はてなキーワード: 自己破産とは
ついに50歳になった記念。人生で遊び倒したゲーム10選。カッコ内は俺が遊んだだいたいの年。
本格的なゲーム機からは一時期離れていて、復帰して遊んだのがこれ。
2位 ファイナルファンタジー6 (1994)
スーファミにどっぷり浸かっていた時期、これが最高傑作だと感じた。
3位 ファミコンウォーズDS (2007)
4位 パンツァードラグーンツヴァイ (1996)
シューティングは下手なほうだが撃墜率100%できて感動した。
5位 テトリス99 (2019)
50歳でもたまに1位になれるので自分が老化してない気になれる。
6位 ゼルダの伝説神々のトライフォース (1992)
7位 ヴァンパイアハンター (1995)
8位 電脳戦機バーチャロンオラトリオタングラム (1998)
それ以降PS2とかのゲーム機は買わなくなった。DSと3DSだけは買ったけど。
9位 マジカルドロップ3 (1997)
ギャルゲー系で一番はまったのはこれかも。
この頃ときメモが死ぬほど嫌いだったが、これとサクラ大戦は好きだった。
以上。
「貸倒引当金の損金算入」なんて言葉を聞くと、だいたいの人は眠くなる。
けれど、これが実は奨学金という制度の“本音”を照らすキーワードでもある。
ざっくり言えば、「貸したお金が返ってこなさそうな分を、あらかじめ経費として認める」仕組みだ。
そして、これを税金の計算に反映できるかどうかが、国の性格を決める。
たとえば、あなたが会社を経営していて1000万円もうけたとする。
でも、あなたが「このうち100万円は、貸したけど回収できなそう」と言って、
その100万円を経費にできる(=損金に算入できる)とどうなるか。
国に払う税金が30万円減る。
つまり、国が“貸倒リスクの3割”を実質的に負担したということになる。
損金算入とは、国家が企業の失敗の一部を税で肩代わりする制度なのだ。
これを知らずに「貸倒引当金なんて難しい話」と思っている人は多い。
だがここにこそ、**「どんな失敗を国が共に背負うか」**という社会哲学がある。
日本では原則として、実際に回収不能にならなければ損金にはできない。
これらは「法定繰入率」というルールで、あらかじめ貸倒分を税務上の費用として認められている。
つまり、銀行が融資で焦げついても、その痛みはすでに税で少し吸収されている。
一方、**奨学金(JASSO)**のような「教育を支援する貸付」はこの枠外だ。
貸した金が返らなければ、本当に国の損失になる。
だからこそ、制度は「破産させない」「逃がさない」という設計に偏る。
これが、表向き“やさしい”奨学金制度の裏にある、硬い現実だ。
アメリカでは考え方が違う。
学生ローンを含む貸付債権は、束ねられて**証券化(SLABS)**され、投資家の手に渡る。
アメリカ政府もそれを前提にしている。
議会予算局(CBO)や教育省は、あらかじめ「将来どのくらい焦げ付くか」をモデル化し、予算に織り込む。
「学生が破産した=想定外の失敗」ではなく、「予定通りの割合」なのだ。
だからこそ、延滞者に課される**回収手数料(25%上乗せ)**も、「罰」ではなく「市場の回収コスト」として処理される。
日本学生支援機構(JASSO)の奨学金は、貸与終了から7か月後に返済が始まる。
この不思議な“間”の意味を考えたことがあるだろうか?なぜ4月から請求しないのか?
