はてなキーワード: オフィス街とは
ふだん、お昼はオフィス街の弁当屋さんで買って食べることが多い。
俺の会社の近くには、中華に強い弁当惣菜屋さん、和食系、総合系と3店舗もあって毎日使ってても飽きが来ない。
そんな俺が、きのう初めて近所のスーパーで弁当を買ってみて驚いた。
スーパーなんだから、家賃の高い都会の弁当屋さんより安いもんだと、思ってたら、全然スーパーのほうが値段が高くてビビった。
え?マジで?って感じ。
普段、食べてる、見てる、選んでる、惣菜弁当と比べると、なんかよくない。
うーん、と思いつつスケジュールの関係で今更路線変更は出来ないな、と弁当を買って食べてみたらやっぱり、イマイチなんだよね。
せめて、値段が安ければいいんだけど、いつも食べてる弁当よりも割高で、なんつーか、もったいないなあって感じが半端なかった。
先日、とある用事で外出した際に、早く着きすぎてしまったのでカフェで時間を潰していた。
そのカフェはオフィス街にあったので、客の多くはサラリーマンのようだった。ノートPCで仕事の資料を作っている人や(余談だが、これはコンプライアンス上望ましくないのでやめたほうがいいと思う)、同僚と雑談をしている人などに混じって、少し目立つ4人組がいた。入社5、6年目らしき会社員2名と、真新しいスーツを着た学生らしき人物が2名。漏れ聞こえてくる話の内容から察するに、先輩社員とインターン生ではないかと思われた。
先輩社員が会社のことについて話し、インターン生がそれを聞く。こういう光景は割とよく見るが、今回は少しだけ様子がおかしかった。2名いる先輩社員のうち熱弁をふるっているのは片方だけで、もう片方の社員は退屈そうにスマホをいじっている。インターン生2人は一見熱心に話を聞いているように見えるが、「そうなんですか」という合いの手にはどことなくぎこちなさがある。
しばらく話を盗み聞きしていると、なんとなくヘンな空気になっている理由がわかってきた。先輩社員がランチなどの時間を使ってインターン生相手に会社での生活を語ったりすることはどの会社でもよくやられていることだとは思うのだが、その時先輩社員がインターン生に語っていた話の内容は「会社の話」というよりほとんど「自分語り」だったのだ。「俺は〜」から始まる話が異様に多く、しかも他人にとってはすこぶるどうでもいい話で、はっきり言って友人には絶対にしたくないタイプだ。もう片方の先輩社員がずっとスマホをいじっているのは、そんな同僚の態度に飽々しているからだろう。しかしインターン生2人はそういう態度を取るわけにも行かず、熱心に話を聞く「振り」をするしかない。
僕はこの光景を見て、「いやったらしいなぁ」と思わずにはいられなかった。世の中には「逆らうことができない立場」というものがある。たとえば、部下は上司には逆らえない。飲食店の店員も客には逆らえない。この場合で言うと、インターン生は先輩社員には逆らえない。先輩社員の「自分語り」に対して、あからさまに興味がないという態度を取ることは許されず、どんなに話がつまらなくても「熱心に聞いている」振りをして「参考になりました」とお礼を述べなければならないのだ。絶対に殴り返してこない相手をせっせと殴る光景を見せつけられたような、そんな気持ちになった。
これと類似の事象は、たとえば飲み会の席で上司が部下に対して行う説教であるとか、飲食店の顧客が店員に対してつけるクレームであるとか、「立場の違い」が存在する至るところで発見できる。立場が上の者は、その立場の分だけ本来の実力よりも余分に力を持つことができる。そしてより一層罪深いように思えてしまうのは、こういった立場の違いによるバイアスの存在に無自覚で、それを自分の本当の実力だと勘違いしてしまっている人たちがいることだ。こういうのはものすごくみっともないし、かっこわるいと思う。
