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はてなキーワード: バトンとは

2025-11-14

anond:20251113231144

その一文を読み終えて、僕は思わず本を閉じた。

図書館蛍光灯がページの端を白く照らし、埃の舞う光の筋がまるで旅の道筋みたいに見えた。

ふと、隣の棚に目をやると、同じシリーズの別冊が並んでいる。

イタリアスペインギリシャ……どれも新品みたいにピカピカだ。

でも、僕が手に持ってるこの一冊だけが、まるで生きてるみたいに息づいてる。

「貸出カード、見てみようかな」

裏表紙ポケット差しまれカードをそっと引き抜く。

一番上の署名は、10年前のもの

それから、8年前、5年前、3年前……

そして去年、誰かがまた借りて、返却期限を1週間オーバーしてる。

最後の借り主の名前は、消しゴムで消されてる。

でも、鉛筆の跡がうっすら残ってる。

「M.」から始まる名前だ。

もしかして、あの「Have a great trip too!」を書いた人?

僕はカードの裏に、自分名前を書いた。

そして、そっと本を棚に戻す。

いや、待てよ。

今日は借りてみよう。

カウンターのおばちゃん差し出すと、

「あら、この本、久しぶりに借りる人いるのね。人気なかったのに」

って笑われた。

家に帰って、リュックにそっと忍ばせる。

来月、初めての海外一人旅

行き先は、この本の国。

ページを開くと、誰かの書き込みがまた一つ増えてた。

僕の知らない駅の名前と、「ここ、最高だった」の一言

……あれ? これ、僕が書いた覚えはない。

まさか図書館に戻す前に、誰かがまた借りてた?

いや、違う。

これは、未来の僕へのメッセージだ。

僕はペンを取り出して、空白のページに書いた。

Mさんありがとう

 あなたが残してくれた道、ちゃんと歩いてきます

 そして、次の誰かにちゃんバトンします。」

本を閉じて、リュックしまう。

重さは、ただの紙とインクの重さじゃない。

誰かの想いと、僕のこれからの旅が、ぎゅっと詰まった重さだ。

明日の朝、空港でこの本を開いたら、

また新しい書き込みが増えてるかもしれない。

誰かが、僕の知らない間に、僕の旅に加わってくれてるかもしれない。

旅って、

一人で始まって、

たくさんの人と繋がって、

また一人に戻って、

でも、ずっと誰かと一緒にいることなんだ。

「Have a great trip too!」

――僕も、誰かにそう言える旅をしよう。

2025-10-04

初恋幼稚園の時だった。

近所の男の子と毎朝いっしょに登園して、砂場で山をつくって濡れた手のひらを見せ合って笑った。スモックの袖口がいつも砂だらけで、帰り道に手をつなぐと体温がうつって、胸のあたりがふわっと軽くなった。あれを好きって呼ぶんだと、そのときの私は直感的に受け取っていた。

小学生になって、次はリレーアンカー男の子運動会の午後。白線の粉の匂い。小太鼓の音。バトンを受け取ってからの加速。私は声が勝手に大きくなって、ゴールの瞬間、歓声にまぎれて「かっこいい」と口が勝手に動いた。誰にも聞かれていない告白。家に帰ってから名前ノートの隅に何度も書いたり消したりして、自分だけの秘密みたいに抱え込んだりしていた。

中学。ここから空気密度が変わる。部活の先輩…女の人に、本気で恋をした。最初は憧れだとずっと思っていた。体育館の照明が木の床に反射して、バッシュがきしむ。タイムアウトポニーテールを結び直す仕草、額の汗をタオルで押さえる動き。ホイッスルの音にふっと目を上げる横顔。休憩時間の給水機の前、首筋に貼りついた髪を耳にかける指先。スポーツドリンクの甘い匂いと、松ヤニの匂い。目が離せない。視界の中心が、先輩の輪郭勝手に合焦してしまう。

部室の隅。先輩のシューズ袋に縫い付けられた名前刺繍を、何度も目でなぞる。自分の指で触れてしまいたくなってばかみたいだなと何度も心で笑って、でもまた見てしまう。練習後の帰り道。駅のホーム電光掲示板。19:04発。先輩は反対側のホーム電車を待つ。私は角柱の影から、見えないふりをしながら、ちらっとだけ見る。イヤホンを片耳だけ。何を聴いてるんだろう。電車が入ってきて、風が押し寄せて、視界がざわっと乱れる。発車してガラスに映った自分の顔が少し赤い。帰りの車内。LINEを開いては閉じる。文面を打っては消す。送信ボタンの上に親指を置いたまま、停車駅が過ぎる。送れない。送れない。ほんの数センチ上のうえから親指が動かない。動かせない。こわかった。ただそれだけ。

これって変なのかな。おかしいのかな。

教室で友だちが恋ばなをして、クラス男子名前が飛び交う。私はうなずきながら、別の方向を見ている自分に気づく。家に帰って検索窓に打ち込む。「女の先輩 好き 変」「女の子 好き 正常」。画面には“レズビアン”や“LGBT”の文字。救われた気も、同時に苦しくなる感じもした。あ、名前があるんだ、っていう安堵。けれど、その名前に手首をつかまれて、列に並ばされる感覚。(私は、列に並びたいんじゃない。ただ、先輩が好きなだけなんだ。)

放課後公園。秋。ベンチのとなりでも友だちが「最近、誰か気になってる人いるの?」と聞いてきた。喉が熱くなる。言えない。「いないよ」と笑って答えた。嘘。帰ってからノートに書く。私はレズビアン?と書いて、すぐに消す。紙が毛羽立つ。私は、先輩が好きと書き直す。これだけは本当。

図書室。窓際の席。ページをめくる指が勝手に止まる。先輩が本を借りていく背中カウンター職員に返すとき、少し猫背になる癖。レジ袋の持ち手を指に引っかけて、肩にかけ直す動き。日常の切れ端がいちいち胸に刺さる。映画より鮮やかなワンカット。私はその画面の外側に立っている観客で、でも登場人物でもある。(追いかけたい。名前を呼びたい。何か言いたい。何も言えない。)

冬、期末が終わって、部室で小さな打ち上げ。紙コップのココア。先輩が笑う。紙コップに口紅が少しつく。私は笑って、うなずいて、たいしたことのない話をして、夜に帰る。駅のホームで冷たい空気を吸い込みながら思う。(私は、私が思っているよりも、ずっと深く先輩を好きなんだ。)

高校に入ると、少し距離が生まれた。部活も違う。校舎も違う。新しい生活クラスには優しい男子もいて、映画をいっしょに観に行って、手をつなごうかどうかみたいな空気が一度だけ流れた。嫌ではなかった。むしろ、あのとき手をつないでいたら普通に付き合って、普通に卒業して、普通に別れて、普通に大人になっていたのかもしれない。そう思うくらいには自然だった。でもあの中学の先輩を見たときの、視界の焦点が合う感じ。呼吸が変わる感じ。世界の照明が一段変わる感じ。あれは起きなかった。

私は自分に問う。私はレズビアンなの?

