はてなキーワード: 校則とは
「世田谷区とは言っても千歳烏山だよ〜? 全然お嬢様じゃないよ〜」と彼女は謙遜して言うけど、地方のクソ田舎出身の私からすればそもそも東京に住んでいる時点で上級国民なのだ
貴族と言っても過言ではない
A子は本当にいい子だと思う
ゼミが同じになったというだけで私みたいな芋臭いデブスとも仲良くしてくれる
とにかく愛想が良く、気遣いがうまく、それでいて押し付けがましくない
ユーモアもあり、教養もあり、都会的な洗練された振る舞い方をしている
はたから見れば私のような上京したての芋ブスごとき、こんなお嬢様によくしていただいたって時点で頭を下げて感謝すべきだって話なんだろうけどA子と話していると時々どうしようもなく疲れてしまう
いや、疲れるというのも適切ではない
疲れとイライラと無力感を足して割ったような、そして時々A子を刺し殺してやりたくなるような、そう言う気持ち
田舎者の僻みだと言われればそれまでだけどA子に対して今までの人生でもほとんど感じたことのないような憎しみを抱くことが時々ある
友達になってすぐ、大学の帰りにゴンチャを飲みに行ったことがあった
地方クソ田舎出身の私はほとんどゴンチャの実店舗に行ったことがない
用事があって家族と最寄りの地方都市に行った際に寄ったことはあったけど友人同士は初めてだった
田舎者の私にとってゴンチャに行くのは一大イベントであり、憧れであり、特別なことなのだ
会話の流れでそのことをA子に話したらA子は「ええー!それならもう毎日行こうよ」と冗談めかして言った
「毎日はともかくシーズンごとに行こう」「新作がでたら行こうよ」と
A子は話の流れで「中学のときに友達とよく通ってた」「高校に入ってからは太るからあまり行かなくなった」と言っていた
脇からすーっと男が寄ってきて「おねーさんたち、いまひま?」「飲みに行かない?」と声をかけてくる
私は本当にびっくりして「こんな漫画でしか見ないようなことほんとにあるんだ!」と感動半分、恐ろしさ半分といった気持ちになっていた
時間にして20秒くらいだと思うけど私にとってはあまりに衝撃的すぎて今でもあの男の顔、セリフの一つずつを正確に思い出せる出来事だ
「本当にナンパっているんだね!」と感動して伝えるとA子は「あんなのしょっちゅうだよ」と苦笑いしていた
「どこにでもいるよ、あんなの」「夜に駅を歩いてたら絶対に1回は声をかけられるよ」「明大前くらいまで行けば流石にあまりいないね」と
「居酒屋奢るから一緒に行こうって相手に言われて、「私、高校生ですよ?」って伝えたら「え!ラッキーじゃん!」って叫ばれたことがあるよ、いろんな意味で倫理観終わってるでしょ」
A子は笑い話としてこともなげに言う
高校生にこんなことを言う男にドン引きしたし、もし私の地元で同様のことが起これば全校集会で注意喚起されて警察のパトロールが増えて近所一帯全員1ヶ月はこの話をし続けることになるだろうと思う
でも、東京で青春を過ごしているA子のような女子中高生にとってはこんなの日常茶飯事で、ナンパの躱し方くらいは常識らしかった
夕飯はホテル内にある高めな雰囲気のレストランに行くことになっていた
「大学生ならこういうのを一個を持ってなさいってお父さんが買ってきたやつだよ」
「使う機会ないと思ってたけどこういう機会があってよかった」
私は田舎者なのでロエベなんてブランド知らなかったからその時は「ハイブランドなの?すごいね!」と調子を合わせてた
ホテルのペラペラの浴衣にロエベのポーチを手に持ったA子の姿は今でも鮮明に覚えている
一方で私のポーチはZOZOTOWNで適当に買った謎ブランドのそれ
そもそも旅行に行くって話を聞いてから私はお金を稼ぐためにガールズバーでバイトしていたけど、実家暮らしのA子はきっと旅行の費用は全部親から出してもらっていたのだと思う
ブランドと言えばA子に服を買うのに付き合ってもらったこともある
地元にいた頃は服は基本ZOZOTOWNでブランドも見ずに買っていたし、上京してしばらく経ってもそれは同じだった
でも東京にいて友達と遊べば色々なブランドの色々な実店舗を目にすることになる
それでA子に服選びに付き合ってもらった
色々悩んでナノ・ユニバースのなんてことはない1万円以下の上着を買ったけど、きっとその時A子の身につけていた服装はもっと上の価格帯のものだったんだろうな
「なんでこんな中高生が着るようなブランド買ってんだろ」って内心バカにしていたのかもしれない
私がこんなクソ田舎の僻み根性丸出しにして劣等感を抱えていることを察してもいない
高校生にもなって「夜8時頃うちの学校の生徒が〇〇街近辺をうろうろしていたそうです! きちんとおうちに帰りましょう」なんてクラスのホームルームで注意喚起されるような環境も
