状況。
駅には他にも人はいて、見た目サンボマスターのボーカルのような私と女性×2が男を取り押さえてるというよくわからない状況を遠巻きに見ている。
どちらの女性か覚えていないが「この人痴漢なんです!駅員さん呼んで!」みたいなこと叫んだら近くで見ていた女性がハッとした感じで駅員さんを探しに行ってくれて、他の女性も捕物に参加してくれた。
一番欲しいのは「パワー」であるにもかかわらず男性がたくさんいるのに参加してくれない。
初めての状況、体力的にもきつい、腕にかけている袋のお菓子(ステラおばさんのクッキー)がいくつか割れただろうと感じた。
意地でも男に参加してほしいという思いから
とそばにいた男の人の目を見て叫んだ。
AED講習で目を見て指示を出すという話を聞いてたのでそうしたが、本来ここではグルですか?!ではなく、取り押さえるのを手伝ってくださいと言うべきであった。
目を合わせた男性と別の男性がすぐに参加してくれて犯人を床に倒しながら捕獲、引き渡しとなった。
被害者の方と参加していた女性たちから感謝され、電車男の物語を思い出すなどしたが、その後電車男のような展開はなかった。
ただ、「取り押さえないのはグルだからか、と言ってくれてありがとうございます。」と涙流して言われた。
助けてほしいと言ってるのに、それを無視したら、痴漢を野放しにしてるし、いじめの傍観者と同じでたしかにグルみたいなもんだなって思った。慌てていて何も考えてなかったけどそのときその行動ができてよかったなって思った。
ツイッターで出回った映像、捕物に参加してるのは女の人ばかりだったのでふと思い出してしまった。(捕物に参加されてる男性もいた)
あそこに私もいたのだ、助けたのだと思ったし、
あそこに参加しなくてはととにかく体を動かせた自分を褒めようと思った。
それと、去年わたしがスーパーの駐車場で縁石につまづいて転倒して頭から出血したときに駆け寄って声をかけてくれた母親くらいの年齢の女性と近くに停めていた車から降りて救急車を呼んでくれた若い男性を思い出すなどした。
助け合って生きていきたい。
- 自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。
- 自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する。
- 都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする。
- 都合のよいことがない場合には、関係のない話をしてお茶を濁す。
- どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す。
- 自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する。
- その場で自分が立派な人だと思われることを言う。
- 自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する。
- 「誤解を恐れずに言えば」と言って、嘘をつく。
- スケープゴートを侮蔑することで、読者・聞き手を恫喝し、迎合的な態度を取らせる。
- 相手の知識が自分より低いと見たら、なりふり構わず、自信満々で難しそうな概念を持ち出す。
- 自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する。
- 自分の立場に沿って、都合のよい話を集める。
- 羊頭狗肉。
- わけのわからない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する。
- わけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する。
- ああでもない、こうでもない、と自分がいろいろ知っていることを並べて、賢いところを見せる。
- ああでもない、こうでもない、と引っ張っておいて、自分の言いたいところに突然落とす。
- 全体のバランスを常に考えて発言せよ。
- 「もし◯◯◯であるとしたら、お詫びします」と言って、謝罪したフリで切り抜ける。
本小文では、ハンナ・アーレントが提起した「悪の凡庸さ」(BE 1.0)が、現代においてより巧妙かつ陰湿なかたちへと進化していることを論じます。かつての「悪」は、思考停止と無反省な服従によって成り立っていましたが、今日の「悪の凡庸さ 2.0」(BE 2.0)は、計算された行動と、美徳の言葉を悪用する戦略的な操作によって特徴づけられます。