答えは出ない。

からない。

レズビアンという言葉に救われた夜が確かにあった。検索結果の海で沈みそうになった私を浮かせてくれた浮き輪。けど浮き輪にしがみつき続けると、岸に上がるのが遅れることもある。ラベルは、入口だ。出口ではない。私は「レズビアン」という言葉否定したいんじゃない。誰かを守るために掲げられた旗の力を、私は尊敬している。ただ、その旗の下にずっといなきゃいけないと決められることには静かに抵抗したい。

だって私の恋は、いつも固有名詞から始まる。幼稚園の彼、小学校の彼、中学の先輩。順番じゃない、確率でもない。パターン化した私の性向より、先に立ち上がる人の匂い。声。歩幅。恋はまず、あの人、から始まる。性別はない。カテゴリーはあとから。余白に鉛筆で書き添えるメモにすぎない。

中学の先輩に揺さぶられていたあの頃の私は「私はレズビアンなのか」という問いに追い立てられながら、同時にこうも思っていた。(私は、先輩が好き。以上。)これが真実の最短距離だった。レズビアンという言葉に私はときどき救われ、ときどき窮屈になった。救われたのは、同じ経験を語る声に出会たから。窮屈になったのは、言葉が私を“こうであるべき姿”の型に押し返してくるから。(君は女子を好きでいるべき。男子を好きになったら矛盾だよ。)

そんなことはない。私は、好きになった相手を好きになる。それだけだ。

もし過去の私に伝えられるなら体育館のベンチでタオルを握りしめていた自分にそっと耳打ちしたい。「焦らなくていい。は急いで選ばなくていい。あなたは今、たしかに恋をしている。それがすべて」と。

ベル必要な時もある。

肩書きが盾になる日もある。

けれど、その盾で自分を殴らないで。

価値観ラベリングあなたを守るために使って、あなたを狭くするためには使わないで。

私はレズビアンではない、と言いたいのではない。私は「レズビアンしかない」わけではない、と言いたい。

たまたま好きになった相手が同性だった。

その事実が私の中で何よりも具体的な現実だ。

あの体育館の照明。夏の汗。紙コップのココアホーム電光掲示板。未送信メッセージ。全てが愛おしく、全てが切なく、そのとき感情機微全てが私だった。あの瞬間瞬間全てが、私の恋だった。

2025-10-03

初恋幼稚園の時だった。

近所の男の子と毎朝いっしょに登園して、砂場で山をつくって濡れた手のひらを見せ合って笑った。スモックの袖口がいつも砂だらけで、帰り道に手をつなぐと体温がうつって、胸のあたりがふわっと軽くなった。あれを好きって呼ぶんだと、そのときの私は直感的に受け取っていた。

小学生になって、次はリレーアンカー男の子運動会の午後。白線の粉の匂い。小太鼓の音。バトンを受け取ってからの加速。私は声が勝手に大きくなって、ゴールの瞬間、歓声にまぎれて「かっこいい」と口が勝手に動いた。誰にも聞かれていない告白。家に帰ってから名前ノートの隅に何度も書いたり消したりして、自分だけの秘密みたいに抱え込んだりしていた。

中学。ここから空気密度が変わる。部活の先輩…女の人に、本気で恋をした。最初は憧れだとずっと思っていた。体育館の照明が木の床に反射して、バッシュがきしむ。タイムアウトポニーテールを結び直す仕草、額の汗をタオルで押さえる動き。ホイッスルの音にふっと目を上げる横顔。休憩時間の給水機の前、首筋に貼りついた髪を耳にかける指先。スポーツドリンクの甘い匂いと、松ヤニの匂い。目が離せない。視界の中心が、先輩の輪郭勝手に合焦してしまう。

部室の隅。先輩のシューズ袋に縫い付けられた名前刺繍を、何度も目でなぞる。自分の指で触れてしまいたくなってばかみたいだなと何度も心で笑って、でもまた見てしまう。練習後の帰り道。駅のホーム電光掲示板。19:04発。先輩は反対側のホーム電車を待つ。私は角柱の影から、見えないふりをしながら、ちらっとだけ見る。イヤホンを片耳だけ。何を聴いてるんだろう。電車が入ってきて、風が押し寄せて、視界がざわっと乱れる。発車してガラスに映った自分の顔が少し赤い。帰りの車内。LINEを開いては閉じる。文面を打っては消す。送信ボタンの上に親指を置いたまま、停車駅が過ぎる。送れない。送れない。ほんの数センチ上のうえから親指が動かない。動かせない。こわかった。ただそれだけ。

これって変なのかな。おかしいのかな。

教室で友だちが恋ばなをして、クラス男子名前が飛び交う。私はうなずきながら、別の方向を見ている自分に気づく。家に帰って検索窓に打ち込む。「女の先輩 好き 変」「女の子 好き 正常」。画面には“レズビアン”や“LGBT”の文字。救われた気も、同時に苦しくなる感じもした。あ、名前があるんだ、っていう安堵。けれど、その名前に手首をつかまれて、列に並ばされる感覚。(私は、列に並びたいんじゃない。ただ、先輩が好きなだけなんだ。)

放課後公園。秋。ベンチのとなりでも友だちが「最近、誰か気になってる人いるの?」と聞いてきた。喉が熱くなる。言えない。「いないよ」と笑って答えた。嘘。帰ってからノートに書く。私はレズビアン?と書いて、すぐに消す。紙が毛羽立つ。私は、先輩が好きと書き直す。これだけは本当。

図書室。窓際の席。ページをめくる指が勝手に止まる。先輩が本を借りていく背中カウンター職員に返すとき、少し猫背になる癖。レジ袋の持ち手を指に引っかけて、肩にかけ直す動き。日常の切れ端がいちいち胸に刺さる。映画より鮮やかなワンカット。私はその画面の外側に立っている観客で、でも登場人物でもある。(追いかけたい。名前を呼びたい。何か言いたい。何も言えない。)

冬、期末が終わって、部室で小さな打ち上げ。紙コップのココア。先輩が笑う。紙コップに口紅が少しつく。私は笑って、うなずいて、たいしたことのない話をして、夜に帰る。駅のホームで冷たい空気を吸い込みながら思う。(私は、私が思っているよりも、ずっと深く先輩を好きなんだ。)

高校に入ると、少し距離が生まれた。部活も違う。校舎も違う。新しい生活クラスには優しい男子もいて、映画をいっしょに観に行って、手をつなごうかどうかみたいな空気が一度だけ流れた。嫌ではなかった。むしろ、あのとき手をつないでいたら普通に付き合って、普通に卒業して、普通に別れて、普通に大人になっていたのかもしれない。そう思うくらいには自然だった。でもあの中学の先輩を見たときの、視界の焦点が合う感じ。呼吸が変わる感じ。世界の照明が一段変わる感じ。あれは起きなかった。

私は自分に問う。私はレズビアンなの?

