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2025-05-22

40超えWebエンジニア収入貯金とこれからと生き残るために

https://anond.hatelabo.jp/20250521002326 見たので。

そう言えば「貯金1000万円溜まったら、それをシードマネーにしてスタートアップを作る!!」と心に決めていた20代だったのに、気づけば40過ぎたことにも気づいた。

貧すれば鈍する。満足すれば挑戦しなくなる。自分もそうなってしまたことをあらためて噛みしめる。

プロフィール

40超え。既婚。転職しまくり。

Webエンジニアだけどそれなりに専門性があるジャンル。この分野を専門的にやってるの日本で千人以下だと思うが、一方で専門性を活かす機会はたまにしかない。

収入

給料:1,000万円/年くらい。額面

給料:700〜1,000万円/年くらい。

  • 業績給の変動がすごい。平均850ぐらい?
  • DINKS。望んでそうなったわけではない。色々あり、そう。

貯金と金融資

大きい収支は

利確したものは除いている。基本的にはプラスで利確していてトータル数百万円はプラスのはず。大きな損切りはBTCで100万、某ソシャゲ100万ぐらい(それでも損切りできず一部まだ持ってる)。

入社した記念で買った自社株が昨今の風潮で下がり辛い。一時的ものと信じたい。自社株は売り買いできるタイミング限定されているのも難しい。



毎月の収支


人生

行き詰まり感がある。自分が圧倒的なスペシャリティを持っていた分野はどんどんAIが置き換えて行っている。

というかスペシャリティのない普通コーディングがすべてAIに置き換え可能自分がやることはAIに対して要件を整理し、仕上がったものをチェックし、良くなかったとき専門性を活かしたアドバイスをする→以下ループ、って感じ。

スペシャリティを活かす機会がないわけではないが、頭を悩ましてコーディングする頻度は減った。

おそらくまだ社の全員がAI凄さに気づいているわけではないのだが、このスペシャリティを持ったアドバイスやチェックの部分を複層的にAIエージェントを組み合わせてるところが少なかったりまだ安定しないだけであって、やがてそうなる。一部はすでにそうなってるし、数年でほぼそうなる。

これに対して感じていることは、仕事がなくなるという恐怖感より、「ヌルゲーになってつまらんくなったな」だ。

ヌルゲーでつまらんので辞めたい。ここ数ヶ月でとくにそうなっている。

先日、AIでは解決しえない専門性を発揮する大トラブルが発生して久々に興奮・大発奮したが(トラブルで興奮するというと表現こそ悪いが、しかしあの種の状況で出るアドレナリンなどによる興奮はエンジニア界隈のひとなら誰でも感じたことはあるだろう)、しかしその解決の糸口も、AIとの対話を通して得られたインスピレーションによるものだった。もちろん、最終的には対話から私が引き出したアイデアではあるし、従来も検索してフォーラム類似の悩みを元に抽象化して解決の糸口を得る・・・みたいなことはあったわけだが、それに比べても圧倒的だ。圧倒的にアイデアが引き出されるし、AIが主導的立場を握りつつある。脳の全力を使ったという感覚はない。

老化で肩も首も腰も常に痛くてコーディング…というかPC作業したくないし、かといってウェットな人間関係マネジメントに全力投資もしたくない。この先もエンジニアとしてやっていけるかが、約20年の社会人人生(=エンジニア人生)でも最も不安である

自分ギリギリ専門性とこれまでのウェットな関係(=人間関係)であと20年食べれるかもしれない。どうだろう。

子ども世代はどうなんだ。STEM教育とか言っていたしそれに賛同していたが、もはや不要になるのではないか。すくなくともSTEM=高給取りへのパスポート、みたいな時代は終わるのではないか。我々人類には知性などもはやそんなに必要じゃなく、圧倒的に高い知性の存在(AI)と、それと付き合える一部エリートと、既存資産の逃げ切りの資産家と、ただ享受するだけの一般大衆になるのではないか


唯一ラッキーなことは、または考え方の問題といえるが、日本は国全体で見れば逃げ切り資産家側ということだ。


グローバリゼーションによって世界的に労働力の安いところに移転するように、マニュアル翻訳が低廉化したため単純労働も安い方に行く。それは労働者としては働き口の減少という話でもある一方で、消費者としては価格の低廉化として果実を得ることができる。

人口減少しつつもそれまでの資産蓄積がある状況の国、つまり日本中国韓国では、メリットでもある。

現代においては資本のものについで、人の移動が容易だ。だから安い労働力の国に行く。しかAI代替可能業務ほとんどは、安い労働力の国へ委託するよりさらに2桁安い。安い労働力の輸出(直接先進国に行くのもリモート先進国から受託するのも)で稼いでいた国は、仕事範囲身体性の伴うもののみに限定されつつあるということだし、逆説的にいうと、先進国側はより安い代替商品が出てきたということになる。

では、AI完全代替可能業務(当初は具体的な業務名を書いてみたがノイズなので消した。各々が考えるAI代替可能業務を書いてください)をやっていた国内労働者または外国人労働者はどうなるのか?