BE 2.0は、二重のメカニズム──すなわち、道徳的言語を兵器化する巧妙な操作者と、その偽りを見抜こうとせず、あるいは恐れて沈黙する共犯的な大衆──によって機能します。
アーレントの洞察は、ホロコーストの実行者アドルフ・アイヒマンが、激情による加害者ではなく、ただ命令に従うだけの「無思慮」な官僚であったという点にありました。
それに対し、現代の加害者たちは「善人」を装い、美徳的な言葉を駆使しながら、実際にはアーレントが描いた「悪」の構造と変わらぬ行為を実行しています。
BE 2.0が「凡庸」であるのは、加害者に意図が欠けているからではなく、加害者自身も社会全体も、絶え間ない露出──特にソーシャルメディアを通じたもの──によって感覚が麻痺し、悪のパフォーマンスが日常化しているためです。この日常化は、「相手が悪いのだから自分は正しい」という自己免罪のロジックを生み出します。
明確な思想や信念に基づいて行動し、動機を「正義」や「権利」といった語彙の裏に巧妙に隠す操作者たち。彼らの悪は、分散的かつ非階層的に機能し、いわば「(サルの)群れの知性」のように動きます。また、共感は狭い部族的サークルに限定され、普遍的な倫理感覚は麻痺していきます。
観衆、同僚、制度、そして傍観者として、彼らは悪の遂行に直接加担していないように見えて、検証を怠り、言葉だけの美徳に騙され、結果的に悪の温床を支えています。リーダーの言葉にうなずくだけで、その後の行動全体を黙認してしまう、この「暗黙の承認」が共犯関係を形成します。
BE 2.0は、「正義」に見える言葉の衣をまといながら、実際には害を与えるための操作的アーキテクチャとして機能します。以下の六つは、その主要な「マスク(ベクトル)」です。
本来、異議申し立てを保護するための「言論の自由」が、憎悪や排除の言説を正当化するために使われます。権力者が被害者を装い、権利の言葉を用いて多元主義そのものを抑圧する──これが洗練された悪の典型です。
社会構造に根差す不正義が、象徴的な「個人」に押し付けられます。
• システムの生贄化:制度の失敗を覆い隠すために、ひとりの個人が「償い」の対象とされ、構造改革の必要性は棚上げされます。
• イデオロギーによる自動攻撃:あるカテゴリの人々が「攻撃してよい存在」として事前に定義されており、指示がなくても攻撃が発生します。まさに、無思慮な脚本の遂行です。
歴史上の重大な暴力や抑圧が、軽んじられたり、相対化されたりします。これは、現実の被害を正当化する方便として使われがちです。
進歩や変化を認めず、過去の不正義を手放さないことで、継続的な要求や道徳的優位性を確保しようとします。目的は「癒し」ではなく、「不満」の永続です。
複雑な現実が、単一の枠組みや道徳コードに押し込められ、それ以外の価値観は「後進的」として排除されます。
自らが行っている行為を、先に相手に投影し、正当化の材料とする。この「合わせ鏡」の構造では、真の責任追及が不可能となり、対話はエスカレートする一方です。
すべての誤りや偏見が「悪」となるわけではありません。「悪」が成立するのは、次の三つの条件が重なったときです。
他者を、尊厳ある主体ではなく、単なる機能や道具として扱う「存在論的な消去」が、悪の第一条件です。暴力の前に、すでに尊厳の剥奪が始まっています。
個人の悪意を超え、イデオロギーや制度に組み込まれることで、悪は再生産され続けます。
悪は、善を単に否定するのではなく、模倣し、利用します。たとえば、「権利」の言葉が、本来守るべき弱者ではなく、強者の防衛に使われるとき、それは善の腐敗です。
技術的な修正や制度改革だけでは、BE 2.0に対抗できません。というのも、これらは逆に「寄生的模倣」に取り込まれてしまうからです。根本的な解決は、私たち自身の内面から始まる変容にあります。
東洋の智慧は、個と社会は分かれたものではなく、同じ意識の運動の異なる側面であるという洞察を共有しています。内なる断絶が癒されるとき、外なる対立も自然に鎮まります。
1. 内的な道:瞑想、自己探求、倫理的明晰さを通じて、自己の中にある認識の否定構造を解体する。
2. 外的な道:未変容な人々が存在する現実においても害を防ぐための、法や制度、規範といった堅牢な外部構造を整える。
その行為は開かれた交流を促し、複雑性を許容するか?それとも、対話を遮断し、イデオロギー的な純粋性を要求するか?
和解と修復を育むか?それとも、分裂と戦略的な不満を永続させるか?
力、尊厳、自由をより広範に分配するか?それとも、特定の部族のために力を集中させ、特権を溜め込むか?
