はてなキーワード: 石上とは
○ご飯
○調子
・はじめに
携帯電話で配信されていたアプリをニンテンドースイッチに復刻したADVで、シリーズ化されているものの第十弾。
シリーズとしてはこれ以降も続いてはいくのだが、原作者である石山貴也が関わった癸生川凌介シリーズとしてはこれが最後となる。
そんなわけで、今までのシリーズで度々言及され、いろいろな人物のターニングポイントとして語られてきた永劫会事件が遂に題材になっている。
1999年に新興団体が絡む大量殺人、その新興団体の会員はまだいること、生王と癸生川の出会いのエピソード、生王がヤバいことになる。
そんな前置きを踏まえて今作は、新米刑事で殺人事件の捜査をする工藤貴樹、恋人の不穏な様子を探ってほしいと癸生川に依頼に来た石上雅人、その恋人妹浦澄佳、事件を嗅ぎ回っている謎の人物、都合4人の主人公の視点を行き来しながら物語が進んでいく。
そして全てのルートをプレイすることで真実が見えてくる構成だ。
まずは警察として王道の捜査を行う工藤貴樹パートは、聞き込みや調査で証言や証拠を集めていく安定の面白さ。
石上雅人パートではシリーズでは珍しく癸生川が同行するため彼の聞き込みの態度がじっくり楽しめるのが好き。今までも稀にはあったが今回は沢山あって満足。
謎の人物パートは流石に工数の関係かコマンド選択部分はかなりあっさり目で捜査結果を確認するような部分が序盤は続く。
とはいえ、スムーズで端的な捜査結果でありつつ、そもそもの目的が不明なため、この捜査の情報は何のためなのか? という大きな謎が物語を引っ張ってくれる。
このシリーズといえば最後の最後に癸生川や伊綱さんが今での過程を大きくひっくり返す展開が待っている。
今作でもそれは健在で、一気に事件を見る目が変える必要が出てくる大きな展開が待っている、それも何個も。
さらにそれが、今までのシリーズを遊んでいるからこそファーストインプレッションの解釈がブレる楽しさも、シリーズものならではの面白味だ。
特に今作は「生王と癸生川の出会いのエピソード」ということが散々言われて来ていることを踏まえるとなるほど納得である。
また、ちゃんとそれらの事実が今作のテーマに大きく絡んでおり、単なるサプライズに終わらないところが、このシリーズの妙だろう。
そんなわけでテーマの話も書く。
今までも多くの社会的な有り様を問うような問題を掲げて来たが、今作では被害者救済という重たいテーマが早々に提示される。
しかし、この被害者救済という重たいテーマを書き連ねてはいるが、今作ではその背後に明確な営利目的に起因する犯罪者の存在が用意されていた。
これでは答えの出ない問題に向き合った割には結局悪い奴がいたという、収まるべきところに収まっていたと思った。
それが悪いと書いているのではなくて、この社会的なテーマを扱っていて、各々の登場人物たちの苦悩や答えもキチンと表現されていて、読み応えはあった。
しかしながら、それはそれとして今作においては反論の余地のない巨悪が裏で操作していたと言われてしまうと、被害者救済のための自由意志すらも剥奪されるかのような、ある種、慈悲深いが故にそれを許されてしまったかのような勿体なさを感じてしまった。
行きすぎた被害者救済は良くないがその悩みに寄り添うことの難しさはわかるものの、今作においてはそれを誘導した全ての根源がいてソイツが悪いという展開で、その悩みからの行き過ぎた行為を罰せられることすらも許されてしまうのは、ある種発端となる加害行為と表裏関係にあるのかもしれないとすら思ってしまった。
もちろん大前提として発端となった加害者が悪いことは当たり前なのだけど、その先にある被害者救済のための行きすぎた報復の結果、それが平等に裁かれないのは、それはそれで差別的だと思ってしまった。
あくまで今作がそのような設定をとったことはエンターテイメントとして犯人を用意するミステリ作品のある種の義務なのだけど、その犯人による誘導に全てを委ねてしまうのは、被害者救済のための報復を誓った、その誓いの気持ちを無碍にしてしまうようなモドかしさがあった。
それが面白い/面白くなかったとか、フェアであるアンフェアであるとかではなく、魅力的で自立したキャラクタを多く描いている本作だからこそ、報復もまた犯罪と知りながらも被害者救済だと信じて犯罪をおこうなうような存在が、このテーマを描くにあたって期待してしまう犯人象だった。
これは単に僕が作者のやろうとしたことと異なる部分を期待してしまっただけで、繰り返し書くが面白い/面白くなかったという話をしているわけではない。
・さいごに
探偵・癸生川凌介事件譚シリーズを通して遊んできた。
総じて、アドベンチャーゲームというよりは、本格ミステリの文脈に近い作品が多く、それが好きな自分としては楽しめた。
携帯電話ゲームという制約もある意味プラスに働いていて、余計な不純物がないアドベンチャーゲームとして必要最小限ながら十分な遊びで楽しめた。(僕は、後半突然3Dダンジョンや脱出ゲームを遊ぶ必要がある類のADV極端に嫌う性質があるので)
シリーズを通してのベストは当然今作永劫会事件だが、作品の幅が広く多種多様な物語を楽しめた。
愛すべきマンネリとしてお馴染みの展開を繰り返してもいいものを、手を変え品を変え楽しませてくれたサービス精神も素晴らしかった。
以降も別の作者で看板はそのままシリーズがまだあり、そちらも復刻が決まっているため今後もう暫くは定期的にいつもの面々と会えそうなのも嬉しいところ。
white_roseは色々なアカウントにミソジニー認定しているけど、女性の中にトランス女性が入るのが我慢できないご様子。
このトランスヘイトと批判されている記事に肯定的なコメントをしている。
https://wan.or.jp/article/show/9075
https://b.hatena.ne.jp/entry/4689906894204577154/comment/white_rose
white_rose こんな内容ですら叩きコメばかりなの怖すぎる。/“「ペニスを付けた男性が女性風呂に入ること」という非現実的であり得ない問題設定” を持ち出しTERFと決めつけ叩いているのは「フェミ」嫌いのミソジニストじゃん。2020/08/15
こうやって、トイレのことを持ち出してトランス女性叩きを繰り返してきたのが、キリスト教福音派などのキリスト右派。white_roseはネトウヨ批判して、自分は絶対にネトウヨではないと思っているけど、統一教会もトイレのことを持ち出してトランス女性叩きしてるから、white_roseもネトウヨの仲間でもある。当事者の意見を無視して勝手にマジョリティ側が「問題設定」するのは、在日コリアンの犯罪を勝手に問題設定して当事者の意見を無視するネトウヨと同じことをしている。
トランス女性は全人口の1%もいないのに、99%のシスジェンダー側に属するシス女性が勝手に問題設定して排除するとか、そんなことをして、よく男社会の権力とか言える。そんなことをするからトランス女性の自殺率はシス女性より圧倒的に高い。
