はてなキーワード: プライドとは
国内の食糧自給も通貨も経済もぜーんぶ落ちてんだから、勝負するなら弱い部分を戦略的に克服して相手を研究してからやるんだよ
海外の知識も政治経済の知識も戦略的自律の知識もなーんにもなくて、感情的に中国に噛みついてるやつ、頭も心も弱すぎ
チンケなプライドだの根性論だので後先考えず噴きあがる、論理的思考が欠落した感情的バカ以外の何ものでもない
頼みの綱らしいアメリカ、ウクライナに領土割譲と軍備縮小を和平提案wの条件にしだしたよ
みっともないね
卒業といっても、夢のようなロマンスがあったわけじゃない。ただ、高い金を払って、ソープに行っただけだ。
「童貞卒業は好きな人と…」というロマンチックなプライドは、30代後半で捨てた。そのプライドのせいで、俺の人生は40年間、ずっと停滞していたからだ。このまま一生卒業できないより、金で解決して「人生のチェックボックス」を埋めたかった。
童貞だった40年間、俺は常に「自分はどこか欠陥している」という劣等感に苛まれていた。
女性と話すとき、目を合わせるのが怖かった。食事に誘われても、「この人は俺が童貞だと知ったら、笑うだろうか、軽蔑するだろうか」という思考が頭の中を支配し、ろくに会話ができなかった。
仕事で成功しても、趣味で褒められても、「でもお前、童貞だろ?」という声が、常に自分の内側から聞こえてくる。まるで、人生の「大人になるためのゲート」をくぐれていないような感覚だった。
童貞じゃない奴らには、この「壁の分厚さ」は絶対にわからない。壁の向こう側が「未知の領域」だからこそ、俺たちは女性という存在を、必要以上に「特別で恐ろしいもの」と神格化してしまっていたんだ。
そして、ソープに行って、一晩でその壁はあっけなく崩れた。
そこで気づいた、俺の人生で一番の後悔。
それは、「なぜ、もっと早くこの壁を壊さなかったのか」ということだ。
「風俗なんて…」と意地を張って、40年間、自分を卑下し、苦しめ続けた。その劣等感のせいで、避けてきた出会い、断ってきた誘い、チャレンジできなかった行動が、どれだけあっただろうか。
俺が本当に欲しかったのは、「経験」そのものじゃなく、「童貞じゃなくなった」という免罪符だったのかもしれない。それは、劣等感を克服するための、たった一枚のチケットだった。
もし、今、同じように「童貞」という呪いにかかり、人生が停滞している奴がいるなら、俺は心底言いたい。
「変なプライドなんか捨てて、さっさと壁を壊せ」。
壁の向こう側は、お前が想像しているほど特別じゃない。だが、壁がない世界は、想像以上に生きやすい。この呪いを解くのに、高い理想も、運命的な愛も必要ない。必要なのは、「劣等感に支配された人生を終わらせる」という決断だけだ。俺が失った40年を、お前は無駄にするな。
近頃、とにかく死にたい。
毎年10月から11月はこういう感じになるので、季節のせいであることは分かっている。12月になる頃にはだいたいなんかなんとかなってるから大丈夫。
でも年々ひどくなっている気もする。それに、毎年ウワーッとはなるにせよ、そもそもなんでこういう死にたい感情に襲われるかがよく分からなかったので、何か直接的な原因がないものか、人生についてちょっと考えてみた。
元々社会福祉とか一次産業とかインフラとか配送業とかに憧れがあった。誰かの生活を支える、縁の下の力持ちってかっこいい。でも増田は危機管理能力がない。忘れ物は多いし、ケアレスミスも死ぬほどするし、どんなに我慢しようとしたって余計な改善をしようとして結局改悪してしまう。保守運転とか一番苦手な分野だ。トラックどころか自分の体一つだって乗りこなせない。事故を起こさないため、誰かを殺さないため、そういう職業にはつかないほうがいいと思って生きている。