引越し、就職、給与口座の整備——確かに数か月の猶予は理にかなっている。
だが、もう少し冷静に見ると、別の合理が見えてくる。絶対に借り逃げさせない強い意思
この時期に返済請求を受ければ、破産手続きで裁判所から「支払不能」が認められやすい。書類上は収入ゼロ、もしくは雇用不安定の人間に借金の取り立てをしているのだから。
つまり、裁判所は破産免責を認定しない。「返せるでしょ?」となる。
このタイミングで返済義務を発動させれば、制度としては極めて理想的に“逃げ道”を塞げる。
JASSOはそこまで公には言わないが、債権保全の観点では非常に計算された設計だ。
(ちなみに借金があっても債権者から返済の請求が無ければ裁判所は自己破産の手続きも受理されない。返す義務が具体化していないのだから訴えの利益が無いのだ)
20代前半の7年なんて“クレカが持てないだけ”で済む——そう考える若者がゼロとは言い切れない。
JASSOの7か月ルールは、そんな“逃げのタイミング”を制度的に潰す仕組みでもある。
こうして見えてくるのは、
日本では奨学金は「教育支援」よりも「回収可能性」に重心を置いた制度になっているということ。
なぜなら、貸倒を損金にできない限り、貸す側のリスクは全額自己責任だからだ。
だから破産しても倫理的非難は少なく、「数字の範囲で終わる」。
つまり——
日本では**「道徳」が返済を支え**、アメリカでは**「市場」が返済を支える**。
奨学金は、「教育機会を広げたい」と「回収したい」の間で揺れている。
その揺れを見える化しないまま「返せ」と言えば、制度は道徳主義的に硬直する。
もし本当に“支援”を名乗るなら、返済開始の柔軟化や所得連動の自動適用といった再設計が必要だ。
「貸す側が損を想定できる国」と、「借りる側が破産を許されない国」では、若者の挑戦の角度も変わってくる。
ならば、前借りの回収はその人の立ち上がり方に合わせていいはずだ。
その構造を知れば、奨学金という“やさしい顔をした金融装置”が、
ChatGPTに書いてもらいました。10分
今10万円ぐらい借金をしている。ケースワーカーは忙しいのか、この恒常的借金状態を気づかない。
躁で以前にも自己破産しててまた自己破産してもかまわないんだが、たかが10万円程度で自己破産をするのもどうか。
生活保護は借金をいくらしてもいいが、保護費から返済してはいけないというルールがある。
じゃあ一回借りたら返せるのに二度と返済出来なくてたかが10万円程度でも自己破産を勧められるのだろうか。
毎月コツコツと保護費から返していけば元に戻れるのに法律によって保護費から返済はダメだからと自己破産させられるのだろうか。
それならそれで100万ぐらい~クレカのキャッシングと消費者金融で借りまくって遊んだろか。
今は鬱だから金は貯まってて返済も順調だが、ある日ケースワーカーに指摘されたら?
保護費から返還することは出来ない、ということはわかっているけど、返していくしかないじゃないか。
どうなるんだろう。
薬を辞めればハイパー躁モード突入で一気に土方にでも雇われて生活保護を抜けて借金も返すことは可能だろう。
だがそのハイパー躁モードでは人間関係や金遣いやらがめちゃくちゃになってしまうことは目に見えてる。
どうしたものかねえ。
私は5年前から読書を始めました。それが身になったかどうかは別として、数百冊は読んだと思います。
ほぼ0から一人で始めた事だから凄いよなとはほんまに思ってます。
読書というと、小説を想像しがちですが、自分が読んでいるのは新書や生活に役立つような本。社会の仕組みがわかるような本です。
それも最初は1日で1ページも読めませんでした。そもそも本の内容についていけるような知力も無かったし、なんていっても集中力が持ちませんでしたから。今じゃ2時間でその気になれば100ページは読めますが。だいたいの本なら。
読書を始めたのは病気がきっかけですが、読書をここまで継続出来た理由は、ただひとつ「バカを脱出したいから」それだけです。 自分はとてもバカです。20代前半の時、騙されて230万のローンを組んだり、それが尾を引いて10年後に自己破産をしたりなんだりと、いわゆる弱者の側でした。現在も非正規です。以前よりはかなり生活は安定しましたが。
読書や、友人との対話を重ねた、この5年のおかげで、確かにバカ度合いは減ったと思います。その自覚はあります。もっと賢い人から見れば、クソ雑魚ありんこレベルだと思うけど、自分の中ではかなり進歩したんだなあって感覚はあります。最近は税制の勉強をしています。