答えは出ない。

からない。

レズビアンという言葉に救われた夜が確かにあった。検索結果の海で沈みそうになった私を浮かせてくれた浮き輪。けど浮き輪にしがみつき続けると、岸に上がるのが遅れることもある。ラベルは、入口だ。出口ではない。私は「レズビアン」という言葉否定したいんじゃない。誰かを守るために掲げられた旗の力を、私は尊敬している。ただ、その旗の下にずっといなきゃいけないと決められることには静かに抵抗したい。

だって私の恋は、いつも固有名詞から始まる。幼稚園の彼、小学校の彼、中学の先輩。順番じゃない、確率でもない。パターン化した私の性向より、先に立ち上がる人の匂い。声。歩幅。恋はまず、あの人、から始まる。性別はない。カテゴリーはあとから。余白に鉛筆で書き添えるメモにすぎない。

中学の先輩に揺さぶられていたあの頃の私は「私はレズビアンなのか」という問いに追い立てられながら、同時にこうも思っていた。(私は、先輩が好き。以上。)これが真実の最短距離だった。レズビアンという言葉に私はときどき救われ、ときどき窮屈になった。救われたのは、同じ経験を語る声に出会たから。窮屈になったのは、言葉が私を“こうであるべき姿”の型に押し返してくるから。(君は女子を好きでいるべき。男子を好きになったら矛盾だよ。)

そんなことはない。私は、好きになった相手を好きになる。それだけだ。

もし過去の私に伝えられるなら体育館のベンチでタオルを握りしめていた自分にそっと耳打ちしたい。「焦らなくていい。は急いで選ばなくていい。あなたは今、たしかに恋をしている。それがすべて」と。

ベル必要な時もある。

肩書きが盾になる日もある。

けれど、その盾で自分を殴らないで。

価値観ラベリングあなたを守るために使って、あなたを狭くするためには使わないで。

私はレズビアンではない、と言いたいのではない。私は「レズビアンしかない」わけではない、と言いたい。

たまたま好きになった相手が同性だった。

その事実が私の中で何よりも具体的な現実だ。

あの体育館の照明。夏の汗。紙コップのココアホーム電光掲示板。未送信メッセージ。全てが愛おしく、全てが切なく、そのとき感情機微全てが私だった。あの瞬間瞬間全てが、私の恋だった。

2025-09-23

子供の頃から悩んできた精神の脆さが改善された

子供のころから、僕の心はいつも繊細すぎるあまり、小さなことで深く傷つき、簡単に折れてしまっていた。

学校では友人関係に悩み、授業中のちょっとした指摘にも胸が締め付けられるような自己嫌悪に陥り、家に帰ると涙が止まらなかった。

しかし、その「精神の脆さ」の大部分が、筋力トレーニングによって驚くほど軽くなり、自分でも信じられないほど心が安定している。

以下、長いのでよければ読んでほしい。

幼稚園のころから泣き虫で人前で発表なんて絶対にできなかった。

小学校では運動会リレーバトンを落としただけで、一日中ふさぎ込んだ。

中学生になると、テストの結果が思わしくないと、夜まで布団の中でうなされ、翌朝はまるで寝ていないかのように顔がむくんでいた。

高校生になっても「自分ダメ人間だ」という思考から抜け出せず、文化祭の準備でもイライラして友人と衝突し、自己嫌悪に陥っていた。

大学に進んでからは、自己評価の低さゆえに講義にあまり出席せず、暗い寮の部屋で無気力羞恥心にさいなまれ毎日

就職しても、些細なミス上司に叱られると胸が締め付けられ、仕事が手につかず休職寸前まで追い込まれた。

そんなある時、ある専門記事で「筋トレセロトニンドーパミンの分泌を促し、幸福感と集中力を高める」と知った。

思い返せば、運動をすると一瞬スッキリする経験はあったものの、すぐに疲れてしまって運動の習慣化は出来ていなかった。

から、じっくりと負荷をかけて無理のないように続けていく方針筋トレに取り組むことにした。

第1〜3か月:基礎を築く

最初の3か月は、週2回のスクワットとプッシュアップを中心とした軽い負荷から始めた。1回8〜10回×2セット程度で無理のない範囲に抑え、フォーム習得運動習慣の定着を目指した。

この段階では、運動の爽快感によって落ち込みの谷が浅くなるのを感じる程度だったが、自己否定ループから抜け出すきっかけになった。

第4〜6か月:負荷の段階的アップと自己効力感の醸成

4か月目に入ると、スクワットの回数を12回×3セットに増やし、ダンベルローイングやプランクを取り入れた。フォームが安定するごとにプレートを少しずつ増やし、自分身体の変化を実感できるようにした。

この時期には「自分には挑戦し続けられる」という感覚が芽生えた。

朝の目覚めが軽く、昨日の失敗をいつまでも引きずらなくなった。

仕事中、雑音や些細な会話に心を乱されず、自分のやるべきことに集中できる。

プレゼン前も、かつては胸がどきどき震えたが、「伝えたいこと」の構成思考を巡らせられるようになった。

第7〜12か月:高強度種目への挑戦とメンタルの飛躍的成長

7か月目以降は、ベンチプレスデッドリフトなどの複合動作を週3回のトレーニング組み込み、1回1012回×3セットを目指した。

最初は扱えなかった重量が、月を追うごとに10%ずつ増え、そのたびに「もっと自分を高められる」という確信が胸を占めた。

トレーニング前後には適度なストレッチ瞑想を取り入れ、セッション中の「今ここ」に没入する集中力を養った。

筋トレ1回1回が自己制御ストレス耐性を鍛える「精神のレッスン」となり、仕事人間関係でのプレッシャーにも動じなくなった。

プライベートでも、人付き合いのストレスが激減した。

以前は飲み会雑談に気疲れしていたが、今はリラックスして会話を楽しめる。

休日趣味映画を観ても、昔のように心がざわつかず、作品世界に深く没入できる。

さな出来事感情を振り回されない自分に驚きながらも、飾らない日常を心から喜んでいる。

筋トレがもたらした心の変化を個人的には以下のように分析している。

不安の軽減:運動後のエンドルフィンドーパミン分泌が、日常の小さな不安を和らげるバッファーとなった。

集中力の持続:重いバーベル全集中することで「今ここ」に没入する感覚が養われ、仕事中の心の乱れが劇的に減少。

自己肯定感の向上:重量アップの成功体験が積み重なり、「自分には挑戦し続けられる」という強い信念が根付いた。

ストレス耐性の強化:ウェイトの重さに耐える身体感覚が、精神ストレスにも耐えられる基盤を作り上げた。

もちろん、この方法が万人に効くとは限らない。

だが、子供のころから抱えてきた「精神の脆さ」が、筋力トレーニングというシンプルアプローチで驚くほど軽くなる可能性があることを、同じように悩む人にはぜひ知ってほしい。

筋トレは単なる肉体改造ではなく、心の安定をもたらす最強のパートナーになり得るのだと実感している。

実践における注意点

この方法は一例であり、トレーニング強度や頻度は個人差を踏まえて調整することが大切だ。

初心者フォーム確認と段階的な負荷増加を心掛け、怪我を防ぐこと。

持病や既存のケガがある場合は、専門家指導を受けることをおすすめする。

子供のころから抱えてきた「精神の脆さ」が、筋力トレーニングという継続的かつ段階的なチャレンジを通じて、1年間で驚くほど軽くなる可能性があることを、同じように悩む人にはぜひ知ってほしい。