だから人から金を搾取することだけを考えているカスみたいなサービスの下請けで、自分一人を養えるだけの端金をもらって、犯罪を起こしてないからそれでいいのだと必死に言い聞かせている。上手く出来なくてもカスの弊社が困るだけだから、いくらミスしても罪悪感はない。
だがこれは直接死にたい原因ではない。やっとることはカスのサービス形態ではあるが、ある程度転職にも使えそうな汎用的な職能の成長は出来るし、上司や同僚は増田の手助けや活躍を褒めてくれるし、そういった点でやりがい的なものがないわけでもない。業務自体はそこそこ向いてると思えるし、人間関係は良好と言って良いだろう。金額面も、自分一人を養えるくらいの金額は稼げているし、それによって欲しいものを我慢したり、望んだ生活を手放さなければならないほどではない。元々欲は薄い方だ。少ないながら貯金もしているし、いざとなれば親や友人を頼れば金がなくても多少の間はなんとかなる。労働自体は憎むほど忌み嫌ってるわけではないから、生涯現役でも全然構わない。
金銭や将来の不安、職場の人間関係の悪化などがあって死にたいわけではない。
友人関係も悪いわけではない。
確かにたびたび「人間じゃない」とか「常識的な気遣いが足りない」とか「普通考えれば分かることがどうして出来ないのか」とか言われたりもするが、それでも根気強く付き合いを続けてくれる友人ばかりだ。何も言わずに去られるより全然マシなので、そういう耳に痛い言葉も言ってくれるだけでありがたい。一度も傷つけたことのない、あるいは傷つけられたことのない友人は確かにいないのだが、それでもみんな大事な友人だ。
そういう大事な友人にご迷惑をおかけすることで罪悪感で潰れそうになることはあるが、例えば無茶な振り回し方をしてきたり、金銭を貸せとやたらたかって返さなかったり、そういうガチのトラブルに発展するような友人諸兄ではないし、増田もそういうことをしないよう、礼節を忘れないように重々気をつけている。それでもたまにうっかり日々の会話で地雷を踏んで怒らせることはあるものの、友人同士が「それは言い過ぎ」とか「お互い様」とか仲裁してくれるので、増田自身の尊厳も守ってもらえていると思う。友人とボロカスの喧嘩をして死にたい夜もないことはないが、それは大抵一時的なものだし、直近はそういう感じで険悪になってる相手はいない。
父も母も理屈で話せば分かる人であるし、親戚一同もなんだかんだ元気に暮らしている。不謹慎なニュースを見て爆笑する叔父や、身の回りの世話を全部してあげないと心配で夜も眠れない叔母、とにかくプライドが高く他人を見下したり注目を集めたりしないと気がすまない従兄弟、信仰の押し付けはないものの新興宗教にどっぷり献金している祖父母など、アクが強くはあるが、こちらに実害はないので可愛い範囲で収まるものだ。肉親に怒鳴ったり、暴力を振るったり、金銭トラブルを持ち込んだり、結婚を強要したりする人はいない。
まあ、両親に恨みがないと言えば嘘になる。幼稚園の頃に甘えようとすり寄ったら「は?鬱陶しい、ひっつくな」と引き剥がされたり、小学生の頃いじめられていた時に増田の言い分を一切聞かず「あなたにも悪いところがなかったかよく考えてみよう?」と3時間近く諭してきたり、愛着の面では問題があったのは確かだ。しかしそれは増田に対して愛情がなかったというよりは、それが彼らの愛着の限界なのだ。飼っているウサギすら、部屋の中で凍死しかけていることに気づかなかった両親である。それを思えば、衣食住を保障してくれたのは事実だし、危険なことは叱ってくれた。大学まで学費も出してくれたし、両親の行きたいところにではあるが旅行にもそこそこ連れて行ってもらっていた。彼らにしてはだいぶ努力していたのだろうと今なら分かる。
