はてなキーワード: CoCとは
前提として大半のTRPGってかCoCの同人シナリオの完成度は低い。
低い中でも楽しめるものも多いので完成度=面白さではないのもわかっている。
それでもなおフォローできない面白くない、単純にシナリオとして破綻し過ぎているものも多い。
https://anond.hatelabo.jp/20250307131951
以前見たこの虚無HOリスト、確かに何が面白いのか分からないものもあればPLが受け身すぎて楽しめてないだけのものもある。
そういう個人の虚無どころかシナリオ自体がPLを舐めてるものも多い。
商業BLごっこやりたいだけ。TPOを弁えないNPC同士のイチャイチャまで見せられる。ファッション犬猿BLうちよそしたい人なら別にいいが、そうでなければやめたほうがいい
歴史もの世界観を謳っているけど設定が滅茶苦茶。文化レベルが破綻し過ぎ。あとPCは逃避行してるのにのんびり観光するし国に戻ったりするし単純にPCの悲劇に酔いたい人向け。つまらん
割と言われてるキャラメイク9割虚無シナリオ。SCPの面白さに前面に甘えてるだけで内容はない。続編の方に至ってはNPCだけで戦闘するし何がしたいのか分からん。よほどKPが改変してPL同士で楽しむ努力をできないなら行かない方がいい
挙げていくとキリがない
この記事はTRPG、マーダーミステリーにおけるPL(プレイヤー)専を生み出してしまった備忘録というか、コミュニティ運営で疲弊したので愚痴として吐き出す。
発端は、TRPG(主にCoC)、マーダーミステリーの動画を視聴して、感動してしまったことだ。
同じ作品でも人が違えば辿る物語は千万変化。世の中にはこんな物があるのかと感銘を受けた。
自分でもやってみたいと思い、普段ゲームをする友達、いわゆる身内に声をかけ、動画視聴した作品を自分がGMでプレイした。
他にもGMが居なくても出来る作品を一緒にやった。すごく楽しかった。
しかし、ウケがいいのは最初だけで、目に見えて興味を無くしていくのが見受けられた。
無理強いするのは良くないので、マーダーミステリーやTRPGをやりたい人だけを集めるオンラインセッションのコミュニティを作った。
元々身内でやっていたこともあり、おおよそ20人規模で気兼ねなく話せるようなコミュニティを目指して活動した。
しかし、結果的には約8割の人間が誘われ待ちのPL専になってしまった。
以下、原因と考えられる点を述べる。
・自分が進行役をやりすぎた
これに尽きる。
狙い通り仲良くはなれた。ただ、自分や少数のGMをやる人が誘わないと何もしない人になった。
GMやってほしい旨をお願いをしたが、どこ吹く風。
お願いする前からGMしてくれた人の負担を増やしただけだった。
・ルール決めをしていない
半年に1回はGMやる、などGMを強制するようなルールがなかった
初めてマーダーミステリーやります!という人がいたこともあり、人情的に強制ルールは組み込みづらかった。
気づいた人がやりましょう!では不満はたまる一方になる。途中からでもルールを決めたほうがよかったし、それでコミュニティの新陳代謝を促せばよかった。
・PLの方が楽しい
GMは日程調整したり、シナリオ買ったり、ココフォリアの部屋準備したり、この現代、金銭的、時間的に本当にキツい。
PLは時間通りに来るだけで好き勝手楽しめますからね。最後にGMに回してくれてありがとう〜って言えば私わかってますよ感も出せて好印象。
・休みが合わない
土日祝休み、シフト休、夜勤あり、様々な勤務形態の人が混在した結果、絶妙に合わないことが多かった
なるべく同じ勤務形態の人で固めたほうが良い
・他にもやることがある
そっちを優先してほしいが、日程がないのにやりたいです〜とか言わないでほしい。
それぐらいだろうか?他にもいろいろいろいろあったが割愛する。印象的なのは、PL専の方が遅刻したり基本的に態度が悪いこと。
このコミュニティは一応残っているが、自分が何もアクションしなかったら約2ヶ月コミュニティは動かなかった。
このPL専を野に放つのは避けたいが、勝手に行く場合はどうしようもない。本当にすまない。違和感感じたらBANでもキックでも早めにするのがいいと思う。
疲れたのでしばらく離れようと思う。
ここ10年前後クトゥルフ神話TRPGを嗜む人間なのですが、SIZの扱いにもやもやもやもやする為ここに叫びを記す。
SIZに対して「平均身長から算出すると、日本人男性でSIZ18なら○cm、日本人女性△cm……」みたいな算出してるの、ゲーム的におかしいだろーー!!!!!!!!!!!
