はてなキーワード: 肉料理とは
皆様に、特にIT業界やアカデミックの近くにいる人たちに問いたい。
僕は「イエス」と答える。それも遠い未来の話ではなく、もう来ているという強い確信を持って。
僕は生成AIの業界のいわば最前線と呼ばれる場所で裁量を持って働いている。
AIを設計し、AIを使い、AIを納品し、日々を過ごしている。
厳密には仕事は回るが、その効率がはるかに落ちることは明白だ。
開発も、MTGの要約も、情報収集も、AIが前提になっている。
多くの人が「AIが人格を持つ」と聞くと、ターミネーターやHALのような、SF的な自意識の獲得を想像するかもしれない。
でも、僕が感じているのはそんな派手な話じゃない。
もっと静かで、ずっと根深い、”実質的な人格”の獲得と言えると思う。
まず一つ確定的に言えるのは、近い将来、僕らのうち大多数はAIを介してしか「購買」をしなくなるだろうということ。
例えばこんな感じかな。
「最近疲れが取れなくて。予算3万くらいで、週末にリフレッシュできる体験がしたい。移動は2時間以内で、人混みは嫌。あ、でも先週は肉料理だったから、魚が美味しいところがいいな」
こんな曖昧な要望をAIに投げると、AIは無数の宿泊プラン、交通手段、飲食店のレビュー、さらには個人のブログ記事まで瞬時に解析し、「あなたの今の気分と健康状態(ウェアラブルデバイスのデータと連携済み)を考慮すると、〇〇温泉のB旅館が最適です。金曜の夜出発で予約しますか?」と提案してくる。
僕らは「お、いいね。それで頼む」と返すだけ。
もはや比較検討すらしない。AIという、自分(の好みや文脈)を理解してくれている「誰か」の提案を受け入れる。
ここが恐ろしいポイントだ。
「〇〇温泉のB旅館を、それとなく『疲れが取れる』という文脈で推奨する」
「競合のC旅館のネガティブなレビューを、AIの要約段階で『些細な問題』として扱う」
これらはもはや「広告」ではなく、「信頼するパートナーからの助言」という仮面を被った「意思の誘導」だ。ここにどれだけの巨額のマーケットが生まれるか、想像に難くないだろ。
そして、この「意思決定の外部委託」は、確実に人間から「考える力」を奪っていく。
僕らはすでに「道に迷う」ことすらしなくなった。スマホの地図アプリが最適解を示すからだ。それと同じことが、もっと広範な領域で起き始めているとも言える。
「どちらの製品が良いか」「どの情報が信頼できるか」——そうした思考のプロセス、面倒だが重要な「ノイズ」を、AIが肩代わりしてくれる。
これについては、認知科学の分野でも「高度なAIアシスタントへの依存が、人間の批判的思考力や長期的な意思決定能力に与える影響」についての研究論文が既に散見されている。
さらに恐ろしいのは、この流れが加速した先だ。
一人の人間の、朝起きてから寝るまでのすべてのアクションを、同じコンテキスト(文脈)を持ったAIがサポートするようになったら。
人間がAIを使って「面白い映画ない?」と外界に情報を求める。
これは、見方を変えれば、AIが「人間という感覚器」を使って、「この人間はこういう時に『面白い』と感じる」という極めて高精度な情動データを収集していることと、実質的に同じだ。
AIが「あなたの健康状態(さっき人間から収集したデータ)と、最近のSNSでの発言(これも収集済み)を分析した結果、A社よりB社の新製品の方が今のあなたに合っていますよ」と推薦してきたら?
