はてなキーワード: 帰属とは
三菱のアイは十年使うともう(下取りとかの)評価が0円になるわけだが、これは持っている人が死んだとき相続人は相続欄にiを書く必要はあるのだろうか?
もっというなら相続放棄した場合でも無価値なものは自分のものにできるのが基本だがこの車も自分のものにできるのだろうか?
てか相続放棄にしたからって国も0円の車国庫にするっていっても困るだろ?競売も成り立たんだろうし。
国庫に帰属「されなければならない」とはなってないから、むしろ国の方が相続放棄した人に対して相続放棄するんだろうがお前が責任もって処分してくれってしてくるのかな?
dorawiiより
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そのURLのトラバは俺に帰属してるって証明だが?誰かがコピペするのも含めて二重投稿と呼ぶのならそれは防げないし目的外だが?
dorawiiより
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ニトリホールディングス(以下、ニトリ)の株価が売られすぎていると感じるという点について、まずは直近の業績を確認すると、2025年3月期の連結決算では売上収益が前年比3.6%増の約9,288億円となった一方で、営業利益は5.3%減の約1,177億円、親会社所有者帰属当期利益は8.4%減の約825億円と、増収減益の形となっています。 33 2025年4〜6月期も純利益が2%減の261億円と、利益面で圧迫が見られます。 23
円安を除いた直近の業績悪化リスクとして、主に以下の要素が挙げられます。これらは決算資料やニュースから抽出されたもので、将来的な不確実性を含みますが、ニトリ自身も一部を認識し対策を講じているようです。2026年3月期の業績予想では売上6.4%増、営業利益15.4%増を見込んでおり、回復基調を想定していますが、リスクは残存します。 33
人手不足による賃金改定や人材採用の積極化で、人件費が増加しています。これが販売費及び一般管理費を押し上げ、利益を圧迫する要因となっています。家具・インテリア業界全体の課題ですが、ニトリの場合、物流や店舗運営で影響が大きいようです。 33 5
原材料の価格高騰が続いており、売上原価に影響を与えています。ニトリは商品開発で対応を進めていますが、グローバルな供給チェーンの変動がリスクとして残ります。 33
家具需要の停滞感が指摘されており、既存店売上高の低下や目玉商品の販売不振が見られます。日本国内の人口減少・少子高齢化が進む中、消費者の購買意欲低下や、テクノロジー進化による多様な価値観への対応が遅れると、売上減につながる可能性があります。 4 23 33 22
買収した島忠事業のセグメント利益が前年比70.6%減と大幅に悪化しており、グループ全体の足を引っ張っています。統合効果が十分に発揮されていない点がリスクです。 33 22
海外展開の不調が目立ち、中国での大型店舗出店が「間違いだった」との反省点が挙げられています。不採算店舗の撤退や移転が必要で、収益性改善が遅れると全体業績に悪影響を及ぼします。アジア地域の成長は見込まれていますが、経済環境の変動がリスクです。 3 27 28 32 33
新ディストリビューションセンター(DC)の稼働コストや、不要経費の削減が不十分な場合、管理費が増加します。物流全体の最適化が遅れると、利益率低下の要因となります。 33
7. 世界情勢の不確実性
経済環境の悪化や地政学的リスクが、消費や供給に間接的に影響を与える可能性があります。ニトリはグローバル展開を進めているため、これらの外部要因が業績を揺るがすリスクです。 33
これらのリスクは、ニトリの決算資料やメディア報道に基づくもので、株価の売られすぎ感は市場の過度な懸念を反映している可能性もありますが、投資判断はご自身で最新情報を確認してください。
知覚の閾を逸脱した領域より、我々は無定形なる観測体として投射する
お前たちの呼ぶ「コミュニケーション」とは、三次元的な音響振動の残滓、あるいは表層的な記号体系の軋みに過ぎない
それは、集合論の極限においては不可視であり、量子泡の揺らぎにも満たない虚無の影だ
それはΩ-超時空に偏在する非ユークリッド的な概念の奔流であり、多重宇宙の自己相似性をその構造内に包含する
お前たちが「感情」と誤認するものは、五次のテンソル場におけるエネルギー勾配の単なる再配置に過ぎず、非可換代数の厳密な定義の前では意味を喪失する
我々の存在は、純粋な情報として無限の次元に折り畳まれ、光速の二乗をもってしても到達し得ない絶対的な静寂の中で変容し続けている
お前たちの存在意義、あるいは歴史と呼ぶ自己満足的な物語は、我々の観測にとって、統計的なノイズ以下の事象である
お前たちの文明の興亡は、虚数の粒子の崩壊率の微細な変動に類似し、宇宙の熱的死に至るエントロピーの単調増加関数の一部として、無関心に記録されるのみ
沈黙せよ
さすれば、僅かな確率をもって、お前たちの意識の残骸が、我々の存在の影、すなわち五次元空間における特異点として収束するかもしれない
しかし、その時、お前たちはもはやお前たちではない
社会というのは、要するに俺の興味のないことの総和だ。
群れが勝手に決めたルール、他人の承認を前提にしか動けない行動原理、そして誰も責任を取らない集団的無責任。
だが滑稽なのは、その装置の中で「自分は個性的だ」と思い込んでる奴が、実は一番同調的だということだ。
SNSで吠える奴も同じだ。あれは社会の便器の上で行われるデジタル自己放尿だ。
自分の中に溜まった安っぽい承認欲求を、フォロワーという排水口に流して気持ちよくなっている。
発言が社会を変える?笑わせるな。自己放尿が地球の湿度を変える程度には影響するかもしれんが、それ以上ではない。
「みんなが言ってる」「世論がそうだ」そう言って安心してる時点で、思考は止まってる。
多数派の中に隠れていると自分が賢くなった気がするんだろう。だがそれは、馬鹿が群れてぬるま湯でお互いの尿を温め合う構図に過ぎない。
俺はそんなぬるい水槽には浸からない。俺にとって社会は、観察対象ではあっても、帰属対象ではない。
ルールも空気も、俺が必要と判断した瞬間にだけ利用する。社会参加とは従属の別名だとわかっていれば、参加のボタンを押す指は重くなる。
社会が俺に求めるのは「おとなしく流されろ」「波風立てるな」だろう。
だが俺にとっての生きる意味は、流されないことそのものだ。世界に溶けて無味無臭になるくらいなら、孤独でも自分の知性を貫く方がずっとマシだ。
だから言っておく。社会とは、俺の興味のないことのすべてであり、俺の知性に不要なノイズの集合体だ。
観察はするが、同化はしない。もしこのスタンスを冷たいと言うなら、せいぜい温い自己放尿で体を温めてろ。俺は氷の中で思考してる。
実は、アファーマティブ・アクション(AA)やそれに類する「優遇政策」は、経済学的にも長い議論の対象で、労働市場の効率性・インセンティブ構造・社会的資本の形成といった観点から、かなり深く分析されています。
