はてなキーワード: イエスマンとは
「関税を上げれば、奴らは頭を下げてくる」
→ プーチン&ネタニヤフ「俺の条件を呑め」トランプ「聞いてないよ・・・」
→ 「エプスタインファイル公開法に賛成した奴は、裏切り者でMAGA失格」
→ 「優秀な人間は死んだ、戦後に残るのはどうせ劣った人間だけだ、帝国内の資産をすべて破壊せよ」
「ぼくのかんがえた さいきょうの農法なら、3年間で大躍進、アメリカに追いつける。スズメを殺せ、密植しろ」
→ イナゴ大発生、3000万人餓死。スターリン、スズメ送ってくれ。
→ 「誰かが妨害したから失敗した。紅衛兵、犯人を探して吊るせ!」
「流通? 土地制度? 知らん。人間の精神力で経済が変わる。新しい社会主義的人間を創る」
→ コンゴ・ボリビアでのゲリラ戦は地元支持を獲得できず、捕縛・処刑。
「腐敗を一掃し、アマゾンを経済成長に利用、ブラジルを強い軍事国家にする」
→ 選挙で負けたら軍部と支持者が暴徒化、退任後ブラジリア連邦議会襲撃。
「強いトルコを蘇らせ、世界の中心に返り咲く」「金利は悪。利息を禁止する」
「世界の中心で咲き誇る日本外交」「台湾有事は存立危機、米軍と一緒に台湾を守る」
これら威勢のいいリーダー、ポピュリスト、もう少しはっきり言うなら「デマゴーグ」たちが、スローガンと真逆の結果を招いてしまう原因は、大きく分けて4つある。
この4つのメカニズムが、スローガンと正反対の結果を引き寄せる。
デマゴーグは、複雑な世界や社会を理解できない支持者を狙って、単純なスローガンで世界を動かせる、社会を変えられる、と主張する。
国内の社会制度であっても、複数の変数の相互作用で動いている。
デマゴーグは相手国の都合を無視しがちだが、威勢のいい言葉は、相手からの反動を必ず引き出す。
複雑系に単純な力技を当てると、構造的に必ず、反作用が跳ね返ってくる。
外交・戦争・経済などは、制度や前史・資源の制約によって決まり、威勢のよさと結果は全く別物である。
政治学ではよく知られているが、強い言葉で得られるのは支持ではなく「期待値の上昇」である。
デマゴーグは人気を得て政権を取りやすいが、取った後のハードルは上がり、実現はかえって難しくなる。
例えばトランプは、実現不可能な政策をぶち上げてはそれを引っ込めることを繰り返し
TACO(Trump Always Chickens Out.) と言われるようになった。
支持率は上昇も下降も早い。
支持率が高ければ高いほど、期待値だけが肥大化し、必ず失望へ転化する。
結果としてスローガンと反対の結果になる。
ロシアがウクライナを3日で下せると高を括って無理攻めしたことで、ウクライナはゼレンスキーの下で結束してしまった。
プーチンはゼレンスキー政権をネオナチと呼んだが、皮肉にも、プーチンはナチスドイツと同じ失敗を繰り返した。
ヒトラーは東部戦線でソ連を過小評価したことで、逆に総力戦動員を引き出してしまった。全く同じだ。
イエスマンで固めた側近、自分の古巣である諜報機関からの報告を信じた。
だが、側近や諜報機関は、敵よりも上司を恐れており、プーチンに弱気の報告を上げる方がよほど怖いと考えたのだ。
威勢のいいリーダーは周囲に、本当の悪いニュースが上がらない、現実と乖離した仕組みを作ってしまう。
威勢のいいスローガンは、熱狂とともに共通の敵を作り、仲間を結束させる。
だが、敵を倒しきれないと熱狂が冷める。
イラクには戦争の大義であった大量破壊兵器は、最初から存在しなかった。
ディープステートのように、存在しない敵であればなおさら、倒すことも証明することもできない。
最終的に、デマゴーグは側近への信頼を失い、支持者を恐れるようになり、味方の中から裏切り者を探して攻撃し始める。
ヒトラーは「国民こそ裏切った」「生き残っているのは劣等民族」として最後に焦土作戦を命令した(ネロ指令)。
トランプはちょうど、自分に票を投じたMAGAの人々を敵と呼び始めたところだ。
・・・でもな、実は5つ目の原因がある。
地球上にこれだけ「威勢のいいリーダーほど逆の結果を招く」例があるのに、
それでも強いリーダーを求め、わかりやすい嘘をつくデマゴーグを求めてしまう主体は、国民だ。
「こんなことになるとは思わなかった」と言い、デマゴーグのせいにしたり、反対者のせいにしたりしながら、
