はてなキーワード: 文民統制とは
酢か塩
原則的には上から順に辞めていって時間稼ぎし、その間に議会や司法がなんとかする
まず国防長官が辞め、次にが辞め、そこでも止まらなかったら統合軍司令官も辞める
指揮系統上代わりはいくらでもいるが「平時水準の引き継ぎ」を実施してなんとか引き伸ばす
で大統領府側はこれを回避するためにCIAに指揮権のある特殊部隊があったり、
上院で戦時予算案を通さずとも少しだけ動ける仕組みを使って軍を指揮したりする
今回は既に総参謀長は罷免されてトランプ派にすげ替えられてるし、国防長官も犬なので機能しない
結果としてホルジー大将が2ヶ月間の引き継ぎに突入して作戦指揮を掣肘する形になった
ちな合衆国憲法では宣戦は連邦議会の権限で、最高指揮官大統領は戦争遂行の責任者となっている
あとメディア規制法、電通の言論統制、外国論文の変造とか、情報操作も酷かったぞ
それはちと違う。
b:id:f_d_trashbox「元老がいたほうが良かったというのは、民主主義よりも寡頭共和制のほうが優れているということなのかね?」
にしかならん。ちゃんと小見出しに「大日本帝国憲法の問題点」とつけてくれてるのを見落としちゃいかんだろ。
という認識(ごく普通の歴史解釈)で記述されてるのは一目瞭然。
なので、後の方の「今日への教訓」で
と微妙に奥歯に物が挟まった言い方してるのはご愛敬という感じだが、そこを正直に書くと
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.kantei.go.jp/jp/content/20251010shokan.pdf
を見ても右や左の旦那様はそこを誤魔化した事にはほぼ言及してないようなので、ゲル様の作戦勝ちというか無難にまとめたと評すべきだろう。
なるほど。以下ChatGPT`にお伺い立ててみた。はてな記法もある程度習得してるんだね。
はじめに
民主主義の崩壊は「外部からの破壊」ではなく「内部からの劣化」が主流
フォーマルな制度が維持されつつも、実質が失われる「偽装民主主義」も増加
国名 特徴
国名 原因
国名 背景
政治的混乱が長引くと「安定」や「秩序」の名の下で軍が介入
民主制度は表面的に存在しているが、実質的な権力分立や市民参加が機能不全
分極化 意見の違いが「敵」と見なされる
民主主義の崩壊は「選挙」や「法」によって合法的に進むこともある
対抗するには:
法の支配の徹底
今日だけで位相論とかビンゴカード型チェックシートの設計ミスとか気象予報士とか文民統制をネタにした記事書いたのに「同じことしか言わない」?
どんだけ幅広いレベルで生きてんだ?
文民統制っていうけど先の戦争への反省から来ているものなら、文民(非官僚)に限定するのは軍関係の国務大臣だけでいいじゃん。
財務省とか農政省とか普通に官僚の中で単純な事務次官の上位互換として人事決めればいいじゃん。
それが民主主義に反するって考えがよくわからない。地位に比例して職務が連続的に高度なものになっていく以上、大臣を官僚のなかで一番上のポストという決め方で定義するほど実力基準の人事として整合性のある決め方はない。
官僚としての実績がないという点で省庁の中で最上位の仕事を満足にこなせるか不透明なただ民意があるだけの議員を大臣に据えるべきって考えてしまう思考回路が全く理解できない。再度言うが防衛庁は除くとして。
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【アーカイブ】通常国会 衆院予算委員会 (2025年2月5日)
https://www.youtube.com/live/6JMmfxGJPmU?feature=shared&t=7672
2:07:54~
安住
まず本日のこの予算委員会初めて省庁別予算審査ということで、歴史的な場において立たせていただいてることをありがたく思っております。
そしてこの場において予算委員会を通じて私は国会で初めてですね、自衛隊の運用について本格的な質疑を行いたいというふうに思います。
いざという時には米軍が守ってくれるに違いないという希望、あるいは軍事について語ることが平和を乱すのだとそういった言説によって現実を見る眼が鈍っていた、濁っていたという風に思います。
