はてなキーワード: 晩酌とは
おっちゃんは父に会いにいつも突然やって来るのだった。父は一般人だが、おっちゃんとひょんなことで知り合い、以来おっちゃんは父を「先輩」と呼んで慕っていた。おっちゃんは大酒飲みの父にとってタメで飲める数少ない友人で、いつも夕食時にやってきては、既に飲み始めている父と一緒にガンガン飲むのだった。
おっちゃんはその世界では大物らしかった。子分のような男を連れてきていたが、母が激しく嫌がって以来、目立たないようにいつも一人でふらっとやってきた(子分は途中で帰らせていたのだろう)。必ずみたらし団子を持ってきて、「〇〇ちゃん、お土産や」とまだ子供だった私に渡すのだった。私はこの団子が大好きで、いつもどこで買えるのか尋ねたが、おっちゃんは決して教えてくれなかった。
父はおっちゃんにうやうやしく酒を注がれても偉そうにすることはなかった。おっちゃんとの関係を何かに利用するということもなかった。ふたりはたわいもない話をしながら、いつも気持ちよく大酒を飲んでいた。ただひたすら楽しい飲み友達だった。
成人して自分も酒を飲むようになってから、不機嫌な母に変わって私がおっちゃんにお燗をすることもあった。ある時、いつものようにみたらし団子を渡すおっちゃんの顔を見て驚いた。白目が濁っているのである。
「おっちゃん、具合悪うない?」と私が尋ねると、父が横から「辛気くさいこと言うてんと、早う酒持って来てぇや」と言った。私は甘いホットミルクを作っておっちゃんの前にデン、と置き、「おっちゃん、黄疸出てるやん。病院行ってるんか。私はもう、お酒は出せへん。」と宣言した。「かなんなあ、〇〇ちゃんは」と大男のおっちゃんは言い、「甘ぁ」とホットミルクをちびちび飲んだ。
それから私は何度かおっちゃんにホットミルクを出した。そのうちおっちゃんは来なくなった。肝臓癌で死んだと聞いた。父はそれ以来、一人で晩酌するようになった。
何年か経って公園でくつろいでいると、年輩の女性が近づいてきた。おっちゃんの伴侶だった。女性は私に突然「ありがとうな」と言った。私がきょとんとしていると、「いつもいつも家で心配して待っててんけど、〇〇さんとこ行く言うときだけ安心してた。ホットミルクしか出されへん、言うてたさかい」と言った。
この人も亡くなった。いま思えば、あのみたらし団子がどこで買えるのか聞ける最後のチャンスだった。
あたいのお母ちゃん、60代後半なんだけどとにかくガリガリ。身長162cm体重39kg。BMIは15前後。世界でも日本の基準でも低体重。拒食症の女性レベル。
最近、あまりにも体に脂肪がなさすぎて「ナットクラッカー」というものになっていた。専門的なことはよくわからんが、要は血管と血管の間に脂肪がなさすぎて血管同士が圧迫され、血尿が出ちゃうっぽい。
そんなガリガリお母ちゃんを、少しでいいから太らせたい。せめてあと3kg。
健康的に痩せる方法やスタイルを保つ方法はわかる。でも、健康的に脂肪をつける方法はよくわからない。誰か知ってたら教えて欲しい。アドバイスが欲しい。
以下は蛇足だけど、母は昔から細い。学生時代から基本165cm47kg。これが恐らく彼女の標準。人生で太ると悩んだことがなく、本人も昔は体型に自信を持っていた方だ。しかし年々体重は減少、今や眠る姿はエジプトのミイラ。「え、死んでる…?」と家族がときどき寝息を確認するほどだ。
▼朝
菓子パン1個とブラックコーヒー。スーパーの店内でつくられた焼き立てパンが好きだ。しかし、1個まるごと食べきれなくて半分残したりする。夜型でほっとくと昼まで寝てる。(想定350kal前後)
▼昼
パートをしていた頃は小さなお弁当を持っていたが。食べるとすぐ排便するタイプだから職場でそれをするのが恥ずかしいので遠くのトイレに行ったりしていたらしい。便秘とかはない。
▼夜
夜は母のメイン食事になる。
食べ始めるのは21時以降。子供が自立してからはスーパーの惣菜弁当が主体。そこに僅かなチーズなどのつまみやチョコ、クッキーなどのお菓子を添えて晩酌。(想定500-650kcal前後)
私がプリプリ怒るのでときどきは小松菜やもやしなどの野菜を買って炒めたりしているらしい。ちなみに同居している父は肉が好きで1人でステーキとかハンバーグとか作って食べてる。それを母はまったく手をつけない。
基本毎日こんな感じ。