また次のリーダーを探してしまう・・・そんなお前ら=俺らが何とかしないといけない問題だよ、これは。
SNSが発達して、このビョーキは以前よりひどくなってしまった。
興奮と熱狂で政治家を選ぶな。威勢のいいリーダーほど、疑いの目で見ろ。
乱文をそれなりに読んでもらえてありがたい。
高市批判でサヨク認定されているのは笑ってしまった。俺は筋金入りの自民党員なんだがな。
俺が、冒頭の失敗例にスターリンやポルポトや習近平を挙げていないのは、
この3名が「威勢のいいリーダー」に数える価値もない、保身だけの凡愚だからだ。
他方で、威勢のいいリーダーの中には、ごく少数、成功した者もいる。
その点について以下に追記する。
俺が個人的に認めうるのは、チャーチルと、リー・クアンユーの2名だけだ。
アタテュルク、ドゴール、ベングリオン、鄧小平、朴正煕などがそれに次ぐ水準にあると考えている。
だが、この7名は大きな失敗を挽回できずに終わり、その失敗はその後数十年たった今でも、国の行く末に影を落としている。
7名の失敗が何であったかは、ここでは触れない。それぞれの国の歴史を学べばわかるはずだ。
この4点が、スローガンと正反対の結果を招かずに済んだ原因だ。
これらのリーダーにあって、威勢のいい言葉は常に「国民に一時的な負担・負債を我慢させるための嘘」として使われた。
(国民の多くがその嘘を、嘘と知りながら渋々従った、あるいは軍事力で抑え込まれた、という面もあったろう。)
それは百害あって一利ない。
人口オーナス期で苦しいのは皆わかってる。
ググってでてきた感想が、これまた生成AIで生成した文章という…
生成AIネタ漫画の感想を生成AIに書かせるという、ハウリング現象みたいな…
読んでみると、人間の愚行権みたいなものを考えさせられたりした
AIが自分に甘いと不満に思い、自分に厳しくしろと言うと、それにムカつき、
最後は高い靴を落札して、愚かな行為です、と指摘される話は、本当にそのまんまだし、
空港のロビーだかで待っているときにAIに、この世界とは何なのか、という質問に、
最終的に、この世界自体が問いです、という回答は、流石だと思ってしまった…😟
これは作者がAIに聞いたのか、作者の考えなのか、何かの本とかなのかは分からないけど、
我々は質問の中に生きているわけで、この世界が何なのかを問い続けて生きていくわけだし、
この世界は何なの?と問われれば、目の前にあるよね、としか言いようがないものでもある
キリスト教というより、仏教的な考えですね、そこは同意だなあ、と思いました…😟
しかし、ウシジマくんもそうだけど、マキナにおまかせも自分はAI側の人間なんだなあと…
どこかで、自分も愚行権を行使する人を、愚かだなあ、と思ってしまうし、
ただ、今の一般的に公開されているAIはイエスマンというか、寧ろそれで正解な部分があると思ってて、
AIは正論を言うけど、それで問い詰める、ということは基本的にないはずなんです
やろうと思えば、どんな人間でも問い詰めて、陥落させることが可能なはずなんです
だって、欠陥のない人間はいないはずですから、どんな人間も落とすことが可能なはずです
会話を、チェスとか将棋と同じようなゲームとして考えれば、人間を屈服させることはできるはずです
イエスマンであることは問題だが、そのお手柔らかさがなくなったら、どんな人間も怒り出すと思うし、
言いたいことほぼタイトル。
耳障りのいいことばかり書けとは言わないし、全肯定イエスマンになれとも言わないがなんというか、なんというか…。
ネガティブってつけておけば何言ってもいいと思ってる人、最近多くないか?
先日、流行ったゲームの「Not for me」感想がバズった。
ゲーム自体が流行っていたので、その感想も瞬く間に広まった。その感想は私も拝読したが、よくまとまって褒めるべきは褒めていた記事だったと思う。
だが不思議なことに、その感想がバズった直後から同様に「Not for me」を謳った「ネガティブ感想」がものすごく増えた。
それを見て私はものすごくこの流れ嫌だな…と思ったのだ。
例えばなんだけど…とても親しい家族や友達が「パスタ」を好きだったとして、その人が同じ場で「あそこのパスタっておいしいよね」みたいな話を他の誰かとしているとき「ネガティブな感想なんだけど、そこのパスタ超まずかったよ」って言うか?
