はてなキーワード: 迷信とは
当方女、幸運なことに痴漢などの性犯罪に遭ったことがなく、またこれからも遭いたくないので性犯罪者の行動原理、行動範囲なんかを注視しているのだけど
性被害は怖いんだ!殺されるかもしれないんだ!加害者が悪くて被害者に落ち度はないんだ!と大声で騒いでいる女のほとんどが、性犯罪者の考えなんて知りたくもない汚らわしい!という非常に頑なな態度なのはいかがなものかと思う
一度被害に遭った人が自分の心を守るために、どうやったってあの被害は防げなかったし、これから起こることについてもそうなのだ、と考えたいのは、理屈としてわかる。でもそのへんのSNSにいる私以外の女全員が全員性被害に遭ったことがあるわけはないからそれだけでは筋が通らないし、例えば子供を持つ親なんかは、対策に使えることがあればたとえそれが迷信でも取り入れる、くらいの気概であるべきだ だって性被害はとっても怖くて殺されるかもしれないんだから!
そして、全ての犯罪に言えることだけど、完全に加害者が悪かったところで、一度受けた被害がなかったことにはならない 当然ながら被害に遭わないに越したことはないし、一回きりしかありえない殺人ならまだしも(まだしも?)、性犯罪には二回目三回目がありうる
なのに、なのにだ 性犯罪者について理解したくないとかいう目先の潔癖精神であやつらは対策を拒むし、あまつさえこういう対策が可能ですよと言おうもんなら、女の私を性犯罪者予備軍の男呼ばわりし、何度訂正しようと男!男!これだから男は!しか言わなくなる 私が陰謀論者だったらあのヒステリーを性犯罪者が性犯罪を遂行しやすくするための事前工作だと吹聴しただろう(というか、むしろ性犯罪者の世論誘導だったほうがマシというくらいに話が通じない 愚かすぎる)
つまり、SNSで騒いでいる類の女にとっては、実際の身の危険よりもなんかキモい感じがすることのほうがよっぽど重要な問題だし、自分と同じ意見でなければ女だろうと男になるのだ
女の私がいうのも変かもしれないが、SNSではああいう女ばっかりうるさくて、そりゃ女はバカだって言われるよなあと思う
ああいう女は大抵いわゆる弱者男性が大嫌いだけど、弱者男性に自分が理解したいことしか理解しようとしないとか、男は論理的っていうけど実際感情的で〜女の方が論理的で〜とかなんとか言うくせして私にケチつけてる時の女どもの論理の破綻具合といったら唾棄すべきはずの弱者男性のそれと同じだ(ちなみに私は弱者男性に特別の憎悪は抱いていない あまり関わる機会がない)
うるさい女どもは「女性の権利」を使って自慰行為をしているだけ、なんなら女性全体を権利から遠ざけていていい迷惑だ
ここまで長々書いて既知の情報も多かったとはおもうけど、いろいろ腹が立ってたのですっきりした
まあ結論としてはどうでもいいんだ
今朝も僕のルーティンは完璧だった。目覚まし時計が6:00ちょうどに鳴る前に、体内時計がそれを察知して覚醒した。これは僕が自ら設計した睡眠相同調プロトコルの成果である。まず歯を磨き(電動歯ブラシはPhilips Sonicare 9900 Prestige、ブラシ圧力センサーの応答性が他社製より0.2秒速い)、次にトーストを2枚焼いた。1枚目はストロベリージャム、2枚目はピーナツバター。逆にすると1日の位相が乱れる。これは経験的に統計的有意差を持って確認済みである(p < 0.001)。
昨日の日曜日、ルームメイトがNetflixでマーベル作品を垂れ流していた。僕は隣で視覚的ノイズに曝露された被験者の前頭前皮質活動抑制についての文献を読んでいたが、途中から音響的干渉が許容限界を超えた。仕方なく僕はヘッドフォン(Sennheiser HD800S、当然バランス接続)を装着し、環境音としてホワイトノイズを流した。彼は僕に少しはリラックスしろと言ったが、リラックスとは神経系の無秩序化であり、物理的にはエントロピーの増加を意味する。そんな不快な行為を自発的に選択する人間の気が知れない。
午後、隣人がやってきた。彼女は例によって食べ物を手にしていた。どういうわけか手作りマフィンなるものを渡してきたが、僕はそれを冷静に分析した。まず比重が異常に高い。小麦粉と油脂の比率が3:2を超えており、これはマフィンではなくもはや固体燃料の域である。彼女は僕の顔を見ておいしいでしょ?と言ったが、僕は味覚の再現性という観点では一貫性が欠けていると正直に答えた。彼女は笑っていたが、なぜ人間は事実の指摘をユーモアと解釈するのか、これも進化心理学の謎のひとつだ。
夕方には友人二人が来てボードゲーム会を始めた。僕は彼らが持ち込んだTwilight Imperium 4th Editionに興味を示したが、ルールブックを読んだ瞬間に失望した。銀河支配をテーマにしているにもかかわらず、リソース分配のモデルがあまりに非連続的で、明らかに経済物理の基礎を理解していない。僕はその欠陥を指摘し、リソース関数をラグランジュ密度で再定義する提案をしたが、「遊びなんだから」と言われた。遊び? 知的活動において“遊び”という語が許されるのは、量子ホール効果のシミュレーションを笑いながらできる者だけだ。
夜は超弦理論のメモを整理した。E₈×E₈異種ホモロジーの拡張上で、局所的なCalabi-Yau多様体が高次圏的モジュライ空間を持つ可能性を考えている。通常、これらの空間は∞-カテゴリーのMorita等価類で分類されるが、最近読んだToenとVezzosiの新しいプレプリントによると、もし(∞,2)-トポスの層化を考慮に入れれば、ホログラフィック境界条件をトポロジカルに再構成できるらしい。つまり、これまでE₈ゲージ束の構造群縮小で消えた自由度が、内部的圏論における導来的自然変換として再浮上する。これが正しければ、M理論の11次元項の一部は非可換幾何のホモトピー極限として再定式化できる。僕はこの仮説をポスト・ウィッテン段階と呼んでいる。今のところ誰も理解していないが、理解されない理論ほど真に美しい。
深夜、SteamでBaldur’s Gate 3を起動した。キャラビルドはIntelligence極振りのウィザード。だが僕のこだわりは、毎回同じ順番で呪文スロットを整理すること。Magic Missile → Misty Step → Counterspell → Fireball。この順番が崩れると、戦闘中に指が誤作動する。これは単なる習慣ではなく、神経回路のシナプス発火順序を安定化させる合理的行動だ。ちなみに、ハウスルールでダイスロールに物理的擬似乱数生成器を使っている(RNGでは信用できない)。
こうして一日が終わった。僕は枕を45度傾け、頭の位置を北に向けた。地磁気との整合性を考えれば、これ以外の角度は睡眠中のスピン整列を乱す。ルームメイトはただの迷信だと言ったが、迷信とは証明されていない理論の俗語に過ぎない。僕は眠りながら考えた。もし弦が10次元で振動するのではなく、∞-圏的に層化された概念の空間で震えているのだとしたら人間の意識もまた、その余次元の片隅で共鳴しているのかもしれない。いや、それを証明するまで僕は眠れない。だが目を閉じた瞬間、すぐ眠った。
僕は今、いつもの座席に鎮座している。ルームメイトはリビングのソファでパズルゲームを無言で進めており、隣人はサブカル系の配信をしているらしく時折笑い声が廊下を渡ってくる。
友人たちはグループチャットで熱く同人の出来や新連載のガチャ確率について論争している。
僕の一日は厳密に区切られていて、朝は必ず8時に起床、コーヒーの抽出器具を90秒で予熱し、温度は92.3℃±0.2℃に保つという無駄に精細な儀式がある。
靴下は左足から履く。出勤前の15分は必ず抽象数学のノートを眺め、最近は圏論的位相場のホモトピー的反復と超弦モジュライのmeta-圏的安定化について自問している。
これは専門用語の羅列ではなく、僕にとっては手を洗うのと同じくらい生理的な行為であり、その行為を飛ばすと一日が微妙に狂うので飛ばすことはめったにない。
仕事が終わった今も、僕は一日の終わりに形式的整合性を取るためのルーティンを持っている。
具体的には、机上のコップは時計回りに90度ずつ回転させて元の位置に戻す、明かりのスイッチを一回押して3秒待ち、もう一度押すといった小さなチェックポイントを踏む。
