はてなキーワード: 意気投合とは
幼馴染の友人の話をさせてほしい。
友人、増子と出会ったのは小学生の時。同じクラスで漫画やアニメが大好きなオタク同士、すぐに意気投合した。
同じ中学に進み、二人で美術部へ。オタク女子として二人そろって腐女子になり、毎日推しカプトークに勤しんだ。交換ノートはイケメンキャラの模写で満ちていて、絵を描く楽しさに目覚めたのもこの頃だったと思う。
自然と二人で漫画家に憧れるようになった。イケメンがたくさん出てる漫画を描きたい、それがアニメ化したら最高だね。漫画家になるには絵がうまくないと。じゃあきっと美大に通った方がいいね。二人で通えたらいいね。そんな話を増子とした。
結果として増子は美大に行かなかった。行けなかった。
親が厳しく就職ができなさそうな大学に行かせる気はないの一点張り。一方自分の親は子供がやりたい事を自由にやらせたいがモットーで、特に何の問題もなく許可が出た。
二人で美大に行けなくなったのは残念だったが、少し優越感を覚えた。自分は特別な人生を選ぶことを許された側なんだと。
高校は増子と違うところへ進学した。
画塾に通い始め本格的に美大受験への準備を進めていく。楽しい事ばかりではなかったけれども、好きな事を武器に大学へ行くという希望の前では、その辛さだって耐えられる。受験も忙しくなり漫画やアニメもあまり観なくなったし、増子とは話す機会もなくなっていった。次に彼女と会ったのは美大生になってからだった。
増子とは大学に進学して数か月経ったくらいでお茶の約束をした。増子は受験が大変だったこと、今は親に勧められて資格勉強を始めたことを話してくれた。堅実な人生設計を語る増子に、自分はやはり一般的な社会人人生を選べそうにない、増子が羨ましい、と告げた。羨ましいのは本当だったが、自逆風自慢も入っていたのは真実だ。
帰り際、増子から大学生になり自由時間も増えたので同人活動を始めた、とTwitter・Pixivの交換を求められた。
家に帰り、ROM専として使用していたPixiv垢から増子へマイピク申請をしたら愕然とした。ヘロヘロの線で描かれた下手くそなイケメンキャラ達。中学美術部の画力なんて大したことないのは知っていたが、少なくともあのころは私と同じくらい描けていたはずだ。美大受験を経たことで私の方が圧倒的にうまくなっていた。
増子がオリジナルの漫画も描いて出版社に投稿したが箸にも棒にも引っかからなかったと言っていたのを思い出したが、こんな絵では当たり前だ。友達だから伝えなかったがはっきり言ってへたくそだった。
Twitterを開くと増子には崇めている同人作家がいるようでしきりにその人のイラストを神絵と褒めていた。自分からするとぱっと見の線だけ綺麗だがデッサンが崩れており何がいいのかわからない。
もう美術部だったころの私達には戻れない、と寂しい気持ちになったものの、同時に意地悪な気持ちも目覚めてしまった。すぐに中学時代に増子とはまっていたアニメのキャラのイラストを描いてPixivに投稿。増子が描いた流行りのBLカプを題材にした漫画より、自分の懐かしアニメの一枚絵の方が閲覧数もいいね数も圧倒的に上なのを見て満足した。
当の増子は私のイラストも神絵と褒めてくれたが、デッサンの狂った同人作家を褒めた同じ口で褒められたのは正直イラっとした。
高校の時に忙しくなって卒業した漫画やアニメはそのまま再熱することもなかった。私の周りの人たちだけかもしれないが、結局漫画やアニメは「サブ」カルチャー。漫画なんてわざわざ美大を出る必要のない画力で成り立つし、それを享受する読者は美術がわからない一般人。編集部にこき使われるブラックな職業、という風潮。
それに進学してわかったことだがそれなりの美大を出ていればそこそこ安定した職だって得られる。なのに漫画なんて水商売を選ぶ人間は馬鹿のやる事だ。増子がゴミみたいな同人作家を褒めるのを目にしていた私もその気持ちは理解できたし、就職は漫画もアニメも関係ないデザイン会社へと決めた。
親は大喜びだった。子供には好きなことをやらせたいと美大進学を許してくれたが、内心不安だったらしい。会う人全員に娘は美大卒でデザイン会社で働いている、と自慢をしていた。
美大受験の時と同じく、デザイナーだって楽しいことばかりではない。それでも自分の腕一本で生活費を稼げているというのは自分に自信を与えるのには十分だった。
ふと、増子が気になり彼女のTwitterを覗いてみた。名の知れた企業に入ったと風の噂に聞いていたが毎日ノルマに追われ、パワハラ上司からの𠮟責も多く、大変そうな様子が見て取れた。その時、自分だけ美大進学を許された時と同じ優越感を覚えてしまった。
自分はこれからも好きなことで食べていく、増子は好きでもないことに一生疲弊して生活費を稼がないといけないんだ。
それから数年後、中学時代の同窓会が開催された。増子とは大学生以来会っていないが、その他の友達も長い間連絡を取っていない。何をしているんだろうとワクワクしながら出席をした。
当時の友達は皆自分とは全く違う道を選んでいた。銀行員、NPO職員、営業職…。なんだか難しそうな世界だ。そういえば増子は今何をやっているんだろう、まだノルマに追われているのかな、と思っていると急に「漫画家になった」と言った。同人活動を続けていく中でスカウトされ、連載が軌道に乗ったところで会社は辞めたらしい。親は泣いていたけれどもアニメ化も決まったんだ、と増子は笑顔で述べた。
周りがざわつき始め「おめでとう!」と増子が祝われる。それはそうだ、業界が違う人間の仕事内容なんて説明されても正直よくわからない。私だって銀行員の仕事内容はわからなかった。でも素人にも漫画家は何をやっているか想像がつくし、アニメ化で拍がつくのも理解できるらしい。
私ちゃんと増子ちゃんはクリエイティブ業なんだねと同級生の一人から言われ、あいまいにほほ笑んでおいた。増子と同じにしてほしくないと本気で思ったが、友達の前で言うことではないのはわかっていた。それでも少しの意地悪心が抑えきれず「最近はAIで漫画描かれてて大変らしいね」と言ってしまった。
笑顔で皆と別れた後、本屋へ寄って増子の言っていたタイトルの漫画を探す。アニメ化の棚のところにちょこんと置かれているのがみつかった。ゲボが出そうになった。
ふ ざ け る な !
