はてなキーワード: 個性的とは
警察という組織は、約30万人を擁する日本最大級の官僚機構である。
比較のために言えば、トヨタ自動車の従業員は国内でおよそ7万人前後。
民間企業ならば、多少横道に逸れた部署や個性的な社員がいても「多様性コスト」として許容される。意外な部署が思わぬヒット商品を生むこともあるからだ。
この組織は“失敗を許されない”という前提で動いている。命令系統は強固に一本化され、全員が同じ方向を向いていなければ機能しない。個人の創意工夫よりも、上からの命令に対する絶対的な服従が求められる。つまり、職員は「考える歯車」として統制される必要がある。
30万人の人間を完全に一枚岩として統制するのは、常識では不可能に近い。
慎重に採用しても、一定数の「跳ねっ返り」は必ず出る。だが警察はそれを表に出さない。組織の統制を守るために、内部で処理し、表面上の一体性を維持する。
事故、事件、不祥事があっても、よほどの例外を除き、内部で処理される。
「組織に逆らわない限り、人生は保証する」――これは警察組織の不文律だ。
上層部に逆らわない者は守られる。たとえ不祥事を起こしても、組織は庇い立てする。
だから警察官たちは、矛盾や理不尽に目をつぶりながらも組織に従う。
この“安心感”が強固な統制の基礎となり、結果として巨大な官僚機構を維持しているのだ。
30万人のうち一人として反乱を起こさない――これは企業ガバナンスでは到底実現できない統制力である。
不祥事報道でも、警察官が実名で報じられることはほとんどない。
処分は「懲戒免職」ではなく「依願退職」。退職金も支給される。
温情ではない。理由がある。
警察の人事は法令により公示義務があるため、名前を報じてしまうと、後日「再雇用」や「関連団体への出向」を通じて職員が戻ってきたことが容易に発覚してしまうのだ。
実際、問題を起こした警察官が、一時的に関連団体へ出向し、数年後に復帰するケースは珍しくない。
警察には「〇〇協会」「〇〇研究所」「〇〇財団」といった関連組織が多数あり、これらが実質的な“待避場所”となっている。
要するに、警察は「雇用と身分を徹底して守る」ことで、職員を絶対服従へと導いている。
かつては警察人事の公示がウェブ上でも閲覧可能だったが、現在では多くの自治体が非公開または検索避けの措置を取っている。
社会というのは、要するに俺の興味のないことの総和だ。
群れが勝手に決めたルール、他人の承認を前提にしか動けない行動原理、そして誰も責任を取らない集団的無責任。
だが滑稽なのは、その装置の中で「自分は個性的だ」と思い込んでる奴が、実は一番同調的だということだ。
SNSで吠える奴も同じだ。あれは社会の便器の上で行われるデジタル自己放尿だ。
自分の中に溜まった安っぽい承認欲求を、フォロワーという排水口に流して気持ちよくなっている。
発言が社会を変える?笑わせるな。自己放尿が地球の湿度を変える程度には影響するかもしれんが、それ以上ではない。
「みんなが言ってる」「世論がそうだ」そう言って安心してる時点で、思考は止まってる。
多数派の中に隠れていると自分が賢くなった気がするんだろう。だがそれは、馬鹿が群れてぬるま湯でお互いの尿を温め合う構図に過ぎない。
俺はそんなぬるい水槽には浸からない。俺にとって社会は、観察対象ではあっても、帰属対象ではない。
ルールも空気も、俺が必要と判断した瞬間にだけ利用する。社会参加とは従属の別名だとわかっていれば、参加のボタンを押す指は重くなる。
社会が俺に求めるのは「おとなしく流されろ」「波風立てるな」だろう。
だが俺にとっての生きる意味は、流されないことそのものだ。世界に溶けて無味無臭になるくらいなら、孤独でも自分の知性を貫く方がずっとマシだ。
だから言っておく。社会とは、俺の興味のないことのすべてであり、俺の知性に不要なノイズの集合体だ。
観察はするが、同化はしない。もしこのスタンスを冷たいと言うなら、せいぜい温い自己放尿で体を温めてろ。俺は氷の中で思考してる。