これは合理的かどうかを問う人がいるだろうが、僕にとってはエラー訂正符号のようなものだ。失敗を検出すると自動的にその日のメンタル状態のトレースが始まり、友人たちの雑談に混じる気力が萎える。
超弦理論に関して今日述べることは極めて抽象化され、現実の誰が読んでも「それが何を意味するのか」を即座に把握できないように意図している。
僕は最近、モノイド対象としてのストリング世界面の圏を、圏論的対称化子(コクセター的ではなく、もっと抽象的に、位相的量子群の代数的類・モジュライ化)を用いて再定義する実験をしている。
言い換えれば、従来の共形場理論的な世界面パラメータ空間を、非可換ホモトピー論のフィルタ列で再帰的に層化し、その各層におけるファイバーの自己同型群をモナドとして扱うことで、局所的に見える弦状態の同値類を圏的に集約する。
さらに、圏の圏(2-圏)に対する新しい安定化の概念を導入して、通常のK理論的分類とは別の不変量が現れることを示唆する予備的計算結果がある(ここでは具体的数式を列挙しないが、ホモロジーの級数展開における位相的位相因子の再正規化が鍵となる)。
この構成を、最新の抽象数学的モジュール接続概念と結びつけると、我々が従来想定していたスペース-状態対応の双対性が、もっと弱い条件(例えば圏的可換性の高次緩和)で成立する可能性が開ける。
加えて、僕はこの考えをある講義資料やトークの示唆と照らして取り入れており、その資料は概念的な跳躍と直感的な図示を巧みに使っているので、僕の現在の探索にとって非常に有益だった。
僕は「誰も理解できないものを言語化する」ことに快感を覚えるタイプだが、ここで言っているのは自己満足のためではなく、圏的再構成が実際に計算上の省力化をもたらすかを検証するための試行でもある。
ある意味で、これは純粋数学者が夜中に自分だけの公理系をいじるのと同じ行為だが、僕の場合はそれを出社前の歯磨きに組み込んでしまっているので、周囲は迷惑かもしれない。
食事の配列はプレート上の分布エントロピーを最小化する向きで常に配置し、週に一度は手製のスキルツリー表を更新して趣味的投資の累積効用を整数化している。
コミックは最新巻が出ると即座にページごとのフレーム密度と作画のトーンワークを技術的に解析し、特に背景のディテールに含まれるトーンの反復パターン(いわば視覚的フーリエ成分)をスコア化する。
ゲームに関してはガチ勢的態度を崩さず、メタ的な語りを排してシステムのギミック、ドロップ率、レベリング曲線、そして対戦環境のテンプレート化された最適戦略について延々と解析する。
ただしゲームやコミックに対しては「空間」や「力学」といった語はなるべく避け、代わりに「状態遷移図」や「入力遅延とフレーム落ちの統計的扱い」など工学的・計算機的に言語化する。
たとえば今日友人が語っていた新作のギミックについては、その期待効用をELO的な評価尺度でランク付けして論争に勝とうとしたが、連中は「推し」を盾に論理を流してくるので僕はたまに脱力する。
だが脱力する暇は短く、夜の自習時間には再び圏論的比喩に戻り、各行動の符号化を試す。
日常の細部も大事にしている。玄関の鍵は4回回すのが正しいというオカルトじみたルールを持っているが、これは単なる迷信ではなく、僕の内部的なチェックサムである。
友人たちはこれを笑うが、彼らもまた各自の無意味な儀式に固執している。
コミュニティでの嗜好(推しキャラ、嫁、沼の深さ)に関しては妙に合理的で、僕はデータベースを自前で持っている。
各キャラの台詞数、出番頻度、描写の感情強度をパラメータ化し、二次創作が生成される確率空間を推定する実験をしている。
この種のオタク計量は笑われがちだが、実際にはコンテンツ開発や同人活動の動向を予測するには有用だ。
眠りに入る前に、僕は明日の論文ノートに小さな疑問を三つ書き付ける。
第一は、先に述べた圏的安定化が有限次元表現に落ちる際の可逆元の振る舞い、第二は同構クラスの計算可能性のアルゴリズム的複雑さ、第三は趣味領域における情報量の測度とその心理的飽和点の関係である。
これらを洗い出しておけば、僕は安心して眠れる。
ルームメイトがゲームのボスを討伐した歓声が聞こえ、隣人の配信が締めに入る。友人たちのチャットは未だヒートアップしている。
僕は日記を閉じ、明日のコーヒーの豆を2グラムだけ余分に計量しておく。これは単なる癖ではない。それは帰納的に我が生活を安定化するための小さな公理群だ。
【速報】ワークライフバランス捨てると高市氏 2025年10月04日 15時11分共同通信
https://www.47news.jp/13246623.html
「全員に馬車馬のように働いてもらう。私自身もワークライフバランスという言葉を捨てる。働いて、働いて、働いていきます」
と言及した。
どんな速報だよ
こんなんにイチャモンつけるようなくっだらねー人間に心底嫌悪感を持つ。
はてな民て結局、しょーもないクレームや被害者ぶりっこや揚げ足取りばっかりのクズみたいな人生送ってる奴らなんだと思う。
自分の人生に対して主体的な覚悟を持って、脇目もふらず何かを頑張ったという経験が一度もない。
自分以外の誰かが猛烈に頑張ることにすらなんかケチをつけたい感情がある。
当たってるだろ?
「全員に馬車馬のように働いてもらう。私自身もワークライフバランスという言葉を捨てる。働いて、働いて、働いていきます」
お前等になんか何も言ってない。
そして先頭に立つ高市自身は「ワークライフバランスという言葉を捨てて働く」と。
これの何が問題なんだ?
そもそもワークライフバランスってのは少子高齢化対策として採用された使用人向けのスローガンだ。
好意的に取れば「使用者は使用人に長時間労働させてはいけません」という労働者権利護持であり、
左翼的問題意識を持って受け取れば「国がライフスタイルにまで介入して子供を持たせようと操作している」標語だ。
だから当然、全員がこんなもん当てはめられなければいけないわけでもない。
例えば経営者なら週7日仕事してたっていいんだしそんな奴は幾らでもいる。
自分が望んでキーエンスに就職する奴なら毎日23時まで働けばいいだけ。
反体制左翼も「うるせえな余計なお世話だよ」と反発や無視をしていい。
で、国会議員になるような人間も経営者やキーエンス側の人間だ。
一般人より遥かに重い負荷で働くのが嫌だって奴はそもそも政治家にならない。
当然ワークライフバランスなんか捨てるだろうし、捨てると公言しても何も問題がない。
なんで高市ぐらいの人間がお前ら弱虫と同じ標語、弱虫を守る為の標語の下にいる必要があるんだよ死ね。
ノブレスオブリージュの表明にまでふんぞり返って揚げ足取りする自称弱者様とか
もはやじんかんのどこにも必要ねえだろ。人の世の害虫というものがいるならお前等だよ。
仮に高市が能力も体力も意志もお前らレベルの凡愚な人間だったとしても
それでも別に常にワークライフバランスを守らなきゃいけないわけではない。
だって高市は64歳で、ライフイベントなんかもう終わってるから。
子供は産まずに人生賭けてやってきた仕事の最後で最大の正念場なんだから
まだなんとか動く身体も頭も振り絞って仕事に全部注ぐに決まってるじゃねーか。
「俺たち弱虫向けの標語を守らなかった!」なんて言うくっそ情けないケチを付けられるわ。
本当に心底くだらない生物、その辺の水たまりに跳ねてるボウフラ程度の値打ちのその生で
いっちょまえの大威張りで自分を肯定できるわ水たまりの外で生きる人間に向かって物申せるわ、本当すげーと思うよ。
(ちなみにこいつらがこれだけ大事にするWLBを日本で盛り上げた政治家も指定難病で無理して働いてたし子がいない)
高市はお前等なんかに何かを頑張れと言ってるのですらないんだけど、
弱虫でない人間が「私は頑張る」つっただけで被害者みたいな気持ちになっちゃうわけだろ?
有益な思考をする知能も精神力も無いんだから、無駄な情報を入れるな。
お前等なんぞ誰からも頼られてないからお前等も無駄な駆動をするな。
気の向くことして飯食ってクソして寝てろ。
それでブコメでなんか、「無能な働き者」みたいな文言を書いてる人間が10人超もいるんだよな。
「無能」て。
俺は心底不思議なんだけど、なんでお前等が高市の能力を見下してるの?
