はてなキーワード: 哀悼とは
とくに苦手ってことはない、普段質問してることはそれなりに正しく教えてもらえる
だからこそ 答えられない=知らない とか AIがこういってた=正しいになる
要は「物による」ってのが分からないままなんだろうなということ
実際のところ明らかに間違ってる答えを返された経験はあると思うけどな
それでもAIの応答を素直に受け取ってしまう程度にはダメ成功体験を積み重ねてるんだ
ちなみにこの増田を書くにあたってGPTで10パターンくらい試したんだが、なかなかに字面で推理してる挙動だぞ
データとしては慣用句としての「無言の帰宅」のが多いだろうに 無言+帰宅 の素朴な回答をよくやってる
ChatGPT:
「無言の帰宅」という表現は、ニュースや報道で使われるとき、本人や関係者が何も説明せず、沈黙したまま帰宅した状況を指します。文脈によってニュアンスが少し異なりますが、一般的には以下のような意味合いがあります。
職場や学校などでの出来事の後に、理由や経緯を話さず帰宅すること
ここでは「無言」が心理的な沈黙や緊張、戸惑いを表すことが多い
事件や事故、社会的な出来事に関わった人物が、報道陣や周囲の質問に答えず帰宅すること
例:問題が発覚した後に、記者の問いかけに答えずに家に戻るケース
「何も言わず帰る」=状況に対する無力感や諦めを示すニュアンスで使われることもあります
もちろん当たりもある
ChatGPT:
「無言の帰宅(むごんのきたく)」は、状況によって少しニュアンスが変わりますが、一般的に次のような意味で使われます。
家庭や職場などで、何も話さずに黙って家に帰ることを指します。
例:機嫌が悪くて「無言の帰宅」をした。
戦争や事故などで亡くなった人が、棺や遺骨となって故郷に戻ることを「無言の帰宅」と表現する場合があります。
この場合、「二度と声を発することなく帰る」という強い哀悼のニュアンスを含みます。
どちらの意味で使われているかは文脈によって判断されますが、ニュースや小説などで目にする場合は、②の「亡くなって帰る」という意味合いであることが多いです。
今年も終戦記念日(参政党界隈では「大東亜戦争終結の日」とかいうらしいw)がやってきて、各党が談話を発表してたけど、一つだけ異次元のポエムを垂れ流してる政党があったな。そう、我らが参政党様だ。
で、驚くべきことに、あの歴史修正主義と陰謀論と自己憐憫を煮詰めたみたいな駄文を読んで、「感動した!」「これこそ日本人の心だ!」とか言ってる連中がネットにごまんといること。マジかよ。こいつら、いわゆる「B層」ってやつなんだろうけど、ここまで思考力が低下してると、もはや哀れみを通り越して笑えてくる。
談話の冒頭、「我が国は、いま大東亜戦争終結から80年という、大きな節目を迎えています」だってさ。出たよ、伝家の宝刀「大東亜戦争」。この言葉を使った瞬間に、「俺は普通の日本人とは違う、歴史の真実を知っている(キリッ)」って言いたいだけだろ。
あの戦争がアジア解放のための聖戦だったなんて、まともな歴史研究ではとっくに否定されてるんだよ。それをいまだに信じてるのは、一部の歴史修正主義者か、勉強が苦手で複雑なことを考えられない人だけ。この言葉一つで、自分たちの立ち位置を鮮明にして、仲間内で気持ちよくなるための符丁なんだよな。こんな簡単な罠にホイホイ引っかかってる時点で、知的水準がお察しレベル。
次に繰り出されるのが、「尊き命を捧げ、散華された英霊の御霊に対し、私たちは心から哀悼と感謝の誠を捧げます。その崇高な精神と犠牲の上にこそ、この80年間、我が国は平和と繁栄を享受してきたのです」という美文。
聞こえはいいけど、これも典型的な思考停止ワード。無謀な戦争を始めて、多くの若者を無駄死にさせた指導者たちの責任を完全にスルーして、死をひたすら美化する。特攻隊員なんて、どう考えても狂った作戦の「犠牲者」なのに、それを「英雄」に仕立て上げて責任を曖昧にする。
このロジックに感動しちゃう人ってのは、「国のために死ぬのは美しいことだ」っていう単純な物語に酔いたいだけなんだよ。なぜ彼らが死ななければならなかったのか、その原因を突き詰める知性も勇気もない。ただただ、美しい物語に涙して、自分も何か高尚な精神を持った気になりたいだけ。
そして極めつけは、日本のあらゆる問題の原因を「グローバリズムの荒波」のせいにするいつものやつ。経済が停滞してるのも、将来に希望が持てないのも、全部「グローバリズム」とかいう正体不明のデカい敵のせい。
複雑な経済問題や社会構造の変化を分析する能力がないから、単純な敵を作って叩く。これぞポピュリズムの典型的な手口。そしてB層は、こういう分かりやすい話が大好き。「悪いのは俺たちじゃない!グローバリストだ!」って言えれば、何も考えずにスッキリできるもんな。自分たちの問題を直視せず、外部に責任転嫁してくれるんだから、そりゃ参政党は神様に見えるだろうよ。