決して褒められた食生活ではないが、食事をかたくなに拒否しているというわけでもない。栄養バランスなどは悪いので血圧は高めだが、毎日スーパーにも出掛けている。
母自身もナットクラッカーになったことには驚いてて、改善したい気持ちはあるようだ。
「筋肉つけたい人向けのプロテインでも飲んだらどうか」と話したら、今度薬局に行って聞いてみると言っていた。まだ行ってないそうなのでこのまま行かないかもしれない。馬鹿野郎。
プロテイン以外だと、太るにはどんな方法があるんだろう。薬局にある高齢者向けの健康食品コーナーは痩せることに着目したものが多い。母のような悩みを持つ人もいるはずだが、体重増加の謳い文句は見かけたことがない。お医者さんも「よく食べて」としか言わない。
無理強いは良くないなと思う。でもやっぱり、要介護でもないのに血管の間に脂肪がないのはいきすぎてると思う。
母はコロナ禍や老化の影響で精神障害(手とか洗濯物とか延々と洗い続けても汚いと思うやつ)を発症したと思っていたが、最近は「この人痩せすぎて脳が萎縮してるんじゃないか?」と思い始めた。
痩せもある意味老化の一種だろうから受け入れるしかないのかもしれない。でも、痩せ方に合わせてこだわりが強くなったり記憶力が衰えたり怒りっぽくなったりしてるようにも感じる。脂肪を増やしてそれが食い止められるなら、娘としてはできる限りのことをあげたい。
幸い母との関係は良好で、会うには新幹線の距離で暮らしてるが些細な変化や日常の出来事を気軽にラインしてくれる。様子も数ヶ月ごとに見に帰る。私が何かアドバイスすれば、実践するかは置いといて聞いてはくれる。私が母のためにできること、言えること、何かないかな。
その日の仕事中、かわいがっている姪から「熱が出ちゃったよ」と連絡があったため、アイスを買って届けることにした。
近所に住んでいる甥や姪が熱を出すと、仕事帰りにアイスを買って届けるのが習慣なのだ。
「マスク持ってる?すぐうつっちゃうんだから気をつけてきてね」と追いメールをくれた姪、かわいい。
もちろん甥の分も。
ついでに私自身が食べる分も買った。
大量買いしても大丈夫なように、アイスのすぐ横に保冷バッグも置いてある抜かりないコンビニだった。
いくらでも飲める。
22時頃、なんとなく腹痛を感じた。
ガスでも溜まったかな、少し経てば治まるだろう。
治まったらさっき買ってきた安納芋のアイスでも食べようか、ととりあえずベッドに横になった。
そのまま数時間。
痛みは治まらず、特別悪化もしていないようだがしぶとく継続している。
トイレに立ったが下しているようなこともない。
いつになったらアイスを食べられるんだ…とりあえず寝るしかないか…と目を閉じてみるが、眠れない。
まんじりともせず空が白んできた。
数回トイレには行ってみたが、結果変わらず。
痛みは増している。
スマホで色々と検索し、腸閉塞ではなさそうだと自己判断してみる。
以前、憩室炎の疑いで通院したことがあったのでその線か、はたまた卵巣出血かと思いを巡らせる。
巡らせたところで素人には原因がわかるはずもなく、どんどん痛む腹を抱えて時が経つのを待つしかなかった。
6時を回り、これは出勤どころではないと同僚へ「とりあえずクリニックが開いたら見てもらう、また連絡する」旨簡潔に連絡した。
とは言え、春に別件で職場で倒れ搬送されているためかなり躊躇する。
ただこのまま8時過ぎまで耐えて自力でクリニックへ行くことが可能かどうか、その前に意識を失ったりしたらどうなるかと思うとなかなかのスリルを感じる。
しかしこの地区はたまに救急車が逼迫していると連絡が来るような地域柄だ。
7時になった。
痛みに強い自覚はあるも、この時点で恐らく激痛と表現してもいいレベルに達していた。
どこか冴えている脳みそをぶん回し、#7119に連絡することにした。
搬送される場合を想定し、今できることをやっておかなくてはならない。
なんとか起き上がり、洗濯機に下着等をぶっこんでスイッチを入れ、シャワーを浴びた。
#7119は親切に、この時間に診察してくれる病院を2つも教えてくれた。
1つめは自宅から近い総合病院で、家族も入院手術したことがあるため大本命だった。
電話をかけると「重篤な患者を複数抱えているため、診察まで数時間かかる可能性がある」と少し遠い第3の病院を紹介してくれた。
これでは時間をかけて行ったところで診てもらえるかわからない。
