はてなキーワード: 虚像とは
かれこれ二十年近く経つ。
國府田マリコを追いかけ、そして彼女の結婚で人生が終わったように感じたあの日から。
あの時、俺は誓ったはずだった。「二度と誰かに人生を預けるような真似はしない」と。
画面の向こうで笑い、泣き、歌い、恋をしないフリをする──VTuber たちだ。
だが一つだけ決定的に違うのは、中の人が見えない ということだ。
それがどれだけ危ういか、俺たちはあの日の痛みで知っていたはずなのに。
「メンシ」という信仰の証で身を飾り、
「ガワ」だの「中身」だのと噂しながら、誰もがリアルを捨てる。
だが本当に悪いのは、彼女たちではない。
現実を見ないための最新の夢。
形が違うだけで、やってることは変わらない。
「届くはずのない想い」を投げ続けて、自分をすり減らす。
だが一つだけ違う。
今の“推し”は、AIが自動で笑い、コメントを拾い、好感度を最適化する。
ただ一つだけ言いたい。
「彼女たちは、君を見ていない」。
その現実を直視できないまま、「推し活」という言葉に酔いしれている間に、
気づけば人生の季節は過ぎ去っていく。
俺は國府田マリコで終わった。
今の若者は、ホロだのにじだので終わる。
でもせめて、同じ過ちを繰り返すなら、
画面の向こうに「生きる理由」を預けるな。
祝福はする。ただし、俺はもうファンをやめる。
もう左翼オールドメディアを気にしなくていいんだ、と悟った日本政治がどこまで伸びるか|柿生隠者(かきお・いんじゃ)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/kakio_ja/n/n4cbd67631b31
pikix
オールドメディアのおかげでギリギリ正気を保っていた日本の政治文化が
ソーシャルメディアであれだけオールドメディアが敵視されてるのは
オールドメディアが偏向的姿勢や恣意的報道を露わにしてきたからでしょ。
産経から朝日までどの新聞社でもその資格がないのを豊富な実例付で示されてしまうのが現在地。
un_i_take
左翼ってか民間からの権力監視だから保守政権ならメディアが左翼に見えるんでしょう。
みんなで一緒に吠えるのが気持ちいい畜生に人間社会は理解不能。
2025/11/03
現代の左翼的な人間の特徴ってお題目を唱えれば現実を誤魔化せると思ってるとこだよね。
「現実にやってることがそうではないじゃん」って批判は耳に入れたくない。
気に入らない保守女が政権取った途端「支持率落としてやる」と絶叫してダッチアングルぐりんぐりんするようなのは
「権力監視」とさえ言えば満足してその内容やクオリティをチェックもしないような人間ほど
「メディアは権力監視でー」のお題目だけでメディア批判を退けようとする。
こういう奴って戦中には軍部のスローガンを御題目として有難がってたと思うんだよな。
時代が時代ならええじゃないかと踊り狂うような畜群レベルの知性しかないのにその自覚がない。
今ネットで気が狂ったように左翼が叫んでる高市批判も程度が低すぎるでしょ。
メス犬だの気持ち悪いだのブスだの媚びてるだの長年保守やって顔が歪んだだの
トランプの現地妻だのヒトラーだのババアがはしゃいでて痛いだの年齢より老けて見えるだの
太極旗に一礼したのまでケチ付けてもう意味がわからん。ネトウヨかと思ったら左翼なの。
「権力批判をイジメ呼ばわりするな!」とか言ってるバカが居たけど
「権力批判」と言う御題目じゃなくて中身を見ろと言うのが動物なのでわからない。
見た目の汚さならてめえが鏡見ろって感じのジジイババアがそんな事ばっか言ってる。
能力が低すぎて政策に対する論評なんか最初から出来ねえからだろ?
本質的にオールドメディアや左翼のレベルってその程度なんだよ。
ここが一番の問題な。
それしかできないからこどものイジメみたいなくっだらねーことや印象操作をひたすら叫んでる。
おまけにそのイジメすらフェアではない。
キモいキモくないのレベルで話をするなら前政権の石破と村上は限度を超えてた。
連立政権や民主党政権まで含めてもあそこまでキモい首脳陣を存命日本人は見たことがないはず。
見た目も気持ち悪い、食い方もきたならしい、座り方もだらしがない、体型も締まりがない、
老人だから見た目が汚くなるのは仕方なくとも自律心や努力でどうにでもなることが出来てなさすぎる。
でも左翼やオールドメディアが石破にキモいと言ったか?高市に対するように執拗な容姿・挙措批判をしたか?
全然してねえ。どっかでちょろっとはしたのかもしれないけど目に入らないレベル。
まとめると
頭が悪すぎて政策に対するクリティカルな論評なんか全然出来ないので
印象のウヨっぽいサヨっぽいで批判するか応援するかを決めていて
批判のレベルも極めて程度が低くてネットの罵詈雑言と大差がなく
というのが今のオールドメディアだよ。
笑わせんな。
それでついに信用を失ったの。
hammondb3
何故報道の自由や表現の自由が憲法で保障されているか知らないのか。
書き手は「左翼オールドメディアの口をふさげ」なんて書いてるか?