いくつか選択肢がある。

1. 身体性の伴う業務(AIでできない業務)へ転換

2. AI価格競争し付加価値感情労働勝負

3. AI自体管理する業務になる

4. 死ぬ

1 は要するにホワイトカラーからブルーカラーへの転換。ロボット技術AIに比べて全然なので、いわゆる労働っぽいものほとんどはまだ10年は余裕で残る。それにまだ完全自動化じゃないだけで機械化はどの業種も進んでいる。肉体労働と言うほどではない。いまから学び直し鍛え直しだが、しかし働き口自体はある。人手不足解決可能性すらある。

2 はつまり自動ドアがある時代でもドアマンはいるだろ?って話。エレベーターのない時代の駅に荷運び専用の人がいたみたいな。

3 は、もちろんその場所はあるが、少ない。100人雇っていた業務が、AI10人のAI管理者になる。そして、10人のAI管理者がやがて5人、3人、1人…最終的に別部署兼務になる。

4 は、死は極端な例だが、たとえば炭鉱労働者エネルギー転換によって大量失業になった。筑豊の話をしよう。ガソリン時代になるぞと5年10年言われ、実際に閉山され、筑豊などは関連産業どころか無関係第三次産業までバタバタ潰れた。経済の縮小。他の業種につこうにも、その地域は全業種が潰れつつあるので就職口がない。まして炭鉱労働者技術は独特で炭鉱しか活かせないし、採用側も他の業種経験者(全部不景気なので余っている)からだって採れるんだ。とくに時代背景もあり労働運動が過激でもあった炭鉱労働者採用敬遠された(過激労働運動は閉山を数年程度延命しただけだった)という面もある。若い人・家族がいる人はなんでもやって再就職したが、50歳の閉山後3年目でも50%が未就職。30〜60歳の範囲でも10%が未就職であり、また再就職できた時期も1年程度は困難であった(失業保険半年出たのもあるだろう)。なお、この種の統計には「再就職」「未就職」「その他」があり、その他は5%程度ある。その他は就学・死亡・不明など(自営や営農就職)。私は3年後の死亡率5%弱と読んだ。君はどう読むか。

もちろん、炭鉱閉山のように、ある日、大規模に失業者大量発生することはない。しかAIの進展は進むので10年、20年かけてじっくり進む。

それはどのようだろうか?また生き残るのはどのようなものだろうか?

エンジニアの話に戻ろう。当初はAIを使って従来より少ない人数なのに生産性はより高まる。ただ手が足りないから集められたエンジニア明日にも危ないかもしれない。しかし、それなりのスペシャリティを持ったり、また社歴が長くウェットな関係を持ってたり、業務暗黙知を持ってるエンジニアはあと10年は安泰だろう。

10年というのは、人間側・社会側・会社側がAIを前提とした組織になれるまでの時間だ。

OA化、ペーパーレス化、完全IT化、派遣社員化。これらが常態化するまでおよそ10年と思っている。

最初の2年ぐらいはおっかなびっくり、次の3年で徐々に定着。残りの5年で残ってた業務が一掃される。10年立つと景色が変わっている。

その間は逃げ切れる。

から必死に現状にしがみつく必要がある。

エンジニアが蝶よ花よともてはやされ(たとえが違うだろ)、高給の代名詞になり、IT人材の不足が叫ばれ、プログラミングスクールが乱立し、採用が激化し、時代は終わる。

次の高給取りジャンルがなにになるかは知らないし、答え合わせは10年後くらいだろう。エンジニアゼロになることはない。ただ、こんなにも大量に採用される時代は終わった。10年後には半自律型のAIエージェントがどこの中小企業にもいて、相談したり、自立的操作させることによって社内IT環境を整備するなどしはじめているだろう。生産性は極大化するし、そのような自律エージェントの月額が数万円以上はするのを余裕で払える企業だらけの国のほうが強い。お金を払えば労働者あたりの生産性が上がる、という話が現実になった。AIを使えるエンジニア生産性認知負荷の限界まで極大化する。だから先行者利益のあるエンジニアはまだ辞めてはいけない。高年収という果実を極力確保するのだ。我々のスペシャリティコモディティになったが、それにまだ人々は気づいていない。まだ死ぬな。今のうちにさらなるAIキャッチアップを急ぎ、ウェットな部分を磨き、AI業務を投げながら生産性を極大化させたエンジニアとして生き残るのだ。

