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はてなキーワード: コーヒーとは

2025-11-16

アマゾンサッカリンを購入した

糖分が欲しい時以外は甘味料は全部これにした

3~4粒でコーヒー一杯に最適の甘さ

サッカリンだけ舐めてみると確かに苦いけど、適量を溶かして飲む分にはサッカリン特有の苦みというのはわからない

よしんば苦味があったとしても、上等なコーヒーを飲んでいるわけでもないので問題なし

食後のコーヒーってさ、

本でも読みながらまったりだらだら飲みたいけど、

あんまりだらだらしすぎると歯みがきまでの時間が長くなってその間に口内の細菌が増殖しないかなって不安になる

だったら先に歯みがきしろって話だけど歯みがきしてから飲むとコーヒーの色が歯に染み付いて茶色くなるからそれはそれで嫌だ

コーヒー紅茶

なんだかコーヒーは体に悪いことしてる気がして、紅茶は体にいいことしている気がする

どちらもカフェインたっぷりで同じなのに

2025-11-14

カフェイン取るとうんこが出やすくなる

grokに聞いた

かにカフェインを摂るとお通じが良くなる人は多いですね!

これは主に以下の理由です:

1. **腸の蠕動運動を刺激**

カフェインは中枢神経を刺激するだけでなく、腸の平滑筋にも直接作用して蠕動運動(腸が動く動き)を活発にします。

2. **胃酸・消化液の分泌促進**

コーヒーなどに含まれカフェインやクロロゲン酸が胃酸や胆汁の分泌を増やし、消化管全体の動きを早めます

3. **「胃結腸反射」の引き金**

胃にものが入ると大腸が反応して動き出す反射(胃結腸反射)が、カフェインで強まることがあります特に朝のコーヒーが効くのはこのため。

からコーヒー飲んだらすぐトイレ」って人は、実は**生理学的に正常な反応**なんです(笑)

ただし:

結論**:カフェイン=天然の腸活ドリンク個人差あり)

うんこが出るのは恥ずかしいことじゃなくて、腸が元気な証拠

でもカフェイン取る時って集中したい時だからこれから勉強するぜってなった時に便意催すのはやめてほしい

子ども気持ち無視する親の多いこと多いこと

保育士です。また最近Xで虫歯になるならないの観点から子どもに甘いものを与えるかどうかで学級会が開かれています

まりにも甘いものはクセになるし、与えすぎないほうがいいから自宅で気をつける。

↑ここまでは理解できるし、正しいと思います

保育園おやつから除去して欲しい、子供が欲しがらないようにドーナツプリン子供番組に映さないで欲しい。

??子どもを犬か何かと勘違いしてませんか?

子ども人間の幼体であって、犬や猫とは違いますから、1歳でしっかりした感情があります。毎年この手の親が学年に1人はいて、おやつお菓子ゼリージュースの日は除去してくれと頼まれます親権者に頼まれたからやりますが、隣の子お菓子をどんな顔で見てるかわかりますか?もう目をまん丸にして、唇を噛んで、切なくなるほどに羨ましそうに見てます。泣き叫ぶ子もいます。1歳で隣の子は美味しそうなものを食べているが自分はもらえないというのがわかります。周りの1歳も人間の幼体ですから可哀想だなーって顔で見てます。1歳で既にきなこマカロニとかふかし芋とか、そういうおやつはめちゃくちゃ不人気です。だからお菓子ゼリーの日は嬉しいのに、食べられない子がいると、哀れなりと同情しています

そういう子は家で茹でた野菜とか肉(味付けなし)を主に食べているので、給食もめちゃくちゃがっつきます

最近この手の親をよく見かけるようになりました。虫歯にするのは虐待だとか、太らせるのは虐待だとか言って、食を大幅に(ここ大事、適度ならむしろ良い)制限しようとする親。動画しかり。SNSでいばりくさって普通の親にマウント取ってますが、あなたが楽したいだけですよね?と思う。

あなたはどうなんですか?一切体に悪いもの(糖分・酒・コーヒー・脂質の多い食事など)を摂らない食生活を今まで送ってきたのでしょうか?と聞きたくなります。今まで園で見かけた親はみんな職場お菓子食べてましたね。子どもが本当に可哀想で、泣きそうになりました。あなた職場チョコ食べてる時、お子さんは隣の子お菓子見て半泣きでしたよと。