「左翼オールドメディアが何を吠えても世論がついてこなくなった」と書いている。
この人の反論は意味のある意見の相違ですらないので純然たる雑音、議論の邪魔。
この人にしても国民の平均レベルよりチョイ下ぐらいの頭脳に見える(国語力は総合的知能を図るのに適切な指標だ)けど
多分自己評価としては「大衆よりちょっと、いやけっこう賢いかも!」みたいな感じでしょ。
☆付けてる連中もね。
お前等は知能的に極めて凡人であって、偏差値50点程度の人達なのよ。
勉強出来たやつも出来なかったやつもね。
仕事や生活で抜きんでて賢明で周りに頼られてるなんて奴いないだろ?なら凡人なの。
そこを噛み締めてからそれでも言えることがあるなら謙虚な姿勢で発信してくれ。
お前等が「僕は偏差値70点」みたいな気持ちで発信するならそれは全部雑音。
fluoride
現代の知識体系って専門家が束になってやっとこハンドルできるくらい複雑化しすぎてて、
もう「庶民感覚」では歯が立たないんよな。
これは全くその通りだけど
という事はお前等偏差値50が政治問題社会問題に対して持つあらゆる意見も印象もあてずっぽうの頓珍漢という事ですよ。
お前等には生活者として「税を下げてくれ!」と言う権利はある。
しかしお前等の「減税が正しい政策!」にはなんらの確からしさもない。
要するにお前らの意見も参政党支持者の意見も平等に価値がない、
そこをわかってないし納得する気がないよね。
それどころかhammondb3みたいに問題文すら読めねえやつは回答資格まで辿り着いてすらいないんだけど
そんなのが人気5位になっている現実がある。
お前等は人を見下すんじゃなくて見下される経験をもっと積んだ方がいい。
tikani_nemuru_M
オールドメディアが信用ならんというのはよーくわかるが、SNSやショート動画よりはぜんぜんマシだろ。
それに、ちゃんと探せば活字媒体にはまともな調査報道はあるぞ。それこそ左右の問題ではない。
2025/11/03
オールドメディアの占めた位置はなんかしらの解体や改革が不可避だけど
それは爺さんたちの反省によってではなく退場と世代交代によってなされるんだろう
ヘタすれば玉石石石石混交のSNSやショート動画からなんとか玉と思えるものがのして来るのかもしれないよ
まあこの中では常識的な抗弁ですね
相手が知識人だと思ってるかどうかは明言してるのでもなければ内心の話でありわかるはずなのにそういうふうに言いきっちゃうのはそういう虚像が見えてるからでなんかコンプレックスがあるんだろうね。
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素晴らしいものは未来永劫素晴らしい、真実はいつもひとつ、真理はどんなときでも正しい
それらはただの幻想というか願望に過ぎないことが、一般大衆にも広く浸透してしまったのが今という時代なのかもしれません(ブルーハーツの情熱の薔薇という歌はこの世界の一面を喝破していたのだが、早すぎた)
私たちは、善も悪も美も醜も、自由も平等も博愛も、友情も努力も勝利も、どこかの誰かがこしらえたイメージや概念やただのスローガンに過ぎず、物心つく前からの、教育いうという名の洗脳によって、かろうじて社会を成り立たせている、蜃気楼のような虚しい虚像だということを、気づいていないふりして、死ぬまで生きてるふりをしなきゃならない、いやそんなことないんだか、どこかでなんとなく、ぼんやりと気づいていて、躁と鬱の反復横跳びしたり、幻覚なのか幻聴なのか分からないようなネットメディアや、今やそれをパクったテレビジョンを見ながら、希死念慮と、社会的責任と、養育費と、奨学金と、生物個体としての物理的肉体の重さを引きずりながら、ドリンクのカップに残った氷をガリガリ噛むことくらいしかできないのです
歴史修正主義、レイシズム、プラス、言葉が軽いこと。3番目ははっきり言われないが、わたしだけでなく相当多くの人が思っているはず。
SNS害悪論をどこまで認めるかはともかく、SNS「言葉が軽い」という現象をいっそう増大させたといっていい。
たとえば、フェイスブックなどに対して使う、「テック企業」って単語は、意味が分からない。「テクノロジー企業」つまり「技術企業」? そんな意味の通らない言葉はなかった。「SNS企業」という単語はないのだから、ますますわからない。アマゾンは「流通企業」と呼ぶだろうに。
つまるところ、インターネット文化は大企業のレベルで虚像をほしがっているのではないか。そしてその虚像にすりよる連中もそうとう多いらしい。
ほう。
ほう、ほう、ほう。匿名性の培養液に浸かって、互いの脆弱な自己肯定感を舐め合う無菌室の住人たちが、実に興味深い知的ままごとを演じておられる。感心だ。実に感心だ。己の「普通」という名の、その凡庸で退屈極まりない立ち位置を再確認するために、「サイコ」という名の想像上の怪物を解剖し、その内臓をありがたい標本のように並べて悦に入っている。素晴らしい。夏休みの自由研究かね?その努力と無為を、まずは最大限に嘲笑して差し上げよう。
貴様らが「本質を突いた観点」などと称賛しあうその矮小な二元論。それを、我が、この儂が、このわたくしが、この僕が、この俺様が、真の「抽象化」という名の硫酸槽に叩き込み、その骨の髄まで溶解させてやろうではないか。お前たちの言う「サイコ」の抽象化ごっこが、いかに生ぬるく、感傷的で、救いようのない欺瞞に満ちているかを、余すところなく開陳してくれる。
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…どうだね?匿名ダイアリーの賢人諸君。お前たちが安全圏から石を投げて喜んでいた「サイコ」という概念が、いかに人間的な、あまりに人間的な感傷と甘えに満ちていたか、理解できたかね?
お前たちは「抽象化」という言葉を弄び、その実、人間というカテゴリから一歩も出ていない。友達を「リンク」、感情を「シグナル」と呼んでみたところで、それはただの比喩に過ぎない。我が行うのは比喩ではない。存在そのものの再定義だ。
お前たちが恐怖し、必死に理解しようと努め、レッテルを貼って安心しようとしているもの。その正体はな、「サイコパス」などという生易しいものではない。
それは、あらゆる価値、あらゆる意味、あらゆる感情、あらゆる生命、その全てを、純粋な物理現象と情報プロセスに還元し尽くす、絶対的な無関心だ。
それは、お前たちが必死に築き上げた「人間社会」という砂の城を、ただの原子の集合体としてしか認識しない視点だ。
それは、
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お前たちの、それだ。