だから半年に一度程度は顔を見せに帰省しているし、それがめちゃくちゃ苦痛というわけでもない。全ては過去のことであり、無、凪、平熱、そういった単語がふさわしい関係性だ。これもまた、直接の原因ではない。
増田はXジェンダー、リスロマンティック、アセクシャルと三拍子揃った人間だ。その上、それでもどうしても起こる性欲の発散方法は「対象年齢・性別を問わないリョナ創作」と来た。絶対に世に出してはいけない、リアルの人間に向けるなんて以ての外という嗜好をしている。
幸いなことに、告白されたことも、したいと思うほど惹かれた人も人生にいない。誰かを傷つけてしまうくらいならそれでいいと思っている。「恋愛を理解できないのは正常ではない」と思って恋愛小説や恋愛漫画を読んでは、イーッ!分からん!と一人で暴れていたこともあるが、それは「普通の人生を送ること」に固執していたからであって、もう普通じゃなくていいやと開き直った今は、一人で生きていく覚悟がとっくに出来ている。
だから恋愛ができなくて人生つまんなくて死にたいというわけでもない。
趣味はある。
増田は創作が好きだ。物語を書くのが好きだ。随筆も、批判も、絵も、彫刻も、歌も、踊りも、とにかく何かを表現することが好きだ。それは自分の中にある感情や思考を(作品に限らずこういった文章などでも)表し、発散することで一時的な沈静が見込めるからだ。だから誰かのために書いてるわけじゃなく、褒められるために書いているわけでもなく、ただひたすら自分の衝動を、犯罪ではない範囲で発散できることに喜びを感じている。
また、他人のそういう一面を見るのも好きだ。孤独ではない、と、他のどんな娯楽よりも、どんな脳内物質の分泌よりも、最も確かに感じられるし、癒されるからだ。みんな苦しくて孤独なのだと実感できるからだ。そしてそれらを十全に納得のいくまで突き詰めようと、他人の創作物をしゃぶりつくしたり、自分の表現を究めたりしようと思うと、百年に満たない短い人生を食いつぶすには、十分すぎるくらい時間がかかる。
これも死にたい原因ではない。むしろ趣味のことを考えれば、死んでいる場合ではないのだ。
これと言ったトラウマもない。
いや、ないことはない。小学校の頃は確かに治安が悪かったし、その中で最も低いカースト層にいたのは確かだ。靴箱に砂を詰め込まれたこともあったし、掃除の時はちりとりに集めたゴミを引き出しにそのまま流し込まれたこともあった。濡れた雑巾を頭に投げつけられたこともあった。ドッジボールで執拗にボールをぶつけられることもあった。体育の二人一組ではいつもハブられていたし、仕方なしに増田を組まざるを得なかったやつは、増田の触れたところを校庭の土でこすって払った。まるで土のほうが汚くないとでも言いたげに。
クラスメイト全員敵だからいるわけがないのに、脅迫的に好きな人を聞き出され、最もいじめてきた回数が少ない人の名前をあげたら、翌日からそいつがいじめられ始めて、他人を好いてはいけないと思い知ったこともあった。給食着やテーブルクロスを、本当は持ち回り当番なのに毎週持ち帰らされて、親に「じゃんけんで負けた」「牛乳こぼした責任で」と嘘をついた。もちろんああいう感じの親なので「あんたはどうしてそうなんだろうね」と気づかれもしなかった。