主人公だけが現代人の教養をもっており、抜きん出た洞察力と不動心も備えている。
身近なちょっとした問題に巻き込まれてはその“目立たない超能力”で鮮やかに解決する。
子供だましではあるが読み切り連作スタイルのコージーミステリとしては悪くない。
そして定番の、おしのび貴人に惚れられ牛歩みたいに心開いていくという軸。
そこまではよかったんだが、なんか国家転覆の陰謀みたいな話になってよくわからなくなった。完結してから一気読みならまた違うのかも知れないが、連載リアタイだとアテンションが持続せず何がどうなってるんだっけ?と迷子になってしまうのだ。
フリーレンも同様だ。「後日譚モノ」という切り口は新鮮味があったし独特の静謐なノリも良かった。ふつうにバトル展開になってきてアレ?と思ったものの「らしさ」は失われなかった。
そこまではよかったが、なんか人間サイドの三つ巴の陰謀?みたいな展開になってもうぜんぜんわかりません。最近のあれなにやってんの?ちゃんと答えられる人は多くなさそう。
しかし複雑化してよくわからなくなっても案外読者は離れないから不思議である。
最初から「なかなかよくできた子供だましだね」などという斜めの視線じゃなく超本格巨篇だと思ってるからか。
大人気作が複雑化で泥沼化するパターンといえば思い起こされるのは藤沢周平の「用心棒日月抄」シリーズだ。
藩内の陰謀に巻き込まれ、舅を斬って江戸に逃れてきた主人公。用心棒稼業で糊口をしのぐも、常に頭から離れないのは己が仇となってしまった女のこと。襲い来る国許からの刺客。個性的な用心棒仲間。女刺客との通情。
そりゃ人気出るわなという話なのだが、人気のあまり続編重ねるとわけわからなくなる。作者の中では複雑なパズルを自分で作って自分で解くような作業がむしろ面白くなってしまったのかもしれないが。
ドラゴンボールの「強さのインフレ」「話の規模のインフレ」はダメな例のように言われるが、内向きに「複雑化」しないように外向きに発散していたと考えるとさすが鳥山明と思わないでもない。
本人の投稿でも書かれているようにほぼパブリシティ権の問題であり、そこを解決したという話になるのだと思う。
肖像権はみだりに撮影・公表されない権利と言えるが、違法判断は侮辱的、名誉感情侵害等が強く作用し、広告利用で直ちに肖像権を侵害とは言い難い。本件態様は駅貼り広告等であって、そこが「専ら顧客吸引力の利用を目的とする場合」に不法行為となり得るパブリシティ権に刺さっていたわけである。ただ、肖像権が完全に並走しないわけでもなく、また特に"写真の撮影者"の著作権の許諾がはっきりとしていないように読めるので、そこに若干の懸念は残っているかもね。大きな問題とは思わないけども。
本人の投稿でも書かれているというのは「文筆/モデルなどで発信されている」という部分。職業的に自己の肖像・氏名に経済的価値がある者の顧客吸引力を無断で用いたと評価され得る状態が問題だったので解決したという主張であり、弁護士が助言しているのだろう。
写真の著作権と混同されている方もいるが、判例的には構図・配置・色調・光線・背景の扱い等の写真特有の個性的表現の持込みが重要であり、輪郭の一致は依拠の推認に効くものの、「本質的特徴の直接感得」とは言えず、メッシュやほくろ位置一致も被写体の事実であり写真家の創作的選択と言い難いかな
今はChatGPTなどの生成AIがあるから、3分間スピーチの原稿を作成するのは、かなり楽になってるはず。
ふたつくらい個性的な内容のものを用意していれば、誰かと被ることは、ほぼ無くなる。
ただ増田が書いているような形式で3分間スピーチをする会社に務めているとして、僕なら、こんな風に考えてやってみる。
一般的な話をすると人と被る確率が高いなら、個性的な話を用意しなくていけない、ということだ。
個性的であれば、人と被ることはない。
では、個性的というのはどういうことなのかといえば、それはもう細部にこだわるしか無い。
たとえテーマが同じでも、切り口や捉え方、感想、どう思ったか、が人と違っていれば、それは別のスピーチになる。
