はてなキーワード: 視線誘導とは
みなさんは、なぜ“オシャレは足元から”といわれているか知っていますか。
目元から最も離れた場所にある、しかも体の部位で面積が広いともいえない足元。
そこのオシャレが大事というのは、感覚的に理解しにくいかもしれません。
それは先端は目立つということです。
トゲトゲの物体があったならば、通常はその棘部分に目がいくでしょう。
では人が立った状態の際、最も前に突き出ているのはどこでしょうか。
それが足元、という理屈です。
まず前者についてですが、「それらを踏まえた上で“先端は目立つ”ことによる視線誘導が強力」という話です。
そして後者ですが、これは実際その通りであり、そしてそれこそが「おっぱい型メガネ(仮)」を開発した理由にも繋がります。
では足元よりも目元に近い場所にあり、かつ前に突き出ている(可能性のある)部位はなんでしょうか。
そう、おっぱいです、大きな。
さて、胸の大きさでよく挙げられる悩みの一つとして「胸をやたらと見られる」というのがありますね。
これを「男性がスケベ(巨乳好き)だから」で終わらせることは可能でしょう。
しかし、それだけでは性的指向が異なる人、そもそも性欲が希薄な人ですら見てしまう理由を説明しきれません。
その理由が「“先端は目立つ”ことによる視線誘導」というわけです。
先ほど挙げた「オシャレは足元から」の例に照らし合わせるなら、「スケベ(巨乳好き)」は「オシャレ」にあたります。
オシャレに気を遣えば人一倍シューズに目に向けるように、スケベ(巨乳好き)は人一倍バストに目を向ける、ということです。
ここまでの要点をまとめますと
となります。
この時点で、察しのよい方ならば私がなぜ「おっぱい型メガネ(仮)」に辿り着いたか気づいたことでしょう。
そう私は、我々チームは「逆に視線誘導を利用してみないか、逆に」と考えたわけです。
「おっぱい型メガネ(仮)」のメカニズム自体は、ここまで説明してきたことの応用であり単純です。
嚙み砕いていうならば、「より目立つものを配置して胸を見られる頻度を減らす」アイテムということです。
実際に試作品を胸の大きな女性につけてもらい、不特定多数にみてもらうアンケート調査も行いました。
結果、最も気になる部分として回答されたのは「おっぱい型メガネ(仮)」となり、その次は「このメガネをつけている人の性質」でした。
また、開発の段階では気づきませんでしたが「目を見て話すことができるようになった」という副次的な効果も確認されています。
形状については開発のルーツであるため一旦おっぱい型を試作モデルとして採用しましたが「角や棘がないためケガをしにくい」という意見もあるようです。
素材については軽量の合成樹脂をメインに一体成型で作っています。
商品のコンセプトでもあるレンズ部分によってどうしてもバランスが悪くなるため、テンプル部分は耳に巻き付くような形状にしてズリ落ちを防いでいます。
一般的なメガネを普段からかけている方も使えるように、通常の眼鏡の上からかぶせて着用できるようにゆとりのあるシルエットとなっています。
サイズについては試作品の段階では推定D~Eカップあたりで作りました。
もちろん、より大きいほど(厳密には長いほど)視線誘導の効果は上がるのですが、現時点だとメガネとして無理なくつけられるのはこのサイズとなります。
サイズを上げすぎると安定しての着用は物理的に難しいので、特大サイズについては弥縫策としてゴーグルにすることも検討しています。
或いは錯視効果を利用して実際よりも大きく見えるようにしたり、何か特徴的なデザインを加えることで目立たせる方向性も検討しています。
なお「おっぱい型メガネ(仮)」という名前についてはあくまで仮称であり、マーケティングの観点からよりキャッチーな商品名にするつもりです。
やめません?