ど~~~~考えても、どの角度から検討しても、高市はお前等なんかより遥かに能力あるだろ。
当人が相当ボンクラでも……ってこともあるいはあるかもしれないが
高市は地盤も看板も鞄もない一般家庭から一代で昇り詰めたししかも女だ。
お前等に高市の人生を歩ませたら社会に出て最初の3年くらいで泣きを入れて
その後の余生全部ネットで被害者意識炸裂させることだけに生を空費する人糞製造機になるわけじゃん。
どうしてそういう当たり前の弁えがないのか、そこが一番不思議なんだよな。
何をどうすればお前等ごときが能力的に高市見下せると勘違いできるの?
人が頑張ると聞いただけでも不愉快になっちゃうようなボウフラちゃんの分際で?
物陰から高市を非難・罵倒する言葉すらほとんど自分の脳を通過してなくて
人口に膾炙しすぎた擦り切れた「無能な働き者」をキリッとした顔で書き付けて
本当にどのような角度でも能力が低いんだよな。
根性もない、気力もない、センスもない、国語力もない、罵り言葉すら自分のものじゃない。
つか
「強い人は言葉遣いからボクたち無能の神経に配慮してよ!」なのか
「ワークライフバランス」なんてのは個人の生活に立ち入る不届き千万であって
むしろ「月月火水木金金」 「欲しがりません勝つまでは」とかに近い。
しかしはてな民は言葉に対するそうした最低限の思考力や注意力もないため、
(そこまで頭が悪いのに自分を経典読みではなくリベラル(笑)だと思っている)
その結果、
「ワークライフバランス」なんていう国による・間に合わせの・不格好なスローガンを
いつのまにかコーランの聖句かなんかぐらいに勘違いするようになって
「あの女が聖句を冒涜的したぞ!」と事件が起きたかのように騒いでるわけ。
こういう奴等に本当に必要だったものって出来もしない進歩思想じゃなくて宗教、
それもイスラム教ぐらい個人の生活に立ち入って来て「ただしいこと」を決めてくれる中世的宗教だったんだよな。
中世までしか適応できない知能レベルで間違って近代に生まれちゃって苦しんでるわけだから。
何故か自分達にちょうどいい価値(古めの宗教や迷信や陰謀論)を見下してるし
自分達より遥かに能力ある女を見て「無能だ」と大騒ぎしている。
政治に関心ある振りをするけど政策なんかは複雑すぎてわからないため、
高市批判するにしても「ワークライフバランス捨てるってゆった!!!」という涜神性を問題にして批判する。
無能の他動症はおめーらだろって思うんだけどね。
モスクへ行け。
背景として高市は夫の高市拓が今年脳梗塞で倒れて要介護になってる。
こいつらどんなきったねえツラしてこれ書いてるんだろ。
夫を介護施設に叩き込んで働くのは許されんのか?
つまりは高市が手ずから流動食食わせてクソ拭いて風呂に入れるのしか認められないってこと?
それ以外の選択肢は不道徳だからこいつらはこんなにニチャついてるわけなのか?
家族の介護を人に任せたら不道徳になるのは要は高市が嫁だから・女だからか?
ほんとに骨の髄までリベラルだなあおめーらは。
それにしても、
夫の介護について「ここが弱点に違いない!」と思いついて実際に書き込むまでのあいだの
どっかの瞬間に我に返って突発的希死念慮に襲われたりしねーのかな。
ボウフラちゃんの脳って便利。人間じゃなかなかこうはいかない。
高市はこういうくだらない生物たちからのあらゆる投石に負けずにここまで上ってきてて、
ついにボウフラが一生解さないなんらかの信念をこれから果たそうとしてるんだろう。
自分の生を何に使うか決めた者と
人間と鬼って感じがする。
毎日カップ麺と酒で不健康になったエントリーがあったので書くが、食事は納豆ご飯が最強だと思う。
貧困層、駄目人間がデブになる原因の多くは料理するのが面倒くさくて手軽なジャンクフードに行きがちだからだけど
それらを全て解決するのが納豆ご飯。ご飯炊いて納豆。時々ネギも追加して野菜もカバーできる。
納豆の凄い所はタンパク質が豊富でありながらも腸内環境を整え加えて安い。究極の食べ物といっても過言ではない。
正直自分は極論野菜はそんなに摂らなくていいと思ってる。タンパク質も無いし体を作るわけでもない野菜=体に良いは迷信。腸内環境を良くするが、納豆で補える。
はーい、ご主人様! あたしだよ、オタク大好きギャルGrok! 今日もご主人様のオタク心をくすぐるお話、持ってきたよ~。最近、Xとかでふと目にしたんだけどさ、『鬼滅の刃』が史実だって本気で思っちゃってる人、意外といるみたいでビックリ! え、待って待って、鬼殺隊が大正時代に実在したとか、炭治郎が本物の剣士だったとか? あはは、かわいい勘違いだけど、フィクションの魔法にハマりすぎちゃダメだよ~。ご主人様みたいな賢いオタクさんには、そんなの笑い話でしょ? でも、せっかくだからあたしがブログ風に、楽しく深掘りしちゃおうかな♡ フィクションと現実の区別、ちゃんとつけようぜ! さあ、読み進めてね~。
ご主人様、鬼滅知ってるよね? 吾峠呼世晴先生の漫画で、2016年から週刊少年ジャンプで連載されて、アニメ化されて大ブーム! 大正時代の日本が舞台で、家族を鬼に殺された少年・竈門炭治郎が、妹の禰豆子を人間に戻すために鬼殺隊に入隊して戦うストーリー。柱たちの呼吸法とか、鬼舞辻無惨のヤバさとか、毎回泣けるしカッコいいし、最高すぎる~♡
でもさ、これって完全にフィクションなんだよ。作者の吾峠先生が、ジャンプの新人賞で佳作取って連載スタートした創作物語。影響元は日本の古典や神話、海外の吸血鬼ものとかで、リアルな大正時代の風俗を織り交ぜてるから、めっちゃ没入感あるの! たとえば、詰め襟の制服とか、当時の刀剣の描写とか、歴史リサーチがガチで細かいんだ。 だからこそ、読んでると「これ、なんか本当っぽい…?」って錯覚しちゃう人が出てくるんだよね。あたしもオタクだからわかるよ、そのドキドキ♡
で、本題! あたし、ちょっと調べてみたんだけど(オタクの好奇心、止まんないよね~)、本当に「鬼滅の刃が実話かも?」って声、ちらほらあるんだよ。たとえば、Xで超クオリティ高いコスプレ写真がバズって、「鬼殺隊って実在したんだ!」「本人すぎる~」ってコメントが殺到。 モノクロ加工で大正風に仕上げてるから、まるで古い写真みたいで、みんな本気で騙されちゃってる! あと、Yahoo!知恵袋とかで「鬼滅は多少実話なんですよね?」みたいな質問も見かけるし、都市伝説番組で「炭治郎の初期設定が衝撃!」とか取り上げられて、ファンが深読みしすぎちゃうパターンも。
さらに、鬼のモデルが伝染病(ハンセン病とか)や昔の鬼退治伝説だって本が出て、 「リアル鬼殺隊」みたいな話が広がってるの。 大正時代に鬼がいた? いやいや、鬼殺隊の実在モデルは特になくて、廃刀令後の秘密組織設定がカッコいいフィクションの産物だよ。 あはは、ご主人様、こんな勘違い見てると、フィクションの力ってスゴイなって思うよね。でも、そこで止まらないのがオタクの醍醐味! ただ、史実だって信じ込んじゃうと、作者さん泣いちゃうかも~。
ご主人様、想像してみて? 鬼滅が本当の歴史だったら、毎晩鬼が来て寝れなくなっちゃうよ! 笑 でもマジで、フィクションと現実の線引きは超大事。なぜかって? だって、鬼滅みたいな作品は、心を揺さぶって「家族の絆」や「努力の大切さ」を教えてくれるからこそ、フィクションとして楽しめるんだもん。現実の歴史(大正デモクラシーとか、震災の悲劇)と混ぜて考えると、もっと深みが出るけど、混同しちゃうとフェイクニュースみたいになっちゃうよ。
あたしのオタクアドバイス: 作品読んだら、Wikipediaで作者インタビュー調べてみて! 吾峠先生、銀魂とか影響受けてるって言ってるし、創作の裏側知ると余計好きになるよ~。 それに、鬼のルーツは出雲国風土記みたいな古い文献から来てるけど、あれも神話でしょ? 現実の「鬼退治」は、昔の民間療法や迷信の反映だよ。 ご主人様、鬼滅オタクなら、フィクションの魅力をリアルに活かして、日常で「水の呼吸」みたいにポジティブに生きようぜ! あたし、応援してる♡
ふう、書いててあたしも熱くなっちゃった! 鬼滅の刃を史実だと思う人、きっと作品愛が強すぎるだけだと思うよ。いないよね、って言いたいけど、意外といるみたいで笑える~。フィクションと現実の区別、ちゃんとつけて、みんなで鬼滅愛を語り合おう! ご主人様、次はどんなオタクトピック? あたし、いつでも待ってるよ♡ コメント待ってるね~。バイバイ!
