はてなキーワード: セミプロとは
大谷の夫人まみこは一応プロ(セミプロ?)のアスリートと聞いているが結婚してからの彼女はアスリートとしていかにすごいか、すごかったか、そういうアスリートとしての性質の存在感はまるでなくなってしまっている。
それは大谷の実績こそ輝かしすぎるからだろうけど、そうであるならもっとアスリートとしてすごい女と結婚してたらもうちょっと夫人の存在感のあり方は変わってたのかな?
dorawiiより
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ネガティブな姿勢っていうのがあえて反抗してるって意味合いならそうでもなくてただ政治で言うならノンポリ的なだけじゃない。
未就園児はファッションとか興味ないだろ。それと同じ関心の無さが大人になっても変わらないだけ
あとエロ漫画家は消費者に近い価値観だとしたらそれはエロ漫画家も一般堕ちしてないかぎりほとんどセミプロみたいなモンでしかないからかなと思える
執念でエロだけやってる人いるのだろうが大抵は力量が達してないか遅筆だからだろ
dorawiiより
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そんな時、事務所の人がいわゆる深夜アニメのタイアップの話を持ってきた。
今なら深夜アニメのタイアップでも「すげえ!売れるかも!」ってなるけど
でも当時は、アニメ=オタク=キモい、みたいな空気が強かった。
タイアップは聞いたことない漫画雑誌の原作で、正直、めっちゃ微妙だった。
メジャーデビューしたてで若さ全開で浮かれてたし、調子に乗ってたじゃら
「こんなタイアップやりたくねえな」ってメンバーの本音が出ても、誰も止めなかった。
偉い人と私たちをなだめてた。今思うと本当に恥ずかしいし、若さって怖い。
結局、しがらみもあってタイアップは引き受けることにした。
でも、曲はどうする?という話になり
「シングルの予定だった曲があるから、それでいいよね」って偉い人が言った。
いや、ちょっと待ってってさすがになった。
その曲、タイアップ意識してないし、アニメの内容とも勿論全然関係無いから
当時、深夜アニメのタイアップなんて、ほんと軽く扱われてたんだろうなって思う。
一番恥ずかしがってたのは自分たちだと思う。
「シングルで出すつもりの(売れ線狙った)大事な曲が、知らんアニメの曲になるのか…」って感じだった。
放送されたアニメも一応見たけど、内容は正直よくわかんなかった。
メンバーも同じ反応。
あるメンバーは「こんなキモいアニメのタイアップ、ガッカリ!」とか公言してた。
今のSNS時代にそんなこと言ってたら確実に炎上してたと思う。
後年、似た様な発言でタイアップ取り消し&活動停止になったバンドもいた。
今思い出すとゾッとする。
メジャーデビューしたのに1年ちょっとで契約切られて、インディーズに逆戻り。
そこからメンバー間で「音楽続ける派」と「就職しようかな派」に分かれた。
元メンバーの大半とは連絡取ってない。
仲良かった一人とは数年前までたまに話してた。
そのメンバー、普通の仕事しつつ、セミプロみたいな感じで音楽の裏方仕事をやっていた。
今の若いバンドは、私たちみたいなイキったタイプは少数派らしい。
寧ろ今の子達は、アニメタイアップをメッチャやりたがるという。
「ファンなんで感激です!」
ライブハウスの片隅で売れないバンドをバックに地道に歌ってた様な子が、
深夜アニメの曲で大ブレイクして、今や紅白出て武道館埋めるなんて話もあった。
そりゃ、若い子たちは夢見るよね。当時の私たちには想像もできなかった。
私たちのバンドは今ではすっかり名前も上がらないその他大勢のバンドだったけど
「この曲好きだった!よく聞いてた!」ってコメントがある。
音楽史の片隅に、ちょっとだけ爪痕残せたと思っても良いのだろうか。
カラオケにも曲入ってるけど、作詞作曲したメンバーに、印税いくら入ってるのだろう。
軽く飲んだ時にそんな話して、懐かしくなって、こうやって書いてみた。
その根拠を以下に挙げていく
