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はてなキーワード: 豪農とは

2025-11-05

anond:20251105083714

家具を代々大事に受け継ぐのは日本では中級以上の武士豪農だけ

大衆化した時点で廉価版使い捨てになるのは車でも家具でも文具でも楽器でもなんでも同じことよ

2025-10-31

音韻分析AIによれば

神道Sin to、罪は神道

神社はGene ja遺伝子ジャップ

ということになった

豪農米倉庫で祝日大祭😎見せカネで脅す

2025-05-24

anond:20250524205033

不動産屋って大体前職農家だし、廃農回避策として豪農農地転用不動産握るのは割と適正に思うけどな

2025-05-23

anond:20250523214639

収穫のコンバインも大型の脱穀機も貯蔵用の建物も運搬用のダンプカーも、全部JAの持ち物だからJAがなければ出荷ができない。

設備を自前で揃えてる豪農は収穫はできるけど、個別小売店とそれぞれ商談して配達を手配するような人手はやはりない。

すると大手スーパー商社とだけやりとりして、そっから分配されることになる。当然、マージンが乗るからJAがなくなっても状況は変わらない。

2025-05-05

偉人はだいたい実家が太い

とと姉ちゃんがはじまったから見たんだがやっぱりいいところの子供なんだな

らんまんの主人公実家でかかったし

青天を衝けの渋沢栄一実家豪農だったし

何かをなしうる人間はだいたい実家が太い

実家が太くない人間は生まれながらにしてモブって決まってるんだな

まあ現実とはそういうものだが

せめてフィクションでは貧乏人が成り上がる物語がみたい

そういうのないの?

おしんはそういう話だった気がするが

あとカムカムエヴリバディのジョーみなしごからヒモになったか成功者と言えるか

2025-02-09

anond:20250209114406

そういうのスタートが酷かっただけで普通人間じゃないか

お前はなんで頑張って大谷選手みたいにならないの?って言われて響くやつおらんやろ。

 

ていうか現代大企業だって元は財閥系やどこかの豪農、元から商売人でたった1人裸一貫で立ち上げた会社の方が少ないってのに。なんで個人努力が最強っていえるんだ

 

どう考えても先祖から引き継いだ血筋財産最強なのにさ。説得力無さすぎや

 

ほんまにそれらゼロ成功したらなら偉人伝になるぐらい珍しい事。そんな珍しい話をさも誰にも当てはまるみたいにするのは無茶すぎる。

 

ほならそれを強制するお前は歴史に名を残してるんかっていう話

2024-09-06

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く

6月から見始めたおしん。ついに最終回に到達した。全297話を一気見して感慨深い。おしん明治に生まれ大正昭和と激動の時代をたくましく生き抜いた女の一代記である

これまでも2019年頃に再放送された際に断片的にはみていたのだが、フルバージョンで通してみたのは今回が初。全篇を通してみて、いろいろと誤解していたことも多いことに気が付いた。

おしん」に対する誤解、それはおしんは辛抱する女であり、苦難に耐えて自らの努力と才覚で成功する立身出世物語であるという誤解である

全く違った。もちろん困難に負けないといった不屈の精神みたいなテーマもあるし、海外ではむしろそこが受けたのだろう。しかし、おしん本質はそこだけではないというのが全話みた感想である。豊かになるにつれ老害化してゆくおしんの姿は、立身出世物語ありがちな主人公聖人化とはむしろ逆行していた。

辛抱する女であるという誤解。

いや、もちろん少女時代奉公先での過酷な試練は、おしんイメージともなっているし、全編通して苦労が絶えなかったのは確かである。それに耐えようとする根性もみせた。しかし、おしん最初奉公である材木問屋からは逃亡しているし、佐賀豪農の嫁となってからは、姑の嫁いびりに耐えきれずに幼い一人息子を奪うようにして家出している。7歳のおしんが座木問屋で受けた仕打ちにしても、24歳のおしん佐賀の田倉家で受けたイジメにしても、視聴者から見るに堪えないとのクレームがあったほどのもので、おしんが耐えきれないのも無理はないものである特に壮絶だったのは、妊娠したおしんに対する佐賀の姑の仕打ち。まかり間違えば自分が命を落としかねない危険死産経験したおしんはついに、佐賀の家を離れ東京行きを決意する。朝ドラとしては、佐賀時代は1ヵ月以上もあり、視聴者にとってもきつかっただろう。なにせ毎日いびられ、佐賀時代おしん笑顔を見せることはなかったのだから。朝から気持ちを明るくさせるという朝ドラの使命を真っ向から放棄した凄まじく理不尽な展開だった。

後年、佐賀の姑・清を演じた高森和子は、こんなことを言っている。

佐賀編で、田中裕子さん演じるおしんをいびる田倉家の姑・清を演じた高森和子さんも「私はさほど厳しいと思っていなかった。きついといえばきついけど清から見たらおしんのことを我慢できない部分も当然あっただろうし。だからまれ役のつもりはなかった」という。ところが、まず舞台地の佐賀からどっと清に対する反発の声が上がった。「役者冥利に尽きるとも言えるけど、そんなに怒られると思わなかったので、最初は少し落ち込みましたね(笑)」。とはいえ高森さんもおしん役の田中裕子さんの熱のこもった演技に、いびる立場でありながら「あまりにかわいそうで」思わずしたこともあったようだ。(NHKアーカイブより)

さほど厳しいと思っていなかったという回想は、放送から40年後に、おしんを視聴した私にとってはむしろ衝撃である。なるほど、あの姑・清の行動にリアリティがあるのはそのためか。清の役柄を完璧理解してこその発言であるプロしかいいようがない。おしんの娘が死産した際、ほぼ同時に出産した娘・篤子には乳が出なかった。困った清はおしんの乳をもらえないかと頼む。清は授乳するおしんの姿に慈母観音をみる思いだと感動し、死産した娘に愛と名付けていたことを知った清は、自分の孫に愛という名前をもらうことにした。もとはと言えば、おしん死産は田倉家での嫁としての過酷な日々により体力が奪われていた結果である自分の孫に愛と名付ける姑の無神経さもさることながら、こんなところにいたら殺されてしまうという思いがおしん東京行きを決意させた。その際、一粒種の息子・雄を清の手から盗み取って、自立しようと家出するおしんを手助けしてくれたのは、田倉家長男の嫁・恒子。恐らく当時の日本全国の農家の嫁たち(視聴者)は恒子の行動に大きな共感をもっただろう。誰しもおしんのように行動はできない。つらくても長男の嫁として根を張って生きてゆくしかない。真の意味で辛抱する女は恒子である