「本当に髪の毛生えるんですか?? お願いします!」って切実な思いで組んだローンや、ニキビを消したくて化粧品に50万のローン組んだりした時に比べたら、多少は世の中わかってきました。まだ何にもわかんないけども。 世の中わからないことだらけですね。
ただ、最近思うのは「これ本当に読書のおかげ?」って思うわけです。
今も飲んでいます。
たまに思うのは、今の自分があるのは読書ではなく単純に薬のおかげなのでは・・・・・・・? ということです。
そういう小説ありますよね。急激に知能が発達して、急激に衰えて行っちゃうネズミの話。
この薬だっていつまで飲めるかわからない。そもそも先生が交代したら、先生の判断で投薬停止になるかもしれない。
その時に自分はまた昔のバカな自分に戻ってしまうんだろうか。それとも今のまま、これまでの努力を積み重ねたままでいられるんだろうか。
とっても怖いんです。
まずは薬を飲みつつ、本を読むしかないですね。
40前半独身です。プロフィール晒す時点で共感して欲しい気持ち見え見えだが、しょせん匿名プラットフォームでお気持ちぶちまけてるだけなので、仮に承認欲求を得られても、それ自体仮想のものだと思っています。自己破産をしてその後仕事でうつ状態(うつ病ではない。だがメンタルは100%には戻らない)になり、その後仕事を転々とするようになり、今の仕事もストレスで少し辛い。家に帰ればスマホの画面を見続け、youtubeでなれもしない成功者の幻想を追いかけ、新R25やしごとリーチ!なんかを見ては「自分ならこうするのにな」」とか思ってしまう。今まで一度も正規社員になったことなんてないのに。でも、「もう40代だし、何をやるにも無理、遅い、どうせ自分には無理だ」と思ってしまう(なんかフォローしてくれよ) 常に「足りない足りない」のマインドで生活している気がする。仕事が終わったら、仕事の勉強と称してカフェに籠もりその日の復習。あれ?もう仕事の勉強にコミットするのはやめたんじゃなかったのか。うつを経験しているのに、人間は同じことを繰り返すなと思った。のんびり生きるんじゃなかったのか。うつとパニック発作の経験を活かして、がんばらない生き方をするんじゃなかったんですか。実際今は自分は凄く頑張ってしまっている。思ったんだ、自分はここまで、何者にもなれなかったけど、20代前半から借金を抱えて35歳で自己破産。ずっと非正規生活。彼女無し。結婚予定なし。好きな人は宗教二世でたぶん結婚できない。だから、ずっと一人なんだ。両親と仲が良く、姉もかまってくれることは凄くありがたい。今繁華街のスタバで一人カタカタパソコンをたたいているよ。隣の席で、小奇麗なママ友2人とお金持ちの娘さんみたいな子が、ママ友にとても褒められている。ああ、そんなセレブみたいな世界ってあるんだな。俺はいわゆる家庭がいて子供を作って、家族みんなで休日仲良く出かけるみたいな生活、おそらく無理なのだと思います。そもそも結婚相手が欲しいと思ったの最近だからな。だけど、自分の人生、自己破産からここまでやれただけで十分なんじゃないかなと思ってしまうな。それ以上を望むから無理なんだよ。小学生からいじめられて人間関係不信からまともに交友関係も築けずに、30後半まで来て。「ようやく彼女のひとりでも!」って思った時にはもう40超えてて、人生終わってた気がする。どれだけ読書をしても遅いもんは遅いんだよな。だから、自分の人生超絶プラスを考えるのではなくて、マイナス50000くらいから、プラス200くらいまで来れるようになったと思えただけでよいと思うんだよ。今あるもので十分なんじゃねえかただ、もっと世界は見てみたいし、毎日職場と自宅の往復だけで人生終わってしまうのは本当にもったいない。何のために生まれてきたのだと思ってしまう。2年前に初めて東京まで一人旅をしたときとても楽しかった。世界ってこんなに広いんだなと思ってしまった。俺の知らない世界が世の中にはたくさんある。金は積み立てNISAで50万あるが、崩すのが嫌なんだよな。どうしたらいいかな。
状況を読ませていただいて、胸が痛みます。突然の50億円という巨額の借金、それをまったく知らされていなかったこと、そのショックと混乱は想像を絶します。
まず、あなたがすべきことは以下のとおりです。
🔎1. 事実を正確に把握する
夫の言葉だけで判断せず、まず「本当に何が起こっているのか」を正確に知る必要があります。
借入の契約書類:誰の名義で借りたのか(会社名義か、個人名義か)。
連帯保証の有無:あなたが連帯保証人になっているかどうかを確認(知らないうちになっていたら法的に問題です)。
借入先(銀行や投資会社)との契約内容:返済計画や担保設定の内容も重要です。
