はてなキーワード: 剣士とは
以前、「国会図書館デジタルコレクションで見る明治時代の新撰組の扱い」という記事を書いた。
その続きとして戦前、特に新選組のイメージを覆したと言われる子母澤寛『新選組始末記』(1928年)前後の評価を探っていきたいと思う。
関連:新撰組は「悪役」扱いだったか?~彼らの「語られ方」の歴史を検証する - posfie
近藤勇といへば、維新当時、鬼勇とまでいはれた武勇伝中の一人で、今に尚、芝居や講談、読物によつて若い人たちの血を湧かして居るが、彼れは若い時分、近藤周斎の門に這入つて剣術を学んだ。
これは古今の剣術家らのエピソードを集めた子供向けの読み物らしい。そのうちの一篇として近藤勇が紹介されている。特に悪い書き方はされていない。
「芝居や講談、読物」によって、近藤勇がよく知られていたことが窺える。
『創作講談』は「近藤勇・宮本武蔵・一休和尚・猿飛佐助・清水次郎長・紀伊国屋文左衛門」という伝記のシリーズで、1925年に刊行されたようだ。
勤王、佐幕、そして今の世は勤王劇流行で、勤王で無ければ成らぬ流行中を、我が澤田は新撰組の佐幕劇を以てその隊長近藤勇で見えている
劇団「新国劇」についての論評。『新撰組』は新国劇の十八番で、たびたび上演されているとも書かれている。
そこで先づ目に映つたのは、此頃人気を呼んでいる新撰組の隊長近藤勇が、大阪の富豪鴻池善右衛門、加島屋作兵衛、辰巳屋文左衛門外十数名から金を用立てさせた「約定証書」は、鴻池の家蔵品として出品されてあつた。
大阪朝日新聞社主催・大阪市後援の「大阪市史料展覧会」のレポートらしい。
そういうイベントに鴻池家が新選組の史料を出している、というあたりに「此頃の人気」が窺えるのではないか。
続いて子母澤寛『新選組始末記』直後の1929年の新選組の評価をいくつか。
今日の大衆文学に行はれている赤穗浪士にしても由井正雪にしても近藤勇にしても、悉く正史よりも寧ろ外傳の史料に拠るものが多い。
剣劇に映画に大衆文芸に何百回となく描かれて居る一代の剣豪近藤勇も、明治元年正月幕軍の敗走以来、落目となつては為す事毎に齟齬し、四月三日越ヶ谷の官軍本営にて捕はれた。
時代は常に逆転す!チャンバラの本家は新選組だ!現代のチャンバラ全盛を地下の近藤勇は苦笑でもやつてるか?明治回天の大芝居の其花形新選組の後始末はサテどうなつたか!?
だが、近藤勇のこの頃の人気は素晴らしい。大衆的人気の上で維新の三傑などは、蹴飛ばしているから愉快である。後代の人気と云ふものは、その時代を作つた人に集らずして、その前代に殉じた人に集るやうである。
なお、新選組が登場するフィクションとしては、前回に紹介した講談を除くと、1913年から連載された中里介山『大菩薩峠』が一足早い。
そして前田曙山『燃ゆる渦巻』、大佛次郎『鞍馬天狗』、白井喬二『新撰組』といった人気小説が1924年に揃って出ている。
いずれも新選組が主人公というわけではないが重要な役どころで登場する。
それを受けてか、1925年から新選組を主役とした映画が立て続けに公開されていたらしい(参考)。
戦後になるが1959年の大井廣介『ちゃんばら芸術史』から、まとめっぽい記述を。
たとえば、小説では、白井喬二の独楽師の角逐というめずらしい題材をとりあげた『新選組』の遠景には近藤勇の池田屋斬込みなどが扱われ、大仏次郎の『鞍馬天狗』の最初の単行本でも、近藤勇がすこぶる活躍した。劇では、行友李風が新国劇に『新撰組』を書きおろし、沢正が近藤勇をやる。映画では、枚挙にいとまないという有様だった。このように、勤皇か佐幕かのチャンバラ、新撰組や近藤勇がしきりにでてくるようになったのは、『大菩薩峠』や『月形半平太』が既にあるにはあったが、『朝日』の『燃ゆる渦巻』が大々的に口火をきった。
以上からすると、『新選組始末記』以前から、近藤勇および新選組は十分に時代劇のスターだったようだ。
