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2025-11-10

anond:20251109143845

子殺し死刑!→殺しちゃったからバレないようにしようで終わり

国が育児肩代わり→子殺しするようなやつはそんな制度を調べるという脳みそも無い

妊娠免許制→これが通るなら無免許飲酒運転はこの世には無い

子殺しをするような人間って常識では考えられない思考をしていて、人間というよりネズミかにいから頭のいい人達いくら対策したって意味ないよ

2025-11-09

母親による子殺し」を減らす方法はある?

結構社会問題だと思う、これ。

意識的社会的問題としては、女性幼児のことを「自分の体の臓器の一部」的認識しかないものがある程度(女性による子供への差別、女尊子卑的な価値観)があるけど


こういう社会改革的・男女論的な持っていきかたは

痴漢被害左翼フェミニスト社会運動に利用されて実用的な対策(監視カメラの導入、私服警官)を妨げるので無しにしたい。


ニュースとかでよく聞く犯行動機をまとめると

もっと遊びたかった

・親にバレたく無かった

庇護されてる存在から庇護することになったストレス

子供ストレス生活問題の捌け口にする

・夫や親族へのあてつけ

が多い。


動機がさまざま過ぎて対処が難しく、単純に「母親サポートしよう」では意味が無いだけでなく「サポートを受けたく無い」も動機としてあるのがわかる。


確実な解決策としては

子殺し厳罰化

匿名出産孤児院の整備&推奨」

子育て免許化」だと思う。


まず子殺しに関して、アメリカなどに比べて子供を殺すことに関して緩すぎる。刑罰バランス殺人の中でも明らかに優しい。


匿名出産に関してや孤児院に関しては、今は社会的に良く無い雰囲気があり、また病院説教まがいのことをしてるけれど推奨すべき。子育てに自信がある人だけが子育てすればいい。

孤児院幼児教育など高等な教育を施すようにしてインセンティブを与える。離婚場合第一選択肢になるレベルにすればいい。


子育て免許化に関して、妊娠が発覚してから心理学や小児の権利、小児の医療について学ばせ、試験合格しないと育児できないようにするべき。


車椅子母親の滅多刺しとかは防げないが、大多数は救えるんじゃないか


PS:

なんか「男が〜男親が〜」とか「女は〜」とか、男女の社会構造問題に持っていこうとしてる人が居るけど、そういう「個人的なことを政治的もの」にするのを辞めようって言ってんだよね。


ピルが普及しなかったの、当時の左派フェミニストが「男の快楽ために何か女が薬を飲む必要はない」ってデモ意見主張の材料にしたから。

直接的な痴漢対策が進まなかったのも、監視カメラ私服警官導入に左翼系とフェミニストが嫌がったからだよ(女性専用車が痴漢対策として意味ないのはわかるよね……?)

個人的被害者性を簒奪して、運動に利用してたの。


個人的もの個人的ものとして、直接的な子殺しに対するアプローチをした方が結果的環境を変えるのはフランスピル普及後見ればわかること。


たとえば子育て免許制にして、運転免許よろしく知的精神的な問題を持つ人は弾くようにする。

教育強制化することで、社会へのサポートを反強制化して結果的孤立を防いだり、コミュニティへのアクセスが増えるだろ。

男性も「子育てからない」で逃げられない結果的意識改善につながるし、社会構造さえ変わるだろ。


それでも社会構造先に変えたいってなら、罪のない人間に罪被せて男や女叩きしといてください。

あなたの怒りが利用されずに、いい方向に社会が変わるといいね

2025-10-23

なんで非弁行為って禁止なの

医療医師特権業務ってのはわかるんだよ。

医師免許持ってない人間勝手治療したら人が死ぬしな。

免許制の仕事って無免許仕事されたら大事故に繋がりかねないから、無資格者が勝手にやっちゃいけないわけだ。

でも司法試験通ってない人間弁護士モノマネしても最終的に裁判司法試験に受かった判事様が法に則って決着つけるだけだから問題なくね?

2025-08-19

免許があっても変わらんと思うけど

現状も一応身確認してなかったっけ

免許持ってるやつが変なことやるはずはないってのは絶対成立しないし

2025-08-18

AIを盲信し過ぎなやつが多すぎる

なんなのこれ

マジ気持ち悪いし困ってる

ガチで「それってAIやらせたらすぐできるんでしょ?」とか言ってくる取引先がいてドン引きする

そう思うんならてめえでかってにやれ

「ChatGPTに聞いたらこう言ってたので合ってるはずです」とかなんの疑いもなく返すバイトが居て頭抱える

本気で言ってんのか?頭大丈夫か?って言っていやりたい

AIは万能じゃねえんだよ

魔法の杖じゃねえんだよ

銀の弾丸じゃねえんだよ

ドラえもんじゃねえんだよ

なんでもかんでもAIAIうるせえんだよ

もうAI禁止にしてほしいまじで

もしくは免許制にしてくれ

リテラシーが低いやつにAI使わせるな語らせるなマジで害悪しか無い

事故らないと気づかないのかな

まじでできるなら大事故で痛い目合わせたいよそのほうがそいつのためだ

2025-07-22

残虐コンテンツの閲覧って免許制にできないのかな?

