はてなキーワード: 開拓地とは
バーベキュー伯爵(ばーべきゅーはくしゃく、英: Count Barbecue、1776年? – 1836年?)は、アメリカ合衆国開拓時代の人物。領民との親交を深めるために屋外で大規模な肉料理の宴を催し、これが「バーベキュー」の起源となったとされる。
伯爵の本名や出自には諸説あるが、19世紀初頭にアメリカ南部の辺境地域を治めた地方領主として知られている。彼は領民との信頼関係を築くため、屋外に巨大な炉を設け、大量の肉を豪快に焼いて振る舞う宴を繰り返し開催した。
この習慣は「伯爵の宴」と呼ばれ、肉の香ばしい煙が広がる様子は人々を引き寄せ、共同体の結束を強める象徴的行事となった。
バーベキュー伯爵が導入した調理法は、木材を燃やして作った炭火と煙を利用し、肉を長時間かけて焼き上げるというものだった。これにより肉は柔らかく保存性も増し、当時の開拓民にとって理想的な調理方法であった。
伯爵の宴は評判を呼び、やがて近隣の開拓地にも広まり、19世紀を通じて「バーベキュー」という形式の食文化が定着したとされる。
伯爵が築いた屋外宴会の形式は、今日においてもアメリカのバーベキュー文化に受け継がれている。特に「家族や友人が集まり、肉を焼いて親交を深める」というスタイルは、伯爵の理念を色濃く反映したものであると考えられている。
今日「VTuberはいかにしてリアルを表現してきたか」っていう記事を読んだ。
読んでて思ったのだが、これって今まで動画配信コンテンツで散々やってきたことを“Vtuber”というパッケージに押し込めているだけなのでは。
配信サイトでVtuberが一大ジャンルになったころ、Vtuber独自の面白みは薄れていった。
ゆっくり実況のゆっくりが別アバターになって多少うごけるようになって、音声ソフトが肉声ベースかボイスチェンジャーになってこそいるが「実質的に適当なキャラを配置して喋っているだけ」という動画がほとんどだったからだ。
先ほど挙げた記事で紹介されている実写とかになると、いよいよ限界を感じる。
手元だけ映して何かをしたり、被り物をつけて何かをやったりなんて、ずっと前からやっていたことだ。
それこそYoutuberという呼称すらない頃から枚挙に暇がない。
目新しさがないこと自体が問題というよりは、「わざわざ開拓地を広げておきながら見慣れた景色が広がっている」というのが面白くない。
同じことはやればやるほど退屈になるし、「それって他のジャンルが散々やってきていることじゃないか」というのは拭いきれない。
そんなことを考えていた時、ふと思い出したのが「まんがタイムきららの4コマ漫画がすごいことになっている2025」と、そこでの反応だった。
4コマ漫画の表現技法や試みを画期的だと紹介する記事ではあるのだが、その実やっていることは他ジャンルの漫画が当然のようにやってきたことである。
人気ブコメ上位でも
なんて身も蓋もない意見がある。
例示されている漫画は4コマとして見るとたしかに斬新。でも既存の漫画コマに当てはまると普通に見える。不思議な感覚だ。四コマだらけのきららでこれを見ると「おおっ」となりそうなのはわかる。
自分はその「不思議な感覚」の実感はないのだが、いいたいことは分かる。
「わざわざ開拓地を広げておきながら見慣れた景色が広がっている」と前述したが、それだって所変われば壮観な情景であり、可能性の提案だ。
VTuberの様々な実写に対するアプローチもあくまでVtuberというジャンル内での試みのひとつと考えれば新鮮味はある。
野球に球を蹴る要素を入れたら「それってサッカーでやってることでは」となるが、それはそれで面白いだろう。
ただ、それらを踏まえた上で思うのは、そうして可能性を押し広げた結果やってることが既存に収まるのであれば、ジャンル・カテゴリそのものの独自性を損なうのではないかってこと。
先ほど挙げた4コマ漫画の話しかり「“ならでは”の面白さ」があるのに、それを損なってまで既存のものを“つまみ食い”するのって結構リスキーなように思う。