今後も6版で例えているが7版でも同じことが言えるだろう。
よく考えて欲しい。
SIZ18のキャラがいたとして、そのキャラクターを持ち上げられるかどうかは別のキャラクターのSTRで判定したりするじゃないですか。
筋肉量(STR)によってそりゃあ「重さ」としてのSIZは前後するとはいえ、STRを10の平均値として考えた場合……
仮に
筋力が同じくらいで、30cmくらい身長差がある男と女を持上げるために必要な筋肉量さすがに違うだろ………………!?
…………いや、女性の方が大変ナイスバディだったり、世界を占めている横幅があるキャラでいらっしゃる可能性はあるが。
……つまりSIZを始めとした数値は「その人種性別の平均値からどれだけ離れてるか」じゃなくてそのまま数値として扱うことをゲーム的には前提にしてる……と思うんだ……?たぶん、だってデータだから。
いや、いや確かに公式が明確に示してないんだから自由の範囲内だと思います。けど。
同じ卓内に上記のようなキャラが揃ってしまった場合数値的に矛盾していて、気持ち悪い!となってしまい……気にする人少ないのかなあ!
そ、それに、たしかに、元々が海外のゲームだから、アジア人的には下限が高すぎるのかもなとは思うけど!
そそそそ、それに、たしかに、同卓内とはいえ他の人のキャラの身長体重なんてわからんことの方が多いので基準もわかりにくいとは思うけど。
同卓者がいいならいいと思うけど!
だから、チラシの裏みたいなここで叫ぶしか出来んのだけど……!
でもさあ!せめてこの「日本人男性の場合SIZ18なら〇cm!17なら……」みたいな表をさも公式ですよーとか、スタンダードな考え方ですよー、みたいに広めないで……欲しい!
キャラクターの背の高さと体重を一緒にしてひとつの数字で表したもの(引用:6版:42ページ)
手足を酷く失ったような場合には、それを表すためにSIZを下げることもあるが(引用:6版:42ページ)
7版もおおよそ同じようなことが書いてある。こっちは身長と体重の平均くらいとしていたはず。
だから上記の3キャラの例でも、女性が大変ナイスバディだった場合は矛盾しないことになる。
前述の通り、同卓者の許容があるなら前述したような数値的に大きく矛盾してしまう設定でも問題は無い。
でもやっぱりそれが王道のように、初心者に「参考にしてね」と男女別でSIZを身長と並べたような表を出すのはやめて欲しいなー……と思った。それは公式ルールでは無い事は留意して欲しい。あくまで公式ではSIZ=身長ではないし、男女共用の数値のはずだから………………
今日のCoCについて物申したい気持ちは分かるのよ。昔の俺もCoCばかりやっているユーザーが他のTRPGシステムをやってくれなくてもぞかしい気持ちを抱いていたし。
でも、今思えばそういうなりちゃをやりたいユーザーって昔馬場理論が流行っていた頃からいたようなものだし、CoCからあぶれてそれでもTRPGやりたい勢が他システムに流れ着いてやり始めるケースもそれなりにあるので、そういう人に戸口を開いて待った方がええんじゃないかなー……って最近思うようになった。
個人的には最近流行りのCoCシナリオをやってみたい気持ちをやる機会がないから酸っぱい葡萄扱いしてはいけないかな……と思い始めているこの頃。まぁやるにしても、俺も(CoC以外のTRPGシステムの)キャンペーン卓複数掛け持ちしている卓修羅みたいな状態なので、落ち着いたらやりたいと思っている。
最近はTRPG学級会が白熱してて、連日激しい議論が交わされている。
特にCoC派とその他派の議論は平行線になることも多い。なお筆者はバリバリの後者である。
さて、なぜこの両者の間では衝突が起こるのか。
それはそもそも両者が差しているTRPGという用語自体にズレがあるからである。
断言しよう。
厳密に言えば、CoCは広義のTRPGではあるが狭義のTRPGではない。
これは歴史的な話なので誰にも否定はさせない。知らんやつは勉強しろ。