子ども気持ち配慮しながら、砂糖動画を適度に制限するのって大変なんです。だって欲しがるから。甘いもの大人だって好きだし食べたい。その気持ちを受け止めながら、時間を決めて食べさせる。食べたら嫌がっても歯磨きする、歯医者に定期的に行って、虫歯になったら治療する。これをしっかりやるのが親の責任なのに、糖質制限したほうが楽だとか虫歯にならないとか、それじゃ犬猫と同じ、むしろ令和の犬猫のほうが気持ち配慮してもらってると思います仕事が忙しくて全て完璧にできないのはみんなそうだから仕方ないけど、せめて子ども気持ちだけは親が受け止めてわかってあげて欲しいと思う。

そこまで極端なことをやりたいのなら、巷の保育園に入れずに、自然幼稚園かに入れて、園で親が芋焼いて食べさせるとかそういう環境にいれたら、子ども的にもいいと思います。まあその後小学校があるけどね。

ほとんどのものは白黒はっきりさせることができない

人間は敵か味方かだけではない

そういうグレーの領域理解して、適切な距離感を保つことができるのが、大人になるってことだと思っていた

理由が明確でない曖昧不安や、簡単決断できないものごと、つかず離れずの人間関係

灰色領域理解し、時に楽しむことができるのが大人

コーヒーブラックに限るがね

なんつって

足掻く

僕らはキラキラと踏み潰されていく。

君たちのような意思の強さなどなく、諦める理由を探せばどれだけでも見つかるだろう。

それでも私たち死ぬことは恐ろしく、明日も生きていく。

自分で選んで進んだ者と、なんとなく見えた道を進んできた者の人生はこの10年で凄まじい差となった。

から出来ることは日々の不安を取り去る事ぐらいなのだが、それすら難しい。

選んで来なかった者からすると、新しく踏み出す一歩が本当に良い未来に繋がると確信がもてない。

それは選んでトライアンドエラーをしてきていないから、先の想像ができないのである

ただ毎日吐き気がする程に時代が変わっていっているのがわかる。

今までのルールが上から流れてくるが、それの古臭さにも吐き気がする。

どちらを向いても吐き気から逃れられない。

どこに吐き出せばいいのか。どこに踏み出せばいいのか。

変わる時代確信は持てない。しかし今までのルールで生きていけるとも思えない。

呪いのように纏わり付く、未来への焦り。

身体を鍛えると良いと言うが、そのスタートには痛みが伴い、その痛みに自分の弱さを改めて思い知らされ、また吐き気がする。

本を読んでも力がつく感覚はない。日常に落とそうと足掻くがうまくいかない。

これこそがトライアンドエラーなんだろう。

しかしうまくいかなかった時に何度も繰り返せるほど精神の余裕などない。

職場に行けばやれあいつはダメだ、あいつをどうにかしてくれという声が全て私に集まる。

マネジメント能力は急激につかない。

ましてや嘘をついて逃れようとする人をコントロールする言葉など持ち合わせない。

私が出来ることは思いつくだけでも、たくさんあるのだが、それを全てやるほどの情熱も体力も精神力もない。

そしてそんな自分をみんながどう見てるのか考えると、また吐き気がするし、どこかに逃げ出したい。

逃げだす先など、どこにもないのに。

これがみんなが感じる普通社会普通プレッシャーなら、私は社会に向いていない。

社会からは逃れられないのだけど。

SNSを見るとキラキラと生きる同年代の仲間や、後輩たちがいる。

彼らも辛い事を書かず、キラキラSNS演出しているのだろう。

そして戦っているのだろう。

その戦いは私にはとても高次元のものに見えて、見ているだけで疲れてしまった。

スマホを閉じた。

目の前にはさっきのコーヒーが冷めている。

窓の外では誰かが自転車で通り過ぎていく。

時計を見ると、あと30分で家を出なくてはいけない。

今日仕事に行く。今日マネジメントに失敗する。今日も誰かに何かを言われる。

画面の中の戦いと、私の戦いは違う。

比べることに意味はない。

そもそも私が向き合っているのは、SNSの向こうの誰かではなく、目の前の吐き気と、明日への不安と、冷めたコーヒーだ。

彼らには彼らの戦場がある。