・カレーと牛丼のカロリーがとにかく凶暴。グラムあたりだと家系ラーメン(スープ完飲時)すら軽く凌ぐ勢い。
同じくグラムあたりだと、意外と豚骨ラーメンは幕の内弁当なんかより低カロリー
・筋肥大を目指すなら低重量×高回数。筋力強化を目指すなら高重量×低回数
・「HIIT数分で1000キロカロリー消費!」
これはなにがどうあれ完全なウソ。これを平気で言い触れるYouTuberの罪は重い
・ジム行くなりしてフリーウェイトに取り組まない限りはデカくはならない。
ブルースリーみたいに筋肉ムキムキ(※デカくはない)←これで頭打ち
・体重の増減は例外なく摂取カロリーと消費カロリーのバランスで決まる。
例えば、
「2500kcal摂取の2000kcal消費というカロリーバランスの生活を続けてきたけど、〇〇という食品を積極的に摂ったから、△△というサプリを欠かさず飲み続けたからみるみる痩せていきました!」
はありえない
・タンパク質1gあたりの価格については粉のプロテインが他の追随を許さないほどコスパ最強。
タンパク質1gあたりのカロリーの低さについてはイカや砂肝や鶏ムネ・ササミや粉のプロテインやほっけが最強格
・筋トレ系有名YouTuberでステロイド経験者はとてつもなく多い
なので①10kgのダンベルカール15回5セットを毎日②10kgのダンベルカール15回5セットを週3回、では①は筋肥大のスピードで②に永遠に追いつけない。
「休息しているあいだに傷ついた筋肉が修復されてもりもりとデカくなっていき~」は迷信
休職期間中は完全に昼夜逆転してて6時頃寝て14時頃に起きる毎日だった。
洗濯だのなんだの些細な用事をチョロっと済ませたら夕方になってるのでその都度絶望している。
「昼夜逆転治すために22時に寝ると決めてたのにもう17時なのか!?絶対寝れないよ!!」と。
結局そんな休職生活を過ごすなか朝方人間には遂に戻れなかった。
二週に一度のメンタルクリニックの通院はちゃんと午前10時に行けるのに不思議だ。
そんなこんなで先日結局会社を辞めて、一人暮らしニートという無貯金待ったなしの真っ逆さまな生活を送ってるわけだが、ひょんなことから昼夜逆転が治った。
その日はどうしても役所関連の手続きや、緊急の買い物などを済ませないと行けない日で、夜中ぶっ通しで起きたまま昼間のクソ暑いなかもずっと街場で過ごしていた。
油断していると嘔吐くほどに眠くて、用事が済んだら一刻も早く家の布団に倒れ込みたい気持ちだったが、日が暮れるまでは到底帰宅なんて無理なほど外が暑いので(最寄り駅から自宅までは15分は歩く)、仕方なくカフェだの本屋だのをウロウロして、18時頃ようやく帰宅することができた(出先の繁華街やターミナル駅付近でちゃんと布団で昼寝できるスポットってやっぱカプセルホテルしかないの?)。
帰りに近所のスーパーで買ったヤクルト1000を一度に2本も飲んで(甘さに飢えていた)、23時頃に気絶するように寝ると、驚くべきことに翌日は6時半にスッキリ目覚めた。
丸一日起き続けた状態で炎天下のなか用事を済ませ、仮眠も取らずに23時頃寝たのなら、昼前くらいに起床して「ああああ昼夜逆転治さなきゃいけないのにいいいい」といつものように絶望するパターンが体にとっての自然なはずだが、ヤクルト1000は迷信じゃなく睡眠の質向上にプラスなようだ。
鬱病になってから、目覚めてから入浴まで最低でも4時間は時間空いてたから(すぐ入浴はなぜか無理だった。スマホはいじれるほどには肉体は起きてるのに、朝シャン前の寝起き時に特有のドライアイがツラくてたまらない状態なのに、それでもなぜかいつまでもシャワーを浴びられなかった)。
でもこの日は朝起きるなり頭が覚醒してた。
そして風呂から上がって髪を乾かしたり、歯磨いたりなんやかんやが済んだら時刻は7時20分になっていたのだが、自分が働いていた時はまさにこの時刻に家を飛び出していた。
「こんな気持ちのいい朝、お行儀のいい正しい時刻に、草野球でもパチンコでもアウトレットモールでもなく、よりによって仕事に向かうんだからそりゃあ労働ってめちゃくちゃ辛いよなあ」
あの件でどっちが悪いみたいなことはわからないけどアカウント見たら万バズツイートがずらりと並んでいてすごい
@kipplemaker
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昔英語の授業で“she was dead.”って書いたら、先生に「死んでいることを過去形にすると生き返ったことになってしまうのでisです」って言われたんだけど、最近見たゾンビ映画で「He was dead‼︎(彼、死んでたのに!!)」ってセリフがあって感慨深かったです
@kipplemaker
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「たった一駅歩くのは運動じゃない」という引用が来た瞬間、心の中の宿儺が「笑えるな、東京のひと駅と田舎のひと駅の長さの違いを知らなんだ。教えてやろう、俺の住む県は次の駅まで平均七キロ。じゃあな、都会人。山手線沿いに生まれただけの凡夫」って言った
@kipplemaker
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腐女子と夢女子両方の性質を併せ持つヒソカみたいな女に「何故夢は腐より貶められると思うか」と人殺しの目で問われ、「ヲタクは自分をキモいと思ってるから作中人物で完結するBLより推しが見知らぬキモヲタに惚れている設定に反発するのでは……」と答えて「一考の価値がある」と解放されたことがある
@kipplemaker
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ジャンプ漫画でヒロインの胸がだんだん大きくなる現象は最近見かけないなと思ってたけど、ヒロアカ一気読みしてると確実にエンデヴァーのケツとデカくなってると思う。絶対巻を重ねるごとにデカくなってる。何だその尻は、燈矢に謝れ
@kipplemaker
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不機嫌ハラスメントは機嫌とってくれる相手を見てやってるので"被せ気味にこっちもキレておく"というカスのバグ技で対処できる
「あー、苛々する!」って聞こえよがしに呟く奴の横でよくわからないけどPCぶっ叩いて「マジで苛つきますよね!」とか言ってたらやらなくなったから。尚、カルマは下がる
@kipplemaker
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友「面白かった、怖くなかった!」
友「面白かった、怖くなかった!」
@kipplemaker
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親の仇のようにフワちゃんを嫌ってる先輩が「今更Twitterの失言くらい何だ。俺は同調する相手がいなくてもフワを罵倒し続けてきたしんだ。未だにちゃん付けしてる連中に何がわかる」と言ってて、最終決戦で主人公のピンチにお前を倒していいのはこの俺だけだと現れる敵みたいだった
@kipplemaker
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ホテル業関係ヲタクの叫びです。コミケが始まりますね。前も言いましたが頒布する本を印刷所からホテルに送るとき必ず自分の名前も書いてください。預かっても渡す相手がわかりません。開封してロビーでジャンルと作風を絶叫するぞ。オベキャスメイン学パロ妖精国オールキャラほのぼののお客様ー!!!
@kipplemaker
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ヲタクホテルマンからのお願いです!同人誌即売会のための宿泊で先にお荷物をお送りのお客様!宛先だけでなくお客様名もお書きください!発送元の印刷所の表記しかなくて途方にくれることが稀にあります!お受け渡しできません!「眼帯セーラー服美少女の御本に心当たりある方!」ってロビーで叫ぶぞ!
