はてなキーワード: ダリルとは
ホール&オーツが二人の間で訴訟沙汰になってとうとう永遠に袂を分かった、て今はじめて知ったわー
自作楽曲の著作権管理(監理)ビジネスで見解の相違があったのがいちばんの原因みたいだけど、音楽性の相違もだいぶ前から決定的になってたみたい
ジョンが80年代半ばの二人の全盛期に連帯保証人絡みでスゲー借金背負わされてたのも知らんかった…
手元で完全に自分で権利を握っときたいダリル(デビュー前後に手放して後悔するような目に遭った経験があるそう)とその二人が持ち株会社として自作楽曲管理ビジネスやってるぶんの株を手っ取り早く売却しようとしてたジョン、それに慌ててダリルがストップかけたのが訴えの内容らしい
音楽性の相違は、ダリルがだいぶ前からYouTubeでやってる番組に、師匠のトッド・ラングレンはほぼセミレギュラーってぐらい出演してるのに、ジョン・オーツはたった一回しか出てないってところから察してる人が多かったぐらい知られてたけど
実に恥ずかしい話なのだが、俺はバシャールという宇宙人がいると信じていた。
バシャールというのは人間とは別次元にいる宇宙人で、物質と非物質の間の存在らしい。
そんなバシャールは、日本で言うイタコのように、ダリル=アンカというおじさんの所に”降りて”くる。
そのおじさんは、バシャールが降りてくると急にハイテンションになり、さまざまな宇宙の知識を聞かせてくれる。
それを聞いて我々は「宇宙人ってすごい!もっと聞かせて!」となり、その交流会は大盛況。
ダリル=アンカのおじさんは参加費でガッポガッポ儲かるという仕組みだ。
バシャールは一度1980年代にブームになり、その後廃れたがまた2000〜2010年代にまたブームになった。
「引き寄せの法則」というのがブームになり、それに乗っかった形になる。
「ワクワクを追求しよう」
ワクワクすることをしよう。すると宇宙が味方してくれて、全てうまくいく。
逆にワクワクしないことは考たり行動しないでいい。
ワクワクしないことをすると波動(人間の持つ振動数のこと。高いほど運が良くなるし宇宙的に高い存在となる)が落ちるし、悪いことが起こる。
けれどワクワクすることをやると自分の波動が高まり、勝手に色々なことが解決される。
実際にそのダリル=アンカというおじさんも、そのバシャールの理論を実践して、映像関係の仕事で成功を収めてるらしい。
今政界で話題になってる参政党の須藤元気も、バシャールと対談をして、本も出している。
https://www.amazon.co.jp/dp/4899762216
昔読んだけど内容は忘れた。ただ評価は4.2星と高い。
興味がある人はトンデモ界を垣間見る気持ちで読んでみてもいいかも。
そういう自分も、バシャールの本は貪り読んだ。国内で出版されているバシャールの本はほぼ全て読んだと言っても過言ではない。
本だけではなく、YouTubeにアップされているバシャールの英語の動画もよく視聴した。
そのおかげで英語のリスニング力がアップしたくらいだ(ただしバシャールは訛りが酷くてやや聞き取りづらかった)。
そんな俺はバシャールを信じ、ひたすらワクワクすることをした。
嫌なことやワクワクしないことはやらなくなった。
するとどうなったか??
「いや無理。ワクワクし続けるの無理。だって不安が勝手に湧いてくるもん!」
「あとワクワクなことやっても、嫌なことも起こるし、解決されないよ??」
という所にたどり着くのに5年以上かかった。
幸い俺は基本的には(SNSや交流会以外は)一人でバシャールを実践してたので、沼から脱出できた。
脱出できなかった人は、借金したり、破産したり、家族や友人とうまくいかなくなってた。
そりゃそうだよな…。
よく考えたら、宇宙人なんていないし、宇宙人がいたとしても、なんてそんなおっさんに降りてくるの?
そもそも降りてくるってなんだよ!
どういう仕組み!?
だがそういうことを俺はすぐに気付かなかった。
人生に迷ってたのもあるし、氷河期世代なこともあり、鬱憤が溜まっていた。
それを一発で解決する方法があるのでは?あっ、これだ!バシャールだ!!
みたいに、飛び付いちゃったんだよな…
今ではバシャールの本は全て捨てたし、全く信じていない。
最後に。
もしこれを読んだらあなたがバシャールとか宇宙人とか、スピリチュアルとか陰謀論を信じてたら、距離を取ってくれ!