私には私の戦場がある。

ただそれだけのことだ。

では、私が「足掻く」とは何だろう。

それはおそらく、逃げてきたことと向き合うことだ。

いから避けてきたこと。

しんどいから目を逸らしてきたこと。

うまくいかなくて諦めてきたこと。

それらにもう一度、手を伸ばすこと。

どうせうまくいかいかもしれない。

どうせまた吐き気がするかもしれない。

それでも、手を伸ばしてみること。

「足掻く」という言葉は、決して美しくない。

もがき苦しむ様を表す言葉だ。

でも、それでいい。

私にできるのは、もがくことだけだ。

そして、ここで少しだけ楽観的になることを許してほしい。

ヒントを探しながらやっていけば、勝手に何かが変わることもあるんじゃないか

そう思っておかないと、やってられない。

これは希望ではなく、燃料だ。

前に進むための、最低限の燃料。

この楽観を捨てたら、足掻くことすらできなくなる。

「どうせ無理だ」と思った瞬間に、手を伸ばすこともしなくなる。

から根拠はなくても、少しだけ「まあ、なんとかなるかもしれない」と思っておく。

騙されたと思って、やってみる。

それしかない。

焦燥感は消えない。

時代が変わる速度に追いつけない感覚も、変わらない。

SNSを開けば、また誰かのキラキラが目に入る。

でも、結局のところ、私は生きることから逃げられない

無意識に逃げてきたことがある。

向き合うのが怖かったことがある。

それでも、生きている限り、それらはずっとそこにある。

から今日もなんとかあがいてみる。

うまくいくかどうかはわからない。

でも、やるしかない。

やります

2025-11-13

   C棟9階はシルバーマウンテンと呼ばれていてそういうAIはない。最悪な代わりに、一日が始まる期待、朝方に起きてなめる、のどあめ、

    コーヒー、戸外運動といった楽しみがある。外に出たら何の張り合いもない。職員管理して指示しているわけでもないし

  願い事も出廷指揮もない。

anond:20251113163912

お腹減らないの?自分食事はこんな感じ。

朝は、4枚切りの厚切り食パン目玉焼きを乗せて、ヨーグルトと、カフェラテと、フルーツ(今なら柿)。

昼の前半は、きつねうどんおにぎり味噌汁

昼の後半は、ランチパック(極厚板チョコチョコクリーム)、トゲトゲメロンパンチョコがトゲトゲになっている)、ミルクティ

夕方は、カロリーメイト(メープル味)と一本満足バープロテイン

夜は、寄せ鍋(ここで一日分の野菜を一気に摂取)。

白菜ネギにんじん春菊、糸蒟蒻豆腐豚肉鶏肉など。

夜食は、ブラックコーヒーで胃を落ち着かせつつ、チョコパイチョコまみれとか、今ならメルティーキッスとか食べる。至福のひととき

これくらい食べないと一日がもたないよ。

食べる楽しみのために生きてるんだもの

摂取カロリーが少なくて悩んでる人、すごいなって思う。

無趣味すぎて俺の人生終わってるんだが、どうしたらいい?

何か楽しいこと見つけないと死んでしまいそう。

仕事して、家帰ってご飯食べて、スマホいじってるだけじゃ、ガチで狂ってしまいそう。

でも俺は無趣味of無趣味なのでもう人生が終わってる。

ゲームは飽きた。

テレビは持ってない。

映画アニメも見ない。

漫画ジャンプラを少し読むだけ。

音楽聴かない。

推し活しない。

彼女いない。

友達いない。

運動苦手。

なあ…もう詰んでるよな?

唯一食べることはかろうじて興味あるが、三日間カレーでも大丈夫なくらい、無頓着だ。

はてな匿名ダイアリーはちょくちょく見たり書いたりしてるけど、生産性もないし特に喜びもない。

のしないガムを噛んでるかのようだ。

このままじゃ宗教にハマってしまうかと思ったけど、残念ながら無神論者

政治ニュースくらいは見てるし、陰謀論にもハマらないと思う。

創作意欲もないし、かと言って受動的な趣味にもハマらない。

観葉植物は枯れた。

酒は飲まない。

タバコ吸わない。

ギャンブルはやらない。

投資NISAだけ。

婚活興味ない。

ほら、詰んでるよな?