結局、参政党の談話ってのは、歴史の事実から目をそらし、自分たちの不遇を誰かのせいにしたい、でもプライドだけは満たされたい、っていうワガママなB層向けに最適化された商品なんだよ。
彼らは「日本人ファースト」なんていう排外的なスローガンに熱狂し、自分たちが「既成支配層に見放された」悲劇のヒーローだと信じ込んでいる。その強烈な被害者意識をくすぐってくれるのが参政党ってわけ。
はっきり言って、こんなポエムに感動してるようじゃ、一生、情報商材か何かにカモられ続ける人生だろうな。まあ、彼らのような層がいるからこそ、参政党みたいな政党が議席を取れるわけで。日本の民主主義のコスト、ってことなのかね。だとしたら、あまりにも高くつきすぎるだろ。
戦後70年談話 全文
終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。
百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。
世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。
満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。
先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。
戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。
何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。
これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。
事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。
先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。
我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。
こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。
ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。
戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。
戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。
寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。
日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。
しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。
そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。
私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。
私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。
私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。
私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。
終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。
平成二十七年八月十四日
「○○さんの部屋で見つかった遺体は、死後数日経っており、腐乱しているため身元の確認に数日要する状態でした。
最初に警察が部屋に踏み込んだ際、猫は部屋の中で生きていました。ただ、数日間部屋から出られない状態が続いていたことと、警察や救急が入ってきたことにかなり警戒と恐怖心を抱いたようです。威嚇するような様子も見せていたようで“猫が怖がって、出て来てくれない”と、臨場した警官も嘆いていました」
これに対するヤフコメ民「ふー、良かった」。
ま、猫に関するコメントなんだからそれはそうかもしれんけど、それより先に無くなった方に哀悼の意を...だろ。
実は言いたいことはそこじゃないんだよ。
人間て心臓が止まると、判別がつかなくなるほど、数日で腐敗するもんなのか?
たしかに身内が亡くなった時には(冬だったけど)、ドライアイスやらなにやら都合付けるのが大変だった。
遺体が傷むから冷やさなきゃいけないとは聞いていたけど、そんなに腐敗が進むものとは思わなかった。
そりゃ、数カ月もすれば、一部白骨化するだろう位は想像つくけど、数日でそんなにとは...