この石上の記事に大いに賛同しているのが、デマでトランス女性叩きばかりしているポルノ・買春問題研究会のアカウント。デマの件は、ツイッターで中国人女子選手がトランス女性とデマ画像が出ていたけれど、実際にはシスの中国人女性だった件など、出回っている。
white_roseのようなTERFは、今のフェミニズムは第四波と言われて、実はインターセクショナリティが言われたのは三波だったとか、なんでインターセクショナリティが言われだしたのかも、さっぱり理解できてない。
インターセクショナリティを一切考えないと、フェミニズムは白人の女たちの所有物になって、有色人種としての日本人女性も排除されることになる。
トランス女性の当事者としての悩みを一切聞かずに、トイレの話を持ち出して身体男のごっこ遊びとかに流されるwhite_roseが、今のインターセクショナリティから見ると反動で、トランス女性叩きするミソジニストでもある。
white_roseの考えるフェミニズムは、三波より前で何十年前の話なのか。黒人の男が白人の女に人種差別を言うと、「黒人の男の女性差別が」とか言い出して白人の女が人種差別から逃げてきたことなどもインターセクショナリティの視点だよ、トランスヘイターのwhite_rose。
先日かぐや様は告らせたいが最終回を迎えた。
これをもって一時代を築いた貧乏な学生が主人公のラブコメ(貧乏ラブコメ)3作品※が全て完結を迎えたことになる。
※かぐや様は告らせたい、ぼくたちは勉強ができない、五等分の花嫁のこと。
これらは同時期に連載していて同じような設定の主人公で同じような時期にアニメ化したことからまとめて語られることも多く、それでいて全く違う終わり方をしたことからよく比較対象になっている。
各作品の終わり方
ラブコメ漫画はとかく完結後炎上しやすく、どういう終わり方がいいのか議論になることが多い。
同じような時期に同じような設定で始まり全く違う終わり方を迎えた3つの漫画。これほど比べるのにちょうどいい環境もそうそうないだろう。
せっかくの機会なので各作品の軌跡を振り返っていきたい。
ミラクルジャンプで連載開始。好評のためかその後ヤングジャンプに移籍。
ラブコメというジャンル名でありながらほぼラブがメインなことが多いラブコメ漫画の中では珍しく、コメディを中心に据えた作風で人気を博し、貧乏ラブコメ仲間の一つである五等分の花嫁に抜かれるまでの2年以上、全週刊漫画誌で連載中のラブコメで売上No.1の座を守った。
白銀とかぐやが付き合ってからはコメディの割合が減ったり裏主人公である石上メインの話が増えたりしたために若干不評な時期もあったが、白銀たちが1年生のときの生徒会や思わせぶりな新キャラなどで考察好きのファンの間では変わらず盛り上がりを見せ、アニメ化の成功や実写映画化の大ヒットも手伝い最後まで人気のまま完結を迎えた。
シリーズ累計発行部数は1900万部(Wikipediaによるとうち100万部以上はスピンオフ)。仮に原作が1750万部とすると1巻あたり発行部数は約65万部。
週刊少年ジャンプで連載開始。
ラブコメとしてはオーソドックスなヒロインと主人公の交流を繰り返していくタイプであるが、ストーリーの連続性の薄さやヒロイン同士の交流がほぼ皆無であることなど、1話完結を繰り返しストレスなくキャラの可愛さを愛でるという構成はライトなラブコメの一つの究極でもある。
単行本1巻発売時にはあまりの人気に重版が追いつかない事態となり、当時としては異例の紙書籍と電子書籍がほぼ同時に発売するという措置を取られた。(当時は紙書籍から1ヶ月遅れて電子書籍が配信されるのが当たり前だった)
その後アニメ化決定あたりをピークとして徐々に人気が落ち着いていったものの、本編最終回と同時に週間少年漫画としては前代未聞のパラレルストーリーを発表したことで大きな盛り上がりを見せた。
ただそれ以降はあまり話題には上がらず、その影響もあってか最終回でのTwitterトレンド入りを逃すという、アニメ化作品としてはある意味異例の結果を残した。
シリーズ累計発行部数は440万部。仮に原作が420万部とすると1巻あたり発行部数は約20万部。
とかくキャラ人気に引きずられて話が本筋から逸れて冗長になりがち(キャラの魅力が大事なジャンルなので冗長になった部分こそが魅力だという面もあるが)なのがラブコメというジャンルだが、その中で珍しく一切の無駄を省いて本筋だけを通って完結まで走りきった。
元々人気作ではあったがアニメ化をきっかけにさらに人気が爆発。貧乏ラブコメ仲間のかぐや様は告らせたいから全週刊漫画誌で連載中のラブコメで売上No.1の座を奪取した。
原作の完結時には結末に納得の行かないファンたちや駆け足での完結に反発したファンたちでネット上は荒れたものの、引き伸ばしがなく人気絶頂のまま完結したためか一般層の評判はさほど変わらず、完結後も売上が伸び続けるという異例の大ヒット作となった。
シリーズ累計発行部数は1600万部仮に原作が1500万部とすると1巻あたり発行部数は約107万部。
(2022年12月現在2000万部。仮に原作が1900万部とすると1巻あたり発行部数は約135万部)
高クオリティの作画に鈴木雅之の主題歌という話題性も手伝いヒット作となる。
テレビアニメは3期まで放映され、新作アニメーションの劇場先行公開も決定。4期もおそらくやるものと思われる。
声優ユニットを組んでCDを出すなど音楽面には力を入れていたように思うが、アニメ自体はそれなり。ぼく勉の前クールに放映していた超豪華声優陣の五等分の花嫁や高クオリティのかぐや様に食われてしまったためか、ヒットや原作読者の獲得には繋がらなかった。
緩いラブコメが好きな層からはそれなりに好評だったが、アニメ2期最終回で途中から唐突にアニオリ展開が始まり、原作の完結より前に原作の結末が明かされ炎上した。何だったんだこれ。
1期は不安定な作画が、2期は原作の取捨選択がそれぞれ原作ファンからは不評。一方でヒロインは花澤香菜、竹達彩奈、伊藤美来、佐倉綾音、水瀬いのりという超豪華声優陣に恵まれアニメとしてはヒット(もちろん原作の面白さがあってこそではあるが)。
YouTubeでの頻繁な無料公開で若年層の獲得にも成功し、今年上映した映画は小中学生連れの家族や女子高生など幅広い層が見に来たうえ原作ファンも絶賛。上映規模が100館程度の作品としては異例の観客動員数150万人以上、興行収入22億円以上の大ヒットを記録した。
主人公の白銀にジャニーズの平野紫耀、ヒロインのかぐやに橋本環奈を採用した実写映画は興行収入22億円超えの大ヒット。続編も作られそちらも興行収入10億円を超えるヒットとなった。
スピンオフも活発で、かぐや様は告らせたいの二次創作同人を描いていた作家を起用したかぐや様は告らせたい同人版をとなりのジャンプで連載したり、新聞部の2人を主人公にしたかぐや様を語りたいをヤングジャンプで同時掲載するなど幅広い展開を見せた。
