はてなキーワード: 加害者とは
被害者がセクシーな衣服を着ていたとしても痴漢事件で悪いのは痴漢です。
相手を怒らせたから悪いとか言い始めるパヨクはいいかげん正気を取り戻してくれませんか?
身を守るのは自然なことだし、攻め込む方が悪いんじゃない?
当方女、幸運なことに痴漢などの性犯罪に遭ったことがなく、またこれからも遭いたくないので性犯罪者の行動原理、行動範囲なんかを注視しているのだけど
性被害は怖いんだ!殺されるかもしれないんだ!加害者が悪くて被害者に落ち度はないんだ!と大声で騒いでいる女のほとんどが、性犯罪者の考えなんて知りたくもない汚らわしい!という非常に頑なな態度なのはいかがなものかと思う
一度被害に遭った人が自分の心を守るために、どうやったってあの被害は防げなかったし、これから起こることについてもそうなのだ、と考えたいのは、理屈としてわかる。でもそのへんのSNSにいる私以外の女全員が全員性被害に遭ったことがあるわけはないからそれだけでは筋が通らないし、例えば子供を持つ親なんかは、対策に使えることがあればたとえそれが迷信でも取り入れる、くらいの気概であるべきだ だって性被害はとっても怖くて殺されるかもしれないんだから!
そして、全ての犯罪に言えることだけど、完全に加害者が悪かったところで、一度受けた被害がなかったことにはならない 当然ながら被害に遭わないに越したことはないし、一回きりしかありえない殺人ならまだしも(まだしも?)、性犯罪には二回目三回目がありうる
なのに、なのにだ 性犯罪者について理解したくないとかいう目先の潔癖精神であやつらは対策を拒むし、あまつさえこういう対策が可能ですよと言おうもんなら、女の私を性犯罪者予備軍の男呼ばわりし、何度訂正しようと男!男!これだから男は!しか言わなくなる 私が陰謀論者だったらあのヒステリーを性犯罪者が性犯罪を遂行しやすくするための事前工作だと吹聴しただろう(というか、むしろ性犯罪者の世論誘導だったほうがマシというくらいに話が通じない 愚かすぎる)
つまり、SNSで騒いでいる類の女にとっては、実際の身の危険よりもなんかキモい感じがすることのほうがよっぽど重要な問題だし、自分と同じ意見でなければ女だろうと男になるのだ
女の私がいうのも変かもしれないが、SNSではああいう女ばっかりうるさくて、そりゃ女はバカだって言われるよなあと思う
ああいう女は大抵いわゆる弱者男性が大嫌いだけど、弱者男性に自分が理解したいことしか理解しようとしないとか、男は論理的っていうけど実際感情的で〜女の方が論理的で〜とかなんとか言うくせして私にケチつけてる時の女どもの論理の破綻具合といったら唾棄すべきはずの弱者男性のそれと同じだ(ちなみに私は弱者男性に特別の憎悪は抱いていない あまり関わる機会がない)
うるさい女どもは「女性の権利」を使って自慰行為をしているだけ、なんなら女性全体を権利から遠ざけていていい迷惑だ
ここまで長々書いて既知の情報も多かったとはおもうけど、いろいろ腹が立ってたのですっきりした
まあ結論としてはどうでもいいんだ
ラブホかコンカフェかという名前の雑貨屋に変質者が来て困ってるという投稿を見たんだけど これに名前変えたほうがいいんじゃない?とかいうと加害者のせいで自由に表現できないなんておかしい!って怒られるんだよね
変質者が来ないような店名に変える不自由を取って変質者が来ない安全を得るか、自由に表現して変質者の対応に追われるという不安を取るかのどちらかで、どのみち完全な自由なんてない それなら安全に過ごせる確率が高いほうが良くない?