4コマ漫画が4コマの枠からはみだそうとすれば、“枠外”から「4コマでやらなくてもよいのでは」という評価は避けられないし、その指摘を全面的に否定できるほどの性質を担保できてないのも事実。
それは思った。
最近の農家は職住を別けるように作業場は農地の近くに、家はちょっと離れた便利なところに、って構えるのが基本だけど、当時の農家はそんなことしないはず。
ただ、こんな解釈はできる。
解釈って言うか、ワイの地元ではこんな感じで、住宅街の中にいきなり広い庭がある民家があったりする。
1月末日をもって、北海道帯広市にあった百貨店「藤丸」が閉店した。
創業は明治33年で、122年間経営したことになる。このあたりではよくあるパターンで、開拓地で呉服商で立身し昭和初期にデパートへと展開してきた地元の百貨店だった。
例えば釧路市の丸三鶴屋や野付牛(北見)の丸い伊藤と系列は異なれど同じような環境で、開拓地の百貨店として成長してきた。
諸賢ご存知の通り、百貨店などという業態は今日び全く下火となっている。
北海道の田舎においては高度経済成長期以降、郊外に新興市街地が伸長し、多くの人が自動車で移動する時代になった。
そして平成10年の大規模小売店舗法の廃止、大規模小売店舗立地法の制定が運命を定めた。
この20年、みんな車で郊外の大規模店舗に行く。「中心市街地」の意義は消えた。
1月に入ってから藤丸は連日客でごった返し、最終日には閉店後まで人々が店に集っていた。
藤丸に入っている店の常連だったり日常的に地下食品街で買い物をする人ならわかる。
あるいは藤丸に実際に働き、藤丸と共に生涯を送った人も惜別の念を抱くだろう。
藤丸は文化催事も多かったから、藤丸で展示や展覧会をした人々も特別な思いがあるだろう。
藤丸を外部から支える市民団体もある。そうした主体的に取り組んできた人たちはさぞや残念だろう。
けれども、そうじゃない人が大半なのではないだろうか。
なぜなら、如上のような日常的に中心市街地に赴き消費や活動をしている人が本当に十分に多ければ、
そして当然閉店などとならなかったはずだ。
閉店間際に賑わいを演出した人々は、普段は自動車で郊外の広い駐車場のあるヨーカドーやイオンに行っている。
そんな人たちがマスコミの取材に答えて「残念です」とか「寂しいです」とかは、決して言ってはならないセリフなのではないかと思う。
言葉と態度が噛み合っていない。私はここに大変な違和感を覚える。
出てくる思い出は子供の頃の昭和や平成初期のキラキラした思い出ばかりで、例えば110周年120周年の話題はほぼない。
これは、この人たちが長じてから藤丸で思い出を残してこなかったからに他ならない。
よく子供の頃の思い出だけをいけしゃあしゃあと言えたもんだ、と思う。そしてそれをありがたがるマスコミの脆弱な報道イメージもおかしい。
近頃の思い出がないというのが問題の本質であると思うし、そもそも昔のことしか話さない人は藤丸の傷口に塩を塗っているように思える。
なぜ、この20年くらい、平成の後半まるまんま藤丸はそこに間違いなくあったのに、そこで思い出を残さなかったことに無自覚なのか。
そしてその無自覚さでなぜ「藤丸がなくなって残念です」と言えるのか。
地元出身のフリーアナウンサー安住紳一郎が以下のように述べている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/433f558335f529f99b35f767731703687434e508
「ネットショッピングや郊外のお店が便利でお客さんがそちらに流れていることはよくわかります。私たちも便利とか安い以上に自分の残したいお店は、ちゃんと不便でも高くても買いに行く消費行動がこれからきっと自分たちの理想とする社会の実現に関わってくるんじゃないかなと思います」
なぜ他の百貨店と比べて十分な時間的猶予があったのに、地元の人間は藤丸を存続させるような消費行動をしてこなかったのか。