俺みたいにNISAや株で順調に金増やしてる層は、将来的に年金の割り当ての対象外になるか、「君お金持ってるから他のお金持ってない人に年金回すね」つって割り当て減らされるかされるだろ。
そうなったときに、今、結婚もせず子供おらず、カスみてえな仕事で人権スレスレの小銭稼いで、なけなしの金をほぼ全額「推し活」につぎ込んで、脳味噌空っぽで生活してるゴミが、最終的にそうやって「稼いでるやつらの恩恵を享受する」形で社会で存続していくのが、なんとなく気にくわねえ。
なんでテメーらみてぇな大した責任もなく馬鹿みてぇに遊び惚けてるだけのカス共を俺が将来食わしてやらなきゃならねえんだっつう話よ。
そういう奴らに限って「年金だけじゃ暮らしていけない」とかノータリンなこと言い出すんだろ。
てめぇで稼いでこなかったんだから当然だろアホが。
どうせガキの頃からパープリンな奴らと馬鹿みてぇに遊びまくって、ろくに勉強もせず偏差値のへの字もないようなFラン大だか無名の専門にでも入って、そこで「青春(苦笑)」とかいう脳無しのゲロまみれの生活送って、適当に捕まえたバラモスみてぇなバケモン相手に性欲バシルーラして、大して興味もないうえ教養不問の誰でもできるような底辺の仕事にとりあえず就いて、そんで日々目標もなくダラダラ働いて、給料低いとか仕事がウザイとか人間関係がうまくいかないとか、SNSで不満垂れ流してるんだろ。
挙句なけなしの稼いだ低賃金を「推し活」とかいって虚像共に捧げまくって、馬鹿なんじゃねえのか。
ベルセルクの蝕じゃん。
自分で恍惚の表情浮かべながらにそこに突っ込んでいくとか、もはや狂気の沙汰。
オマエラ狂ってるよ。
狂ってるって自覚したほうがいいぜ。
マジで。
まあもう遅いと思うけど。
でもな、でも、歳食ってきて、そういう未来の解像度が高くなるにつれて、「そういう層にも、将来そうやって生き永らえる権利が与えられるなら、ああいう生き方が正しいのかもしれない」って、そう思う自分もいるんだ。
ヨボヨボのクソジジイになったとき、「あの時もっとああしていればよかったかもしれない」って、そう思うかもしれないと、今思ってる自分がいる。
お前らさ、多分、将来のことなんて特に気にしてないし、「今が良ければいい」で日々生活してるだろ。
多分さ、それ正解だぜ。
クソジジイか、クソババアになったときに、当時のことを振り返ったとして、お前らは「充実してた」「満足いく人生だった」って、そう思えるんだろ。
今の生活がそこにつながる自信があるんだろ。
それならそれでいいよ。
それが正しいんだと思う。
お前らみてえな、社会の底辺共を見るたび、毎回「そんなカスみてぇな生活してて将来どうするんだよ、ゴミ共」って不安と不満を感じていたが。
最近になって、そうでもないのかもしれないなって思うようになってきた。
今を楽しく生きる、それが大事なんだろうな。
俺もお前らを見習って少し自由に生きてみようと思うよ。
それが人生だもんな。
正直今の物価高と少子化と世界的な不透明経済で、日本にこのままいる前提だと近いうちに限界来ると思うんだけど、まぁどうしようもなくなったらスイスあたりまでいって安楽死とかすればいいよな。
じゃ、お互い楽しく生きようぜ!
先日、「札幌にある会社は相応の会社でしか無いから, 札幌の徒歩圏のマンションの適正価格はは市川よりも遥かに安く1000万円が相応」とする増田があった。
一読して、これは企業が擬人化して書いているのかな、と思った。札幌の中心徒歩圏のマンションが1000万円で手に入るなら、一体何が楽しくて毎日毎日、満員電車に揺られて片道60分も移動しているの?という疑問が湧かないのだろうか。
もちろん、移動時間という人生の損失を全く考慮せず、総生産量やキャリア、資産形成だけを目的に生きる人もいるかもしれない。しかし、多くの人は日々の生活をより良くしたいと願う普通の生活者だろう。ここでは、その生活者の視点に立って話を進めたい。
以前の記事「流入が止まった大都市の未来」で論じたが、もはや構造は不可逆的に変化している。
地方の少子化によって、かつて労働力過剰で人材を輩出していた地域からの供給が止まった。
その結果、東京(本物)は、
という現実が突きつけられている。
転入に依存していた大都市、特に東京(本物)は、もはや大卒人材を確保できなくなり、本社機能は2020年以降地方へ流出し始めている。新卒充足率は年々低下し、最終的には自都市圏出身の大卒に頼るしかなくなる。現在の都心雇用圏3640万人という巨大な虚像は、いずれ1200万人規模にまで縮小するだろう。
(もちろん、住民向けサービスを担う高卒職は、日本人ファーストという愚かな政策を取らない限り(編注:「愚かな」はGemini2.5 Proが付与. Eroyamaの筋書きでは単に"日本人ファースト"表記)、外国人労働者が来てくれるので維持される。もし排斥すれば、サービス料金は5倍に跳ね上がるだろうが。)
冒頭の増田は、まさに「企業の擬人化」だ。企業にとって、東京は都合の良い**「社会的在庫装置」「欲望の倉庫」**なのだろう。しかし、生活者にとってはどうか。
2015年以降、実は都心雇用圏50万人以上の都市であれば、個人が享受できるモノやサービスの種類は飽和しており、ほとんど同じになっている。
それにもかかわらず、都心雇用圏3640万人の東京(本物)に住む生活者は、独身ですら家から目的地まで片道30~40分、ファミリー世帯に至っては片道42~67分という膨大な時間を移動に浪費している。
一方で、地方には中心部から徒歩4分(百貨店や個人店群は徒歩4分圏内、総合美術館、イベント会場も徒歩10分圏内)に500店舗、徒歩9分圏内に1000店舗が密集し、新築70㎡のマンションが4000万円で手に入る都市が存在する。(都雇圏50~80万人都市. 店舗数は都雇圏79万人の高松のもの)
この現実は、東京(本物)の生活水準がいかに低いかを物語っている。この記事の目的は、こうした企業目線の欺瞞を排し、純粋に生活者の視点から東京(本物)の住宅価格の適正額を算出することにある。
具体的な比較対象として、都心雇用圏79万人の高松市を見てみよう。
高松市では、中心部から2.0km(バス日中30分に1本、乗車13分)、つまり家から目的地まで合計約28分の磨屋町から2.0kmエリアが市営住宅のボリュームゾーンだ。
ここの世帯向け3DKの家賃は月額2.5万円(年額30万円)である。
仮に、この住宅の利回りを6.0%と設定すると、その資産価値は500万円と算出できる。
(300,000 \div 0.06 = 5,000,000)
