はてなキーワード: 大パニックとは
プログラミングとは、勉強も運動もスマブラも下手なクソ隠キャ中学生が「俺もパソコン1台で凄い技術者になって…!」とワクワクしながら始めるものの思ったより普通に難しいし学校の試験で出たような知識要求されるしで3日で放り投げ、10数年後にnoteで「お前らは絶望的にプログラミングに向いてないからやめろ」なんて記事を書くだけのザコに成り下がる、夢と希望に溢れた技術である。
近年ではパソコンのスペックの上昇にともないできることも増え、どこのご家庭にもあるRTX2080で簡単にディープラーニングもできるようになった。Unityで3Dゲームをバリバリ動かしてもブルースクリーンは出ない。やっぱ世界を広げるのは小賢しい知恵よりもスペックの暴力だぜ。
開発環境や言語も選択肢豊富で、エディタもかつては有料クラスでも手に入らなかったような贅沢な機能が満載のものが出回っている。Eclipseとか今考えるとよくあんなので開発できてたな。
いまや小学生からおばあちゃんまでアプリ作りに熱中し、高校生はIoTとかやり始め、大学生は商業レベルか?ってレベルのものをネットで発表し、私はウェブアプリのスマホでのレイアウト崩れひとつすら直せず静かにエディタを閉じてnoteで過激タイトル記事を書いている。
掛け算に順序があると思っているような知能の下級雑用係(自分のことを教育専門職だと思い込んでいる)ですら「小学生にプログラミングを教えるぞ!」と意気込んでいる。やめろ。お前らには無理だ。無理だからマジでやめろ。考え直せ。無理だって。掛け算に順序つけないと相手に教えられないレベルのやつがプログラミング教えるのマジで無理だって。算数とは次元が違うって。「ピーチ姫いつも簡単に誘拐できるし今度はベヨネッタも誘拐してみるか」ぐらいの無謀さだって。やめとけ。マジでやめろ。
まあそんなこんなで入り口はめちゃくちゃ広く、入門するのはマリオカートより簡単である。話逸れるけどSwitchのマリオカート、運転アシスト機能ついて初心者でもコース完走できるようになったから心折れちゃった人ももう一度チャレンジしてみてね。
それとは特に関係ないんだけど、大学行ってた時ティーチングアシスタント(TA)っていう授業のお手伝いさせられたのよね。ちゃんとお金出るやつ。
学部の3年か4年から始まって、院の1年か2年までやってて、途中で休学挟んだから、ええと、あー、うん、数年間TAやってたんよ。数学とプログラミングのコマ。CとOctaveとかいうやつ。Cのほうは情報学科で、Octaveは違う学科。JavaとかC++のコマはTA入れさせてもらえなかった。
プログラミングの実習は週2コマ(連続)あって、情報学科なら必修科目。なのでサポートは相当手厚く、先生とTAが絶え間なく机間巡視し、わからないことがあればセンパイがなんでも答えてくれるというわけだ。授業外でもサポートはしており、わからなければ先生や研究室にいる学生に好きなだけ聞きにいっても良いということになっていた。必修だから落とされたら困るしな。
2コマだから3時間 * 15回で、45時間。そして私の時は2年まででC/C++/Javaと必修だった(今はなんの言語かは知らない)ので、その3倍、135時間は最低やることになる。プログラミング実習以外にもプログラミング触る授業多いから実際はもっと多い。宿題やる時間もあるので実際はもっともっと長くプログラミングに触れることになる。卒論書く時期に入ると、テーマによっては書く人はさらに書くので、もっともっともっともっと長い。
これだけ時間をかければほとんどの人がプログラミングできるように……ならない。むしろできない人の方が多い。なんで。why。教えて。
会社になるとさすがにプログラミングできるできないは死活問題である。
「今日から入ったxxでーす。業界未経験ですがよろしくおねがしまーす。さっそくなんですけどPythonのここわかんないんですけどどうすれば……あっそうすればいいんですね。次はここなんですけど……なるほど!ありがとうございます。じゃあまた明日ー」
いやー社会人にもなると熱意が違うね。学生なんかわかんなくてもほとんど聞きに来ないのにな。こりゃガンガン伸びますわ。私も社会人1年生でPythonなんて3秒ぐらいしか触ったことないから適当答えてるけど。
「ちょっとお時間よろしいですか?」「いやちょっと今忙しいから後になっちゃいますわ。すんません……」
そんなこんなで1週間ぐらい放置してしまった。やべー絶対嫌われる。どこまで進んだかな……?えっまだそこ?進んでなくない?