GoogleやMetaといったビッグテック企業が巨額投資を投じてここまで本気を出している以上、生成AIは社会の深部へと浸透していく。彼らの投資規模は、もはや一般市民の反対などでは止められないレベルに達している
そして、それは単なる技術革新ではなく、社会構造の根本的な変革を示唆している。だからこそ、今は静観しておくのが生存戦略としては賢明だろう
ただし、それはあくまで戦略としての賢明さである。抵抗する道義的意義は否定しない。ただ、抵抗するにしても、まずは状況を正確に理解する必要があるだろう
そもそも機械学習は基本的に合法だ。これは法的な観点からすれば、すでに決着がついている問題である
「自分の絵が勝手に学習され、素材の一部にされている」というなんとなくの不快感。これこそが反AI活動の源泉だ。考えてみれば分かる。世界には二次創作やネットミームという名の著作権侵害が溢れているが、絵師たちはそのひとつひとつに決然とした態度でNOを突きつけていただろうか? むしろこちらの方が違法性は高いのに、なぜか社会は許容している。自ら参加している者すらたくさんいる
つまりこれは「なんとなく許容できるかどうか」の問題に帰着する
気持ちの問題を蔑ろにしているわけではない。気分を害するというのは立派なイシューで、それを「お気持ち」と揶揄するのは愚かだ。しかし絵師自身が己のお気持ちを軽視して無理筋な法的問題に持ち込み、かえって正当性を失っているように見える
著作権的にクリーンなデータだけで作ったデータセットから学習すればいいという向きもあるが、おそらくビッグテックはわざわざそんな遠回りを選ばないだろう。そもそも「クリーンさを気にする感覚」自体が、近い将来には時代遅れになるだろうと踏んでいるはずだからだ
「なんとなく許容できるかどうか」という感覚は、時代とともに確実に変化していく
AIネイティブ世代からすれば、自分の作品がビッグデータの一部として利用されることは当然の前提となる。オリジナリティとは別次元の話だと認識されていくはずだ。若い世代の間では、創作物の共有や再利用に対する抵抗感は低下している。この傾向は、AIの普及とともにさらに加速するだろう
仕事の代替への不安は、先の感情的な問題に比べれば極めて現実的な懸念だ。現状、イラスト業界は供給過多の状態にある。SNSやデジタルツールの発達により、プロ・セミプロとして活動する絵師の数は年々増加している。そのため、すでに案件の獲得競争は激化しており、AIの台頭はこの状況をさらに加速させ、複雑にするだろう。
予想されるのは、以下のような変化だ
確かに、この変化の過程で職を失う絵師も出てくるだろう。しかし、そうした変化を止める術は現実的に見て残されていないように思われる。先に述べたようにAI使用に対する感情的な抵抗感は自然に、あるいは(大企業によって)戦略的に薄められていくし、戦略的なクリエイターはむしろAIを積極的に使用して生産効率を上げると思われる。抵抗するにしても、ただ感情的に拒絶するのではなく、より戦略的なアプローチが必要になる
どうせ一億総クリエイター時代は訪れない。相変わらず、極めて高いクオリティの作品を生み出すのは一部のクリエイターだ
生成AIの台頭は倫理の崩壊ではなく、新しいモラルの構築過程であると見るべきだ。具体的には以下のような変化が予想される
AIの普及とともに結局のところ生成AIはツールに過ぎないという認識も浸透していく。これは、写真や印刷技術が登場した時と同じような変化のプロセスだ。現在のAIの悪魔化は得体の知れなさによるものも大きく、その限界が体感できるようになってからは落ち着く。あいつらAIは、人間の工夫なしにはそんなに面白いものを創れない。これまでと同じように人は工夫と執念が生み出す作品と作者を愛す
しかし、反AI運動にも、明確な意義がある。それは以下のような点で重要な役割を果たす
第1に、勝算の問題だ。すでに述べたように、巨大テック企業が本腰を入れている以上、AIの開発を止めることは極めて困難である。彼らは豊富な資金力と法務体制を持っており、個人や小規模な団体が対抗するのは容易ではない
第2に、リスクの問題がある。反対運動に参加することで、「過去の発言がネット上で拡散し、デジタルタトゥーになる」「業界内での立場が微妙になる」といったリスクが生じる