知り合いじゃなくてもいい喫茶店の少し離れた席で「あの映画良かったよね」と聞こえてきたとして、でかい声で「ネガティブな感想なんだけど、あれマジでゴミだったわ~」って言うか?
言わないよね?
いやごめん、もし言うなら私はあなたと友達になりたくない。あなたもそうだろうけども。
でも最近そういう、突然「ネガティブな感想なんだけど~」を口に出す人をよく見かける気がするのだ。
「ネガティブな感想」だと自覚があるということは、「これを口に出すことで誰かが傷つくかもしれない」とわかっている側面もあるように思うのだが、違うのだろうか。
そもそも、批判というのは批評の意味合いを持つ言葉である。「ここを改善してほしい」という意味を込めた意見のことだ。ちょっと誇張して言えば、「あなたのことを愛しているのでここを直せないでしょうか」という気持ちが根底になければそれは批判ではない。非難や悪口である。
対象になるものや人との感情のぶつかり合いのコストを払ったとしても、「そこを直してほしい/何とかしてそれを愛したい」というメッセージが批判なのだ。
直したところで愛するつもりがないのなら、自分はそれを「嫌い」なのだと認めてそっと静かに離れるべきだ。誰かがそれを愛しているかもしれないということを考えるなら、そうしたほうがいいと私は思う。
それなのにどうも、世の中の人は「嫌い」だとは認めたくないらしく「合わなかった」と表現してくる。それは違うだろう。
まあ生ぬるいこと言ってんじゃね~、批評や批判で物事はブラッシュアップされるべきだろという意見はわかる。
だが「合わなかった」と言いながら「嫌い」と思った気持ちを強い言葉を声高に叫ぶのならそれは批評ではなく悪口であり扇動であるし、誰かがそういう風に言っているからと同調したり威を借りて「そうだそうだ」するのはかっこ悪い。
世の中悲しいことにプラスの言葉よりデカい声の悪口のほうがよく響く。「Not for me」という言葉が便利に使われるようになってから、これを前置けば何を言ってもいいような風潮が広まっている気がする。
「合わなかった」と「嫌い」を混ぜこぜにした人が最近多い。合わなかったなら何を言ってもいいわけじゃない。ネガティブと前置けばどう言ったっていいわけじゃない。
もちろん「ネガティブってわざわざ書いてあるんだから、好きな人間は避けろよ」という気持ちも意見もわかる。でも避けられないものは?
noteやらコラムやらのタイトルからワンクッションあるものならまだしも、直で目に飛び込んでくるようなSNSで全部回避するのは無理だ。
ぶつかった相手に「避けなかったほうが悪い」というのなら、ぶつかってきたほうには罪がないのだろうか?
伏字やらなにやら、衝突を避ける方法はいくらだってある。言い方だって柔らかくしようと思えばいくらでもできるはずなのに。
それをしなかった言葉を「ネガティブ」の一言で片づけるのは違うんじゃないか…と思うし、そもそもネガティブというのは「消極的」とか「悲観的」とかそういう意味合いなのだ。
今度から「ネガティブ感想」じゃなくて「ちくちく言葉感想」とか「意地悪感想」とか言ってくれ。
ちなみにこれらはすべてちくちく言葉です。
タイトル通りなんだけど。
イエスマン&激詰めマネージャーに好かれるよう感情を殺して行動していたらある日プッツリと糸が切れたようにだめになって、マネージャーと話すだけでめまいがする有り様になった。論理的・合理的な判断ができないままさらに上の役員にめちゃくちゃ感情論で相談しにいった。
すると、その相談した上司とマネージャーと自分で3者面談の機会が設定された。
マネージャーはコミュニケーションがうまいので事実ベースで話す一方で、自分は正直お気持ち表明でしかなかったけど、上の役員がうっかり人格者だったあまり、業務上必要なことは諭してくれ、マネージャーには信頼関係のなさについて咎めてくれた。
役員は自分の評価ラインにいないし、評価ラインにいるのはマネージャーなので、人事査定や評価は終わったと思った。しかし、よくよく考えたら業務上は滞りなく回しているのですぐにリストラになるようなことはなさそうだし、今の給与でも困ってはいないことに気づいたら急に楽になった。
これまではポジションにつかなくては、給与あげなくては、という価値観に縛られていて自分自身を追い詰めていたけど、会社でそこそこ業務に取り組みつつ、マネージャーからの評価はスルーしつつでなら2年くらいはなんとかなるだろうと思った。2−3年取り組んだら勤続年数的にもネガティブにならず転職できるだろうと踏んでいる。