増子の絵は相変わらずへたくそだった。以前よりは上達しているがデッサンも何もなっていない。これで漫画家として食べているなんて甘えている。同級生の皆もそうだ、この程度の絵を描く人間と私を一緒にしないでほしい。何がおめでとうだ。私は死ぬ思いをして絵を描いてきた。画塾が辛くても泣きながら通ったし、講評に怯えながら作品制作をした。就職だって一般大学生より大変だった。
ぬくぬくと安定した正社員の職を得ながら趣味で描いたようなクソ漫画でクリエイターを名乗るな!
怒りが収まらず単行本は買わないまま帰宅したが数日経つと少し落ち着いてきた。
増子の漫画が電子コミックサイトで無料立ち読みができることに気づき、気まぐれで読んでみることにした。もしかしたら話は面白いのかもしれない。
これも結論から言うと面白さが理解できなかった。それどころかへたな絵と意味不明なストーリーで漫画家を名乗る彼女にさらに苛立ちを感じ、口コミで最低評価を押しておいた。
でもあれから少し経った今となって思う。
増子の絵はへたくそだ。でも漫画家になってアニメ化をするという幼い頃の夢を叶えた。
私は漫画家になる夢の過程として美大へ進学して、その後他の目標をみつけ方向転換をした。自分の選択に悔いはないが、子供の頃の夢を叶えられなかった側の人間だ。
思い返すと美大は変な人間がたくさんいた。その中には別の道を進んでいたはずなのに、神の手に導かれるように違う道に進まされ「何か」になってしまう人間がいる。
美大に入ってすぐ自分はそちらの側の人間でないことを思い知らされた。私は美術を嗜んでいるだけの普通の人だ。
そして、漫画というフィールドで増子は「なってしまう」側の人間だった。
親に反対され一般の大学に入り、安定した職業を選んだ。忙しい間に同人活動を続けて漫画家デビューを果たした。スカウトで目に留まることも、そこから連載を勝ち取ることも、人気が出てアニメ化まで進むことも運の要素が絡んでくる。でも彼女はその運をつかめる人間で、漫画家になってしまった。
と、ここで夢に破れた自分を憂うのであれば綺麗な物語だが、結局これは現実だ。
漫画の世界だったら私は美大進学をしたものの、ものづくりは好きでないと気づき美術の道を諦める。増子のアニメは大ヒットし国民的漫画家として悠々自適の生活をする。
でも現実の私はやっぱりものづくりは好きだし、自分の選択が間違っていたとは思わない。今さらお堅いサラリーマン生活なんてできるとは思わないし、今大学生に戻ったとしても、漫画家は目指さない。
増子のアニメはたいして話題にならないまま終わった。今も細々と漫画家を続けてているらしいが、大ヒット漫画家にはなれないまま毎日の生活費を稼ぐのみらしい。
結局私は何かになれなかった人間だ。もし自分が増子の立場だったらものづくりを仕事にはできなかったと思う。
増子はなってしまう側の人間だ。でもこれからもへたくそな漫画を描き続けるだろうし、中学時代に語ったような大手雑誌に載っているイケメン漫画は一生連載できないまま終わるだろう。
夢を叶えた友人が、羨ましいもののああはなりたくはないなと思った。
一緒に暮らす動物は大抵がそうであるけど、自分にとっては得難い友達だった。数年前に年の瀬の公園で目の前に飛び出してきて意気投合し、そのまま連れ帰り、転職して東京に引っ越し、下町のワンルームで暮らすという、20代におけるダイジェストシーンを象徴するような存在だった。唐突に大きな病気が見つかり、明確な診断もつけられないうちに、1ヶ月の闘病を経て死んでしまった。4歳になったばかりだった。
映画のような出会い方をしただけに、真反対のドラスティックな悲しみ、また、部屋中に猫の柔らかな気配と、薬やらスポイトやら検査結果やらの病気の強すぎるコントラストが漂っていることに耐えられなかった。自宅を離れる口実の旅行計画として、なんとなく関心のあった恐山を思い出した。祈りの場に赴く機会としては、しばらくはこれ以上ないだろう(と思いたい)ということで、会社が夏季休暇に入ったその日に新青森に向かった。
家族や(人間の)友人には恐山に行くことは伝えなかった。自分が沈み込んでいた姿を見られており、このタイミングで山間部に入ることは、或いは自死する計画を持っていると疑われている空気があった。実際いろいろと控えめに気晴らしの提案を受け、断ったり随分先延ばしにしたりしていた。どういったアプローチであれ、死にまつわるものへの接触に惹かれていたのは否定できない。
近隣市に宿泊したのち2日目の始発電車で下北半島に向かい、私鉄やバスを乗り継いで午前中に恐山の霊場に入った。(途中まで路線バス然としているが、山道に入ったところで唐突に少々不気味な恐山解説アナウンスと、子どもが可哀想な目に遭う賽の河原の歌が流れた。)
到着すると、想像していたよりも境内は開放的で、硫黄の香りが強く、空が近かった。入山のバスには何人か観光客がいたが、平日の早めの時間だったこともあり、門を潜ってしばらくしたら、今生きている人間はもしや自分だけなのではないかという錯覚をする程度には静かになってしまった。プラスチックの風車の回るカラカラという音に混じって、微かに鐘の音もする。抜けるような青空だが時折天気雨が降り、遠雷が聞こえる。カラスが飛び交い、足元では白い砂にガスが湧いている。30年弱生きてきて、最も「異境」を感じた地だった。
恐山は特に東北において、死者のゆく「お山」として歴史的に信仰されてきたと聞く。3時間ほどゆっくり散策した感想として、「他者が死ぬことを前にした無力さ」を見に受けた。荒涼として、自分は何の役にも立てず、ただ圧倒されるだけ。大事な猫に何もしてやれなかった、助けられなかった後悔の影響もあるだろうが、死がひのたびこちらを捉えたら、抵抗虚しく受け入れるしかないのではと思ってしまった。
同時に、医療や化学がこれほどまで発達するまでの、少し前の時代の死生観を垣間見たかもしれない。「ああしていれば」の迷いを砕くような、生き物には生老病死の苦しみが大前提で存在し、いつでもこちらを見ていると思わせる光景だった。
うって変わって、岩場を抜けると青く澄んだ宇曽利湖が待っていた。先ほど聞こえていた鐘は湖畔に据付けられていて、誰かが鳴らしていたとわかった。
