はてなキーワード: 夫婦とは
少子化は「若者の意識が変わったから」でも「恋愛離れしたから」でもない。そんな話に逃げている限り、何も変わらない。問題はもっとはっきりしていて、もっと露骨だ。
この国は、家族を持つことが割に合わない社会になってしまった。それだけのことだ。
昔は誰もが結婚したし、子どもを持つことは人生の一部だった。特別な覚悟なんていらなかった。生活の延長線に「家庭」があった。でも今は違う。家庭は「頑張らないと成立しないもの」になった。余裕がなく、支えがなく、時間もお金も削られ、精神さえすり減る。
それを見た若者が「家庭を持ちたくない」と思うのは当然だ。生存本能が正常に働いているだけ。
それなのに社会や政治は「最近の若者は…」「価値観が…」と、まるでこちらの感覚がおかしいかのように語る。おかしいのは若者ではなく、社会の側だ。
子どもが生まれないのは、愛が薄れたからではない。人間が利己的になったからでもない。生活の土台が壊れたからだ。
それを直視しないまま、「意識を変えろ」「努力しろ」と言い続ける社会は、ただの加害者と変わらない。
少子化は、個人の問題ではなく、構造の失敗だ。そしてその構造を作ったのは、社会・政治・制度だ。
だからこの話は、頑張りでも道徳でもなく、生きられる社会か、死ぬ社会かの話だ。
人類はずっと「ほとんど全員が結婚する社会」で生きてきた。結婚は特別なイベントではなく、生きる流れの中に自然に組み込まれていた。それは「恋愛がロマンチックだったから」ではない。生存の仕組みだったからだ。
昔の家族は、いまよりずっと広かった。親、祖父母、親戚、近所の手、地域の目。子どもを育てる負担は社会的に分散されていた。
だから、家族を持つことは「やる気」や「覚悟」の問題じゃなかった。生活が人を支えていたからだ。しかし今はどうだろう。
住まいは分断され、家族の単位は極小化し、育児も家事も、家計も精神も、夫婦の小さな箱の中に全部押し込められている。とくに片方(多くは女性)に。
昔は共同で支える仕組みが前提、いまは個人が抱え込む仕組みが前提。そりゃあ持続なんてするはずがない。
少子化は「人々が家族を望まなくなったから」じゃない。家族をつくるための構造が壊されたからだ。
家族は、努力や気持ちだけで維持するものじゃない。社会が支える基盤があって初めて自然に成立する。
その基盤が崩れた時点で、出生率が落ちるのは生物的に当たり前の反応だ。若者は間違っていない。社会の構造が、家族をつくることに向いていないだけ。そしてそれを「個人の選択」の問題にすり替えてきたのが、今の日本だ。
いまの日本では、家族を作ろうとすると、真っ先にぶつかるのが可処分所得の低さだ。働いても働いても「生活するので精一杯」。貯金もできない。家も買えない。子どもなんて無理。これは感覚ではなく、構造としてそうなっている。
賃金はここ30年ほとんど増えていない。その一方で、税金と社会保険料はじわじわと、しかし確実に増え続けた。さらに都市化にともなう家賃上昇、教育費の高騰、保育の外部化コスト。全部「生きるための固定費」だ。
生きているだけで、消耗する社会になっている。共働きが「選択」ではなく「必須」になったのは、意識が変わったからではない。片働きだと生活が成立しないように制度が変えられたからだ。
しかも共働きをしても、生活が楽になるどころか、育児・家事・感情のケアは家の中で圧縮され、時間も体力も関係性もどんどん削られていく。これは努力不足ではなく、設計ミスだ。
「家族を持つ余裕がない」のは、弱くなったからじゃない。社会の構造が、人をそこまで追い込んでいるからだ。
そしてこの状況を政策側は「自己責任」で片付けてきたが、本当は逆だ。家庭が苦しいのは、税と社会保障の負担が現役世代に一方的に集中しているからだ。
その一方で、資産を持つ高齢者は、負担を大幅に免除されている。つまり現役世代が国を支え、国は現役世代を支えていない。
この不均衡が、家族を持つことのハードルを限界まで引き上げている。子どもを産まないのは罪でも怠慢でもない。単に、生きられるように判断しているだけ。合理的な感覚だ。壊れているのは社会の側だ。
