はてなキーワード: コモリとは
制作側のアバターキャラ的な格好良さを持っているのってシャリアじゃなかった?キケロガの戦闘作画がなんだかんだで一番かっこよかったし。ガンダムよりかっこよかったよね実際…。
マチュやニャアンについては親の目線だったり、教師の目線だったり、大人として子供のお世話係をやり振り回されている側の目線を感じて、JK自身が思うJK像とは違うように感じた。
シュウジの描写が薄いのも、親の目線で「シュウジに夢中になってるウチの娘」的な距離感で見ていて、シュウジ本人の魅力を直接食らったとされる立場とはかなりの距離があるからじゃないかと思う。
「何がいいんだかわかんないけど、ウチの娘、K-POPのナントカいうメンバーに夢中なんだよなぁ…」的な。あくまでマチュとニャアンは夢中なようですという外野フィルター通すから、シュウジの魅力が視聴者には直に伝わってこない感じ。
そしてJKの描き方が本当に親から見た子供というか。タマキなんかマチュの存在にキャリアとか人生とか破壊しかされてない。エグい迷惑。でも親は娘が生きてるだけでいいと思っちゃって…というのは子供にとっての都合が良い描き方というより、親の自己憐憫というか自己陶酔に近いものを感じて。
タマキの反対の存在としてのシイコも…親に迷惑かけてると指摘するコモリも…地球で売春させられていて館に放火して憎悪の表情を見せた少女も。親が!娘を守ってあげてるんです!的な目線。そして、何が起ころうと親に対してとことん雑なマチュ。
高校生のワガママさ、思春期の厄介さをリアルに描きすぎると高校生には逆に飲み込みにくくないか?美化されてたほうがリアルな自分像に感じるものじゃないか?
やっぱり親目線が強いように思う。オタクはマチュがカバスの館でソープ嬢をする同人誌を夏コミで買うんだろうと思うけど、本編がそういう方向性だったかというと全くそんなことはなかったよね。館でおとなしく働くわけがない…シュウジを思い描いて客の股間を蹴飛ばして脱走するよあいつは。
若者に対する期待みたいなものはエグザベとコモリに向けられているように感じた。社会人3年目。メンタル安定しててよくできた連中。
エグザベはキシリアの兵士だったけどスパイに来たシャリアに懐いてしまっているし、コモリもめんどくさくない程度にシャリアに興味や配慮を向けてきて職場の華として丁度いい。
やっぱ本体シャリアなんじゃないすか?エグザベみたいな若者に敬意を払われたいし本気で慕われたい、あとコモリと付き合う体力なり結婚してやる責任感はないけど「うっすらとした興味や配慮」を向けられると「丁度いい癒し」になる。
マチュ目線の物語だったようには全然感じなかった。もうマチュの親の世代に目線がシフトしてしまっていて、ぬめりけのある期待は社会人3年目世代に向けられてる。ロリペド感が薄い。
もちろん視聴者側のオタクにはロリペドもいる(二次創作エロのマチュがおとなしすぎてエアプかお前?みたいなのもいる)けど、制作側の感じはリアルすぎるJKを親目線で見ちゃって、ロリペドみがなくなってるという風に思いました。
キスシーンとかもなんか…娘に「色気づくな」とか言わない、毒親じゃない、理解のある親が、娘が喜びそうなものをプレゼントした感じというか。なんだろ…、なんだろねえ…。
マチュとニャアンとシュウジとアンキーとジェジーとナブとコモリとケーンとポメラニアンとオリベとラシットとコワルとタンギとオシロとセファとベノワとアラガとラゴウチとタマキとボカタとワードとチャイチとマーコとドゥーとアサーヴとミゲルとヴァーニとカンチャナとレオとティルザとシイコの存在が消えて二度とガンダム関連に出てこなくなるエンディングが見たかったです
ブログに載せようかと思ってたけど上手くまとまらない駄文になってしまったからここで供養する。
まず先んじて述べておかなければいけないのは1stガンダムを見たことはあるがこれといった思い入れは無い。シャリア・ブルが1stのキャラであることを知らなかった(覚えていない)程度。そして、Z以降の宇宙世紀は見ていないので当然サイコガンダムやbeyond the timeが来ても驚きもクソも無かった。これらを踏まえて改めて言うまでもないがジークアクスの客層、ターゲットでない事は突き付けられている。
