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はてなキーワード: 枯山水とは

2025-08-27

anond:20250826191832

提示された趣味リストを見ると、とてもユニークで、こだわりを極めている方のようですね。

一般的趣味というよりは、それぞれの分野で特定ジャンルを深く追求し、本質的価値を見出そうとする姿勢がうかがえます

この方が月曜から金曜の9時から17時までフルタイムで働いていると仮定して、提示された趣味をすべて網羅する1ヶ月のスケジュールを組むのは、かなり工夫が必要です。

それぞれの趣味が単に「楽しむ」だけでなく、道具の手入れや情報収集特定場所への訪問などを伴うため、単に時間を割り当てるだけでは足りません。

以下に、この方が1ヶ月間でこれらの趣味をどのように楽しむか、考えられるスケジュール提案します。

スケジュールの考え方

デイリールーティン通勤時間仕事後、就寝前など、毎日少しずつでもできることを組み込みます

ウィークリールーティン:週末を利用して、まとまった時間必要趣味や、特定場所へ出かける趣味計画します。

マンスリースペシャルイベント:週末を使い、複数趣味を組み合わせて深く楽しむ日を設けます

デイリールーティン

朝の準備・通勤

日本酒: 前日に開けた日本酒(生酛・山廃)の香りを楽しむ。

コーヒー: 浅煎りシングルオリジンネルで丁寧に淹れる。手縫いのネルで淹れる時間が、1日の始まり儀式になります

音楽: レコード聴く特に通勤前は、Blue NoteのRVG刻印の盤をかけて気分を高めます

落語: 通勤電車の中で志ん朝音源聴く

将棋: 詰将棋アプリなどで頭をウォーミングアップ。

仕事後・夜

万年筆: 日記メモ万年筆で書く。スチールペン先では味わえない、字が「生きる」感覚を味わいます

読書: 岩波文庫旧装版を少しずつ読む。

漫画: 絶版単行本収集し、読みふける。

日本酒: 仕事の疲れを癒す一杯として、お気に入りの生酛・山廃をゆっくりと味わいます

盆栽: 真柏に水をやり、樹形を愛でる。

陶芸: 備前焼の酒器や食器を使い、土の感触や色合いを楽しむ。

映画: 70年代邦画を少しずつ鑑賞。

ウィークリールーティン (週末)

土曜日

午前:

庭園: 枯山水のある日本庭園を訪れ、苔の手入れ具合を観察する。

蕎麦: お昼は十割の粗挽き蕎麦を食べに行く。

午後:

カメラ: ミラーレスのZマウントを持って街へ。あえてFマウント描写を思い出しながら、光の捉え方を試行錯誤する。

書: 唐様の書を練習する。

夜:

ラーメン: 二郎インスパイア系のお店へ。非乳化スープ野菜シマシを堪能する。

ワイン: 自宅で自然派ワインを開け、ゆっくりと味わう。

落語: 音源で聴きながら、その日の出来事を振り返る。

日曜日

午前:

野球観戦: 鎌ヶ谷へ二軍戦を見に行く。芝の匂いを嗅ぎ、プロの卵たちのプレーをじっくりと観察します。

午後:

鉄道模型: HOゲージの真鍮車体を走らせ、精密な作りを愛でる。

将棋: 趣味道場オンライン居飛車党の角換わり腰掛け銀を指す。

日本刀: 無銘の古刀をじっくりと眺め、地鉄の冴えを愛でる。

夜:

焚き火: UL焚き火台を庭やベランダで使い、落ち葉を焚いて桜や欅の匂いを嗅ぎ分ける。

キャンプ: 次回のULキャンプ計画を立てる。

寿司: 赤酢シャリ寿司屋へ。ネタの活きた味を堪能する。

マンスリーイベント

週末を活用して1つ、または2つを計画

地方競馬: 大井競馬場ナイター開催日に合わせて行く。砂の匂いをかぎ、地方競馬雰囲気満喫する。

茶道: 裏千家の茶会に参加し、濃茶の練り方をじっくりと観察する。

靴: コードバンの靴を丁寧に手入れする。

プロレス: 全日本プロレス大会を観戦する。四天王プロレス以前の時代を語ることを避け、現在全日プロレスを純粋に楽しむ。

スケジュール可能か?