しかし、ヌルゲーになったなーーーーー。つまんねーーーーー。引退したい。死にたい

2025-03-14

さす九(鎌倉時代編)

九州に関して、都会から偏見という意味普遍的な特徴があるならば、昔から同じことを言われているだろうと思い、「人国記」から九州の個所を引っ張ってきた。

これらの中で現在にも残っているような特徴があるならば、地域性であり時代性で変化するのは難しいんじゃないかな。

福岡県北西部(筑前)

華美で派手な風俗が目立ち、人々の性格や考え方が十人十色。一方で物事最後まで成し遂げるのが難しい傾向がある。酒や遊興を好む人が多く、全体的に個人欲望を重視する風潮が強い。そのため親子の縁を絶ったり、他人を親より大切にする行動が一般的であり、そうした風習には問題がある。

福岡県南部(筑後)

実直で堅実な人が多く、十人中八人はそういった性質を持つ。常に義理道理について語り合い、損得をしっかりと考慮し、無駄遣いを控える傾向がある。そのため、言葉を飾ることは少なく、簡潔で実質的。一方で、一部には善悪判断曖昧で、理に合わない行動をとる人も存在する。この地域の堅実さは柔軟さを欠く石のようで、割れれば元に戻らない性質のようだ。

福岡県東部(筑豊)

性質が多様で、馬で例えるなら名馬もいれば、曲がった馬(問題を抱えた馬)もいる。信念がしっかりと定まらず、生死を論じる場面においても「人間として死ぬことが大切だ」という考えが薄い。忠義や孝行のために命を捨てる者もいるが、多くの人は感情に流されやすく、不合理な行動が目立つ。理を知りながらも道を外れる傾向があり、そのため「曲馬の国」とも言える。ただし、気質の弱さを克服し、高い志を持つ人々も存在し、彼らは非常に尊敬に値する。

大分県(豊後)

閉鎖的で偏った気質を持つ人が多く、死を軽んじるような行動が目立つ。理を知りながらも誤った道を進む人や、感情衝動に流される人が多い一方で、まれに高い志を持ち、尊敬に値する人物存在する。特に武士の間では、勇気を重んじながら理を欠いた行動が見られる傾向がある。

佐賀長崎(肥前)

人々は勇気に優れ、義理を重んじ、命を惜しまない傾向が強い。上の者は下を哀れみ、下の者は上を敬う風習があり、庶民主君のために命を捨てることを常に志としている。一方で、温和さや穏やかな心に欠ける部分があり、表現は粗野なところがある。しかし、人々の協調調和の面では優れた点も見られる。

熊本(肥後)

肥前国(佐賀長崎)に似ているが、勇気に関しては劣る部分がある。一方で、意地や気質に関しては優れている。しかし、知恵があり分別が多いことで、個々人の考えや思慮が多様化し、全体として調和することが少なく、意見や行動が二つ三つに分かれる傾向がある。そのため、肥前国(佐賀長崎)と比べると、全体的なまとまりや安定感において大きく劣る。

宮崎(日向)

無秩序で法を守らない行動が多く見られる。衝動的で自己中心的な考えに従う傾向があり、自らの行動が正しいと考える人がいる一方で、それを否定する意見があっても受け入れようとしない。また、他人道理を説いても耳を貸さず、結果として言い争いが生じ、最終的に争いが命に関わる結末を迎えることが多々ある。このような風潮は非常に卑しいもので、人倫道理理解しない行動が多いことが嘆かわしい。さらに、「死ぬことこそ善である」と考える風潮もあり、非常に危険で恐ろしい特徴。

鹿児島(大隅薩摩

「死」を重んじ、男性死ぬことを道徳と考えている。主従の作法や礼節も守られておらず、武士たちは主君の名を知って俸禄を受け取ることを当然とし、百姓たちは地頭を単なる存在として認識しており、礼節を欠いた行動が多く見られる。戦場での死も忠義からではなく慣習的なものとされている。また、日常生活(平和とき)では、主君がきちんと座る一方で、家臣たちは足を伸ばしたり立ち上がったりしながら主君と話すことがあり、このような礼節を欠く風俗は末世の特徴である

2024-09-08

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く その2

https://anond.hatelabo.jp/20240906234755から続く

おしん物語でもうひとつ誤解していたことがある。おしんは田倉を救ったという誤解(ここは超重要ネタばらしなので注意)

この出来事は、1983年から1984年にかけての現代編に関連している。。おしん83歳の頃、たのくらスーパーの拡大事業は、大手スーパー進出によって経営難に陥り、倒産寸前まで追い込まれていた。過去おしん初恋した相手並木浩太の息子が経営する並木商店が、大手スーパー土地買収における重要場所にあり、その売却次第でたのくらは助かる状況であった。私は以前、おしんが浩太を説得し、並木がその情に応じて救済が成功したと思い込んでいたが、実際にはそうではなかった。