もしかしてこれ全部教えないとダメなやつか。そりゃ大学4年間プログラミングやったやつでもプログラミングできないんだから、そうか。よく考えると当たり前だよな。
プログラミングをやめろ
大学4年間と大学院2年間プログラミングやったやつでもできないし、会社で毎日8時間を数週間プログラミングについやしてもできないやつはできないし、そもそも人類というのはプログラミングできない可能性がある。
少年少女たちに「プログラミングはいいぞ!自由にものが作れて達成感がある!頭が良くなった気分にもなれるし!」と吹聴してまわんのもいいけど、6年間情報科学について勉強したようなやつの大半がプログラミングできないんですよ。それもごくごく初歩的な部分。
野球とかサッカーなら、まあ友達との試合には参加できなくてもごく稀にバットにボールを当てたり、ボールを1回あらぬ方向に蹴ったり、ぶっちゃけ周りとのレベル差で楽しくなくてすぐやめちゃうだろうけど、なんとか基礎の一部ぐらいはできるじゃないですか。
ピアノとかダンスでも、猫踏んじゃったをごくごくゆっくり弾くぐらいはできるかもしんないし、学芸会の振り付けを10秒ぐらいは踊れたりできるかもしれない。その後やっぱ周りのレベル見て諦めちゃうかもしんないけどさ。
プログラミング、6年やってミットを頭にかぶってるバッターとか、鍵盤蓋の上から殴って音鳴らそうとするやつとか、まずそういうレベルのやつが大量発生するんですよ。だいたい7割ぐらいの率。どうすんだよこいつら。私の教育の問題か?マジで?本当に?
プロが練って考えて凝縮した本や授業、センパイたちによる指導。それらを結集して得られるはずのものが7割ぐらいどっかに消し飛んでる。無駄だろこれ。
今からプログラミングやろうとしてるやつ、お前は確実に向いてないからさっさと諦めて刺身にタンポポ乗せる仕事に戻ってくれ。参加しても鍵盤蓋叩き割るやつと同じ病室に入るだけだ。
プログラミングをやめろ。
ぼくはこう思うんですよ
そもそもなんで大の大人がそんな両手にバット持ってセカンドに立ったりゴールの方をボールのところまで動かす奇行に走るんだろうな。わかんねえや。
綺麗な分析はできないけど、いわゆる「できない」やつが共通して言ってたフレーズがある。
「ぼくはxxxだと思ってるんですけど、動かないんですよ」
うん、そうだね。そう思うんだ。でも動いてないじゃん。じゃあ違うんじゃない?モニターに「にらみつける」やってもバグは取れないし防御力下がるだけだぞ。
まず根本的に考えと事実が違ってるって結果出てるじゃん。じゃあもう考え変えちゃえば早くない?
名言の引用は好きではないけど、「プログラムは思った通りには動かない。書いた通りに動く」って言葉がある。実に名言だと思う。次点で好きなのが「ある問題を解決しようと正規表現を使うと問題が2つに増える」かな。
お前が何を思っているかはプログラミングにおいて一切影響しないんだよ。お前が何を書いて、コンピュータがどう処理したか、それが全て。
深く考えないことについてぎゃーぎゃーいうやつもいるけどプログラムなんてまず最初は動けばいいんだから何も考えずに次試せばいいだろ。んで3回ぐらいは自分で思い浮かんだの試して、全部ダメだったら調べるとか先生に聞いてみるとかさ。逆に1発で通ったら自分の思考見直して理解深めるとかさ。
ドキュメントとかあんまり理解できない初心者のうちは、とにかくお試しと修正のサイクル回すの重要で、「これがこうだから動くはず」というカードを3種類ぐらい作って全部片っ端から試すのが早いと思うよ。モニターをにらみつけるな。
お前がどう思ってるかよりも、まずはお前の書いたプログラムがどう動いているか(どう動いていないか)を確認するのが先だ。動かなかったら考えが違う、はい次のプラン、はいその次のプラン、はい次。
この「ぼくはこう思ってる」が出てくるの、なんの教育の成果なんだろうね。お前の気持ちなんてどうでもいいって現国でも数学で散々教えられただろ。
Error: variable 'a' is undefined, line 24
↑のエラーは架空のエラー文(英語下手でも許して)だけど、エラー、出るよね。プログラム組んでたら。んでやっぱいるのよ。エラーを「にらみつける」やつ。解決しねえって言ってんだろ。
「エラー出たんですけど、どうすればいいんですか」
「エラーにはプログラムがなぜコンパイル通らないかの原因がそのまま書かれている。例えば今出ているError: variable 'a' is undefined, line 24は、24行目の変数aが未定義ということを示している。事前に変数aを定義していないか、打ち間違えてsになっているとかではないのかな?」
だいたいが「腑に落ちねぇー」みたいな顔する。まあ、一気に喋りすぎたしな。疑問点1個1個潰していくか。
「何か疑問点ありそう?変数ってなにー、とか、定義ってなにー、とか」「ないです。わかりました!」
わかったのか。よかった。またモニターをにらみつける開始。なんでだよ!!!!「お前顔にチョコついてるぞ」って言われたらチョコ拭き取るだろ。変数aが未定義ですねって言われたら変数a定義すりゃいいだろ。
でもプログラミングド下手なやつ(全人類の7割ぐらい)は、エラーをにらみつけてる。ずっとにらみつけてる。防御力下限まで下がったかな。にらみつけてて何が変わるんだよ。
「英語読めなくて……」
いや「a is undefined」なんて「He is Superman」ぐらいの英語だろなんで読めないんだよ。お前この大学どうやって入ったんだよ。たしかどの入試方式でも英語あっただろ。単語わからんかったらググれ。
「aが未定義って書いてあるんですけど、ここのfor文の私の考えが間違ってるのでしょうか」
いや24行目のaって書いてるだろ。まずなんでそこ無視するんだよ。お前がfor文で使ってんの教科書通りのiだろ。24行目ってわかるか?for文あるの40行目あたりだよな?aとiが違う文字ってわかるか?
