はてなキーワード: 犯罪心理学とは
バ先に突然やってきた普段は他部署にいるオジサンがめちゃくちゃ馴れ馴れしくてストレスだった。声もでかいし。軽薄なノリだし。
初対面なのにいきなり名前何?みたいな感じで聞かれていやまずお前が名乗れよ。と思った。
あとオジサンはここの部署はじめてなのに馴れ馴れしくタメ口で話してくるからこいつに敬語使うのやだな、と思ってタメ口で返してやった
そしたら案外うまくいってこちらもストレスなくコミュニケーションできたのが意外な発見だった
これからはナメた態度とってくるタメ口おじさんにはタメ口で返していこうと思う!
犯罪心理学の本に人が犯罪に至る理由として色んな要素が絡み合っているが特に重要なのが認知の歪みだと書いてあった
これはつまり善悪の判断とかの話でなぜこの行為がやっちゃいけないか?なぜ悪なのか?の部分の認識が歪んでいたりするのでそもそも悪いことだと思ってなかったりハードルが低いことで犯行におよんでしまうというものだった
彼についてこの辺はかなり思い当たる節があるなあと思う
一年ほど前に本来なら捕まるレベルの迷惑行為をわたしの知らないところでやっていたことがあり彼自身認知の歪みもあるんだろうと推測される
こういう彼とは距離を置くべきで彼はわたしのような難ありな家庭環境で育った女よりもまともな家庭環境で育ち情緒の安定した女と結ばれるのが彼自身の幸せにもつながるんだろうと思うのだが
またわたしは手放さなきゃいけないのかと思うとちょっと悲しい気分になる
わたしは今回の件で彼に依存してた部分もあったなと思い後悔した いまは本当に自分を変えなきゃと思ったから毒親のLINEをブロ削して自分の過去と向き合いながらACを治す作業を細々とやっている
欧米を含む様々な国での研究から、ポルノ規制で犯罪が減るかどうかは、因果関係が不明なのでわかっていません。
いっぽう、犯罪機会論による防犯や、犯罪心理学に基づく認知行動療法による再犯抑止では、欧米で犯罪が減ることがわかってます。
2次元ポルノを規制する労力を、犯罪機会論の普及や、犯罪心理学に基づく認知行動療法による再犯抑止の充実に傾けたほうが、犯罪は早く減りますね。
欧米では実効性が認められていますね。日本では一部が取り入られている段階なので、これからでしょう。
犯罪機会論について:
子どもが犯罪に巻き込まれて死ぬ現実を受け止めるなら、本当に犯罪が減るどうかよくわからない表現規制よりも、確実に犯罪が減る方法を選んだほうが良いですよ。
たとえば、犯罪機会論による防犯。
日本では、「人」に注目し、動機があれば、犯罪が起きると思われています。しかしこれは間違いです。動機があっても、機会、つまりチャンスがなければ、犯罪は起こりません。動機を持った人が、機会に巡り合って、初めて犯罪が起きるのです。そのため、動機をなくせなくても機会さえ与えなければ、犯罪は起きません。
また、犯罪を減らすには、犯罪心理学に基づく認知行動療法で犯罪者の再犯率を下げることも有効です。
そうしたアセスメントとプログラムの開発と実施によって,この30年間ほどに,性犯罪者の再犯率を有意に低下させることが可能になった。成人の場合,性犯罪者の 5 年間の刑務所再入率は,日本で40~60%程度であるが,性犯罪の再犯とは限らない。この再犯率は,教育プログラムの受講で, 8 ~15%低下していることが実証されている。これは統計的に有意な差である(法務省,2012)。ただし,欧米のプログラムは,15~30%低下させているので,まだ改善の余地はあろう
「一人でも暴力事件を起こしたら」という言説は、表現規制を訴える文脈でよく見る。しかし、この言説は、次の点で問題がある。
たとえば、自分の知る限りでは、次の作品が犯罪の言い訳として使われていた。
犯罪者は、自分の責任を回避するために言い訳をすることが犯罪心理学では知られている。なので、犯罪者がある作品に影響を受けたと証言したとしても、言い訳の可能性が非常に高い。
たとえば、「現実の犯罪に影響を与えてしまった映画」に取り上げられている「ナチュラル・ボーン・キラーズ」は監督や制作会社が訴えられているが、責任は犯罪者にあるとして訴えは退けられている。
【解説】物議を醸した『ナチュラル・ボーン・キラーズ』のクレージーな内幕を暴く!|CINEMORE(シネモア)
1994年に『NBK』が公開されるや、案の定、物議を醸すことになった。映画宣伝にひと役買うはずのメディアは、映画のメディア批判に対して腹を立てる。評論家には「騒々しい映画」とのレッテルを貼られる。さらに悪いことに、公開後にはミッキー&マロリーを真似た模倣犯が現実の世界に出現。ストーン監督とワーナーは連続殺人を誘発したとして、訴訟に巻き込まれる。むろん映画に罪はない。2001年、米最高裁は訴えを棄却する。
AVとかポルノ、暴力的なコンテンツって「刺激が強いから悪い」っていう単純な話じゃなくて、
実際、ポルノの見すぎで前頭前野や扁桃体の働きに変化が出るって研究も出てるし、