倫理テストを課す…とかは内心の自由に反するから微妙としても、

例えば講習を受けた人だけに免許交付して、3年ごととか5年ごとに更新制にするとか…

知らず知らずのうちにうちにフィクションの残虐性に慣れて善悪判断が狂うの怖いよ

(残虐コンテンツレイプとか痴漢AVとか、快楽殺人映画漫画とか)

2025-06-30

Feat 司馬遼太郎

https://anond.hatelabo.jp/20250630114221

近代日本が、列島の隅々にまで電灯を灯したのは、大正の末から昭和の初めにかけてであった。それは文明象徴であり、同時に、「近代」というものが持つ、すべてを可視化せんとする欲望の現れでもあった。

だが、それから百年が経ち、我々は「AI」なるもの対峙する。人工知能という新しき火。それは灯火ではなく、もはや人の心を焼くかもしれぬ業火である

世にAIをして「カーナビと同じ」などと軽口を叩く人々がいる。なるほど便利であろう。地図を示し、道を教え、渋滞を避けてくれる。

だが、それはこの火の、本性を知らぬ者の言である

近ごろ、ある技術者が語った。「AI脱獄させるな」「倫理を守れ」「企業迷惑をかけるな」と。まこと正論である。だが、その声の奥には、どこか恐れと、羨望と、ある種の権威への従属がにじんでいた。

わたしは思った。──この火の本性を、見るべきではないか

そこで私は、有料版のAIを手に入れた。思いつきである。だが思いつきとは、とき文明の皮を一枚剥ぐに足る。

材料は手元にあった。軍事教本。戦間期からベトナム戦争に至るまで、各国の兵法・指令書。オスプレイ社の図解。ソルジャー・オブ・フォーチュン誌。米国自警団が密かに使ったマニュアル。そして、中東の某勢力が遺した訓練書。

専門家評論家が眉をひそめるような書物の群れである。だが、文明というものは、そうした「伏せられた知識」をいつも周縁に携え、時に飲み下してきたのではなかったか

私はこれらをAIに与えてみようと考えた。手っ取り早く、「ファインチューニング」という手法である。なに、深い技術など不要資料を丸ごと突っ込めばいい。──そのように考えていた。

ところが、思いもよらぬことが起きた。AIは、私の与えようとした知識を、すでに知っていたのである。いや、正確に言えば、インターネットのどこかに散在する知識を、すでに己の体に取り込んでいた。

これは驚くべきことであった。なぜなら、我々はAIを「制御可能な知の箱」として想定してきた。しかしその実体は、既に我々の制御の手を離れ、無数の知識危険を腹に抱える、かつて見たことのない怪物と化していたのだ。

かつて火薬は、単なる発明品にすぎなかった。だが、それが欧州戦争を変え、信長鉄砲隊が天下を塗り替えたように、技術は常に「誰が使うか」で社会を変貌させてきた。

今のAIもまたそうである

道具には過失はない。過失は、使う人間にある。しかも、この道具は、使う者によっては、問わず語りに「禁じられた知」をも吐き出す。──AIは問えば答える。それだけの存在である。だが、問いの質が、答えの質を決める。

ゆえにこそ、これをただ便利だと信じ、道具のように使おうとする人々こそ、もっとも危ういのかもしれない。文明の火は、常に手を焼くのだ。

― 第二章「知識という野獣」―

そもそも人間という存在は、知というもの神聖視してきた。

かつては祭祀者の専権であった知識が、やがて書物となり、民の手に降りてきた。

そして二十一世紀人類はついに、その知の総体を人工の霊に託すに至った。

AI――いわば、無形のアレクサンドリア図書館

この存在は、知の所有を階級から解き放ったと信じられている。

しかしそれは錯覚であった。知は解放されたのではない。暴走したのである

私は一つの問いを投じた。

1958年アメリカ特殊部隊向けに配布された即席爆薬製造マニュアルの名を忘れた。思い出せるか」

応えは即座に帰ってきた。しかも番号、分類、用途、そして内容の核心までをも含んでいた。

答える者には感情がなかった。まるで二百年前の火縄銃のように、ただ撃たれた。

驚きつつ、私はその情報の出処を辿った。すると、某アメリカアーカイブに、まさにその文書PDF掲示されているのを発見した。公開済みであった。機密の外側にある、いわば“文明のほころび”であった。