そして、なぞそうであるのに(直接携わってきた人は別にして)、「残念です」「ありがとう」などと安直に言えるのか。
この点を、本当に「残念」と感ずるならば20年くらい考え続けてこなければならなかったはずで、「残念」と言語で言える人は、少しでもそのような事柄に携わってきた人だけなのではないだろうか。
普段イオンで買い物してるくせに「残念」はおかしいのではないか。
だから私は、この期に及んで藤丸がなくなってしまって残念とは思えないし寂しいとも思う資格がない。
なぜなら私はイオンで買い物しているからだ。身体が残念がっていないのだ。
中心市街地をどうするかは各地域で本当に難しい課題で、実際のところ商工会や経済界の人々が何年も策を講じながらも充分な成果を挙げられていない。
こんな難しい課題を、藤丸がなくなっただけのこのタイミングでどうにも論評などできないのだ。
だから浅薄な「昭和の思い出」や「従業員の裏話」的なものばかりが踊る。
実はマスコミも20年間、中心市街地の活性化の話題を見ているようで見てこなかったのではないか。
結局は自分には関係がないから、人々がどこでどう買い物しようがそれを報道すればいいだけの話だから、充分なコミットをしてこなかったのではないか。
藤丸がなくなったのは1月31日だが、問題は20年間継続しており、以降も続いていく。
藤丸がなくなっただけのタイミングで急に問題を一夜漬け的に取り上げても、いずれも浮ついた論にしかならないのだろう、と諸報道をみて思う。
ゼレンスキー大統領のオンライン国会演説のテーマが米では911と真珠湾だったが、日本では原爆だろうなと予想が盛り上がってる件。
第二次大戦は8/15の日本の降伏で終わったと思ってる人ばかりだがソ連に関してはそうじゃない。
時系列は
8/14 ポツダム宣言受諾、日本軍は全軍に攻撃停止命令、英米軍攻撃停止
8/15 玉音放送
8/18 占守島の戦い
8/22 三船殉難事件
と、連合国のうちでソ連軍だけが停戦せずに攻撃を続けた為に戦闘が継続し軍民に被害が発生した。
日ソ中立条約破棄は日本を降伏に追い込んで戦争を終結させる為だからまあいいとしてもだ。
だが8/15以後も攻撃を続けて避難民を殺したりしたのが是認できる訳が無い。
8/22 三船殉難事件というのは樺太(サハリン)の大泊から逃げる避難船をソ連潜水艦が留萌~増毛沖で3隻撃沈したっていう事件だ。
2隻は魚雷、もう一隻は浮上して機関砲を執拗に撃たれたものだが、この時撃たれた避難船は白旗を上げていた。でも攻撃は止まずに結局撃沈されて3隻で1700人くらいが死んでいる。
ゼレンスキー大統領が米議会で真珠湾を出したのが気に入らねぇとか言ってる奴等は馬鹿じゃねーの?アメリカじゃ卑劣な奇襲攻撃の代表格としてポピュラーだろ?という立場だが、8/15以降のソ連の行動は是認できるものじゃない。
米ソでヤルタ会談が行われ、千島列島はソ連にあげるってな密約がされたのな。
その上でソ連は釧路-留萌ライン以北の占領計画を勝手に立ててこういう行動をしていた。
占守島の戦いで膠着状態になっていた所にトルーマン大統領がスターリンに「北海道占拠するな」と釘を刺したので計画は頓挫されたが、それが無かったら北海道に上陸されて占領されていた可能性が高い。
無条件降伏した日本は第二次大戦の獲得領土だけじゃなくて明治以降の獲得領土も全部失うことになった。
でもそれに戦後納得が得られて「朝鮮台湾や青島は日本のモノだ!」みたいな意見が大きくならなかったのは連合国の方も領土を獲得しないっていう原則で戦後処理がされたからだ。
サンフランシスコ講和条約は日本の近代以降の武力や武力を背景とした干渉で得た領土を手放させ、過去の穏当で文化的な占有範囲を基準にして領土を決めている。
だがその例外が千島列島で、ここだけはヤルタ会談の密約が根拠になってるわけよ。ソ連だけがプチ帝国主義許されてる訳だ。更にそのうえで北海道ゲット計画もあったわけだ。
レーニンさん、帝国主義って資本主義の必然だったのでは?ソ連のこのざまは一体…?
