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2025-10-30

駅のトイレ侵入疑い、57歳男を逮捕 別の男性の尿飲む 兵庫西宮

https://www.kobe-np.co.jp/news/jiken/202510/0019649094.shtml

じゃあなんすか、人の尿飲むなっていうんですか?

2025-08-16

中川翔子さん、火垂るの墓西宮BBA非難して炎上してた

やっぱりこの人いっちょ噛みで浅いんだわ

もう少し時代背景とか原作勉強してこいよ

高畑監督も最悪の選択を取り続けた結果と評してる。

例えばじぶんちに寄生してる赤の他人が働かないクソニートだったとして献身的に世話してやるか?やらないよな

そもそもドラクエ5の嫁選びも水の羽衣とか小遣いがもらえるって理由フローラ選ぶんだもんな

山田孝之ISSA長瀬智也小栗旬ダルビッシュ有なんか迷わずビアンカを選んだのとは対照的で常に打算で物事を捉えてるんだなって分かったよ

打算的だから表面的な感想しかかばないんだろ

コイツ母親になるのに今からこの調子大丈夫か?子供は親選べないし完全に親ガチャ外れだろ・・・

映画火垂るの墓』で清太を擁護して西宮のおばさんを非難してる奴は恵まれてる人種

家庭環境に恵まれてて現代的な価値観家族総出で働きに出てるおばさんちに対して文句言うのってどうなの?おばさんちの事情なんて考えた事ないんじゃない?

おばさんが苦言口にしてたけど、清太は働きもせずブラブラ遊び回ってた。だから食事差別化されるのは当然でその上それに甘んじてたよね

文句も言わなかったもの自分よりさらに粗末な汁だけだった節子の境遇見ても自分さえ良ければって感じで無視してたよね。女学生のお姉さんはちらっと見てるのよね。

原作ではこの件でおばさんに待遇改善出来ないかと直訴してる。ドラマ版でも後におばさんのイジワルな姿勢を叱責してる。

それを後になっておばさんを悪者にして別に食事を取るつって七輪買ってきて当てつけててつくづく我儘でクソガキだったよね

その後自分食器も洗わず自分の服も洗濯せず家事殆どをおばさんに任せきりだった

しかもこのおばさんと清太たち兄妹って完全な赤の他人だったんだよね

おばさんが最初に清太に不信感を持ったのはお母さんの死を隠してたでしょ。節子の手前だったそうだけどさ

もし最初にこの事を言ってたら恐らくそれでも受け入れてくれたよ。だって清太の親がおばさんの亡き夫に生前約束してたからね。その遺志を尊重するために一応義理果たしてる訳よ

そのお礼ってのが家賃代わりのコメとかバターでしょ。赤の他人を住まわせて衣食住面倒見てお風呂毎日入れてやってる訳よ、これ慈善事業じゃないのよ?おばさんが清太たちを憐れに思ってやってくれてたのよ。

にも拘わらず薄情が~義理が~おばさんは卑怯卑劣で酷いって叩いてる奴らって本当に映画本編見た上で主張してるの?

現代的な価値観でおばさん批判ばかりしてて清太は子供なんだぞ!というばかりだけどさ、このおばさんちに住んでるお姉さんいたでしょ?清太と一つか二つしか年齢変わらないのに学校行って勤労奉仕してる女学生だけどさ、あの当時女性差別が凄まじかった時代に何とか家族を支えようと頑張ってる訳やん

でも清太は何か一つでも仕事した?何もしてないよね

から清太は子供から!っていうのは全く通じないのよ。学生時分の人でも働いて貢献してる訳よ。だから食事も差が付けられた訳で。

まれてる人って清太が持ってきた食糧が1か月分あるとか本気で思ってるんだろうね。家事やった事ないんだろうね。多くても1週間分位じゃない?あまりにもひもじいから清太のお母さんの着物を売ってそのお金で白いお米買って来てちゃんと二人がお代わり沢山出来るように配膳もしてくれたけど売った金でコメ買ったんだから当然だろっていう人もいるかもだけど当時インフレが凄くて食糧買うのにお金全然足りない時代だったのね。その事は後に清太が節子を連れてホームレスしてた時に親切な農家のおじさんから金銭で食料を分けて貰おうとしてた時にも判明してる。