「言論の自由」が一貫して沈黙を生み出すとき、「学問の自由」が一貫して排除するとき、私たちは戦略的な操作の兆候を特定できます。
民主主義は、BE 2.0の条件が蔓延するとき、集団的な凡庸な悪が集約され、最高位の舞台に投影されるベクトルとなりえます。現代の指導者たちの台頭は、システムが日常的な否定、投影、兵器化された美徳のパターンを増幅し、正当化するようになった論理的な結果です。
サイクルを終わらせるには、外部の敵を探すのをやめ、内的な変容という困難な作業を始める必要があります。それまで、私たちは悪が選ぶ新たな仮面のすべてに対して脆弱なままです。
草津町長が町議に対して性加害を加えたとされる事案が虚偽だったことについて、草津町長は「自身を加害者扱いしたフェミニストらに対しては『謝ってくれれば、許す』と述べ、それ以上問題視する考えはないとした。」(https://www.sankei.com/article/20250929-4T6BDIHX5ZDLTKL4HQHBJACT2A/)
失言で職を失うことも多く、これらの中傷に対して個別にオープンレターも出せそうだが、町長は非常に寛大かつ穏当な対応をしていると思われる。
現に上野千鶴子氏や共産党(しんぶん赤旗)など、個別に町長に謝罪している例もあるようだ。
なお、当然、町長自身だけでなく、草津町全体に対する中傷にも心を痛めていたようだ。(特に許せなかったのは、観光地として著名な草津町が「レイプの町」「セカンドレイプの町」として「世界中に広まったこと。それは絶対に食い止めたかった」。(https://www.sankei.com/article/20250929-AUDKDKIAWBPQLNESH2UJJZWPTQ/))
何故かオープンレターは削除されてしまったが、アーカイブから一部サルベージしてみた。
(オープンレターが理念の呼びかけなら公開し続けても良かったと思われるが、何故か削除してしまったようで残念でならない。何か目的を達成したからなのだろうか。)
私たちは、研究・教育・言論・メディアにかかわる者として、同じ営みにかかわるすべての人に向け、中傷や差別的言動を生み出す文化から距離を取ることを呼びかけます。
「距離を取る」ということで実際に何ができるかは、人によって異なってよいと考えます。中傷や差別的言動を「遊び」としておこなうことに参加しない、というのはそのミニマムです。そうした発言を見かけたら「傍観者にならない」というのは少し積極的な選択になるでしょう。中傷や差別を楽しむ者と同じ場では仕事をしない、というさらに積極的な選択もありうるかもしれません。
さて、オープンレターでは、「中傷や差別的言動を生み出す文化から距離を取ることを呼びかけます」「中傷や差別を楽しむ者と同じ場では仕事をしない」などとされている。
これに真に賛同したのであれば、今回の草津町長や草津町に対して誹謗中傷した者は当然「距離を取られて」いると思われるが、結果を見てみよう。
#草津温泉には行かない
司法の場で適切な裁きがあることを信じ見守っています。冤罪があるならば晴れるといいですね。
お時間使うのは申し訳ないので黙ってましたが、この際はっきり言います。意見は変わらないです。何故なら、そもそも私は町議会がセクハラの申し立てに対して第三者委員会を立ち上げなかったことを当時も今も疑問に思っているからです。事の真偽については判断を留保していたので、特段述べることはない
このことをあまり指摘する人がいないのは不思議です。恐らく、皆さんがあまりにも「謝罪せよ」と責め立てるので、怖くてそうせざるを得なかったのかもしれませんね。なお、もう一つ言えば、第三者の視点で見ている裁判の結果について「謝罪する」って謎な発想です。誰に謝罪するの?と思います。
謝罪をする必要はなく、謝罪した人は、責め立てられたのでやむなく謝罪した、というスタンスのようだ。
そして、現在も東京大学教授であり、他のオープンレター署名者から「距離を取られた」という事実も認められない。
草津、イプセンの『民衆の敵』じゃん(地元の温泉に都合の悪い事実を公表しようとした科学者が、貴の町長の画策で「民衆の敵」認定される)。
「フィクションに例えたこと」を謝罪しているのであり、虚偽に基づいた草津町への発言を謝罪したと読み取ることは難しいだろう。
ちなみに、元町議の有罪判決が出てからは発言されていないようだ。
そして、こちらも武蔵大学教授という立場を失うことなく、また、他のオープンレター署名者から距離を取られたという事実も認められない。
オープンレターに書いてあることと、その署名者のとっている言動って全然一致してないよね?
しかも署名者は何をやってもノーペナルティだよね?仕事失っていないし。
自分を律せる人だったら、自ら職を辞してもいいくらいだと思えるけどね。
だったらあのオープンレターってなんのためにあったのかなぁ、誰か説明してくれない?