筋トレは単なる肉体改造ではなく、心の強さを根本から育む最強のパートナーになり得るのだと実感している。

2025-09-13

[]anond:20250913170513

■自閉の年長息子(5)の運動会はとても上出来だったが悲しくて涙が止まらない

自閉症と診断されている年長の息子の運動会に参加した。

これを書いているのは運動会の当日だが、涙が出てきて止まらないため、吐き出させてほしい。

年少・年中の運動会の際は、ほかの子に比べてできない点が目立ち(たとえば、お遊戯をまったく踊らないなど)私は大きなショックを受けたため、今回も同じようにショックを受けるのだろうと身構えて行ったのだった。

クラスごとのリレーでは、あらかじめ運動会担当先生から、「練習したが気分にムラがあり、走らず応援に回るかもしれない」と言われていた。

ただ、一応リレーの順番の中には含まれており、走る想定であるらしい。

話を聞いたときは、「単純に走ることはできるのにリレーになるとできないんだな」と不思議に感じたが、やっぱり集団行動は難しいんだな・・と、わかってはいものの悲しくなってしまった。

息子のリレーの番が近づくと、私は非常に不安になった。

息子はうまく走れるのだろうか。バトンを受け取ったらどうなるのだろう?走れるのか?

大勢の人の目に注意を奪われて、立ち止まったりどこかへ行っていまったりしないだろうか。

とうとう息子の番になった。

すると、クラスの子が息子と手をつないで走っていた。

どちらかというと、お友だちが先導する形で、息子はそれに引っ張られる形で。

息子は「リレーを頑張ろう」という表情ではなく、どちらかというと戸惑ってる顔だった。

「なんでこんなことしてるんだろう?でも手をつながれているから走っている」ってかんじだ。

サポートの子が協力してくれなかったら、息子はきっと走れなかったのだろう。

先生配慮してくださって、このようにしたのだろうと思う。

ゴールできてほっとした半面、ああ、なんか、ほんとうに息子は障がい者なんだな・・と落ち込んでしまった。

障が者が健常者に手を引かれて走る、という光景テレビかなんかで見たことがある。

そこに息子が当てはまるなんて・・・その瞬間まで全く想像していなかった。

もう、障がい者確定なんだな。

小学校では支援級に入ることになるかな・・・と思っていたが、支援学校検討すべきだったろうかと後悔した。

そもそもなんでリレーができないんだろう?ただ走るだけなのに・・・

言葉は若干遅れているものの、コミュニケーションはとれるし、知的障害があるとは感じられない(境界域ではあると思う)んだが・・

障害物競走では、最初障害物は難なくクリアできたが、最後障害物の前で立ち止まってしまった。

おそらく、すでにほかの子がゴールしてしまっていたため、この障害をどのようにクリアすればよいのか(見本がないため)わからず、困ってしまったのだと思う。

その場で困惑した表情で、気力をなくしたようにへたり込んでしまった。

先生が手を差し伸べてくれてゴールはできたものの、2周目はやりたくないと拒否していた様子が見えた。

そもそも当日朝は、運動会はいきたくないとかなりごねていた。

実際に運動会に参加してみて、本人にとってはかなり苦しい作業なのだ想像できた。

「他の子ができることが自分にはできない」のはつらいし、プライドもずたずたになるだろう。

ああ、これからどうなんだろう。

クラスにいたあの子のように、クラスのみんなから外れてしまうのではないか

私があの子を奇異の目で見ていたのと同じように、息子もクラスの子から敬遠されるのだろうか・・

来年の息子は、幸せを感じられる日々を過ごせることを願いたい。

自閉の年長息子(5)の運動会はとても上出来だったが悲しくて涙が止まらない

自閉症と診断されている年長の息子の運動会に参加した。

これを書いているのは運動会の当日だが、涙が出てきて止まらないため、吐き出させてほしい。

年少・年中の運動会の際は、ほかの子に比べてできない点が目立ち(たとえば、お遊戯をまったく踊らないなど)私は大きなショックを受けたため、今回も同じようにショックを受けるのだろうと身構えて行ったのだった。

クラスごとのリレーでは、あらかじめ運動会担当先生から、「練習したが気分にムラがあり、走らず応援に回るかもしれない」と言われていた。

ただ、一応リレーの順番の中には含まれており、走る想定であるらしい。

話を聞いたときは、「単純に走ることはできるのにリレーになるとできないんだな」と不思議に感じたが、やっぱり集団行動は難しいんだな・・と、わかってはいものの悲しくなってしまった。

息子のリレーの番が近づくと、私は非常に不安になった。

息子はうまく走れるのだろうか。バトンを受け取ったらどうなるのだろう?走れるのか?

大勢の人の目に注意を奪われて、立ち止まったりどこかへ行っていまったりしないだろうか。

とうとう息子の番になった。

すると、クラスの子が息子と手をつないで走っていた。

どちらかというと、お友だちが先導する形で、息子はそれに引っ張られる形で。

息子は「リレーを頑張ろう」という表情ではなく、どちらかというと戸惑ってる顔だった。

「なんでこんなことしてるんだろう?でも手をつながれているから走っている」ってかんじだ。

サポートの子が協力してくれなかったら、息子はきっと走れなかったのだろう。

先生配慮してくださって、このようにしたのだろうと思う。

ゴールできてほっとした半面、ああ、なんか、ほんとうに息子は障がい者なんだな・・と落ち込んでしまった。

障が者が健常者に手を引かれて走る、という光景テレビかなんかで見たことがある。

そこに息子が当てはまるなんて・・・その瞬間まで全く想像していなかった。

もう、障がい者確定なんだな。

小学校では支援級に入ることになるかな・・・と思っていたが、支援学校検討すべきだったろうかと後悔した。

そもそもなんでリレーができないんだろう?ただ走るだけなのに・・・

言葉は若干遅れているものの、コミュニケーションはとれるし、知的障害があるとは感じられない(境界域ではあると思う)んだが・・

障害物競走では、最初障害物は難なくクリアできたが、最後障害物の前で立ち止まってしまった。

おそらく、すでにほかの子がゴールしてしまっていたため、この障害をどのようにクリアすればよいのか(見本がないため)わからず、困ってしまったのだと思う。

その場で困惑した表情で、気力をなくしたようにへたり込んでしまった。

先生が手を差し伸べてくれてゴールはできたものの、2周目はやりたくないと拒否していた様子が見えた。

そもそも当日朝は、運動会はいきたくないとかなりごねていた。

実際に運動会に参加してみて、本人にとってはかなり苦しい作業なのだ想像できた。

「他の子ができることが自分にはできない」のはつらいし、プライドもずたずたになるだろう。

ああ、これからどうなんだろう。

クラスにいたあの子のように、クラスのみんなから外れてしまうのではないか

私があの子を奇異の目で見ていたのと同じように、息子もクラスの子から敬遠されるのだろうか・・

来年の息子は、幸せを感じられる日々を過ごせることを願いたい。

自閉の年長息子(5)の運動会はとても上出来だったが悲しくて涙が止まらない

自閉症と診断されている年長の息子の運動会に参加した。

これを書いているのは運動会の当日だが、涙が出てきて止まらないため、吐き出させてほしい。

年少・年中の運動会の際は、ほかの子に比べてできない点が目立ち(たとえば、お遊戯をまったく踊らないなど)私は大きなショックを受けたため、今回も同じようにショックを受けるのだろうと身構えて行ったのだった。

クラスごとのリレーでは、あらかじめ運動会担当先生から、「練習したが気分にムラがあり、走らず応援に回るかもしれない」と言われていた。

ただ、一応リレーの順番の中には含まれており、走る想定であるらしい。

話を聞いたときは、「単純に走ることはできるのにリレーになるとできないんだな」と不思議に感じたが、やっぱり集団行動は難しいんだな・・と、わかってはいものの悲しくなってしまった。

息子のリレーの番が近づくと、私は非常に不安になった。

息子はうまく走れるのだろうか。バトンを受け取ったらどうなるのだろう?走れるのか?

