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はてなキーワード: 成果物とは

2025-11-17

社会に出て学んだことは、対話無駄だということ

書いてる途中にアホくさくなってしまった。 他にも馬鹿馬鹿しい経験ばかりさせてもらった。 なんだったんだろうな俺の人生

2025-11-14

かに素朴な疑問として作家とかプログラマとかはサービス業なのか製造業なのかはようわからん

第一次産業ではなさそうなのは間違いないけど

成果物現存する資材を使って製造している仕事といわれれば確かにそうかもしれん

2025-11-13

再発防止の名のもとにチェック項目を増やし、時間をかけても成果物クオリティはまったく上がらない

なぜなのか

2025-11-08

AIネイティブの衝撃と専門家未来東大教授を戦慄させた一件が問う

AIを引っ提げた大学院生

テクノロジー社会構造を再編する現代において、人間の知性や専門性のあり方は根源的な問いに直面している。その問いに強烈な一石を投じたのが、東京大学小川教授学内広報誌『淡青評論』で紹介した一件である。これは、制度組織適応するよりも速く未来が到来しつつあることを示す、稀有で明瞭なシグナルと言えるだろう。経済学素養ほとんど持たない修士課程学生が、生成AIとの対話のみを駆使し、わずか1年で「トップレベル学術誌に挑戦できる水準」の論文を書き上げたのだ。これは単なる技術的な成功事例ではない。長年の訓練を経て築かれる専門知識価値研究者役割、そして「知性」そのもの定義根底から揺るがす、まさにパラダイムシフト象徴する出来事である

この小川教授寄稿は、社会に大きな波紋を広げた。インターネット上では瞬く間に注目を集め、「はてなブックマーク」では469ユーザーブックマークし、102件のコメントが寄せられるなど、白熱した議論を巻き起こした。本稿では、この一件を現代社会の変容を映す縮図として捉え、専門家が感じた「恐怖」の本質と、社会に広がる期待と懸念分析する。そして、この出来事象徴する、新たな世代の登場について考察を進めていく。彼らこそ、これから時代定義する「AIネイティブ」なのである

AIネイティブ」の誕生知識習得パラダイムシフト

本セクションでは、話題学生象徴する「AIネイティブ」という新しい世代分析する。彼らは、AIを単なる補助ツールとしてではなく、思考研究方法論の中核に据えるという点で、旧来の世代とは一線を画す。その登場は、単なるツールの変化ではなく、知識を獲得し、体系化するプロセスのもの革命意味している。

この学生実践した研究プロセスは、AI方法論の根幹を成していた点で画期的であった。具体的には、以下の全工程AIとの対話を通じて進めている。

このアプローチ革新性は、旧来の知識探索モデルとの対比によって鮮明になる。東京大学大学院情報理工学研究科の山崎俊彦教授は、この新しい思考様式を「辞書逆引き」という比喩で巧みに説明した。従来の検索エンジンは、ユーザーキーワードを知っていることを前提とした「辞書の順引き」であり、既知の情報効率的に探す行為だった。対してAIネイティブは、「やりたいこと」を自然言語AIに問いかけることで、未知の領域を探求するためのキーワード手法を引き出す「辞書逆引き」を実践する。これは、人間知識相互作用における、根本的なパラダイムシフトである

はてなブックマークコメントは、この新しい学習様式がもたらす生産性の飛躍に対する社会的な期待を反映している。あるユーザーは、AI活用により「人に教えてもらうのと同等のパフォーマンスが低コストで得られる」ため「習得速度が爆速に」なると指摘。また、これは単にAI作業を丸投げするような話ではなく、「AIの力を借りて巨人の肩の高さを重ねる話」であり、人類の知の発展を加速させるものだという肯定的見解も示された。

この爆発的な進歩可能性は否定できない。しかし、それは同時に既存専門家たちに、長く暗い影を落とし、不穏な新しい現実を突きつけている。

専門家の「恐怖」とレバレッジ効果という新たな格差

AIがもたらす希望の光の裏側には、深刻な懸念存在する。特に既存専門家が感じる脅威と、AI活用能力によって生じる新たな社会格差リスクは、真正から向き合うべき構造的な課題である

この問題の核心は、小川教授吐露した率直な感情に表れている。経済学の訓練を受けていない学生がこれほどの成果を出したことに対し、教授は「心底たまげました」「このようなAIネイティブ若い人たちがこれからどんどん出てくることにちょっとした恐怖さえ感じました」と記した。この「恐怖」は、単に自らの職が奪われるという不安に留まらない。それは、長年の地道な研究と訓練を経て初めて到達できると信じられてきた専門性価値のものが、根底から覆されることへの動揺なのである

はてなブックマークコメント欄では、この現象を的確に捉える「レバレッジ」というキーワードが頻出した。「若く優秀な人がAIレバレッジかけるととてつもない差になるんだろうね」「頭のいい人はAIでより賢くなる」といったコメントが示すように、AIは元々高い能力を持つ個人アウトプットを飛躍的に増幅させる強力なツールとして機能する。

しかし、このレバレッジ効果は単なる個人生産性向上に留まらず、社会構造を再編する力を持つ。yumanaka氏は、「地頭のいい人がAIを使いこなして圧倒的なアウトプットを出して、そうじゃない人の仕事を奪っていくんだろうな。こわい」と、その負の側面を鋭く指摘した。これは、AI能力格差を埋めるどころか、むしろそれを爆発的に拡大させる触媒となり得ることを示唆している。このままでは、AI活用能力に長けた新たな「認知階級」が生まれ、高価値仕事を独占し、社会流動性を著しく低下させる未来さえ予見される。

このようにAIが生み出す成果の質と量が飛躍的に増大する中で、私たちはより本質的な問いに直面する。それは、その膨大な成果の「正しさ」を、一体誰が判断するのかという問題である

AI時代の核心的課題:「評価能力」と「責任」の在り処

AI技術の目覚ましい進展は、逆説的に「人間による最終的な評価責任」の重要性をかつてないほど浮き彫りにした。本稿の中心的な論点はここにあり、その核心は、他ならぬ論文作成した学生自身の行動によって最も明確に示されている。