(実態は一部のウグイしか住めない酸の水だけど)海より速いペースで打ち寄せる透明の波に山の緑、足跡だらけの白い浜と相まって、こちらは別のベクトルの異境だった。「苦しみが終わった世界」を自分が描くなら、今日からはこのイメージになるかもしれない。猫ももう苦痛は無いのだと思うと泣けた。穏やかでありながら寂しい光景で、まだ生きている自分は、ずっとここに居てはいけないとも感じた。
死ぬことの寂寞と諦念のち、死者の安寧を思う。この地で祈ってきたたくさんの人たちが同じ心の動きだったかはわからない。ただ、個人としては「何をしてもいずれ終わりは来るのだから、街に帰って生活を続けよう」と思えた。非現実的な静かさが退屈そうに見えたので。そもそも猫の死後の世界がどういったものかも知らないが、ねぶた祭りの日の青森市街と同程度に楽しみに満ち、そしてできるなら人間の彼岸と同じレイヤーに在って欲しいと願う。人間の見守りエリアも欲しい。
直前まで知らなかったのだが、ちょうどねぶた祭の最中のスケジュールだった。これもルーツは死者の供養だという説がある。自分はこちらのほうが色に満ちていて好きだった。
なお恐山境内には「熊注意」の掲示が散見され、メメントモリにどれほど浸っていても、即座にリアルの恐怖を思い出した。
猫よ、仏前の備えは絶やさないので、できれば熊からも守ってください。
【翌日の追記】
匿名で長文を書きたいという衝動から、プラットフォームの性格もろくに理解せず投稿してしまったので、リアクションがあることにたじろいでいます。増田というスラングも初めて知りました。
確かに、死+恐山という単語がタイトルに並べば、イタコの口寄せのために向かったのだと想像される方が相当数いて当然で、自分が単独行に徹したあまり他者視点に欠け、思い至りませんでした。東北よりはるか南方で生まれ、東京で生活し、ネットでは写真優位のSNSと観光プロモーションに浸かりきった自分にとって、「恐山」は「イタコのいる霊場」より「ある程度の然るべき配慮を持っていくべき、明るい友達との旅行には向かない、公共交通では難易度・中の観光名所」でした。
当日は「動物も降霊の対象になるのか?」と疑問を持ちはしましたが、仮にできたとしても、たかだか1ヶ月弱の離別では話すこともあまりないだろうし、あったとしても「ちゃんと食え」「掃除もしろ」「若くして死ぬのはやめておけ」の言い換えで尺が終わるんだろうなとの投げやりな気持ちから、寺院の方に尋ねもしませんでした。期待された増田の皆様には申し訳ありません。
実際にやるとしたら、何十年後かに自分の人生のBパートに入った頃、猫の命日からその日までの中間リザルトの発表しがいが出てきてからにします。(どれだけ高いところに登ったか、何匹分のまぐろを食べたか、見つけた一番大きい虫のサイズなど、話題に尽きない)
どなたかにコメントいただいた通り、恐山は「あの世テーマパーク」だという感想に共感します。喪失したての人間には誰かの辿るかもしれない旅路を思わせ、そうでない人間には手軽な非日常感と到達感を与えてくれる場所でした。生きている人間のための施設であり、何より敷地内に温泉とお食事どころまであるのがそれらしさを補強しています。東西に散見される冥界のスタンダードに準じれば、ラーメンを食べ、膝下まで硫黄泉に入った自分は帰ってこれなくてもおかしくないのですが、今のところ無事にキーボードを叩けています。
| 類型 | 特徴 | 演出フラグ | 典型例 |
| カミーユ初期シャア型(有能先輩ポジション) | 頼れるmentor的存在で主人公を導くが素性が不明瞭 | 素性をぼかす/大義を優先する発言/敵の事情に理解 | クワトロ・バジーナ(Zガンダム序盤)、クラウス(ガンダム00) |
| 腹心・副官型(右腕ポジション) | 主人公やリーダーの最側近で情報・権限を持つ | ピンチ時に不在/情報の出し惜しみ/忠誠を強調 | ノヴァ(レイアース2)、スザク(コードギアス)※解釈による |
| 友達キャラ型(急接近フレンド) | 出会ってすぐ意気投合するが裏の顔を持つ | 友情・好意を強調/過去不明/仲間内で浮く | 六道骸(家庭教師ヒットマンREBORN!)、カヲル(エヴァ) |
| 組織内スパイ型(任務で潜入) | 敵組織のスパイとして仲間に紛れ込む | 情報収集が多い/敵の動きを事前に知る/信頼が深まるほど緊張感 | クリスチーナ(ガンダム0080)、ロッソ(ワンピース) |
| 理想と現実乖離型(目的のために離反) | 理想や正義感で参加するが方針の違いで離反 | 理想論を語る/仲間のやり方に疑問/独断行動 | シャア(初代→Z)、グリフィス(ベルセルク) |
今の、条例の制定は地方で独自にできるのに治安業務は国に牛耳られてる状態ってわりといびつだよな。
おれは海外ドラマを見ていてこの分野に詳しいんだがロス市警みたいなのめっちゃカッコイイ度が爆上がりするから絶対に権限移譲したほうがいい。
国は国でFBIみたくなったらこれまたカッコイイ度が爆あげあげの歌舞伎揚げになるからぜったいやったほうがいい
(追記)
と、おもうやん?
でも実態は
日本の警察組織は都道府県が主体となって設置され(警察法第36条)、都道府県が国の法定受託事務(かつての機関委任事務)として行う事務ではないため、一般的には自治体警察とみなされることが多い。しかしながら、都道府県警察への指揮命令権は、都道府県公安委員会ではなく警察庁が有することや、警視正(職制としては警察本部の主要課課長、主要所轄署の署長)以上の幹部は国家公務員たる地方警務官であることから、実態は国家警察と自治体警察の折衷型に近い[11]。
って感じらしいのよ(ウィキペディア)。
都道府県警ってなってはいるけど都道府県知事が警察に対してできることってそんなになくて地方自治体の行政組織の縦割りとは別フレームっぽい。
たとえば最近だと沖縄県警が米軍の暴行事件を県に報告せずに県知事が知らされてなくて激怒みたいなのが発生したのが記憶にあたらしいところ。
(追記)
統合捜査局から派遣されるいけ好かないエリート刑事 vs 汚職と縄張り争いにまみれた道府県警 vs 地方有力者の息がかかった特別職公務員「保安警官」と取り巻きの自警団 で三つ巴や!