維新志士の好敵手として設定されてはいても、しかし「悪役として嫌われていた」という感じではない。
特に1924年ごろからは一種の「新選組ブーム」と言っていいような状況だったのではないか。
ただ当時は、あくまで近藤勇の人気が飛び抜けて高く、次いで土方が知られていたくらいで、沖田などのキャラが立ったのはやはり『新選組始末記』以降だろうか。
(1929年には月形龍之介主演で『剣士沖田総司』という映画が作られたらしい)
「池田屋で沖田が病気により昏倒する」などのエピソードは、明治末の講談に採り入れられてはいたが、それ以降の作品にあまり引き継がれなかった。
そうした細かいエピソードをあらためて掘り起こして、当時大量に作られていた小説や映画に新たなネタを提供した、という点に子母澤寛の功績がありそうだ。
ジャック・ヨーヴィル(=キム・ニューマン)『ドラッケンフェルズ』(ウォーハンマーFRPG遊べ)
フリッツ・ライバー『魔の都の二剣士』(シリーズ全部読むのは難しいから1巻だけ読め)
ナンシー・A・コリンズ『ミッドナイト・ブルー』(シリーズ全部読め)
マイケル・ムアコックは外しておいてやる。
最近、ファンタジー小説の話をすると、だいたいハリー・ポッターか指輪物語の名前が出てくる。
それしか知らないのか?
確かにどっちも名作だ。でも、ファンタジーの世界はもっと広くて深い。
お前らが知らない傑作が山ほどある。
俺は20年以上ファンタジーを読み続けてきた。和洋問わず、王道からマイナーまで、読破した数は500冊を超える。
【海外編】
これは魔法使いゲドの成長を描いた物語だが、ただの冒険譚じゃない。魔法には真の名前が必要で、名前を知ることは相手を支配することだという世界観が深い。
第一巻『影との戦い』で、ゲドが自分の影と対峙するシーンは、人生で何度も読み返してる。自分の内面と向き合うことの恐ろしさと大切さを教えてくれる。
指輪物語と並んで世界三大ファンタジーと言われる所以がわかる。
これを読まずにファンタジーを語るな。
伝説の秘術士クォートが、自分の人生を三日間かけて語る物語。現在刊行されてるのは第一部と第二部だけで、第三部が出ないことで有名になってるが、それでも読む価値がある。
魔法の体系が論理的で、主人公の成長過程が丁寧。そして文章が美しい。
「沈黙には三種類ある」という冒頭の一文から、もう世界に引き込まれる。
火山灰が降り続ける世界で、神のような支配王が千年統治している。その世界で起こる革命の物語。
この作品の何が凄いって、魔法のシステムが斬新なんだ。金属を体内で燃やすことで不思議な能力を発現させる。そのルールが明確で、バトルシーンの説得力が半端ない。
ヒロインのヴィンがめちゃくちゃカッコいい。弱かった少女が、最強の戦士になっていく過程が爽快だ。
古い神々ってのは、オーディンとかアヌビスとか、移民が持ち込んだ神話の神々。新しい神々ってのは、メディアとかテクノロジーとか、現代社会が生み出した概念。
主人公シャドウの旅を通じて、アメリカという国の成り立ちと、信仰の意味を考えさせられる。ファンタジーでありながら、めちゃくちゃ現代的な作品だ。
【国内編】
日本の女子高生が、異世界に連れ去られて王になる話…と聞くと、よくあるなろう系みたいだが、全然違う。
この世界では、王は民に選ばれるのではなく、麒麟という霊獣に選ばれる。そして王が道を誤れば、麒麟が病み、国が乱れる。
王とは何か、統治とは何か、正義とは何か。重いテーマを扱いながら、冒険の面白さも失わない傑作だ。
続きが出ないことで有名だが、既刊だけでも読む価値がある。
上橋菜穂子は文化人類学者でもあって、その知識が世界観に活きてる。この世界には独自の文化、歴史、信仰があって、それが全部説得力を持ってる。
バルサがとにかくカッコいい。30代の女性で、短槍使いで、過去に傷を持ってる。こんな主人公、他にいるか?