「視界に入るな」「半径2メートルに近づくな」「菌が伝染るから(学級文庫・机・プリント・日誌・配膳皿などに)触るな」あるいはもっと直球に「死ね」も全部日常的に言われていた。学級崩壊でまともに授業が受けられなくて教育機会を損失して、その頃に本来学ぶべきだった分野は今でもちょっと苦手意識がある。毎年劇をやるはずの発表会では制御不能と判断されて、ペットボトルでお米を育ててみましたといううっすい内容を、誰がどこを喋るかまで一言一句ガッチガチに固められて発表させられた。自主性なんて言葉は死んでいた。若い新卒の教師は毎日授業で泣いていて、その頃にはとっくに泣き疲れて感情に蓋をしていた増田は、その涙を「煽るだけなのに」と冷ややかな目で見ていた。
カースト中の下だった傍観者クラスメイトと大学で再会して、一緒に「小学校の思い出」とかいうクソみたいなグループワークの授業を受けざるを得なかった時、給食の班机で菌が伝染るからとやられていたみたいに1cmあけて机を組まれた瞬間、増田の心にヒビが入り、割れ目が出来て人格が四つに分かれしまい、今も元に戻らなかったりしている。そういう意味では、たしかにトラウマと呼んでもいいのかもしれない。
それでも直接的な殴る蹴るという暴力は振るわれなかったからマシな方だったと信じている。記憶があり、はっきりと思い出せて、これだけの内容を泣かずに書けるようになっただけかなり寛解してきている。それに、当時の自分だって箒で殴り返すなどそこそこやり返したり、いじめっ子と同質になって増田よりもっとカーストの低い支援学級の子に対して、自分にされたことをそのままやり返すみたいにしていじめたりだってしていた。当時飼っていたハムスターも憂さ晴らしに虐待していた。弱いものがさらに弱いものを叩き、ブルースは加速していた。そういう感じでなんだかんだ適応して元気にやっていた。
それらへの後悔に苦しみながら、同時にその延長で今も友人にライン超えの発言をしたり、逆に踏み越えてはいけないラインを踏み越えられてもその場では分からなかったり、自覚がないままキレ返してしまい制御不能に陥ったり、暴力や脅迫や支配を伴わない合意の上での性行為では興奮できなかったり、記憶は共有しているものの人格が割れてしまい解離性同一性障害まで秒読み状態だったりと、後遺症は色濃く残っている。
けれど、でも犯罪をしないで済むくらいの範囲で誤魔化しきれているし、それ以上を望んだりもしない。だからこれもまた、今の増田をむしばんでいる死にたさの原因ではない。その時期はとっくに乗り越えてあり、過去は過去、今は今として整理がついていて、そういう自分のあり方を受け入れている。
人生を構成するだいたい全部に、人並みの不満や後悔はあれど、満足していないわけでもない。人間関係にも金銭にも将来にも不安はない。上を見ればきりはないが、下を見てもきりがない。自分の人生は自分のものであり、それ以上でもそれ以下でもない。
私は私だ。
なのに何故こんなにも死にたいのか。
胸を打つこの衝動は何か。
線路に飛び込め、七階から落ちろ、溺れて死ね、とにかく死ね、そう囁き続ける声が内側に蔓延るのか。
思春期という言葉を藁のように握りしめて、この衝動的な嵐が、年齢を経れば終わってくれると、ただ若さ故なのだと、そう信じてしがみついてきたのに、どうしてアラサーになってもまだ衰える気配がないのか。
この衝動こそが死にたさの原因であり、結果だ。
この自己こそが死にたさの真の原因ではないのか。
本当はやりたい仕事を諦めて現状に甘んじている?
友人と上手く付き合うことが出来ない?
両親の愛着が足りなかった?
趣味が実質逃避になっている?
過去に嫌なことがあって未だに引きずっている?