ツイフェミ、腐女子、何かに真理に目覚めたと勘違いしている女…
ネットを開けば壊れたラジオのように雑音が響き渡っているのは君達もうんざりするほどご存知だろう
彼女らの主張に我慢して耳を傾けると実は全部同じことしか言ってないのである「私が不愉快だからくたばって死ね」だけである
なぜこんな感情至上主義のモンスターに爆誕したのかはそれは幼少期にヒントがあると俺は思う
気持ちが昂れば号泣しだすのは子供共通事項だろう、しかし小学生にあがっていけば男子は泣くような奴は男じゃないという今も根強い呪縛によって
不愉快だったり悲しい気持ちになってもグッと堪えるようにトレーニングを施されているのだが女子はどうだろうか
何かあればもう我泣く、ゆえに我ありというレベルで泣き出すのではないか、そうすると周囲はなんと魔法でもかかったように心配してくれたりチヤホヤしだすのではないか
これは非常に強い「成功体験」かつアヘンのようなものであると思う
見た事ないだろうか、小学校のクラスの席替えでいわゆるチー牛と思われているような男子が隣に移動してきただけで号泣しだした女子を、隣は嫌だとめっちゃ被害者ぶってるけど言ってる事は普通に最低な事である
それなのに雰囲気は泣いている女の子に同情してあげなきゃ!となるもんだから不思議なものである、チー牛男子はただ隣に移動しただけですっかり加害者の悪者扱いされるのであるなんとも末恐ろしいのである
そうして女子はこう学習するのではないか、感情を押し殺さずに開放した方が得ではないか泣きだせばもうperfect!ではないかと
落ち着いて欲しい、大半の女がこうだとは流石に言わない男よりも我慢強い女も多く存在するだろう
しかし、その成功体験をずっと引きずっている女はどうなるかというと幼稚のままで精神的に成長が乏しくなるのだ
乏しいとどうなるのか?それは自分を悦ばせてくれるようなコンテンツに飛びつくようになるのだ
推し活、ボーイズラブ、ディズニー、韓国ドラマ、男性アイドルなどなど…
決して自分を否定せずにむしろ悦ばせてくれるというそんな夢のような世界に溺れるようになり
もしそこで不快な事でも起きるとどうなるのか?そうネットで喚き散らしてお気持ち表明マシーンと化すのだ
男は幼少期から泣くな我慢しろというトレーニングを施されているおかげで例えば嫌なものを見てしまっても「あーあ、嫌なもの見ちまったなまあ忘れよう」と自己完結するようになっているのだ
自分の体験も少し語ろう、俺もいわゆるジャンプ系アンソロジーというトラップにかかったことがある、ハンターハンターのあの男キャラと男キャラが猛烈に絡み合っていたのである
当時小学生の俺は大変衝撃で、それからBLに対する苦手意識はあったが事故ったようなものでずっと黙って過去のものにしていた
それからテレビでおっさんずラブとかいうドラマを見てしまい「同性愛をこうしてコンテンツとして消費していいんだろうか?」と疑問持ちつつそれも俺がたまたま見てしまっただけでむしろ自分が事故っただけと
これも誰のせいにする気もなく、あーあー嫌なモノ見ちまったなとなんとか別の事をしたり楽しい事を考えようとするのが一般的じゃないだろうか?
しかし、精神的にお子ちゃまな女はそれができないのである、嫌なものを見てしまったら不快な気持ちになり、それをどうしても外に出さないと自分が耐えられないのである
ツイフェミも根本は幼稚性から来ているのである、だからツイフェミの主張に激しくブレが多いのも自分が不快かそうでないかどうかなので全然論理的じゃないのである
だから「私が不快になった!」という超特大前提があるので常に被害者意識が強いのである、攻撃してもまず不快させた相手が悪いという正義の味方もドン引き理論である
致命的に話がかみ合わないのも当然だろう相手は脳じゃなく本能でしか動いてないからだ、不快だと思ってもそれをいちいち外に出さずに自己完結する手段は沢山あるはずなのに
そういう手段をとらずに真っ先に感情かめはめ波をするのも泣けば周りがかくまってくれるという「成功体験」が忘れられないのだろう
大人になればそんな魔法は存在しないのである、世界を変えたければまず自分を変えるしかないのだ
それすら出来ないから終わっているのは言うまでもないが
いやあんたも俺がメクラと言った時にそれは侮辱罪だとか書いてたやん
でも告訴してないよね。そゆこと。
俺は『訴える』とは一言も言ってない。侮辱罪に該当する可能性があると指摘しただけ。君は『訴える』と明言してるのに訴えない。この違いが分からない?
