はてなキーワード: 猫踏んじゃったとは
プログラミングとは、勉強も運動もスマブラも下手なクソ隠キャ中学生が「俺もパソコン1台で凄い技術者になって…!」とワクワクしながら始めるものの思ったより普通に難しいし学校の試験で出たような知識要求されるしで3日で放り投げ、10数年後にnoteで「お前らは絶望的にプログラミングに向いてないからやめろ」なんて記事を書くだけのザコに成り下がる、夢と希望に溢れた技術である。
近年ではパソコンのスペックの上昇にともないできることも増え、どこのご家庭にもあるRTX2080で簡単にディープラーニングもできるようになった。Unityで3Dゲームをバリバリ動かしてもブルースクリーンは出ない。やっぱ世界を広げるのは小賢しい知恵よりもスペックの暴力だぜ。
開発環境や言語も選択肢豊富で、エディタもかつては有料クラスでも手に入らなかったような贅沢な機能が満載のものが出回っている。Eclipseとか今考えるとよくあんなので開発できてたな。
いまや小学生からおばあちゃんまでアプリ作りに熱中し、高校生はIoTとかやり始め、大学生は商業レベルか?ってレベルのものをネットで発表し、私はウェブアプリのスマホでのレイアウト崩れひとつすら直せず静かにエディタを閉じてnoteで過激タイトル記事を書いている。
掛け算に順序があると思っているような知能の下級雑用係(自分のことを教育専門職だと思い込んでいる)ですら「小学生にプログラミングを教えるぞ!」と意気込んでいる。やめろ。お前らには無理だ。無理だからマジでやめろ。考え直せ。無理だって。掛け算に順序つけないと相手に教えられないレベルのやつがプログラミング教えるのマジで無理だって。算数とは次元が違うって。「ピーチ姫いつも簡単に誘拐できるし今度はベヨネッタも誘拐してみるか」ぐらいの無謀さだって。やめとけ。マジでやめろ。
まあそんなこんなで入り口はめちゃくちゃ広く、入門するのはマリオカートより簡単である。話逸れるけどSwitchのマリオカート、運転アシスト機能ついて初心者でもコース完走できるようになったから心折れちゃった人ももう一度チャレンジしてみてね。
それとは特に関係ないんだけど、大学行ってた時ティーチングアシスタント(TA)っていう授業のお手伝いさせられたのよね。ちゃんとお金出るやつ。
学部の3年か4年から始まって、院の1年か2年までやってて、途中で休学挟んだから、ええと、あー、うん、数年間TAやってたんよ。数学とプログラミングのコマ。CとOctaveとかいうやつ。Cのほうは情報学科で、Octaveは違う学科。JavaとかC++のコマはTA入れさせてもらえなかった。
プログラミングの実習は週2コマ(連続)あって、情報学科なら必修科目。なのでサポートは相当手厚く、先生とTAが絶え間なく机間巡視し、わからないことがあればセンパイがなんでも答えてくれるというわけだ。授業外でもサポートはしており、わからなければ先生や研究室にいる学生に好きなだけ聞きにいっても良いということになっていた。必修だから落とされたら困るしな。
2コマだから3時間 * 15回で、45時間。そして私の時は2年まででC/C++/Javaと必修だった(今はなんの言語かは知らない)ので、その3倍、135時間は最低やることになる。プログラミング実習以外にもプログラミング触る授業多いから実際はもっと多い。宿題やる時間もあるので実際はもっともっと長くプログラミングに触れることになる。卒論書く時期に入ると、テーマによっては書く人はさらに書くので、もっともっともっともっと長い。
これだけ時間をかければほとんどの人がプログラミングできるように……ならない。むしろできない人の方が多い。なんで。why。教えて。
会社になるとさすがにプログラミングできるできないは死活問題である。
「今日から入ったxxでーす。業界未経験ですがよろしくおねがしまーす。さっそくなんですけどPythonのここわかんないんですけどどうすれば……あっそうすればいいんですね。次はここなんですけど……なるほど!ありがとうございます。じゃあまた明日ー」
いやー社会人にもなると熱意が違うね。学生なんかわかんなくてもほとんど聞きに来ないのにな。こりゃガンガン伸びますわ。私も社会人1年生でPythonなんて3秒ぐらいしか触ったことないから適当答えてるけど。
「ちょっとお時間よろしいですか?」「いやちょっと今忙しいから後になっちゃいますわ。すんません……」
そんなこんなで1週間ぐらい放置してしまった。やべー絶対嫌われる。どこまで進んだかな……?えっまだそこ?進んでなくない?