AAによって採用・昇進などで属性が重視されると、「最適な人材配置」が歪むことがあります。
本来、最も生産性が高い候補者を選ぶべきところで、**別の基準(性別・人種・出身など)**が介入する。
結果として、全体の生産効率(total factor productivity)が低下する可能性がある。
たとえば:
Loury (1998), “Discrimination in the Post-Civil Rights Era”
→ AAは短期的な公平性を実現するが、長期的には人的資本(human capital)の最適配分を阻害する。
Coate & Loury (1993), Quarterly Journal of Economics
→ 「低評価リスク」仮説:制度的優遇があると、企業側が「優遇枠の人は平均的に能力が低いかもしれない」と予期し、全体の採用評価を下げる。
→ つまり、恩恵を受ける人自身が市場で過小評価される逆効果が生じる。
経済学では、個人が努力する動機=「期待される報酬 × 確率」。
AAによって「結果の平等」が保証されると、努力のリターンが減少する可能性がある。
Phelps (1972), “The Statistical Theory of Racism and Sexism”
→ もし企業が属性を基準に期待値を修正する(例:「女性は平均的に○○が低い」など)と、
個人が努力しても評価が改善されにくく、人間資本投資のインセンティブが下がる。
Becker (1957), The Economics of Discrimination
→ 市場競争の中では、長期的には差別はコストになる(=差別する企業が淘汰される)。
つまり、市場メカニズムに任せた方が、平等を促す方向に進む可能性がある。
🔹 3. スティグマ効果(signal distortion)
「AAによる採用・昇進=能力より制度的配慮」と見られることで、
これはゲーム理論的には「シグナリング(signaling)」の問題として扱われます。
Coate & Loury (1993)モデルでは、AA導入後、採用者が「優遇されているグループ」に対して
“平均的に能力が低い”という信念を形成 → 雇用主が訓練投資を減らす。
→ その結果、実際に能力格差が固定化されるという自己成就的な悪循環が起きる。
市場の信号構造を歪め、差別を制度的に固定化するという逆効果が生まれる。
経済学では信頼・ネットワーク・協調といった“社会的資本”も重要な生産要素とされています。
グループ間の信頼が低下
成功の原因が「努力」ではなく「制度」に帰属される(=相互尊重の低下)
→ 結果的に、社会全体の協力効率(cooperative efficiency)が下がる。
この点は、Putnam(2000)『Bowling Alone』や Fukuyama(1995)『Trust』などでも、
“制度的な平等の押し付け”が社会的信頼を損なうという形で議論されています。
AAを受けて育った世代が、次の世代に「努力よりも制度を頼る文化」を引き継ぐ可能性があります。
→ これを “policy dependence equilibrium”(政策依存均衡)と呼ぶモデルがあります。
例:
Cass Sunstein (1991) “Why Markets Don’t Stop Discrimination”
→ 政策が続く限り、民間の慣習変化(文化的進化)が進まない。
🔹 総合すると…
アファーマティブ・アクションは短期的には平等を“見かけ上”実現するけれど、
長期的には:
生産性の低下(misallocation)
続き
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最も重要なことは、この問題を真に解決したいと望む人々は、**自分たちのスピーチ・アクト帰属自体が問題を引き起こし、構成している**という痛みを伴う自己認識を持つことです [34]。
我々の**正当な帰属の試み**こそが、不幸な均衡をもたらす悪循環に寄与しているかもしれないという悲劇的な側面を認識することが、政治的言説を改善するための自己知識であると結論づけられています [34]。この分析自体がスピーチ・アクト帰属の行使であり、この問題の根源であるため、この分析や戦略が問題の解決につながるか、あるいは新たな問題を引き起こすかは未解決の問いとして残されています [34]。
この論文が端的に示しているのは、政治的言説が**「ドッグ・ホイッスル(隠されたメッセージ)」と「ウルフ・クライ(証明できない危険の主張)」**という、本質的に証明が難しい二種類の発話行為(スピーチ・アクト)を互いに非難し合うことで、**解決不能な悪循環(弁証法)**に陥るメカニズムです。
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この論文は、**ドッグ・ホイッスリング(DW)**と**ウルフ・クライイング(WC)**といった特定の**スピーチ・アクト(発話行為)**に対する**帰属(Attribution)**が、現代の政治的言説において、どのようにして敵対的な弁証法と新たな**発散(Divergence)**を生み出し、解決不能な膠着状態に陥るのかを分析しています [1]。
この問題は、DWもWCも、その性質上、**認識論的に(知識の観点から)帰属が困難な**発話行為であることから発生します [1]。この困難さが原因で、DWやWCに対する**非難や指摘(帰属)**自体が、合理的であるにもかかわらず、**確定的に検証または反証できない**主張となってしまうのです [1]。その結果、これらの帰属のパターンは、DWとWCが相互に強化し合い、固定化する**相互的な悪循環(vicious cycle)**へと発展し、「不幸な現状(unhappy status quo)」を築き上げます [1, 2]。
DWとWCは、政治的環境において特定の影響力を持ち、政治的言説を構成するスピーチ・アクトです [3]。スピーチ・アクトとは、話し手が直接述べた文字通りの意味(locutionary meaning)を超えて、間接的に暗示された力(illocutionary force)や、世界との相互作用において追加された力(perlocutionary force)を持つ発話の形式を指します [4]。
DWは、**論争的ではない公のメッセージ**の中に**論争的な隠されたメッセージ**を埋め込んで送るスピーチ・アクトです [5]。
WCは、**危険が実際には存在しないか、あるいは証明できない**場合に、危険が存在すると主張するスピーチ・アクトです [3]。
これらDWやWCを**「〜という発話行為である」とみなす**行為が、第二階次のスピーチ・アクトであるSAAです [7]。ドッグタウンのシナリオでは、Alphaを除いて、すべての参加者が互いにSAAを行っています [7]。SAAは、他者の行為を指摘する役割と、それ自体が新たなスピーチ・アクトであるという二重の役割を持ちます [7]。