おしんに対する二つ目の誤解は、自らの努力と才覚で事業家になった、というもの

これは半分は正しいが、半分間違っている。確かにおしんは、9歳から16歳にかけての酒田の米問屋加賀屋奉公した際、大奥から見込まれお茶料理裁縫などありとあらゆる花嫁修業のみならず帳簿の分析の仕方など商いのイロハを徹底的に仕込まれた。これは加賀屋を継ぐことになる孫娘加代が商売に何ら関心がなく、将来とても加賀屋を任せられない不安から、加代をバックアップしてくれる存在としておしんに期待していたかである

しかし、全編通してみると、おしんの才覚はむしろ夫の事業や息子の事業サポートするために発揮されていることがわかる。10代の頃に加賀屋奉公時代に培った経験は、のちに田倉商会の旦那結婚し、田倉商店を支えようとするときに力を発揮する。帳簿をみて夫の田倉竜三の経営能力の弱さを見抜いたおしんは、そのを不安を源じいと相談する場面がある。源じいは佐賀本家から三男・竜三のお目付け役として東京で同居していた使用である。夢ばかり膨らみがちな竜三の経営には源じいもハラハラしており、おしんの商才を見抜いていた源じいは、おしんが竜三坊ちゃんを支えてくれるもの安心していた。しかし竜三は甘く世間知らずだった。田倉商店詐欺あい、あっけなく倒産してしまう。

田倉の再起をかけておしんは自ら稼ぐことを考えた。おしんは手先も器用だった。17上京した当時、日本髪に弟子入りした経験から、出前の洋髪を始めるとたちまち客がついた。一方、竜三は堕落した。会社員の月給の何倍も稼ぐようになったおしんしり目に、竜三はカフェを飲み歩く日々。完全に髪結いの亭主化してしまう。日本髪のお師匠さんに相談すると離婚してしまえと助言を受けるが、ここでおしんのとった行動がすごい。夫を再起させるために、自ら稼ぐことをやめてしまうのであるおしんが働くのをやめ、ついに貯金がつき、明日の米を買うお金も無くなった。お金が尽きたとお師匠さんに報告した際にいったタカ言葉ダメは男はどこまでいってもダメなんだよ」は自分の胸に突き刺さっていたい。どん底理解した竜三はプライドを捨て勤め人として働きだす。それからおしんは、再び商売を始める竜三に対して、どんなに商売センスがなくても温かい目で見守ることにした。先行きに不安でも、それを表には出さずヨイショを欠かさなかった。夫と一緒ならどんな苦労でもすると明るく振舞う。黙って俺についてくればいいんだと竜三に言わせることで、おしんは夫の背中を押していた。やがて子供服需要に目をつけ、竜三は工場建設に乗り出すも、関東大震災で多額の投資をした工場は瓦解、田倉商店の夢も泡と消えた。失意の竜三は佐賀に帰ろうと言い出す。そもそも三男坊である竜三は実家資金東京事業を始め、失敗し、夢破れて、太い実家をあてにして舞い戻ってしまうような根性なしだった。前述のおしん佐賀地獄はここから始まる。

それから数年、佐賀地獄から幼い息子を連れて脱出したおしんは、東京山形転々とし、最終的に伊勢に落ち着き、魚屋として地道に商売をする日々が続いた。いずれ夫と家族ともに暮らせる日を夢見て。最初の3年は一人で魚屋を切り盛りしていたおしんっだったが、夫の竜三から手紙を出せどなしのつぶて。そんな折、有明海干拓の夢破れた竜三が、満州で一旗揚げると別れの挨拶にひょっこり伊勢に現れた。渾身のタックルで、逃げようとする竜三をつかまえるおしんの演技は、天才女優田中裕子のすごさがわかるシーンである。竜三は自分には甲斐性がないことを承知していた。おしん行商した金で店を開くのに亭主面して乗り込めるかと、あくま干拓に拘っていたのであるしかおしんには会いたい。干拓の夢破れた自分を恥じて、おしんに顔を向けられない。おしんに見つかった途端に逃げ出してしまう竜三。そんな旦那にしがみついて、プライドを捨てて魚屋から一緒にやり直そうと説得するおしんの行動には、ある意味、全篇通して変わらないおしん本質がある。田中裕子の猛烈なタックルをみるだけでも「おしん」を見る価値がある。マイベストシーンといってもいい。

やがて伊勢根付いて20年が経ち、この伊勢の小さな魚屋軍部お抱え業者としての水産加工工場にまで事業拡大させたのは竜三の手腕である

しかしそれも敗戦でなにもかもを失い、夫は自殺する。

竜三と長男・雄を戦争で失い、おしんはもう一度魚屋として再出発する。魚屋を手伝い始めたおしんの息子たちはやがて魚屋アメリカ式レジを導入したセルフサービスの店に転換しようと奮闘する。それがのちのたのくらスーパーの出発点となった。今日ではどんな店でも当たり前のレジによる精算が当時は画期的な仕組みだったというのも興味深い。それまでは品物の中央に座りザルをぶら下げて、商品の受け渡しと代金の受け取りをするのが一般的だったのである

魚屋として地域に根差し、身の丈に合った商売をしたかったおしんは当初は反対していたくらいであり、事業原動力となったのは次男の仁であるおしんは夢ふくらむ仁の行動に不安を覚えつつも、その後の事業拡大を支えていたのは間違いなくおしんであった。しかし、情熱をもって会社リードしていたのはおしんというより次男の仁であったというのは間違いない。

こうしてみてくると、おしん実業家として全く野望を持っておらず、本心は堅実に地域根付いた商売をしたかっただけである

おしんに対する三つ目の誤解は、おしん立身出世成功物語であるという誤解である

極貧の小作の娘から、女一代でスーパー16店舗をかまえる地域実業家になった、というのは筋としては間違ってはいない。しかし、大正戦前戦後とその時代時代おしんがしてきたことは、成功しようと夢見みて危険なかけにでる夫や息子の行動を冷静に分析し、正しく軌道修正しようとすることであった。事業拡大をしようと竜三や仁がいうときおしんはいつも反対してきた。これまで大切にしてくださったお客様など義理人情を捨ててまで商売をしようという考えはおしんには全くない、ある意味とても保守的人間であり、実業家によくある野心家では全くなかった。野心家は夫の竜三であり、その血を引いた次男の仁のほうだった。

もちろん、おしんにはおしん商売に対する信念があった。それは人のつながりを大切にすることであり、恩を大切にすることであるおしんは昔から自分を育ててくれたり支援してくれた人たちへの恩を忘れず、いつでも義理人情に生きようとする人なのである