それでもあくまで主人公はマチュなので他の部分は切り捨ててマチュの物語として見ていた。そりゃアムロ、シャア、ララァとか分かるけど、ぶっちゃけこいつらの話はマチュの物語においてどうでもいい。問題は面白い面白くない以前にこの作品が何を描きたかったのか最後まで分からないまま終わってしまった事。正直この12話で何を見せられたんだろうってのが素直な感想。
ジークアクス全体的に言えることは結果は描く。でも、それに見合った、伴った中身は無い。納得するしないは抜きにして起こった出来事、結果から過程を想像、いや妄想するしかない。数学の虫食い問題の如くひたすら逆算させられる。
いきなり呼び方が変わったらその結果に至るまでの過程という理屈を埋める作業が求められる。だからこの作品において「そうであろう」が続く。本来はっきりさせておかなければいけない部分でさえ「そうであろう」で埋めるしかない。空白の大きさが異常。
全てをはっきりさせておく必要はない。しかし、一つきっかけでもいいから動機や心情は見せてくれないと分からない物は分からない。キャラが地に着いた感覚に乏しい。脚本のその舞台の都合で動いている言わされている様に見えてしまう。
ジークアクスで分からないのは描く気は無いが説明は無駄にする。しかも、キャラがキャラに向けてじゃなくて、その方向は視聴者に向けた物で無駄に尺を取って説明しやがる。存在意義が不明なコモリとか窓見てケツ向けてるだけのキャラの癖に全てを知ったかのように説明する(都合悪くなると逃げたけど)。てか、この説明って設定喋ってるだけで物語としては何にも動いてない。説明が増えた後半になるにつれシーンの切り替えが不自然になるのは収めるために躍起になった結果なのかな。
結果的に見れば1stの面々が掻っ攫っていったと表現するのが適切かもしれないけど、それを差し置いても何と言うか…言ってしまうと下手。クランバトルパートなんて結果成り行きでバトルするしか制約が無いのにあの描き方はそりゃ無いわと言わざるを得ない。こういう本来描くべき前半の何でもない日常ってツケじゃないけど積み重ねて後半に響いてくる遅効性な訳よ。でも、ジークアクスには響くはずだったものが見当たらない。
・無駄に良い4話
言っちゃなんだがこの回はジークアクスらしくない。ぽっと出の癖にバックグラウンドは無駄に鮮明でエピソードもちゃんとしている。無くても概ね問題がないであろうこの回が12話通して一番良かった。なぜそのエネルギーを主要三人に向けてやれないのか。
仮にジークアクスが全50話だったらこういう回があってもいい。一人のキャラクターの生き様を映し出して戦争の残り火を描くのはこの舞台であるなら十分意味がある。ただ、12話しか無いんだよ。しかもシャアで1.5話食ってる構成でこの回を挟む余裕は無かった。回というよりシイコがマチュと絡まない事が問題か。
つまるところこいつに帰結するのだがマチュもニャアンもシュウジに対する求心力が異様。所詮マクガフィンなら描写の無さも大きな問題にはならないけど、最後に色々関係してこいつの感情が地味に響いてくるからそう言い切れないのが難儀。
取ってつけたように説明してたけどそういうのは今までの描写があって機能するものだからな?まともに喋った場面もエピソードも無いだろ。
どさくさでキシリアも普通にいいやつムーブしてハッピーエンドの仲間入りすると普通に思ってたイッチです
キシリア様途中でニュータイプ感応の描写までしてたの伏線じゃなかったの?
ファーストからシャアに撃たれるのが強制力? それ言ったらジオンが連邦に勝利したの何でだよ
そもそもキシリアが大量死を選択するの自体、過去作が富野の芸風でそうなった以上の意味ないわけよ
実は主人公側が悪かったとか神ファミリー出てけ庶民ムーブとか宇宙消滅とかの「絶望した!人類の所業に絶望した!」芸風に飼い慣らされて、
大した理屈もなくノリで大量殺戮する登場人物が出てきても「まあ、トミノだし」と受け入れてきた流れを
そのへんスルーして「ララァ救われました!ハッピーエンド!」とか今どきやる?