今ならまだ間に合う!目を覚ましてくれ!
俺はスピリチュアルにハマって離婚までしちゃったから、こうはならないでくれ!!
頼む!!!
ガンダムの脚本は無理ゲーを強いられており、今後も視聴者に袋叩きにされ続ける貧乏くじの役割です。成り立たせようがない矛盾を矛盾させないことを強要されてます。
女児向けアニメでもジャンプ漫画でも見受けられるけど、呪いや悪霊や妖怪など人間以外の存在と戦ってお祓いをして地元の治安を維持する系(スピリチュアル自警団とても言えばいいのか?)は、おもちゃ販促と非常に相性が良い。
呪われて奇行に走っていた人を解呪してあげることで本人も周囲も救うような建付けなので、主人公が持っているアイテムを模したおもちゃも自動的に正義に分類できる…というか配慮対象がいらない。
ミニ四駆やベイブレードや遊戯王カードなどでキャラクター同士が勝負をしているアニメ、キャラクターたちと同じおもちゃを買って自分と友達も遊ぶことができる、という建付けも非常に相性が良い。
物語はこの勝負に勝つこと、このトーナメントで優勝すること、などを目標としている。甲子園を目指す野球漫画のように非常にわかりやすい。
水星の魔女が決闘だけやっていたり、ジークアクスがクランバトルだけやっていたらこの方向性に近かった。違法賭博は伴うが。
ダリルバルデやギャンは活躍したから欲しくなるが、人を運搬しただけのデミバーディングや、棒立ちで死んだハンブラビは活躍しなかったから欲しくならないと叩かれる。この、「好感度を維持しながら活躍する機体」を用意する難度が異常に高い。
兵器の活躍となると殺し合いか防衛か殺しとなる。そして大量殺戮を格好良いものとして描くと、作品の倫理観がどうなのか?ミリオタポルノ臭い軽薄な物語じゃないか?というケチがつく。
ジフレドにはニャアンが雰囲気でア・バオア・クーを消滅させたイメージが付きまとう。すごく殺人がカジュアル。でも何もできなかった機体よりは販促の観点では良い仕事をしている。
関連玩具を売らないといけない種類のアニメはストーリーと販促を両立するか、販促を優先してストーリーが犠牲になるかの二択になっており、戦争やテロを扱いながらロボットを売る場合はロボットを引き立てるために殺人は軽い扱いになる。それはどうしようもないことで、兵器のおもちゃのフェチが金を動かしているからそうなるしかないのであり、ストーリーは今後も期待できない。そもそも成り立たせようがない無理難題を押し付けられているのがロボットアニメの脚本で、今後も作られてはストーリーにケチをつけられMSが活躍していないと言われ袋叩きにされというのを繰り返すのだろうと思う。人類以外の侵略者に対して地球を防衛する…という立場をとったブレイバーンの建付けでないと兵器としての活躍の純粋な正当化が難しい。ガンダムは人と人の戦争やテロ行為を扱い続ける。これと、兵器を美しく描いて販促することの両立は、構造からして無理。「軽薄」に寄ったのがジークアクスで、軽薄にならないよう半端な努力をした結果2期の展開がモタモタしたのが水星だ。そして常に、プラモデルを売上は犠牲にできないので、倫理やストーリーの整合性が犠牲になる。シュバルゼッテの販促義務という制約の中での、ラウダの人格のめちゃくちゃさといったら…。
一般素人がラッキーでいきなり力を得る展開の説明としてロボットを得ることは向かないということを説明します。
父親が車好きなのと比べて、自分はあまり車を運転することに自由や楽しさを感じられない。機械の操縦にロマンを感じられない。
渋滞、コインパーキングが満車、月極駐車場が高い、交通事故を起こしたくないのにチャリやLUUPや子供が飛び出してくる、などなど車に付随する諸々がかなり不自由。気を張りながら運転し、終わったらどっと疲れる。
自家用車じゃなく必要なときにレンタルするものだから「専用機」でもなく毎回車両感覚がリセットされ苦労する。
機械の操縦、車の運転、というものに身体拡張の快楽を覚えられる世代や環境と、そうでない世代や環境はあると思う。
つい先日YouTubeで、北海道で軽トラを運転しているときにヒグマに襲われてフロントガラスにヒビを入れられる動画を見た。生身なら確実に死んでいる。危険な野生動物がいる地域、施設から施設までの距離が遠すぎる地域などは、車に生かされるというのは実感を伴う感覚だと思う。生身だと死ぬシチュエーションが多いので。
しかし自分が暮らしている場所は人口密集地で、日常生活においては車を停める場所に悩まされる、不自由になるシチュエーションが多い。大きな機械の操縦席で乗り回す快楽に、ロマンに、スムーズには乗れない。
ジークアクスで言うと「エグザベには起動できない」「ニャアンがコックピットから急に放り出される」といった描写に、かなりの生理的嫌悪感がある。
馬が特定の人間を嫌って、暴れて落馬させるのは納得する。生き物に好き嫌いがあることは当たり前。
