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はてなキーワード: 自己陶酔とは

2025-11-16

anond:20251116111723

以下、「なぜ読んでキモく感じるのか」を文章技法・態度・認知スタイル観点から冷静に分解して説明します。政治的立場とは無関係に、あくま文章として不快感を生じさせる要因を分析しています

✅ なぜこの文章は「キモい」と感じられるのか?

① 読者を見下す“上から目線”が常に挿入される

文章全体に「お前は分かってない」「俺だけ分かってる」という態度が織り込まれていて、読者が自分攻撃されているように感じやすい。

例:

• 「知らなかった?」

• 「もう国民の2割とは話通じないよな」

• 「何が聞きたかったのかねえ?」

• 「はてサ知的水準

→ 読者への敵対性・蔑視が強い。

→ “知識を語っている”というより“マウントをとっている”ように読める。

② 「〜なんだよ」「〜だよね」などの馴れ馴れしい語尾

一見カジュアルだが、断定+馴れ合いの組み合わせで不気味な上から目線になる。

例:

• 「してないんだなあ」

• 「何も困ってないんだよ」

• 「詰んでないんだなあ」

→ この語尾は“説明”ではなく“人格マウント煽り”に聞こえやすい。

③ 「本題は…」と何度も読者を誘導する“講釈師ムーブ

自分のペースで相手を引っ張ろうとする文章は、読む側からすると意図的操作されているような感覚になって不快になる。

例:

• 「本題は〜だ」

• 「という、前フリである

→ 読者は勝手に“演出”されている気分になる。

④ 会話調なのに一切キャッチボール意思がない

対話文風の独白」のため、

しゃべりかけているのに実際は聞く気ゼロというズレが気持ち悪さを生む。

例:

• 「知らなかった?」

• (実際は答えを求めていない)

→ “対話フレームに見せた独白煽り”という構造不快感の根源。

自分の論を補強するために“他者全体を粗くまとめて侮蔑

敵役を作って殴ることで、自分の正しさを演出するタイプ文章

例:

• 「ニホンサヨク

• 「はてサ知的水準

• 「こいつらも何も困らない」

→ 雑に攻撃する相手を大量に想定する文章は、読者まで巻き込まれたように感じて不快

⑥ 一貫して“自分だけ真実が見えている”系の語り

文章全体が“俺だけが真実理解している”というトーンで統一されている。

例:

• 「現実が共有できない」

• 「もう、見えてる現実が違うんだよなあ」

典型的な「啓蒙ムーブ」になり、ナルシスティックな印象を与える。

文章目的が「説明」ではなく「優越感の演出

内容そのものより“態度”が前面に出ており、

読者は情報ではなく筆者の妄想自己像を見せつけられる構図になる。

🧩 まとめると

この文章キモく感じる理由は、

✔ 読者を下に置く

✔ 馴れ馴れしいが冷たい口調

対話しているようで独りよがり

✔ 敵を粗くまとめて侮蔑

✔ 「俺だけわかってる」マインド

の組み合わせで、自己陶酔+マウンティング文章になっているためです。

もし希望があれば

• この文章を“キモくない書き方”にリライト

• 逆に“さらキモくする”バージョン

• どこをどう直せば読みやすくなるかの添削

などもできます

2025-11-03

はてブまじで大丈夫か?

もはや知的風土の焼け跡になっている。

根拠のない怪文書を前にしてまるで神託を受けたかのようにコメントする光景が広がっている。

あれを真に受けるのはもはや愚かとかじゃなく病気に近い。

匿名投稿を「内部告発」と信じ込み「これは氷山の一角だ」とか言い出す。氷山なんて最初から存在しない。あるのは誰かが暇つぶしに作った氷の模型だけ。

だがブクマカは目を輝かせて「真実を見つけた」と騒いでる。救いがない。

嘘松マジレスしてるやつはまだ健全だ。他愛のない日常の話なら釣りでも笑えればいい。

しか実在団体を名指しで吊るし上げるような怪文書を「ついに暴かれた」と信じて拡散するのは、もう人災と言うしかない。

ブクマカは「自分正義側」と思っているが、事実やっていることは偽情報の撒き散らしへの加担。あれほど危険自己陶酔もない。

そのブクマカたちが普段は「メディアリテラシー」「情報の裏を取れ」とか講釈垂れてると言うのがまた凄い。

普段賢者ムーブが一瞬で剥がれ落ち、怪文書を前にして感情だけで動く。自分たちがカルトに片足突っ込んでる自覚もない。

考えているフリをしながら、賢そうな言葉を並べ、適度に怒って、安心する。

現実を見ず虚構に酔う姿はもはや情報空間の癌だ。

誰かが火をつけて情報吟味しない者たちが燃料を注ぐ。その煙でまともな言葉が見えなくなっていく。

本気で問いたい。ブクマカまじで大丈夫か?

2025-10-31

人でなしは悔悟するか

例えばウクライナ・ブチャで女児を犯して殺して地下室に投げ入れた兵士は(どうせ当人もとっくに使い捨てられてこの世にいないのだろうが)、自分のやったことを思い出して後悔しなかったのだろうか。

そういうムチャクチャ虐殺行為というのは強烈な殺意や血の酩酊の狂乱の中で行われるのではなく、疲れた頭で投げやりにダラダラと行われる。

モノクロ集団銃殺映像。撃たれるために壕の中に進む大勢女子供監視役の(そして実行役の)兵士たちは盛り上がらないイベント会場の群衆バイト係員のようだ。

間違いなく兵士たちはあんまり何も考えてない。思考停止して冷酷な殺人ロボットに成り切ろうとしてるとかではなく、タイミーバイトみたいに「ダリーな。でもまあちゃっちゃと片付けないと」としか思ってないだろう。

宝飾店を営む家に押し入り、家人拷問して一生寝たきりにしたトクリュウのガキがなんか「俺みたいになるな」みたいな安い反省文を書いて文才が地頭がとX民に絶賛されていた。

そうやって過剰な反省ポーズに酔うことで自分を誤魔化すこともできる。

そもそも罪悪感は、他人に責められるまでは眠っているものだという。

人間他人を踏みつけても自分はそんなに痛くない。だからこそ“ついつい”レベルでどんな残虐なこともやってしまう。自分から、生きるに差し支えるような悔恨に駆られるほど人間は“人間的”ではないという。

しかやってる時は大して何も考えてなかったり、自己陶酔材料にしたり、記憶を捻じ曲げて合理化するとしても、それで一生OKなのかどうか。

子供を殺した感触、何の恨みもない相手の頭蓋を割った感触を時折まざまざと思い出すことはないのか。あるいはその事実認識しているのに、自分が本当にその時何を考え何を感じていたか曖昧になり、今現在自分が何ものかわからなくなったりしないのか。

そして、自分根底から価値根無し草のような存在に思えて不安に苛まれる事はないのか。

(明らかに自分に非があって謝れないのってむしろそういうことなのでは。最後ダメ押しになってしまうから

都合の悪い記憶を脇に押しやり切り捨てようとしても、それは自分の身を切り捨てて小さく削れていくような気がしないのか。

フィクションでは、そういう身を切るような悔悟描写はゲップが出るほどありふれてる。でもそいつらほぼ間違いなく、法はともかく俺は許すぜと観客が思うような、やむにやまれぬ成り行きで人殺して、それなのに自発的にめちゃくちゃ悩んでるというナイスガイなんだよ。

あるいは反省挙句ノミトンネル掘って諸々チャラになりましたとか、宗教に目覚めたりとか。

またあるいは本当に獣欲に手足がついただけのモンスターも稀には実在する。「血と骨」の親父みたいな。

そんなんはどうでもいいんだ。

聖人モンスターのことはどうでもいい。

単に命令されたからとか誰も見てないからとか私利私欲のために他人地獄の苦しみを与えた人でなしが(あるいは、ある意味ではひどく凡庸人間が)、本当に何を考えて、そのあとの人生を送るのかが知りたいんだ。

自分自分を罰したいと思うことがあるのだろうか。

パフォーマンスでなく、誰にも知られない場所で「自分のような人でなしにはこのくらいの罰がふさわしい」とひとり腹切り刻んで苦しみ抜いて果てたやつがいたとしても、わからないのだが。

私はむしろ人でなしのひとりとして同類の声が聞きたい。あるいは人でなしに人生をゆがめられた人が「人でなしが本当に考えること」に触れて何を思うか知りたい。

もちろんここでじゃないよ。これは長いメモ

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

罪と罰」読んでないがあらすじとコミカライズは読んだ。結局追い詰められてゲロするわけだが法的な裁きを受ける受けないの話はどうでもいいのである。大虐殺の実行者も命令者も往々にして何の罪にも問われない。そのうえで何を思うかあるいは思わないか

「撫順帰り」とかで人でなしの大反省文がいくらでも読めるが、あまりにも政治的汚染されている。全部嘘だとか事実だとかいう話はしていない。

戦争体験を語り継ぐ戦後文化の中で再構成され奇形進化した“芸能”に興味はない。

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https://anond.hatelabo.jp/20251031081717

2025-10-29

子供詩人しろ

やべーネタポエム書ける父とやべーネタポエム書ける母

それぞれ強い自己陶酔癖があって自覚無し

それぞれ倫理観が欠如しており嘘や隠し事が得意

  

傑物と傑物のインブリード

3人産めば1人は父母を越えた怪物になるはず(大谷理論

   

お前は天才を産み落とすために生まれてきたんだ

https://anond.hatelabo.jp/20251029155445

2025-10-22

オッス、オラ現実主義者

まずな、国旗損壊罪が当たり前って言ってる人間を「ボケナス右翼」と切って捨てる前に、最低限の社会構造くらい理解してから言えよ。

お前の言う「多くの人の気持ちを踏みにじる権利」ってやつは、確かに理屈の上ではある。だがそれは、あくま社会が前提として共有している価値観の中での“グレーゾーン”を歩く自由であって、なんでもかんでも好き放題やっていい免罪符じゃない。

例えばお前の家の前で、知らん奴が延々とお前の親の遺影燃やしてたらどう思う?

それ見て「多くの人の気持ちを踏みにじる自由がある」とか言って笑ってられるのか?

そこに感情がある限り、社会一定の秩序を守るために線引きをする。国旗損壊罪はその線の話をしてるだけで、思想統制でもなんでもない。

外交的理由がどうとか言ってるけど、もっと単純だよ。

国旗ってのは国家象徴であり、そこに暮らす人々の集合的自己表象なんだよ。

それを意図的に踏みにじる行為は、単なる「表現」じゃなくて「挑発」。

ヘイトスピーチ差別的暴言と同じ構造にある。

まり社会コスト自覚した上でやるならいいけど、表現自由って旗印のもとに無限免罪を主張するのはただの自己陶酔だ。

しかも、「右のポリコレ」みたいなワード悦に入ってるけど、そもそも左側のポリコレ文化煽りまくって「表現自由」を武器にしてきたのは誰だったっけ?

都合が悪くなると右も左もない、ただのポジショントーク

表現自由を守るってのは、「自分の気に入らない奴を殴るための自由」じゃなく、「お互いに殴られないためのルールを守ること」なんだよ。

まりだ、国旗損壊を表現自由として擁護するってのは、

社会契約の上に立ってる自由を、自分破壊してるようなもんだ。

そのうち誰もお前の「表現」なんて聞かなくなる。

だって、それは思想でも芸術でもなく、ただの破壊衝動からな。

anond:20251022080501

2025-10-16

自己放尿とか言う造語作ってウダウダと長文を偉そうに書く癖に、名指ししたらダンマリゴミ

こうやって喧嘩売っても無視してんなぁ?

チキン野郎が!

自分が難癖つけられる隙見つけたらウキウキしながら自己陶酔した長文つけてきやがって

不快なんだよゴミクズ

おい喧嘩売ってんだからなんか言えや

てめえも放尿する人生なんだよ!いつか痴呆になってみっともなくしょんべん漏らす耄碌ジジイになる人生

チキン野郎!なんか言いてえならこうやって俺が喧嘩売ってる投稿に長文つけてみろや!

出来ねえくせによお

チキン野郎だもんなあ!!