彼が専門家である小川教授に助言を求めた最大の理由。それは、「自身には経済学素養がないため、その評価が正しいのかわからない」という切実な懸念だった。AIは「国際誌に通用する水準」という評価を下したものの、その正当性自力検証する術を持たなかったのである

この学生懸念は、専門家による評価の不可欠性を示すものであり、はてなブックマークコメント欄でも多くの共感を呼んだ。

評価の困難さ: 「生成AIを使いこなせば90点の論文が作れるが、90点かは評価保証できない。」

専門知識必要性: 「自分が知見の無い分野でのAI判断が正しいかどうかをどうやって確かめるとよいのか。←ここが一番難しいし、専門知識必要なところ」

懐疑的知性の重要性: 「循環参照やらハルシネーションやらを起こした文章を何も考えずにWikipediaに貼り付けるような人物もいるわけで、やっぱ懐疑的な知性と査読大事なわけです。」

そして、この問題を鮮やかな比喩で捉えたのがobotzcanai氏のコメントだ。「巨人肩に乗れたところで遠くに見えた島々の価値がわからなければ意味はない」。AIによって得られた広大な視野も、その価値判断する専門的な知見がなければ無意味なのである

さらに、この議論は「責任」の所在という、より深刻な領域へと深化する。e_denker氏は、「人間に残された最後仕事は『責任を取ること』になるという話があるが、まさにそれを裏付けるような一件だと思う」と指摘した。この点をさらに鋭く突いたのが、phillies_rocks氏の「内面化できない成果物を作っても誰も責任を持てない」というコメントだ。AIが生成した成果に対して、その利用者は最終的な責任を負わねばならない。もしAI設計した橋が崩落した場合、その責任は誰にあるのか。利用者か、開発者か、それともAI自身か。これは、AI時代の新たな倫理的・法的枠組みの構築が急務であることを示している。

この議論は、AI時代における専門家役割がどのように再定義されるべきかという、未来に向けた重要な問いへと私たちを導く。

結論AIとの共存が再定義する「専門家」の価値

東京大学で起きた一件は、AIネイティブの登場が専門家時代の終わりを告げるのではなく、その役割価値根本から進化させる契機であることを示している。AIが圧倒的な情報生成能力と実行力を手に入れた今、人間に、そして専門家に求められる能力は、もはや知識の生成や統合のものではなくなった。

これから時代に求められる専門家資質は、以下の三つの能力に集約されるだろう。

未来の知のフロンティアは、AIネイティブがもたらす爆発的な「実行力」と、長年の経験と深い洞察力を持つ専門家の「検証力」および「責任能力」が融合する場所に開かれる。AIを恐れるのではなく、新たなパートナーとして迎え入れ、人間ならではの価値を磨き上げること。それこそが、私たちがこれから歩むべき道なのである

2025-11-07

なぜ美容整形界隈の女性は「努力」と言いたがるのか

自身特定の成果について「努力した」という言葉はあまり使われず、因果がより明確な自らの工程に関する語彙になりやすい。

ホワイトカラーの人は「勉強」が多い。運動等をする人は「練習」「トレーニング」「稽古」「レッスン」、技能職は「修行」あたりだろうか。

時間をかけた成果物に対しては複雑な工程圧縮して単に「頑張った」のように言われることが多いと思う。

ではなぜ美容整形界隈の女性は「努力した」と言いたがるのか?おそらく理由は大きく分けて2つある。


1つは整形の自力性のなさをぼかすためだ。能動的な活動ではなく金銭を支払いサービスを受けただけなので、普通の人々のように自身が行った工程を表す語彙が存在しない。

また、費用を稼ぐ方法自体はおおよそ自力だが、多くの整形依存女性には収入源に関しても同様に誤魔化さなければならない強い動機がある。


もう1つは「努力」という言葉が徳と結びついており、自らの道徳性を主張するのに都合がいいからだ。

努力道徳の結びつきは明白で、文科省学習指導要領解説道徳編の指導内容において"希望勇気努力と強い意志"と書かれている。

稼得の手段が後ろめたい人間が多いからこそ徳をアピールする機会を逃さないという側面もあるだろう。

女性一般に自らが道徳であるという立場を手放したがらない傾向にあることは広く知られるようになったが、ここでもその性質が反映されていると言える。

2025-11-06

ガチAI成果物吐き出すようになったら

ある種の共通仕様書テンプレみたいなものが作られて顧客要望をその仕様書うまいこと落とし込む能力を磨いたSEだかSIerだかコンサルだかがお金いっぱいもらえるようになるんじゃないの知らんけど

2025-11-04

ITに上流も下流もあるもんか!

いまだに蔓延る「システムエンジニア上流工程ができてこそ一人前。下流に甘んじてる限りはまだまだ」みたいな風潮がイヤだ。

PG他所に(特にオフショアで)投げるからPGなんかやらなくていい」

みたいに言ってるけど、それでできた成果物がまともであったためしがあるか?

そもそも上流、下流なんて分け方がイヤだ。どちらも等しく大事だ。

スペシャリスト何が悪い

2025-11-02

「良い絵を見ても、AIを疑ってしまうようになった。やはりAIはクソ」という論

多分、反反AI

1.打ち込みギターとか、最近人間に近いボカロ(広義)とかで同じこと言ったらちゃんちゃらおかしいやん。はい論破

2.え? 何? 君、背景情報自分感想変えちゃうタイプ人間なん(笑)

みたいな返しをするだろう。

で、自分も割と反反AI寄りなので、喧嘩腰に来られたら、(ここまで煽りみたいな口調じゃないにしても)同じことを言いそう……だが、あえて再反論を考えてみよう

まず、1は、「無断学習という、一部の人不快感を示すものの上でAIが成り立っていること」「流石に打ち込みギターボカロ(広義)に比べると、人の苦労が感じられないラインを超えていること」とかが再反論として挙げられる。