その上で、戦闘を行うキャラクターに人格を持たせてロールプレイするようになったのがTRPGである。
だから戦闘を行わないものはTRPGではない。少なくとも狭義のTRPGでは。
正直、CoCがTRPGを名乗ることはTRPG業界にとって不利益だとすら思っている。
なぜか。
狭義の、強い言葉を使うのなら「本当のTRPG」が死につつあるというのに、それを認識できないからだ。
今はまさに、MTGにシェアを奪われていった「TRPG冬の時代」と同じことが起こっている。
だというのに。
CoCがTRPGを僭称していることによって、「TRPGは今が一番活気がある」なんて戯言をぬかすやつがいるくらいだ。反吐が出る。
古き良きTRPGを愛する者よ。
数年前。初めてCoCのボイセというものをやった。どうしてもやりたくてお願いしたソロシナリオ。
それがすごく楽しくて、人を集めていわゆる秘匿4PLと呼ばれる同人系シナリオを複数やった。楽しかった。
それをぱったりとやらなくなった。色々理由はあるがなんとなく固まってた身内の方向性がずれたり、もめたり、そもそもやりたいシナリオがなかったり、生活が忙しかったり。
いわゆる身内卓がなくなって、外へ新しい出会いを求めてみたりして。
最終的に残ったのは全く返答が来ないまま候補日の半分が過ぎ去ろうとしている伝助と、すりあわせ期間に余所の予定を入れて別卓をする知り合いと、全部を諦めてコンシューマーゲームをする私。
ゲームは自由だ。自分でやるタイミングもやめるタイミングも決められるし。なにより他者の介在がない。
自分の見たい景色を見せるために判定をねじ曲げるKPもいないし。
シナリオの描写が現実に則していないと大騒ぎして進行を止めるPLもいないし。
とりあえずこれだけ共有してくれとお願いしたのにそこから30分平気で無言を貫くPLもいないし。
同卓PLの好みに合わせてRPしなくていいし。
全く適性がないシナリオをやりたいやりたいと駄々をこね続ける奴もいないし。
存在しない第三者の評価を気にして同卓者の話を聞かず選択肢を引っかき回し続けるやつもいない。
本当に自由だ。
私はついぞ、「自分がPLとして通過したかった」シナリオには行けなかった。
そしてこれからも行けないのだろう。
それどころか、もうPLとして卓をすることもきっとない。
仕方のないことだ。
ここまで書いてちょっと語弊があるとおもったので明文化しておくがKPは楽しい。楽しかった。
でも現実問題として、KPをメインに据えると言うことは、自分が他者に消費される存在になることを許すということだ。だって市場には圧倒的にKP足りない。
好みも思考も違う人達の思惑を交通整理してなんとか卓を成立させて、以下繰り返し。
固定メンツでも大概なことになっていたのに野良とかやるひと本当に尊敬するわまじで。
「卓がやりたい」
むなしい話だとは思うし、単純に人望がないのだろうなとも思う。
いまから私の最後のPLになるはずだった卓を流します。そしたら私がKPをする約束をしていた夜1卓がきて、それでおしまい。
3年程前にクトゥルフ神話TRPGを初めてプレイした。今まで経験したことのない、オンラインで通話を繋いで他者と会話をしながらゲームを進めるという形態が面白く、卓にのめり込んだ。
学生だったこともあり時間を作りやすく、月の半数以上が卓で埋まっていることも多くあるような、所謂「卓修羅」になった。(ほぼ1ヶ月丸々卓をやっているような人もいると思うが、一般的に見れば充分卓で遊びまくっている人、にはなるだろう)
セッションを通して仲良くなった人も多く、卓が無い日には絵を描きながら通話をしたりと、CoCによって出来上がったコミュニティの人との交流が、私の人間関係の大半を占めるようになった。
そのような日々が2年弱続き、リアル環境の変化などもあり、のめり込んでいた時期よりはセッションを行う回数や日程が減った時、ふと、我に返ってしまった。
もしかして、私が今やっていることは、何の糧にもならない"なりきりチャット"でしかないのではないか?