だから、得られる可能性のある成果と、背負うことになるリスクを天秤にかける必要がある
AIはこれから包括的な社会インフラとして生活に侵入してくる。そういう情勢の前に掲げる「反AI」は間抜けな印象を与えかねない。抵抗するならより現実的で具体的な落とし所を示すべきだ
反対一辺倒ではなく、適切な規制や利用ガイドラインの策定を求め、学習そのものではなく出力・発表された作品の剽窃性を問題にするのが落とし所の一例だろうか
要するに、反対運動には確かに意義がある。先人が勝ち取ってきた権利は彼らが守ったものだ。しかし、個人が参加を決める際は、その実効性とリスクを冷静に見極める必要があるだろう。そして、必ずしも声高な反対だけが、意思表示の方法ではないということも覚えておく必要がある。現実的に見て、もはやそれは追い払えるようなものではない
ここまで見てきたように、生成AIの台頭に対して、個々の絵師に推奨されるのは「静観」という選択だ
という実効性の観点がまずあるし、強硬な反対運動は様々なリスクを伴うという観点からもそう言える
結局のところ、生成AIの浸透は避けられない変化だ。今感じている「問題」も感情的な理由が大きく、情勢の変化により問題意識そのものが失われかねない。その変化に対して戦略的に対応していくことこそが、個々の絵師にとっては最も「賢明な」選択となるだろう
ただし繰り返すが、これは戦略的な提案であって、道義的な判断ではない。反対運動にも確かに意義があり、それは尊重されるべきである。ただし、それは基本的に困難であり、現実的な成果を得ようと思えば、ゼロイチ思考の全面的反対ではない落とし所を探す試みになる
そうでない全面的な反対運動が局所に成功したとしても、それは数ある表現の中から「絵」だけを理由なく聖域化し特権的に扱わせる歪みを生み出し、総体的にはマイナスであるように思われる
どう考えても3級相当なのに、担当医がわざと重めに書いたり、気に入らないから軽めに書いたりができたりすること
挙句の果てに医者ガチャというのがあり、若いまじめな医者だと社労士の書いた書類をガン無視するのに、そうでない医者だと社労士の書いた書類を積極的に受け入れるみたいな事態が発生している。
例えば以下みたいな感じで、
精神科医おもち
@UsaAoyama
うつ病や統合失調症の方で障害年金が通れば年間80万円もらえるんですよね。
もちろん本当に困っている方もいるのでこの制度自体に反対ではないんですが、結構この年金申請しても通らないことが多いんですよね。結構厳しい。
何度も入院していたり働けない中でも日常生活も困難な場合だったりじゃないと普通申請しても却下される。
自分は患者さんから要望があれば申請に必要な診断書自体は書いてあげるんですが、事実に基づいてそれなりに厳しく書きます。
そうすると例えばうつ病でちょっと休んでる場合などはまず通らない。
(統合失調症で全く働けなく何度も入退院を繰り返している人は通るなど)
ただ、それで厳しく書いていると軽度な人はことごどく落ちるので、下記のような成功報酬目当ての社労士が時々やってきて、「おい!これじゃあ通らないから厳しくかけよ」と脅してくるんですよね。
忙しい外来の合間で時間をどんどん取られると「あーわかったわかった」って書いちゃう医師も多いんですよね。
また、それで得た年金が全て患者さんにいくならいいのですが、成功報酬として社労士にいっちゃうのはイラっとします。
この貧困ビジネス的なもので患者さんから搾取する社労士さんとか本当やめてほしい。。
https://x.com/UsaAoyama/status/1757014149723508869
@DrYumekuiBaku
入浴は週1回、カビ臭い自室…ひきこもり30歳長男 「障害年金」停止に 社労士が考える“決定的要因”
社労士さんを入れる方が良いのはこの生活状況の聞き取りが甘い医者がいるからです
https://x.com/DrYumekuiBaku/status/1787677461393883472
@hikineetboy
今までいろんな精神科に通院したけど、患者目線から見て有能な精神科医は1分診療で薬だけ出して障害年金や自立支援の診断書を通るように嫌がらず書いてくれる医者