ブレイバーンがスミスを乗せなかったのも、後々の説明を聞くと納得できる。エアリアルがスレッタを特別扱いするのも、姉が宿っているという設定があるからだ。
ジークアクスは生き物っぽい依怙贔屓を機械がやりながら、その説明をブレイバーンのように行うこともなく不気味なまま流される。
この気持ち悪さは許容できなかった。例えるなら「ハゲが嫌いなのでハゲに購入されると発火しやすくなるリチウムイオン電池」みたいな気持ち悪さ。
素人がチート機体に選ばれたら訓練をしなくてもいきなりオートパイロットが強力にきいてなんとかなるのが興ざめする。
いきなり動けることについて、初の巨人化したエレンが最初からヘタクソなりにまあまあ動けるのには納得感がある。肉のままの「大型化」であり、コックピットで操縦桿を握るのとは違う。またアニのように格闘術を素の状態で習得していると巨人状態でも活用できるのも楽しい。
マチュが盗んだジークアクスをいきなり動かせて勝てるのは萎える。そのままずっとオートパイロットで良いじゃん。
オートパイロットで勝手に動く優秀なモビルスーツに乗るパイロットの意味って何なんだと思う。
好き嫌いが強い機械にとっての、モチベ要員?エグザベは抜けない、マチュは抜ける、ニャアンは抜けるかなと思ったけど抜けないからやっぱポイー。みたいな気持ち悪さしかない。
「機械が意思を持ちユーザーを選ぶことへの生理的嫌悪感」でも述べたけど、本当に気持ち悪い。ブレイバーンはキモいキモいと騒ぎやすかった割に騒いだほどではなかったけど、ジークアクスの気持ち悪さは気持ち悪いと言いづらいながら本気で気持ち悪い。
ガンダムに熱中するのは個人の自由ですが、それはフェンタニルやアルコールやカフェインなどの物質依存になったりQアノンやオウム真理教その他のカルト・陰謀論コミュニティにズブズブになるより無害という程度です。ガンダムを知らない人を見下すような教養では断じてないです。
旧作ガンダムを知らないのは、単に世代が違うか、その流行に触れてこなかったコミュニティにいただけの話。サッカー選手名や野球選手名を知らないのは無教養ですか?ファッションショーに出ている服飾ブランドの名前を知らないのは無教養?いいえ、趣味の範囲です。知らないことは愚かさでも罪でもないです。ただそういうコミュニティにいないからなじみがないだけです。人の勝手です。
エンジニアの勉強会にけものフレンズやまどマギの話を持ち込んで、観ていないエンジニアが「知らねーよ」となる話が一時期頻発してましたが、いまガンダムがその枠になってるだけです。流行しているアニメの視聴がゴルフ接待のようになっている。
Qがエヴァをパクったのか、エヴァ的なスタイルは昔からあるものなのか知らないが、意図的に説明を省き解釈の余地を過剰に残すとファン同士の解釈バトルを誘発し、それを収益化するYouTuberを生む。
Qドロップも思わせぶりで行間が多い。個人的には行間が広すぎるというのは上品とも知的とも思えず、不誠実で逃げを打っているとしか思わないが、このスタイルは「解釈やさん」に役割を与えるのでXのバズやYouTube収益などサードパーティーを食わせてやったり承認を分け与えてやったりすることができる。
「解釈やさん」に多くを譲るほど、本体であるはずの作品は、単体では何を言っているのか全くわからないものになる。というより、何も言っていないのかもしれない。「解釈やさん」にアテンションを分配すること自体が存在の目的なのかもしれない。エヴァもそうだし、ジークアクスもそうだ。彼らは「解釈やさん」であるとか、「旧作オマージュ早押しクイズやさん」に活躍の機会を与えている。そのコミュニティ含めてエヴァ体験・ジークアクス体験としている。
作品単体では意味不明であり、解釈やさんの主張も作中で一言も書かれていないような内容がたくさんある。はっきり言って、統失のような解釈が山盛りに溢れている。それを包摂しているのがカラー作品のコミュニティになっている。
カラーのアニメのようなものがなく、伝統宗教も崩れると、待っているのは薬物乱用(フェンタニル中毒になると1~3年で死んだりするようだ)か陰謀論(ピザゲート事件のような現実の発砲事件も引き起こす)の隆盛であると考えると、カラー作品が主導するコミュニティは素質がある人々をフィクション消費の範囲内で包摂する「防波堤」なのかもしれない。
しかしあくまでオウムやQアノンよりマシという消極的な評価であり、カラー作品の解釈に多くの時間を費やせることが教養であるとは少しも思わない。マウントのアイテムにもならない。リストカット自慢やOD自慢のように、自慢されても羨ましくない。カラー作品の行間を噛み締めることに時間を使わないとやってられないような人生が羨ましくないんです。マシ、防波堤、必要悪、です。
主人公以外の男キャラで、その作品ブームの牽引役として圧倒的な貢献をしたキャラ
他に誰がいる?