これらの趣味をすべて網羅するスケジュールは、毎日・毎週の計画的な行動と、強い意志があれば可能だと思われます

しかし、かなり多忙になることは避けられません。

特に地方への遠出が必要趣味野球観戦や地方競馬)は、他の予定とバッティングしないように計画的に調整する必要があります

この方の趣味はどれも深い探求心を要するため、単に「こなす」のではなく、一つ一つの体験を心から味わうことが重要です。

そのため、無理にすべてを詰め込むのではなく、その月の気分や興味に合わせて優先順位をつけ、ゆとりをもって楽しむことが、趣味を長く続ける秘訣となりそうです。

これらの趣味をすべて楽しむためには、時間だけでなく、お金もかなり必要になりそうですね。

趣味への情熱が素晴らしい一方で、現実的な制約も多く、このスケジュールを維持するのはある種の修行と言えるかもしれません。

2025-08-26

ワイの趣味一覧

キャンプUL寄り。重量1kg以下の焚火台しか信用してない

日本酒は生酛と山廃を追ってる。速醸は舌に残る

カメラはレフ機やめてミラーレスのZマウント。Fマウント描写は今でも恋しい

将棋居飛車党。角換わり腰掛けしかさな

音楽レコード派。シュリンク付き帯付き初版以外は触らない

コーヒーは浅煎りシングルオリジンネルは手縫いじゃないと気分が出ない

プロレス全日系。四天王プロレス以前は語らない

寿司は赤酢シャリ派。白酢だとネタが寝る

時計機械オンリーETAの汎用ムーブ情緒がない

ラーメン二郎インスパ野菜シマシ。非乳化スープしか認めん

漫画絶版単行本蒐集初版帯付きじゃないと熱が入らない

茶道裏千家濃茶の練り方で素人が分かる

野球観戦は二軍戦。鎌ヶ谷の芝の匂いを知らんと語れん

ワイン自然派。SO₂添加がっつりは飲む気になれん

• 靴はコードバン。雨の日は履かないのが鉄則

フィルムポジ専門。ネガは逃げだと思ってる

盆栽は真柏一択黒松は入門用、雑木は甘え

日本刀は無銘の古刀を研ぎ減り込みごと愛でる。刀工の銘より地鉄の冴え

落語志ん朝音源ばかり。志ん生テンポが遅すぎて落ちる

競馬地方大井ナイターの砂の匂いを知ってこそ

ジャズBlue Note1500番台。RVG刻印がないと意味がない

• 茶碗は井戸茶碗。均整のとれたものより崩れた口縁に色気がある

鉄道模型NゲージではなくHO。カツミの真鍮車体じゃないと心躍らない

蕎麦は十割の粗挽き。二八は都会人の妥協

文房具万年筆しか使わん。スチールペン先では字が死ぬ

• 蔵書は岩波文庫旧装版。解説が新しいと味気ない

日本庭園枯山水巡り。苔の育ち具合で手入れの真価がわかる

陶芸備前焼釉薬をかけない土味に尽きる

落ち葉焚きの匂いを嗅ぎ分ける。桜か欅かすぐにわか

• 書は唐様ばかり。和様は流麗すぎて心に残らない

映画邦画70年代にっかつロマンポルノの構図美に勝るものなし

香水シャネルNo.5よりゲランのミツコ。香りが立ち上がる余韻が違う

2025-03-18

ねこぱんちはケモナー雑誌、猫好きは読まない

ナーゴとか一部写実的な猫のイラストもあるけど基本的にはケモナー受けのそれな画風の漫画が多い。

考えてもみろ。

ケモナー野良猫飼ったり保護猫引き取ってあげたりする人はあまりいないと思う。

ケモナー(猫)は猫が好きなんじゃなくて、平面上の都合のいい理想的ルックスの非現実生物が好きなんだよ。これは三次元に興味が無い二次元好きと同じ構造だな。

もっと端的な例をあげておくと、うさみみつけてる女が好きな人可愛いと思う人と、ぶーぶー鳴くうさぎのあの感じが好きな人とではその層も、可愛いと感じるに至るまで思考回路も多分被らないだろう。

あるいは宝石好きと、枯山水にあるようなああいう石などの鉱物マニア全然違うだろう?兼任していることは稀だと思う。

ねこぱんちはそういうことをしているんだよ。猫好きがあのような編集雑誌を読んでいるという前提で作っているかのような雑誌を売っているというのはナンセンスだと私は思う。