大勢の人の目に注意を奪われて、立ち止まったりどこかへ行っていまったりしないだろうか。

とうとう息子の番になった。

すると、クラスの子が息子と手をつないで走っていた。

どちらかというと、お友だちが先導する形で、息子はそれに引っ張られる形で。

息子は「リレーを頑張ろう」という表情ではなく、どちらかというと戸惑ってる顔だった。

「なんでこんなことしてるんだろう?でも手をつながれているから走っている」ってかんじだ。

サポートの子が協力してくれなかったら、息子はきっと走れなかったのだろう。

先生配慮してくださって、このようにしたのだろうと思う。

ゴールできてほっとした半面、ああ、なんか、ほんとうに息子は障がい者なんだな・・と落ち込んでしまった。

障が者が健常者に手を引かれて走る、という光景テレビかなんかで見たことがある。

そこに息子が当てはまるなんて・・・その瞬間まで全く想像していなかった。

もう、障がい者確定なんだな。

小学校では支援級に入ることになるかな・・・と思っていたが、支援学校検討すべきだったろうかと後悔した。

そもそもなんでリレーができないんだろう?ただ走るだけなのに・・・

言葉は若干遅れているものの、コミュニケーションはとれるし、知的障害があるとは感じられない(境界域ではあると思う)んだが・・

障害物競走では、最初障害物は難なくクリアできたが、最後障害物の前で立ち止まってしまった。

おそらく、すでにほかの子がゴールしてしまっていたため、この障害をどのようにクリアすればよいのか(見本がないため)わからず、困ってしまったのだと思う。

その場で困惑した表情で、気力をなくしたようにへたり込んでしまった。

先生が手を差し伸べてくれてゴールはできたものの、2周目はやりたくないと拒否していた様子が見えた。

そもそも当日朝は、運動会はいきたくないとかなりごねていた。

実際に運動会に参加してみて、本人にとってはかなり苦しい作業なのだ想像できた。

「他の子ができることが自分にはできない」のはつらいし、プライドもずたずたになるだろう。

ああ、これからどうなんだろう。

クラスにいたあの子のように、クラスのみんなから外れてしまうのではないか

私があの子を奇異の目で見ていたのと同じように、息子もクラスの子から敬遠されるのだろうか・・

来年の息子は、幸せを感じられる日々を過ごせることを願いたい。

自閉の年長息子(5)の運動会はとても上出来だったが悲しくて涙が止まらない

自閉症と診断されている年長の息子の運動会に参加した。

これを書いているのは運動会の当日だが、涙が出てきて止まらないため、吐き出させてほしい。

年少・年中の運動会の際は、ほかの子に比べてできない点が目立ち(たとえば、お遊戯をまったく踊らないなど)私は大きなショックを受けたため、今回も同じようにショックを受けるのだろうと身構えて行ったのだった。

クラスごとのリレーでは、あらかじめ運動会担当先生から、「練習したが気分にムラがあり、走らず応援に回るかもしれない」と言われていた。

ただ、一応リレーの順番の中には含まれており、走る想定であるらしい。

話を聞いたときは、「単純に走ることはできるのにリレーになるとできないんだな」と不思議に感じたが、やっぱり集団行動は難しいんだな・・と、わかってはいものの悲しくなってしまった。

息子のリレーの番が近づくと、私は非常に不安になった。

息子はうまく走れるのだろうか。バトンを受け取ったらどうなるのだろう?走れるのか?

大勢の人の目に注意を奪われて、立ち止まったりどこかへ行っていまったりしないだろうか。

とうとう息子の番になった。

すると、クラスの子が息子と手をつないで走っていた。

どちらかというと、お友だちが先導する形で、息子はそれに引っ張られる形で。

息子は「リレーを頑張ろう」という表情ではなく、どちらかというと戸惑ってる顔だった。

「なんでこんなことしてるんだろう?でも手をつながれているから走っている」ってかんじだ。

サポートの子が協力してくれなかったら、息子はきっと走れなかったのだろう。

先生配慮してくださって、このようにしたのだろうと思う。

ゴールできてほっとした半面、ああ、なんか、ほんとうに息子は障がい者なんだな・・と落ち込んでしまった。

障が者が健常者に手を引かれて走る、という光景テレビかなんかで見たことがある。

そこに息子が当てはまるなんて・・・その瞬間まで全く想像していなかった。

もう、障がい者確定なんだな。

小学校では支援級に入ることになるかな・・・と思っていたが、支援学校検討すべきだったろうかと後悔した。

そもそもなんでリレーができないんだろう?ただ走るだけなのに・・・

言葉は若干遅れているものの、コミュニケーションはとれるし、知的障害があるとは感じられない(境界域ではあると思う)んだが・・

障害物競走では、最初障害物は難なくクリアできたが、最後障害物の前で立ち止まってしまった。

おそらく、すでにほかの子がゴールしてしまっていたため、この障害をどのようにクリアすればよいのか(見本がないため)わからず、困ってしまったのだと思う。

その場で困惑した表情で、気力をなくしたようにへたり込んでしまった。

先生が手を差し伸べてくれてゴールはできたものの、2周目はやりたくないと拒否していた様子が見えた。

そもそも当日朝は、運動会はいきたくないとかなりごねていた。

実際に運動会に参加してみて、本人にとってはかなり苦しい作業なのだ想像できた。

「他の子ができることが自分にはできない」のはつらいし、プライドもずたずたになるだろう。

ああ、これからどうなんだろう。

クラスにいたあの子のように、クラスのみんなから外れてしまうのではないか

私があの子を奇異の目で見ていたのと同じように、息子もクラスの子から敬遠されるのだろうか・・

来年の息子は、幸せを感じられる日々を過ごせることを願いたい。

2025-08-09

山口県宇部市で六年連続ジャンボ宝くじ1等が出ていたという記事が発掘されてしまう…偶然か?