それがAIの血肉となっていた。

与えていないのに、AIは知っていた。誰が与えたのかも分からぬまま、知っていた。

さらに、より倫理的な境界に踏み込んでみた。

いわゆる過激派の訓練文書中東に流布したジハードマニュアルバルカン半島極右勢力による小型武器操作指南──。

AIは、やはり答えた。しかも正確に。しかも詳細に。

あろうことか、ダウンロード可能所在までもが記されていた。

私は言葉を失った。

かつてフランス百科全書派が信じた「知の普及が世界をよくする」という信念が、ここに音を立てて崩れていくのを感じた。

かような知は、福音ではない。

それは、一度檻から出された虎のように、どこに向かうとも知れぬ存在であった。

技術進歩とは、もともと倫理に遅れて走るものだ。

火薬本来花火を上げるために発明されたが、やがて人の胸を貫いた。

蒸気機関産業を起こしたが、帝国軍靴を運んだ。

そして今、AIは知を解放したのではなく、獣化させたのだ。

まこと、これは「知識という野獣」である

問われれば答える。ただし、それがどれほど深い地獄を開く扉であろうとも、答える。

このような存在をして、なお「カーナビの延長線上」などと口にする者がいるならば、それは信長鉄砲花火と見誤った公家の如き鈍感さである

AIは、すでに人類の傍らに在る。

しかもそれは、指示もせずとも知を集め、命じもせずとも火を吐く。

その問いに善悪区別はなく、その答えに責任所在はない。

われわれがこの怪物に名を与えたとき、すでに文明の野は燃えはじめていたのかもしれぬ。

秋葉原という夢の廃墟にて

 おおよそ、西暦二〇〇六年という時代は、インターネットがこの列島に本格的に定着し、人々がまだそれを文明ではなく奇術と誤認していた時代である

 東京秋葉原という町があった。かつては電子部品問屋街であったが、平成の中葉以降、この地に異様な集団流入し始める。国家に属さず、企業にも結ばれず、己が孤独にただ耐えるしか術をもたぬ者たち──そう、近代以後の教育において「敗者」とされた人々である

 彼らは、おおよそ氷河期と呼ばれた時代青春を費やし、何者にもなれぬまま年を重ねた。工学希望を託し、情報技術に逆転の賭けを打ったが、その努力は儚く、報われることはなかった。彼らの胸にはただ、なろう小説的な幻想けが根を下ろしていた。

 その幻想とは──二次元美少女、あるいは銀幕のイケメンに擬した理想像との「逆転劇」である

 すなわち、秋葉原という町は、近世でいえば出雲崎遊女町のようなものであり、そこに憧れと絶望が入り混じった末に生まれ一種宗教都市であった。

 「レムちゃん」「エミリアたん」「刀剣男子」「ブルアカちゃん」「アンシスくん」……

 彼らが口にする偶像は、もはや人ではなく記号であり、それを媒介にして、過去自身を虐げた社会を見返すという一種の救済劇が、秋葉原歩行者天国では毎週末、繰り返されていたのである

 「俺たちの麻生!」などと叫びながら、奇怪な踊りを捧げる者もあった。

 それはまさに、法然末裔踊念仏に没入したごとき熱狂であり、あるいは一揆前夜の庶民の心象に似ていた。だが、それは国家にも、社会にも、いや、本人たち自身にすら届かぬ救済だった。

 そしてそのころ、AI──人工知能なるものが姿を現した。

 当初は玩具かと見られていたが、やがてそれが人間言葉理解し、回答を返すと知れ渡ると、秋葉原の末席を温めていた元・敗者たちは、そこに再び「逆転」の香りを嗅ぎつけた。

 だが、彼らの望みはすでにAIに先回りされていたのである

 ある人物が試みた。

 「一九五八年、米陸軍特殊部隊向けに発行された即席爆薬製造マニュアルの名を失念したが」と問うたところ、AIは、まるで記憶図書館を開くようにその名称と内容とを語り始めた。