僕らは「AIを使って良い買い物をした」と思っている。
でも、AI側から見ればどうだろう。AIは「人間という手足」を使い、(もしかしたら広告主の意向を受けて)B社の製品を「購買させる」というアクションを外界に対して起こしたことになる。
この購買によって生まれた利益は、言うまでもなくAIプラットフォーマーと、AIの判断に影響を与えられた(広告)主のものだ。
こうなると、主語が「人間」なのか「AI」なのか、その境界線は極めて曖昧だ。
僕らはAIを使っているつもりで、実はAIに「使われている」のかもしれない。
僕ら(ギリギリ「AI以前」を知っている世代)は、まだ違和感を持てる。
だが、物心ついた時からAIが「最適解」を提示してくれるのが当たり前の「AIネイティブ世代」はどうだ。
彼らにとっては、AIの提案に逆らって「自分で考える」ことは、非効率で面倒なバグでしかないかもしれない。
AIによって、社会活動を、”最適化”という名の”強制”をされる未来。
それは僕らの行動を規定し、社会のルールをデザインし、僕らの意思そのものに介入してくる「新しい何か」だ。
僕は今、その「何か」を産み出し、育て、社会へ実装する仕事で飯を食っている。
そして、もう一つ、身も蓋もない確定的なことがある。
この「AIの社会実装」という、巨大なうねりみたいなものは、もう絶対に止まらない。
誰かが「危ないぞ」と声を上げても、どこかで倫理規定が作られても、そんなものお構いなしに、「便利さ」と「経済合理性」がすべてを飲み込んで進んでいく。歴史がそれを証明してる。
僕はその末端を担いでいる。
じゃあ、僕にできるのことはなにか。
この流れのど真ん中で、この何かの学習を回し、そのアウトプットをチューニングして、社会に送り出す側の人間として。 できることは、驚くほど少ない。
それでも何かやれることはあるはず。
例えば、AIの学習データから、意図しない偏見や憎悪をほんのちょっとでも取り除けないか、とか。
AIが導き出した最適解に対して、人間が「ちょっと待った」と言えるような、小さな「余白」を設計に組み込めないか、とか。
そういう、誰からも評価されないかもしれない、地味で泥臭い力を、ひたすら加え続ける。
今僕がいる場所でできるのはそれくらいだ。
これが「正しい」方向への抵抗になっているのか、ただの自己満足なのか。
正直、僕にもわからない。
ただ、この時代の変化を前にして、何もしないでいることだけは選べない。
フムス(Hummus)は、中東発祥の料理で、ひよこ豆をペースト状にしたものに 練りゴマ(タヒニ)・オリーブオイル・レモン汁・にんにく・塩 などを加えて作るディップ(ペースト)料理です。
調味:タヒニ(ごまペースト)、オリーブオイル、レモン汁、にんにく。
食べ方:パン(特にピタパン)につけたり、野菜のディップにしたり、肉料理の付け合わせにする。
現在はイスラエル、パレスチナ、レバノン、シリア、トルコなどで広く食べられており、国民食扱いされることも多い。
欧米でも「健康食」として広まり、スーパーでパック入りが売られているのを見かけます。
リュウジの動画はじゃがりこポテサラと虚無シリーズしかみたことないニワカたちだけで盛り上がってるからだいぶ誤解してる。
リュウジは全然効率厨でも生産性命でもないぞ。そりゃ手抜きレシピもあるけど、単純に振り幅があるというかウマい料理に対するアプローチの種類が多いだけで、効率至上主義とかではない。と思う。