その他にノベライズがオリジナルストーリーが1冊。漫画、映画のノベライズが計5冊。
強いて言えば単行本の有償特典として付属したボイスドラマがヒロイン5人中4人分存在する。
スマホゲームとしてごとぱずと呼ばれるゲームが配信されており、その他にコンシューマーゲームとしてADVが2作発売されている。コンシューマーゲームのADVは好評のため3作目も決定していて、さらにごとぱずの1年目のストーリーをまとめたものもコンシューマーゲームとして発売することが決定している。
メディア展開とは異なるが、ごとぱずが公式のDiscordサーバーを設置しておりそちらでもファンの交流が活発。
その他には映画までのアニメをノベライズしたものが5冊。各ヒロインのキャラクターブックが5冊。フルカラー版のコミックスが原作と同数出ている。
ここまで貧乏ラブコメ3作品の辿ってきた軌跡を追った。どれも押しも押されもせぬ人気作品と言って良いだろう。
ただ連載中の売上やアニメ化に伴う売上の増加は終わり方の良し悪しとは関係がない。終わる前の話であるから作品の面白さやアニメの出来に左右されるものである。
では何が終わり方の良し悪しを決めるのかといえば、やはり完結後のメディア展開や語られ方、盛り上がりといった雰囲気から見る他ないだろう。なのでそういった観点から、全く違う完結を迎えた3作品の終わり方はどう評価されたのか見ていきたい。
※終わって間もないが、付き合った時点で終わるのがラブコメのスタンダードのため付き合った後も続いた場合はどうかという視点で考える。
付き合った後も続けるのは蛇足と言われがちだが、かぐや様は付き合ってからも3年以上連載が続いていた。読者からの不評の声がなかったわけでは無いが、人気が落ちたようなことは見受けられなかったため大きな影響はなかったと判断して良いだろう。
付き合った後もアニメは人気で、実写映画化も果たした。かぐや様を語ったり考察したりするファンも大勢いた。最終回を惜しむファンも数多くいて、作者のツイートには27万以上ものいいねがついた。
そもそもハーレム系ラブコメではない、ラブよりはコメよりの作風だった、というのもあったかもしれないが、付き合った後も続けるという手法が悪いと言えないことは明らかだろう。
今ぼく勉について語られるのはパラレルストーリーの是非がそのほとんどを占める。作品の内容自体が語られることは限りなく少ない。
読者が一番見たい主人公とヒロインが結ばれるところとそれまでの話に連続性がないのだから、それまでの話を語る意義がないため当然ではある。実際にパラレルストーリーが始まった後に更新を止めた考察(感想)ブログもあった。
パラレルストーリー発表後の連載中も作品の盛り下がりは顕著で、掲載順はぼく勉史上初の最下位を記録し、単行本も右肩下がりを続けた。最終回では作者が全感想にリプライ返しをするという読者サービスをしていたにも関わらずトレンド入りを逃してしまった。
メディアミックスという点で見ても、ボイスドラマという低予算でできるであろうものすらヒロイン5人中4人で打ち切りと相成った。(作者に嫌われているから残り一人は出なかったのだという過激派も散見されるが、おそらくさすがにそれはないだろう)
これはぼく勉のそれまでの実績から見れば異常と言ってよく、パラレルストーリーによって読者の熱と興味が失われた結果だろう。
発表当時は二次創作需要を取り込んだといわれていたが、むしろファン活動の土壌ごと壊してしまったという印象を受ける。
作品の内容が語られることはなくなり、ファンの熱意が冷め、メディアミックスも打ち切られる。
完結当時から結末に納得の行かないファンや終わり方が駆け足だったことへの批判は少なからずあったものの、同時に考察好きなファンが今までの描写を振り返って数々の伏線を見つけ出すなどファン交流は非常に活発だった。
完結後に配信、発売されたスマホゲームやコンシューマーゲームもヒット続きで、グッズも出せば出すだけ完売するなどファンたちの熱量も衰えず映画の大ヒットへと繋がった。
完結してから2年以上経つ今でもファン同士の交流は活発であり、今も新規グッズが毎週のように発売されて完売している。新しいゲームも発売するなど今もコンテンツとして生き続けている。
原作が本筋だけを描いたために、脇道に当たる部分をゲームが補完している面もあるので一概にこれが正解だということは出来ないが、少なくとも主人公とヒロインが付き合って終了という終わり方が悪いと言えないことは明らかだろう。
ラブコメにおいてオーソドックスな終わり方だが、オーソドックスになったのには理由があったということがわかる。
貧乏ラブコメ三国時代を彩った3作品はそれぞれ人気作であったが、終わり方によってその後の評価に大きな差が出てしまった。
五等分のようなスタンダードな終わらせ方も、かぐや様のような付き合った後も続けるやり方もそれぞれに良い面があるが、ぼく勉のようなイレギュラーは望まれていないと言って良いだろう。
貧乏ラブコメ三国時代は終わったものの、その後もカッコウの許嫁や甘神さんちの縁結びなど貧乏ラブコメの灯火は絶えることなく続いている。
貧乏な主人公が勉強などを通してヒロインと仲を深め、ヒロインはその人間性で主人公を成長させる。王道の類型であり、個人的にも好きな設定だ。今後ともこういった設定の漫画を読みたいと思う。
後に続く貧乏ラブコメたちもこれらの人気作たちの終わり方を参考にして、それぞれがより良い最終回を迎えることをいちファンとして期待している。
それはそうだけどこの増田では同時期に争った三国志の話をしたので始皇帝の話を持ち出されても……(ハヤテが始祖という意味じゃないよ)
時代が違いすぎて受容のされ方もまた異なるだろうし、そもそも最後まで付いていった読者が減りすぎてるので比較対象には適さないかと思う。
すでに言われてるけど古見さんとか高木さんとかトニカクカワイイとか人気よね。最近も帝乃三姉妹あるし。
同じ時期のサンデーラブコメなら"古見さん"かな?メディア展開は最も遅かったけれどコメディ重視で群像劇風かつ未だ継続中。発行部数からいってもハブられる存在じゃないと思うんだけど。
大量投票を重ねたら他ファンも対抗してきて、泥試合になりそうになった最後の最後の投票では目先を変えてガラスの靴を贈ったのはスマートすぎて惚れる。
マリーの見合いの相手になったのはまあマリーファンじゃなかったから個人的には素直におめでとうなんだけど、マリーファン的にはどうなんだろね。楽が嫌われてたからOKなんだろうか。
自分は38歳男性、こどおじ、工場の契約社員で年収は250万円程度。
コミュ障で恋人や友人はもちろん、気軽に話せる相手もいないのでここで私が最近楽しんだコンテンツの感想を聞いて欲しい。
私はそのアニメを見て楽しんでいたが、鬱的な要素が強い作品だったのでわざわざ映画館に観に行くのもと迷っていたが、観に行って正解!