「女性の社会進出は良いことだ」。この言葉自体は、もう疑う必要はない。働きたい人が働ける社会は、当然あるべきだ。問題はそこではなく、働かないと生活できない社会にしたという点にある。
かつての日本では、片働きでも家族は維持できた。それは賃金が成長し、家族が広く、生活が社会の中に支えられていたからだ。
しかしいまは違う。税と社会保険料が現役世代に偏って重く、賃金は伸びず、住宅費と教育費は天井知らず。そこに核家族化で助けを失った育児負担が重なる。
その結果、家庭を維持するためには、夫婦が二人で働くしかない。これは「女性の自由」ではない。ただの強制である。
そしてこの強制は、「女性活躍」「自己実現」「多様な生き方」などというきれいな言葉で包まれている。
耳あたりはいいが、労働力人口の補填、税収と社会保険料の拡大、高齢者給付維持のための現役世代の酷使というのが実態だ。
本来なら「働くかどうかは選べる」べきだったのに、実際には「働かないという選択肢」そのものが消された。
「女性が働ける社会」ではなく、「全員が働かないと沈む社会」になったのだ。
そして、負担は家庭の内部に集中する。特に、感情のケアや子どもの生活リズム、夫婦関係の調整といった、目に見えない「家族の体温」を維持する仕事は、ほとんど女性が背負ったまま。
外の仕事が増えた分、内側の仕事は減らないどころか、圧縮され、歪み、擦り切れていく。そこで荒んだ家庭に、子どもが生まれる余裕なんてあるはずがない。
これは「女性が弱い」からではない。「頑張りが足りない」からでもない。こんな設計にした社会が弱いのだ。
少子化の背景には、若者が怠けているわけでも、家族を望まなくなったわけでもない。ただ単に、社会が若者から奪い、高齢者に配り続けてきただけだ。
日本の社会保障は、表向きには「弱者を守る制度」と言われている。だが実際に優遇されているのは、弱者ではなく、人口の多数派である高齢者層だ。
資産を持ち、家や預金を抱え、老後も安定した暮らしができる人たちが、医療費は1〜2割負担で手厚く保護される。税も軽い。年金は自動で振り込まれる。
一方で、現役世代は税と社会保険料を天引きされ、子育てや教育費は自己責任で、家賃は高く、時間はなく、未来への期待は潰されている。
若者が支え、老人が受け取る。しかもそれは「助け合い」ではなく、構造化された一方通行だ。
なぜこんな歪んだ配分になったのか。理由は単純だ。この国では票を持つのは高齢者側だからだ。
政治家は票が欲しい。財務省は税収を維持したい。高齢者は数が多く、選挙に行く。若者は数が少なく、政治的には無力に扱われる。
つまり今の日本は、「支えられる側」ではなく「支える側」を壊している社会だ。
家族を持とうとする世代こそもっとも手厚く支えられるべきなのに、現実には真逆の仕組みが続いている。これでは人口は減る。減って当然だ。
そして減り続ける限り、高齢者比率はさらに増え、政治は今以上に高齢者優遇へ偏り、若者はさらに搾り取られる。
これはもう「問題」ではなく、自己増殖する社会の衰退装置である。
誰か一人の責任ではない。だが明確に言えることがある。
壊れているのは、若者の生き方ではなく、国家の意思決定構造そのものだ。
日本は「資本主義の国」だと言われる。しかし実際に動いているのは、もっと別の形だ。
競争があるように見えて、実際には社会全体が「均一に消耗する方向」に管理されている。
自由があるように見えて、実際には「生きるために働く以外の選択肢」がほとんど許されていない。
支え合う仕組みがあるように見えて、実際には「一方的に負担を引き受ける側」が決められている。
これはもう、資本主義ではない。しかし、福祉国家でもない。もっと静かに締めつける形。日本型社会主義だ。
ここで言う「社会主義」は、弱者を守る優しい社会という意味ではない。国全体の生活水準を均一に、安定的に、とにかく変わらないように保ち続ける仕組みのことだ。
問題は、そのために犠牲になる層がはっきり決まってしまっている点にある。