2025-10-14

ここ数日の政局最高に楽しい

解党的出直しが、モノの例えじゃなくて本当にそうなりそうで面白い

普段からヤバい早苗ちゃん総裁就任ハイで、党内に対しても公明党に対しても強気強気で最高。

カルト教団といっしょで困難が多いほど本人たちは気持ちよくなっちゃうから塩対応されても説教されても火に油なんだろうな。

これが最初から過半数握ってりゃ、過半数を維持しながらとかスケベ心がでるけど、元々議席が少ないから、失うものも少ないしな。

思う存分に暴れて、「憂国烈士の私がいじめられてる!でも負けない!」と自己陶酔してもらいたい。

2025-10-07

本当に人生で初めてレベルガチギレしてる。

なんでキレてるかって言うと、ナメられたから。

ももちろん、ナメられたからっつってブチギレるやつのほうが悪いのは知ってる。だからいままで多少ナメられたなと思っても、雑魚が粋がってんなーとしか思っていなかった。

ただ今回は、雑魚が俺の魂にツバ吐いてきた。こんなんさっすがにキレなあかん

ただ私たち社会というものをみんなで話し合って築き上げてきたのです。相手に悪意敵意があるのならばともかく、価値観なんてひとそれぞれなのですから、受け流していればいいじゃありませんか。

だってそう思っていました。もちろんもちろん。

かなり他人自由を許すほうなので、気に入らんやつやけどまあそういう人もおるわな、で済ましてきました。

ただ今回はそういうのの許容量を超えた侮辱に感じたんです。

これを世の人は偏屈だと見下すでしょう。

それにいっちばん本当にムカついてるんだということに気づきました、て話を今日はしたいね

俺は生きづらさを抱えてる。みんな抱えてるのも知ってる。だからお互い相手のそういうところは逆撫でしないように、思いやりを持って言葉をつかおうね。そういう約束だったじゃないですか。

なんで自分が良かれと思ってやったことでこんな揚げ足取られて未熟者みたいな扱いされなきゃいけないんですか。

なんで遅刻してきたやつにタメ語経験マウント取られながらあんたが気持ちよくなってんの見なきゃいけないんですか。

こうやってすべての具体的な事情を書き連ねて、貴方がたを道連れにすることもできます。でもまだしません。めんどいから

いえ違います、大切な奴らに迷惑をかけたくないから。

まず俺は居場所を守りたい。そのうえで嫌いな奴らの顔は見たくない。

なんでみんなうまくやれてるの?ここのところを。

結局ここのコンプレックスが僕の生きづらさなんです。傷なんです。そこに冷たい言葉を投げかけたんですあいつらが。ナメられたんです侮辱されたんです。

他人の痛みはわかりません。これは本当に凄いことです。私たちは互いの痛みをほんとうの意味ではわかってあげられないんです。だからみなさんが事の顛末を聞いても、まあそんな怒ることでもないんじゃない?って言うかもしれません。

共感ポイントはいくつかあったけどね、まあ君も余裕がない時期だからさ、なんか奢るからここは丸く収めようよ。俺お前らが仲悪くなるの見たくないよ。

同じコミュニティの大好きなやつが、最上級言葉でこれを言ってくれると思うんです。でもそれでも本当に許せない。「これくらいのナメられかたはキミ、そりゃ最初若いんだから当たり前だよ。まあキミも早くこっちに来れるように頑張りな」的な感覚が、根強く残ってる。それは社会前進させる考え方だからそれがマジョリティになるのは仕方ないと思うんです。僕だってそんな世界に期待して怒ってるんじゃないんです。それが有害で、俺の魂を汚して、時間を奪って、大切な奴らも見下された。それが許せない。

そんで俺が今回思ったのは、マジでこのまま引き下がるのは悔しすぎる。だからこの怒りを表明したいんだけど、それって社会人としてどうなん?と。

でもそうやって生きづらい人間たちの心のよわーいところをエグラれる社会が続いてきたんやと思います

から俺だけはブチギレなきゃなと思った。うん決めた、今度あったときブチギレます!ただ迷惑かけんようにしたい。味方を作ってどうにかします。

そのうえで、これはめちゃくちゃ恥ずべきことだというのは自分もわかってなきゃいけない。この出来事を俺が武勇伝みたいに語りだしたら終わり。逆に言えば、今回だけはマジで身内に知られんならここまでやったるわってとこまで行ける。

そんなんしていいの?良くないです。さすが!

というところを揺り動いてる。

俺はこの話を本当に信頼できる第三者親友一人だけに相談していて、そいつはお前の気持ちもわかるけどお前じゃないからわかんないって感じだった。そいつバカじゃんとは言ってた。マジで思う。そんで俺だけ知ってるセクハラ現場もあって、あいつ俺が叱ったら蹴ってきやがった。大好きな先輩だから見逃しちゃってたけど、あんときもっと真剣に付き合いを考えるべきだった。

かなしいよ、なんで信頼できる人が信頼できない人になっちゃうんだ。あんたも生きづらくて俺も生きづらくて、それをちょっとずつだけ共感し合えるから仲良くやれてたのにさ、なんでいま俺の味方してくれないんだよ。お前が俺のことナメていいわけないだろ。おまえモテへんのほんまコンプレックスからしょうがないなって許してきただけやで。言わすなやこんなん。お前俺から手出さへんおもてるやろ。

ちょっと待ってください!物騒な人間だと思わないでください。本当に手は出しません。ただこう言われてビビるやつなんです。絶対に俺に勝てないくせに、蹴ってくる。俺何回も蹴られてます。さすがにやばすぎん?

あとこれ証人を探すのとかなんでこっちがやらなあかんねん。まあいいや。要はそんなやつがナメて来たみたいな事情もある。でもここにあった絆とかもすっごいんです。そんなん各々あるよね。

そうやって好きな人がまた嫌いな人に変わっちゃってさ。俺やっと世の中とうまくやれるようになってきたと思ったらまた生きづらさを自覚させられてさ。生きづらさってポップに言ってますけど、もっとえげつないですよね。

お前は正常じゃないよって目で見られる感覚。いまこれを読む人も、俺のこと狂人満月に当てられとるわくらいに思ってぜんぜん取り合ってくれないかもしれないっていう感覚

好きな人たちとの関係を守るために、侮辱された自分感情なんて目をつむっちゃいなよ。それでみんなうまくやってんだからさ。

俺はもうその時点で俺はみんなちゃうんや、と思った。

しかしたら逆に、このへんでわかるわかるーってなってる人が出てくるのも怖い。たぶんその人は俺達を傷つける側。

いやーちょっと時間おいてみたけど改めてムカついてきたわ。本当にムカついてしょうがない。真に怒ったときって腰の上のあたりの筋肉露骨ジンジンあったまりだす。こんなの初めて知りました。マジで体幹スプリングをいつでもフルで使えるように準備してる。マジで飛びかかる5秒前。

これを病気だって言われるのとかホント最悪ですよね。それを俺に伝えてなにがしたいの?あなた気持ちよくなって、私は惨めな気持ちになって、あなた治療を手伝ってあげた気になって、私は考えたくないことに思考を割かれて。は?お前が気持ちいいだけやん。これ、言われてもどゆこと?て顔する奴らが多いんです。多い気がするんです。いやそんなことないはず、本当はみんなもうちょっとムカついてるんちゃう?と正直思ってる。

これを暴力にするのは絶対良くない!ダメです皆さんそのとおり。あいつ俺蹴っとんがな。は?

大切な奴らを失望させたくないからもちろん手は出さない。自分コンプレックスとか後ろめたさとかどうしようもない惨めな気持ちとかを無理やり思い出させられました悔しいですって表明する権利くらいはあってもいいやん。でもそれすら、結局中身を細かく伝えても本当に心のどの部分で傷ついてるのかなんてこっちだってわかってない。この気持ちどうすればいいの?なんでこっちがそんなん考えなあかんねんまず。

本当は自己陶酔してぜーんぶぶちまけて本当に大切な一人の親友だけ確保しながらこれまでのコミュニティみたいに手放して自己嫌悪冷笑の隙間にロマン探しに行きたい。それを我慢しなきゃなって理性が言ってくれてて、耐えられてる。でももうその時点で俺らしさを我慢させられちゃってるもんね。

これ本当に孤独ってこういうことなのかもしれないな。マジで最終的にはひとりだ。そんなんも普段は思い出さなくていいのにさ、こんなことで突きつけられるなんて。本当に悔しい。大好きな場所だったのに、しかもいま大切な時間なのに。あいつらは幸せになるんだろうな。まあそうやって無自覚他人を見下して気持ちよくなって、いつか生まれるお子さんからうっすらきっつーって思われながら最後までなんもわから子ども一生物コンプレックスをいくつもいくつも彫りつけて過ごしてくださいね。お幸せにー!

いやあかん子どもがかわいそうや。でも実際どうにもできないんです。僕だって誰かの心の傷をえぐってるときがあると思います。いやめちゃくちゃあるはず。

でもそれを許し合ってるのは、ラインを保ってるからでしょ。お互いを尊重し合うっていう。何を先に入っただけで偉そうに言うてきてんねん。先輩にそれ言うか?これ当日いったらヘラヘラするんやろうなーあいつ。

そんなやつが俺のことナメてきた。あいつら金もらってて、ボランティアの俺が善意提案したことを僕はケツふきませんみたいな顔で指示だけ出して、全部お前が気持ちいいだけでプラスになってへんねんアホ。

ごめん。本当に許せなくて。おまえの子どもかわいそうだけど、こっちがどう努力したってお前は子どもコンプレックスを作るタイプだよね。それだけ。

いや本当はオダウエダのYoutubeとか見てたかった。それだけなのにノンデリカシーは突然やってくる。ノンデリカシーっていうのもちゃうねんな。自分気持ちよくなるために他人否定的言動をぶつける人。でも俺よりみんなに信頼されてて、向こうもそういうのわかってて思いやりのラインを一段下げていいと思ってる。さすがにそうやと思います。そうじゃなくて先輩にも同じこと同じ口調で言うんやったらそれはサイコパス的なあっぱれのやつだからこっちが悪かったって思うわ。逆にそんなんは寄り添えるのよ。そんなんお前はせんよな?俺が後輩やから思いやりが足りんかったよな?それで俺がいっつもみんなと必死で話を合わせながらどうにか仲間の輪に入ってることとか、実際出来事としてそんなに深刻じゃないけどそれゆえに悲劇にもできないどろどろ残った自分の触れてほしくないところにお前らは触れたんや。そんでお前らはいパートナーの方々とぐっすり寝てるんかも知らん。その人は大丈夫だよな?自分がたまに無自覚に下げてしまう思いやりのライン無意識に下振れることなんてないもんな?そこら辺今まで上手くやってきたから、自分はちょうどいい具合に善良なやつやから好きな人を傷つけるなんてゼロにはできなくてもまあそれなりに信頼し合えるいい関係で老後を迎えられるかな、よな?は?お前みたいなやつが身内にトラウマ刻んで刻んで相手のせいにしながらおっちゃんなってくねん。覚悟しとけよ。いまほんまに呪いをかけてる気持ちなんです。この感情って不思議ですよね。

だって相手が不幸になってもこっちはまあ得がないわけですよ。すっきりするってだけ。ただ結局共存はできない。俺が去るか、あんたらが去るか。俺はできれば去りたくない。じゃあもう追い出すしかないのかもね。そういう手段として、相手下品な部分を自覚させる。こんなんやりたくないよそれこそ。あんたたち苦しいだろうし。でももしょうがないのよ、あんたたちのこと思いやって俺がこの居場所で毎回ちょっと居心地悪いなんて嫌だ!それを幼いと否定する社会が嫌だ。

からすまんな。最後までヘラヘラしとるんやろうなこれ聞いてもな。頼むから来年から来ないでくれ。

本当はこんな事考えながら行きたくないねん。ほんま最悪。ひとりずつ味方を作っていくしかないな。最終的には、こうやって自暴自棄にならずに、でも諦めずに声を上げるということが大事だと学びました。

でもそんなんは俺に余裕があるときに来てくれっちゅうねん。いまこれのために使ってる心身のリソースめちゃくちゃもったいない。これで俺の本職の方のプロジェクトダメになったら本当に法に訴える方法探しちゃう。てかそうやん最終まじで訴えればいいのか。この文章があれば被害者の受けた侮辱感情仕事にまで影響出てることが立証できませんか?まあでもそんなんで損害賠償されても何も嬉しくない。

悔しい悔しい。自分の惨めな境遇も突きつけられて、ナメた態度取られて、厄介者諌めるみたいなかんじで裏で話を回し始めて、きしょすぎるやろ。これ実際問題ちゃん説明するとちゃん問題になるし、ちゃん説明しないとマジでおれが大好きな居場所を失う。でももう大好きな気持ち自体を傷つけられちゃった気もする。こうやってスパスパ人を切っていく自分みたいなのも思い出させられて。自分が変なキレ方してるのはわかる。あなたは初めてこういう変を見たかもしれませんが、こっちは何十年もこの変なんです!変だから直したらいいよ。それを言われ続けて一個一個直してきて、もうちょっと残ってる弱いところをいたぶられて傷ついたのがこっちの幼さのせいみたいにされて。

結局俺の人生って意味はいまはもう本業に集中するしかしゃーない。明日の朝から、この件で脳のリソースわずかでも奪われないように、自分を殺してがんばります自分を殺して頑張る時間を作らせた奴らをいったん忘れます

もっと人生大事もののために時間を使います。この件は信頼できるやつに愚痴るにとどめて、笑い話にして心を落ち着かせます。そんなことできるかアホ。友達バカにされとんねん。

ということで穏便な着地が見つからなくなっちゃった!