※作品ブームの牽引役として圧倒的な貢献をしただから、主人公とか他のキャラも人気だけどそれより少し人気が高いくらいじゃダメだよ
アイシールドの蛭魔、ガンダムのシャアは凄くいい、すっかり忘れてた
爆豪も確かに ポップはどうなん?最終的に人気上がっただけで、牽引したかというと…?
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既に人気があった作品の序盤中盤に注目されてない/登場が遅い/活躍が遅い/見直されたのが遅いキャラは難しいかもね
あと女子人気が強く影響するのはそうなんだけど、その中でも特に凄かったキャラという感じだね
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未精査メモ(以下全てがブーム牽引キャラに該当するかは調べてない)
ぱっと思いついたのは八神庵
振られただろうが。求婚を断られ、スレッタのための決闘をエランさんと話したいのに余計なお世話と迷惑がられ、グエルが退学にさせられてから行方不明になっていることにスレッタの反応はなく、グエルの告白に対してスレッタは自分にも(別の)大切な人がいると断り、グエルも深追いをせず断られたことを受け入れて断髪をしただろうが。告白されたスレッタが瞳をキラリとさせたから脈アリと主張している奴いるけど、スレッタはトマトを食べたときにも同じような瞳を輝かせる演出が入っていたんだが、トマト性愛者か?それに、告白を断った直後、決闘でスレッタはグエルが死んでもおかしくないレベルのビーム兵器をグエルに直撃させそうになってダリルバルデごと蒸発させかけたところを、ベルメリアが作ったアプリでエアリアルを緊急停止させたことで止められているんだぞ。脈アリなら、というか普通は、求婚や告白してきた相手を殺そうとはしないんだよな…。それにグエル側も、スレッタが誤解していたから誤解を訂正するために流れで告白したのであって、スレッタと付き合おう結婚しようと思って言ったわけではない。スレッタに言う前から自分にとっての優先順位が高いのはジェターク社であると決まっている。それでもグエルにスレッタを諦めさせない、いつまでも追いかけ続けさせる、スレッタはエラン(4号)かミオリネかプロスペラかエリクトにしか執着していないのに矢印を捻じ曲げてグエルに向かわせようとする…。もう解放してくれ、グエルとスレッタを。
グエスレがオバサンに多い幻覚なら、グエフェルとグエセセはオッサンに多い幻覚だ。確かにフェルシーとセセリアは男人気が高く、エピローグでフェルシーは雇用者・被雇用者関係でセセリアともオリジナルのエランを介してなのかビジネス上の関係があるようだから、人間関係が皆無の顔カプとはいえない。ただ、フェルシーやセセリアがグエルに恋愛感情を向けているととれる描写は存在しないし、グエルからもそうだ。ここが付き合うと良い、結婚すると良い、というふうに思うのは公式設定でもなんでもなく「カップリング妄想」だ。住み分けができずブコメにすらグエフェルをブチ込むような奴がいるが、みっともない妄想の垂れ流しだ。妄想の自覚持ってくれ。「女はカップリングが大好きだな」などと他人事面しながら、グエフェルやグエセセの要素を当然の如くねじ込むガノタ男、鏡を見て言え。
多すぎる…。ジェターク寮を退寮させられた時にグエキャンに水かけいじめをしていたモブ生徒×グエル、カシタンカ艦長×ボブ、カシタンカ乗組員複数モブ×ボブ、フォルドの夜明けメンバー×監禁グエル、オルコット×グエル、ラウダ×グエル、ヴィム×グエル、ZOOMしていた投資家おじさん×グエル、オリジナルエラン×グエル、多すぎる!スレッタ×グエル、セセリア×グエル、フェルペト×グエルなど、年下の女の子にスパンキングされたりケツを掘られているグエルも創作されている始末で、本当になぜこんな異常なバリエーションの「グエル受け」が大集合してしまったのか、グエル受け腐女子のその節操のなさに言葉を失う。さらに意味が分からないのは、グエルを性的客体として描いているとしか言いようがないこうした二次創作を消費している腐女子の「水星の魔女」評が、露出の少ない学園制服、乳揺れ無し、中年女性の活躍など、性的搾取描写が少ないことを評価する…といったポリコレ系のものが多かったことだ。ど、どの口が…?!どの口がほざいている…?!