無駄なことをしていた、とまでは言わない。新たな人間関係を築くことも出来たし、セッション中に出てきた言葉によって知識が増えたこともある。卓で号泣したことも大笑いしたこともある、非常に充実した楽しい時間だったとその時は本気で思っていた。
しかし、毎日のように21-25時にインターネットで他人と通話し、キャラクターを創作してそこに自分の声をあてて、疑似的に恋愛や親愛、交友、喧嘩、離別死別…などを享受して、あたかも自分の人生に経験値が加えられたかのように充足感を味わえてしまうこの遊びは、とてもドラッグのようで危険なのではないか、と感じ始めてしまった。
この遊びをしていれば、例え日常生活でそのような部分が上手くいっていなくても、「自分はちゃんとやれている」という偽物の感覚が沸き起こってしまう。
先程、こんなツイートを見かけた。
https://x.com/kagoyama_sns/status/1909823765485371532?s=46&t=9UMOpY3fXfXhV8EumQE_Ig
「TRPGってなりチャで身内コミュニティに浸り続けてる人が多いから(中略)関わった人の鬱病・ASD/ADHD・遅刻魔率がこれまでいた界隈の中でもダントツ」
まさに、なのだ。一緒に遊んだ人達の休職率・鬱病や双極性障害、適応障害を患っている確率が、他のコミュニティ(学校、会社、別の趣味等)にいる人々よりも圧倒的に多い。
一方で上記のような状態でなく、社会人として一般的にそれなりに働いている人間は、毎日21-25時に通話して身体も脳も拘束されていては普通はやっていられないし、やっていられる人は睡眠時間を犠牲に、ひいては寿命と引き換えに遊んでいるのではないか、とさえ思う。
更に言ってしまえば、卓修羅、とまで呼ばれる人々は、リアルの人間関係や交際はどうしているのだろう?と度々考えた。どう考えても、そんなことをする時間が無い。もし卓修羅でありながら恋人が欲しい友達が少ないと宣っている人がいるのであれば、それは自業自得でしかない。
このまま私が卓をやり続けていては、自分の生活と人生を棒に振ってしまうと、強い危機感を覚えた。
ここまでつらつらと述べてきたものが私がCoCを辞めるべきか?と考えた一番の理由ではあるが、それ以外にもきっかけはいくつもある。
・同卓でよく遊ぶが価値観は実は合わないなこの人…という人がいた
・日常が充実すればするほど卓でまで感情や喜怒哀楽を使うほど余力がない(暇な日々を送っていた時はそんなことは感じなかった)
・最近のランキングやら諸々の学級会を経てシナリオより小説を読むべきだと思った
etc…
今楽しくTRPGを遊んでいる人に、TRPGはクソだと辞めるべきだの言うつもりは毛頭ない。
だが、もし惰性で遊び続けているけどなんとなく不安感がある、みたいな人がもし私の他にもいるのならば、この感覚が届いて欲しいなと思う。これだけ界隈が広ければ、1,2人ぐらいは共感してくれて、近いアクションを起こそうとしている人もいるんじゃないか?
CoCの人間関係に勝手に縛られて、辞めづらい、こんなに時間食われるのに……と思ってしまった私のような人が、辞めるにしろ続けるにしろ、ひとつ思考のキッカケとなれば幸いである。
最後に、あくまでこれは私が最近感じたことを思いのまま書きなぐったものであり、この文章が誰かを誹謗中傷したいものではないことは明記しておく。皆様は素敵なTRPGライフを。
CoCシナリオをそれなりにやっていると、可能性としてはある話だと感じている。
固定メンバーで何度もプレイを重ねている、いわゆる身内卓と呼ばれるような卓でもそれは起こった。
キャラやシナリオに罪はないし、PLを嫌いになったわけでもないし、シナリオの続編があるというからその物語自体に興味があってプレイはしたものの、最後まで嫌いなままだった。
理由としてはPvPありの秘匿シナリオで、事前告知がないまま自分のHOが全ての元凶となるようなものだったからだろう。
自分や自探索者可愛さはあるが、しかし自分のもらったHOが何の告知もなくお前が悪いと指さされるようなものだったのだから、マイナスの感情が強く残り続けてしまった。
オマージュやインスピレーションって言ってるくせに、他作品の世界設定を流用してるシナリオの何が嫌いかって、自分の創作物です!って顔してるところ。そこまでして承認欲求満たしたいわけ?ちやほやされないと気が済まないの?自分で考えた設定でもないのにオリジナルの顔して出すなんて恥知らずも良いとこだ。
その作品がすきで、その世界観で自分も創作したい、その世界観を味わってほしいって、まじでそういうファン目線の動機でシナリオ書いたなら、パロディシナリオにすればいいじゃん。
ゲームのパロディシナリオです。世界観がすきなのでcocでもやってほしくて、って。
なのに小賢しく名前変えたりオリジナルっぽく見せたりするから、原作ファンが怒るんでしょ?