大正時代に縫製工場を拡大したときも、従業員をこき使おうとする竜三に、社員健康福利厚生の大切さを説いていたおしん。ここにはかつて製糸工場結核になったおしんの姉・はるが使い捨て同然に実家に戻され亡くなった経験がにじみ出ている。伊勢魚屋店舗を構えることになったときおしんはお世話になったお客様を忘れず、なかなか行商をやめようとはしなかった。

またおしんをめぐる当時の関係人物にはそれぞれやはり、一宿一飯の恩義という観念がつよく働いていた。それを象徴するのが、息子・雄の戦友である川村である。雄は南方戦線で亡くなってしまうが川村は戦友に報いるために自分が取得した駅前土地を田倉家に譲渡するという行動に出る。そしてなんといってもおしん人生最大の恩人は16歳のとき初恋相手・浩太である。浩太にとってもおしんは恩人であり、かつ激動の時代を共にしてきた戦友のような存在だった。

おしん物語は、事業家としての成功の一代記というより、ひとの縁と恩を大切にする人生観がより胸に迫ってくる物語である。いってしまえば浪花節である。いやそもそも成功などせず、ほぼ失敗して物語は終盤に向かう。その失敗についても、その救済についてもいろいろと誤解していたことがわかった。

https://anond.hatelabo.jp/20240908082812(その2)へ続く

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911(その3)へ続く

2024-08-14

コイン精米所が儲かろうかどうか

基本は儲からないんだけど、実はこんな事情がある。

と言う事で、商売としてそれなりに成立する。

しかし、月額20万円以上の売上を上げるなんてのは超特殊事例で全く無理。だいたい立地で決まる。掃除とかも関係ない。(と言うか、毎日掃除していると言っているのは、米ぬかをためておく設備を設置しなかったからだと思われる)

では何故存在するかというと、そう言う地方では精米して配達すると言う需要があるからだ。農家に依頼して、特にこだわりがなければ「精米して届けてほしい」ということもできると言うこと。

そうやってお米の販売までやっている豪農が、自前で精米設備を導入するときに、プラスアルファ投資してコイン精米所に仕立てて稼ぐと言う構造ほとんどだと思われる。


と言うワケで、コイン精米儲かるよーといっって寄ってくる人はほとんどアレなので無視しましょう。

って言うか、地方では一時期コイン精米投資詐欺みたいな案件結構猛威を振るったので今更ではあります

2024-04-23

anond:20240423154749

勝訴した当時はへえよかったじゃんと思ったが、今では胡散臭く思えるようになった

弁護士は公金不正受給で返金命令2690万円が出たりスタッフ幼児レイプ懲役20判決出るような団体の守り神やってるような人だし、

最近は「裁判官を変えろ、書記官を変えろ」と無茶苦茶申し立て連発して棄却されまくりだったりやべー人だし

この事件JKアイドル自殺し、スマホから事務所社長暴言が出てきたため「社長のせいで自殺した」と遺族が訴えた件

社長は確かにパワハラしてました」と同僚の女の子発言したと遺族側が供述書を出すも、

から女の子が「供述なんてしてません捏造されました」と証言し、

「むしろ家庭の問題のせいじゃ?家庭問題をよく相談されました」と言い、事務所側が勝利し、遺族側は毒親だと糾弾された

でもうさんくせえなと思うようになってから、当初の供述書こそが真実で、後から嘘を言わされたんじゃねと認知プロファイリングするようになった

社長JKアイドル暴言を幾つも送り命令口調ばかりだったというのは記録も残っており社長も認めた事実

親しい間柄のくだけた言い回しであって本当に悪意があったわけではないと供述し、勝訴によってそれが本当だというムードにもなったが、

何十歳も年上の、事務所権力を持っている側のおっさんJKが「次に寝ぼけたこと言い出したらぶん殴る」などの高圧的なこと繰り返し言われて「仲が良いから平気」と思えるだろうか

JKアイドルの親は貧乏ステップファミリーで確かに底辺くさい雰囲気はするので問題はあったのだろうけど

一方で社長は、全国的にはマイナーとはいえ道楽ローカルアイドル作れるような豪農金持ち

同僚の貧乏な親より、金持ち社長女の子が取ってもなんら不自然ではない

また、社長からパワハラについてはJK恋人である男子高校生相談されていたと証言している

JKの親は恋人との交際否定的で、JK通信制高校を辞めて恋人と同じ全日制に入り直したいと言った際も反対していた

JKいじめに遭って不登校になった過去があり毎日通うことや学力に難があったためもある)

恋人がそんな親と嘘ついて共謀するかね?

自分彼女が親の不満ばかり口にしており、自殺は親のせいだと確信があったら、事務所側につくんじゃ?

また、JKと同じグループメンバー田中優香パワハラされたとTwitter告発して脱退している

「以前より事あるごとに『お前たちは必要ない。辞めてしまえ。代わりはいくらでもいる。』等の罵声を浴びせられながらも一生懸命頑張って参りましたが、9月25日屋台祭りにて休憩を取ることを許されず『もうやるな辞めろ。代わりはいくらでもいる。』と、罵声を浴びせられ、耐えられなくなってしまい、活動を辞退させて頂きました。それが全てです」