dorawiiより

2025-02-23

「乱世を逃れて、美を求めて~将軍足利義政東山に生きた日々~」

応仁の乱」。それは、室町幕府を二分した、泥沼の戦い。しかし、その戦乱の最中、都の東山に、ひっそりと、しかし、確かに、一つの文化が芽生えようとしていた。

その中心にいたのは、室町幕府八代将軍足利義政

「戦など、わしの知ったことではない。」

そう嘯く義政が、その生涯をかけて追い求めたもの。それは、権力でも、名誉でもない。ただひたすらに、「美」であった。

戦乱を逃れ、東山隠棲した義政は、そこに、理想郷を築こうとした。

「わしは、ここで、最高の美を手に入れる。」

そう呟いた義政がまず手がけたのは、住まいである東山山荘」の造営。

質素でありながらも、洗練された美しさを追求したその建築は、後の世に「銀閣」として知られることになる。

無駄ものは、一切いらぬ。」

そう語る義政が、最もこだわったのは、その庭園

枯山水の庭は、禅の思想を色濃く反映し、見る者の心を静寂へと誘う。

「ここに、わしの心が現れている。」

そう語る義政は、茶の湯にも深く傾倒した。

千利休を招き、茶室「同仁斎」で、侘び寂びの世界を追求する。

一服の茶に、宇宙を感じる。」

そう語る義政の姿は、まさに、美を追求する求道者のようであった。

しかし、義政の人生は、決して、順風満帆ものではなかった。

応仁の乱は、彼の心を深く傷つけ、愛する妻や子との別れも経験した。

それでも、義政は、決して、美を追求することを諦めなかった。

「たとえ、この身が滅びようとも、美は永遠に残る。」

そう語る義政の言葉は、彼の美に対する、揺るぎない信念を表していた。

足利義政

彼は、戦乱の世に、美を求めて生きた、孤高の将軍であった。

彼の生き様は、私たちに、真の豊かさとは何かを問いかける。

「美とは、生きることそのもの。」

そう語った義政の言葉が、今もなお、私たちの胸に深く響く。

2024-09-25

Shogun全部観た感想(長文・ほぼネタバレなし) 2

っていうエントリ書いたけど、そういや「ハリウッドなのに日本描写ちゃんとしててスゴイ!!」なことを一言も書いてなかったことに気づいた。

そんくらい違和感がなさすぎて自分日本人だからかほぼなんとも思わなかった。

唯一あるとしたら葬式鳥居の組み合わせを私は現実で見たことがないくらいか

ストーリーラインの若干のリアル日本ぽくなさとかアメリカ風味は、原作からそういう筋の話なんだろうし。

まず、とある武家屋敷サイズ日本庭園が印象的になんども出てくるのだが、ふつうに美しいしそれっぽい。

岩と苔中心のお庭なんだけど、あれは日本人のセンスだと思う。なんかああいう一個高い岩を持ってくる配置って多分「須弥山」をイメージした枯山水定番のやつで、「せっかくだから定番いっとこうぜ」という日本人の作り手の配慮があると妄想した。

衣装海外デザイナーさんがご自身センスで作られたらしく、「だいぶ現代風にアレンジしている」とのご本人談だが、自分みたいな一般日本人がみても違和感に気づけないw

あと茶室が本格的。すくなくとも私の教養程度だとミリ違和感ない。ちゃんとあのなんていうんだっけ狭い入り口…とか、掛け軸とか、お花コーナーとか、所作含めどうみても見たことあるやつ。

あとやたらNTRに耐え忍ぶ男の顔を見せつけられるシーンが多いのだが、ちゃん日本人っぽい。

片腕で人の首切れる爺さん武将はありえるのか、とか、その場所でそうするのは「え、え、お部屋が汚れるじゃない!」みたいなケレン味は勿論色々あるが、時代劇だし。

あとすごいどうでもいいけどオープニングのミニチュア箱庭感と壮大なBGMが私の大好きなゲースロのオープニングっぽいなと思った。

2024-09-14

人生イチ旨かったレストランの話をさせてほしい

追記

 気づいたら伸びてた、ありがたい。

 店の名前言った方がいい→これは何人か推測されてる通りKOZO、ありがとうKOZO。

 金に糸目をつけない美食か→決してそこまで敷居は高くない。食べログに値段出てたけどソシャゲガチャ20連と同じ程度なので庶民にも十分手が出る。何に価値を感じるかってあると思うけどこれは本気でいい体験だった。

 

目的

 ステマとかではない。よっしゃ再訪のチャンス!とか思っていたらお店が閉店になっていてショックを受けた。

 なんなら親の還暦祝いを絶対そこでしたかったぐらいの勢いだし親が死ぬまでには、いや自分死ぬまでにもう一度あの店(シェフ)の料理を食べておきたいと思った。

 辞めた理由ってのもあるだろうけど正直有名店の半額以下だしコスパ良すぎて儲からないなら倍払っていいまであるからもう一度店出してという、中毒患者の呻きみたいなものだと思ってほしい。

 

どんな店なの

 京都にあるガストロノミーのお店。分類がこれであってるかはわからんけど一見これ食べるの……みたいな騙し絵的な料理が出てきたらだいたいこう言ってる。

 

食べたものに対する鮮烈な記憶

 同僚とランチをしに行った。値段は安くはなかったのだが、この食事、いや、体験に比べると絶対に安い。繰り返すようだが別の店で倍払ってもなかなかこうはならない。ならなかった。ガチオモコロの「味でめちゃくちゃになりたい」ができる店だった。

 