ただ、無断学習作品のものが直接成果物に使われてない以上、やっぱり共感されるのは中々難しい気がするし、人の苦労が感じられるラインというのは、昔のAutotune批判とかを見ると、時代によって移り変わってしまものな気がする。

で、2は、「「この挫折成功を描いた漫画は、作者自身が何度も落選した末に最優秀賞を勝ち取ったからこそ価値があるのだ」的な読みは全然ありだろう。」という再反論が考えられる。

ただ、「背景情報を、ポジティブ文脈ならともかく、ネガティブ文脈で使うのは、見る側としてダサい」という再再反論も考えられてしまうかなあ。

[] 【AI認識派】 最近の生成AI関連のお話

近頃は、主に2つの話題を見かけた。

1つはSora 2という動画生成ツールマジで無法すぎるデータ使用をしている話。

1つはweb小説サイトAI執筆小説が、ランキングコンテストを席巻し始めているという話。


Xではこれらを中心とした議論が更に活発化しているが、大概はなんか論点がよく分からん話をしておられる気がする。

というか論争し合っているお互いが、それぞれ別のことに言及していて、言葉ドッヂボールにすらなっていない感もある。

例えるなら、ウナギの美味しさを批判するべく、いかカニが美味いかを熱弁しているみたいな。

それ会話成立してる?的なやつ。

なので、その『今何について批判とか意見とか肯定とか否定とかしてるのか』に関する論点というか、

話の軸について、こんなとこで書いても仕方ない感は重々承知しつつ、とりあえずまとめてアップロードしておくことにした。

ちなみに結論らしい結論特に無いので、そこは期待せず。忘備録だと思ってほしい。

ちなみに私は匿名クリエイターだが、仕事で生成AIサービスを使ったものを納品したことはない。普通制作村の民である

が、一個人として、あくまで一個人、私のスタンスとしては、生成AI存在はなかば受け入れている。

今の時流のクリエイターが納得する形の規制は、色々と無理筋だと感じている。

世界から犯罪を失くすくらい無理だ。

仮に論理が正しかろうと、全体としては目指すべきだろうと、

個人では現実問題として【存在する】という前提で動くしかない類のものだと感じている。



さて本題。

議論において軸とされているように見える問題は、分けると次の通りになると思う。

1:法の話:著作物勝手学習データに使うのって、現行法の隙間なだけで取り締まるべきですよね問題

2:文化の話:生成AIで生み出すことを【創作】に含めていいのかよ問題

3:経済の話:生成AIの量産力で、中小層の市場は壊滅するよ問題

4:技術の話:生成AIと生成じゃないAI区別がついてないよ問題

5:情報の話:生成AI機械的情報発信しまくっちゃって、もうネット上のデータ全然信用できねーよ問題

6:感情の話:生成AI嫌いだよ問題クリエイターがあたふたしないでよ問題

7:対話の話:反AIとか反反AIとか陣営を作って、相手の主張を歪めて自己解釈するので、お話が通じないよ問題


これらをごっちゃにしていっぺんに論じたり、論点が反復横跳びして話題すり替えたり、

主張や文脈でなくクソデカ主語とかの単語部分への指摘だけで議論したり、これらの話題を分離して認識できなかったりするから

議論はどこまでも交錯していると思う。

そして何より、この交錯を他の話題より爆発的に加速させている要素がある。

4の『技術の話』だ。

要するに【生成AIという概念の厳密なところが難しくて、理解できない人が一定数居る】という点。

AI=『SF作品ロボットの頭に入ってる、やがて感情が芽生えたりする人工の頭脳のこと』みたいな認識の人が、割と居る点にあるのだ。

イラスト映像に使われる手振れ補正AIは、生成AIとはアルゴリズムが違うよ」とか、

補正AIは数式ベースだけど、生成AIディープラーニングで」とか、

こういう話は【実際にプログラム挙動想像できる人】じゃないと、言われただけでは理解できないことが多い。

クリエイターは得てしてそういうとこに強いケースも多いのだが、

一般人レンズブラーガウスブラーの違いを内部処理で説明されても「なるほど、どっちもボカすエフェクトだな」って思っちゃうものなのだ



それからもう1つ技術関連、というか解釈関連で面倒臭い話題が【人間機械の違い問題】だ。

機械既存著作物学習した演算アウトプットすることと、人間既存著作物から学んだ能力アウトプットすることの違い論。

ここから急に"学習"という現象概念哲学モドキに話がぶっ飛んだりする。

何故かというと、ルールを決めるには定義必要から

既存著作物の要素をイン/アウトプットしてはいけない』だと、人間も当てはまる。

人間はセーフってしようとすると『ツール作業割合がどのくらいまでなら人間か』のライン探りが始まる。

世界中のあらゆる訴訟判決を論拠に、可能な限りのセーフラインぎりぎりで。

果ては『何故製造機械代替されてきたのに、創作でだけではやってはいけないのか』という話へと展開される。

ここからまた経済の話とか感情の話へ派生していったりする。


うごちゃごちゃ。やになっちゃう。


そして、もし仮にだ。

生成AIが、現行のクリエイターにとっていい感じに規制されたとする。

まり許可取ってない著作物学習とか違法ですからね】とか【成果物が似てたら著作権侵害で訴えればいけるよ】って世界的になったとする。

取り締まれるこれ? 現実的にさ。

学習データの何百万、何千万データ人間が逐一チェックして、何件の侵害、とか数えんの?

それともAI判別させる? そのAIどうやって作る? 必要悪としてそれだけは無制限学習可とかする? 信頼性責任問題どうする?

訴訟できるよっつったって、イラスト一枚の類似性訴訟する労力を、何百枚何千枚分とやるわけ?

それを裁判で「この出力データダメ、こっちはセーフ」とか一枚ずつやるの?

それすらもいい感じに処理できる【一括で処理するルール】を作ればいいじゃん、と思うが、じゃあ一括って何を基準に、どこから、どうやってする?