そしておばさんちを出た時もおばさんは凄い心配そうに見守っててホントにやっていけるのかな?っていう心情が当時の絵コンテ資料にも残ってる。

とにかく我儘放題で一つ正論を叩き付けられると癇癪を起してついには家出。その上畑泥棒火事場泥棒もしてその間節子はどんどん衰弱してるのに本人は物凄い元気なのよ。いっぱい泥棒した先で喰ってるのよ。で節子に申し訳ないって気持ちになってかぼちゃを盗んで帰ってきた時もアリバイ工作みたいで感心しなかったよ

節子に母親を見たり節子でオナニーしたり節子がいなければ俺もあの家で・・・といった話もある。節子の存在は実は邪魔で足かせだった事は原作にあるけどアニメでは結構ぼかしたよね。だから駐在解放されて節子が迎えに来た時母性感じたって清太の心情が何か歪に感じられてますます不愉快気持ちになった

当時の世情だから泥棒も仕方ない、そうなのよね

でも結局優しい大人たちの助けをいつでも借りれる状況だったのに頑なに自分理想を追い求めて最後には最愛の妹を餓死させてるので清太をそれでも擁護してる人に対して理解が出来ないし恵まれてるなと強く思ったよ。

2025-08-03

8月2日放送ETV特集火垂るの墓高畑勲と7冊のノート」を観た。

https://www.ghibli.jp/info/013977/

番組では、これまで存在が知られていなかった7冊の創作ノートが紹介された。高畑映画火垂るの墓』において、原作に忠実でありながらも「F清太(ファントム幽霊)」という独自視点を加えたことが4冊目のノートで明かされる。原作と異なる重要な点は<思い出のなかの清太>と<幽霊としてのF清太>の二人がいるということだという。F清太は、最後に観客をじっと見つめ、現代私たちに問いかける存在として描かれている。言われてみれば確かに映画の冒頭と最後カメラ目線の瞬間がある。長年、心の奥底に染みついていただけだったが、改めて自分がF清太に見られていたことを強く意識させられると同時に、その意味が次第に言語化されてきた。そうか、過去自分を思い出す幽霊から始まっているのか。過去を思い出し、未来目線をむける、その行為に何か深みを感じた。

F清太は何を思い出していたのか

この映画は、多くの人が指摘していることだが、子どもの頃と大人になってからでは感じ方が変わる。清太は二人で生き抜けると信じて家を出たが、現実は甘くなく、妹を死なせてしまう。その未熟さは、みる大人には悔しさを呼び起こす。

そこに、F清太の俯瞰的視線意識してみると今度は、清太の個人物語を超え、より大きな歴史的文脈で当時の日本という国の姿と重なって見えてくる。清太は、叔母と決別したあと、東京の親戚の居場所を探そうともせず、叔母との和解を諭した農家医師言葉に耳を貸さなかった。和解するチャンスは何度もあったが、戻ろうとはしなかった。その判断は、満州事変以降ABCD包囲網に至るまで、外交解決放棄して戦争に突き進んだ当時の日本の姿と共鳴しあう。そして節子の死もまた、戦時中兵士の多くが飢えで亡くなった現実と重なり、戦争が長引き補給が途絶え、国家国民を守れなくなった姿を映している。空襲のたびに街へでて火事場泥棒を働き、痛快な笑顔で横穴に戻る清太。二人が暮らした水辺は、あたか戦地となったアジア太平洋すらも想起させる。