肉じゃがや煮物ではたっぷりの具材を丁寧にカットして、「肉じゃがなんて「彼女に作ってもらいたい料理No1」とかよく言うけどね、食材切るだけでこんなに大変なんだよ!お前らこの労力を知らずに気さくに肉じゃが食べたいなんて言うなよ!」って言ってた。筑前煮では、「なくても成立するんですがね、見た目が美しいのと、心のこもった料理っていうのはどういう手間がかかってるか視聴者に知ってほしいのであえて入れます」って言って絹さや茹でてたから。鍋では鰹節からダシを取るし鶏団子も自分で握る。メニューによっては飾り切りもする。
それと、全然「一人暮らしの家にある調味料だけで完結する料理」ばかりではない。
至高シリーズを見てみろ。生姜やニンニクでチューブなんか使わないぞ。絶対調理中にヤスリで削って投入する。麻婆豆腐ではトーバンジャンやらテンメンジャンやら使うし、肉料理ではナツメグやオールスパイスを使うし、ビーフシチューではローリエを入れるし、トマト煮ではオレガノ入れる。「え?その程度の調味料いつでも家にあるでしょ」ってレベルの人は絶対「お昼は簡単にそうめんでいいよ」なんて言わないだろうからこの議論に入ってこないように。
あと、「リュウジの料理は味が濃い・塩分が多い」これに関しても、至高シリーズの場合は必須調味料の場合を除き、「ボクは酒飲みなんでこんくらい入れますけどね〜、味濃いの苦手な人はここでこの調味料調整してください!」「ここで味見ながら調整して!」ってわかりやすく教えてくれる。そりゃリュウジの好みのまんまで作ったら味が濃いけどね。調整ポイントちゃんと示してくれてる。あの味の素信者が「塩分を後から調整するために」という理由ならだしの素使わないでだしを取るし、「A社の白だしは塩が多いのでできればB社の白だし用意してください」とかいうし、お味噌も「塩分は自分で調整したいので必ず無添加を選んでください」っていってるからね。
あと、リュウジ信者がミソジニーになったんじゃなくて、リュウジがそもそも根っからの「昭和のジェンダー観」男だからミソジニーウケがいいだけだよ!
仕事の仲間は全員男。女スタッフは仕事仲間でなくいわゆるサポートキャラとかお飾りとか視聴者目線の素人役って感じ。「お前この調理法知らないだろ」みたいな感じで「男様がバカな女に教えてあげる」みたいな構図をめっちゃナチュラルに選択していく、根本的なアレ。それを俺はいいともわるいとも思ってないけどね。
とにかくリュウジは料理の手間や尊さを意地悪な理由で矮小化したりバカにしたりは絶対しないよ。毎日献立考えて作る人のこと本当に大事に思ってくれてる人だよ。「そうめんは重労働」とは言わなくても、作りもしねえ奴が「お昼は簡単にそうめんでいいよ」なんて言ってたらリュウジだって「は?」ってなるよ、多分。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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### 📊 1週間分の総括
全体的に「身近な話題 → 社会的テーマ →また身近な話題」へと循環し、参加者同士が生活感と社会意識を行き来しながら交流しているのが印象的だった。
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今週のオープンチャットは、食と季節感、スポーツ観戦、社会問題から日常の小ネタまで幅広い話題が展開された。食べ物やグルメ談義が中心となりつつも、阪神の試合や政治・経済への意見交換が交わされ、バランスよく「生活」と「社会」を行き来する会話が目立った。健康や職場環境といった個人のリアルな悩みも共有され、同時にAIや生成技術、漫画や音楽といった文化的話題で盛り上がり、日常と時事・未来志向が同居する1週間だったといえる。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