休むのを高圧的に禁じられた、というのは遺族が話した内容と全く同じ

自殺から4年、社長がとっくに勝訴した後でまた他の子が似たようなパワハラを訴える環境

そんで事務所はとうとう潰れた

農業アイドルの件は「無実が証明された」とは全く思わない

草津と違って物理的に無理とかいうわけでもないし

2024-04-16

anond:20240416165451

それは思った。

最近農家は職住を別けるように作業場農地の近くに、家はちょっと離れた便利なところに、って構えるのが基本だけど、当時の農家はそんなことしないはず。

だって歩いて作物の世話に行くのがデフォからね。

ただ、こんな解釈はできる。

解釈って言うか、ワイの地元ではこんな感じで、住宅街の中にいきなり広い庭がある民家があったりする。

だいたい遡ると、そう言う家は昔から住んでる人で、それ以外の家は後から住宅開発でできた家ね。

ただまぁ、開拓する場合には開拓地に転居して構えるのが普通からかに違和感はあるな。

2024-04-15

じいちゃんばあちゃん若返る 第一話に寄せて

どうもこんにちは

面倒くさいアニメファンです。

じいちゃんばあちゃん若返る の第一話を見て、どうしても突っ込みたいところを突っ込むので気が向いた人だけ読んでくれ。

なお、アニメしか見てない。

漫画の方は今後買う予定だけど今月クレカの支払いがヤバいので来月以降の予定。

ちなみにこれは「こう書かなきゃ行けない」という話では無く、興味を持ってくれた人により深く楽しんでもらうための解説であるからして、そのつもりでひとつよろしく

りんごの木について

りんごの木の書き方が妙にリアル

りんご高木にあたるので、そのままにしておくと凄く大木になってしまう。すると作業性が著しく悪くなる。剪定、収穫、防除が難しくなる。

また、日の光が均等にかからないとまずいので、背が高くならないように、また横に向かって伸ばすように育てる。

そのため、上から見ると、枝が放射状に横に向かってにょろにょろと手を出すように広がっていく。

ただし、こうするとりんごの実がることによって枝が折れたりする。それを木の棒で支えている。これも作中で描かれているね。

これを丸木栽培と言って、最も古いりんごの育て方だ。

じいさんばあさんが昔植えたという、そして黄金りんごを実らせた木がこれにあたる。古木に多い。

一方で、作中には、並木状になっているりんごの木があったと思う。これを「矮化栽培」という育て方だ。

先ほど言ったように、りんごというのはそのまま置いておくと大木になる。またコントロールが難しい。そこで、わざと大きくならないりんごの木を作って、それを高密度に植える育て方、それが矮化栽培だ。

りんごに限らず果樹は基本接ぎ木である。根っこの部分には生命力と根が強い木を台木にし、更にその上に目的の木を接ぎ木する。通常はそれだけなのだが、そのままで大木になる。

そこで、根っこの台木の上に、一度矮台という大きくならない木を間に挟んで、更にその上に目的品種を継いだ特殊な苗を使う。これを矮化栽培という。これによって木が大きくならずに育てる事ができる。

のだが、しかしこの矮化栽培も、だんだんと木が大きくなってきて、旧来型の丸木栽培に近くなっていく。こうして、並木のように並んでいる大きなりんごの木ができる。

じいさんばあさんは戦中派なので、最低でも90歳オーバーであることを考えると、ちょうどこの矮化栽培の普及時期に開拓をしていると思われる。

じいさんばあさん若返った後は?

若返ったので、今後、じいさんばあさんは改植を進めていくものと思われる。

大きくなった矮化栽培は、矮化栽培メリットがほぼ無くなる上に、丸木栽培よりも高密度なので丸木栽培メリットも無い。と言う事で、通常は一定より大きくなったら切り倒してしまって、新しい苗を植える。この時に最新の品種を取り入れたりする。これを改植と言って、果樹農家基本的に絶えず行っていく。

のだが、改植すると当然一時的収入が減る。また高齢になってくるとなかなか未来の事を考えて行動するということができにくくなってきて、改植が進まない。

そこで、じいさんばあさんは大きくなった矮化の木を残していた(矮化栽培は枝を支える手を使うレベルまで育てるのは育てすぎ)と思われる。

が、若返ったので、この後は矮化栽培を進めていくと思われる。

さて、今の時代は、更に進んだ栽培方法がある。じいさんばあさんは、日本りんご栽培が本格化するところ、その近代化を担ってきた世代である。当時最先端技術を使ったベンチャー企業みたいなものだ。そう言う精神を持っている2人なので、今後は新しいことを入れていくと思われる。例えば以下の様な栽培方法がある


作画の都合上省略されたり変更されたりしていると思われる部分

まず、OP 果樹農家が使うのは三脚なのだが、これが脚立になっているのは、おそらく参考になる品物が近くになかったからかな。

基本的果樹農家が使うのは三脚である。足が多い方が安定するように思うかもしれないが、三脚場合は3本目の足の位置を調整することで下が安定していない坂などでも安全に安定させる事ができると言う特徴がある。これが脚立の3本足だと、一本が浮いてしまうのだ。

日本では、伝統的に平坦な場所コメまたは麦を育てる場所として使われる。そのため、果樹園は傾斜地にある事が多いのである

物語的に変更されたと思われる部分

先祖伝来の土地はあまり多くない

りんご栽培が本格化したのはここ150年ほどで、更に言うと戦後である戦争から引き上げてきた人々が、食っていくために開拓をした土地りんごを植えた所から本格化している。

日本農業は米を重視していて、それに適した所はほぼ開拓されていた。その残りと言うのは、傾斜地で水がなかったりとするところである。そこを開拓した所だ。

じいさんばあさんは戦中に生まれ若い時期を戦後の混乱期を過ごした人たちなので、恐らく先祖伝来の土地よりも、自分たちで開拓した土地の方が多いと思われる。

ただ、聞くところによると、2人とも元々地元豪農の生まれらしいので、そういう点ではあるのかもしれない。

津軽りんご農家豪農が多く、後継者も多い

りんご農家豪農が多く収益率も高い領域だ。

全国から考えると比較収益性が高く後継者も多い優良な事例が多い。また、じいさんばあさんは最低でも90歳と考えると、恐らく息子さんは定年直前ぐらいではにだろうか。

一緒に暮らそう、と言うよりも、どちらかというと定年帰農を考える話になっていくのが現実によくある話だと思う。

そうすると話が複雑になってしまうので、省略されたのだと思う。

まとめ

りんご農家アニメ化するってのは結構レアなんで農協とかコラボやろうぜ

まだりんごシーズン本格化前田からやれるって。

2024-02-24

・俺の高祖父

学校を出たかどうかは不明だが豪農の大地主だった。投機に失敗して行方不明になったらしい。

・俺の曽祖父

幼少期に高祖父行方不明になったため地元師範学校東京高等師範学校卒業して中学女学校教師をしていた。

教師として生活費を稼いで中学校を卒業させた弟は海軍兵学校卒業して戦死した。

俺が生まれたばかりの頃は生きていて抱っこされたこともあるらしいが記憶にはない。

・俺の祖父

区立小学校、区立中学校、都立高等学校東京大学法学部卒業して自治省に入った。

局長を務めてから退官し日本宝くじ協会の偉い人をやっていた。

雨の日に庭仕事して風邪肺炎にして死んだ。

・俺の父親

区立小学校私立中高一貫校、東京大学法学部卒業して司法修習を経て判か検のどちらかに任官。

現在は退官して都内事務所弁護士をしている。

・俺

区立小学校私立中高一貫校、一浪を経てMARCH文系入学し、仮面浪人を経て慶應義塾大学経済学部に進学。

卒業現在総合商社に勤務。

これが勝ち組だ。

2024-01-07

リアクションを求め、自分定義することからの脱却。その先の豪農

SNSYouTubeTikTokブログ。今や発信してリアクションを得られる可能性があるプラットフォームに触れていない人の方が少ないと思う。

アカウントもあるが、公開範囲限定しているだけで多くの人は少なくとも親しい友人やネットで繋がりのある人などが見られる環境を作っていると思う。

僕はまるで他者からリアクションを求めていない、と言うような素振りをすることがある。まじ滑稽。

リアクション求めないことは美徳でもなんでもないし、社会に生きる以上何かしらの発信にはリアクションが伴うし、誤解されては生きづらい。

リアクションから逃げることは「私は社会性がないです。」と言っているようなものじゃないか?言いすぎ?