ついでに言えば先の判例は要するに告訴意思の不存在と畏怖の意図の存在について真っ黒なら違法であること疑いないってことだよね。
それと同時に要するに無罪を言い渡すのに真っ白だと証明する必要はねーと言ってる。
『疑わしきは罰せず』は刑事裁判の原則として正しい。でも君は『軽口』と自白し、『訴訟費用ない』(告訴は費用不要)で断念してる。これは『グレー』じゃなくて『告訴意思なし』の強い証拠。グレーゾーンにすら入ってない。
あと判例で其れ脅迫罪じゃねって言うなら告訴意思無しと認定されて有罪になった判例か告訴意思ありとは認定されれないが有罪になった例を持ってくるべきだ。
大審院判例は『告訴意思なし+畏怖目的=脅迫罪成立』と明示してる。恐喝罪の判例(最判昭29.4.6)も同じ理屈で、金銭要求がなければ脅迫罪。構成要件は同じだから援用可能。有罪判決がないのは単に立件されてないだけで、構成要件該当性は別問題。これずっと書いてるけど理解できない?
そして脅迫罪と言ってる以上これは大前提として刑事裁判なわけで民事ならとりあえずスラップ訴訟的にやられても出廷しなければ相手の主張通りになりうるって点で危ないと言えるが刑事ならまず警察がその気にならなきゃ始まらない。
結果的にストーカーから殺人につながったものでも当時警察がまともに動かず事件になったのなんてよくあるように警察にいかに鈍重な側面があるかということぐらいはわかっているだろう?
ネットで訴えると言うのが危ない?何のこっちゃ。警察に泣いて駆け付けても実質的な被害が出てないうちはねえとかいなされて終わりだよそうじゃないならまずストーカー被害に対してもっと積極的に捜査したがるはずでしょ。
実際には警察が動かないから、ネットで『訴える』と言っても問題ない」と主張してる?
警察が動くかどうかと、構成要件に該当するかは別問題。『捕まらないから大丈夫』は法律論じゃない。ストーカー被害で警察が動かないのは問題だけど、それは『ストーカー行為が合法』って意味じゃないでしょ?法律論をずっと話してるつもりだったんだけど違うの?なんで警察の話出てくるの?
判決文では口止め料と表現されてるけど事実上痴漢被害者が加害者とそれで勘弁するとして要求する金がそう呼ばれうるように示談金や和解金と呼べるものなんじゃ…?
示談金は『被害回復の対価』。口止め料は『告発しないことの対価』。前者は適法、後者は恐喝。最判昭29.4.6は『犯罪事実を申告しないことの対価』を恐喝と判示してる。痴漢被害の示談は『被害の賠償』であって『告訴権の売買』じゃない。
ていうか、ちゃんと読めば書いてあるし、示談金のありかたなんて基本中の基本では?
以上。長々と相手してきたけど、ツッコミ入れるならまじで基本的な部分は学んでから来てくれ。
腹が立ってもう一緒に仕事したくない。
目立つことはやりたい、手柄をたてたい、威張りたい。でもこつこつ業務はやらない。裏方業務はやらない。全部私に押し付ける。
「〇〇の件、ちゃんとやっておけよ」と命令された。上役でもないのに。
「〇〇の件は私だけの作業ではありません。山田さん(仮名)も一緒にやることですよ」と反論したら
「お前そういう作業好きだろ?やれよ」と言ってきた。
はあーーーー???いつわたしが好きだなんていったんだよ!言ってねーーーよ。仮に好きな作業だとしても私1人でやることではない、町内会の担当者の業務だ。その担当者は山田(仮名)と私だ。
こんなことがいくつもあった。自分は何もしないくせに、私の小さなミスは指摘することもあった。
一回や二回じゃないんだよ。何回も何回も。
町内会長にちくった。山田(仮名)はへらへらしてきた。ほんと腹立つ。
いつも議論になる男性のエスコート問題について、多くの男性が感じているであろう矛盾と、それによって引き起こされる悪循環の構造について、一度整理して提起したい。
女性側から日本の男性はエスコートが足りない、気が利かないといった主張がよくなされる。
しかし、多くの男性は気が利かないのではなく、意図的に何もしないという選択をしている。
なぜなら、その主張には致命的な矛盾と高すぎるリスクが内包されているからだ。