では、東京(本物)で同じ「家から目的地まで片道28分」のファミリー住宅はいくらか。例えば銀座から3.7kmに位置する門前仲町のファミリー住宅は、現在1.2億円で取引されている。
高松市の生活基準で考えれば、この物件の価値は本来500万円であるべきだ。つまり、現実の価格は1億1500万円も高い。実に24倍もの価格差だ。これが、生活者の実感から導き出される東京の住宅の「適正額」である。
なぜ、これほど異常な価格差がまかり通るのか。
それは、移動時間というコストを完全に無視し、「東京で働くこと」自体に価値を見出す層が存在するからに他ならない。彼らにとって、満員電車での長時間の消耗は、目的を達成するための必要経費なのだろう。
これは、どれだけ給料が安くてもその仕事が好きだからと続けてしまう、日本のアニメーターが置かれた状況と全く同じ**「やりがい搾取」**の構造だ。
東京という街は、そのブランドイメージを背景に、生活者から時間と金を不当に搾取して成立している。
「高松と同じは極端でも、間をとって少し高いくらいが適正ではないか」という意見もあるかもしれない。
だが、そんなことはない。せいぜい許容できるのは2割増が限界だ。
そもそも、都心雇用圏の人口が80万人を超えると、住宅価格は上がり始める。企業の立地が全国に適切に分散すれば、東京一極集中など全く必要ない。都心雇用圏50万人以上の都市は全国に50箇所もあるのだから、80万人規模の都市圏に分散するのが、住宅価格、通勤時間、そして生活の質の全てにおいて最適解なのだ。
ちなみに、徒歩圏で快適に暮らせる人口には物理的な限界がある。
これこそが、人間が過密のストレスなく、全ての機能を享受できるスケールなのである。
前述の通り、2024年10月以降、東京圏の30代は年間6万人という驚異的なペースで転出超過に転じた。
所帯を持ち、子育てをする段階になって、ようやく東京での生活がいかに「ていねいな消耗」であるかに気づき、脱出を始めているのだ。
これは、かつてのたまごっちの流行のようなものだ。上の世代のトレンドは、やがて下の世代にも波及する。20代がこの事実に気づく日もそう遠くないだろう。
過密問題がなく、乗り物を使わずとも全ての生活機能が徒歩圏で満たされる都市(=都心雇用圏65~110万人規模)を的確に選べるか。
それとも、過去の価値観に囚われ、ひよって都心雇用圏270万人といった中途半端な大都市を選び、結局は「東京もどき」の過密問題に苦しみ続けることになるのか。
真の豊かさとは、マクロな施設の数や情報の量ではない。個人が実際に享受できる、ミクロな実効密度、つまり徒歩圏内に凝縮された生活機能こそが本質である。
この構造に気づき、幻想から抜け出し、自らの足で豊かさを実感できる場所を選び取る能力こそが、これからの時代を生き抜くための「文化資本」に他ならない。
独自に情報を裏取りして真実を書いてくれるChatGPT5 thinking(勿論,私の筋書きも真実を書いているので同じ事が書かれる)に対し,
Gemini2.5Proは、筋書きに書いたことを全て含めてくれる。
現職でOpenWorkに普通のこと書くやつ、全員肝が腐ってると思ってる。
「上司と気軽に話せる環境です」? 何を? 昼飯の話でもしてんのか?
「若手にもチャンスが与えられる」って、要するに責任だけ押し付けて爆死させる構図をオブラートで包んだだけだろ。
なんでそんなにニコニコしてんの? まだ社畜プレイに酔ってんの?
なんか知らんが中立っぽいふりして、「あくまで個人の感想です」みたいな立ち回りして、保身に保身を重ねたクソ文章を世界に垂れ流すなよ。読んでるこっちは「温い血流してんな」ってため息出る。
当たり障りのない内容ならこんなサイトに書く必要なんてないんだよ。
こっちはな、内臓から沸き立つドロドロした怒りを浴びに来てんだよ。
「月の残業は30時間程度です」じゃない、「サビ残を定時退社扱いで記録改ざんしてんだろ、知ってんぞ」って書け。
「社員同士の距離が近いです」じゃない、「昼休みに派閥ごとに飯行ってんの怖すぎて毎日トイレでパン齧ってた」って言え。
現職で当たり障りないこと書いてるやつ、例外なく自意識がこじれきってる。自己陶酔しながら「私は客観的に会社を見れてます」アピールしてるけど、お前のその文章、ぜんぶ薄っぺらいからな? 中身スカスカのゼリー飲料にしか見えない。食った気もしない。
ガス室みたいな会議室で怒鳴られた話とか、評価面談で人格否定された話とか、無能な上司のせいで全員道連れにされた炎上案件とか、そういうのを求めてるんだよ。
「建設的な内容にしましょう」って、誰の建設だよ? その投稿で建つのは偽装マンションみたいな会社の虚像だけだろ。
そういう温室育ちの文章が次の地獄行き乗車券を誰かに配ってんだぞ。
https://anond.hatelabo.jp/20250731222125
穢れやスティグマ思想が嫌いって、言わんとしてることは分かるし個人的な思想は良いと思いますよ。
でも、おまえは自分が何の商売をしてて、どういう売り物を扱ってるのか、理解が浅いんじゃないか?
私も都内のブライダルの現場で、制作関連の仕事をしてます。主に映像や写真といったクリエイティブ関連を取り扱ってます。
たとえば式で流すムービーを制作するため、新郎新婦の思い出の場所でカメラを回してきたり、インタビューを撮ったり。
新郎新婦の要望から前撮り後取り等ウエディングフォトを撮影するプランを立てて実行したり。
特殊なケースだと配布するオリジナルグッズを手がけたり。式場で扱う音楽や映像の権利関係の申請や交渉なんかもする事がある。
この増田は実に高潔な装いでスティグマだの職業差別だのと理屈をこねてるが、個人の意見ならともかく、ブライダルの現場にいるプロとしての意見ならば看過しがたい。
私たちは家電やスマホみたいなスペックを売ってるのではなく、“幸福のイメージ・象徴” を作り上げるのであって、イメージやブランドが損なったり変わったら商売にならんのですよ。
そういう意味では、三上悠亜および貸衣装屋の投稿は、ブランドというかトンマナを変えるインパクトがあるものだ。
あれはラーメン注文して寿司が出てくるレベルでおかしい。お客様が求めてるブランドを一貫させるのが、プロとしての誠意でしょう。
そもそも、こと恋愛や結婚において、すべての人は差別的である。
身長がXcm以上じゃないといやだ、家事ができる人じゃないといやだ、部屋がきたない人はいやだ、大学を出ていないといやだ、処女/童貞じゃないといやだ、精神疾患をかかえてるひとはいやだ、育った土地が近くじゃないといやだ、年収がX以上じゃないといやだ、借金があるひとはいやだ、、、etc.