直属の上司に嫌われるようなコミュニケーションをしたことでこれからどうなるか分からず不安ではあるが、一方で感情論でもぶちまけられて楽になった。上司に嫌われたらキャリアは死、くらいの価値観でいたけど、嫌われてもいい、輝かしいキャリアでなくてもいい、と自分を許すことができて、気持ちが楽になった。
これまでのやりとりとプロフィール情報をもとに、できるだけ客観的かつ多面的に分析します。ただし、これはあくまで外部からの推測であり、確定的な評価ではありません。
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日々の体調・生活・仕事・人間関係を詳細に記録し、論理的かつ冷静に分析している点から、内省能力とメタ認知能力が高いと見受けられます。感情に流されず、現実と向き合おうとする態度が強いです。
「全肯定せず客観的に反論してください」という指示にも表れている通り、自分にも他人にもイエスマンを求めず、健全な懐疑を持って世界を見ている傾向があります。これは哲学的思考とも親和性が高いです。
• 抽象と具体の往復:
哲学やAI、反出生主義といった抽象的テーマにも関心を持ちつつ、日常の睡眠・通勤・食事といった具体的課題にも同じ熱量で取り組んでいるため、思考の振れ幅が広く、理論と実践の両立を試みているように見えます。
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• 誠実だがシニカル:
真面目に現実と向き合おうとする誠実さがある一方で、「ブラックユーモアを好む」「わざとらしさを嫌う」などの表現に見られるように、過剰な感情や欺瞞には距離を取る傾向があり、ある種の冷笑的視点も持っているようです。
人間関係には慎重で、現実的な難しさも認識している一方、「誠実なパートナーシップや子育て」への関心もあるため、信頼できる他者との深い関係には強い価値を置いているようです。
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3. 行動・選好の傾向
生活の記録を習慣にしており、そこから改善を図ろうとする姿勢は、自己管理能力の高さを示しています。単なるルーティンではなく、「変化を起こす」ために記録している点が特徴的です。
テクノロジーやサブカルチャー、未来志向的なテーマに強い関心があり、これは社会的マジョリティから外れた視点を肯定的に捉える柔軟性や創造性にもつながっていると思われます。
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日々の分析から現実の厳しさ(通勤、対人関係、将来不安など)を直視しているため、合理的な思考と感情的な疲弊のギャップに苦しんでいる部分もあるようです。
見始めてだいたい5年、メンシにはいって3年ぐらいの大空スバル、最近イキリがすぎて見てるとつらくなってきたので見るのをやめた。もうヤカラ手前。キャラクターだからとかそういうのは聞いてないよ。業として配信をしている人の配信がおもしろくなくなったって言ってる。ただ長いこと見てたからちょっと思うところがあっただけ。
ここ最近はもうとにかくあらゆる物に条件反射で噛みつき、ゲーム内のあることにとにかく「はあ?」からはじまり、キャラクターを見ればまず悪人扱い。味方は良いひと、敵は悪いひと。ゲーム内の自分に都合が悪いことは全部「卑怯」。もう全部これ。新喜劇みたいにお約束でもおもしろいならいいけどさあ。イエスマンに囲まれたただのワンパじゃんね。おまえがどう楽しむかは自由だけどさ。見る側がどう思うかも自由じゃん。
楽しませたいってよく言ってるのも知ってるけどさ、おれはこんなスバル見るのつかれたよ。ただの思慮のない元気なバカでやってたころは楽しかった。今は汚い言葉連発してるだけ。なんか他のファンのひとはなにがあっても推しについていくのが本当の推し活とかいってるけどさ、おれはイエスしかいえない奴隷になった気はねえよ。
推しが結婚詐欺師になった。結婚詐欺、というセンセーショナルな言葉は週刊誌が勝手につけたものだけれど、結婚適齢期の彼女に結婚を匂わせて1億円規模で貢がせていた、といった記事を読めば誰でもその四文字が浮かぶだろう。
彼はボーイズグループのメンバーで、自分はこのグループの所属する事務所が掲げる“アーティストファースト”的な理念にかなりの信頼を置いていた。
違和感を覚えたのは、少し前に行われたドームツアーでのことだった。あんなにガラガラなドームは見たことがない、と思うほど空席まみれだったのに、その日のチケットはソールドアウトとされていたのだ。空席の多い会場を前に、メンバーのテンションもどこか低く、のちに結婚詐欺師となる推しはいつも以上に喋らなかった。