もしかしてこれ全部教えないとダメなやつか。そりゃ大学4年間プログラミングやったやつでもプログラミングできないんだから、そうか。よく考えると当たり前だよな。
プログラミングをやめろ
大学4年間と大学院2年間プログラミングやったやつでもできないし、会社で毎日8時間を数週間プログラミングについやしてもできないやつはできないし、そもそも人類というのはプログラミングできない可能性がある。
少年少女たちに「プログラミングはいいぞ!自由にものが作れて達成感がある!頭が良くなった気分にもなれるし!」と吹聴してまわんのもいいけど、6年間情報科学について勉強したようなやつの大半がプログラミングできないんですよ。それもごくごく初歩的な部分。
野球とかサッカーなら、まあ友達との試合には参加できなくてもごく稀にバットにボールを当てたり、ボールを1回あらぬ方向に蹴ったり、ぶっちゃけ周りとのレベル差で楽しくなくてすぐやめちゃうだろうけど、なんとか基礎の一部ぐらいはできるじゃないですか。
ピアノとかダンスでも、猫踏んじゃったをごくごくゆっくり弾くぐらいはできるかもしんないし、学芸会の振り付けを10秒ぐらいは踊れたりできるかもしれない。その後やっぱ周りのレベル見て諦めちゃうかもしんないけどさ。
プログラミング、6年やってミットを頭にかぶってるバッターとか、鍵盤蓋の上から殴って音鳴らそうとするやつとか、まずそういうレベルのやつが大量発生するんですよ。だいたい7割ぐらいの率。どうすんだよこいつら。私の教育の問題か?マジで?本当に?
プロが練って考えて凝縮した本や授業、センパイたちによる指導。それらを結集して得られるはずのものが7割ぐらいどっかに消し飛んでる。無駄だろこれ。
今からプログラミングやろうとしてるやつ、お前は確実に向いてないからさっさと諦めて刺身にタンポポ乗せる仕事に戻ってくれ。参加しても鍵盤蓋叩き割るやつと同じ病室に入るだけだ。
プログラミングをやめろ。
ぼくはこう思うんですよ
そもそもなんで大の大人がそんな両手にバット持ってセカンドに立ったりゴールの方をボールのところまで動かす奇行に走るんだろうな。わかんねえや。
綺麗な分析はできないけど、いわゆる「できない」やつが共通して言ってたフレーズがある。
「ぼくはxxxだと思ってるんですけど、動かないんですよ」
うん、そうだね。そう思うんだ。でも動いてないじゃん。じゃあ違うんじゃない?モニターに「にらみつける」やってもバグは取れないし防御力下がるだけだぞ。
まず根本的に考えと事実が違ってるって結果出てるじゃん。じゃあもう考え変えちゃえば早くない?
名言の引用は好きではないけど、「プログラムは思った通りには動かない。書いた通りに動く」って言葉がある。実に名言だと思う。次点で好きなのが「ある問題を解決しようと正規表現を使うと問題が2つに増える」かな。
お前が何を思っているかはプログラミングにおいて一切影響しないんだよ。お前が何を書いて、コンピュータがどう処理したか、それが全て。
深く考えないことについてぎゃーぎゃーいうやつもいるけどプログラムなんてまず最初は動けばいいんだから何も考えずに次試せばいいだろ。んで3回ぐらいは自分で思い浮かんだの試して、全部ダメだったら調べるとか先生に聞いてみるとかさ。逆に1発で通ったら自分の思考見直して理解深めるとかさ。
ドキュメントとかあんまり理解できない初心者のうちは、とにかくお試しと修正のサイクル回すの重要で、「これがこうだから動くはず」というカードを3種類ぐらい作って全部片っ端から試すのが早いと思うよ。モニターをにらみつけるな。
お前がどう思ってるかよりも、まずはお前の書いたプログラムがどう動いているか(どう動いていないか)を確認するのが先だ。動かなかったら考えが違う、はい次のプラン、はいその次のプラン、はい次。
この「ぼくはこう思ってる」が出てくるの、なんの教育の成果なんだろうね。お前の気持ちなんてどうでもいいって現国でも数学で散々教えられただろ。
Error: variable 'a' is undefined, line 24
↑のエラーは架空のエラー文(英語下手でも許して)だけど、エラー、出るよね。プログラム組んでたら。んでやっぱいるのよ。エラーを「にらみつける」やつ。解決しねえって言ってんだろ。
「エラー出たんですけど、どうすればいいんですか」
「エラーにはプログラムがなぜコンパイル通らないかの原因がそのまま書かれている。例えば今出ているError: variable 'a' is undefined, line 24は、24行目の変数aが未定義ということを示している。事前に変数aを定義していないか、打ち間違えてsになっているとかではないのかな?」
だいたいが「腑に落ちねぇー」みたいな顔する。まあ、一気に喋りすぎたしな。疑問点1個1個潰していくか。
「何か疑問点ありそう?変数ってなにー、とか、定義ってなにー、とか」「ないです。わかりました!」
わかったのか。よかった。またモニターをにらみつける開始。なんでだよ!!!!「お前顔にチョコついてるぞ」って言われたらチョコ拭き取るだろ。変数aが未定義ですねって言われたら変数a定義すりゃいいだろ。
でもプログラミングド下手なやつ(全人類の7割ぐらい)は、エラーをにらみつけてる。ずっとにらみつけてる。防御力下限まで下がったかな。にらみつけてて何が変わるんだよ。
「英語読めなくて……」
いや「a is undefined」なんて「He is Superman」ぐらいの英語だろなんで読めないんだよ。お前この大学どうやって入ったんだよ。たしかどの入試方式でも英語あっただろ。単語わからんかったらググれ。
「aが未定義って書いてあるんですけど、ここのfor文の私の考えが間違ってるのでしょうか」
いや24行目のaって書いてるだろ。まずなんでそこ無視するんだよ。お前がfor文で使ってんの教科書通りのiだろ。24行目ってわかるか?for文あるの40行目あたりだよな?aとiが違う文字ってわかるか?