このような国会環境において自衛官はどうせ国会は国民は何も分かっちゃくれないとそのような現実の説明を諦めて本質的な議論というのを公の場で避けてきました。
ここに注目したのがある意味自由民主党の一部の方々であるという風に思います
我々こそ国防の論客であるというような顔で勇ましい言説を述べてきましたが、これもまた私は机上の空論であったという風に思います。
この不毛な議論に終止符を打つために今日この場に立っております。
予算を通じてえ真の国防とは何なのか議論したいというふうに思いますが、本日の質問に際して答弁者政府参考人としていわゆる制服組の方々を要求しました。
陸上自衛隊教育訓練研究本部長、海上自衛隊幹部学校長、航空自衛隊幹部学校長そして防衛大学校副校長、かつて幹事と呼ばれた制服組の方ですが。
いわゆる、この他にもいわゆる制服、えー背広組である防衛研究所の所長も答弁を求めました。
しかし残念ながら今朝の予算委員会の理事会の決定は制服組は一度も戦後一度も答弁例がなく今後もこの前例というのは守らなければならないとして承認されませんでした。
委員部が安住委員長にどのように耳打されたのか分かりませんが、いわゆる制服組が国会に立った事例は66年前、昭和34年にあります。
法的制約はありません。
本予算委員会は去る1月の30日清和研究会元事務局長の参考人招致について、異例の採決に踏み込みました。
委員長、安住委員長はこのリーダーシップを発揮した委員長であります。
是非、このリーダーシップを発揮していただいといただきたいと願っていますが、委員長、改めて理事会で協議いただけないでしょうか。
2:10:37~
安住
橋本君に申し上げますが、理事会では国民民主党を除く自民党以下全ての会派として意思は制服組の答弁はあの長い慣例だけでなく先の大戦の敗戦の先の大戦のことを踏まえて文民統制の観点からこの答弁については国会でそういうことをするということでやってきたわけであってそれ以外のところで制服組の話をそれぞれの党やなんかが事情は聴取しておりますので偏った考えで、そういう判断はしておりません。
今後もこの判断は続けてまいります。それ以上の質疑がある場合は理事会に図って申し出ていただければ理事会で協議します、どうぞ
昨日まで私も今偏った言説というような話ありましたけど何も偏ったとは思ってません
ただ今までの慣行というのがそれはやはりこの議論の土台というのを歪めてきたのではないかというような問題意識があります
昨日(さくじつ)までですね、制服組の方々を参考人として要求するにあたって防衛省のいわゆる背広組の方から、これはあのあくまで意見としてではありますけれども、行く度も様々な意見を頂戴しました。
はっきり言って抵抗されたなと思うような言説もありましたが、その中にはまあひとたびこの国会に制服組を呼べばですね、際限なく現場から離れた議論に巻き込んでしまうというようなある意味の親心もあったと思います。
実際背広組の皆さんは現場からかけ離れた議論に巻き込まれているので、ご苦労をかけているわけですけれども、むやみに制服組を要求したわけではないんです。
必要、真に国防の議論を深化させるために必要だと信じて要求したものであります。
中谷大臣、国防に関して机上の空論になるのは現実を忌憚なく共有できるこの環境が整ってないからだという風に思います。
これは国会の側にも責任ありますけれども政府の姿勢にも問題があるという風に思います。
先週からですね、制服組の答弁を、答弁要求するということは予告していましたが、昨日になっても前例がないので予備準備してませんということでした。
繰り返しですが前例はありますし、あるいは呼ばない根拠、法的根拠はないわけです。
どうせ国民は分かってくれないという心に、防衛省自衛隊の心に楔を打たなければ決して自衛隊は国民から真に信頼される組織にならないし真に精強な組織にもならないし自衛官の社会的地位はいつまで立っても向上しないという風に思います。
大臣からも防衛省背広組の皆さん制服組の皆さんの理解を深めていただくことを期待しますが、いかがでしょう。
2:13:20~
安住
2:15:26~
安住