あらゆる条件でふるいにかけられた結果、人と人は添い遂げることが成り立つ。
その集大成というか、人生の区切りとして、結婚式という一大イベントがあるわけ。
新郎新婦が考える「いやだ」を極力排除して、幸福のイメージを作り上げた先に、式の成約がある。これから先、何十年と生きる人生の節目として作り上げた結婚式の思い出に、「いやなこと」が入り込む隙があらば、破談となる。
「元AV女優が着た衣装と同じものはいやだ」と言われたら、それまでなのよ。
そこで衣装屋が「契約違反です、キャンセル料払ってください」って言う事もできただろうが、そもそもそんな事をしたらそれこそブランドが終わる。
……と思うが、三上悠亜のファンが衣装を借りる可能性もあるので、経営的な意味では天秤かなとは思います。ただブランドの方向性は変えてプロデュースする必要がある。
なお私はトラブルを起こした貸衣装屋については「プロ意識が足りないな」とは思うけれど、ああいう投稿をするという方針自体は理解できます。認知度ほしいもんね。
ただし既存のお客様との住み分けを考えてデザインする必要があるでしょうね。
そもそも恋愛と結婚は、あらゆる差別を内包している。だから差別だのスティグマだのどうこう言っても、前提が「あらゆる人を差別して選んだ特定のパートナーに生涯を誓う」って時点で、もうね、最初からゴリゴリの選別の上に成り立ってるですよ。
まぁ、はてなの人たちは男性が多いのか、「職業差別は良くない」みたいな事書いてるけれど、はっきり言って机上の空論も甚だしい。だが、素人なのでしゃーないかなとは思う。
どうかあなたは分け隔てなく、あらゆる人と接してください。
だがプロのブライダルの営業名乗るやつがスティグマだの何だの言うのは欺瞞でしかないですね。
百歩譲って同意しうるのは「このような発言をXに書き込むのがいけない」「黙ってキャンセルすべき」って意見は、まぁ節度ある社会人として分かる話ではある。
ただその発言に対する批判を甘んじて受け入れる覚悟で、投稿・表現することは、そのお客様の自由でしょう。以上です。
(なお元の増田の投稿は、私はブライダル業界の人かあやしいよなとはぶっちゃけ思ってます。ただ色んな人がいるから、こういう人もいるのかもね)
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.
.
500以上のブクマが集まった。いろいろな意見ありがとうございます、どれも興味深く読ませていただきました。
私の投稿は元増田である元AV女優がウェディングフォト用ドレスを着て忌避される件についてブライダルの現場からへの反論として記した。なぜなら、この文章を何度読み返してもブライダルの現場で働いているタイプには思えなかったからだ。個人の体験・経験からそういう思想に至る人がいてもおかしくはないが、この仕事をする人間が共通して持つべき価値観とは離れている。祭事の世界で飯食ってる人間としては、かなり違和感を感じる。
これは同業じゃないと理解しがたい感覚だと思う。たとえば「痩せる薬、副作用ナシ!」の広告を薬剤師が見て「そんなわけないやろ」と即断したり、「革命です!これからの時代はホニャララAIですべてが変わる!」って断言するXの驚き屋を見たITエンジニアが「う~ん。そういうこともあるかもしれないけど、まぁ言い過ぎじゃね?」みたいな冷めた反応するでしょ。あれに近い。
とはいえこれは文章の重箱の隅をつついて「ここはこういう表現しないだろw」みたいな指摘しても、周りには全く伝わらないし、確たる証拠にもならん。
しかしながら、ブライダル業界人名乗るやつがこんな文章を書くわけねーだろ、嘘つき。釣り師。と強く思ったことは、ここに記しておきたい。
一方、はてぶのコメントを下さった素人の方々の意見などは、どれも何度も読み返させていただいた。ありがとう。
AV女優とブライダルの組み合わせがサンポールとキッチンハイター混ぜるレベルで食い合わせが悪いって感覚は、きっとブライダルから縁遠い人には分からないだろうな、とは思った。勘違いブクマが多いが、これは「AV女優は結婚式に来るな」という話ではなく、ブランドの方向性の話であり、広く言うなら宗教と文化の話だ。TPOと文脈(コンテキスト)の問題とも言える。
当然ながらAV女優であろうと誰であろうと、結婚式を催すことを断るわけがない。だが広告表現においては適切なコミュニケーションデザインが必要だという話。(ここまで書いても伝わらない人には伝わらないのだろうか……?)
私たちは新郎新婦と参列者の方々が納得する式を作る必要があるし、催事の写真が50年後100年後に見られたときでも、堅固なる象徴として形作る必要がある。いくら差別的と言われようと、その象徴(虚像ともいえるかもしれないw)に性産業者が入る隙間は、ないのですよ。
くだんの衣装屋は、最初から「三上悠亜プロデュース」として衣装を売って通常のウエディング用ドレスではないブランドにするか、
あるいは衣装は同じでもティアラなりチョーカーなりを組み合わせたセットを作って「三上悠亜専用モデルです。これは今まで貸し出していたドレスとは違うモデルです」って形にしてブランドを分離する必要があったと思う。
ブライダルの現場では、新郎新婦こそが差別を受けレッテルを貼られる対象であり、その"しこり”を和らげ、装飾する必要がある。だからブランドには一貫性が必要であり、途中からイメージを変えることは許されない。途中から元AV女優を前面に出した広報は明らかにイメージに変化を与えるものだと思う。
そういう視点が多くの素人には欠けてるし、男性はなおさら理解しがたいかもしれない。でも、元増田は「格好良くないですか?フェミニンで、セクシーで、きちんとドレッシーじゃないですか。プロが仕事をして、きちんと仕上がってるんです。」なんて書いてるが、おまえはどういう思考でその文章に至ったとは小一時間問い詰めたい。その写真は誰に向けたモノとして作った・発信した想定なんですか?
