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はてなキーワード: スイスイとは

2025-11-06

原付より自転車のほうが便利だった……

原付二種(125ccバイク)買って「これで生活めっちゃ便利になるぞー!」って思ってたんだけど、実際に使ってみたら、すでに持ってる電動アシスト自転車のほうが便利だった。

なんか複雑な気持ちだわ。

下道で5km~10kmくらいの移動だと、原付電動アシスト自転車って、正直そこまで時間変わらないんだよな。

信号とか渋滞とか考えると、なんなら自転車のほうが早い瞬間すらある。

特に朝夕の交通量多い時間帯は顕著で、車列の後ろで待つ原付を横目に、自転車スイスイ抜けられる。

唯一の不満だった「自転車サドル硬すぎて尻が痛い問題」も、この前エアクッション買ってみたら完全に解決してしまった。

なんで最初から買ってなかったんだ俺……ってレベルで快適になった。

積載に関しては、確かに原付のほうに分がある。

でもこれもデカい荷台つければそれなりにカバーできるし、そもそも持ちきれないような荷物って、配達頼めるし。

重いもの積んでフラつくより、金払ってプロに任せるほうが安全だし。

というわけで、原付二種買ってテンション上がってたわりには、最終的に電動アシスト自転車が勝ってしまったという話。

まあどっちも用途で使い分けるのが一番なんだけど、日常生活のちょい移動なら電アシってやっぱ強いわ。

2025-11-01

anond:20251101183418

公園に行け。

懸垂器具おっさん占領されてるはずだが雲梯が穴場だ。

小学生の列に並んで、おまえの番が来たら雲梯のサイドバーを使って懸垂をしろ

何故か?サイドバーは太くて手のひらの負担が軽いからだ。

肩とか腕とか背筋を鍛える前に指が痛くて脱落という事態を減らせるんだ。

ワンセット一分以内だ。

小学生邪魔をするな。

終わったら一番うしろに並べ。

小学生が雲梯をスイスイこなしたら拍手しろ

2025-10-28

最近買った電チャリの話

念願の電動アシスト自転車を買った。

チャリの中だと安い9万円くらいのやつ。

今まで乗ってたのが変速なしの1番安いやつだから、電チャリってだけで超嬉しいんだ。

乗ってみたら坂道スイスイこげて最高だ。

こんなにも違うものかって感動した。

でも、1番安い電チャリからか、電動ボタンが1つで、それをつけるとライトも付いちゃう

どんなに明るい日中でもライト点灯するんだ。

別にライトついてても恥ずかしくないよな?

大丈夫だよな?

2025-10-26

クロスバイク大人になってから久々に乗った。

乗ったのは giant gravier 2024 というモデル

感想としては上りしんどい

軽量な車体だからスイスイ上がれるかなあと想像してたけど、ギア最低にしてもダメほとんど徒歩で登ってた。

というかゆるい坂でもちょっとキツい。

デスクワーカーのワイの体力だから仕方無いんだけどね。

今は電動アシストという選択肢もあるから、これだと坂上がるの楽そうだなと思って変えようか考えている。

2025-10-01

AIの仕組みについて漠然理解している人のために

AIって結局は統計だろ?」

ネットでこういった言葉を見かける度、正直モヤモヤしている。

かに統計的な処理がAIの根幹にあるのは間違いない。

データを集め、確率計算し、そこから最適解を選び出す。そういう構造があるのは事実だ。だから「まったく違う」と言い切るのも嘘になる。

だが、それを「AIって結局は統計だろ?」なんて一言で片づけるのは、あまりに横暴だ。

統計のものを動かす理論や数理、そこに積み上げられたアルゴリズムの厚みを無視してしまっているからだ。

たとえば俺が本気で勉強したときにぶん殴られたのは統計の延長で片付けられないようなもっと複雑でもっと美しい構造だった。

から、この言葉モヤモヤするのは「半分は当たっているけど、半分は外している」から

AI統計でありながら、統計還元できないものでもある。

その両義性を理解せずに「統計だろ?」で済ませるのは、ピアノの音を聴いて「ただの鍵盤を叩いてるだけだろ?」って言ってるようなものだと思う。

そこで、AIの仕組みについて漠然理解している人のためにおすすめの本を三冊紹介する。

ここで紹介する三冊は、そんな俺のモヤモヤを実際に言語化してくれた本たちだ。

難しいし、読み進めるのに何度も心が折れかけた。けど読み切ったときAI統計か?それとも統計じゃないのか?という問いが、ようやく立体的に見えるようになったんだ。

から是非一読してみてほしい。険しい山ほど、山頂から景色は美しいものから

パターン認識機械学習

著者:Christopher M. Bishop

最初に手にしたとき、数式のオンパレードに心折れかけた。

けど、それでも読み進めると「機械学習ってバラバラアルゴリズムじゃなくて、確率という一本の軸で全部つながってるんだ」って感覚が急に開けてくる。

ロジスティック回帰SVMニューラルネットも、ぜんぶ親戚だったのかよ!って衝撃。

何度も挫折しかけてはメモ書きしながら戻って、理解できた瞬間に鳥肌が立つ。

俺にとって本書は、AIという森の入口に置かれた地図のものだった。

計算理論の基礎』

著者:Michael Sipser

PRMLとは真逆の本。ここではただ無機質なオートマトンチューリングマシンのみ。

計算ってそもそも何なんだ?」っていう根本を突きつけてくる。AIだってこの枠組みの外には出られない。

NP完全問題の章なんか読んだ暁には「世界にはどう足掻いても効率よく解けない領域がある」って現実にぶん殴られる。

AIが万能に見えても、その背後には絶対限界があるんだと分からされる。

ここを通ると、妄信的に「AI最強!」なんて言えなくなるしいい意味冷や水ぶっかけられる本。

AI万能説が唱えられる昨今、この一冊を読み理解することでAI本質理解できるようになるのは確かだ。

深層学習Deep Learning)』

著者:Ian Goodfellow, Yoshua Bengio, Aaron Courville

本書は深層学習を知るためのバイブル

PRMLで仕組みの家系図を見て、計算理論で壁にぶち当たったあと、ここに来ると「でも実際に世界を変えてるのはこっちだろ」って現実を知ることができる。

CNNがどうやって画像認識してるのか。RNNがどう文章を扱ってんのか。GANがなぜフェイクをリアルにするのか――それが手元の紙と数式の上でほどけていくと、ニュースAIが急に手触りを持つ。