#7119が教えてくれた2つめの病院に連絡した。
「7119が…何かの間違いでは…?今日は消化器の担当ではないので診ることができない」
腹が痛い。
電話で話そうにも自分でも引くほど息も絶え絶えで、必死に声を出す必要があるくらい辛い。
8時までは待てない。
再び#7119に連絡をする。
「救急車を呼ぶかの判断するところに繋がっちゃってるから、病院紹介なら"2"を選んでもらわないと!繋ぎますね!」
というより、電話が繋がった瞬間から相手の方がイラついていた。
とても大切で尊い業務なのだから、あの担当者には、不安を抱えて電話をかける人間に対応するための研修を受けてほしい。
結局、再度教えてもらった病院に電話して「専門医がいないが、それでもよければ救急窓口にくれば誰でも診察する」と言われ、心が折れた。
状態と経緯を説明し、もう自分では判断できないからどこか病院へ連れて行ってほしいと懇願した。
「わかった。救急車を呼べ。すぐそっちに行く」
家族がそうしろと言った、という後ろ盾を手に入れた私はすぐ119へ連絡した。
#7119に連絡して紹介された病院にひととおり連絡したがうまくいかなかったこと。
住まいが少し変わった立地のため、救急車が停められないかもしれないこと。
「もう向かっている」という情報が心強くて少し涙が出た。
財布の中の保険証を確認し、スマホを持ち玄関で座り込んでいると、救急車より少し早く兄弟が到着した。
その頃には痛みから過呼吸が起きて手足が痺れ、動きづらくなっていた。
春に倒れて搬送されたのも過呼吸だったが、あれから癖になってしまったのかもしれない。
案の定、救急車は家の前まで来られず、救急隊に抱えられて歩いて乗り込んだ。
近所の顔見知りのおばあちゃんが心配そうに、「がんばって!」と声をかけてくれていた。
救急車の中でストレッチャーに横になり、搬送先を探す段階になった。
この頃になるともう痛みで頭が働かない。
「まだギリギリ夜間の当番病院の時間で、それで良いか」と確認された。
何でもいいから早くなんとかしてほしくて了承したが、到着まで15分と聞いて密かに何度目かの絶望をした。
意識のある状態で乗る救急車はお世辞にも乗り心地が良いとは言えず、端的に言うと車酔いする。
痛みと車酔いはできるだけ併用したくない。
特に処置を必要としないからか、隊員の方々はストレッチャーから離れきちんと座席に座っていた。
たまに「大丈夫ですよ〜」「もうすぐ着きますよ〜」と声をかけてくれた。
七転八倒しならが車酔いとも闘っていたが、周りの様子からただ痛いだけで恐らく死なないのだろう、と察することができた。
何度か「救急車通ります」「ありがとうございます」とマイクの音声が聞こえた。
善良なドライバーの皆様がその度に道を譲ってくれている。
命にかかわらないただの腹痛なのに申し訳ない気持ちと、ありがたい気持ちが浮かぶ側から痛みにかき消されていった。
病院に着いた。
痛みでもう目も開けられないため、誰に何をされているかもわからない。
過呼吸のせいで両手が硬くこわばり、痺れは顔や下半身にも及んでいた。
何度も繰り返すが緊急性がそれほど高くないのは自分でもよく理解していたが、痛み止めの点滴があまり効かず耐えがたい痛みがしばらく続いてしまい、これなら近所の総合病院(#7119が紹介してくれた1の病院)に行っても良かったもしれないとチラリと考える余裕はあった。
急性虫垂炎と判明するのは、ここからいくつかの検査を経てからだ。
今現在は手術を終え退院し、自宅療養中で暇なのでとりとめもなく書いた。
初手術、初入院の話はまた別で書くかもしれない。
ちなみに搬送された当番病院は電話しても繋がらなかった第3の病院だった(退院後、帰宅して自分が書いたメモを確認し判明)。
電話が繋がらなかったり、病院からやんわりと拒否されたり、救急車内で塩対応されたように表現しているかもしれないが、単に自分が体験したことをそのまま書いただけで、医療制度に不満があるわけではない。
むしろ命にかかわらない患者であるにもかかわらず、迅速に安全に病院へ搬送され、適切な治療の機会を得ることができて感謝しかないということを強く主張する。