グエルの話に何らかの恋愛性愛ネタを添え、そこから揉め始める人間が多すぎる。グエルの公式カップリングは存在しない。会社を立て直そうと頑張っているMSパイロットのCEO、それで充分じゃないかよ。ガンプラが発売されてもグエルの立体が発売されても、常にカップリングの話題が追いかけまわしてくるのが鬱陶しすぎる。性・恋愛要素が目的ではなく単体として見ている人間を認知してくれ、そして公式カップリング面して推しカプ話なんかを捻じ込んでくる人間は自重してくれ。本当にいい加減にしろ。
バシャールとは?
バシャールは、スピリチュアル界隈で有名な存在で、アメリカ人のダリル・アンカという人物が「チャネリング」しているとされる宇宙存在です。バシャールは未来の地球や人類の意識の進化について語っており、そのメッセージは「自己を愛し、信じる」「自分の本当の願望に従う」といったスピリチュアルなテーマが中心です。
バシャールの教えは、ポジティブな思考や自己実現、引き寄せの法則などと関連が深く、これらの概念に興味がある人々にとっては、インスピレーションの源として人気があります。彼は「地球を助けるために他の次元から来た存在」で、宇宙における人類の位置や、より高次の存在に気づく方法などについて教えることが多いです。
ただし、彼のメッセージは科学的には証明されておらず、信じるかどうかは個人の考え次第です。バシャールの話に興味がある人は、彼の書籍や講演、動画を通じてメッセージを受け取ることが多いですね。
これを信じていた。
バカな俺。
本もたくさん買って、イベントにも行ったよ
チャネリングなんてないよ
単なるイタコ芸じゃん
何が引き寄せの法則だよ
あー腹立つ!
そして悲しい!!
うわわーーーん!!!
https://anond.hatelabo.jp/20240216163351
この投稿にもある通り、水星の魔女界隈では「スレミオが公式だなんて認めない、スレッタはグエルと一緒にいた方が幸せになれるはず」「ラウペトが公式だなんて認めない、ラウダはグエルと一緒にいた方が幸せになれるはず」とキャラの幸せを勝手に決め付ける人がとても多いよね。
こういう人たちはスレッタやラウダの幸せのためと言いながら、本当はグエルのケア役をスレッタやラウダに求めているところが共通していると思う。
スレミオとラウペトの関係性の描写が完璧だったとは言わないけど、自分は本編を最終回まで見て普通にスレミオとラウペトがカップルとして成立したと感じたし、スレッタはグエルよりもミオリネと、ラウダはグエルよりもペトラとの方が良い関係を築けていると思った。
グエルとスレッタの関係性にも、グエルとラウダの関係性にも、もっと言えばグエルのキャラクター自体にも、あまり魅力を感じなかった。
シーズン1のグエルのスレッタへの態度には問題がたくさんあった。けどまだストーリーの前半だったということで、ここでは詳しく言及しないことにする。
シーズン2の17話でグエルがスレッタに告白するシーンが評価されているようだけど、個人的にはそんなに良いシーンとは思えなかった。
視聴者視点ではグエルが父親を誤って死なせてしまったり地球に拉致されたりと壮絶な経験をしたことを知っている。でもスレッタはそれを知りようがないんだよね。久しぶりに会って、その間どうしていたかもわからない人にいきなり告白されても困るだけだと思う。
グエルはスレッタに告白しないで、自分の心の中だけで恋にけじめを付けてほしかった。
しかもグエルはスレッタのことを大切だと言っておきながら、この後スレッタの意思を確かめることなくミオリネと共謀してスレッタからエアリアルを取り上げてしまう。そしてその結果、プロスペラによるクイン・ハーバー襲撃事件が起こる。
スレッタからエアリアルを取り上げたのはミオリネの提案だから、ミオリネの方により責任があるとは思う。それでも提案に乗ったグエルにも責任はあるはずなのに、襲撃事件についてミオリネばかりが落ち込んで、グエルは特に後悔している様子がなかったのはどうかと思ってしまった。
ミオリネがこの後スレッタと和解できたのはシーズン1からスレッタと過ごしてきた時間があったから、それにスレッタに対して悪かったという気持ちを示したからじゃないかな。申し訳ないけど、そのどちらもなかったグエルをスレッタが選ぶ理由はないと思う。と言うか、そもそもグエルはスレッタへの恋は諦めて恋愛よりもジェターク社を守る道を選んでいるし…