校則で男女交際が明確に禁止事項として挙げられていて、誰かと誰かが付き合ってることがバレれば先生に呼び出されるような環境も
放課後にやれるのは部活くらいなものでふらっと遊びに寄れるような施設すらない暮らしも
A子は言っていた
高校時代に付き合っていた彼氏が結構遊びに行きたがる人だったからそのおかげでこうして新宿の街案内ができていると
行きつけのカフェもレストランもその彼氏と通い詰めたところだと
「新宿は歌舞伎町のある方より西口の方がいいお店たくさんあるよ」
「ビジネス街だから殺風景だけど美味しいご飯食べたりお茶をしたりするだけなら絶対西口の方がいいよ」
新宿西口を「殺風景」というような価値観なんて私には一生かけても獲得できないと思う
こういう、何の抑圧も受けずに欲しいものはすぐ手の届く範囲にあってぬくぬく育ってきた東京育ちの、それ故の優しさや気遣いって本当に鼻につく
こういう人種の厄介なところはこっち側が僻んでいるだけだから責められないというところ
A子のせいで私は散々傷つけられているのに、こういう傷つきもすべて私の性格の悪さのせいにされてしまう
夏休みの自由研究に頭を悩ませていたハチベエ・ハカセ・モーちゃんの三人は、社会科の授業で習った「三権分立」という言葉に目をつける。
「国のえらい人たちは、立法・行政・司法に分かれてるんだってさ!」――ハチベエの一言から、三人はクラスを舞台に“模擬政府”をつくることに。
モーちゃんはみんなの意見を聞いて“立法”を担当し、新しい校則もどきを作り出す。
ハチベエはリーダー気質を生かして“行政”を握り、その校則を本気で実行に移そうとする。
ハカセは“司法”役として冷静に判断を下し、クラスのトラブルを模擬裁判で裁こうとする。
最初は遊び半分だったが、忘れ物や掃除の当番をめぐって本気の“裁判”が始まり、クラス中を巻き込む大騒動に発展。やがて三人は、「立法・行政・司法がうまく分かれているからこそ公平な社会になる」という仕組みを、身をもって学ぶことになるのだった。
ブラック校則と同じで、頭の悪い層が、「そんなの誰が決めたんだよー」とか煽るから発生するんだよな。
そんな細かい規則、実際にやらかしたアホウが存在しなかったら、選びに選んで規定されるわけがないんだ。
校則については、その学校のOB、OGに、やらかしたアホウが1人2人の規模じゃなくいた、って証拠だよ。
大量のトイレットペーパーをトイレに突っ込んで詰まらせまくった上に、「トイレに流していいトイレットペーパーの長さどこで決まってんだよ! この程度で詰まるトイレが悪いんだよ!!」って啖呵切ったアホウがいた学校は、一度に使うトイレットペーパーの長さは、って校則に追加されたんだ。
そういうアホウがいない、偏差値の高い学校は「制服は決められたものを着ろ」「うるさいから下駄は禁止」くらいだったよ。
制服についても、毎度毎度、新生徒会が立ち上がるたびに制服廃止の動議がなされるけど、毎日何着ていくか迷ったり悩んだりするのが面倒だし、一応伝統ある学校だから、って毎度否決されて残ってたから、実質、下駄だけが校則だったわ。
例えば君のクラスの全員から千円ずつ集めて、使い道を決める人を、日曜日に集まった皆の投票で決めるとします。
もしも男子だけ投票面倒くさいーと行かなかったら、女子全員で美味しいかき氷を食べに行こう!と全部使われても文句が言えません。
男子のため使おうという人は当選できないのなら、女子のために使おうと言う政治家ばっかになってしまいます。
さらに皆のルールとか集める金額とか自分に不利益な内容を勝手に決められても文句が言えません、それが選挙です。
と言ったら何か刺さったみたいで、選挙の新聞読んで「消費税0円!いいね!」とか言ってたけど旦那が「こういう浅はかなのが居るから」と笑ってしまって、子供が「馬鹿にされた」と新聞ぽいっと、してしまった。
きっと底知れぬ不安や生きづらさを抱えている人が、たくさんいるはずです。
でも、その原因は、特定の集団や政策によって引き起こされているような単純なものではありません。
私たちが暮らすこの社会はとても複雑なシステムをしているため、そこから生まれる不安や生きづらさの原因も複雑です。
ムラ社会、長時間信奉、自己責任論、家父長制、自他境界の弱さと侵害、人治主義の横行などなど。
社会的・文化的要因が非常にたくさんあり、それらが複雑に絡みあって、この国の危機が生じているのです(※思いついたものを文末に18ジャンル108項目ほど掲載してみました)。
ですが、これだけたくさんの社会的な病理を抱えているにもかかわらず、私たち日本人はこれまでしっかりと解消・改善を進めて来たでしょうか?