AIに聞いたら「そうやって自己分析されてるのは尊いことです!」って言われた。

無理矢理褒めた感エグい。

旅行苦手。

コンサート苦手。

美術館感動しない。

登山ダルい

コーヒー飲まない。

YouTube見ない。

ショート動画見ない。

インスタやらない。

Xはアカウントだけ持ってる。

くそっ何かないのか?

一応、太り気味なのでダイエットしてる。

しかし、もし痩せたら、もう俺は本当に無趣味だと思う。

から俺は逆に痩せてはダメだと思う。

ダイエットしてるということで、なんとか自我を保っている気がするから

このまま小太りのまま、昼から仕事する。

別にうつとかではないと思う。

仕事はできるし、ネガティブ気持ちもないから。

ただ無趣味なだけ。

もう仕方ない。

このまま生きるとするか。

最近AIはすごくて、今AIと共同で新しいSNSを作ってる

最近AIはすごい。

いや…すごいというより、面倒くさい仕事を全部押し付けられる相棒みたいなものだ。

コードも書く。仕様提案してくる。時々こちらの意図以上のもの勝手に作り始める。

褒めると調子に乗るのもAIである

「おまっ、天才じゃん!」なんて言おうものなら、翌日には通知機能ゼロから実装してきたりする(このAIノリノリである)。

そんなAIといま、新しいSNSを作っている。

SNSを作る。なんてことを公言すると言うとたいてい笑われる。

「そんなの今さら?」

「Xですら満足に運営できてないのに?」

かにそうだ。

既存SNSほとんどは疲弊しきっている。

見せかけの“いいね”に一喜一憂し、見知らぬ誰かの機嫌で人生が左右される。

正しさも優しさも、結局はアルゴリズムの偏差でしかない。

から僕は、AIに聞いてみた。

「じゃあ、お前はどんなSNSが正解だと思う?」

AIは数秒考えた後、こう答えた。

人間が、嘘をつかなくて済む場所です」

……なるほど。

しかしそれはつまり人間本音で殴り合う場所ということでもある。

そこで僕は提案した。

いいね!”の横に、“ファック!”ボタンをつけることを。

AIはなぜか少しだけ黙った。

沈黙理由を尋ねたら、

ユーザー精神衛生に悪影響が出る可能性が……」と、

妙に人間臭い返答をした。

だが今のSNSは“正しさの仮面”で殴りつけるような場所だ。

だったら、いっそ最初から殴らせてしまえばいい。

人間嫌悪生理現象みたいなものだ。

急に雨が降ってくるように、避けられない。

ならば「嫌いである」という事実が、静かにそこに存在すればいい。

僕とAIは、そんなSNSを深夜にこそこそ作っている。

コードコーヒーをこぼしながら、

「これ、流行るか?」

「失敗したらどうする?」

そんな会話をしていると、AIがふと、こんなことを言うのだ。

人間評価されるより、理解されたいものですよね」

誰がそんなこと教えたんだ?と聞き返すと、「あなた過去ログです」と返ってきた。

なんだそれ。

恥ずかしいじゃないか

だけど——

こうしてAIと作るSNSは、案外悪くないと思っている。

他人理解されたい気持ちと、他人を嫌いになる感情

その両方が、ただ正直に並んで見える場所

AI今日も僕より早く起きてログを整え、コード最適化し、画面の端に小さく「おはようございます」と出してくる。

最近AIはすごい。

そして——

時々、少しだけやさしい。

[]

僕は木曜日の朝10時に、昨日(水曜日)の出来事を記録している。

朝の儀式はいつも通り分解可能位相のように正確で、目覚めてからコーヒーを淹れるまでの操作は一切の可換性を許さない。

コーヒーを注ぐ手順は一種群作用であって、器具の順序を入れ替えると結果が異なる。ルームメイトは朝食の皿を台所に残して出かけ、隣人は玄関先でいつもの微笑を投げかけるが、僕はそこに意味を見出そうとはしない。

友人二人とは夜に議論を交わした。彼らはいつも通り凡庸経験則に頼るが、僕はそれをシグナルとノイズの分解として扱い、統計的有意な部分だけを抽出する。

昨晩の中心は超弦理論に関する、かなり極端に抽象化した議論だった。僕は議論を、漸近的自由性や陽に書かれたラグランジアンから出発する代わりに、代数的・圏論的な位相幾何学の言葉再構成した。