質疑者に申し上げますが、先ほど私申し上げましたけども、あなたの所属している国民民主党も、私訂正しますが、合意の上でシビリアンコントロールの重みをわきまえて私どもは私だけに限らず国会とはやってきたんで、あなたは出身が出身だからそう言うかもしれないけども、行き過ぎた誹謗中傷は我々としては看過できませんから、これはきちっと戦後長いルールの中で重く積み上げてきたもので、防衛省の組織として文官であろうと自衛官であろうと、組織として責任を持ってここで答弁をしていることを否定するようなことは許されることではありません。言動に十分注意して発言をしてください。じゃ、質疑を続行しください。
https://news.yahoo.co.jp/articles/92a286a4b31cf206c0aec2d870792af376a34de2
このような記事が上がってきて(ちょっとまだ動画は見てないが)
立民の安住が、制服組を国会に呼んで意見を聞くのは「文民統制に反している」と批判したという話だけども
逆に言うとそれが保たれていれば、文民統制されている
制服組(現場の自衛官)を国会に呼んで(予算に関して)意見を聞くことのどこが「文民統制に反する」のか・・・
事前に理事会で取り決めた内容に反しているという部分はわかる(その取り決めもいかがなものかとは思うが)
日本では、中央と現場の自衛官を繋ぐ窓口になるのが文官(官僚)なんだけど
官僚は出向であったりしてなかなか現場の意見を反映するのが難しい、とは昔から言われて来たらしい
「自衛隊は憲法違反。だから自衛隊は解散せねばならない」「自衛隊の前提を当然とする日本国民はネトウヨ」とする必要がある。ところが、今やリベラル自身が「自衛隊がいるから改憲は不要」とか言い出す。
憲法の条文が1文字も変わってないのに、なんで日本の護憲派は、半世紀もたたないうちに、意見が180度変化するんだよ。頭いかれてるんじゃないか?
かつては、暴力を奮ってでも、住民票の受取拒否など、それこそ憲法違反な行為をしてでも、自衛隊員を自分たちのそばから追い出そうとするほど嫌っておいて、今困ったら「助けてください」だって? 馬鹿も休み休み言えよ。
http://www.asahi.com/2004senkyo/news/TKY200406300351.html
「憲法の明文の規定と照らし合わせれば、違憲であると言わざるを得ない」と述べ、旧社会党時代の94年に「自衛隊を合憲」とした党の見解を変更する考えを示した。福島氏の個人的な考えであり、党として見解を変更するかどうかは、中期的な指針である「社会民主主義宣言2005」を採択する来年秋の党大会で正式に検討される見通しだ。
https://www.jcp.or.jp/seisaku/006-0609/kenpou9jyo_yougo.html
そして私は、自衛隊が憲法違反といわれるのがいやなら、憲法九条を取り払うことでこの矛盾を解決するのではなくて、世界に誇る憲法九条の完全実施に向けて、憲法違反の自衛隊の現実を一歩、一歩変えていくことこそ政治のつとめだ(拍手、「そのとおり」の声)、こう考えるものであります。(拍手)
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2008/1117.html
https://ajda.jp/publics/index/124/
憲法学者の7割が「違憲」の存在と語り、又、小学校の教科書では《自衛隊については憲法と照らし合わせて様々な意見が交わされている》とされ、中学校・高校では《政府は合憲と解釈し学界や判例には憲法違反もある》と記されています。
この様に憲法に根拠が無い事から日陰者扱いをされ、支える家族もつらい思いをしているのが現状です。我々は24時間365日、命をかけて日本の平和と安全を守ってくれる自衛隊の皆様に「自衛隊さんありがとう」の感謝の気持ちを込めて『自衛隊』を憲法に明記し自衛隊に誇りと名誉の回復する活動を青年部会の輪を広げ、47都道府県に組織するべく邁進致します。
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/703510