ミオリネはスレッタのことを搾取してばかりだからスレッタはミオリネよりもグエルとの方が幸せになれるはず、という意見もよくわからない。シーズン1でミオリネがスレッタの実技試験を手伝ったり、インキュベーションパーティーでスレッタを助けたりしたのはなかったことになっているんだろうか。
次にグエルとラウダの関係性について。
シーズン1の印象では、この兄弟は確かに仲は悪くないけど二人とも相手の気持ちを考えずにお互いを傷つけ合っているなと思った。
ラウダはグエルのためを思ってとは言え、グエルを父であるヴィムの思惑に従わせようとする。グエルはヴィムの横暴さも悪いとは言え、ラウダの心配をよそにヴィムの言いつけを破り続け、ついには誰にも行き先を告げずに家出して行方不明になってしまう。
この二人にBL人気があることは知っていたけど、血が繋がった実の兄弟なのに「公式カップルだ、結婚だ」と言っている人たちの気持ちは理解できなかった。
と言ってもこれだけすれ違っているからには、シーズン2ではこの兄弟は和解するのかな?と思っていた。
ところが、シーズン2でもグエルとラウダはすれ違い続けた。
地球から戻ってきたグエルは、ヴィムを死なせてしまったことも、今までどうしていたのかということもラウダやジェターク寮の仲間たちに話さなかった。それに、ラウダに代わってジェターク社の新しいCEOになったグエルは会社や仕事の詳しい状況をラウダや仲間たちに共有していない様子だった。
正直、実の弟や寮の仲間たちに対して冷たすぎない?と思ってしまった。ヴィムを死なせてしまったことを言いだせなかった、自分がいなかった間ラウダに苦労をかけたからもう苦労をかけたくないと思った、というのもわからなくはない。でも、ラウダも仲間たちもそんなことを望んでいないと思うんだよね。
その後、グエルは緊急だからとラウダに理由を説明しないままダリルバルデを運ばせてシャディクと交戦し、結果的にではあるけどシャディクがノレアを解放して学園でテロが起こり、テロに巻き込まれたペトラが重体になってしまう。
ミオリネとグエルはスレッタに対して良かれと思ってエアリアルを取り上げたけど、それはスレッタのためにも作中世界のためにもならなかった。それに加えて、グエルはラウダに対して良かれと思って会社のことを一人で引き受けたけど、それはラウダのためにも作中世界のためにもならなかった。
本当に見ていてしんどい展開だった。途中まではグエルとラウダに和解してほしいと思っていたけど、もういいよ…という気持ちになってしまった。
この後、シュバルゼッテに乗ったラウダがグエルと交戦し、一応誤解が解けてグエルと和解したような展開が23話にあった。そして24話(最終回)でラウダがペトラと一緒にいてグエルからは離れていたことが、グエルとラウダのカップリングを支持していた人たちから猛烈に叩かれた。
主に「頑張って会社を立て直しているグエルから離れるなんてラウダは酷い」「あんなにブラコンだったラウダがグエルよりもペトラを選ぶなんて納得できない」という内容だったと思う。
何度も言うようだけど、二人がカップルとしてではなく、兄弟として仲良く一緒にいるエンドを期待したというのなら理解はできる。でも自分は先にラウダを突き放したのはグエルだと思う。ラウダはそれでも追いすがろうとしたけど、父を死なせたのが実はグエルだった、しかもそんな重要なことを隠されていた、となると、もう前と同じ熱量でグエルを慕い続けるのは無理があるんじゃないかな。
それにラウダとペトラの関係性について描写が不足していた(特にラウダ側からペトラへの気持ち)のは事実だと思うけど、ラウダがCEOだった時にペトラが会社でラウダを手伝っていたということは、この二人は苦しい状況を共有して一緒に乗り越えようとするくらいには信頼関係を築けていたということだよね。これはグエルとラウダの関係性よりよほど健全だと思う。
グエルからはラウダと苦しみを分かち合おうとか一緒に頑張ろうという気持ちが感じられない。ラウダはグエルに「兄さんを支える」と言ったけど、それは一方的なもので、グエルの方はラウダに助けてほしいとか側にいてほしいと思っているように見えない。これならラウダがグエルと一緒にいる必然性はない。
「相手に対して良かれと思ったことを相手の意見を聞かずに勝手にやる」「重要なことを相手に話さない」「苦労を相手と分かち合おうとせずに一人で背負おうとする」というのは、パートナーとしては致命的だと思う。スレッタやラウダがこの状態のグエルと一緒にいて幸せになれるとは思えないし、グエル本人も幸せになれるとは思えない。