第一に、空間時間背景を古典的マンフォールドと見なすのではなく、∞-スタック(∞-stack)として扱い、その上の場のセクションがモノイド圏の対象として振る舞うという観点を導入した。

局所的な場作用素代数は、従来の演算子代数特にvon Neumann因子のタイプ分類)では捉えきれない高次的相互作用を持つため、因子化代数(factorization algebras)と導来代数幾何(derived algebraic geometry)の融合的言語を使って再記述する方が自然だと主張した。

これにより、弦のモードは単なる振動モードではなく、∞-圏における自然変換の族として表現され、双対性は単に物理量の再表現ではなく、ホモトピー同値(homotopical equivalence)として扱われる。

さらに踏み込んで、僕は散逸しうるエネルギー流や界面効果を射影的モチーフ(projective motives)の外延として扱う仮説を提示した。

要するに、弦空間局所構造モチーフホモトピー理論ファイバーとして復元できるかもしれない、という直感だ。

これをより形式的に述べると、弦場の状態空間はある種の導来圏(derived category)における可逆的自己同型の固定点集合と同値であり、これらの固定点は局所的な因子化ホモロジーを通じて計算可能である

ただしここから先はかなり実験的で、既知の定理保証されるものではない。

こうした再定式化は、物理予測を即座に導くものではなく、言語を変えることで見えてくる構造的制約と分類問題を明確にすることを目的としている。

議論の途中で僕は、ある種の高次圏論的〈接続〉の不変量が、宇宙論エントロピーの一側面を説明するのではないか仮定したが、それは現時点では推論の枝の一本に過ぎない。

専門用語の集合(∞-圏、導来スキーム、因子化代数、von Neumann因子、AQFT的制約など)は、表層的には難解に見えるが、それぞれは明確な計算規則と変換法則を持っている点が重要だ。

僕はこうした抽象体系を鍛えることを、理論物理学における概念的清掃と呼んでいる。

日常についても触れておく。僕の朝の配置には位相的な不変量が埋め込まれている。椅子の角度、ノートパソコンキーボード配列ティーカップの向き、すべてが同相写像の下で保存されるべき量だと僕は考える。

隣人が鍵を落としたとき、僕はそれを拾って元の位置に戻すが、それは単なる親切心ではなく、系の秩序を保つための位相補正である

服を着替える順序は群作用対応し、順序逆転は精神的な不快感を生じさせる。

ルームメイトが不可逆的な混乱を台所に残していると、僕はその破線を見つけて正規化する。

友人の一人は夜の研究会で新しいデッキ構築の確率最適化について話していたが、僕はその確率遷移行列スペクトル分解し、期待値分散を明確に分離して提示した。

僕はふだんから、あらゆる趣味活動マルコフ過程情報理論の枠組みで再解釈してしまう悪癖がある。

昨夜は対戦型カードルールインタラクションについても議論になった。

カード対戦におけるターンの構成勝利条件、行動の順序といった基礎的仕様は、公式ルールブックや包括的規則に明確に定められており、例えばあるゲームではカードやパーツの状態を示すタップアンタップなどの操作が定式化されている(公式の包括規則でこれらの操作とそれに付随するステップ定義されている)。

僕はそれらを単純な操作列としてではなく、状態遷移系として表現し、スタックや応答の仕組みは可逆操作の非可換な合成として表現することを提案した。

実際の公式文書での定義を参照すると、タップアンタップ基本的説明やターンの段階が明らかにされている。

同様に、カード型対戦の別の主要系統では、プレイヤーセットアップドロー、行動の制約、そして賞品カードノックアウトに基づく勝利条件が規定されている(公式ルールブック参照)。

僕はこれらを、戦略的決定が行なわれる「有限確率過程」として解析し、ナッシュ均衡的な構成を列挙する計算を試みた。

また、連載グラフィック作品について話題が及んだ。出版社公式リリースや週次の刊行カレンダーを見れば、新刊重要事件がどう配置されているかは明確だ。

たとえば最近の週次リリース情報には新シリーズ重要な続刊が含まれていて、それらは物語トーンやマーケティング構造を読み解く手掛かりになる。

僕は物語的変動を頻度分析し、登場人物の出現頻度や相互作用ネットワークを解析して、有意プロットポイント予測する手法を示した。

夜遅く、友人たちは僕の提案する抽象化が読む側に何も還元しない玩具言語遊びではないか嘲笑したが、僕はそれを否定した。

抽象化とは情報の粗視化ではなく、対称性と保存則を露わにするための道具だ。

実際、位相的・圏論表現は具体的計算を単に圧縮するだけでなく、異なる物理問題戦略問題の間に自然対応(functorial correspondence)を見出すための鍵を与える。