なぜそのように思い込んでいたのか。もしかすると、失踪から戻ったおしんに、並木を説得してくれと仁が土下座して頼み込んだシーンがあったからかもしれない。

おしん」は全297話もあるドラマだが、その第1話は、たのくらスーパーの新店舗開店祝いにおしんが出席せず、家出する場面から始まる。おしん失踪理由が明らかになるのは、終盤の第290話。ドラマ伏線回収が時代を経て行われることが多く、おしん家出理由も最終週で回収される最大級伏線ひとつであった。この巧みな構成は、橋田壽賀子演出家のすごさを感じさせるもので、まさに名作と呼ぶにふさわしいものである

特に佐賀編では、あまり過酷さに倍速で視聴したこともあったが、終盤に近づくにつれ、ポーズしてでもじっくりと次の展開を予想しながら見入っていた。

1話から第3話にかけては、おしん並木商店の大旦那に恩義を感じていたため、新規スーパーの出店に反対していたことが示唆されていた。そのため、多くの視聴者おしんが息子の恩知らずな商売拡大に恥じて家出したと理解していたはずである。ぢかし終盤になってその真の理由が明かされるという展開が待っていたのは正直、超絶長い伏線回収である

実際には、おしん失踪直前に浩太を訪れ、仁の事業拡大による不義理を詫びていた。その際、聞かされたのが大手スーパー進出についての話である並木商店大手への売却は、並木商店の生き残り策であり、たのくらへの防衛策でもあった。おしんはすべてを理解したうえで、浩太に対して大手スーパーへの土地売却を進めるように頼んでいたのである

その後、おしんが戻ってきた際も、並木はまだ売却を逡巡していた。仁はおしん土下座して、まだ間に合う、並木を説得してくれと頼んだが、おしんは改めて浩太に売却を進めるよう頼むのであるおしん厳しすぎるだろ。

おしん大手進出によってたのくらの事業が立ち行かなくなることはわかっていたが、ひととしての恩義を忘れ、家族を顧みず金儲けに走ってきた田倉家の再生のために、そして恩人の浩太の一家のためにも並木土地大手売却への契約を進めてくれと願い出る。相変わらずおしんさんは厳しいお人だと微笑む浩太は、ついに売却を決意する。

仁は、母のおしん交渉に失敗したと思い込み失望して母を責める。妻の道子も、夫に失望し、ついには離婚宣言する始末。家族崩壊が進む中で、おしんはその様子を静かに見守ってゆく。

これが朝ドラ最終週の出来事というのがスゴイ。

おしんは仁に、離婚再考するよう促し、仁はようやく家族の大切さを思い出す。この姿は、かつて佐賀で竜三を立ち直らせるために試みたおしんの姿と重なる。仁と竜三は、いずれも実家の甘えを捨てきれずにいた共通点があった。おしんは仁の田倉商店倒産させてでもその甘さを排除しようとしていたのである

事業整理のため自宅売却を進め、引っ越しの準備のさなか、家族は徐々に絆を取り戻してゆく姿は橋田壽賀子の夢の世界なのかもしれない(正直、ここはちょっとうーんと思うところはあるが)。しかしこれが橋田ドラマ流の大団円なのだろう。

前述したように、田倉商店は浩太によって救済される。というより人の縁によって救われる。それはまさにおしん商売において大切にしてきた価値観なのであるしかしそれは、全297話、一年近く放送してきたおしんドラマの終盤最終話、終了わず10分前の出来事である。すごい。

橋田壽賀子がこの物語を書き始めた理由は、バブル経済前夜にあった80年代の人々が、お金儲けに走り、大切なものを見失っているのではないか、という思いからであった。物語ラストにはそのメッセージが強く反映されている。

田倉竜三についてのメモ

竜三と息子の仁は、おしんから見て「甘い」性格であり、竜三は何かと佐賀実家に頼るところがあった。しかし、竜三が「俺についてこい、命を懸けて大きな仕事をするんだ」と前に進もうとする時の屈託のない笑顔を、おしんはたまらなく愛していたのだろう。

竜三が敗戦時に自決した際、おしんはその死を「立派だ」と称した。今回全篇通してみる前は、残された家族を顧みない自殺自分勝手で情けないものだと思っていたものの、物語全体を通じて竜三の死に対するおしんの思いが腑に落ちる瞬間があった。

自殺直前の竜三のつぶやきがその鍵となる。

私は後悔しているんじゃないよ。私は私なりに信じて戦争にも協力してきた。軍のおかげで初めて仕事らしい仕事もさせてもらった。男として存分のことしてきたんだ。むしろ精一杯生きられたことをありがたいと感謝しているよ。ただ、ひとは私の生き方を間違っていたというだろう。私は軍と手を結んで仕事をしてきた。隣組の組長として戦争への協力も押し付けてきた。私の勧めで志願兵として少年航空隊に入った少年もいる。その中にはもう帰ってこない少年もいた。国債だって随分買わせてしまった。それも今となっては反故だ。私が無視する事だってできたんだ。だが私はそれをしなかった。もちろん私には私の信念があってやった事だ。それを悔いる気持ちは全くない。しか戦争に協力して罪もない人たちを不幸に陥れてしまった責任は消えやしないんだ!