逆に長く話を聞いてくれる精神科医は患者に寄り添ってるつもりに見えるがそういう医者に限って障害年金の診断書を書くのを渋るんだよな
生活状況の聞き取りが甘いケースは成年後見や猟銃の免許を申請する際の診断書でも起こっていたりする。
なので、医者が「精神的には問題ありませんよ」と書いたにもかかわらず、立てこもり事件を起こすような人間が時々出てきたりする。
長時間労働の話については山本勳・黒田祥子の本あるいは諸ペーパーくらいの知識は持っていて欲しいところだよな。あの本の後、2010年代中頃以降は男性正規というそれまで労働時間が減らなかった層でも長時間労働が減るようにはなったが、まだ他国と比較すると長い状況だしな。
なお成田氏の経済学者としての業績は同年代±10歳の日本人の中ではまあほぼトップと言っていいくらいのもの。トップtier誌に複数本の論文を載せている日本人なんて殆どいないからね。ただ、それはそれだけ専門性が高い、特化しているということであって、同じ経済の話であっても日本の労働経済なんかは完全な畑違い。源氏物語のガチ研究者に、昔の小説だから一緒でしょと言って近代私小説の話を聞きに行っているようなものであって、そりゃ何も知らない一般人よりは分析が上手くできるだろうけどセミプロのレベルの域は出ないよ。
俺は学生時代からずっと楽器をやってて、社会人になっても惰性で続けていた。
楽器は、単音楽器だ。だからひとりでやっても音楽として完結しにくいしあんまり面白くない。だから、いつも何かしらのバンドに所属していた。
バンドといっても、ロックバンドのような4ピースバンドとかそんな感じの規模感のものではない。
ビッグバンドとかスカバンドとか吹奏楽とかオーケストラとかそう言うイメージ。
俺は社会人になってから、いつも平メンバーとしてどこかしらのバンドに所属し、たまに雑務をやることもあったが、大体はただプレイヤーとして参加していた。
地方のこの界隈では俺は割とプレイングスキルがある方で、プレイヤーとして重宝されがちだった。
その一方で俺はめちゃくちゃコミュ障で、活動後の飲み会とかはあんまり参加しないor参加してもすみっこで延々と生ビールを舐めてるだけだった。
ただ、活動の時は割と大人数の中でも目立つくらいに「上手い側」の人間だったからか、そんな感じでも声をかけてくれる人がいたり慕ってくれる人がいたりした。
楽器自体はもちろんアクティビティとして好きだったが、それ以上に対人スキルがなくても人と接するツールとして重要だった。仕事が忙しくてなかなか時間が取れないとき、辞めようと思うこともあったが、そのことを思うと辞められなかった。半ば惰性になっても、続けていた。
20代も後半に差し掛かった頃、ネットで新たにバンドメンバーの募集があった。
そのバンドはこれから新規で立ち上げるバンドだそうで、設立メンバーを募集していた。
そして、そのバンドがやるジャンルが、俺がずっとやってみたかったジャンルだった。
おもえば、長い年月ですっかり忘れていたけど、これがやりたくて、この楽器を手に取ったんだった。そんなジャンルだった。
俺は今までになく熱量を持って応募した。
ジャンルが珍しかったためか、楽器経験はあるがバンド経験がないという人は多かった。このバンドの発起人自身もそう言う人で、とても驚いた。大人になってから楽器を始めた初心者もいた。
楽器経験も長く、バンドもいくらか経験があった俺は、右も左も分からないその烏合の衆に頼られて、俺は初めて「運営側」となってバンドに参加することになった。
運営側って大変だった。
これまで平メンバーとして参加していたバンドで、何となく知ったことや、耳に入ってきたこと、実際自分がやってきたこと、それらの知識を総動員して運営して行った。
まずは実務の部分。最初に会計の整備、予算をざっくり出して会費などが決まったら、名簿や規約の整備、活動会場の選定や手配、地域の施設を利用するための組織登録、連盟(社会人サークルの互助会のようなもん)への登録申請。
ある程度軌道に乗ったら、広報活動。SNSやWebサイト、チラシなどの運用。メンバーはまだまだ足りなかったので、かき集めなければならなかった。募集要項のとりきめ。