とはいえリアクションを求めるがあまり本心を隠したり言いたいことを歪めたりするのは不健全であると思う。

服を買う時、「これ少し自分っぽくないな」と思い手に取ることをやめたことはないか自分みたいな人間がこんなお店に入るのは違うな・・・入店を躊躇ったことはないか

リアクション求めないというスタンスに常に立って世捨て人のようなスタイルを保つことは非常に力のいることだし、この社会で生きる以上不用意にそんな振る舞いをすべきではないと思う。

しかし、たまには「うおぁぁぁぁ〜〜!!!!俺だ俺だ俺が全てだ!!!!」というムーブをすることも必要なんじゃないか

我々はあくまでも個人個人であることを忘れて集団のうちの一人であるという意識を強めすぎてしまうと、誰かが、もしくは自分勝手に決めた自分が固着してしまって人生セレンディピティが生まれないように思う。

自分では普段しなさそうだな、という選択をたまにすると人生がまるで豊かになったような気がしたことはないか。1人で旅行に行ってみる、

作ったものがない食べ物を作ってみる、なんかこれとこれでプリンみたいなもの作れるんじゃね?(レシピは知らない)とかなんでもいい。

自分の中に遊牧民を住まわせろ。そんじょそこらノマドワーカーなんてものとはわけが違う。それはあくま集団から少しだけ距離を置いて「特別なあたし」を楽しんでいるにすぎない。

ほんの一瞬でもいい、自分精神的なパーソナルスペースバカ広くして敢えて社会から隔絶したような心持ちで、自分評価軸のみで物事選択することをしてみる。

評価軸なんてない?やりたいことなんてない?小難しく考える必要はない。

例えばあなたの目の前に米が2合、野菜、肉、魚などなど様々な食材があるとしよう。普段なら米は2〜3食分に分けて、食材もいくつかのレシピを作るために小分けに調理するだろう。もちろんそれがあなたのやりたいことで、スタイルなのであれば好きなようにして構わない。そうでないのなら?

私は一介のサラリーマンで、特段見どころのあるような人間ではない。だが、眼前にそれらが広げられたら、今の私は豪農モード。全ての食材を余すことな調理し、一食で食らう。

普段なら絶対にできないだろう。妻もいる、もちろん食費や向こう数日分の食材をまた買いに行かなければいけないという問題豪農モード終了後にぶち当たるだろう。しかし、今の自分はその問題に直面しているだろうか?断じて否だ。

豪農がそんな生活をしていたか定かではないが、自分イメージからかけ離れた存在になるということが重要で、それこそが日々社会で暮らす我々の数少ない寄る辺になると信じている。

今日は妻がいない。冷蔵庫には納豆がある。妻は納豆が大嫌いで家で食べることは普段絶対にない。なんなら結婚して以来初めて買った。

帰ったら大量の米と納豆、昨日こさえた温泉卵パーティと行こうじゃないの。

そんなことをして何になるんだ?そんな問いは豪農モードの私にはナンセンスだ。普段自分がしないことをすること、無意義なことを行うことこそが肝要。

どうせ同じサイクルを繰り返して年老いていくだけなのなら、外界から観測接触不可能な異質な自分見出し、作り上げ、楽しむのもまた一興なのではないだろうか。

2023-09-04

anond:20230904221133

よくわからんのだが江戸時代なんか武士やら大店やら豪農ぐらいの層はともかく庶民なんてほとんど自由だったんじゃね

2023-08-02

家ばかり立ち並んでいる場所から突然田んぼだらけの風景に変わったりするけど

豪農農地手放さないのかなと思ってたけど

川の氾濫で水没する低地だったりもするのか

2023-07-17

君たちはどう作るか

宮崎駿の最新作『君たちはどう生きるか』を見てきたんで、ある程度ネタバレありで感想書きなぐっておこう。

ネタバレありだからね。

正直、観る前に想像してたより悪くなかった。

テンポも悪くないし、人間関係に緊張感もある。

作画が徹底的に心象風景に寄っているのも、職人芸の趣があった。

火災とか草原の描き方なんて、ゴッホともセザンヌともなんだか判らんけどとにかく印象派的に歪みまくっていて、主人公の高熱に魘された夢のような心が伝わってくる。

田舎の家も、当初は主人公の内心の萎縮ぶりを示すかのように何もかも巨大で、玄関なんてどこの古刹の大伽藍かと見紛う巨大さであり、今に残ってたら家ごと国宝になりそうだ。