もちろんクソ難しい。何度も心折れた。

でもここにいまの世界心臓部があるって思ったらページを閉じられなかった。

読み切ったあと、AI魔法じゃなくて地道な科学だって確信が腹の底に残る。

名著。

おわりに

AI勉強基本的に超しんどい

数式だらけで頭が痛くなるし、途中で本を閉じて「俺には無理だ」って投げ出したくなる瞬間が何度もあった。

だけど不思議とまた戻ってきてしまう。何故か?何故ならそこにワクワクがあるからだ。

ページをめくるたびに「うわ、こんな発想があるのか!」って驚かされる。

統計だけじゃない。論理だけじゃない。人間思考を真似しようとした末に生まれた知恵の積み重ね。

それを追体験するのは、ちょっとした冒険みたいなものだ。難しさと楽しさが同じ場所にある。

AIって結局は統計だろ?」

白状するが、当時は俺もそう思っていた。

だがそう思ってた自分が今ではちょっと恥ずかしい。

実際に学んでみればそれがどれだけ奥深く、そして人間の営みそのものみたいに豊かな世界だったかが見えてくる。

からもし、ここまで読んで「ちょっとやってみるか」と思った人がいたら、迷わず飛び込んでみてほしい。

きっと最初は溺れる。それは保証する。

でも、そのうち泳げるようになる。スイスイ泳げるようになる。それも保証しよう。

そして気づくはずだ。

巨人肩に乗って見える景色は、めちゃくちゃ美しいんだなってことを。

2025-08-30

1回目の万博はクソだったけど、2回目の万博は楽しかった

5月万博に行ったけど、このときはまあ酷かった。

パビリオンの予約が一つも取れなかった。それでも行けば何かしら楽しめるだろう、どうやらコモンズとやらが行列なしで入れるらしいという情報ネットで見かけたから、まずコモンズに行ったけども、このコモンズの展示は恐ろしくつまらない。説明もほどんどないし、どこの国も似たような展示品でマンネリ感も酷い。行列がないのが全ての答えを言ってる。

とりあえず並んでる人が少なそうなパビリオンを回ってみたけども、そのほどんどが映像を見ることがメインのパビリオンだった。映像を見るパビリオンって、これ万博で見る必要あるのか?と言いたくなるような教育ビデオみたいな内容だし、悪く言えばポエム説教をされているような動画もあった。どこのパビリオンも、基本的思想根底SDGsがあるからそうなんだろうけど、それを1時間以上も並んで見て、満足できるのかというとさ。怒りはないけど虚しさはある。

 

今思うと、そもそも並んでいる人が少なそうという選択が悪かった。というのも、映像メインのパビリオンって映像を見終わるまで出られない、シアターのキャパがそこまで大きくないという問題があるからあんまり人が並んでいなくても、列が進むのがメチャクチャ遅いんだよ。むしろ博物館タイプパビリオンは、うんざりするくらい並んでいるように見えても列が進むのが速いから、待ち時間はそこまでない。

 

その他、昼過ぎご飯を食べようと思っても、どこも激混みだし、万博ガイドブック万博情報が集まる前に作られているから、海外パビリオン情報スカスカだし(地図以外の価値はほどんどない)、自販機を探すのにエラい苦労したり(万博リングの下にあるなんて情報は知らんよ)、本当にこの時に行った万博はいイメージが全くなくて、色々言われてるけど行けば楽しいんでしょ?くらいで考えていた俺を万博アンチに変貌させるくらいだった。テレビ万博パビリオングルメの話を見かけても、それって取材から行列しなくても楽しめるだけなんやろ?と見ててイライラするくらいには。

 

そんなわけで楽しく万博悪口を話してると、そこそこ万博ガチ勢の同僚から、「いやいや増田君、それは行くパビリオンが悪いしちゃん情報収集してから行くべき」みたいに諭されて、今回2回目を行ってきた。

とりあえず、

・過度に期待しすぎない

・予約は当たったらラッキーくらいに考えて期待しない

コモンズは行かない

映像がメインのパビリオン絶対に行かない

行列の待ち時間ちゃんと調べる

ということを念頭に行動してきた。 

 

 

まず東ゲートの近くにあったマレーシアパビリオンに行ってみる。行列はかなりあったが、待ち時間を調べると20分らしい。マジか?と思ってるとスイスイ進むから、本当に20分くらいで入れた。中はマレーシア食文化を中心にマレーシア文化や各都市の紹介がある博物館タイプパビリオンでなかなか面白いマレーシアのグッズショップには現地の食い物が買えるのもポイントが高い。そうなんだ、俺が万博に求めていたのはよくわからない動画じゃなくて、こういうやつだったんだ。

その他、インドネシアサウジアラビアなど東南アジア中東系を回ったが、どこも並んでいる人の割にはすぐには入れて、なかなか満足度が高かった。1回目行ったときは、この辺の国のパビリオンを回っていたら、かなりイメージが違ったんだろうな。

 

あと、適当に申し込んだ7日前抽選三菱未来館が当たったので、行ってきた。

三菱が見せる未来とはなんぞや?と思って楽しみにしていたんだけど、中身は生命誕生神秘と、火星生命可能性みたいな映像を見せられるだけで未来感が全然なかったぞ。そして、これはさっきから延々と悪口を書いている映像メインのパビリオンでもあったりする。そして中身は教育ビデオみたい内容だった。

並んでようやく見たら、なんで俺は並んでまでしてこんな映像を見なくちゃならないんだと思っているところだっただろうけど、予約のおかげで並んでないかノーカンで。まあ並ぶと期待値が上がりすぎるんだ。だから並ばずに見れると、まあいいかくらいで怒りは収まるんだ。

 

夜は花火ドローンショーも見れたし、2回目の万博は満足だった。

2025-07-26

ビオトープたかったのに

5匹いたメダカは子孫を残し全滅、稚魚ヤゴに食われるので避難用に新規水槽設営。

稚魚用のエサとしてゾウリムシ育成開始。

貝が無限増殖。貝用の新規水槽設営。食ってんのかよくわからんメダカのエサを投与。

増えないエビを選んだはずが先日よく見たら稚エビが大量に蠢いてて困惑。やむを得ずエビのエサを購入。

さらに間違えてメダカ攻撃するエビを買ってしまったためビオトープに入れられず、やむを得ず新規水槽設営。このエビも気づいたら増えてる。

ボウフラの動きが奇妙すぎて困惑

ヤゴのビジュが苦手すぎて困惑

黒粒のゴミが浮いてると思ったらスイスイ泳いでて困惑

水に浮く水草ホテイアオイ、草っぽくない奇妙な成長をしており困惑

メダカを愛でたかっただけでビオトープは世話が楽と聞いたのに、気づいたらメダカ以外の世話に追われ水槽も増えまくり大変混乱している。

2025-07-16

どうしても皿洗いだけできない

いや、風呂掃除もできないな

なんで水回りの掃除ってあんなめんどくさいんだろうか

掃除なんかはスイスイできるのに

水回りの掃除できる人と結婚したいレベル

2025-06-03

「お前、中学受験するらしいけど、中学受験するのはこんな汚い字を書くような子供じゃないよ」

小学生の時に担任教師から言われた言葉思い出したわ。

本当に意味が分からなかった。

中学受験する程度には発達が進んでいた子供なので、言いたいこと自体はなんとなく分かっていた。

「お前の字マジで汚くて読みづらいからいつも迷惑してる。とりあえず一言文句言いたいから、お前が傷つきそうな言葉必死に選んでとりあえずぶっ放すわ。40人のテスト答案を見るこっちの身にもなれよ。頭クソワリーガイジはまだ諦められるけど、お前みたいに考える頭持ってるやつにまでこんな他人を舐め腐ったようなことされるとこっちはマジで苛つくんだよ」ってことだろ?