AIで衛星画像から土地用途を判別、市の税務職員らチャットGPTで自作…30分の1の費用(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/aa382ac1db5a4fc8f1f9b33bea68dd2858c84df4
jtw 安定の「作った人の賃金無視」&「運用保守コストは考えない」&「人が変わったら運用できない」ネタ。何度でも繰り返される。犠牲になる職員に哀悼の意を。
過去10年間で最も保護率が減少したのが愛知県知立市で58.9%減。次いで岡山県美作市51.1%減、香川県善通寺市51.0%減。
1995年の話。
ところが増田は自室こそ与えられていたものの、ビデオデッキは持っていなかった。
バイトをしていなかったのでウン万円もするビデオデッキなんて買えなかった中、
地元の家電店で唯一19,800円(税込当時3%)で買えたのがFUNAI製のモノラルビデオデッキだった。
はやる気持ちで黄色と白色しかないコンポジットケーブルをセッティングして再生。
あれから数十年。
かつての純朴な青年に大人への一歩を踏み出させてくれる機会を与えてくれた有難い存在だった。
この恩は忘れない。
「虹の橋を渡った」という表現は、特にペットが亡くなった際によく使われる言葉で、愛された存在が安らかな場所へ旅立ったという意味が込められています。しかし、近しい関係にあった人の訃報について使う場合、やや違和感が生じることもあります。日本語の表現としては、厳粛さや尊重を重んじるものが多いため、相手の家族やファンに配慮する意味で、もっと一般的な表現(「ご冥福をお祈りします」「天国へ旅立たれました」など)の方がより適切と感じる人もいるでしょう。
ただし、故人と親しい間柄だった場合、その人なりの表現で伝えたい思いを言葉にしたいという気持ちも理解できます。
「虹の橋を渡った」という表現は、主にペットが亡くなった際に使われることが多いですが、人間に対しても使われることがあります。哀悼の意を伝えるための表現としては、一部の人々には優しさや慰めの意図が伝わるかもしれませんが、他の人々には違和感を感じる可能性もあります。
こうした表現の適切性は、文化や個人の感覚に左右されるものです。そのため、どのような表現が最も適しているかを考える際には、故人やその家族の感情、そしてコミュニティの文化的背景を考慮することが重要です。
芸能人の訃報に対して親交のあるタレントが「彼は虹の橋を渡った」と表現した件ですね。この表現の適切性について、様々な側面から考えてみましょう。
由来: この表現は、ペットの死を悼む際に使われることが多いものです。虹の橋は、天国へ続く架け橋という象徴的な意味を持ち、亡くなったペットが虹の橋を渡って天国へ行ったという温かいイメージを与えます。
広がり: 近年では、ペットだけでなく、人間にもこの表現が使われることが増えてきました。特に、家族や親しい間柄の人を亡くした際に、その人の冥福を祈り、安らかな旅立ちを願う気持ちを表す言葉として定着しつつあります。
故人の霊魂が安らかに天国へ行ったことを連想させ、温かい気持ちになれる。
親しい間柄だからこそ、故人を想う気持ちがストレートに伝わる。
一般的な「ご冥福をお祈りします」という表現よりも、個性的で印象に残る。
芸能人という公の立場の人物であるため、よりフォーマルな表現が求められる場合もある。
故人との関係性: 親しい間柄であれば、個人的な感情を込めて表現しても良いでしょう。
故人の宗教観や家族の意向: 故人や家族が宗教を深く信仰している場合などは、その宗教観に配慮した表現を選ぶべきです。
発信する場の雰囲気: プライベートな場で親しい人に伝える場合と、公の場で多くの人に伝える場合とでは、適切な表現が異なります。
周囲の反応: 自分の言葉が周囲の人にどう受け止められるかを考えて、表現を選ぶことが大切です。
まとめ
「彼は虹の橋を渡った」という表現は、決して間違いではありませんが、状況や相手によって適切な表現は異なります。故人への敬意を払い、周囲への配慮を忘れずに、言葉を選ぶことが大切です。
もし、より適切な表現を探したい場合は、以下のような表現も検討できます。
安らかに眠ってください。
「虹の橋を渡った」という表現は、決して悪い表現ではありませんが、状況に応じて適切な表現を選ぶことが大切です。故人への思いやりを込めて、温かい言葉で故人を偲ぶことが、最も大切なことと言えるでしょう。
補足