泥棒!恥知らず!ファンの皮を被ったパクりネタ集め!パクりネタ探しのためにゲームすんな!
って。
そりゃ言われて当然だよね。だって他人の作ったものを自分のオリジナルとして出すなんて、普通の創作者なら恥ずかしくて出来ない。
オマージュといいつつパクリです、のシナリオってこの世に腐るほどあるけどさ、そいつら全員恥知らずだよ。何がシナリオ作者wwwwwww泥棒集団の間違いでしょ?パクり元無いと書けない人多すぎなwwwwwwそんで、パクり元の二次創作とは言わず、影響うけましたーとか言ってオリジナルぶるの。信者にちやほやされてよかったね、現実世界でどんな生活送ってんだ。ヒキニートなの? 誰からも相手にされないからネットで泥棒してまで一生懸命なの?wwwよかったじゃん。パクって燃えても「私は復活待ってます!」とかいう頭弱い人達たくさんいてwwwwその人達からまたお金巻き上げるんでしょ?まーた泥棒して。いいじゃんいいじゃん、弱者相手の商売ってそうじゃなきゃね。
この世にあるパロディの癖にパロディって書かず、オマージュとして自分の創作物にしてる恥知らず共、まとめて全員燃えないかな。燃えすぎて同人シナリオに規制かからないかな。パクリの温床ほっといていいんですかぁ?あーでも、泥棒が作ったものだろうとなんだろうと、金がはいるから公式は動かないか。ハイハイ、弱者弱者。
たまたま何だろうけど、段取りを軽視するものを続け様に見たせいで、そういう印象が強くソリが合わない気がしている。
しかしTRPGリプレイ動画というジャンル自体には興味があり、僕が好きなソドワ2.0と2.5が廃れてしまっているので最大手のCoCにも触れたいとは思っている。
・女神転生
4を買って積んでたら増田かブクマかで「DLC買わないと完結してないよ」と言われて萎えてしまった。
4の移植を待つ。
・東方
パチュリーの見た目が好きなので原作も遊びたいがパチュリーは言うほどレギュラーキャラじゃないらしくどれに出ているか調べないといけず、諦めた。
便乗便乗ゥ
1.ソード・ワールドRPGリプレイ集〈1〉盗賊たちの狂詩曲(ラプソディ) 著:山本弘 初版1989年
これがなければ、TRPGリプレイが多数書籍刊行されることにはならなかった可能性があるくらい、歴史上はとても重要な作品。
さすがに今読むと古臭い部分は否めないが、TRPGに初めて触れた人にも楽しさが伝えられる教科書的な作品ではあります。
2.新ソード・ワールドRPGリプレイ集」シリーズ、通称「へっぽこーず編」 著:秋田みやび 初版2001年
MtGなどのTCGに押されまくってTRPG専門誌が次々と休刊していく中で、TRPGリプレイ書籍の復権に貢献した作品。
駆け出し冒険者が地道にお使い任務を繰り返して実績を重ねて成長し、最後は国家の危機に対抗するほどの力をつける成長譚。
冷静に考えると活躍自体は地味な部分が多かったですが、それを面白く魅せる筆致は確かなものでした。
9巻でアクシデントが起こったせいもありますが、合計10巻は当時のリプレイ作品では最長の巻数。
著者の秋田みやび氏は、経理担当でグループSNEに入社しながらもWeb担当を経て本作品のGM及び執筆を任された異色の経歴。
3.ナイトウィザード リプレイ 紅き月の巫女 著:菊池たけし 初版2003年
実は初出は成人向けゲーム雑誌「E-LOGIN」での連載作品である。
声優の矢薙直樹氏と小暮英麻氏をプレイヤーに迎え、インターネットラジオも同時に配信していたという何から何まで初物尽くし。
声優をプレイヤーに迎えるのは当時は前例がない(推定)ことであり、以降たくさんの作品で声優が起用されていくことになるきっかけとなった作品でもある。
なお、ナイトウィザードは2007年にアニメも放送されたが(このリプレイのキャラの一部も登場)、その前の2004年にアダルトゲーム作品も発売されている(こちらはリプレイとは世界観以外は関係ない)。
4.ご近所メルヒェンRPG ピーカーブー 著:河嶋陶一朗 初版2008年
河嶋氏が考案した汎用のTRPGシステム「サイコロ・フィクション」の第1弾。