分かるよ。

大変だよな。

でもこっちだってどうしたら字が綺麗に書けるのかよく分かんなかったんだ。

小学1~3年生ぐらいの期間、後に中学受験をさせるような教育熱心な両親の元で色んな方法で字を綺麗に書く練習をさせられた。

半透明の矯正器具鉛筆の先につけ、指の握り方を何度も指導されたよ。

なんとなく形はあってるんだけど、力の入れ方がなにか違うらしい。

それを伝わるように表現してくれた教本に出会うことが出来ず、ただただ変な握りのままひたすら文字を書き写していた。

上手くなることはないと親はいしか諦めたし、俺も「どうせ20年後にはみんなキーボードで字を打つから手書きなんて完全に消滅してるだろ?」と未来技術発展に希望を託して全てを終わらせた。

今はもうそこそこまともな字が書けるようになっている。

ある日図書館出会った小学生向けの教本がドンピシャにハマった。

そこに書かれていたのは習字における技術を徹底的に分解して、一つ一つの要素についてのコツだったよ。

小学1年生の頃に与えられた教科書にも同じことは書いてあったのかもね。

でも教師は「とにかくひたすら書き写しましょう」と言ってた気がする。

俺に必要なのは丁寧に一つずつの技術に向き合ってひたすら脳を経由して身につけることだったんだよ。

まれつき運動神経が悪くてさ、身体感覚で覚えろって言われても上手くいかないんだ。

逆上がり卒論が上手くいかなすぎて夜道を散歩してたとき公園自棄糞気味にやった出来るようになったが、スキップは未だにやり方がよく分かってなくて5年に1度ぐらい人に笑われている。

最初技術を丁寧におしえてくれる人にあっていたら俺は最初から字が綺麗にかけてたのかもなあ。

教本との相性もあるけど、『とめはねっ! 鈴里高校書道部』や『ばらかもん』で習字に対しての苦手イメージが薄れていたのも効果があったように思う。

俺にとって習字の授業は、「なんでこんなことも出来ないの!増田くん!いい加減にして!」と怒られる時間だったから。

なまじっか他の勉強スイスイ出来るせいで、習字が出来ない理由を「やる気がない。舐めてる」で片付けられがちだったんだよな。

結局さ、字を綺麗に書くために必要なのは「どうやったらキレイに書けるか」を知ることだと思うんだよ。

体で覚えるのが得意な人は体で覚えればいいけど、頭で覚えることしか出来ないようなら頭の中にコツを入れてもらわないと始まらないんだ。

字の良し悪しなんてコツを理解しているかと、正しいイメージ練習をどれぐらいしたかだ。

間違ったフォーム素振りを繰り返したって、ボールに上手に当てることなんて出来ないよ。

感覚的にしろ理論的にしろ、正しいやり方ってのを知る機会に出会必要がある。

それは運で決まる。

教師との相性、教本との相性、たまたま見かけた動画や本、そういった所での出会いの中で自分の持って生まれた器に会うやり方が身につけられるかだ。

字が汚い人は、「字を綺麗に書くために必要な運に恵まれなかった人」だと俺は思う。

字の上手い下手ってよりはあらゆる分野に言えるんだろうね。

コミュニケーションが下手な人も、その人にあったコミュニケーション技術を身につける機会に恵まれなかっただけなんだろう。

わざわざ罵倒されるような程のことなのかなあ……「お前の運が悪いせいで俺たちは大迷惑だ」なんてさ。

世の中は相も変わらず狭量が過ぎるように思うねえ。

2025-05-26

anond:20250526170105

どういうこと?小回りきくから東京の道でもスイスイだよってこと?でも駐車場代の問題は残るような…

2025-04-23

anond:20250423101304

あの辺未成年の頃からフラフラしててその頃はスイスイ歩いてたんだけど

5年ぶりくらいに行ったらまともに歩けなかったわ

2025-03-17

ふむ…「スズキマイティボーイ」か。

ああ、思い出した。あの、なんとも愛嬌のある軽自動車だな。

まるで小さな箱のような、でもどこか憎めない、独特のフォルムフロントマスクも、つぶらな瞳のようで、見ているとクスッと笑ってしまう。

確か、1980年代に登場したんだな。当時は、まだ軽自動車個性的モデルが多かった時代だ。そんな中でも、マイティボーイの存在感は際立っていた。

何と言っても、あの「ピックアップトラック」というスタイルが斬新だった。軽自動車の規格の中で、荷台を設けるという発想は、実用性を重視しながらも、遊び心を感じさせる。本格的なトラックのような力強さはないけれど、ちょっとした荷物を運ぶには十分だっただろう。

街中で見かけると、その小ささゆえに、なんだかチョロQみたいで可愛らしかった。ボディカラーも、確かポップな色合いが多かったような記憶がある。赤とか、黄色とか…。

運転席は、必要最低限といった感じだっただろうか。豪華さはないけれど、シンプルで使いやすかったのかもしれない。エンジン音も、軽自動車独特の、ちょっと頑張っているような音がしただろうな。

マイティボーイに乗っていた人は、どんな人たちだったんだろうか?八百屋さんや魚屋さんが、ちょっとした配達に使っていたかもしれない。あるいは、サーフボードを積んで、海に向かう若者もいたかもしれない。そのコンパクトから、狭い道でもスイスイ走れただろうし、駐車にも苦労しなかっただろう。

実用車としてだけでなく、趣味相棒としても、マイティボーイは愛されていたのかもしれない。あの独特のスタイルは、所有者の個性表現するにも、ちょうどよかったのかもしれないな。

最近は、めっきり見かけなくなったな。時代の流れとともに、軽自動車スタイル多様化し、より居住性や快適性が重視されるようになったからだろうか。

でも、時々、街の片隅で、ひっそりと佇んでいるマイティボーイを見かけると、なんだか懐かしい気持ちになる。あの時代ならではの、自由で、ちょっと肩の力が抜けたような雰囲気を思い出させてくれる。