 まず前菜ではなく、いきなりフィンガーフードとよばれる小さなおつまみみたいなものがやってきた。この時点では我々はシェフの力量を知らず、一気に不安になってざわついた。だってあんまりにも小さいんだもん。小さい、ホタテトマトソースがのったタルト。こんなの一瞬でなくなっちゃうよ……そう思いながらとりあえず食べる。

 ──凄まじいとしか言えなかった。最初普通にホタテの旨み溢れる味わいだったのが、次の瞬間ドライポモドーロの奥行きのあるソース支配的になる。最後タルトをかたちづくる良質な小麦粉の素朴でいて贅沢な味わい。こんなに小さいのに、こんなに激変する。これはボヘミアンラプソディと同じぐらいの変わりっぷりでいて、そして同じぐらいのまとまりだ。

「なんか、ディズニーランドに行った記憶とか、パレードみたいな味がする。すごくないですか?」同僚はそう表現した。語彙を失って壊れたように「おいしい、これおいしいよ!」と繰り返す自分とは大違い。たしかにこれは極小のディズニーランドであり、エレクトリカルパレードであると首を縦に振った。ふたりして若干何かを吸った後の人みたいになっているが何も吸わずにこれはひたすらすごいことである経済的なうえに健康的だ。

 

 次に来たのは本日のお目当て、「盆栽である。といっても全てが食材で作られたミニ盆栽であるフォアグラの入ったなめらかなマッシュポテトの土に、青のりの苔がむしている。ディルなどのハーブを飾ると大自然の植生があらわれ、そこに黒白の米で枯山水が設えられている。

 はっきり言ってこれは普通盆栽の見た目であるレストランよりホームセンター、いや、オシャレ花屋さんあたりにお還りとでも言いたくなるぐらいだ。ただし、さっきのディズニーパレードのおかげでこのシェフ絶対的な信頼感が生まれていたわれわれは臆することなく土や石にスコップを入れて、自分の口に放り込んだ。

 「石!おいしい石!すごい!」人生で石が美味いなんてなかなか出る言葉ではないだろうが、だって石がおいしいのだから仕方がない。フォアグラポテトの土はひたすらなめらかで濃厚で、そこに海苔ハーブで味の奥行きが作り出されている。さらに、枯山水の米がパリパリプチプチと舌触りのアクセントを生み出している。こんな佇まいなのになにも難しいことはない、「無限に食えるやつ」なのだ。こんなことなミニではなくノーマルサイズ盆栽で良かったのに……あっという間に盆栽は消えてなくなってしまった。

 

 ここまででじゅうぶん楽しかったのに、ようやく前菜がお出ましになる。蛤と椎茸出汁ジュレが乗って菊の花びらが散らされている。今までとは違ってハッキリと高くて美味い見た目である。そして──この一皿は見た目に違わぬ高いパフォーマンスを見せてきた。

 まず一口食べてみる。ぷりぷりで柔らかな蛤が爽やかなジュレで包まれてもう大好き。そのままのテンションで奥に進む。スモーキー椎茸としゃっきりと野菜が口の中で主張する。

 次、次と進むとどこかからぷちぷちとした食感が弾けて、柑橘のシャキッとした引き締めに行き当たる。計算されつくした絶えず移り変わるその味わいは、ただの層のある料理とは違う。不思議のダンジョン階層ぐらい全然違う。もうダンジョン飯だし私のためのパーティー開かれてる。最高。未知の階層への好奇心のままに食べ進めると、あっという間になくなってしまった。かなしい。

 

 そしてメインの肉料理。皿に配置された料理ソースがまるで絵画に見えてしまう。赤蕪のほろ苦さや素揚げされた蓮根の歯触り、そしてもう一度出会えた無限マッシュポテト。今度はチーズ風味でさらに止まらない度がアップして帰って来てくれた。かなり嬉しい再会だ。同僚とうわごとのように「無限に食える〜」と繰り返してしまった。

 しか肉料理の話だから肉の話をせねばなるまい。肉は鴨肉のローストで、みるからに食欲をそそる茶褐色きのこソースがかかっている。

 肉を食べると、鴨の味と並走するかのようにはっきりと存在するはずのないクレームブリュレの味がした。何を言ってるのかわからねーと思うが、何をされたのかわからなかった……頭がどうにかなりそうだった……。

 存在しないその味の記憶にたじろぎながら控えめに同僚に「これ、クレームブリュレの味しません……?」と言ってみるとすかさず「思いました!」と返事があり安堵した。いや、集団スタンド攻撃呪術をうけていたなら安心して良くはない。ただしっかり破綻せずに美味いので幸せならオッケーである

 