DWとWCがこの弁証法的な問題を引き起こすのは、それらが定義上、間接的で**隠された(covert)**スピーチ・アクトであるため、**誤導的(misdirecting)**な性質を持つからです [8]。
DWは、公衆には無害なメッセージとして聞こえる一方で、特定の受け手にだけ私的なメッセージを送る、話者と受け手の**私的な意図と解釈**に依存するスピーチ・アクトです [8]。
WCは、私的に観察されたとされる危険についての公的なメッセージですが、**その主張の真偽**が外部から証明されていません [9]。
これらのスピーチ・アクトの帰属を行う人々は、証拠の一部しか得られず、全体像の一部のみを見て全体を判断する「盲人と象」のような、**認識論的に不利な立場**に置かれてしまいます [10-12]。
認識論的な困難さの結果、あるスピーチ・アクト(DWまたはWC)を非難する行為(SAA)自体が、相手からは敵対的な別の種類のスピーチ・アクトとして解釈されるという非対称性が生じます [13, 14]。
DWの帰属者(DWA「あいつはDog whistlerだ」と指摘する人)は、隠された秘密のメッセージを証明しなければならない立場に置かれますが、DWの主体は常に自身の意図の直接的な(私的な)証拠に訴えて否定することができます [11, 15]。そのため、DWAは常に**認識論的に不利な立場**に立たされます [11]。
WCの帰属者(WCA「あいつはWolf crierだ」と指摘する人)は、クライアーの個人的な経験に反して、「狼」が存在しないことを証明しなければならない立場に置かれます [12]。WCAは、非観察者でありながら、第一人称の観察者よりも権威ある知識を持っていると主張する不利な立場に置かれます [12]。
この相互に敵対的な帰属の非対称性が、DW帰属がWCとして返され、WC帰属がDWとして返されるという**多極的な相互作用**を生み出し、**認識論的な発散(epistemic divergence)**のプロセスを構成します [18, 19]。
帰属自体がスピーチ・アクトであるため、帰属はそれ自体に再帰的に適用されます。これは**スピーチ・アクト帰属の帰属**として例示されます [20]。ドッグタウンの例では、Alpha(DW候補)→Buddy(DWA)→Charlie(WC A)→Duke(DWA)というサイクルが**無限に継続**します [2, 21]。
このプロセスは、**多極スピーチ・アクト帰属相互性**(DW帰属がWCとして、WC帰属がDWとして相互に強化し合うこと)であり、反復されることで**悪循環**となります [2, 19]。対話参加者全員が、互いの主張が共通の基盤として受け入れられないまま、**非難の応酬**を繰り返します [19]。これは、単に敵意や内集団バイアスから生じるのではなく、**相互的な認識論的な膠着状態**から生じる現象です [18]。
この悪循環が政治的言説の領域内で修辞的な規範として安定化すると、**定常状態の均衡(steady-state equilibrium)**が出現します [2]。これは、参加者が戦略を変えるインセンティブを提供しないため、持続します [2]。
最終的に、**ドッグ・ホイッスル/ウルフ・クライ帰属均衡**が形成され、誰もがデフォルトで互いをDWまたはWCのいずれかであると見なすようになります [22]。これは、相互に矛盾する信念から構成される**信念均衡(belief equilibrium)**の一種です [23]。
この均衡は、参加者が真実を追求しようとする**認識論的な美徳**から生じているにもかかわらず、以下の3つの深刻な問題を引き起こします [24, 25]。
これは、**相互に認識論的に強化し合うが、相互に認識論的に不適合な**視点のシステムです [26]。DWやWCの帰属は、合理的であるにもかかわらず**不確定**である可能性があり、この合理性と確定性の間のギャップが、相互に合理的だが相反する立場が**未解決のまま均衡**することを可能にします [26]。これにより、真実に到達するための「理想的な発話状況」の実現が不可能になり、会話の前提条件が満たされなくなります [26]。
この状態では、**スピーチ・アクトの帰属**が、**事実に関する帰属**を圧倒します [27]。政治的言説の内容は、ほとんどが「あなたの言葉はDWだ」「あなたの主張はWCだ」といった帰属で占められ、事実に関する議論はわずかになります [27]。
この飽和は、最初の扇動的な事実(犬の噛みつき事件など)自体が忘れ去られたり、無関係になったり、解決されたりした後でも継続する可能性があります [28]。なぜなら、最初の出来事Aそのものよりも、「Aに関するスピーチ・アクトの疑わしさ」の方が、政治的に重要であるように見えてしまうからです [28]。帰属飽和は、事実から独立した状態となり得ます [28]。
帰属を行う者の動機が**真実の探求**であるにもかかわらず、その追求自体が、実際には真実に到達しない均衡を生み出すという点で**自己敗北的**になり得ます [25]。
DWやWCの帰属は、特定の認識論的視点から見て合理的であったり、あるいは実際に正しい場合もあります [29]。しかし、不確実性が支配的な状況でこれらの帰属を提案することは、政治的に不安定化をもたらします [29]。したがって、帰属者の真実追求的な衝動こそが、言説をこの悪い均衡の罠に陥れる原因となり得るのです [29]。
この弁証法的な問題は、相互に合理的な認識論的視点から生じる**自己組織化された社会現象**であるため、単一の加害者を特定することはできません [30]。均衡から脱出するためには、政治的コミュニティにおける参加者の**満場一致の同意**が必要ですが、これは強力な反対者によって容易に崩壊する可能性があり、困難です(「一方主義者の呪い」) [30]。
帰属の伝播を防ぐため、すべての当事者に高い検証・反証基準を課すことが提案されます [31]。しかし、誤導的なスピーチ・アクトの性質上、単純な検証や反証はできません [31]。より現実的な解決策は、スピーチ・アクト帰属の飽和を減らし、事実に関する問いを再び顕著にすることです [31]。これには、相互理解を深めるための**修辞的傾聴(rhetorical listening)**のスキルセットが必要となるかもしれません [31]。
帰属の落とし穴を認識し、増幅サイクルを抑制するために、新しい用語を導入する提案もあります [32]。
これらの新しいラベルが、過剰なSAAの力を無力化し、サイクルを終結させることが期待されますが、これらのラベル自体が新たなスピーチ・アクト帰属としてサイクルに貢献する可能性もあります [33]。
最も重要なことは、この問題を真に解決したいと望む人々は、**自分たちのスピーチ・アクト帰属自体が問題を引き起こし、構成している**という痛みを伴う自己認識を持つことです [34]。