「入学書類は受け取らない、帰れ」と怒鳴ったという。当時20歳の海上自衛隊士長、大旗清さんの経験だ。仕事に生かそうと選んだ電気工学科。自衛官だからという理由で一度も受講できないまま1年後に退学した。
大学側は一時、入学を保留した。当時の本紙に「事実上の不許可」と書かれた対応は、反戦運動をする学生たちが学内封鎖や授業ボイコットに及び、本人にも危害が加わりかねないため-とされた。一転して入学を認めた後、予測は当たった。
首里城跡にあったキャンパスに通う大旗さんを見つけると、追い出す学生たちがいた。時に竹ざおや棒、拳で突き、蹴り、石を投げた。教室に連れ込んで2、3時間、150人ほどで詰問した末に「帰れ」「入学認めないぞ」などと怒号を浴びせた日もあった。
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/687565
日本復帰前後の自衛隊は県民の激しい反発を受けた。配備が本格化すると、自治体が自衛隊員の転居手続きを拒否。成人式への参加を拒まれるなど、地元の「反自衛隊感情」は、一層高まった。
http://w01.tp1.jp/~sr10697360/kiginomidori.html
66年12月に同学会委員長に選出され~67年12月まで2期つとめましたが、思い出深いのが全学で闘われた自衛官入学反対闘争です。工学部院生協議会を中心に60年代に入って取り組まれてきたこの闘いはついに全学学生大会・全学ストにいたり、奥田総長との大衆団交で「京大
台湾統合は本気で人民解放軍使えば押し切れるとは思う(たださらに踏み込んで在台米軍復活されたら無理)けど(ただ統治まで含めれば現実的ではない)。台湾飲み込むなら国民党政権時に一国二制度で統合して香港ルートだったんだろうけど、香港がああなっては一国二制度は台湾側も絶対飲まないだろしな。中国側の誤りは対日政策なんかよりも、香港を平和的に統合できなかったことだと思う。
鄧小平が中央軍事委員会を権力基盤としていたとおり、中国における権力確立には人民解放軍の支持が不可欠だし、人民解放軍は人民解放軍のルールで動く(文民統制が民主主義国家ほど効いていない)ので、特に南沙諸島や尖閣は軍が火をつけた可能性はあり得るけどね。
改憲派の先鋒でありながら護憲の要石を地中深く打ち込んだ安倍総理が辞意を表明された。改憲に向けて日本がやってきた道のりをガキの泥遊びで全て台無しにした安倍閣下は護憲派にとって駐印イギリス軍にとっての牟田口に等しい。
ここにその輝かしい業績を記したい。
WWII以後も熱戦の時代は続き、世界は民族自決、植民地独立、冷戦下での大国介入に伴う戦争を経験してきたが、敗戦で武装解除された日本は関係のない話で、経済成長に邁進してきた。この路線を決めたのは吉田茂である(吉田ドクトリン)。
その冷戦下で9条の改正を目指すのが自民党、護憲が革新という図式が定着した。数で劣る革新だが思想的には優勢で、冷戦後期には自民党は改憲路線を表に出せなくなっていた。冷戦により国際政治的にも日本の専守路線が固定化されていた事と他国では熱戦が続いていて海の向こうでは若者の戦死が伝えられていた事もある。憲法学者と言ったらほぼ全てが革新で護憲派だった。
ところがここに「憲法フェティシズム」的な趣向が定着して行く。つまり現憲法は良いものだから朗読しましょう的な考えだ。反リアリズムである。
その為護憲=お花畑、空想平和主義という評価が出てくる。そして冷戦の終結により日本の立場は流動的となった。
そこに降って湧いたのが湾岸戦争で、ここで戦後初めて日本は戦争への協力を求められる事になり、世論は右往左往する事になった。秩序維持の為の戦争であるという大義名分もあるし、憲法9条が前提にしていたのは国連軍が結成されて国軍は縮小されるというカント的な世界観である。多国籍軍は国連軍とは違うが名分的には相似だから護憲派も一概に否定しにくい。
湾岸戦争を戦費拠出という形でお茶を濁した日本だったが、戦争に寄らず国際貢献をすべきとの議論が高まってPKO活動に自衛隊が参加するようになった。その第一弾はカンボジアの民主選挙の監視である。
また同時にそれまでタブー化されていた改憲の機運も上がり、護憲派ばかりだった憲法学者にも改憲派が現れ、メディアに出るようになってきた。その筆頭は小林節である。