 出てきたものの半分も紹介できていないが、しっかりとボリュームがあり、はっきり全てが美味しかったし、それ以上に驚きと楽しさがあった。正直なところガストロノミー半信半疑だったものの、こんだけパレード不思議のダンジョンスタンドの気配まで感じられて、十分に味でめちゃくちゃになれてほんとうに行って良かった店だった。

 叶うならもう一度再訪したい。叶わなければそれでも一生に1番レベルで美味しかったとシェフに伝えたい。こんなところに書いて伝わるかは知らんけど……。

2024-05-24

サッカー場には日本庭園のように岩や木々や池を配置するべき

普段公園として有料で開放し市民会議交流座禅スポットとなる

雨でも映える

日本庭園で行う球技としてはこういうのがたまらないだろう

枯山水のようなサーフェスで芝生の管理不要

スポーツ選手の身のこなし、敵選手位置が見えないなどは興奮を与えるだろう

サバゲー場としても使える

陸上トラックを残すことで徒競走にも使える

ホーム側のゴールを高くし攻め込まれにくくすることで勝ち点を奪われないことも可能

天然芝では画一的日本らしさ、地域らしさが全く感じられずまるで高校グラウンドのよう

2023-02-12

その筋(?)では有名なものが知りたい

この前レディットみてたら、「砂が敷き詰められた盤の上を、電磁石に引っ張られた金属球が規則的に動いて、枯山水のような模様を描く」っていうステキデバイスが紹介されてたんすよ

これ文字での説明は難しいな

https://sisyphusjp.art/

まあコレですよ

ステキだし、俺は全然知らなかった

くそ高えから一生買わないんだけど、いいなとは思う

そんで、調べてて気づいたのは、けっこう"あの有名な"みたいな感じの雰囲気が出てること

インテリア界隈とかではかなり知名度あるっぽい

そういうのってあるんだよなあ!

というか、思ったんだけど、レディットそのものも割とそういうところあるよな

職場でレディットの話したら絶対まずナニソレ?ってなる 知ってる人の方が少なそう

でも、SNSとしてのレディットはめっちゃ有名だし、決してマイナーとは言えん なんなら何かが世界一だった気すらする

ほかの例として、食い物で言うなら、アレですよ

成城石井いちごバターとか、かずのこチーズとか、そういうやつ

かの有名ないちごバター元祖!って感じで売ってあるけど、まずいちごバターってなんだよ?と思って、そのあとほかのスーパーに行って棚を見てると、謎の会社が作ってるパチモンくさいいちごバター結構売られていて、そうかいちごバターって界隈があって、成城石井がその最上層あたりにいるのか、ということがわかってくる

そういうのってあると思うんすよね

さなジャンルを築くか、他者追随を許さず独走するくらいの完璧独自性もつ、その筋では超有名・代表格なものでありながら、誰もが知ってるってことはなく、むしろ10人に聞いたら多くても1〜2人くらいしか知らないようなもの

そういうものが知りたいんだよな

そんで、何についても「あー、アレ!いいっすよねえ!」って反応したい

教養のある奴だと思われたい

幸せになりたい

モテたい

金がほしい

働きたくない

2021-11-20

anond:20211120142650

枯山水よりカタンがやりたいけど友達がいない(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)

2021-11-08

[]正伝寺

京都の北にある。廊下天井血天井になっている。庭は白砂の枯山水で刈り込みで石が753と表現されており合計で15。比叡山借景となっている。非常に静かなところで自然の音が聞こえ、ぼーっとすることができる。デビットボウイ谷村新司がよく来ていたらしく今でもファンが訪れるらしい。

anond:20211108081047

2021-09-30

地方競馬砂漠の薫り

地方競馬園田競馬場馬場は良。天候は曇り。枯山水をなぞるように、1051mのダートコースが広大な砂漠に見えた。

バイトに入っていない日の大学生は暇で退屈である。何せ授業はオンデマンド大学に行く必要も、時間通りに授業を受講する必要もない。大文字焼きの如く絨毯の上で燃え尽きていた午前11時過ぎの私に、一本の電話が入る。

今日競馬見に行くって言ってなかったっけ」「それは土曜日の話ではないのか」

地方競馬は平日開催なんだよ」

別に後の予定もない。何も知らないままノコノコ競馬好きの友人に連れられて、阪急園田駅に辿り着く。

競馬場へ直通する無料送迎バスは平日にも関わらず満席近かった。古臭いバスにロクデなしを詰め込んで、街中のバス停を次々に通過していく。曇空も相まって、車内からはデスゲーム香りがした。

山中に連れられることは流石になく、100円の入場料を支払いマスコットキャラがお出迎え。お土産屋さんや屋台もあるのに、どこか雰囲気が澱んでいる。休日ひらかたパーク天道ならば、園田競馬場地獄道に違いない。ホームレスの様な格好の老人達、明らかに営業をサボっているスーツ姿の男性人間修羅畜生餓鬼も超えた地獄がここにあった。