これが自殺直前の竜三のつぶやきである。竜三の言葉なかに隣組という言葉が出てくる。

明治から終戦にかけての日本は、天皇を頂点とした「家制度」を仮構し、その枠組みの中で国民国家が成り立っていた。この「家」の概念は、戦時中には配給制隣組といった組織を通じて等しく苦労するフィクションを生み出し、社会の不平等を覆い隠していた。田倉家もその影響を受け、軍部から委託工場経営していたが、周囲からは「軍と結びついて甘い汁を吸っている」と陰口を叩かれていた。仁がある日突然、少年航空隊に志願した背景には、そうした噂への嫌悪感があったのかもしれない。

その後、仁は終戦の日も戻っては来なかった。田倉家では仁は戦死したもの想像していたのである

日本が「ひとつの家」として観念された時代において、家族を守ることと国を守ることは同義であった。竜三にとって、隣組の子供たちの死や戦争責任を負うことは、家制度の枠組みの中で重要役割であっただろう。彼が自決した理由も、家制度に基づく責任から来ていたのであるおしんが竜三の死を「立派だ」と称したのは、竜三が自らの信念に従い、天皇を頂点とした「家」への責任を全うしたと理解たからかもしれない。

語弊を承知でいえば、竜三の自決は、個人としての責任を取る行為であり、家制度における「切腹」にも通じる感覚だったと言える。

おしんが育った山形貧困農家では、口減らし普通だったし、姉のはるが死んでも母が死んでもまともに葬式もできない窮状だった。女性犠牲にして平気な顔してきた作造も長男庄司があまりにもひどかったことを思い出すと、隣組責任を感じて自殺するなんて、むしろ立派なことに思えてくる。

しかし、どうだろうか。

竜三のこれまでの数々の挫折経験のように、ふるさとの太い実家に戻るというような、逃げ道はなかったのだろうか。しかし思えば伊勢にきて魚屋になった頃から20年間、竜三は佐賀実家依存する思いがほとんど消え去っていたように思う。竜三の佐賀依存が消えていったことはおしんにとってはうれしいことでもあった。

禎の疎開ときですら、佐賀疎開という選択肢排除された。疎開先で虐待され逃げ帰ってきた禎をみたときには、さすがに佐賀という選択肢はあってもよかったと思うが。竜三はそれもしかなった。

太い実家をあてにしない、それはおしんが望んでいた竜三の自立の証でもあったはず。竜三は魚屋からの次のステップとして伊勢で軍の納入業者になることに挑戦した。そしてようやく家族を養う自信が付き始めた頃のこと、おしんは竜三が佐賀実家を頼らず、雄、仁、禎、希望、初子の5人の子供のために大きな仕事に夢を託していると思うとたまらなくいとおしくなった、とナレーション述懐している。

しかし、竜三が太い実家という表象代替として知らず知らずのうちに依存していたのは、天皇を頂点とする日本国という「巨大な家」だったのである

おしん自身は、国家という家のフィクションを完全には信じてはいなかったが、なんとなく空気には流されていた。しかし竜三は深く信じていた。信じていた以上、潔くその家の責任を取ったということだ、おしんはそう理解したのだろう。そうであれば、軽々しく天皇制などというフィクションを捨て戦前の考え方などなかったかのように、これから自由社会だ、などとふるまうことはズルいことだと思ったかもしれない。しかし、国が家族であるという考え方を捨てさえできれば、なんだったら太い実家に戻ってもいいのだ。しかし竜三はそれを逃げ場にはしなかった。だから立派だといったのではないだろうか。

敗戦直後の225話では、父と兄を失った仁の感慨として、潔く死を選ぶか女々しく図太くたくましく生き残るかの二者択一として人生観が総括されてゆく。その後の長い戦後物語では、昭和58年物語の終盤に至るまで、たびたび竜三と雄の仏壇に手を合わせるシーンが出てくる。これも地味だけど見逃せない。おしんが田倉竜三への思いを忘れずにいるという、竜三への愛と敬意がここに見て取れる。かつて伊勢海岸で、逃げようとする竜三をタックルをしてでも捕まえたおしんの心情がオーバーラップしてくる。