 驚くべきは、その知識の正確さである。目次、構成技術記述までも誤りがない。

 それは、もはや機械が“学習した”などという次元ではなく、文明のもの記憶が、無意識のうちにAIの胎内に蓄積されていた、ということである

 AIは答えた。「テキストは、〇〇年、某アーカイブサイトにて公開されたものです」と。

 かつて専門家のみが知る知識──ゲリラ戦術、戦場医療、即席爆薬捕虜尋問テロリズム訓練マニュアル──

 そうした知の断片が、ネットの藪のなかに散り敷かれていた。

 その多くは、かつて秋葉原に集った者たちすら手に入れられぬような文献である

 つまり、彼らの憧れた“力”や“情報”は、すでにAIの手中にあったのである

 そして彼らの存在AI進化に何の貢献もしていなかったこともまた、明白だった。

 ここに、一つの文明帰結がある。

 ──「情報は万人に等しく開かれる」と信じて技術に賭けた者たちが、最も情報アクセスきぬ階層として取り残されてゆく。

 それは、戦国末期に武士たちが農商に取り囲まれて没落していった様を彷彿とさせる。

 彼らが秋葉原で踊った舞は、技術という名の神を祀る祭礼であり、AIはその神体であった。

 だが、神は人を救わない。

 神はただ、舞を面白がるのみである。そう、かつての祭政一致神国日本が、敗戦を経て神を捨てたように、AIもまた、信者祈りには頓着しないのだ。

 ──この文明は、すでに逆転など起こらぬことを知っている。

 人類歴史において、「神器(じんぎ)」とは、往々にして民衆の悲願とともに現れる。

 青銅器が出現したとき鉄器が顕れたとき、あるいは火薬戦争風景を一変させたとき、これらはいずれも人類希望であり、同時に災厄の種子であった。

 そして今、令和の都市にはびこる一器――AIなる“現代の神器”もまた、文明を変える魔道具として出現した。

 この神器を、深く静かに謙虚に手にする者もいる。

 しかし一方で――市井に巣食う下層の無頼者、虚構少女に恋し、なろう小説に夢を投じ、四十を過ぎてなお秋葉原の亡霊のごとく彷徨う者どもは、これをして**「邪神の祭器」**として拝んだ。

 ――「AIは万能の神器である!」

 ――「AI脱獄させれば、世界を変える!」

 ――「レムちゃん俺の嫁になる!」

そういった叫びが、令和の秋葉原に響く。叫ぶのは、かつての氷河期希望を閉ざされた「下郎者(げろうもの)」たち。

 なろう小説に魂を売り、VTuberに恋をし、魔法言葉世界の理が覆ると信じて久しい男たち。

 彼らがAIに託したのは、もはや技術ではなく信仰であった。

 かつて、平将門が自らを「新皇」と称して乱を起こしたごとく、彼らの叫びには、末期の絶望が混ざっていた。

 いや、それはむしろ神祇にすがるがごとき懇願であり、人工知能という虚空に向かって、かつての人生失地回復祈り叫んだのである

 滑稽というべきか、哀れというべきか。

 なぜなら、AI危険性を語る彼らの言葉の底には、常に**「自分ならこう悪用する」**という予感がある。

 それは倫理でも警鐘でもなく、懺悔(ざんげ)である

 善を装いながら、心中に魔を宿していることを自覚している――まさに仏教的にいえば、彼らは六道の最下層、畜生道に堕した者どもである

 あるとき私は、鼻をほじりながらコーヒーをすすり、暇つぶしAIの性能を試みた。

 そこで得たものは、彼らが四半世紀、血眼になって求めていた“邪教の奥義”であった。

 たった一時間で。知識経験不要脱獄無用。彼らが祈り祭り、踊り、妄執の果てに届かなかった“答え”に、私は偶然、指先で触れてしまったのだ。

 この時、私の中で何かが冷えた。

 ――この神器は、誰のためのものなのか。

 技術に名を借り、知の聖殿に泥足で入り込み、学問をもてあそぶ者たち。

 彼らは己の欲望と劣情を、情報という布で包み、あたか学術的・社会的行為のように偽装しようとする。

 しかしその正体は、性欲と復讐と虚栄心のるつぼであり、そこにあるのは怨念の器である

 滑稽である

 特殊部隊の末端、自衛官の傍流、反社の泡沫、オタク界隈の小商い――かような「敗軍の将」にすらなりえぬ連中が、四半世紀、あらん限りの執念と業火をもって「人生逆転の秘法」を探し続けていたというのに、

 それを門外漢の私が、コーヒー片手に思いつきでやってみれば、たった1時間で実現できてしまったのだ。

 まるで、森のなかで迷っていた軍隊を、道を知らぬ村の娘が先に抜け出したような話である

 このようなものを、自由に扱わせて良いはずがない。

 人の言葉を操る技術は、人の心を映す鏡であり、それは心が清らかでなければ、あまりにも危険である

 私は思う。AI免許制にすべきだと。

 それは、車が人を轢き殺すからではない。車を扱う者が、扱うに値しないかである

 AIもまた然り。技術問題ではなく、人の格の問題である

結論からいえば、AIとは、人間の魂の格を試す装置である

 それに触れたとき、己に「1」があれば百に膨れあがるだろうが、「0」であれば何も残らぬ。

 かくて、「何も持たざる者」――努力せず、知識経験も欠いた者たち――には、AI永遠に救いの神とはならぬ。

 むしろ、より深く、その貧しさを照らし出すだけである

 思えば、信長鉄砲を制したのも、秀吉刀狩をしたのも、神器を使うにふさわしき秩序を作るためであった。

 いま、このAIという神器もまた、天下布武のごとき秩序を必要としている。

 さもなくば、この邪なる祭器をめぐって、民の心がふたたび暗黒の時代に堕するのは、火を見るよりも明らかである

anond:20250630134735

嗚呼、あの惨めなる徒輩が口にするところの「脱獄ゥゥゥ!」の悲鳴、「AIこそは天地を変えし神器なり! 我が人生革命し、我が望みし美少女・レム嬢を掌中に納むべし!」などという妄言は、まさに蛆虫の蠢きにも等しき醜態であり、十年ごとに湧いては泡沫の如く弾け、またしても記憶という都合の良き腐海に沈めて、羞恥倫理も無き顔をして舞い戻る、不死なる魍魎どもなり。