「さっきのエラー直したら新しいエラーが出たんですけど、どうすればいいですか」
千尋!贅沢な名だねえ
変数に名前をつけろ。関数に名前をつけろ。クラスに名前をつけろ。全てに名前をつけろ。
C言語の古い教科書だと「a」とか「b」とか「i」とかで書いてるけど、そんなの人間が読めるわけねえだろ。冷静に考えろ。「input」「output」「index」とかにしとけ。
2重for文の変数名i, jにしたら絶対途中で打ち間違えるだろ。お前は打ち間違える。そういうやつだ。2重ループなんてどうせ行列計算の課題だろ。rowとcolumnにしとけ。これで打ち間違っても気づくし、それぞれに意味が付いてくる。
ちなみに同じ長い名前にも優劣がある。「result」よりも「sum」のほうが強い。「result」はなんの結果かわからない(全ては結果であるので)が「sum」は合計値であることがわかるからだ。「password」と「plainPassword」なら「plainPassword」が勝つ。暗号化されていないパスワードであることがわかるので、情報量が多いからだ。
ただし例外はいくつかある。「tmp」は一時変数であることが(プログラマにとって)明らかだ。「dir」はディレクトリであることがわかる。「src」「dist」あたりもよく使われる。このあたりは短くていいんじゃねーかな。
でも、この前温度センサ扱うプロジェクトで「tmp」って変数名使って温度(temperature)と脳内で混線してバグって発狂してた同僚いたけど。そういうときは名前長くするか別の名前使おうな。
関数の名前なんて「calcAverageFromArray」ぐらい長くしていいから。「myFunc」とかしなくていいから。「fetchJsonDataFromUniversityInternalServer」とかでいいから。マジで。いやこれ本当に。
そもそも今時ディスプレイでかいし、識別子なんて先頭数文字打ったらエディタが補完してくれるし、短くするメリットがない。
それでも名前が長いと感じる?関数がでかすぎるんじゃないか。細かく処理を分けるとかしてみろ。「combineArrayAndFindMax」関数は「combineArray」と「findMax」に分割したらいいと思うぞ。名前が長いと思っても名前を削るな、機能を分割しろ。自然と名前が短くなる。
それかシンプルでかっこいい名前を見つける。「convertEvilHtmlToPeacefulText」は「sanitize」に置き換えることができる。イカす名前だ。
プログラミングできない奴はマジでこれらのことをやらない。ずっとaとかbとかzとか使ってる。お前それ自分で読めんのか。読めねえだろ。myfuncってなんだよ何するんだよ。お前自分で理解できてんのかそれ。
それでも頑なにaとかbとか使う。なんでだよ。
動作原理わからず書き散らすな。動作原理っつってもそんな深いところじゃなくて言語表面上レベルの動作な。
リテラルは値を作成して、代入は値に名前をつけている、とかその程度のレイヤー。メモリがどうこうとかはいらんと思う。あっでもポインタのときはいるか……。めんどくせえな。
まあ動作原理っていうか自分が何やってんのか理解してくれって程度の話になるんだが。
例えばfor文で処理50回まわすとき、「50回分の処理を行なっている」ではなく「ループ開始時に変数を初期化。条件判定して成立していれば文の中を実行する。条件変数の値を変化させてまた条件判定からやり直す」ぐらいの粒度で捉えててほしいかな、という気持ち。
これはfor文で詰まる人がやたら多かったからだ。彼らはfor文をアトミックな操作だと思っていた。つまりfor文はひとまとまりの命令であり、長いfor文とprintfの間に粒度の違いはないと思っていたらしい。
つまり、「for文の中でエラーが起こる」という事象がほぼ理解できない。forはアトミックであり、内部など見えないのだから。じゃあお前が今書いたfor文の中身はなんなんだってやんわり聞くと「さあ…?」みたいな反応が返ってくる。はあ。
関数についてもなかなか誤解が多かった。関数「sum_array(a, b)」と関数「average_three_numbers(a, b, c)」は全く別の原理で動いているのだと。ここでの「全く別の原理」というのはシグネチャが違うとか実装が異なるとかそういう意味ではなく、コーラを飲んでゲップが出る原理と糸電話で声が伝わる原理ぐらいの全くの別、という意味である。
彼らは関数ひとつひとつについて「新しく原理を学習」していたのだ。マジかよ……。どうやったらそんな発想に行き着くんだろう。そりゃ時間かかるわな。
そのため、関数が値を返す(または返さない)ということも理解できておらず、「関数の戻り値と関数の戻り値を足す」とか「関数の引数に関数の戻り値を直接渡す」とかやりだすと大パニックになる。メソッドチェーンとかやった日には大学潰れると思う。ただ、これはC言語が悪い部分もあると思う。配列とかいじりだすと、初心者が書けるレベルの関数だとあんまり値返さないしな。