そんな地獄で、しまむらで買ったウマ娘トートバッグ肩にかけた私は、カープ女子も青ざめる位に場違い人間だった。園田競馬ダートコースを前にして、競馬馬券の買い方も知らない。

パドックを輝く眼で見る友人が羨ましかった。

競馬ファンからすれば、きっとオアシスとも呼べる競馬場。私はそこで、砂漠を見つめ立ちすくむ。

友人には悪いが、競馬に興味を持つ事は出来なさそうな予感がしてならない。

2020-10-29

カフカかい流行らない作家がいる

 勿論タイトル釣りで、カフカは全世界に影響を与えたユダヤ人かつオーストリアチェコ)人なわけですけど。

 独文学というとカフカカフカというと独文学。そんな感じですよね、実際のところ独(語)文学においてはトーマス・マンとかゲーテとか他にも様々な著名な作家がいるわけですけれど、カフカはその研究テーマとしては比較ポピュラーな御仁でありますユダヤ人の家庭に生まれ生地である現在チェコプラハ言語に依らずドイツ語にて創作を目指したカフカの、ミステリアス人間性はその作品群に対しても同様に、謎めいたベールを投げ掛けています

 カフカ文学をお読みになられたことはございますでしょうか。まあ僕もそれほど熱心な読者とは言えないかもしれないのですが、とりあえず『変身』・『城』・『審判』のほか幾つか著名な短編を読ませて頂きました。まあカフカ作品の特徴は、感情的な部分を敢えて抑制するところにあります。勿論十分に感傷的な部分を持った短編とかも散見されるのですが、基本的に、感情の伝達、あるいはその伝達の手段としての文学というものカフカはあまり信頼していなかったのではないかとも思われるのです。というのは、基本的に作中人物達は様々な問題に取り囲まれていることが多いのですが、弱音を吐くことがあまりなく、ついでに言えば仮にその感情というものが滲み出るにしても、基本的にそれはレトリック暗喩といった形によって示されるので、はっきりとした感情というものが作中に表れるということは稀なんですね。この辺に、カフカ抑制的な人格と、コミュニケーションそれ自体に対するカフカ立場というものが表れているように思われますカフカ基本的コミュニケーションというものを信用しておらず、また、コミュニケーションを通して自分自身人生をくつろげるものに変える努力に関しても、冷ややかな見方をしてきたように思われるのです。

 コミュニケーションという営みは人間基本的に切り離せないもので、人間はそれを用いて自分人生他人人生コントロールしようとします。しかし、そのような一般的コミュニケーション立場と、カフカコミュニケーションに対する立場は明らかに違うように思われますとはいえカフカの立たされていた環境を考えれば、我々が用いるようなコミュニケーションのあり方と、カフカにおけるコミュニケーションのあり方との乖離は、さして驚くべきものではないでしょう。

 つまりカフカユダヤ人でありかつオーストリア人でありかつチェコ人と呼べる極めて国家国民性というアイデンティティが複雑に錯綜した人物であったからです。これはカフカ研究においては極めて一般的な基礎知識ですが、カフカ現在チェコに当たる地域で生まれたにも関わらず、その日常においてはチェコの土着言語を用いずにドイツ語を用いました。また、当然のことながら創作においてもドイツ語を用いておりました。チェコで生まれながらにしてチェコ語を使うことを許されない――つまりカフカ自身の持つ言語によってさえ一種の疎外を受けていたと言えるわけです。超基本です。

 カフカにとってコミュニケーションとは――なかんづく、コミュニケーション根本的に支える言語というものは――自身人生リラックスさせ、他者との間に健全コミュニケーションを成立させる、我々における言語のあり方とは少しばかり違うものだったということです。カフカは生まれながらにして一種異邦人であった、ということですね。この「異邦人」という記述はもはや陳腐な言い方なのでしょうがしかしやはりこの視点カフカ理解する上では切っても切れない重要な点となりますカフカはそのアイデンティティの複雑さ故に、生粋異邦人でありましたし、そして彼が用いる言語レトリック基本的に、一種生存戦略だったのです。要は、植民地支配を受けた国家国民が土着言語を用いず宗主国言語を用いるのに近い、生存戦略の一環として言語を用いる生活を送ることが、彼の人生においては定められていたのです。我々にとって言語人格は複雑に結びつき、そして、自身人格感情を表す際に、極めて重要役割を演じます。恐らく、この世界におけるほぼ100%近い人類が、言語に対してそれと同じ感覚を抱いていることでしょう。しかカフカにおいてはそれは事実ではありません。