久しぶりに会えるキャラクターたちやお馴染みの愉快な演出が楽しかった。
そして子供のカンバとショウマが出ているのでテレビアニメ版の結末とは違うことになるのではと後編を期待している。
だが一番心に残ったのはエンディングにクラウドファンディングの出資者の名前が載っていたこと!
テレビアニメ2期が高速展開で失望し、観に行くか悩んだが観に行って正解!
予想通り高速展開でたくさんカットされていたが流石の原作力と美麗な絵、そして声優さんたちのおかげで終わった時は感動で胸いっぱいだった。
特に花嫁が明かされるところでは原作でそれが明かされた当時の興奮が蘇りたまらない気分に。
終わった時には原作読了時と同じくとても爽やかで充実した気分にさせられたのですが、それはこの作品のテーマが良いからだと思う。
五つ子の均質的な閉じた世界が異物(=風太郎)との接触により多様性に富んだ開いた世界に変化したというのが現代の実情にマッチしているのがヒットの要因では、などと考えたり笑
感動して珍しくパンフレット(豪華版)を買ったのだけど、唯一キスしていない子はネズミのふりしてチューチュー鳴いていたのがキスのメタファーだったという話しになるほどなと思った。
そして一花のグッズだけ売れ残っていたのを見たのはちょい悲しかった.
映画館で観ようか悩んだ末に観なかったが、プライムビデオに来てたので観た。
弟に期待しない方がいいと言われていたが確かに毒にも薬にもならない感。
でも実の親が揃って自分の命のために実の娘の命を奪おうとするところは私には意外で少し良かったかなと思う。
著者貴志祐介には昔はまっており、久しぶりに彼の作品に手を出してみた。
タイトルからして辛気臭い作品かと思ったが、前世とヤクザVSメキシカンマフィアの要素が絡まっていて面白かった。
主人公は探偵で夢で見た自分の前世を調べて欲しいという依頼を受けるのだが、その人の2つの前世がなぜか同じ時期に重なって生きていたり、ある人とある人が同じ前世の人物の視点の夢を見たり、さらにはある人の前世がなんとまだ生存していたりと不可思議な展開が好奇心をそそる。
マフィアの抗争に巻き込まれ、街に隠れ潜んだり捕まって拷問受けるのも良い。
そして最後はその二つの要素が合わさり、前世の意外な真実が明かされタイトルが回収されたところはさすが貴志祐介と脱帽!
…なのだがAmazonのレビューでは駄作だなんだと叩かれていて悲しくてならない。
次は何読もうかとAmazonにアクセスしたらトップページに表示されていたので読んでみた。
事情があって教師を辞めた主人公が友人から紹介されたハワイの最高3ヶ月まで滞在できるが二度と利用できなくなるホテルに行くとゲストの不審死が起こって、というもの。
ミステリ要素はあるものの、それよりも主人公の悩みや女主人との情事がメイン。
主人公の内面の描写に辟易されたものの、常夏というイメージが強いハワイの別の側面や長いホテル暮らし、そして不審死の真相が明かされたところは良かった。
私も長いホテル暮らしすることに憧れるが、周囲に馴染めず孤立して周りに気を遣わせてうんざりされるのではないかと考えて鬱になったり笑
マガポケで途中から読み始めたが、チンチロ編の展開はすっかり忘れていたので楽しめた。
コメントでスピンオフの班長とはギャップがあるみたいなことが言われていたが、スピンオフでも十分クズだろと思ったり。
17歩は初めて読んだけど負け必須の状況からよくぞ逆転したと感動。
そしてどちらからもルールを守らせる仕組みがないと勝ってもなかったことにされるのだなと思った。
マガポケで読み始めたが画力が半端なくて良い。
アニメの方は主人公は召喚できず存在意義が怪しいのが今一だった。
石上告白前後は毎回ギャグと切なさが神がかっていて筆が乗っているとはこういうことかと毎回感心させられていたので寂しい限り。
やはり作者が「推しの子」連載始めたのでそちらにエネルギーを割かれているのか。
ヤンジャンアプリはマガポケと違ってポイント支払っても期限切れたらまたポイント支払わないといけないのが辛い。
でもマガポケよりこちらの方により課金しているので収益上げるにはこちらの方が正解なのだろうな。
でも主人公の嫁探しや作品の結末がどうなっているのか気になっているので続き楽しみ。
今一番楽しみにしているのは映画 まどマギワルプルギスの廻天。
どんなストーリーになるのか想像がつかないのだが、ほむらがまどからと仲良くなれず孤独に過ごしているのは想像に難くない。
彼女に救いがあることを期待している。
前提を共有する努力を怠った。いくら私の中で自明だからといって説明しないとそりゃ誤解されるのは当然だ。
反論で「フェミニズム」は負けてないし勝ってるっていう意見が多かった。これについては完全に同意。
格ゲーでいうと「フェミニズム」は使用キャラで、「ツイフェミ」はプレイヤー。
ツイフェミは「フェミニズム」という強キャラを使って自分な嫌いな表現をたたいてる連中のことを指す。
具体的に言うと今回の国連たわわ問題の准教授さんや、突撃オタクの車いす対策!問題の伊是名さん。ローザ・パークス気取りで行動したけどただの迷惑客になってしまったのは、根本的に差別というものについて理解が足りないからだろうね。
あと、彼女たちがやっていたことを擁護している人たちもツイフェミさんと認識してる。
この人たちは、明確に自分がルール違反をしたのに「フェミニズム」を印籠としてその不正行為に開き直ってるのが良くない。短期的な勝ちに固執していると感じた。
かぐや様は告らせたいの藤原書記がやるんだったら可愛いねですむんだけど、現実で同じことやるなら石上くんにネタにされるのは当然かなと。
アンチフェミ側にも同じようなやつたくさんいるというのは元増田でも述べたとおりだよ。でも攻め入る側はただの蛮族で終わりたくないならもう少し賢くないとね。
https://twitter.com/2339m7_gay/status/1396125090744471554
記者「生物学的に男でごつい見た目だが女性と自認している人が女子トイレに入ってきて、生物学的に女性、自認も女性の人がそれを嫌がった場合、差別では?」
田村智子「男だと外からわかる格好で女子トイレに入れてくれと主張した人と会ったことが無い」「一方の性に恐怖心を与えるようなことを求めていない」
https://www.asahi.com/articles/ASP5W5228P5TUTIL04B.html
裁判所「女性の格好だが生物学的には男性、女性と自認している人が女子トイレに入りたいと主張するケースはあるぞ」
https://wan.or.jp/article/show/9075
https://sites.google.com/view/no-self-id-japan/
石上卯乃「生物学的に男性のトランスジェンダーの人が女性トイレに入るのはちょっと待って」
記者の例は極端だとしても、
2. 生物学的に男性である人には女子トイレに入ってほしくない人
と対立する2人が存在している以上、田村智子は会見でぼかしていた
「1が存在する場合、2を優先して1の女子トイレに入る権利をはく奪するのか」
という点を明白にしてほしい。
あり得ない話をするなよ
今年の頭の会見なんか見てみろ「どうやったら開催できるか考えてください」だぞ
八年も時間やってもこんなもんだろうが
民主主義?東京の奴らがやりたいって言ったからやらせてるだけの話だろう?