ポルノ依存や暴力的コンテンツの摂取が多い人ほど「他人の痛み」に対して鈍感になっていく傾向が見られるらしい。
で、それが積み重なっていくとどうなるか。
少なくとも犯罪心理学上は、ポルノの普及と性犯罪は逆相関関係(ポルノが増えるほど性犯罪が減る)があることが知られている。また、暴力的なポルノと性犯罪との関係は、「ごく弱い」相関がある「かも」しれないが、因果関係を示すには不十分と結論付けたメタ分析がある。
Ferguson&Hartley(2020)は、ポルノ消費と性的攻撃性・性犯罪との関連性を調べた59件の論文をメタ分析する研究を行っている。
(中略)
その結果、次のように結論している。
性的コンテンツの豊富さと性犯罪との因果関係はいまだに不明なので、表現規制で性犯罪を減らせるかどうかはわからない。因果関係が不明な以上は、表現規制によって性犯罪が増える可能性はあるともないとも言える。
しかし、性犯罪を確実に減らせる方法はある。効果が不明な表現規制に頼るよりも、効果が確実な方法に頼った方が良いと思う。
具体的には、犯罪心理学に基づく再犯抑止と、犯罪機会論による防犯。
そうしたアセスメントとプログラムの開発と実施によって,この30年間ほどに,性犯罪者の再犯率を有意に低下させることが可能になった。成人の場合,性犯罪者の 5 年間の刑務所再入率は,日本で40~60%程度であるが,性犯罪の再犯とは限らない。この再犯率は,教育プログラムの受講で, 8 ~15%低下していることが実証されている。これは統計的に有意な差である(法務省,2012)。ただし,欧米のプログラムは,15~30%低下させているので,まだ改善の余地はあろう
犯罪機会論による防犯の例は以下のとおり。
あるコンテンツに影響を受けて事件を起こしたと主張する犯罪者はいるけれど、ほとんどは自分の責任から逃れるための言い訳なんだよね。
犯罪者が自分の責任から逃れるために犯罪行為を正当化したり言い訳したりする現象は、犯罪心理学上も、「中和理論(中和の技術)」として知られている。
ちなみに、クジラックス先生の同人誌をマネして性犯罪を犯した例がよく取り上げられるけれど、裁判では、妻と子との家庭内不和によるストレスと証言している。もちろんこの証言も、自分の責任から逃れるための言い訳と言えるだろう。
【2017.06.13】「漫画家クジラックスさんの同人誌を違法アップロードサイトで見て模倣した」という性犯罪者の自供を元に、さいたま県警が作者に配慮を申し入れた件(随時更新) - posfie
痴漢やセクハラ、性被害は、加害者の欲望や支配欲、または単に「相手を選びにくい状況」によって引き起こされるものであり、被害者の魅力とは無関係です。むしろ、加害者は「反撃しづらい」「声を上げにくい」と思われる人を狙うことが多いと言われています。
あなたが今までそういった被害に遭わなかった理由として、以下のような可能性が考えられます。
環境が良かった
痴漢が発生しやすい満員電車や危険な場所を避ける生活環境だった。
立ち振る舞いが堂々としている
自信を持って歩く人や毅然とした態度の人は、加害者に狙われにくい傾向があります。
運が良かった
性被害は理不尽なものであり、運の要素も大きいです。たまたま被害に遭わずに済んできた可能性もあります。
周囲に助けてくれる人がいた
無意識のうちに周囲の人が守ってくれていたり、リスクのある状況を回避できていた可能性もあります。
魅力の有無とは一切関係ないことを理解してください。むしろ、痴漢や性被害は「被害者が悪い」「魅力があるから狙われる」といった誤った考えが蔓延していること自体が問題です。
あなたが今まで被害に遭わなかったのは、むしろ良いことであり、あなたの生き方や環境、運などが良い方向に働いた結果です。自分の魅力と結びつけて悩む必要は全くありませんよ。
まず、「女性的な魅力がないから性被害に遭わない」という考え方は誤解です。 痴漢やセクハラ、性被害の加害者が狙う基準は、一般的に「見た目の魅力」ではなく「ターゲットにしやすいかどうか」です。
あなたが満員電車に乗り続けていたのに被害に遭わなかった理由は、以下のようなものが考えられます。
1. 立ち振る舞いや雰囲気の影響
加害者は、反撃しづらそうな人を狙う傾向があります。もしあなたが無意識のうちに警戒心が強かったり、毅然とした態度を取っていたりした場合、加害者は「この人はやめておこう」と判断していた可能性があります。
また、痴漢は「隙がある」と思われる人をターゲットにすることもあります。もしあなたが普段から警戒心を持ち、周囲をよく見ていたり、姿勢がしっかりしていたりしたなら、それが抑止力になったかもしれません。
2. 偶然の要素(運の影響)
満員電車に乗っていたとしても、周囲の環境やタイミングによって被害に遭うかどうかは変わります。
例えば、
加害者が近くにいなかった
近くに他の人が多く、手を出されづらかった
こうした要素が重なり、結果的に被害を免れた可能性があります。