6年連続宝くじ1億円超の高額当せん出す山口県宇部市に注目

同売り場の当せんで、宇部の“億当せん”は6年連続に。その記録のはじまりは、2009年年末ジャンボの1等・前後賞合わせて3億円が2組当せんした『宇部琴芝チャンスセンター』だった。同売り場は、35年の歴史があるが、2009年までの当せん金の最高額は1000万円。

 売り場担当亀山賢次さんは次のように振り返る。 「やっと億当せんが出たと思ったら、一気に2組ですからね。こんな小さな町で、しかも同じ売り場から億当せんが2組も出たんですから、本当に珍しいことです」

 その後も、2010年2011年年末ジャンボで1等・前後賞合わせて3億円が出たほか、2012年ドリームジャンボでも1等・前後賞合わせて1億1000万円が当せん。まさかの4年連続で億当せんを出し、“奇跡の売り場”として北海道沖縄など全国各地から買いに来る人もいたほど。

宇部琴芝チャンスセンター』のバトンを引き継ぎ、翌年(2013年)、宇部市内の“5年連続億当せん”を実現させたのが、『宇部メルクスチャンスセンター』だ。 売り場の外観をイエローゴールド改装した直後の、2013年年末ジャンボで1等・前後賞合わせて7億円が当せんした。

 前出の亀山さんは、「普段宝くじに興味のないかたでも、“これだけ宇部で当せんが続いているんだから、私も買わなくちゃ”と興奮気味に売り場を訪れる人も多くいますね」と言う。

https://www.news-postseven.com/archives/20140622_262128.html?DETAIL

2025-07-25

anond:20250725070322

そもそも成果云々ではなく、選挙で「石破じゃダメ」の赤点を突き付けられた以上、関税合意署名したら次の操縦士に席を譲る──これが与党本音

交渉は石破がまとめたのだから、成果報告と同時に退場して花道を作るのが最小の痛手。

実務派の茂木に舵取りを渡し、河野高市看板にして選挙モードへ移行……これが現実的シナリオだろう。


#石破辞めるな と叫んでも参院選通知表は真っ赤。

答案に「再試」のスタンプを押された講師が教壇に居座るのは無理がある。

花道を歩き、次の受験生バトンを渡す方が本人にも党にも傷が少ない。

2025-07-24

自己消滅するネットコンテンツっていいね

この記事を読んで、自己消滅するコンテンツに興味が湧いた。

消滅に抗おうとしているのが、「生きてる」って感じがして良い。

『VRChat』の「24時間誰もいなくなると消滅するワールド」、2年間生き延びる。世界の誰かが繋いできたバトン

https://automaton-media.com/articles/newsjp/vrchat-20250205-327364/


他にもないか調べると1つ見つかった。

掲示板サイトおーぷん2ちゃんねる」の「野原板」というスレッドでは「3時間以内に書き込みが無いと消滅」する。

https://open.open2ch.net/nohara/

現在は256スレで、3年以上続いているっぽい。

3時間で消えるのはテスト投稿のためのスレッドからで、本来長く利用する場所ではないのに。

時間制限があるから、何かしら行動しないといけないのがいいのかもしれない。

他にもあったらいいな

2025-07-09

anond:20250709215938

はいはい、ありがとね〜。じゃあおじさんからもひと言言わせてもらうよ🧓🍵

うん、確かにね、「アメリカ移民戦後うまくいった」って話、

一面的には事実なんだよ。そこは否定しないよ?

でもねぇ、坊や、その「うまくいった」っていうのは、犠牲の上に成り立ったものだってこと、ちゃんと知ってるかな?

移民1世たちは、貧困差別低賃金労働に耐えて、やっと次の世代バトン渡したんだよ。

アメリカは広大な土地と爆伸び経済があったか可能だった。

今の日本ヨーロッパと状況が全然違うのよ。

で、「NISAの失禁売却と同じ」って、

それちょっと軽すぎない?🤣💦

失禁とか言ってるけど、こっちは国の未来がかかってんだわ。

家計で失敗するのと、社会制度破綻するのはスケールが違うのよ、ほんとに。

おじさんもね、人生でいろんな“投資”してきたよ。

人間関係とか、仕事とか、子育てとか、まぁ大失敗もあったけどさ😅

でもね、「ただ待てばいい」投資なんて、この世にひとつもなかったよ。

移民政策も同じ。

時間だけで解決すると思ってるなら、ちょっと甘いな〜って思っちゃうな。

時間をかけるなら、責任計画も準備も、同じくらい重く見ないと。

あと最後に一つだけ。

投資ってのはさ、「想定外が起こる」前提で動くものだよ。

自分の仮説が正しいと思い込んで、「待ってれば勝てる」って信じ込んじゃうと、

失敗しても反省できなくなるのよ。

……これ、人生と一緒ね。おじさん何回もそれで痛い目見てきたからさ😅

というわけでね、「歴史的にうまくいった」って言葉安心せずに、

もうちょい慎重に、現代事情も見てごらん?

おじさんとの約束だぞ✋😌

2025-05-30

anond:20250530090500

ワイの両親は恋愛結婚じゃなくて

残り物どうしで結婚しただけ

恋愛結婚一般的で、独身が許されるなら

結婚しなかった敗者同士だ

 

からワイはそいつらの世間体のためだけにいるから、子孫繁栄バトンの途中にはいない

ここで終わる

 

でも十分役目は果たしたね

負け犬男女がかろうじて負けてないって

思い込むための虚構の子供やってたんだから

 

残りの人生自由に生きる

2025-05-16

社会恩恵だけ受けて責任放棄って、ダサくない?

独身子無しって自分勝手すぎるだろ。

みんな子供を育てるのは、自分の老後のためでしょ。

介護してもらったり、生活費出してもらったり。

そういうのが普通人生ってやつですよね。

なのに「お金がかかるからいらない」とか言ってる人って、どんだけ自分のことしか考えてないの?

子供なんてテキトーに育てれば勝手大人になるし。

中卒で働けばいいじゃん。

親が偉そうにしてれば、それなりに育つんだよ。

子育てとか楽勝。

昼寝し放題だし、三食昼寝付きの専業主婦とか人生イージーモードです。

育児が大変」って言ってる人は、単にラクしたいだけでしょ。

からみんなそうやって次の世代バトン渡してきたのに、自分だけ責任逃れってズルいよね。

子供を作る自由」もあるけど、「社会を回してる人のほうが偉い」って価値観必要でしょ。

だって誰かが育てた子供が、社会保障や労働を支えてるんだから

その恩恵だけ受けて、自分は何もしないってアリなの?

子供を作らないなら、自分の老後も自分で面倒見てね。

社会に乗っかるだけの人生って、正直どうなのって思うんですよ。

2025-04-10

名作サバイバル漫画自殺島」で語られた「自殺してはいけない理由

ややネタバレになるが、「自殺島」で語られた「人間自殺してはいけない理由」が、

「脈々と受け継がれてきた命のバトン勝手に絶やしてはならない」だったんだけど、

これって要するに「性的パートナーを得られず、命のバトンを後世に託すことができない非モテは生きる価値なし」って言ってるのと同じなのでは???