それを全国回ってばい菌ばら撒くのがお前らの五輪なんだろ
俺はもう石を投げるって言ってんのよ
過去の話をするのはおせえし、提案してくれは増田がやり出したことなんだよ
そして増田はどうせそう返すつもりだった。
あり得るかもしれないけどもう手遅れですね〜で増田の会話はおしまい
だから開催したら石を投げるって言ってる。
遅いんだよ増田 エビデンスとかタコとか言う前に東京の奴らを一日一回ゴミ拾いをする習慣がある奴らにでも育てとけばまだ汚い東京という印象は免れた
やんなくてもいいと思っちゃった。
東京だったらなんでも優れてると思われてると思っちゃった。
だから海外から福島のことで風評被害を受けた時にめちゃくちゃ自分達に返ってきた
今年になってもまだ言われてる現状を変えられなかった
ていうのはもう言い尽くされてるよな
で八年経って今ココ
白血病の水泳選手が頑張ってオリンピックに出れるようになったのに中止してくれって奴らが鬱陶しいんです!だから僕たちはやる!
邪悪だよ本当
大体、ホストがゲロ吐くのが日常みたいな街を中心に置いてるのに自分達は綺麗だから行けるのノリなんなんだよ
そういうところだ、誰も救わないけど少なからず人間の犠牲を伴ってるところだ
不満爆発させて?
は?
不満を抱えさせたのはどこのどいつだよ
日本の五輪関係者が原因か?一人二人ぐらいだったら狙い撃ちにできるな!
じゃあそいつらに全部受け止めてもらってこの一連のコロナ騒動も不毛なもので終わらせようや
こんな事態を呼び込んだのはお前らなんだからお前らが詫びろ、お前らが払え、お前らがなんとかしろ。
俺達は被害者なんですよ、なんでそこまでやらされなきゃならんのだ
震えて眠れと言ったが、明日苦しんで死ぬもんだと思いながら生きてるから震えることすらないよ
お前の正体がバレないことを祈るよ
かぐや様は告らせたい最新話(雑誌の方)のネタバレあり
正式にお付き合いしてからじゃないととか甘えたこと言ってんじゃねーぞ
ここでヤッとけばそこ糸口に出来るんやぞ
仮に逆の立場だったとしてさ、友達としか思ってない女にホテル誘われて事の直前で『付き合ってる人とじゃないとヤリたくないから告白するわ、付き合ってくれ!』とか男でも困るだろ
話が違うじゃんってなるだろ、そういうとこだぞ
恋愛対象かどうかに関係なく、相手に気配りをしまくる性分が良くなかった
女は相手が無意味に優しいと価値がないから媚びてると判定してしまう習性がある
これは神目線で伊井野に好意があることを知ってるからだけど、既に彼女が居れば話が変わってた
ミコちゃんいいじゃんなんでこっちにしないんだよ そういうとこだぞ
https://twitter.com/hashtag/SexIsReal]
https://twitter.com/hashtag/石上卯乃は私です]
https://twitter.com/hashtag/TRA学者の言いなりになんてならない]
多少の揉め事は好きだが、流石にここまで呪いに満ちた空間は、ホントに胃がひっくり返りそうだった。
自衛の為の言論とは思えん、明らかに加害性の高い発言の数々に、「そういえば、軍隊ではレーションに覚醒剤を混ぜるそうな」みたいな事がつらつらと浮かぶ。
でも、わかってんだけど、。個々人のプロフィールやフォローしてる人見ちゃうんだよな。SAN値がガリガリ削れるんだけど、凶暴性高すぎないこの人ら。
■「トランスジェンダーを排除しているわけではない」が、排除するもの 岡野八代
https://wan.or.jp/article/show/9090
石上さんは、「女性トイレをはじめとした女性専用スペース」を、戸籍変更して暮らしている--すなわち、性転換手術をした――女性、これまで女性として生きてこられたトランス女性なら使っても構わない、ただ、「ペニスを付けた男性が女性風呂に入ることは、耐え難い」とおっしゃります。
(中略)
しかし、トランス女性にとって、自身にとってまさにプライヴェートな空間に入ることが、誰かに「構わない」と許容されなければならないとしたら、それはどれほどの苦痛でしょうか。
トイレ風呂などの性別分け問題、外見(身体)と内面(性)の違いで悩んでいる人の気持ちはわかるのだけど、個々の思想は別にして、自意識の性によって分ける運用をした場合に多くの人に想定されるであろう「プライベート空間とされている場所に外見上異性が入ってきたと思った時のドキッとする感情」の処理、解決方法については、どう考えているのだろうと思う。
これは、性犯罪の要因などの極端な話ではなく、単純な感情の問題で、女性に限らず男性でもありえると思うし、また、トランスの人であっても、同じように(自身の自覚性とは別の性の人がプライベートに入ってきたと思った時の感覚が)ありえるのではないだろうか。
「プライベート空間の権利」は誰にとっても重要なのは間違いないが、それは同時にトランス以外の人にとっても同じことが言える。
トイレでも風呂でも「最初からそういう前提のルールなら私は気にならない」と、はっきりと言える人はどれくらいいるのだろうか。また、はっきりと言える人でも、反射的にドキッとしてしまう感情そのものは「差別」だろうか。
尿(にょう)の陳鎮(ちんちん)の都に住む短小(たんしょう)という男が、天下第一の陰茎の名人になろうと逸物を勃てた。己の師と頼むべき人物を物色するに、当今男根をとっては、名手・飛精(ひせい)に及ぶ者があろうとは思われぬ。百歩を隔てて女体を見るに即刻絶頂するという達人だそうである。短小は遥々飛精をたずねてその門に入った。