内なる他者=F清太は、自分自身過去の行動を死者の目線で見つめており、時には未来の観客の目をまっすぐに見返してくる。このカメラ視線意識すればするほど「なぜこんなことになってしまったのか」と、観ている私たち一人ひとりに問いかけているように感じられる。ここには、レヴィナスの<他者>を思わせるものがある。レヴィナスによれば、自己他者の顔に直面することによって、つまり一方的な応答責任に巻き込まれることによってこそ立ち上がるという(『全体性無限』)。F清太の視線が観客に向く、その瞬間、私たちは名指され、呼び出され、ただの観客ではなくなる。作品の外でメタ存在であるはずだった私たちは、他者まなざしを向けられることによって物語の中に引き込まれ、「問われている存在」として主体構成を迫られる。「自分ならどうしたか?」―作品の内と外を隔てる壁を破り、私たち自身判断責任を静かにいかけられる。

番組では、作家綿矢りさが「子どものころは清太のサバイバルをワクワクしながら観ていた」と語ったのも印象的だった。その感覚は、太平洋戦争開戦直後に「きっと勝てる」と信じていた日本人の空気に通じる。興味深いことに、高畑絵コンテには、防空壕での痛快なサバイバル生活もっと丹念に描かれていたが全体の尺の都合から削られたのだという。上映日が迫るなか、高畑本人は自ら切り捨てることを忍び得ず、鈴木敏夫に削除を一任した。番組で紹介された不採用絵コンテを見る限り、水辺ののどか生活風景のようだ。編集により、水辺で暮らし始め、父はきっと帰ってくると信じていた清太の胸に去来した観艦式の思い出や軍艦マーチ、そして火事場泥棒などのエピソードが残った。最初希望に満ちていても、ゆっくり悲劇が忍び寄る―そうした構造が、上映直前の編集によって鮮明に浮かび上がったように思えた。

物語の転機は、敗戦を知り、父の所属する連合艦隊の壊滅を知る場面だ。<連合艦隊>は単に日本軍というだけではない、海軍のなかでも特別位置づけをもった組織だ。通常の艦隊部隊は、海軍省等の指揮命令系統に組み込まれ、直接に天皇と結びつくことはないが、連合艦隊司令長官は「天皇直隷(直属)」という形をとっていた。そこに士官として所属していた清太の父はエリート中のエリートだ。

その連合艦隊所属する父は清太にとって「何とかしてくれる」存在であり戦争正義のものだったが、その希望が崩れ落ちる。その絶望は、敗北を直視できず精神論にすがった国民の姿と重なる。節子が死んだ夜の風雨は枕崎台風だ。この台風農作物は壊滅し、翌年にかけて1千万人の餓死者が出るのではとの大臣談話が出ていた。そして清太が最期を迎える三ノ宮駅は、父に再会できるかもしれないという一縷の望みにすがった象徴でもあった。見事な演出だ。

そしてF清太の目線は、丘の上からみおろす現代夜景へと転じ、物語最後に、いまを生きる私たちに向けられる。その物言わぬ視線はあたかも「清太の行動が未熟に見えたあなた。けれど、あなたが同じ状況に置かれたとき、別の選択が本当にできるといえますか?そうするほかなかった、と空気に流されるのではないですか」と問うているかのようだ。

もっとも、ここまで述べた感想はF清太に焦点を当てた深読みの試みにすぎない。『火垂るの墓』の99.9%を占めるのは、やはり胸を締めつけるような少年悔恨であり、戦時下のどうしようもない状況、飢餓といった普遍的テーマだ。その圧倒的な描写力に観るたび心を揺さぶられる。しかし、その感傷のただなかで、最後にF清太がふと視聴者に向けた視線だけは、別のすごみがある。全体の流れからすればわずか1秒足らずに過ぎないが、その一瞬にメタ視点からメッセージが宿り、感傷を突き抜けた先に観客をつれてゆく力を持っている。川島雄三的な手法だ。

過去反省とは何か~語られない戦争経験

清太が叔母の家を出たのは、彼の自立的選択だったのだろうか。清太の行動はむしろ、「しょうがない」の状況に流された形にみえる。東京の親戚を訪ねれば?との叔母の問いにも「だって場所知らない」というつぶやきも状況を受け入れているにすぎない。国家もまた、ABCD包囲網を前に「他に道はない」と繰り返しながら、実際には〈選択不能性〉を自己演出し、主体責任回避した。ここに丸山眞男が「無責任の体系」と呼んだ入れ子構造垣間見える。