「家出してバイト生活を送ったり、父を死なせてしまったり、地球に拉致されたりと普通じゃない経験を色々した割にそこから何か学んだ様子もなくこの有り様? 『グエルは成長した、真の主人公だ』と言われているけど、一体どこが?」という失望感が大きい。何度も描かれたグエルの受難描写に何の意味があったのかわからなくなってしまった。
グエルが本編で大変な目に遭っていたのは本当だし、もっと報われてほしかった、誰か寄り添ってくれる人がいてほしかったという感想もわかる。
ただ、それにはまずグエルが相手の話をちゃんと聞いて、自分のこともちゃんと話して、相手と喜びや悲しみを分かち合えるようになる必要があると思うんだよね。
グエルとスレッタ、グエルとラウダのカップリングが公式になるべきだと主張している人たちがそう言っているのを見たことがない。「グエルは大変だったんだから、グエルが何も話さなくてもスレッタ(ラウダ)がそれを察して寄り添ってケアするべきだ」と思っている。エスパーでもない限り、そんなの無理に決まっている。
そうは言っても、「グエルはスレッタに片思いしていたけど、適切なコミュニケーションが取れなかったので振られてしまったしその後顧みられる場面もありませんでした」「グエルにはラウダという弟がいるけど、適切なコミュニケーションが取れなかったので危うく弟に殺害されかけたしその後破綻はしていないながらも距離のある関係性になりました」というのは、メインキャラの顛末としてあまり後味が良くなかったのも確かだと思う。
個人的に見たかったのは、「グエルがミオリネと一緒にスレッタからエアリアルを取り上げてしまったことを謝り、失恋はしたけどスレッタの良き友人知人として味方に加わる」「地球から帰ってきたグエルがラウダや仲間たちに父・ヴィムを死なせてしまったことを打ち明け、ラウダたちもグエルにヴィムの思惑を押し付けてしまっていたことを謝って和解する」というような展開。
どうしてこういう展開にしなかったのかと言えば、多分「グエルにはあくまでスレミオの当て馬でいてほしかった」「ラウダがシュバルゼッテに乗る展開にするためにはグエルとラウダのすれ違いが必要だった」からなんじゃないかと思う。
水星の魔女のシーズン2について、キャラがストーリーのために無理やり動かされているみたいで生き生きしていない、操り人形のようだ、とよく指摘されているのはこういう部分だよね。
ある意味グエルも脚本の被害者で、公式サイドはキャラのグッズを売ったりして儲けたいという気があるならもう少し後味の良い結末にした方が良かったんじゃないかな。
それにしても、一部の過激なグエルファンたちの「グエルは今のままで完璧で変わる必要はないので周りがグエルに合わせてあげるべき、作中キャラの誰もグエルを恋愛相手に選ばなかったのはおかしい」という態度には本当に辟易している。
上にも書いたようにグエルは(特に恋愛的パートナーとしては)そんなに完璧なキャラじゃないし、仮に完璧なキャラだったとしても作中キャラや視聴者全員から好かれるわけではない。
もし水星の魔女の続編が作られたとしたら、グエルが相手ときちんと対話して一緒に頑張ることができるようなキャラになっていてほしいなと思う。もうグエルの独断専行に他のキャラたちが振り回されるところは見たくないよ。
色々教えてもらったありがてぇ…サンデー系あんまり詳しくないんだよな。
●忘れてた
・からくりサーカスのしろがね(エレオノール)と鳴海。わたくしはルシールさんが好きすぎる方向性
●ちょっと違うけど無論好き
・ウィングマンのアオイさん 子供心にアオイさん派だったけどミクちゃんENDは致し方ない
・ネウロとヤコチャン 人間の成長と可能性みたいなのいいよなぁ
・うしおととらのとら関連 かがりさん√も真由子√も好き…選べない
やっぱラーマの姉(名前不明なんかよ)が本命ってことなんだろな
・うしおととらのうしおパパとママ 過去編読む前からお父さん好きだったのだが、
・幽遊白書
そうだ!ぼたんちゃん好きだわ。蛍子ちゃん応援して、同僚応援して、いいやつすぎるだろ。
幻海と戸愚呂弟いいよね…
・映画「Red」ブルース・ウィリス目当てで見たけど、紅一点の凄腕スナイパー・ヴィクトリア様が素敵すぎた。
これは主人公(60代)の彼女(30代くらい?)がちょっといらんかった…。ヴィクトリア様ワントップでいいだろ!!!