飛精は新入の門人に、まず萎えざることを学べと命じた。短小は家に帰り、妻の股座の下に潜り込んで、そこに仰向けにひっくり返った。陰茎とすれすれに女陰が忙しく上下往来するのをじっと萎えずに見詰めていようという工夫である。理由を知らない妻は大いに驚いた。第一、妙な姿勢を妙な角度から良人に覗かれては困るという。嫌がる妻を短小は叱りつけて、無理に股を開き続けさせた。来る日も来る日も彼はこの可笑しな恰好で、萎えざる修練を重ねる。二年の後には、遽だしく往返する女陰が陰毛を掠めても、絶えて萎えることがなくなった。彼はようやく股の下から匍出す。もはや、鋭利な錐の先をもって陰茎を突かれても、萎縮をせぬまでになっていた。不意に火の粉が尿道に飛入ろうとも、目の前に突然灰胡座(ばいあぐら)が立とうとも、彼は決して陰茎をしぼませない。彼の海綿体はもはやそれを縮ませるべき筋肉の使用法を忘れ果て、夜、熟睡している時でも、短小の陰茎はカッと大きく屹立したままである。ついに、彼の睾丸と睾丸との間に小さな一匹の蜘蛛が巣をかけるに及んで、彼はようやく自信を得て、師の飛精にこれを告げた。
それを聞いて飛精がいう。萎えざるのみではまだ射精を授けるに足りぬ。次には、視ることを学べ。視ることに熟して、さて、貧を視ること巨のごとく、微を見ること爆のごとくなったならば、来って我に告げるがよいと。
短小は再び家に戻り、肌着の縫目から乳首を一つ取り出して、これを己が陰毛をもって繋いだ。そうして、それを南向きの窓に懸け、終日睨み暮らすことにした。毎日毎日彼は窓にぶら下った乳首を見詰める。初め、もちろんそれは一つの乳首に過ぎない。二三日たっても、依然として乳首である。ところが、十日余り過ぎると、気のせいか、どうやらそれがほんの少しながら大きく見えて来たように思われる。三月目の終りには、明らかに乳房ほどの大きさに見えて来た。乳首を吊るした窓の外の風物は、次第に移り変る。煕々として照っていた春の陽はいつか烈しい夏の光に変り、澄んだ秋空を高く雁が渡って行ったかと思うと、はや、寒々とした灰色の空から霙が落ちかかる。短小は根気よく、陰毛の先にぶら下った哺乳類・催淫性の小乳頭を見続けた。その乳首も何十個となく取換えられて行く中に、早くも三年の月日が流れた。ある日ふと気が付くと、窓の乳首が馬のような大きさに見えていた。占めたと、短小は陰茎を打ち、表へ出る。彼は我が目を疑った。陰茎は高塔であった。睾丸は山であった。陰毛は森のごとく、包皮は城楼と見える。雀躍して家にとって返した短小は、再び窓際の乳首に立向い、男根の綿に精液をつがえてこれを射れば、精液は見事に乳首の中心を貫いて、しかも乳首を繋いだ毛さえ断れぬ。
短小は早速師の許に赴いてこれを報ずる。飛精は高蹈して金玉を打ち、初めて「出かしたぞ」と褒めた。そうして、直ちに射精の奥儀秘伝を剰すところなく短小に授け始めた。
男根の基礎訓練に五年もかけた甲斐があって短小の腕前の上達は、驚くほど速い。
奥儀伝授が始まってから十日の後、試みに短小が百歩を隔てて女体を見るに、既に瞬間射精である。二十日の後、いっぱいに精液を湛えた盃を右肱の上に載せて剛直を扱くに、狙いに狂いの無いのはもとより、杯中の精液も微動だにしない。一月の後、一本の陰茎をもって速射を試みたところ、第一射が的に中れば、続いて飛来った第二射は誤たず第一液の染みに中って突きささり、更に間髪を入れず第三射の精液が第二射の溜まりにドッパとなだれ込む。精精相属し、発発相及んで、後射の精液は必ず前射の精液に喰入るが故に、絶えて地に墜ちることがない。瞬く中に、百発の精液は一本のごとくに相連なり、的から一直線に続いたその最後の一滴はなお剛直を銜むがごとくに見える。傍で見ていた師の飛精も思わず「逝く!」と言った。
二月の後、たまたま家に帰って妻となかよしをした短小がこれを威そうとて黄金の陰茎に白銀の精液を溜めきりりとしこって妻の目を射た。液は妻の睫毛三本を射切ってかなたへ飛び去ったが、射られた本人は一向に気づかず、まばたきもしないで亭主を罵り続けた。けだし、彼の至芸による精液の速度と狙いの精妙さとは、実にこの域にまで達していたのである。
もはや師から学び取るべき何ものも無くなった短小は、ある日、ふと良からぬ考えを起した。
彼がその時独りつくづくと考えるには、今や陰茎をもって己に敵すべき者は、師の飛精をおいて外に無い。天下第一の名人となるためには、どうあっても飛精を除かねばならぬと。秘かにその機会を窺っている中に、一日たまたま吉原において、向うからただ一人歩み来る飛精に出遇った。とっさに意を決した短小が陰茎を取って狙いをつければ、その気配を察して飛精もまた男根を執って相せんずる。二人互いに射れば、精はその度に中道にして相当り、共に地に墜ちた。地に落ちた精が軽塵をも揚げなかったのは、両人の精液がいずれも実に粘っていたからであろう。さて、飛精の精液が尽きた時、短小の方はなお一射を余していた。得たりと勢込んで短小がその精を放てば、飛精はとっさに、傍なる野次馬の陰茎を折り取り、その粗根の先端をもってハッシと液を叩き落した。ついに非望の遂げられないことを悟った短小の心に、成功したならば決して生じなかったに違いない道義的慚愧の念が、この時忽焉として湧起った。飛精の方では、また、危機を脱し得た安堵と己が巨根についての満足とが、敵に対する憎しみをすっかり忘れさせた。二人は互いに駈寄ると、吉原の真中に相しごいて、しばし美しい師弟愛の摩羅をかきくれた。(こうした事を今日の道義観をもって見るのは当らない。性豪の精(せい)の乱公(らんこう)が己のいまだ味わったことのない珍々を求めた時、厨宰(ちゅうさい)の液牙(えきが)は己が息子を蒸焼にしてこれをすすめた。十六歳の少年、秦のシコシコう帝は父が死んだその晩に、父の男根を三度襲うた。すべてそのような時代の話である。)
精涙にくれて相扱きながらも、再び弟子がかかる企みを抱くようなことがあっては甚だ危いと思った飛精は、短小に新たな目標を与えてその気をせんずるにしくはないと考えた。彼はこの危険な弟子に向って言った。もはや、伝うべきほどのことはことごとく伝えた。爾がもしこれ以上この道の蘊奥を極めたいと望むならば、ゆいて西の方大硬(たいこう)の嶮に攀じ、掻山(かくざん)の頂を極めよ。そこには甘勃老師とて古今を曠しゅうする斯道の大家がおられるはず。老師の技に比べれば、我々の射精のごときはほとんど児戯に類する。爾の師と頼むべきは、今は甘勃師の外にあるまいと。