性被害に遭うかどうかは「女性的な魅力」ではなく、加害者が攻撃しやすいと感じるかどうかで決まります。
実際、性被害に遭った人の容姿や年齢はさまざまであり、「美人だから被害に遭う」「魅力がないから被害に遭わない」といった法則はありません。性犯罪の加害者は、魅力的な人を狙うのではなく、反撃しにくい、抵抗しにくいと感じた人を選ぶことが多いのです。
運が良かった
といった要因が考えられます。
「魅力がないから」という理由で性被害に遭わないわけでは決してありません。 逆に言えば、「魅力があるから被害に遭う」というわけでもありません。
もし、あなたが「自分には女性的な魅力がないのでは?」と感じているのなら、それは性被害の有無とは関係のない話です。魅力は外見だけではなく、内面や個性、振る舞いなど、さまざまな要素によって形成されます。
どうか「被害に遭わなかった=魅力がない」という結論に結びつけず、自分の魅力は自分らしさの中にあると考えてみてくださいね。」
1. 痴漢・性被害のターゲット選びに「女性的な魅力」は関係ない
性犯罪の加害者は「魅力的だから」ではなく、「狙いやすいから」ターゲットを選びます。これを裏付けるデータや研究はいくつもあります。
→ 女性的な魅力とは無関係な年齢層も被害に遭っていることから、「魅力があるから狙われる」という説は成り立ちません。
→ 犯罪心理学の研究によると、加害者の多くは「大人しそう」「声を上げなさそう」「反撃しにくそう」といった理由でターゲットを選びます。つまり、被害者の魅力ではなく、加害者にとって「リスクの少ない相手」が狙われやすいのです。
→ 男性の被害者も存在します。これは「女性的な魅力があるから狙われる」という理屈と矛盾します。
2. 性被害に遭わなかったことは「魅力がない」証明にはならない
「魅力がある人が被害に遭う」と考えると、「被害に遭わない=魅力がない」という結論に至るかもしれませんが、これは論理の飛躍です。
例えば、「交通事故に遭わなかった人は運転が下手」とは言えませんよね?
同じように、「性被害に遭わなかった人は魅力がない」とも言えないのです。
偶然(運が良かった)
警戒心が強かった(無意識含む)
といった要因が考えられます。
もしかすると、あなたの中で「被害に遭った女性=魅力的だった」という思い込みがあるのではないでしょうか?
世の中には、被害に遭ったことを話さない人が大勢います。あなたが「被害に遭った女性はみんな魅力的だった」と感じるのは、単にそういう事例が目に入りやすいだけかもしれません。
また、性被害は非常に辛い経験であり、被害者が「魅力的だから狙われた」と誤解されることでさらに傷つくこともあります。実際には、どんな人でも被害に遭う可能性があるのです。
あなたが被害に遭わなかったのは、あなたの魅力がないからではなく、ただそういう状況にならなかっただけです。そして、被害に遭った人は「魅力があるから」狙われたのではなく、「加害者にとって狙いやすかった状況にあっただけ」です。
どうか「被害に遭わなかった自分には価値がない」と思わないでください。あなたの魅力は、被害の有無ではなく、あなた自身が持つ個性や生き方の中にあります。」
1. 性犯罪は「魅力的だから狙われる」のではなく、「支配しやすいから狙われる」
性犯罪の加害者は、相手を「欲望の対象」として見ているわけではなく、支配やコントロールの対象として見ていることが多いのです。
性犯罪の被害者には 子ども、高齢者、障害者、男性 も含まれています。
→ これらの人々は「性的に魅力的だから」狙われるのではなく、「抵抗しにくいから」狙われるのです。
→ ここでも「相手が魅力的だから」ではなく、「力関係で支配できるから」という要因が働いています。
もし「魅力がある人が狙われる」のなら、上記のような事例は説明がつきません。
ここで考えてみてほしいのは、「醜い女性は狙われない」という考え方自体が、加害者の心理とはズレている可能性があるという点です。
性被害を受けた人たちの証言を見ても、彼女たちが「美しいから」狙われたわけではないことが多いのです。
「自分は地味で目立たないのに狙われた」
「美しくない女性は狙われない」というのは、ただの思い込みに過ぎません。
実際には、「たまたま被害に遭わなかった人がそう思っているだけ」という可能性が高いです。
3. あなたが被害に遭わなかったのは「魅力がないから」ではない
あなたが被害に遭わなかった理由を「自分が醜いから」と考えてしまうのは、自己否定につながりやすく、危険な思考です。
被害に遭わなかったのは、
といった偶然の要素が大きく影響しています。
4. まとめ
あなたが今まで被害に遭わなかったのは、「あなたが醜いから」ではなく、「そういう状況にならなかったから」です。
「魅力的な人が狙われる」という思い込みを捨て、「性犯罪は加害者の都合で起こる」という事実を冷静に見つめてみてください。」