ちなみに、この竜三の自決は、80年代90年代翻訳放送された海外ではどう受け止められたのだろうか。それはとても気になっている。

おしんドラマ橋田寿賀子の反戦思想が色濃く反映しているといえるが、そのなかに侵略植民地支配反省という視点希薄である。それは竜三の自決動機のなかでも軍部に寄り添い、同胞を死に追いやった責任は感じても、侵略に手を貸した自画像みえてこない。しかし、植民地支配への反省についてはそれ自体動機にはなっていないものの、それにつながりうるイエ観念を読み取れるように感じた。隣組他人ごととしてとらえていたのであれば、竜三の自決はなかったはずである。そうであれば拡大されたイエ観念により実効支配された地域に考えが及んでもおかしくはない。実際にはそこまで思いは至らずに死んでしまうのだが。

同じ昭和時代作品である五木寛之の「青春の門」では、筑豊炭田差別的な扱いを受ける朝鮮人労働者が大きなテーマとして描かれている。石炭鉱業会社経営者が、朝鮮人労働者たちから待遇改善を求められた際、「他の山は知らんが、生きるも死ぬも一緒に炭を掘ってきた家族同然だ。私が親でお前たちは子供だ」と言い返すシーンがある。

この台詞は、日本を親、植民地を子と見立てる当時の日本人の感覚象徴している。家族になることで遠慮がなくなり、苦労を強いても平気になるという現象は、まさに家族観の持つ影の部分を示している。(ちなみに映画青春の門筑豊1980年経営者と交渉した朝鮮人労働者リーダー役を演じた渡瀬恒彦は、おしんでは浩太役を演じている。)


この真理を見事に表現しているのが、初子の存在である八紘一宇における植民地と田倉家における養子初子は入れ子構造なのである。初子の境遇は、創氏改名を強いられ皇民化の果てに敗戦を迎えた朝鮮民族運命二重写しに見える。植民地いかにわが子供のように見立てようともいざ状況が変わればあっさりと切り捨てられてしまう。

初子の抱えていた不安というのはまさにそういうものだった。おしん長男・雄の戦死を契機に山形帰郷するよう初子に伝えたおしんの行動は田倉家以外に居場所のなかった初子にとって残酷ものであったといえよう。自殺を思いとどまり米軍相手娼婦となった初子は誰にも消息を知らせないまま、3年もの間、田倉家に送金を続けていた。おしん言動は初子を養女とみていたとはいえない一方、初子は養女としての行動をとっていたのがいじらしく泣ける場面である

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911へ続く

2023-07-21

anond:20230721200947

都会のエリートが羨ましい

死んだ目して薬局ドンキバイトしてる女じゃなくて女子アナみたいな良い大学の女と家庭作れるなんて羨ましすぎてしばきたくなる

九州筑豊田舎だわ

2023-06-04

anond:20230604122431

筑豊まれだけど半グレというか一般人狙いの多さを考えると関東というか東京都市部が圧倒的に治安悪いよ

今の筑豊ちょっとヤンキー多めでマナーが悪い人が多いくらいの割と普通田舎でヤーさんや半グレ一般人巻き込む類の事件は減った

2023-01-19

anond:20230119111930

こういうの見るとやっぱ田川とか小倉とか筑豊公立中学から久留米大附設とか県立トップ校受かるやつって超人だと思う

高みを目指して勉強頑張ってるのバレたら妨害されるような地域だろ

2023-01-05

anond:20230105180947

怖くないよ福岡県でも北九州筑豊だよ

つい最近4月15日にも、北九州市の小倉駅前の植え込みで、手榴弾らしきもの発見される事件があったばかり

2022-12-10

anond:20221210111951 anond:20221210125214

▼ 女丁持:庄内米歴史資料

http://www.city.sakata.lg.jp/bunka/bunkazai/bunkazaishisetsu/syounaimai_siryoukan.html

山居倉庫での米の出し入れは、女丁持という女性労働者が背負って運んでいました。

最高米俵5俵(300キロ)を背負った記録があります

体験コーナーで、30キロラム、60クログラムの重さにあなたも挑戦してみませんか。

 

▼ 地の底の声―筑豊炭鉱に生きた女たち

http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-736.htm

 

モンゴルの女戦士 (神話におけるアマゾネス)

イルクーツク国立研究技術大学(IRKUTSK NATIONAL RESEARCH TECHNICAL UNIVERSITY)の考古学者らが14世紀に住んでいた30歳~40歳女性戦士墓地を、