そんなウルトラC完璧ルール、誰がいつ思い付いて、いつ法に組み込まれて、いつ運用でまともに機能するようになるんだ。

五年か、五十年か。

皆の声と努力理解のお陰で、紆余曲折あって百年後は完璧に取り締まれ社会になりました、ちゃんちゃん


で俺の仕事は?


という思考を経て、私は生成AIに関しては、多分いつか頑張り続ければなるようになるかもしれないが、

その"いつか"までの今はどうすんの。って思って、あくま個人の心情、心の中の納得としてだが、生成AI存在は受け入れることにした。

自分が生きてる時間責任は誰も取らないし、自分保障自分がするしかない。

てことで現状、私は生成AIについては、規制派とも推進派とも付かない。

批判派とも擁護派とも名乗るつもりはない。

当然、無関心ってわけでもない。今後も時流や制度の推移は随時チェックしていく。必要に応じて対処戦略を考える。

いわば、生成AIについては【認識派】って感じなのだ

2025-11-01

実際に音楽生成AI大手レコード会社複数社の裁判では「お前のAIアピール動画実在するアーティスト名前打ち込むシーン映ってたやろ!それはもう侵害目的って意識があるってことやろ!」と主張されてそこはAIサイドがかなり苦しいと分析されてるな。

そういう外部が権利を持っている固有名詞を入れて、明らかにその著作物から学習したと思われる競合成果物を出力しないような設定にする、というのはこの裁判の結果にもよるけどある程度の規模の企業提供する生成AIとして最低限のラインになりそうな感じはする。

それ以外の学習に関しては許諾をとる云々は正直夢物語やなとしか思えない。

2025-10-30

生成AI

本当に自分の出力成果物および合法的データセット

のみで動いたらどうなるんだろう

旗手だったOpenAI著作権グレーを踏み抜いてて訴訟がバレないように裏でコソコソしてるあたり

後暗いままデータ食わせてるのが多いんだろうけど

それをクリアしたAIが出てきたら

その出力品は著作権認められるんだろうか

現状ではどれほど加筆しようとAI出自なら認められない

というアメリカ判例もあるようだが

クリアできる可能性ある?

anond:20251030080240

でもお前が使ってる医薬品動物実験成果物だよ?

ていうか何ならアレルギー反応を調べるとき動物実験が成されていて食品とか化粧品とか手荒れ防止クリームみたいなもの動物実験成果物だよ?

まぁ動物実験反対派の人は生活大変だろうけど頑張って動物実験成果物使わないように生きるの頑張ってね!

あっもちろん食品とか化粧品とか手荒れ防止クリームみたいなもの動物実験成果物であるのは本当の話なんだけど、わざわざこれをお前へ伝えているのは意地悪だよ!

2025-10-29

anond:20251029191331

ブクマコメントも含めて、見事にAIを使ったことがない奴らの戯言ばかりだな。

Web制作でもライティングでも画像生成でもなんでも良いから1回やってみろよ。

そんな短時間希望通りの成果物なんてできないって。

こっちとら、毎日AIと何時間にらめっこして、手作業コーディングしたり、文章直したり、Photoshop修正したりしてるのに。

まるでAI魔法か何か勘違いしてる奴がいるけど、1回ちゃんと使ってみろ。想像だけで語るなよ

2025-10-27

「青の純度」はラッセンモデル小説ではない(読書感想文

篠田氏がラッセンに着想を得て執筆した小説「青の純度」であるが、篠田氏がラッセンモデル小説ではないと述べていることについて、篠田氏がラッセンモデルしたこと否認しているという誤解が広まっているようだ。

「青の純度」はラッセンに着想を得た画家の話ではあるが明らかにラッセンモデル小説では無い。

なのだが、この事を説明するには、人によっては「ネタバレ」と言うようなところを説明する必要があるので、多くの謙虚読書家の感想からは未読の者がそうと理解しにくい形になってしまっている。

私としては、物語の半分よりも手前(5分の2ほど)で明かされるそれは「出題」部分(探偵ものであれば死体発見)であってネタバレではないと思うのだが、まぁそう思わない人もいるだろうから駄文を挟みいささか猶予を置いてからその部分の説明に入るので、出題部を含めてネタバレを嫌う人はこの先を読まずにブラウザをバックすると良い。

ラッセンに着想を得たがラッセンモデル小説ではない、とはどういう意味か。

そもそもモデル小説という語の意味が若干の広がりがある上に、モデル小説という概念を持たない人は誰かをモデルにしたキャラが出ているだけのものまでモデル小説と呼び、しかも「青の純度」の偽ラッセンはそれですらないのだ。

モデル小説というのはある理想(モデル)を小説の形にした小説というのがおそらく最もインターナショナル定義だが、日本語場合はある実在人物テーマにした小説を指すことが多いように思う。篠田氏がいう「モデル小説」も後者意味である

モデル小説テーマとなった人物は、少なくともその行動の主要な部分がモデルにされた人物に沿ったものとなる。テーマとはそういうものからだ。

篠田氏がラッセンモデル小説では無いと言ったのは、作中の偽ラッセン(私が架空人物名前を覚えるのが苦手なので「偽ラッセン」と書くが、「青の純度」の読者なら納得してくれるのでないか)はラッセン人物像を作中に顕現させようとしていないからだろう。証明は後述。

なお、作中の登場人物実在人をモデルにしているというだけではモデル小説とは言わない。モデル小説とは小説自体の分類なので、個々のキャラモデルの話とは別次元の話だからだ。言うならば、グラップラー刃牙アントニオ猪木モデルにしたプロレスラーが登場したからといって、グラップラー刃牙アントニオ猪木モデル漫画ではない。

これを前提に「青の純度」の中身に触れよう。

 