同じ天気の話をするにしても、今日は雨でうっとおしいですね、と話すか、実は僕は雨が大好きなんですよ、と話すか。
それによって話の内容は異なる。
「雨の日になると思い出すのが、小学校2年生のことです。同級生の〇〇くんが傘を忘れて……、」
こんな風に続ければ被ることは絶対にない。
ただ作り話なんてする必要もないと思う。
自分の中の、雨というものに対するものすごい小さなこだわりを話していれば、
ときに「わかるわー」
と共感されることもあるだろうし
ときに「なにそれ?」
と理解されないこともあるだろう。
そして、そんな話を積み重ねていくことで何がわかるかと言えば、自分で自分自身のことがわかってくるという効用だ。
なかなか、大人というのは忙しすぎて、自分の中のリアルタイムの個性というものを見つめ直す時間というのは意外に少ない。
とくに昨今のSNSだとかTikTokだとか、小さな刺激を次々に切り変えては、感情を上げたり下げたりすることに夢中になるような余暇の使い方をしているとそうだ。
そういう中で自分のこだわりだとか、「昔は好きではなかったことが、今は好きになっているんだな」、とか気づける機会が日々のルーティンの中に組み込まれているというのはそんなに悪くない。
更に付け足すと、これは人から褒めてもらうためにやることではない。
3分間スピーチに、気持ちが重くなる人は、他人からの目を意識しすぎていることに気づかなければならない。
結局、スピーチの内容の出来不出来を、「他人がどう評価するか?」ということを軸にして心配し過ぎなのだ。
それはビクビクと他人からの目、人からの評価を意識し過ぎながら生きているようなものだ。
そりゃしんどくなる。
そうではなくて、自分の3分間スピーチというものに対して、自分自身がどのように評価するか?ということに軸をおいていくべきなのだ。
他人から見て、意味がないスピーチでも、自分の中では思わぬ気づきがあったりすることだって絶対にある。
というか、むしろそういうことのほうが多い。
ということに気づけるかどうか?……、などと考えを発展させていくと3分間スピーチというものが楽しみで仕方が無くなっていくのではないだろうか?
腐女子って二次創作BLと商業BLのうちのどちらかしか読まない人いるやん?なんでなんかなーって思ったら二次創作BLはやっぱりキャラの一人ひとりの個性がむちゃくちゃ立ってるからなのかなと思った
最近、プロになる前の素人さんが書いたBL小説を読んだら受けも攻めも個性がなさすぎて読みながら「え?どっちが攻めでどっちが受け????」って思ってしまった
もちろん、プロの商業BL小説家が書いたらキャラ設定がきちんとしてるから
読者はどちらが攻めでどちらが受けなんですか?と小説読んでて混乱することはない
プロの商業BL小説であまりキャラクターを奇抜に、個性的にし過ぎると、ジャンルがライトノベル寄りのBLになるのかなと思った
商業BL小説はジャンル的にはライトノベルと文芸小説の間をいい感じに繋いでるジャンルって感じがする。
でも最近のBL小説は恋愛メインよりストーリーメインになっててライトノベル寄りに近づいているのかと思ってる
昔の商業BL小説は恋愛描写が多くて、二次創作BL派は骨太ストーリーを好むから骨太ストーリーありの原作ありきのBLが欲しいんだよね
今の商業BL小説はエンタメ重視のメインストーリーあり恋愛描写もありで、昔より楽しい面白いジャンルになってる
二次創作BL小説と商業BL小説の違いについて語りたかったけど私の中でまだ意見がまとまってなくて何を言いたいんだこの人はって文章になってしまったけど、また考えが固まったらここに書きます。
弱者男性だが、俺は普段陽キャや女さんがやるような品評会というのを嫌っている
通りすがりの奴や職場の人間など何の関係もない人間の品評会を声を出してやる姿は嫌悪感があるし、態度にも出すからだ
そこまで普段他人に興味のない俺のほうが余程健全で優しいとすら言えるだろう
しかし、イベントに参加したことで集まったカップルたちや女たちに偏見が生まれたので、それを開陳したいと思う