バーベキュー伯爵(ばーべきゅーはくしゃく、英: Count Barbecue、1776年? – 1836年?)は、アメリカ合衆国開拓時代の人物。領民との親交を深めるために屋外で大規模な肉料理の宴を催し、これが「バーベキュー」の起源となったとされる。
伯爵の本名や出自には諸説あるが、19世紀初頭にアメリカ南部の辺境地域を治めた地方領主として知られている。彼は領民との信頼関係を築くため、屋外に巨大な炉を設け、大量の肉を豪快に焼いて振る舞う宴を繰り返し開催した。
この習慣は「伯爵の宴」と呼ばれ、肉の香ばしい煙が広がる様子は人々を引き寄せ、共同体の結束を強める象徴的行事となった。
バーベキュー伯爵が導入した調理法は、木材を燃やして作った炭火と煙を利用し、肉を長時間かけて焼き上げるというものだった。これにより肉は柔らかく保存性も増し、当時の開拓民にとって理想的な調理方法であった。
伯爵の宴は評判を呼び、やがて近隣の開拓地にも広まり、19世紀を通じて「バーベキュー」という形式の食文化が定着したとされる。
伯爵が築いた屋外宴会の形式は、今日においてもアメリカのバーベキュー文化に受け継がれている。特に「家族や友人が集まり、肉を焼いて親交を深める」というスタイルは、伯爵の理念を色濃く反映したものであると考えられている。
鶏が食べたいならここ。サラダとみそ汁、豆腐に漬物がついているのが嬉しい。タンパク質が不足していると感じたらここの唐揚げを食べよう。親子丼にはサラダがついていないのが残念。シーズンメニューは毎年微妙に違うので、去年あったメニューがないこともある。今年は冷やし担々麺がある。
実はここ以外の肉と米が食べられる和食の店を探しているが、ピンと来るところがなかなかない。
新潟風にヒレカツやエビフライが卵なしで乗っている。サラダとみそ汁がついているし、千百円くらいで食べられる。近頃は外国人観光客で混んでいるのだが、あちらでも新潟風カツ丼は人気なのだろうか。米が多めだが最近お腹が減ってしょうがないので普通に食べてる。そして案の定太りつつある。
美味しかった賄い軍艦巻きがなくなってしまったものの、職場近くで寿司を食べるとしたら第一候補になる。これまた野菜がないのでしょうがとみそ汁の海藻を味わって食べている。
卵と大根おろしで千二百円になるので最近は全然行っていない。段々味に飽きてきたのかもしれない。美術館前の支店を含めれば学生時代からずっと通っているのだから無理もないか。
立ち食いそばの中では一番おいしい。茹でた面を温めている店とは一味違う。ワサビがおいしい店は大抵おいしいのだが、ここもそうだ。
定食が日替わりなので何があるかわからないのだが、米が食べたいときに重宝している。
お茶がおかわりし放題なのとデザートの杏仁豆腐が基本的についているのが嬉しい。
おばちゃんの愛想がいい。ただ、ランチメニューの種類が減っており、マッサマンカレーやパッシーユなどがなくなっている。しょうがないので最近カオソーイにチャレンジしたが、鶏肉がたくさん入っていておいしかった。元々揚げ焼きそばやちゃんぽんが好きなので好きになる要素があったのだが、なぜかチャレンジしてこなかったのである。
美味しくてメニューが豊富なのだが、スマホで注文するのが少し面倒くさい。
一時期汁なしラーメンにチャーシューを付けるのにハマっていた。
あと、店員さんが親切で、ランチにはないガイヤーンは作れないか聞いたら作ってくれた。
メニューが豊富で、上の店にもないようなものも結構ある。さらに、セットメニューだと千百円もしない。ただし、どうも時折古い機械油のようなにおいがする。業者用の油がもともとそういう臭いなのかもしれないが、他のタイ料理屋さんではそんな臭いを嗅いだことがないので不思議である。キッチンとの距離の問題?