マチュに形だけ今どきの子させて(実際は何も手出しさせず)今どきの若い子わかってますってやってても、何もアップデートされてない
コモリMSに載せろよ!ニャアンに「わたしよくわからなくて」とか言い訳させずヨゴレ仕事どんどんやらせろよ
アルテイシアにお姫様の格好させてハッピーとかどんだけコスモバビロニアよ
女性の神格化はどうしようもなく毎回ついてまわってたけど、それでも何とかバランス取ろうと四苦八苦してただろ
ジークアクス、富野女性はキツすぎて気に食わないからララァは王子様待ってるキャラで女の子らしくさせとこって、
どんだけ後退してんの
言いたいことは一つだ
シャア×シャリア、エグザベ×シャリア、シュウジ×マチュ、マチュ×ニャアン、エグザベ×コモリ、キシリア×ニャアン辺りのカップリングの二次創作を目にすることがあったけど、だいたい1000RPくらいを超えると引用やリプライに「幻覚」「違います」などの反応をつける人がいるんだよね。
もちろん解釈違い、好きではないカップリング、そんなもの本編に無かっただろというカップリング、合わない二次創作者の作風なんてのもあると思う。
でも普通はミュートやブロックで済ますくらいで、わざわざ作品を批判する引用やリプライを送る人が数えきれないほど大勢いる界隈なんて見たことがない。
「ガンダムで二次創作するのは初めてだけど凄いですね…」というポストをする絵師がいたり、絵を投稿するときはリプライ欄を閉じるようになっていたり。
ちょっと他ジャンルでは見たことがない状態になっていて驚いた。これが、カップリング二次創作文化がない宇宙世紀に余所者が踏み込むと生じる現象なんだ。
どういう理屈で動いてどういう理屈で説得されてるのかが曖昧で終わりなのはかなり減点
しょうもないバカな動機(現実世界のこじらせガノタが転生、程度の与太でいい)でも明示したほうがマシだった
キシリアの過去回想を挟む時間があったなら、その時間をシュウジに回すべきでは
なんとなくカッコつけたままにしときたかったなら、滑ってましたね
役割としては11話で勝手を抜かして終わりなので、正直12話まで生かしてたので生き延びるんかなと思ってた
(掘り下げなくても、この省略しまくり1クールアニメについてける視聴者なら勝手に察するレベルの内容)
ニャアンにサクッと殺させず12話まで引っ張った意味が原作準拠の殺し方に拘る以外なく、
そこに拘るなら適当に無視しまくってる他の要素(シャアがララァ庇って死ぬのだって大概な原作破壊)も
11話で理想を語ってんだから、そこはキシリアともキラキラしろよ
サイコミュ搭載機に乗ってるのが条件だとすると
ララ音が聞こえてるコモリ、キシリアもキラキラできたのでは(シイコはキラキラ会話できてたし)
キシリアがキラキラに参加したほうがもっとバカっぽく盛り上がれたなぁ
女性で特に実績ない(下手すると連邦でジオンと戦ってた経歴が暴かれる)セイラさんだと
木星で悟った割には執着ひどいっすね
エグザベくんがいいとこ見せるためのかませ?
普通に考えるとキシリア秘蔵っ子で軍事力として公式の場にカウントされ済みなので
テーマとしてニュータイプを中心に持ってきたわりに12話はだいぶ雑な扱いに
エグザベくんはこれまでのニュータイプ談義に参加してないため、どういうスタンスで議論参加したのか不明
それでシャリアを説き伏せる役は足りてない
どっかで1回でもシャリアかキシリアあたりとニュータイプ談義を前段として交わしとくべきでした
巨大化したときは「よし、このままイデ発動でマップ兵器で地球とか月とかコロニーとかバンバン大破壊だ!」と思ってました
大人しすぎでしょ……
これが大人ってことか……
・マチュが1ミリも会ってないカミーユやジュドーの幽霊を背負ってガンダムに突撃
キシリアがニャアンのことをジオン工科大に行きたがっている向学心のある娘と勘違いしていた節があり
実際は永住権が欲しいからその手段として考えていて、一応赤本は持ってるけど参考書は持ってないし、勉強なんかしたくないのはエグザベカーでの会話で判明していた
このシーンを軽んじていたけどニャアンって12歳で難民になってからろくに学校に行けてなくて、小学校中退みたいな学力なのかも
というか小学校が全壊して故郷が全滅しているので小学校の卒業に失敗したまんまみたいな感じ?