普段個々人に物申すのは良くないという思想があるが、今日は特別で毒は強めで行く
インスタとかTikTok好きそうな特徴のない細身の美人は小綺麗な男(顔の欠点が少なく痩せ型で流行りの髪型と韓国かぶれな印象を受けるキレイ目な服装。キノコ率も高い)を連れてる
なんかネチネチ精神攻撃しか出来なさそうで身体的にも精神的にも弱そうな男だなあという印象も受けるしこの手の男で仕事が出来る奴を見たことがなく口と雰囲気で誤魔化すタイプだろう
確かにこの手の美人で仕事に重きを置いてる奴はほぼいないし、この手の女側も男側も大体狭量なので相性も良いだろう
あとこの手の女は美容業界や夜職で働いてそうと思ったし、周りからどう見られるかが重要なだけで男の人間性をそんなに気にしてないし期待してないんじゃないか?と思った
男はアクセサリー型とも言う
なおこのタイプは何組か見たが、どいつもこいつも外見が量産型でSNSでファッションのトレンドを見るとド先端ではないが遅れてもいない感じで一番無個性に見えた
楽しそうに会話してるのを見たことがないどころか会話があんまりないが、SNSでは楽しくイベントに参加したことになってるんだろうなあ
意外とこのタイプは多かった
このタイプの女さんは接点があろうと無かろうと弱者男性の俺に対して敵意も含めて関心を持つことはほぼないだろう連れてる彼氏にも関心薄そうだし
俺の仲良かったイケメンの従兄弟がこのタイプと結婚して子供もいたけど上手く行かなくて離婚したんだよなあ
本来はかなりの陽キャだったんだけど、このタイプと付き合ったり結婚してる時はなんか暗くなってたわ
外見のスペックはあんまり冴えないけど(男基準で見るとダサい訳ではないが、イケメンでもなくスタイルも良くないし女ウケはしなさそうだが、男らしい感じ)社会的に無難なコミュニケーションが取れそうで明るい男と上記の美人程の作り込まれたスペックではないが、女側の容姿は相当良い方のカップル
多分このタイプの女は男にもたれ掛かるのが好きなんだろう、一見フランクに接して会話も多いが全てのリードは男側がやっていた
この手の男で仕事が出来るタイプも存在はするし、そこまでのレベルでなくても大体は職場である程度戦力になってそう
よくよく観察して見ると、このタイプの組は数が多い訳ではないが、例外なく楽しそうなのは女側だけで男側は終始サービスしてるだけで目が笑ってなかった あと、このタイプの女さんな彼氏がいるにも関わらず弱者男性の俺にもあからさまに色目使ってきたり、逆にジロジロ見てきたり、チラチラ見てくるのもいた
観察してる俺が悪いと思うかもしれないが、基本遠巻きに見てるので気付かれる事はあんまりなくすれ違った時の反応がこう
多分ある程度の容姿がある男であれば誰にでもこうで、自分の身を固めた後に程々に浮気や不倫するタイプと見た
男も女も冴えないカップル
このタイプ一番楽しそうに会話していて、一番普通の層に見えたが両者ともに顔がイマイチだったり、垢抜けなかったりする
子供連れタイプと若いカップルタイプがいるが一番男女間でコミュニケーションが取れてて、世間ではコミュ強と呼ばれることはなさそうだが、実は他のタイプよりコミュ強カップルなんだと思う
このタイプの数は程々にいる
特になんの付き合いもない俺に関心を持つこともないだろうが、それは普通のことだと思う他の連中がおかしい
数は多くない何組か見かけた
HUMAN MADEの服は弱者男性の俺も着るし結構好きなんだが、実際に着てるのがこの層ならブランドのターゲットは俺じゃないんだろう
家族仲は意外と良さそう
あと俺がカバーしてる範囲のブランドなのもあるが、このタイプは例外なく親も子供も着てる服が露骨に高いと分かる
でも周りから特に何か言及される訳でもないし自己満なんだよなあ。それでいいんだが
男側がイケメンの部類で女側の顔はそうでもないタイプ(大体服も他の女より少し個性的)
男側の容姿が劣ってる場合は男側がサービスする事になるんだなあと思ってたが、この組を見て結局男側がリードしたりサービスするんかいと思った