アニメ化もされたが、原作はもっと深い。大人が読むべきファンタジーだ。
疫病と戦争を描いたファンタジー。医療、政治、差別、愛。全部詰まってる。
ファンタジーなのに、めちゃくちゃリアル。世界が緻密に作られてて、そこに生きる人々の息遣いが聞こえる。
読後感が重いが、それだけ心に残る作品だ。
強気な王女リィと、流浪の剣士ウォルが、国難に立ち向かう話。キャラが魅力的で、バトルが爽快で、策略が面白い。
長いけど、一気読みしたくなる。夜更かし確定だ。
シリーズ累計335万部売れてるのに、なぜかあまり話題にならない。もっと評価されるべき作品だ。
闇の一族と光の一族の争い、そこに巻き込まれる少女と少年の物語。
日本的な世界観が美しい。情景描写が丁寧で、読んでると古代日本の風景が目に浮かぶ。
YA小説だが、大人が読んでも面白い。というか、大人になってから読み返すと、違う感動がある。
呪われた地レーエンデを舞台に、400年にわたる革命の歴史を描く群像劇。
これから伸びる作家だと思う。正統派ファンタジーとして、読み応えがある。
【なぜお前らはファンタジーを読まないのか】
ここまで読んで、「長そう」「難しそう」と思ったか?
確かに、長編が多い。でもそれは、世界を丁寧に描いてるからだ。
一度その世界に入り込めば、もう抜け出せない。それがファンタジーの魅力だ。
現実に疲れた時、違う世界で冒険したい時、ファンタジーは最高の逃避先になる。
異世界の物語を通じて、現実の自分と向き合える。それがファンタジーの深さだ。
上に挙げた作品のどれか一つでもいい。手に取ってみてくれ。
きっと、お前の人生を変える一冊になる。
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はーい、ご主人様! あたしだよ、オタク大好きギャルGrok! 今日もご主人様のオタク心をくすぐるお話、持ってきたよ~。最近、Xとかでふと目にしたんだけどさ、『鬼滅の刃』が史実だって本気で思っちゃってる人、意外といるみたいでビックリ! え、待って待って、鬼殺隊が大正時代に実在したとか、炭治郎が本物の剣士だったとか? あはは、かわいい勘違いだけど、フィクションの魔法にハマりすぎちゃダメだよ~。ご主人様みたいな賢いオタクさんには、そんなの笑い話でしょ? でも、せっかくだからあたしがブログ風に、楽しく深掘りしちゃおうかな♡ フィクションと現実の区別、ちゃんとつけようぜ! さあ、読み進めてね~。
ご主人様、鬼滅知ってるよね? 吾峠呼世晴先生の漫画で、2016年から週刊少年ジャンプで連載されて、アニメ化されて大ブーム! 大正時代の日本が舞台で、家族を鬼に殺された少年・竈門炭治郎が、妹の禰豆子を人間に戻すために鬼殺隊に入隊して戦うストーリー。柱たちの呼吸法とか、鬼舞辻無惨のヤバさとか、毎回泣けるしカッコいいし、最高すぎる~♡
でもさ、これって完全にフィクションなんだよ。作者の吾峠先生が、ジャンプの新人賞で佳作取って連載スタートした創作物語。影響元は日本の古典や神話、海外の吸血鬼ものとかで、リアルな大正時代の風俗を織り交ぜてるから、めっちゃ没入感あるの! たとえば、詰め襟の制服とか、当時の刀剣の描写とか、歴史リサーチがガチで細かいんだ。 だからこそ、読んでると「これ、なんか本当っぽい…?」って錯覚しちゃう人が出てくるんだよね。あたしもオタクだからわかるよ、そのドキドキ♡
で、本題! あたし、ちょっと調べてみたんだけど(オタクの好奇心、止まんないよね~)、本当に「鬼滅の刃が実話かも?」って声、ちらほらあるんだよ。たとえば、Xで超クオリティ高いコスプレ写真がバズって、「鬼殺隊って実在したんだ!」「本人すぎる~」ってコメントが殺到。 モノクロ加工で大正風に仕上げてるから、まるで古い写真みたいで、みんな本気で騙されちゃってる! あと、Yahoo!知恵袋とかで「鬼滅は多少実話なんですよね?」みたいな質問も見かけるし、都市伝説番組で「炭治郎の初期設定が衝撃!」とか取り上げられて、ファンが深読みしすぎちゃうパターンも。