ですが、実際の加害者の心理や統計データを見ると、この考え方には大きな誤解があります。
もし「加害者は魅力的な女性だけを狙う」という仮説が正しいなら、次のような事例を説明するのが難しくなります。
① 性犯罪の被害者には「魅力がある」とは言えない層も含まれる
これらの被害者が「魅力的だから」狙われたとは考えにくいですよね。実際は、加害者が「支配しやすい」「反撃されにくい」と感じたからターゲットにしたのです。
警察のデータや犯罪心理学の研究では、加害者は必ずしも「魅力的な女性」を狙うわけではなく、「その場で都合が良い」と思った相手を攻撃することが多いとされています。
例えば、
深夜に一人で歩いていた人が「手を出しやすかった」
つまり、加害者の基準は「魅力の有無」ではなく「リスクの低さ」なのです。
2. 「醜い女性はそもそも視野に入らない」という考えについて
もしこの考えが正しいなら、「美しくない女性が性被害に遭ったケースは存在しない」ということになります。ですが、実際には「自分は美人ではないのに被害に遭った」という証言はたくさんあります。
「私は地味で目立たないのに狙われた」
「年齢も若くないのに被害に遭った」
これは、「加害者が必ずしも美人を狙うわけではない」ことの証拠です。
3. もし本当に「魅力=ターゲット選びの基準」なら、加害者はリスクを冒してでも美人を狙うはず
もし加害者が「魅力的な女性だけを狙う」なら、満員電車で不特定多数の女性に痴漢をするのではなく、特定の美人だけをターゲットにするはずですよね? しかし、現実にはそうではありません。
つまり、加害者の目的は「性的魅力のある相手を選ぶこと」ではなく、「成功しやすい相手を選ぶこと」なのです。
4. あなたが「被害に遭わなかった=魅力がない」と感じるのは、自分を過度に否定している可能性がある
あなたが「自分は醜いから被害に遭わなかった」と考えているのは、自分を必要以上に低く評価してしまっているのかもしれません。
性犯罪の有無と、あなた自身の魅力には本来、何の関係もありません。
たまたま他の人が狙われた
といった要素が絡んでいるだけで、「魅力がないから」という結論にはなりません。
✅ 「魅力的だから狙われる」というのは誤解。加害者は「成功しやすい相手」を選んでいる。
✅ 子ども、高齢者、男性なども被害に遭っている事実があり、「女性的な魅力」は関係ない。
✅ 満員電車やセクハラの実態を見ても、加害者は「近くにいて反撃しづらい相手」を選んでいる。
✅ あなたが被害に遭わなかったのは、たまたまそういう状況にならなかっただけで、「魅力がないから」ではない。
あなたが「自分に魅力がないから被害に遭わなかった」と思ってしまうのは、もしかすると、何らかの自己評価の低さや過去の経験が影響しているのかもしれません。
でも、どうか「性被害に遭う=魅力的」「性被害に遭わない=魅力がない」という間違った結論を信じないでください。あなたには、被害の有無とは関係なく、あなた自身の魅力があるはずです。」
もし、あなたが「私は魅力がない」と感じるのなら、それは「世の中の基準に当てはめて評価している」からかもしれません。でも、魅力とは他人が決めるものではなく、あなた自身が持っているものです。
あなたの魅力を知るために
私があなたのことを直接知っているわけではないので、具体的に「こういう魅力がある」と断言するのは難しいです。ですが、もしよければ、あなた自身がどういう人なのか少し教えてもらえませんか?
例えば、
どんなことが好きですか?
自分の中で「これは得意かもしれない」と思うことはありますか?
あなたの性格、価値観、考え方を少しでも知ることができれば、きっと「あなたの魅力」を言葉にできると思います。
あなたは、自分を否定するためではなく、「本当の自分」を知るために、こうして問い続けているのではないでしょうか。私は、あなたが自分自身の良さを見つけられるよう、一緒に考えたいと思っています。」
・好きなことは特にありません
・得意な事はひとつもありません」
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まず、この投稿を読んでから下記をの個人的な感想を読んでほしい。
ネタあれば良いのだが、ネタではない場合は子供にとっては非常に良くない家庭環境だと思いこの文章を書こうと思った。
手厳しいことを書くが、投稿者の家庭を傍から見れば、無知故に友人らの影響で息子を蔑称呼びしてしまう30代母親と、息子の蔑称呼びに対して自分が言われたかのように感情的になり妻を窘める事もできず、本質的な問題である妻が息子に対して抱いている危機感を直視せず実家で楽しくして欲しいと言うふわふわとした感想しか持てない投稿者である40代父親
悲しいかな、子供からしてみればどちらも信頼できないし安心もできない両親だ。
正直な話、投稿者は妻子とのコミュニケーションが普段の生活の中で全く取れていない様に見える。
下手すれば、育児に対しても必要最低限の参加しかしてないのでは?