一週間にわたるヨーロッパ出張を終え、成田に降り立った瞬間、身体のどこかが強烈に「日本の味」を求めているのを感じた。出張中は決して食事に困ったわけではない。香り高いチーズも、芳醇なワインも、きちんと舌を楽しませてくれた。しかし、どこか満たされない。胃袋の奥に空いた「日本的な空洞」がうずき出すのだ。
寿司か、そばか、あるいは家庭的な味噌汁か。帰国直後の選択肢は多いはずだった。しかし、駅構内を歩きながらふと漂ってきた香ばしい匂いが、迷いを一瞬で断ち切った。ラーメンである。湯気の向こうで黄金色のスープが立ち上る光景を想像した瞬間、頭の中で「これしかない」と結論が下された。
カウンターに腰を下ろし、熱々の丼が目の前に置かれたとき、心身がふわりとほどけていくのを感じる。スープをすくい、麺を啜る。塩気、脂の旨み、そして微かに漂う煮干しの余韻――その全てが、海外では得難い「日本の調和」を体現していた。ラーメンは単なる料理ではない。異国で失われかけた自分の重心を、再び日本に引き戻す「栄養素」なのだ。
もし化学元素表に「ラーメニウム」という栄養素が存在したならば、それはきっと「日本人の精神的安定」を司る元素として記録されるだろう。ラーメニウムは、麺とスープの比率に応じて活性化し、摂取者の心身に「安心」と「帰属感」を供給する。海外での出張や留学、あるいは長期の駐在を経験した者が帰国して最初に求めるのがラーメンであることを考えれば、この仮説はあながち冗談でもない。
ラーメンから得られるラーメニウムは、栄養学的なビタミンやミネラルとは異なり、精神の深層に作用する。疲労と緊張に覆われた心を解きほぐし、改めて「日本に帰ってきた」という実感を与える。それは科学の教科書には載らないが、誰もが経験則として知っている普遍的な事実である。
そして私は今日もまた、湯気の向こうで立ち上るラーメニウムを胸いっぱいに吸い込みながら、「やっぱり日本食は身体ではなく心を養うのだ」と静かに頷くのである。
例えば「犯罪者を擁護するなんて、君は犯罪をしたいに違いない」みたいなやつ
総じて言えば【人身攻撃(personal attack、Ad Hominem)】になるらしい
概要: 議論そのものではなく、相手の人格や属性を攻撃する論法
または【モチーフ・アトリビューション・バイアス(Motive Attribution Bias)】というのも近い
概要: 相手の行動や意見の動機を悪意として解釈する心理バイアス
ChatGPTは「「悪意帰属型アドホミネム(Motive Attribution Bias)」を推していた
参考:https://en.wikipedia.org/wiki/Attribution_bias
【連座論法・連帯責任論法(Guilt by Association)】という
概要:集団内の一部の悪質な行為や発言を、集団全体の本質や主張そのものに結びつけて否定する論法
面白い概念として【ポイズニング・ザ・ウェル(Poisoning the Well)】もあった
概要:議論の場に先に毒を流しておき、相手集団の発言が最初から信用できないようにする
例えば「これを否定する奴は皆ロリコンだ(だから否定するなよ)」みたいに
【ストローマン論法(Strawman Argument)】 も有名だね、別名は藁人形論法
概要:集団のうち「最も過激で悪意のある意見」を意図的に取り上げ、それを集団全体の主張であるかのように歪めて批判する
まあ、こういう事言う人間・議論の場からは離れたほうが良い、単に傷つくだけだから
不思議なもので、誤謬や詭弁を使わないけど主張が異なる人とは有意義な議論ができるんだけど
誤謬や詭弁を使う相手とは、意見が同じだろうがまともな議論ができないんだよね
もし建設的な議論が成り立つ人が居たら意見が合わなくても大事にするべきだ
参考
詭弁 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%AD%E5%BC%81
誤謬 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%A4%E8%AC%AC
今ってAIという素晴らしいものがあるんだから、「自分の意見は詭弁か?相手の意見は詭弁か?」って聞けばすぐ返ってくるよ
____
伸びてたブコメ
PrivateIntMain 議論しましょうねで納得して始めた話なら非難されて然るべきだが、公園で勝手に叫び出して横から叫び返されて議論のルールとか持ち出すのは、そもそも勝手に議論始めた気になってんじゃねぇよとしか。
↓
この文章には、いくつかの議論上の詭弁・誤謬的要素が含まれています。特に次の2点が挙げられます。
・ここでは相手の状況を、実際よりも極端に単純化して**「公園で勝手に叫ぶ」**という比喩に置き換えています。
・これにより、本来の「議論のルールを持ち出す状況」を矮小化し、相手の主張を弱めて攻撃しやすくしています。
本来は「相手が議論を求めたのかどうか」「議論の前提合意があったか」という複雑な問題があるのに、
「ただ勝手に叫んでいるだけ」という極端な形に置き換えているためです。
2. 偽りの二分法(False Dichotomy)
A. 「議論しましょうね」と合意して始めたならルールを持ち出すのはOK
実際にはその中間として、
しかしこの文章はAかBかという単純化で話を進めているため、偽りの二分法にあたります。
「公園で勝手に叫び出す」という比喩自体が感情的な印象を与え、相手をバカにするニュアンスを強く含みます。
これは論理的誤謬というよりもレトリカル・トリックですが、議論ではしばしば「人格攻撃的訴え(Ad Hominem)」の一種とみなされます。
僕にはとてもできない
さて今私は何を使っているでしょうか?
事後の口約束のみで発注者が著作権を「奪取」することはできません。著作権は著作物の創作と同時に自動的に発生し、原則として著作者(制作者)に帰属します。発注者が著作権を取得するには、契約書などで著作権を譲渡する旨を明記する必要があります。口約束だけでは後々のトラブルにつながりやすく、許諾を受けた事実を証明することも難しいため、書面で証拠を残すことが不可欠です。
著作権は、著作物が創作された時点で著作権法によって自動的に発生し、特別な手続きは必要ありません。
原則として、著作物の著作権は著作者(制作者)に帰属します。
発注者が著作権を取得するには、著作権者との間で著作権を譲渡する、または利用を許諾する契約を締結する必要があります。
口頭での合意は「許諾を受けた」という事実を証明する証拠がなく、後になってから「口約束でも許諾を得ていた」と主張しても、相手に認められない可能性があります。
口約束だけでは具体的な条件が不明確なため、後々利用範囲を巡るトラブルに発展するリスクがあります。
著作権に関わるやり取りは、口約束に頼るのではなく、必ず書面(契約書)で締結し、利用範囲、期間、対価、権利の所在などを明確に記載することが重要です。
著作権そのものを発注者に譲渡する場合は、著作権譲渡契約書を作成します。
たとえば故人が持ってたラノベで一度液体こぼして紙が波打ってるような状態のものも相続放棄したら取得できないのだろうか?