しかし、その<仕方のなさ>の感覚は、まぎれもない当時の人々にとっての記憶だ。戦後戦争記憶を語らない人も多かった。「あのときは選びようがなかった」という感覚は、語れば外から価値観に塗り替えられてしまうという恐れを呼び起こす。占領下の日本GHQの統制下、180度価値観が転換されるといわれた時代戦争を生きた記憶は、勝者の正義空気の中で、語ればすぐに記憶が塗り替えられてしまう。語れば壊れてしま記憶を守るための沈黙はとてもよく理解できる。<反省>という行為進歩感覚がセットになると、胡散臭さが付きまとう。日本は生まれ変わるのだといわれてもなと。冒頭の三ノ宮駅での通りすがりの人の「もうすぐ米軍が来るというのに、恥やで、こんなんおったら」は象徴的だ。結果として人々は沈黙していたのではないだろうか。

終戦直後小林秀雄は「近代の超克」を自省する知識人たちを相手に、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と言い放った。知識人たちの総括に対する小林の態度は考えさせられる。小林戦前から一貫して進歩主義に基づくマルクス主義史観には距離を置く発言をしてきた文化人だ。

また、反省という言葉を聞くたびに思い出すのは岸田秀だ。「ものぐさ精神分析」のエッセイ集のなかで、酒を飲んでやらかししまったとき自己嫌悪を例に挙げ、なぜ反省しているのに何度も同じことを繰り返すのか、そもそも自己嫌悪」とは何かを分析した。自己嫌悪に効果がなく同じことを繰り返してしまうのは、<倫理的覚醒した自分>が<コントロールを失って暴れた自分>を自省し、本来自分倫理的で、酔って暴れた自分本来自分ではなかったという卑怯立ち位置のもとで成り立っているからだと喝破した。これは「まだ本気を出していないだけ」の思考回路と同じだ。

同じことが、戦争記憶もいえるはずだ。特に戦中派(特攻世代)の一つ上の世代記憶

太平洋戦争末期を思春期青年期に過ごした戦中派と異なり、それ以前の世代戦争記憶は同じ戦時下といっても微妙に異なったものだっただろう。戦争が泥沼化するに伴い、決して人に言いたくない血塗られた戦闘に巻き込まれ世代だ。長期化する日中戦争に伴う厭戦気分と士気の低下が増大するにつれ、あとに続く若い世代忠義心がむしろ煽られるのを目の当たりにしていたし、強い責任感とともにお国のために尽くす自己犠牲の美学に傾倒するさまをみていたはずだ。この世代葛藤を描いだドラマ作品に、山田洋次原作少年寅次郎』(脚本岡田惠和)がある。戦地から戻った寅次郎の父が罪悪感からさくらの顔を直視できなくなる場面がある。彼は中国戦線で同じ年ごろの子どもを殺していたからだ。その罪の重みと、生きていかなければならない現実とのあいだで沈黙する姿が描かれる。アジア太平洋への侵略を後世の人間反省するとき被害者側や左派論理で都合よく記憶が加工されてしまうが、それは本当に反省といえるのか。歴史被害者記憶で塗りつぶせばいいわけではないはずだ。これが右派もしくは保守の大方の感覚だろう。そして保守もまた、お国のために尽くし自らの経験責任を美しく語れる世代と、戦地で自ら手を血に染めた禍々しい記憶を胸に沈黙する世代に断絶が生じ、結果として戦後記憶をより美しく語ったほうが、あたかも風化に耐えた岩盤のような面持ちで保守の本流になっていった。右派記憶の加工に加担しているのだ。語られぬ記憶による生存者バイアス、そして私たちが何を記憶としてすくい取るか、その流れ自体が、戦争記憶の複雑さを物語る。