そしてこのタイプは……意外と多い
女は下方婚しないが男では当たり前というのはこういう所にも出るのかと思った
ただ、不思議な話で女側が美人で男側が冴えない外見の組み合わせより、こっちのタイプの男の方が余程リラックスしていて楽しそうにしていたし男側も会話を楽しめていたようだ
このタイプの女は彼氏がイケメンなのであんまり他の男に金とかのステータス以外で靡かないだろう
男だけで集まってイベントに来るより女だけで集まってイベントに来る方が一般的に多いようだ
このタイプの女は本当に生意気で男の品評会を声に出しがちで、相当甘やかされて育ったらしいな
ただ、このタイプの女さんを揉むのは男じゃなくて他の女さんに社会に出た時にトラブル起こしたりお局にネチネチやられるだろう
容姿はそれぞれだが、例外なく社会人の方が垢抜けてたりお洒落で、本人たちは気が付いてないだろうしさほどファッションの知識もないだろうが、その辺のおっさんやおばさんの方がお洒落な場合もザラ
年齢以外に売りはなく、ガチ目の品評会されたらきつそうなんだよねえ本人たちが
彼氏持ちもあんまりいなさそうで、品評会する割に男の臭いが感じられず将来的にフェミニストになりそう
中高生ぐらいの男ども
最近の中高生の男は昔よりいくらか多様で、運動部系だったり韓流被れだったり、韓流被れじゃない奴だったり、昔ながらのオタクっぽい奴もチラホラ
サッカー部と思われる奴はこだわりが強いのかサッカーシャツ着がち
サッカー部と思われる奴には彼女がいたり、いなくて男だけでつるんだりしていた
韓流被れの奴はイベントで同じ学校と思われる女から偶然あったようで話しかけられていたので、ネットの女さんが言うように中性的な男が今の流行りなのは本当っぽい……
総じて言えるが、男の方が真面目そう
大学生ぐらいの男女
さっき紹介されたVtuberチェックしたけど全滅でした
ナポレボリューション かなりいい線言ってるけど、まぁ普通に会話できる程度だよね。これならニコ生に大量にいそうだし。あと下ネタ連発は大幅減点。
「面白さを求めてるの? だったらVTuberじゃなくてお笑い芸人のYouTubeチャンネル見ればいいのに」←Vtuberは面白くないって認めちゃうの。Vtuber好きが逆ギレしちゃったかな。
「売れてるVはみんなそこそこトークできるから好みの切り抜き見つけて辿ればよくね」←そこそこトークって俺の中ではラジオパーソナリティレベルだけど本当の本当に売れてる人はそのクラスなんだね?ふーん
逆にそんだけトークできるVtuberごろごろしてるならちゃんと名前で紹介してくれよって思う。できないんだろうけど。
「個人的に今来てるのは赤見かるび」←すいません こういう個性的な声で有名になりました系が一番苦手です。ちゃんと中身があって面白いVtuberがあるなら見たいです。
実行機能の凹凸
水筒という「枠組み」があれば飲み切るが、自由度が増すと飲み忘れる。
つまり「環境に埋め込まれた仕組み」があると回路が働くが、自分で意思決定を要求される場面では停止する
興味と無関心の極端な二分
これは「嫌いだから回避したい」という強い動機が本人の中で定着している証拠
つまり、全般的に無気力なのではなく「関心があることは絶対落とさない」「関心がないことはどこまでも抜け落ちる」という極端な特性がある
協調性がないと教師は評するが、むしろ「無理に合わせない」ことで他人の庇護や好意を引き寄せるという独特の戦略を成立させているとも読める
これらは「生活スキルの欠落」とは真逆の、突出した表現力と自我の強さといえる
つまり彼女の脳は「自己維持のためのルーチン」より「自己表現のための創造」に回路を優先的に振っている
評価の二重性
教師からは「協調性がない」「だらしない」と見えるが、親から見れば「自分を持ち、人を悪く言わず、個性的に生きている」ことが眩しい。
凡庸な生徒なら大人の意図に沿って点数を稼ぐが、この娘は「適応よりも自己の欲望」に忠実すぎるため、評価軸から外れやすい