もちろん、本物はせいぜい田舎豪農レベルなのだろう。

心象風景として東大寺大仏殿並の巨大建築に見えているだけである

敢えて心象風景とわかるように表現している事で、主人公が実際には父の後妻を嫌っていない事も想像がついた。

なぜならすんごく清潔感のある優し気な美女として描かれているかである。嫌っているなら心象風景でそうはならない。

初対面から一目ぼれレベル主人公は慕っていたのだろう。

でまあ、作品は途中から塔の中パートと、塔の外パートという二輪構成で進んでいくのだが、

まあ、なんだ、ここから批判が多くなる。

まず塔の中パートだが、なんというか、とにかく意味があり過ぎる。

これは褒めてない。

宮崎駿もののけ姫辺りから、やたらと意味のあるものを描こうとするようになってしまってるように思える。

1シーン毎に意味があり、多分本人に質問すれば「このシーンはこういう意味がある」と全部答えてくるだろう。

まり寓話的で哲学的記号的で、イソップ童話とか不思議の国のアリスとか、そういう感じの、「意味の塊」として作品を作ってしまっているのが塔の中パートだ。

ハウルとか千と千尋とかでも顕著だったけど。

これの何が悪いって、妄想が爆発してないのである

ムスカラピュタの雷をぶっぱなしたシーンに意味なんてないだろ。王蟲がペジテのドーム食い破ったのも意味なんてないだろ。

あいう爆発するほど格好いいシーンに意味なんてないのだ。

「どうやお前らこんな凄えの見た事ないだろ。俺も見た事ないから作ってやったぞ。見て驚け。」

という作り手の妄想の大爆発なのだ

妄想を爆発させるためにそこには当然無理がある。歪みがある。そのシーンを効果的に描くために、他のシーンで入念に爆発物を積んでいる。

その無理、その歪みが、ある人には滑り、ある人には刺さるのだ。

本人が見せたいのは爆発の部分だが、関係なく歪んだ部分が受けたりする。それが創作快感である

ところが、この作品含めて後期宮崎はその「見た事ないだろ」をやらない。庵野もだけど。

なぜなら、名前が売れて裁量が大きくなった事で、作りたいものを作れるようになったからだ。作りたいものは作ってしまい、もはや「こんなの見た事ないだろ」が無い。

庵野はその無理のなさを、その歪みの無さを、オタク知識で埋めてシン・ウルトラマンやシン・仮面ライダーを作った。

そこにはTVエヴァのような溜めに溜めた便秘解放のような妄想の爆発は無く、無い物を何とか絞り出した感のある細長いウンコしかない。

一方、宮崎駿はそれを哲学記号で埋めてこの作品の塔の中パートを作ったのだ。これは最早宮崎駿のバランス感覚のみで構成された世界から、やたらとデジャヴがある。

もののけ姫と変わらずに「鎮まりたまえ~鎮まりたまえ~」とやってるし、千と千尋と変わらずに仕事やらされたり禁忌に触れて怒られたりしている。

でてくるのもやたら思わせぶりな妖怪連中である。思わせぶりなだけで、記号であるために特に伏線とかない。どういう存在説明されてフェードアウトする。

エンタメに徹するなら、塔の中はクトゥルーばりの別の星・異星文明でも良かったはずだ。せっかく宇宙から飛来した謎物体的な設定があるんだから、一気にスターウォーズ世界になっても良かったのだ。

そこから進めて、「現代日本主人公の迷い込む異世界として描く」まで手が伸びても良かったはずだ。

ところが、そういうエンタメに走らず、やたら寓話的な見たような話で埋めてしまうのが今の宮崎駿である

ブチ切れるセンス・オブ・ワンダーではなく、賽の河原の石積みみたいなひじょーに心象的なもので埋めてしまうのが今の宮崎駿マイブームである

そういう「意味」だけで構成されたパートからストーリーなんてあって無きがごとしである。断片的な寓話職人芸でつなぎ合わせた取り留めのないタペストリーである

一方、塔の外パートは違う。庵野と同じく、オタク知識で埋めている。

人力車描写一つ、言葉遣い一つ、看板一つ、食事のお膳一つから、「当時はこうだったんだぞ」という聞いてもないのに披露されるオタク知識臭がする。

多分、キャノピー実在ナントカ式とかそういう裏打ちされた設定があるんだろう。田舎がどこの県のどこの地方かも絶対決まってるねありゃ。

っつーことで塔の中パートより終わってる感のある塔の外パートだが、そこで主人公父親が妙な存在感出してるおかげでかなり良くなっている。

というのも、この父親ある意味主人公と後妻という二人の問題元凶と言える一人であり(まあ、亡くなった実母の方がより存在感は大きいが)、更に経営者であり金持ちで何でも自分で決めてしまタイプ

というジブリ作品ちょっと見ないタイプキャラからだ。

こういうタイプは、通常は出て来ても悪役なのだが、この作品ではそれを悪役として描かない。塔の外の部外者として描く。(大叔父と血のつながりもないし)

そんなわけで、このキャラについては宮崎駿の才能の爆発が感じられるのである

経営者であり第一線でもある、という後期宮崎駿が手にした立場意図せずに作り上げた鬱屈爆薬になってこのキャラに込められているのだろう。そのせいで、後半になって妙に生き生きしている。

主人公の心象にだけフォーカスするなら、後半の塔の外パートは要らなかったはずだ。少なくとも、もっと小さくなり、警察とかが来て事務的に進むのがセオリーだったはずだ。

しかし、おそらく宮崎駿はこの父親を描くことに創作快感を感じたのではないかと思う。

なんかもう藤井聡太ばりに全く失着を犯さず最善手を打ち続ける主人公の代わりに、

この父親勝手にやらかすし勝手決断するし部外者でありながらガンガン行くしで、

前半には明らかに狂言回しだったこキャラけが、後半に「キャラ勝手に動いた」を感じさせるのである。作中で唯一、記号を感じさせないのがこの父親である

そんなわけで、ち密に意味を積み上げて作り上げたであろう全体の印象を、後半の父親がぶっ壊して変になっているが、その父親がぶっ壊した所こそが個人的には最も見ごたえがあった、という何とも評しがたい作品である

まあ、悪くなかったよ。

でもね、道徳副読本を作りたいんでもなければ、作品作る時はもっと一点の妄想・一点の美意識に全賭けしましょうや監督

2023-07-14

ネタバレ注意】君たちはどう生きるか観たよ【さようなら宮﨑駿】

かっーーー!!!くそ映画やないかーーーーーーー!!!

金と時間返せーー!!!

世界観・設定【2】/10

ストーリー論理的整合性【2】/10

キャラ論理的感情的整合性【1】/10

キャラ魅力度【1】/4

テンポの良さ【1】/4

魅力的、独創的な演出【2】/4

映像美【3】/4

音楽の良さ【2】/4

合計【14】/50

■良かった点

・火の粉が舞う中、病院へ向かうシーンの演出作画、凄み感じた。写真動画じゃだせない絵だった。印象派を感じた。凄い。

田舎豪農豪商すげー!家がかっこ良すぎるー!

タバコ交渉材料にして、ナイフ研いでもらうシーンなんかいいよな。大人子供が対等な感じがして良い。

・きりこさんが舟を操ってるのかっこよかった。いい作画。魚釣りのシーンも良かった。海の底からアングル格好良い。

・ホワホワがKawaiiかわいいは正義

インコ包丁研いでるシーンなんかマヌケかわいい

■気になった点

父親傲慢さ、剛腕さが鼻につく。姉と結婚死別してすぐ妹と結婚すんのかよ。価値観合わなさ過ぎてゲロ出るわ。

・夏子さんが、眞人の手を引っ張って妊娠してるお腹を触らせたシーン。ちょっと厭らしさを感じたな。自分母親になったんだぞって誇示してるようで。僕はそういうのやられたらヤダな。夏子さん基本良い人なんだけどね。