しかし、そんな個人としての記憶のしまい方は、将来世代戦争を止める契機を奪う力学としても作用することに次第に気づかされる。「あの頃はどうしようもなかった」という思い出は、欺瞞的な反省への個人抵抗ではあっても、やはり将来世代には反省を承継しなければならない思いも強まる。小林秀雄は、歴史は上手に思い出すことだ、といった。しかし、後世の人はえてして都合のいいことしか思い出さない。記憶封印によって社会戦争忘却するくらいなら、という思いで晩年になって初めて戦争記憶を語り始める人もしばしばみられる。それは、自らの死の間際になると、社会忘却ダイナミズムが見え始めるからではないだろうか。

宮崎駿監督作品との対比

火垂るの墓に対して宮崎駿がどのように思っていたか番組では紹介されなかった。

同じ終戦前後少年内面を描いた宮崎作品として『君たちはどう生きるか』がある。もし高畑アプローチレヴィナス的な<他者>であったとすれば、宮崎のそれはヘーゲル的な<承認>の構造を想起させる。新しい母との関係を受け入れられない眞人にとって異世界への旅は必然であり、死者や過去存在出会い、その言葉に耳を傾けることが自らを見つめ直すきっかけとなった。それは、自己意識他者との対話を通じた承認によって成り立つというヘーゲルテーゼを思わせる。他の宮崎作品をみても、むしろ近代的な自我対話承認責任の引き受けといった構造の中で人間の成長を描こうとする傾向がみてとれる。「泣くときは一人で泣け(風立ちぬカプローニ伯爵)」や「じたばたするしかないよ(魔女の宅急便の森の絵かき)」、「今からお前の名前は千だ(湯婆婆)」など成長と自立を促すダイアローグ宮崎アニメに特徴的だ。

これに対して「火垂るの墓」では、他者との対話よりも、むしろ「思い出す」ことが大きな意味を持つ。叔母の家を離れた理由も、節子の死後に池へ戻らなかった理由も明示されない。ときには悔恨を滲ませる表情でF清太に思い出されるだけだ。西宮のおばさんが母の着物を米と交換するのを節子が泣いて嫌がるシーンで、耳をふさいで苦悩するF清太の表情は忘れがたい。

高畑作品のもう一つの特徴は、人々が主人公に過度に伴走しないことだ。叔母さんの描き方にそれは表れており、主人公を見放すひとには見放すひとなりの人生がある。だからこそ、視聴者とき西宮のおばさんに共感を寄せたりもする。これは<思い出す>ことを重視した高畑ならではの演出手法であり、主人公がどうであろうと、人にはその人なりの人生があり、決して主人公に語りかけるためにだけ登場するわけでも、寄り添っているわけでもない。これは、視聴者視点を固定し、常にだれかに見守られて成長するお姫様王子特性主人公を描いてきた宮崎駿作品とは対照的だ。

<思い出す主体>を用意する手法は『おもいでぽろぽろ(1991)』にも表れる。記憶の中の小学四年生自分という思い出を<内なる他者>として宿し、現在自分=タエ子27歳が過去を振り返り、沈黙していた感情や語られなかった出来事に光を当てるという手法である。そこでは、言葉にされなかった過去とともに今を生き続ける姿勢が描かれており、<思い出す主体であるタエ子27歳とF清太の視線は同じ構造を持つ。つまり高畑は「語られなさ」をただの欠落ではなく、むしろ思い出すことを通じて現在を形づくる力として示している。

高畑宮崎の両者が描いたのは、どちらも「戦争少年の魂」であった。両者はまったく異なるアプローチながら、しかし同じ戦後を見つめていた。宮崎は、自我他者との対話承認によって確立されるという弁証法的な構造物語組み込み言葉や応答を通じた関係性の中で成長を描こうとしたのに対し、高畑は「語られなさ」に宿る沈黙の力ー思い出すことで再生される倫理に重心を置いた。高畑勲は『火垂るの墓』を通じてどこまで人間真実に迫れるかを静かに証明してみせたのだと思う。