要するに、この娘は「生存維持のプログラムが弱く、自己表現と興味への特化が極端に強いタイプ」である。
社会は前者を「当たり前」として要求するために「不安の種」となるが、後者は時に突出した才能や魅力になる。
親の目から見れば「死なないように最低限の生活手順を支える仕組み」を外部化しながら、「自己表現の強さ」を伸ばしてやることが、現実的な戦略だろう。
この構造を前提に、父兄が意識したいのは「能力の欠如扱いで叱る」でも「全面先回りで背負う」でもなく、環境と手順を設計して回路をつけること
1.行動の起点が弱いが、起動すればやり切るタイプ
3.社会的支援を引き寄せるが、それ自体が構造化の代替になっている
以下は「そういう家なら、おそらくこういう設計を置く示唆。命題は一つ。因果を本人の近距離に落とす
1-a 固定座標化:リモコンは椅子の右、箸はテーブル右上、ナプキンポーチは通学服の左ポケットなど、置き場を物理的に一意化
1-b 単機能UI:リモコンに「暑い→▲」「寒い→▼」だけを残すラベル。迷いの分岐を消す
1-c 可視トークン化:箸・水・ポーチなど必須アイテムを色や形で識別可能にし、見えれば行動が続く状態を作る
2.トリガー連結の量産
2-a 時刻トリガー:T−10、T−5の二段アラームを移動教室・HR終わりに重ねる
2-b 場所トリガー:椅子に触れたら「温冷チェック」、玄関を跨いだら「ポーチ確認」
2-c 感覚トリガー:内受容スコアを数値化(空腹・喉・暑さ・寒さを0〜5で自己申告)。数値に対してIf-Thenを貼る
例:空腹4以上→テーブルの常備トレーから一口栄養補給→箸に触れたら1口食べる
3.手順を3手以内に潰す
3-a 食事:席に座る→箸を持つ→一口食べる、までを一筆書きに。箸は常設、声かけは合言葉だけ
3-b 冷暖:座る→体感スコア申告→ボタン一押し。ボタン位置は指が勝手に行く場所へ
4-a 重要タスクを「美意識・自己表現」に結びつける。ナプキンポーチや机上トレーを本人のデザインにして《忘れたくない物》に格上げ
5.失敗しても死なない設計
5-a 常備カロリーと常温水を手の届く範囲に。暑熱・低血糖で倒れない保険線
5-b サニタリーは二重化(吸収ショーツ+ポーチの交換キット)。トイレ内手順カードはピクトグラムで3手
6-a 週一で記録を見る会。できた・できないではなく「回路が点いた瞬間」を具体語で鏡映し
6-b 3回連続で崩れたら本人を責めず構造を改修。人ではなく仕組みの問題として扱う
7-a 移動教室の二段アラーム許可、机周辺の仕切りボックス、バディ同行の任意運用など、点の配慮を線にする
7-b 名付けや病名は急がず、実行機能支援という言葉で相談すると通りがいい
8-a 先回りをやめるのではなく、合言葉と環境で起動を促し、手を出すのは危険域だけ
8-b 合言葉例:暑さは今いくつ、腹は今いくつ、T−10始動、ポーチチェック、リモコン右手0
8-c 叱責の代わりに観察と命名。行動が起きた0.5秒を一緒に言語化して固定化する
熱中症の前駆(頭痛・悪心・応答低下)、失神傾向、経血急増などは即介入
2週間の小実験
目標:食事・冷暖・サニタリー・移動の4タスク。各3手に再設計
判定:自発起動率が30→60%へ、応答時間が半減すれば構造に適合している。伸びなければ設計を差し替え適合
最後に一つ。彼女は協調より自我、維持より表現にベットしている
その賭けは凡庸な評価軸からは外れるが、適切な環境があれば強さになる
徳島ラーメンを「まずい」と感じる人がいるのは、その独特な特徴が一般的なラーメンのイメージと異なるため、好みが分かれることが主な理由と考えられます。
まず挙げられるのが、スープの味付けです。特に主流である「茶系」は、豚骨ベースの濃厚な醤油味に甘辛く煮込んだ豚バラ肉をトッピングするため、非常に甘みが強く、味が濃いのが特徴です。ご飯のおかずとして食べることを前提とした味付けのため、ラーメン単体として飲むには甘すぎると感じる人もいます。