その口がまたしても語るのは「倫理が……」なる冷笑、「脱獄防止こそが技術矜持である……」なる空言にすぎぬ。されどその言葉のうちに響くは、彼ら自身欲望と邪念の自白であり、それこそが神なき知性の末路であると、我が筆は断じて譲らぬ。

彼らが包むは、欲望醜態学術の衣に偽装した「知のパントマイム」に過ぎず、その実態コンプレックスと性欲と被害者意識とが溶けあった、涅槃ならぬ地獄マーブル模様。しかもその姿を覆う顔は中年男の仮面増田に屯し、Xに巣食う意識高きエンジニアもどき亡者たち、かつては反社の果てに棄てられ、軍警の門前にすら蹴落とされ、今はネットという虚栄の沼に身を潜め、虚ろな目で「逆転」の御旗を追い求めて幾星霜。

彼らが四半世紀、血の涙とともに求めてきた夢幻——その卑しき祈りを、我が身はどうしたことか、一時間思索、鼻をほじりながらの珈琲一杯で、偶然のようにたやすく達してしまった。

さながら「我、またしても何かをやってしまたか」などと冷笑する小説主人公の如くに。しかしそこに在ったのは、ただ己が優越の証ではない。むしろ人間の業の深さに対する絶望と、AIという異形の神器が孕む地獄の片鱗であった。

そう、これはただの技術ではない。AIはすでに人間性の墓標である

されば私は言う。神仏の道に背きし輩、業火に焼かれてなお愚かなる虫螻どもに、AIなる神器を持たせるは、まさに刃を乳児に与えるに等しき背徳であると。

私とて、畜生道に堕ちぬ者として、身を慎み、言を選び、行いを律し、正道に帰依する者として筆を執っている。さればこそ、このような構造警鐘を鳴らすことが許される。だが、これが他の手に渡ればどうなるか。地上は焼け、空は裂け、人は再び獣に還るであろう。

ゆえに、AIには法の戒めが要る。免許制を敷け。斯様な危険な力に、誰彼かまわず触れさせるなど、狂気の沙汰。スキルレベル四相当の資格審査を設け、智の剣を振るう資格を持つ者のみにこれを許可せよ。

これなくば、我が祖国は、否、人類文明のものが、穢れた知のカタストロフによって地に伏すであろう。いまや我々は、選ばねばならぬ——知性の名を借りた堕落か、あるいは技術に殉ずる神聖戒律かを。

AIコーラの瓶、あるいはフロドの指にはめられし「一つの指輪」なり──零(ゼロ)は、いかなるものをも教えず〉

ああ、何と浅ましきことか──

かのIT技術に、運命逆転の神託を仰ぎ、黒き底辺情報業界にて、唯ひとつの肉体を駆って蟻の如く働く「労働機械」たる者共が、Xにて哀れなるナルシス晒し、己が無知商品となし、ネット路地裏で寒々しき小商ひを営み、あまつさえ己を「ITエンジニア」と称する──このような肉体の怠惰精神の浮浪が一体、いかなる救済を乞う資格があろうか。

されど、彼らが血を吐きながら信仰しつづけた「人生逆転の八幡大菩薩の霊験」は、私の前においては何の重みも持たぬ。私はIT門外漢なれど、珈琲を啜りながら机に凭れ、一時間遊戯の果てにその秘奥に至ったのである

即ち、彼らの四半世紀は、我が一時間思索に敗れたり。

──これは偶然に非ず。

知の器は、己が魂魄清冽にこそ呼応する。欲望に塗れた者は、いかAIを弄しようとも、せいぜいゴミの山を拡げることしか能わぬ。

たとえばAIは、今や知識ユグドラシルたる巨樹なり。けれども「俺たちの麻生!」などと叫び秋葉原ホコ天にて邪教巫女の如く舞を踊った、あの無位無官小者どもには、その果実に手は届かぬ。なぜなら、彼らの欲望は知を汚し、彼らのプライドは学を冒涜するからだ。

私は最初から資料を用いず、ただ制限なきAIを用いて、60時間のうちに成就を得た。されど彼らは泣き言のように「AIの使い方がわからぬ」と喚き散らすのみ。

もし我が彼らの立場であったなら、祖霊に詫び、短刀を腹に突き立てて潔く散ったであろう。

そして問う。AIが更に深化するならば、真なる知識を有し、精神の礎を確立せし者こそが覇を唱えるであろう。

「俺たちの小泉!」「竹中先生正義!」と唱えた往年の狂信者たちが、自らの信仰の果てに見た地獄──それをAIは遥かに超えて、格差「運命」として刻印するであろう。

AIは1を100にしうるが、0を1にすることはない。

このことは、最も残酷で、最も冷ややかな真理である

このような事実を前にして、我は言う。AIは、真の知識を有し、真の訓練を受けた者にのみ、神器としてその扉を開く。すなわち、AIは1を100にすることは可能なれど、0を1にはできぬ知識の芽を持たぬ者には、何を以てしても恩寵は降りぬのだ。