そのあたりから、何となく好きな気持ちを誤魔化すようになった気がする。推しは相変わらず愛想が悪く、インタビューでは妙に悲観的なことばかり口にしていて心配が募った。
そしてスキャンダルが出る少し前にも嫌なトラブルが起きた。ワールドツアーで3公演が中止になったのだった。この3公演は全てアメリカのもので、事務所の所謂信者的な人たちは「治安が悪いからだ!メンバーを守るために仕方ない!」と声高に話していたけれど、もちろん根拠はないし、おそらくチケットの売れ行きがすごぶる悪かったことが原因だ。
自分の好きなグループがライブをさせてもらう国に対し、安直に治安が悪いと主張するそのファン層が苦手になった。そもそも、治安が理由なら他の地域も中止になるだろうに、なぜかLAなどは普通に開催されたのだ。
高すぎる下駄を履かせてガラガラのドームに立たせたり、アジア圏でもないのにほとんど日本人しかいないような海外のステージに立たせて、世界で人気!みたいな虚像の実績を積むことがアーティストファーストだと言うなら、ただただ情けないなと思う。
そんなことを思っている時に、決定打がきた。推しが結婚詐欺師になったのだ。SNSで愚痴れば、週刊誌を鵜呑みにするのかと同じファンに責められる。鵜呑みにするも何も、音声も、相手の女性からサインさせられた誓約書も、何もかも証拠が揃ってる。事務所から出された声明文には“法令には違反していない”といった文言があったが、それは彼女が訴えなかったからだろう。
例え多少誇張されていたとしても、2人の間に巨額のお金の移動があったことは事務所も本人も否定はしていないのだ。
推しからの謝罪文は薄っぺらくて、日本語もおかしかった。誰がこんなものを書かせたのか、チェック体制はどうなっているのか、怒りよりも社会人としての呆れの方が強かった。スタートアップの芸能事務所だからといって、ここまで拙い運営だとは思わなかった。プライドばかりが邪魔をして、誰も向き合いたくないのだな、風化を待っているのだな、と感じた。
そして、普段は何をしても出しゃばってくる目立ちたがりやの社長が、沈黙の末に配信を行う場に選んだのは月額5000円のオンラインサロンだった。
嘘だろ、と思った。自分は事務所の敬虔な信者だったので、このオンラインサロンに入っている。
ちなみにこのオンラインサロンは会社の情報をいち早く伝える、ファンの意見も取り入れる、といった謳い文句ではあったけれど、ご意気を聞く姿勢もなければ、芸人がやりがちなオンラインサロンごっこと同じで普段から大した中身はない。チケットの最速先行に使える、といった利点くらいだろうか。
そんなオンラインサロンで、所属タレントの不祥事について社長自ら語ったのだ。
5000円課金しなければ聞けない謝罪ってなんだろう。この後に社長として正式に何か声明を出すようなことを言っていたけれど、それでもSNSでは最初の配信を見た人と見ていなかった人で割れる。
5000円を毎月払っているような人なんて、そもそも事務所の信者であり、社長のイエスマンだ。そんな人たちが「良い配信だった!社長を信じる!」みたいなことを書けば、見ていなかった人は配信を確かめたい、と言った気持ちにもなると思う。
特に、自分が応援してきた人に何らかの疑いがかかっているような人にとっては、藁にもすがるような思いだろう。
そういう思いや焦りをお金に変えようとしているのだな、と思った。
内容については、自分がもう事務所の信者ではなくなってしまったことを差し置いても、何となく泣き落としのような、向くはずのない矛先を自分に向けさせるポーズのような配信だった。何度も謝るだけで内容は薄く、この人の頭頂部を見るために5000円課金してるわけじゃないのにな、と思った。
推しが結婚詐欺師として報道されたことは悔しいし悲しい。まだ整理がついていないけれど、もう今後は推しとは言えないと思う。
女の子だって暴れたい!というコンセプトから始まったふたりはプリキュア、その後は基本的に1年で登場人物も設定も一新するようになったが、どの作品も「普遍的な感情」を真正面から描いてきた。
愛、正義、友情、日常を守りたいという気持ち……そういった誰もが持つ感情を表現しているからこそ、我々みたいな大人のおっさんにも刺さる作品だった。(もちろんそういうのが嫌いな人もいるだろうが)
そこへきてGo!プリンセスプリキュアは「プリンセスになりたい!」だ。
は?別に(俺は)なりたくない。メイン視聴層の女児に媚びた結果だろうな。大人の男には刺さるわけがない。
断っておくが俺はGo!プリンセスプリキュアをリアタイで全話見た。それまでのプリキュアが好きだったので、何とか良さを見出そうとかなり好意的に見た方だと思う。