先に書いた憲法フェティシズムのせいで、憲法学には「微妙」な空気が取り纏っていた。
憲法も法学なので法学部で扱う。だが法学一般は最終的に実学に接続しているのに憲法はそうではない。例えば国民主権の自由主義的な思想的意味が延々とこね回されたりする。
国民主権の主権は元は絶対王政の国家の正統性の為のフィクションであって、統治権、外交権、交戦権などを示すが、こういう肝心な事はスルーされて国民主権が思想的に称揚されるばかりだったりする。
例えば国際政治での人権の扱いなどが憲法学周囲から出て来ない。国際政治では人権は国家に対する対外的権力だ。
統治の問題は主権の壁によって外部から干渉できない。この前提が共有されないので人権がその壁を突破できる国際権力となっているという事が扱えない。特にコソボ紛争ではNATOの軍事介入の理由に人権が挙げられた。国民主権は扱うのにこっちに接続できない憲法論というのはリアルを欠いている。
コバセツはこんな左翼神学的な憲法学に割り込んで行って安楽椅子を蹴り飛ばして塗り替えたと言って良い。
改憲問題でエポック的な出来事があったので紹介しよう。2003年の朝ナマで西部邁がコバセツに追い返されたのである。
西部は改憲派のテーブルに座り「憲法9条や前文の精神が日本人に悪影響を」と長々語っていた。これはモロに憲法フェティシズムだ。憲法を唱える事で精神が浄化され理想的市民や国民が出来ると言う考えだ。
それでイライラMAXとなったコバセツは「そんなの相手にしなくていいから」と侮辱。衆前で面子を潰された西部は退出した。
これは左翼神学の単に裏返しで、コバセツはそういう神学的安楽椅子を蹴散らしてきたんだぜ。そんなを見たら撃てと訓練されたコバセツの前でそんな事言ったらバカ扱いされるに決まってる。
それでリアリズム的にもう9条一国平和主義は困難だし、ちゃんと改正しようという機運が高まっていたのだが、これに疑問符を付けたのがイラク戦争であった。
当初から戦争の理由は疑問視されていたのだが賛同者達は「アレは最初から予防戦争だった」等と誤魔化していた。だがISISが勢力伸長すると彼等も黙りこくるようになった。
これによって米国主導の国際秩序維持に付いて行くという路線を留保すべきという流れになるのは当然だ。しかも国連の影響を抑える為の政策を米国はしまくった。この為に国連路線を旨としていた日本の国際貢献もイマイチリアリズムを失ってしまった。国際貢献路線の空白である。
改憲の旗艦となった彼は新右翼の学生運動流れの学者を重用、党内の勉強会でコバセツは対立するようになった。
彼等の憲法観は嘗ての左翼神学の裏写しであった。コバセツが蹴散らした椅子に座りだして頭の悪い理想論を語るようになったのだから当然だ。
すると2007年にコバセツは自民党の憲法勉強会に呼ばれなくなった。パージである。
ここでリミッターが外れ、改憲論というのはお笑いでリアルと全く接続しない理想論を語るだけのものとなっていく。
例えば若者がチャラチャラして国家について考えないのは怪しからんので徴兵するなど。
日本会議の中枢に居るような新右翼の学生運動家には就職せずに大学に残った者も多い。また六本木にあった生長の家などで寮生活を送った者も多い。その集団的生活史が投影されている。
吉田茂は後に吉田ドクトリンは撤回して海軍力を増し海洋国家となるべきだと主張していた。これは日本の海岸線は長いので防衛力をそこに集中すべしという考えと、当時の日本が重厚長大産業国で造船がその筆頭だった事もある。
徴兵は海軍に向かず陸軍歩兵に向く。つまり海兵隊のような外地でのの占領などが多い事が前提になるが彼等にはそんな考えは無い。国家意識が希薄な若者は怪しからんから集団生活をさせろ、国を守るのは美しい行為だから戦争に従事させろというだけだ。
またいつのまにやら立憲主義は否定されて憲法は国民が守るべき事柄になっていった。
コバセツを追い出して何年も顔をつき合わせて「現憲法には国家を統制するような事ばかりかいてある、おかしい」とやっていたのである。
何年も何百時間も掛けてバカの思いつきを言い合って論議のつもりだったんである。機械ばらして直せなくなるガキかよ。