会社の登記情報・財務状況:信用情報や債務超過でないか確認する必要があります。
これらはプロでなければ判断がつきません。早急に弁護士(可能なら「債務整理・会社法に詳しい人」)に相談してください。
💬3. 夫と冷静に話し合う時間を設ける
これは難しいかもしれませんが、「どうして今まで話さなかったのか」「この借金の全体像」「今後の返済計画」を整理して聞いてください。
怒りや恐怖は当然の感情です。でも、情報が不足したままだと、何も判断できません。
https://anond.hatelabo.jp/20250604003003 を読んで昔を思い出したので。
25歳の頃上司が、あたりのキツイ上司で、ミスがあると「なんで出来ないの?」と、よく詰められた。そのたびに、自分は泣きそうになる感情を抑えられなかった。当時の自分は指摘箇所を改善するよりも「詰められる歳、泣きそうになる自分を治したい」という欲求に強く駆られていた。彼に叱責を受けても、平然としている同僚女性もいる中で、自分は彼に叱責を受けると辛くなり泣きそうになってしまう。この弱弱しい性格を何とかしたい。なお、職場は非正規のコールセンターである。
このお豆腐メンタルをどうにかしたい。俺は強くなるんだ。そうだ、ナンパをして街で女性に無視をされ、暴言を吐かれることに慣れれば、転じて日常で上司にキツイ言葉を言われる事にも慣れるかもしれない。ナンパをはじめたきっかけはそこからだった。
この頃からナンパの存在自体は知っており、ナンパを始めた2010年頃は、まだナンパブログ全盛期。様々なナンパ師が即った子の画像をブログにUPしていた。わたしはそれを見てオナニーのネタにしていた。リベンジポルノという言葉が世に出回るはるか前。ちなみによく見ていたブログはネタマンマニアだ。サクさん素敵。
「俺は凄腕スト師(ナンパ師の意)になる!」と意気込んで、街に出ては、「声かけるの怖い・・・」と怖気づいて、地蔵のまま帰る日が続いた。5回目だったか、初めて声をかけた女性は、ニューハーフで、工事にいくらかかったかを話した記憶がある。これは忘れられない。
それからも仕事終わりに出撃するものの、1日1声出来るかどうか。場合によっては声掛けできない日も続いた。たまに1日5声掛け出来れば上出来。翌日にはまた1声掛けに戻ってしまう。漫画喫茶のパソコンよろしく、電源を切ればまた初期設定に戻る。決して積みあがらないスキル。他のナンパ師たちは違ったのだろうけれど、わたしにとって声掛けスキルは着実に積みあがっていくものではなく、1日1日単位でリセットされてしまう。そんなものだった。だが続けていればいつか凄腕スト師たちのように、かわいい女の子を即れるんだ。そう思っていた。
ナンパを初めて半年程経ったころだと思う。「終電後ナンパ」を実行した。地方都市であるため、25時も過ぎれば人はどこかへ消えてしまっていた。人口200万もいるのに。そんな中、終電が終わる24~25時が勝負だと肌でわかっていた。
途中「家に帰りたくない」という大人しめの女の子を捕まえることに成功した。路上でトーク、そのまま漫画喫茶(暗い雰囲気にソファー席があり、セックスでもしてくれと言わんばかりの内装)へ連れ込みいちゃつく。そしてラブホへ移動して即。記念すべき初即。その時深夜テレビで流れていた映画は、榮倉奈々の「渋谷区円山町」。忘れもしない。
女性とセックスをしても、翌日になればリセットされる全能感。ナンパの腕が上達するわけでもなかったし、そもそもゴールである「上司への詰め耐性」が向上した訳でもない。この段階で「ナンパ」が、当初の目的を達成することにおいて、全く見当違いな手段だったのだと気づくべきだった。ただ、今だからこそ、その過ちに気づけたわけであって、当時は本気だったわけである。人間は全く持って愚かだ。
「単純に上司に指摘された部分を改善すればよかったのでは?」 今考えればその通りなのだが、当時は、指摘されたことを改善する事、イコール対処療法に過ぎず根本的な改善策になっていないと考えた。対処療法では意味が無い。根本から自分を変えなければいけない! そのために自分はとても有効な方法を見つけた! それがナンパなんだ! 「他の人には決してできないことを俺はやっている!」。 そんなマインドである。こうして、徐々にナンパの沼にハマっていった。
当初の予定では「ナンパを通じて、30歳までにメンタルの弱さ(語彙力)を改善させし、女性とのコミュニケーション能力も改善。そして、セックスをすることでオスとしての力も身に付け、当時背負っていた300万の借金も、ナンパで身に付けた能力により営業のバイトであれよあれよという間に返済」という考えであった。なんとバカなんだろう。