そうそう!そういうやつ!。
現代の日本に必要なもの、それは地方警察の闇の軋轢で組織を去らざるを得なかったオッサン元刑事が探偵事務所みたいなのやっててひょんなことからそこを訪れた国のいけすかな若手エリートとなぜか意気投合して・・・!!みたいな!そういうのなんよ。
そっち路線もええな。もちろんエチゴヤHDがビットコインのUSBの入ったマカロンを渡してきたりするやつ。
いいや軍事力だね。各都道府県が独自に軍事力を持ち警察権も兼ねる。神奈川軍警察なんて聞いただけでワクワクする響きだろ。たぶんティターンズぐらい強権だぜ。
そのへんは抜かりなく、すこし前にワイは都道府県軍の増田を書いたんやが anond:20220928120841 軍事と警察で若干違うからなあ。「神奈川軍は神奈川県警の利権に食い込めなかった集団が源流でむしろメチャクリーン」みたいな、そういう複雑な感じで別組織ってのもぜんぜんアリよな。
そこは犯罪人引渡条例を制定するから問題ないとおもうぞ。ただし県同士で戦争になったら一時停止されるから犯罪者の往来が活発になる。
島根と鳥取間では常に開戦してるからお互いの犯罪者を定期的に捕虜交換するイベントがあったりするんだ。
あとは栃木・埼玉・群馬の例の3県境に同時に追い詰められた凶悪犯たちが互いを売り合いながら県境をくるくる逃げ回る展開は新喜劇になると思うけどなあ。
思い返すと、私が持病を患っていた頃、母が「下方婚がいいらしいよ」と言って無理やり紹介してきたのが始まりだった気がする。
最初は、どこにでもあるちょっと変わった健康マニアだと思ってた。でも気づけば、母は今や、反ワクチン、参政党礼賛、トランプ支持、ディープステート信仰、嫌中・親露、コロナは生物兵器でただの風邪・マスク無用、がんに効くスープ、生活保護受給者叩き、日本で起きた犯罪はまず「日本人じゃない」と決めつける差別主義者に仕上がっていた。
最近では「弥助は本当は忍者だったのよ」「本能寺の変の黒幕はテンプル騎士団」「アサシン教団は今も日本の皇室に繋がってる」とまで言い出した。え、それゲームで見た話では……?
そして最悪なことに、妹もそっち側に転がっていった。
「弥助はフリーメイソンのエージェントだった説が濃厚なんだよね」とか言ってて、最初は冗談かと思ったら真顔だった。
姉妹の会話が「アサシンブレードは宇宙エネルギーを中継する装置だったんだよ」とかになってて、頭がどうにかなりそうだった。
「先生が解明したんだって」と言っていたけど、その“先生”、YouTubeと講演会で語ってるだけの人だった。経歴詐称で有名な“月刊ムーの読者投稿欄の常連”みたいな人だよ。
妹がそうなったのも母の影響らしい。「あの子には感性があるから陰謀の本質がわかるのよ」とか言ってて、もはや宗教。
否定せず柔和に聞くのが一番とよく言うけれど、そもそも日常会話の中に突然「参政党の神谷さんは弥助の生まれ変わりかも」とか差し込まれたら、もう無理なんだわ。
それにしても困るのが、祖母まで同じことを言い始めたこと。母と妹の二人に吹き込まれたらしく、「味の素には悪魔崇拝者のサインがある」とか、「アジア人はユダヤの失われた支族」とか。しかも祖母は認知症が入っていて、何度も何度も繰り返す。
本当は祖母とゆっくり穏やかに過ごしたかったのに、母と妹が常に同席してて、気づけば世界政府やらナノチップやらアサシン教団の話ばかり。穏やかどころか、カオス。
唯一まともなのが父。寡黙だけど、私の病気のことも理解してくれて、「医者を信じて頑張れ」とだけ言ってくれる。昔は頑固な昭和の男って感じだったけど、今はそれがかえって安心する。
母は、私が薬で治療しているのを見て複雑な顔をする。「免疫力で治せるはずよ」「波動療法があるのよ」と、動画の影響そのままに言ってくる。でも、一方で退院すれば「あなたが元気になって嬉しい」と言ってフルーツを買ってくれる。
優しさと狂気が同居していて、つらい。
妹も同じ。子供の頃は仲が良かったのに、今では会えば「マスコミはみんなDS」「アサクリの設定は真実に基づいてる」しか言わない。
本を読まなくなった女たちが、YouTubeとSNSだけを頼りに「真実」に辿り着いた気になって、どんどん先鋭化していく。
話し方は一方的で、見下したように「あなたはまだ目覚めてないのね」と言う。
なのに、こっちが黙ると、どこか寂しそうにしてるのも見てしまって、またつらくなる。
うちの家庭は昔から団らん中もニュースにあれこれ言うような空気はあったけど、気づけば女たちが揃って陰謀論で意気投合する地獄になっていた。
母、妹、祖母。みんな陰謀論。アサクリと日ユ同祖論と反ワクチンの融合。もうどうにもならない。
女は感情が先に立つから、陰謀論にハマると戻れなくなるのかもしれない。しかも自信満々で、根拠のない“真実”を語る姿は、もはや狂信者。
情報を鵜呑みにして、物語としてしか歴史を見れなくなっている。
女の直感(笑)で世界を解釈した結果がこれなら、もう未来はない。
私はどうなっていくんだろう。自分も女だから、いつかこうなるのかと思うと怖い。
実家をまた離れる予定だから、少しは距離を取れる。関わり方も変わるだろうけど、母と妹はおそらくこれからもどんどん“真実”に目覚めていくだろう。
私が病気でつらかったときに心配してくれたのも事実だから、冷たく切ることはできないけれど、差別や非科学を隠しもしない人たちと顔を合わせ続けるのは、やっぱりしんどい。