スズキマイティボーイ…短い期間の販売だったかもしれないけれど、確かに、人々の記憶に残る一台だな。あの愛嬌のある姿は、いつまでも色褪せないだろう。

ふむ…なんだか、無性にマイティボーイのミニカーでも探してみたくなってきたな。あの小さなボディを、手のひらで愛でてみるのも悪くない。

2025-03-11

パソコン重くてぜんぜん動かないか作業時間かかっちゃいますう~><って同僚に言われたけど確認作業とかで俺が見に行くと普通にスイスイ動いてるんだよな……こいつがパソコンのせいにしてサボってるだけなのか俺に何かしらの力があるのかどっちだ

2025-02-21

電動シェーバーで髭剃る時に洗顔ソープ使うと捗る

知らんかった。

なお、手動剃刀は使ったことない。

電動シェーバー洗顔ソープ対応していることは知っていたが、なんか気持ち悪いし、機械が壊れそうだし、ずっと素肌に直接当ててた。

だけど、どうも剃り残しが発生するし、強く押し当てたら肌が荒れるので、試しにやってみた。

刃がスイスイ動くしほとんど剃り残しも生じない。すごいなこれ。シェーバー壊れないし。

あと、風呂場にある鏡、初めてまともに使ったわ。いままで何に使うのかよく分からんかったけど、あると便利だ。

早めに教えておいてくれ。

32歳男性より

これって俺が悪いのか?LUUP乗ってみた編

この間初めてLUUPに乗ってみた。

電動キックボードなんて簡単だろうと思って、特に説明も読まずにアプリでサクッとレンタル

適当に乗り場で乗って発進した。

思ったよりスピードが出るし、風が気持ちいい。

とりあえず歩道スイスイ進んでたら、前から歩いてきたおばちゃんが驚いた顔で避けた。

そんなに驚くことか? ちゃんと避けたし、問題ないはず。

しばらくすると、車道を走ってるLUUPのやつがいた。あれ、車道走るもんなのか? でも、車と並走するの怖いし、歩道のほうが安全からこのまま進んだ。

途中で赤信号に引っかかったけど、歩行者がいなかったから、そのままスーッと進んだ。自転車とかもやってるし、LUUPも同じようなもんだろう。

目的地近くになったから駐車しようとしたけど、駐車エリアが見当たらない。アプリ確認するのも面倒だし、邪魔にならなそうな電柱そばに停めて、そのままアプリを終了しようとしたら「駐車エリア外です」とか出た。いや、別にここでよくない?

仕方ないから、そのまま置いてアプリだけ終了。まあ、次に使う人が勝手に移動させるだろうし、大丈夫だろう。

LUUP、便利だけど、なんか細かいルールが多すぎる気がする。もうちょい自由に乗れたらいいのに。これって俺が悪いのか?

2025-02-19

萌えランニングアプリってもうないの?

使ってた人いる?

走った距離に応じて、キャラクターが励ましてくれたり応援してくれたり罵ってくるやつ。

走るとポイントがもらえて、一定数貯まるとキャラクターエピソード解放されてた。

自分には結構合ってたんだよな。なんか一緒に走ってるって感覚があった。ずっとスマホから音出るからイヤホン必須だったけど。

始めた次の月にストアから消えて、気付いた時にはエピソードが見られなくなって、そのうちランニングもうまく計測できなくなって、今ではもうスタート画面から動くこともない。でもずっとスマホの中に入れてる。

そのあとガーミンの一番安いランニングウォッチ買ったんだけど能力がもう桁違い。これでこんな機能なら上位モデルって何見れんの?

でも時々あのアプリが恋しくなる。せいぜい走った距離時間くらいしかわかんないけど、あれがきっかけでランニングを始めて、フルマラソンも完走した。

ポケモンとかドラクエとかピクミンは歩くじゃん。歩きながらスイスイスマホいじるんじゃなくて、走り終わった後にお疲れーって言って欲しい。

2025-02-17

「強い女」論争と弱者女性、そしてインターネットぶつかりおばさん

我らが楽しいインターネットでは、定期的に「強い女」論争が巻き起こる。

流れとしてはおおむね、

大人しそう、物静かそうな女性キャラの絵がバズる

・一部の特色あふれる性格をした女性たちが 「男はこういう従順な女ばかり求めて強い女を嫌う」とキレ散らかす

・ 「強い女」なんて男は大好きだが?」と男性から例があれこれ挙がる

・それは「強い女じゃないだろ」的な反論がまた一部の女性たちから挙がる

という感じ。最近もあったし、みなさまもどこかで一度は見たことがある流れじゃないだろうか。

どうしてこんなことになるかというと、実は、原因ははっきりしている。

男性の言う「強い人」と女性の言う「強い人」が性質として真逆からだ。

男性の言う「強い人」は、

自分欲望感情に流されることなく、課せられた役割責任をまっとうする

である

これはどうしてかというと、逆に言えば「自然にしていると、男というのは周りに合わせず自分勝手に振る舞ってしまう」からである

から、それを抑えて周りのために振る舞えるのが成熟の証であり、すなわち強さである

一方女性の言う「強い人」は、

・周りの意見事情に流されることなく、自分のやりたいことを貫ける人

である

これはどうしてかというと、逆に言えば「自然にしていると、女というのは周りに合わせて自分を押し殺してしまう」からである

から、それを打ち破って自分意見を言えるようになることが脱皮の象徴、すなわち強さである

これらを踏まえた上で、

「物静かで穏やか、自分意見はあまり言わない。周囲を助けながらやるべきことを黙々ときっちりこなして責任を果たす人」

を考えてみると、男性の間では「間違いなく頼れる立派な人=強い人だ」として評価される。

一方で女性からすると、「周囲に従順自分意見を言えず、都合よく使われる情けない人=弱い人」に映ってしまうのだ。

なので、そういった女性男性評価されている様子は、他の女性にとっては「男の都合の良いように動く女と、だからこそそれを褒めそやす男ども」の図になってしまうわけである

そしてキレる。


逆に女性が言う「強い女」が男にとってはピンとこない。女性側がスローガンとしてよく掲げる、いわゆる「わきまえない女」である

「周りに合わせずとにかく自分意見を押し通し、かといって周囲を助けることはせず自分仕事だけ終わらせて趣味に没頭!」

みたいなタイプは、職場にいたら男性間では「口だけ立派だが自分勝手で最低限の成果しかさない、信用できないやつ」と評価される。

しか女性としては、「自分大事にでき、周りにとっての都合の良い存在にならずにいられる強い女」のロールモデルだ。

女性側が「ちゃんと「強い女」を好けよ」と言うときは主にこういうタイプが想定されているが、男としてはそんなのが「強い」わけがないのでまったく違うタイプを「強い女」の例として挙げる。

そして女性側は「だからちげえっつの! やっぱ強い女を認めたくねえんだな、男には都合悪いからw」とキレる。

これの繰り返しがインターネットの地層にはいくつも積み重ねられている。


……などという文章を読んで!