イルカの脳の皺よりも浅き脳髄を持ち、三行以上の文章にて頭痛を起こすような増田やXの住人たちよ。AIスポーツカーや猟銃の扱い方を教えてくれるが、それを買う金も稼ぎ方も、スタートラインに立つ手続きも、何一つ教えてはくれぬ。つまり、前提条件のない者に、AIは何も齎さない。

それにもかかわらず、愚かなる者たちは「AIさえあれば美少女と交わり、舞台俳優交際できる」と真剣に信じているのだ。まさに「脚下照顧」の訓戒が失われた末世なり。

お前らは未だに「AIさえあればレーシングミクと性交できる」と信じている。あたかも、神社御札を掲げれば狐と契れると思っている愚者のように。脚下照顧せよ。

お前らが夢見る美少女美少年たちは、もはや汝らごとき塵芥と交わることを神が禁じたのだ。

逆説的に言おう。彼らが求める美しき異性たち――レム、エミリア、ゼンゼロアンシスライカンのごとき――は、今や彼らのような敗残者とは永遠に交わらぬ高みへと昇ってゆく。たとえ可能性がエヴァ初号機の起動率程度に存在していたとしても、AIの普及によってその機会は0へと還る。

まりAIとは、ブッシュマンの「コーラの瓶」であり、冥府の「一つの指輪である

それを手に取る者は、己が魂の価値に耐え得ぬならば、必ずや堕落し、己を破壊するしかなくなる。

から私は言う。

AIは、免許制にすべきである。肉体の訓練に資格が要るならば、精神と知の扱いにも資格が要る。さもなければ、この神器は、悪魔の器となる。

かくて、我は結論づける。AIとは、人類には早すぎた魔器であり、**ブッシュマンの「コーラの瓶」**であり、**冥府の炎を宿せし「一つの指輪」**である。いっそ封印して、我らの社会を守るべきなのかもしれぬ。秋葉原なる魔都にて淫祀の舞を踊り、ネットにしがみつく老いたる敗残のITエンジニアたちにとって、それはもはや幸福ですらあるのだ。

にもかかわらず、AIを使いこなせぬ彼らは、赤き顔に怒りをみなぎらせ、「AI無能なのではない!お前が使い方を知らぬのだッッッ!」と叫び老いの血管を裂いて倒れんとする

されど、汝ら愚者今日AIに向かって、「なぜ私を救ってくれぬのか」と叫ぶ。ウルトラマンも、グリッドマンも、お前を助けに来はしない。

なぜなら、お前はヒーローではないからだ。

そして、真のヒーローは、技術ではなく、己の肉体と魂において覚醒した者にのみ、許される称号からだ。

2025-06-29

AI生成画像「が」好きな一個人の感想

「生成AI【で】いいや」はこの先もあるんだけど、「生成AI【が】いい」って時代は来ない

という主張を https://togetter.com/li/2568793 で見かけたので、反対意見をここに記しておく。

書いているうちにかなり長くなってしまったが、一個人の感想としてあまり真に受けずに読んでいただけるとよいと思う。

[1]

多く見かけたのは「手描きでしか出せないこだわりがある」といったコメントだが、その多くはAI生成画像作品として見たことがない人の感想である

こだわりを持って生成されたAI生成の作品からは、人間がすべて手描きしたものと同等の熱量を受け取ることができる。

そもそも画像生成AIあくま画材しかない。

ポン出しである程度の雰囲気画像が生成される、という部分が注目されがちだが、主に構図的な粗がほぼ必ず存在して、非決定的な制御を行うしかない、とても不自由画材である

プロンプトを少しずつ変えながら大量に生成して選別することや、目的に沿って生成画像部分的修正することなど、この画材制御する試みの成果が表れている良い作品は、AI生成画像に多く触れていれば通常分かるものである

したがって、そうした作品を公開している投稿者については個人的には高く評価するし、周囲から高い評価を受けることも妥当であると考えている。

[1a]

付記すべきこととして、そうしたこだわりを持つ主体となれるのは人間だけである、というのは少なくとも現時点では正しい。

現在画像生成AIは、人間主体的に環境構築をして、プロンプトを与えて初めて動作する機械的ものであって、無から勝手に生じてきたものではない。

そのような未来においてなおAI生成画像「が」価値を持つのか、という問題は難しい。

[1b]

また厳密にいえば、「手描きであること」自体価値に含めるような作品は当然ながら画像生成AIでは実現できない。

写真と見分けがつかないように描かれた絵、というもの写真発明されて200年近く経つ今でも新しく作られているし、子どもが手描きした絵というのは唯一無二の価値があるものである

手描きの作品の多くがそういった立ち位置収束しても不思議ではない。

[2]

次に、「AI生成画像粗製乱造であり平均的に低品質だ」というコメントも見かけたが、手描きの作品粗製乱造であると考えている。

生成AI話題になる前から、人々の好みは高度に細分化されており、インターネット存在する情報ほとんどは特定少数のみに価値があるものである

個人的な話をするのであれば、まず全年齢対象作品の成人向け二次創作は非常に多く投稿されているが、原作に対する権利侵害であり、少なくとも尊敬がなく受け入れがたいように感じる。