新卒時代は20人ほどのIT系ベンチャーで、ECディレクターにいきなりさせられる。ちなみに新卒は私一人(もう一人いたけど入社前のインターンで厳しすぎて入る前に病んで辞めてしまった)。1年ほぼ休みなしでこれぞ「THE ブラック」を経験する。1年後若社長に「将来何したいの?」と言われ「いつか独立したいっすね」と言ったら「じゃあ今すぐやめろ」と言われて「じゃあやめますわ」とお互い感情的になって急遽会社を辞める。アテは勿論なかったが、その後独学でHP作りを始める。半年くらい休みなく、朝から深夜まで死ぬ気でブログや記事を量産しまくって、アフィで生計を立てる事に成功。一年後くらいに前職の先輩に誘われ三人で日本酒関連の会社を始める。うまくいかずに半年で解散。再びアフィで生計を立て、それなりに稼げるように。同時に暇(というか人と喋らなすぎてもはや鬱?)になって、「なんかおもろい事ないか?」と探して、フィリピン留学を決行。フィリピン留学は楽しすぎたけど、1ヶ月のプランだったので帰国。また一人でアフィ開始。基本ずっと一人なので「人と仕事しないと心身がおかしくなるかも?」と思い、勢いのあったサイバーのグループ会社にジョイン。1年くらい全力でやって「もう企業はいいわ」と満足して辞める。また暇になったので、2度目のフィリピン留学。そこで出会ったマッチョと意気投合。半年後くらいに海外でパーソナルジムを二人で経営スタート。死ぬほど大変だったけど、まあ色々あって現在はうまくいっている。帰国してジムの日本店出店。またしても暇になったので、だらだらしてたお洒落な友達とアパレルブランド設立したりYouTube始めたり開始。そんな中、AIがやばそうな香りがしたので、AIに全Bet開始。そして今。みたいな感じです。
https://megalodon.jp/2024-1230-2327-19/https://anond.hatelabo.jp:443/20241230232614
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20241230232614
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20241230232614 友達のふりをしていましたが、脳出血の文をかいた本人です。 軽い気持ちで書いたものが拡散されてしまい慌てて削除しましたが、それ以前に不謹慎なことを考えずに投稿してしまいました。 削除してしまったため、本人であることを立証するのはできないのですが、この度は大変申し訳ございませんでした。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20241231141436
一口に「ロックが好きで」「え!そうなんですか!自分も好きです!」と意気投合(?)しても結局同年代とは盛り上がらんことが多い
寂しいから、はてなのおっさんたちならわかってくれると信じて好きなアーティスト書いてくで
適当に聴いてて体系的な知識がないからお前このアーティスト聴くならこっちも聴けや!ってのがあれば知りたいやで〜
たくさん書いたしと思って見出しつけたらクッソAIっぽくなって笑うしかないな
やっぱり「雨上がりの夜空に」が好きやなあ
「WISKY,R&R AND WOMEN」が特にええ
王道やけど「さぁ」が好きや
「賽の河原」が好きや
「Balloon Balloon」が好きや
「Another One Bite The Dust」が好きや
「アントマン」が好きや、「新境区」とかも好きやけど
「Banquet.」が好きや
ここもtiktokで知ったで
「MENPHIS」がtiktokで流れてきて最近ずっと聴いとる
ほんまにかっこええわ
活動再開ほんまに嬉しいで〜
「劣り」が気に入っとる
でも「Booby Trup」も捨てがたいわ
「星を願う」が好きなんやがサブスクにあらへんのが悲しいで…(ヨエコの不安のお山もやが)
「WHOOO」も好きや
いい曲はたくさんあるけどやっぱり「水流のロック」やな…と思うわ
5歳の息子はおそらく軽度のアスペルガー。
物事を白か黒かで判断するきらいがあり、3歳くらいの時には見知らぬ他の子に「はしっちゃダメ!」と注意して向こうの保護者に嫌な顔をされることがよくあった。それはまぁいい。
言葉の発達が遅かったので文字に触れ合う時間を意図的に増やしたせいだろうか。4歳ぐらいから識字と言語能力がやたらと発達してきた。
小3レベルぐらいの漢字混じり文章は読める、簡単な英語の疑問文を見て答えを日本語で言うぐらいはする。
何かで泣きじゃくった時に「まちがってる! このせかいはまちがってる!」とわめくので、笑ってしまったことがある。その言語センスどっから持ってきた。人生2周目か? なお、進撃の巨人や東京グールは読んでも見せてもいない。
だが、幼稚園では、年少の頃に癇癪をおこすことがよくあった。
怒ってしまう理由を家で聞くと「おこりたくないけどがまんできないんだよー」と子供ながらに言う。
自分の失敗も他人の失敗も間違いは許せないらしい。白黒思考というやつだ。隣の子が塗り絵をほんの少しだけはみ出してしまったことを許せず、癇癪することさえあった。
いいんだよ、思いっきり失敗しても楽しんでやればいいんだよ、といつも教えたのだけれど、許せないらしい。
いずれ治るかもしれない今だけかもしれないと願っていたが、年少の秋口に園長と担任に個別面談を希望された。直接の原因ではないけれど、癇癪を起こしているところに心配して声をかけてくれた子を突き飛ばすようなことがあったらしい。
優しい子だと思っていたし、感情を抑えられなくても誰かに手を挙げるようなことはしていない、と思っていたので、ああそうなのかやってしまったのか、と悲しくてしょうがなかった。
先生たちには謝りながらも、怒りたくないけど怒っちゃうと普段から彼が言っていたことも伝えた。性根は優しい子だということはわかってやってほしかった。感情をコントロールできなくて息子も苦しんでいるのだと涙ながらに伝えると、先生も少し泣いていた。いい先生達だった。
息子がつらいのであれば園は辞めさせてもいいと思っていたが、園は通いながら療育へも行くことになった。それはまぁいい。
療育のソーシャルスキルトレーニングで、息子の癇癪は少しおさまってきているように見えた。
それでも運動会はかけっこで負けて悔しくて、最後までずっと泣きわめいていたこともあった。
言語能力は5歳になるとさらに発達してきて、父の本棚からモンテッソーリ教育の本を引っぱりだして勝手に読んで、「テストのせいせきがいいかわるいかじゃなくて、プロセスをほめないと、ぼくのチャレンジせいしんがそだたないんだよー」などとマジで言う。二宮金次郎じゃないが、その本を幼稚園のバス停まで持って行って読んでる。それもまぁいい。