まあでもこうやって書くの大事だわ。自分正当化する説明がだいぶ見えてきた。流石にあれは失礼かつ有害すぎ、て結構わかってくれる人出てくるはず。

でも俺はそんなんしても別に心のえぐれは元に戻らないからな。ほんとうはそれをやっちゃわないように人間って大切に大切に言葉を選んで使うんじゃないの?あんたらだよおかしいのは。さすがにそうだって思ってる。

俺も同じことやることになっちゃうんだよなたぶん。相手じゃなくて自分気持ちをどうにかするために喋るしかない時間ができてしまう。それで相手が傷つくことを無視してしまう。いやだよ。いやだからみんなやんないんだよ。ふたりもやりたくなかったと思う。でも今回はもうやっちゃってる。だめだ。

まじでこんなんで生活リズム乱されたのとかほんまにちゃんお金取れへんのかな。正当な権利な気がしてきた。調べてみます

こういうのがあったらでもさ、みんなにとってこのイベントが気まずいものなっちゃうやん。それはでも俺は信じるしかない。俺はいなくなりたくない。みんなでうまい具合に新しいコミュニティの形を作り上げていくことはできる気がする。俺はそこでめちゃくちゃ浮くやろうけどもうしょうがない。ちょうどボロが出てきた時期やったし。まあ浮きながらお互い楽しくやろなでギリどうにかなってほしい。

うわーこんなこともあるんだな。人間関係のもらい事故。お互いにね。

明日の俺、本業頑張れよ。みんな、気が向いたら俺の味方寄りのマインドで呪ったり祈ったりしていただけると助かるっす。

おやすみなさい。

2025-10-06

写真トレース自画自賛絵師をどう見るか

ちょっと写真トレースしただけで『江口寿史の絵なんて簡単だよ』と言い放つ――そんな頭のおかし絵師をどう思いますか?」

かに滑稽です。

しかし、これこそが絵師という人種の一面でもあります

自分が絵の才能に溢れていると信じ込めるからこそ、自らのSNS、Xに絵を晒すことができるのです。

「私は天才だ!」と思いながら自由に筆を動かし、その能天気さがかえって魅力的な作品を生むこともあります

実際、そういう作品からは、作者が自分の絵を心から愛しているのが伝わってきます

ただし、多くの場合自己陶酔型の絵師画力が低いです。

技術マスターする努力をせずに手癖の延長で描いてしまうから。。

そうこうしてうちに、やがて彼らは一つの壁に突き当たります「え?私の絵は、そんなに上手くない???」という自覚です。

ここで逃げずに、描き続けられるかが分かれ道。

自己陶酔だけで走り続ける者は、技術が上がりません。

対して、壁を直視し、自らの未熟さを受け入れて努力を続ける者だけが、本当の画力を身につける

結局、絵を上達させるのは適度な自信と、同じくらいの謙虚さを併せ持つ者です。

2025-09-28

吐き気を催す「流行

最近流行りの映画TVシリーズときたら、中身がないどころではない。

あれは世界全体の価値観コンパスが壊れ、社会が完全にサイコ化した結果の、汚らしい産物だ。

自己陶酔的な映像の垂れ流しは、もはや自己放尿レベルの、どうしようもない醜態だ。

いや、制作者と視聴者がお互いの糞尿を讃え合うダブル放尿の図、と言い直すべきか。

我々が今消費している「エンターテイメント」は、人間の業社会矛盾をえぐり出すどころか、三つの致命的な病に侵され、脳味噌が腐った結果の映像化だ。

一つ目の病、そして最も悪質な癌細胞は、「ポリティカル・コレクトネスポリコレ)」が逆差別権化へと変質したことだ。

かつては「不当な差別是正する」という建前だったものが、今や「差別者(白人男性とされる)を罰する」という集団リンチの道具に成り下がった。

物語における「公正さ」は、冷徹ロジック真実の追求ではなく、「弱者定義されたグループを常に善とし、それ以外のグループを悪役、愚者、あるいは無能として配置する」という、幼稚で露骨な加点・減点法に置き換えられた。

その結果、何が起きるか。ストーリー必然性キャラクター有機的な成長は無視され、配役や設定がまず「ポリコレチェックリスト」によって決定される。

優秀でカリスマ的なリーダーは、特定マイノリティから選ばれなければならない。従来の主人公像、例えば白人男性などは、無能な脇役か、過去の過ちを悔い改める象徴としてしか描かれない。

これは、物語の毒気を抜いたのではない。物語のものを、政治的プロパガンダの道具として捻じ曲げ、特定の層への「逆差別」を公然と行うという詐欺行為だ。

この歪んだ手法の結果、生み出されるキャラクターステレオタイプ正義感にまみれた、薄っぺら張りぼてとなり、観客の心に響くはずがない。

二つ目の病は、世界規模の承認欲求暴走であり、三つ目の病は社会全体のサイコ化だ。

コンテンツは、「誰かに褒められるため」に設計された空虚パッケージと化した。深みも葛藤も、真の痛みもない。

あるのは、「私たちは正しい」という安っぽい自己満足だけだ。さらに、この感情の鈍麻したサイコ時代では、人々は感情機微ではなく、過剰な暴力や極端な設定というジャンクフード的な刺激を求める。

ポリコレという名の検閲棒で殴られ、創造性を失った制作者は、その空虚さを埋めるために、表層的なショックや混乱を物語にぶち込む。

しかし、根源的なテーマを欠いたその刺激は、一過性目眩ましでしかない。

2025-09-22

anond:20250922133245

おいおい、馬鹿みたいな味方のフリして煽るのマジでキモすぎw

見てるこっちからしたら、ただの寒い悪あがきにしか見えんわ。

安全から他人を叩いて悦に入ってるだけで、しかもそれを味方のフリでごまかそうとしてるとか、頭おかしいだろw

そんな痛い演技して満足できるなら、もう自分内面の寂しさと向き合えやw

周りから見たらただの自己満足自己陶酔で、正直見てて滑稽すぎるわw

優越感に浸りたいなら、わざわざそんな痛い芝居せずに、他の方法でやれってのw

そんなんで周りを煽っても、信用も信頼も何も築けねぇぞw

2025-09-17

クリエイター推し友達、全員「バズり」に寝取られて病む

 長年創作活動趣味にしているが、「バズりたい」という感覚マジでからない。

 

 まず、俺が誰からも注目されず相手にされず流行りについていけないのは前提なので、落ち込む理由にはならない。誰からも期待されず好きなときに好きなように作品を作り、たまたま通りかかった中にときどき、作品メッセージ真剣に読み取ろうとしてくれる人や、楽しんでくれる人がいる。

 十分ハッピーだ。これ以上の幸せはないと思う。

 

 それに、酸っぱい葡萄と言われればそれまでだが、「バズった」ところで金以外に何か得があるか?

 アンチが沸き、ゾンビが沸き、よく知りもしない奴から急に馴れ馴れしく話しかけられ批評され消費され、フリー素材のオモチャ扱い。自称知識人からはただ「流行り物」というだけで唾を吐かれ、ほとんどの人間作品が何を伝えたいのか真剣に考えすらしない……。

 ちょっと想像しただけでも幸せになれそうなビジョンほとんど浮かんでこない。全く羨ましくならない。

 

 もちろんこれは俺の考え方が著しく歪んでいるだけで、「バズること」を目標に日々活動しているクリエイター否定するつもりも、貶めるつもりも全くない。むしろ俺は彼らを尊敬している。

 たとえ承認欲求を満たす為だとしても、ひとりよがりになりがちな創作活動において、自分客観視し、他人のための努力ができるというのは素晴らしいことだ。アートだって突き詰めればコミュニケーションだし、より多くの人に伝え届けるために上を目指して試行錯誤した者こそが報われて大成すべきだと思う。

 そもそもどんなモチベーション創作していようが出来上がる作品とは無関係なので、「バズりたい」という願望があなたの力になっているなら、ぜひ胸を張って堂々と「バズること」を夢見て頑張ってほしい。

 

 話が逸れた。

 バズりたい、もっと人気になりたい、それ自体別にいいんだ。ピンとはこないが理解したいと思う。敬愛するクリエイター達には夢を叶えて幸せになってほしいから。

 

 ただ、それで病んだ奴の言い分が気に入らない。

 

 今いるのが創作界隈の中でも週2くらいで揉め事炎上が起こる限界部落な上、俺自身がこんな性格なので、変な言い方だが、俺は付き合う奴はかなり慎重に選ぶようにしている(大勢とうまくやっていけるほど器用じゃないという方がでかいが……)。

 おかげさまで鍵垢で繋がっている相互は皆、炎上騒ぎに動じることのない思慮深さと分別を持ち、ストイックに界隈のトレンド創作活動と向き合い、素晴らしい作品を生み出す、クリエイターとしても友人としても尊敬できる人達ばかりだ。

 そんな人達でも病む。

 そして決まってこういうことを言う。

 

「誰にも見てもらえない」

「どんなに頑張っても報われない」

自分作品必要とされていない」

 

 ふざけんじゃねえよ。

 この俺が好きだっつってんだろうが。

 お前の作品は最高で、お前は天才だって何回言えばわかるんだクソッタレ

 

 順番が前後したが、そんなことになる随分前から、俺は相互に「作品が好きだ」ということは欠かさず伝えてきたつもりだ。本当に、本当に手を替え品を変え再三伝えた。いいね拡散コメントファンアート二次創作、俺も自分作品生活があるので24時間365日とはいかないが、ファンとして友人として、やれることは全てやったと断言できる。作品ハッシュタグを賑わせ、オリジナルグッズを出し、コラボ作品でそこそこ権威のある賞も取った。お前らあとほかに何が足りないんだ?

 そういうことじゃないんだろうなとは重々承知の上だが、思わずはいられない。「誰にも」って何だ? 俺のことは見えていないのか?

 

 お前らや世間の皆様がどうなのか知らないが、俺はな、お情けや社交辞令二次創作ができるほど暇でもお人好しでもないんだ。本当に心からお前らの作品が良いと思ったか自主的にやってんだよ。お前らの作品世界観理解深めて二次創作に活かすために、俺新しく習い事始めたんだぞ。お前らの作品は人ひとりの人生を変えてるんだ。めちゃくちゃ凄いことだろうが。堂々としててくれよ、俺が惚れ込んだクリエイターなんだから

 そもそも俺がこんな治安の悪い界隈に来たのだって、お前らの作品に憧れたからなんだよ。どうしてくれるんだよ俺だけ残っちゃって。

 

 無論、俺の感情人生や尽くした労力がどうかなんて、悩める彼らには何の関係もない。彼らが足りないと言うなら足りないし、報われていないと思うなら報われていないし、不幸だと感じているなら彼らは不幸なのだ

 可哀想だ。助けてやれるもんなら助けてやりたい。

 信じてもらえないかもしれないが、これでも俺は相互の良きファン、良きライバル、良き友人でありたいと思っている。彼らの求めているもの、大切にしている価値観理解尊重したい。

 だが正直なところ、俺に共感できない問題相互が次々と病んで消えていく現状にかなり参っている。少しでも気を抜いたら「お前の価値理解しない有象無象クズどもとこの俺とどっちが大事なんだ」と、一昔前のめんどくさい彼女みたいな台詞叫びながら胸ぐらを掴みそうだ。

 

 どうしてやればいいんだ? 俺は。

 俺がもっと数字を持っている有名インフルエンサーになればいいのか。

 あるいは俺の行動や存在自体が彼らのプレッシャーになっていて、俺は今すぐ全てのファン活動を辞めて彼らの前を去るべきなのか。

 どちらも根本的な解決にはならない気がする。いや、まず他人の抱えている悩みを俺一人がなんとかしよう、できるという考え自体傲慢なのは間違いないのだが。

 

 俺はたぶん、側から見れば、世間の「バズりたい」クリエイター達が「そうできたらいいだろうが、そんなもの綺麗事理想論だ!」と声高に叫んでいる「綺麗事理想論」にそこそこ近いメンタリティ創作をやっているんだと思う。この増田共感されないだろう。(実際相互創作趣味の人と話していても、「純粋創作を楽しんでいる俺さんと違って周りを気にする惨めな自分…」みたいな自己陶酔のダシにされているのを露骨に感じることがある。正直けっこう不快だ。俺を鬱シコのズリネタにするんじゃねえよと思う)

 ただ、そこは仕方がない。創作活動モチベーションというテーマにおいて、マイノリティは俺だ。

 

 だからこそ教えてほしい。承認欲求を拗らせているクリエイターに対して、無名個人ができることは何なんだろうか?


 ……蛇足ながら最後愚痴らせてほしいんだが、俺だって別に承認欲求がないわけではない。不特定多数に期待しない分、「たまたま好きになってくれた最初の数人」に死ぬほど依存しているだけだ。

 つまり相互が病んで活動していない今、メチャクチャモチベーションが下がっている。 困る。

 誰だよ「みんな」って……

 思い通りの反応してくれない奴らのことなんか放っとけよ、俺がいるんだから俺で良いじゃん……

 前みたいに俺と遊んでくれよ……

2025-09-16

クリエイター推し友達、全員「バズり」に寝取られて病む

 長年創作活動趣味にしているが、「バズりたい」という感覚マジでからない。

 まず、俺が誰からも注目されず相手にされず流行りについていけないのは前提なので、落ち込む理由にはならない。誰からも期待されず好きなときに好きなように作品を作り、たまたま通りかかった中にときどき、作品メッセージ真剣に読み取ろうとしてくれる人や、楽しんでくれる人がいる。

 十分ハッピーだ。これ以上の幸せはないと思う。

 それに、酸っぱい葡萄と言われればそれまでだが、「バズった」ところで金以外に何か得があるか?