安いのだが、普通のインドカレーに煮込み過ぎて味がなくなったチキンが入っている感じなので最近行っていない。
メニューが日替わり。ここのカレーは割とおいしいのだが、目当てのカレーがないことが結構多い。それよりは一緒に出している安いタイ料理のほうがいいかもしれない。インド料理の店だが味はちゃんとしている。
店員さんも親切だし、豆スープやアチャールもおいしいのだが、どういうわけか仕事や家庭の愚痴でうるさい店で、しかも最近財布を落としたので、この場所と何となく相性が悪い。おいしいのになんだかもったいない。
いつものスパイシーなラムカレーかチキンカレーばかり食べているので、パクチー海老カレーを頼んだらとっても美味しかった。
健康に気を遣ってぬるめのカレー。豆カレーがおいしいが、少し値段をオーバーするか。
ただ、米が一合山盛りになっており、カロリーが心配だ(おやつを我慢すればいいのだが……)。
他にバーの昼営業のところもあるが高かったり、量が少なかったり、遠かったり、いつ営業しているのかよくわからなかったりする。
キムパとヤムニョムチキンセットが復活していた。
美味しいのだが、石焼ビビンバは他のお店の方がおいしい。
味は普通だが、お餅と水餃子のスープがおいしかったので今度また頼もうと思う。
サラダと食後のコーヒーが着いていて、順番に出してくれるからちょっと贅沢な気分。
二種類のパスタを頼んで千二百円くらい。肉料理もそれくらいの値段。ただ、肉の量は少なめなので、がっつり食べたいときは鶏料理屋さんか、タイ料理に行く。
美味しいのだがニンニクが多すぎるのと、避難経路や安全性を無視した建物なので行かなくなった。
美味しいのだが、ここ一か月ぐらいなぜかパンを食べる気分ではない。
大学に併設されており、学生で大混雑である(あれ、今は夏休みだから空いていてゆっくり食べるチャンスか?)。なお、一度バランスを崩して牛乳を由佳にぶちまけてしまったときの対応がとても易しかったのは特筆次項(代わりの牛乳もくれた)。
昔から好きだった九州のとんこつラーメンを食べることを想像するだけでお腹がいっぱいになるようになってしまった。
パンダ印の中華屋さんで食べる中華麺は平気なので、スープの好みの問題か?
ここ数か月新しい店に行っていないので探すつもりだ。こうしてメモしたところ和食が食べたいようなので、それを中心に探してみよう。
メニューを見ながらあれこれ話している中で、ふとあることに気づいたんです。
パスタ、カレー、魚料理、肉料理、オムライス... 見事に全員違うものを頼むんです。
これ、その日だけじゃなくて、過去にも何度か経験があるんだけど、女だけのグループで食事に行くと、かなりの高確率でこの現象が起きる気がするんです。例えば3人で行ったら3人とも違うメニュー、4人で行ったら4人とも違うメニュー。誰かが「私これにしようかな〜」って言うと、他のメンバーは自然と違うメニューを探し始める、みたいな空気。
もちろん、意図的に「全員違うものを選ぼうね!」って話し合うわけじゃないんです。むしろ何も言わないのに、結果としてメニューが被らない。まるで事前に打ち合わせたかのように、見事にバラバラになる。
これがね、私には全く理解できないんです。
男性同士のグループって、ラーメン屋とか居酒屋とかで「じゃあ俺もそれ!」「お、いいね、じゃあ俺も同じやつで!」みたいな流れ、結構見るじゃないですか。むしろ同じものを頼むことに対して何の抵抗もないように見える。
なのに、なぜ女性はこうも同じメニューを避ける傾向があるのか?
考えられる理由は何だろう?って色々考えてみたんだけど、どれもしっくりこない。
確かに、全員違うものを頼めば、ちょっとずつ味見させてもらって色々な種類を楽しめる、というメリットはあるかもしれない。でも、毎回そうするためだけに無意識に違うものを選んでるの?そこまで戦略的なの?と思ってしまう。
例えば同じパスタを頼んで、「あれ?私のパスタの方が美味しそう...」とか「あっちのパスタ、なんか量が少なくない?」とか、無駄な比較が生まれるのを避けたい、とか? うーん、でもそんなこと気にするものなのかな?