「さっきのエラー直したら新しいエラーが出たんですけど、どうすればいいですか」
千尋!贅沢な名だねえ
変数に名前をつけろ。関数に名前をつけろ。クラスに名前をつけろ。全てに名前をつけろ。
C言語の古い教科書だと「a」とか「b」とか「i」とかで書いてるけど、そんなの人間が読めるわけねえだろ。冷静に考えろ。「input」「output」「index」とかにしとけ。
2重for文の変数名i, jにしたら絶対途中で打ち間違えるだろ。お前は打ち間違える。そういうやつだ。2重ループなんてどうせ行列計算の課題だろ。rowとcolumnにしとけ。これで打ち間違っても気づくし、それぞれに意味が付いてくる。
ちなみに同じ長い名前にも優劣がある。「result」よりも「sum」のほうが強い。「result」はなんの結果かわからない(全ては結果であるので)が「sum」は合計値であることがわかるからだ。「password」と「plainPassword」なら「plainPassword」が勝つ。暗号化されていないパスワードであることがわかるので、情報量が多いからだ。
ただし例外はいくつかある。「tmp」は一時変数であることが(プログラマにとって)明らかだ。「dir」はディレクトリであることがわかる。「src」「dist」あたりもよく使われる。このあたりは短くていいんじゃねーかな。
でも、この前温度センサ扱うプロジェクトで「tmp」って変数名使って温度(temperature)と脳内で混線してバグって発狂してた同僚いたけど。そういうときは名前長くするか別の名前使おうな。
関数の名前なんて「calcAverageFromArray」ぐらい長くしていいから。「myFunc」とかしなくていいから。「fetchJsonDataFromUniversityInternalServer」とかでいいから。マジで。いやこれ本当に。
そもそも今時ディスプレイでかいし、識別子なんて先頭数文字打ったらエディタが補完してくれるし、短くするメリットがない。
それでも名前が長いと感じる?関数がでかすぎるんじゃないか。細かく処理を分けるとかしてみろ。「combineArrayAndFindMax」関数は「combineArray」と「findMax」に分割したらいいと思うぞ。名前が長いと思っても名前を削るな、機能を分割しろ。自然と名前が短くなる。
それかシンプルでかっこいい名前を見つける。「convertEvilHtmlToPeacefulText」は「sanitize」に置き換えることができる。イカす名前だ。
プログラミングできない奴はマジでこれらのことをやらない。ずっとaとかbとかzとか使ってる。お前それ自分で読めんのか。読めねえだろ。myfuncってなんだよ何するんだよ。お前自分で理解できてんのかそれ。
それでも頑なにaとかbとか使う。なんでだよ。
動作原理わからず書き散らすな。動作原理っつってもそんな深いところじゃなくて言語表面上レベルの動作な。
リテラルは値を作成して、代入は値に名前をつけている、とかその程度のレイヤー。メモリがどうこうとかはいらんと思う。あっでもポインタのときはいるか……。めんどくせえな。
まあ動作原理っていうか自分が何やってんのか理解してくれって程度の話になるんだが。
例えばfor文で処理50回まわすとき、「50回分の処理を行なっている」ではなく「ループ開始時に変数を初期化。条件判定して成立していれば文の中を実行する。条件変数の値を変化させてまた条件判定からやり直す」ぐらいの粒度で捉えててほしいかな、という気持ち。
これはfor文で詰まる人がやたら多かったからだ。彼らはfor文をアトミックな操作だと思っていた。つまりfor文はひとまとまりの命令であり、長いfor文とprintfの間に粒度の違いはないと思っていたらしい。
つまり、「for文の中でエラーが起こる」という事象がほぼ理解できない。forはアトミックであり、内部など見えないのだから。じゃあお前が今書いたfor文の中身はなんなんだってやんわり聞くと「さあ…?」みたいな反応が返ってくる。はあ。