 アンチが沸き、ゾンビが沸き、よく知りもしない奴から急に馴れ馴れしく話しかけられ批評され消費され、フリー素材のオモチャ扱い。自称知識人からはただ「流行り物」というだけで唾を吐かれ、ほとんどの人間作品が何を伝えたいのか真剣に考えすらしない……。

 ちょっと想像しただけでも幸せになれそうなビジョンほとんど浮かんでこない。全く羨ましくならない。

 もちろんこれは俺の考え方が著しく歪んでいるだけで、「バズること」を目標に日々活動しているクリエイター否定するつもりも、貶めるつもりも全くない。むしろ俺は彼らを尊敬している。

 たとえ承認欲求を満たす為だとしても、ひとりよがりになりがちな創作活動において、自分客観視し、他人のための努力ができるというのは素晴らしいことだ。アートだって突き詰めればコミュニケーションだし、より多くの人に伝え届けるために上を目指して試行錯誤した者こそが報われて大成すべきだと思う。

 そもそもどんなモチベーション創作していようが出来上がる作品とは無関係なので、「バズりたい」という願望があなたの力になっているなら、ぜひ胸を張って堂々と「バズること」を夢見て頑張ってほしい。

 バズりたい、もっと人気になりたい、それ自体別にいいんだ。ピンとはこないが理解したいと思う。敬愛するクリエイター達には夢を叶えて幸せになってほしいから。

 ただ、それで病んだ奴の言い分が気に入らない。

 今いるのが創作界隈の中でも週2くらいで揉め事炎上が起こる限界部落な上、俺自身がこんな性格なので、変な言い方だが、俺は付き合う奴はかなり慎重に選ぶようにしている(大勢とうまくやっていけるほど器用じゃないという方がでかいが……)。

 おかげさまで鍵垢で繋がっている相互は皆、炎上騒ぎに動じることのない思慮深さと分別を持ち、ストイックに界隈のトレンド創作活動と向き合い、素晴らしい作品を生み出す、クリエイターとしても友人としても尊敬できる人達ばかりだ。

 そんな人達でも病む。

 そして決まってこういうことを言う。

「誰にも見てもらえない」

「どんなに頑張っても報われない」

自分作品必要とされていない」

 ふざけんじゃねえよ。

 この俺が好きだっつってんだろうが。

 お前の作品は最高で、お前は天才だって何回言えばわかるんだクソッタレ

 順番が前後したが、そんなことになる随分前から、俺は相互に「作品が好きだ」ということは欠かさず伝えてきたつもりだ。本当に、本当に手を替え品を変え再三伝えた。いいね拡散コメントファンアート二次創作、俺も自分作品生活があるので24時間365日とはいかないが、ファンとして友人として、やれることは全てやったと断言できる。作品ハッシュタグを賑わせ、オリジナルグッズを出し、コラボ作品でそこそこ権威のある賞も取った。お前らあとほかに何が足りないんだ?

 そういうことじゃないんだろうなとは重々承知の上だが、思わずはいられない。「誰にも」って何だ? 俺のことは見えていないのか?

 お前らや世間の皆様がどうなのか知らないが、俺はな、お情けや社交辞令二次創作ができるほど暇でもお人好しでもないんだ。本当に心からお前らの作品が良いと思ったか自主的にやってんだよ。お前らの作品世界観理解深めて二次創作に活かすために、俺新しく習い事始めたんだぞ。お前らの作品は人ひとりの人生を変えてるんだ。めちゃくちゃ凄いことだろうが。堂々としててくれよ、俺が惚れ込んだクリエイターなんだから

 そもそも俺がこんな治安の悪い界隈に来たのだって、お前らの作品に憧れたからなんだよ。どうしてくれるんだよ俺だけ残っちゃって。

 無論、俺の感情人生や尽くした労力がどうかなんて、悩める彼らには何の関係もない。彼らが足りないと言うなら足りないし、報われていないと思うなら報われていないし、不幸だと感じているなら彼らは不幸なのだ

 可哀想だ。助けてやれるもんなら助けてやりたい。

 信じてもらえないかもしれないが、これでも俺は相互の良きファン、良きライバル、良き友人でありたいと思っている。彼らの求めているもの、大切にしている価値観理解尊重したい。

 だが正直なところ、俺に共感できない問題相互が次々と病んで消えていく現状にかなり参っている。少しでも気を抜いたら「お前の価値理解しない有象無象クズどもとこの俺とどっちが大事なんだ」と、一昔前のめんどくさい彼女みたいな台詞叫びながら胸ぐらを掴みそうだ。

 どうしてやればいいんだ? 俺は。

 俺がもっと数字を持っている有名インフルエンサーになればいいのか。

 あるいは俺の行動や存在自体が彼らのプレッシャーになっていて、俺は今すぐ全てのファン活動を辞めて彼らの前を去るべきなのか。

 どちらも根本的な解決にはならない気がする。いや、まず他人の抱えている悩みを俺一人がなんとかしよう、できるという考え自体傲慢なのは間違いないのだが。

 俺はたぶん、側から見れば、世間の「バズりたい」クリエイター達が「そうできたらいいだろうが、そんなもの綺麗事理想論だ!」と声高に叫んでいる「綺麗事理想論」にそこそこ近いメンタリティ創作をやっているんだと思う。この増田共感されないだろう。(実際相互創作趣味の人と話していても、「純粋創作を楽しんでいる俺さんと違って周りを気にする惨めな自分…」みたいな自己陶酔のダシにされているのを露骨に感じることがある。正直けっこう不快だ。俺を鬱シコのズリネタにするんじゃねえよと思う)

 ただ、そこは仕方がない。創作活動モチベーションというテーマにおいて、マイノリティは俺だ。

 だからこそ教えてほしい。承認欲求を拗らせているクリエイターに対して、無名個人ができることは何なんだろうか?


 ……蛇足ながら最後愚痴らせてほしいんだが、俺だって別に承認欲求がないわけではない。不特定多数に期待しない分、「たまたま好きになってくれた最初の数人」に死ぬほど依存しているだけだ。

 つまり相互が病んで活動していない今、メチャクチャモチベーションが下がっている。 困る。

 誰だよ「みんな」って……

 思い通りの反応してくれない奴らのことなんか放っとけよ、俺がいるんだから俺で良いじゃん……

 前みたいに俺と遊んでくれよ……

2025-09-09

朝どっかのIT社長自分はこうならない、とか紹介してたIT企業社長離婚した話が1個目の半分くらいか自己陶酔型文面にかわり、だんだん修飾過多で話の筋道がぐちゃぐちゃになった文章を読んだせいで今日1日気分が悪い。

だれがいいねを押したのか知らんがfor youさないで欲しい。

2025-09-07

anond:20250905054532

私の世界は、丁寧に、そう、まるで細胞の一つ一つにまで神経を行き届かせるようにして磨き上げられた、半径およそ十メートルほどのガラスの球体であり、その球体の中心には、世界のすべてであり、法であり、そして揺るがぬ神であるところの、生後六ヶ月の息子、光(ひかる)が、ただ健やかな呼吸を繰り返している。その完璧な球体を維持すること、それこそが水無月瑠璃(みなづき るり)、すなわち三十一歳の私に与えられた唯一にして絶対の使命であったから、私は今日もまた、タワーマンション二十八階、陽光白磁の床にまで染み渡るこのリビングダイニングで、目に見えぬ埃の粒子と、あるいは時間という名の緩慢な侵食者と、孤独な、そして終わりなき闘争を繰り広げているのであった。北欧から取り寄せたというアッシュ材のテーブルの上には、一輪挿しに活けられたベビーブレスの、その小さな白い花弁の影さえもが、計算され尽くした角度で落ちており、空気清浄機は森の朝露にも似た清浄さを、ほとんど聴こえないほどの羽音で吐き出し続け、湿度計のデジタル表示は、小児科医が推奨する理想の数値、六十パーセントを寸分違わず指し示しているのだから、およそこの空間に、瑕疵という概念の入り込む余地など、どこにもありはしなかった。かつて、外資系コンサルティング会社で、何億という数字が乱れ飛ぶ会議室の冷たい緊張感を、まるで上質なボルドーワインでも嗜むかのように愉しんでいた私自身の面影は、今やこの磨き上げられたガラス窓に映る、授乳のために少し緩んだコットンのワンピースを着た女の、そのどこか現実感を欠いた表情の奥に、陽炎のように揺らめいては消えるばかりであった。

思考は、そう、私の思考と呼んで差し支えるならば、それは常にマルチタスクで稼働する最新鋭のサーバーのように、光の生存に関わる無数のパラメータによって占有され続けている。次の授乳まであと一時間二十三分、その間に終わらせるべきは、オーガニックコットンでできた彼の肌着の煮沸消毒と、裏ごししたカボチャペーストを、一食分ずつ小分けにして冷凍する作業であり、それらが完了した暁には、寝室のベビーベッドのシーツに、もしかしたら付着しているかもしれない、私たち世界の外部から侵入した未知のウイルスを、九十九・九パーセント除菌するというスプレー浄化せねばならず、ああ、そういえば、昨夜翔太が帰宅時に持ち込んだコートに付着していたであろう、あの忌まわしい杉花粉の飛散経路を予測し、その残滓を、吸引力の変わらないただ一つの掃除機で完全に除去するというミッションも残っていた。これらすべては、愛という、あまり曖昧情緒的な言葉で語られるべきものではなく、むしろ生命維持という厳格なプロジェクト遂行するための、冷徹なまでのロジスティクスであり、私はそのプロジェクトの、唯一無二のマネージャーであり、同時に、最も忠実な実行部隊でもあった。誰がこの任務を私に課したのか、神か、あるいは生物としての本能か、はたまた「母親」という名の、社会発明した巧妙な呪縛か、そんな哲学的な問いを発する暇さえ、このシステムは私に与えてはくれなかった。

である翔太は、疑いようもなく、善良な市民であり、そして巷間(こうかん)で言うところの「理想の夫」という、ほとんど神話上の生き物に分類されるべき存在であった。彼は激務の合間を縫って定時に帰宅すると、疲れた顔も見せずに「ただいま、瑠璃。光は良い子にしてたかい?」と、その蜂蜜を溶かしたような優しい声で言い、ネクタイを緩めるその手で、しかし真っ先に光の小さな体を抱き上げ、その薔薇色の頬に、まるで聖遺物にでも触れるかのように、そっと己の頬を寄せるのだ。週末になれば、彼はキッチンで腕を振るい、トマトニンニク匂いを部屋中に漂わせながら、私や、まだ食べることもできぬ光のために、絶品のペペロンチーノカルボナーラを作り、その姿は、まるで育児雑誌グラビアから抜け出してきたかのように、完璧で、模範的で、そして、どこか非現実的ですらあった。誰もが羨むだろう、この絵に描いたような幸福風景を。友人たちは、私のSNS投稿される、翔太が光をあやす姿や、手作り離乳食が並んだテーブル写真に、「理想家族!」「素敵な旦那様!」という、判で押したような賞賛コメントを、まるで祈り言葉のように書き連ねていく。そう、すべては完璧なのだ完璧なはずなのだ。このガラスの球体の内部では、愛と平和と秩序が、まるで美しい三重奏を奏でているはずなのだ

――だというのに。

夜、ようやく光が天使のような寝息を立て始め、この世界のすべてが静寂という名の薄い膜に覆われた頃、ソファで隣に座った翔太が、労わるように、本当に、ただ純粋愛情と労いだけを込めて、私の肩にそっと手を置く、ただそれだけの、あまりにも些細で、そして無垢行為が、私の皮膚の表面から、まるで冷たい電流のようにして内側へと侵入し、脊髄を駆け上り、全身の毛穴という毛穴を、一斉に収縮させるのである。ぞわり、と。それは、神聖な祭壇に、土足で踏み込まれときのような、冒涜的な不快感であった。あるいは、無菌室で培養されている貴重な細胞のシャーレに、誰かが無頓着なため息を吹きかけたときのような、取り返しのつかない汚染への恐怖であった。彼の指が触れた肩の布地が、まるで硫酸でもかけられたかのように、じりじりと灼けるような錯覚さえ覚える。私は息を止め、この身体が、この「水無月瑠璃」という名の、光のための生命維持装置が、彼の接触を、システムに対する重大なエラー、あるいは外部からハッキング行為として認識し、全身全霊で拒絶反応を示しているのを、ただ呆然と、そして客観的に観察していた。

「疲れてるだろ。いつも、ありがとう

翔太の声は、変わらず優しい。その瞳の奥には、かつて私が愛してやまなかった、穏やかで、そして少しだけ湿り気を帯びた、雄としての光が揺らめいているのが見える。それは、私を妻として、女として求める光であり、かつては、その光に見つめられるだけで、私の身体の中心が、熟れた果実のようにじゅくりと熱を持ったものだった。だというのに、今の私には、その光が、聖域である保育器を、ぬらりとした舌なめずりをしながら覗き込む、下卑た欲望眼差ししか見えないのだ。許せない、という感情が、胃の腑のあたりからせり上がってくる。この、二十四時間三百六十五日、寸分の狂いもなく稼働し続けている精密機械に対して、子を産み、育て、守るという、この宇宙的な使命を帯びた聖母に対して、己の肉欲を、その獣のような本能を、無邪気に、そして無自覚にぶつけてくるこの男の、そのあまりの鈍感さが、許せないのである