31歳くらいの時、一年発起して界隈ではとても有名なナンパ講習を仲間と2人で受けた。3時間で2万円。最初の半分は座学。「何が何でも即に持ち込め」「心技体」と言われたことは覚えている。後半は実践。私は頭髪が薄かったので、帽子やウィッグの存在を教えてもらった。大きいアーケード街で声掛けをするように指示されたが、どうにもこうにも恐怖(知り合いに見つかったらどうしよう)が勝って声を掛けられなかった。後々話を聞いたら、ナンパ仲間数人が、彼の講習を受けたらしい。そのうち一人は立派な「道場生」になっていた。
講習の効果はあったように思う。ウィッグをかぶって活動するようになった直後、年上のめちゃくちゃ美人なバツイチ女性から「こんなカッコいい人と、セックスしない理由は無いでしょ?」と言われて、ホテルに連れ込めたことがあった。自分には何が起きているのかさっぱりわからなかったが。
だが、セックスは出来たものの、メンタル的な部分が改善するわけでは無く、また声掛けが出来ない状態が続く。わたしが女性に声をかけられないことは、もはや外見云々ではなく心の病だったのだなと今になっては思う。
当時の自分は醜形恐怖症近かったと思う。自宅まで歩いて徒歩20分程度の距離の場所をタクシーで帰宅することもあった。その理由は「ウィッグをかぶっている姿を他人に見られたくない。
年齢不相応なウィッグは他人にとっては気持ち悪い意外の何物でもない」と思っていたからである。
ナンパ仲間からは「ウィッグかっこいい」と何度も言われていたし、「俳優の長谷川博己に似ている」と言われたこともあったが、自分としては、自らの外見の些細な部分が気になって気になって仕方がなかったため、どれだけセックスを重ねても自信がつくことはなかった。
仕事中もナンパのことばかりを考え、自宅に帰り入念な準備をするも、自宅を出た瞬間に街の人がみんな自分をあざ笑っているかのように感じる。
そして必死の思いで街に出るも、また街をうろつくだけで結果的に声はかけられずに、深夜に自宅に帰る。この行為を通じて、自分の中に残ったものは、心の傷だけだったのだと思う。
また、活動の後半(6年目以降)は、ほぼ依存症のような状態になっており、何かの目的を達成するためにナンパをするというよりは、ざわつく気持ちを落ち着かせるためにナンパ行為を行っているにすぎなかった。これは麻薬やアル中患者と同じ論理である。とても不健全な10年を過ごしたと今になれば思う。だからこそ、今生きていることはとても奇跡に等しい。いつ人生が転落してもおかしくは無かった。
いろいろな仲間がいた。自営業や営業マンが多かったように思うが、公務員などのお堅い職種もいた。ただ、みんなしっかり自分の仕事をこなしながらナンパ活動をしており、わたしのような非正規の人間はごく少数だったと思う。
みんながみんな自己承認欲求のためにナンパをしていたわけでは無いということだ。ナンパ師には「快楽追及型」と「自己成長型」がいるが、私のような「自己成長型」も少なくない。当時の仲間にはそのパターンが少なからずいた。ただ、結果を出していたのは、言うまでもなく快楽追及型だった。陽キャか陰キャかの違いである。
ナンパは主にこの二種類に分かれる。ソロストが出来るやつは最も強い。ひとりで最初から最後まで出来てしまう。
自分もソロに憧れたし、ソロから始まった。いじめの経験もあるため「つるむやつは弱い。だからこそ一人で強くなることを望んだともいえる。ただ、自分はソロ向きではなかった。それでもソロにこだわったのは前述の理由があるが、言い方を変えるのであれば、自分の弱さを認められなかったともいえる。
ナンパ師には出撃するたびに、ナンパ仲間数人で行動し、何をするにも仲間同士で動く奴らもいた。わたしは彼らを軽蔑すらしていたが、今考えてみると、彼らの方が女性経験も積んでいたし、男同士の絆も固かったし、そのうち一人は全国規模で友達が出来ていた。わたしも早いうちに彼らの側に行った方がよかったのかもしれないな。社会性というやつだよ。社会性。わかるかな。
借金300万の支払いについに耐えられなくなり、自己破産。ナンパとは関係ないイベントのように見えるが、重要である。わたしがナンパを始めたきっかけこそ「上司の激詰めに耐えるため」だが、途中からナンパに様々な成長を求めるようになっていた。そして結果的に能力向上させ金を稼いで、借金も返済! 人生はうまく行かなかったということである。もっと早く気づけよばーか。
この時期は、もはやゾンビのごとく街をさまよう、ただのおっさんと化していた。