それに対する言い訳は「家族愛は良い事だ」などであった。良い事だから朗読しましょうというのが憲法だと思ってたんである。良い事を書くと良い国になると思ってるんである。
つまり彼等は憲法どころか毎日やっている立法の仕組みも判っていない。法律が肉付けされて権力を持つ仕組み=政令省令の事や閣法の提出過程も判っていない。
これは左翼神学的で実学に接続しないので憲法学者が微妙な扱いされていた20数年前の完全に裏焼きであろう。
そういえば日本会議の活動家たちが動いて成立させた国旗国家法や年号法などには政令が無い。普通の立法プロセスが付いていないのである。
こうして「改憲」は厨房タームとなり、現実に即した意見を言う人との評価が欲しい人は避けるようになってしまった。「南京虐殺は朝日新聞の捏造によるもの」とか「地政学的にナンタラ」と類似のコンテンツとなってしまった、
南スーダンの情勢が悪化し自衛隊がPKO活動をしている地域が危険に晒された。他国から派遣されている軍を置いて撤収していいのか?これは改憲上の一番重大な局面だ。
今回は撤収するにしろしないにしろ「国民の皆さん、憲法の枠内に納まるよう戦闘地域では活動しないという区切りでPKO活動をしてきましたが、コソボ以後のPKOは変化し、戦闘状況では積極的な介入により平定を維持するというポリシーになっています。今後もこのように情勢が悪化して危害射撃をする必要に至るでしょう。憲法とPKOポリシーを変える為の議論をする時です」というのが改憲派の筋である。そしてその時である。
なのにたかがその場の政局が荒れる事を忌避した聖帝閣下はそんな事に興味は無かった。日報を破棄させる圧力をかけたのである。現実に即した改憲に至る正統な道筋と思わなかった。改憲は既にガキ臭くて老害じみたルサンチマンを集合させる事でその手の固定票を集めるフワついた寝言であったから自衛隊と憲法の問題なんて気にも留めなかったんであるな。そしてその寝言化を成し遂げたのも聖帝閣下とお仲間の努力の賜物であった。牟田口閣下が前線から離れて芸者遊びを続けたような血の滲む努力の。
更にこの件では防衛大臣が辞任する運びとなった。
だが隠蔽の責任を率先して取ったのではない。後から無くなった筈の日報が出てきたのだ。
つまり自衛隊に後ろから刺されたのである。制服軍人をスーツの政治家が統制するのが文民統制であってこれが失われると国家は破滅に突き進む。そんな憲政上の大問題だ。
だがこの自衛隊が成した暴露は正当な行為である。やってはならぬ不正を成さしめそれを是正した事で文民統制上の問題となった。
しかも自衛隊の活動が蓄積された一部であって、改憲への正当な道筋ど真ん中の事を無きものにするという不正であって改憲派として正気の沙汰ではない。
だがこの時既にこの政権にまともな責任を取らせようという国民の意識は無くなっており、子供の間違いのように擁護されて忘却された。
ど真ん中改憲問題はこうして消え去り「家族は大事とか良い事が書いてある憲法を朗読しましょう」という流れは保護された。
アイドルのような還暦女性にポストを与えた防衛大臣が軍に後ろから刺されるという事態の深刻さにも晒されずに相変わらず神学徒達は安楽椅子でロリポップを舐め続けることができた。
だが集団的自衛権への移行に就いて憲法論議を国民に投げかける事はしなかった。
2013年に盛んに言っていたのが「戦後レジームからの脱却」だ。更に年末に靖国神社を参拝したところ、日米関係は戦後最大の冷え込みとなった。
太平洋地域の戦後レジームが米国のなした国際秩序という事に気が付かなかったんである。靖国参拝は英霊への感謝という言説に自家中毒になりA級戦犯合祀から問題化したという事を忘れていたんである。バカな…と思うがそれが聖帝閣下とその友達だ。
因みに日本会議中枢などの「新右翼」とは反米主義の右翼の事だ。戦後体制はYP(ヤルタ・ポツダム)密談による分割であるから打破するというのがその趣旨だ。
こうして2014年には聖帝はオバマに擦り寄るようになった。そんな中で米議会で発表されたのが集団的自衛権への転換である。
米議会であるのも理由がある。湾岸戦争以後、日本の憲法を改正させて米国の戦争をサポートさせるというのは共和民主問わず共同認識になっていたのだ。