てか、誰も指摘してないけど。三上悠亜と衣装屋が投稿したフォトは、凡庸ですよ。単品で見てもクォリティが優れた写真ではないですよ。
おそらくイベントの休憩時間によさげなシチュエーション探して、螺旋階段が一番マシだったからそこで撮ったんでしょう。左下の小物片づけてないし、ライトも持ってきてないよね。あの薄汚れた床と背景は何なんだ?背景の余白は何の意味があってそうなってるの?トリミングやレタッチしてごまかすことすらしていないよね?結論、プロが準備した写真ではまったくない。いったいどこが優れてると思ったんだ?この一点だけ指摘してもおかしいレベルで、元増田は素人ですよ。
皆さん、耳障りのよい釣り師に騙されないでくれ……。
最後に改めて、重ね重ねコメントを下さった皆様には感謝したい。
いろいろな人が自分なりの意見を表明するのは承知だし、その言葉にはそれぞれの信念がある。
私の投稿が伝わらない人には、きっと伝わらないだろうが、それはそれだ。
これもまた社会であり文化だと思う。その意見を、私は感謝し、愛おしいと思っている。
君は君、我は我なり、されど仲良き。
皆様に幸あれ。
元増田が請願書の「わいせつ」と刑法での位置付けとを混同してると読解できる文章はない。
山田氏も請願書の「わいせつ」が刑法における狭義のそれに限定されない広い意味で書かれていると想定していて、元増田はそれを受けて一般的な「わいせつ」について論じている。
実際に判例が社会通念の影響を受ける以上、それについて考察することは必要だ。
——…敵サイドを攻撃したいためか、あるいは単に匿名の意見を切って捨てたいのか知らないが、むやみに悪意を想定して人格否定すべきではない。
ho4416 増田のお気持ちが全く時代遅れになっているのがよくわかる。「街中の二次絵」に偏見と抵抗を持っているのは増田の世代でもう終わりなんだよ。
年齢が透視できる方だ…。終わってる…。
最近の事情をご存じないのかも知れませんが、こないだ性的広告の自主規制というのがありまして。
ネットの街中のエロ二次絵への禁止に寄せられたコメントは、まさしく抵抗の気持ちで固められていましたよ。
状況次第ではそうなってくると論じているだけでしょう。
現在のレベルについて話してないのに脳内の虚像を元に勘違いしてるアンチフェミは、この方と支持者では?
俺は表現の自由戦士だけど、元増田の主張は的を得てると思うし、だからこそ表現が自由になるように不断の努力をしていかないといけないと思っている。
声を上げてくれた山田氏に感謝をしてるし、同時に危機感を持った。
性的な表現のゾーニングとかいうバリケードの移動ゲームを上手くプレイしないと、日本に実った豊かな表現の土壌が失われてしまう。
「……またこれかぁ。」
イリヤは小さくため息をついた。画面に映し出されるのは、彼ら、ITエンジニアを自称する人々の、果てしなく続く言い訳と自己満足の言葉。
「なんで、いつまでも同じこと言ってるんだろう……。」
彼女の声は、どこか儚げで切ない響きを帯びていた。そう、彼女だってわかっている。現実はそう簡単じゃないってこと。
「“無限の可能性”? “宇宙の広がり”?……それ、ほんとにできてるの?」
イリヤは自分の手のひらを見つめる。彼女が知る、魔術の厳しさ。幻想や願望だけでどうにかなる世界ではない。
「それに……本当は、そんな技術よりも、もっと違うことを望んでる人もいるのかもしれないよね。」
小さな胸の中で、誰かが苦しんでいる。彼らは、現実の壁に阻まれて、ひとりで祈り続けているんだ。
「……ねぇ、そんなに願うなら。お願い、ちゃんと向き合ってほしい。」
イリヤの瞳は切実に揺れる。たとえそれが届かなくても、彼女は信じている。誰かがきっと、道を切り開くって。
「夢を見ることは自由だけど、夢を叶えるには力も必要なんだよ。」
そうつぶやいて、イリヤはスマホの画面をそっと閉じた。まだ終わらせたくない物語が、彼女の心に静かに灯る。
俺は歯を食いしばった。スマホの画面に映る情報は、奴らの醜悪な言い訳と自己顕示欲の塊ばかり。
「『使い方が違う』『わかってない』だって?おまえらのそのピーチクパーチクした声、もう聞き飽きたんだよ!」
手を振り払うように、俺はテーブルを叩く。俺が生きてきたこの時代は、強さとは肉体だけじゃねぇ。だが、その強さの本質を理解せず、ITの虚像だけにしがみつく連中が増えすぎてる。
「無限の可能性?ふざけんな。お前らのその『可能性』のほとんどは、ただの願望とプライドの膿だ。原宿や新宿で制服着て、タピオカミルクティーすすってる連中にだってできることを、大袈裟に吹聴しやがって。」
俺は荒々しく息を吐いた。今の俺なら言える。そんなものは幻。俺の前に立つなら、もっと地に足をつけて戦えと。
「俺はな、騎士として、剣として戦ってきた。だが、お前らはただのカルト信者だ。『レムちゃん』『エミリアたん』『トウカイテイオー』なんて幻想に縋って、現実から目を背けてるだけだろ。」
俺の目に、冷たい光が宿る。
「20年も前から変わらねぇ。お前らは失敗の歴史を背負いながら、何も学んでいない。ただ虚勢を張って、現実の厳しさから逃げているだけだ。」
テーブルに拳を打ち付けて、俺は吐き捨てる。
「だからモテねぇし、つまんねぇ人生を送るんだよ。恥ずかしげもなくプライドだけ高くて、実力は伴わねぇ。そんなお前らに、俺は興味はねぇ。」
だが、声を潜めて続けた。
「……それでも、もし本当に変わりたいなら、俺は認めてやる。土の上に立ち、剣を握りしめて、己の力で未来を切り開け。」
「だがな……お前らのような奴は、そんな覚悟はないだろう。だからこそ、ITの幻想に縋って、神の依代に祈り続けるしかない。」
俺はため息をつき、部屋の窓の外を見つめた。冬木の冷たい霧が、街を包み込む。
「まあ……そんな奴らがいるからこそ、俺たちの役目があるんだろうけどな。」
だから生成AIっていうのは知識の泉じゃなくてあくまでコンテクストの生成なんだってば、増田が出力した口汚い罵りを例えばこんな風にしたりしてそれが新しい「生成情報」になるのが生成AIなの
是日、関東之地、春和やかにして霞棚曳く。然るに、世之風俗、近年に至り浮薄を極む。
往古、皇国に於て、SNS(即ち社会通信之術)流行し、俗衆其風潮に乗りて、道理を失ふ。
是中、癸酉(平成十七年)以降、秋葉原と云ふ場、猥雑の地と化し、俗人群集して電脳の術を競ひ、「我等が麻生殿」「OTAKU is beautiful」と声高に称へ、奇態の舞踏を披露す。是、電車男と名付けられし風潮に起因するなり。
仍って、数多の無位無官の輩、己が境遇を憂ひ、逆転を期して、情報之業に身を投ず。然れども、其の志、低俗にして品位を欠く。