関数についてもなかなか誤解が多かった。関数「sum_array(a, b)」と関数「average_three_numbers(a, b, c)」は全く別の原理で動いているのだと。ここでの「全く別の原理」というのはシグネチャが違うとか実装が異なるとかそういう意味ではなく、コーラを飲んでゲップが出る原理と糸電話で声が伝わる原理ぐらいの全くの別、という意味である。
彼らは関数ひとつひとつについて「新しく原理を学習」していたのだ。マジかよ……。どうやったらそんな発想に行き着くんだろう。そりゃ時間かかるわな。
そのため、関数が値を返す(または返さない)ということも理解できておらず、「関数の戻り値と関数の戻り値を足す」とか「関数の引数に関数の戻り値を直接渡す」とかやりだすと大パニックになる。メソッドチェーンとかやった日には大学潰れると思う。ただ、これはC言語が悪い部分もあると思う。配列とかいじりだすと、初心者が書けるレベルの関数だとあんまり値返さないしな。
たのむ、他のはできなくてもこれはできてほしい。自分が何をやりたいのかは理解してほしい。流石にお前のやりたいことなんて他人にはわからんぞ。
「配列の中の数値の合計値を求めたいんです」とか「名前と身長と体重をひとつにまとめた構造体が作りたいんです」とか。簡単なのでいいから。
「いま何やろうとしてどこで詰まってる?」って聞いても「……?」みたいな反応されたら困るんだよ。
例えば「キーボードから数値を10回入力し、それぞれの値を配列に格納して、最後に配列の値を逆順に表示せよ」みたいな問題が出てきたときに、「キーボードから値を入力する」「10回繰り返す」「配列に値を格納する」「配列の値を逆順に表示する」に分解できると思うんだけど、自分が何やりたいのかわからない奴はまずこれができない。
彼らには「キーボードカラスウチヲジュッカイニュウリョクシソレゾレヲハイレツニニュウリョクシテサイゴニハイレツノアタイヲギャクジュンニヒョウジセヨ」に見えている。
かろうじて「キーボード」「ハイレツ」あたりの単語は拾えるらしく、標準入力から値とったり配列を作ったりはしてるんだけど、そこから先に進まない。モニターにらみつけてる。またにらみつけるかよ。
あれだ、算数の文章題できなくてとにかく文章に出てくる数値足したり引いたりするやつ。あれのプログラミング版。文章が読めない。
こういう人にはメモ用紙取り出して、まず文章が何について言ってるのか、どういう工程に分けることができるのか、今後も同じことが起こったときにどうやって分けるのか。みたいなのを教えるんだけど、大抵あんまりしっくりこないらしく、成功したことは皆無。なんとかうまく教えたいんだが。
もうこのあたりになってくるとプログラミング関係なくね……?ってなるんだけど、意外とそういうプログラミング関係ないところで詰まる人めちゃくちゃ多いよ。
今すぐプログラミングをやめろ
長長期的な視座からは現在の経済制裁がロシアに与える影響は甚大なのかもしれんが。
少なくとも現在のロシアは戦争経済ですべてが回っていて逆にそれが止まるほうが恐ろしい。
そもそも経済制裁と言ったところで抜け道が無数に存在していて効果を発揮しにくい。
というか、ここが重要だがその抜け道があるからこそ世界が大混乱せずに済んでいるのだ。
こんなもんが本当に全面的に取引が停止されたら世界経済が大パニックを起こす。
ロシアの石油あることを前提に世界が回ってるのに、ある日突然消えて無くなったら終わりだぞ。
それに関税関税といったところで現在アメリカがロシアから輸入してるものなんてロシア以外からの調達が難しいものばかりで、関税を強化したところで困るのはアメリカの方だ。
だーかーらー、ウクライナに適度に軍事力を保たせて、勝たないまでも絶対に負けない体制を築くことで、プーチンの野心に矛を収めさせるという気長な政策を実行してきたのがなんでわからないんだ???