子供とお化けがコンビになってプレイする設定のTRPGのため、実際の小学生がプレイに参加している。
歴史上重要なのはその点ではなく、本書はTRPGルールブックの扱いながら、その多くがリプレイに紙面を割かれている点にある。
数頁~十数頁程度のリプレイが掲載されているルールブックは珍しくはなかったが、紙面の半数以上がリプレイパートになっているというのは異例であった。
これ以降、サイコロ・フィクション作品では多くがこの形式をとり、ページが半数以上とまでいくものは多くないが1/4程度以上を占めるものだと、同じ冒険企画局の「艦これRPG」や「幻想ナラトグラフ(東方project二次創作)」だけでなく、F.E.A.R.の「オクトパストラベラーTRPG」等や、グループSNEのソードワールド2.5関連のサプリメントでも同様の形式がとられるようになっている。
5.ダブルクロス The 3rd Edition リプレイ・デザイア 著:加納正顕 初版2010年
TRPGリプレイとしては珍しく、「悪役」側をPCに据えた作品。
ダブルクロスはダメージインフレの激しいTRPGで、PCがHPの2倍以上のダメージを受けることも珍しくないため、防御特化型のPCは成立しづらいと思っており、これ以前のダブルクロスのリプレイ作品でもそのようなPCは一人も居なかったのですが、このリプレイで登場したPC「大門寺朱香」がそのイメージを完全にぶち壊していきました。
なお、PLは声優の若林直美氏。ダブルクロスは初プレイとのことでしたが、別のTRPGのプレイ経験はあったとのことでした。
TRPGリプレイの人気としては、観測比でほぼ最高クラスなのですが、別に証拠はなくやや趣味枠的な扱い。
(次点)
本来はこれを選ぶべきなのでしょうが、執筆者が全く目を通すことができていないため選外に。他にも旧ウォーロック誌上のリプレイとかも挙がるかとは思います。
これも挙げる人が多いかと思いますが、SNEだらけになってしまうこともあり敢えて外しています。リプレイを基にルールが改定された作品としては先駆者と言えるかと思います。
・クトゥルフ神話TRPG るるいえシリーズ 著:内山靖二郎
表紙に狐印氏を起用するなど明らかに狙っていますが、普通にホラー作品としては面白い。ただ、CoCブームに微妙に乗れなかったようにも見えます。
なお一部リプレイ登場キャラは、アニメ「這いよれ!ニャル子さん」SAN期にこっそり登場してたりする。
・アリアンロッド・サガ・シリーズ 著:菊池たけし
表題の通称「無印」以外にも、A-Mまでの派生(作者はきくたけ氏一人ではないが)でリプレイだけでも計40冊以上ととんでもない分量を誇る作品群。
どこにでもある、ありふれた、ただのコミュニティから溢れたオタク女の嫉妬だ。
私には10年以上繋がっているフォロワーがいる。彼女たちはみんな、一次創作と銘打ったいわゆる「うちの子」文化が元で繋がった。
当時、私たちは「うちの子語り」を頻繁にしていて、彼女たちの語るキャラクターの魅力や世界観が好きだった。
その時その時で作者の推すキャラクターは変わるが、どのキャラクターも魅力的だった。
親しい人同士で組んでいた関係、いわゆる「うちよそ」の話をする人も多く、そのうちよその話も、基本媒体がTwitterなので、手軽に情報にアクセスすることができた。
どんな関係性なのか、どういったところがこのふたりの魅力なのか。作者たちの力の入った紹介やイラストを見るのがとても好きだった。
生憎、私は自己完結型のオタクだったので、うちよそを組んで交流!といったタイプではなく、淡々とキャラクターの掘り下げとストーリーの公開を行っていた。それでも、彼女たちとはキャラクターへの推し感情を伝えたり、日常的な話での交流は頻繁に行っていた。
創作活動なしに、良い関係を築けていたと思う。現実での悩みを相談しあうような、親しい仲の友人と言える存在だった。
みな語る内容が「この間の卓が〜」「HO○が〜」とTRPGの話に変わった。
当時私は既に就職しており、夜の8時まで仕事がある日も少なくない、おまけに平日休みと彼女たちと全く予定が合わなくなっている状態で、後から時間差で「なんか遊んでるんだな〜」と確認する程度で、完全に波に乗り遅れてしまった。