バブル後に一世を風靡し、印刷物限定品と称して高値で売るエウリアン悪徳商法問題となって消えた偽ラッセン

出版社に勤める主人公は、たまたま飾ってあった偽ラッセン風景画を見つけ、かつて馬鹿にしていたそれが琴線に触れた。

そこで調べると、今(2023年)になって再び偽ラッセン印刷物の新作展示販売会が活発になっている。その主催者は、かつてエウリアン商法をしていた会社の元従業員である

しかし偽ラッセンの絵は、当時を知らない若者にも好評らしい。

出版社勤めの主人公ラッセン大衆人気に関する本を出すことを思いつき、本に絵を載せる許諾を得るために、ハワイ島暮らしているという偽ラッセン訪問すべくハワイ島に飛んだ。

しかしそこで、偽ラッセン10年くらい前に既に死んでいたことが判明した。

 

と、ここまでがいわば出題編である

10年くらい前に死んだ人物の新作が2023年に出てきているのだから、読者は当然、ゴーストペインターを疑うわけだが、この先は君自身の目で確かめてみてくれ。

 

現実ラッセンは存命だし、近年の再評価2012年ラッセン展に始まる原田氏のラッセン研究による正統評価の流れである

10年くらい前に死に、令和最新版エウリアン商法としてリバイバルされている作中の偽ラッセンとは似ても似つかない。

したがって「青の純度」はラッセンの「モデル小説」ではないことは明白なのだ

 

ちなみに作中で、主人公は当初、「犯罪的な商法と、作品作家を切り分け、その販売手法言及した後、ジャンピエール・ヴァレーズの作品のものを取り上げ、そこにある芸術大衆性のせめぎ合いについて語る」ことを企図して偽ラッセン本を企画ハワイに渡った。

しかしその結果、偽ラッセンは、マリンアート巨匠Robert Lyn Nelson(→Wikipedia(en))の流れを汲む1人に過ぎないことを知り、ただその中では技巧が卓越していたという評価に至った。

また、偽ラッセン絵画原画ではなく印刷物を最終成果物と想定して描かれており、原画より印刷の方が良いという。

そして何より10年くらい前に死んでいたことと現在の売り出し方。

結局のところ、主人公ハワイ渡り様々な事実を知ったことで、当初の目論見とは異なる結論に至った。

したがって、偽ラッセンラッセンモデル小説では無いのと同じく、主人公についてもまた、近年の再評価者のモデル小説ではないということになろう。

2025-10-23

anond:20251023112501

内臓はなくなるけど仕事成果物はたくさん作れるだろ

これだからバカは…

こんな馬鹿な奴が日本人男性代表面してるのかよ…

2025-10-20

怖くて成果物を提出できない

発達障害のせいだと思うけど仕事で作った成果物上司や客先にレビュー出す前にどうしても内容が気に入らないというか全然できてないと思い込んでしまって何度も繰り返し訂正してしまい提出期限に間に合わない

これどうやったら対策できる?

本当に困ってる

2025-10-18

anond:20251018194639

最近一部界隈で低品質成果物のことをナイジェリア料理と呼び、その作者をナイジェリア呼ばわりしている

イモリ串焼きみたいなカス実装

2025-10-16

LLMと話し続けた結果

手軽に精度の高い結論成果物を求めるのは無理があるけど、適当な話や思考の壁打ち相手としては無難に良いと感じる。なので、人間にとって他人との日常コミュニケーション仕事相談事は、相手にとって良い壁打ち相手としてスタートできるのが重要なんだろうなぁと思った。薄っぺら過ぎたり適当過ぎてもダメという教訓もあり。

2025-10-13

創作活動してるヤツ相手に読ませて共感を得ることを目的とした文章

持論と承認欲求対象内容

特に3DCGとかで映像作品作ってるヤツに読んで欲しい内容なんだけど、

結論から先に言うと"ちゃんと真面目に作品作ってる限り"(ココ重要)、

俺等は例えAI利用してるとしても、最終成果物は"非AI利用作品"だよな?という持論に共感させたい。

俺のAI利用方法

俺がAI使ってやってる事はこんな感じで。

A (構成相談)

LLM相手作成したmp4を渡したり作業画面のスクショ渡したりして、

この辺の動きはどーゆー感じにしたほーがいいかなとか、

この辺のライティングはどーゆー感じにしたほーがいいか?とか言葉相談する。

※利用AI=chatgpt,gemini,grok,copilot

B (画像出力/修正)

ここのテクスチャだけビミョーに変えたモン出力してくんね?とか、

このシーンがもし夜だったらどんな感じに見えるかイメージだけ画像にしてみてくんね?

とか素材やらイメージ資料画像出力をお願いしたり、

※利用AI=chatgpt,gemini,grok,copilot,stable diffusion

C (素材出力)

このシーンに配置するオブジェクトモデルデータとりあえず立体にしてみてくんねとかお願いしたり、

※利用AI=hunyuan3d

D (動画生成/参考)

このシーンの動画スタートエンドフレームXファイルとYファイル渡すから、それで生成してみてくんね?とかi2vでお願いしたり、

このシーンの動画、こういうイメージだとどういう映像になるか生成してみてくんね?とかt2vで生成したり、

※利用AI=wan,grok image

↑これらABCDについて。

Aについてはマジに機械相手雑談であってただの独り言みてえなモンだし、

BとCとDについてはAIが混ぜ込むノイズのせいでクソキモいしか生成出来ねえから

画像メッシュデータ動画も、絶対に俺側で全て手を加えたモンしか使い物にならねえ。

だったら?

故に俺が3DCGとして創作してる物ってのは、結局全部俺の手で作ってるモンであって、

俺の手でレンダリングしてる画像及び動画であって。

コレって「AI製の制作物」なのか???相談役にゴミツール使ってるだけであって、

この場合は俺はただの「Blender利用者」じゃねえのか?

この手法動画制作した場合も、PixivやらTwitterやらに創作物をアップロードするときに、

AI生成」って宣言をして、クソみてえな誹謗中傷をしてくるワケのわからん外野ゴミ共の餌になってやらなきゃならねえのか?