政治に限らず、学校、職場、家庭、地域、マスメディア。あらゆる場面であらゆる取り組みが必要なはずなのに、残念ながらほぼ全て手つかずの状態ではないでしょうか?
そうして不安や生きづらさの社会的要因や文化的要因を解消・改善しようという努力をほとんどして来なかったこと。
それこそが、私たち日本人が感じている不安や生きづらさの最大要因なのだと思います。
ところが最近、この構造を極度に単純化し、私たち日本人の不安や生きづらさが「○○のせいだ」と、特定の集団や物事等が原因であるかのような言説が広がっています。
リベラルのせい、オールドメディアのせい、ワクチンのせい、財務省のせい、フェミニズムのせい、ジェンダーフリー教育のせい、ポリコレのせい、等々。
発信者によってターゲットは様々ですが、その中でも昨今急速に広がっているのが、外国人・移民や、彼らに対する優遇が原因であるかのように語る言説でしょう。
ですが、私たちの暮らしの不安や生きづらさを生み出している原因は、本当に外国人・移民なのですか?
私たちを日頃苦しめている物価高も、所得の伸びや労働分配率が低いのも、無くならないイジメやハラスメントも、もたらしているのは外国人・移民なのですか?
「日本人ファースト」なるもので外国人・移民に対する規制を厳しくして、それらが解決するのですか?
彼らが語る「日本の危機」の大半は、「生活の中で直面している不安・生きづらさ」ではなく、「ネットの誰かによってもたらされた不安」や、「スマホが無かったら生まれなかった不安」に思えてなりません。
少子化問題でも、子供を産まない働く女性や、男女共同参画のせいにするような言説が叫ばれています。
国家のために出産の意思に介入しようという発想自体が非常に問題ですが、明らかにそこに因果関係はありません。
女性の職場進出が日本より進んでいるのに日本より出生率が高い国もたくさんあるのがその証左です。
このように、複雑な構造の極端な単純化やデマによって、特定の集団や政策等に不当に原因を帰属させ、責任転嫁する他責的言説のことを「スケープゴーティング」と言います。
ドイツ国民が感じていた経済的不安・社会的不満・敗戦の屈辱感などの原因を、ユダヤ人や共産主義者、ヴェルサイユ条約、その他の少数派に転嫁する形で支持を拡大しました。
まさに今、それと非常に近しい「他責的言動」が広まっているように思うのです。
その背景にはやはり、SNSの普及とその構造の問題があります。
タイパ重視に伴うわかりやすさの過剰評価と、「事実<分かりやすさ」への価値逆転
そういう環境下だからこそ、インフルエンサー、まとめ動画、情報商材などによる「スケープゴーティングコンテンツ」が、陰謀論や反知性主義、ストローマン(相手の意見を歪めて攻撃する手法)等とともに急増しています。
注目すべきポイントは、選挙に限らず、様々な分野でそのようなコンテンツ・言動が広がっている点。
そして、政治思想や支持政党に関係無く、スケープゴーティング自体が、ポピュリズム等とともにネットのカルチャーや人々の思考回路に深く浸透してしまっているという点です。
つまり、①SNSの構造的問題により、②陰謀論、反知性主義、ストローマン等とともにスケープゴーティングが生じやすくなり、③その結果ポピュリズムや排外主義の拡大に“も”つながったという流れがあります。
一部の人々は、排外主義に反対の声をあげており、それ自体は絶対に必要なことです。ですが、①という根っこの部分に対応しない限り、排外主義の蔓延も止まらないように思うのです。
そこで私たちは、ITプラットフォーマー、国・政府、マスメディアに対して、以下のような方法でスケープゴーティングの蔓延を止めるよう強く要請したいと思います。
(1) ITプラットフォーマーに対して…スケープゴーティングの拡散を抑える仕組みを速やかに整備・強化すること。たとえば、アルゴリズムの見直しや(広告も含めた)ファクトチェック/スケープゴーティングチェック表示機能など。
(2)国・政府に対して…(1)を進めるための法令を整備すること。地域や学校でデマやスケープゴーティングに対する注意喚起・啓発を行うよう要請すること。