君たちはどう生きるか」に見られる過剰なまでの<対話>は、『火垂るの墓』に対話がなく沈黙に包まれていることとの見事な対比をなす高畑は、あえて沈黙した視線を通じて「別の選択」の可能性を観客の私たちに突きつけた。「そうするよりほかになかった」状況、それが水辺でのサバイバルであれ、太平洋戦争であれ、それを回避する主体的な<選択>の余地は本当になかったんですか?と。それを対話ではなく、沈黙視線表現した。それがラストシーンでふと一瞬、観客のほうに視線をむけるF清太なのだ

これは、<記憶を語らない>ことで選択拒否し、結果として空気に流されてしま私たち精神構造を映し出しつつ、同時に、後世の人が<思い出す行為>を通じて「いか主体的に選択しうるのか」を問いかける――その両義性を体現した見事な映像表現というほかない。比較すると、救いの構造が異なる二人の巨人のすごさがわかる。

高畑手法小林秀雄風にいうならば、歴史を上手に思い出せるんですか?という問いになろう。小林がいうように、人は不完全であり、過去をまっすぐ生きてきた人の手触りを感じることは難しい。上手に思い出すというのは実は難しいことだ。むしろ現在価値観民主主義人権)によって自分たちは成熟している、進歩しているという思い込み邪魔されてしまう。当時の人々の生を未来の人しか知らないフレームに当てはめてしまい、他人事としてしか理解できないというのは往々にしてあるのではなかろうか。ここまで言葉にしてきたやや穿ち過ぎな分析がまさに記憶台無しにする悪い見本だ、ということも含めて。