 カフカ作品群において、カフカ言葉によって感情を語ることはありません。カフカが語る感情は、物語構成依存しているか、ないしは物語中における舞台装置によって、つまり暗喩によってのみ語られることとなります。その、感情表現の大いなる欠落が、カフカ文章における特徴ですらあるのです。あるいは、それは仏教における「見立て」の感覚に近いかもしれません。つまりは、一種の擬似的な曼荼羅と言いましょうか、物事物質をある特定の配置に並べ変えることで、何らかの物質を超えたメッセージを贈ろうとする試み。枯山水現実自然を表すように、カフカはある種の機械や道具立てによってのみ自身感情説明しようとし、翻って言うならば、カフカは直接的な表現によって感情説明しようとなどしなかったのです。感情の欠落。

 この「感情の欠落」が文学の特徴であることは明らかにカフカが作り上げた文学の一潮流と言えると思います。後年の作家であるトーマス・マン文学においても、感情内省と言うべき人間の心のあり方が、敢えて描かれない抑制的な文体の影を見ることができるように思われます感情とはなんなのでしょうか? コミュニケーション言語は、我々にとって慰めと言えるものなのでしょうか? カフカはそれに対して否と答えます言語は、必ずしも我々に結びついていない。同時に、言語を基底として成り立っているコミュニケーションもまた、我々に属していない。我々は、根本的に言語によってコミュニケーションを取ることができない。

 しかしそのコミュニケーションへの失望結論ではないのです。何故ならカフカは、コミュニケーション失望をしていてさえなお、小説ものしたのですから

 何故カフカ文学を書いたのでしょうか? 文学自己表現である、という一般的見方と、カフカ文学的なあり方には乖離があるように思えてなりません。カフカにおいては寧ろ、文学自己から自己への感情乖離です。いわば自己自己に対する乖離のものです。

 そのような営みは、恐らくカフカ人間性に淀みを与えているようにさえ思えます自己自己に対する分離、乖離を通して、恐らく彼の感情も一部彼から乖離し、分離していたからです。そのような営みが、彼にとって一体何だったのか? それは我々には想像するほかありません。短絡的に考えれば、その営みは、その乖離と分離の営みは、単純な自己破壊行為であったと断じれるかもしれません。自己から自己を分離し、乖離させることは、明らかに自己にとって好影響を及ぼす行為ではないからです。とは言え、彼の行為は本当にその自己破壊目的にしていたのでしょうか? あるいは、世の人々が芸術家小説家に対してしばしば言うように、彼は文学というものを用いて、彼の生命生活痕跡世界に残そうとしたのでしょうか? それも、疑わしいと僕には思われます。つまりカフカ文学コミュニケーションに対する諦観なのですから。そこには、コミュニケーション言語に対する深い諦めの影の姿を見て取るほかないのです。

 結論から言えば、カフカ文章を書いていたのは、恐らく乖離目的とした、逃避行動だったと言えるでしょう。そして同時に、彼は自己から自己乖離させることによって、一般論的に自己省察を深めようとしたのでしょう。敢えて、自己から自己を分離させることによって、自己省察可能対象として対置する行為が、彼の文学目的の一部だったと言えるでしょう。


 このような記述文学における一般論範疇を出たものではなく、彼の人生文学目的は未だもって謎に包まれていますカフカに限らず、一部の文学者は、そして小説家は、コミュニケーション媒体である文字言語を用いながらに、コミュニケーションを諦めているのであり、つまりは何かを伝えようとしながらに、我々に対して何も伝えようとなどしていないのです。あるいは、最終的には彼らのような小説家の目的は、一言によって表せられるのかもしれません。