ここでは主張する女性をAさんとし、その構造を3つのステップで分析する。
まず、主張における隠れた前提の問題。
Aさんが男性は女性をエスコートすべきだと主張するとき、その言葉の裏には、多くの場合自分が好意を抱く、あるいは許容範囲内の素敵な男性にスマートに扱われたいという隠れた前提が存在する。
しかし、主張する側はこの隠れた前提を明示しないまま、男性はという大きな主語で理想論を主張する。 この隠れた前提の省略が、すべてのすれ違いの始まりである。
Aさんの主張を真に受けた男性が、実際にエスコートを実行した場合、何が起こるか。
一つ目のパターンは、実行者がAさんの隠れた前提を満たす男性、例えばAさん好みのイケメンだった場合。 その行為は理想的なエスコートとして、好意的に受け入れられる。Aさんは満足する。
二つ目のパターンは、実行者がAさんの隠れた前提を満たさない男性だった場合。
ドアを開ける、荷物を持とうと手を伸ばす、車道側から庇うために肩や腕に触れるといった、パターン1と全く同じ行為であっても、それはエスコートとは見なされない。
それは不快な行為、馴れ馴れしい、セクハラだとして、拒絶・非難の対象となる。
ここで発生しているのは、行為そのものではなく、実行者が誰かによって評価が180度変わるという、強烈なダブルスタンダードだ。
Aさんはエスコートすべきと主張したその口で、前提外の人物からのエスコートをセクハラだと断罪する。
「ただしイケメンに限る」を生み出しているのだ。
多くの男性は、これら2つの構造を感覚的に、あるいは経験的に深く認識している。
つまり、エスコートという行為は、実行者次第でセクハラという重大なリスクに転化することを知っている。
もしエスコートを実行した場合、成功すれば報酬として少し感謝されるかもしれないが、失敗すればセクハラ加害者と認定される重大なリスクを負う。
一方で、何もしないことを選んだ場合、リスクは気が利かない人と思われる程度だ。
このリスクとリターンを天秤にかければ、失敗がもたらすリスクは、成功がもたらす報酬に比べて、あまりにも壊滅的に大きい。
したがって、多くの理性的で、かつAさんを不快にさせたくないと願う誠実な男性ほど、リスクを冒してセクハラ扱いされるくらいなら、
最初から何もしないという、最も合理的で防衛的な選択をすることになる。
この何もしないという行動は、無関心や怠慢ではなく、むしろ相手を不快にさせないための積極的な配慮であり、リスクマネジメントの結果なのだ。
まず、Aさんが男はエスコートすべき!と隠れた前提を伏せて主張する。
次に、男性側はセクハラ認定のリスクを認識しているため、合理的な判断として何もしないという配慮を選択する。
しかし、Aさんは男性の何もしないという結果だけを見て、その裏にある配慮やリスク回避の意図に気づかない。
そしてAさんは、やはり日本の男性は気が利かない!と失望し、再び最初の主張に戻る。
いやあんたも俺がメクラと言った時にそれは侮辱罪だとか書いてたやん
でも告訴してないよね。そゆこと。
ついでに言えば先の判例は要するに告訴意思の不存在と畏怖の意図の存在について真っ黒なら違法であること疑いないってことだよね。
それと同時に要するに無罪を言い渡すのに真っ白だと証明する必要はねーと言ってる。
真っ白以外全て有罪だと裁くべきだと主張する気ならこんなこと断るのはおかしいだろう。
あと判例で其れ脅迫罪じゃねって言うなら告訴意思無しと認定されて有罪になった判例か告訴意思ありとは認定されれないが有罪になった例を持ってくるべきだ。
そのいずれも無いのに脅迫罪だーっていうのはまさに机上の空論だろうね。
そして脅迫罪と言ってる以上これは大前提として刑事裁判なわけで民事ならとりあえずスラップ訴訟的にやられても出廷しなければ相手の主張通りになりうるって点で危ないと言えるが刑事ならまず警察がその気にならなきゃ始まらない。
結果的にストーカーから殺人につながったものでも当時警察がまともに動かず事件になったのなんてよくあるように警察にいかに鈍重な側面があるかということぐらいはわかっているだろう?