その他、以下の団体等も草津町を中傷してきたが、どこも謝罪をしたと言う話はなさそうだ。
朝日新聞、ガーディアン、ニューヨーク・タイムズ、フランス24、ハフィントンポストなど
(明日の自由を守る若手弁護士の会/あすわか@asuno_jiyuu)(共産党山添拓参議院議員も所属する共産党系弁護士団体)
https://i.imgur.com/FzATFUp.png
the town mayor sexually assaulted... Arai Shouko
He had a history of similar offences
最初に申し上げておくと友達にイライラはしたが極力本人たちには伝えてない
お前の性格が悪いとかそんなこと言うお前が悪いとかいろいろ言われるとは思うが、本人に伝えない理性を保ったことだけは伝えておく
この連休、友人2人(以下A、Bとする)と出かけることになり、Aが古民家カフェに行きたいと言い出した
すんごい山の中のようだったので雨も降っているしちょっと気が引けたが、自分以外の2人が乗り気だったのでじゃあ…ということでそこに行くことになった
「駐車場狭いし3人で乗り合わせしようよ」
「なんで?それぞれの車でいいじゃん」
と押し切られてしまった
当日カフェに行って、山の中で周囲に何もないため茶をしばいたら山を降りて別のところに行くことにした
ほとんど一本道だし方角さえわかっていれば特に問題のない道程ということもあり、Aに先導してもらって山を下っていくことになった
本人は安全運転のつもりらしいが、シンプルに迷惑だろうというくらい遅い
Aの車で出かけると死ぬほど煽られまくるし抜かされまくる
3人の中で運転慣れしているのは自分なので何度か自分の先導で出かけたことがあるが、毎回Aが行方不明になりパニックになって電話をかけてくる
というわけで単純かつ人通りも少ない道なのでカーナビだけ設定させてAに先導してもらうことにしたのだ
A←B←自分の順で走った
「わかんない…」
と電話がかかってきた
Aが変なところに停めたので後ろから車が来たら通れないこともあり
と聞いたが
「わかんない!」
と言い張り、1度降りて見に行くか…?と思ったところで後ろから車が来てしまったので停まっていられず、仕方なく自分が先導することにした
わかんないってなんだよ、そもそもY字路に案内標識あった上に方向合ってたからなにもわかんないことはねえんだよ(もしかしたらカーナビが案内標識とは違う方で案内して来てパニクったのかもしれないが)
お前の車にもカーナビあるだろうが…と思ったが、Bは一切案内標識を見ないという悪癖があるので黙って先導を引き受けた
で、途中までは全然問題なく道を進み、山を下ったあたりで少しずつ交通量が増えてきた
A、Bに合わせてゆっくり走っていたので当然ながら走行車線を走っていた
そしたら突然AとBが追い越し車線に移動した
完全に意味不明だが、変にはぐれて行方不明でパニックを起こされても困るので2人に合わせて自分も追い越し車線に移動した
が、追い越し車線にいるわけなので走行車線のような速度で走るわけにいかず速度を上げた
AとBは上げなかった(なんで?)
当たり前に間にはどんどん車が割り込んできて、Bは途中で追いついてきたが、Aは目的地に着くまでには追いつかなかったようだった
なんで無意味に追い越し車線に行くわけ?とイライラして着いてから怒ろうかと思ったが、なんかアホらしくなって言うのはやめた
目的のショッピングモールでは、もう本当に意味のわからないところで立ち止まる
エスカレーターを降りたところで立ち止まる意味がわからず「そこで止まったら迷惑だってわかんないわけ?」とキレた
立ち止まりに関しては流石に文句を言ってしまった、最初に散々理性を主張しておきながら情けない限りである
最初に申し上げておくと友達にイライラはしたが極力本人たちには伝えてない
お前の性格が悪いとかそんなこと言うお前が悪いとかいろいろ言われるとは思うが、本人に伝えない理性を出来る限り保ったことだけは伝えておく
この連休、友人2人(以下A、Bとする)と出かけることになり、Aが古民家カフェに行きたいと言い出した
すんごい山の中のようだったので雨も降っているしちょっと気が引けたが、自分以外の2人が乗り気だったのでじゃあ…ということでそこに行くことになった
「駐車場狭いし3人で乗り合わせしようよ」
「なんで?それぞれの車でいいじゃん」