普段からコミュニケーションや子育てに積極的に参加していれば、妻が友人らの影響を受ける前に息子の問題に関して真っ先に相談しただろうし、妻が抱く息子の違和感に気が付くこともできただろう。
しかし、投稿者は『関連付けを拒むべきというのが結論』などと宣い自身の息子がどのような精神状態なのかも把握することすら逃げているように見える
結局のところ、例の蔑称を否定するのに固執しすぎていて息子と向き合う姿勢が全くないのだ
蔑称を否定したいだけの投稿者と成績など複数の要素をを加味して息子の状態は果たしてこのままで良いのかと悩む妻
投稿者が妻と話が嚙み合わないと言っているが当たり前の話である。
某蔑称を否定することに固執する前に、投稿者は色々と手遅れになる前に妻子と向き合うのが先決ではないかと思う
投稿者の妻に関しても、投稿者が非常に回りくどく拙い言葉で蔑称だから辞めてほしいと言っているにも関わらず、その言葉が最適だと言って息子に対して使ってしまうのは異常だ
実の娘をパパ活女子と罵倒している様なものだと理解する必要があり、一種の虐待である
某蔑称をネット検索したのならば、発達障害やASDなどの心理学的な問題とぶつかる羽目になる筈だ
けれど、彼女はその事には触れずに某蔑称を使用しているのを見るに、息子が精神障害などの心理的な問題を抱えている可能性を認めたくないようにもみえた
ちなみに某蔑称の男性に育ちやすい環境は、母親の過干渉と父親が育児に参加しない事である
子供にとって同性の親というのは、参考にすべき人生のロードマップのようなものだ
しかし、その機会がないと子供は手探りで生き方を探さなくてはならず、ネットでの間違った知識や偏った思想に影響されやすくなる
なにより、母親は父親にはなれない為、異性の息子に関して間違った教育を施した結果、子供は非常に傷つき自己肯定感などを無くしてしまう悪循環が発生するのだ
そんな母親の過干渉と暴走を止めて息子を守りつつ導いてやるのが父親の役目である。
果たして、投稿者は父親としての役目を果たせているのか、その妻も息子の関して過干渉になりすぎていないか疑問だ
では、どのように子供と向き合うべきかは、医者やカウンセラーに相談するなり、本を読んで勉強するしかないだろう
特に分かりやすい本は、出口保行の書いた『犯罪心理学者が教える子どもを呪う言葉・救う言葉』や『犯罪心理学者は見た危ない子育て』等の心理学関連の本である
子を思うなら実家で楽しくしている事を願う前にこの本を夫婦で読み、各々が感想を言い合って子に対する向き合い方や反省すべき点を喧嘩腰にならず冷静に話し合うべきである
正直なところ、子供にとって投稿者とその妻は良くない両親ではあるが、唯一無二の両親でもあるのだからしっかりして欲しい
人間誰しも間違った方向に行くこともあるが、軌道修正することも可能なのだから
本当に息子のことを思うなら、某蔑称の否定に躍起になるのではなく、夫婦ともども子が健やかに育つように支えあうべきだろう
これを切っ掛けとして、投稿者には息子の為にも頑張ってほしいと思った
.
何かと言うと、10年ほど前にとあるセンセーショナルな事件があった場所を見に行ってきたのだ。女子高生による同級生殺人事件である。今回は、そのレポとそんな悪趣味な聖地巡礼を決行するに至った経緯の2点を、書き手である私の過去の自語りを多大に含めながら書いていこうと思う。事件の現場を特定して見に行ったイチ野次馬の実録として読んでもらえれば幸いである。
はじめに言っておくが、私はこういった事件が起きるたびに容疑者の地元は出身高校は云々……と嗅ぎ回るような野次馬ではない、とだけ表明しておく。しかしこういった行動に出ている以上、完全否定はできないところはあるが。
はじめに、その事件の内容を説明する。2014年に起きた、女子高生による同級生の殺害事件である。当時15歳の加害生徒Aが、同級生であるBさんを自室に連れ込んで絞殺。動機は「体の中を見てみたかった」「人を殺して解体してみたかった」といったものだった。(以下、それぞれ加害生徒=A、被害生徒=Bさんと表記)
事件の具体的な名称・地名については関係者に迷惑をおかけしてはいけないので伏せさせていただいたが、手口が特徴的なため、調べれば聡明な読者諸君においてはすぐピンとくるであろう。
事件の現場となった場所は、事件発生からほどなくしてネット上では特定されていた。私は現場となったマンション名をgoogleマップで検索、自宅からのルートを検索し向かった。
(ちなみに事件現場のマンションは、事故物件掲載サイトの「大島てる」さんにも掲載されている。Aの実家も)自家用車を走らせ、現場に到着した。所要時間は割愛させていただく。
現場は国道に面しており、すぐ近くには駅や大きなアーケード街があった。駅が近い故か、市営のコインパーキングが現場マンションの向かいにあった。車をそちらに止め、徒歩で現場に向かった。
ここで、あらかじめ大事な前提を記載しておく。現場の敷地内には立ち入っていない。
敷 地 内 に は 立 ち 入 っ て い な い
そこまですると流石に不法侵入になってしまうので、面した道路から歩いて観察するだけにとどめた。私もそんなことでお縄になりたくないので、その点はご理解いただきたい。