犠牲になるのはこれから生きる人。つまり若者と、これから生まれるはずだった子どもたちだ。
日本型社会主義は、未来に投資しない。その代わりに「今、生きている人の安心」を最優先する。特に、人数が多く、政治的力を持つ層の安心を。
その構造では「変えないこと」が正義になる。「とりあえず今を守ること」が優先される。「未来」は後回しにされ続ける。そして、未来は来なくなる。
本来、社会とは「受け継がれるもの」だ。生まれた命に次の生活が渡され、時間が伸びていくものだ。
だがいまの日本は、未来を育てる力を、自分たちで捨ててしまった社会になりつつある。
現役世代の時間と金と心が削られ、子どもを迎える余裕が消え、生まれる命の数が減り、社会の骨格そのものが痩せていく。
それでも表向きは「安定している」ように見える。なぜなら衰退はゆっくり進むからだ。
だからこそ、この国は静かに壊れていく。誰も叫ばないから壊れている。悲鳴が聞こえない形で壊れていく。
これは「滅び」ではなく、溶けるような消失だ。
その進行を止められるのは、制度でも政策でもなく、「もう、このままでは無理だ」と言葉にする人の側だ。
問題は道徳や意識ではない。設計の誤りが放置され続けていることだ。
家族が消えたのは、心が弱くなったからではない。生きるための構造が、人間の生活に合わなくなったからだ。
必要なのは、ただ一つ。人が家族を持てるような生活の地盤を、社会がもう一度つくること。
やるべきことは、実はとてもはっきりしている。
まず、現役世代の可処分所得を戻すこと。税と社会保険料を若い世代にだけ重くのしかける構造をやめる。資産を持っている層には相応に払ってもらう。
「本当に困っている人を助ける」ことと「とりあえず老人全員を守る」ことはまったく違う。
次に、家族を一家庭に押し込めないこと。育児は社会が支えるべき公共インフラだ。
保育、学童、家事支援、地域の助け、頼れる外部リソース。昔はそれが「人間関係の中に」あっただけで、今と違う形で存在していた。
それを、形を変えてもう一度つくればいい。そして、働く/働かないを選べる社会に戻すこと。
共働きが悪いのではない。共働きしかできないのが問題なのだ。家庭は「労働力供給のための単位」ではない。人が人として生きる場所だ。
ここに、もうひとつ、今必ず触れておくべき点がある。
働き手が足りないからといって、外国人労働者で穴を埋めようとする動きが進んでいる。だがこれは、人件費を抑えたい大企業と、本質的な構造改革を避けたい政府の都合にすぎない。
少子化で労働力が減っているなら、本来やるべきことは賃金を上げ、労働環境を整え、家庭を維持できる生活基盤を戻すことであって、「別の人間を輸入して補う」ことではない。
安価な外国人労働力を入れれば、企業は労働環境を改善する必要がなくなる。政府は自分たちの設計ミスを修正せずに済む。
そして一番損をするのは、現役の日本人労働者と、これから生まれるはずだった子どもたちだ。
これは、社会の疲弊を補う政策ではなく、社会の疲弊を固定する政策だ。未来を守るどころか、未来を切り捨てて「延命」しているに過ぎない。
家族が育たない社会に、人は根を下ろさない。根を下ろせない社会に、未来は生まれない。だからこそ、立て直すべきは、人間の「生活」の側だ。
そうなんだ、ありがとう。
結婚式で歌う「高砂」に淡路島が出てくるじゃん、あれで勝手に連想して人類最初の夫婦にちなんで淡路島なのかな、と勝手に思い込んでたようだ
でも憎しみ合って別れてるけどなぁ、おかしいなぁとは思ってたんだが深くは考えなかった、今更調べたら完全に俺の思い込みだった。ありがとう
でも昔読んだ本には淡路島と書いてあったような、とっくに処分してるから記憶の諸元を辿れない、本ってのは捨てちゃイカンね、反省。
いくとせも ちぎりかわらぬ 七夕の
ちょっと読みづらいので漢字を当てると「幾年も 契り変わらぬ 七夕の 今日待ち経たる 逢瀬(おうせ)なるらん」となります。
意味としては「結婚して何年も経つけれど、あなたへの想いはずっと変わらないよ。今夜の七夕デートを、彦星のようにずっと心待ちにしていたんだ」といったところ。