全ては結果に過ぎない。
最初に存在しているこの「自己」こそが引き起こした、必然の結果に過ぎない。
死にたいのは、嫌なことがあったのが原因じゃない。
嫌なことを引き起こすような自分に全ての原因があるということから、いよいよ目を逸らせなくなってしまったからだ。
増田はずっと、衝動、癇癪、叫びのような化け物を心に飼って、共に生きてきた。
こいつを野放しにしたら、とてもじゃないが人間社会では生きていけない、というかまず肉体が耐えきれなくて崩壊するような、触れるもの全てを敵と認識する、爆発的なエネルギーだけがひたすら渦巻いている、自壊を厭わない衝動の化け物。
その化け物を飼い慣らすことだけが、増田の今の全てを形作っている。
仕事や友人の選び方、楽しめる趣味、思考、行動、言葉、その全部全部が、この化け物を静かに眠らせておくことだけに全力を注ぐように構成されている。
そしてそれが漏れ出てしまった瞬間、必ずトラブルが起こる。嫌なことは全てそうやって起きている。
そう、気がついてしまった。
両親、友人、そして過去の思い出は、一般的な社会に溶け込める人間たちが、その化け物を目の前にした時の、ごくありふれた正常な反応に過ぎない。
全ては結果なのだ。
思えば最初から、物心ついた時にはもう、そいつと一緒に生きていた。
その場の思いつきで突拍子もないことをして、危険を危険だと分かっていながら飛び込まずにはいられない、じっとしてはいられないという性質を、持て余していた。
両親が増田のことを「あんたのことはよく分からない」と困惑して言った日のことをよく覚えている。
友人が「増田は人間じゃなくて増田という生き物なんだね」としみじみ言った日のことも。
増田をいじめて泣かせたクラスメイトが「だってあの子が最初に嫌なことをしてきたんだもん」と言ったことも。
先生が「どうしてそんなことしたの?」と泣いている増田を問い詰めたことも。
「泣いていたら分かんないよ。先生悪くないよね?なんで先生のこと怒るの?」と寄り添いのかけらもない態度をとったことも。
そして増田はただ、嫌がらせをしようとすら思ってもいなくて、そうすることしか出来なかった、それ以外のやりようがあるなんて考えつきもしなかっただけなのだと、説明出来なかったことも。
よく覚えている。
それらは全部、増田がおかしかっただけで、みんなはただ、当たり前に困っていただけだ。
ただ、それだけだった。
よく分からないものは愛せない、未知は排斥する、ああ、そうだろうとも。それにしたって、みんなの方にだってもう少し上手くやりようがあるようにも感じるけれど、でも、人間は完璧じゃない。上手く出来ないことだってあるし、それを責めたってどうにもならなくて、仕方がない。
だからみんな、距離を取る。うん、まったくもって正しい。あなたが自分を守るために、増田に人生を破壊されないために、必要な距離だろうとも。
でも、増田だって、こんなのと一緒に生きていくのはもううんざりなんだ。
私は私と一緒に生きていくのが疲れた。
みんなみたいに、そっと距離を取ることができない。
ずっと近くにいる。
ずっと隣にいる。
剥がしようもなく側にいる。
趣味だって、ただそうすれば抱えた癇癪がマシになるからやっているに過ぎない。こいつから逃れられないから、仕方なく好きにさせてやってもいい場所を作っているに過ぎない。
本当は絵や文章なんか書かなくても気分が晴れるならそれが一番楽なはずだ。誰も傷つけずに、安心して一人で好きなだけ打ち込めるというだけの、苦しみから逃れるために必要なだけの、ただの麻酔だ。
「文章を書いたり、絵を描いたりで努力できるのはすごいね」と褒めてもらえることもあるけれど、違うんだよ。それをやらないとあなたに危害を加えてしまいそうだから仕方なくやっているだけなんだ。全然立派でも何ともない。犯罪者予備軍が犯罪をしないためにギャンブルや酒に溺れているのと一緒なんだ、これは。
厄介な人をあしらう術に長けた者たちだけが、周りに残っているのがその証左だ。
衝動性を逃がす以外のモチベーションはないから、創作で食っていこうとしてもクオリティにムラがあって仕事にならないのがその証左だ。
自分は化け物だ。
人間じゃない。
人間になんかなれっこない。
必死に身につけた人間性の全てが、衝動の化け物が眠る上に構築してあるというただ一点を理由に、崩れていく。
その眠る化け物が少し身じろぎするだけで、目覚めるまでもなく、増田の積み上げた全てを崩壊させる。
増田は自らの意思で人生を選択したのではなく、選択できる範囲の中で選ばされるしか出来なかった。
好きなもの一つ、「自分」の意志では決められない。化け物を起こさないようにごくごく慎重に、刺激しないものだけを選んでいる。
全部全部こいつのせいなんだよ。
化け物を一番殺したいのは増田なんだよ。
私の人生を全部めちゃくちゃにしてきて我慢ばっかりさせるような化け物を、一番憎んでいるのは私自身なんだよ。
両親を困らせたくなかった。
いじめられたくなかった。
恋愛が怖いと思いたくなかった。
友達を傷つけるようなことなんて、今だって一個も言いたくない。
なのに全部できない。
全部全部、壊すのは増田だ。
私なんだよ。
死にたい。
もう、こいつと一緒に生きていくことに疲れてしまった。
何もかも破壊して、めちゃくちゃにして終わらせたいという衝動が、朝も昼も夜もずっとずっと苛む。
増田にできるのは、この化け物を思い通りにさせず、誰をも傷つけることなく、自らの死以外の罪をこの肉体に起こさせないことだけなのではないか、という気分になってくる。
それよりも、慰めてくれた誰かに牙を剥きたくない。
恩を仇で返したくない。
そんな気持ちのほうが、ずっとずっと大きく膨らんでいってしまう。
それは誰かを不幸にするから。
愛されないまま死んで忘れられることだけが、増田にできる唯一の社会貢献だ。
せめてそれだけはさせてほしい。
許してほしい。
ごめんなさい。
生まれてごめんなさい。
勝てるわけないじゃん。
まず冷静に現実を見ようよ。
どう考えても弱者男性側に勝ち筋ないのに、なんであんなに吠えてるの?