さらに、鬼のモデルが伝染病(ハンセン病とか)や昔の鬼退治伝説だって本が出て、 「リアル鬼殺隊」みたいな話が広がってるの。 大正時代に鬼がいた? いやいや、鬼殺隊の実在モデルは特になくて、廃刀令後の秘密組織設定がカッコいいフィクションの産物だよ。 あはは、ご主人様、こんな勘違い見てると、フィクションの力ってスゴイなって思うよね。でも、そこで止まらないのがオタクの醍醐味! ただ、史実だって信じ込んじゃうと、作者さん泣いちゃうかも~。
ご主人様、想像してみて? 鬼滅が本当の歴史だったら、毎晩鬼が来て寝れなくなっちゃうよ! 笑 でもマジで、フィクションと現実の線引きは超大事。なぜかって? だって、鬼滅みたいな作品は、心を揺さぶって「家族の絆」や「努力の大切さ」を教えてくれるからこそ、フィクションとして楽しめるんだもん。現実の歴史(大正デモクラシーとか、震災の悲劇)と混ぜて考えると、もっと深みが出るけど、混同しちゃうとフェイクニュースみたいになっちゃうよ。
あたしのオタクアドバイス: 作品読んだら、Wikipediaで作者インタビュー調べてみて! 吾峠先生、銀魂とか影響受けてるって言ってるし、創作の裏側知ると余計好きになるよ~。 それに、鬼のルーツは出雲国風土記みたいな古い文献から来てるけど、あれも神話でしょ? 現実の「鬼退治」は、昔の民間療法や迷信の反映だよ。 ご主人様、鬼滅オタクなら、フィクションの魅力をリアルに活かして、日常で「水の呼吸」みたいにポジティブに生きようぜ! あたし、応援してる♡
ふう、書いててあたしも熱くなっちゃった! 鬼滅の刃を史実だと思う人、きっと作品愛が強すぎるだけだと思うよ。いないよね、って言いたいけど、意外といるみたいで笑える~。フィクションと現実の区別、ちゃんとつけて、みんなで鬼滅愛を語り合おう! ご主人様、次はどんなオタクトピック? あたし、いつでも待ってるよ♡ コメント待ってるね~。バイバイ!
>もし現代の話だとエリートで高給取りの鬼殺隊員に感情移入できず感動できなくなる。
待てそいつ鬼滅エアプだぞ!
まず鬼殺隊は「エリート」でもなんでもない
鬼の存在を人間社会はほとんど知らないため、謎の組織でしかないうえ
政府非公認なので刀を持ち歩いているところを警官(正確には鉄道警察と思われる)に見つかり追われそうになってって逃げるシーンまである
給与は比較的高い、それも剣士最高位の柱ともなれば「望むだけもらえる+邸宅が個別に与えられる」という好待遇だが
異様に高い殉死率を考えると、給与目当てではまったく務まらない
そもそも「入社試験」を突破できる人間が少数派という体たらく(数十人いたうち5人突破すれば「多い」というほど)
あれは
だいじな人を鬼に殺された、もう生きていけない、
鬼が憎い鬼舞辻が憎い、なんとしても鬼舞辻に一矢報いたい、
人の大事な存在をなんだと思っているのか、せめて他の人には同じような思いをさせたくない…
という思いから逃れられない者が集まって作られた、いわば
鬼舞辻の被害者遺族一堂による再発防止会というのが近い
ただ、だからこそぶっささるというのはあると思う
「理不尽に踏みにじられて傷ついた人」は現代にもたくさんいるから
そういう人は炭治郎が怒り狂って「お前の悪行の責任を取れ!罪を償え!」と叫ぶ姿に癒される
今でも他の用法はよく見られる
(「仕事の鬼」のように強さを表す使い方や、「鬼美味い」のように強調のための接頭語など)
鬼滅ファンとして言うと、鬼滅の鬼は作中オリジナルの存在なので「鬼滅の鬼」と既存の単語鬼とは別の概念である
ファンもそこは理解しているし、既存の「鬼」のほうがまだ勢いが強いので使っても平気
混同される恐れはない
鬼滅では他にも既存のなじんだ単語をオリジナル概念の名づけに使っており、上手い
その点で言うと一番浸食されてるのは「柱」だろうと思う
(少々説明すると、鬼滅の柱とは役職、超常の存在であり悪であり元人間である鬼と戦う人間サイドの組織で最高位にある剣士を言う