今夏にフブスグル県で発見した。オルドヒャル1号という発掘ゾーンから当時の女性より体格が大きく、つまり高さ180センチ女性戦士の墓が発見された。

 女性男性と同様に武器と共に葬っていた。調査団長アルトゥール・ハリンスキー教授は「モンゴルアマゾンとも言えるこの女性男性を勝ち抜ける力持ちだった」と話している。

大きな体格の女性をロングナイフと、斧、弓、銅のボール等の武器と一緒に葬っているのが非常に稀なケースだという。

戦士女性戦争による負傷痕はなく、重症により死亡したのではと推定されている。女性の歯がほぼ全部落ちており、歯根に生じた穴が顎骨までに進んでいた痕がある。

考古学者らは骨盤と顎に形から女性だと予測し、遺伝調査により判定するという。

ロシア考古学者らは女性戦士の墓のほか、オルドヒャル2号の発掘ゾーンからもう一つの富豪女性の墓を発見した。

その女性の墓からヨーロッパ製のアクセサリーが見つかった。学者らは西ヨーロッパ戦争から帰ってきた夫から恋人に与えられた戦利品だった可能性が高いと、

ハリンスキー教授結論付けている。今回の発掘調査にはモンゴルからウランバートル大学教員学生のチームが参加した。

発見物をロシア研究所で研究し、モンゴの博物館返還する。

 

[MONTSAME] フブスグルから女性戦士墓地発見
https://montsame.mn/jp/read/221297

2022-10-18

anond:20221018003149

博多喰種とか、北九州喰種、筑豊喰種とかだと、凄いヤクザ感出てくるな。

2022-09-16

anond:20220916171902

中洲でもおやくざさんとすれ違ったことはない

中洲風俗24時で閉まる(空いているのは飲み屋カラオケスナック

筑豊新飯塚駅前の深夜JKが怖いくら

一般のお客さんがおいてたスーツ上着ビールこぼしたとき

怒り&酔った博多弁怖かったな

2021-07-17

anond:20210717151708

男と女なんて物は無い、性差なんて物は存在しないって考えは新興宗教だな

脳科学生物学的・歴史的 知見だと思う

 

ーーーーーー

▼ 第5回 「男脳」「女脳」のウソはなぜ、どのように拡散するのか|ナショジオ | 研究室に行ってみた。東京大学 認知神経科学実験心理学

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/17/020800002/021400005/?P=2

「間違った心理学で、男性がこう、女性がこうとか、世の中ではよく言われていますね。例えば、男女の脳の違いとして、男性の方が左右の脳の連携がよくないとか。これには、元になった論文がありまして、1982年に『サイエンス』誌で発表されています(※)。男女それぞれ、脳梁の太さを測ったら、女性のほうが太かったと。でも、この論文データ男性9人、女性5人からしかとってないんです。それだけで、女性のほうが左右の脳の連絡がよくできてるっていう結果にしている。そもそも信頼性がないし、その後、いろいろな研究者再現しようとしたんだけど、結局できてません。今さすがにこれを信じている脳科学者はあんまりいないんですよ」

 

 現在の知見では、少なくとも形態上、男女の脳に違いはない、ということになっているそうだ。しかし、「男女の脳」「脳梁」といったキーワード検索すると、驚くほどたくさんの結果がヒットして、「脳梁が太いか女性はおしゃべりで、感情的」みたいなことが平気で書いてある。

 

▼ 地の底の声―筑豊炭鉱に生きた女たち

http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-736.htm

▼ 女丁持:庄内米歴史資料

http://www.city.sakata.lg.jp/bunka/bunkazai/bunkazaishisetsu/syounaimai_siryoukan.html

山居倉庫での米の出し入れは、女丁持という女性労働者が背負って運んでいました。

最高米俵5俵(300キロ)を背負った記録があります

体験コーナーで、30キロラム、60クログラムの重さにあなたも挑戦してみませんか。

 

モンゴルの女戦士 (神話におけるアマゾネス)

イルクーツク国立研究技術大学(IRKUTSK NATIONAL RESEARCH TECHNICAL UNIVERSITY)の考古学者らが14世紀に住んでいた30歳~40歳女性戦士墓地を、

今夏にフブスグル県で発見した。オルドヒャル1号という発掘ゾーンから当時の女性より体格が大きく、つまり高さ180センチ女性戦士の墓が発見された。

 女性男性と同様に武器と共に葬っていた。調査団長アルトゥール・ハリンスキー教授は「モンゴルアマゾンとも言えるこの女性男性を勝ち抜ける力持ちだった」と話している。

大きな体格の女性をロングナイフと、斧、弓、銅のボール等の武器と一緒に葬っているのが非常に稀なケースだという。

戦士女性戦争による負傷痕はなく、重症により死亡したのではと推定されている。女性の歯がほぼ全部落ちており、歯根に生じた穴が顎骨までに進んでいた痕がある。

考古学者らは骨盤と顎に形から女性だと予測し、遺伝調査により判定するという。

ロシア考古学者らは女性戦士の墓のほか、オルドヒャル2号の発掘ゾーンからもう一つの富豪女性の墓を発見した。

その女性の墓からヨーロッパ製のアクセサリーが見つかった。学者らは西ヨーロッパ戦争から帰ってきた夫から恋人に与えられた戦利品だった可能性が高いと、

ハリンスキー教授結論付けている。今回の発掘調査にはモンゴルからウランバートル大学教員学生のチームが参加した。

発見物をロシア研究所で研究し、モンゴの博物館返還する。

 