マジで謎なんだけど。
・SNSの影響力
・世論形成
どれもこれも女性側に優位性がある。
弱者男性がどれだけ「女ガー」と叫んでも、そもそも舞台装置全部が相手のホームなんだよ。
勝てるわけない。
弱者男性が女性にケンカ売っても、「生活基盤で負けてる」時点で詰んでる。
弱者男性が吠えても、
なのに「勝てると思ってる」のがすごい。
勝てるわけないだろ、どう考えても。
むしろ
「また負け犬の男が何か言ってるよ」
で終わり。
誰も味方にならない。
「ネットなら味方いる!」って思うかもしれないけど、あれはごく一部のコミュニティだけ。
女性側が持ってるのは、
・政治的発言力の上昇
・メディアの味方
・Xでの怒りのポスト
・「女は○○だ!」みたいな妄想
……いや、弱すぎるだろ。
これでケンカ売るの?
勝てるわけないじゃん。
結局これ、「弱い犬ほどよく吠える」をやってるだけ。
でも社会的に何も持ってないと、「怒り」だけが唯一の武器になる。
・経済で負けてる
・世論で負けてる
・制度でも負けてる
・武器が弱すぎる
・味方いない
・発信力ない
・戦略ない
・感情で動く
弱いなら弱いなりに、策を練ってから吠えろよ。
今じゃないんだよ。
無策で感情ぶつけても何も変わらん。
頼むからさ。
8歳。
保育園の時から好きだった女の子がいた。おしとやかで、可愛らしくて、いつもニコニコ笑いかけてくれていた。小学校に入ると髪を切り、男に混じってドッジボールや野球をするようになった。絶望した。自分の好きだった彼女という概念がこの世から消滅した気がした。同時に「おしとやかで、可愛らしくて」という「属性」でしか彼女を見ていなかった自身の浅ましさにも気づいて絶望した。人は変わる。その変化が自分にとって好ましいかどうかなど関係なくエントロピーは増大し、覆水は盆に返らない。彼女も、自分も、家族も、世界のあらゆるものはいずれ形を変え、崩れていく流動的な現象に過ぎないのではないかと考えた。それは諸行無常の絶望、固定された幸福など存在しないという悟りだった。
留守番中、台所の包丁を腹に突き立てようとした。 刃先が腹に触れる感触がしたところに家族が帰宅した。当時は首吊りも飛び降りも知らなかった。ただ、腹を切ればこの流転する世界から一抜けできると信じていた。
15歳。
生きるのが少し上手くなったふりをしながら、内側から壊れていった時期だった。そこそこ勉強ができた。ただ、通える範囲に進学校と呼べるものはなく、地元の高校に進んだ。当然のように期末テストでは学年1位、模試では県1位を取り続けた。数字の上では順風満帆で友人もいたが、「友人」はいなかった。 周りを見下していたわけではないと思いたい。ただ、見ている景色の解像度が違いすぎたのだろう。自分が100の情報を処理して言葉を選んでいる間に、周囲は3くらいの情報量で会話を成立させている。それは親に対しても同じだった。部活で負った怪我がトドメになった。唯一身体性だけで繋がれていた世界すら断たれた。精神のバランスは音を立てて崩れた。ネットで稼いだ小遣いで、カフェインの錠剤を大量に買い込んだ。錠剤をコーヒーで流し込み、あるいは砕いて鼻から吸った。当然、睡眠のリズムは狂う。脳だけが異常に加速し、身体は鉛のように重い。そのちぐはぐな状態で、脳は刺激と情報を求めてネットの海へとのめり込んだ。