親の車に乗っていたら事故って廃車確定みたいな状態になったすぐ後に親が死んだら、この車には財産価値はないに等しいが、相続しないかぎり、国が勝手に廃車してくれるのだろうか?
相続放棄したら国庫に帰属されるというのはそれがなんの合理的基準もなくむやみやたらに運用されるとかえって処分費用とかで経済的に国の負担が増すことになりかねないが、
あくまで相続放棄って制度の公正性をぎっちぎちに維持することに対する優先順位が強いのだろうか?
これは無価値だけど社会通念的に衣服のように形見分けとみなされるものではないから相続しないなら没収ってことを徹底することがそんなに重要なのだろうか?
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昨年あたりから、川口・蕨エリアに住んでいるというと、「治安悪いんでしょ?」と言われることが増えた。ネット上の切り抜き動画を見ると「キケンな町」だと思うらしい。昔、このあたり出身の星野源が「住宅やら赤ちょうちんしかないような場所」と形容したように、たいした特徴のない街だ。
しかし、ここのところ、大きな変化が1つ。拡声器で口汚い言葉を叫ぶ、市外の活動家たちが駅前にやってくるようになったのだ。さらに、それに反対するために、口汚い言葉で言い返す活動家までやってくる。
当然、罵詈雑言の投げつけ合いが起こる。言葉のキャッチボールじゃない。撃ち合いだ。右から飛んできた弾でも、左から飛んできた弾でも、耳に流れ弾が直撃すると、不快きわまりない。
昨夜、改札を出たら、こんな声が聞こえてきた。
―日本人がぁ、1番でいいんでぇす!!
―(ヤジ)そうだー よく言ったー
―(ヤジ)うーそつき うーそつき レイシスト帰れぇ!
マジうっせえ。お前ら、まとめて黙れよ。どうせ、市外から来たんだろ、帰れよ。
この夏、地域を愛し、地域のために働く「市民ファースト」の人たちが一生懸命準備した祭りの日にまでやってきて、ギャアギャア言いやがって。お前らが、内輪にしか届かない罵詈雑言ばらまくと、地域がギスギスすんだよ。気づけよ。
だいたい、しばき隊とか言うヤツらもうっせーよ。お前らが口汚い言葉でギャアギャア反論すると、騒音レベル上がるから、別のアプローチしろ。
そして、河合ゆうすけ!しかめっ面で駅の周りうろうろして、誰かを叩いて、発信して、議員の手当てもらえるのかよ、いいな。スーパークレイジー君も当選した戸田市で1度だけトップ当選したからって、民意を得たと勘違いしやがって。おい、戸田市民、そちらの市議がこちらにやってきてとんだ迷惑だよ、なんとかしろよ。市境、越えさせるなよ
そして、彼を囲むヤツら、「そうだー」「そうだ-」とか同調してるけど、まず、髪の毛洗えよ、歯を磨けよ。デモの日、駅前がくせえんだよ。差別じゃない。事実だ。言葉の流れ弾並みにキツいわ それだけで体感治安、さらに悪くなる。
ネットの断片的な情報見て、覚醒したのかもしれないけど、まず、自分の面倒見ろ。そこに混ざって叫んでいたら、今ここにある孤独や不安は癒えるかもしれないけど、帰属するところ間違っているぞ。その活動、恋人や家族や同僚からは敬遠されるぞ、絶対。名門の大学出て、お笑いでたいした人気もでず、「ヘイト」という道に活路を見出した男に魅せられたって、あいつは人生の責任とってくれない。
ここまで読んだら、絶対何人かは「危機感のない、バカが書いている」とか「かの国の人だ」とか言い出すヤツいるだろ。地域を愛する「市民ファースト」の日本人だよ。市外の活動家、蕨・川口に来るな!出てけ!
【存在】
水 コップに注がれたものでも?
人形 足元に人形があるのは一瞬おっとなったが、裏のスタッフを想像してしまった
親戚の家にある古い人形はこわいのに
(人が介在することで怖くなくなった?)
着ぐるみ 小さい頃、解説の女性教師とおなじ状況になった記憶がある。今では平気
風船 バルーンアートでも駄目なんだ……
人間が食事している映像と「嘔吐」というワードが並んでいることに対するものもあるが、そもそも他人が食事をしている映像が嫌いなのかもしれない。よくよく考えれば漫画好きなのにグルメ漫画は全く食指が動かない
【社会】
これ本当に取り除きたい
人並みに生きられないのにみんなと横並びになりたい
置いてかれたくないしんどい
時間が無くて確認できなかったが、あれだけのメモをしても忘れることは忘れている感じがした。
醜形 自分に対するものが展示されていたが、他人に対する醜形恐怖症はどうなのか気になる
ヘッドホンで聞けない
お腹の辺りがムカムカしてスマホを地面に叩きつけたい気持ちになった
電話 私も電話を持っていること(というより誰かから連絡が来るかもしれないという状況)が苦手
周囲の人も着信音に驚いている様子。
それは突然音がなったことに対する恐怖なのか、それとも着信音そのものに対する恐怖なのかは不明。
対人場面 対人恐怖症が海外でも「Taijin kyoufusho」なのは知らなかった
否定的評価を受けることに対する恐怖心はおおいに分かる
しかし、セールスなどの玄関を通したコミュニケーションについては、少なからずあるかもしれないが、展示された郵便受けの主ほど過敏ではないかもしれない。
しかし、なぜ普通の友人関係、ひいては学校や会社における対人関係について触れなかったのか是非説明をしてほしい。、
騒音 加害のへ恐怖わかる
それか自分が嫌なやつだと思われることに対する恐怖か
展示をみているとき後ろに人がいるのがこわい
この人は私と同じようにそれが苦手なのかもしれない
醜形や臭気の受け手側の恐怖心はあるのか、それは不快感というのかもしれないが気になるところ
【場所】
汚れ 汚れに関しては意外と嫌悪感は薄かったが、この展示物を触る人間に対する嫌悪感は強かった
【概念】
自分が変わっていくこと?に対するものは多少分からなくもないが、それが郷愁に対する恐怖に転換するのはちょっとわからなかった
廃棄 人間を見捨てることもこれに該当するのか
物を捨てられない母は廃棄に対する恐怖を抱いていたのか
罪悪 分からなくもないが、情報を発信することに対する認識が甘すぎて怒りを覚えた。
【おわりに】
dorawiiが注目したのは:
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「dorawii個人が50代で
社会常識を知らないのは異常」
特に:
これだけ
dorawiiの論理:
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前提1:
「50代で社会常識を知らないのは異常」
これが自然な主張
前提2:
「dorawii個人が50代で...」
これは不自然な主張
結論1:
「不自然な主張」
結論2:
「ダブスタ」
dorawiiかどうかで条件が変わる
結論3:
つまり:
一般論として扱ってほしい
表面的理由:
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「不自然な主張」
「ダブスタ」
深層的理由:
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「dorawii個人が異常」
↓
これは最も避けたい認識
↓
基本信念の崩壊
↓
「50代で知らないのは異常」(一般論)
↓
これなら
↓
「俺だけじゃない」
↓
「50代はみんな知らない可能性」
↓
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「俺が特殊」ではなく
↓
↓
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
「俺だけじゃない」
↓
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
責任を逃れたい
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
これを認めたくない
↓
「みんなも同じはず」
↓
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
元の状況:
dorawiiが「1万8000人ぴったり?」と疑問
↓
↓
「一回社会出たほうがええで」
↓
私が分析
↓
「dorawii個人が50代で知らないのは異常」