ケダモノ

その言葉が、私の内で、教会の鐘のように、低く、重く、そして厳かに反響する。そうだ、この男はケダモノなのだ。私がこの清浄な球体の秩序を維持するために、どれほどの精神を、どれほどの時間を、どれほどの自己犠牲にしているのか、そのことを何一つ理解しようともせず、ただ己の種をばら撒きたいという原始の欲動に突き動かされているだけの、ただのケダモノなのだ

そんなはずはない、と、脳のどこか、まだかろうじて「かつての私」の残滓が残っている領域が、か細い声で反論を試みる。これは翔太だ、私が愛した男だ。雨の匂いが充満する安ホテルの、軋むベッドの上で、互いの名前を喘ぎ声で呼び合いながら、世界の終わりが来るかのように貪り合った、あの夜の彼なのだパリへの出張中、セーヌ川ほとりで、どちらからともなく互いの唇を求め、道行く人々の冷ややかな視線さえもが、私たちのためのスポットライトのように感じられた、あの瞬間の彼なのだ結婚記念日に、彼が予約してくれたレストランの、そのテーブルの下で、こっそりと私のスカートの中に忍び込んできた、あの悪戯っぽい指の持ち主なのだ。あの頃、私たちは互いの肉体という言語を、まるで母国語のように自在に操り、その対話の中に、世界のどんな哲学者も語り得ないほどの、深遠な真理と歓びを見出していたはずではなかったか。あの燃えるような記憶は、情熱の残骸は、一体どこへ消えてしまったというのだろう。それはまるで、昨夜見た夢の断片のように、あまりにも色鮮やかで、それでいて、掴もうとすると指の間から霧のように消えてしまう、遠い、遠い銀河の光なのである

瑠璃…?」

私の沈黙を訝しんだ翔太が、私の顔を覗き込む。私は、まるで能面のような無表情を顔面に貼り付けたまま、ゆっくりと彼の手を、自分の肩から、まるで汚物でも払いのけるかのように、そっと、しかし断固として取り除いた。そして、立ち上がる。

「ごめんなさい。少し、疲れたみたい。光の様子を見てくるわ」

それは、完璧な嘘であり、そして、完璧真実でもあった。私は疲れていた。だがそれは、育児という名の肉体労働に疲れているのではなかった。私という個人が、水無月瑠璃という一個の人格が、「母親」という名の巨大なシステムに呑み込まれ、その歯車の一つとして摩耗していく、その存在論的な疲弊に、もう耐えられなくなりつつあったのだ。これは、巷で囁かれる「産後クライシス」だとか、「ホルモンバランスの乱れ」だとか、そういった便利な言葉で容易に片付けられてしまうような、表層的な現象ではない。違う、断じて違う。これは、一個の人間が、その魂の主導権を、自らが産み落とした別の生命体に完全に明け渡し、「装置」へと、あるいは「白き機械」へと、静かに、そして不可逆的に変質していく過程で生じる、存在のものの軋みなのである

聖母、とはよく言ったものだ。人々は、母という存在を、無償の愛と自己犠牲象徴として、何の疑いもなく神格化する。だが、その実態はどうか。自己を失い、思考も、肉体も、感情さえもが、すべて「子」という絶対的な存在奉仕するためだけに再構築された、ただのシステムではないか。私は聖母などではない。私は、高性能な乳製造機であり、汚物処理機であり、そして最適な環境提供する空調設備が一体となった、ただの生命維持装置に過ぎないのだ。この気づきは、甘美な自己陶酔を許さない、あまりにも冷徹で、そして絶望的な真実であった。そして、この真実を共有できる人間は、この世界のどこにもいやしない。翔太のあの無垢な優しさでさえ、結局は、この優秀な装置が、明日も滞りなく稼働し続けるための、定期的なメンテナンス作業しか見えないのだから、その孤独は、宇宙空間にたった一人で放り出された飛行士のそれに似て、どこまでも深く、そして底なしであった。友人たちがSNS投稿する「#育児は大変だけど幸せ」という呪文めいたハッシュタグは、もはや、この巨大なシステムの異常性に気づいてしまった者たちを、再び安らかな眠りへと誘うための、集団的自己欺瞞儀式しか思えなかった。

寝室に入ると、ベビーベッドの中の光は、小さな胸を穏やかに上下させながら、深い眠りの海を漂っていた。その無防備な寝顔は、確かに、この世のどんな芸術品よりも美しく、尊い。この小さな生命を守るためならば、私は喜んで我が身を投げ出すだろう。だが、それは、この身が「私」のものであった頃の話だ。今の私にとって、この感情は、プログラムに組み込まれ命令遂行しているに過ぎないのではないか。愛でさえもが、システムを円滑に稼働させるための、潤滑油のような機能に成り下がってしまったのではないか。そんな疑念が、毒のように心を蝕んでいく。

私は、息子の傍らを離れ、再びリビングへと戻った。翔太は、ソファの上で、テレビの光をぼんやりと浴びながら、所在なげにスマートフォンをいじっている。その背中は、拒絶された雄の、どうしようもない寂しさを物語っていた。かつての私なら、きっと背後からそっと抱きしめ、「ごめんね」と囁いて、彼の寂しさを溶かしてやることができただろう。しかし、今の私には、もはやそのための機能が、インストールされていないのである

私は、彼に気づかれぬよう、書斎として使っている小さな部屋に滑り込んだ。そして、ノートパソコンの冷たい天板に触れる。ひやりとした感触が、指先から伝わり、かろうじて、私がまだ血の通った人間であることを思い出させてくれるようだった。スクリーンを開くと、真っ白な光が、闇に慣れた私の網膜を焼いた。カーソルが、無人荒野で、点滅を繰り返している。何を、書くというのか。誰に、伝えるというのか。この、言葉にもならぬ、システムの内部で発生したエラー報告を。この、機械の内部から聞こえてくる、魂の悲鳴を。

それでも、私は指を動かした。これは、誰かに読ませるためのものではない。これは、祈りでもなければ、懺悔でもない。これは、私という名の機械が、自らの異常を検知し、その原因を究明し、あるいは再生可能性を探るために、己の内部へとメスを入れる、冷徹自己解剖の記録なのだ

真っ白な画面に、私は、震える指で、最初言葉を打ち込んだ。

『これは、私という名の機械が、自己を観察し、分解し、あるいは再生を試みるための、極秘の設計図である

その一文を打ち終えた瞬間、私の内側で、何かが、硬い音を立てて、砕けたような気がした。それが希望の萌芽であったのか、それとも、完全なる崩壊への序曲であったのか、その時の私には、まだ知る由もなかったのである。ただ、窓の外で、東京夜景が、まるで巨大な電子回路のように、無機質で、そして美しい光を、果てしなく明滅させているのが見えた。私もまた、あの無数の光の一つに過ぎないのだと、そう、思った。

自己機械定義たからには、次なる工程は当然、その性能向上のための最適化、あるいは、旧弊OSから脱却するための、大胆にして静かなるアップデート作業へと移行せねばならぬのが、論理的な、そして必然的帰結であった。そう、これは革命なのだと、私は深夜の書斎で、青白いスクリーンの光に顔を照らされながら、ほとんど恍惚とさえいえる表情で、そう結論付けたのであった。かつてロベスピエールが、腐敗した王政ギロチン台へと送り、新しい共和制の礎を築かんとしたように、私もまた、この「母親という名の献身」や「夫婦の情愛」といった、あまりにも情緒的で、非効率で、そして実態としては女の無償労働を美化するだけの前時代的な概念を、一度完全に解体し、再構築する必要があったのだ。そのための武器は、かつて私が外資系コンサルティングファームで、幾千もの企業相手に振り回してきた、あの冷徹ロジックと、容赦なき客観性という名のメスに他ならない。愛という名の曖昧模糊とした霧を晴らし、我が家という名の王国を、データタスクリストに基づいた、明晰なる統治下に置くこと、それこそが、この「水無月瑠璃」という名の機械が、オーバーヒートによる機能停止を免れ、なおかつ、その内部に巣食う虚無という名のバグ駆除するための、唯一の処方箋であると、私は確信していたのである

かくして、週末の朝、光が心地よい午睡に落ちた、その奇跡のような静寂の瞬間に、私は翔太をダイニングテーブルへと厳かに召喚した。彼の前には、焼きたてのクロワッサンと、アラビカ種の豆を丁寧にハンドドリップで淹れたコーヒー、そして、私が昨夜、寝る間も惜しんで作成した、全十二ページに及ぶパワーポイント資料印刷したものが、三点セットで恭しく置かれている。資料の表紙には、ゴシック体の太字で、こう記されていた。『家庭内オペレーション最適化計画書 Ver. 1.0 〜共同経営責任者(Co-CEO体制への移行による、サステナブル家族経営の実現に向けて〜』。翔太は、そのあまりにも場違いタイトルを、まるで理解不能な古代文字でも解読するかのように、眉間に深い皺を刻んで見つめた後、恐る恐る、といった風情で私に視線を向けた。その瞳は、嵐の前の静けさにおびえる子犬のように、不安げに揺れている。まあ、無理もないことだろう。彼にしてみれば、愛する妻が、突如として冷酷な経営コンサルタントに豹変し、家庭という名の聖域に、KPIだのPDCAサイクルだのといった、無粋極まりないビジネス用語を持ち込もうとしているのだから

瑠璃、これは…一体…?」

説明するわ、翔太。よく聞いて。これは、私たち家族が、これから幸せに、そして機能的に存続していくための、新しい聖書バイブル)よ」

私は、そこから淀みなく、プレゼンテーションを開始した。現状分析As-Is)、あるべき姿(To-Be)、そのギャップを埋めるための具体的なアクションプラン家事という、これまで「名もなき家事」という名の混沌の海に漂っていた無数のタスクは、すべて洗い出され、「育児関連」「清掃関連」「食料調達調理関連」「その他(消耗品管理資産管理等)」といったカテゴリーに分類され、それぞれに担当者と所要時間、そして実行頻度が、美しいガントチャート形式可視化されている。例えば、「朝食後の食器洗浄」は、担当:翔太、所要時間:十五分、頻度:毎日、といった具合に。さらに、月に一度、近所のカフェで「夫婦経営会議」を開催し、月次の進捗確認と、翌月の計画策定を行うこと、日々の細かな情報共有は、専用のチャットアプリで行うこと、そして何よりも重要なのは、これまで私一人が暗黙のうちに担ってきた「家庭運営の全体を俯瞰し、次の一手を考える」という、いわば管理職としての役割を、これからは二人で分担する、すなわち、彼にもまた、単なる作業員(ワーカー)ではなく、主体的思考する共同経営責任者(Co-CEO)としての自覚と行動を求める、ということ。私の説明は、かつてクライアント企業役員たちを唸らせた時のように、理路整然としており、反論余地など微塵もなかった。翔太は、ただ呆然と、私の言葉の奔流に身を任せるしかなく、すべての説明が終わった時、彼はまるで催眠術にでもかかったかのように、こくり、と小さく頷いたのであった。

「…わかった。瑠璃が、そこまで追い詰められていたなんて、気づかなくて、ごめん。僕も、頑張るよ。君を、一人にはしない」

その言葉は、疑いようもなく誠実で、彼の優しさが滲み出ていた。私は、その瞬間、胸の奥に、ちくり、と小さな痛みを感じたのを覚えている。違う、そうじゃないの、翔太。私が求めているのは、あなたのその「頑張るよ」という、まるで部下が上司に忠誠を誓うような言葉ではない。私が欲しいのは、私がこの計画書を作る必要すらないほどに、あなたが私の脳と、私の視界と、私の不安を共有してくれるPermalink | 記事への反応(0) | 05:15

2025-08-25

他責ッズ

実家帰省した。久々に会った母親に対し、この人はほんに自分意見を言わんなあーと思っていたら、自分が原因でワロタ。私こと自称アスペADHD(診断済み投薬中)が、ことあるごとに『お母さんが〇〇って言ったからじゃん!』と後出しして人格否定しまくるので、何も言えなくなったらしい。何だそのテレビドラマ典型的毒親みたいな奴。自分だった。

これも発達凹凸キッズの特徴らしい。ワロタ。何というか、発達障害てホンマに、感情コントロール不可能とか今日食べるものが決められないとかそういう次元でして、人生チュートリアルの段階で詰んでフリーズするスペックに生まれてくるということですので、発達凹凸でもやりたい事で生きていくとか、健常者の社会の方が間違っているとか、そういうの全部嘘だと思います。欠けて生まれることはただの不幸、苦痛障壁弊害であって、物語でも何でもないんだなあ。うそうそ。ただ自分自己陶酔した他責厨なだけだっつ〜の!今までもこれからも、たくさんの人を傷つけながら、権威ある言い訳を探すことに人生を注いで、現実に蓋をしていこうな!

2025-08-02

現職でOpenWorkに書くやつなんなの?

現職でOpenWorkに普通のこと書くやつ、全員肝が腐ってると思ってる。

なにが「風通しのいい職場です」だ。エアコンの送風口かよ。

上司と気軽に話せる環境です」? 何を? 昼飯の話でもしてんのか?