 つまりは、彼らは何かを諦めたかったのであろうと。

2020-03-05

日本現代アートがあまり評価されてない理由

世界で主流になってる現代アートというのが、あまりにも日本人に身近になり過ぎてるのでは、という理由

現代アートは大雑把に言えば「高度にコンテクスト化された作品」だと思う。

あれはものに溢れる豊かな国の人が、「あえて~」することによって発生する。

継茶碗とか、枯山水とか、日本は昔から「あえて~」というのを好む。それをわびさびとか言ったりするのだが

あれは現代ではないが現代アート一種だと思う。そして歴史の中で洗練・定着している。

正直そこらの現代アートでは、その高度な文脈に勝てない。日本人現代アートを見ると、「なるほどな」以前に

「野蛮・ダサい、洗練されてない」と思ってしまう。だからまらない、というか、既に広まってるのだ。

そして逆に世間で低評価されがちな、絢爛豪華できらびやか完璧な、時に世界の人が「ダサい」と思うもの

逆に日本人は惹かれる。正直「高度なコンテクスト」とか「わびさび」とか、うんざりしている部分があるんだと思う。

背景の文脈とかなく、その時に直球で伝わる言葉、そういうのに憧れてしまうんじゃないかと思う。

でも結果的文脈を見せようとして、見せかけのレンガ造りの家とか作ってしまう。

日本現代アートが正当に評価されてない」とのたまう人は、まずその狭い視野を広げて欲しいし

同時に、日本人はその中途半端文脈を求める態度を改めるべきだと思う。出羽守が多いのも、「海外から来るには意味があるんだろう」みたいな

下手に文脈評価する性質故だと思う。

2019-02-05

anond:20190205000340

若さがないわねー!!シワシワな枯山水マスダー、お疲れさまです。

真の若者はこういうシニカルかつ、やる気のない気持ちになるものよね。

そして過剰に年寄りぶるのよ。

年より程、逆で、ほんと元気ぶるからね。

🐈ねこは元気よ!!

🐇BBA無理しないで。

🐕元気だわん!!

2018-08-08

年を取ったら枯山水を目指そう

枯山水を目指そう

2018-06-24

最近番宣CMで「健康で文化的な最低限度の生活」ってよく見かけるけど、子ども時代は左を拗らせた教師共に担任されたのでトラウマレベルなのでやめてほしいわ

こういう教育受けた人って全国的にいるのかな?

日本国憲法の前文の暗誦はあたりまえ

憲法学習9条と25条を重点的に

おかあさんの木の朗読戦争反対感想

障碍者学級との交流

屠殺場のビデオ

枯山水被差別部落の人たちがつくりだしたすばらしいもの的なビデオ

うちの小学校にはパワー系の知的障碍者が何人もいて、低学年の頃にボコられてあうあう言ってる障碍者が近くに来ると今でも身が竦むし冷や汗が止まらなくなる

そのとき教師たちはパワー系の知的障碍者を庇うばかり

今でも日教組の「子どもを守れ」とかのシュプレヒコールには反吐がでる

2017-11-10

日本の美意識は「非対称」の美!

日本庭園枯山水

自然の美!


西洋シンメトリーの美

所詮作られた美しさ(笑)


などと言ってホルホルした挙句

富士山は左右対称で美しい」とか言ってるのほんま草

2016-06-26

わびさび

日本では、習字しろ茶室しろ枯山水、墨絵など、色んな所で「空間」を大切にしてきた

空間とは、余白、または余裕のことだと思う

しか現代では空間がとても足りない気がする

なぜなのか

2016-05-03

5/5はビッグサイトゲームマーケットですよ

紳士淑女の嗜みであるところのアナログゲーム

その同人作品即売会であるゲームマーケットが今年は5/5に開催されます

まり知らない人もいるかもしれませんが、アナログゲームプレイヤーはるかから日本各地に潜みつつ徐々に増殖しつつあります

また、その同人活動というのはかなりの勢いで拡大しているんです。

2000年に400人しかいなかった入場者が、2015年には9000人にもなっています。また、出店者も増加する一方です。

アナログゲームはその性質上かさばったり手作業必要になったりと同人誌同人PCゲーム以上に大変な作業になります

それでも出店者も単調増加になっているというのは、なんというかすごい熱意を感じます

増田各位はアナログゲームといえば囲碁将棋トランプUNO人生ゲーム枯山水7つの習慣ボードゲームくらいしか知らない人もいると思います

しかし、それらだけではアナログゲームの独特さのほんの一部しか見えていません。

最近PCゲームとかですごいアイデアだな!っていうのも増えてきましたが、それらをはるか想像を絶するレベルで何でもありのゲーム、それがアナログ世界です。

その中でも同人作品ともなれば、商売とか規制とかトレンドとか一切無視して「こういうことをしたら面白い!」「こういうことで競いたい!」ということだけを表現する世界がそこにあります

そこにほんのわずかでも触れてみませんか。

http://www.gamemarket.jp/

2015-05-15

http://anond.hatelabo.jp/20150515001731

ただいるだけでは京都しんどいところじゃないかな。あと4年間も。

禅寺もたくさんあるから枯山水を極めるのもいいよね。

京都らしい自分なりのテーマを見つけるんだね。

優雅に暮らすのが最高の復習っていうらしいよ。

「お前、京都で何してんの?」

「俺、枯山水きわめてるよ」

東大同級生からは呆れられるかも。

だけど、何やっても、結局は、何にもならないということがはやくから分かるよ。

夢をこわすようで悪いけど。

とりあえず坊主バーにでも行ってみるのもありだよね。

http://bozu-bar.jp/index.html

もちろん、京都勉強だけしてるのもすごく清々しいよね。

ipsの山中さんみたいな髪型にしてね。

大学生栄養不足になりがちだから、とりあえずこってりでも食べて元気だしなよ。

http://archipelago.mayuhama.com/entry/2015/05/02/004600

脳に栄養コラーゲンを行き渡らせてからゆっくり考えた方がいいよ。

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