同じアパートの隣の部屋の住人が部屋をキンキンに冷やしているせいか、自室の壁から冷気がひんやりと伝わってくるので今年の夏は冷房を使わずに済んでいる。この状況を俺は冷房フリーライドと呼んでいる。つまり俺は冷房フリーライダーなのだ。かつての俺はこうしたフリーライド状態に気をよくしていて、つかの間の勝利気分を味わっていたのだ。
しかし今から1か月ほど前、隣の部屋の壁が冷たすぎるせいか結露で壁や床が濡れてしまい、部屋の隅に置いていた段ボールの底面がしっとりと濡れてカビが生えてしまった。間抜けなことに、カビの匂いが発生するまで結露に気づかなかったのである。代償として、段ボールの中に入れていた高校鉄拳伝タフ全巻がカビてしまった。隣人の過剰冷房は、俺の部屋をカビさせることを目的とした罠だったのだ。
対策としてしかたなく自室でも冷房を使ったが、無駄に部屋が冷えてしまって全裸だと寒くてよくない。電気代も無駄に浪費している気がして精神衛生上もよくない。自宅のエアコンにドライモードもあるが、これは実質ただの冷房なので結局は電気代の無駄になる。
そこで、先週からコンプレッサー式の除湿器を購入した。デシカント式の除湿器と違ってヒーターを使わないので省電力だ。コンプレッサー式は室温が低いと効果が低いそうだが、寒い冬に除湿器を使うつもりはないので、問題なしだ。俺は今度こそ、冷房フリーライダーとして完全勝利を収めたのだ。昨日は大雨の悪天候だったが、除湿器のおかげで部屋はからりと乾いていた。部屋の中でスクワットをしても流した汗はすぐに乾いた空気へと溶け込んだし、かつて充満していた部屋のカビ臭さも今ではすっかり無くなっているのだ。
隣人よありがとう。今度こそフリーライダーとして心の底から礼を言おう。そして、犠牲になった高校鉄拳伝タフ全巻には哀悼の意を表する。
ひねくれた見方をしますと「故人の冥福を祈ります」ということは「死後の暗闇の世界で迷っているあなたが、幸せになれますように」という意味になります。
浄土真宗では阿弥陀仏より「必ず救うぞ」「浄土に生まれさせてさとりを得させるぞ」という呼びかけがあり、それに順ってお念仏を称えます。
そのような方に向かって「あなたが暗闇の世界に生まれてしまったかもしれない」と心配して祈ることはかえって失礼にあたるのではないでしょうか。
故人の死後の幸福を祈るということは追善供養ということになります。
簡単に説明すると、善い行いをして功徳を積み、それを故人へと回向して(分け与えて)救うということです。
浄土真宗では煩悩まみれの私たちにそれは不可能であると考えます。
また、親鸞聖人は『正信念仏偈』の中で阿弥陀仏の徳を「無礙光」(何ものにもさえぎられることのない光)と讃えられています。
宅間守と加藤智大。ふたりの無差別殺人という犯行はそれぞれ2001年、2008年と、7年違うが同じ6月8日という日だった。
宅間のとき、2001年6月8日は金曜日で、当時大学生だった私が金曜日の午前中に入れていたの講義が休講であったのだ。その空き時間に寮室にいてパソコンをいじっていたらネット掲示板に速報が来た記憶がある。また、2008年6月8日は日曜日だが、同じくネット掲示板で速報を得る。
まぁ、今年またこの「6月8日」を迎えて思うことはいろいろとある。もう東日本大震災前のはなしという「昔話」なので、ニュースでも取り上げられることもないだろうが、私にとっては今でも感慨深い日なのだ。
死刑制度は事件の加害者自身が「最後の被害者」となることで罪をあがなうというものだったように思います。これの是非を議論するのもまた難しいものである。ということで「6月8日」に当たり、事件の被害者のみなさんだけではなく、「加害者」とされていて今は死刑となってしまった両氏にも哀悼の意を示したい。
もちろんドラゴンボールもジャンプで読破したけど、単行本を買うほど好きじゃなかったし、アニメはダラダラ長くて見なくなった。
ドラクエも3から並んで買ったし、でも、5と6は中古で安くなってからだし、ほかはやってない。
別にそんなことはもう20年以上前の話なのでどうってことないのだけど、あの人って、人前にぜんぜん出てこなかったから自分としての親近感が全くないのよね。
それに自分自身が彼の新作に触れる機会もなくなってしまったので、もうとっくの昔に過去の人という感じしかないのだよ。
そもそも新作作ってるかどうかも知らなかったし。
悲しむことを否定するつもりじゃないんだけど、なんか、みんな本当にそんなに鳥山明かなしいのって本当かな。
Xなんかで同世代がバズりそうな内容で悲しんでいる姿を見てると、なんというか白々しいというか。
それってチェルシーが製造中止になって、長いこと全然食べてなかったのに急に買い占めに走ろうとする心理みたいになってない?