もちろん、イラストに「転載・AI学習禁止」という透かしが入れられるようになった背景は重々承知している。昨今では、Stable Diffusionに代表されるような画像生成AIが発展、普及している。このような生成AIモデルの構築にあたり、danbooru等のイラスト無断転載サイトをデータセットとして使用する例が数多く見受けられ、問題視されている。プロやアマチュアのイラストレーター達は、danbooruなどのイラスト無断転載サイトへのイラスト転載を抑制し、AIによる学習を予防する意図で、イラストに対し「転載・AI学習禁止」という透かしを入れるようになった。このような透かしは、AIに学習されたとしてもノイズとなるため、特に学習防止に対し意味を持つことが明らかとなっている。
まあ、全然わかる。気持ちは。そりゃ嫌だったんだろうし、されたくないことをされないようにするためにはやむを得なかったんだと思う。
でも、なんというか……絵師たちは「転載・AI学習禁止」という透かしの見栄えについて一切疑問を持っていないのだろうか?代替案も用意してあるから、ちょっと考えてみてはもらえないだろうか?
他にも透かしなんていくらでも入れようがあるだろうに、なんでみんなよりによって「転載・AI学習禁止」を選択してしまったんだろう。はっきり言うけど、結構作品の印象に対して悪い影響を与えていると思うぞ。「なんで?」って思われるかもしれないから、自分なりの理屈を以下に述べる。
まず大前提として、このような「作品に対してこういうことしちゃいけませんよ」というような警告は、えらい昔から存在していたと思う。例えば、なんかニンテンドースイッチのゲーム買って起動したらさ、大体まず初めに「ゲームソフトを権利者の許諾無く、インターネットを通じて配信、配布する行為~」みたいな警告出てくるじゃん。映画でも同じだな。ゲオで映画のDVDとか借りてきて再生すると、無断でインターネット上にアップすんなよ、みたいな警告出ると思う。アマプラとかNetflixとかだとどうなんだろうな…?最近レンタルとかで映画見てないから知らないんだけど。
こういう警告を見たとて、大抵の人は別に何も思わない。早くゲーム始まんねえかな、で終わり。加えて、このような警告をイラストレーターたちが真似して導入した流れも極めて妥当だと思う。時代の流れに沿って警告する必要が出てきたわけだし、どうやろう、って考えたときにとりあえず先人の真似をするのは当たり前だよな。でも、そうやって導入された 「転載・AI学習禁止」はすっげえ邪魔に感じる。なぜだと思う?
理由は明快で、ゲーム・映画の警告と、イラストの警告は同じに見えて全然性質が違うから。よっぽど隅の方に書いてあるとかじゃない限り、イラストの警告って鑑賞している間延々と付きまとうんだよ。ゲームに例えてみるか。イラスト流の警告をゲームに取り入れてみると、ゲーム中に必殺技とか使った時に「うおおおおおおお!!!!ゲームソフトを権利者の許諾無くインターネットを通じて配信することを禁止するアターーーーックーーーーーーー!!!!!!」みたいになるんだよ。「著作権違反禁止パンチ!!!海賊版禁止キック!!!!」みたいな。映画でも同じだよな。ラストの方で誰かが死ぬ感動シーンとかで「サチコ………愛してるぜ…………今までありがとうな……………ちなみにこの映画は権利者の許諾無くインターネットを通じて配信配布する行為は禁止だぜ…………………」ピッ ピッ ピッ ピーーーーーーーーーーーーーーー「ヨシノブくんっ!!!!!お願いッ!!!!!目を覚まして!!!!!!!!ちなみにこの映画は権利者の許諾無くインターネットを通じて配信配布する行為は禁止よ!!!!!」とかね。嫌だろマジで。一本ぐらいそういう作品あったらマジでおもろいかもしんないけど、現実を見てみると今のXのイラスト体感5割ぐらいはこれなんだぞ。どんなディストピアだよ。