2025-04-14

心霊体験というほどではないのだが

この時期になると思い出す、少し怖かった話

かなり地元の話なんだけど、もしかしたら同じような体験したことがある人いないかなと思って書く。

数年前、母と2人で、車で岡山旅行に行った。

当時西宮市兵庫県のかなり大阪府寄り、甲子園球場があるところ)に実家があったので、

中国自動車道に乗って、2〜3時間というところ。

田舎者らしくどちらも運転には慣れているし、

岡山に住む母の知り合いが現地を案内してくれ、快適で楽しい旅だった。

帰路は母が運転していた。

岡山からすぐ中国自動車道に乗って、本当なら西宮山口宝塚までノンストップだけど

なぜか間違えて、かなり手前(西側)で降りてしまった。神戸とかだったかな。

まあ、昼過ぎに出てサービスエリアにちょこちょこ寄ってご飯を食べたりして

そんなに疲れも出ていなかったし、ちょうど日が暮れる時間帯で景色キレイだねなんて言いながら

このまま下道で行こうという話になり、山道を、六甲山を越えることになった。

別になんのことはない、日が暮れるにつれて暗くなるけど、暗い山道ってこんなもの

時折狭くて暗い道にタヌキやイタチが飛び出てこないか心配をしながら、

真夜中でもない道は、有馬温泉関係する施設の前を通ったりして、ありきたりな田舎道という感じ。

でも、途中から違和感があったのは、妙に長いなということだった。

2時間は走っている気がした。高速道路を2時間少し走ってきたのに、それよりもっと長い時間を走ってるみたいだった。

そして私も母も、少しおかしかった。

私がスマホをいじったり、母が運転に集中したりして途切れたり盛り上がったりを繰り返していた会話が、

ここにきて最高潮の盛り上がりを見せて、母も時折、バンバンハンドルを叩いて笑うほどだった。

何を話したかは覚えていない。とにかくふたりとも、気が触れたように大笑いしながら何かを話していた。

静かな山道くねくねと走りながら、まるで会話を途切れさせてはいけない決まりがあるみたいに、

から次へとくだらない話がはじまって、狂ったようにふたりゲラゲラ笑った。

そのうち山道がようやく終わって、住宅街が、町並みが見えてきて、安堵と一緒にどっと疲れが湧き出た。

突然途切れた会話に、私がぽつりと、「なんか、長かったね」と呟くと

母はぎょっとした顔で「◯◯ちゃんもそう思った…?」と言った。

どうやら母も途中から、全く同じような感覚でいたらしい。4〜5時間運転した!!と言ったけど、時計を見ると小一時間程度しか経ってない。


「怖かった…ね」

母が言った。

そうだ、怖かったのだと私も思った。すごく怖かった!でも、その時は「怖い」という感情は本当にカケラもなかった。

母と私はこれが狐に化かされるってことかな?と言って結論付けたけど、有馬稲荷神社存在を知ったのはそれからかなり経ってからのことだった。

2025-03-11

anond:20250310162350

やってみた

想像した市名が本当にあるかどうかは、IME入力候補でバレてしま可能性があると思ったので、自信のない市名、例えば奥州市は、「おく」「しゅう」「し」と入力している。

は面倒だったのでやらなかった。

イベント遠征したことがあるぐらいで、東北とかはほとんど知らない関西人47都道府県も抜けがでそうだが流石に考えたら思い出せるはず、ぐらい。

テーブル記法を忘れてた。もろちん本編は見てない。たまたま12:00スタート

番号都道府県人口1位人口2位確証コメント
北海道札幌市函館市A帯広とか知ってるけどさすがに函館だと思う。南だし
青森県青森市津軽Cもうわからん。変換で市まで出なかったので多分無い市
秋田県秋田市???Cさっぱり
山形県山形市盛岡市Cさくらんぼ系で何かあった気がするが
新潟県新潟市???C新潟行ったことあるのに
宮城県仙台市宮城B捻じれてたような。そもそも宮城が出てこない
福島県福島市いわき市B意外と合ってるかもしれない
栃木県栃木市栃木市C無理。日光と迷った
茨城県茨城日立市C日光市に聞き覚えなかったので
10群馬県群馬高崎市Bライブで行ったことあるかい歩道橋ある駅
11千葉県千葉市幕張Bライブで。関東周辺は翔ん玉でちょっと覚えれた。その前は県も怪しかった
12東京都中央区新宿区C区を無視して市を上げようと思ったけど出てこなかった
13埼玉県さいたま市大橋Bいとこがすんでたはずの市が思い出せない。○谷だったか
14山梨県山梨市甲府市Bぶどう
15長野県長野市南アルプス市B合った気がする。スキー行きまくった知識が消えてる
16岐阜県岐阜市高千穂C度忘れ。赤い人形ある高松でも高崎でもないなにか
17愛知県名古屋市豊田市B世界トヨタにかける
18滋賀県津市四日市市C大津と迷う。高速通るし、競馬もするのに地名が出ない
19三重県三重松坂B牛。長スーあるとこも市? 四日市はこっちの気がする。あとなんか京都から電車終点で大きい街が。
20奈良県奈良市御所市Bはとこが住んでた
21和歌山県和歌山市白浜C何度も言ったのに超メジャー観光地しか出てこない。多分もっと北のどこか
22京都京都宇治市B日本海側でなければ合ってそう
23大阪府大阪市堺市S政令指定都市なので
24兵庫県神戸市尼崎市A明石市という案もあったが思い出せた。西宮かもしれない
25岡山県岡山市津市B祖父母が住んでた
26広島県広島市福山市S新幹線
27鳥取県鳥取市羽合市C他知らない
28島根県島根出雲市B島根市無さそう
29山口県山口市下関市B山口市が無い気がするが他をおもいつけないので
30香川県香川さぬき市Bうどん
31徳島県徳島市鳴門市B
32高知県高知市四万十市B
33愛媛県松山市城市Cほんとに出てこない
34福岡県福岡市北九州市S確信はある
35熊本県熊本市大牟田市Bなんかあっただろう
36佐賀県佐賀市鳥栖市B合ってる気がする
37大分県大分市別府市B他出てこない
38長崎県長崎市佐世保市Aバーガーと港
39宮崎県宮崎市ひなた市Cあったかい。ひたちなかはどこ?
40鹿児島県鹿児島市薩摩C九州南端に来てまだ40なのに絶望
41沖縄県那覇市石垣市C基地関係のとこかと思ったけどやめといた
42石川県金沢市小松市A多分小松。他知らないのもあるが
43福井県福井市鯖江市Bメガネのとこ
44富山県富山市沼川市B沼津イメージ創作
45岩手県岩手いわき市B適当
46静岡県浜松市静岡市Bなんか逆転してた気がする