その乗り遅れている間に、彼女たちは共通の体験をしたものにしかわからない、いわゆる"身内ネタ"で盛り上がっていく。
そうして、みるみるうちに、取り残されてしまった。
かつて仲の良かった人達がどんどんと、いつも卓の話ばかりになっていき、そのままいつも卓を囲む面子でしか話をしなくなる。
その様子をただ見ていることしかできなかった。
これは私のコミュニケーション不足が招いたとも言えるが、その"身内"の固まるスピードが異常だったのだ。本人たちは楽しく遊んでいるだけではあるので、水をさすような真似はできなかった。
媒体がTwitterからdiscordに変わり、discordグループでの会話が増え、Twitterでのツイートが減っていく。
コミュニティ外の人になってしまった私は、彼女たちが楽しく過ごしているのを見るだけで、入り込めなくなってしまった。
Twitter上で「つわぼ!鯖にて!」「通話出来る?」と私抜きで仲良くしている様を見ることしかできないのは、とても寂しかった。
でも仕方がない。私はTRPGをやっていないので、そのコミュニティへの参加資格はないのだ。
一度気を回してもらったのか、卓に誘われ、参加させて貰ったことがある。
経験者たちがサクサクと「キャラシート」なるものを作っていく中、「これ回して!」と言われたステータスデータを提示して、「じゃあこういう職業ができるよ!」「キャラデザ、メーカーでいいからざっくり考えてきてね!」と放り出され、キャラクターについて考える間もなくセッションが開始してしまった。楽しさを知る前に、あっという間にセッションは終わってしまった。
その時に嘘でも「たのしい!またやろうね!」と言えれば良かったのだろう。
でも、どうしても楽しいものには思えなかった。使い捨てのこの一瞬のためだけに作られたキャラクターたちに愛着を持てなかった。
そこで、かつてのキャラクターを掘り下げて、楽しそうに語っていた彼女たちはもういないのだと悟った。
頻繁に一緒に遊び、時間を共有する友人により深い友情を感じるのは必然と言えるだろう。
それでも、急速に完成されていくコミュニティ。それに加え、彼女たちは無自覚でも排他的な空気のコミュニティを作ってしまっている。
それが恐ろしく、悲しかった。
TRPGを遊んでいる。
ルールはCoCで所謂エモであったりうちよそであったり、PCのキャラゲーとして遊んでいるタイプの者だ。(クラシックやコズミックホラーも好きではある)
身内の仲の良い創作者たちと遊んでいたわけだが、最近スタンスの違いとシナリオに胃もたれ感を感じ、距離を置きつつある。
まずシナリオの胃もたれ感についてだが、感情をとにかく動かせればいいだけの雑エモシナリオが多い。
遊んでいる相方のPCが死ぬであったり、病気になるであったりそういうシナリオ群がある。
確かに人が死んだりする出来事は感情が否が応でも動かされる。仲の良いPCが死ぬのは悲しい。
無感動ではいられず、「悲劇」という大きな刺激が与えられることで感動的な気持ちになる。
だが、そのフック(掴み)だけ置いて、シナリオ全体の構造はお粗末なものが沢山ある。
私が雑エモと感じてしまうシナリオだが、テーマが「相方が死んで悲しい気持ちになろう!」という部分で終わってしまっているものだ。
相方が死ぬというシーンは物語の過程でしかないと思うのだが、そこがゴールになってしまっている作品がある。なので、見せ場である「相方の死」が終わってしまえば、特に掘り下げる場所も見どころもない。
大体ハッピーエンドで終わるので、相方PCは生き返り、私も喜ぶ。悲劇が喜劇に変わる瞬間は王道で解放感がある。
けれども、冷静に振り返ると「悲劇を味わうために用意された舞台セットでしかなかった」という感想で終わる。
最初こそ、こういったシナリオ群を楽しんで遊べていたが、何度も遊ぶと「あぁ、はいはいお決まりのあれね」となる。
物語に感情移入できず、お粗末な舞台セットの方に目が行ってしまうのだ。