ジオン工科大の赤本を持っているっていうのが理系進学して就職安泰みたいな発想に基づいたものじゃなく、「アホだから大学の名前なんて『東大』一個だけしか知らない」みたいな状態だった説…?
エグザベは難民になってから拾われスクールに入るまでの空白期間がそんなになかったタイプで、ニャアンはがっつり空白で闇バイトで食いつないでいたのかもと思った
ニャアンが人とのかかわり方がおかしいのも、12~17歳まで同級生との交流がゼロで、マーコなどから仕事を請けるだけだったと考えるとなるほど…ってなる
ニャアン、なんか体形がシュッとしていてNT能力により本音を読み取った行動をとるからハッタリがきくというか、不当に頭が良さそうに見えているだけで、学力でいうと激ヤバなのかもしれない
キシリアに地球産の香水をもらったときも、キシリアはイオマグヌッソで地球を滅ぼしてもらう、それで地球産香水はもう生産できなくなる…ということを匂わせている
でも匂わせのようなコミュニケーションで、もしかしてなんにもニャアンに通じてなかった説…?
「へえ、廃盤になるのかな」「いい匂い~いかにも高そう~銃も𝓣𝓱𝓪𝓷𝓴 𝓨𝓸𝓾」で流されちゃってて、もう青葉区に向けて撃っちゃったんだけど自分が何やったかまったく分かってない説…?
なにがなんだかわかってないからためらいなく二発目も撃とうとした?てかキシリアのバカ、冷却が必要なことくらい教えてあげなさいよ!
ニャアンが毒ケーキ戦でエグザベに守ってもらえず自力勝利したときの勘の良さを見ると、ものすごく頭がよく見えてしまう
実際に向けられる悪意に敏感で、死の危険に敏感で、その場その場の判断で生き延びる知能みたいなものは突出して高い
でもそれ以外がメチャクチャな子なのかもしれない…割とアホで、その場ではスンとわかったふりしてて、コミュニケーション失敗したまんまみたいな子なのかも…
そういや闇バイトでも失敗して、次もしくじったらクビなとか言われてたな最初のほうで
こわ!ああいうしゃべり方をする、瘦せていて背が高い子って、しかも釣り目気味って、アホに見えない!もしかしたらアホかもしれないのに…!
マチュとニャアン、ペーパーテストしたら圧倒的にマチュのほうが点数高いんだろうな…!
っていうか女キャラ3人でペーパーテストしたら一番高い点数取るのコモリなのかな
本当にどうでもいいことだけど、コモリがマチュに勝って「コロンビア」のポーズをしてほしい
追記:
「ニャアンは衝動的に動くと自分にとってマイナスの結果になる子なんだろう」って逆の受け取られ方して衝撃
あとエグザベ君が「同期と一緒に新人を護衛する」っていう任務で「同期が新人を撃とうとしている」という状況にバグって同期を撃てなくて見ているだけの地蔵になっちゃったときにも、ニャアンがパッと動けなければニャアン死んでたと思うんですけど
これはエグザベ君批判ではなく同期と新人を天秤にかけさせられ一瞬の判断を強要されたエグザベ君に同情しています
言いたいことは全然逆で、一瞬の判断で自分が生き延びられるほうを選ぶセンスはあるけど、キシリア様に難しい単語で匂わせるように説得・懐柔を試みられてもニャアンには何も分からなくて通じてないのでは
キシリア様は生活苦の経験がないので、直近で生き延びられるほう的な感性の理解が浅いのでは、キシニャアってキシリアがニャアンを理解し懐柔しているようで、
あるいは「暗殺者に狙われてる仲間」として勘違いしたシンパシーをキシリアが抱いていただけで、お互い上級と下級すぎて話通じていなかったのではということです
毒ケーキ君がニャアンを射殺してたら、次のジフレドパイロット見つけるまでに時間がかかって、青葉区民は死んでなかったって話ならそう、だけどニャアンにとってニャアンが死んでる結果が一番マイナスの結果じゃないですか?