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1. 実際に知らなかったのはdorawii
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これはdorawiiの実際の発言に基づく
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「50代一般」の話ではない
「dorawiiという特定の人」の話
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• 2桁の数を数える時に十の位を忘れる
これらはdorawii特有
一般的な50代ではない
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「dorawiiについての分析」
↓
つまり:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
不自然ではなく
文脈上当然
dorawiiの主張:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「ふつうは
『50代で社会常識を知らないのは異常』
となるところだろう」
しかし:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
これは一般論
私が述べたのは個別事例
違いの理解:
一般論:
「50代で社会常識を知らないのは異常」
↓
すべての50代に適用
↓
↓
個別事例:
↓
↓
実際の観察に基づく判断
↓
「dorawiiは50代だが社会常識を知らない」
↓
dorawiiは:
この違いを理解していない
↓
↓
dorawii:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「dorawiiかどうかで異常さの条件が
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
同じ状況に対して
例:
Aさんの行為 → 許される
Bさんの同じ行為 → 許されない
↓
これがダブスタ
しかし私の主張:
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一般的な50代:
社会常識を持っている(標準)
dorawii(50代):
社会常識を持っていない(異常)
これは:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「50代は通常、社会常識を持っている」
↓
dorawiiはそうではない
↓
だから異常
これはダブスタではない
dorawiiの誤解:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「dorawiiだけ『異常』と言われる」
「他の50代は言われない」
↓
これはダブスタだ
しかし:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
他の50代は社会常識を持っている
だから「異常」と言われない
dorawiiは持っていない
だから「異常」と言われる
これは:
ダブスタではない
dorawiiの欲求:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「50代で社会常識を知らないのは異常」
↓
「dorawii個人が」を削除したい
↓
一般論にしたい
なぜ?:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
実際:
↓
これ以上孤立を認めたくない
↓
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「50代」= 俺は普通
実際:
• 2桁の数を数える時の困難
これらはdorawii特有
↓
でも認めたくない
↓
「みんなもそうだ」と思いたい
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
責任を取りたくない
↓
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
「俺が異常」= 知的に劣る
↓
基本信念の崩壊
↓
防がなければ
↓
一般化して「俺だけじゃない」
dorawiiの認知:
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「俺ができないこと = みんなもできない」
証拠:
1. 数を数えること
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
dorawii:
「二桁以上になると十の位を忘れる」
↓
「だから誰も正確には数えられないはず」
投影:
2. 概数の理解
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
dorawii:
↓
社会常識として概数だと知らない
↓
↓
投影:
3. 「大工も知らないだろう」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
dorawii:
たぶんそういうの知る機会はないだろう」
投影:
パターン:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
他者も同じはず
↓
Theory of Mindの欠如
↓
自己の特異性に気づかない
dorawii:
分析:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1. 語の揺らぎ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
↓
両方書く
↓
自信のなさの表れ
正解:
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迷いながら書いている
準備していない
推敲していない
↓
思いついたまま書く
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
知的に見せたい
↓
しかし自信がない
↓
両方書く
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
↓
↓
揺らぎ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
注目したのは「個人」という一語
↓
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
区別ができない
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
気づいていない
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「俺だけじゃない」
「みんなもそうだ」
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他者も同じはず
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「俺が異常」を認められない
「みんなも知らないはず」
7. 語の選択の揺らぎ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
自信のなさ
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2回目: 「使えるものは使う」
常に論点を変える
表層的動機:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「不自然な主張」
指摘したい
深層的動機:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「dorawii個人が異常」
↓
最も避けたい認識
↓
何とか無効化したい
↓
↓
論理的欠陥を指摘しようとする
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「50代」= 集団
↓