「転載・AI学習禁止」は見栄えが悪いんだよ。イラストを見ていたらどうしても視界に入ってしまう。そのたびに閲覧者は「警告」を受けてるんだよ。閲覧者が無断転載するタイプの人とかそうじゃないとか関係なく、見栄えが悪いんだよ。
ちなみに言っとくけど、めっちゃエフェクトとか頑張って見栄えの良い「転載・AI学習禁止」を作ったとしても同じだからな。作品に「転載・AI学習禁止」ってワードが入っている時点で上記の例えと状況に変化は無いと思うぞ。
あと、この問題にはいわゆるAI絵師と、AIじゃない絵師の戦いも関わってくるよな。絵師が件の透かしを入れる行動には、「AI絵師に対抗する」という重要な意味が含まれているはずだ。これも気持ちはよくわかる。
でもなあ。閲覧者側から贅沢を言わせてもらうと、イラスト見て癒されてる間ぐらいはそんなこと思い出させないで欲しいんだよ。はっきり言ってさあ、AI絵師とそうじゃない絵師のレスバってちゃんとしてるところもあるけど、レベルの低いところはとことん低いじゃん。なるだけ関わりたくないし思い出したくないんだよ。実際俺も人生で初めてミュートワードって機能使ったしな。
別にね、これは俺のわがままだから全然俺の言うことを聞く必要は無いんだよ。無いんだけどさ、絵師さんの目的って「イラストを通じて『AI絵師とAIじゃない絵師の戦い』を思い出させること」じゃないだろ?かわい~かったりかっこよかったりするイラストが凄く上手くできたから、みんなに見てほしいとかそういう理由だろ?だったら、その目的にもっとフォーカスした方が良いと思うんだよな。
「別にあなたが嫌とか知ったこっちゃないし」とまで言われちゃ、そうだよなあとしか言えないけどなあ。
「誰からもそんなクレームを受けたこと無い!!!透かしが嫌な人なんていない!!!」って人もいるかもしれないな。多分なんだけど、俺と同じ気持ちを抱えてるけど、一切表に出さなかったって人、結構居ると思うんだよ。
だってさあ、仮にこの気持ちを抱えたとしてさあ、指摘するほどじゃないんだよ。別に自殺したくなるぐらいにムカつく思いをしてるかと言ったらそんなことは無いしな。直せって言うほどじゃないし、仮に直せと言ってブロックされてお気に入りのイラストが見られなくなったらたまったもんじゃないしな。そこまでじゃないんだよ。
でも、確実にチクチクと閲覧者にダメージを与えていることもまた事実だと思うぞ。お前のイラストはひっそりと、与える必要のない警告を閲覧者に与え続けているんだ。ひょっとしたら、今誰かがそうなっているかもしれないな。さっきも同じこと言ったと思うけど、お前の目的は本当にこれだったのか?
というわけで、「転載・AI学習禁止」は閲覧者に大なり小なり不快感を与えるという話をこれまで述べた。でも、なんとかしてAIからの学習は防止しないとな。どうしようか?
案をいくつか考えてきた。
これは結構おすすめだ。多少はイラストの見栄えを損ねるかもしれないが………この方法は、閲覧者にとっても大きなメリットがある。例えば、その透かしが入ったイラストがどこかに転載されて、たまたま俺が見つけたとしよう。そしたら、「おお!!!この絵すげえな!!!他のイラストも見てみたい!!!○○って奴が描いたのか!!Xのプロフィールにジャンプするぜ!!!」というように、一発であなたの元までジャンプできる。凄く便利だ。
あんまり実例は無いけど、名前を入れるのが恥ずかしければこれがおすすめだ。時と場合によるかもしれないけど、どこが見どころなのかも強調されるから、透かしなしでは注目されなかった部分にも注目を集められるかもしれない。ちょっと強引だけど視線誘導ってやつだな。使い方次第で閲覧者にポジティブな影響を与えられるんだよ。
上記2つの案と併用して欲しい。どっかに禁止していることを書いておかないと、学習を許可していると思われちゃ叶わないからな。
ぶっちゃけ、どんなに転載禁止とデカデカと書いても転載する奴は転載するし、見栄えを損ねるだけなんだからやめた方が良いと思うぞ。閲覧者の役に立つ透かしを入れて、AI学習の回避だけを狙う方がおすすめだ。