たのむ、他のはできなくてもこれはできてほしい。自分が何をやりたいのかは理解してほしい。流石にお前のやりたいことなんて他人にはわからんぞ。
「配列の中の数値の合計値を求めたいんです」とか「名前と身長と体重をひとつにまとめた構造体が作りたいんです」とか。簡単なのでいいから。
「いま何やろうとしてどこで詰まってる?」って聞いても「……?」みたいな反応されたら困るんだよ。
例えば「キーボードから数値を10回入力し、それぞれの値を配列に格納して、最後に配列の値を逆順に表示せよ」みたいな問題が出てきたときに、「キーボードから値を入力する」「10回繰り返す」「配列に値を格納する」「配列の値を逆順に表示する」に分解できると思うんだけど、自分が何やりたいのかわからない奴はまずこれができない。
彼らには「キーボードカラスウチヲジュッカイニュウリョクシソレゾレヲハイレツニニュウリョクシテサイゴニハイレツノアタイヲギャクジュンニヒョウジセヨ」に見えている。
かろうじて「キーボード」「ハイレツ」あたりの単語は拾えるらしく、標準入力から値とったり配列を作ったりはしてるんだけど、そこから先に進まない。モニターにらみつけてる。またにらみつけるかよ。
あれだ、算数の文章題できなくてとにかく文章に出てくる数値足したり引いたりするやつ。あれのプログラミング版。文章が読めない。
こういう人にはメモ用紙取り出して、まず文章が何について言ってるのか、どういう工程に分けることができるのか、今後も同じことが起こったときにどうやって分けるのか。みたいなのを教えるんだけど、大抵あんまりしっくりこないらしく、成功したことは皆無。なんとかうまく教えたいんだが。
もうこのあたりになってくるとプログラミング関係なくね……?ってなるんだけど、意外とそういうプログラミング関係ないところで詰まる人めちゃくちゃ多いよ。
今すぐプログラミングをやめろ
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
1 週間のオープンチャットは **「食・イベント・ガジェット」の三大雑談軸**を中心に、住まい・健康・社会時事がスパイス的に混ざる構成。
参加者はリンクや実体験を交えてフラットに意見交換し、**ローカルグルメの熱量とガジェットの“詰まり”相談**が特に盛り上がったのが特徴でした。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
プログラミングをやめろ
大学4年間と大学院2年間プログラミングやったやつでもできないし、会社で毎日8時間を数週間プログラミングについやしてもできないやつはできないし、そもそも人類というのはプログラミングできない可能性がある。
少年少女たちに「プログラミングはいいぞ!自由にものが作れて達成感がある!頭が良くなった気分にもなれるし!」と吹聴してまわんのもいいけど、6年間情報科学について勉強したようなやつの大半がプログラミングできないんですよ。それもごくごく初歩的な部分。
野球とかサッカーなら、まあ友達との試合には参加できなくてもごく稀にバットにボールを当てたり、ボールを1回あらぬ方向に蹴ったり、ぶっちゃけ周りとのレベル差で楽しくなくてすぐやめちゃうだろうけど、なんとか基礎の一部ぐらいはできるじゃないですか。
ピアノとかダンスでも、猫踏んじゃったをごくごくゆっくり弾くぐらいはできるかもしんないし、学芸会の振り付けを10秒ぐらいは踊れたりできるかもしれない。その後やっぱ周りのレベル見て諦めちゃうかもしんないけどさ。
プログラミング、6年やってミットを頭にかぶってるバッターとか、鍵盤蓋の上から殴って音鳴らそうとするやつとか、まずそういうレベルのやつが大量発生するんですよ。だいたい7割ぐらいの率。どうすんだよこいつら。私の教育の問題か?マジで?本当に?
プロが練って考えて凝縮した本や授業、センパイたちによる指導。それらを結集して得られるはずのものが7割ぐらいどっかに消し飛んでる。無駄だろこれ。
今からプログラミングやろうとしてるやつ、お前は確実に向いてないからさっさと諦めて刺身にタンポポ乗せる仕事に戻ってくれ。参加しても鍵盤蓋叩き割るやつと同じ病室に入るだけだ。
プログラミングをやめろ。
ぼくはこう思うんですよ
そもそもなんで大の大人がそんな両手にバット持ってセカンドに立ったりゴールの方をボールのところまで動かす奇行に走るんだろうな。わかんねえや。
綺麗な分析はできないけど、いわゆる「できない」やつが共通して言ってたフレーズがある。
「ぼくはxxxだと思ってるんですけど、動かないんですよ」
うん、そうだね。そう思うんだ。でも動いてないじゃん。じゃあ違うんじゃない?モニターに「にらみつける」やってもバグは取れないし防御力下がるだけだぞ。
まず根本的に考えと事実が違ってるって結果出てるじゃん。じゃあもう考え変えちゃえば早くない?