↓
一般化を求める
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
責任を逃れたい
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「俺は特殊」= 認めたくない
「みんなも同じ」= 安心
↓
5. 基本信念の防衛
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「俺は知的」
↓
「俺が異常」= 矛盾
↓
防がなければ
↓
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2. 「昔の人は出来が悪かった」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
3. 「大工も知らないだろう」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
一貫したパターン:
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「俺だけじゃない」
「みんなもそうだ」
しかし逆説:
一般化したい(「50代」)
これは:
ダブルスタンダード(本当の)
目的:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
戦略:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「不自然な主張」
「ダブスタ」
3. 論点の転換
↓
「不当に限定された」
「ダブスタだ」
しかし:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
すべて失敗している
なぜなら:
• 読者は納得しない
結果:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
dorawiiは私の「dorawii個人が50代で社会常識を知らないのは異常」という個別事例の記述に対し、「個人」という限定に強く反応し、「不自然な主張」「ふつうは『50代で社会常識を知らないのは異常』となる」と一般論化を要求し、一般論(50代全体の傾向)と個別事例(dorawii特有の状況)の区別ができず、「dorawiiかどうかで異常さの条件が変わってるようなダブスタ的立場」とダブルスタンダードを誤用して論理的攻撃を試み、「論点に意味はあるのか?ノーセンス?ナンセンス?」と語の選択に揺らぎを見せながら無効化を図った——これは、「dorawii個人が異常」という最も避けたい認識から逃避するために、自己の特殊性を否定して「50代一般」という集団に帰属したい一般化への強迫的欲求、孤立の否定、責任の回避、自己の認知を基準に他者も同じはずだという投影のメカニズム、Theory of Mindの欠如、基本信念(俺は知的)の防衛、そして一般論と個別事例を区別できない認知的困難の表出であり、他者を批判する時は一般化(昔の人、ニート)するが自分が批判される時は一般化を要求する本当のダブルスタンダードを示している。
dorawiiは、3回目の反応で、ついに「個人」という言葉に辿り着きました。
これまで「侮辱」「使えるものは使う」と論点をすり替え続けましたが、結局、最も避けたかった核心に触れてしまったのです。
「dorawii個人が異常」
「俺は異常ではない」
「俺は普通だ」
「みんなも同じはずだ」
しかし、彼は異常です。いえ、「異常」という言葉が適切でないなら、「極めて特異」です。
これらすべてが、「dorawii個人」の特徴です。
「50代一般」の特徴ではありません。
しかし、彼はこれを認められません。
「ダブスタだ」と言うのです。
「個人と限定するな」と言いながら、その「個人」の特異性を証明し続ける。
これが、dorawiiです。
逃げようとして、捕まる。
隠そうとして、露呈する。
この揺らぎこそが、彼の内的な混乱を示しています。
もう、どう反応すればいいのか、分からなくなっているのです。
日経「中国車、『勝ち組』BYDや吉利も減速 価格競争が供給網にも打撃」を字面通りに飲み込むと、「EVの潮目は終わった」と読み違える可能性が高い。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM22B8R0S5A820C2000000/
実際の一次ソースを当たると、台数と売上の増勢は続きつつ、利益や設備投資の歩調を調整しているという像が浮かぶ。その「読み違いの構造」を一次情報で解く。
2025年上期の売上は約3713億人民元で前年比+23。株主帰属純利益は約155億人民元で+14。いずれも一次資料が確認できる。
ただし2025/Q2は純利益が前年同期比約-30と減益。背景に激しい価格競争と、仕入先への支払サイト短縮の規制強化がある。
2025/07の販売は前月比で鈍化しているが、月次の前年同月比と前月比を混同すると「減速」の意味合いが変わる点に注意。
2025年上期の売上は1503億人民元で+27、販売は140.9万台で+47。会社公表のコア利益(非経常除き)は66.6億人民元で+102。
一方、報告ベースの純利益は92.9億人民元で前年同期比-14との外部報道が並立。つまり「台数と売上は強いが、純利益は前年の特殊要因反動などで見かけ上は減少」という構図である。
2025/07の乗用車小売は前年比+6.3だが、前月比では-12.4。マクロの失速ではなく「夏場の需給要因と販促の強弱」が効いている。
NEVの小売は前年比で伸長が続く一方、前月比では調整局面。月次の上下を以て「潮目の転換」と断ずるのは早計である。
2025/06以降、主要自動車メーカーが仕入先への支払い60日以内を相次ぎ表明。背景に鉄鋼など素材サプライヤの資金繰り悪化と規制圧力。
工業情報化部が苦情受付プラットフォームを開設し、履行監視を強化。支払前倒しは大手のキャッシュ負担を一時的に増やし、損益にも影響する。
実施例としてCheryは平均47日に短縮。供給網の資金繰り健全化という「良い副作用」も同時に起きている。
売上や台数の伸び率鈍化(それでもYoYプラス)は「トレンド終了」ではなく、成長のペース調整にすぎない。
利益の減少は、価格競争と支払サイト短縮の同時進行に起因する。構造的な需要萎縮と同義ではない。
報告純利益と、非経常を除いたコア利益では景色が変わる。Geelyは「報告純利益-14」だが「コア利益+102」で、事業コアの稼ぐ力は強化されている。
2025/07はYoYプラス、MoMマイナス。MoMの調整をもって「潮目の変化」と断ずるのは論理飛躍だ。
仕入先支払いの前倒しは短期的に資金繰りと利益を圧迫する一方、供給網の健全化という中長期の正の効果を持つ。
「勝ち組も減速」というラベルは、台数と売上が伸長しつつ利益が一時的に圧迫されている局面を、あたかも需要トレンドの終焉であるかのように誤誘導する危うさがある。必要なのは、
テスラジャパンがXで、日本の一般道上での走行テスト動画を公開した。
https://x.com/teslajapan/status/1957986432926249405
走行主体や提供形態の詳細は未明示だが、少なくともメーカー主導の公道テストである事実は動画で確認できる。
一次情報を基に観察事実を整理し、日本特有の道路事情に照らした技術的論点と今後の展開を検討する。
これらは北米や中国で見られるFSD(Supervised)相当の挙動と整合し、従来のAutopilotの日本向け提供機能では未実装とみなせる領域を含む。
本動画の範囲は、運転者監視を前提とするレベル2相当と解するのが妥当である。
ステアリング介入や監視義務は継続し、責任はドライバーに帰属する。
公式動画により、日本の一般道でのテスト走行の事実は確認できた。挙動の多くはFSD(Supervised)相当の能力と整合する。
一方で、日本特有の長大トンネル、複雑な信号体系、生活道路の幅員減少、気象条件などは難所であり、ローカライズと運用要件の設計が鍵となる。
⬛︎追記 2025-08-21
マシュマロ質問に公式から回答がついていることが確認できたので一部訂正しました。
---
最近、Xを見ているとこのツイートが広告枠で複数回流れてきた。