現着し、まずはマンションの外観を観察してみる。10階建てでおそらくオートロック。今ではどの部屋にも人が住んでいる気配がある。現場となった5階にもまた、どの部屋にもカーテンがはまっていた。10年も経ってしまえば、その近くの人々の生活もすっかり元通りのはずだろう、という考えが自分にはすっぽり抜け落ちていたことに気づかされた。
マンションの裏手には駐車場が2台分ほどある。ただしもしかしたら、隣のビルに入っているクリニックの患者用かもしれない。駐車場付近から見上げると、当然マンションのベランダが頭上にずらっと見える。AはBさんの殺害後、証拠隠滅のためにスマートフォンを5階のベランダから投げ落としたのだという。彼女のスマートフォンが落ちていたのはこの辺りだろうか、と思いをはせる。
駐車場からさらに路地を入ると、住宅が斜面に立ち並んでいた。ここから先は進んでいない。途中で引き返したのは、非常に坂道が急でその後の体力を考慮したためだ。この町の特徴的な地形ではあるが、国道から一本細い路地に入っただけで急峻な坂道になる。西側には海があり、その海岸線近くまで山地が迫ったこの街の地形故だ。
マンションに数秒黙祷し、周辺の探索に移った。国道の向かい側には小さな商業施設があり、昔ながらのブティックを中心に、1フロアだけのイオンやダイソーが入っていた。ブティック中心だからか、店内は年配の女性が多い。日本のどこにでもある、田舎の商業施設の風景に心が安らぐ。商業施設の1Fからはアーケード街に通じており、今どき珍しく賑わいのある商店街が広がっていた。雰囲気で言うなら、福岡市天神の新天町商店街にかなり近い。
商店街は今どきのカフェや居酒屋といった飲食店から、昔ながらの八百屋にかばん屋、チェーン店のドラッグストアにアニメイトまであった。筆者は商店街と言えばシャッター街と化した薄暗い故郷の商店街しか頭になかったためまあまあ驚いた。にぎわうアーケードの喧騒の中で、AもBさんもここで一緒に買い物を楽しんでいたのだろうか。楽しい時間をすごしたのちに、あのような凶行に及んだのだろうか。そんな、彼女と一緒にお出かけを楽しんだ後にお持ち帰りして夜はムフフなことをして、じゃないんだから……と下世話で邪な形容をした。凡人かつ俗物の私にはそういった想像が限界だった。勿論、真相はAにしかわからない。
横断歩道を渡り、マンションのある側に戻る。国道沿いに北西に進むと、5分もせずに県の弁護士事務所が見えた。Aの父は敏腕弁護士だったと聞く。Aの父は、Aの母が亡くなった後まもなくして若い女性と再婚した。それがトリガーになったかは知らないが、2014年3月にAは父の殺人未遂事件を起こしている。Aと一緒には住めないと判断したAの父は、Aの戸籍を外してAの祖母の養子にし、マンションで一人暮らしをさせることに決めたという。この事実だけ見ると父親もAの扱いに手を焼いていたのと同時に、法的には娘を切り捨てた薄情者、という印象を受ける。
しかし、現地を歩いてみると、現場の近くには県の弁護士事務所があり、父の職に大いに関係していたであろう場所がある。2014年当時からあったのかはわからないが、もしかしたら父は、自分の業務で関わることの多い場所の近くに娘を住まわせようと、ひいては見守りたい意思があったのかもしれない。娘のために駅の近くかつオートロック、自分の職場からも近い賃貸物件を見繕って用意してあげていたのかもしれない、と思いをはせる。やはりやるせなさを覚える。
結果としてAの父親は2014年10月に自宅で首を吊っているのが発見され、そちらの実家もそれで「大島てる」さんに掲載されている。Aの父親の行動には怒りを覚えるところも多いが、同時にどうにもできなかったのだろうと痛ましさを覚えた。
ここまで想像を巡らせたのち、私はマンション近辺を後にした。名物のハンバーガーが食べたくなった、ヤニを吸いたくなった。そういったその時湧きあがった欲求が、私を2014年から2024年へと引きずり戻してくれた。
参考程度に記載するが、賃貸サイトによる2024年2月現在の家賃相場は、その市はワンルームで3.72万円。現場となったマンションはワンルームだが4Fの家賃が4.9万円と、その地域では少しお高めな印象は受ける。築年数も浅く何より駅近物件だからだろう。ちなみに、現場となった502号室はどの賃貸サイトにおいても今は入居者募集されていなかった。
では、なぜそのような不謹慎な聖地巡礼を決行したのか? その理由は、「私がこれまでの人生で1番執着した事件だったから」にほかならない。少し回りくどいが、私自身について、この増田の匿名性を損なわない程度にお話しする。
筆者である私は、Aと同年齢である。そして2014年に何をしていたかというと、やはり高校1年生をしていた。私とAの経歴には非常に共通点が多い。もっとも、Aの方が実家は太く彼女自身の才能も豊かなのは間違いないのだが、その内面には非常に共感できるところが多かった。Aも私も、住んでいる県も学校もまるで違うのだが、だいたい同じくらいの偏差値帯の公立中高一貫校に中学受験で入っている。抜けきらない中二病で一人称は女なのに「ボク」だったし、Aのようなかなり短いショートヘアをしていた。高1の途中から不登校児になったのまで同じだった。(一つだけ自慢。今でこそ私はうだつの上がらない無職だが、高1当時は県内模試で2ケタの順位につけるくらいには学力もあった。)