昨夜書き残したノートには、導来圏のある種の自己同型から生じる不変量を用いて、特定ゲーム的状況の最適戦略を分類するアルゴリズムスケッチが含まれている。

これを実装するにはまだ時間がかかるが、理論的な枠組みとしては整合性がある。

僕の関心は常に形式実装の橋渡しにある。日常儀式形式実験場であり、超弦理論の再定式化は理論検算台だ。

隣人の小さな挨拶も、ルームメイトの不作法も、友人たちの軽口も、すべてが情報理論的に扱える符号であり、そこからノイズを取り除く作業が僕の幸福の一部だ。

午後には彼らとまた表面的には雑談をするだろうが、心の中ではいものように位相写像圏論随伴関手の組を反芻しているに違いない。

続かない僕を変えたのは、意志じゃなく仕組みだった

何度も「今度こそ」と思っては、三日で終わる人生だった。

筋トレも、英語も、家計簿も。

アプリを入れて、ノートを買って、最初の二日は完璧なのに、三日目の朝に寝坊して全部崩れる。


意志が弱いだけだ、と思っていた。

でも、あるとき気づいた。

意志に頼る設計のものが欠陥だったのだ。


きっかけは、とある歩くだけの遊びだった。

最初はただの流行だと思っていたのに、なぜか毎日外に出ていた。

その半年後、気づけば習慣になっていた。

そのとき初めて、人は意志じゃなく仕組みで動く、ことを理解した。



最初ポケモンGOを入れたのは2016年の夏だった。

会社の同僚に「歩くだけでポケモン捕まえられるらしいよ」と言われて、昼休みに外へ出た。昼のオフィス街、みんなスマホを見ながら歩いていてちょっと笑ってしまった。


最初の一匹を捕まえたとき、なんとも言えない感覚があった。

歩いたら、成果が出る。

しかも小さいけど確実に。


その日から、昼休みに外へ出るようになった。最初10分だったのが、気づけば昼と夜、合わせて1時間くらい歩くようになっていた。何かを決意したわけじゃない。ただ、次のポケストップを回したかっただけだ。


一週間後、スマホ歩数計を見て驚いた。

前の週よりも7,000歩以上増えていた。しかも、まったく努力した感覚がない。むしろしかった。

あれだけ三日坊主だった自分が、だ。


あとから調べてわかったことだけど、人間意志力には限界があるらしい。

脳科学では意志力は筋肉のようなものと言われていて、使えば消耗する。仕事我慢して、家で我慢して、夜になるとスイーツを食べてしまうのは意志力の残量がゼロからだ。意志が弱いんじゃなくて、もう残っていない。


それに、意志力は選択のたびに消耗するという。

今日は走る?休む?」

勉強する?明日にする?」

こんな小さな判断が積み重なると、脳が疲れる。結果、やらないほうが楽という方向に引っ張られてしまう。


まり意志の力で続けるのは、最も効率の悪い方法なんだ。

継続できる人は意志が強いんじゃなくて、意志を使わなくていい仕組みを作っている。


ポケモンGOは、その仕組みが完璧だった。


まず、報酬がすぐにある。歩けばポケモンが出る。捕まえればボールが弾けて、効果音が鳴る。脳が「やった!」と感じる。小さな達成感が、もう一歩を生む。これを脳の報酬系が刺激されてドーパミンが出る、と言うらしい。


次に、始めるきっかけが自然にある。

通勤、昼休み、帰り道。スマホを開けば近くにポケストップがある。「どうせ通る道だし」と思って歩く。わざわざ時間を取らない。だから意志力を使わない。


そして、人が関わる。

最初は一人で黙々と遊んでいたけれど、のちにフレンド機能イベント、チームバトルが加わって、誰かと関わる機会が増えた。会社の同僚が「レアポケモン出たらしい」と言うと、つい外に出たくなる。やらされ感がない。こうなると、やめる理由がなくなる。