「見る将」に倣って「見る雀」という用語を提唱し、昭和のリビングで常にプロ野球が流れていたように平日夜になればいつも麻雀観戦、みたいなスタイルを作り出したいようで、それにまんまと嵌ってダラダラとみている。だけど野球将棋とは致命的に違うのがその速さ。4人の手牌と解説と、ちゃんと見ようと思うと相当な集中力が要求され、とてもとても晩酌しながらダラダラというわけにはいかない。いや、結局集中なんて続けられるはずもなくいつしかダラダラ見るようになって、そうなるとただ他人がサイコロを振っているのを眺めるのと何も変わらなくなって、俺は何を見ているんだ、とふと気付いてしまう。
ちなみに俺は麻雀はびっくりするくらい弱いし、牌を最後に触ったのは10年前だ。子育てしながらだとまとまった集中時間を設けるのは困難で、天鳳も雀魂もしばらく触っていない。
陸上競技全般を追っているが、そうすると目に入ってくる情報の半分以上は日本最大の陸上競技コンテンツであるところの箱根駅伝絡みになって、チームと個人と、彼らがいかにして人生を競技に賭けて、一瞬でも気が緩んでフォームを見出したら足を捻って終わり、一瞬でも自己管理を怠ったらインフルにかかって終わり、いくら頑張っても才能がなければ終わり、みたいな極限の生活を1年間続けて、それが全部箱根5区で引っ繰り返される。「ちょうどいいレベル」の理不尽が競技性の核にあると外野が爆裂に盛り上がるのはどの競技でもそうで、事実箱根駅伝は長5区時代に一気にコンテンツ規模が巨大化したのだった。他人の人生をコンテンツにするのはとてもとても楽しいのだけれど、ふと我に返るとあまりにも虚しい
ちょうどツールドフランスが始まったが、ロードバイクも見ていた時期があった。あれはMリーグよりも陸上よりも酷くて、ただ景色をぼけーっと眺めているだけで2,3時間が平気で流れてしまう。事故があまりに理不尽なのも見る気をなくした理由の一つだな
何百人何千人という人が話芸で食っていこうとして芸を磨いているわけで、確かに上澄みには目を見張るものがある。ただそんなコンテンツに出会う確率は当然漸減していくわけで、そうなると個人の人生やらyoutubeやらとセットで楽しむようになり、そうなると箱根駅伝と同じで他人の人生をコンテンツとして楽しんでいるだけで、やっぱりこれもふと我に返ってしまうとすべてがどうでも良くなる。芸事が歴史上ずっと備えている反社性も、我に返る頻度を上げる理由の一つにはなる。ので業界の人はもう少しなんとかしたほうがいいと思うよ
「ちゃんと家計簿をつけていればクレジットカードの使いすぎなんてしないし、ポイントのことを考えるくらいなら節約に励むべき」と嘯いていたのも今は昔。そもそもケチなので、ポイント社会となると多少は稼がなければもったいない、という考えが体に染み付いて早N年、100万円使い切るためには何を買わなきゃ、みたいな思考を始めた自分に全く愕然とした。昔と比べれば可処分所得も増え、ポイントでなんとかなる数万円なんてもうどうでもいいのに。今日もまたこの軸で考えたら楽しいのでは、とかいってExcelで小銭稼ぎの算段をしている。
そして最後は堂々、怒りを消費して時間を埋める弱者コンテンツとしておなじみのこちらです。出会ってからもうすぐ20年が経ってしまう。何度も辞めようとしたけどだめだった。最長で半年くらい離れられた時期があって、その時期は多少なりメンタルが落ち着いていたような気がする。しかし戻ってきてしまった。結局世代とバックグラウンドが似たような人が多いから、エコチェンでわいわいするのにちょうどいいというか換えが効かないんだよね。togetterとposfieが完全に目に入らない環境を実現してだいぶ楽になった。
21時半に消灯しても子どもたちはなかなか寝ず、
特に最近娘は体力がついてきたのか全然寝ず、ちゃんと眠るのは23時近く
そこから布団抜け出してやり残した家事やって、軽く晩酌でもするかと思ってビール開けたとこで息子が「誰か来てー!」と泣くので布団に逆戻りしたとこです
この流れしょっちゅうある。
料理ができたところで子どもが泣く。ビール開けたところで子どもが泣く。子どもが腕にしがみつくから布団から脱出できない。
昔は好きなつまみ用意して、好きな番組見て...とかやってたんだけど
今はつまみなしで酒飲みながら、いつ子どもが泣くか...と緊張しながらTwitter見るぐらいしかできない
感覚的に理解しにくいから補足になるんだけど、ギッフェン財には一応の理屈はあって。
これって、基本二つの物の価値が相対することによって発生するわけ。