2だと イ・ビョンホン演じる若造とヴィクトリア様がバディ組むので大分該当している。
あとおじいちゃん共どいつもこいつもめちゃ可愛い(これは1の方が可愛い)
・コブラとレディ
まぁ、相棒なんだけど、一応過去レディ人間時代に恋愛関係にあったので…。でも大好きだよ。
●その他
・ザ・ファブルの洋子
漫画広告で気になってたからこの間、金曜ロードショー見たけど実の兄弟じゃなくてびっくりした。
・化物語の忍
好きじゃないわけがない。普通にガハラさん派ですが。羽川、可哀そすぎてみてらんない…。
●ええーってなったやつ
ダリルの墓のシーンはよかったな。
・そしたら本編が地味にダサくてがっかりした。
・水男(CV.檜山修之)のキレ芸は好きなんだけれども。さすが、『幽☆遊☆白書』で「第1話で幽助を車で轢き殺した男」役を演じた人だね!
・しかし今時こういうコンセプトの怪人ってどうなんだよ。どうしてそこでふざけちゃうんだよ。ダサいよ、怪人のキャラデザが。
・そもそも舞台がアッパーとどスラムに分かれてて、主人公的な刑事の女の子が正義感故にアッパーからどスラムに左遷されて来て、暑苦しく腐敗に立ち向かっていくという設定も、今更これやる?って感じだしなぁ。
・昔の刑事ドラマ的なノリ目指してるなら徹底してくれって思った。半端に小綺麗。
・ベムはいいけどベラとベロのキャラデザが、これまた今更これ?っていう超地味なダサさがあるのである。15年前だったらオサレだったかもしれない。
・なお、ベラとベロが旧アニメとキャラ違い過ぎ問題自体には特に不満はない。
・ビジュアルが旧アニメとかけ離れているベラとベロだが、中身は案外そのままなんじゃないかなという気がする。ただ、私は旧アニメは子供の頃に観たっきりなので、あくまで気がするだけである。
・妖怪化した妖怪人間達が一周回ってお洒落に見える。かっこいいなぁ。ただし、思ったよりもアクションが良くないので残念。
・それは私が直近で観たのが『どろろ』と『鬼滅の刃』だったのが良くないと思う。あれらは比較に出してはいけないヤツだ。良すぎて。高望みはよくないな。
・ベムが戦闘後人型に戻ったら素っ裸になったのを見て、『超者ライディーン』を思い出した。作品全体の、独り善がりなオサレと極め付きのダサさの悪魔合体ぶりも似ている。
・いくらベムが素っ裸だからってビビって発砲するんじゃないよそこの女子。
・ビジュアルがもうこういうのはいい加減古いのでは?という感じなのはともかくとして、ベラは可愛い。ベラ回のストーリーがダサかったにもかかわらず。
・スラムの描写が中途半端だって思う。ただ殺風景なだけで危険な臭いがしない。
・去年『BANANAFISH』を観た時も思ったけど、スラムの一角で若いチンピラがたむろっている描写っていうのは、もはやリアリティが無い?いや、アニメの製作をするような人間がそういう所には出入りしないってだけかな。とにかく悪い意味で浮世離れしている感があるのだ。
・いくらスラムだからって、明らかに小学生のキッズが小汚ないゲーセンにぷらぷら溜まっていられる訳ないだろ。そんな事してたら命がいくらあっても足りないわ。
・もしかして、実は物凄く治安が良いのだろうか。そもそもそこがどスラムの一角だという私の認識が間違っていた?もしかして、25年前のオリオン通り(栃木県宇都宮市。最近事は知らない)くらいの治安感なの?
・ダリル君の裕福な鼻持ちならなさと真っ直ぐな性格の同居っぷり、嫌いじゃない。
・あっ……。
・何絆されてんだよ!?
・次回も観よ。