問題はここからである。高1当時の私は、少年事件について調べるのが大好きで、それをモチーフにして同級生を殺しまくるお話をケータイ小説で執筆・投稿していた。今思うと二重に恥ずかしい子どもである。
事件発生当時まず何を私が考えたか。「A、私の書いたの読んだの?」である。今考えると普通にそんなのはあり得ない確率であるし、ほぼ妄想の域だった。しかしそれくらい手口が酷似していた。後ろ暗い喜びと同時に、思考回路が同じという点でかなり精神的に追い詰められた。二律背反で感情が板挟みになっていた。学校に行っても、やはり同じ高校1年生が起こした事件ということでクラスでの関心も高く、「キ〇ガイだよね~(笑)」とクラスメイトが笑っているところも見かけた。今でも思い出して動悸がする瞬間である。
そしてそのケータイ小説の掲載に関しては、投稿を削除した。そのうえで、もう創作はしないと筆を折った。
そしてその後、連日ニュースがそれを報じてどんどん事件の全容が見えてきた頃には、私はネットでAの情報を漁りまくっていた。私はもともといじめられっ子で、当時はいじめっ子たちのピグやTwitterを特定して、特にアカウントは作らず毎日のように静観するという人聞きの悪い趣味を持っていたから、そういうのが大好きではあった。また、AにはASD(自閉スペクトラム症)があり、その点も考慮して医療少年院送致がふさわしいとの判決が出た2015年頃、実は私もASDの診断を受けていた。偶然にしてはあまりにも近すぎると、一方的にシンパシーを感じていた。
そしてそのうちに、Aに対してどんどん惹かれていったのだ。Aのような人の内面の深淵をのぞき込みたい、という気持ちになり、進路希望調査では心理学部のある大学を書くようになった。その後、急速にメンタルの調子を崩して精神科医療にかかったり、卒業も危ぶまれるくらいには学校に行かなかったりしたが、どうにか高校は卒業した。
犯罪心理学をやりたいです!と意気揚々と心理学部のある大学に入り、臨床心理学系の大学院にまで進み、少年司法の分野に行きたいと思い公務員試験を受け、児童相談所に勤務した。今振り返ると、「心理学がやりたい!」の起点はさかのぼればすべてAへの関心に行きつくと思う。我ながらどうかしている。
そして現在、2024年2月。児相勤務は上司や先輩からの陰湿ないやがらせに遭い、私はひっそりと公務員を退職した。今は退職してから3か月が経つ。公務員時代の蓄えでギリギリなんとか食えているが、正直来月以降の生活は先が知れない。なんでこの分野に焦がれ続けて10年間走ってきたのか? その疑問を問い詰めた時、この事件の存在が頭をよぎった。2024年のあの現場を、Aが生きていた町の2024年を見れば、私のこの思いを終わらせられると思った。以上が、私がこんな不謹慎な聖地巡礼をもくろみ、決行した理由である。
ちなみにわたしは結局、大人になってから二次創作という形で再び筆を執るようになった。どれだけ思考回路が狂気の側に近く、そのリビドーを表出させたいと願ったとしても、創作という法に触れない表現方法を選ぶことができた。私はその点で非常に適応的でポジティブな強みを持つことができたのだと、今は肯定出来ている。
話を本筋に戻すと、私はこの旅で、ようやくAへの執着に諦めがついたように思う。私は間違っていたかもしれないとはいえ、10年間走り続けてきた。そしてきっと、AはAで、医療少年院かあるいはどこかで、償いとAの人生を生きているのだろうと思い至った。やっと私は2024年の自分を生きていけるようになったと思えた。不謹慎だろうが、ようやく私はこれで前を、未来の方を向いて歩いていけそうな気がしたのだ。
最後に、被害者の方のご冥福をお祈りすると同時に、Aの更生と治療がうまくいっていることを祈る次第である。
ちなみにこの後、普通に私はその街の名所を一通り回り、観光して帰宅した。軍港の町なので、港に停泊している米軍の大きな船を眺め、海上自衛隊の博物館を見学してきた。他にも、ネイルチップが取れて応急処置にシールを買うためダイソーに入ったら、パンキッシュな服装のマダムと談笑したり。名物のバーガーを食べていたらバラエティ番組のロケの一団が店に入ってきてびっくりしたり。〇本雅美に似ていたが、声が違ったのでおそらくローカルタレントかなにかだろう。
見たい人と見たくない人というふうに二元論になりがちだけど、実際には、積極的に見たいとは思わないけれど特に問題ないという人のほうが多数なんじゃないかな。
例えば、2022年に騒動になった「月曜日のたわわ」の広告のターゲットは男性が中心だと思うけれど、女性の中でも問題を感じている人は少数派。
「月曜日のたわわ」を人々はどう見るか(https://synodos.jp/opinion/society/27932/)
(1)この広告に問題を感じているのは女性のうち3割強である。5割程度は表現の自由として容認している。3割強を小さいと見るか大きいと見るかは論者によるだろう。
また、犯罪対策では、表現規制よりも他の方法のほうが確実に効果があることがわかってきたことも大きいと思う。