作中見てても、自殺島内で幸せそうにしているのは「恋人がいて、特技を仕事にしている人間」だけだしな。セイとかリヴとかボウシとかタエとか。

2025-03-30

コーヒー飲んで眠れない朝

夜勤専従の職場について1年。朝のコーヒーとはすっかり縁遠くなった。

そもそもコーヒー自体が飲んで休日の夜だけ。昼の仕事の頃は、ちょっと味気ない職場でもおやつ時の休憩にインスタントコーヒーでも作れば香り華やぐ、なんて楽しんでいたが、夜勤を始めてから眠気を取るにもリフレッシュにもコーヒーをとはいかない。自分仕事は(大抵の仕事は)中盤から終わりにかけてピークを迎える。夜勤となると特に眠気が大敵なので、ピーク前に仮眠を取っておきたい、となるとその前にはカフェインを取れない。仮眠明けも身体ケアのために飲む栄養ドリンク以上にカフェインを摂ると朝の睡眠差し支える。ましてや仕事明け、コーヒー一服なんてありえない。

これを書いている朝、久々朝にコーヒーを飲んだ。この春、異動となる上司に餞別として戴いてしまった喫茶店チケットを使わせてもらってだ。

この上司は、その人の上司曰く、一言で表すと「職場マスコット」のような存在であった。仕事プレイヤーマネージャー補佐の立ち位置だが、周りに言わせるとプレイヤーとしては、あまり要領がいい方ではないそうだ。自分とはマネージャーとして接することがほとんどだったが、自爆気味だったところを助けに回るということもあった。

企業の勤め人としてはあまり評価されるタイプではないかもしれない。けれど、自分はとにかくこの人が人として好きであった。

最初職場に入った時、心配過ぎとこちらが思うくらい、心配してくれた。まず単純に夜勤専従というのは体調の管理が厳しい。バリバリ働いていたプレイヤーが突然ぱったりという話も、直接目にしたわけではないがいくつか耳にする。そういう事もあってか、とにかく「大丈夫?」、また「休みな?」と言われた。これには自分がいろいろ危なっかしいタイプだったり、要領の悪さを休憩で(といっても余裕がある休憩を削る範疇カバーしようとするところが多分に含まれるだろうが。

単純に心配させてしまったのがあるにせよ、これはなかなか出来ることではない。そもそも心配させてしま自体、成人として情けない。また、腐っても成人なんだから大丈夫であろうと線を引くなどが普通だ。それでも、心配してくれたその上司には、いろいろな感情の中、大いに感謝したい。そして、そのように若輩者に接してくれたり、普段から周りに弄られながら陽気に振る舞う姿は、例えば「つば九郎」ではないが器の大きな職場マスコットであった。

職場ではちょっと浮く、お手製ポップなイラスト入りのアイキャッチも、個人的にはほんのり華やかな気分にさせてくれて好きだったな。

一方、その上司交代勤務の中働いており、後の時間自分達のミスの尻拭いをするという事も多々あった。職場での長さあってか、部署間で顔を利かせたり(だからといって断じて先輩風を吹かせるではない)、問題解決ドタバタと奔走したり。夜勤始めに顔を合わせたらヘトヘトという事も多々あった。ヘトヘトまで働くというのもなかなか出来ない。

その人と自分はいろいろと似た者同士とシンパシーを感じる部分があったが、自分には長く勤め続けた経験もないし、時に客に謝る顔もない。シンパシーの一方、深く尊敬する存在であった。いや、頭が上がらないが正しくなってしまうのだろうか。

普段は時に……結構空回りしながら業務を進める人だったが、逼迫した場面ではドライさを感じさせる場面もあった。そのような顔をさせるのに酷く悲しみを抱きつつ、締めるところ締めようとするこの人は信頼出来ると思ったものだ。(なんと甘えた野郎だ)

ある日、雑談の中で、職場の緩みを懸念しているという事を伺った。要領よく、やるべき事をやる。そのような人が評価される中、その隙間を埋めることに無関心ではないか?と。

自分はまだそのような所やれるプレイヤーではない。というか、ああ本当にベーベだと、独り立ちにもがく日々が続く。が、まず、職場の一日におけるトップランナーの一員としていいバトンを渡し続けられるように精進したい。

話は今朝に戻る。今朝がその上司と顔を合わせる最後であった。

異動先はそれなりに通勤負担になる土地、長くこの職場一筋だった中、ご家族事情を含めて生活負担が増えることは避けられないと心配な一方、どうやら見知った顔が多くある職場で、周囲から最大限配慮された異動であるらしい。人徳が伺える。

そのような事情含めて、どうしても自分性格含めて湿っぽくお別れになりそうと思っていたところ、カラッと、職場付近で遊んでいるからまた会えると話を持っていかれ、ガラホ記念撮影をされ、餞別に喫茶店チケットを受け取ったと思ったら、職務に戻られた。「この後使ってよね!」なんて。

餞別の品を体調崩して用意できなかったとウジウジしていたらこちらが受け取るなんて、ああなんてこと。こちらが感謝し倒しなのに。

選んでなかなか入らないような喫茶店にて、モーニングを戴きながらこれを書こうと至る。自分はあまり他人に深く突っ込めない性格だ。その上司のことも結局はほとんど知らない。ああこの人はこういうお洒落な店に通われるんだなんて思いながら、コーヒーの味を刻み込む。

最後に。その人を評するようなことを書いたけれども、酷く独りよがりなはずだ。相手がどう思っているかも分からない。腹を割って話すという事もおそらくなかった。幼稚で虚ろな文章認めたところでなんなんだと思うところだが、それでも、異動も交代勤務もないプレイヤーより敬意を表して、ありがとうございました。次の職場での活躍をお祈りしております

「また、どこかで!」

2025-03-13

デビルマン cry baby を見て泣いた

 

 

デビルマンをひとことでまとめると:

ダンダダン+寄生獣)x BL x 絶望

 

1話から時系列感想

なんか、不動明イメージが違うな

優しくて泣き虫クラスメイトから馬鹿にされていて・・・

 

あっ これ

ダンダダンのオカルンだ!走り方も同じだ!

 

悪魔に憑依されると見た目も人格もかっこよくなって女の子にもモテちゃう王道少年漫画だね

馬鹿にされていた心優しい少年が俺TUEEEモードに入るのは楽しい。いい感じの導入。

 

リョウ君がヤバイ

 

超美形、超天才児、10代なのに既に教授

初登場時からいきなりやばい。銃撃ってくるし

頭脳明晰・冷静沈着と思わせておいて

明を助けるために躊躇なく人を殺すのがヤバすぎる

リョウの明への執着が異常。なにこれBLなの?

明は心優しいのでリョウ君が人を殺すたびにショックを受けて泣いている

 

 

3話 美樹のピンチ

明の変身するところを記者に撮られていた。そこに美樹が巻き込まれ・・・

 

えっ この展開3話でやるの??

普通はワンクール最後でやるよね???

展開が早い。この後どうなるんだ

 

 

4話 母親・・・

明のお母さんが久しぶりに帰国する。不穏な電話が入り・・・

 

うわぁぁぁぁぁぁ !!!

普通こんな展開、2クール目の最後にやるでしょ???