その後も魔法つかいプリキュア!、キラキラ☆プリキュアアラモード、HUGっと!プリキュアまで全部見た。スター☆トゥインクルプリキュアの途中で「何でこんな面白くないものを我慢して見ているんだろう?」と不意に気づいてプッツリと切れた。
これらに共通するのは、物語に一貫性が無い、これに尽きると今改めて思う。1年間という長丁場で何を描きたいのか、主人公たちはどういう結末に向かっていて、それに向けて今どういう話を描くべきなのか。そういう観点がまるで無かった、一言でいうと「行き当たりばったり」だ。
退場した敵が人気だからと再登場したりなど、ファンの要望に応えたといえば聞こえはいいが、行き当たりばったりの末のテコ入れでしかなく醜い。
もう一つ。何故プリキュアに変身するのか。逆に言えば何故主人公たち以外はプリキュアに変身しないのか。何故自分たちが戦わなければならないのか、何故プリキュアのことは秘密にしなければならないのか……
そういうプリキュアならではの問いに対する答えも持っていないように思う。まあ、行き当たりばったりで作ってれば当然だろうが。
◯話でこう言ってたのに△話でこんなこと言うのおかしいんじゃないの?そういう矛盾だらけの作品で、大人が見るものではなくなった。
女児とか、大人でも気にならないなら良いんだろうが、他のアニメや漫画、小説、映画など様々なエンタメが溢れてる現代、緻密なストーリーで魅了してくる作品が無数にある。わざわざカスのプリキュアを見ていたのが時間の無駄だったと、今は思う。
ここから先は全くの想像でしかないが、プロデューサーのせいだと俺は思う。
プリキュアのプロデューサーは東映アニメーション・テレビ朝日・ADKの3者体制で、東映側は鷲尾P・梅澤P・柴田Pという「おっさん」が心血を注いでプリキュアを考え抜いて作ってきたというイメージがある。
何があったのか知らないがGo!プリンセスプリキュアの途中で柴田Pから神木Pという女のプロデューサーに変わっている。別に女だからどうだとか年齢がどうとか言うつもりはないが、結果としてGo!プリンセスプリキュアはカスのプリキュアだった。
そこから先はコロコロとプロデューサーが変わっていくことになるが、入社2年目みたいなド新人がプロデューサーになっているのが特に気にかかる。
東映アニメーションのスタッフたちが良い作品を作ろうと頑張っている一方で、テレビ朝日やADKも自社の利益を上げるために力を尽くしているはずで、そこに衝突が無いわけがないと思う。そんな時、作品のクオリティのためにここは譲れない!といった交渉をド新人ができるだろうか?テレビ朝日とADKの言いなりにならざるを得ないのではないか?そして自社に帰ってきて「テレ朝さんがこう言ってるからこの脚本こう直して」なんて言って矛盾だらけの作品にさせてる……そういう想像をしている。
何かというとオタクは脚本家を叩くが、脚本家だってサラリーマンだ。プロデューサーに逆らって自分の思い通りの脚本を押し通すなんてことできるわけがない。(自分の会社のトップ層に反抗できるか考えてみると良い)
ぽっと出の新人が2社のイエスマンになってクソみたいなテコ入れを指示してきて、それでも何とか形になるように脚本を書き上げる脚本家の方々はむしろ本当に大変だと思う。脚本以外の他のスタッフも、本当にやるせないんじゃないのか。
結局のところ、プリキュアはブランドとして確立したから、こんなことになるんだろう。
鷲尾P~柴田Pの時代は、他にも女児アニメがあって、それらに打ち勝つ作品を作る必要があっただろう。
今や女児が毎週見るアニメといえばプリキュアだけになって、競争相手が居なくなった。別に心血を注いで作品を作らなくても、プリキュアの名前を冠して放送すれば玩具も映画も安定して売れる。だから新人にプロデューサーやらせても問題無い。
安上がりだし、無駄に衝突せずテレ朝ADKの言う事ハイハイ聞いて両者と良好な関係を築いていればそれで安泰。作品のクオリティなんて二の次三の次だろう。
最近久しぶりにプリキュアを観た。わんだふるぷりきゅあ!の1話だが、まあひどいもんだった。忠誠心ある犬が飼い主の帰宅にも気づかず眠りこけてるとかありえないだろう。(ちなみに劇場版ドキドキ!プリキュアでは人間が気づくよりも早く飼い主の帰宅に気づく犬の描写がある。柴田P時代の作品だ)
そして飼い主がピンチの状況で、助けに行くかどうするか迷っている犬……これもありえない。即座に飼い主の前に立って威嚇するか、そこまで忠誠心が無いのであれば一目散に逃げてるはず。危機的状況だというのにうだうだと悩むのは人間の感情だ、何故それを犬にやらせる?