ネットで訴えると言うのが危ない?何のこっちゃ。警察に泣いて駆け付けても実質的な被害が出てないうちはねえとかいなされて終わりだよそうじゃないならまずストーカー被害に対してもっと積極的に捜査したがるはずでしょ。
口止め料を要求してるから恐喝になるんだーって言ってるわけだが、おそらくこれは口止め料を払えば告訴しないと言って金をもらっておきながらさらにその言っていたことを破って告訴した場合にも以前恐喝罪の範疇だろうという見解を行間から読み取れるのを踏まえて考えた時、これって示談金の要求と何が違うんだって話にならない?
示談金をもらえれば告訴をしないとか取り下げるというのは当たり前のように行われている駆け引きであり、また示談金をもらったから告訴しないというのも単なる当然の帰結で、この場合における告訴しなかったという事実は告訴する意思自体の存在を否定し得ないよね。
その当然の解釈が誤りだ言うなら世の中には特に痴漢界隈とかで女性側の恐喝罪が横行していることになるわけだが…
たとえば、被害者が、警察に対して告訴しない、被害届を提出しないということを「口止め料」と言っているケースもあります。このケースで、示談金を支払うのは全く問題ありません。どのようなことを指して「口止め料」と言っているのかを、被害者に確認してください。
判決文では口止め料と表現されてるけど事実上痴漢被害者が加害者とそれで勘弁するとして要求する金がそう呼ばれうるように示談金や和解金と呼べるものなんじゃ…?
https://www.courts.go.jp/hanrei/53475/detail2/index.html
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251115020114# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaRgtvgAKCRBwMdsubs4+ SNZRAP9koUWEn9SpiBe6Ei8RMzt66O7NkgqageEXfPUgfuV49wEAzX/D7C7ERHPT ce+koZ+c/6IBx2Fumn0VTM+0WYMOxww= =unQu -----END PGP SIGNATURE-----
ちなみに参考になりそうなはてな村殺人事件ことhagex刺殺事件は懲役18年な!
で、完全な逆恨みで市井の中年男性をメッタ刺しにして即死させた低能先生が18年なんだから、そこそこ理由のある逆恨みで高齢の政治家を狙撃して即死させた山上も色々足し引きしてそのくらいで、銃のぶんを考慮に入れて拘禁20年って感じじゃなかろうか。
ピタリ賞が出たらなんか奢ってくれ!
児童買春や風俗の裏オプションなど少女が被害者の場合は、少女に売春させたり買うといったそれらの性加害に関与した側を攻撃する女や被害者が無数の男性に攻撃される
しかしジャニーズ性加害に関しては、事務所やタレントとプライベートでも仕事でも接点のないファンの女に「なぜ助けなかった」と攻撃する限界アンチフェミが存在する
ジャニーズ性加害自体が、ロカビリーやグループサウンズ、ウエスタンカーニバル時代から業界ぐるみで無数の男性が隠蔽に加担していたのは明白
多数の人間が利用し売る側も組織化され無数の人間が関与するラオス児童買春や同じく利用者が誰一人通報しなかったベトナム12歳少女売春強要と同じである
自称弱者男性は男が被害者でも加害者やそれに協力や加担した芸能やマスコミ関係者や生前ジャニーズと親密な関係でジャニー喜多川の葬儀に弔電を送った安倍晋三ら取り締まる側の権力者には何もできないが
一方でフェミ関係者やジャニヲタの女にのみ「なぜ助けなかった」と非難し、被害者側が権力側に助けを求めると「甘えるな、自助しろ」と非難して権力側にすり寄るのがいつもの流れである
自称弱者男性は「女に加害する男はDQNを筆頭に女にモテる属性のみ」と言い張るが
自称平凡で普通の男性は女に近づくと他の男から威嚇されたり「弱者男性の分際で生意気だ」と晒し者にされて笑われるから性加害を実行できないだけであり、未成年含む女や障害者を虐待できる機会を与えられたらそれを守ろうとするのである
https://anond.hatelabo.jp/20251105101510
【男の敵は男】グループサウンズの皆さんも、ジャニー喜多川さんの性加害を見て見ぬふりしていた