悲しんでいる人たち、この直近10年で鳥山明にお金使ったりした?なくなってしまう前に使ってた?
それで本当にファンなのかなっていうさ。
なんかXとかでバズったもの勝ちみたいな発言を見すぎたせいで、人が感情的になっている姿を見てもインプレほしいだけでしょって思えて仕方ないのだよね。
哀悼の悲しみさえも金に変える仕組みはいささか邪悪だなって思うよ。
自分みたく悲しくないってことはなかなか表明できるものでもないと思うので、そんな人に届けばいいなと思って。
尊敬しているし、その業績の偉大さは理解しているつもりだけど、別にだからといって悲しまなきゃいけないのとは違うと思うよ。
むしろここ何十年も彼の作品に対して大したお金も使ってないのに、俺なんかが悲しんだら悪いような気さえしてくる。
悲しくないからといって哀悼の意がないわけではないのでお間違えなく。
どうぞ安らかに。
《芦原妃名子さんの訃報に接し、哀悼の意を表するとともに、謹んでお悔やみ申し上げます。2023年10月期の日曜ドラマ『セクシー田中さん』につきまして日本テレビは映像化の提案に際し、原作代理人である小学館を通じて原作者である芦原さんのご意見をいただきながら脚本制作作業の話し合いを重ね最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし、放送しております。本作品の制作にご尽力いただいた芦原さんには感謝しております》
このコメント、最初の一文以外はSNS騒動を受けて用意していたんじゃないかと疑っている。
仮にそうだった場合は、コメントを出さなくて良かった、というか、タイミングが前後逆じゃなくて良かったと、バチクソ安心してる人がいるんじゃないか。
(バチクソ安心できる想像力があれば、このコメントは出てないともいえるが、コメントに直接関わっていない関係者とか。)
なので、今回の件のSNS対応が(最悪の事態にまだなってなかったとして)どうなる可能性があったのかを、リスク管理の観点で明らかにしてほしい。
https://news.yahoo.co.jp/articles/0570e5729e8ed8130a700b2e2138554f6cd4b9ba?page=1
あまり報道はみていないのだけど、なんとなく5に貼られてたこの記事はちゃんと真剣に読んでみようかなと思ったのだけど、
会見冒頭、亡くなった劇団員への哀悼の言葉もなく、遺族に対するお悔みや謝罪もなく、いきなり報告書の説明から始まりました。最初に違和感を覚えたのはこのときでした。
ここで最初に違和感を覚え、フル動画を見直したら哀悼の意も述べて謝罪もしていた。
https://www.youtube.com/live/-Fp4uhPPjX8?t=1m14s
本日はお忙しいところ、急遽お集まりいただきまして大変申し訳ございません。当団では、この度の宙組生の急逝を受けまして、なぜこのようなことが起こったのか、また、一部報道されているような事柄につきまして、事実関係や原因について、調査を行うべく、外部弁護士による調査チームに調査を依頼し、11月10日に調査報告書を受領いたしました。当団として、調査報告書の内容を真摯に受け止めており、対処すべき課題として、ご指摘いただいている内容を含め、今後、全力で改善に取り組んでまいります。この度の宙組生の急逝につきまして、謹んで、哀悼の意を表しますとともに、ご遺族の皆様には、大切なご家族を守れなかったことを、心より深くお詫び申し上げます。今後も、ご遺族の皆様に誠心誠意対応してまいる所存でございます。また、宝塚ファンの皆様並びに関係者の皆様に、多大なるご心配とご迷惑をおかけしておりますこと、深くお詫び申し上げます。誠に申し訳ございません。ではこれより着席してご説明させていただきます。まず、お配りした資料に基づき製作部長の伊庭よりご説明いたします。
ドアタマにあるべきだったのだろうか。特にそんなことも引用した以降に触れられてもおらず、いずれにせよ、やはり読む気を失くしてしまった。