こんな和歌を贈ったら、妻に照れ隠しでぶっ飛ばされるか、日ごろの関係によっては鼻で笑われるかも知れませんね。
でも、如春尼は夫をぶっ飛ばしも笑いもせず、こんな返歌を贈っています。
けふめづらしき あうせなるらん 如春尼
漢字を当てると「幾年の 変わらぬ物を 七夕の 今日珍しき 逢瀬なるらん」。
何年経ってもあなたへの想いは変わりませんが、今夜の七夕デートは、まるで初めて出会った時のようにドキドキしています……そんな意味合いです。
こちらも夫に負けていません。乙姫だって、彦星に逢うのは一年ぶり。一緒に過ごせるのが本当に嬉しかったのでしょうね。もう尊すぎます。
弘治3年(1557年)4月17日に結婚してから31年。もちろん色んなことがあったでしょう。二人の道のりは、決して平坦ではなかったはずです。
弘治3年(1557年)4月17日、六角定頼の猶子(実父は三条公頼)の如春尼と結婚した[注釈 3]。如春尼の実の姉は武田信玄の正室・三条夫人であり、信玄と顕如は義兄弟にあたる。
政略結婚[注釈 4]とはいえ、二人の夫婦仲は良く、結婚31年目の天正16年(1588年)の七夕には、
いくとせもちぎりかわらぬ七夕の、けふまちへたるあふせなるらん 顕如
いくとせのかはらぬ物を七夕の、けふめづらしきあうせなるらん 如春尼
と歌を詠み合っている。
素敵やね
今の親世代は「女の子も夢を持ってキラキラ輝きましょう」「社会に出て役に立ちましょう」「ほしいものは自分で稼いで買うのがかっこいい」って小学校から教育をされている世代だから、妊娠、出産、までは想像できても、その後家に赤ちゃんと2人で閉じ込められて、鬱々と過ごすっていうのが想像以上にきついのだと思う。普通の精神状態の親ならまあメンブレするくらいで持ち堪えるんだけど、産後うつになってたりホルモンバランスが崩れてると、一夜が越えられなくて子殺しが起こる。
だから学校みたいなのを作って、子連れで週3くらいで通わせるのがいいと思う。外に出て陽を浴びて、子を他人の目があるところで世話をしてみる。やなこともあるかもしれないけど、人目があると様子がおかしい親の早期発見にもなるし、この夜を超えたらまた人のいるところに行けると思うと超えられる夜もあると思う。
パパも協力!とはいっても仕事があるし、大人2人家にいると喧嘩になっちゃう夫婦もいるしね。
学校は無理でも、支援センターでもっと低月齢向けのイベントやったり、産後うつのチェック(産院で必ずやる)にひっかかった人は監視の意味も込めて週に何度かヘルパーが使えたりするのは、やりようによってはできるかな?と思う。
行政は単価が安い保育士にもっと仕事させるのがいいと思うな。私は保育士だけど、公務員として雇ってくれるなら、母子支援やりたい潜在保育士たくさんいると思う。
まだ辞められていない今の仕事はサ高住の夜間宿直業務。下の子が3歳か4歳のころ、先にそこで仕事をしていた旦那に「空きが出るからやらないか?」と誘われてから10年ほど続けている。実働時間に通勤時間を足すと13時間以上。それで6千円にも満たない日当を貰う。交通費は一切出ない。
10年の間に物価は上がり、米の値段は倍になった。それでも10年で増えた給料は200円とか、それくらいの端金だ。それも時給じゃなく日当で。
夫婦でシフトを折半しているものだから、当然どちらかは夜になると出勤しなければならない。家族で旅行どころか、せいぜい車で片道2時間ほどの距離まで買い物に出るくらいが活動限界だった。
そうこうしている間に上の息子は高校生になり、下の息子にも背を抜かれた。家族仲がよくてとても幸せだけど、幸せなだけに私は、私たち夫婦は、こんな端金で家族の10年を売っていたのかと思うと何だかすごく後悔するようになった。
それで冒頭の話になる。
今はネットで求人を見ればよい。私は元気だし一応仕事もしていたし、頭ではまだ若いつもりでいた。
でも実際に面接に行ってみると、採用担当者の目が明らかに違った。
私と会うなり、希望の仕事とは違う部門を勧められ、やんわりとだが「体力は大丈夫ですか?」と問われた。