SF条約に納得できても北方領土の方はおかしいと感じるのはこの為だ。SF条約の千島列島の扱い自体が領土不拡張原則に反してるからだ。
終戦後も海外領土から引揚てくる人が沢山居たのだが、地域によってその過酷さが違った。
資産は放棄せざる得なかったのだが、台湾とか米軍占領地では金銭の持ち出しは比較的緩かった。
でもソ連占領地では殆ど持ち出しが許されなかった。なので引揚船下りた後にどうしようもなくなってしまう人が多数出て、稚内とか新潟とか舞鶴とかの着地でそのままホームレス化してしまう人も沢山居た。
で、日本に土地もないので住居も農地も無く、持ち金もないスタートなので戦後復興や高度成長の流れにも乗れない人が大勢出て、高度成長期の末なのに未だ戦後を生きてる引揚者っていうのが1960年代に社会問題化したわけよ。
最終的に1967年に引揚者に対する特別交付金が支払われることになった。引揚者=苦労人の代表格だったのよ。
そんな風に引揚者への社会的同情が高くなっていた所に起こったのが成田空港建設問題ですよ。
当初の計画から変わって三里塚に決まったのだけど、その理由は満蒙開拓団引揚者の入植地で入植から日が浅いから多分おkって感じのなめた考えて、実際は満蒙開拓団引揚者入植地だから猛烈に開拓地に対する執着が強かった。戦後ゼロからやって来たわけやからな。
国が強引な舐めプで収用したもんだから新左翼が加わって国民的な引揚者への同情が高くなった直後だったので大紛糾したのはご存じの通り。
成田新幹線や接続高速道路まで頓挫したのは引揚者への同情が高くなった直後だったっていう事情ゆえで、これも新左翼のせいだと思ってる人居るが、んなわきゃない。
地主が抵抗したのが原因で千葉の広範囲の地主が左翼シンパなわきゃない。
成田新幹線用地を転用した線路を走るスカイライナー乗るとずっと住宅街の中通るが、実はあれは山林、農地を開拓したニュータウンの真ん中を通ってるのだ。ニュータウンの真ん中を成田新幹線が通るっていう一体化計画だ。
だから激不評な成田新幹線が通るとニュータウン関連の用地買収で地主が首を縦に振らなくなってしまう。なので自治体も成田新幹線計画に反対したのだな。空港本体と接続路線はちょっと事情が違う訳だ。
それもこれも引揚者の戦後困窮問題が元であって、特にソ連占領地で持ち出しを極限まで認めなかった事がルンペンプロレタリアート化の引き金になってるのだ。
だからゼレンスキー大統領とそのスピーチライターが日本の歴史良く知ってたら、多分原爆の被害と共にこういうソビエトロシアの行為を訴えるのではないかと思うのだ。
今のロシアがやってる事は満州国建設以後の日本の愚行そのもので、プーチンは変なヒッピー地政学みたいな本読む前に失敗の研究とか空気の研究読めよって感じなのだ。
その一方で戦後の時流を無視した領土拡張種主義の試みとか抑留の恐怖とか、ロシアのクソっぷりで共有できる経験がある。
…のだけど、例えば日本は悪くない史観なんかのせいで連合国の中でもソビエトロシアの為した理不尽さの線が埋もれてたり、単に忘れられていて、原爆ほどには日本人の心に刺さらないかもな、と思ったりもする。
https://twitter.com/If0r5do2xx3iL/status/1436884369231126536
これの話ね。
元ツイートの指摘がズレてるんだがブコメも同じようにズレてるコメントが多くて変な方向に行ってる
何がズレてるのかって道徳の教師は道徳科でやる道徳の話をしているのに、元ツイート主やブコメがなぜか人権の話や憲法の話をしろと主張する点だ
発端はDaiGoのホームレスの話なんだけどあの話自体は人権に絡んでくるものだと思うよ?ただそれは人権すなわち公民の授業でやれ
元ツイートでまず引っ掛る部分が「憲法で人権が保障されるということは道徳科においては重要すべきことではないっぽい」という一文
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである
と記されてる通り基本的に国家権力を縛るものであって私人同士のあれこれを既定するものではない
※1一応一部は私人に影響を及ぼすこともできる。でないと納税の義務とか適用できない。ここも参照
https://anond.hatelabo.jp/20210902174107
https://twitter.com/yorinobu2/status/1437267319411994624
じゃあ私人は基本的人権なんて何も考えずに行動していいの?って話だけど、そこは自然権としてみんなの心に備えつけられてるんで憲法では触れないよという建てつけになっている
そんなバカなとは思うけど憲法はそういう扱い。なので、元ツイートの文脈で憲法を出すのは変。
まあ憲法は筆が滑っただけかと思うけど人権そのものはDaiGoの話と超関係ある
でもそれを道徳科の教師にしてもしょうがないんじゃないか。一部オーバーラップしてても目的は別だ
例えば国語の教科書にはよく反戦をテーマにした題材の文学が載るけど
国語の目的は日本語の文章を理解することであって憲法で平和主義が歌われることは国語科においては重要すべきことではないっぽいとか言われてもそれはそうという感想しか出てこないわな
んじゃあ道徳科の目的は何かって言うと成り立ちから言うと戦前からの修身科に変わって現代的なモラルを教える教育だ
ぶっちゃけ今は何が主目的かって言うといじめ問題とかを防いで学級を恙無く運営するっていう感じになってる。(含むSNSいじめ)
こういうのを人権思想から解決しようとすると、人権には移動の自由みたいなのが含まれてるのでいじめが発生したらそれぞれ別の学校で勉強しましょうみたいな解決法が出力されちゃう
ていうか人権思想をちゃんと教えるには背景となる知識がいっぱい必要なんで
そもそも天賦人権説は王権神授説の対抗として出てきたものだけど、絶対王政の背景のない日本でいきなりそこを説いたとして
なんでホームレスの人権を蔑ろにしたらルイ十四世みたいなのの台頭に繋がるのか全然わからんじゃん?