怒涛の展開次々にぶっ込んでくる

 

5話 シレーヌ君は美しい

リョウ君の家、大富豪だよな

部屋に謎のプールがある

 

親の姿も見えないし何者なんだこの人。

役割としてはヒーローの明に対し、ブレーンのリョウなんだろうけれど

明への感情ちょっと異常すぎる。BLなの?

 

 

6~8話

悪魔存在世間の明るみに出る。人々は悪魔狩りを始める・・・ 

 

こわい、こわい、こわい、こわい

令和のクオリティで描かれる終末世界が怖い。

ビルから人が降ってくるのは9.11で見た。厳戒態勢の街。外に出た人が拘束される、コロナ禍の中国で見た。政府の緊急放送3.11で見た。

そしてSNS

SNSデマに尾鰭がつきヒステリー集団形成していく。パニックになった人たちが人を襲う。悪魔でなくて人を。

恐ろしいリアリティ世界がぐちゃぐちゃになっている今視るべきじゃなかったよ・・)

 

デビルマンで一番怖いのは人間なのです。

実は悪魔ほとんど人間を殺していない。数十億の人々を人間が殺す。それが悪魔だと信じて。

 

 

この作品悪魔を通して人とは何かを問いかける

デビルマン達は悪魔の姿をしていた。でも、確かに彼らは人間だった。

暴徒と化した人たち。彼らは姿は人間だけれども、悪魔だった。

 

人とは何か? 人であるとはどういうことなのか?

 

 

お父さん、お母さんと弟

この作品で一番きつかったのは弟のシーンです

つらい・・・本当につらい。

お父さんが銃を撃てなくて、撃てなくて、どうしても撃てなくて。慟哭するシーンにボロボロになるまで泣きました。

 

9話 地獄に堕ちろ人間ども

結末は知っていた。でも、おもっていたのとは全然違ってた

 

デビルマン悲劇です。人の弱さ、人の愚かさが強烈に描かれます

でも作品根底にあるのは熱い炎の様な信念と希望です。

その中心にいたのは美樹でした。彼女偏見に囚われず人を信じ、手を差し伸べました。

恐怖ではなく理性で。暴力ではなく愛を。彼女の信念は確かに人を繋ぎデビルマン達を集結させました。

偏見暴力に争い、抵抗した人たちがいた。それはとても小さな光だったかもしれないけれど、人の可能性と美しさを証明するのです

 

 

10話(最終話

BLかよ」といって茶化してすみませんでした

とても真面目なBLでした

この作品最初から最後まで、明とリョウ関係を描いたものでした

  

串刺しシーンがクライマックスだと思っていたので最後スケールの大きいBLが始まるとは思ってもいませんでした

いや、これをBLと呼ぶのは正しいのか???もっと壮大なものを見た様に思います

 

二人が戦っている時、すでに人類は滅亡していました。勝ってもなにも得られません

あのとき明は人類代表人類の生きた証としてそこにいたと思います

デビルマンは、人類悪魔の愛をめぐる話だったのではないか

 

作中に繰り返し繰り返し、バトンを渡すイメージが挿入されます

二人の最後の戦いの最中にも。

 

みーこから美樹へ、美樹から明、明からリョウに。バトンは落ちる

みーこから美樹へ、美樹から明、明からリョウに。バトンは落ちる

 

バトンはおそらく人の愛、友情、いたわり、優しさ、人が人であるために大切なこと

リョウは渡されたものが何である理解することができない。

ちょっと首を傾げて、バトンは地に落とされる。

 

最後、亡骸となった明を抱き抱えてリョウ慟哭しま

  

バトンは渡っていたのです。遠い昔に。

猫が死んだ時。もしくは、「もう怖くないよ」と抱きしめたあの時に。

 

リョウが咽び泣いたあの時、神の光で滅ぼされるまでのあの一瞬。

彼は人間ではなかったか

 

滅びる地球最後に立っていたのは人間だった。

本当に勝利したのは、悪魔ではなく人の愛であった

 

私はそう信じている

 

その他

エログロ

エログロバイオレンス治安の悪さはさすが昭和だと思った

 

リョウ君の不自然

最終話まで見ると、リョウの不自然さの全てが伏線になっていたのがすごい。

そうか、家政婦さんの正体も・・・

 

最後のシーン

地球滅亡後、明とリョウが静かに並んで赤い海を眺めているシーンが End of Evangelionラストシーンで驚いた

原作もこんな感じなの?

 

デビルマン

1972年に「デビルマン」というアニメが放映されたと言う世界設定。

なので作中の日本人デビルマンを知っているし、「デビルマン悪魔に憑依されたスーパーヒーロー」の意味で通じるのが話をわかりやすくしている。

ここぞというシーンで1972年の方のデビルマンの曲(たぶん)が流れる

 

弟の携帯から流れるシーンがつらかった・・・

 

 

 

2025-02-10

anond:20250210162750

金ではなくて臓器を提供してもらう方がいい。

次の世代に命のバトンを渡してもらう。

2025-02-07

氷河期世代が全て悪いとは思わないし日本ギリギリで支えたとは思う

ただし、現実的氷河期は今の若手を潰す癌になりつつある

彼らがどんなに苦労したかを聞くことはよくある

ブラック労働環境必死次世代へのバトン繋ぎエクセルタカタからグループウェア導入とかネットワーク設備とかの基礎をやっていたんだろう

ご苦労さまです

労働に対する意識の変化の波にリアタイでぶつかり、ガラケーからスマホへと移る中でよく頑張ったよ

ただ、氷河期がだめなのは自分達を最後まで歯車と見なかったことだよ

親なら子供のためにどんなに尽くそうが、自分還元させないことを恨まないだろう

最悪子供自分蔑ろにしようとも仕方ないと思う

でも氷河期自分達を虐げられたことへの恨みを次世代に向けている

かなり早い段階で老害化が進んでいる

もうさ、氷河期世代は報われないことを受け入れようぜ

何をしても君達は過去に戻れない

君達を虐げた連中はのうのうとしてるだろうが、それも受け入れて次世代に全てを託しなよ

これ以上君等ができることってツイッター若者叩きくらいだろ?

2025-01-13

anond:20250113160202

いや多分、生命バトンを繋いでいく形だとクリアーできないゲームなんだと思うんだけど

いろんな方法はあると思うんだけど、生命が子孫を残してその子孫がまた子孫を残してだとクリアーできないはず

とりあえずナニハトモアレほぼ無限に近い寿命必要なはず

でもひょっとしたら無限寿命だとクリアーできないことがハッキリしたから今のゲーム状況になっているのかもしれない

2024-12-05

やれやれOJTというより介護だな

はよ他メンバーバトン渡しておさらばしたいわ

2024-11-18

anond:20241118104645

オタクの根強いリベラル嫌いについては世代の差ではなく歴史の違いだな

オールオタクから渡されたバトンで「なんとなくリベラル嫌い」からスタートし、いつものリベラル罵詈雑言を受けて「ガチで嫌い」になる

2024-11-15

代々、命のバトンで繋いで出来たのが俺って凄く無いか

独身から俺で一族終わり。悲しいなあ

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