家に帰って鏡を見たら、そこには肥えて白髪の増えた醜いおばさんが映っていた。
採用の合否も聞かないうちに辞退した。
つい先日、妻が傘で他人に殴りかかり、被害者は転倒して頭を打って意識不明という連絡があった。
全国的には知らないが、ローカルニュースにはなっていたらしいので知っている人もいると思う。
当然のことながら自分は妻がそんなことをする人間だと思っていない、思っていたら結婚しない、っていうのもあって疑心暗鬼だったが被害者がいるのは確実で、意識不明なのも確実で、同行者の証言によりそうなっていることを知る。
問題点として、そもそもその日は雨など降っていなかったということらしい。
妻は日傘を常日頃から愛用していて、ただ、11月の日差しも和らいだ時期に日傘をさす必然性がどれだけあったのか問われると怪しい。
妻が言うには風が強い日で、突発的な風に対抗して力を入れていたら逆側に流れてしまい、人に当たってしまったということらしい。
問題は意識不明になった人には連れがいて、その人が言うには明らかに妻が傘を進路上に置き事故を招いたという。
まぁ、ここは妻の証言とも一致するので一番重要な点となると思う。
そもそも風が強い日に、なぜ妻が傘をさしていたというと日傘目的で雨は降っていなかった、というところも重要らしい。
個人的な本音を言えば11月のような日差しも和らいだ時期に日傘さして事故るなんて、普通は考えないというか、何かしらおかしいのか?問う気持ちになる。
これが8月なら不幸な事故と受け止めていたかもしれない、けれども…。
これどう考えるのがいいのか未だに得心できていない。
まだ治療を受けに行ってるわけでもなく
年齢に余裕がないわけでもないんだけど
なんとなく子どもは持てないのかなと思い始めた
耐えられる自信がないってのもちょっとある
全然できる気配がないし
我々夫婦のところには来ないんだろうな
諦めておかないと後が辛い気がする
弟夫婦金融資産数千万持ってるのに家(資産から見たらかなり安い)建てたら旅行も慎重になってた。
将来売ることも視野に入れてるからペット飼わないって言ってるし壁の傷なんかにも神経質になってる。
うちは終の棲家としてこじんまりとした家を建てたいから子育て中は学校に近い今の賃貸に住み続ける予定だけど、
こんなに物価上がるなら家賃払い続けないでさっさと建てとけばよかったのかもしれないと若干思ってる。
でも同じところに何十年も住み続ける覚悟が無いんだよな~~~今の家は庭付き平屋で最高だし。
増田のケースは文面だけだと配偶者が顕著にひどいように見えるけど
多分他の夫婦も多かれ少なかれ、配偶者のために自分が損してる気分になることある。
数年前に離婚した
最初に書いておくが子なし合意で家賃と家事は折半。ここはきちんと話し合ってお互い納得していた。
配偶者は季節の変わり目ごとに体調を崩す人だったのだが、日常生活を共にしていると配偶者の自己管理能力の無さばかりが目についてしまって
夫婦はお互い助け合うものだと思っていたけれど、これではこちらが助けるばかり。
そして自分が何か困ったことがあっても恐らく何の力にもなってくれないんだろうなと感じた。
と言うより自分が困るようなことなんだから居たところで役に立つんだろうか?とか
今まさに自分が困っている。
そんなことばかり考えてしまった。
食後にソファで寝てしまい、朝までそこに居たせいで風邪を引くことがしょっちゅうある。
きちんと風呂に入ってから布団に入って寝た方がいいこと、もしくは帰宅直後にすぐシャワーを浴びたらどうか?などの指摘をしてきたが
本人に改善する気がまるでない。
そもそも私は元来、人様にとやかく言うのが苦手な性分なので日常生活で相手をコントロールするようなことはしたくない。
ただ、結婚生活においてはある程度それをやらないとこっちに皺寄せされてしまう。
本当にしんどかった。
結婚生活を維持できているような人はきっと
ここで黙って看病をしたり、根気強く相手に指摘を続けられるような人なんだろうか?
その方が余後がいい?