今回インターン生相手にずっと自分語りをしていた先輩社員も、同じことを同期との飲み会でやったらおそらく誰も真剣に相手をしてはくれないだろう。飲み会でいつも部下に説教をする上司も、家に帰って息子に同じことをしたら煙たがられるに違いない。立場の違いによって得た一時的な力を、自分の本当の実力だと勘違いするのはみっともないことだと思う。立場に差があるときこそ、謙虚さを忘れないでいたい。
今年で四十六歳になる。
バブル景気がはじけて、求人票から光が消えたまま大人になった。
小学生の時、おそらく四年か五年だった時の事。校庭の隅で上級生が一年生の帽子を蹴飛ばしていた。
勝てるはずもないと分かっていたのに、気がつけば自分はランドセルを投げ出し上級生の腕をつかんで殴りかかった。
結果は目に見えていた。俺はボコボコにのされ、そのあとには職員室に呼び出され「正義感が強いのはいいが、手を出すのはよくない」と説教を受けた。
二〇二二年までは契約社員だった。
都内オフィス街にある中堅程の企業。自社のホームページでは俺と年齢が近い社長が腕組みし、得意げな表情で出迎える。
そこではスタートアップの成功譚が語られている。だが現実は派遣と契約社員で回している安定志向の会社だ。
四十三歳にしてようやく正社員登用の通知を受け取ったときは立ち飲み屋の隅でビール二杯目を飲みながら一人小さくガッツポーズをした。
氷河期世代にとって正社員は、令和になってもなお一枚の勲章だったからだ。
今年の、二月の出来事だった。
給湯室に入ると障がい者雇用枠で入った男性を、若手の課長代理が笑いながらいびっていた。
彼は困惑し、ごめんなさい、すみません、と泣きそうな声で謝り続けていた。
それを面白がって見つめ、さらに罵倒する言葉を続ける課長代理の姿。
頭の奥が、カッと白くなった。
気づけばそいつの胸ぐらをつかみ、拳を振り抜いていた。
社内は大騒ぎになったが、会社としては障がい者いじめを外部に知られたくない。
だが俺はその日のうちに懲戒解雇を言い渡された。
四十六歳、無職。
再就職を目指してハローワークに通い、リクナビNEXTやマイナビ転職を覗くが、正社員募集の年齢制限の行間が見えない壁となって目の奥に突き刺さる。
ITパスポート、基本情報処理技術者…資格欄に書けるものは一つもない。
稀に面接まで進むも、面接官は笑顔を崩さぬまま「これまでのご経験を活かして…」と定型句で話を締める。
寂しさに耐えかねて夏には都が主催する婚活イベントに足を運んだ。
自己紹介カードに「46歳 無職」と正直に書いた瞬間、受付の女性がほんのわずかに眉をひそめ、小さく息を吐いた。
その仕草だけで、踵を返すには十分だった。
俺は間違っていたのだろうか。
あのとき給湯室で、拳を振り上げなければ今も正社員として平穏に暮らしていたかもしれない。
安いワンルームに戻る夜道、その思いが何度も頭をよぎる。
それでも、もしあの時、彼を助けなかったとしたら――
そんな気がしていた。
そう思うたび、胸の奥にじわりと重い痛みが広がる。
俺は間違った行動をしたのだろうか。
そうかもしれない。そうだろうな。
その方が幸せだろう。それでも俺は
人間の条件を、俺は知りたい。
ひょっとしたらものすごい発見じゃないかと思ってるんでけど。夏季休暇にアメリカ行ったら何となく女心がわかったので備忘録的に増田に投下してみる。
すごく良くわかった。戦っても絶対勝てなさそうな体格良くて筋肉量の多いマッチョのアメリカ人が近くに来ると、何かされそうになったわけでもないけど不安になる。街中には浮浪者も多く、身だしなみの整っていない男性に感じる嫌悪感もこれかと思った。
アメリカの街って綺麗なエリアは本当にドラマみたいですごく綺麗。丸の内のキラキラオフィスなんて目じゃないレベルのオフィス街見ちゃうとテンション爆上がり。だけど汚いエリアは東京の足立区や大阪の西成区なんて目じゃないくらい汚いし臭い。清潔感一つでテンション上下するんだよね。
すごく良くわかった。アメリカに滞在してると生きてるだけでお金が溶けていく。マクドナルドでバーガー•ポテト•ドリンクのセット頼むだけで$15、ここにTaxチップが加算されてざっくり$20。駐在員はいろいろ手当てもらったりして稼いでるから奢ってくれるとたすかるな。わざわざ日本から君に会うために出かけてきたんだし。