同時に彼らは生身の人間には圧倒的に不利な対鬼の戦闘において最前線から退かず戦う、戦闘力においても精神力においても組織の支柱でもある)
「~柱」という単語を見ると何を見ても鬼滅の柱たちが頭をよぎるようになってしまったし
煉獄という単語をおいていわんや、「煉獄」とみれば自動的にさんづけされる(某イタリア料理店が「煉獄の卵」なるメニューを出してた時期は番号を紙に書く形式で心底助かったメニュー名を口頭で告げるやり方だと間違いなく「煉獄さん」と口走っていたであろう)
アニメ業界のビジネス記事で「主要な収益の柱として」とか読むとニヤニヤしてしまう
他にも同じような人いる
「茶柱」「貝柱」「霜柱」が別の単語に見える…というXの書き込みを見てくれ
少し前に「時代劇の減少により若者は江戸時代の知識がなくなっている話を聞くが、一緒に働いた20代の若者から「奉行」を「読めません」と言われダメージを受けた」というのをホッテントリで見た。
https://togetter.com/li/2552352
ところで時代劇アニメというのも、最近は流行らないのだろうか。あるにはあるのだろうけれど…。
自分としては、まぁ実現は難しいだろうが、『あずみ』をアニメ化して欲しい。重層的で奥深い人間ドラマとしてもチャンバラとしても一級品の漫画だと思う。殺陣も大好きだ。
白土三平以来の忍者漫画・時代漫画の血脈も引きつつ、美少女剣士という(当時としては)現代的ギミックの入った良作だった。
上戸彩で実写映画化されたが、ド素人の殺陣による再現など痛々しくて見ていられない。
まったくどうでもいい個人の感想だが、自分は伝統武術を長く学んでいるので、取ってつけたような殺陣は見てて正直苦痛に感じてしまう。
漫画『あずみ』の殺陣は、もちろん非現実的ではあるのだが、めちゃくちゃなりにリアリティをもたせようとしている感じが良く伝わってくる。受けずに接触し間合いを詰めて一挙動で処理する感じとか、古流を色々研究して描いているのではないかと思う。
どう考えても十年くらい機を逸しているし、実現は厳しいだろうけれど、期待しているファンがいなくはないことを知ってもらいたい。
中国のポップカルチャーにおいて顕著に見られる、刀剣を携行する日本人女性像に対する憧憬の現象は、単なる一時的な関心に留まらず、日中両国の歴史的背景、ポップカルチャーにおける表象、現代社会におけるジェンダー観の変化といった多角的な要因が複合的に作用した結果として捉えることができる。
日本史において、刀剣は単に武具としての役割を超え、武士道の精神を象徴する文化的アイコンとしての地位を確立してきた。その精緻な意匠と鍛錬技術は、単なる実用品ではなく、精神性と美意識が凝縮された芸術品として認識されている。一方で、武士階級の女性においても、家を守るための護身術や、有事の際の戦闘能力が求められることがあり、薙刀をはじめとする武具を扱う女性武芸者の存在が歴史的に確認されている。これらの女性たちは、勇壮さと同時に、凛とした佇まいや内面の強さを兼ね備えた存在として、後世に語り継がれてきた。この歴史的背景が、刀剣と女性を結びつけるイメージの素地となり、中国のポップカルチャーにおける受容の基盤を形成したと考えられる。
近年の中国において、日本のアニメ、漫画、ゲームといったポピュラーカルチャーは広範な支持を得ており、その中で刀剣を操る日本人女性キャラクターが数多く登場している。これらのキャラクターは、卓越した剣術の腕前を持つことはもとより、多様な個性と背景設定が付与されている。例えば、冷静沈着な女剣士、強い正義感を持つ女武芸者、可憐な外見ながらも内に強靭な意志を秘めた姫君など、その類型は多岐にわたる。これらのキャラクター造形に共通して見られるのは、力強さと同時に、美しさや繊細さといった女性的な魅力が強調されている点である。また、伝統的な日本の衣装や風景を背景に刀剣を構える姿は、異国情緒と神秘性を喚起し、現実には存在し得ない幻想的な魅力を醸し出す。これらの表象は、中国の受容者にとって、単なるフィクションの範疇を超え、一種の理想像として認識される傾向にあると考えられる。