名言の引用は好きではないけど、「プログラムは思った通りには動かない。書いた通りに動く」って言葉がある。実に名言だと思う。次点で好きなのが「ある問題を解決しようと正規表現を使うと問題が2つに増える」かな。
お前が何を思っているかはプログラミングにおいて一切影響しないんだよ。お前が何を書いて、コンピュータがどう処理したか、それが全て。
深く考えないことについてぎゃーぎゃーいうやつもいるけどプログラムなんてまず最初は動けばいいんだから何も考えずに次試せばいいだろ。んで3回ぐらいは自分で思い浮かんだの試して、全部ダメだったら調べるとか先生に聞いてみるとかさ。逆に1発で通ったら自分の思考見直して理解深めるとかさ。
ドキュメントとかあんまり理解できない初心者のうちは、とにかくお試しと修正のサイクル回すの重要で、「これがこうだから動くはず」というカードを3種類ぐらい作って全部片っ端から試すのが早いと思うよ。モニターをにらみつけるな。
お前がどう思ってるかよりも、まずはお前の書いたプログラムがどう動いているか(どう動いていないか)を確認するのが先だ。動かなかったら考えが違う、はい次のプラン、はいその次のプラン、はい次。
この「ぼくはこう思ってる」が出てくるの、なんの教育の成果なんだろうね。お前の気持ちなんてどうでもいいって現国でも数学で散々教えられただろ。
僕は音楽に向かないと思って今まで生きてきた。
いつからやっていたのかわからないが、かなり長い間という印象がある。
といっても低学年の頃には通っていた記憶がないので、3年生くらいからはじめたかもしれない。
そう考えると、通っていた期間は1年も満たないかもしれない。
子供の1年は長いのだ。
なんで習い始めたかはわからないが、きっとテレビで見たとか、友達もやっているからとか、そういう軽い興味を母親に話したからだと思う。
母は「興味があるならやったほうがいいと思うよ」と言う感じで了承してくれてすぐに音楽教室に通うようになった。
しかし、通ってすぐにモチベーションは下がっていってしまった。
まず、楽譜の読み方はわかった。鍵盤と楽譜のドレミの位置はわかった。
知っているドの場所とは違う読み方だった。
ト音記号とヘ音記号の違いは何なのかわからなかった。先生に聞けばよかったんだろうが、奥手の自分は質問はなかなかできない。
先生に直された場所に音名を書いて、それの前後から音を類推して暗記しようとした。
しかしそれが今やっているレッスンの何を説明しているのか全くわからなかった
レッスンは聞いてても面白みのない単調なものをずっとひかされて、そして知らない言葉が日々増えてきた。
先生の使う言葉はわからない。当てずっぽうでやっていくしかない。という負の連鎖に陥ってしまった。
教室に向かう途中で台風や事故でも起きて行かなければ済めばいいのにというのをずっと思っていた。
レッスンが済めばとても爽やかな気持ちになった。
もう一週間教室に行かなくていいという安堵感だ。その夜のドラゴンボールZはとても嬉しい気持ちで鑑賞できる。水曜の夜の清々しさは土曜日の夜にもまさった。
だが、月曜が来るとまた水曜が近づくということで憂鬱になる。
その繰り返しだった。
発表会は絶対に失敗できないのでそれは模倣をすることでなんとか乗り切った。
むしろ発表会周辺はいい。レッスンはその曲の練習に割り当てられるので、常に同じことを繰り返すだけだったからだ。
そんなに辛いならやめたいといえばいいのだが、僕はそういうことを言えない性格だった。
自分からやりたいと言ったからと言う負い目も感じていたのかもしれない。
よっぽどのことがない限り学校を休ませてくれない親に育てられたからだからか、途中で放り投げるというのは悪いこととも思っていたからかもしれない。
とにかく、つらい水曜日を送っていた。
そんな僕に転機が訪れた。
引っ越すことになったのだ。
引っ越すときに親に「引っ越した先でも続ける?」と言われたとき僕は何も言えなかったが、伏せ目がちにはぐらかそうとしたのを察知したのか、親は「まあやらなくていいか」といってくれた。
新しい学校への不安や友達とも離れてしまう寂しさもあったが、教室からの自由はそれらに勝っていた。
しかし、この教室に通っていたことはのちの人生に禍根を残すことになった。
まず音楽教室に通う前に親に「小さいときにやっていると、音感が身につくし、ピアノや他の楽器だってすぐにひけるようになる。プロや上手い人はみんな小さいときからやってた。だからやったほうがいい」と言ってくれた。
これは『小さいときにやると、音感やピアノが身につきやすい』という話だがこれを僕は解釈を誤ってしまい『小さいときにやらないと、音感は身につかないし、ピアノや他の楽器は弾けなくなる』とそう思っていた。
でも、あんな苦しい思いをしたんだから今後ピアノや楽器はひけなくてい良い。10歳ごろのころに完全に諦めた。
学校で音楽祭という行事があるのだが、僕はなんの立候補もすることなくリコーダーをした。
ピアノや木琴などは音楽教室に通っている人の特権だと思っていた。
児童館のピアノで猫踏んじゃったなどを弾く女子がいたが、その時おもっていたのは「僕には全然わからなかったことを分かっているすごい人。あんなに弾けるまで音楽教室を続けられている。きっと勉強もできるんだろう」という尊敬の念とともに「僕はああいうふうにでできる人じゃなかった」とも感じていた。