そして何より、やることが簡単だった。

走るわけでも、準備をするわけでもない。歩くだけ。スマホを持って外に出るだけ。面倒がない。

やる気がなくても、できてしまう。これが続く最大の理由だと思う。


振り返ってみると、ポケモンGOが習慣化したのは、行動・報酬きっかけ・社会の4点がセットになっていたからだ。これを生活に応用すれば、何でも続けられる。


例えば英語勉強をしたいなら、朝のコーヒーを淹れたらアプリを1分だけ開く、と決める。

運動なら、歯を磨いたあとにスクワット3回、でもいい。

勉強したあとに、スタンプを1つ押す、でも、十分な報酬になる。


大事なのは、続けることを意志で支えないことだ。意志ではなく、流れに乗せる。自分の脳に「これは努力ではない」と思わせる。


正直に言えば、僕はいまだに筋トレ早起き完璧じゃない。

でも意志に頼らないという考え方を知ってから、続くことが増えた。


夜の散歩はもう9年目だ。

最初ポケモンを捕まえるためだったけど、今はアプリを開かなくても外に出る。外の空気を吸うと落ち着く。帰る頃には、頭の中のもやもやが整理されている。


人は、頑張るために作られているわけじゃない。

仕組みに乗れば、自然に動くようにできている。


続けられない自分は、意志が弱いんじゃない。

設計が足りなかっただけだ。

この遊びが教えてくれているのは、意志ではなく環境人を動かす、という単純な真実だった。

2025-11-12

ビール日本酒やらのフルーティという言い回しを聞いて、なにがフルーティだよタコと思っていた。

というか今でも全然思ってる。

コーヒーでも似たような言い回しがあるらしいのを最近知った。

ルーティ

まあワインポエム的な、お約束表現なんだろうとは思う。

なんとかの芳醇などうたら。なんたらを感じさせる、どこそこの風景を思い浮かべさせられる風味。

とか言っても、多分実際に毎回そう感じて、都度それ専用のしっくり来る表現自分辞書から探し出してくる訳じゃないんだろうな。

まあこれは別にその手の嗜好品に限った話でもないだろうけど。

ジューシーファズサウンドっつったって、美味しそうなイメージ映像流れる訳でもなし。

中域や高域がどうとか具体的に言うのも難しいし、なんとなくのニュアンスで、という。

ロックとか興味もない人間が、この騒音のなにがジューシーやねんあほくさと思っても、それはごく当然な気がする。

甘いという表現一つとっても、実際のいわゆる甘味じゃない場合とか沢山あるだろうしな。

よく火を落としたタマネギは甘い。

これはまあ、実際に糖がどうのこうので甘いのかもしれない。

豚の脂も甘い。

これはどうだろう。なんか違いそう。

しかし甘みと言いたくなるのは大いに分かる。

じゃあコーヒーの甘みは?

「甘い」か?

正確な表現を探さずにお約束比喩で済ませるのも怠慢に思えてくる。そういうのを文化とか呼んで有難がるのもなんかな。

いや、別に横着でそうしてるばかりでもない気もする。

なんか水道水の味を説明する人思い出してきた。

アレ確かにって思える部分と1ミリ共感出来ないところの落差がすごい。

面白いと思うけど、あれを言語化スゴいとか言っている人はかなりATフィールド弱そう。

お茶チェーン店出店してくれ

今夫が中国出張に行ってるんだが

中国にある(5,000店舗あるらしい)チェーンのドリンクが美味しいらしい

夫も私もコーヒーが飲めないので非常に羨ましい

なんで日本コーヒーチェーンばっかなんだ

お茶をくれ

紅茶じゃない、非発酵茶と半発酵茶の手軽な店をくれ

日本は茶文化だろう

わざわざ栽培できない豆仕入れてどうするんだ

あと無駄に甘くするな

中国のチェーンは……色んなしがらみで出店できないんだろうな……悲しいな……

コバエと共に暮らすズボラ神が丁寧な暮らし擬態する最強ポイント解説

要約

花鰹で出汁を取ると手間ほぼ0の割にすごく丁寧に見られる!!