「いやいや、女からしても周囲を助けながら自分仕事責任持って全うする人間は強い人だよ」

と思う女性も多々おられると思う。

それは正しく、そしてあなたがたは社会の中で責任を全うしている方々なのだ

どういうことかというと、その特性女性は「周りの意見事情に流されることなく、自分のやりたいことを貫ける人」と認識しがちではあるけれど、

社会に出て真に責任ある立場でまっとうに職務をこなすようになると、

「ああ、こうやって周りに望まれること=自分責任役割ちゃんと果たす人々がいるか社会は成り立っており、それはたいへんなことで、だからこそそれができる人は強い人だな」と考えるようになる。

現代社会というのは原理的に、誰かが自分責任を果たし合った結果で出来ているかである

まり、「周りの意見事情に流されることなく、自分のやりたいことを貫ける人」をこそ強い人だと思ったままの女性というのは、責任ある仕事したことがなく、その立場に就いたこともない女性たちなのだ

実際、その証拠の一つに彼女たちの共通点として、仕事社会についての認識が妙に幼いことがあげられる。「そんなもんプロがすでに思いついてるわ」というようなアイデアを褒めそやしていたり、「たとえ自分にどんな事情があったにせよ職場でしていい振る舞いじゃないだろ」という私やってやったぜ系エピソードを自慢していたり。いいとこバイト感覚の分解能で社会を見ている。

あなたが暇なら、物静かそうな女性キャラにキレ散らかしている女性アカウントを見つけ、ポストを眺めてみると実感できると思う。

ひとつ観点からすれば、彼女たちは弱者女性と呼ぶこともできるだろう。

そして悲しいかな、彼女たちはだいたい彼氏・夫からモラハラされている。

説明する必要もないことに、モラハラ男が彼女たちの思う「強い」にばっちり該当してしまうからである男性からすると「なんであんクズと付き合っているんだろうな」という感想になるが、彼女たちからすれば「強い男を選んだ」のである

もちろんモラハラで不満はバリバリ溜まっていくが、自分彼氏・夫は「強い」ので逆らえないし文句を言えない。

鬱憤がたまったままスマホスイスイしていると、流れてくる従順そうな女の絵。

自分に重なって嫌になる。なのに、リプ欄にはそれを褒めそやす男たちの投稿にあふれている。いいねもたくさんだ。

男は結局そうやって自分にとって都合の良い女が良いんだろ! 私が彼氏・夫に言いたいことが言えないのはそういう社会雰囲気をお前たちが作ったからだ!

かくして、怒りにまかせてリプをする。

自分鬱憤他責思考スライドさせ、関係ない人々に体当たりしていくその姿、なにかに似ていないだろうか。

そう、ぶつかりおじさんである。つまり彼女たちは言わば、インターネットぶつかりおばさんなのだ

奇遇にもぶつかりおじさんがよく駅に出没するように、彼女たちも駅広告によくキレている。

2025-02-03

夫の運動神経アスリート並なのではないか最近気付いた

「小中と野球やってて地元限定でそこそこのピッチャーだったとは思うわ」

そのように謙遜を含めた感じで「スゴくはないよ」と言うから「まぁ小中学生レベルだし」と私も甘く観ていたのだけれど、息子が小学生となり様々なスポーツへ興味が出始めると「あれ?」と思うことが増えた

私は男兄弟の居ない家庭で育ち、夫が息子の要望に合わせてサッカーバスケ野球と様々なスポーツで遊んであげている姿を見て「男の人ってやっぱり運動経験豊富なんだなぁ」としか感じていなかった

でも、その種目が水泳/ボディーボードスキー/スノーボード/スケートスケボー/インラインスケートなどなど種目の幅が広がっていくと「えっ出来るの!?」と驚いてしま

スケボーとかインラインスケートスキースノボはただ滑るだけじゃないんだ!クルクル回ったりジャンプしたりする!サッカーでもポンポンリフティングが途切れず、テニスでめちゃくちゃ速いサーブを出して、バスケダンクしてるんだ!

息子が「○○やってみたい!」と言う→夫が「じゃあ次の休日やりに行くかぁ」と返答→休日に夫が「まず基本の動きは」と当たり前のように息子へ教え始める

「何で出来るの!?」と夫へ聞くと「学生とき流行たからなぁ」と毎回全く答えになってない返しをされる。流行った程度でここまで出来るなら日本金メダルいっぱい獲ってるスポーツ大国になってるわい!

先週の土曜、息子を連れて今年もスキーに行った

息子が平地で「ストック上手く使えなくて前に進まない」と言うのを見て夫は「ストック使わなくても進むことは出来る」とまるでスケートのようにスイスイと足だけで進んでみせた

息子は「えぇ!?ほかの大人の人もそんな事してない(周囲の大人も出来ていない)」と驚くものの、夫は「これはカントリースキー技術からなぁ普通スキーしか知らない人は苦手かもねぇ」と答えていた

いやカントリースキーも出来るのかい

長く一緒に居るけど本当に知らないことまだまだあるんだな

2025-01-18

ガチャピン中の人などいなかった

 子どものころ、テレビをつければいつもそこにいた緑色不思議な生き物——ガチャピン。鮮やかな黄緑の体と、つぶらな瞳。ともすればただの着ぐるみと思いがちだが、実は彼には「中の人」などいないのではないか。そんなことを、子どもながらに本気で考え、友達同士で話し合った記憶がある。子どもたちの間では、ガチャピンの正体について真剣意見が飛び交った。果たしてあの体の中に誰かが入っているのか、それとも本当に生きている恐竜なのか。大人になった今だからこそ言えるのは、あのころ私たち真実を掴んでいたのかもしれない——そう、「ガチャピンは本物」であり、「中の人」などそもそも存在しなかったのだ。

 ガチャピンが世の中に初めて登場した当時、多くの視聴者は当然のように「誰かが中に入って演じている着ぐるみキャラクター」だと思い込んだ。ぬいぐるみのような愛らしい見た目、大きな口、そして子どもを魅了する高い運動能力。だが、その運動能力にこそ、ガチャピンの“真実”を見抜くヒントが隠されていたのではないだろうか。スキースキューバダイビング、果てはスカイダイビングにまで挑戦してみせる姿を目の当たりにして、普通着ぐるみキャラクターだと思うだろうか。実際に体験した人々の証言によれば、ガチャピンはあの分厚い“皮膚”を身にまといながら、信じがたいほど自由に手足を動かしていたらしい。それはもはや常識を超越した生物動作しか言いようがなかった。