結果的に出力されたものがそう見えるものであれ、作者のコンセプトはそうではない。
単に
・根は良い奴
・クラスで虐められている
・指摘されるまでそれに気付けない
・言動にクセがある
という要素を何も考えずに混ぜ込んでいったらこんなキャラになっただけだ。
主人公を虐めていた連中の語るいかにも自閉症傾向に向けられるような言葉も、いじめっ子がよく使ってそうな言い訳を思い出しながら並べただけで、その向こう側に生きづらさのステレオタイプを抱えている人間がいることを考えて作られたわけではない。
元増田がHAKUTAKUの主人公を発達障害と決めつけたのは変なクセがある台詞回しによる影響もあるだろうが、これは別に主人公がそういう累計として作られているという訳でもない。
作者なりの小ボケのクオリティがとことん低いから結果として「大人になってから判明する程度の障害がありそうな人」という印象を得ただけだろう。
「人数にして小数点以下の友達」や「福汁引」といった読み手にとってノイズにばかりなるのにおもしろくないただテンポを下げるだけのフレーズを作品に入れ込んで、それを削除もせずにそのまま第一話の原稿に載せている時点で言葉の技術が足りないのだ。
このような作家が生み出すキャラクターの言動は総じて非現実的で違和感が強いのだが、それが時折「現実においても違和感の強い言葉を発しているタイプ≒発達障害タイプ」をモチーフにしているのではという疑念を抱かせることがあるが、大抵の場合は違う。
先に述べたように作者が漫画にとって都合の良い要素を雑に足して生み出したキャラクターに雑な言葉を喋らせた結果でしかない。
雑なのだ。
・放課後限定で初めてアクションゲームを作る主人公に与えるタイムリミットがキャラのドット打ち込みでの3週間という無理のあるスケジューリング
(主人公達のスケジュールについて工数見積等を交えた検討が行われておらずその場の思いつきレベルで行動内容と結果を決定)
・「学祭が近い」という発言が出てきているが全く学祭が近そうでない雰囲気
(セリフで説明するだけで中身が伴っていないスカスカの世界観)
・主人公をパシってた奴らの鼻を明かすはずが単に「ゲーム超面白いね」で終わって全然カタラルシスがないプロット
(大抵の作品が起承転結を綺麗に決める第一話で基本的な設計が出来ていないという絶望)
(上手い漫画家はこういう時に表情一つで主人この感動を描けるわけだが、逆を言えばここまでゴテゴテさせて結局イマイチ伝わってこないというのは相当酷いということである)
・本!! 日!!の異常な読みにくさ
・善人キャラだったはずの主人公が受けるために教師のタバコを皆にバラす
もうね。本当に酷いんすよ。
こんな作品に対してわざわざ元増田が暗い情熱を燃やす必要なんてない。
ジャンプ買ってるなら勿体ないけど毎週読み飛ばせばいいだけだと思う。
ブラックジャックの少しあと、こち亀より少し前、そんな時代に生まれた作品としてオーパーツレベルだろ。
漫画の文脈がいよいよ洗練されていく過程に出来た作品でありながらここまでスッキリとした読み味、演出意図のメリハリや視線誘導の迷いの無さは時代を考えれば異常としか言えん。
同じ時代に生まれた化け物コンテンツとして釣りキチ三平やポーの一族があるけど、これらの作品も今読むとどこかゴチャついた読みにくさがある。
だがガラスの仮面の読み易さはなんだ。
何が恐ろしいって、どのページもどの演出も「これをどういう気持で受け取ればいいのかわからない」と迷子になることが一切ないことだ。
それぞれのシーンの作中における意図がハッキリと伝わるわけだ。
この時代の漫画といえばよくあるのが、コマやページの空白を埋めるように粗雑なギャグが挟まり、迷い箸のような行儀の悪さを感じさせることだが、ガラスの仮面ではそれが極めて少ない。
これから何を描きたいのか、次に何を読ませたいのか、物語をどこに向かわせたいのか、それらが作者の中にシッカリと固まっていて、それを読者に精緻に伝える漫画的なコミュニケーション力を持っている。