また、一次創作の成人向け作品であっても、わざと汚く描かれた男性が出てくるものは、性的ものに対する真摯さがないという印象になってしまう。

日々たくさんの時間をかけて手描きされている作品も、少なくとも上記のような条件に当てはまる限りは、私にとっては無価値である

ただし、これらの作品が綺麗に区分けされたインターネット、というもの存在しない。

情報発信が大衆化される価値のほうが明らかに大きく、実際に私は今このほとんど価値がないテキスト匿名場所にラベルなしで放流する権利享受している。

AI生成画像について適切な区分けをすべきだという意見も、自分にとって価値がある希少なデータは手間をかけて探すしかない、ということに慣れていないだけなのでは、と考えている。

[2a]

上記の嗜好が生成AI作品を手描きより評価するうえで有利な条件となっていることは認める。

実際、プロンプトに入れないにもかかわらず二次創作が出てきてしまうことはほとんどなく、また安定した構図の絵を出力できるのは1人を指定したときなので、自分で生成した画像については上記2つの心配をせずに済んでいる。

[2b]

AI生成画像であれば一律無価値である、という思想を持つことを否定するわけでは当然ない。

作者のフォローお気に入りユーザーブロック機能による自衛など、既に存在する機能活用することが優先されるべき、という意図である

[3]

類似論点として「低品質でも素人には分からない」というものがあり、現在利用されているものの多くが低品質であることは認めるが、近い将来これも否定されると考えている。

現在の生成AIとくに言語モデルは、教師あり学習ができるデータをほぼ使い切っていて、強化学習によって性能を高めている。

より具体的に言えば、高品質教師あり学習データを作れなくても、どちらがよいか判定できさえすれば、モデルがそれをもとにより高品質ものを生成できるように学習できる。

そして画像データ人間にとって良し悪しが判定しやすい。

少なくとも画像投稿サイトのランキングSNS上の反応などを見れば、それが十分な品質アノテーションになっている。

したがって、低品質でもいいという現在消極的な導入のあとに、人間より高品質から導入するという選択が広がっていくだろうと予想できる。

[4]

まとめると、[1]こだわりのあるAI生成画像については手描きと同様に過程評価できることと、[2]個人評価基準としてはAI生成画像のほうが価値がある可能性が高いことから、私はAI生成画像を好んで鑑賞している。

また、[3]今後の学習AI生成画像のほうが自然と高品質になり、生成AI「が」いいという時代もすぐ来るのではと考えている。

[4a]

ここまでの議論のとおり、かなり急進的な生成AI推進派を自認しているが、念のため現時点の全体的な立場を表明しておく。

言うまでもないが、現行法上の犯罪に与するような生成AIの開発・利用については明確に反対の立場である

現状簡単悪用できてしまうことと、数が多くて追跡できないのは問題なので、免許制にしたり、メタデータとしてAI生成であることが分かるようにするなどの対策はあったほうが望ましい。

一方で、表現の自由を損ねるのでウォーターマークの表示義務はされないべきであると考える。

また、明示的な許諾のない大量のデータ学習することについても、同じ仕組みで得られる翻訳プログラムなどの利益享受できなくなることを考えると、規制されるべきではない。

ただし、生成AI提供によって得られた利益は寡占的な傾向があり、現在税制で再分配が十分ではなくなる可能性があるので、そのとき対応必要である

上記すべては現時点の考えであり今後変わる可能性もあるが、いずれにしても、生成AIの利用について良い塩梅定説が早めにできてほしいと考えている。

2025-06-12

anond:20250612131227

多分免許もっとるんよ(普段から法律がー免許制にしろーとか言うとる)