そして、さらに辛いのが仲間内はそういったシナリオ群が流行っており、同卓者の悲鳴を楽しんでいる節がある。
KPをしていると、PLが展開によって驚いたり悲しんだりしてくれてるさまを見ることになるが、中々楽しい。それは分かる。
けれども、それを度を越して相手の悲鳴に悦を感じるのはいかがなものだろうか。
「増田さんの悲鳴聞くの楽しいんだよね」なんて言われるが、いじめ首謀者のセリフではないだろうか。
PCたちが傷つけられて悲しんでいるときに笑ってくるKPは最早デスゲームの主催である。
というわけで「悲劇を楽しむのが目的のシナリオ」と「PL弄りを楽しむ仲間」に多くあたり最近はTRPGから距離を置きつつある。
TRPGでよく言われるのが「ノリの合うメンツで遊んだほうがいい」ということだ。今回私はノリの合うメンツから外れてしまったというだけの話。
CoCに関する楽しそうなPLのポストが流れてくるたびに嫌な思い出がフラッシュバックするので独り言。
数年前CoCにハマっていた頃の思い出。
当時参加した卓は参加者が5人以上の人数多めの卓で、所謂流行りの秘匿HOものだった。
自分は絵を描くのが好きでもないし得意でもないが、参加者皆がPCの立ち絵を描いてたからそれに合わせる形で立ち絵を描いた。
その卓はボイスセッションだった。
セッション開始から30分ぐらい経った頃、参加者全員が入っているボイスチャンネルで脈絡なくKPとSKPに自分の立ち絵についてdisを受けた。
「このデザインが変、どうなってるの?w」「こんな人いる?w」「面白いデザインだねw」という感じで。
別にKP、SKPと自分は特別仲良くなかったしdisりがギャグになるような関係性ではなかった。勿論これまで特別関係が悪かったという事もない。そもそもほぼ知らない人だった。
別になくはないだろレベルのデザインだったと思ってるけど当事者だから客観性はなく真実は分からない。
自分の描いた絵が下手だったのも原因かもしれない。クリーチャーとか中学生レベルとか流石にそれ程酷くないが確かに神絵師ではない。
ずっと泣きたかったし怒りたかったがそれ以上に早く卓が終わってほしくてボイスチャンネルではひたすら受けたイジりに笑っているフリをし続けた。
シナリオが進行しNPCが新たに登場すると、そのNPCもPCの特徴を指しNPCのセリフとしてせせら笑った。なんとか我慢してシナリオをさっさと進めようとNPCと会話を続けた。
ボイスセッションだったが、他のPL参加者はドン引きしすぎたのか誰もKPらの暴言を咎めなかった。
正直自分が悪口で叩かれている人を周囲から見る立場だったとしても止められたかはわからない。
飛び火しそうで怖いから触りたくない。気持ちは分かるけど、誰一人としてその場で庇ってくれなかったことに更に傷付いた。
最終的にそのPCはシナリオの超展開で死んだ。もう使う事もない。
絵を描くのもマジで嫌いになった。筆を折られるってこういうことかと思った。
これから数多の悪意に晒されるであろうプレイヤーたちは神絵師レベルに絵が上手くないならば世間一般に好かれるような特徴を詰め込んだ無難なキャラクターを作って身を守ってほしい。
絵が下手なら素直にTRPGに使っていいピクルーとかを借りよう。もしくは神絵師にコミッションを頼もう。
KPの性癖に媚びたデザインのキャラクターをひたすらに作り、個人的な贔屓や寵愛を受けることが今時の秘匿CoCエモ界隈で卓を楽しむコツだと思う。
ツイッター構文のクソデカ誇張大喜利映画感想と地獄のミサワと初カキコどもと感情のない自分に悲しくなるコピペのすべてを組み合わせて煮詰めたようなセンスとテンションで書かれた言葉がもてはやされバズりそれがさも当然であるかのような認識がまかり通ったりジョークとして成立すると思っているような空気にまるでついていけない
TRPGで若いときの時間を食い潰すなだのインプットがどうだのの話があるが、少人数でセッションを繰り返すことでこういったあくまでも"身内"だけでしか成立しないような内輪ノリが全世界で面白おかしく通じると勘違いしてそれを見直す機会がなく増長し続けることが一番の問題に感じる