今日、2人でお風呂に入ってると息子は「じぶんにきびしいじぶんのことがゆるせない」と辛そうに言うのだ。
「できないことをかんがえると、じぶんがきらいになる。じぶんにきびしいじぶんのことがゆるせない。じぶんにきびしくなければ、もっとらくなのに。じぶんにきびしいじぶんになんて生まれてこなければよかった」と、言う。
「できないじぶんがきらい。できないじぶんなんてきえてしまえばいいとおもっちゃう。のうではわかっているけど、きもちがかってにでてくる」と、言う。
私は、涙をこらえながら、優しい言葉を探してやるのに必死だった。
この子はたぶん他の子より若干頭が良い。5歳だが漢字は読めるし、英語もやれるし、5の位の掛け算はやるし、なんなら48+3=51ぐらいの繰り上がり計算を英語で言う。
でもそれ以上に、自分にはできないことばかりがよく見えてしまう。
お前、5歳なんだよ、もっと何も考えずにウェイウェイ遊んでいればいいんだよ。
きっと彼もそうした方がいいことは理解している。でも、わかっているのにできないのだ。
私は泣いた。
できないことばかり数えてしまう息子の生きづらさを思って泣いた。
そんな気持ちを言葉にして伝えられる5歳児は凄いことなんだよ、大人に近づいているんだよ、と言っても息子の表情は暗いままだった。
この世界は間違ってるといつか泣いた息子は、今も間違いだらけの自分の世界を受け入れられずにいる。
父と母は、お前が日々成長していくだけで喜びに満ちた世界にいるのに、なんでそんな遠いところに独りでいるつもりになっているんだ。
私は覚えているよ。
3歳のお前は、遊び場で初めて会った子と意気投合して、楽しく遊んでいたことがあったんだ。
私が何がそんなに楽しいのか聞いたら、「あのね、くつしたがね、おそろいだったの!」と2人で同じ靴下を履いた足を並べて、2人で満面の笑みを見せてくれたね。
あの時ね、私はとても感動したんだ。
遠い異国の地では遠い昔にルーシという国から派生した国の人達が争っている。ワクチンを撃つべきか、マスクは強制なのかと、大人たちが今も揉めている。老害・こどおじ・ツイフェミ・リベラル、ネットは今日も自分以外のカテゴリを雑にくくって他者を攻撃することばかりだ。
そんな世界でお前とその子は、靴下の柄が同じだけで人は初めて会う誰かと心を通じ合わせることができるのだと、輝くような笑顔で教えてくれたじゃないか。私はこの世界も捨てたもんじゃないと本気で思ったんだ。
こんな自分に生まれたくなかった、そういうお前の気持ちを私は否定しなかっただろう。私もそんな時があったし、いつも言っているが、そう思っているのはお前ひとりだけじゃないんだよ。
だからどんなにお前が自分を嫌いでも、父と母はいつまでもお前の味方だと、何まんべんでも言ってやるよ。お前がお前を許してやることができるまで、ずっと付き合ってやるよ。
確かに間違いだらけの世界でさ、私も何が正しいのかはよくわからないんだけど、この世界は間違ってるって、お前と一緒に喚きながら暮らしていきたいよ。
「…ってそりゃ当たり前だろ、でもここでの話はそういう事じゃなくってな」と思っただろうけど、ちょっともう少し読んでいって欲しい。話の主題はそこじゃないんだ。元増田は、100人にアプローチして→20人と会えれば→5人とヤレて→1人と続く。くらいの話をしていると思うんだが、ここでしたい話は、20人のヘルス嬢と会えば→19人とヤレて→3人と店外に行けて→1人と続く。みたいな話だ。
元増田と似た状況で、ただ20代のうちにそのドロドロを解消出来なかった本増田は、30代になってから風俗にハマった。悪い友達に誘われて行ったデリヘルが初めての風俗で、大いにハマり、しばらくはその友達と飲んだときだけ一緒に行くくらいだったのが、自分だけでも行くようになり、ソープも嗜むようになり、いまに至る。
基本的にヘルスのサービスというのは挿入無しが原則なのでセックスは出来ない。とは言え、まあそういう商売なので、こっそりお願いすると OK になる時もままあって、これと言った知識や経験も無しにお願いしても、体感 5 割は OK してくれる。20人→10人の割合である。ただそうこうするうちに、これは PDCA あるな、と思ったのだ。嬢が、何を言ったら喜ぶか、何をしたら喜ぶか、何が嫌なのか、つぶさに反応を観察し、反省し、次に活かす。これを繰り返すことで、OK をくれる割合はどんどん上がる。某匿名掲示板で鉄梨なんて言われている嬢であっても結局はやり方次第。いまや断られることは基本ないというレベルに達した。そこに到達するまでに、会話術ももちろんであるが、筋トレをし、脱毛をし、美容に力を入れ、まあ色々やった。
OK 率が 70〜80% くらいだった頃の話である。初めて会った嬢とめちゃくちゃに意気投合して、もちろんヤッて、シフトの最後だったのでこのあと飲みに行こうという話になった。初めての店外である。そこで新しい扉が開いてしまった。その頃にはヘルスで遊ぶときにフリーで入る事はなく、好みの子を指名するし、お気にの嬢とは本指名で何度も遊ぶようになっていたが、その初めての店外の嬢が引退するまでの半年間は、その嬢としか遊ばないくらいハマった。LINE で連絡を取り合って会うし、なんなら昼職でバイトをしてたカフェにも行くし、みたいな。まあ楽しかった。大学卒業で風俗引退すると決めていたその嬢とはそれっきりだけど、なるほど店外楽しいな、と気付いてしまったのはこの嬢がきっかけだった。
さて、マッチングアプリを通じて素人とヤリたい場合、会うハードルがまずあり、そしてヤるハードルがとても高い、というのは元増田の言うとおりであろう。一方、風俗嬢の場合はその逆で、ヤるハードルはとても低く、しかし店を通さずに会うハードルはとても高い。嬢から見て店を通さないという事はリスクが爆上がりするという事に他ならず、下手に持ちかけてもただ警戒されて終わるだけだ。店外が楽しいと気付いてから、何度かお気にの嬢に店外を持ちかけたが、そうそう上手くはいかないので、はい、ここでまた PDCA をすることになった。とは言え、ここでの PDCA の結果分かったことは、そもそも店外がありかなしか、をいかに見極めるかに尽きる。簡単に言えば、営業用に作った人格かどうかを見抜き、素のままで接客している嬢の方が店外を受け入れる確率が高い、といった感じになる。「風俗嬢にどんな幻想を抱いてるんだよww」って?まあそう思うならそう思えば良いさ。素を引き出すテクニックもあるし、素を出しても大丈夫と思われる客になるのにも技術がある。19人→3人はそのようにして達成される。ちなみにヤるハードルがゼロのソープ嬢に関しても何度か店外をトライした事があるが全て失敗した。なのでソープは高級なオナニーと思っている。