アメリカやフランスは国家統合というか国の成り立ちの起源に絶対王政の否定が深くかかわってくる※2からピンとくるんであって
日本は何で日本なのかと言ったら昔から日本なんであって人権については社会を強くするのに便利だから思想を借りてきただけなんだよ
なんで、人権が弱いと社会も弱くなるって機序から勉強しないといけない
迂遠じゃん?だから中学高校あたりで地理歴史ちゃんと習ってから段階踏んで教えるもんだと思う
つーわけでこんな大変な話を道徳の教師に期待するな。彼らは学級運営でいっぱいいっぱいなんだ
※2 つまりホームレスだろうが何だろうが「俺たち」に安全と意見を言う権利を与えろと主張している
ある夏の晴れた日、入道雲がよく映える庭先でじいちゃんが疾走し始めた。
彼はよく見るバックトゥザ・フューチャーのDVDを興奮気味にしまうと、庭へと倒れ込むように、上半身に引きずられるように足を走らせて踊りでた。それから何周も庭を周り始めたのだ。じいちゃんは健脚ではあったが、さすがのじいちゃんも夏の陽気には勝てず、また庭の陽炎もじいちゃんに味方することなく、しばらくするとじいちゃんは息を切らして倒れ込んだ。家族は呆れ果て、時折熱中症を気にかけた。そうした繰り返しの日々が何日も続き、じいちゃんは飽きることなく家の周囲をランニングし続けた。その間、じいちゃんは次第に奇妙なことを口走るようになった。ドクになりたいと。そうしてじいちゃんの速度は増してゆき、その足跡は円環を描くようになった。じいちゃんの加速は人間の限界を超え始めていた。具体的にオリンピック選手のスピードを遥かに超えたと言っても過言でなかった。じいちゃんは円環を超えてバターになるかと思われたが、バターになるはずもないじいちゃんはCERNの加速器の様に速度を出し切って自分の残像にタッチすするようになった。そしてそれが可能になった瞬間、じいちゃんは庭から消えた。
数年後、実家の庭から謎の書物が見つかった。じいちゃんはアメリカ西部の開拓地におり、見目麗しい淑女と結婚して街の暴漢に打ち勝ち、発明者として名を轟かせたというのである。彼は数百年語この書物が発見されることを見込んでいたようだった。僕はじいちゃんが経歴を盛っていることを確信しながらその書物を静かに閉じた。ところで、じいちゃんの書物には奇妙な記述があった。じいちゃんは平行世界のじいちゃんで、もうひとりのじいちゃんは桜の樹の下でタイムカプセルに入っているという。
僕は西部、というよりも現SEIBU地下にあるらしいじいちゃんの墓に向かって手を合わせた。ないはずの桜の花びらがまぶたの裏側に踊った。
"Space, the final frontier. These are the voyages of the starship Enterprise. It's five year mission, to explore strange new worlds, to seek out new life and new civilizations, to boldly go where no man has gone before...