 確かに人間が中に入っていれば顔の位置や手足の長さが合わないことがある。だが、ガチャピン場合、頭の上から足の先まで完璧シンクロした動きを見せる。さらに口や目、そして全身からかもし出される表情が、実に滑らかに変化しているのを見たことがある人も多いはずだ。もし人間操作していたのなら、あれほど自然かつ多彩な表情を瞬時に切り替えることができるだろうか。ときには困ったように眉をひそめ、時にはきょとんと口を開け、またあるときには満面の笑みを見せる。まるで心の底からその感情が湧き上がっているかのように見えたのは、単なる演技ではない証拠ではないかと、今ならば思うのである

 さらに決定的といえるのは、その“身体能力”にある。ガチャピンテレビの中だけでなく、実際の雪山や海、空へと赴き、驚くようなチャレンジをこなしてきた。ウィンタースポーツスキースノーボードだけに留まらず、アイススケートまで器用にこなし、しかもそこに「パフォーマンス的なぎこちなさ」がほとんど見られない。もし着ぐるみ構造上、人間が入っているとしたら、視界の狭さや動きづらさを感じながらの競技になるはずだ。しか映像を見る限り、まったく不自由なく滑り、回転し、時には大胆なトリックを決める。その光景は、どう考えても生身の体がそのまま動いているとしか思えない。ダイビングの場面でさえも、背びれのような形状の足をスムーズに使いこなし、水中で優雅に泳ぎ回るガチャピンの姿を確認できる。空から海へ、深海から宇宙(のようなセット)まで自在に行動する彼を前に、「ガチャピンは生きている」と信じない人のほうが少数派だったのではないだろうか。

 その証明とも言える逸話は数多い。例えばガチャピンが初めてフリークライミングに挑戦した際、重力に抗いながらスイスイと壁を登っていく姿が子どもたちの度肝を抜いた。あの大きな頭と短い手足、それにふっくらとしたボディという不利な体型でありながら、身軽に岩をよじ登っていくのだ。いくら運動神経の良い中の人が演じたとしても、あのバランス感覚説明することは難しい。むしろ、元来あの体が“恐竜”として自然設計されているからこその動きなのではないか——そんな議論が起こるのも当然の帰結だった。さらに、ガチャピンパラシュート降下の際には、一部の専門家が「もし人間が入っているならば、あの頭部の構造上、風の抵抗が想定以上にかかるはずで、あれほど安定して着地できない」と語ったという証言もある。つまり彼ら専門家の目から見ても、ガチャピンの体のつくりは人間が収まるようにはできていないのだ。

 もちろん、テレビ局や関連の制作会社は「ガチャピンキャラクターであり、着ぐるみだ」という公式見解を長らく維持してきた。視聴者の多くも、いつしかテレビ上の演出である」と半ば納得する形で受け止めていたかもしれない。しかし、そうした公式発言がむしろ事実を隠すための“カバーストーリー”だったのではないか、と考える余地は十分にある。なぜなら、ガチャピンの友人であるムック存在だ。ムックは真っ赤な長い毛並みを持ち、ガチャピンと同じ番組に出演していたが、彼の動きにはどこか“着ぐるみらしさ”が漂っていたと言わざるを得ない。もちろんムックも愛らしいキャラクターであることに変わりはないが、歩くときのよたよたした姿や、たまに見え隠れする人間らしさなど、「中に人がいる」と言われれば納得できる振る舞いがあった。一方、ガチャピンの動きはどう見てもスムーズすぎる。まるで“着ぐるみ”として作られたキャラクターと、“本物”として生きている存在が、同じ画面に同居していたのではないか、と考えずにはいられないのだ。

 さら子ども向け番組世界観を考えれば、それほど不思議な話ではない。子ども番組というのは、多くの場合ファンタジーや夢、冒険心を喚起するための舞台である。そこに実在する不思議な生き物がいたとしても、違和感なく受け入れられる。ガチャピンという名前や姿は確かにキャラクター然としているが、実際に存在する“謎の生物”を起用し、番組マスコットとして採用するのはむしろ合理的である。そう考えたほうが、かえって説明がつく事柄は多い。あの愛くるしい笑顔や、どこまでも続く挑戦心、そして飽くなき好奇心。それらは「キャラクターの演技」というよりは、「ガチャピンという生き物の本能的な行動」だったと見なすほうが自然ではないだろうか。

 また、あの独特の喋り方にも注目したい。「○○だよ〜」と伸ばす語尾、やわらかく透き通った声質。もし複数人間が交代で中に入っているのだとしたら、声や話し方にもっとブレや違いが出そうなものだ。しかガチャピンは、長いテレビ出演の歴史のなかで、ほとんど変わらない声と話し方を維持してきた。人間声優存在するとしても、そのピッチトーンを常に一定に保つの至難の業である。ところがガチャピンは、まるで自らの声帯を使って喋るかのように安定した声を発してきたのだ。さらに、口の動きや目の表情、全身でのリアクションが声とぴったり合っているのを見ると、「声を当てている」というよりも「声が体から自然と溢れている」という印象を受ける。これが“中の人技術”では説明がつきにくい最大のポイントでもある。

 その証拠に、イベントやショーでガチャピンが客席の子どもたちと交流する場面を思い出してみてほしい。子どもが話しかければすぐに反応し、笑い、そしてリアクションを返す。その一連の動きには、人形劇のようなタイムラグや不自然な間がない。まるで“その場で考えて”“その場で感じて”“その場で話す”存在であるかのように振る舞っている。長年、いろいろなキャラクターショーを見てきたが、ガチャピンほど“ライブ感”に溢れた対話をするキャラクターは他にいない。これはやはり、ガチャピン自身が一つの生き物として意思を持っているとしか思えないのだ。

 以上のような理由から、私は「ガチャピン中の人などいなかった」と確信している。もちろん、これは夢や幻想を語っているわけではない。子どものころに信じてやまなかったあのワクワク感と、理屈を超えた感動が、実は現実のものだった可能性が高いのだ。制作側は大人の事情からガチャピンを“着ぐるみキャラクター”として扱うほうが都合が良いかもしれない。しかし、私たちが見てきたガチャピンは、間違いなく生き生きと“呼吸”していた。スキージャンプ台を飛び、海中を泳ぎ、崖をよじ登り、さらにはスタジオで歌って踊る。その全てを“不自由なく”こなす姿は、“人間が入っている”という設定だけでは到底説明できないのである