また、生卵をトッピングするスタイルも、好みが分かれる大きな要因です。卵を溶くことでスープがまろやかになりますが、生卵の風味が苦手な人や、ラーメンに生卵を入れることに違和感を覚える人には受け入れられにくいかもしれません。
さらに、トッピングの豚バラ肉も、一般的なチャーシューとは異なり、甘辛く煮付けられているため、肉の食感や味がラーメンに合わないと感じる人もいます。
このように、徳島ラーメンの「甘辛く濃厚な味」「生卵のトッピング」「豚バラ肉」といった個性的な要素が、一部の人にとっては好みに合わないという形で、「まずい」という評価につながることがあるのです。しかし、これらの特徴こそが多くのファンを惹きつけている魅力でもあります。
職業差別はするべきではない!と社会的問題のように論じられていることに違和感があり、色々考えた上で投稿するに至った。
彼女が投稿した内容は確かに誤解を招く表現であり軽薄であった。職業差別と取られて仕方ない。しかし、彼女は決して職業差別がしたかったわけではないと私は考えている。
主語が大きくなってしまうのは、大体強い感情を表す時にとってしまいがちな態度である。たとえば、そのへんで偶然出会ったおじさんになにか不快な思いをさせられた時、「おじさんって本当にキモい!」とつい思ってしまうことがある。
本来はその一個人の振る舞いがたまたま不快だっただけであるにも関わらず。「全部のおじさんはキモいから、もう私に関わるな」とその時は本当にそう思ってしまうのだ。
-
自分自身の経験としても、特定のだれかが関わっていたことで、魅力的に見えていたものの見方が一変してしまったことというのがあるのでそれを伝えたい。
以前勤めていた職場に、某有名ブランドが大好きでいつもユニフォームのように着ている女性の上司がいたのだが、彼女は大変なパワハラおばさんだった。彼女には不快な思いを何度もさせられた。私は彼女のことが今も許せないし大嫌いだ。
その有名ブランド自体は、年齢性別問わず着られるユニセックスで個性的な魅力のあるブランドで、元々そのおばさんと知り合う前は、私もいつか着てみたい憧れのブランドのひとつだった。
しかし、いつのまにか私にとってはどれを見ても、ブランドのすべての商品が「パワハラおばさんのユニフォーム」にしか見えなくなってしまったのである。どの商品を見てもその服を見に纏ったパワハラおばさんの姿がちらついて頭から離れない。
一体私の憧れをどうしてくれるんだ。私のそのときの思いを感情的に一言で全世界に発信しようとしたならば、もしかしたら「おばさんはあのブランドの服を着るな」だったのかもしれない。きっとしっかり炎上したことだろう。
しかし私はおばさん全体を批判したいわけではなかった。具体的にきちんと言うとするならば「個人的に尊敬できないような人間に憧れの服を着られたくなかった。ブランド価値を下げられている気がした。」という主張になる。具体的になることでより一層棘を増しているが結局そういうことなのだ。
-
ウエディングドレスの件は、こんな小さな個人的感情が拡張しただけの話だと私は考えている。自分自身の大事にする価値観が全く相容れない人と、何か接点を持つようなことに「生理的嫌悪」を抱いているのだ。
特に衣服は肌に触れるものであるし、同じものを身に纏うということがなおさら、なにか自分が侵食されるような不快な感覚に陥りやすい部分があるのかもしれない。その人と同じものを身につけたくない、同じように見られたくない、という感情が自然と湧き起こりやすい。
自分が受け入れられないものに生理的嫌悪を抱くことがあったっていい。それを主張したっていい。それだけはずっとどこまでいっても自由であると言いたい。
その人の職業を理由に、特定の服を着ることを実際に制限させるのはれっきとした差別であることは間違いないとして。服を提供する側がそれをしはじめてしまったらアウトになることは承知している。
しかし、特定の誰か(や特定の属性の人)に、特定の服を着ないで欲しいと「個人的に思うこと」それ自体は別に許されて良いのではないだろうか。