勝手想像だけど、父親が夏子さんの金を目的結婚してそうで、嫌だなぁって思った。

・眞人、自分で傷をつけて、同級生を貶めようとするの嫌な奴だなぁ。

父親自分の子供のことだけしか考えてなくて、猪突猛進学校に抗議とかモンスターペアレントやんけ。

アオサギの中身、ハゲチビニキビ歯茎キャラデザ悪すぎ。声も嫌い。

カエルが大量に体に張り付いてくるのあれなんなん??まじで不快不快!!なんなの??演出理由を聞きたいわ。不快

・矢羽のなんか意味わかんない必殺技みたいな奴、あれなんなの??意味不明。ダサい

ペリカンをなんであんなに沢山出さなきゃいけねーんだよ。気持ち悪いわ!不快

・きりこさんが出してるシチュー盛るシーンの効果音が泥みたいな音で不快だった。前のシーンが魚の内臓ガッツリ出てくるシーンだったから余計にキツイ

インコキャラデザ何なんだよ。悪すぎる。

・塔が宇宙から降ってきた隕石ってなんなの??現実虚構もっとわかりやす表現しろよ。千と千尋と同じくらいわかりやすくしてくれよ。なんか全然設定が腑に落ちない。

ジャムパンの食べ方汚ねぇー!!音も不快。ジュルジュルじゃねえよ、汚ねぇよ!!

・夏子さんの「おまえなんか嫌いだ」って台詞、あれ要る??物語不要だったよ。無くても成立するのに、ただ不快だっただけ。

・急な夏子お母さん呼び意味わかんない。なんで急にお母さんって認めはじめたん?心境の変化生まれる要素あった?

・塔から落ちそうになってアオサギに助けてもらっても、ありがとうも何もなく塔の中に入っていく眞人。あれでよくアオサギは眞人に対して友達とか言えたよな笑。お前眞人から友達って認識されてねぇよ。

インコ大王ってなんだよ笑ダサすぎ。キャラデザ死んでる。

あんだけ堂々と後ろ付けてきてんだから気づけよ

ジジイはもう引退しろ全然魅力的な世界作れてないよ。インコ大王に切られて良かったね。

・積み木にピース加えるシーン、ダサぁ。あれわざわざ描く必要ある?

・鳥の糞が落ちすぎ、汚い。

・全体的に「なにみせられてんの?」感が強い。

・わけわかんない。意味不明。

唐突

・何が言いたいのか、何を伝えたいのか全然わからん

別にどうでもいいけど気になった点

・なんで夏子さんは塔に入っていったのか?説明ないんかい

・あの門なんだったの?

さようなら宮﨑駿

ありがとう、宮﨑駿。もう新作が出たとしても観ないと思います

昔の作品沢山観ます!!

今までありがとうございました。

2023-07-03

anond:20230702225725

わかるわ〜

エクセル使って感謝されて

VBA作って魔法使いみたいに尊敬されたい

村の娘から夜這いされて

豪農の家の広末みたいな村一番の美人結婚するんだ…

2023-04-19

anond:20230419113159

小金井とか立川のタワマンが即日完売だもんな

あのへんの豪農はカネ持ってるよな

2023-03-22

anond:20230322083624

そのちょっといいお家ってのが大抵元士族商家の大店、あるいは庄屋任されるくらいの豪農みたいな上澄みってだけなんだけどな?

そんなの都市部に固まってるか村に一軒とかそんなレベルだよ

本当テレビの見過ぎだよ

2023-02-13

田舎なんかリアルIngressやぞ

東京都下に住んでいる。都心まで40分くらいのセミ田舎だ。

うちの近所を散歩していると、分譲住宅に混じってチラホラと馬鹿かい屋敷がある。

表札を見ると、どのお屋敷もだいたい同じ苗字だ。仮に増田家としよう。

近隣の駐車場も「増田第1パーキング」だったり、アパートも「ヴィラマスダA棟」だったりする。

まりそこら一帯は増田家の支配地域であることがわかる。

要するに地主さんだ。

 

少し歩くと、やがてその苗字が別の苗字に変わる。これをハテナ家としよう。

一帯の駐車場名前アパート名前がその苗字に塗り替わる。

ハテナ不動産があったり、ハテナ建設があったりと、そこらはハテナ一族支配している。

 

歩けど歩けど、これの繰り返しだ。

少し離れた実家の周りも同じ。地主苗字が違うだけ。

見覚えのある苗字だなーと思ったら、大きな保守政党役職者だったりすることもある。

代々地域の有力者で、市議になり、都議になり、代々地盤を固めてやがて国政を担うことになったんだろう。

 

最初に戻って増田家。

市史を繙くと、江戸時代から代々この地域豪農で、増田のほか数件の家で辺りの膨大な田畑山林を持っていたようだ。

それらの土地の大部分は今ゴルフ場ニュータウンショッピングモールや広い道路になっている。

開発業者自治体に切り売りするたびに莫大な富を得たんだろなあ。

 

都心まで数十分のベッドタウン周辺ですらこんな感じだから地方だとまだまだもっと露骨だろうな。

2023-01-19

旗振り当番。

 今朝は旗振り当番だった。七時五分に家を出た。たぶん、その五分後には旗振りポイントに着いていたと思う。

 本来は七時二十分から四十分までが当番の時間なのだが、以前は七時に到着しても最初に通過する子供たちは既に通過した後というのが常だったので、決まりよりも早くからつのが習慣になってしまった。ここ二年ばかりは、年度初めの保護者会で、役員の人たちが「子供たちを旗振り当番の時間よりも早くに登校させる事がないように」と強い口調で保護者たちに言い聞かせている。その甲斐あってか、子供たちが先を争うようにして七時頃に旗振りポイントを駆け抜けて行くという姿は、あまり見られなくなった。

 子供たちが来るまで十分くらい、押しボタン信号の下で立って待つ。その間、鳥を見て過ごすのが好きだ。今日はほんの数羽しか見かけなかった。電線に留まったキジバトスズメカラスは声は聞けども姿は見えず。そして、あまり羽を広げて羽ばたかず、水面すれすれを跳ねるトビウオの様な動きで飛んでいった鳥。

 子供たちはまだかと、視線住宅街の中に向けたところ、どこからキジバトの特徴的な鳴き声が聴こえた。どこからか、というか、顔を上げればすぐそこの電線キジバトがまだ居るのだが、それと鳴き声とがすぐに結びつかなかった。鳴き声が家々の壁に反響しているのか、どの方向から聴こえて来るのか判らなかったのだ。電線キジバトを目を凝らして見れば、その胸の辺りが鳴き声に合わせて膨らんだり縮んだりを繰り返しているのだが、鳴き声がそこから聴こえて来るようにはどうしても感じられない。ほんの数年前までは、鳥のさえずりを聴けばどこで鳴いているのか大体見当をつける事が出来たのだが、今はそれが出来ないのだ。これも老い兆候なのだろうか。声は聴けども姿は見えずのカラスも、意外と見える所にいたのかもしれない。