https://anond.hatelabo.jp/20250729151724
@
TLに沢山流れて来てるので。山下達郎はもちろん批判されて然るべきと思うけど、そもそものジャニーの犯罪を看過してきた(知らなかったハズは無かったあの頃のGSの筆頭達)芸能界のシステムにも、そしてテレビから送り出される熱狂や楽しさをそのまま"享受"してきた自分達も同罪だと思う。続
@
その中には自分達の大好きな推し達も沢山見て見ぬふりだったんだろうなて。そう思うと本当に複雑な気持ちになる。今回山下達郎1人を断罪しても決して終わりではなく、検証しなければならない事が沢山あるんだろうって。堺◯章井◯順とか、か◯やつさんとかあそこら辺だって加担してたよね…(推測)。
女なんて強者男性以外の男を虫としか思ってないから群れる組織化する市場が巨大化する不特定多数の男が隠蔽に加担する男の児童買春や淫行と違い、ショタ女の犯罪は単発的かつ他の女からも総スカンたが、女はショタ好き、俺はレイプされたという嘘松だけが膨れ上がる
「子供を幸せに出来ないから産まない(産めない)」なんですけど、自分自身の発達障害グレーゾーンが原因なので、金だけ渡されても絶対に産まないです。
そもそも物欲や娯楽欲が全然なくてお金をつかわないので、毎月余らせて投資に回してて、金には現時点で全く困ってないです。でも産まないです。
正社員としてフルタイム労働しているけど、これに育児が加わるなんて無理。育児的な労働内容のほうが向いてなくて無理。
「プログラミングはできるけど介護は無理」みたいな、そういう気持ちです。致命的に向かない職に就けない、どうせこなせないしバーストする。
そもそも正社員としても過去2回メンタル理由で休職していて、育児には休職制度なんてない。
育児って労基に守られないブラック労働でしょ?無理です。そして親のメンタルが弱いと子供って直接的に被害受けてますよね。被害者は作らないほうが良い。
賃労働って「自殺するくらいだったら辞める」とか「休職する」みたいな逃げ道がいくらでもあるんです。そして育児には無い。逃げたら人殺しです。
労働者は使用者から労基に守ってもらう弱者だけど、親は子を支配する強者であり加害者であり課せられる責任はとても重たいです。だから取り組まない。
ああそういうこと
じゃあわいは不当やとおもってるが、
なぜああいう罪状になるかと言うと被害者に対する加害者の面、社会的な被害者であるという余地があったから。もし社会的な被害者であるというみかたがなかったら、もっと重い扱いだったろうなと予想するってだけや。
いっしょに怒っていこうで!
うだうだ言ってねーでとにかく全力でブレーキベタ踏みするんだよ。
→何も考えずそれを実行した結果、それで追突されてもいいならどうぞ
だから結局左右盲じゃないなら追突の結果避けた先での衝突の結果両方避けれる場合があるのに左右盲だとそういう場合でも交通加害者になる結果自体は避けられないからより責任を負わせられる立場になりやすく不憫だねーって話なんよ。
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251112173528# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaRRG1QAKCRBwMdsubs4+ SDKgAQCzGiqjj8TPvkQ7dPV0VJ1d2o0hCF82tvzgM9mBMYWu8AEAqw/vsfM0UjQk N1glCDJmu/wlX3VqG6WqppUY7WIA4gs= =U5UR -----END PGP SIGNATURE-----
昨今の日本の村ホラーの中ではかなり頑張ってる方だと思うんだけど。
それが逆にテーマ性との接続を損なってる気がして集中できなかった、59点。
「誰かの不幸の上に自分たちの幸せが成り立っている」というありふれたテーマを不条理村ホラーに落とし込んだ作品。とにかくこの不条理な村ホラーの部分のアイデアの豊富さや演出がよくて「なんかキモくて怖い映画見たいな」って人には普通におすすめできる。