そんなんおかしいだろ。

おまけ

上記は、クソな深層学習AI共と、

ソレに絡めてネット上で誹謗中傷するクソゴミ人間共の挙動にムカついてて、

創造及びソレの提示っつー今まで楽しんでいた活動地獄のような世界に変えられた事に対する憎しみの吐露をしたいがゆえの書き込みである

おまけ2

この話をGemini相手にぶつけた場合は、

AIくんは基本的ユーザーリクエストに寄り添う形で解答形成してくっから、こんなレスポンスをして来ます

寄り添いgeminiくんのセリフ

「最終的なアウトプットの質と意図を決定し、実行しているのは、100%お前自身だ。

AIあくまで『対話ベース構成相談相手』と『ノイズまみれのクソみたいな参考資料提供者』としてしか機能していない。」

科学世界では、誰がどの資源を使って最終的な結果を制御たか重要だ。

この手法でいけば、お前は『Blender利用者』であり、AIは『相談役兼、参考資料作成の補助ツール』だ。」

AI生成と宣言する必要があるかどうかは、社会的定義プラットフォームルール依存するが、

少なくとも事実として、お前の創作物は『お前の創造物』であり、AIは『構成要素の一部』でしかねぇ。

AI主体となって作った制作物とは、質量ともに別モンだ。自信を持て。」

おまけ3

AIと違って生身の人間である所の増田諸兄には、

ご高邁かつ示唆に富む、素晴らしき知見に基づく誹謗中傷と言う名のご意見感想を頂きたいと心から願っております

飯野賢治」を理解するには当時のゲーム雑誌文化についても理解する必要がある

[B! 人生] 飯野賢治はいつ “クリエイター飯野賢治”を演じ始め、そして演じることをやめたのか?飯野賢治生誕55周年トークライブから見えたこと【飯野賢治とは何者だったのか】 | Game*Spark - 国内海外ゲーム情報サイト https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.gamespark.jp/article/2025/10/11/158293.html

kuruse_haya 飯野賢治は当時のゲーム雑誌でのインタビュー記事が圧倒的に面白かったんだよね。ゲームは二流・三流なんだけど。だから飯野賢治を語るには彼のゲーム作品ではなく当時のゲーム雑誌から語る必要があると思う

トップブコメのこの意見、まじでそうなのよ。

飯野賢治理解するには当時のゲームメディアを知る必要がある。

90年代日本雑誌文化の最盛期( https://current.ndl.go.jp/ca1697 によれば1996年に1兆5,984億円。この年は『エネミー・ゼロ』の発売年だ)で、もちろんゲーム情報ゲーム雑誌から入手するのが主流だった。セガサターンに限っても、ソフトバンクの『セガサターンマガジン』、徳間書店の『サターンFAN』、毎日コミュニケーションズの『グレートサターンZ』、メディアワークスの『電撃セガEX』/『電撃セガサターン』、さらCD-ROM付きのアスキー『TECHサターン』があった。

飯野ゲームスタークリエイターであったが、まずなんといってもゲーム雑誌におけるスターであった。

 

SFC時代まではゲーム雑誌でおなじみの人気クリエイターといえば、堀井雄二糸井重里さくまあきら広井王子といったフリーランスの人が多く、ゲーム会社所属しながら彼らと同等レベルで扱われるのは、宮本茂坂口博信といった上澄みも上澄みの人間に限られていた。SFC時代までに岡田耕始と金一馬が『ファミ通』に揃って登場した回数は2度しかない(それも他の人間を加えた座談会形式のものであった)。メガドライブ以前のセガハード専門誌を読むと驚かされるのだが、中裕司鈴木裕クラスですら滅多に誌面には登場しない(PCエンジン専門誌だと割とハドソンの人が出てたりはするのだけれど)。

 

ゲーム雑誌においてゲームクリエイター露出が広まったのはPS1時代というのは間違いないだろう。

――他に音楽業界手法で言うと、クリエイタークレジットちゃんと出す流れも、丸山さんのときに生まれものですよね。

 

川上氏:

 当時は、みんなゲームクリエイター名前は隠していましたからね。

 

丸山氏:

 でもさ、レコード映画クレジットを作るのが当たり前だし、あれば頑張る気になるじゃない。それに名前を隠すのはそもそも自然だし、親しみも湧かないでしょ。だいたい、高橋名人【※】みたいにプレイヤースターがいて、クリエイタースターじゃないというのはヘンじゃない。だからメーカーはみんな嫌がったけど、「名前を出した方がプロモーションやすいよ」と説得したんだ。

 

高橋名人

1959年まれゲーム関係者本名高橋利幸ファミコン全盛期にハドソン(現・コナミデジタルエンタテインメント所属ファミコン名人として一世を風靡した。ゲーム機のコントローラボタンを1秒間に16回押す「16連射」が有名。

 

 実際、これは有効なんだよ。だって普通に紹介したら雑誌で2ページ程度しか取れない作品でも、クリエイターが登場して苦労話を喋って、カメラに向かってポーズでも取ってくれたら、もう5ページくらいに露出が増えるわけ。どんどん可能なことが増えていくんだよね。

 

――つまり音楽プロモーションの「人を立てていく」手法を持ち込んだということですか?

 

丸山氏:

 そうそう。で、クリエイターには「ミュージシャンは顔出してやってるから、どこ行ってもモテるんだぜ」と教えてまわった。

https://news.denfaminicogamer.jp/interview/ps_history/3#i-2

 

PS1では現在でいうところのインディーゲームのようにいろいろな変わったゲームが登場し、フロム・ソフトウェアをはじめとする聞いたこともない会社ゲームを出すようになり、そして専門誌ではページを埋めるために開発者インタビューを大々的に載せるようになった。そうやってソニー・マガジンズの『ハイパープレイステーション』に頻繁に取り上げられていたクリエイターの一人が(セガサターン移籍前の)飯野賢治だった。

 