勇気を振り絞って若い女性声をかければ 「え? おっさんでしょ?」と言われ、ホテルに連れ込むも「初めからセックスするつもりなんて無かったよばーか」と10代の女性に軽くあしらわれる。
クラブに行くも、入場料を払ってフロアを見渡して、女性と軽く会話をして満足をして帰る。そんな自分には「女性を持ち帰るぞ!」という気持ちはすでになく、ただ惰性で街に出ているに近かった。惰性というよりは、麻薬中毒患者が自らの中毒症状を抑えるために麻薬を打つ行為に似ていたかもしれない。
自分は、意味も無く「自分の成長のために」、お金と時間を投下していた。今考えると本当にバカだった。それでも自宅に帰ると、「やっぱ俺ってかっこいいじゃん、イケメンじゃん。 やっぱできるよ俺、出来るよ! やれるよ! すげえよ 次はやろうぜ。何のためにこの活動をやっていたんだよ。なあ」と
謎に鼓舞させていた。でも、ウィッグ姿で街を歩くと、自分なんてキモくて不細工で、みんな自分のことをキモイと思っていると感じる。そして自宅に帰ると不思議とそんな風には思わないのである。この事例から見ても、わたしの外見恐怖症はメンタル的な部分に由来していることがよくわかる(実際に診断を受けたことが無いのでよくわからないが)
路上やクラブですら勝ち目がないと思った自分は、マッチングアプリに手を出した。
当時だとTinderが優勢で、わたしも御多分に漏れずTinderを使ったが自分の容姿ではどんなに頑張ってもひとつのいいねもつかなかった。
そこで、当時の職場の同僚(自他ともに認める超イケメン)の画像を使うことにした。どういう訳か彼のTwitter裏アカの存在を知っていた自分は、そこから彼の画像を拝借し自分のTinderプロフィールに上げた。当時は罪の意識もへったくれも無かった。とりあえず一つでいいからセックスを、一回でいいからセックスを・・・という感じだった
正直あのまま行ったら、本当に人生終わっていたなと思う)。
そこで当然ながら何人かとマッチングをしたが、現地で1人には逃げられ、もう一人には現地で断られた。味を占めた自分はその画像を使い続けた所、3人目だっただろうか。マッチングした女性と待ち合わせのバーに行ったとき。待っても待っても酒が出てこないことに不信感を抱く。
何かがおかしいと思った時、ふと隣を見ると、本人登場。本人の隣には夜の友達がいた。そのまま店内に待機していた数人仲間たちに、根掘り葉掘り聞かれ、最後は公開謝罪をした。
同僚と鉢合わせたとき、正直心臓が止まるかと思ったが、彼は酔っぱらっていたらしく、わたしの存在に気付かなかったらしい。またわたしは当時ウィッグをかぶっていたため、その後職場で鉢合わせても私に対してその件について言及して来ることは無かった。かなりひやひやしたが。
このような形で、わたしのナンパ人生末期はもうただ街をさまようゾンビと化していたと思う。今考えれば、この貴重な時間を使って出来た事はいろいろあっただろう。時間はもとには戻らないが、それを嘆いていても何も始まらない。
きっかけは、精神疾患だった。それまでのストレスがかさんで仕事中にメンタルを病んだ。
その時一人セフレがいたのだが、彼女とセックスをしてもセックス後にまたすぐうつ状態になる始末。こんな状況じゃとてもじゃないが、ナンパ活動は続けられないなと思った。また、当時はコロナ禍になったばかりで、街から人が気持ちいいくらいに消えていた。その2つがきっかけとなり、自然と街からは足が遠のいていった。
終焉なんてかっこいいことを言っているが、例えるなら麻薬中毒患者が警察に捕まったのと同じものである。中毒患者がよく「警察に捕まってよかったと思いました。助かったと思った」と発言したりするが、同じものである。わたしも、このイベントが無ければ、おそらく40手前になるまでナンパに下らない夢を見ていたのだろう
今思えば、あのタイミングでナンパから足を洗えて良かったと思う。あのままずるずる続けていたのだとするなら、いまも自分はゾンビのごとく街をさまよっていたのだと思う。
こうして10年にもおよぶ、壮大なかつとても消化不良なナンパ人生は幕を閉じた。
どうしたら自信を手に入れられるのか。ナンパ活動中一日10回は考えたことだ。そしてその答えは永遠に出なかったが、ナンパ活動を終えたとたんに自信がつくようになった。答えは友達をつくること。社会とのつながりを持つこと。俺に必要だったのは、街に出て女性に罵倒されることではなく、リアルな人間とつながり、リアルな人間から承認、認めてもらう事。ただそれだけだったのである。ただそれだけで、よかったんだ。