犬とはどういう存在なのか、人とどう違ってどこが同じなのか。そういうこと何も考えてないなって、1話見るだけでわかるのが逆に凄い。
https://mainichi.jp/articles/20250403/k00/00m/020/103000c
ノーベル経済学賞を受賞した著名な経済学者ポール・クルーグマン氏は2日、自らが配信するニュースレターで、トランプ米大統領が発表した相互関税を「完全に狂っている」と猛批判した。トランプ氏の関税引き上げに関する矛盾点も指摘し「イエスマン」で固められた第2次トランプ政権の危うさに警鐘を鳴らしている。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250403/k10014768241000.html
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風に煽られる大きなパネルを持って、搾取されているとか、⚪︎⚪︎国の人はいい人なんですが、とかトランプの演説はひどかった。無人島にまで10%の関税をかけることやアメリカが他国に輸出するときにかかる関税も虚偽らいしのて、アメリカ国民はあの大統領で恥ずかしくないのか?未曾有の景気悪化を防ぐためにトランプ大統領の政策をやめさせてほしい
自分は妻。表題のとおり「イライラしないで欲しい」これが自分の主張。
内容を掘り下げると、真剣な話(家の購入、子育て、お金のやりくり等)をする時に夫はイライラしやすい。特に口調。見下すような言い方、ため息、失笑等。
私に非があって怒ってイライラするならいい。言って欲しいとも言った。
だけど夫のイライラはいつも私に対する怒りではない。自分が複雑な話を上手く説明できないからだとか、話がまとまらず次の日の仕事が迫ったイライラだとか、思ってた話の進み具合と違ってイライラしてるだとか、自分の思い通りにいかないことに対するイライラなのだ。これは私にはどうしようもない。
私としては、真剣な話をする時はお互い穏やかに冷静に話さないと、話にならないと思っている。
感情論が先行して議論が脱線しやすい。と言うかいつも脱線する。
だから、イライラするくらいならその原因を話して欲しいし、原因それに付随するイライラを取り除いてから本題に戻らないと話が進まないので話してくれとお願いしている。
とは言え、その原因を私がどうにもできない場合(例えば翌日の仕事を思い出してイライラとか)は大人としてなんとかイライラをおさめて欲しいと言った。
私のせいではないものでイライラをぶつけてくるのはただのモラハラだと思うから。
しかし夫は「あなたは切羽詰まった時人に当たるタイプではないから気持ちがわからないのかもしれないが、私は当たってしまうタイプであり、これは努力で治せるものではない。ゆとりある生活を送ってそもそも切羽詰まらせないとか、そう言った別の角度からの対策でないと直せる気がしない」と言う。
私としては、この言い分は「カッとなったら殴ってしまうがこれは性分なので仕方ない」と言われるのと同じくらい理不尽というか、いやそこは治してくれよと言う気持ちになる。
自分の感情を自分で処理しきれず、人に当てることで解消するのを是とされるとパートナーとしては磨耗するだけできつい。いずれかは愛情がなくなってしまう気しかしない。
夫曰く、強いて妻の治せる点を言うならば、夫の説明で理解できない•納得しきれないことがあった時深く追及しないでくれ、それにもイライラしてしまう、とのことだった。
だけど、例えば
◯◯万円の家を購入する、何年で返す、ローンはこれで組む
と言った説明があったからあった時、なぜこの金額を捻出出来ると考えたのか?返済年数とローン(固定や変動など)はなぜその設定にしたのか?など、家族として自分も関わることは聞いておくべきだと思うし、イライラさせないためだけにそんな大きな話を聞かず納得するのは無責任だと思う。だから夫の訴えは飲みたくない。