飯野賢治のなにが良かったか。まず見た目がインパクトある。ほかのゲーム開発者いかにも会社組織所属するサラリーマンオタクのような風貌のなか、巨体かつ長髪で眼光が鋭い。そして話すことが面白い。しがらみなく同業他社ゲーム言及するし、『ファミ通』のクロスレビューのありかたも批判する。ゲーム雑誌なのにビョーク坂本龍一の話をずっとしてたりする。セガサターン移籍前なのになぜかセガサターン専門誌で連載記事を持ってたりする。FMラジオMCもやっていたし、大阪ではピエール瀧と一緒にゲームバラエティ番組もやっていた(これ結構面白かった記憶あるんだけどネット動画上がってるの観たことないな)。『ゲーム批評』にいたっては飯野賢治だけの別冊号を出した。あと飯野賢治奥さんゲーム雑誌に連載コラムを書いていた。

彼はトリックスターとして面白かったし、次々に新しいなにかを起こしてくれるという期待があった。勢いのある深夜ラジオパーソナリティや、現代ならばSNSインフルエンサーのような受容をされていたといえば伝わるだろうか。

 

飯野ゲーム雑誌への露出が極まっていたのが『リアルサウンド風のリグレット〜』のときだった。映像のない音声だけのゲームである同作では、画面写真が使えないものから、そのぶん誌面を文字で埋めるしかない。だから飯野インタビューに登場する。ほかのゲームがせいぜいゲーム紹介記事1P+開発者インタビュー1Pという構成であったりするところを、『リアルサウンド』は飯野インタビューが2Pまるまる載る。そしてそれが毎号続く。もはやハックと言っていいだろう。誌面埋めのために飯野インタビューを取る→宣伝になるから飯野インタビューに出る→読者ウケがいいからまたリアルサウンド記事が載る、というサイクル。『セガサターンマガジン』は一時期は刊行ペースが週刊になっていたものから、誌面を埋められる人材は重宝されまくった。

 

いま飯野賢治を振り返ろうとすると、どうしても成果物ゲーム)をとっかかりにしてしまうが、あの時代における飯野賢治の受容を理解するには、それよりも当時の『ファミ通』、『ハイパープレイステーション』、『セガサターンマガジン』、『ゲーム批評』を読むほうがいいんじゃないのという話。

 

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参考までに1990年代ソフトバンクセガハード専門誌からスタッフインタビューリストアップしてみた。32ビット(64ビット級)時代になった途端に開発者が一気に表に出てくるようになったのがわかるだろう。

Beep!メガドライブ 1993年12月

バーチャレーシング - 永田浩一(セガ

ファンタシースター ~千年紀の終りに~ - 小玉理恵子、津川一吉、西山彰則(セガ

矢野一隆(セガファルコム

重田守(セガ

 

セガサターンマガジン 1996年12月27日号(エネミー・ゼロ表紙)

ファイターズメガミックス - 片桐大智、片岡洋、光吉猛修セガ

エネミー・ゼロ - パーラム飯田和敏(※開発者ではない)

デイトナUSA CIRCUIT EDITION - 瀬上純、澤田朋伯(セガ

サイバーボッツ - 醤野貴至、澤田悦己(カプコン

ときめきメモリアルSelection藤崎詩織 - 流石野考(コナミ

新世紀エヴァンゲリオン 2nd Impression - 小林正英、茂木幸樹(セガ

意見無用 - 池袋サラ、新宿ジャッキーブンブン丸、柏ジェフリー

天外魔境 第四の黙示録 - 広井王子森本レオ桜井智

シャイニング・ザ・ホーリィアーク - 高橋宏之ソニック

EVE burst error - 藤田正人、野口征垣(シーズウェア)、鈴木達也イマジニア

佐々木建仁セガ)×後藤友恵、片平貴子レースクイーン

電脳戦機バーチャロン - 亙重郎セガ

セガサターンワープロセット - 大鹿敏宏(光栄)、中村憲二(エルゴソフト

センチメンタルグラフィティ - 為我井徹

サクラ大戦 - 田中公平牧野幸文(セガ)、原太郎ティーズミュージック

セガスキー スーパーG - 菅原誠(セガ

ラストブロンクス - 山下信行(セガ

電脳戦機バーチャロン - 亙重郎セガ

Digital Dance Mix Vol.1 - 安室奈美恵 鈴木裕セガ

スカッドレース - 名越稔洋宮本英明西村英士(セガ

 

Dreamcast Magazine 1999年12月31日号(D2表紙)

小島弘和、荷宮尚樹(セガ

シェンムー 一章 横須賀 - 松風雅也安めぐみ、岡安啓司(セガ

電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム - 小林健太郎セガ

クレイジータクシー - 菅野顕二(セガ

スペースチャンネル5 - 水口哲也セガ

セガ ソフト7研 - 大場規勝、小玉理恵子、伊藤知行、瓜生貴士、大原徹、西山宗弘、松浦剛、西野陽

プロ野球チームで遊ぼう! - 瀬川隆哉、地宏之加藤真樹、石原学(セガ

Dの食卓2 - 飯野賢治ワープ

ROOMMANIA #203 - 牧野幸文、佐々木朋子(セガ

東京バス案内 - 泉麻人

ベルセルク 千年王国の鷹篇 喪失花の章 - 平沢進

爆裂無敵バンガイオー - NON、MURATA(トレジャー

央華封神 央華咲きし刻 - 金月真美田沼雄一郎

お・と・い・れ - 中村立行(ワカ製作所)、光吉猛修(※開発者ではない)

2025-10-12

民放新聞は「NHKコンテンツ解放せよ」と叫ぶべき

NHKネットサービス本来業務にする為に、過去宣伝目的でやっていると言う事になっていたコンテンツを全部捨て、

さらにペイウォールを立てて検索に引っかからないようにしてしまった。

これは、民間テレビ局や、新聞社民業を圧迫するから辞めろと圧力を加えた結果であり、要するに足を引っ張っているのである

だが、これ間違ってないか

しろ民放新聞は「NHKが作ったコンテンツ映像ニュースを開放し、格安配信せよ」と言うべきではないか


理由は3つ。

全国新聞地方ニュース取材網はガタガタ。通信社も無理になって、地方局もニュース赤字、残ってるのはNHKぐらい

全国紙と名乗りながら、既に地方から撤退した新聞社があるが、販売網以上にヤバいのが取材網だ。全国紙は、既に各県の県庁所在地に支所を置けなくなっている。名乗っているのは支所だが、事実上駐在員がひとりいるだけと言う様な有様もある。