短小はすぐに西に向って旅立つ。その人の前に出ては我々の技のごとき児戯にひとしいと言った師の言葉が、彼の海綿体にこたえた。もしそれが本当だとすれば、天下第一を目指す彼の望も、まだまだ前途程遠い訳である。己が業が児戯に類するかどうか、とにもかくにも早くその人に会って摩羅を比べたいとあせりつつ、彼はひたすらに道を急ぐ。裏筋を破り亀頭を傷つけ、陰茎を扱き精液を出して、一月の後に彼はようやく目指す山顛に辿りつく。
気負い勃つ短小を迎えたのは、羊のような柔和な目をした、しかし酷くよぼよぼの爺さんである。年齢は百歳をも超えていよう。腰の曲っているせいもあって、陰茎は歩く時も地に曳きずっている。
相手が聾かも知れぬと、大声に遽だしく短小は来意を告げる。己が技の程を見てもらいたいむねを述べると、あせり勃った彼は相手の返辞をも待たず、いきなり股間についた陽根摩羅を露出して手に執った。そうして、玻璃の我慢汁を出すと、折から空の高くを飛び過ぎて行く渡り鳥の群に向って狙いを定める。陰茎に応じて、一射精たちまち五羽の大鳥が鮮やかに碧空を切って落ちて来た。
一通り出来るようじゃな、と老人が穏かな微笑を含んで言う。だが、それは所詮射精之射精(しゃせいのしゃせい)というもの、好漢いまだ不射精之射精(ふしゃせいのしゃせい)を知らぬと見える。
ムッとした短小を導いて、老隠者は、そこから二百歩ばかり離れた絶壁の上まで連れて来る。脚下は文字通りの大木のごとき茎立千仭、遥か真下に糸のような細さに見える精液渓流をちょっと覗いただけでたちまち勃起を感ずるほどの淫らさである。その断崖から半ば宙に乗出した猥石の上につかつかと老人は駈上り、振返って短小に言う。どうじゃ。この石の上で先刻の業を今一度見せてくれぬか。今更引込もならぬ。老人と入代りに短小がその石を履んだ時、石は微かにグラリと揺らいだ。強いて気を励まして陰茎をしごこうとすると、ちょうど崖の端から小石が一つ転がり落ちた。その行方を目で追うた時、覚えず短小は石上に伏した。男根はワナワナと顫え、我慢汁は流れて踵にまで至った。老人が笑いながら手を差し伸べて彼を石から下し、自ら代ってこれに乗ると、では射精というものをお目にかけようかな、と言った。まだ勃起がおさまらず蒼ざめた陰茎をしてはいたが、短小はすぐに気が付いて言った。しかし、陰茎はどうなさる? 睾丸は? 老人は去勢済だったのである。陰茎? と老人は笑う。男性器の要る中はまだ射精之射精じゃ。不射精之射精には、金剛の陰茎も碧玉の睾丸もいらぬ。
ちょうど彼等の真上、空の極めて高い所を一羽の鳶が悠々と輪を画いていた。その胡麻粒ほどに小さく見える姿をしばらく見上げていた甘勃が、やがて、見えざる精液を無形の陰茎につがえ、満月のごとくに引絞ってどぴゅと放てば、見よ、鳶は羽ばたきもせず中空から石のごとくに落ちて来るではないか。
短小は慄然とした。今にして始めて茎道の深淵を覗き得た心地であった。
九年の間、短小はこの老名人の許に留まった。その間いかなる修業を積んだものやらそれは誰にも判らぬ。
九年たって山を降りて来た時、人々は短小の陰茎の変ったのに驚いた。以前の太く長いカリ高な魔羅魂はどこかに影をひそめ、なんの凹凸も無い、コケシのごとく棒のごとき根貌に変っている。久しぶりに旧師の飛精を訪ねた時、しかし、飛精はこの魔羅付を一見すると感嘆して射精した。これでこそ初めて天下の名人だ。我儕のごとき、足下にも及ぶものでないと。
陳鎮の都は、天下一の名人となって戻って来た短小を迎えて、やがて眼前に示されるに違いないその性技への期待に湧返った。
ところが短小は一向にその要望に応えようとしない。いや、陰茎さえ絶えて手に取ろうとしない。山に入る時に履いて行った金糸の下履きもどこかへ棄てて来た様子である。そのわけを訊ねた一人に答えて、短小は懶げに言った。自慰は為す無く、シコシコは言を去り、至射精は射精することなしと。なるほどと、至極物分りのいい陳鎮の都人士はすぐに合点した。陰茎を執らざる射精の名人は彼等の誇となった。短小が陰茎に触れなければ触れないほど、彼の無敵の評判はいよいよ喧伝された。
様々な噂が人々の下の口から口へと伝わる。毎夜三更を過ぎる頃、短小の家の屋上で何者の立てるとも知れぬ自慰の音がする。名人の内に宿る射精の神が主人公の睡っている間に体内を脱け出し、淫魔を払うべく徹宵守護に当っているのだという。彼の家の近くに住む一商人はある夜短小の家の上空で、雲に乗った短小が珍しくも陰茎を手にして、古の名人・羿(ゲイ)と超勃起の二人を相手に魔羅比べをしているのを確かに見たと言い出した。その時三名人の放った精はそれぞれ夜空に青白い光芒を曳きつつ娼宿と天淫星との間に消去ったと。短小の家に忍び入ろうとしたところ、塀に足を掛けた途端に一道の精気が森閑とした家の中から奔り出てまともに股間を打ったので、覚えず射精し外に顛落したと白状した盗賊もある。爾来、淫心を抱く者共は彼の住居の十町四方は避けて廻り道をし、賢い渡り鳥共は彼の家の上空を通らなくなった。
雲と立罩める名声のただ中に、名人短小は次第に老いて行く。既に早く射精を離れた彼の魔羅は、ますます枯淡虚静の域にはいって行ったようである。木偶のごとき陰茎は更に凹凸を失い、勃つことも稀となり、ついには存在の有無さえ疑われるに至った。「既に、陰茎と空との別、是と非との分を知らぬ。眼は陰茎のごとく、耳は陰茎のごとく、鼻は陰茎のごとく思われる。」というのが、老名人晩年の述懐である。
甘勃師の許を辞してから四十年の後、短小は静かに、誠に精子のごとく静かに世を去った。その四十年の間、彼は絶えて射精を口にすることが無かった。口にさえしなかった位だから、陰茎を執っての活動などあろうはずが無い。もちろん、寓話作者としてはここで老名人に掉尾の大乱交をさせて、名人の真に名人たるゆえんを明らかにしたいのは山々ながら、一方、また、何としても古書に記された男根を曲げる訳には行かぬ。実際、老後の彼についてはただ無為にして化したとばかりで、次のような妙な話の外には何一つ伝わっていないのだから。