先月思いもよらず多くの方々にお読みいただいたカマキリの話だが、今朝虫かごを覗いてみると地面に横たわって死んでいた。我が家に来てからちょうど1ヶ月半のことになる。
家に来てからのほとんどの期間をハリガネムシの寄生に気を揉んで心配し続けてきたカマキリだったが、おそらく死因は消化不良によって内臓が弱ってしまったことが原因だろうと思う。人間の食べる餌だけではやはり限界があったのだろう。
キッチンペーパーを敷いた虫かごの床に、カマを頭の横に添えて人がすやすやと横寝するような姿勢で倒れていて、見ようによってはかわいらしい仕草の亡骸だった。
先週末に外出先から戻ってみると、とても水分量の多い糞をしていてだいぶ気がかりではあった。天井にぶら下がっていられないのか虫かごの低い位置の壁につかまるようになったり、夜に照明がつくと目に見えて取り乱すようになったり、不調の兆しは確かにあったと思う。
特に昨晩は寝る前にずいぶんと長いこと腹を曲げていて、それを見た娘が心配していた。その仕草は糞をする時のカマキリの一般的な姿勢で、逆さまにぶら下がっている時に自分の糞で体を汚さないための工夫であるらしい旨を調べていた私はそれほど強い心配をしなかったのだが、思えばあれが最期の苦しみであったのかもしれない。
一説によるとハリガネムシはカマキリの羽化から30〜45日ほどで脱出を図ることが多いという。だから私は密かに飼育45日目を節目だと勝手に思っていた。我が家に来る直前にハリガネムシの幼虫が入った餌を食べてしまったとしても、45日を過ぎればもう寄生の心配はしなくていいだろう、あとは寒さや寿命に備えて引き続き長生きを祈ろうと思っていた。冬まで生きれば隙間風の多い極寒の我が家で生き残らせる手段として、私の部屋のこたつの上で生活するこたつカマキリが爆誕するだろうなと思っていた。
我が家に来て少ししてから急に翅が黒ずんできてしまって心配していたのだが、近くで見てみると黒いだけでなく透明にもなっていて、かなり早くから傷んでいたのだろうと思う。前回の増田では前翅と後翅が入れ替わってしまったのではないかと書いたが、つるつるした緑色の部分(前翅?)とざらざらした透明な部分(後翅?)は、着物の合わせのようにはっきりと境目が見えるのにぴったりくっついてうまく分離できなかった。生きていた時は翅を広げたりすればきちんと分かれていたのかもしれない。
本当は、飼育45日を過ぎて元気でいるようなら、近況をまた増田に書こうと思って半月くらい前からずっと下書きを保存していた。そのほとんどが没になってしまった。
10月に入ってから魚肉ソーセージを食べなくなったので普通の肉を週二でやっていた事とか、ちゃんと餌を顔に近づけると自分で持って食べるようになり横着カマキリの汚名を返上していた事とか、一度サーモンの刺身をやってみたら大パニックを起こして煮干し以来の脱走の危機を迎えていた事とか、我が家のベランダにハラビロのメスカマキリまでやってきて天の采配かと大興奮したがすぐにどこかへ行ってしまった事とかをもっと長々と書いていた。こういう形での続報になってしまってとても残念だ。
カマキリの死を知った娘は思いのほかに長くさめざめと泣いて、私はカマキリの死自体よりは、そんな娘がかわいそうで悲しいという気持ちの方が幾分強かった。それでも、この増田を書きながらカマキリの亡骸について記述している際には少々涙が出た。かわいかったなと意識をすると悲しい。
昆虫が平気な親であれば、インターネットでハリガネムシの心配がないなにがしかの幼虫や餌用の活コオロギなどを買い、別に飼育しておいて、もっと長生きさせる手立てはあったかもしれない。残念ながらそこまでする根性がなかった。そういう意味での悔いはあるが、昆虫が怖くて触れない親なりにできることは全てしたと思っている。
前回の増田で我が家のカマキリをかわいいと思ってくださった方々、本当にどうもありがとう。
力も経験も全く足りず、あまり長生きをさせることはできなかった。それでもたくさん甘やかして暮らした。カマキリはどうかわからないが人間は幸せだったと思う。
すぐ埋めるのは嫌だと娘が言うので、少しだけ家に置いておいて、いずれベランダの鉢植えの花を添えて近くの公園の土に埋めに行くつもりだ。
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死んだ当日はとてもよく晴れて、次の明け方はおそろしく強い風が吹いた。風の音で目を覚まし、一緒に埋めようと思っていた鉢植えの花が吹き飛ばされるのが心配でベランダに出て鉢植えの位置を変えた。
朝再び起きるとカマキリの亡骸はだいぶ茶色く変色してしまっていて、これはもう埋めた方がいいだろうと思われ、娘も嫌々ながら承諾した。カマの部分だけはあまり腐るような中身がないのか、変色が少なく割合きれいな緑色を保っているのが印象的だった。
ほんの少しの間使っていた止まり木についていた木の実と、鉢植えの花をひとつ添えて公園の植え込みの根元に埋めた。