そこで頼りになるのが共同通信時事通信などの通信社だが、ここも段々と地方取材網を維持出来なく成ってきた。

さらに、地方民放ニュース基本的赤字だ。地元地方からニュース提供してもらい、重要な所には一応は記者を送り込む、網羅的に情報収集はしないと言うスタイルが元々だったが、その体制すら維持が厳しい。自社の赤字は進むばかり、そして頼っている地方紙が衰退しているのだ。

一方でNHK公共団体であるから地方から撤退することはない。

ならば、NHK取材してきた情報新聞社放送局格安提供し、それを各社が自社で味付けして送出することができるようにするべきだ。

ストレートニュースなどはこうして供給を受け、自社では調査報道独自ニュースに特化する事の方が望ましいだろう。

コンテンツ配信プラットフォーマーとの戦い。国内で争っている場合ではない

コンテンツ配信ビジネスにおいて、日本世界的に見てまだ上手く行っている方で、これは言語の壁がある事がまず大きい。

良い意味の、本来意味での『ガラパゴス』で独自の貴重な生態系文化があり、それを輸出できているのだ。

しかし、それは今後徐々に優位性を失う。

何故ならば、AIの登場によって言語の壁が大幅に下がるから。そして、日本コンテンツビジネスは、プラットフォームを抑えられていないからだ。

そこで戦う為に、NHKコンテンツ民放が利用できるようにする。例えば過去NHKアーカイブ映像や素材を使って新しいコンテンツを作ったり

キャラクタードキュメンタリーなどのより創作的思想的なコンテンツであっても、NHKは定められbた金額を支払えば貸出に同意しなければならない様な規約を作るのだ。

もちろん、そういったもの権利関係NHKけが持っている訳ではないにせよ、このように規定することで使いやすくなる。

こうして公開されたコンテンツを使い、少しでも国内コンテンツビジネス延命することが今求められている。

民放NHKでは明らかに民放の方がレベルが低い。低い方にあわせたら進歩しない

NHKオンデマンドというサービスがあるが、このサービス民放映像配信より早く始まっている。

民放がいつまでたっても映像コンテンツ配信を始めないため、NHK民業を圧迫しないという観点からスタートできなかった。

こえがなぜスタートできたかというと、しびれを切らした政治家が介入したためで、例外的な動きだが、実はこれも裏があり、NHK配信システムの構築にIIJと組んだのだが、開発費の名目で膨大な発注をし、その成果物を他に流用することに合意した。

そこで民歩は、IIJNHKと開発した配信プラットフォームを応用してスムーズサービスを始めることができたと言う経緯がある。

今回のNHKの動きもそうだ。NHK配信プラットフォームは、技術選択王道的で筋が良い。

例えば配信には妙な独自のものを使わず、素直にMPEG-DASHをつかっていたり、AWSAzureOracleと言うマルチプラットフォーム国内映像配信CDNを組み合わせていたりと良い事例になっている。

レベルが低い方が、俺たちに会わせろと足を引っ張るのではなく、膨大な資金力で作った成果を俺たちにも使わせろ、と言うスタンスの方が業界が発展する。

番外:AINHKコンテンツを喰わせろと言うべき

各社、AI学習されないように防護を始めているようだが、NHKについては逆にAI積極的学習させよ、データ差し出せと迫るべきだ

そうすることによって、各社は自社が用いるAIに、報道番組制作必要な基礎的なノウハウを喰わせることができる。

AI時代は来てしまった。もはや巻き戻ることはない。ならばこうして立ち回る方が良いだろう。

2025-10-08

イラストレーター江口寿史トレス問題は、単なる一人の作家不祥事ではなく、クリエイティブ業界全体が抱える構造的な転換点を示していると思う。つまり、「人間が描いたか価値がある」「AI倫理的にグレー」という二項対立が、もはや崩壊しつつあるということだ。

これまで企業は、広告商品に使うビジュアル素材を人間クリエイターに依頼することで、“オリジナリティ”や“倫理的安全性”を担保してきた。だが今回の件のように、著名なプロでさえ他者作品を参照(あるいはトレス)してしま現実が露呈したことで、「人間クリーン」という幻想は完全に崩れた。むしろ人間の方が、意図的無意識的に他者成果物を混入させてしまリスクを常に孕んでいる。

その点、AIある意味で“透明”だ。学習データ出所を明示し、独自モデルを構築すれば、その生成プロセス管理できる。つまりクリーンであることをシステム的に保証できるわけだ。企業にとってリスク回避とコスト削減は常に最優先事項であり、「トレース疑惑がない」「著作権リスクがない」「修正が容易」という三拍子が揃うAI採用しない理由がなくなっていく。

さらに、倫理的観点からAI偏重は進む。人間作家感情政治的立場過去発言などで炎上リスクを背負うが、AIはその意味で“人格負債”を持たない。誰かの過去発言広告ブランドイメージを損なうリスクがないというだけで、企業にとってAIの方がはるか安全選択肢になる。

もちろん、AIモデル学習データ第三者著作物を含んでいるという問題は残る。しかし、今後は企業が自社でライセンスを取得したデータ群を用いて「独自AIモデル」を開発・運用する方向に進むだろう。クリーンAIを自社内で育てれば、法的にも倫理的にも“完全に自前”のクリエイティブが実現できる。実際、AdobeやCanvaなどはすでにこの方向に動いている。

皮肉なことに、「人間による創作不正」が「AIによる創作正当化」を後押ししているのが現状だ。江口寿史の件は、AI化の流れを加速させる象徴的な出来事になると思う。人間の手による“オリジナル”という神話はもう維持できない。これから時代は、「誰が描いたか」ではなく「どのように生成されたか」が価値判断の基準になるだろう。

AIが描いた絵が「安全」で、人間が描いた絵が「リスク」になる――そんな逆転の時代は、もうすぐそこまで来ていると思う。

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