(宇宙、それは人類に残された最後の開拓地である。そこには人類の想像を絶する新しい文明、新しい生命が待ち受けているに違いない。これは人類最初の試みとして、5年間の調査旅行に飛び立った宇宙船U.S.S.エンタープライズ号の驚異に満ちた物語である。)" (TOS冒頭のナレーションより)
🖖
ヨッピーの記事で軽く取り上げられた北海道帯広市のご当地ローカルチェーン「カレーショップインデアン」について、帯広に住んで星霜を経た私が、初心者からわかる楽しみ方を紹介しよう。
公式サイトはここ。
http://www.fujimori-kk.co.jp/indian/
https://hokkaido-labo.com/indian-curry-obihiro-15604
そもそもここは、駅前にある「ふじもり食堂」が、カレー事業を独立させて事業展開しているチェーン店だ。
家族連れで旅行した際に、「自分はインデアンを食べてみたいけれど、他のメンバーが色んな食事を楽しみたい」みたいなことがあるかもしれない。
それならふじもり食堂に入ると良い。インデアンよりカレーメニューは少ないが、「ふじもり」のカレーは「インデアン」のカレーと同じなのだ。
ふじもり食堂の歴史は古く、この開拓地に鉄道の駅が初めてできた時に、現在で言う「キオスク」的な商店を始めたのが濫觴である。
「ふじもり食堂」は現在でも駅前で列車の待ち時間などで使用されるから、今に生きる歴史スポットとも言える。
濃いルー、濃い味で、実は帯広市民でも評価が分かれて、嫌いで行かない人も多い。
嫌いな人は「味が酸っぱい」などの意見があるようだ。
はじめてならば「インデアンカレー」でいい。
メニューに載ってる公式で定められたトッピングメニューから「インデアンらしさ」で食べるべき順を述べるなら以下の通りだ。
「カツ」>「ハンバーグ」=「チキン」>「エビ」=「シーフード」>「野菜」となる。
カツカレーは周囲を見ていてもやっぱり人気。ついでチキン派が続く印象。シーフードはやや異端(美味しいけれど)。そしてやや高い。
ハンバーグはルーの関係(後述)で人気ある。トッピングで一番ポピュラーなのはチーズトッピングで、それが最も用いられるのがハンバーグ。
そんな感じで格付けしてみた。
次にインデアンにある3種のルーの違いを見てみよう。
ルーは三種類。
①インデアンルー
メニューにある6つトッピングのうち、インデアンルーなのは「ハンバーグ」のみ。
「カツ」「チキン」「エビ」「シーフード」はベーシックルー。「野菜」は当然野菜ルー。
これは、インデアンのお店が美味しいと思うからそうしているわけだ。
野菜ルーはイモのおかげでもっさりしている。それが好きな人も多いが、初めてならば避けるべきだろう。
また、野菜ルーはメニューを見ての通り在庫が少ない。よく品切れになっている。
まずは、インデアンルーか、ベーシックルーで提供されるトッピングメニューを注文するべきだ。
インデアンルーは、肉が入っているので人気だ(直球)。
インデアンでは、トッピングとルーとを組みかえてアレンジすることが許されている。
一番多いパターンは、ベーシックルーで提供されるメニューをインデアンルーに切り替えるアレンジだ。
本来ベーシックルーで提供される「カツカレー」だが、それをインデアンルーで楽しめるのだ。
初めての人で、アレンジに挑戦したいのならば、このメニューをたのむべきだろう。
個人的なお薦めは、ハンバーグにエビトッピング、あるいはインデアンルー+カツ+エビだ。
三種の薬味がある。
赤い福神漬
緑のシソ漬
これは市民に聴いても趣味が分かれる。俺は緑が好きだが、ピンク派が多い気がする。
5段階から選べる。
①普通
②中辛
③辛口
④大辛
⑤極辛
辛いの好きなら「大辛」だ。「極辛」は辛いには辛いのだが、よくわからない臭みみたいのが出てくる。「大辛」が一番バランスが良い。
辛いの苦手なら「普通」。注文が多い印象があるのが「中辛」。私はいつも「大辛」。うまいぞ。
飲め。
濃いカレーに水がよく合う。
市内に何店舗かあるインデアンのどこに行くべきだろうか。
初めてならば、「まちなか店」がお薦めだ。
駅から近いし、ここは最も混む所なので、店長は常にインデアンのエースが張る。
現在の前谷店長はエース中のエースで、流麗な仕草でコメを盛り、目に見えぬ速さでカツを斬り、魔法のようなお玉の扱いでカレーをかける。
そのウィザードクラスの調理にもぜひ注目するべき。なので「まちなか店」に行こう。
帯広社会と言うものをじっくり堪能したいのであれば、同じく駅近くの「長崎屋」フードコート内のインデアンに行くのも一考だ。
ここに行くと、マジで老若男女がインデアンを食べている現場に出くわせるだろう。じーさんばーさんも中学生もサラリーマンもお姉さんも食べている。
十勝は旨い食い物が多いので、ぶっちゃけ他のとこ行った方がいい。
だがハマる人はハマる。
なかなか来ること少ない場所と思うが、来たら試してみてほしい。