すごく良くわかった。アメリカでもサンフランシスコとかニューヨークとか有名な大都市ならいろいろ行きたいところとかやってみたい事とかあるんだけど。サンアントニオって全然イメージ湧かなくて。ちょっといい感じの名所やご飯が美味しい店を案内してくれると嬉しいな。
美味しいと評判のメキシカンレストランに連れて行ってくれるのとこまでは良かったんだけど、注文まで勝手に済ませるのはおせっかいじゃないかな?私だって1人でサンアントニオ行くだけの行動力と語学力はあるんだし。メニュー見て自分でオーダーするもの決めたかったな。
すごく良くわかった。アメリカの公共交通ってすごく危険。駅前にはアル中、ヤク中で足元フラフラ、変な匂いのする浮浪者がいるし、電車内をゾンビみたいに徘徊する異常者もいる。そんな時、隣に誰かいるとすごく安心するんだよね。「この道を通ると浮浪者に合わないよ」なんて回避ルートを提案してくれると、すごく頼りになって、ときめいちゃうな。
アメリカの宿は浮浪者の多いエリアを避けて治安の良い住宅地を選んだんだけど、交通の便がイマイチで車がないと移動が大変!そんなときに車出して送迎してくれたのすごく助かったんだよね。車の有無で利便性が大きく変わるシチュエーションで車出してくれるの、すごく助かったよ!
駐在員の友人、お家もすごいらしいと聞いたので思わず「行きたい!」って言っちゃった!庭でバーベキューができてプールがある家とか、下心抜きにしても好奇心で行ってみたくない?男友達が「小型犬飼ってるんだ」とか「家にバーカウンター作った」とか言ってるの謎だったんだけど、ワクワク感が上手く刺されば思わず行ってみたくなるのかもね。
この時期の季節のシーズンの暑さになると
いや10円でもいいけど。
そういう人いるわよねってぐらい40℃!
ほ、北海道で最高気温が予想とは言え40℃上がるとかそんなことある?って
これはかなり危険じゃない?
場合じゃないと言うより、
そんなに上がるもの?
でもさ、
車の外気温計もボタン押したら40℃超えていたのよ。
アスファルトの上の直射日光よろしくだったかも知れないとはいえ、
車の外気温計も40℃を記録していたわ。
もしかして数字の表示できる限界や計測できる限界が40℃までだったってこと?
カンストしてんじゃん!って。
だって北海道の人ってクーラーエアコン備えていない人たちが多いじゃない?
逆に冬はもう常夏にして室内でもティーシャツで過ごせるぐらい暖房をガンガン付けてしかも二重構造だから暖かさをもの凄くキープできるみたいな、
うわ!
私今政治的なこと言っちゃったけど、
もうこれきりよ!
っていうぐらい冷房設備のやってないところやるべきよねーって思いつつ、
私は、
こういうときってミルク系アイスより氷菓の方が売れ行きがいいって話も聞いたことあるし、
甘いのよりさっぱりした方がいいのかもしれない。
私の得意な片手で持ち歩きながら食べるニューヨークスタイルでそれそのヨーグルトアイスバーの塩レモン味もいただくんだけど、
熱くなるのと同時にヨーグルトアイスバーの塩レモン味で涼を得るって
でも、
早くヨーグルトアイスバーの塩レモン味を食べてしまわないと溶けちゃうのよ!
善は急げとはよく言ったものね。
もう片方には日傘なので、
そりゃーもう両手が塞がるけれど
だから男の人ももうちらほらよく見かけるようにはなってきたけれど、
日傘さした方がいいわよ!って
教えてあげたいのよね。
ずっと日陰を持ち歩いて歩ける感じだからジリジリと照りつけるケンタッキーフライドチキンで照り焼きチキンモアったら私は飛び付いちゃうかも知れない、
いっそのことローストチキンとかチキンの扱う専門家としてケンタッキーフライドチキンはそういうメニューあってもいいと思うのよね。
ケンタッキーの人がめちゃ秘密に開発したスパイスのレシィピはローストチキンではそんなに塗しそうじゃないけれど。
どのサマーが好き?