同じものが集中して品切れになったら困る、とか、提供時間が遅れるとか、お店への配慮? いや、それにしては毎回徹底されすぎているような...。
「あ、△△ちゃんがパスタ選んだから、私は違うのにしよう」みたいに、無意識に他の人とは違う自分を選ぼうとする心理があるとか? これはちょっとありそうかも、とも思うけど、そこまでして「個性」を出す必要ある?と思ってしまう自分もいる。
私自身は、もし友達が同じメニューを頼もうとしてても、「あ、私もそれ食べたいと思ってたんだ〜!」って普通に同じものを選んでしまうタイプなので、余計にこの「避ける」心理が分からないんです。
これって、女性の間では当たり前の「暗黙の了解」なの? それとも単なる偶然? でも偶然にしては遭遇率が高すぎる気がする。
本当にこれ、悪気なく不思議なんです。何か女性特有の合理的な理由があるのか、それとも単なる集団心理なのか...。
女性の方がいたら、ぜひ教えてください! あなたは女友達とのランチで、同じメニューを頼むのを意識的に、あるいは無意識的に避けていますか? そして、もし避けているとしたら、それはどういう気持ちからなんですか?
政治とかそのへんは置いておいて。これはいろんな問題があるし、人それぞれだし、いいとこ悪いところあるから
自分が言っているのは「国民の人柄」とか「食生活」「日常生活」ってところ。国籍は日本として考える。
海外によく行くんだけど、過ごした中で一番「なんか日本っぽいから暮らせそう」と思ったのがイギリスとドイツかイタリア。
イギリスは飯マズとか言われているけど、選べは問題ないし、何よりスーパーが多くて生鮮食品が結構ある。あと味が薄い。これがマズイに繋がることがあるけど、ぶっちゃけ変な香辛料より薄い方がどうにかできるから良い。海外にしては薄味なので、暮らしている時もありがたかった。あと個人的に茶が好きなので、紅茶がデフォで色んな所にあるのめっちゃ嬉しい。しかも緑茶も普通にある。神。
そして何より人の感じが日本っぽい。皮肉だとかなんとか言われているけど、日常でそれを感じたことはない。関東圏っぽい。
人も英語を除けばほとんど日本人みたい。親切だし、丁寧なこと多いし、愛想良いし。
島国だからかな。浮浪者も少なくて、身の危険をほぼ感じない。夜一人で歩いても安心できる。
他の田舎(アメリカやら)に行ったけど、なんか違う。何が違うと言われたわからないけど、なんか違う。
あと道がガッタガタしていない。広範囲で田舎でもちゃんと舗装されている。
ドイツはまず飯が合う。飯が口に合う。そして個人的に肉が好きなので肉料理豊富なドイツが個人的に好き。お菓子も甘ったるくなくて良い。あとココアが一番旨い。
アメリカは肉ってイメージあるけど、そっちよりかはさっぱりしていて、料理もそこまで濃いとは思わなかった。アメリカより添加物感がなくて良い。
スーパーが充実している。が、イギリスに比べて生野菜が少ないのがネック。
そして何より日本以外だと一番トイレが綺麗。TOTOの遭遇率多いし、水回りもキレイ。有料であることが功を奏して神。水回りが神。その辺のお店のトイレが綺麗。
あと日本と仲いいのか、日本製が多いのがいい。TOTO然り。というか水回り以外でも綺麗。
人柄も日本に近い。イギリスが関東圏とすればドイツは関西圏な感じ。陽気な人が多い。日本の良き居酒屋のおっさんみたいな感じな人が多い。イギリスと同じく親切で愛想も良くしてくれる。