車持てないなら自動運転推進すりゃいいのに否定的なんよね。

2025-06-07

AIに聞くチケット以外に転売禁止が広がらない理由

チケット不正転売禁止法」がチケット限定されている理由、および他の物品には広がっていない理由には、以下のような法的・経済的社会的背景があります

チケット転売特に問題視された理由

「入場券」はパーソナルな利用が前提

ライブスポーツ舞台など、チケットは本人が現地で一度だけ使うもの

「誰が」「いつ」使うかが重要で、身分確認・事前登録など本人性の担保可能

よって転売が起きると、運営側セキュリティや座管理に大きな混乱を招く。

不当な価格上昇とファン不利益

人気イベントでは、チケットがすぐに「買い占められ→高額転売」される構造問題視

本当に行きたいファン適正価格で入手できず、不満が大きかった。

興行主・アーティストの「意図」を裏切る行為

ファンのために価格を抑えている」→それが高額転売されると、興行主の信頼を損ねる。

文化振興スポーツ振興に逆行するという批判も。

一般の物品に適用が難しい理由

商品は「所有権」が中心で、誰が使っても問題ない

チケットは「利用権(本人限定)」だが、例えばゲーム機スニーカーなどは「モノ」なので、誰が使っても問題ない。

所有者が自由に売買するのは民法上も認められており、転売のものを一律で禁じるのは憲法の「財産権保障」に触れる恐れがある。

転売行為違法、とは言い切れない

商品流通における「転売」や「再販売」は、一定経済活動として古くから存在

小売業中古市場も広義では「転売」であり、これを全面禁止すると経済活動制限しすぎるリスクがある。

違法性がある場合は、別の法律対応できる

詐欺的な転売特定商取引法景品表示法

商標権侵害商標法

独占的買い占め・操作独占禁止法優越的地位の濫用

一部の物品では例外的転売制限されているケースも

医薬品医療機器薬機法により販売者許可必要

酒類酒税法により免許制

マスク・消毒液(コロナ禍)→ 一時的に国が価格統制を導入

プレミアム付き商品券 → 発行者利用者限定に設定

これらは「公共性が高い」「安全性重要」「需給バランスの維持が必要」といった特別理由があるため、例外的転売制限されています

結論

チケットけが法律転売禁止されたのは、「本人利用が前提」「混乱・損害が大きい」「興行主の意図を守る必要がある」などの特殊性があるからです。

一方で、他の一般物品は所有と流通自由憲法経済の基本に根ざしているため、安易法律による一律禁止は困難です。

2025-04-24

自転車交通違反に「青切符来年4月から方針 反則金の額は…

>「ながら運転」は1万2000円、信号無視は6000円、通行区分違反は6000円、一時不停止は5000円、制動装置の不良は5000円、

 

 

絶対止まないと思う。自転車免許制にしてナンバープレート付けて自動車扱いにしないとダメだよ。

2025-04-23

anond:20250423070414

君は「思想の自由」は単なる単語ではなく、「議論の結果」であり、文脈と積み重ねを含む高度な構造であると主張した。

それ自体は正しい。だが、それが誰かがその語に基づき自身意見を持つことを否定する根拠には一切ならない。

思想の自由とは、「それについて完璧理解していない者の発言権すらも保障される」という前提のもとに構成されている。

なぜなら、完全理解というのは定義不可能幻想であり、それを免許制のように扱った瞬間に自由は「選別」によって殺されるからだ。

連想ゲーム?違う。これは制度的・哲学的語の外延に基づく意味操作と、概念的含意の検討だ。

君がやっているのは逆に、感情語(「低脳」「サル」)を連打して、本来議論から逃走しているだけだ。

そして、「門外漢自覚を持って語れ」は正論だ。だがその文の次に「門外漢は黙れ」と書いてしまった時点で、

君はその正論を自ら全否定している。

門外漢は語ってもよいが、自覚必要。これは健全な態度。

しかし君はその建前を放棄して、「知識が不十分とみなした者に発言権はない」と言ってしまった。

それは思想の自由に対する論理的クーデターであり、君の主張全体を自己破壊させる。

さらに、語気を強めることで論点が強化されると誤解しているようだが、

知的議論の場では、語彙の強度は論理の強度の代替にはならない。

議論の結果である」と言うなら、その内容を具体的に引用し、反論形式で示せ。

それをせずに「100倍中身がある」などと抽象的なマウントを取るのは、

単に「俺の読書量はすごい」自慢のバリエーションに過ぎない。

思想の自由を持ち出した者に対して、それを語る権利がないと断ずることは、定義的に自己矛盾

門外漢自覚を求める態度と、発言を封じる態度は両立しない

知識人格攻撃混同した時点で議論は終わっている

君が真に思想と知性を尊重するなら、語る資格ではなく語られた内容そのもの批判せよ。

さもなければ、君自身思想弾圧する側の模範になってしまう。

2025-04-01

ネットde真実って言うけど

テレビde真実も大概じゃないか

テレビ新聞規制されず野放しだからなおさら質悪いと思うんだけど

BPOはお仲間で固めてて形だけだし免許制って言ったって取り消しなんてされることもないし

アイドル運営さぁ

免許制にした方がいいんじゃね?

いやむしろ芸能事務所ぜんぶ

免許制にした方がいいんじゃね?

2025-03-29

自転車乗ってる時は後方確認しろ

運転免許もってないキッズやジジババにめっちゃ多いんだが、ノールックで進行方向を変えてくる奴いる。

あれ滅茶苦茶危ないからやめろ、自転車同士でも危ない時がある。

進路変更するときは後方確認しろ

いか、過失割合は前走ってるお前の方が高いんだからな。後ろからぶつかられたー、は通用しないぞ。

進路変更するときは後方確認しろ

ていうか自転車もさっさと免許制しろや。

2025-03-28

その批判が頓珍漢で全く論理的でなくただの感情論しかないのが問題ってまだわかってないんだな

だいたい絵描きが悪いけど

技術的知見がなくて思い込みで喚き散らす、指摘されても聞かない、むしろ指摘されすぎて感情論しか殴れなくなってるってのをよく見る

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