このピアノが弾ける人は小さいときからやっている。小さい時にやりはじめないとピアノは一切弾けないという思いはクラスのピアノうまい子を見るたびに強くしていった。
通っていて何もできないなんてしられたくなかった。だから何も始めなかったことにした。
避けたといっても積極的に行かなければ関わることもないので気にならないようにしていた。
中学くらいになれば色気が出てギターを始める人、バンドに熱中する人も出てくるが、
僕はそこに入る資格はないとおもっていた。なぜなら小さいときに始めることを諦めたからだ。
そして、ギターなどを始めている子たちは小さいときから何かしらやっていたんだろうと思っていた。
そんな誤った認識は結構成長するまで続いたが、高校時代衝撃を受けたことがあった。
保育士の専門学校ではオルガンやピアノの授業があるが、「今までピアノとか触ったことなかったので、弾けるなるようなるまで毎日頑張っている。結構うまくなってきた」とバイトの休憩時間で教えてくれた。
僕は驚いた。小さいときにピアノをやったことないのにやれるのかと。
もう一つ驚いたことがあった。
同級生のあまり親しくない人が先生と雑談しているのを勝手に聞いたのだが、「最近ピアノをはじめた。近所のうちにあるから弾きにいってる。独学だけど結構ひけるようになった。」と。
これもまた衝撃だった。
小さいときに初めてないのにピアノをやっている。そして教室に通わずに自分でやっている。
僕の認識では、ピアノや楽器は小さい時から教室に通い苦しみを乗り越えたもののみが得られるすごいスキルなんだと思っていた。
でも僕はすべての弾くスキルに対してそう思っていた。
ずーっとあの単調なつまらないフレーズを練習してそれをクリアしないときれいな曲を弾く資格を得られないと思っていた。
バイト先の人のおかげで、小さいときからやらなくてもできるということ、同級生のおかげでいつでも自由に楽しむために始められるということを知った。
でも、それを聞いてもすぐには楽器に手を出すことはなかった。
大学受験だ。
そんないい大学を出てはいないが、勉強と問題集での実力の測定のPACDを回して模試での偏差値がグイグイ上がっていくのに熱中した。
おかげで自分が卒業した地元のあまり評判の良くない高校には似つかわしくないくらいの大学には入ることはできた。
これも設計、実装、バグとりのPACDを回して品質を上げていくことに熱中した。
こういった人生経験を積んだおかげだろうか。
新しいことをやるということに恐怖はわかなくなった。
息子が吹奏楽部に入部したので楽しそうと思ったからかもしれない。
ギターを始めるにあたって、CとかFとかはなにか、コードとはなにか、メジャーとはマイナーとはなにかを調べた。
ドレミファソラシドと一般的に言われる音名は英語ではCDEFGABC日本語ではハニホヘトイロハということ
ドレミは階名といって主音にしている音が何かによって相対的に変わるらしいということ。
ハ長調は主音がハで、長調だからドがハになるということらしい。
Cをギターで弾くと、ドミソの音がなっていることに気づいた。
4分の3拍子や4分の4拍子と教室ではずっと言われていてなんのことかわからなかったが、1小節に四分音符が3つ入るか4つ入るかということだということ
泊のとり方もわかった。
長調と短調のこと全然わからなかったがギターではメジャーとマイナーという言葉で帰ってきた。
ここらへんまだ調べきれていないが、長調は全全半全全全半で音が上がっていく音の並びを使い、短調では全半全全半全全で音が順番に上がっていくらしい。
ピアノでミとファ シとドの間に黒鍵がないが、これは半音しか上がっていないということに気づいた。
これピアノはハ長調を弾くときに黒鍵を触らないでも済むようにデザインされているのかもしれない。
こうやって、幼い頃に躓いたあの教室の意味不明だった理論の答え合わせをしている。
いつから始めても構わないし、やりたいときが始め時、やめたいときが止め時だなと思った。
そして、息子が僕と同じ罠にはまらないように、疑問にはなるべく二人で調べるようにして、ちゃんと解決をする道筋を自分で考えることを教えようと思う。
土屋太鳳です。
久しぶりにフィジカルなことをすると
と言うのも本当に久しぶりにお友だちにマジの紙の手紙を書いて
そうね
日頃のペンもって字を書く美子ちゃん習慣があまりにもなさすぎて、
手と腕もろともクラッシュするという
この急なポンコツさ加減は何としてでも阻止したく私は頑張って手紙を書き終えて投函したんだけど、
慣れないことをするとそう言うことになるのねって
まあそれはともかく無事に投函したので
届けばいいなーって。
本当に久しぶりにペンを持って書くという作業はいかにしてなかったかってことが露呈されまくっているわけで、
一抹の不安を煽るとともに
私は一度たりとも劇作家にはなりたいとは思ったことはないけど、
手書きで殴り倒して書かれた字で
ト書きを書きまくるじゃない。
そう言うイメージ。
何を言ってるかさっぱり分からないと思うけど
とにかくスゴい自信だけはあることを伝えたいところなの。
くぁwせdrftgyふじこlp級に意味不明だったけど
私のライセンスでは全部の競技の部門にエントリーできるみたいで
あのボクシングの最近試合のあった井上尚弥選手の2団体制覇みたいな感じかも知れないわね。