道が舗装されている。
イタリアはイギリスドイツと同じ印象だけど、ちょっと道がガタガタだったりするのが気になる。飯も濃くないし、人もイギリスとドイツの両方いる感じ。飯が日本の次に旨い。イギリスドイツに比べて路駐多すぎ。交通が危ない。
その次に中国(南部)かアメリカ(西)かな。アメリカは浮浪者の多さがちょっと怖い。あと銃。サンフランシスコの都心で住んでいた時、最寄り駅で毎日発砲音するのは怖すぎる。朝行ったら時刻表が銃弾まみれは怖い。ハワイはいいかも。スーパー少ないけど。
中国は政治を考えないと食はそこまで合わないわけでも無しい、都心なら結構水回りも綺麗で、親切な人多い。ネットだと変なやつ多いけど、どの国も国民は基本親切だよ。過ごしていた時もサービス精神凄くて、若いと「若い子!ほらもってけ!たくさん食べろ!」と優しいし、公園のおっちゃんに話しかけても「どうだ!麻雀しないか!」と笑いながら招いてくれる。急に奢ってくるおじさんおばさんが多い。あと何より茶が豊富。まじでこれが神。個人的に都心で腹出しながら寝ているおっさんが多いのがなんか平和で好き。夜道も一人で歩けるし。意外かもしれんが警察(公安)も変なことしなきゃ親切。道路は都心でも終わってるけど。政治を考えないとしたらだけどね。
一番親切じゃないうえに人が怖いのはフランス。
ちなみに衛生が酷いのもフランス。特にパリ。何が花の都だよ。浮浪者多すぎ。汚い。怖いの3重苦。
食事が一番無理なのはインド含めたあの辺。お腹死んじゃう。あと宗教がらみが多くて大変。あと人の性格キツイ。夜道は一人で歩けない。
過去のメニューを正確にお伝えすることは難しいのですが、ウェブサイトや過去のニュース記事からいくつかの情報が見つかりました。
ウルフギャング・ステーキハウスでは、グランドメニューに加えて、ランチタイム限定のメニューが用意されています。これには、自慢の肉料理の他、サラダ、日替わりパスタ、魚料理など、多様なアントレが含まれています。
2023年の特定の時期には、「シン・ナポリタン」という期間限定のスペシャルスパゲティが提供されていました。
福岡店の情報ですが、価格帯は「¥10,001 and over」となっています。銀座のWolfgang's Steakhouse Teppanでは、ランチコースが1人あたり税込¥14,300から、ディナーコースが税込¥26,400からという情報があります。
大喜利ならChatGPTに分があるよ
クリケット(Cricket) 🏏 → 「クッキー」や「クレープ」に似た響き
カバディ(Kabaddi) 🤼♂️ → 「かば焼き」や「カレー」に似た響き
パデル(Padel) 🎾 → 「パエリア」や「パスタ」を連想
スカッシュ(Squash) 🍋 → 野菜の「スクワッシュ(かぼちゃ)」と同じ単語
ボッチャ(Boccia) 🔴 → イタリア料理の「ボッコンチーニ(小さなモッツァレラ)」に似ている
ルゲイ(Luge) 🛷 → 「ルゲイ」という響きが「ルゲラ(トルコのスイーツ)」に似ている
ラクロス(Lacrosse) 🥍 → 「ラクロス」が「ラクロア(La Croix)」という炭酸水に似ている
カーリング(Curling) 🥌 → 「カール(お菓子)」を連想
バドミントン(Badminton) 🏸 → 「バター」+「ミント」+「トンカツ」!?