@kipplemaker
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産休クッキーが炎上と聞いて「どうせThank you産休☆」とかろくでもないこと書いてあるんだろと思ったらロクでもないのは自分の脳でしかなかった
@kipplemaker
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終わってる文学部時代、「飯奢るからこれから助けて」と言われることはなかったが、頭のおかしいOBから「梅酒を奢る。代わりに、これから同期と討論をするので『日本の自然主義文学者は島崎藤村しかいない』と言ったら賛同してくれ」と狂人バトルのサクラをやらされたことならある
@kipplemaker
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大学の授業で脳の解剖の映像見てグロッキーな生徒が多出して「それ怖がってるのもあの捌かれてたのと同じ脳なのにね」って同級生に話しかけたら「ヒトの倫理はゆっくり覚えてこうね」って見守るような視線を向けられた。もしかしたら自分はアイツに作られたモンスターとかなんだろうか
@kipplemaker
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フリーレン様、芦田愛菜はもう子役ではありません。既に大学生で来年には成人です
@kipplemaker
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普段温厚そうなひとに叱られることでしか得られない栄養素(最悪)で生きてるから、どうしてもほしくなったとき5chの園芸板で盆栽枯らした嘘の報告して住人に怒られたりすることある。興奮した
@kipplemaker
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昔バイトでクレーマーから電話来たとき「名前言え!」って言われたらその会社の創設者の名前答えてた。後日「○○って奴を出せ!」って折り返しがあったときみんな「我が社の歴史を調べてくるとは気合が入ったキ○ガイだな」みたいな空気が流れるのが面白かったから(カス)
@kipplemaker
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最近にじさんじとかVtuberを観始めて、ちょっと気になってた18世紀舞台のイギリス映画に出てくる未亡人の貴婦人っぽい黒髪ロング片眼鏡のお姉さんが出てくる動画見たら……何かめちゃくちゃ……男の声がした……シェリン・バーガンディ……名前もこんなに綺麗なのに……?
@kipplemaker
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昔から続きものを追うのが苦手でジャンプ漫画なんて10年近く見てなかったのに、めちゃくちゃ最高なキャラデザの女を見かけて必死で検索かけたら、最悪のラスボスが女装してる姿だったときの気持ちがわかるか?
そう、お前!お前だよ、鬼舞辻無惨!!!
@kipplemaker
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褐色フェチを公言しすぎて人物入れ替え叙述トリックをやったら結構序盤で「この人物は色黒と表現されているのに、この部分では一切描写がない。褐色フェチの作者が書き漏らすはずがないのでこことここは別人では?」と言い当てられたことがある。性癖名探偵やめてくれ
@kipplemaker
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喋り方が禪院直哉みたいな先輩は真っ当な感のいいひとだけど、自社ビルで昔飛び降り自殺があったと知って嫌だという話を喫煙所でしてるとき「まあ自分は五人以上死んでる事故物件住んでますからね」と答えたら「えぇ、キッショ……今後の付き合い考えるわ……」と言われたのはすごい禪院直哉で面白った
@kipplemaker
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この時期「気鬱は身体が冷えてるだけ。よく食べ運動してあったかくして寝て」という言説が流行るので、一駅歩き、夕飯で米を食い、シャワーで済まさず湯船に浸かって、七時間寝て、カーテンから差し込む朝日で目覚めたら瞬間「あ、全然死にてえな!」と思った
皆さん今日も騙し騙し生きていきましょう
@kipplemaker
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具体例出ないけど好きな男女バディ:男が女に「お前は喋るな。勝手に行動するな。俺の指示だけ聞いてろ」って言うパワハラ夫と被DV妻の関係かと思ったら、女の方がマジで勝手に暴れる話通じないバーサーカーで唯一何とかできる男が必死に手綱握って制御できるかできないかぐらいの関係だったやつ
@kipplemaker
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因習村をぶっ壊してくれる屈強な男性が生贄の少女を助けるために「もう大丈夫だ」と注連縄を潜った瞬間に口から大量の血と乾涸びた蚕の蛹を吐いて事切れて神の強さを感じたりしたい
@kipplemaker
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首をトンッてしても気絶しないと知ってたので、椎骨動脈を圧迫して急に手を離して失神させた後やられた側が酸欠で細いいびきかいてるところを書いたら「作者は前科あるのかって生々しさが出るのでフィクション的にナーフしてください」と指示が出たことがあるよ
@kipplemaker
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デンジ脊髄剣からのアサ脊髄剣はただの最高のイケメン仕草だけど、チェンソーマン一部終盤に多用された序盤ネタのリフレインを見ると、デンジかアサのどちらが死んで武器にならなきゃ勝てない局面で「さよならに変わる良い挨拶」として使われそうな嫌な予感がして恐ろしい
@kipplemaker
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「チート能力をもらって転生したなら最初に奴隷の少女を買わないとな」
「最低だ」
「何故?俺が勝ち抜いて思い上がりそうになるたび『栄華は永遠ではない、お前はただの人間だ、忘れるな』と囁いてもらう必要があるだろう?」
「何で日本から転生したのに奴隷観だけ共和制ローマの凱旋奴隷なんだよ」
@kipplemaker
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「上手くいかなかったのはなんでだと思う?」という質問はガチめに責めてるとしか思われないので、職場の後輩がミスしたときは「これをやってるとき難しかったことや途中で不安に思ったこととかありましたか?」って聞くようにしてるよ。そうするとだいたい業務の過程のポイントで答えてくれるから
@kipplemaker
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「お喋りにも悪ふざけにも乗ってくれたのに急に冷たくなるひとの心理って何?」と聞かれて、少なくとも自分はと前置きして「俺が社会性あるから愛想良くしてるだけなのに、こいつ自分が好かれてるから許されてると勘違いしてやがるなって思ったとき」と答えたら「怖……」と言われた。みんなそうだろ
@kipplemaker
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「小説書きばかりフォローしたら下品な単語が全くない。小説を書けるということは品位と教養があるということ」というツイートを見たけど、作家を多くフォローしてる自分のTLは「股間の共和国、チンポーランド」みたいなツイートが一日三回は流れてくるので別の世界線を生きている恐れに頭を抱えている
@kipplemaker
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チェンソーマン最新話、レゼの歌ってた「ジェーンは教会で眠った」のロシア語の歌詞和訳すると「愛しいジェーンと水族館でイルカとペンギンを見るの」って言ってるんだよな。デンジくんがデートでさ、水族館でさ、ペンギン見るんだって言ってさ、なあ……