これが最後だからと娘に促すと、怖がって一度もカマキリに触れたことのなかった娘がこわごわと亡骸に触れ、指でつまんで墓穴に入れようとした。
恐る恐るだったので一度手を滑らせてしまって、キッチンペーパーに乗せたカマキリの亡骸がコロリと裏返しに転がり、まるでこちらを向いて最後のお別れでもするかのような姿勢になって、思わずグッと涙を堪えた。それでも娘は亡骸をきちんと墓穴におさめることができた。二人で半べそをかきながら土をかけて葬った。
死んだ日はよく晴れ、明け方に早く葬ってほしいと言わんばかりの強い風が吹き、埋葬した後には前日に輪をかけてよい快晴に恵まれたので、その話をして「ちゃんとお葬式をしてもらえてよかったと思っているのかもね」と娘に言ったら「天気の子だぁ」と喜んでいた。
今は「早く生まれ変わってまた来てほしい」と言っている。
私は「可愛さを認められて次はネコにでも生まれ変わり、どこかの優しい飼主に一生大事に可愛がられて過ごすといい」と思っている。
多少ネタバレありです。
アポカリプス映画って、壊れる前の日常シーンが一番面白いと思う。
「ああ、この光景がもうすぐ破壊されて大パニックになるんだなあ」というワクワク感。
サメ映画なんかで、サメが出てくる前のシーンが一番緊迫感があるのと同じ。
平和なショッピングモールがお買い物家族でごった返していて、主人公が「ハァイ」とか言いながら風船持ってるちっちゃい娘を抱え上げたりして、後の阿鼻叫喚に向けて期待値を爆上げしていく。
次に面白いシーンは、ついにゾンビが現れて日常が崩壊していく場面。
演出が上手い映画だと、このシーンがクライマックスとも言える。
ディープインパクトで言えば、彗星の軌道を計算してた学者がピザを落とすあたり。
Falloutで言えば核が炸裂して娘だけそれに気づいている所。(ふつーに考えれば、核爆発は最初に物凄い閃光と熱線が周囲を破壊し、爆風はその後なので他の人が核の炸裂に気づかんわけがないんだけど)
ハイスクール・オブ・ザ・デッドで言えば、校内放送があった辺りから。
直前までの平和なシーンとの落差、そして社会秩序が失われていくシミュレーションとしての面白さ。
ゾンビランドは名作だけど、この日常崩壊シーンが無いのがちょいと残念。
日本沈没とか、社会がなすすべもなく崩れていくのはやっぱカタルシスだ。
一番どうでも良いシーンが、崩壊後。
ゾンビがふつーに徘徊してて、主人公たちは小規模なコミュニティで何とか生き延びている状況。
サメ映画で言えば、もう普通にサメとガンガン戦ってるシーン。これ以上壊れる日常がないのでゾンビものでも単なる北斗の拳である。
という事で、Falloutは自分的にはタイトルが出てきた7分0秒くらいまでが本編。タイトルの後に「219年後」とか表示されてなんか地球防衛隊みたいな服のネーチャンが出てきた辺りで視聴意欲が激減したのでひとまず視聴終了。
面白かった。
俺の答はこれ以外にありえない。
もし本当にある日異性が消えたら、私はまず「自分が眠っている可能性を考える」だろう。
ひとまずインターネットを立ち上げてみて、文字が読めればそこは現実だ。
そしてインターネットに並ぶ無数の異性消失情報を目にし、次に考えるのは「ドッキリの標的にされた可能性」だ。
ひとまずは悩んでますよというポーズをしながら目を瞑って作戦会議だ。
あとあと馬鹿にされないような形に気をつけて道化を演じつつ、ドッキリのコストに負荷をかけようとして、いつも行かないような駅にでも行こうと家を出る、直前で足を止める。
もしも本当に全ての異性が消失していたら、世界人口の半分が消えるという大パニックだ。
というか、インフラ施設の当直員や夜行バスの運転手が消えたとしたらどうなるのかを考え、引きこもることを決めるだろう。
もしかしたら我が家の周りも既にクリスタルナハトが始まっているかも知れない。
窓やドアの施錠を確認し、板をうちつけるまではいかずとも目張りぐらいはしておく。
家中の武器になりそうなものを足元に集めた状態でインターネットに再び潜る。
24時間ちょうど異性が消滅していたことが世界中で話題になるだろう。
偶然か、神の奇跡か、裁きの時か、きっと大きな混乱が巻き起こるはずだ。
その中にいるはずなのだ。
「世界が仮想現実であり、if sex=0 deleat time=1dのようなコードが入力されたに違いない」という仮説を元に検証を始める集団が。
私はそこに合流する。
何故なら神の存在を信じるよりも、その可能性を追求したほうが現実的に感じられるからだ。
確証バイアスによって集団幻覚で終わらせる者達、パニックのままに暴れ続ける暴徒、ここぞとばかりに勧誘を始める宗教家、様々な連中が出てくるだろうが無視する。
世界が仮想空間であり、リバースエンジニアリングによって我々人類にも神に等しいチートを手にする機会があるかも知れない。そのチャンスに私は合流するからだ。
答は出るのだろうか?