集団的自衛権が必要なら当然改憲の重大な理由の一つになる。だが解釈変更という形で現憲法で合法としてしまったのだから改憲のカードは無くなった事になる。
PKOの歴史を知っていたらそのエポック性は無視できない。「日本が軍事的な国際貢献への一歩とした国であり憂慮している」ぐらいは言うべきだがそうはしていない。
尚、日本は民主選挙以前は外国に逃げたポルポト政権を承認していた。あの虐殺で国民の半分近くを殺しまくったポルポトを国家承認したままだったのだ。選挙監視にはそういう理由もある。
こういう風に改憲上の最大の障害は聖帝閣下とお友達なんであるが、この状態は方々に都合がよろしい。
護憲派は憲法9条が国際状況にそぐわなくなっている事を考えずに済む。あんだけのバカ草案を出したら改憲反対は当たり前であって、PKOポリシーの変化にどうするかなんて問いを考えなくて済む。コバセツ含む嘗ての改憲派の憲法学者も全て護憲派に寝返った。
一方、米国主導の軍事秩序賛同派はイラク戦争賛同の総括をせずに済む。ISIS支配地域にあの連中置いてくるべきだ、なんて意見に晒されずに済む。
そんな情況の空白地帯で先人の積み上げた蓄積の意味が判らんかった聖帝閣下は友達と泥遊びに明け暮れ、田んぼをぐちゃぐちゃにしてしまったが意味が判っていないからなんという事もない。お友達の稲田防衛大臣は制服に後ろから刺されたのににこやかに軍事パレードを行い、胸に手を当てて国家への忠誠を示したので上機嫌で去っていった。
下記に署名した日本研究者は、日本の多くの勇気ある歴史家が、アジアでの第二次世界大戦に対する正確で公正な歴史を求めていることに対し、心からの賛意を表明するものであります。私たちの多くにとって、日本は研究の対象であるのみならず、第二の故郷でもあります。この声明は、日本と東アジアの歴史をいかに研究し、いかに記憶していくべきなのかについて、われわれが共有する関心から発せられたものです。
また、この声明は戦後七〇年という重要な記念の年にあたり、日本とその隣国のあいだに七〇年間守られてきた平和を祝うためのものでもあります。戦後日本が守ってきた民主主義、自衛隊への文民統制、警察権の節度ある運用と、政治的な寛容さは、日本が科学に貢献し他国に寛大な援助を行ってきたことと合わせ、全てが世界の祝福に値するものです。
しかし、これらの成果が世界から祝福を受けるにあたっては、障害となるものがあることを認めざるをえません。それは歴史解釈の問題であります。その中でも、争いごとの原因となっている最も深刻な問題のひとつに、いわゆる「慰安婦」制度の問題があります。この問題は、日本だけでなく、韓国と中国の民族主義的な暴言によっても、あまりにゆがめられてきました。 そのために、政治家やジャーナリストのみならず、多くの研究者もまた、歴史学的な考察の究極の目的であるべき、人間と社会を支える基本的な条件を理解し、その向上にたえず努めるということを見失ってしまっているかのようです。
元「慰安婦」の被害者としての苦しみがその国の民族主義的な目的のために 利用されるとすれば、それは問題の国際的解決をより難しくするのみならず、 被害者自身の尊厳をさらに侮辱することにもなります。しかし、同時に、彼 女たちの身に起こったことを否定したり、過小なものとして無視したりする ことも、また受け入れることはできません。二〇世紀に繰り広げられた数々 の戦時における性的暴力と軍隊にまつわる売春のなかでも、「慰安婦」制度 はその規模の大きさと、軍隊による組織的な管理が行われたという点におい て、そして日本の植民地と占領地から、貧しく弱い立場にいた若い女性を搾 取したという点において、特筆すべきものであります。