不条理な村ホラーってのはアレね。「なんかこいつらの会話おかしくね?」「なんかこの住民の行動おかしくね?」みたいな心理的生理的な嫌悪感を含む違和感が徐々に大きくなっていって事件が起きてヒャーってなるやつ。今作ではこの住人が主人公の家族なんだけども、この家族のキモさ、異常さが本当によくて。よくこんなにキモいアイデア詰め込んだな~って感心させられる。
内容的には
主人公が祖父母の家に行ったらなんか様子が変で探ってたら2階に目と口が縫い合わされた老人が幽閉されてて、実はその老人を不幸にすることでこの家は幸福を保っていたことがわかる。主人公がその老人を逃がすが、老人は交通事故で死亡。家族は急に不幸になり主人公は新しい贄を連れてくるように家族に頼まれて~
的な話。
実際には主人公の家だけではなくその村全体がそうで、もしかしたらこの世界中で本当に起こっているかもしれないよ的な感じで、弱者を搾取するこで成立する世界を強烈に風刺している。そしてこの作品のメッセージ性の優れているところとしては「お前らも弱者を踏みつけにしてるだろ」というだけではなく、幽閉されていた贄の老人のように「お前らも目と口を塞がれて幸福を搾取されてるぞ」という加害者被害者両方の立場を提示してくるところ。
ただこのメッセージ性と村ホラーの接続が俺の中ではイマイチだったと感じた。
まず祖父母の家に入った瞬間から祖父母の行動がヤバすぎて、例えば「なぜか2人して主人公の指をしゃぶりまくる」「暗い廊下の奥から祖母が走ってきてそのまま壁にぶつかる」「突然豚の鳴きまねを始めて豚は幸せだみたいな説法を始める」等々、テーマと関係ない部分のアクが強すぎて話が入ってこんのよ。
もろちん、指しゃぶるのは若者をしゃぶりつくす老人の比喩かもしれないし、豚説法は「弱者を食い物にすることを肯定する」意図があるんだろうしわかるんだろうけど、それらの普遍的なテーマと「頭のおかしい家の話」という個の事象が衝突しているように感じる。
昔、ホラー脚本家の三宅隆太が「ホラー映画の登場人物はなるだけ普通であるべき」みたいな話をラジオでしていて、「主人公が常に赤いマフラーでギターを抱えている人間だったら、怖い目に合うのはこいつが異常だからで私たちには関係ないと思われてしまう」という話をしていたが、まさにそんな感じ。
同じく、主人公家の贄が死んでしまった(死ぬシーンもめちゃくちゃ見晴らしのいいあぜ道でノ―ブレーキで突っ込んでくる軽トラもよくわからんけど)結果、祖父も祖母も弟も母親もみんな耳とか目とか口とかから血を噴出しまくって「早く次見つけてこないと間に合わなくなるよ」と主人公を追い込む展開。いや、それは自分たちの幸せが他人の不幸の上に成り立ってるとかじゃなくて、もう「他人を不幸にしないと死ぬ呪い」じゃん。
いや確かに今日本が東南アジア圏の後進国の人たちからの搾取をやめますってなったら死ぬかもしれんけどここまで急激にめちゃくちゃなことにはならんやろ。
しかもこの作品には「代々贄がいなくて幸せになれない幼馴染」が出てくるんだけど、そいつの親父は普通に老衰だし幼馴染本人も「本当は絵描きになりたいけど貧乏だから農業しなきゃだよね~」くらいの不幸度合いなんだよ。贄いなくてもぶっちゃけどうにでもなるだろこれ。なんで主人公家はあんだけ急激に不幸通り越して破滅しそうなんだよ。
まぁこれも贄に頼り切った結果、もう贄なしでは存続不可能な状態になってしまっているという先進国を鋭く風刺しているんだよ!!!と言われたらそうかもしれんけど、風刺内容としては妥当でも作中のルールとしての整合性としてはおかしくなーい?って感じ。
あとは贄システムを拒絶して出て行った叔母が山奥で頭おかしくなってていろいろあって主人公が彼女を殺害してしまう展開、特にいらんかったな。まぁ「贄システムは拒否できない」というダメ押し展開ではある、殺害シーンのショッキングさは「めっちゃ撮りたかったんやろなぁ」ってのはわかるんだけど、叔母の現状や思想がテーマにはコネクトしてなかったので、逆にノイズに感じた。
全体的に「見せたいもの」「言いたいこと」をかなりうまく表現できているんだけどそれをうまく盛れていないいない印象だった。めっちゃおいしいチキンカツと肉じゃがと白身魚のムニエルを全部ご飯にかけてどんぶりにしました!みたいな感じ。
この奇妙さをしっかり味わえる和ホラーはめったにないので見てみるといいとは思う。
職場に還暦を過ぎたおばさんパートがいて、干支二周り年下の私を何故か目の敵にしている。