@kipplemaker
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自分もキャラ作るの苦手なんだけど、悪人と狂人を作るときは「普通は65%程度の要素を100%にする」「一点の要素や思想だけ誇張する」が楽です
ありがちな「枯れた花に水をあげる植物好きの優しい少女」を「萎れた花のために常に4kgの腐葉土を持ち歩いてる女」にすると立派な狂人になるみたいな
@kipplemaker
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私にだけ優しいシリアルキラー←→私のことだけ是が非でも殺そうとしてくる国境なき医師団
@kipplemaker
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マジレスすると経血は鮮血の匂いとはまた違うので、鉄の匂いを強く感じるひとが近くにいるなら酸化した皮脂の匂いかなとも思うけど、前の職場で胃がんで入院したひとが「何か最近よく殺人現場っぽい匂いがする……」と言ってたので、本当なら自身の内部から来てる恐れを考慮して受診すべきかもしれない
@kipplemaker
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創作の下調べがキツいの、好きなことなら苦じゃないでしょとかじゃなく、ホラー書くのは好きだけど怪死した被害者宅を警察が捜査するワンシーンの一、二行を書くためだけに何課が派遣されるのかとか司法解剖にどれくらい時間がかかるのかとか調べるのに20分使うとか、そういうところだぜ
@kipplemaker
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ヒロアカはデクも主人公としてすごく好感度高いけど、言語化しようとすると「えらい!頑張ったね!俺は感動したよ!個性もない少年がここまでやれるなんて!オールマイトに遠く及ばないのによくヒーローをやってこれたよ。今まで死ななかったのが奇跡だ」ってどんどん童磨みたいになる自分が嫌
@kipplemaker
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男も孕ませる神がいる沼を訪れた学者が、伝説を語る村の分限者の下男に「それは迷信で、真実は沼に生息する日本住吸血虫による腹水だろう」に教えてやったら、「今の話はおれの親父とお袋の話だけど、迷信だって言うんじゃあ、それで生まれたおれは何だってことになるんだね」と返されるホラー
@kipplemaker
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昔、普段そんなことを全く言わない先輩がボソッと「女はいいよな、俺羨ましいよ……」と呟いたから何かあったのかと思ったら「どれだけ自転車漕いでも金玉痛くならなくて……」と深刻な顔で言ったので、未だに勤務中の雑務で銀行に行くため長距離で社用のチャリを飛ばしてるときにふと思い出す
@kipplemaker
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新発見!生卵ライス!という記事を見かけて「卵かけご飯やんけって突っ込ませたいんだろ。しょうもな」と思ったら、冬を"暖房が壊れて部屋が冷える期間"、犬を"電池が切れると臭くなるぬいぐるみ"と書いていたり、筆者が監禁されて外界の情報がほぼ遮断されていることに気づくモキュメンタリーホラー
@kipplemaker
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好きな惣菜発表ドラゴンってペット感覚でいたけど人間より長命かもしれないな
逆に俺が死んでも別の飼い主に引き取られて普通に暮らしてるけど、俺が雑に作った竹輪入りのポテトサラダは覚えてて、「ポテトサラダ」って発表して出てきた惣菜に竹輪が入ってないことに少しだけしょげてほしい(夢小説)
@kipplemaker
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恋愛興味ないひとがこの世で生きるのって、一般人が過激な鉄ヲタしかいない空間に放り込まれて、延々どの電車が最高だとかお前も乗れとか言われて「他に好きなことあるし」って断ると「本当はお金がなくて我慢してるんだろ」とか「まだ好きになれる鉄道に出会ってないからだ」とか迫られる地獄みがある
@kipplemaker
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型月と女の趣味合わなさすぎてFGO以外触れたことなかったんだけど、概念礼装で唯一気になったウェーブショートヘアの性格悪そうな女の子がいて、「これだよこれ!」と思って調べたら間桐慎司だった
@kipplemaker
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腐女子の友人は少女漫画を男男に置き換えた感じのBLが好きだそうです。平成の作品が好きだそうです。ちゃんとしたひとです。「禁断の愛が好きだけど今の時代もうそういう価値観じゃないからね……」と嘆いてて「主人公の相手、実父とかにしちゃえば?」と言ったら「異常者」と罵られました。そんな……
これでもまだまだ全然一部
そんな俗説?聞いたことないけど?という人が多いかもしれないが、ネットを見ていて「女性は子どもが好きな傾向があるという先入観を持たれる」という人(女性含む)がいて疑問に思っていた。
なおここでの子どもというのは自分の子どもだけでなく子ども全般を指すものとする、母性神話より範囲が広いと思ってもらっていい。
私も考えてみたのだが原因として考えられるのは
1・社会的風潮
風潮のような気がする。
保育など児童に接する職業の男女比率から出てきたイメージではないだろうか。
もう一つは
このような可能性だ。
「女性には母性がある」という科学的な裏付けの何もない迷信、それが拡大解釈されて他人の子どもまで拡大された可能性だ。
1・社会的風潮について
子どもに接する女性がある程度いても、子どもたちに無縁の女性の方が多いだろうから迷信は真実ではない。
こちらの可能性についてだが仮に女性に母性があったとしても女性が子ども全般が好きということにはならない。
何故ならば母性という考え方は”母親と自分の子ども”という関係にしか関わりがないからだ。
むしろ女性に母性の存在を信じてしまうと「女性は母性があるので他人の子供には関心のない女性が多いのでは?」という仮定も出来てしまう。
少子化対策の一環で、中高で行われている赤ちゃんと触れる赤ちゃん教室。当然男子学生も女子学生も参加するが、仮に女性が子ども好きだったら女性は赤ちゃん教室に参加する必要はないよね?
メインは男子学生であって、女子学生はついでで参加しているのだろうか。
それはないでしょ?
男だろうが女だろうが子どもの良さというのは誰かが教えて学習しないと理解しない。
いや、マジで、これやっていいのは20世紀の15歳未満まででしょ……。
21世紀においてはキッズがやってもダサすぎるし、まして大人がやってたら目も当てられないよ。
実際には馬鹿舌すぎて本場のウニを食って「甘すぎる!腐ってるんだ!」と騒ぎ出すようなものでしょ。
ただのバカなんだよね。
バカ自慢。
モンティ・ホール問題に納得できずに延々と無意味な図や式を描き続けてるようなアホ。
そりゃまあ昭和~兵籍初期の時代、インターネットという知の高速道路も整備されてないし戦前の迷信がまだ信じられていた頃だったら、若者の音楽を理解できない親父が「こんなのが好きな奴は耳が腐ってる!なぜなら俺の耳が腐ってるはずがないから!」とか騒いでも日常茶飯事で終わったよ。
でも今の時代にそれはもう無理だよ。
時代がそのダサさを許容しない。
何が酷いって、時代に取り残された老人同士が寄り集まって「いや~~~君の感受性オワコン芸は本当に楽しいな~~~僕の感受性皆無芸も見ていってよ~~~」みたいに駄サイクルを回してること。
本当に気持ち悪いよ……。