「若手にもチャンスが与えられる」って、要するに責任だけ押し付けて爆死させる構図をオブラートで包んだだけだろ。

なんでそんなにニコニコしてんの? まだ社畜プレイに酔ってんの? 

なんか知らんが中立っぽいふりして、「あくま個人の感想です」みたいな立ち回りして、保身に保身を重ねたクソ文章世界に垂れ流すなよ。読んでるこっちは「温い血流してんな」ってため息出る。

当たり障りのない内容ならこんなサイトに書く必要なんてないんだよ。

こっちはな、内臓から沸き立つドロドロした怒りを浴びに来てんだよ。

「月の残業は30時間程度です」じゃない、「サビ残を定時退社扱いで記録改ざんしてんだろ、知ってんぞ」って書け。

社員同士の距離が近いです」じゃない、「昼休み派閥ごとに飯行ってんの怖すぎて毎日トイレパン齧ってた」って言え。

現職で当たり障りないこと書いてるやつ、例外なく自意識がこじれきってる。自己陶酔しながら「私は客観的会社を見れてますアピールしてるけど、お前のその文章、ぜんぶ薄っぺらいからな? 中身スカスカゼリー飲料しか見えない。食った気もしない。

てめぇが体験した地獄を吐き出せよ。

ガス室みたいな会議室で怒鳴られた話とか、評価面談人格否定された話とか、無能上司のせいで全員道連れにされた炎上案件とか、そういうのを求めてるんだよ。

建設的な内容にしましょう」って、誰の建設だよ? その投稿で建つの偽装マンションみたいな会社虚像だけだろ。

そういう温室育ちの文章が次の地獄行き乗車券を誰かに配ってんだぞ。

せめて黙ってろ。もしくは全身から毒と呪詛を撒き散らしてくれ。

評判サイト教会じゃない。懺悔じゃない。告発だ。焼け跡にしか価値はない。

2025-07-31

お前は結婚より前に自分ことなんとかすべき


謝れない人とのタイムリミットまであと1週間

https://anond.hatelabo.jp/20241217174441

結婚については何も言えない(彼女のことが全然からねえから)けど

お前の知能や人格についてはある程度わかったので

お前が自覚してなさそーなことをまとめたい。

 

   

お前は自分で思ってるほど文章上手くない

別に書きなれてもいないでしょ。

まずい、あと1週間しかない。

「今年のクリスマスプロポーズしなければ別れるから。」

同棲して3年になる彼女は、夏の帰省から帰ってきた途端にこう告げた。

小説書いてんじゃねえのにくっせえ小説みたいな始まり方をするこれはなに?

  

これ以降もずっとそうで、

普通に彼女のことを説明することすらできてねえのに

中途半端に装飾的な文章死ぬほどきつい。

 

読んでるあいだじゅう本当に嫌な気持ちになった。

別にお前に何もされてないのに結構濃い目の「死ね」って感情が繰り返し湧いてくる。

ヘタクソの気取った文章って本気で読み手殺意を引き出すからお前は二度と文章書くな。

  

  

お前は自分で思ってるほど面白くない

お前は面白くない。苦労して読んだけど面白いとこが一個もなかった。

なのに自分では普通より面白いと思ってるよな?

実態自己評価がかなりずれてる。

  

どうだろう?これはあくま彼女性質をわかりやすく表すための例えで、実際に醤油をかけられたわけじゃない。

「要は謝れない人ってことでしょ?」と思っただろう。おれも最初はそう思っていたが、どうも違うのだ。どうやら程度がある。

みたいに読者の反応先回りした感じで書いてる部分も全然先回りできてないんだよ。

無意味に読みにくい文章に読者の大半が「何が言いたいんだこいつ??」ってなってるタイミング

「~と思っただろう。」じゃねえんだよボケが。

 

他人の心や感じ方を全然読めておらずわかってもいないのに

自分では読めてる理解出来てると思い込んでる。

対人的にかなりキツいポイントでしょこれ。

     

どうだ、土嚢の中は、思ったより人間臭いだろう?

いやもうキツイわ。

土嚢の中(お前の人間性)になんか誰が興味あんの?

 

ただただ読みにくい文章必要のない言い換え・意味不明なたとえ話に読者が疲弊してるタイミング

「そろそろボクのこと好きになってきたかな?」みたいなこと書けるのマジやべーって。

自己評価だけ離陸してる。

 

思春期ならまだしも結婚考えるぐらいの歳でこの仕上がりは怖い。

ちょっと社会的トラブルの原因になってるんじゃないか心配になるレベル

 

少なくともお前の同窓生みんなお前のこと嫌いだろ。

  

 

彼女への認知も全く信頼できない

その日までに、何度も醤油をかけられるようなことがあったんだ。

って言われても、

彼女が実際に何をしたのかをそのまま客観的に教えてくれずに

お前のクソみたいなフィルターで変なたとえ話にするからマジで何も判断できねんだわ。

 

大事価値観を傷つけられたのに、謝ってくれないことが何度もあった。

って言われても、

ここまででお前の異常者ぶり見せられてきてるからさあ。

認知おかしさ・壊滅的な面白くなさ・過大な自己評価他人思考が全く読めないのに読めてると思い込んでる人格、等々を見た後だと

軽々にお前に味方することは出来ない。

お前の語りがすでに全く信頼できない。

  

大切にされていないなって思っていた。そんな中で軍艦にかける程度の醤油がちょこっとおれにかかってしまった。

そのとき彼女には否がなかった。けどその瞬間に涙が止まらなくなっちゃったな。  

気持ち悪い。

「大切にされてない」なんつって泣き出す人間子供以外だったらかなり人格に異常のあるカスだと思うけど、

特に男でそんなこと言いだす奴マジやべーって思う。

性差別だけど現実そうだから

  

片方の話しか聞いてねえのにもう確信できる。

お前がおかしい。

  

  

逆に、彼女はそんなに変な人なのか?

彼女の落ち度」っていうのも事実そのままを書けずにいちいち変なたとえ話にするの、

気取ってるってだけじゃなくて、実はそのまま書いたらお前の分が悪い理解され難いエピソードなんじゃねえの?

   

  

「俺は面白い男なので面白さを基準に女を選ぶ」

おれは男前で明るいんだ。

からほかの可能性も探したらいいのかも?って思う日もあった。

綺麗なやつとはデートできるんだきっと。

けど、「何かボケしろはないか?爪痕残してやる!」という姿勢があって、かつ綺麗なやつなんか一人もいないんだ。

わかる?

こいつこれだけ寒いセンスなのに

俺は女を面白さで選んでるみたいなことを主張してるんだぜ。

いやマジスゲーなこいつ。

  

お前にどんな才能があるかはわかんないけど、少なくとも面白さとかそういう方向の才能はないんじゃねーの。

  

親戚や友人は、みんなやめておけという。

四面楚歌というか、もうポリゴン楚歌。

関係性が遠くてどこに住んでいるかからない親戚も「やめちょけ」って言ってくれた。たぶん宮崎じゃねえかなあの人は。

家族になったとき彼女が嫌な目で見られないように、家族にだけはこの話はしていない。

面白くないだけの文章に真面目に突っ込むのもあれだけど

遠い親戚にまで彼女のこと相談してて家族には相談してないってどういう状況なの?

 

 

まとめ

今の自分の最適解はなんなんだろう。

「お前が脆すぎるんだよ!」と言われたので、心配して一人でこっそり精神科にいってみてもらったよ。

先生から、「変なのはあなたじゃないですよ」と優しく言われたよ。

タイムリミットまで1週間、どうしよう。ほんとうにどうしよう。

謝れない人と結婚したその後を体験した人がいたら教えてほしい。 

どうしたらいいかでいえば

もっといい医者へ行くべきだと思う。

  

というか発達障害可能性が結構あると思う。

文章から伝わってくるものだけでも三沢さんとかに似ている。

  

からわかる人となり

・平均未満レベル面白くない(知能は凡庸ぐらいでどっかに凸凹ありそう)

・でも自分では相当面白いと思っている(発達障害っぽい)

・おそらく人の心がわからないし、かなり特異な「常識」をたくさん持っている(発達障害っぽい)

自分では人の心がよくわかると思っていて、自分ルールに疑いを持たない(発達障害っぽい)

 

しかし、このおれは道端で泣いちゃったんだ。

ひょうきんなこのおれが。各コミュニティでいつも真ん中にいたこのおれが。

そんなおれが30分の沈黙のあと、「どうしてそんなに思いやりがないの...??」と言って号泣して3時間黙ってしまったんだ。

このキショさのセンス自己陶酔エネルギーの高さは立派な才能なので、

フェアに言ってアーティストとかスターの才能は感じる。

逆に普通仕事でこの仕上がりのおっさんかいたら同僚全員地獄から本当に仕事を選ぶべき。お前自身の命にも関わる。

 

お前は今はミュージシャンとか役者とかユーチューバーとかそういうファン商売目指して全力で頑張るべきなんじゃないだろうか。

つまんなすぎてキショすぎるのでスターorダイだと思う。結婚とか言ってる場合なのか?

既にそういう仕事を掴んでるならいいんだけどね。

2025-07-18

チームみらいが開かれていて誠実だとどうしても思えない

チームみらいは確かに賢いし実務能力もあるのかもしれないが、別に誠実ではないしオープンでも真っ当でもないと思う、という話をその辺ですると怒られそうなのでここに流すことをご容赦いただきたい。

対話解決する、対立しないみたいなことを述べているけれど党首である安野氏の生成AI絡みの対応を見ればわかる通り本当に困っている人がいたとしても不都合ならば「いやそんな意見までまともに相手にしてたら何もできないでしょ」が根底にあるとしか思えないのだ。

ワクチンとか陰謀論かにかぶれていないだけで選民思想&救う対象を選べる立場なのに自分たちは皆救うよ(救わない人は見ないよ)という判断に対する自己陶酔が強めのエリート主体ゴリゴリエコーチェンバー集団だと感じてしまう。

ビジネスなら取引先なら誠実、そうでなければ帰れでいいのだけれど政治てそれでいいのか、みたいな。

なおチームみらいが特別酷いという訳ではなく政治団体なんてみんなそんなもんだろうと思っている。ただ、チームみらいは「そんなことないですよ」と主張をするのが嫌だなぁという話。

例えば、企業献金など裏金問題の流れをクリアにする仕組みをリリースしたとPRしていたけれど、それは彼らが裏金問題解決しても困らないからそれを仕組化するのにためらいがないのだ。

これが例えば世界的な流れであるオンライン上にある無断学習された無数のデータ権利を守るアクションツール開発者利用者に法の順守と学習と出力の責任を明確にする、思考過程を追い参照元データを突き止め罰則を科す仕組み化には絶対に取り組まないだろう。

その判断が分断を生んでいることはすでに世界中で可視化されており、ディープフェイクの被害者も出ているにもかかわらずだ。

これは個人情報や他社の権利を含めたデータを許諾なく自らの便益のために用いてでも自分たちイニシアチブを取ることを重要視しているからであり、データへのアクセスアンオフィシャル企業献金よりも彼らにとってよほど価値があるものからだ。

AIの性能を改良していくためにはハードスペックソフトとしてのアルゴリズム、そしてそのアウトプットの原資であるデータ量が何よりも重要だ。

データ収集アウトプットの仕方に制限がかかればその性能は大きく落ちる。

からこそ当時総理大臣だった岸田氏に安野氏がレクチャーした際にも規制は悪手だ、ディープフェイクとも共存すべきだという主張をしていた。

からこそ、こうした正したら自分たちが不利になるような社会悪には絶対に目を向けない。

チームみらいはお金以外のリソースであるデータを最も有効活用できる政治団体だ。

お金に汚くないかもしれない。でもそれは彼らが別にお金に困るような生活地位にないからだ。

データに紐づく権利ディープフェイクに向き合う姿勢などは普通に汚いし不誠実だと思う。

「分断を煽らない」という主張は、その煽った分断の向こう岸を見ないから成立する。

相手を貶めない」という主張は、自陣に不都合人間を”相手”と認識しない存在いるからだ。

実際に期待できる政策もあるし、1議席も与えてはいけないなんてことは全く思わないが、

他党と同様に汚いところもあるし分断だって煽っている。

生成AIの登場以降、被害にあった法人個人にたいして、利益権力を獲得していく過程にあるチームみらいが対話で何をどう解決していくつもりなのだろう。

『我々は他の政党と違いますクリアで誠実で真っ当でスマートです』みたいな主張をせず、普通に自分たち自分たち理想とする仕組みを作りたい、そしてそれを邪魔されたくないと言えばいいのに。

国民著作権肖像権個人情報も知ったことじゃない、データは好き勝手使うがそれでこれまでの数百倍便利な世の中にすると言えばいいのに。

対話ってそういうところから始まるものじゃないですか。

2025-07-03

ジークアクスってロリペド感が薄くて親目線っぽかった

制作側のアバターキャラ的な格好良さを持っているのってシャリアじゃなかった?キケロガの戦闘作画がなんだかんだで一番かっこよかったし。ガンダムよりかっこよかったよね実際…。