いくつかの理由があると思うが、大きな理由が「それは違うよ」とストップをかけてくれる友人がいなかったことが大きいのではないかと思う。当時は友人などおらず、またわたしのことを真の意味で気にかけてくれる人間など家族以外には一人もいなかったと思う。
30後半のいち非正規労働者が、一抹の夢を追いかけて、ナンパ行為にいそしむ。そんな人間がどうなろうと、人生の破滅に進んでいこうとお前らにはどうでもいいことだろう。そういうことである。今考えれば、自分に必要だったのは、ナンパ行為では無く、人間関係、社会的つながりだったのである。今ならそれがよくわかる。
これも今ならわかることだが、わたしが持っていた過度の外見恐怖症は、整形沼の人が陥る症状にとても近かった。どれだけ外見を改善したつもりになっても、他人は自分の事をバカにしていると感じていた。だからこそ、自分の容姿は変わっていなくても、街に出れば自分は周囲より劣っているキモい存在だと感じるし、自宅に帰れば「え、俺イケメン・・」と錯覚を起こしたのである。
その後わたしは、リアルの交流をするようになっていく。人との繋がりを知っていく中で、徐々に社会性を得ていく。38歳のことだったと思う。遅咲きすぎる遅咲きだった。また、読書を行う環境があったため、読書を継続的に行うことで、ナンパに汚染された頭を少しずつ開放することができ、そして今に至る。今は42歳。ナンパを止めてからもう間もなく5年が経つ。
10年間お疲れ様。こんな意味も無い無駄な時間に、人生の貴重な10年をぶつけたお前は本当にバカだったよ。この10年があれば、転職も出来ただろう、もっと違う勉強もできただろう。免許も取れただろうし、語学や資格の勉強、婚活だってできたと思う。でもお前はそれを全部捨ててまで、意味不明に街を歩き続けたんだ。
その結果がこれさ。 でもいいじゃねえかそれがお前の人生だったんだ。自分はワンピースのアラバスタ編で最後出てくる「後に歴史に刻まれる戦いと、決して語られることの無い戦いが終結した」 という言葉がとっても好きだ。自分にとっては仕事人生もナンパ人生も歴史に刻まれ決して忘れることのできない人生だが、世間的にナンパ活動というものはアンダーグラウンドなもの。その時の思い出を知っている者はもはや、自分一人くらいなものである。
ちょこちょこ増田に書いているのだが、自己破産手続き中の者だ。
自己破産申請に向け、色々な書類が必要になるのだが、その中に二ヶ月分の家計簿がある。
家計簿というか、なんだ?収入と使った金額を「食費」「生活費」みたいに分けて記録するやつ。
自分にもこれくらいできらあ!と思っていた。
PayPayやデビットカードで支払うことにより、リアルタイムで使った金額を記録できる。それを計算して紙に書くだけだ。
ただ、それだけなのに、今の自分には「イーヤー。ヤダヤダ」とちいかわのキャラのセリフが浮かんでくる。心の底から拒否感が出る。やりたくない。やれないわけではない。時間だってたっぷりある。しかし、金の使い道を、記録する、これだけ単純なことなのに、心底吐き気がする。
金の使い道なんて自由にさせろ!と自己破産になるまで自由にやってきたのに、心の底から拒否したくなるし、している。
これはなんなんだ、行くべきところは弁護士事務所じゃなくて病院なのか?
それは単なる甘えだ、やる気なんて行動に移せば出てくる、とかいうのは受け付けない。行動に移したものの、紙に単なる0(自分には配偶者がいないので、その分は当然0と記載する)を記入するだけで、冗談ではなく冷や汗と目眩がするんだ。
勉強が出来ない人間だから耐え性がない?自分は田舎で勉強し、ストレートで早慶合格決めて進学した人間だ。受験勉強で「嫌でもやる」を身に着けてないわけがない。
助けてくれ
低収入だったり、非正規で働く男って、結婚どころか恋愛対象にすら見られにくい。
まるで「鉄の地下室」に閉じ込められて、透明化して、どこかでひっそり死んでいくような感覚がある。
それだけでも辛いのに、低収入ってだけで「結婚して何のメリットがあるの?」「そんな遺伝子残す価値ないよ」「キモい男は何してもキモい」とか、散々侮辱されたり、尊厳を踏みにじる言葉を浴びせられる。
しかもそういう女性からの言葉って、世間から咎められることほとんどないよね。
もし性別が逆だったら、こんな発言したら即クビとか社会的にキャンセルされるだろうに、男やおっさんが対象なら平気で言われる。
女性から見たら「弱いオス」なんてどうでもいい存在なんだろうけど、ここまで酷い扱いを受けるなら、低収入の男が「女性がセクハラやストーカーされても他人事」って思っても仕方ないんじゃないか?