その話というのは、彼の死ぬ一二年前のことらしい。ある日老いたる短小が知人の許に招かれて行ったところ、その家で一つの器官を見た。確かに見憶えのある器官だが、どうしてもその名前が思出せぬし、その用途も思い当らない。老人はその家の主人に尋ねた。それは何と呼ぶ部位で、また何に用いるのかと。主人は、客が冗談を言っているとのみ思って、ニヤリととぼけた笑い方をした。老短小は真剣になって再び尋ねる。それでも相手は曖昧な笑を浮べて、客の心をはかりかねた様子である。三度短小が真面目な顔をして同じ問を繰返した時、始めて主人の顔に驚愕の色が現れた。彼は客の眼を凝乎と見詰める。相手が冗談を言っているのでもなく、気が狂っているのでもなく、また自分が聞き違えをしているのでもないことを確かめると、彼はほとんど恐怖に近い狼狽を示して、吃りながら叫んだ。
昨年放送されたかぐや様は告らせたいというアニメ、既に両想いの主役二人が何としても相手から先に告白させよう!と頭脳戦を繰り広げる鈴木雅之の主題歌が素敵なラブコメ作品だった
今年の四月から第二期が放送されていて勿論録画はしていたけど都合があって中々見れない…という状況だったけど、何故か11話だけはリアルタイムで見れてしまった
生徒会会計の石上くんが、中学生の時自分の勝手な正義感でイケメン彼氏との仲を破局させてしまった同級生大友さんや同学年の女子から嫌われてしまってかなり精神的に参ってしまい、それでも生徒会や応援団の優しい先輩達の励ましのお陰で過去を吹っ切り、大友さんもそのイケメン彼氏のゲスな面を知らず笑顔のままで居られて良かったね!という割と爽やかなグッドエンドのお話だったんだけど
どうもこの大友さんが好きになれない。いや本当はそのイケメン彼氏の荻野君が元凶で大友さんはあわやリベンジポルノをかまされる所だった被害者なんだけども、話の流れも大友さんが笑顔で居れて良かったという物なんだけど
大友さんはクラスで浮いていた石上に積極的に話しかけてくれた優しい女の子である、あの状況で演技が上手くて優しいイケメンの彼氏より時々話す程度のクラスメイトの言う事なんて信じられる訳がない、石上は自分が中傷されようが進学出来なかろうがそれでも大友の笑顔を守りたかったからあれで良い、そもそも大友が彼氏のハメ撮りやその友達からの輪姦される事を嫌がるだろうという事が石上の勝手な想像で荻野や大友はそういうプレイ込みで愛し合っていた、石上贔屓から大友を非難するのは作中で石上を中傷したモブ達と何も変わらない、大友への非難はその大友を守ろうとした石上を非難してるのと一緒だ、石上への悪口にしても普段悪口を言い慣れていない感じがあって良い人である子が伝わってくる、等々まあそうだよなあ…という正論な感想を視聴後に沢山見た
そこら辺の事情を分かった上でああ、自分は大友の事大嫌いだなあ…と素直に思って、理屈として悪い人じゃないという事と感情としてその人の事を大嫌いになるのは全く別なんだなと感じた
大友が荻野にハメ撮りさせなきゃ今回の話は初めから起きなかったんじゃない?また新しい彼氏が出来たとしてもその男が荻野みたいな悪い男だったらまた同じような事繰り返すだけじゃない?
石上側の視点からするとやり方こそ間違ってはいても悪い男と引き離してくれた石上に何も知らないとはいえ唾を吐くような事ばかりするこの女の事は、幾ら本当は優しくて良い子なんですよって言われても好きになれないな
全く関係ないけど「バカになれなきゃ人を愛するなんてできんよ」という言葉を誰かから聞いて、人が人を愛するってそういう事なのかもなあ…とも思った
アニメ「かぐや様は告らせたい?」を毎週楽しく拝見させて頂いています。ギャグと恋愛がいいバランスで入っており、気楽に見られる作品だとおもいます。
一方で、今週放送の第11話では、普段より重い展開となっており、石上の過去にせまる内容となっていました。
重い展開をすること自体は構わないのですが、その内容について疑問を抱いたので、私自身の整理として以下にまとめます。
なお、原作は未読ですので、アニメとニコニコのコメントを元に記述しています。
①見たもの
アニメ『かぐや様は告らせたい?~天才たちの恋愛頭脳戦~ 第11話「そして石上優は目を閉じた③」「白銀御行と石上優」「大友京子は気づかない」』
③私の見解
荻野コウが行った行為がどういうものであれ、「大友京子本人がそれに同意していたかどうか」が最も大切ではないか、と思いました。
大友の心情描写がない以上、彼女の言動から判断するしかありません。
大友は一方的に石上を非難する立場でした。そこから推測すると、やはり彼女と荻野の当時の関係は良好であったと考えます。
それが石上の行動により破局に追い込まれた、と彼女は考えているのでしょう。
もちろん石上の心情はよくわかります。良い人がひどい扱いをうけるのは許せない。
しかし、それが「ひどい扱い」かどうかを決めるのは石上ではなく大友です。また、社会的にみて「ひどい扱い」かどうかを決めるのも石上ではない。
また、ニコニコ動画のコメントでも指摘されているように、石上の立場を理解する教師がいなかったことが問題点でもあります。
結果的に白金会長(と生徒会メンバー)に救われた形になったようです。石上が救われる物語として、とても素晴らしいと思います。
一方で、そうした物語として見るのではなく、事件?としてみると
・荻野コウの行いが悪であると言い切ることは(アニメの描写を見る限りは)できない
であると考えました。もちろん白金会長が「正しい正しくないは別にして、目的は達成している」と発言しているように、本エピソードは物語として見てくださいね、ということだ思います。
なので、私のような意見は最初から想定しているが、そこは物語(フィクション)として捉えてください、ということなのかもしれません。
以上。