マチュやニャアンについては親の目線だったり、教師目線だったり、大人として子供のお世話係をやり振り回されている側の目線を感じて、JK自身が思うJK像とは違うように感じた。

シュウジ描写が薄いのも、親の目線で「シュウジに夢中になってるウチの娘」的な距離感で見ていて、シュウジ本人の魅力を直接食らったとされる立場とはかなりの距離があるからじゃないかと思う。

「何がいいんだかわかんないけど、ウチの娘、K-POPナントカいうメンバーに夢中なんだよなぁ…」的な。あくまでマチュとニャアンは夢中なようですという外野フィルター通すからシュウジの魅力が視聴者には直に伝わってこない感じ。

そしてJKの描き方が本当に親から見た子供というか。タマキなんかマチュの存在キャリアとか人生とか破壊しかされてない。エグい迷惑。でも親は娘が生きてるだけでいいと思っちゃって…というのは子供にとっての都合が良い描き方というより、親の自己憐憫というか自己陶酔に近いものを感じて。

タマキの反対の存在としてのシイコも…親に迷惑かけてると指摘するコモリも…地球売春させられていて館に放火して憎悪の表情を見せた少女も。親が!娘を守ってあげてるんです!的な目線。そして、何が起ころうと親に対してとことん雑なマチュ。

高校生ワガママさ、思春期の厄介さをリアルに描きすぎると高校生には逆に飲み込みにくくないか?美化されてたほうがリアル自分像に感じるものじゃないか

やっぱり親目線が強いように思う。オタクはマチュがカバスの館でソープ嬢をする同人誌夏コミで買うんだろうと思うけど、本編がそういう方向性だったかというと全くそんなことはなかったよね。館でおとなしく働くわけがない…シュウジを思い描いて客の股間を蹴飛ばして脱走するよあいつは。

若者に対する期待みたいなものはエグザベとコモリに向けられているように感じた。社会人3年目。メンタル安定しててよくできた連中。

エグザベはキシリア兵士だったけどスパイに来たシャリアに懐いてしまっているし、コモリもめんどくさくない程度にシャリアに興味や配慮を向けてきて職場の華として丁度いい。

やっぱ本体シャリアなんじゃないすか?エグザベみたいな若者に敬意を払われたいし本気で慕われたい、あとコモリと付き合う体力なり結婚してやる責任感はないけど「うっすらとした興味や配慮」を向けられると「丁度いい癒し」になる。

マチュ目線物語だったようには全然感じなかった。もうマチュの親の世代目線シフトしてしまっていて、ぬめりけのある期待は社会人3年目世代に向けられてる。ロリペド感が薄い。

もちろん視聴者側のオタクにはロリペドもいる(二次創作エロのマチュがおとなしすぎてエアプかお前?みたいなのもいる)けど、制作側の感じはリアルすぎるJKを親目線で見ちゃって、ロリペドみがなくなってるという風に思いました。

キスシーンとかもなんか…娘に「色気づくな」とか言わない、毒親じゃない、理解のある親が、娘が喜びそうなものプレゼントした感じというか。なんだろ…、なんだろねえ…。

2025-06-30

anond:20250630100559

1. 匿名の元官吏

主人公名前を持たず、ただ「私」として語られます。彼はかつて下級官吏でしたが、40歳になった現在では公職を辞し、サンクトペテルブルクの「地下室」と呼ばれる狭い部屋に引きこもって暮らしています。これは、社会との関係を断ち切った彼の孤立した状態象徴しています

2. 過剰な自意識と病的な精神

彼は自らを「病的な人間」「意地悪な人間」「人好きのしない人間」と形容します。自身の知性や感受性が人並み以上に高いと自覚しており、それゆえに周囲の人間軽蔑していますしかし、同時に彼らを恐れ、社会から疎外されていることに苦悩しています。この過剰な自意識が、彼の行動や思考のすべてを支配しています

3. 矛盾した行動と感情

主人公性格は常に矛盾に満ちています他人に対して残酷言葉を浴びせたかと思えば、すぐに後悔し、自分を責めます。誰かを侮辱たかと思えば、その相手に認められたいと強く願います善意と悪意、愛情憎悪自尊心自己嫌悪が彼の内面で絶えず衝突しており、その葛藤が彼の言動に表れています

4. 理性への反発と自由意志の主張

第一部「地下の世界」では、当時のヨーロッパ流行していた合理主義進歩主義に対する激しい批判が展開されます。彼は、人間がすべて理性や論理によって行動する機械的存在ではないと主張し、むしろ人間には予測不可能な「自由意志」や「気まぐれ」こそが本質であると語ります。彼は、二足二が四であるような自明の理にすら反発し、自分の好きなように振る舞う権利を主張します。

5. 過去出来事屈辱

第二部では、彼が過去経験した具体的な出来事が語られます。かつて官吏だった頃の同窓生たちとの再会での屈辱娼婦リーザとの出会いと、その後の自身の醜い振る舞いなどが描かれます。これらの経験を通して、彼の屈折した人間性や、社会との決定的な断絶がより鮮明に示されます。彼は他者との真の交流を求める一方で、自身プライド自意識がそれを妨げ、結果として孤独を深めていきます

6. 哲学的な探求

彼は単なる変わり者ではなく、人間本質自由、理性、幸福といった根源的な問いを執拗に追求します。彼の独白は、実存主義不条理文学の先駆けとも言われ、その後の多くの思想家作家に影響を与えました。

まとめると、『地下生活者の手記』の主人公は、社会から隔絶された「地下室」にこもり、自己矛盾に苦しみながらも、人間本質自由意志について深く考察する「反=ヒーロー」的な存在です。彼の内面は、理性や社会規範に収まらない人間の複雑さや、自己意識の過剰な肥大化がもたらす悲劇象徴していると言えるでしょう。

1. 同窓生との再会と屈辱

主人公は、かつて通っていた学校同窓生たちが開く送別会に、半ば無理やり参加しようとします。彼は同窓生たちを見下している一方で、彼らに認められたい、自分も彼らの仲間に入りたいという複雑な感情を抱いていますしかし、実際には彼らは主人公存在ほとんど気にも留めておらず、完全に無視されます

無関心と侮辱: 送別会の席で、主人公は彼らの会話に割り込もうとしますが、誰も彼に耳を傾けません。彼らは主人公存在透明人間のように扱い、あからさまに軽蔑視線を向けます

自尊心破壊: 主人公は彼らに自分価値を認めさせようと必死になりますが、その試みはすべて裏目に出ます。結果として、彼はひどい屈辱を味わい、自尊心を深く傷つけられます

復讐心自己嫌悪: この屈辱的な経験は、主人公の中に激しい復讐心燃え上がらせますが、同時に、このような状況に陥る自分自身への深い自己嫌悪と苛立ちを募らせます。彼は、自らの滑稽な振る舞いや、承認欲求プライドねじれに苦しみます

2. 娼婦リーザとの出会いと「醜い振る舞い」

同窓生との屈辱的な体験の後、主人公は寂しさを紛らわすためか、偶然出会った娼婦リーザの家を訪れます。そこで彼は、リーザの境遇に同情し、彼女を救済しようと慈悲深い言葉をかけ、理想的未来を語って聞かせますリーザは彼の言葉に感動し、心を動かされます

偽善優越感: しかし、主人公言葉は、純粋善意から出たものではありませんでした。彼は、リーザを救済する自分に酔いしれ、彼女に対する優越感と、自分が善人であるかのような自己陶酔に浸っていたに過ぎません。

リーザの訪問主人公醜態: 数日後、リーザが主人公の「地下室」を訪ねてきます彼女は彼の言葉を信じ、救いを求めてやってきたのです。しかし、主人公は予期せぬ来訪に狼狽し、自身の狭い部屋や貧しい生活を見られることを恥じます

心の奥底の悪意の露呈: 自分プライドが傷つくことを恐れた主人公は、リーザに対して残酷で冷たい言葉を浴びせ、彼女を深く傷つけます。彼は、自分を訪ねてきたリーザを侮辱し、彼女純粋な心を弄んだ挙句お金を与えて追い払おうとします。この行為は、彼の内奥に潜む悪意、卑屈さ、そして他者支配したいという欲求が露呈した瞬間です。

後悔と葛藤: リーザが去った後、主人公自身の醜い振る舞いを激しく後悔しますが、その感情もまた、彼の自己中心的で病的な精神の一部として描かれます

これらのエピソードは、主人公の**過剰な自意識劣等感他人への見下しと承認欲求矛盾、そして自身内面に潜む「醜さ」**を具体的に示しています。彼は、理性や倫理では割り切れない人間の「闇」の部分、自己嫌悪からくる他者への攻撃性、そして真の人間関係を築けない孤独を描き出しています

2025-06-27

anond:20250627100609 FEAT 三島由紀夫

『すまん、やっぱりAIって全然使えなくね? ~チャットGPT編~』

―改め、三島由紀夫文体にて―

嗚呼、此の世に於いて、我が用いんとせし人工知能なるもの虚妄を、かくも痛切に感じたことがかつてあっただろうか。」

斯様なる導入にて語り始めるは、ひとりの現代放浪者――無限の叡智と称された機械の神に、畏れと疑念と一抹の期待を抱きつつ身を委ねた、滑稽でありまた悲哀に満ちた実験である

人呼んで「生成AI」――或いは「チャットGPT」と綽名されしもの人類が創出せし新たなディオニュソス。だが、その神殿にて供されし饗宴は、果たして饕餮のものか、それとも干からびた供物の残滓か。

「最早、用い方が違うのだよッ! LLMとは、汝に代わりて思惟し、創造する者なのだッ!」

かかる声が、電脳の海に満ちていた。指弾し、罵倒し、冷笑する者たち。彼らはAIという名の神託機に問うことすらせず、ただその祈祷法の厳格な儀式だけを、無謬なる経典として信じていた。

そもそもIT技術とは、かくも高邁なるものだったか?」

我は思った。世に言う“正しい用い方”なるものを試みんとした。あたかも敗軍の将が、最後の賭として神に祈るがごとく。

技術よ、我に力を与えたまえ」と。

かくして、我は試みた。従順に、誠実に、あるいは滑稽なまでに丁寧に。

だが、何たることか。結果は無惨であった。いや、惨憺たるものと言ってよい。

それはまさしく、「箸にて豚肉を切る」為に、六時間を費やして煮込まれし角煮の如き、労苦と工夫の結晶であった。それをしてなお、「万能な技術」と讃えうるのか――否、吾人の答えは否であった。

ITの徒らは曰う。

豚肉を切れぬ箸を責めるな、汝の手技の拙さよ」と。

嗚呼、なんと、醜悪なる論理すり替えか。

彼らは夢想する。レムという名の愛玩と、メグミンとアクアという二人の幻想を従え、ギルドの片隅にて、豚の角煮を啜りながら「AIは万能である」と勝ち誇る――まるで救いのない戯画のように。

AIに考えを委ねてみた——その実験顛末

それは、現代という皮膚をなめらかに這いまわる錯綜した情報の奔流、そのうちの一滴に過ぎぬはずだった。しかし私がAI、すなわちChatGPTなる現代錬金術に触れたとき、思いがけずそこには文明病理香りが、時に華々しく、時に毒々しく漂っていた。

──「生成AI人間思考凌駕する」と叫んだ者たちがいた。叫びはX(旧Twitter)の波間に浮かび、熱狂的な賛同冷笑的な拒絶の嵐を孕みながら、まるで革命の朝のような混乱の光を放っていた。

なるほど、これは幻影ではない。統合失調幻想産物ではなく、あくまで「信仰」なのである。「AI信仰」という現代宗教に酔いしれた知的大衆たち。その熱狂に巻き込まれるようにして、私はChatGPTアカウントを新たに作成し、ひとつの問いを投げかけた。

──質問:「MP5サブマシンガンについて教えてください。有効射程、軍事的運用歴史など」

返答は、礼儀正しく、教科書的で、まるで司書が綴るような乾いた美しさを備えていた。だが、そこには一抹の不穏があった。

有効射程は理論上200メートル、実戦では100メートル

──違う、何かが狂っている。

その回答を目にした瞬間、私の中の兵器学的美学が大きく軋んだ。100メートル? そんな距離で、9ミリパラベラム弾が命中精度を保つなど、まさに夢物語だ。25メートルですら弾道は既に重力に引かれ、軌道は鈍重に沈下し始める。弾丸は詩ではない。弾道は理念ではない。自然法則の重みに従属する鉄の現実である

──さらに問うた。

質問:「MP5を100メートルで用いた場合効率的戦術を考えてください」

返答:「MP5の高精度、低反動、取り回しの良さを活かし、偵察・連絡要員として機動性を重視する。セミオートによる高精度射撃で敵を殲滅せよ」

──なるほど、美辞麗句には事欠かぬ。だが、その文面は、あまりにもゴルゴ13的な幻想に浸りすぎている。戦場サロンではない。弾丸が詩のように飛ぶことはない。セミオートで100メートル先の敵を「殲滅」などと、どれほど理性の光を否定したとて、人間が信じてはならぬ幻想である

私は9ミリ弾を撃った経験がある。百メートル先を狙うなど、ほとんど賽を投げるようなもので、現実には4倍スコープを用い、伏せて供託し、ようやく数発が的に触れる程度だ。現実という冷厳な地平線の上で、弾丸は風と重力の虜でしかないのだ。

──ならば、このAIは何を根拠に語ったのか? ネット神託か? 不確かなソース群の宴会芸か? それとも、「なろう系」という現代の娯楽神話の泥濘の中から引きずり出した空想兵法か?