別に女性を逆恨みしてるわけじゃない。モテようとも思わないし、生きるだけで精一杯だから。
でも、真摯に優しく接したって、返ってくるのは冷たい態度か拒絶。何もしなくても、関わりたくもないのに、積極的にヘイトしてくる人間もいる。
だったらこっちも無関心になるしかないよね。女性だって俺みたいな「弱者」の男に助けられたいなんて思わないだろうし。
恩着せがましくしない代わりに、ただ無関心でいるだけ。
でも相手を病原菌扱いするような人たちに無関心になるのは仕方ないことだと思う。
尊重しない、好き勝手攻撃してくるくせに、こっちが何か言うと「女叩きだ!」って決めつけられる。
自分たちが困ったときは「同情しろ、助けろ、助けないのは悪!」って、それはあまりにも身勝手すぎないか?
両親がネグレクトと虐待の反復横跳びしてる様な毒親で、勉強してたら「馬鹿にしてるのか!」と殴られ、家事から何までこき使われる様な家だった。
それでもやっと大学に受かったのに、勝手に退学させられて、奨学金も全部取られて、20歳前に借金まみれ。
結局借金は返せずに自己破産。高卒な上に社会的信用はボロボロで、それは人生の呪いみたいについて回った。
それでも何とか働こうとしたけれど、子供の頃、菓子パンしか与えられなかった様な食生活のせいか、体を壊し、今は非正規でしか働けない。
なのに「男だから女よりマシ」とか「男性社会の恩恵受けてる」とか言われるんだけど……これが?
搾取する側? 生きるだけで精一杯なのに、どうやって搾取するんだよマジで。
男性社会とやらの恩恵受けた覚え一切無いんだけど、寧ろ男だからと親からも仕事場でも雑に扱われるし
行政を頼っても「あんた若い(男な)んだからまだ働けるでしょ」と門前払い。
どう考えても困難男性なんだけど女性じゃないから支援なんてだーれも知てくれなかった。
結局、手持ちの金が本当に尽きて、ここで断られたら死ぬしか無いからここで自殺する、って言って警察呼ばれるぐらいの騒ぎ起こして、やーっと少しだけ支援。
これが女性だったら、どっかの支援団体やら行政やらが手厚く保護してくれるんだろうな。パパ活して月100万とか稼いでホストに貢いてお金無いから貧困でーす、って人ですら支援して貰えるんだから。
なのに、男だから、社会的には搾取する差別側とか言われても困るわ。
楽しいことだって少しはあるから、まあいいかって思ってるけど、でも生きてるだけで「弱者」「キモい」と好き勝手言ってくる人たちが
大手を振って自由に生きてるように見えるんだから、理不尽すぎて仕方なく思える時がある。
男というだけで勝ち組とか社会的にどうこうなら人生変わってみろよと言いたくなる。
どうせロクな死に方しないんだから、せめて放っておいてくれって話なんだけど
何故か積極的に尊厳を傷つけてくる言論がネットやってるとどうしても目につくし
それをやってるのが女とか女に媚び売ってる男とかだからね。
それだけならギリギリ許せるんだけど(どうせそういうヤツはどんな立場でも文句言うだろうし)
社会構造・政治・経済・生活インフラの観点から整理してまとめると、こんな感じになります。
→ 病気=破産の恐怖。富裕層以外にとっては生存リスクすらある
• 毎年4万件以上の銃による死者
• 学校、教会、スーパー、音楽フェス——どこでも銃撃事件が起きる
→ 一つの国に“価値観の異なる2つの国家”が同居している状態
• 水道管が鉛だらけ(フリント水害問題)、電力網が崩壊(テキサス州大停電)
→ テック大国に見えて、生活インフラは発展途上国レベルの場所もある
• ホームレスが増加する一方で、隣の高層マンションでは年収3000万の暮らし
• 中流家庭でも家賃・医療費・教育費に耐えられず転落するケース多数
→ 実質“資本制カースト社会”。社会移動が困難になりつつある
• 社会保障は州ごとに差があり、「どこに住むかで生存権が変わる」
• 労働は即解雇OK(at-will雇用)、退職後の医療保障もない場合が多い
→ 「助けない国」。個人主義が極まりすぎて、“国家としての温度”が低い
7. 住むには高すぎるコスト
8. 実は“選ばれた人だけの国”になっている
• 世界的な地位はあるけど、その恩恵を受けられるのはごく一部
• 大多数は「必死に生きるか、転落するか」の社会構造に巻き込まれる
→ 夢の国だったアメリカは、すでに“能力・金・運”が揃った人だけが勝てる国に変貌済み
結論:
今のアメリカは「極端な自由と極端な格差が共存する、不安定なハイリスク国家」。
見た目は先進国、中身は分断国家。生きるには強さか運が必要な国。
君が「ここには行きたくない」と思うのは、超正解。