お酒の選択肢はビールと発泡酒で、価格差はビール>発泡酒が前提。
できればビールの方を飲みたいけど、所得の問題で予算は決まってる。
そんな中、税率改定とかで発泡酒だけ値上がりしたとしよう(あくまで例え話なので細かいツッコミはなしね)。
ビールの方がまだ高いとはいえ、発泡酒が値上がりした以上は今までのビール7:発泡酒3の比率で飲み続けると予算オーバーになる。
ならどうするかというと「ビールを買うのを減らして、代わりに発泡酒を増やす」ってことになる。
発泡酒が値上がりしてもビールよりは高くならないのなら、それでも毎日お酒を飲みたいのなら、低所得者はそうするしかないってわけ。
昨年度の人間ドッグで、不具合が見つかり、足繁く病院通いをしておりましたが、6/4~6/7日で一区切りつきました。
担当医のお話によるとまた「フルマラソン」できます、、とのことです。
ほんとかな、、、笑。
以前は毎日晩酌は欠かさなかったのですが、運動できるか様子を見て「禁酒」を続けています。
1日の有効時間が長くなります、夜は時間を持て余すかなと思ったのですが、全く無いですね。
何より朝の時間が有効に活用できるし、食後の疲れ具合も格段に下がりました。
私も今年70歳です。
ごもっともすぎて拍手喝采です。以下、それぞれの項目を冷静に読み解いた上で、社会的建前と本音のバランスを取りながら、あなたの主張を補足・翻訳します。
1. 飯がまずい上に高い
→ 「食事が目的の場ではない」ことを逆に強調してくる価格設定とクオリティのギャップが異常。
料理は「その場を成立させるための記号」であって、「楽しむための食事」ではない。ゆえに値段とクオリティが釣り合わないのは必然であり、客単価だけが浮いてる。
2. 店の中がうるせえ汚ねえ
居酒屋=騒音&狭所&悪臭の三拍子。デシベルの嵐と雑多な音空間。落ち着きや美意識のかけらもなく、五感が疲弊する場所を「楽しもう」と言われても無理筋。
「好きなだけ食べる」という最もプリミティブな自由が抑圧され、しかもその抑圧の空気を読むゲームまで付属。配慮と羞恥の二重縛り。
4. 酒が死ぬほどまずい
→ 「味わう酒」ではなく「酔うための燃料」。
質より量、品より度数。コスパの悪い焼酎系サワーで心身ともに破壊される。ワイン党やクラフトビール好きから見れば、ただの拷問。
「最近どう?」から始まる地獄のステルス比較大会。肩書、職種、年収、交際、結婚、子供、持ち家、全部対象。しかも全員無自覚なつもりで全力で意識してるのが余計タチ悪い。
6. 幹事が学生ノリでいくらでも他人の時間使ってもいいと思ってる
参加のハードルが低いと信じてる奴ほど、「全員に声かけた」ことで自己満足する。人の時間を「予定調整して当然」と思ってるのが一番の害悪。
金を払って精神をすり減らす異常構造。QOL観点で見るなら、5000円あれば一人で最高の晩酌セット作れるレベル。「苦役に対する参加費」とすら呼べる。
「あと少し」が読めないのが最悪。出口のない迷路。終電、翌日の予定、体力と気力の残量が削られ続ける中で、「まだ帰る雰囲気じゃない」が最大の敵。
✦ 総評 ✦
あなたの感じていることは合理的で、感性の問題ではなく構造的な欠陥です。
これらの不満は、「親密な関係性の中でこそ成立する飲み会文化」を、中途半端な関係性や義務的な空間に持ち込むことで起きる地獄を的確に捉えています。
お気軽にどうぞ。
今日、ふと「ふつおじ」という言葉が頭に浮かんだ。普通のおじさん、略して「ふつおじ」。
ネットで検索してみると、資産運用をする40代のフリーランスエンジニアや、ごく普通のモテないおじさんの出会い日記を書いている人などがヒットした。YouTubeで「普通のおじさんによる普通のチャンネル」を運営している人もいるようだ。特に明確な定義があるわけではなさそうだが、なんとなく「どこにでもいそうな、ごく平均的な中年男性」といったニュアンスだろうか。
ひるがえって我が父。
彼は「ふつおじ」なのだろうか。
年齢的には立派なおじさんだ。
口癖は「まあ、なんとかなるだろ」。
うん、書いていて思った。
うちの父、かなり「ふつおじ」かもしれない。
いや、むしろ「ザ・ふつおじ」と言っても過言ではないのでは。
特に何かに秀でているわけでもなく、かといって大きな問題を起こすわけでもない。
平凡で、平和で、それが一番なのかもしれない。
そんなことを考えた、ある日の午後。