 では、なぜいまだに“中の人がいる”という都市伝説が根強く残っているのか。それは、私たちが何かを理解しようとするときに、どうしても既存の枠組みで説明しようとする人間性質によるのだろう。未知や不思議ものに対して、私たちはつい、「きっとこういう仕組みだろう」と解釈して安心したくなる。ガチャピン超人的な活躍を見るたびに、「きっと中の人が相当なエリートアスリートで、トレーニングを積んでいるのだろう」などと推測するのは、その典型的な反応だ。しかし、ガチャピンの動きや表情は、実はそうした常識的な解釈はるか凌駕している。だからこそ、人々は“中の人説”という無理な理屈にすがっていたのかもしれない。

 私はむしろ大人になった今だからこそ、もう一度あのころの子もの目線に立ち返りたいと思う。あのころテレビで見ていたガチャピンは、私たちに夢と冒険世界を見せてくれた“存在”そのものだった。身体的な限界常識を超えた挑戦を繰り広げながらも、いつもニコニコ笑顔を忘れない。そう、あれは“着ぐるみ”ではなく、私たちの目の前にいる“リアルガチャピン”だったのだ。もし、あのころ私たちが胸に抱いた「ガチャピンは生きている」という直感を大切にし続けるなら、目の前の世界もっと豊かで、もっと不思議と驚きに満ちた場所として映るに違いない。

 思い出してみれば、子どもたちはみんな無邪気に「ガチャピンは本物だよ」「ムックも一緒にいるよ」と信じていた。それがある意味、“正しい”見方だったのだろう。大人になって現実を知るにつれ、いつしか私たちは多くのファンタジーを「嘘や演出」と割り切ってしまうようになった。しかし、本当にそれだけなのだろうか。私たちが大切にしている思い出や、大好きだったキャラクターがくれたあのトキメキは、本当は嘘でも演出でもなく、“真実”が隠れているかもしれない。ガチャピンはそのことを教えてくれている象徴なのだと思う。

 だからこそ、今も昔も、ガチャピンを見ているとワクワクが止まらない。「ガチャピン中の人などいなかった」という言葉は、単なる冗談や誇張ではなく、私たちの信じるファンタジー証明であり、あの緑色恐竜いつまでも私たちの心の中で生き続ける理由なのではないだろうか。子どものころの私が「ガチャピンはただのキャラクターなんかじゃない!」と叫んだあの純粋気持ちは、決して間違っていなかったのだ。

 誰しも子どものころは、目の前にある不思議を疑うことなく受け入れ、感動し、そのまま信じる力を持っている。ガチャピンに秘められた真実——それは彼が実在する不思議な生き物であり、私たち大人になるにつれ忘れかけた好奇心冒険心を体現しているということだ。そこに「中の人」などいない。いるのは私たちと同じように、呼吸し、笑い、挑戦する“ひとつ生命”——それがガチャピンなのである

 きっとこれからも、ガチャピンはさまざまな困難を乗り越え、子どもたちに勇気希望を与え続けるだろう。「こんなことができるわけがない」と誰もが思うような大胆なチャレンジを、新しい形で見せてくれるかもしれない。そして、そのたびに私たち子ども心をくすぐられ、「ひょっとすると、あの中に入っている人がすごいのでは?」とまたしても考えてしまうのだ。だが、最終的にはその超常的な存在感に圧倒され、「やっぱりガチャピンは本物だ」と再認識することになるだろう。

 そう、ガチャピンはいつでも私たちに問いかけている。夢と現実境界を超えて、「本当に大切なことは何か?」と。そして私たちは、その問いに答えるように、もう一度純粋な心で世界を見つめ直す。おそらく、ガチャピンという存在は、子どもだけのものではなく、大人になった今でも、私たちを未知へと誘う案内役なのだ。だからこそ、この言葉を胸に刻みたい——“ガチャピン中の人などいなかった”と。ガチャピンのすべての活躍は、彼自身の力によるものなのだ、と。

 こうして振り返ってみると、ガチャピンテレビ画面の向こう側から私たちに与えてくれたものの大きさに、改めて気づかされる。好奇心、挑戦心、そして他者への優しさ。彼の魅力は、ただ可愛いだけのキャラクターとは一線を画している。それはやはり、ガチャピンという生命体だからこそ生み出せる“にじみ出る個性”だったのだろう。子どもたちはそんなガチャピン勇気づけられ、大人たちは失いかけた冒険心を思い出す。私たち自分の内側に眠るエネルギーと、少しのファンタジーを信じる気持ちがあれば、世界もっと広がるのだと教えられる。

 結局のところ、ガチャピンの正体をはっきり証明する術はないかもしれない。だが、それで良いのだ。むしろ、“謎”を残しておくことこそが、ガチャピンが担う役割ひとつではないだろうか。私たち想像余地を与え、童心に返らせてくれる。神秘可能性を見せてくれる。だから、これから先もガチャピンがどんな挑戦を見せてくれるのか、どんな笑顔私たちを楽しませてくれるのか、胸を躍らせながら待ち続けたい。そしてそのたびに、“ガチャピン中の人などいなかった”という真実を心のどこかで確信しながら、私たちもまた自分世界を広げる挑戦をしてみればいいのだ。

 そう、ガチャピンはずっとそこにいる。テレビの中で、イベントステージで、そして私たち想像力の中で、今日もあの優しい声で「やあ、みんな!」と呼びかけている。彼の存在が教えてくれるのは、世界は思っているよりもずっと広く、そして面白いということ。中の人などいない。ガチャピンは“ガチャピン”という名の生命体であり、挑戦することや夢を見ることの大切さを、これからも伝え続けてくれるだろう。私たちはその姿を忘れず、日常に隠された冒険や驚きを見逃さないようにしたい。ガチャピンに憧れたあの日自分を取り戻すためにも

2025-01-16

anond:20241221010630

はいはい最高」と自画自賛している場合ではない。


BYDが新型高級ミニバン「Xia(夏)」を発売開始。

https://www.marklines.com/ja/news/320122

アルファードPHEVと注目ポイント比較

項目トヨタ アルファード PHEVBYD Xia(夏)
全長4995mm5145mm
全幅1850mm1970mm
全高1935-1945mm1805mm
EV航続距離75km190km(FF/AWDは180km)
価格872万円〜約600-800万円