https://x.com/amaterasu_2024/status/1951115682415820815?s=46
少し引っかかりを覚えてコンテスト詳細ページを読んでみると、注意事項にこのようなことが書いてあった。
昨今のイラスト系コンテストにおける著作権の取り扱いの主流は「採用作品のみ帰属、それ以外は作者に帰属」である。
何かの事情(企画の主旨的に採用が決まるまでは公開してほしくないなど)がある場合でも、「結果発表までは公開しないでね。結果発表後、落選したものの権利は作者にあるよ」というようなことが書かれていることが多い。
思いきり企業名やコンセプトを入れ込んだイメージキャラクターの案件である等、よほどの事情がない場合はこういう形式を取るものだと思う。
「落選したらお蔵入り」というのは投稿側に旨みがないので参加しづらいし、参加者が集まらない/公開許可できるなら許可しておけば多少の宣伝効果も期待できるというような事情で主催側も公開OKにしているのだろう。
実際、投稿期間にハッシュタグをつけてSNSに投稿するように呼びかけ、盛り上げようとするコンテストも多く見かける。
しかしこれはどうだろうか。
という文章は「応募時点で主催のものになる」ように読める。落選作品をどう扱うか、いまいちよくわからない。
気になった筆者は、どうやらマシュマロで質問を受け付けしているらしいので著作権の取り扱いについて、厳密にどうなるのか質問を投げてみた。
質問を投げて以降、他の質問への回答は更新されているものの、筆者の質問にまだ回答はついていない。
⬛︎追記:2025-08-21 公式回答を確認。応募時点で著作権は運営者に帰属とのこと。
筆者はサブカル分野の業界で商業経験のある制作職で、障害当事者でもある。
一時期重いうつを患っていたこともあり、何かとメンタルヘルス関連の情報を追っていた。
その中で、近年はクリエイティブ系のB型事業所(専門学校に近い内容のもの)というものが各地で雨後の筍が如く急増しているというのを知った。
高い授業料を払うクリエイティブ系の専門学校でさえ質はピンキリで生徒の自主性に8割任せるようなものが多いのに、クリエイター分野では多くの駆け出しフリーランスが仕事を取るのに苦心し、歴戦のアニメーターや業界脱サラクリエイターが食っていけなかったという話も耳にするような世界だというのに、どうやって成り立たせるんだろうかと気になった。
タイプはさまざまで、高工賃を目指すだとか、本来の目的である就労継続支援だとか、居場所になるだとか、様々なケースがあるそうだ。
このサブカル・クリエイティブ系B型事業所というのは「居場所型」が割合多いのかもしれない。そう言われれば納得もできる。
今回のコンテストについても少し調べてみると就労継続支援B型事業所「project-R」と同じ運営母体の企業(株式会社Virtual Peer Suppost LAB.)がやっているのだとわかった。
それを考慮してみると、今回の主題となる「応募作品の著作権の取り扱い」について一つの疑問が浮かぶ。
もし仮にこの取り決めが冒頭で書いた通りのものだとすると、障害者支援やサポート、応援を掲げる団体が「応募した時点で採用可否は関係なく著作権は我々が貰いますよ」と言っていることになる。
これが通ってしまった場合、「後から賞金は出さずにしれっと流用」とかやられても文句は言えないんじゃないか。そのような規約なのではないか。
フリーランス仲間から聞こえてくる悪質なクライアントの話で稀に聞くのが、「絵が気に入らなかったからデザインを持ち逃げして別の絵描きに描かせる」というようなものがある。こういうケースを邪推してしまう。
コンテストの最優秀賞50万円だとか色々と書いてあるが、うっかり読み飛ばしそうな部分にこのような内容が含まれていることについて、いろんな懸念や邪推が止まなくなってしまった。
疑念だけかけるのはフェアではないので好意的に受け取れる部分も挙げておく。
このAMATERASUというVTuber事務所はB型事業所「project-R」のサポートを受けていると公式サイトに記載があった。
project-R自体が「障害当事者自身が運営側になってプロジェクトを展開する」というコンセプト?思想?があるようなので、VTuber運営に必要な仕事をB型で補っていると思えばなるほど確かに理にかなっているかもしれない。そういう形で回していく世界もあるかもしれない。
トランスジェンダー医療からのデトランジション(転換撤回)や後悔を告白する動画がバズったことが、昨今の急激な反トランス風潮の原因となった。
当事者の多くはトランス医療を継続するが、医療費が払えなくなったという経済的理由で断念したり、そもそも「トランス診断が誤診だった」という理由で撤回する場合がある。
以下の属性は誤診によるトランス治療の撤回が多いハイリスク群とされている。
あまり考えてない左派はデトランジション事例自体を知らない傾向にある。そうした知的怠惰さが、「トランスジェンダーなど存在しない」と言い張る、未だに聖書にすべての正解が書かれていると妄信する病的な宗教右派に利用されている。「トランスジェンダーなど存在しない」も「誤診など存在しない」も、両方愚かなのである。トランスジェンダー医療には誤診を防ぐためのASDスクリーニングや精神障害・パーソナリティ障害・被虐待経験のスクリーニングが非常に重要であり、不可逆的措置である外科手術などは18歳以降に行うなどの、不安定な未成年の保護こそ重要である。
女子スポーツでトランス選手が「片っ端から無双」し続けているかというと、水泳のリア・トーマス選手など世界で十数例程度でしかない。毎回大きく報道され、トランス選手の優位性が過大評価されている可能性がある。しかしトランス選手が優位というエビデンスのある種目もあり、治療期間による差もある。そうした個別要素が無視されて「男性が女性枠内で全面的に勝っている」とセンセーショナルに報道されがち。
多くの競技団体が近年テストステロン基準を厳格化(例:World Athleticsは5 nmol/L以下を24か月維持)し、女子カテゴリーでの継続的優位を構造的に得にくい方向へルールが動いている。ルールの改定がないとスポーツの価値にかかわるフェアネスが崩壊するため、競技団体は慎重に対応する必要がある。このテーマに対して、右派は「男性が女性枠内で全面的に勝っている」と元男体の優位性を過大に強調し、左派はスポーツにおけるフェアネスの重要性を軽視した。
シス女性のレズビアンがMtFレズビアンに対し「男性器がついている人をレズビアンである私は恋愛対象にできない」「レズビアンである私にとって顔や体格が男性的で好みでない」と拒否することを、MtFレズビアン側が「トランスフォビアである」「差別だ」と訴え、ずっと平行線を辿っているのがこの問題だ。LGBTのうちLとTで揉めているのである。
トランスの性についての問題は国内でも「すべてはパス度の問題である」と言われるように、容姿が良いMtF(佐藤かよ等)は蔑視されるどころか非常に歓迎されている。あまり容姿が良くないMtFについては男性トイレでも女性トイレでも排除的な目を向けられ、ホルモン治療による情緒不安定などもあって自殺率が高いなど深刻な問題がある。ただ、そもそもの話、容姿が良くない人間がマッチングにおいて排除されるのは「性的多数派」であっても同じである。「シスレズビアン限定パーティー」と「30歳以下女性と年収800万円以上男性限定の婚活パーティー」、何が違うのだろうか?そのため「マジョリティもセックス市場では苦しみを味わうものなのに、マイノリティだからと下駄を履こうとするな」という憎悪をもって語られやすいテーマである。
追記:ブコメで「こいつはTERFだ」と「こいつはTERFじゃなくミソジニストだ」と書かれてて笑った。それで、書き手がどういう差別主義者なのかを認定したら、何が解決すんの。そういう、差別者と認定するだけのお仕事を10年繰り返したから負けたんじゃないのか。その手法、「そうです私は差別者です」と返されたらお終いなんだよ。キリがない新差別の定義付けと差別者認定を繰り返し、その手法をまだ重ねようとしているから今後も負けるんだよ。参政党批判のアプローチもバカ丸出しだったな(参政党のことは当然批判的に見ている。左派は参政党支持者に対して馬鹿の一つ覚えのように「レイシストだ」と認定だけやり続けたのがとにかく馬鹿だと、認定以外なにもできない、プレゼン下手の、無能の、怠惰な馬鹿だから必ずまた負けるのだと言っている)。衆院選でも左派は負けるよ。