私はドナ・サマー!
ドナ・サマーさんってそのサマーって夏子!って感じなのかしら?
そのぐらいもう夏過ぎるわーって思ったらもう8月も目前じゃない?
この暑さに耐えるしかないのよ。
涼しいところで。
だから本当に用心しないとね!
暑いので、
もう帰ったら水風呂浴びるわ。
暑いと頭回んないわよねー。
うふふ。
今日は梅味と鮭味よ。
つーか、
いつもだいたい梅か鮭よね。
なんかションテン上がらなくない?
私だけ?
だから私にパンチを与えてくれる食べ応えのある鮭に全幅の信頼を寄せるの!
朝ご飯は梅味、
お昼に鮭味をいただくとするわ!
なんか濃く作ると飲み疲れちゃうことに気付いて、
まだこの半分ぐらい薄くてもどちらかというとウォーラー感を求めたいわ。
味は風味ぐらいでいいのよね。
ちょっと私の濃く作っていたルイボスティーウォーラーこってりしすぎていたわ。
薄めが夏によりスッキリな飲み応えね。
でもこれだったらまだまだ薄くてもいいわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
私はとんでもなく汗っかきだ。
人生は化粧崩れとの戦いだ、とも思ってる。
そんな私にとって夏は総力戦でのぞばなければならない一大決戦だ。
最新の日焼け止めやらファンデやら新製品は余念なくチェックするし、
携帯用の扇風機の情報も常にアップデートして少しでも汗の量を減らすべく努力してる。
ただ私は顔の汗もたくさん出るけど身体のほうもすぐにビチョビチョになってしまう。
もう無惨なほどにTシャツ一枚でなんかで歩こうものなら数分後には水撒きの水道ホースでの水ぶっかけられたの?
と聞かれるほど汗で濡れる。
そんな私が、毎年一線を越えるかどうかで悩むのがおっちゃんたちが涼しそうに着てる扇風機がついたベスト。
あのベストが夏場にはベストな選択なのではないのか?わたしにとって?
と、私は毎年苦悩しまくる。
ただ私が出勤するのはわりと小綺麗なオフィス街だ。
そして私が出社するのは服装のTPOとかに小言をいわれる古いだけが取り柄の小さなJTCだ。
そんなところに女子(といわれるほど若くもないが)の私が
「ブォォォォーーーーン、ブォォォォーーーーン」
何食わぬ顔で出勤したらどういう顔をされるのか容易に想像できる。
それを思うと悩み抜いてしまうのだ。
ただ夏場は更衣室でほぼ全とっかえするくらい服を着替えるし
その着替えを持ち歩くのも苦痛だ。
せめて上着だけでもあのブォォォォーーーーンっていう扇風機で汗っかきから逃れらるのなら最高なのだが。
ちなみにおちゃんビジネスパーソン向けのソニーのやつは何個も持ってるが全然効かなかった。
体感的な涼しさはともかく汗のほうが変わらない。
それをわかってくれ。
タワーマンションの景色に3日で飽きるという人はうんざりする程沢山いる。
しかし私は仕事柄タワマン住民と会う機会が多く、景色に飽きないという人の意見をたくさん聞く。そこで今日は飽きない人の特徴を書きたいと思う。
タワマンの景色飽きる問題についてここまで詳細に書いた文章は無いと思う。
まず階数の話から。景色に飽きない人たちに共通するのは「30〜40階」に住んでいることだ。
20階以下だと、正直普通のマンションの上層階と大差ない。車や人の動きは見えるが、「タワマンの景色」という特別感はない。一方50階を超えると、今度は高すぎて人や車が米粒のようになってしまう。建物の細部も判別できなくなり、ただの箱庭を見下ろしているような感覚になる。
30〜40階だと絶妙なのだ。人の動きはギリギリ認識できるし、建物の用途や構造も推測できる。この「ちょうど良い距離感」が重要らしい。
飽きない人たちの最大の特徴は、景色に物語性を見つけられることだ。
「あのビルの12階、毎日昼休みになると必ず一人の男性がベランダでタバコを吸いに出てくる。きっとオフィスビルで、彼はそこで働いているんだろうな」