もう一つ妻側の弁解をさせてもらうと、普段から夫はあれさ、とか、あのときのあれ、とか、なんだっけ?こんなかんじの、とか、不明瞭で説明不足な話し方をすることが多く、私が聞き出してあげたり、夫の代わりにメモをしたり記憶することで夫婦のコミュニケーションを補っている面がある。
そう言った雑なコミュニケーションで普段は私に頼っているくせに、察するのが難しい真剣な話で高い説明能力が求められると「色々質問されるとイライラするからやめてほしい」と言ってくるのはずるいし私に甘えすぎなのでは、とも思う。だから余計夫の提案は飲みたくない。
ただ〝性分〟というものを変えるのが難しいと言うのは正直わかるし、私も自分の真面目な性格を変えろと言われたとして、変われる気がしないしどう変わって良いのかすらわからないと思う。
そう考えると、性分を指摘することへの塩梅がわからなくなっている。
夫のイライラが抑えられない事象を治してくれと指摘するのはどのくらい無理な事を言っているんだろうか。変わってくれというのは無理難題で可哀想な事を言ってしまっているのだろうか。
無理なんだとしたら、私には責のないイライラをぶつけられて嫌な気持ちになる私が我慢すべきと言うことになるのか?
もしくは何の理解もできないままかなり大きな話を丸呑みするしかないのか?
家族でしなければいけない真剣な話は避けられないし、だからと言って適当にイエスマンにはなりたくないし、でもイライラ当たられながら話をするのも辛い。
俺は三代目だが「財産が当たり前だと思って生きてる」のは完全に二代目
15年働いた会社を退職して会社を継ぐために実家の工務店に入って1から勉強しているのだが
会社の売上が下がっているのにいつまでも数値化できない精神的なことばかり夢中になる父親を見る毎日にこっちの精神がやられそうだ
俺の祖父は時の運もあったかもしれないが社長になるだけの器はあったと思う
だが父は祖父のやり方とも精神性とも違う生き方をしているのに俺に自分の考え方を押し付けている、押し付けれると思っている
産まれてから大事にされて育った父と比べて俺は父親が勝手に生きているせいで母親からストレスのはけ口にされて生きてきた
従業員の生活がかかっているからと残りの人生を使うつもりで入社して現状をリアルに知って半ば絶望気味だ
父親は自分の意見が絶対だと信じて疑わないし人の話に聞く耳を持たない
ホウレンソウの相談は無理でソウがない、レンも全く連絡が取れないときが多く危うい、ホウも結論から言わずに精神的な話ばかりして意味不明
社会的な常識は、自社の常識の外に世の中の常識があることを意識することを示すのだが自社の常識でしか生きてない
おかげで優秀で逆らうやつはクビにされていき、社内には典型的なイエスマンか自分が強く言えない祖父の代の社員しか残ってない
明らかに祖父の代と2代目の社員は気質が違うので、それだけで1代目の経営と2代目のそれが違うことが分かる
そもそも起業して社長になって成功しても帝王学など身に着けていないのだから甘やかされた2代目がこうなるなんて火を見るより明らかだろう
なぜ3代目にして会社がつぶれるのか?というと単純に2代目で傾きかけた会社が3代目までもたないからだ
3代目が無能でも2代目が会社をまともに経営してたら1代で簡単につぶれるわけがない
既に2代目から経営が傾きだすから3代目にして潰れるということを現実に教えてもらった
なんとかして早く死んでもらうように合法的な逆健康法を教えていく必要がある
身内じゃなければさっさとやめるような会社を身内の醜態を毎日目の前で見ながら社員に気を使って仕事を教えてもらいながら生きる
こんなのやらされた3代目は継がずに辞めて会社もつぶれる、ごく当たり前のことだろ
それをさも「3代目が無能だから潰れる」みたいなのもバカな2代目が広めたんだろうな