112、109、108、106、104、101部門のものでほぼキーボードのキーの配列や配置が同じなの。
たまーに
私がよく買い間違えて窓から投げ捨てるタイプのキーボードはそれらの
これは本当にマジ話しで今気付いたところで、
なんでこのキーボードは打ちにくいんだろうって。
ピアノの猫踏んじゃったで右手と左手をクロスさせて一番の見せ場のところあるじゃない。
キーボード打つときもそう言う打ち方で打たざるを得ないときの見せ場があるけど、
ちょうどキーボードが半分のところで
まるでUの字のように割れ目の入った何か意識高いキーボードだと
私の白魚のような美しい美味しい丼を食べたいなと思って箸を握る手では
届かないときがあって、
私も長い箸を使えばそれらの
キーにも届きそうな物だけど、
たまにキーボードでも猫踏んじゃったの様に右手と左手をクロスして打たざるを得ないときがあって、
やっぱりポテトチップスは手で持って食べた途端に
右手が使えなくなるというハンディーキャップマッチ戦をも無視するぐらいに
指が届かないから私には
あのU字のように真ん中が割れたようなキーボードは折角買ってもらったけど使えないわ。
ごめんねごめんねーって言いたいところよ。
もしも私がピアノを弾けたならでも私にはビアのがない西田敏行さんのように憧れて
キラキラ星で断念した話しはここで500回ぐらいはしていて
真のピアニストになることはもうすでに諦めたところで
音楽のキーボードも打てるはずよね!ってよく分からないその西田敏行さんばりのスゴい自信だけはあったんだけど、
これは甥っ子の英才教育のために姉ちゃんの家族にあなた使ってないからこれもらっていくね!って強奪されたことは忘れないようにして、
だから112、109、108、106、104、101部門の全部門階級制覇を狙って
少なくともポテトチップスは箸で掴んで食べた方が捗るってことを
箸でつまんで食べよう物なら
やはりここは全階級部門別無差別を制覇するしかないんだなーって思ったところよ。
うふふ。
半ばサンドイッチの美味しさと値段は比例するかのように
途中で気付きそうなものだけど
しょっぱなの景気づけには美味しいものキメて頑張りたいところじゃない?
そういう意気込みよ。
安定的に味も決まってきたので、
メーカーによって味がみみょうに違うので
いろいろなレシィピがあって楽しいわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
猫踏んじゃったを倍速で弾けるようになったほうが、なんぼかマシ
ランニング→一時期は月600kmは走ってたけどフルマラソン出場前に辞めてしまった
ロードバイク→しょっちゅう乗ってないとすぐケツが痛くなる、整備装備めんどくさい
水泳→成人するまでカナヅチだったのが2時間ぶっ続けで泳げるくらいにはなったけど、プールをひたすら往復するのが苦行、海は怖い
音楽鑑賞→聴くより歌う方が好きだったことに気づいたら聴かなくなった
ピアノ→ソナチネまで、左手が伴奏で無くなった段階で無理だと悟った、あと猫踏んじゃった弾けない
アニメ・ドラマ・映画→画面をずっと見てなきゃいけないのが辛い
プログラミング→触ったことある言語と作りかけのアプリがどんどん増えていく
料理→数回しか使ってない香辛料をそのまま賞味期限切れにするのをなんどか経験して向いてないと思った、あと片付けめんどくさい
ファッション→革靴の手入れとかクリーニングとか洗い方とか気遣うことが多いのでやめた
今も細々と続いてるのはたまに衝動的に行きたくなるカラオケ、半年に一回の旅行、月に一回の外食、漫画、仕事、貯金、それくらい。
おいおい、そりゃいつもの話だろう。
どうでもいいことに口をだすんじゃない。
全く、困ったものです。
でもいいんじゃない?でもいいよね?
なんでもいいからぶつけてみるのさ。
死にたい奴はあかね色の空を見れよーーーーーーーーーーーーーー
我慢せず、ためらわずにいこう。躊躇はよくないよ。
最初はそうでもないなと思ってたけど、スルメのように噛めば噛むほど、
良曲ってそんなもんだ。
便利便利、ニコ便利。ニコニコといえば?
あったもんなかったもん、
そんじゃったもん、踏んじゃった。
(=^・^=)踏んじゃった。猫踏んじゃった。
君の夢は何?なんて聞かれても知るか
今、現状が夢が叶えられてる状態だよ。
永遠には続かないよ。知っているよ。
誰の夢を叶えたいんだい。
何万年と受け継がれてきた
たすきを僕は肩にかけた。
広がる世界。
膨らむ妄想。
勇気を持って、さぁ飛び出そう。
タイピングする以外にないのだから。
元気出していきましょう。
くっだらねぇって、つまんねぇって、
このフレーズも大好きだな。
全部見通せるんだろう?誰かの心だってきっと。
ずっとずっと考えていることがある。
時代は変わる。俺自身も変わっていくものだろう。
まだまだ・・・・・・・・・
こいつらこの程度で俺を倒せると思ってやがる・・
助けなんざいらねぇよ!!おれぁ白ひげだぁああ!!
反応を求めるなら、どこへいけばいい。
もなちゃと?twitter?どうでもいいけどラーメンって美味しいよね。
how many times are you look at me?わけがわからん。英語は不得意でねぇ。
君の描く幸せってどんなもの?