と押し切られてしまった
当日カフェに行って、山の中で周囲に何もないため茶をしばいたら山を降りて別のところに行くことにした
ほとんど一本道だし方角さえわかっていれば特に問題のない道程ということもあり、Aに先導してもらって山を下っていくことになった
本人は安全運転のつもりらしいが、シンプルに迷惑だろうというくらい遅い
Aの車で出かけると死ぬほど煽られまくるし抜かされまくる
3人の中で運転慣れしているのは自分なので何度か自分の先導で出かけたことがあるが、毎回Aが行方不明になりパニックになって電話をかけてくる
というわけで単純かつ人通りも少ない道なのでカーナビだけ設定させてAに先導してもらうことにしたのだ
A←B←自分の順で走った
「わかんない…」
と電話がかかってきた
Aが変なところに停めたので後ろから車が来たら通れないこともあり
と聞いたが
「わかんない!」
と言い張り、1度降りて見に行くか…?と思ったところで後ろから車が来てしまったので停まっていられず、仕方なく自分が先導することにした
わかんないってなんだよ、そもそもY字路に案内標識あった上に方向合ってたからなにもわかんないことはねえんだよ(もしかしたらカーナビが案内標識とは違う方で案内して来てパニクったのかもしれないが)
お前の車にもカーナビあるだろうが…と思ったが、Bは一切案内標識を見ないという悪癖があるので黙って先導を引き受けた
で、途中までは全然問題なく道を進み、山を下ったあたりで少しずつ交通量が増えてきた
A、Bに合わせてゆっくり走っていたので当然ながら走行車線を走っていた
そしたら突然AとBが追い越し車線に移動した
完全に意味不明だが、変にはぐれて行方不明でパニックを起こされても困るので2人に合わせて自分も追い越し車線に移動した
が、追い越し車線にいるわけなので走行車線のような速度で走るわけにいかず速度を上げた
AとBは上げなかった(なんで?)
当たり前に間にはどんどん車が割り込んできて、Bは途中で追いついてきたが、Aは目的地に着くまでには追いつかなかったようだった
なんで無意味に追い越し車線に行くわけ?とイライラして着いてから怒ろうかと思ったが、なんかアホらしくなって言うのはやめた
目的のショッピングモールでは、もう本当に意味のわからないところで立ち止まる
エスカレーターを降りたところで立ち止まる意味がわからず「そこで止まったら迷惑だってわかんないわけ?」とキレた
立ち止まりに関しては流石に文句を言ってしまった、最初に散々理性を主張しておきながら情けない限りである
BLって、本当はR18で売ったほうがいい内容も多いんだよね。
でも実際は、あえてR18にしないし、仕切りも作らない。
なんでかっていうと――仕切り作ると、弱者男性が寄ってくるから。
あいつら、仕切りの奥が“女しかいない空間”だと分かった瞬間、
ニヤニヤしながら入り込んでくるの。
たとえば、BLコーナーで本を選んでると、
カーテンがサラッと開いて、誰かが入ってくる気配。
後ろから低い声で、
背中がぞわっとして振り向くと、
汗ばんだシャツ、油っぽい髪、そして顔が……ニヤニヤしてる。
「やめてください」って言っても、
「ホレホレ、もみもみしちゃうぞ〜」って手が伸びてくる。
そんで実際、胸をわしづかみにされるんだよ。
指が服の上からねっとりと揉んでくる。
こっちは全力で腕を押しのけても、力じゃ勝てない。
誰も助けに来ない。
ニヤニヤしてるだけだったりする。
その瞬間、
「くやしい、でも……」みたいな最低なセリフが頭の中をよぎる。
ああ、もう終わってるわ、ってなる。
仕切りなんて論外。
BLをR18で売るっていうのは、
その場にいる「誰も止めない空気」と、
全部抱え込まなきゃいけないってことなんだよ。
投票行くのめんどくさい勢の旦那を連れて二人で投票してきたよ(`・ω・´)ゝ
ずっとウダウダ言ってたから
って言ったら
「なんでそうやって喧嘩売ってくるん?」
ていう訳の分からん返答が返ってきたので
って別にそうは思ってないけどそういう返しをしておきました。
俺が1票入れてやるんやけんとか
俺がしてやるんやけんみたいな勘違いしてるみたいだからちょっと呆れちゃったよね。
その1票は今を変えるための自分のための1票であって、やってあげるじゃなくてしてもらう為の票なわけよ。
今まで投票も行かずに税金が高すぎるだのなんだの文句言ってんのほんとに理解に苦しむ。