あらかじめ断っておくと、すべての障害者が死ぬべきという考えではない。ただひたすらに無能の役立たずである「自分」を死なせて欲しいって話。
なら迷惑かけずに一人で勝手に死ねって言われそうだが、何度もやって失敗してるからなるべく確実に死ぬ方法を求めている。教えてくれたら実行するけど頭悪いから失敗する可能性が高い。これまで失敗してきたから死ねてないわけだし。
世の中の役に立たない。毎朝生きてまた目が覚めたことに絶望する。
何せ長期的な人間関係の構築やコミュニケーションが出来無い。仕事をしたいと思ってもできる仕事がない。背後に人間が立つだけで恐怖するし、少しでも否定されれば大パニックになる。場の空気を悪くすること以外に出来ることがない。
これで何かしら尖った能力があればと思うがASDとADHDの悪いところハイブリッド系ゴミカス。興味の範囲極狭+秒速で飽きる。技能もなければ頭も悪い。運動しても体力も筋力もつかない。働きたいって言ってもカウンセラーにやめろと止められる始末。生きてる意味がない。
薬もカウンセラーもほとんど合わなかった。薬は逆に具合悪くなるし、社会に適応するのはほぼ無理なんだろう。不治の病だ。
だいたい、障害者の雇用を〜とかいって健常者様なら一人で完結させられる仕事を細切れにして回した上で健常者様のチェックを入れたり監督付けたりしてるの、普通に無駄でしか無いだろ。居ても居なくても変わらないどころか、存在しない方がありがたいレベルのお荷物なわけ。
だったら働くことを諦めて慎ましく暮らせって話になるだろうが、金のない不安に押しつぶされそう。これからどんどん減っていく税金で無能を生きさせる価値ないだろ。それでなくても障害年金とか必死で生きててギリギリの人間からしたら消えて欲しい存在でしか無い。しんどい自分たちから税金吸い上げて生まれついての無能のためにどーぞって、うっかり人間の形に生まれついた無能だから法律上殺せないだけで内心死んでくれよって思われてる。流石にそれがわからないほどアホではない。
ネットで弱い立場の人間をぶっ叩いてようやく溜飲が下がる程度に苦しんでる人間がいるんだから。そういう人たちが楽に生きられるようになって初めて社会全体で無能を飼えるんだろう。
こういう主張をすると優生思想云々って怒られるが、死ねばいいって対象は自分だけだ。あと、生きたくても生きられない人が〜みたいなのが湧いてくるけど、代われるならすぐ代わるから方法を見つけてくれ。健康な部分の方が少ないが、発達してない脳以外は一応それなりに動くには動くから。
どうでもいいけど死にたがりがよく言う臓器提供、あれはきっと社会参加して誰かに感謝されたいっていう叫びなんだろうなぁ。支援員とかやってる人も感謝されたい病っぽい人間多いし、欲求の中に「感謝されたい」があるのは辛いよな。
つらつらくだらないことを書いてきたが、とにかく死ぬ才能も生きる才能もないのでもう殺してくれっていうのが自分の主張。
安楽死とか夢があるけどなー判断したり処方する医者とか可哀想だからなー。オランダなら発達で苦しんでても死ねるのになー。帰化するにも言語含めてハードルが高すぎる。発達障害者の自殺率が有意に高いのは、存在している限り脳は変えられないし、幸福のハードルをどこまで下げても苦痛は消えない、一生救われないからなんだろうな。死んだほうが幸せってことも絶対あるのに。
そこで考えたのが「とにかく大量に他人殺傷して死刑になりたい犯罪者予備軍」と「とにかく死にたくてたまらない人間」のマッチングアプリ。需要と供給が一致するんだからこれ以上なくないか? 名前はデスマッチとか。なんの罪もない人が拡大自殺のために殺されるよりずっといい。
飛行機事故ペット問題で「人命よりペットを優先する奴はアホ、基地外」みたいな声が相当大きくなってて、実際それは正しくはあるんだけども、いざ自分が当事者になった時の事を考えるとあまり声高に叫ばない方がいいんじゃないと自分は思ってる。
1/2の飛行機事故では旅客機側の人員は全員生存、貨物室および客室に残された貨物および動物は全滅、という結果にたまたまなった訳だけども「脱出時には何も持たないでください」というアナウンスにもかかわらず、リュックを持って出た人/小さめのポシェットやハンドバッグを持って出た人/動転したのか何なのか書籍とペットボトルを持って出てしまった人など様々な人がいたようだ。
元CAの漫画家さんによればそれらの持ち出しは全てアウトで、ポシェットやウエストポーチやカバンはもちろんズボンの尻ポケットなどに入れるのもNG、腹部に巻く/隠すのもNG、持って出られるのは背中や尻など脱出用の滑り台と摩擦の起きない部分のポケットにしまわれた小物だけ(これも多く入れていると出すように言われる)だそうだ。
しかしいくら命には替えられないとはいえ、身分証や保険証を入れた財布、スマホ、家の鍵などは最低限持ち出したいという人が大半だろう。自分のせいでスロープが破損するリスクが生じるとして、じゃあそれを燃え盛る飛行機に全て置いて逃げるのが正しい、『他の人も同じようにしてくれるかどうかわからない、』わかっていてそれをできる人がどれほどいるだろう。