世界がワールドイズマインだよね。マインちゃんがかわいすぎて僕もうロリコン魂総発揮だよ。
いっぱいおっぱいなのだよ。つまるところ、目が痛いのだよ。
自由にやっていくのが一番なんだって
つまるところのフリーダムなんだって
そんな事言われたってさぁ。
肩が外れそうだ。なんとなく、幸福だ。
ぶるああああああああああああああああああああああああああああ
何万年と受け継がれてきた命。その末裔が俺だ。
でっていうwwwwwwwwwwww
「頭のいい人は説明もうまい」問題で、一番肩身が狭いのが数学屋と哲学屋。哲学屋さんの弁解は哲学屋さんに任せるとして、エセ数学屋の立場からその弁解を書かせて欲しい(哲学屋さんも事情は似たようなものだと思うけれど)。
まず、世間では誤解されてると思うのだが、数学というのは理系の他分野(物理学とか、生物学とか)とは少し性格が違う。数学は、具体的な対象を想定しない。むしろ、具体的な対象と遊離したところを記述するための「言葉」を作る学問なのだ。
よく言われることだが、新たな数学理論の発見とは、わかりやすい概念や記号法を発明することといっても過言ではない。一番わかりやすいのが「未知数をxなど文字で置き換える」というものだろう。これによって、古代エジプトや古代ギリシャの賢者大勢を悩ませた問題も、中学生の練習問題に早変わりする。しかし一方で、多くの賢人を悩ませた問題を少数の記号やキーワードに集約するのだから、そもそもそんなものを簡単に説明できる方がおかしい。中学校あたりから数学が途端に難しくなるのはこのためだ。
抽象概念を説明することの難しさは、プログラミングの世界とも共通している点があるだろう。たとえば、「多態性 (polymorphism)」という言葉を機械音痴の人に説明できるだろうか、考えてみてほしい(このたとえのわからない人は、次の段落まで読み飛ばしてほしい)。もちろん、例えば「同じ『鳴く』という動作でも、犬は『ワン』で、猫は『ニャー』だ」などと、わかった気にさせるようなたとえ話でごまかすことはできるだろう。だが、そんな「説明」が役に立たないことは明らかだ。「そんなことの何がすごいのか、ポリバレントだかなんだか知らないがそんな偉そうな名前をつけるほどのことか」とかいわれて終わりである。現実に「説明」を求められる場合とは、「誰かに金を出させるために説得しなければいけない場合」なのである。ユーザ企業に「オブジェクト指向による開発」の必要性を説得するとき、そのような子供だましでは金を出してもらえないことは明らかだろう。
そして数学は、プログラミング言語よりもっと包括的に「人間の思考の一部を記述する言語」なのである(正確には、コンピュータ・サイエンスは数学の一分野である)。そして、プログラミング言語などという概念はたかだかこの数十年のものにすぎないが、近代数学は数百年の積み重ねがあるのである。素人と専門家の乖離にもそれだけの差があると思ってもらって構わない。説明が絶望的に困難なことは明らかだ。その困難さは、たとえば英語を知らない子供に「関係代名詞」を説明するのと同じぐらい難しい。いや、数学は「頭の中の普段使っていない部分」を使う言語だから、英語などよりもっと難しいと言っていいかもしれない。英語と日本語の間では直訳はできないことはないが、数学語やプログラミング言語と日本語の直訳は不可能だからだ(できるのならば、プログラマは全員失業である)。
しかし、こうした事情を多くの人はわかってくれない。そこで、「数学屋(と哲学屋)は物事をわざわざ小難しく説明する権威主義者だ」だの「他の分野の専門家に比べて説明能力に欠けている」だのと非難を浴びるのである。こういうハンディを背負っていることがなかなかわかってもらえないのである。
追記
多態性のあたりはあまりいい例ではなかったかもしれない。犬はワンで猫はニャーというのは、多態性という概念の発想を適切にとらえたたとえ話ではあるからだ。純粋数学の場合は、こういうわかりやすい例が見あたらないものも多いのである(たとえば「解析関数」を「複素数」や「微分」を知らない人に説明するとなるともうお手上げだ)。無論、こういうたとえ話が、多態性概念がプログラミングの世界でいかに有用であるかを説明することにほとんど貢献していないのは明らかだけれども。プログラミング経験がない人には、それだけのことがいかに役に立つのかなど到底実感ではわかってもらえないだろう。
蛇足
なお、こんな記事が話題になっているが、この程度の説明ならまともな数学屋なら誰でもできるので念のため。このスレッドの住人はsinとかcosのような高校数学の概念も怪しかったわけだが、そんな人を相手に文中に出てきた「バナッハ空間」だの「ヒルベルト空間」だのの説明をさせられたらとても困っていたはずである。正直、これらの概念は専門家には「イロハのイ」レベルのことに過ぎないが、ピアノで「猫踏んじゃった」しか弾けない人に「エリーゼのために」を教え込むのと同じぐらいは難しいだろうと思う。それぐらいのレベルの差がある。
蛇足の蛇足
ついでに、上のスレッドで挙がっている「日本語が論理的でない」とか「英語やフランス語は数学に向いている」というのはウソと言える。言語の能力は、相互に翻訳ができれば等価であるといってよいからだ。実際問題としては、論理的で厳密な文章ほど、直訳は簡単である。つまり、言語による論理能力の差というものは存在しないといってよいのだ。言語によって一番表現力の差が生じるのは、むしろ「前衛詩」のような、一番「論理的でない」部分である。