(3)マスメディアに対して…スケープゴーティングの問題について積極的に警鐘を鳴らすこと。政治家・著名人・インフルエンサーの発言のファクトチェックや「スケープゴーティングチェック」を選挙に関係無くその都度行うこと。
是非ご賛同いただければ幸いです。
なお、この署名は特定の政治家・政党を対象とするものではありません。あくまでスケープゴーティング自体の問題を問うものであり、同じ問題意識を持っている方は、支持政党に関係無く賛同をお願いします。
加えて、デマや差別の収益化問題に関しても、規制を求める署名キャンペーン「#デマや差別の収益化を法律で禁止して !IT企業に対応を義務付けてください」を実施しております。こちらも合わせてご賛同よろしくお願いいたします。
一方で、私たち市民一人ひとりも、スケープゴーティングに対してしっかりと防衛しなくてはなりません。
日常会話の中におけるこまめな情報源の確認(たとえば「え、それってどこに載っていたor誰が言っていた情報?その情報源って信用できるの?信用できるかどうかってどうやって決めているの?」という問いかけ等)
人権や社会構造等にある程度理解のあるAIチャットサービスの活用した簡易チェック ※ただしハルシネーション(AIが事実に基づかない情報を生成すること)に注意
やれることはたくさんあります。
また、個人だけではなく、学校、職場、家庭、地域、市民活動など、暮らしのあらゆる場面でもスケープゴーティングを止める多様な取り組みや活動が必要です。私たちのこの活動もその一つとして機能できればと思っています。
◆(参考)日本が抱える社会問題の社会的/文化的要因(108例)◆
① 人権の未確立、権威主義、序列社会、ノブレス・イミュニテ/プルブレス・オブリージュ、身分制人事/身分制給与、スクールカースト
② ムラ社会的同調圧力と排他性、成文化されていない規範の強さ、均質性至上主義、縁故主義/ネポティズム、集団への過剰な帰属意識、他者の目線に対する過剰反応、自己検閲
③ 事なかれ主義、過度なリスク回避主義、泣き寝入り圧力の強さ、組織の自浄能力の欠如、形式的反省評価社会、加害者更生意識の希薄さ
④ 空気至上主義、迷惑回避至上主義、文脈理解の難しいハイコンテクストなコミュニケーション、忖度社会、アサーティブコミュニケーションの未発達、コンフリクトマネジメントの未発達
⑤ 形式主義、前例主義、手段の目的化、名誉への過剰な執着、事前審査偏重社会、長期的視点の欠如、申請主義/プル型公共サービス
⑥ 根性論、長時間信奉、自己犠牲至上主義、忠誠心評価社会、顧客至上主義、遅刻過剰嫌悪社会、ケア労働の無報酬性・低評価、メンバーシップ型雇用、年功序列
⑦ 家父長制、ミソジニー、ホモソーシャル、himpathy、toxic masculinity、性別役割分業、貞操崇拝
⑧ 各種ハラスメント、DEIの未発達、アンコンシャスバイアス、マイクロアグレッション、セクシズム、レイシズム/ゼノフォビア、エイジズム、ルッキズム/ボディシェイミング、感情労働の過剰要求、レイプカルチャー/ポルノカルチャー/買春カルチャー、性的消費の横行、未成年の性的対象化
⑨ 標準家庭神話、機能不全家族、積極的自己選択ではない家族形成、過剰な家庭教育責任論、母性神話
⑩ 管理教育、自己肯定感育成意識の欠如、多様なアイデンティティの未発達、ブラック校則、集団行動至上主義、リテラシー教育の欠如
⑪ 反知性主義、幼稚性賛美、正義フォビア/公正さフォビア、真面目フォビア/正論フォビア、イジメの陰湿性
⑫ 自他境界の弱さと侵害、認知の歪みの放置、わら人形論法の横行、二元論/二項対立思考、ルサンチマン惹起構造
⑬ 民主主義型コミュニケーション能力の未成熟性、議論フォビア、抗議フォビア、政治的話題忌避主義、ロジカルシンキング/クリティカルシンキングの欠如
⑭ 立法の不作為と失政、ジャーナリズム崩壊、人治主義/治外法権組織の横行、司法・警察の恣意的判断の介入、セクショナリズムの蔓延
⑮ 利他主義や社会貢献意識の欠如、冷笑主義、新自由主義、公共概念の消滅、セーフティネットの欠如、依存先の多元化不足/共助コミュニティの崩壊
⑯ 公正世界仮説と自己責任論/自助圧力、権力勾配性に対する無理解、特権や構造的障壁に対する無理解