一番ニャアンにとってマイナスの結果を招いた可能性があるのは衝動的な動きというより「マチュとガンダムを捨てて逃げよう!」とシュウジに言った舌禍のほうじゃないですかね
これらのことから、本作は伝統的なカップリングの成立を徹底的に避け、登場人物の感情の「一方通行性」や、対話の欠如をテーマとして描いていることが伺えます。
ほかのガンダムは見てないから「ジークアクスのキシリア様」しか知らない立場で言う。
ニャアンの視点ではキシリアが「私だけを守ってくれる殺人鬼」なんじゃないかってこと。
エグザベは「ミゲルと僕でニャアンを暗殺から守る」と言った。護衛の任務を引き受けた組織人としての言動。そしてミゲルがニャアンの命を狙っているとなったとき、エグザベは長年の付き合いがある同期のミゲルを撃てなかった。
人として当たり前の感覚であるとはいえ、ニャアンを暗殺から守れていないので言行不一致ではある。ニャアンは結局、逃げ回ってジフレドを起動して、自分でミゲルを殺した。
キシリアは側近のアサーヴを躊躇なく射殺した。兄を毒殺した。
感覚の正常さの話をするなら、エグザベがまともでキシリアは異常だ。
しかしニャアンは異常なキシリアのほうにシンパシーを覚えているし、自衛を理由として殺人を行えることをお互いに肯定しあっているのがキシリアとニャアンの関係だ。
ニャアンを迎え入れたときにキシリアがアップルパイを手作りしていたのも妙ではあったが、10話ではお互いにバスローブ姿で暗い私室でニャアンの髪を梳いてやっており、明らかに上司と部下としては異常な距離感だった。
女性同士の正常な距離感として、コモリ&マチュのほうは対比のように健全に描かれていると思う。コモリのジャージセットはレギンスも一式に含まれているが、マチュに貸しているのはレギンスを除いた上下だ。
レギンスは微妙に下着に近くて、貸すのも借りるのも抵抗がある。でもジャージ上下なら学校での忘れ物でも貸し借りしていたレベルで、異性ならイヤだけど同性ならまあいいか、となる。激重感情や共依存の波動を全く感じない。
これに対してバスローブ…。同性だからこんなものだとは言えない。明らかに距離がおかしい。
キシリアが男であれば、周囲からニャアンはキシリアの愛人と噂されていてもおかしくないだろう。キシリアが男の噂がない人物であれば、同性愛関係と勘繰る人間がいてもおかしくない。
排他的な関係である。長くキシリアの部下をつとめた兵士たちをごぼう抜きしてニャアンが特別に取り立てられ、一人だけ私室に招かれているとなると、キシリアの兵士たちのなかでニャアンが浮くこともあるだろう。
ニャアンはコミュニケーション能力が低く、キシリアから直の特別扱いを受けている新人ということでほかの兵士たちから距離を置かれたりすれば、いよいよ孤独になりやすい。ニャアンに友達ができないことは、キシリアによるグルーミングの効果を高めることにも繋がる。
そして、キシリアの父から渡された銃という「一点物」をニャアンに贈るということ。
大きな窓がある超高級物件に住まわせるのも、地球産の超高級香水を与えるのも特別感は非常に強いが、キシリアが金持ちであるため数人に対して並行して同じことをやれるかもしれない。
家族にまつわる「一点物」を貰うというのは、確実に「私は特別」という扱いの証明になる。
躊躇なく人を殺す異常な人間が、自分だけを特別扱いして優しくしてくれる。「私だけを守ってくれる殺人鬼」…。
ニャアンは言葉ではないところで悪意を感じ取る。ミゲルがエグザベに声をかけたセリフが「同伴出勤か?」というからかいの言葉であったが、これはキャバクラ用語であり、ニャアンをエグザベに買われているキャバ嬢扱いするような非常に失礼なジョークである。
エグザベは同伴出勤という言葉そのものを知らなかったのか、スルーしていた。ニャアンもスルーしている。しかし、「嫌な匂い」としてミゲルの悪意や見下しをこのときから感知していたのではないか。
レオレオニ博士が「女が権力を握るとすぐこれだ!」と吐いた、その言葉自体もニャアンは聞き取っていないだろう。しかし「嫌な匂い」を感じ取って即座に博士を攻撃し殺害している。