変えようと動いてないくせに勝手に世の中変わると思うなよ?第三者の傍観者貫くなら今の政治に文句垂れんな。じゃないなら当事者であることを自覚しろ
って今までずっと思ってたんだけどそれを全部込めての
まず勘違いがありそうだから言うけど、大前提として、これは愚痴というより、多様性を謳うコミュニティが形骸化して、題目から外れた「排除」に向かっていることへの問題提起があるのね。思想としてもおかしくなっちゃってるというか、真の意味で多様性を打ち出すなら例外を作るのは自己矛盾じゃないですか。
だから、排除という手段を先にとったコミュニティは、活動を続ける以上は説明責任がある。それに個人間のちいさな感情とか私怨とかで大人げない行動をとるなら、それはマジで誰かを助ける以前にモラルが欠如していると思うの。
あなたはクィアではないとのことなので、つまりあなたはこの問題の枠外の人間であり、傍観者。別にわたしからもコミュニティからも責められてない。安心してほしい。
それで、家族のことだけど。
わたしも家族の言うことめんどくせー、嫌だなー、と思ったことはあるけど、全ての人にはその人なりに生きてきた上での言い分があると思うし、きちんと考えてみた結果べつに悪い人じゃないのに無視するとか、自らも加害で応戦するのってわたしとしては自分が嫌だなとおもった人たちと同じレベルに堕ちてしまうから、わざわざやりたくない。線を引いて、分かり合えない部分を表明して、なぜそんなのかを論理立てて説明する、モラハラっぽい発言があれば指摘する、を繰り返している。もちろん必要があれば身内だろうが法的措置とかあらゆるシミュレーションを想定してるよ。だから、意志が弱くて黙っていると言うより、相手が対立意見を持つ自由を認めている感じに近いかも。むしろ穏やかで硬い反抗。
泣き寝入りするなって言うの、辛かったでしょうね…わたしの家庭はまだ世間体を気にするとか、善性の果てに子供に圧を押し付けるっていう感じだったから、まだ工夫のしがいがあるなって判断したけど、暴力とか身内からのレイプとか、話が通じない家庭があるのも知っている。
じぶんはわたしが多少嫌だなと思う感情よりも、親が金と時間をかけて自分を優先し、育ててくれた苦労を無碍にすることは、巡り巡って自らの存在否定を意味すると思ったので、世間の毒親ロジックは当てはまらないと感じただけだね。
それに家族以外の人間関係は血縁や法律などの結束がないせいか、責任がないゆえに親や親戚より頼りになったこと、一度もなかったし………
なのにどうして、他人の血縁や、生まれてきたバックグラウンドに対して全否定から入れるんだろう、って思ったんだよね。個人のつらさがどんなに深刻で、どんなに親の発言が嫌と言おうが、その親から生まれたことは転生でもしない限り変えられないのに、変えられないことを憎むのってめちゃくちゃしんどいし、非効率的だなーって思っちゃった。
多分みんな自身のトラウマの投影なんだろうけど、実家暮らしでなんとか生存できているわたしに押し付けられるのもなんか困るというか、不思議だし ひとと一緒に暮らしてないとすぐ倒れたりするからかもね……実家でろ論もやってみた結果結構死と同義みたいになっちゃったし
いま群発地震を調べると日本滅亡を関連させるポストが大量に散見される。
特徴としてはわりと文章が正常であり、しっかり物事の筋を立てて私は正当に評価しています。傍観者です。みたいなスタンスであるのだ。
「日本滅亡」という物事に結びつけるため、こじつけも甚だしい、っていうことには気づいてない。
陰謀論とは大体「ウィキペディアのページのリンクを6回たどればどの話にもたどり着く」の脳内版なのだが、まあ一回群発地震のページから陰謀論に飛んでみようか。
なんと6回もかからなかったので結びつけやすいにもほどがある。
とにかく陰謀論者は「相関図好き」が多く、すーぐ相関図を作ってしまう。物語の中ならいいのだが、それを現実でしてしまうのが厄介この上ない。
で、これが低学歴だと本当に誰が見ても頭やばいやつの落書きを書くのだが、高学歴になると人を騙せる見かけの表を作り出す。オウムみたいなもんだ。
まあ気持ちは分からんでもないんよ。人って何かを信じたら楽になるし。
でもどこかで戦わないといけない。私だって時間停止モノの9割はやらせっていう言葉といつも戦ってる。1割あるわけないじゃないか。でも1割あるほうが夢あるじゃないかってさ。