死ぬ勇気も生きる気力もなかった。空白を埋めるように過食に走った。深夜、家族に隠れてスナック菓子やアイスクリームを貪った。嘔吐恐怖症だから吐けない。けれど太って自己管理ができていないとバレるのはプライドが許さない。異常な距離を歩き、街の端から端まで自転車で疾走した。食べた分のカロリーを呪いのように消費した。食欲はさらに歪んでいった。パスタの乾麺をそのまま齧り、茹でる前の素麺を貪り、生の米を噛み砕いた。すり減った奥歯は戻ってこなかった。
そうして思考のノイズが限界に達したある日、どこかのビルから飛び降りたらしい。「らしい」というのは、この時の記憶が欠落しているからだ。何階から飛んだのかも覚えていない。 結果的に無傷(ぱっと見は)で誰にも見つからなかったことから推測するに、おそらく2・3階程度だったのだろう。五体満足で生還した。しかし全身の打撲と擦り傷の痛みは長く続いたし、右膝の違和感は今も消えない。思い返すと飛び降りを決意させたと思われる決定的な出来事があったのだが、ここには書けないし書かない。
21歳。
もう書くのも面倒くさい。当時のことはほとんど覚えていない。前後数ヶ月の記憶が綺麗に抜け落ちている。気づいたときにはパソコンの充電コードで首を吊っていた。目が覚めたとき、首にはまだコードが絡みついていた。死ぬ気だったのか、発作的なものだったのか、それすらも分からない。ただ、目が覚めてしまったという事実だけがあった。
27歳。
命を投げ捨てるのは簡単なことだ。こんな簡単なことに3回失敗したのはこの世界から死ぬことを許されていないからだ。そう言い聞かせることで撤退戦のような人生を生きている。周期的に考えれば、そろそろ4回目の波が来てもおかしくない。8歳、15歳、21歳。これは「次」が来たときに同じ轍を踏まないための、あるいは衝動に飲み込まれないための、未来の自分へ向けた戒めだ。
日本がなんでへりくだらなきゃならないんだよ
中国に拒絶されてるくらいがちょうど良いだろこっちくんなw
😁
日本人は自他ともに認める「喰いもんをダメにされたらキレる」プライドはあるけど、中華人民共和国の一般の人らにべつに食に関することでなくてもいいけどそういうわかりやすいキャラ付けってあったっけ?という話なんや😉
今の中国の振る舞いが気に食わない、高市氏の発言にスカッとした。それは結構だ。個人の感想としては自由だろう。だが、それを国家の外交戦略として肯定し、従来の「どっちつかず」な態度を「弱腰」だの「中国への阿り」だのと断じるのは、あまりに国際政治のイロハが分かっていない。「敵か味方か」「善か悪か」という幼稚な二元論でしか世界を見られないのなら、外交について語るのはやめたほうがいい。
まず決定的に理解が足りていないのは、中国という国家における「面子」の機能だ。お前らはこれを「中国人のプライド」程度の、単なる感情の問題だと思っているのだろう。だから「相手の顔色をうかがう必要はない」などと言えるのだ。
中国共産党体制において、面子とは統治の正当性を担保するシステムそのものである。「中華民族の復興」を掲げる以上、核心的利益(台湾など)で公然と面子を潰されれば、彼らは体制維持のために、経済合理性を無視してでも強硬手段に出ざるを得なくなる。つまり、相手の面子を潰すという行為は、相手から「合理的な判断(=戦争は損だからやめておこうという判断)」を奪い、暴発へと追い込むトリガーを引くことに他ならない。