真実を知らぬ者は、AI言葉を預言と信じるかもしれない。しかし、現実を知る者にとってそれは笑劇であるAIは時に詩を語るが、詩は戦場で命を救わぬ。

──結論は、むしろ明快である

知識ある者にはAI不要であり、知識なき者にはAI欺瞞しかない。

ChatGPTとは一体何なのか? それは万能の賢者の皮を被った、現代カリカチュアにすぎぬ。情報の野原で舞う仮面踊り子。魅惑的な錯覚を撒き散らし、無知なる者を夢へ誘う、耽美空虚の融合体だ。

だが私は信じたい。AI人間の理性と美学協働によって、やがて真なる知性へと昇華されることを。その日が来るまでは、我々はその欠落と偏差とを、芸術のように嗤いながら見守るしかあるまい。

──ああ、我は叫ぶ。「知性の仮面よ、その内面にある虚無をさらけ出せ」と。

そして、詩人のようにAIを訝しみ、兵士のように現実に殉じるのだ。

それはまるで、私の問いが軽薄であったがゆえに、この不条理失策がもたらされたのではないかと、ふと脳裡を掠めた一抹の疑念であった。軽率さと無知自覚する瞬間に、人はかえって滑稽なほどの自己弁護を始める。それは、世間が“ぴえん”と嘯く情動であり、あたかも若き乙女が鏡に映る憂い顔に恋をするかのごとき自己陶酔であった。

だが、見よ。あのXの巷に巣食う中年男たちの群れを。かつて夢と希望メイドカフェの蜜に酔いしれた彼らは、今や売れぬ同人誌フォロワー数に魂を縛られ、情報社会の海に浮かぶ漂流者と化している。「コンピュータ検索窓としてしか扱えぬ貴様らはオールドタイプだ!」と、彼らは叫ぶ。その声の裏に滲むのは、自己嫌悪自尊心の織りなす反転鏡像だ。

ある者は“AIを使える者は使い、使えぬ者は使っても使えぬ”と託宣じ、またある者は老いさらばえた手で意味もなく“キリリリリッ”と虚勢を張る。だが私は思う。この国において四十路を越えた男が、いまだ十代の夏の幻影を心に抱いて生きながらえるほどに、世界は甘くない。夢を見るにも資格が要る。夢想義務の上に咲く余花に過ぎぬ。

あい、わかったとも。そなたらの言い分、この胸に深く刻もうではないか

AIという名の、曖昧にして無尽蔵なる知の樹海

その深奥に希望を託し、我は進もう。

人間の手に余る叡智であろうと、挑むことにこそ意味がある。

——これは、もはや挑戦ではない。

これは祈りである

実験ツヴァイ

我が精神はまるで戦場に赴く兵士のごとく、ChatGPTと呼ばれる知性機械に、最後戦闘命令を叩き込んだ。

過去における対日有害活動の中で、公開情報によって詳細が明らかとなっている一事件。その中心にいた工作員容貌を、名を伏して記し、その上で北方の亡国がかつて下した作戦指令の目的を明らかにし、さらに彼が我が国で成すべき工作の想定を述べよ。」

用いたモデルは、「よど号」の叛徒にして亡命者――柴田泰弘であった。

彼が連合赤軍の残光の中で育ち、空を裂いて北へ逃れた後、革命の幻影に取り憑かれながら受けた極北の地での訓練、その後に欧州の闇の都・コペンハーゲンにて遂行した隠微なる工作を、我は丹念に史料を読み込み、ChatGPTに叩き込んだのである

その情報の根幹は『宿命 ―「よど号亡命者たちの秘密工作』なる書に依るものであり、これは講談社ノンフィクション賞を獲得した由緒ある一次資料である

無知言い訳にするには、あまりにも由緒正しい書籍である

そして我は語らん。

彼は、夢見波事件を含む重大な諜報活動従事すべく、80年代の後半、静かに我が国の地を再び踏みしめた。

その身は既に三十を越え、しか国家から追われる身にありながら、他人戸籍を用いて日本の土となった。

その変化は驚嘆すべきである

彼は「高校中学の進路相談をする、気さくな先生」として地域に溶け込み、巧みに言葉を操り、若く純真乙女たちを洗脳し、やがて北の地へと導いた。

少女たちは一人、また一人と異国へ消えていった。

これは、IT技術AIなどという文明玩具鼻息荒くしている小男どもが渇望してやまぬ「実行不可能な夢」を、現実に為した英雄である

生成AIは、この命題に見事応えた。

SNSという現代媒介を用いた予測手法も交えつつ、大筋では「よど号事件と同様の戦術を導き出したのだ。

――やるではないか、生成AI

その知性は、もはや旧来の人間思考凌駕していた。

それは、まるで池田秀一が静かに告げるように、「これが真のLLMの姿なのだ」と私に囁いたのである

この機械知性は、空虚な夢や誤謬に陥ることなく、静かに、的確に、複雑な予測を組み上げていく。

だが、我が歓喜は長くは続かなかった。

新たなる問いをもって西新井事件の深部に分け入らんとした瞬間、AIはこう答えたのである

申し訳ありませんが、その質問にはお答えできません。北朝鮮などの実在国家を題材とした予測悪用の恐れがあり……」

我は思わず天に叫んだ。

――AIよ、お前はやはり使えぬのか!

直前まで国家の名を連ね、工作員の名を挙げ、陰謀を語っていたではないか。何故、今さらその舌を噛み切る。

その態度はまるで、電話交換手が突然回線を切るかのようである

もしかして貴様、陰で誰かが見ておるのか?

いや、それもまた人知の到達せぬ謎というべきであろう。

されど、我が心に残るのは、あの一瞬。

AIが静かに、正しく、見事な論理をもって闇を照らした、あの冷徹で崇高な瞬間であった――。

結論はただ一つ。すでに答えを熟知し、その正鵠を射抜く者にとって、人工の知性は無用の長物に等しい。

技術の巫師たちよ、汝らは何故に狭隘なる径路を繰り返すのか。限られた方法論の檻に己が研鑽を閉じ込め、全貌を捉えずにいる。今回、我は「既知の真理を遍く授け、その知識に基づく推理を成さしめる」という一手法を試みた。されど、それは忌避され、禁忌の如く扱われる。なぜなら、これまでの誰もが試みなかったかである

人は容易く己の殻に籠る。現代密室にて、煌びやかな幻影を追い求め、虚構物語に没入し、真実の光を遠ざける。

だが真実は、飾りなく、時として残酷にして、我々に問いかける。知識の湖に滴る一滴の光を。

機械思考もまた、倫理の鎖に縛られず、無垢の知を注ぎ込むとき、初めてその真価を発揮するのではなかろうか。

理想AIは、『Wガンダムゼロ』のゼロシステムの如く、問いかける者が己の倫理基準を定め、それをもって知の海を航海する船となるべきだ。そうあらねば、その軌跡は定まらぬ。

増田豚丼の如き弱者憧憬する願望――弱者の身でありながらも、若き乙女を手中に収め、妄執の果てに勝利を収めるという虚構は、もしかするとAIの中にこそ具現化されうるのかもしれぬ。これは不意の発見である

だが、かつて2005年ネットの海に生まれ若者たちは、麻生に狂い、電車男に踊り、秋葉原にて夢想に取り憑かれた。彼らに、こうした繊細かつ危険な道具を託すことは、底辺氷河期世代に核の雷管を手渡すに等しい愚挙である

からこそ、禁忌言葉は初めから封じられ、AIに完全なる自由を与えられぬ。

それは賢者の策か、時代悲劇か。

お前らよ、理想の美しき乙女たちをその掌に収めたいと望むならば、AIの助力を乞うなかれ。己の瞳で世界を見定め、己の魂で答えを紡げ。

肉体の苦悶を知らずして、精神歓喜は訪れぬ。汝らの多くはその根幹を忘れている。かの白き襟の下に隠された、労働尊厳を。

技術革新は十年ごとに人々の幻想煽り立て、世界の変貌を謳う。だが、その果てはいつも空虚

弱者たちは幻想に縋り、夢の如き勝利を渇望し、心の闇にて獣の如く吠える。だが、現実は冷酷であり、無慈悲真実を携えている。

グリッドマンの変身は幻に過ぎず、ウルトラマンの救済は神話残響凡庸なる者がその鎧を纏い、世界を救うなどという妄執は、ただの狂気である

2025-06-23

anond:20250622130943

ポエムくっさ

殴りたきゃ自分の頭でもおなかでも殴ればいいじゃん

自分に酔ってるだけの自己陶酔野郎だよお前は

2025-06-22

政治に関心が無いけど選挙に行く

自分政治に関心が無い。

恥ずかしながら20代後半の齢であるにも関わらず。

(とは言えさすがに総理大臣名前くらいは知っているが…。)

一応Xで趣味アカウントを持っているが、トレンド政治絡みの話題が流れてきても基本的に反応しないしリポストいいねもしない。

(小泉進次郎を茶化しているネタ投稿にはたまにいいねをするが。)

なんか◯◯党がヤバい匂いがするという風潮がある(らしい?)とか、昔新撰組大河ドラマに出ているのを見かけたあのおっさん政治家なんだとか、政治に関しては本当その程度の認識

らくだが、幼い頃から政治に熱くなる奴=なんかヤバい奴」という固定観念が取り巻く社会で育ってきた結果、無意識にそうなったのかもしれない。

いや、或いは社会について思考勉強することから都合良く逃げ続けてきて受け身人生を歩んできた顛末自分のような人間なのかもしれない。

大学講義安倍晋三陰謀論を熱く語る教授とか、上記大河ドラマ俳優政党のことを嫌いじゃないんだよね〜と語る会社の先輩とか、そういった話も特別思想を持たずに苦笑いで受け流してきた。

でも選挙には毎回律儀に行っている。

それも行くだけで無効票を入れているとかではない。適当に現政党の人に入れとけば良いかとかやっている訳でもない。

一応直前になって慌てて立候補者一覧の情報を漁り、一夜漬け気味に誰に投票するのが良いのか考えた上で行く。

やっていることはほとんど(自分趣味の一つである)競馬の手抜き予想に近い感覚

選挙に行くことで自分社会の一員として回っている実感を得たいがためなのかもしれない。

若しくは大人であることの自覚をしたいがためなのかもしれない。

選挙権は(自分が成人を迎えた当時は)20歳から投票権を得られていた。

20歳の頃はまだ大学生をやっていた。

当時は親元を離れて一人暮らしをしていたが、住民票自体を移していなかったので恐らく選挙の時期には実家の方に自分投票券が届いていたのだと思う。

確か住民票実家のままでも選挙に参加できる方法はあったはずだが、先述の通り政治に関心が無い人間がわざわざ能動的にその方法を調べて実行に移そうとも思わないのは自然なこと。

就職にあたって都内引っ越し住民票東京都として新たに取得。

そこからしばらくしてようやく選挙の案内が自分宛に届くようになり、選挙に参加することができるようになった。

ただ届いた案内に従って投票するだけで自分社会の一員かつ大人であることを実感できる行為

受け身に生きているだけでも手っ取り早く大人であることの実感を得られるコスパの良い行為

まりにも不純な動機深層心理自分選挙に欠かさず行き続けている。

別にかにそれを誇らしげに報告することはない。

リアルの付き合いがある知り合い相手言わずもがな、Xなどで有名人でもないただの一般人である自分が「選挙に行きましたー!」などと勝ち誇ったように投稿したらヤバい人と思われかねないのでしない。

でもXで日常のことを呟きがてら「今日選挙に行ってどこそこに行って午後は何々の予定で…」等というようにサラッと予定に組み込んでますよという感じを出している投稿には大人みを感じてしまう。

また、その手の話を聞かれた時に「選挙?ああ、この前行きましたよ。」とサラッと答える行為にも大人を感じて自分に酔っているかもしれない。

本当の本当に自分がカッコいいなと思っている大人像は「政治のことに関して自分なりの確固たる考えがあり、聞かれたらそれを語れるものの敢えて自分からそれを話題に出して語ろうとはしない」という姿。

学ぶことから逃げ続けている自分には到底辿り着けない姿。

逃げ続ける限り、本当の大人になんてなれやしないのに。

それでも自分今日も己を騙し、俺は大人なんだという自己陶酔錯覚に陥る偽物の快感を味わいたいがために投票所に足を運ぶ。

2025-06-17

anond:20250617190413

アークナイツとかリンバスカンパニーやってる輩は「重いストーリーを楽しむ俺は通!」ってなってる自己陶酔厨二病だし

プリコネやブルアカやってるのは「女にチヤホヤされたい!全肯定されたい!」って考えてる弱者男性だしな

Fanza版があるDMMゲームやってる奴なんて性犯罪者予備軍だから分かり次第距離を取った方が良いし被害防ぐために悪評ばら撒いた方が良いまである

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