何より凄いのが「この物語をただそのまま楽しませることができれば、読者はそれだけで満足するはずだ」という確固たる自信だ。
それが虚勢なのか本心なのかまでは紙面だけでは伝わらないが、ただ一直線に作品を読者にめがけて投げつける渾身のストレートのなんと鋭く重いことか。
漫画が無数の技術と文脈を身に着けた時代を生きる50年先の未来人が読んでなお、「漫画が上手い。漫画力が高い」と思わせるここの普遍的な技量、揺らぎのない精神性はなんだ。
とんでもない作品だな。
50年弱も連載して未だに完結もしないダラダラと間延びした過去の遺物だと思っていた自分が恥ずかしい。
正しく知る誰もがその完成を待ちわびる漫画界のサグラダ・ファミリアだ。
漫画力の高さが本当に狂っとる。
3つある
それぞれについて説明していく。
縦読み漫画が少しずつ勢力を伸ばしている背景として「見開き表示の難しいスマホでは既存の左右セットの漫画は読みにくいことがある。ならば1ページごとスクロールする方式にすれば、スマホでも読みやすいのでは」という考えがある。
そういった所を目指して作られている。
TIKTOKなどのUIがスマホ向けに構築されているのと同じ文脈の中に縦読み漫画はある。
そうなると結果として「スマホでも読みやすいことを目指す」ということがどうしても条件付けられていく。
1スクロールの情報量を絞るということは、漫画が今まで積み上げてきた視線誘導やコマ割りの技術が全く使えなくなるということだ。
重要な場面もどうでもいい場面も同じぐらいの大きさのコマで表示されては、漫画の持つ独特のリズム感が失われてしまう。
多少コマ割りを工夫したところで、単に台詞の数が多いだけのページと重要なページのコマが結局一緒になるのだから焼け石に水だ。
漫画の情報量を扱うのに現代のスマホの機能が低すぎるのである。
これには「漫画の読み方がわからない人でも、スクロールを追っていくだけなら読めるのではないか?」という発想が根底にある。
先ほど言ったように、そもそも縦読み漫画は既存の漫画ロジックを使うことが難しいという欠点を持つが、これが既存の漫画ロジックを知らない漫画原始人でも読みやすいという予測に繋がったのである。
漫画の基本ロジックを知らないということは、そもそも漫画というものに対してのあらゆる知識が乏しいということである。
現代の漫画には多くの約束事があるが、読み慣れた読者と描き慣れた作者にとってはそれらの約束事が情報の精度と速度を高めるための補助として大いに役立つわけである。
コマの形だけで、モノローグ、内心、驚き、悲しみ、といった情報を伝えることが出来ることで、「悲しそうな雰囲気で楽しそうな言葉を言う」といった描写も簡単に出来てしまう。
だが漫画初心者にはこれが通じないかも知れない、そして縦読み漫画がターゲットとしている層に漫画初心者が含まれる、つまり、こういった漫画技術を縛って書く必要が出てくるのである。
漫画的な知識が乏しい読者を相手にすることで起きるのは何も技術の制約だけではない。
既存の名作漫画を知らないということは「知る人が見れば名作の下位互換でしかないような作品」であっても、「初めて見るような凄い作品」として受け入れられてしまうということだ。
これにより縦読み漫画の世界では散々手垢のつきまくった名作を雑に真似ただけのような作品が次々と生み出されていく。
横読みなら手垢がつきまくりオリジナリティ皆無とされるような漫画が、漫画をろくに知らない読者には新鮮に映るのだから、それで簡単に評価されてしまう。
適当にやっても簡単に評価されるし、むしろ手が込んだものを作れば理解されないとくれば、粗製乱造が界隈の当たり前になる。
そういった漫画を好まない読者は横読みに流れていき、そういった漫画を好む読者だけが縦読み漫画に残る。
結果として、縦読み漫画という表現形態そのものが「手垢のついた展開の簡易版を読んだり描いたりする場所」として立ち位置を固めてしまったわけだ。