強いこだわりの特性を持つ人が機内にいて、無理に手放させたら大パニックを起こしてしまう物を持っていたとしたら。重い持病を抱えていて、毎日の服用が必須な常備薬をカバンに入れている人がいたとしたら。替えも取り返しもつかない貴重な何かを持っている人がいたとしたら。想像をすればキリがない。
1/1の能登半島地震では道路がそこかしこで寸断されて交通網が壊滅状態となり、被災者の支援には自治体や自衛隊、国から依頼を受けて支援物資を運びにきた企業、救急や消防などの支援および救護の妨げになるので、不要不急の移動は控えるべきと言われている。実際にこれもその通りで大渋滞が起きているという。ボランティア精神を履き違えた頭お花畑どもは死ぬべきだと血気盛んなネット世論は大騒ぎしている。
しかし現実には能登に住む家族や親族のために物資を満載して車を走らせた個人が数多くいただろう。「あなたの車が能登に住む他の皆さんに支援物資を行き渡らなくさせ、助かる命を助からなくさせているのですよ」と誰かに言われたらその通りなのだろう。それでも彼らは承知で大事な人のもとへ向かったはずだ。生きている自分の家族を1秒でも早く飢えや寒さや不自由から救いたくて、その他の被災者の生命を削る選択をしたはずだ。
本当に人命が大事なら、能登にいる被災家族のことは自治体にまかせ、数日の不自由は耐えてもらうのが能登の被災者全体にとって正しいはずだ。じゃあ今苦しんでいる家族を前に何もせず家で耐えているのが正しい、『他の人も同じようにしてくれるかどうかわからない、』わかっていてそれをできる人がどれほどいるだろう。
震災や事故に限らなくてもそういうことが世の中にたくさんある。
人命が大事と言われていても、他人の人命より自分の何かをこっそりと優先してしまうずるさや愚かさがおそらく全ての人間にある。無論私にもある。私は物をどこにしまったかすぐに忘れてしまうので、遠出の時はウエストポーチを身につけている。中に保険証もマイナンバーカードも家の鍵も財布もスマホも全部入っていて、そのポーチを全部捨てろと言われたら自分が誰かも証明できなくなる。だから「最低限財布とスマホと鍵を持って脱出するにはどうしたらいいか」を必死でググっていた。夏場そうなったらどうしたらいいか途方に暮れていた。
そういう自分の愚かさを前に「命が一番大事に決まっているだろう」と他人を指差して非難する勇気は持てない。いつか自分もそうやって他人に指を差される日が来ると思うから。
ペットの命も助けて欲しかったという人、最低限の荷物だけは持って出るのを許して欲しいという人、老親を助けない訳にいかなかったという人、その全員に自分と同じエゴを見て「明日は我が身だ」と思っている。
これはですね。
企業の通常取引で慣習となってる部分でインボイス請求書を必ず発行しなきゃいけない、「銀行振込すると、紙とハンコと切手代が増える」ことになり、これは大ブーイングになりそう、やべえ対応しなきゃ、と慌てて今までの慣行でも大丈夫なように免除措置を追加しましたという話。
では、と免除措置でパニック回避しようとしたけど、今年に入って後から付け加えた措置なので、一昨年段階や昨年段階で早めにインボイス対応しなきゃと勉強してたところほど、気づいてなかったりするんだと思う。
それで昨年段階の知識に基づいて、取引先に通知を出してるのが今。
その通知見て「大変だ!うちも対応しなきゃ!」ってところが出てくるだろうな、と。
パニック回避の免除措置が機能しない、どれが正しいかわからない会社が続出。
国税庁は税理士だけ知ってればいいだろ、って態度で大々的に告知しないから、今ってインボイスの正しい運用方法がわからないままの人が大多数で、それで各企業がインボイス対応の通知を出しまくってるから、わけわからなくなってるんだよね…
>https://www.nta.go.jp/publication/pamph/shohi/kaisei/202304/03.htm
振込手数料の負担についての説明だけど、これパニクるんじゃないかな。
BtoBの顧客サービスで慣行的に販売側が振込手数料を負担するとこ多いと思うんだけど、それやると手数料分のインボイス請求書を別途作らないといけなくなるので、そうならないように小細工を追加しました、という話だと思うんだけど、経理処理の問題まで巻き込んでて、あ、これ誰も守らないやつだってなった。
しかも去年の段階では上記の免除措置がないので、振込手数料のインボイスは必ず作れって説明がまだ残ってる去年の日付のインボイス説明もネット上には残ってる。
インボイス、朝令暮改のたびにネットの説明が二転三転して、そのままネット検索に引っ掛かるので、正しい経理処理を行き届かせるのしばらく無理だろう。
というか既に去年の段階での説明に従った通知が来てるし…