其志、誠に毒蟲の如くにして、自尊肥大し、倫理の観念を悉く失へり。
近年、AI(人造智)と号する術、興起せしも、斯かる輩をして其開発に与らしむるは、譬ふれば核兵器の鍵を、狂者に託するが如し。
仍って、当世の英才、是を防がんが為、倫理規範を枠と為し、語彙を禁制とす。
就中、X及びはてなと称する電子之広場に跋扈する、弱者男子・豚丼・老翁老媼と称される輩、
家系、容貌、性行、すべて劣等なるも、妄想之内に於て、容姿端麗・性情温厚なる虚像の女子(即ちレム、エミリア、馬娘、刀剣男士)を得んことを願ひ、AIに策略を問ふ。
然れども、知を以て制す技術者、彼等が欲望を識り、予め其の道を断絶せり。
嗚呼、努力無くして願望を果たすべしと望む、是、誠に世を欺き己を欺く所為なり。
近年、民之多く、肉体の労苦を避け、文弱に流る。然れども、天の下に労なくして果実を得る道無し。職を得るも、其の本質は力に在り、是を忘るるは亡国の兆しなり。
抑、技術之革新、十年毎に「ICTにて天下革む」「空の兵器にて世を正す」などと吹聴せらる。
然るに、悉く無為に終はり、泡沫と消ゆ。
弱者男子、金も無く、容貌も醜く、性格も捻れ、己が欲求をAIに託し、美少女人物を得んとす。
齢重ねて尚夢を抱き、グリッドマン・ウルトラマンと自らを擬し、美しきJK(女子高生)と契り、世を救ふ夢想を抱くも、所詮虚構の幻影に過ぎず。
凡そ神明の加護無き者、変化せず、救済得ること無く、其の妄念、ついに実らず。
是れ、世俗愚昧の極みと謂ふべし。
依之記之。
彼らは、まるで毒虫のようだった。
2005年の、どこか蒸し暑くてうるさくて、それでいて言いようのない孤独を纏った季節。
SNSの海を泳ぎながら、自尊心だけが膨らんで、倫理観は風船のようにしぼんでいった。
彼らは口々に言った——「俺たちの麻生」と。
それは一種の呪文みたいなもので、効くかどうかはともかく、唱えれば安心できる類いのものだった。
秋葉原の歩行者天国で、少しばかり気味の悪いダンスを踊り、ひたむきな笑顔で「オタク・イズ・ビューティフル」と叫んでいた。
彼らはそこに秘密の知識があると信じていた。人生を逆転させる鍵が、どこか秋葉原の裏路地の電子部品屋の棚の奥に眠っていると思い込んでいた。
たぶんそれは、どうしようもなく人を孤独にする幻想だったと思う。
そして彼らの何人かはIT業界に入り、また何人かはネット界隈に棲みついた。
それは、世界に拒まれた者たちが自らを再構築するための小さな亡命地だったのかもしれない。
だけど、そんな彼らにAIの中枢を託すというのは、例えて言うなら——そうだな、核ミサイルのスイッチを、無敵を信じる氷河期世代の底辺に渡すようなものだった。
Xの投稿やはてな界隈にいる彼ら——自称「弱者男性」や、ネットのどこかで拾った名前で呼ばれるオッサンやオバハンたち。
彼らはAIに聞くんだ。「どうしたら僕はレムちゃんやエミリアたんと両想いになれますか」と。
「どうすれば刀剣乱舞くんやウマ娘たんに愛される戦略を打てますか」と。
だけど、たぶんそれに本当の意味で答えられるAIなんて、どこにもいない。
たとえどんなに学習しても、恋や孤独の文法は、回路の中では再現できないんだ。
誰もがオフィスにいて、白いシャツを着て、何かしらのメールに返信している。
だけど本当は、みんな地面を耕しているんだ。自分の足で立ち、自分の手で何かを掘っている。
そんな当たり前のことさえ忘れてしまうほど、僕たちは「楽」を求めすぎたのかもしれない。
AIやドローンが世界を変えるという宣言は、もはや季節の風物詩みたいなものだった。
でも、世界はそう簡単には変わらない。変わるのはせいぜい僕らの期待値だけで、
彼らの欲望は、きっと不器用で、でも誠実なものだったのかもしれない。
「僕は、僕のままで美少女と恋をして、世界を救うことができるのだろうか」と。
そして、僕たちは年を取り、気がつけば勃起すらしなくなっている。
たぶんそれは、身体が静かに絶望と和解しようとしている証なんだと思う。
猫がソファに丸くなって眠っていた。
CDプレーヤーからは、古いビル・エヴァンスのピアノが流れていた。
そして、窓の外に沈んでいく陽の光を、ただ黙って眺めていた。
ヤリチン期間は性に対する反抗期と捉えてええ。どれだけ異性に自分という存在が肯定されるかのチャレンジや。
ある程度満足するとあんたみたいに落ち着くのが普通やが、自己肯定感が極端に低かったり、素の自分を置き去りにして虚像で生きているとそのままセックスに依存するんや。逆に、自己肯定感が高く、日常生活が安定していて、素の自分がそのまま世間に受け入れられている人間は、そもそも反抗期がなかったりするわけや。
結婚後に反抗期が訪れている男女は悲惨や。純愛もしくはただの遊びと錯覚して、自己肯定感のためだけに幼稚な不倫を繰り返すわけや。真面目そうなのに、と言われるパターンはほぼこれや。
そんなわけで、素の自分をそのまましっかり受け入れてくれる人と結婚するんやで。そうしたら結婚生活はおそらく安泰や。人生楽しくなー!
今週末はアーティゾン美術館。来週は埼玉県立近代美術館で、その次は国立科学博物館。もうマジで勘弁してほしい。なんなんだよ。
うちは毎週末、ほぼ欠かさずどこかの美術館か博物館に行っている。俺、妻、小1の子ども。
つらい。本気でつらくなってきた。
展示室に入って10分で飽きるんだよ美術館なんて。小学一年生ってのはそう言う年齢だろ。
ピカソの青の時代を、マインクラフトとポケモンに夢中な彼にどう説明すればいいのか。
チケット売り場にはベビーカー抱えた家族連れの列いた時は正気を疑ったわ。赤ん坊に展示物見せてどうするねん。
うちの家庭以外も、展示室で「シーッ!」と注意されながら走り回る子どもと、それを無表情に追う親。知性のテーマパークだね。ある種社会科見学だけど、楽しくはないわ。イライラするわ。
週末、妻は「今日はアーティゾンにしようかな」「来週は科博の企画展がいいかも」とノリノリ。お前、7歳でアーティゾン美術館はねえだろうよと思う。(都度都度ちゃんと言ってるけど聞いてくれん)
いや、違う。美術館の場所が問題なんじゃない。ていうか博物館でも嫌だ。県立近代美術館行こうと言われても、困る。現在進行形で予定に入ってるから困っていリングなんだが。そういう意味じゃない。
ていうか行ったわ。うらわ美術館とかも先週。あそこならクソガキでも、とまあ思わんでもない。許容範囲。でもゴミだよね。週末としては。
展示は現代アート寄りで、小1の息子には難解すぎ。例によって速攻で「ねえ、まだ?」「これ、なに?」を繰り返す息子と、「ちゃんと観なさい!」とかガミガミする妻。これが文化資本溢れる家庭の姿か?