今後、縦読み漫画の中でも少しずつ名作が増えていくに連れこのような状況は緩和されるのかも知れないし、縦読み漫画は漫画初心者の入門用としての立ち位置になり、ある程度読み慣れた読者は自然と卒業するものになるのかも知れない。
俺に分かるのは、現状の縦読み漫画はつまらなくなるべくしてつまらない漫画まみれになっているということだけだ。
少しフィクション混ぜて書く。
日曜、池袋の駅前の広場で、中学の頃に好きだった人を見つけた。
見つけた、というかマジックショーをやってた。
人だかりがあったから、なんかやってるな、何やってるんだろって。
見たらマジックショーで、マジシャンは中学の頃好きな奴だった。
って彼氏に呟いたくらい。
かも、じゃなくて、間違いなく奴だったんだけど。
顔変わってないし。
今は、どうなんだろう。
まあでも、今の彼氏のこと、好きだしね。
そんなことより衝撃だったのは、奴がマジックをしていたということ。
だって、私は中学の時に、奴にマジックを見せたことがあるから。
私は口下手だった。
でも、奴のことが好きだった。
小学校から中学校に上がったら、女子と男子はお互いにあんまり話さなくなった。
カースト上位の人たちは、気にせず話していたけど。
そんなわけで、私は奴に全然話せなかった。
もし、私が奴に突然おはようとか言ったら、変な空気になったと思う。
ただ、ずっと、見計らってた。
「マジックがなんでそんな上手いんですか〜??」
「まず訂正したいのは、これはマジックじゃなくて超能力です。」
少し溜めて、続けてゆっくり言った。
「あと、僕は、少し、手が、大きい。」
マジシャンは顔の横に大きい手を広げて、おどけてみせた。
たしかに、大きかった。
そして、思った。
私は手が大きい。
キャンプファイヤーのダンスで「手でかいな」って言われたこともある。
マジックなら、なんやかんやで披露する場があるだろうし、奴とも話せるかもしれない。
持ってる手鏡だとよく見えなかったから、洗面台の鏡で練習した。
サボると、手がなまるのがわかった。
弟にちょくちょく見せていたけど、反応は悪くなかった。
ただ、奴に見せる自然な流れは来なかった。
というか、奴は隣のクラスにいたから、隣のクラスの委員会情報をゲットして、同じ委員会に立候補した。
そして、やっと図書室で2人きりになる機会が訪れた。
視線誘導もうまくいったし、思った通りの反応を引き出せた。
完全に成功だった。
「めっちゃ凄いね!練習してるって、将来マジシャンになるの?」
「いや、なんも考えてなかったけど。」
「いや才能あるわー。なったほうがいいよ笑」
そこから二人の恋が、と言いたいところだけど、それ以上のことは何も起こらなかった。
1年以上練習したのに、何も起こらなかった。
少しの達成感はあったけど、それだけだった。
そのまま卒業して会うこともなくなった。
15年以上前のインターネットでは評論家にどこか漂う胡散臭さが普通に語られてたと思う
そこでは漫画のコマの視線誘導がうんたら長く語ってた評論家などもいて彼らは殆ど政治性を意識される事は無かったが
彼らも含めて評論家はみんな同じように胡散臭さを指摘される事が多かった
でも最近はポリコレを絡めて作品評論をする評論家やその記事が注目を集めたりするし
そうすると胡散臭さなど全く感じずに肯定する人や、逆にポリコレが絡んでるから胡散臭さを感じる人などが出てしまっている
自分はどっちも違うと思うのだ
はじめに断っておくが、増田が使っているサービス(ハローサイクリング)は主に首都圏や関西など
大都市圏を中心に提供されているサービスなので、地方にはまだまだ広まっているとは言い難く、
とにかく、個人のものでなくレンタルできる自転車のサービスが広まっていることはご存知だろうか。
駅周辺のビルや公園、コンビニなどに、専用のポート、要は駐輪場があったりする。
各サービスのHPやアプリに、ポートの所在地がわかる地図が設置されていると思うので、
気になる人は自分の行動圏にあるかどうか見てみるといい。