 子供たちは予定通りに七時二十分頃に現れた。いつもどおり、四人ほどのグループを作って、こちらが挨拶をすればちゃんと応え、悪ふざけもせずに横断歩道を渡っていった。最近、この地区転入してきたばかりの家の子と思われる、中学年の女子が混ざっていた。どうやら親のどちらかが白人であるらしく、日本人離れした顔立ちをしている。この子には背の高くて顔立ちのよく似た兄がいるのだが、兄の方は姿が見えなかった。前回の当番の時は、その男の子けが早くに旗振りポイントを通過していったので、今日も私が旗振りに来る前に通過したのかもしれない。

 三十分になる前に、地区の子供たちは皆通過していったので、十分早いが帰る事にした。私の家は地区の外れにあり、地区の外側を取り囲む大通りを通って帰る方が早いのだが、旗を次の家に回さなければならないので、地区の内側の道を歩いて帰る事にした。実は今日本来はうちが旗振りの当番なのではなくて、うちの次の家と日を交換したのだ。本来はうちの次に当番の回る家はうちの斜向いの家なのだが、今日は次の次の家に回さなければならないということ。その家は地区の内側のちょっと入り組んだ場所にある。

 自分の住んでいる地区なのに、地区内を散歩でもするように歩くのは、かなり久しぶりだ。下の子供が小学校に上がったために、頻繁に散歩に連れ出す事がなくなった。一人でぶらぶらと歩いていると不審者かと思われて警戒されてしまう。ここは田舎だが、都会と同じかもしかするとそれ以上に近所の人達との交流希薄だ。昔、東京新宿の外れに住んでいた事があるが、その時の方が同じマンションに住む人達と顔を合わせれば挨拶ぐらいはしていた。今は、すぐ隣に住んでいる人達ともあまり挨拶を交わす機会がない。道やゴミ集積所で行き会ったとして、こちから挨拶をしない限りはお互いに無視して通り過ぎる事が多い。

 朝八時前だが、既に住宅街はひとけが乏しくしんと静まり返っている。人の気配がないとスズメも寄り付かなくなるので、たまにカラスや季節の鳥が鳴く以外は、本当に静かなのだ。歩きながら家々の外観や植えられた草花を見て歩くのが好きなのだが、この地方出身であるうちの配偶者は、そうやって人の家をジロジロ見るのは恥ずかしいし喧嘩売ってると思われるからやめてくれと言う。

 今はパンジービオラしか見られる花がない。山茶花や椿も季節の様な気がするが、さっぱり見かけない。かつては美容院だったらしい民家の軒先には、以前はよく何かしらの花の植わったプランターが置かれていたが、今はなかった。その先の家はここ数年に建てられた新しい家で、郵便ポストの下にレトロな薬缶が置いてあり、その口からパンジーの花が今にも溢れ落ちそうな格好で顔を出していた。そのまた先の家も比較的新しい家なのだが、敷地道路よりも高く、玄関口が階段数段分のところにある。そして最近の家だったら駐車場に使いそうな空間木造屋根を建ててある。屋根てっぺんが家の一階の天井の高さくらいのところにある。そして屋根の下には盆栽がいくつも並んでいた。盆栽棚だけの為に建てられた四阿だったのだ。見上げないと盆栽棚があると分からないので、ずっと気づかなかった。盆栽は、よく手入れのされた松や真柏のようだった。

 この辺は、まだ昔ながらに大谷石ブロックで出来た高い塀をめぐらした家が多い。そういう家にはいわゆるシンボルツリーではなく、豪農の家の庭のように見栄えのいい庭木が植えてあるのが見える。本職の植木屋によって剪定が施されたものだ。最近まで、本職の植木屋仕事というものに興味がなかったのだが、気をつけて見てみるとプロの技は本当に凄いんだなと思い知らされる。太さのある枝毎に丸い形に剪定されている木があるが、それらの丸の内側には葉があまりない。何故かというと、木の葉というのは日に当たる所しか機能しないからだ。それでも、夏場の木は内側だろうが外側だろうが所構わずに枝葉を生やす。そのまま手入れをしなかった場合は枝がごちゃごちゃに混み合ってしまう。植木屋は、内側を向いていてどうせ育たない運命の枝を優先的に切り落とす。だから手入れの行き届いた木の場合、樹形の外側にだけ枝葉があって、内側は綺麗に空いているのだ。そしてどの葉にも適度に日が当たるようになっている。

 ブロック塀だけでなく、生け垣敷地を囲う家も結構ある。生け垣プロ剪定したものと、家の主が自前で剪定したものは違う。プロ剪定した生け垣は、横から見ると緩やかな形のAの字になるよう剪定されているのだ。それは、頂部を強く剪定すると樹高が高くなりにくいという樹木性質を利用した、樹形管理方法だ。また、下の方の枝につく葉にも日が当たるようにするためという理由もある。一本の樹木は、葉で合成された養分によって主幹を養っている。ところが、その枝はといえば、他の枝で作られた養分を回してもらって生きるということが出来ない。枝は自らが生やした葉で作った養分で食べて行かなければならないのだ。という事は、日の当たらない場所に生えた枝は、樹全体がどんなに繁茂していても生きられない運命なのだ。自らの葉から養分を得られないためである。つまり生け垣のように上から下まで葉を繁茂させないと格好のつかない樹は、下の方の枝を長く、上部の枝を短く剪定して全ての葉に日光を当てるよう剪定すべきなのだ。それで、緩やかなAの字の様な形にするという訳だ。

 旗を次の当番の家のポストの下に置き、家に帰った。

 洗濯物を干す前に、昨日買ってきたばかりの紅目木のミニ盆栽剪定し、育苗ポットから駄温鉢に植え替えた。まだ植え替えの時期ではないが、週末には寒波が来るというので、水はけの良い土に替えて、厚みがあって保温性のある鉢に入れたかったのだ。

 道具を片付けて水をやり、しばらく紅目木を眺めてボーッとしていた。ぼんやりしているのは、何かに夢中になっているときよりも案外脳みそがせわしなく働いていて良くないらしいのだが、スマホを見て過ごすよりはまだマシな様な気がする。

2022-10-07

anond:20221007154543

10万返済だと4000万借入れていることになる(35年0.5%)

最寄り駅までバス40分で4000万の物件ってどんな豪農の本宅だよ

もうちょい設定練れよ

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