だとしたら本当に尊敬する。
最後の方はもう、何かを言う気力もなく
何か欲しいものがあったらLINEしてくれたらドアノブにかけておくね、という一言を置いて
風邪を引いている配偶者を置いてひとりビジホに泊まっていた。本音はお前がビジホに泊まれよと思っていた。
自分と一緒にいてくれありがとうと思っていても、タダでコキ使われているようにしか感じなかった。
こんなことなら泊まり込みでもして仕事に打ち込んでいた方がよっぽどリターンが多い。
最後に残るのが相手へのリスペクトではなかった時点で相性も悪かったんだと思う。
家庭人は凄い。改めてそう思う。
以下反応を受けて加筆
結婚相手というより同居人>>自分の中で結婚に対して解像度が荒かったのかもしれない
夫婦は鏡と言うが自分はさすがにここまで病弱で自己管理が出来なわけでもないと思っていたので
うちの旦那も早く寝ろと言っても抵抗してテレビ見てる>>これを毎日毎日気が遠くなるほど何年も注意し続けるのはしんどくないだろうか?
私はあまり人に注意や指摘をするのが得意ではなくいのでこっちが疲弊してしまうと思う
自分が指図されるの嫌いだから他人にも指図したくない>>まさにこれなのでタイトルにある通り自分は結婚に向いていなかったんだと思う。
相手との相性に限った問題でもなく、意図してタイトルをデカくしたわけではないということを留意頂きたい
結局のところ人様にとやかく言いたくないのは自分が言われたくない裏返して
かと言って自分のために相手に変わって欲しいとも思っていなかった。
今回のことでよくわかったので
再婚願望はなく
この辺にどう折り合いをつけるのが正解だったのか気になった
これは書いた自分は嫁側です
たまにわがまま言う子供に対してもうしらなーい置いていくよ〜みたいに距離取るやつ
あれいつでもどこでもやるのやめてくんねえかな
ちょっとくらいならまだしも(ほんとはやめて欲しいけど)延々と泣き叫ぶ子供の声聞き続けるのはきつい
ていうかアウトドアでそういうことするのやめて欲しいんだわ
具体的に言うと渓流とか登山道とか滝とかでだよ
スーパーとかデパートとかならこっちがどっか行けば少なくとも泣き声は回避できるけどこの狭い遊歩道でそんなすぐ移動できねえんだわ
聞いたことない泣き声あげ始めたから思わず大丈夫?って声かけたらまさかすぐそこに親がいるとは思わんしうちの躾なんで大丈夫ですとかよ〜〜
ハプバーいきまくっている
かいている私は女です。
先に結論を出すと
・隣でなにやってようが風景のようになる
酒ばっかり飲んでいるか
その人の誕生祭なるイベントがあればそれにむらがる女性がやってきます
なので性を持て余した男性そっちのけで
女子はここぞとばかりに貢いでいる様子がご覧いただけるかと思います
そしたら
それ以上は語らず横顔も何もかも美しい。
どのような経緯でパートナー化したのかと思うとそこの話もききたくなるが
もちろんそこまでは踏み込まない。
他のはぷばーでも
この二人がこのような場所で軽快に性を楽しんでいると思うと
下着姿で歩き回っていた
その方にも「結婚はしているの?」と声をかけたら
やばいな。
わんさかと溢れている
ビギナーズラックだと痛感したのは
濃いめの顔のお兄さん
私が店に入ったあとに入店してきた方
しかしカウンターにいるため店員だったら落ち込むなと思いながら
酔いの力で私も思わず声をかけた
「店員さんですか?」
「いや、常連です」
「もうここ長いので・・・」
二人になり小さなチャンスをうかがっていた
「お兄さんかっこいいですね、めっちゃ好みです」と
これで試していたらしい
「この人はMでもイケる」と
あとから聞いた話だが、後頭部を優しくなでて
髪を優しく掴んで抵抗なければM
そのあとに嫌な顔したら「Mではない?」の判断のひとつだそうだ
私はこの後頭部を優しくつかむにまんまとクリアして
(相手はもともとSだそうです)
人生で初めてだったので本気で焦った、このままでは沼る。
その瞬間だけ絶対好きだった。
適確に急所を狙い動きと手の鮮やかさ、
そのあと初体験をまたした、
手でされているときに
その時に快感の波がぐっと上昇したのを感じた
これ以降、この「子宮を押さえる」が一般常識であると学びました
腰の動かし方が尋常ではなかった
私の中の上をなぞり上げるように展開されている動き
『この人は女をイカせるための動きをしている』
人生でここまで女性のためのセックスをしてくれる人がいるのか?と
私の膣が疑った。
ナチュラルに松葉崩しの体勢になり
これ以上は私が壊れ始めると断点して私からリタイアを申し出た。
もう一人の方は別の場所で。
私が来たしばらくした後に見えた方
外営業の暇がてらきたのかな?