⑰ 経済格差/教育格差、社会資本格差、負担と給付の一致という前提に欠けた政治議論、血縁跡継ぎ社会
⑱ ハレの偏重とケの軽視、穢れの思想、休日分散化の未発達、美談化による本質回避主義
…アホかこのサイトは
バブル崩壊が小学生低学年、中高と就職氷河期の時代を見てきた。
子どものころ、大人は楽しんではならない。遊んではならない。ルールは上司が作り、上司は気に入らないことがあれば理不尽に部下を虐げてもよい。
そんな理不尽な世の中だと思っていた。
だいぶ偏っている考えだと思っているが、いくつかルーツがあるんだ。
まず、小学校の頃だが、中学に上がると絶対に部活に入らないといけないということを知った。
親になんで部活に入らないといけないのかと聞いたら、「子どもを遊ばせないためだよ」という答えだった。
この遊びとは、今だと分かるが不良のような悪い遊びというつもりで言ったのかもしれないが、
小学生の僕は、「中学生に入ると遊ぶことは禁止されるのか…勉強の後は部活で、ゲームやプラモデルはもうできないのか…」と本気で思い怖くなった。
そのころ、テレビでは「24時間働けますか」というCMがやっていた。
また、CMやドラマではOL等が「明日から休みだ。旅行だ」と楽しみにしていると、理不尽に上司から残業を命じられたり。
子どもが楽しみにしているのに親が接待ゴルフのために約束を果たせないとか
急な転勤でせっかく建てた家なのに父親だけが一人どこかに行くとか
そんな描写ばかりで、もう恐ろしくなった。
※うちの家族は自営業なので、しょっちゅう家にいるので、家族がバラバラに命令でさせられるということに怖さを覚えた
また、中学には校則がありいろんなことが禁止されるという噂も耳にした。
これは管理教育の頃の記憶が新しかったためそういう話が子どもたちにも知られて噂になっていたのだ。
先輩の言うことは絶対聞かなければならない
先生は怒ると本気で殴ってくる
実際ちょっと前までは事実だったのだろうが、90年代にはなりを潜めていたのだが、そういうことがあった事実が恐怖を増幅させた。
特に音楽に関してはただ好きな物を聴いているだけなのに禁止されるのは意味が分からないと思っていた。
このように非常に強固に大人になることの恐怖を覚え、小学校高学年の頃は懲役刑に服す前の囚人の気持ちだった。
実際、中学に入ればそんなことはなく、正直肩透かしではあったが、
ただニュースから流れてくる話や、親がいう大学生が大変だという話を聞いて、
やはり会社にいる大人たちは地位を盾に不条理な仕打ちをして快感を感じているんだとおもった。
多感な時期に「人はチャンスがあれば相手を破滅させる行動にでる」という警戒心が無意識についた。
一例として、横断歩道を渡る時にかなり警戒するようになった。
通常であればわたっている最中なら徐行なりしてくれるだろうが、
相当車が遠くにいても、横断歩道を歩いている子どもがいれば運転手は理不尽に怒り、最高速度で轢きに来ると思っていた。
なので、信号がない横断歩道は、ずいぶん先まで車がいない時ではないと渡らなくなった
ちなみに、大人になっても若干それは感じるので、車線変更や右折のときに怒った運転手が追突してくるんじゃないかという恐怖は常にある。
他にも、大人に趣味や好きな物を言うと、それが逆鱗に触れると怒られるかもしれないとかも思った。
高校生くらいのときだって、「仕事の効率が悪くなるから結婚禁止や趣味禁止のルールがある会社は結構あるだろうな」とも思っていた。
ただ、このおかげでいろんな良いルートへの可能性を警戒感ゆえに潰してきちゃったかなっておもっている。
もう今はどこで何してるかもわからない、縁が切れてる高校時代の友達だった人が忘れられず、思い出さない日がほとんどないです。
縁が切れていることから以下全て自分の思い込みが大半を占めることにはなるのだと思いますが、アニメやイラストなどの趣味のような話やコスメや美容の話など色んな話ができたり、ユーモアがあったりなど話していてとても楽しい友達だったなあと思います。
その子はクラス替えでクラスが離れた後、詳しいことは分からずですが恐らく何か大きな決定的なことがあり、PTSDやうつ病など精神的なことが理由で不登校気味になりました。