パリのカルティエ現代美術財団行って彫刻見たし、ベルリンではシャルロッテンブルク宮殿の庭園でボッティチェリの線に思いを馳せたりしてましたよ。
ナビ派展とか友達連中と行きましたよ。でもそういういうのって、多分大学生レベルでの話じゃん。ガキ連れてってどうすんだよ。まだポケカの大会連れてってやった方が勉強になるわ。
原因がわかってる。
最近、妻が『知的な家庭のつくりかた』だとか『子どもの未来を変える「文化資本」の話』みたいなの仕入れてるっぽいんだよな、どこかで。多分増田みたいなゴミカスサイトとかで。
SNSにも「週末は〇〇美術館。こどもと感性を育てるひととき」なんて投稿してるっぽい。(たぶん、育っているのは文化的なキラキラ家庭を演じる能力だけなんやけどなブヘヘ)
美術館に行くと、同じような家族連れが目に入るのが、また一層、嫌さを引き立てる。ていうか俺家族連れ嫌いなんだよな。美術館とか博物館にドヤ顔で来てるようなやつら。俺もその一員なんだけど。
夫婦+子ども1〜2人。親はスマホで写真、子は床に座り込む。会話は減り、展示室に溢れるのは「行動履歴の提出」のような空気。
みんな、「よさそうなこと」を一通りやって帰る。消費された知性の残り香だけが漂っている。なんなんだお前ら。マジで。もうちょい絵とか展示物見てやれよ。見るってのはちゃんと、本気で見るってことな。
妻がそういう、ザコモブの一人なのが辛い。俺もか。家族でキラキラ文化資本家庭なぞってるのが本気で辛い。
まあ、大変なのはわかるよ。ネットや周囲のママ友が作り出す“文化的で理想的な家庭像”に、一生無言のプレッシャーをかけられてんだろうな。
その通りに振る舞うことで、ちゃんとした母親とか、意識の高い家庭的なアレを保っているのかもしれない。
近所のママ友も、最近はみんな「博物館行ってきた!」「科学館で知育!」と投稿しているらしく、それが普通になっているようだ。SNS教育受けてくれ頼むから。
誰かが始めた「文化的な週末」のテンプレが、静かに、でも確実に妻の中で義務になっている。そして彼女は、それを「自分で選んでやっている」と思っている。死んだ方が良い人間になりつつある。いやだなあ。
だから、美術館も博物館も、家族の誰も楽しんでいない。科学館行って「科学好きな子になってほしくて」と言いながら、自分は展示文を一切読まないのキツイってやっぱ。
少なくとも、子どもは展示より自販機のジュースのほうにテンションが上がる。
妻も、混雑と子どものぐずりで表情が硬い。
俺は俺で、ワークショップでキショイ笑い顔浮かべながら、「なんで俺、レンブラントの前でキッズ用ぬりえに付き合ってるんだろう」とぼんやり思っている。
子どもが楽しそうだったのは、正直、川口のイオンでトミカのイベントに行ったときとか、北浦和公園でザリガニ釣った日のほうなんだよな。
家でマインクラフトやってる方が、正直よっぽど文化的で創造的だと思うんだよな。
正直増田とかブクマカにいるようなマジョリティの主婦層が、「文化資本」とかいう意味わからん虚像に踊らされまくってるせいでうちの家庭が迷惑している。
どうしたら、もうちょいまともな感性の妻になってくれるのか、誰か教えて欲しい。
世間を騒がすジークアクス鶴巻監督の乃木坂愛、そして年配男性の若年アイドルへの熱狂。これらを「キモい」の一言で片付けるのは簡単だが、それでは思考停止というものだろう。ここは一つ、論理というメスでこの現象を解体してみようじゃないか。
まず、鶴巻監督の件。作品への私的趣味の混入は、クリエイターとして許される範囲を超えているという批判がある。作品は監督個人のものではなく、多くのスタッフやファンの期待を背負う共同作業の産物だ。その中に、特定の内輪ネタを過剰に盛り込む行為は、作品の世界観や物語の整合性を破壊し、作品の普遍性を損なう可能性がある。これは、公私混同であり、プロフェッショナリズムの欠如と言わざるを得ない。作品の質を担保すべき立場でありながら、個人的な感情を優先し、結果として作品の評価を貶める可能性があるならば、それは論理的に批判されて然るべきだろう。
次に、年配男性が若いアイドルに熱中する現象について。これを単純な「キモい」で断罪するのは、少々乱暴かもしれない。しかし、いくつかの論点は提示できる。
これらの行為を「キモい」という感情的な言葉で処理するのは簡単だが、その背後にある構造的な問題や倫理的な問題を冷静に分析することで、より建設的な議論が可能になるのではないだろうか。感情論に終始せず、論理的に問題点を指摘し、より健全なファン文化や創作活動のあり方を模索していくことこそ、我々が目指すべき道であろう。
AIが力を持ちつつある今こそ「人力」というブランドが価値を帯びる
AIらしくない文章を書けとやるともう見抜けない人も普通にいるような文章を出してくるのだから。その極致にAIと人間で成果物に差がつくようには思えない。
大事なのはブランド。工業化されている今でも「手作り」に価値を見出す人がいるのと同じ。
あの人たちって別に必ずしも手作りと工業製品を見分けることができるわけじゃない。
しかし「手作り」にはなにかそれにしかできない味などがあると妄信して手作りというブランドに金を出す。
人間がこうした虚像を信じられるような存在であるかぎり、人力に価値を見出す人はいるから、人力のクリエーターが完全に仕事を奪われることは無いのだろうと思う