そんなこんなで、店外で会ってヤるようになると、気分は有料セフレである。変わったルートで始まるパパ活と言い替えても良い。普通とのパパ活との違いは、ご飯ありきではなくホテルありきで、たまにご飯、くらいなので、性欲モンスター的にはコスパが良い。ホテルとご飯の割合的にセフレっぽいなという感覚があるのだ。そもそもご飯は奢ってもご飯だけにはお手当を出さないし、風俗嬢でお金には困ってないから面倒くさいことも言われない。また、1 人とそんなパパ活風関係を続けていると、セックスのクオリティが上がっていくのも見逃せないメリットである。そう、すでに想像しているかもしれないが、ここでも PDCA がある。どんな体位が好きなのか、どこが弱いのか、前戯の長さと挿入時間の長さのバランスの好みは、などを突き詰めていくと、嬢がガチイキし始めるのでこちらも興奮マックスで楽しめる。「風俗嬢にどんな幻想を抱いてるんだよww」って?まあそう思うならそう思えば良いさ (二回目)。
いわゆる、婚活のATM男性には自我があるから気をつけた方がいいという話。
まずは身の上話をさせてもらう。私は婚活を20代前半から始めた。
特に異性と遊びたい願望もなく、いわゆるモテる女でもなかったので、さっさと結婚したかったのだ。
たまたま最初に隣だった人が、昨日テレビ番組で見た職業だったことで意気投合。運命すら感じた。
その人が、音を立ててズルズルとパスタを啜るまでは。
細かいことということも、さして重要でないこともわかっている。だが、そのときの自分にはパスタを啜って食べる人間がいることがあまりにも衝撃的だったのだ。若かったのもあり、世間知らずだった。
嫌悪感が凄まじく、その後観覧車に乗ったが距離を詰めてくる相手が嫌で嫌で仕方なかった。
ただダラダラと長くなるだけなので端折るが、今度は一円単位で割り勘を要求。
細かいお金を持っていなかったから次回払うと告げると激昂され、やはりお断り。
そんなことが何度も続くうちに、カップリングする相手のことを全く好きになれなくなっていった。
初対面はまだよく知らないからいいが、知れば知るほど好きになれなくなる。
今まで片想いをしたり、告白されたことはあったが、交際の経験はなかった。それも良くなかったのかもしれない。
段々、「みんなそんなに好きでなくても付き合うのかもしれない」と思い、数回交際をした。
みんなそうなのだ、我慢するものなのだ。そう思って相手に尽くした。例えばおうちデートの相手の部屋が汚方も我慢したし、旅行中一睡もできなくても、性行為はしんどいだけでも、じっと耐えた。
そのうち我慢する価値を感じなくなり、コロナ禍に乗じて別れた。
ああ、自分は人を好きになれない生き物なのだ。と納得して、結婚を諦めた。
そんなときに友人に結婚報告をされたり、逆に、10年来の異性の友人に告白をされたり。
祝福しながら泣いたり、好きになれないのではと思いながらもまた付き合い、やはり好きにならずにお断り。
私はもう完全にやけになっていた。好きになれないとはいえ、やはり1人は寂しい。長く付き合ってきた友人がいなくなったのも辛かった。
相手が本気なら自分も変わるかもしれない。そう思って結婚相談所に入ると、熱烈にアピールしてきた相手がいた。
彼はのちに夫になるのだが、なんと、プロポーズまで手すら繋ごうとしなかった。
接触が苦手、恋愛が苦手、というこちらの事情を理解してくれたのだーーーと、そのときの私は認識していた。
恋愛感情はない、接触はできない。改めて伝えて、それでもよいというので、彼と結婚した。
恋愛感情がないのに結婚するというのは、いわゆるATM婚なのではないか、という言葉が脳裏によぎった。そしてそれは誉められた行為ではない。
なので、こんな自分と結婚してくれたのだから、と働きながら家事を精一杯やった。
結婚すれば何とかなる、結婚してしまえばこちらのもんだ、と思っていただけだった。
始めのうちは穏やかに暮らしていたが、数ヶ月もすると性行為をせびるようになった。悩んだが、負い目もあり、性行為に応じるなどした。
我慢するというのは、我慢するたびに心が消耗されていくということである。
何故私はこんなにも苦痛で泣きたいくらいなのに、向こうは「したい」「夫婦なのだから」と要求してくるのかが解らなかった。
四六時中性行為の対象として、視線が飛んでくることも我慢ならなかった。ソファーに座れば隣へ来て触ってくる。それがいやなら自室に籠るしかなかった。
そのうち、自室に篭ることも抗議されるようになった。当然ストレスが溜まる。我慢していたが、そのうち喧嘩になる。
喧嘩した後、何の解決もしていないのに愛してるよ、と言って接触し、「あわよくば」を狙おうとする相手が汚らしくて仕方なかった。
私が相手の要望を全て受け入れていたら、そうはならなかったのだと思う。
私が自分の思う通りにならない、ということに不満を抱くようになり、結婚前はまずしなかった言動、態度をするようになった。
そのうち、離婚をした。
良かったのは、誰がどう聞いても彼が世間的にアウトな言動をしたため、「彼が悪い」まま別れられたことだ。
タイトルに戻る。
婚活でよく言うATM男性、は、確かに存在する。お金があって、これまでモテなくて、気が弱いが悪人ではない、という存在。
だが、彼らはATMではなく、人間なのだ。人間なので、自我がある。彼らは気が弱いので、目的の前には自我を押し殺すことはできるが、いずれそれは表に出るようになる。
離婚前後は、結婚前と結婚後の元夫の豹変に嘆いていたが、そうではなかった。