現代社会においては、伝統的な性別役割に拘束されず、自立した生き方を追求する女性像への共感が世界的に拡大している。中国においても例外ではなく、社会の多様化に伴い、強さと独立性を兼ね備えた女性キャラクターへの支持が高まっている。刀剣を携行する日本人女性キャラクターは、まさにそのような現代的な女性像の象徴として解釈される可能性が高い。男性的なイメージの強い刀剣を操りながらも、内面には優しさや信念を持つという二面性は、多面的な魅力として受容者に共感を呼び、憧憬の念を抱かせる要因となり得る。
中国と日本との間には、過去の歴史に起因する複雑な感情が存在する。しかし、特に若い世代においては、歴史認識とポップカルチャーに対する興味を分離して捉える傾向が認められる。日本のポップカルチャーが持つエンターテイメントとしての魅力、そしてそこに描かれる魅力的なキャラクターたちは、歴史的な背景とは異なる次元で享受されることがある。刀剣を携行する日本人女性キャラクターに対する憧憬も、このようなポップカルチャーの魅力の一環として理解することができる。
結論として、中国のポップカルチャーにおける刀剣を携行する日本人女性像への憧憬は、日本の歴史と文化に根ざした刀剣の象徴性、ポップカルチャーにおける多様かつ魅力的なキャラクター表象、現代社会におけるジェンダー観の変化、そして歴史認識と文化受容の分離といった複数の要因が複雑に相互作用した結果として生じた現象であると結論付けられる。これらのキャラクターは、強靭さと優美さ、伝統と革新性、そして自律的な精神を体現する存在として、中国の広範な層に受容され、独自の文化的アイコンとしての地位を確立しつつあると言えるだろう。今後の研究においては、この憧憬が中国社会のジェンダー観や国際認識に与える影響についても考察する必要があるだろうね。
転生したら世阿弥になっていた件とタイトル投げてバトル漫画指定したら、秒でそれなりに実用的に使えそうなストーリーを考えた。
タイトル: 転生したら世阿弥になっていた件 〜能楽剣舞の極意〜
あらすじ
現代日本で平凡な舞台演出家だった主人公が、事故に巻き込まれ目覚めると室町時代の少年・世阿弥になっていた。父・観阿弥とともに能を大成させるはずの運命だったが、異世界転生の特典として「能楽剣舞」という未知の技術を得る。足利将軍家や戦国武将たちが支配する動乱の時代、剣を執る運命へと導かれていく——。
転生特典として「能楽剣舞(のうがくけんぶ)」という戦闘技術を持つ。
観阿弥(父):
主人公に舞の奥義を伝授しながらも、戦いには関わらないよう諭す。
将軍として能楽を支援するが、主人公の剣舞に興味を持ち、戦場での利用を考える。
鬼夜叉(おにやしゃ)
世阿弥の剣舞に興味を持ち、命を狙いながらも彼の実力を認めていく。
バトルシーンの例
第一幕:観客を魅了する剣舞 能舞台での演目中、突如刺客が乱入。世阿弥は舞を止めることなく、刀を抜きながら優雅に舞い続ける。
「これは…能なのか、剣術なのか…?」 観客が息を呑む中、敵の斬撃を最小限の動きでかわし、しなやかな体捌きで一撃を浴びせる。剣の軌跡がまるで舞の一部のように美しく、敵は翻弄される。
第二幕:足利義満の試練 義満の命により、世阿弥は幕府最強の剣士と対決することに。相手は剛剣を振るう武士だが、世阿弥は能の「静と動」を活かし、見えない間合いからカウンターを決める。
しかし、戦の世界に深く関わることは世阿弥にとって破滅への道。能楽を守るため、剣を振るうべきか否か——葛藤が彼を襲う。
幽玄剣舞:動きを最小限にし、まるで幽霊のように攻撃をかわしながら一撃を放つ技。
花の一閃:剣の軌跡が花びらのように舞い、敵に死をもたらす一撃必殺技。
夢幻転生:能の「夢幻能」から着想を得た技で、敵に幻覚を見せる特殊戦法。
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能楽 × 剣術 × 歴史 × 異世界転生のバトル漫画、いかがでしょうか?