彼女は私のやることなすこと気に入らないらしく、舌打ちしたり無視したりでかい音を立てて物に当たって威嚇してきたり、やった仕事にいちいち難癖を付けて来たり、ネチネチ嫌味を言ってきたり、そういう行動が3年ほど続いていた。
しょうもない人間だと思ったし、周囲も「あの人はそういう人だから相手にしないように」と諦めて開き直るように促してきたけれども、毎日悪意を向けられるというのはかなりのストレスで、そのうちメンタルが大分削られてしまった。
人事に相談したところ彼女は注意を受け、最近は多少大人しくなったが、人間の本性というのはそうそう変わるものではない(というか、変化できる柔軟さや客観性のある人間はそもそもそういう性格にならないんではないか)ので、いまだに思い通りにならない事があると勝手にイラついてなぜか不機嫌をこちらに向けてくる。
彼女の中では、この世の全ての嫌な事はあの小娘(私)のせいで、だからあいつには悪意を向けて良いということになってるのだろう。
(ちなみに人事に相談した後も、彼女は「私は何もしていないのに加害者扱いされてショック」と被害者側に立ち、事あるごとに私の評判を下げるべく悪評を広めるために頑張っているらしい。
幸い彼女は私に輪をかけて人望がないので実害には至っていない)
私に執着する理由が何なのかは本当に心当たりがない。まあ私がいなければ私ではない人に悪意を向けてるんだろう。元々私は口下手でおとなしく、現在の見た目が無難な感じなのもあり、ぶつかりおじさんや酔っ払って気が大きくなってるようなカスにもナメられやすく絡まれやすい。
ぶつかりおじさんに限らず、きっと悪意のある人間はその場にいる弱者を嗅ぎ分けようとするんだろう。
今日の勤務でもおばさんは機嫌が悪かったらしくカリカリしていて、帰り際、こちらから義務としてした挨拶はガン無視された。よくある事だが、こちらも挨拶したくてしているわけではないので無駄にストレスを感じて、ますます疲れてしまった。
一方で彼女は外面は異様に良く、他部署の人や上司にはワントーン高い声で挨拶をしているのだった。
彼女はそうして序列を作らないと、さらに序列の中で明確に自分より下の人間がいると信じていないと不安になってしまうのかもしれない。
そういう内面を持つ人がいることを、理解はできても感覚としては「底意地の悪いクソババアがよ〜」と思ってしまう自分がいる。
悪意を向けられると自分まで性格が悪くなってしまうのが本当に困りものだ。
そんなこんなで疲れながら帰路に着き、帰りにスーパーで買い物をすると、時々見かける感じの良い男性店員がレジにいた。
彼は同僚に対しても客に対しても温和で、過剰すぎもしないがそっけなくもない、ほどよい態度で接する、印象の良い青年だった。
年齢は私と同世代くらいだろうか。服装や髪型も無難なもので、目立つタイプではなく、私同様おとなしく見られそうな感じでもある。
今日はカップスイーツを買ったのだけど、彼は私が何も言わないうちに、小さいスプーン入れておきますね〜とさりげなく言い、小さいスプーンを付けてくれた。
ポイントカードを出そうとしてもたついていると、「ゆっくりでいいですよ」と言ってくれたりもした。
それは顧客への配慮であったかもしれないが、人を人とも思っていない対応に疲れた私は、そのささやかな気遣いにすさんだ心が洗われるような思いがした。
そして会計をし、レシートが出てくるのを待っていると、ふと彼の名札が目に入った。
ひらがなで書かれたその苗字は、偶然にも、さっき会社で私の挨拶をガン無視した意地悪クソババアと同じものだった。
一瞬「あっ」と思ったが、誰に共有できる感情でもないので、顔には出さずレシートを受け取り、財布にしまって店を出た。
帰り道にしみじみと、うめざわしゅんの『パンティストッキングのような空の下』を思い出した。
色んな人間が生きている。
二回り年下の社員に嫌がらせを繰り返す主婦歴数十年のクソババアもいるし、名前も知らない客にさりげない気遣いを向けることができるスーパーの青年もいる。
非正規雇用の青年には彼の痛みがあり、それをどこかで発散しているのかもしれないし、子供を持たないまま誰かの妻として生き、老いを迎えつつあるクソババアにはクソババアの人生の悲しみがあるのかもしれない。
色んな人間が生きている。
とりあえず私は、クソババアの名前を見たとき、しょうもない嫌がらせではなく、レジの青年が良い奴であったことを思い出すこともできるのだ。