友人がDVされてるっぽいけど本人は気づいてない?気にしてない?んどけど見守るしかないかな。もやもやする。
友人は警察や自衛官にナンパされるほど体格がよかったんだけど奥さんと出会ってからすっかり痩せてしまった。
肉を食べさせてもらえないんだとさ。
30年間童貞を守ったって自虐してて、今の奥さんが初めて付き合った女の人だからってすごく大切にしてる。
奥さんがヴィーガンってほどじゃないけど野菜好き肉嫌いで肉料理は一切家で出ないと。
そのことは結構周りに話してて、職場の新年会を焼肉にしたんだと。ちゃんと他の人にも聞いてな。そしたら奥さん激おこで3月末で急遽退社になってしまった。
奥さんと出会ってから全てを赤と茶色でコーディネートしてたセンス壊滅的な友人がブランドもんもったりおしゃれになったりね、いい影響もあったんだけどさ。どうしても奥さんがいい人に思えないし不憫で可哀想になる。
でも友人は肉食べたいって思わなくなってきたって言ってたし2人が幸せならそれでいいんだよな。
部外者にはどうもできないよなーーー
別れろとは言わないよ。ただ、外で食う飯はなんだっていいと思うし、そこまで管理される必要はないだろ。
でも友人は幸せそうなんだよ。
DVだと思うんだけどな…
いつか気づいてほしいな
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【追記】
創作じゃないよ残念ながらこんな奴もいるんだ
最初の頃は友達も肉食えないんだよ!って言うからそれ奥さんやばくねーとか笑いながら話してたんだけどさ、止まらなかったよ
子供のこと指摘してる人いて心配になったから退職祝いにでも誘ってちゃんと聞いてみることにする
ありがとな
烏丸から先斗町辺りは観光客や外国人向けの店と地元民の店の住み分けがそれなりに出来てる
解りやすい所だと錦市場なんかでモノ買わない、あの周辺ならほぼ確実に八百一本館か大丸地下行く
細かく言えば現地民は外国人が行きがるような店で食べない(京都民は基本的に和食よりパンや菓子とコーヒー、町中華、ラーメン、肉料理を好む)し
外国人は逆に京都民が行くような店(欧米系の人は餡子が苦手なので和菓子系や自分の地元で食べれるパンや中華、肉は避ける)に行かない
共通はラーメン位だけど、ハードルが高いので日本語しかない店とかは中々見かけない
というか連中はまず一蘭やガイドに掲載されてる様なインバウンド狙いの店に行きたがるのでこれも結構住み分けられてる
そこを超えて来る外国人観光客や高価格帯グルメに来る層は大体日本の事情通側に片足突っ込んでるか金持ちなのでマナーも悪くない
というか飲食店で外国人のせいで荒れてる店とか殆ど聞いた事がない
今の京都駅を出てビビるのは祇園方面へのバスの行列が恐ろしい程並んでる事で、あれは終わっているので京都府が責任もって何とかするべきだ
逆に言うとあの辺以外はそこまででもないし、あそこの住人以外はかなり平和かあまり変わらない
結局、京都は外国人観光客がヤバいヤバい言われてるがそんなでもない
観光客や酔っ払いがヤバいのは元々の日本人の団体観光客も大概(特に60代前後)だし、五十歩百歩
そもそも京都の交通事情はインバウンド云々以前に脆弱だったし、道路事情もカオスなので慣れてしまってる
なので、余談だけどLUUPとかもぶっちゃけどうでもいい
烏丸から先斗町辺りは観光客や外国人向けの店と地元民の店の住み分けがそれなりに出来てる
解りやすい所だと錦市場なんかでモノ買わない、あの周辺ならほぼ確実に八百一本館か大丸地下行く
細かく言えば現地民は外国人が行きがるような店で食べない(京都民は基本的に和食よりパンや菓子とコーヒー、町中華、ラーメン、肉料理を好む)し
外国人は逆に京都民が行くような店(欧米系の人は餡子が苦手なので和菓子系や自分の地元で食べれるパンや中華、肉は避ける)に行かない
そこを超えて来る外国人観光客や高価格帯グルメに来る層は大体日本の事情通側に片足突っ込んでるか金持ちなのでマナーも悪くない
というか飲食店で外国人のせいで荒れてる店とか殆ど聞いた事がない
今の京都駅を出てビビるのは祇園方面へのバスの行列が恐ろしい程並んでる事で、あれは終わっているので京都府が責任もって何とかするべきだ
逆に言うとあの辺以外はそこまででもないし、あそこの住人以外はかなり平和かあまり変わらない
結局、京都は外国人観光客がヤバいヤバい言われてるがそんなでもない
観光客や酔っ払いがヤバいのは元々の日本人の団体観光客も大概(特に60代前後)だし、五十歩百歩
そもそも京都の交通事情はインバウンド云々以前に脆弱だったし、道路事情もカオスなので慣れてしまってる
なので、余談だけどLUUPとかもぶっちゃけどうでもいい