「正しい歴史」への簡単な道はありません。日本帝国の軍関係資料のかなり の部分は破棄されましたし、各地から女性を調達した業者の行動はそもそも 記録されていなかったかもしれません。しかし、女性の移送と「慰安所」の 管理に対する日本軍の関与を明らかにする資料は歴史家によって相当発掘さ れていますし、被害者の証言にも重要な証拠が含まれています。確かに彼女たちの証言はさまざまで、記憶もそれ自体は一貫性をもっていません。しかしその証言は全体として心に訴えるものであり、また元兵士その他の証言だけでなく、公的資料によっても裏付けられています。 「慰安婦」の正確な数について、歴史家の意見は分かれていますが、恐らく、 永久に正確な数字が確定されることはないでしょう。確かに、信用できる被害者数を見積もることも重要です。しかし、最終的に何万人であろうと何十万人であろうと、いかなる数にその判断が落ち着こうとも、日本帝国とその戦場となった地域において、女性たちがその尊厳を奪われたという歴史の事実を変えることはできません。歴史家の中には、日本軍が直接関与していた度合いについて、女性が「強制的」に「慰安婦」になったのかどうかという問題について、異論を唱える方もいます。しかし、大勢の女性が自己の意思に反して拘束され、恐ろしい暴力にさらされたことは、既に資料と証言が明らかにしている通りです。特定の用語に焦点をあてて狭い法律的議論を重ねることや、被害者の証言に反論するためにきわめて限定された資料にこだわることは、被害者が被った残忍な行為から目を背け、彼女たちを搾取した非人道的制度を取り巻く、より広い文脈を無視することにほかなりません。
日本の研究者・同僚と同じように、私たちも過去のすべての痕跡を慎重に天秤に掛けて、歴史的文脈の中でそれに評価を下すことのみが、公正な歴史を生むと信じています。この種の作業は、民族やジェンダーによる偏見に染められてはならず、政府による操作や検閲、そして個人的脅迫からも自由でなければなりません。私たちは歴史研究の自由を守ります。そして、すべての国の政府がそれを尊重するよう呼びかけます。
多くの国にとって、過去の不正義を認めるのは、未だに難しいことです。第二次世界大戦中に抑留されたアメリカの日系人に対して、アメリカ合衆国政府が賠償を実行するまでに四〇年以上がかかりました。アフリカ系アメリカ人への平等が奴隷制廃止によって約束されたにもかかわらず、それが実際の法律に反映されるまでには、さらに一世紀を待たねばなりませんでした。人種差別の問題は今もアメリカ社会に深く巣くっています。米国、ヨーロッパ諸国、日本を含めた、十九・二〇世紀の帝国列強の中で、帝国にまつわる人種差別、植民地主義と戦争、そしてそれらが世界中の無数の市民に与えた苦しみに対して、十分に取り組んだといえる国は、まだどこにもありません。
今日の日本は、最も弱い立場の人を含め、あらゆる個人の命と権利を価値あるものとして認めています。今の日本政府にとって、海外であれ国内であれ、 第二次世界大戦中の「慰安所」のように、制度として女性を搾取するような ことは、許容されるはずがないでしょう。その当時においてさえ、政府の役 人の中には、倫理的な理由からこれに抗議した人がいたことも事t実です。し かし、戦時体制のもとにあって、個人は国のために絶対的な犠牲を捧げることが要求され、他のアジア諸国民のみならず日本人自身も多大な苦しみを被 りました。だれも二度とそのような状況を経験するべきではありません。
今年は、日本政府が言葉と行動において、過去の植民地支配と戦時における侵略の問題に立ち向かい、その指導力を見せる絶好の機会です。四月のアメリカ議会演説において、安倍首相は、人権という普遍的価値、人間の安全保障の重要性、そして他国に与えた苦しみを直視する必要性について話しました。私たちはこうした気持ちを賞賛し、その一つ一つに基づいて大胆に行動することを首相に期待してやみません。
過去の過ちを認めるプロセスは民主主義社会を強化し、国と国のあいだの協力関係を養います。「慰安婦」問題の中核には女性の権利と尊厳があり、その解決は日本、東アジア、そして世界における男女同権に向けた歴史的な一歩となることでしょう。
私たちの教室では、日本、韓国、中国他の国からの学生が、この難しい問題 について、互いに敬意を払いながら誠実に話し合っています。彼らの世代は、 私たちが残す過去の記録と歩むほかないよう運命づけられています。性暴力 と人身売買のない世界を彼らが築き上げるために、そしてアジアにおける平和と友好を進めるために、過去の過ちについて可能な限り全体的で、でき得 る限り偏見なき清算を、この時代の成果として共に残そうではありませんか。