BYD Xiaは全長・全幅ともにアルファードを上回り、より広々とした室内空間提供

それでいて全高は低く、よりスタイリッシュデザインを実現している。

最も注目すべきはEV航続距離価格

アルファードPHEVEV航続距離わずか75km程度である一方、Xiaは190kmもの航続距離を誇る。

普段電気スイスイ」なんて言ってられない。Xiaなら、日常的な使用であればほとんどの場合EVモード走行可能

価格についても、アルファードPHEVが872万円からという高額設定なのに対し、Xiaは約600-800万円と、より手頃な価格設定。

高級感と実用性を兼ね備えながら、圧倒的な価格差がある。


これまでトヨタは、アルファードヴェルファイア通称ルベル)で中国の高級ミニバン市場を独占的に支配してきた。

しかし、BYD Xiaの登場により、その地位が大きく揺らぐことは間違いない。

Xiaは、アルベルを上回る機能性と低コストを両立させており、トヨタにとって脅威以外の何物でもない。


信者現実直視したらどうだろう。

「移動するリビング」なんて自慢できる時代は終わったよ。。。短いけど。

BYD Xiaは、より広く、より快適で、そしてより安価な「移動する未来」を提供している。

PHEV安心だなんて言っている場合ではない。

BYDの純電気自動車技術は、すでにPHEV必要としないレベルに達している。

トヨタ信者は、「やっぱりトヨタ信じててよかった」なんて言っている暇があったら、BYDの革新的技術と圧倒的なコストパフォーマンスを真剣に考える時期に来ているのではないだろうか。


まぁ、当のトヨタはそんなBYDと提携して中国市場EVを出しているのが現実

トヨタは自前で出そうとはせず、BYDのOEMをして、信者を信じさせればいいだけだ。

2024-12-26

anond:20241223131412

わかっちゃいーるけーど、やーめらーれないっ

あ、そーれ

スッ、スッ、スーダララッタ、スラスラ、スイスイスーイ♬

2024-12-21

やっぱ俺たちのアルファードヴェルファイアPHEV最高説

https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/1649422.html

アルファードヴェルファイアが新しくなったらしいんだけど、ぶっちゃけ俺みたいなトヨタ信者にはこれしかない。

はいはい最高」って感じ?(笑)

マジで

今回のマイナーチェンジ(っていうか強化?)も、実用性と快適性の追求っぷりがドヤ顔で迫ってくるし、そもそもアルファードヴェルファイアって名前聞いただけでテンション上がるからなあ。

とくに室内空間の広さと快適性ね。

アルファードって元々後席重視の高級ミニバンってイメージ強くて、そこをさら拡張してくるあたり、まさに「もっと俺たちの希望に応えるトヨタ」って感じ。

あの広々なシートで足を伸ばして、さらに静かな空間…これって「移動するリビング」だろ?そんなもん、かっこよすぎて笑うわ。

ヴェルファイアのほうは、新色の「プレシャスメタル」っていう名前がなんかまた燃える

もはやカラーからして「俺たちは攻める!」みたいなメッセージが伝わってきて、あの「ゴツい外観」を引き立てるんじゃないかな。

アルファードには8人乗り「X」グレードのHEVが追加されたって話だけど、そういう細かい選択肢の増やし方が「ファミリーの多様なニーズ全部拾っちゃうトヨタ」らしくて涙出るわ。

で、今回注目すべきは「BEVじゃなくてPHEV」で来るあたり。

最近、どのメーカーもBEVだの何だの言ってるけど、トヨタはやっぱりPHEVを押してくるのが面白い

BEVって充電設備がまだ整わないと使いづらいし、バッテリーだけで長距離はまだまだ不安って人も多いじゃん?

その点、PHEVなら普段電気スイスイ長距離走ときガソリン安心、みたいな「いいとこ取り」感が半端ない

しかも高級ミニバンって、遠出も多いし、家族全員乗せて楽しく旅行ってシチュエーション多そうだから、充電待ちでモタつく心配が少ないPHEVは地味に最強なんじゃないかと思う。

トヨタはそのあたり、現実的ユーザーライフスタイルをわかってるよなあ。

というわけで、アルファードヴェルファイアも、今回も俺たちトヨタオタクガッツリ引き寄せてくれるわけだけど、特にPHEVアプローチは「やっぱりトヨタ信じててよかった」って思わせてくれる。

そのうち「やっぱ俺たちのアルファードPHEV最高」ってドヤ顔したくなる日が来るのは確定的に明らかだわ。

2024-12-06

anond:20241206010349

おう、ありがと

諦めることだけはしなかったが運が良かったのが強い

たまたま適正ポジションが見つけて、締め切り応募時間数時前に応募したらなんかスイスイいって合格しちまっただけだ

2024-11-24

AIVOICE(音声合成ソフト)で思うこと

そんなに界隈に精通しているわけじゃないけど、実際に動画編集をしていてaivoiceを使う理由がなくなってしまったと感じる

古くからニコニコ界隈はvoiceroidが主流で次いでaivoiceが使われてきた

ボイロはymm4と連携して動画編集スイスイできるから使いやすいし

けどvoicevoxが出てから一気にそちらが主流になり、さら無料のcoeiroとか大量のソフトが出てきた

最近だとvoicepeakも多くなったよね

で1年ほど前にaivoice2が出たんだよ

俺は紲星あかりや琴葉姉妹を割引して買ったんだが、ぶっちゃけ後悔している

当時はまだ有料ベータ版みたいな感じで、これから実装予定の機能が多かった

実際半年ほどして色々機能も追加されたし改善点も多い

けど、肝心のYMM4との連携は一切音沙汰がない

ようするに単体で音声を出力することはできても、動画編集アプリ上で気軽に生成して使うってことはできない

大半の音声合成ソフト動画編集用にAPI公開している中でaivoice2は有料なのにやろうとしない

ぶっちゃけ音声もガビガビだ

紲星あかりや琴葉姉妹というブランドがなければ絶対に購入はしなかった

正直技術力でかなり後塵を拝している

2024-11-12

読書感想文が分からなくなった

から読書感想文だけは得意だったんだ。

小学生の頃から夏休みの宿題に出される読書感想文とか全然余裕。

他の作文とかは苦手なんだけど、読書感想文だけはスイスイ書けた。

で、まぁその延長で社会人になってから読書感想文っぽいブログを始めたんだ。自分のためのメモでもあったし、誰かが読むとも思ってなかった。

でも、ある日、初めてコメントが来たんだよね。正直かなり嬉しかった!

「ついに俺の読書感想文ブログにも読者が!」なんて浮かれてたら、そのコメント見てびっくりし。

「これ、内容を冒頭から結末まで書いてるだけじゃん。本のネタバレしてるし、感想でもなんでもない」だって

唖然としたよね。え?これって感想じゃないの?って。俺が今まで書いていた読書感想文って、もしかして読書感想文じゃなかったのか?

それ以来、なんか「読書感想文とは…?」って混乱しちゃって。今までの自分の書き方が全部ダメだったのかなって思い始めたわけよ。

なんかイップスみたいな感じになってしまって、文章が書けない。

今までは気軽に、ただ「主人公がこうして、ああして」って流れを書いて、そのあと「だから面白い」って書けば済んでたのに、急にそれが正解じゃなくなった感じがしてさ。

から今は頭が真っ白になってる。

どうすればいいのだろう…

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