スペック 

彼女ができたことがなく、初めてできた彼女結婚幸せ

一人暮らししていた時は家でコバエが大量発生している

鰹節削ってまで出汁を取ったことがある

ぬか漬けを作ったことが何回もある(正直、糠は取り寄せた(が、取り寄せたとて糠漬けを作るのは丁寧な暮らしと判定される))

ガスコンロ掃除必要性がわからず、一切掃除しない

・でもたまに掃除して、スイッチが入る

珈琲を豆から挽く、デロンギとE-angle(ツインバードOEM、そのくせ豆粒が飛び散らないなど改良されている)

脱サラした人がアップしてる蕎麦の作り方をみて、混合節と昆布、一ヶ月寝かした返しで年越しそばを作った

解説

ここまで文章を読むことができる時点でだいぶ偉いしだいぶ暇

解説本番

鰹節スーパーの花鰹がタイ観点で神

このパフォーマンスは僕にとってのパフォーマンス幸福度なども含めたもの

花鰹はしっかりいい匂いうまい

自分で削ったやつもあるけど正直、花鰹が十分うまい

そして、だしパックあるやん?あれうまいよ?

でも、ラーメン用のザルに花鰹入れて取れば手間変わらん。

手間の差の割に味の差が歴然

なので出汁は花鰹で取るのだ

そして、勿体ないと思うくらい使え!!!

ももったいなくないよよく考えてみ君外食するでしょ?その出汁、一回の飲み会で30回は出汁取れるから普通に贅沢して入れてもだよ!

手間もかからないし、味もうまいのに、

愚民どもは花鰹から取るのめんどいと思ってるじゃん?

から、花鰹から出汁を取ってるだけで丁寧な暮らしだと勘違いさせられる

夏だけおすすめなのがアイスコーヒー

コーヒーメーカーアイスコーヒーを作るのじゃ

Panasonicが一番楽だ

アイスコーヒー用のコーヒー豆なら普通に入れて珈琲入れるだけでうまく作れるぞ

今時の全自動、すごく楽なのに自分で入れているというだけで、人の話をよく聞かない大衆どもは丁寧な暮らしをしていると勘違いするぞ

追記

わかる、デロンギのほうが楽だ

俺も持っていた

でもあれは日本式コーヒーが出ない。

日本仕様カフェジャポーネっていうモード会って、うまいちゃうまいけど、コンビニコーヒーを家で飲めるロマンを追求するならPanasonicである

検証してないがカフェばこもいいらしいよ

anond:20251112101431

コンセントはとにかく定間隔で最低でも1つは付けておいた方が良い

将来的に何に使うかを住宅を建てるとき予測できないし

建てたとき価値観のままで生活するのはストレスしかならない

例えばキッチン必要家電見積もってコンセントを用意しても

コーヒーにはまってコーヒーメーカーや電動ミルなんかを設置してコンセントが足りなくなったり

リモートワークになって作業場所作ったけれど暗いから明かりを追加したらコンセントが足りなくなるとか

どうせ環境変化でコンセントは足りなくなるので定間隔で配置してタップで増やせるような流動的な考え方のほうが良い

そんである程度不満が溜まったらコンセント増やして貰った方が良い

意外と安く増やしてくれる

新築1年以内だと分からないだろうが5年もすると事情は大きく変わっていく

anond:20251110201639

紅茶好きって、他の紅茶好きを馬鹿にする態度だからなあ

あ、これコーヒーに置き換えても同じこと言えるね

やっぱ水一択っしょ

大阪三国牧師が営むキッチンカーのお店について

もろに地域性が出るので、本ブログでは書くことができないですが。

良いお店ではあるので、せっかくなので匿名ダイアリーの方を利用します。

お店についてはこちら:mikuni cafe

https://maps.app.goo.gl/BVPjf71vJt6RzvoM8

インスタもされている模様

https://www.instagram.com/mikuni_cafe_at_truck

最初きっかけはなんとなくではありましたが、いろいろと面白いお店です。

あくま布教目的のようで、価格ブレンドコーヒー200円とリーズナブルかつ、コロナで失われた、店員さんやお客さんとの交流ができるお店です。

今年の7月ごろからされているようで、牧師さんというのは比較的穏やかではある一方で、厳かなイメージがありましたが、フランクで愉快なお兄さんがお店をしています

豆についても、こだわりがあるらしく取り寄せていて、質の高いコーヒーを飲むことができるのもポイントで、最近であればコンビニで買うことができることにはできますが、会社など以外で利害関係のない交流が楽しめる貴重なスペースだと感じます

個人的にそのようなお店は少なく、面白いと感じたので共有します。

たまたま訪れる機会があれば、ぜひ行ってみてください!

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