こんな風に、見える範囲の人間ドラマを想像し続けている。単なる風景ではなく、そこに住む人々の生活を感じ取っているのだ。これができる人は確実に飽きない。
飽きない人のもう一つの特徴は、見えるものを徹底的に調べることだ。
変わった形の建物を発見すると、すぐにGoogleマップを開いて正体を突き止める。「あの尖った建物は何だろう」「向こうに見える街はどこの駅の周辺か」そんな疑問を放置せず、地図アプリで永遠に検索している。
さらに実際に足を運ぶ人も多い。ランニングや自転車で「上から見えていたあの場所」に行き、地上からの視点と比較して楽しんでいる。用途地域の境界線まで調べて「あの辺りから商業地域になるのか」なんて分析している人もいた。
この探究心があると、窓から見える景色が巨大な立体地図になる。ただ眺めるのではなく、常に新しい発見がある状態になるのだ。
朝の通勤ラッシュ時の人の流れ、昼間のオフィス街の静けさ、夕方の帰宅ラッシュ、夜の繁華街の輝き、深夜の静寂。同じ景色でも時間によって全く違う表情を見せる。
飽きない人は「今日は普段より遅い時間に人が動いている」「あのエリアの電気の点き方がいつもと違う」といった微細な変化まで察知している。彼らにとって窓からの景色は、24時間365日変化し続ける巨大なライブ映像なのだ。
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結局のところ、タワマンの景色に飽きるかどうかは「受動的に眺めるか、能動的に観察するか」の違いかもしれない。景色を単なる背景として捉える人は飽きるが、そこに人間ドラマや地理的な謎解きを見つけられる人は飽きることがない。
この街で何度も心を焼かれ、削られ、踏み潰された。
誰もそんなことは言わないし、誰もそんなふうには思わない。
それどころか、多くの人間は嬉々としてこの街を目指し、誇り、称える。
だが私は断言する。
見えない形で、静かに。静粛に。
だが魂は、ぎゅうぎゅうに押し潰され、やがて音もなく窒息する。
誰も彼もが、顔を下げている。
目を合わせない。声を出さない。
そこにあるのは恐怖ではない。
諦め。
意義も誇りもない。
それが常識だと教えられ、それが当然だと刷り込まれ、疲れ切った顔で、皆、処刑台に向かう。
商業施設。
どこを見ても、均質な顔、均質な振る舞い。
東京は、人を人でなくす。
私は何度も救いを求めた。
だがこの街に本物はない。
心に語りかけても、届かない。
誰かを押しのけなければ、生きられない。
誰かより劣れば、即座に落伍者となる。
そう仕組まれている。
人情は、ここにはない。
老人が倒れても、皆が見ないふりをする。
それが日常だ。
それが正解だ。
助けたら負けだ。
心を動かしたら、殺される。
私は、そうして死んだ。
見た目には何も変わらない。
だが中身は、とうに死んでいる。
声を上げる元気もない。
怒る力もない。
泣く涙もない。
ただひたすら、無表情で日々を過ぎる。
毎日人の心を殺し続ける。
誰もがそれに気づかないふりをしている。
気づいている者も、抵抗する力を持たない。
皆、押し流される。
波のように、靄のように、空気のように、
誰にも気づかれず、音もなく、死んでいく。
それが、この街の正体だ。
私もまた、かつては夢を見た。
東京に出れば何かが変わる。
だが違った。
自由などなかった。
あったのは、精巧に作られた檻だった。
細く、目に見えない鉄条網が、あらゆるところに張り巡らされていた。
気づいたときには、もう手遅れだった。
人を信じれば、裏切られる。
誠実であればあるほど、笑われる。
傷つけた者が、勝つ。
この街を動かしているのは、恐怖だ。
失う恐怖、取り残される恐怖、無価値になる恐怖。
その恐怖で、人を縛り、操り、消費し、捨てる。
全部、この街に殺された。
もし今、誰かが東京を目指しているのなら、
私はそっと耳打ちしたい。