整いすぎた髪型と体格が印象的だった
私もこの場所では初めてだったので
隣の席に座って数回言葉を交わして
「やるなら絶対上手い人がいい!」
「どうしてほしい?」と耳元でオーダーを聞いてくれた
「Sっぽいのが好きです」と伝えるとそれで了承してしまった
部屋に入った瞬間、
片手で押し倒される
もうこれに私の性癖がまた追加されました。
『もう私はMだ、Mでいい』と心で念じました。
ずっと手でやってくれて
「手、疲れないの?」と聞いても
手でしばらくしいたら
「いれて欲しいの?」と笑顔とのギャップの下半身がずっとこちらを
見ていました
「もう、こんなんになっちゃったよ」
そのあと優しくリードしてくれました
途中で私の口を手で押えてくれるという
また新たな私のM性癖を開花させるような予告ない動きに
完全にうっとり状態に(酸欠?)
首絞めも一回してくれましたが
さすがにこれはわたしの中ではSすぎて無理でした
(失神プレイが好きな方もいるそうです)
そのあとは相手がイって終わりましたが
「私がイケなくてごめんね」っといったら
大丈夫だよ」と
とことん優しく接してくれ
もっぱら穏やかな会話調さえも学びになった瞬間だった。
私もこのような優しく接して瞬間を楽しむような
あ、ちなみに二人ともパイパ●でしたよ
(私もかなり泥酔していたので(なんせ女性は永遠に酒はタダ))
女性の動きがとにかく私の中で衝撃的だった
とにかく「エロい」
具体的にいうと
目が潤んでいる
くねくねしている
ずっと見つめてくる、視線が外れない
(ロックオンがすごい)
え・・・・
体型は太っているというかむっちりしていて
絶対肌もやわらかそう(触ってないけど)
と衝撃であった
その女性に
「なんでそんなにエロいんですか?」と聞いた
「ゆっくり話している」と
非常に勉強になる話をきけて嬉しくなる私!
男性をさくっと連れてきて
ずっとチューしたり胸さわられていました
生肌が圧倒的にエロさを出していました
というか近くにいたら絶対この人に取られるんだろうな。
あ、あれか
と私は目の前のいちゃついている風景に
また新鮮な学びを得ました。
「それ」はもう見えていますよね?
もはや「痴女」
顔は化粧っけのない一重の女性
性に対しての余裕の貫禄・・・・
女性としての余裕さ
一体これはなんなんだ??
これはなんだ?
ここでは書き表せられない、強い妖艶さ。
また会えたら話を聴きたいな。
・隣でなにやってようが風景のようになる
そこらへんであえぎ声が聞こえていて
そこらへんで生のプレイが見れるので
思うのですが
多少見られても気にしないし
見てもダレも怒らない
その場でいちゃつこうが
その場で股舐められようが全然気にしない風景がここにはありました
その隣で
そこで誘われ、そこで誘い、そこでやんわりと
断るのも・断れるのも普通
はじめてこの社交場に来たときはびっくりしたけど
慣れってこわいですね。数回で慣れました。
縛られてあえいでいる女性をみて
すごい世界がそれが
やりたくてもやらなくても
見るだけでもOk
これが大人の遊び場ですね
また仕事が落ち着いたら行きたいです。
結論としては
あとタダ酒飲みたい、飲みたがりの一人の女性は
はぷばーオススメです。
別にやらなくてもいい。あわよくばどうにかなればいい。
バレないようにすればいいと思います。
一期一会を推奨しているので楽です。
単女はとりあえずタダ飲みにくればいい。
また何かあったら書きますね