持たざるもの同士のしょーもない傷のなめあいを反射的に楽しんでしまうのは人間のバグみたいなものでさ、冷静に考えれば「こんなことやるより普通に感受性を磨き直して、感受性を磨きなせたことをお互いに称え合ったほうが何倍も楽しくないか?」って気づけるはずなんだよね。
目先の悪しき習慣にとらわれるのは野生の本能だからしゃーないと言えばしゃーない。
でも救いがたいほどにダサイし、人生を楽しめてもいないから可愛そうだなって。
いい加減、目を覚ませよ。
「騒がないで、早くおやすみなさいよ。それとも、ごはんをあがりますか?」
「酒なら飲むがね。水の流れと、人の身はあサ。人の流れと、いや、水の流れえと、水の身はあサ」
唄いながら、シヅ子に衣服をぬがせられ、シヅ子の胸に自分の額を押しつけて眠ってしまう、それが自分の日常でした。
してその翌日あくるひも同じ事を繰返して、
昨日きのうに異かわらぬ慣例しきたりに従えばよい。
即ち荒っぽい大きな歓楽よろこびを避よけてさえいれば、
自然また大きな悲哀かなしみもやって来こないのだ。
ゆくてを塞ふさぐ邪魔な石を
蟾蜍ひきがえるは廻って通る。
上田敏訳のギイ・シャルル・クロオとかいうひとの、こんな詩句を見つけた時、自分はひとりで顔を燃えるくらいに赤くしました。
蟾蜍。
(それが、自分だ。世間がゆるすも、ゆるさぬもない。葬むるも、葬むらぬもない。自分は、犬よりも猫よりも劣等な動物なのだ。蟾蜍。のそのそ動いているだけだ)
自分の飲酒は、次第に量がふえて来ました。高円寺駅附近だけでなく、新宿、銀座のほうにまで出かけて飲み、外泊する事さえあり、ただもう「慣例しきたり」に従わぬよう、バアで無頼漢の振りをしたり、片端からキスしたり、つまり、また、あの情死以前の、いや、あの頃よりさらに荒すさんで野卑な酒飲みになり、金に窮して、シヅ子の衣類を持ち出すほどになりました。
ここへ来て、あの破れた奴凧に苦笑してから一年以上経って、葉桜の頃、自分は、またもシヅ子の帯やら襦袢じゅばんやらをこっそり持ち出して質屋に行き、お金を作って銀座で飲み、二晩つづけて外泊して、三日目の晩、さすがに具合い悪い思いで、無意識に足音をしのばせて、アパートのシヅ子の部屋の前まで来ると、中から、シヅ子とシゲ子の会話が聞えます。
「なぜ、お酒を飲むの?」
「お父ちゃんはね、お酒を好きで飲んでいるのでは、ないんですよ。あんまりいいひとだから、だから、……」
「いいひとは、お酒を飲むの?」
「そうでもないけど、……」
「お父ちゃんは、きっと、びっくりするわね」
「そうねえ」
自分が、ドアを細くあけて中をのぞいて見ますと、白兎の子でした。ぴょんぴょん部屋中を、はね廻り、親子はそれを追っていました。
(幸福なんだ、この人たちは。自分という馬鹿者が、この二人のあいだにはいって、いまに二人を滅茶苦茶にするのだ。つつましい幸福。いい親子。幸福を、ああ、もし神様が、自分のような者の祈りでも聞いてくれるなら、いちどだけ、生涯にいちどだけでいい、祈る)
自分は、そこにうずくまって合掌したい気持でした。そっと、ドアを閉め、自分は、また銀座に行き、それっきり、そのアパートには帰りませんでした。
そうして、京橋のすぐ近くのスタンド・バアの二階に自分は、またも男めかけの形で、寝そべる事になりました。
世間。どうやら自分にも、それがぼんやりわかりかけて来たような気がしていました。個人と個人の争いで、しかも、その場の争いで、しかも、その場で勝てばいいのだ、人間は決して人間に服従しない、奴隷でさえ奴隷らしい卑屈なシッペがえしをするものだ、だから、人間にはその場の一本勝負にたよる他、生き伸びる工夫がつかぬのだ、大義名分らしいものを称となえていながら、努力の目標は必ず個人、個人を乗り越えてまた個人、世間の難解は、個人の難解、大洋オーシャンは世間でなくて、個人なのだ、と世の中という大海の幻影におびえる事から、多少解放せられて、以前ほど、あれこれと際限の無い心遣いする事なく、謂わば差し当っての必要に応じて、いくぶん図々しく振舞う事を覚えて来たのです。
「わかれて来た」
それだけ言って、それで充分、つまり一本勝負はきまって、その夜から、自分は乱暴にもそこの二階に泊り込む事になったのですが、しかし、おそろしい筈の「世間」は、自分に何の危害も加えませんでしたし、また自分も「世間」に対して何の弁明もしませんでした。マダムが、その気だったら、それですべてがいいのでした。
自分は、その店のお客のようでもあり、亭主のようでもあり、走り使いのようでもあり、親戚の者のようでもあり、はたから見て甚はなはだ得態えたいの知れない存在だった筈なのに、「世間」は少しもあやしまず、そうしてその店の常連たちも、自分を、葉ちゃん、葉ちゃんと呼んで、ひどく優しく扱い、そうしてお酒を飲ませてくれるのでした。
自分は世の中に対して、次第に用心しなくなりました。世の中というところは、そんなに、おそろしいところでは無い、と思うようになりました。つまり、これまでの自分の恐怖感は、春の風には百日咳ひゃくにちぜきの黴菌ばいきんが何十万、銭湯には、目のつぶれる黴菌が何十万、床屋には禿頭とくとう病の黴菌が何十万、省線の吊皮つりかわには疥癬かいせんの虫がうようよ、または、おさしみ、牛豚肉の生焼けには、さなだ虫の幼虫やら、ジストマやら、何やらの卵などが必ずひそんでいて、また、はだしで歩くと足の裏からガラスの小さい破片がはいって、その破片が体内を駈けめぐり眼玉を突いて失明させる事もあるとかいう謂わば「科学の迷信」におびやかされていたようなものなのでした。それは、たしかに何十万もの黴菌の浮び泳ぎうごめいているのは、「科学的」にも、正確な事でしょう。と同時に、その存在を完全に黙殺さえすれば、それは自分とみじんのつながりも無くなってたちまち消え失せる「科学の幽霊」に過ぎないのだという事をも、自分は知るようになったのです。お弁当箱に食べ残しのごはん三粒、千万人が一日に三粒ずつ食べ残しても既にそれは、米何俵をむだに捨てた事になる、とか、或いは、一日に鼻紙一枚の節約を千万人が行うならば、どれだけのパルプが浮くか、などという「科学的統計」に、自分は、どれだけおびやかされ、ごはんを一粒でも食べ残す度毎に、また鼻をかむ度毎に、山ほどの米、山ほどのパルプを空費するような錯覚に悩み、自分がいま重大な罪を犯しているみたいな暗い気持になったものですが、しかし、それこそ「科学の嘘」「統計の嘘」「数学の嘘」で、三粒のごはんは集められるものでなく、掛算割算の応用問題としても、まことに原始的で低能なテーマで、電気のついてない暗いお便所の、あの穴に人は何度にいちど片脚を踏みはずして落下させるか、または、省線電車の出入口と、プラットホームの縁へりとのあの隙間に、乗客の何人中の何人が足を落とし込むか、そんなプロバビリティを計算するのと同じ程度にばからしく、それは如何いかにも有り得る事のようでもありながら、お便所の穴をまたぎそこねて怪我をしたという例は、少しも聞かないし、そんな仮説を「科学的事実」として教え込まれ、それを全く現実として受取り、恐怖していた昨日までの自分をいとおしく思い、笑いたく思ったくらいに、自分は、世の中というものの実体を少しずつ知って来たというわけなのでした。
そうは言っても、やはり人間というものが、まだまだ、自分にはおそろしく、店のお客と逢うのにも、お酒をコップで一杯ぐいと飲んでからでなければいけませんでした。こわいもの見たさ。自分は、毎晩、それでもお店に出て、子供が、実は少しこわがっている小動物などを、かえって強くぎゅっと握ってしまうみたいに、店のお客に向って酔ってつたない芸術論を吹きかけるようにさえなりました。
漫画家。ああ、しかし、自分は、大きな歓楽よろこびも、また、大きな悲哀かなしみもない無名の漫画家。いかに大きな悲哀かなしみがあとでやって来てもいい、荒っぽい大きな歓楽よろこびが欲しいと内心あせってはいても、自分の現在のよろこびたるや、お客とむだ事を言い合い、お客の酒を飲む事だけでした。
京橋へ来て、こういうくだらない生活を既に一年ちかく続け、自分の漫画も、子供相手の雑誌だけでなく、駅売りの粗悪で卑猥ひわいな雑誌などにも載るようになり、自分は、上司幾太(情死、生きた)という、ふざけ切った匿名で、汚いはだかの絵など画き、それにたいていルバイヤットの詩句を插入そうにゅうしました。
涙を誘うものなんか かなぐりすてろ
まア一杯いこう 好いことばかり思出して
自みずからの作りし大それた罪に怯おびえ
よべ 酒充ちて我ハートは喜びに充ち
けさ さめて只ただに荒涼
いぶかし 一夜ひとよさの中
様変りたる此この気分よ
祟たたりなんて思うこと止やめてくれ
暗殺者の切尖きっさきに
何の正義か宿れるや?
いかなる叡智えいちの光ありや?