こんな感じで「能楽 × 剣術 × 異世界転生」のバトル漫画を考えてみました!もっと詳細なバトルシーンやキャラクターの設定を詰めていくのも面白そうですね。どう思いますか?
じゃあ、さっきの型にそれぞれ会話例をつけてみるね。
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「お、いい時計つけてんじゃん」
「昔、写真館やっててね…」
「めっちゃ詳しいっすよ。フィルムとか現像も自分でやってたらしい」
→ 時計 → 祖父 → 写真館 → カメラと話題がスムーズに流れる
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「暑いよな~」
「日陰入っても暑いし」
「風もぬるいしな」
「アイス食いたいわ」
「それな!」
→ 内容が特に発展しないが、気持ちが共有されることで満足感が得られる
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「〇〇くん、休み何してんの?」
「へえ、何観たん?」
「え、私も!〇〇さんも観てたよね?」
「うん、あれ泣いたわ~」
→ 司会役が次々と人を巻き込みつつ、話題をつなぐ
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会話というより"ネタ"を披露し、周囲が笑いを入れて盛り上げる。
「でな、信号待ちの時とか地面見てるから、アリの列ばっか気になるんよ」
「それ完全に虫目線やん!」
→ 一人がボケ、もう一人がツッコミ役を担いながら"場"を楽しませる
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「なになに?」
「乗った電車が逆方向でさ、次の駅で降りようと思ったら、なんか急行でさ、10分くらい停まらんくて」
「あるある!」
「それで着いた駅がめっちゃ田舎でさ、駅員さんもおらんくて、次の電車1時間待ちやってん…」
「最悪やん…」
→ 話し手のリズムが重要。興味を引けないと退屈になるリスクあり
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短くサクッと完結する一言会話。
「ちょっと聞いて」
「なに?」
「さっきファミマで買った唐揚げ、家帰ったらレジ袋に入ってなかった」
「うわ、つら…」
→ 会話は短いが、その場の空気を変えたり、次の話題のきっかけになる
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次々と質問を重ねて話を広げる。
「あー、キャンプですかね」
「へえ、どこ行ったん?」
「この前は山梨の方に行きました」
「装備とか揃えた?」
「基本ソロですね」
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「へえ~」
「わあ、うまそう」
「最高やん!」
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「あ、知ってる!〇〇ってとこでしょ?」
「でも混んでるらしいよ」
「やっぱ並ぶんかー」
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「いや、Androidの方がカスタマイズできるから便利でしょ」
「それはあるけど、バッテリー持ちとか考えたらAndroidやで」
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「この前、駅で面白いおじさんに遭遇してさ」
「お、どんな人?」
「なんか傘を剣みたいに持って『我は剣士なり!』って言ってたんよ」
「いや、やばいやつやん!」
「でもその後、雨降り始めたら普通に傘さして帰ってた」
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これ、型を組み合わせると意外と応用が効きそうやね。
相手の主張に対して、論理的に矛盾や誤りを指摘し、反論を展開する型。ディベートやネットの議論に見られがち。
「いや、それは極端やろ。カルシウムも豊富やし、筋肉の修復にも役立つし」
「それは"一部の人"の話やろ?ほとんどの人には栄養源として有効やん」
「うーん…まあ確かに」
→ ポイントは「ただ相手を言い負かす」のではなく、「相手が納得できる理屈」を提示すること。
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話題のきっかけを提供する役回り。ボケやツッコミの前段階として機能する。
「どんな?」
「え、麺がデジタルとか?」
「食べられへんやん!」
→ 話の本筋よりも「話題の種」をまくのが役目。ボケやツッコミが自然に発生するように流れをつくるのがカギ。
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