あれは豹変ではなく、本来彼の持つ自我が現れただけだったのだ。
私は婚活は長く続けていたが、1人の異性と長く付き合った経験がなかったこともあり、とにかく、「見る目がなかった」。
デートで全部奢ってくれたから、いつも私の言うことを聞いてくれて、穏やかだから。
それはけして優しさではないのに、優しい人だと思って、結婚する。
割り勘だろうと二千円だけちょうだいと言おうが、初めから自我を出してくれる人の方が、よほど安心できると思う。
好きになれそうもないけど、私のことを好いてくれてるし、お金も出してくれるし、ATMとして扱う。
なんていうのは、よほど男性の取り扱いの上手な女性がやることだ。
男性経験のない、ピュアな婚活女性がやることではない。(ピュアとは、完全に皮肉である。)
いわゆる、婚活のATM男性には自我があるから気をつけた方がいいという話。
まずは身の上話をさせてもらう。私は婚活を20代前半から始めた。
特に異性と遊びたい願望もなく、いわゆるモテる女でもなかったので、さっさと結婚したかったのだ。
たまたま最初に隣だった人が、昨日テレビ番組で見た職業だったことで意気投合。運命すら感じた。
その人が、音を立ててズルズルとパスタを啜るまでは。
細かいことということも、さして重要でないこともわかっている。だが、そのときの自分にはパスタを啜って食べる人間がいることがあまりにも衝撃的だったのだ。若かったのもあり、世間知らずだった。
嫌悪感が凄まじく、その後観覧車に乗ったが距離を詰めてくる相手が嫌で嫌で仕方なかった。
ただダラダラと長くなるだけなので端折るが、今度は一円単位で割り勘を要求&細かいお金を持っていなかったから次回払うと告げて激昂され、やはりお断り。
そんなことが何度も続くうちに、カップリングする相手のことを全く好きになれなくなっていった。
初対面はまだよく知らないからいいが、知れば知るほど好きになれなくなる。
今まで片想いをしたり、告白されたことはあったが、交際の経験はなかった。それも良くなかったのかもしれない。
段々、「みんなそんなに好きでなくても付き合うのかもしれない」と思い、数回交際をした。
みんなそうなのだ、我慢するものなのだ。そう思って相手に尽くした。例えばおうちデートの相手の部屋が汚方も我慢したし、旅行中一睡もできなくても、性行為はしんどいだけでも、じっと耐えた。
そのうち我慢する価値を感じなくなり、コロナ禍に乗じて別れた。
ああ、自分は人を好きになれない生き物なのだ。と納得して、結婚を諦めた。
そんなときに友人に結婚報告をされたり、逆に、10年来の異性の友人に告白をされたり。
祝福しながら泣いたり、好きになれないのではと思いながらもまた付き合い、やはり好きにならずにお断り。
私はもう完全にやけになっていた。好きになれないとはいえ、やはり1人は寂しい。長く付き合ってきた友人がいなくなったのも辛かった。
相手が本気なら自分も変わるかもしれない。そう思って結婚相談所に入ると、熱烈にアピールしてきた相手がいた。
彼はのちに夫になるのだが、なんと、プロポーズまで手すら繋ごうとしなかった。
接触が苦手、恋愛が苦手、というこちらの事情を理解してくれたのだーーーと、そのときの私は認識していた。
恋愛感情はない、接触はできない。改めて伝えて、それでもよいというので、彼と結婚した。
恋愛感情がないのに結婚するというのは、いわゆるATM婚なのではないか、という言葉が脳裏によぎった。そしてそれは誉められた行為ではない。
なので、こんな自分と結婚してくれたのだから、と働きながら家事を精一杯やった。
結婚すれば何とかなる、結婚してしまえばこちらのもんだ、と思っていただけだった。
始めのうちは穏やかに暮らしていたが、数ヶ月もすると性行為をせびるようになった。悩んだが、負い目もあり、性行為に応じるなどした。
我慢するというのは、我慢するたびに心が消耗されていくということである。
何故私はこんなにも苦痛で泣きたいくらいなのに、向こうは「したい」「夫婦なのだから」と要求してくるのかが解らなかった。
四六時中性行為の対象として、視線が飛んでくることも我慢ならなかった。ソファーに座れば隣へ来て触ってくる。それがいやなら自室に籠るしかなかった。
そのうち、自室に篭ることも抗議されるようになった。当然ストレスが溜まる。我慢していたが、そのうち喧嘩になる。
喧嘩した後、何の解決もしていないのに愛してるよ、と言って接触し、「あわよくば」を狙おうとする相手が汚らしくて仕方なかった。
私が相手の要望を全て受け入れていたら、そうはならなかったのだと思う。
私が自分の思う通りにならない、ということに不満を抱くようになり、結婚前はまずしなかった言動、態度をするようになった。
そのうち、離婚をした。
良かったのは、誰がどう聞いても彼が世間的にアウトな言動をしたため、「彼が悪い」まま別れられたことだ。
タイトルに戻る。
婚活でよく言うATM男性、は、確かに存在する。お金があって、これまでモテなくて、気が弱いが悪人ではない、という存在。
だが、彼らはATMではなく、人間なのだ。人間なので、自我がある。彼らは気が弱いので、目的の前には自我を押し殺すことはできるが、いずれそれは表に出るようになる。
離婚前後は、結婚前と結婚後の元夫の豹変に嘆いていたが、そうではなかった。
あれは豹変ではなく、本来彼の持つ自我が現れただけだったのだ。
私は婚活は長く続けていたが、1人の異性と長く付き合った経験がなかったこともあり、とにかく、「見る目がなかった」。
デートで全部奢ってくれたから、いつも私の言うことを聞いてくれて、穏やかだから。
それはけして優しさではないのに、優しい人だと思って、結婚する。
割り勘だろうと二千円だけちょうだいと言おうが、初めから自我を出してくれる人の方が、よほど安心できると思う。
好きになれそうもないけど、私のことを好いてくれてるし、お金も出してくれるし、ATMとして扱う。
なんていうのは、よほど男性の取り扱いの上手な女性がやることだ。
男性経験のない、ピュアな婚活女性がやることではない。(ピュアとは、完全に皮肉である。)