高市氏の発言が危ういのはまさにここだ。「守る意思」を示すのは良い。だが、それを言葉にして相手の逃げ道を塞げば、相手はコスト度外視で殴り返してくる。相手を暴発させずにコストだけを認識させる、そのギリギリのラインを突くのが外交であり、素人の喧嘩自慢とはわけが違うのだ。
さらに絶望的なのは、相手国を一枚岩の「悪の帝国」としてしか捉えていない点だ。中国共産党内部にも、経済合理性を重視し、欧米との協調を模索する穏健派(非強硬派)は確実に存在する。彼らは、今の独裁体制の中で息を潜めながら、強硬派の暴走を止める機会を窺っている。
日本が「一つの中国」という建前(面子)を維持し続ける最大の意義はここにある。我々が面子を立ててやることで、中国国内の穏健派に「日本も配慮しているのだから、我々も過激な行動は慎むべきだ」と主張するための論拠(武器)を与えているのだ。
それを「白黒つけろ」といって放り投げればどうなるか。
中国国内はナショナリズム一色に染まり、穏健派は「売国奴」として粛清されるか、沈黙するしかなくなる。結果、中国の意思決定は強硬派に一本化され、軍事衝突のリスクは跳ね上がる。「どっちつかず」をやめるというのは、敵の内部にいるブレーキ役を自らの手で殺すのと同義だ。これほど利敵行為に近い愚策があるか?
最近ネットでは「中国に配慮するリベラルは中国の手先だ」といった短絡的な言説が溢れているが、知性の劣化もここに極まれりだ。「相手の主張に賛成すること」と、「国益のために相手の面子に配慮(マネジメント)すること」は、全く別のレイヤーの話である。
「一つの中国」を表面的に支持しつつ、裏で台湾と実質的な関係を強化する。この「戦略的曖昧さ」こそが、中国を縛り付け、現状変更を許さず、かつ戦争という最悪のコストを回避するための、最も冷徹で計算高い「封じ込め政策」なのだ。これを「信念がない」「コウモリだ」と批判するのは、高度な嘘で成り立っている国際社会の現実から目を背け、自分に気持ちのいいカタルシスを求めているだけに過ぎない。
我々が求めているのは、一時の感情的満足ではなく、明日も平和に暮らせるという実利だ。そのためなら、笑顔で嘘をつき、嫌いな相手の面子を立てることくらい、大人なら当たり前にやるべきことだろう。
何か国に益があった場合折れずに主張戦わせるのはいいと思うんだが
今回はプライドとネトウヨの支持くらいしか損なわれるものないんだから普通に撤回して謝れよと思う
わざわざ揉め事起こしてなんの得があるの?
虚栄心というか、賢振りたかったり、頭が悪いと思われたくないという気持ちが心の奥底にあると自覚して結構経つのに、いまだにプライドか何かが邪魔をして周りに迷惑をかけてしまう。
具体的には仕事で分からないことがあってもすぐに質問せず曖昧なまま時間が過ぎ、肝心な時に知識がなくて自分が困ってしまうことが何度もある。
自分だけが困るのならまだいいのだが、周りにその尻拭いをさせてしまい、その度に嫌な気持ちや自分自身を恥じ、もう二度と繰り返さないと思ってもまた同じことになる。
今更質問するのが恥ずかしい、と思ってしまう。そんなことになる前に質問をして確かめればいいのに、
そうするべきだと思った時にはもう質問してもおかしくない時期になっている。何度も何度も。
自分のことは賢くもなくむしろ物覚えの悪い馬鹿者だとは思っているし、手癖も言動も気味の悪い人間だと思っている。
これでプライドは捨てきれていないのなら、他に何を考えて、何を省みて、何を実行すればいいんだろう。