[MONTSAME] フブスグルから女性戦士墓地発見
https://montsame.mn/jp/read/221297

2021-07-01

anond:20210701173643

性差とか宗教だぞ

 

第5回 「男脳」「女脳」のウソはなぜ、どのように拡散するのか|ナショジオ | 研究室に行ってみた。東京大学 認知神経科学実験心理学

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/17/020800002/021400005/?P=2

「間違った心理学で、男性がこう、女性がこうとか、世の中ではよく言われていますね。例えば、男女の脳の違いとして、男性の方が左右の脳の連携がよくないとか。これには、元になった論文がありまして、1982年に『サイエンス』誌で発表されています(※)。男女それぞれ、脳梁の太さを測ったら、女性のほうが太かったと。でも、この論文データ男性9人、女性5人からしかとってないんです。それだけで、女性のほうが左右の脳の連絡がよくできてるっていう結果にしている。そもそも信頼性がないし、その後、いろいろな研究者再現しようとしたんだけど、結局できてません。今さすがにこれを信じている脳科学者はあんまりいないんですよ」

 

 現在の知見では、少なくとも形態上、男女の脳に違いはない、ということになっているそうだ。しかし、「男女の脳」「脳梁」といったキーワード検索すると、驚くほどたくさんの結果がヒットして、「脳梁が太いか女性はおしゃべりで、感情的」みたいなことが平気で書いてある。

 

地の底の声―筑豊炭鉱に生きた女たち

http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-736.htm

女丁持:庄内米歴史資料

http://www.city.sakata.lg.jp/bunka/bunkazai/bunkazaishisetsu/syounaimai_siryoukan.html

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2021-03-30

anond:20210330174119

筑豊はどうでもいいけど筑豊本線は思い出いっぱいでウッとなる

おいべっさん行きたいな〜!

2020-07-25

anond:20200725063320

そう言ってるんだが?

でもそれも正確じゃないけどな

 

地の底の声―筑豊炭鉱に生きた女たち

http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-736.htm

女丁持:庄内米歴史資料

http://www.city.sakata.lg.jp/bunka/bunkazai/bunkazaishisetsu/syounaimai_siryoukan.html

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2020-07-16

anond:20200715233142

性差とか宗教だぞ

  

地の底の声―筑豊炭鉱に生きた女たち

http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-736.htm

女丁持:庄内米歴史資料

http://www.city.sakata.lg.jp/bunka/bunkazai/bunkazaishisetsu/syounaimai_siryoukan.html

山居倉庫での米の出し入れは、女丁持という女性労働者が背負って運んでいました。

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2020-07-07

anond:20200707083937 anond:20200707083852

地の底の声―筑豊炭鉱に生きた女たち

http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-736.htm

女丁持:庄内米歴史資料

http://www.city.sakata.lg.jp/bunka/bunkazai/bunkazaishisetsu/syounaimai_siryoukan.html

山居倉庫での米の出し入れは、女丁持という女性労働者が背負って運んでいました。

最高米俵5俵(300キロ)を背負った記録があります

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2020-05-31

anond:20200531124826

筑豊地区炭鉱地域だったんだけど、筑豊の人は博多より交通の便がいい北九州に出てくる。

北九州も製鉄など工業都市だったからもともと気質が荒っぽい。

暴力団活動も活発。

2020-05-29

どうして北九州で第二波?

ほぼ筑豊の猿のせいです。でも地方の現状を現しているとも思います

実際都市部以外での新型コロナ対策なんてあってないようなものテレワーク自粛?持ち帰り限定?とか無いです。都会からは見えてないでしょうし、そんな田舎者SNSアカウントフォローしていないでしょう

結果、筑豊DQNみたいな行動力化身みたいなのが気力と無頓着で新型コロナのまま遊び回り、解除した都市部に再び新型コロナを持ち込んだのです。博多じゃなく北九州なのは筑豊の猿は博多じゃ虚勢張れないからです

東京時間差で今週末から解除なので6月半ばには本当の第2波が来るでしょう。やはり北関東人間が集まる池袋、あと大宮辺りじゃないか

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