逆に、悪意を察知できないのがエグザベである。エグザベは公式スタッフからも善良でピュアなキャラクターであると評されているらしいが、
実際にサイド6の軍警が自分を殺そうとしていることも察知しておらず、射殺されるギリギリのところで空から面白登場をしたシャリアに助けてもらっている。
自分自身の悪意がなく(ぽっと出のニャアンに一瞬で抜かされたことへの嫉妬心もゼロ!)、他者からの攻撃性や悪意にも鈍感で、
自分が殺されそうであってもギリギリまで気づけない。「自分の命を最優先で先制攻撃」とは真逆のようなマトモさだ。だから自分の命もニャアンの命も守れない。
エグザベはピュアで、穢れた知識ベースが皆無であることによって、毒殺の前に「キャバ嬢扱い」のような侮辱からもニャアンを保護できない。
エグザベの物語は最終回まで引っ張られることはなく、次回のシャリア戦で回収されるのではないかと期待している。
エグザベはどうもニャアンの物語においては「シュウジとキシリアは素敵、マチュは本物、エグザベは駄目」という比較下げ役割で使われてしまっているように見える。
実際、精神的に不安定な人が期待に応えてくれる一方をちょっと気味が悪いほどに上げ、期待に応えてくれない一方を下げ、という極端な評価をするのはよくある話ではある。
エグザベが主体となるテーマでの重要人物はシャリアだろうと思える。シャリアにとっての重要人物はシャアであり、なかなか面白い。
そして当初の話に戻ると、マトモなエグザベを対比とした「私だけを守ってくれる殺人鬼」としてのキシリア様という描き方は非常に面白い。
善良でまともな組織人だからこそ守ってくれなかったエグザベには拒絶反応を示し、身を守る武器とニャアンを全肯定する思想を与えてくれるキシリアとの近すぎる関係に心酔していたニャアンは、キシリアの指示通りに大量破壊兵器を起動して大量虐殺の実行役となった。
キシリアがニャアンを懐柔して利用していると捉えるか、キシリア自身も家族同士殺し合いをしていて常に暗殺の危険がある環境で病んでおりニャアンとの共依存の関係になっていると受け取るかは視聴者によるだろう。
個人的には、キシリアがニャアンを道具として軽視していればニャアンは「嫌な匂い」として感じ取るはずなので、キシリア自身も病んでニャアンに依存していると解釈している。
「私だけを守ってくれる殺人鬼」を求めるタイプは、共依存を求めた病んだ人間なのではないかと思う。
殺人鬼はまともではない。不安で病んでいる人間が、まともではない殺人鬼との共依存関係を求める。
キシリアとニャアンが刺さるのも病んだ人間だと思う。「私だけを守ってくれる殺人鬼」はすべての女性が求める理想像ではない。女性が不安になり病んだ状態になるとこういう関係を求めがちという、傾向のひとつだと思う。
追記:激重女女関係として捉えてはいるがニャアンの恋愛感情はシュウジに向かっていると解釈しているよ。クラバでワケワカになって殺人して、シュウジを盾にまでしたのを「どっちのニャアンも好き」と肯定してもらっているし。それにジークアクスのコックピットから吐き出されて生身で吹っ飛ばされ死の恐怖を覚えたときに、シュウジは受け止めてくれたし。(というかなんでパイロットを吐くんだよ。腕が出てきてマチュを抱きしめることといい、自我が強すぎるだろジークアクス)あとは好きな男がいる異性愛者の女だからこそ、エグザベ(他意なし)に対する拒絶が「は?彼氏面キモいんですけど?」的な自意識過剰になるんじゃないかとも思っている。つかどうなるんだろうな三角関係のエンディング。ジークアクスの自我がシュウジでしたってのならニャアンを吐いてマチュを抱きしめてるからシュウジ×マチュエンドなんだろうし、シュウジが元々ゼクノヴァの向こう側の平行世界の住人でトラブルによってこっちに来てるせいで住所不定無職でしたので本来の世界に帰るのが願いなんですってことなら、マチュもニャアンも振られてヤケクソカラオケエンディング映像に繋がるだろう。個人的にはマチュの勝ち!ってやるより両方振られたほうが爽やかな後味だと感じるけど、まあ、どうなってもいいか。