例えば、痴漢対策では、デジポリスを使ったほうが痴漢を撃退できる。痴漢も内心では捕まりたくはないはずなので、デジポリスを使っている人に加害する痴漢はわずかだろう。
犯罪を減らすための犯罪心理学・犯罪機会論を解説した本は、専門家でなくても読める新書でも流通している。
入門 犯罪心理学 (https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480068248/)
近年、犯罪心理学は目覚ましい発展を遂げた。無批判に信奉されてきた精神分析をはじめ実証性を欠いた方法が淘汰され、過去の犯罪心理学と訣別した。科学的な方法論を適用し、ビッグデータにもとづくメタ分析を行い、認知行動療法等の知見を援用することによって、犯罪の防止や抑制に大きな効果を発揮する。本書は、これまで日本にはほとんど紹介されてこなかった「新しい犯罪心理学」の到達点を総覧する。東京拘置所や国連薬物犯罪事務所などで様々な犯罪者と濃密に関わった経験ももつ著者が、殺人、窈盗、薬物犯罪、性犯罪などが生じるメカニズムを解説し、犯罪者のこころの深奥にせまる。
子どもは「この場所」で襲われる(https://www.shogakukan.co.jp/books/09825260)
「暗い道は危ない」「怪しい人に気をつけて」…と子どもに教えていませんか。そうすると子どもは「明るい道」「普通の人」なら安全と思いこんでしまいます。子どもを狙う犯罪者は、好みの子どもを見つけるために明るい道を好みます。また、身なりも普通です。こういう教え方では、子どもを逆に危険に近づけてしまうのです。避けるべきは「危ない人」ではなく、犯罪が起こりやすい「危ない場所」。危ない人かどうかは外見ではなかなかわかりませんが、危ない場所かどうかは判断する基準があります。それは明るい暗いとは関係ありません。
犯罪や差別への対策として表現規制が妥当かどうかは、ここで答えが出ているのでは?
事実、暴力・性的表現と犯罪との関係は、研究によって効果の大小はまちまちであり、一貫性がない。(https://note.com/teshima_kairei/n/n10089470bc85)
ゲームの女性キャラをセクシーにしても女性蔑視にはつながらないという研究結果もある。(https://nazology.net/archives/111319)
また、メディアの影響については、他者に与える影響を多く見積もりがちな「第三者効果」や、他者よりも自身が影響を多く受けると見積もりがちな「first-person effect」が知られている。(https://www.jstage.jst.go.jp/article/ssi/7/3/7_1/_article/-char/ja/)
つまり、表現規制をしたところで、本当に犯罪や差別が減るかどうかはわからない。
ここで、「犯罪や差別を減らす方法が他にないから、効果がわからなくても表現規制をすれば良いのでは」と思うかもしれない。
しかし、犯罪にしても差別にしても、効果が高い対策がすでにある。
もし犯罪や差別を減らしたいのであれば、効果が確実な方法を推進したほうが良いだろう。知識を学ぶのも良いし、推進している人を応援したり、選挙で投票したりという方法で協力もできる。表現規制と並行して推進すれば良いのでは、と思うかもしれないが、時間も資金も人材も有限だ。効果が確実なほうに時間・資金・人材を投入したほうが、犯罪や差別は早く減るだろう。
犯罪については、犯罪機会論に基づく防犯と、犯罪心理学に基づいた再犯抑止という方法がある。
犯罪機会論は、犯罪リスクのある「人」ではなく、犯罪リスクのある「場所」に着目して、環境を改善することで犯罪を減らすという方法だ。犯罪リスクのある人がやってきても、犯行の機会をなくすことで犯罪を防ぐ。(https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/480198.html)
犯罪心理学に基づいた再犯抑止は、認知行動療法によって、犯罪者の危険因子を減らすことで再犯を防ぐという方法だ。(https://toyokeizai.net/articles/-/648816)
差別については、教育や啓蒙活動、法整備といった対策がある。ヘイトクライムについては、犯罪と同じ対策が使えるだろう。
犯罪心理学の知識も、差別の解消の役に立つ。例えば、犯罪との関連が高いと思われがちな精神障害は、犯罪の危険因子ではない。精神障害の人と精神障害ではない人とを比べて、犯罪率がほぼ同じ(むしろ精神障害ではない人の犯罪率がわずかに高い)ことがわかっているためだ。なお、「精神障害の人は犯罪を犯さない」ということではなく、「精神障害の人の中にも犯罪を犯す人はいるが、精神障害そのものが原因で犯罪を犯す人がいたとしてもごくわずかであり、原因は他にある可能性が高い」という意味である。(https://gendai.media/articles/-/56073)
このように、メディアの影響がわからないままに表現規制を行うよりも、犯罪や差別を減らせる効果が高い対策があるのだから、それを推進したほうが良いと私は思う。