当時働いていた会社が秋葉原駅から徒歩20分くらいのところにあったので
終業後に時々買い物に行ったり、ヨドバシのバッティングセンターに行ったりしていた。
会社→アキバで用事→会社の最寄り駅から帰宅と、往復で40分と思うとちょっと面倒だった。
そこに現れたのが、レンタサイクル。徒歩20分の道でも、自転車なら10分かからずに行ける。
かなり気軽に行けるようになり、元々自転車に乗るのが好きだったのもあって、頻繁に利用するようになった。
各サービスによって異なるが、短時間の利用でならそこまで高額になるものはない。
増田が使っているやつなら30分130円、延長15分100円だから、1時間使っても330円だ。
増田の使い方は主に出先での短距離移動なので、だいたい130円で事足りる。
ロードバイクなどに乗るのが趣味の人ならば50キロでも100キロでも乗っちゃうだろうし、
なんなら輪行してしまうよ人もいるだろうが、そこまで本格的じゃない人が大多数だ。
ちょっとママチャリでぶらぶらするのが好き、というような人が一番刺さると思う。
自宅周辺だけでなく、出先(といっても主に都内だが)で自転車を漕げるのは新鮮さもあって楽しい。
都内は坂だらけの街も多い。
しかしレンタサイクルは基本的に電動自転車なので、坂だらけの街でもなんのそのだ。
電動というメリットを享受できないと、それは途端にただ重いだけの自転車に成り下がる。
サービスによるとは思うが、増田が使っているハローサイクリングでは事前に乗りたい自転車の予約ができる。
アプリ上でもおおまかな電池残量は確認できるが、可能ならポートに置いてある自転車を実際に見てみて、
電池残量が充分に残っているやつを選ぶとよい。
場合によってはポートにある自転車のすべてが死んでいることもある。祈るしかない。
当たり前だが、完全にどこでも自由に乗り捨てできるわけではなく、
所定のポートに置かなければならないという縛りがある。そうするとこうした問題が生まれてくる。
自転車がない問題はシェアサイクルという性質上、避けては通れないものだ。こればかりは仕方がない。
駐輪場問題のほうには2つのパターンがあり、「ポートが満車で置けない」パターンと、
「そもそも目的地の近くにポートがない」というパターンがある。
前者の場合、近隣に別のポートがないかチェックする必要があるし、
後者の場合はそもそもレンタサイクルという選択肢自体を選ぶべきではないだろう。
ざっくり説明すると
操作音や音声アナウンスがあるわけでもなく、視線誘導のような工夫はされていない。
同じサービスでも自転車そのものは複数のサービスにまたがって使われていたりするため、解錠の方法も複数ある。
慣れればわりとスムーズに使えるが、最初のうちは「これで本当に返却できたのかな……」と不安になったりもする。
と、こうしたデメリットはあるものの、基本的には便利なサービスだと思う。
どれも慣れや事前のチェックでどうにかなるものばかりだ。
先日、残業を終えて終電間際の電車に乗って帰宅していたのだが、乗る電車を間違えた。
疲れていたこともあって行き先を間違えてしまい、違う路線に乗り入れてしまった。
幸い、行き先が分岐する駅から1駅で気付いたのだが、引き返す電車はすでに終電が行ってしまったあと。
駅前では同じ境遇の人が家人に迎えの依頼をしているような電話をしていた。
迎えが期待できない増田のほうは、はてさてどうしたものかと思案した。
自宅まで歩けば30分程度だが街灯が少なく坂だらけの道を歩くことになる。
タクシーは呼ばなきゃ来ないようなところで、料金も3000円を超える見込み。
そんな状況で1台のレンタサイクルが停まっているのを発見したときは、
砂漠でオアシスを発見するとこんな気持ちになるのかと思ったね。
こんな辺鄙……と言うほどでもないが、住宅街の小さい駅に1台停まっていたのは幸運だった。
自宅の最寄駅そばにもポートがあることを確認し、夜中のサイクリングを楽しみながら帰宅しました。
とまあ、出先での移動によし、緊急事態での利用によしと、