「やめておけ」と。
あなたが気づくころには、もう取り戻せない。
この街に、救いはない。
私はもう、いない。
琴線に触れても、もう何も音を立てることはない。
チェーン店なのになぜかどうにも優秀なお店というのはある。
そもそもお店の雰囲気なんて、チェーン店と言えどもそれぞれ違うわけだし。
なんか「きちんとしてる」お店っていうのはチラホラと、あることはある。
基本的に都心の中心部でオフィス街で競争が激しくて家賃が高いとかいうところは「きちんと」してる確率が高い。
だから、生活圏が都心で完結してる人たちは「きちんとしてる」こと自体に気づいてなかったりもするし。
逆に、地方のマクドナルドとか行くと料理以前の問題でお店がマクドナルドになってなかったりもするような店舗もある。
え?ここおばちゃんの個人店舗?って聞きたくなるような場合もあるよね。
でも、どちらにしろ(いいお店の場合も悪いお店の場合も)私はSNSで晒すようなことはしない。
隠れた(チェーン店の)名店なんてそうじゃなくても、安定してないし。
ああすごいいいお店だったのに駄目になっちゃったなあ。
とか。
逆に悪い店だったけど、テコ入れが入ったのか久しぶりにやむを得ず来たらいい感じになってるな、とか。
そういう自然の変化にSNSは不自然な介入をしちゃうじゃない。
それが嫌なの。
いやぁ、世界の中で日本が物量で負けへんもん…正直、パッと考えても 「圧倒的な数で勝ってるもの」 ってあんま思い浮かばんよな。
でも、探せばあるで。
1. 自動販売機の数
日本のどこ行っても自販機あるやろ?駅前、オフィス街、田舎の山奥、果ては無人駅にも置いてある。
→ でもよく考えたら、これは 弱者男性の思考とそっくり や。
・「自分から話しかけるの怖い…」→ でも自販機なら誰とも話さず買える!
・「コンビニの店員と目を合わせたくない…」→ でも自販機なら無人でいける!
結局、自販機の多さって「人と関わらずに物を手に入れる文化」の象徴で、日本の「人と関わりたくない社会」の産物なんちゃうか?
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2. コンビニの数
アメリカにもコンビニはあるけど、日本みたいに 何でもできるハイテクコンビニ じゃない。
日本のコンビニは ATM・チケット発券・宅配・コピー機・ネット通販受け取り までできる、もはや生活インフラや。
→ せやけど、これも 弱者男性と一緒 やねん。
・「ちゃんとしたレストラン行くの気が引ける…」→ でもコンビニなら一人でも堂々と飯が買える!
・「スーパーの店員とレジでやりとりしたくない…」→ セルフレジあるコンビニなら余裕!
結局、コンビニの充実って「人と関わらなくても生活できる環境」を作った結果やんか。
要するに 「社会全体が弱者男性の思考に適応した結果」 やとも言える。
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毎年のアニメ制作本数、発行される漫画の数、ジャンルの多様さ、どれをとっても他の国に負けてへん。
→ でもこれも 弱者男性の現実逃避の受け皿 になっとるんちゃうか?
結果、アニメ・漫画の市場が異様にデカくなって、物量で世界一になったってわけや。
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「人と関わらなくても生きていける環境」 を支えるインフラが多いんよな。
・コンビニ → なんでも一人で済む
これもう、日本全体が「弱者男性に優しい国」になっとる証拠 やん。
せやのに、社会は「コミュ力大事!」とか「人間関係が重要!」とか言うて、現実とのギャップに苦しむ人間が増える。
つまり、日本は弱者男性にとって天国みたいな環境を整えてるのに、社会がそれを認めへん という矛盾した国なんかもしれんな…。