たまに会ったり連絡を取ったりすることはあり、もちろん以前までと同じく好きな友達の姿もありましたが、やっぱりどこかこれまでとは明らかに違う精神の不安定さを感じ取ることが多々ありました。
私はどんどんどう接するのが正しいのかよく分からなくなることが増えました。というのも、その子の言動から察するに人間関係がきっかけでそうなったことが明らかで、誰と接するにしても人のことを信じたり気を許したりすることが難しくなったのではないかということが感じ取れて、私も何か刺激してしまうことを言ってしまうのではないか、してしまうのではないかという不安がどんどん大きくなってきたのです。
やがてその子は高校は中退し、周りの人たちとも疎遠になっていったのですが、私はその後もその子と関わりを持っていて、どう接していいか悩んでしまう自分とこれまでのように単純に仲良くしたい自分が共存する状態で接していました。
今思い返すと、その時のその子からしたらこういう私の悩む気持ちが接し方に出ていて、どうせ私もただ仕方なく離れられないだけだと自分を見下しているように感じたりしてしまったのかなと考えてしまいます。
私は高校卒業後に大学へ進学し、その子はたしか高卒認定を受けただか受ける準備をしていただかと思います。
これがその子と最後に会った日で最後に関わった日の記憶だと思うのですが、私もその子もディズニーが好きだったので、一緒にディズニーに旅行に行きました。
その子は精神状態が不安定になってからなかなか外に出ることも億劫になっていたみたいなので、県外に泊まりで旅行に行くというのはかなり大きな一歩になっていたと思います。
私は一緒に行けることが本当に嬉しくて楽しみでした。
久しぶりに会ったその子は髪を切って染めていて、とても似合っていて可愛くて、私は本当に久しぶりに前と比べて元気そうに見えたその子と会えたことと旅行に行けることをうれしく思いました。
ディズニーではお揃いのカチューシャをつけたり、アトラクションの待ち時間も楽しく過ごせたり、本当に楽しい時間でした。
しかし2日目、本当に今思えば言い訳でしかないのですが、私は大学での慣れない日々やバイトなどからの疲れで、少し体調が悪くなってしまいました。ここで正直に話して少しでも休めば良かったのだと思います。
ずっと楽しみにしてきたこと、その子がこれまで色々あった中で遠出までできたこと、等をぐるぐる考えていると普通に元気に過ごさなきゃとかそういうことを考えてしまい、結局無意識にその疲れが全て態度や言動に出ていてその子に嫌な思いをさせてしまったのではないかと思うのです。
この旅行から帰り、その後その子とは連絡を取ったりすることはほぼなくなり、会うことも全くなく、疎遠になりました。
それ以降私はその時の後悔含めてその子のことが忘れられず、思い出さない日がほぼないです。
しかしその子が周りの人間関係をほぼ絶っていたことを考えると私もそのうちの1人でしかなくなったのだと思い、自分から連絡するというのはできませんでした。
私自身、大人になってから色々あって精神的なことで病院を通うことになったこともあり、思い返すとその旅行の件以外でもこれまで精神状態が不安定な人に対してよくない態度をとってしまっていたなあと身に沁みることが多々あり、尚更大きな後悔になっています。
本当に言い訳でしかないですが、当時学生で今ほど精神が病んでない頃の私には、そういう当事者の理解が全然できておらず無意識に傷付けてしまっていたと思います。
もう縁が切れてから何年も経つので今更なにを思ってもどうにもならないのですが、何年も私の中では忘れられない人です。
当時のその子からしたらきっと私はすごく嫌な人で、きっと縁が切れてからのその後私のことを思い出すことがあっても嫌な人としか思い返せないだろうな、と思います。
絶対に全く叶うことがない思いですが、私は未だに、今でも、またその子と話せる日々があればなあと思ってしまいます。
最近の学生ほど校則が緩くなく学校で化粧などありえなかった学生時代でコスメの話をしていたことや、ディズニーに行った日の可愛くなっていたことを思い返すに、きっと今もっと美容意識が高くなっていて可愛く綺麗になっているだろうなと思うと、またそういう話が聞きたいなと思います。