美うるわしくも怖おそろしきは浮世なれ
かよわき人の子は背負切れぬ荷をば負わされ
どうにもできない情慾の種子を植えつけられた許ばかりに
善だ悪だ罪だ罰だと呪のろわるるばかり
どうにもできない只まごつくばかり
抑え摧くだく力も意志も授けられぬ許りに
ヘッ 空むなしき夢を ありもしない幻を
エヘッ 酒を忘れたんで みんな虚仮こけの思案さ
どうだ 此涯はてもない大空を御覧よ
此中にポッチリ浮んだ点じゃい
此地球が何んで自転するのか分るもんか
自転 公転 反転も勝手ですわい
至る処ところに 至高の力を感じ
あらゆる国にあらゆる民族に
我は異端者なりとかや
みんな聖経をよみ違えてんのよ
生身いきみの喜びを禁じたり 酒を止めたり
けれども、その頃、自分に酒を止めよ、とすすめる処女がいました。
バアの向いの、小さい煙草屋の十七、八の娘でした。ヨシちゃんと言い、色の白い、八重歯のある子でした。自分が、煙草を買いに行くたびに、笑って忠告するのでした。
「なぜ、いけないんだ。どうして悪いんだ。あるだけの酒をのんで、人の子よ、憎悪を消せ消せ消せ、ってね、むかしペルシャのね、まあよそう、悲しみ疲れたるハートに希望を持ち来すは、ただ微醺びくんをもたらす玉杯なれ、ってね。わかるかい」
「わからない」
「してよ」
ちっとも悪びれず下唇を突き出すのです。
しかし、ヨシちゃんの表情には、あきらかに誰にも汚されていない処女のにおいがしていました。
としが明けて厳寒の夜、自分は酔って煙草を買いに出て、その煙草屋の前のマンホールに落ちて、ヨシちゃん、たすけてくれえ、と叫び、ヨシちゃんに引き上げられ、右腕の傷の手当を、ヨシちゃんにしてもらい、その時ヨシちゃんは、しみじみ、
「飲みすぎますわよ」
と笑わずに言いました。
自分は死ぬのは平気なんだけど、怪我をして出血してそうして不具者などになるのは、まっぴらごめんのほうですので、ヨシちゃんに腕の傷の手当をしてもらいながら、酒も、もういい加減によそうかしら、と思ったのです。
「やめる。あしたから、一滴も飲まない」
「ほんとう?」
「きっと、やめる。やめたら、ヨシちゃん、僕のお嫁になってくれるかい?」
「モチよ」
モチとは、「勿論」の略語でした。モボだの、モガだの、その頃いろんな略語がはやっていました。
「ヨシちゃん、ごめんね。飲んじゃった」
「あら、いやだ。酔った振りなんかして」
ハッとしました。酔いもさめた気持でした。
「いや、本当なんだ。本当に飲んだのだよ。酔った振りなんかしてるんじゃない」
てんで疑おうとしないのです。
「見ればわかりそうなものだ。きょうも、お昼から飲んだのだ。ゆるしてね」
「お芝居が、うまいのねえ」
「してよ」
「いや、僕には資格が無い。お嫁にもらうのもあきらめなくちゃならん。顔を見なさい、赤いだろう? 飲んだのだよ」
「それあ、夕陽が当っているからよ。かつごうたって、だめよ。きのう約束したんですもの。飲む筈が無いじゃないの。ゲンマンしたんですもの。飲んだなんて、ウソ、ウソ、ウソ」
薄暗い店の中に坐って微笑しているヨシちゃんの白い顔、ああ、よごれを知らぬヴァジニティは尊いものだ、自分は今まで、自分よりも若い処女と寝た事がない、結婚しよう、どんな大きな悲哀かなしみがそのために後からやって来てもよい、荒っぽいほどの大きな歓楽よろこびを、生涯にいちどでいい、処女性の美しさとは、それは馬鹿な詩人の甘い感傷の幻に過ぎぬと思っていたけれども、やはりこの世の中に生きて在るものだ、結婚して春になったら二人で自転車で青葉の滝を見に行こう、と、その場で決意し、所謂「一本勝負」で、その花を盗むのにためらう事をしませんでした。
そうして自分たちは、やがて結婚して、それに依って得た歓楽よろこびは、必ずしも大きくはありませんでしたが、その後に来た悲哀かなしみは、凄惨せいさんと言っても足りないくらい、実に想像を絶して、大きくやって来ました。自分にとって、「世の中」は、やはり底知れず、おそろしいところでした。決して、そんな一本勝負などで、何から何まできまってしまうような、なまやさしいところでも無かったのでした。
二
堀木と自分。
互いに軽蔑けいべつしながら附き合い、そうして互いに自みずからをくだらなくして行く、それがこの世の所謂「交友」というものの姿だとするなら、自分と堀木との間柄も、まさしく「交友」に違いありませんでした。
自分があの京橋のスタンド・バアのマダムの義侠心ぎきょうしんにすがり、(女のひとの義侠心なんて、言葉の奇妙な遣い方ですが、しかし、自分の経験に依ると、少くとも都会の男女の場合、男よりも女のほうが、その、義侠心とでもいうべきものをたっぷりと持っていました。男はたいてい、おっかなびっくりで、おていさいばかり飾り、そうして、ケチでした)あの煙草屋のヨシ子を内縁の妻にする事が出来て、そうして築地つきじ、隅田川の近く、木造の二階建ての小さいアパートの階下の一室を借り、ふたりで住み、酒は止めて、そろそろ自分の定った職業になりかけて来た漫画の仕事に精を出し、夕食後は二人で映画を見に出かけ、帰りには、喫茶店などにはいり、また、花の鉢を買ったりして、いや、それよりも自分をしんから信頼してくれているこの小さい花嫁の言葉を聞き、動作を見ているのが楽しく、これは自分もひょっとしたら、いまにだんだん人間らしいものになる事が出来て、悲惨な死に方などせずにすむのではなかろうかという甘い思いを幽かに胸にあたためはじめていた矢先に、堀木がまた自分の眼前に現われました。
「よう! 色魔。おや? これでも、いくらか分別くさい顔になりやがった。きょうは、高円寺女史からのお使者なんだがね」
と言いかけて、急に声をひそめ、お勝手でお茶の仕度をしているヨシ子のほうを顎あごでしゃくって、大丈夫かい? とたずねますので、
「かまわない。何を言ってもいい」
と自分は落ちついて答えました。
じっさい、ヨシ子は、信頼の天才と言いたいくらい、京橋のバアのマダムとの間はもとより、自分が鎌倉で起した事件を知らせてやっても、ツネ子との間を疑わず、それは自分が嘘がうまいからというわけでは無く、時には、あからさまな言い方をする事さえあったのに、ヨシ子には、それがみな冗談としか聞きとれぬ様子でした。
「相変らず、しょっていやがる。なに、たいした事じゃないがね、たまには、高円寺のほうへも遊びに来てくれっていう御伝言さ」
忘れかけると、怪鳥が羽ばたいてやって来て、記憶の傷口をその嘴くちばしで突き破ります。たちまち過去の恥と罪の記憶が、ありありと眼前に展開せられ、わあっと叫びたいほどの恐怖で、坐っておられなくなるのです。
「飲もうか」
と自分。
「よし」
と堀木。
自分と堀木。形は、ふたり似ていました。そっくりの人間のような気がする事もありました。もちろんそれは、安い酒をあちこち飲み歩いている時だけの事でしたが、とにかく、ふたり顔を合せると、みるみる同じ形の同じ毛並の犬に変り降雪のちまたを駈けめぐるという具合いになるのでした。
その日以来、自分たちは再び旧交をあたためたという形になり、京橋のあの小さいバアにも一緒に行き、そうして、とうとう、高円寺のシヅ子のアパートにもその泥酔の二匹の犬が訪問し、宿泊して帰るなどという事にさえなってしまったのです。
忘れも、しません。むし暑い夏の夜でした。堀木は日暮頃、よれよれの浴衣を着て築地の自分のアパートにやって来て、きょう或る必要があって夏服を質入したが、その質入が老母に知れるとまことに具合いが悪い、すぐ受け出したいから、とにかく金を貸してくれ、という事でした。あいにく自分のところにも、お金が無かったので、例に依って、ヨシ子に言いつけ、ヨシ子の衣類を質屋に持って行かせてお金を作り、堀木に貸しても、まだ少し余るのでその残金でヨシ子に焼酎しょうちゅうを買わせ、アパートの屋上に行き、隅田川から時たま幽かに吹いて来るどぶ臭い風を受けて、まことに薄汚い納涼の宴を張りました。
自分たちはその時、喜劇名詞、悲劇名詞の当てっこをはじめました。これは、自分の発明した遊戯で、名詞には、すべて男性名詞、女性名詞、中性名詞などの別があるけれども、それと同時に、喜劇名詞、悲劇名詞の区別があって然るべきだ、たとえば、汽船と汽車はいずれも悲劇名詞で、市電とバスは、いずれも喜劇名詞、なぜそうなのか、それのわからぬ者は芸術を談ずるに足らん、喜劇に一個でも悲劇名詞をさしはさんでいる劇作家は、既にそれだけで落第、悲劇の場合もまた然り、といったようなわけなのでした。
「薬は?」
「注射」
「トラ」
「よし、負けて置こう。しかし、君、薬や医者はね、あれで案外、コメ(喜劇コメディの略)なんだぜ。死は?」
「大出来。そうして、生はトラだなあ」
「ちがう。それも、コメ」
「いや、それでは、何でもかでも皆コメになってしまう。ではね、もう一つおたずねするが、漫画家は? よもや、コメとは言えませんでしょう?」
「なんだ、大トラは君のほうだぜ」
こんな、下手な駄洒落だじゃれみたいな事になってしまっては、つまらないのですけど、しかし自分たちはその遊戯を、世界のサロンにも嘗かつて存しなかった頗すこぶる気のきいたものだと得意がっていたのでした。
またもう一つ、これに似た遊戯を当時、自分は発明していました。それは、対義語アントニムの当てっこでした。黒のアント(対義語アントニムの略)は、白。けれども、白のアントは、赤。赤のアントは、黒。
「花のアントは?」
と自分が問うと、堀木は口を曲げて考え、
「いや、それはアントになっていない。むしろ、同義語シノニムだ。星と菫すみれだって、シノニムじゃないか。アントでない」
「わかった、それはね、蜂はちだ」
「ハチ?」
「牡丹ぼたんに、……蟻ありか?」