 

北陸抜かしてたのは東北(北)から北関東関東でそのまま西へ行ってしまたからです。ほんとに忘れてたわけじゃないです。

45~47はカンニング。(忘れてた理由

静岡県:なんか飛んでた 知らない、馴染みがないわけでなく時間かけたら出て来たはず

岩手県宮城が出てきて安心してしまった

あとひとつは多分ナンバリング間違い

40分ちょいかかったよ

2024-11-28

折田さんは正直に話した方がいいと思う

折田さんは今頃何してるんだろう

あと社員の人とか

みんな共犯になる可能性もあるんだよね?

法律を知らなかったからといって無罪にはならないよね?

今頃西宮?の阪急西宮ガーデンズランチでも食べてるのかな

それとも家で待機してるのかな

エゴサしてるのかな

かわいそう

頑張ったのに、それが違法だなんて

しか自分から犯行晒ししまったなんて

恥ずかしいし、逮捕だったら明るい未来も閉ざされるし

普通に謝ってしまったほうが良くない?

自分ならゲロちゃう

辛いもん

大きな嘘つくのって普通の人には荷が重いんだよ

ほら、あの芸人松本人志氏の場合も同じでさ

会見開かないから叩かれるだけなんだよ

正直に「やってました!ごめんなさい!」と言った方が世間は許してくれるよ

心配しています

2024-11-18

兵庫県の市、いくつ知ってる?

神戸市以外で

尼崎西宮芦屋宝塚明石姫路伊丹


まあこれくらい知ってたらいいけど、知らないのなら、兵庫ガーとかいう前に覚えておくべきだよ

2024-10-02

anond:20241002101319

ではやっぱり都道府県は違っても、西宮神戸大阪の一部だ、と考えている?

大阪人がいつも心の中で考えていること

「堺とか河内とか和泉とかマジでいらない。あいつらと一緒にされたくない。

あいつらを大阪府から追い出して、代わりに尼崎西宮芦屋神戸大阪府の中に入れたい」

これで合ってる?

2024-07-22

3年間の交際を経て西宮さんが30歳を迎えた頃に 「彼が突然、預金通帳を持ってきて『これだけしかない男ですが、よかったら結婚してください』と、プロポーズしてくれました」

30歳で貯金もない男でも交際結婚できるのに、お前らと来たら・・・

2024-05-12

献血後にもらえるものってセンター差がある?

10年前くらいに西宮献血センター成分献血したけど、自販機ジュース1杯しかもらえなかった

アイスとか食べられてジュース飲み放題って聞いてたからガッカリしたんだけど、もしかして地域差

それか成分献血だったからかな。ちなみにRH+のA型血液型レア度も関与する?

2024-03-01

anond:20240301123112

西宮はむしろ西宮!って誇りをもってそうやから神戸とは言わんやろなあ

anond:20240301115357

尼崎とか伊丹の人はどちらかといえば大阪の近くと名乗るから

よそで神戸出身って名乗るのは尼崎の隣の西宮芦屋神戸明石の人

明石の隣の加古川くらいからは姫路の方とか播州とか名乗るイメージ

2024-02-24

anond:20240223194202

明石焼きはな、西宮とか周辺に行くとソース付けて喰うんだよ。ソースを塗ってから出汁につける。

2023-11-28

坂上陽三氏は西宮出身で、当時本社神戸にあったコナミ就職希望だったが

間違えてナムコ電話をかけてしまい、対応が良かったためそのまま応募し合格

その後、様々なゲーム企画、開発を行う。

アーケードアイドルマスターロケテストに参加後、360版より総合プロデューサー就任

600億円産業となったアイドルマスターシリーズの発展の立役者となった。

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