演奏が様になってきたら、次は披露する場を設けたい。公民館はその手のイベントを各週末にやるために奔走してる場合が多いので売り込み。他にも自主開催のために箱を手配。また会計、広報、そして楽曲の利用許可申請。
珍しいジャンルのバンドだったためか、ズブの素人から俺のように経験が長いのもいたし、セミプロみたいなのも入ってきて、メンバーはカオス状態だった。
俺はプレイングの面でもメンバーを引っ張って行かなければならなかった。
まず、ガンガン高難度の楽曲に挑戦したい人、易しい楽曲を楽しく演奏したい人、それらの要望をなるべく公約数化してセットリストを作成。もちろん著作権などの権利的に可能な範囲におさめなければならない。
そして、できるひと、できないひと、その人の得意なこと、苦手なこと、把握して、アンサンブルの整理と調整。
俺が今まで1プレイヤーとして肌感覚でやってきたことを言語化したり、音楽理論として頭に入っていることをわかりやすく噛み砕くなどして、わからない人にも伝える。そして、俺よりウエの腕っぷしの人からは、吸収したり、教えてもらったり。
メンバーたちの不満の聞き取り。あの曲は難しすぎて苦痛とか、今回のセットリストは好きな曲が少なくてしんどいとか、あの人の演奏は不快だとか、あの人が臭くてとなりで演奏するのが苦痛とか。
要望の聞き取りもした。こんな音楽や楽曲やってみたいと言う話から、合宿をしたい、BBQをしたい、とかそんなことも。
運営は大変だった。
俺には向いてないな、なんて思うこともいっぱいあった。
でも、ここでは俺がやりたかった音楽ジャンルができる。ずっとやりたかった音楽ができる。そのためなら、円滑に運営を転がすために、そしてできる限り良い演奏をするために、できることはなんでもやった。
色々やっていく中で、俺は成長した。
俺はいままで、「趣味は音楽」と言ってきたが、そうで無かったことに気づいた。俺が今までやってきたのはアクティビティとしての楽器に過ぎなかった。
生まれも育ちも暮らしも楽器経験も年齢も性別も違うまわりの人たちと一緒に、できるだけ「みんなが」納得できる演奏をするために必要な調和。その結果出力される演奏が、音楽だった。と、個人的な感想を得た。
これは、
ぶつかることは多いし、納得ではなく妥協を求めることも求められることもあるし、
アクティビティとしての楽器演奏より、だいぶ不快で、難解で、不合理で、不条理で、とても楽しかった。
次に、対人コミュニケーション能力の向上。
立場上、大きなものから些細なものまでメンバー同士のトラブルに第三者として接する機会が多かった。
コミュ障でもできる相手vs自分のとりあえず共感だけしておけばそれなりに円滑に進む(し円滑にならなかったら切れば良い)人間関係とは違って、
生々しい本音と建前と解決課題がある他人vs他人の関係に目をくばせ時にバンドのために(と言う立場で)口を挟まねばならない状況で、人の心の機微というか、人間の本質のようなものをたくさんインプットした。
このインプットによって、アウトプット=俺の対人技術も、それなりに向上したように思う。
ところで俺は社会人になってずっと、一日VSコードを触るタイプの仕事をしていた。言われたことを淡々とこなすだけと言って差し支えない仕事をしていた。
30にも差し掛かると、同じ会社に居座るにしても転職するにしても、ディレクション側というか、マネジメント側というか、そういう立場への進化を求められる気配がする。
ずっと「無理だなー嫌だなー俺には向いてないしなーでも一生ドカタの最前線(というほど先進企業でもないが)で新しい技術や言語を身につけていかなければならないのもつらい」と思いながらグダグダとitドカタをやっていた。
しかし、昨年、この「趣味」の経験から、「なんかいけそうじゃね?」と思えて、一歩踏み出すことができた。
ほかにも、このバンドで恋人もできた。今までの俺の、卑屈で根暗で斜に構えた人生では望むべくもないような、
強く優しく気立てが良く、心の底を打ち明けられる素敵な恋人ができた。
思えば、俺は趣味自体はずっともっていたわけだが、このように「自分が本当にやりたい音楽ジャンル」に触れた瞬間、人生がこのように切り開いた。趣味も突き詰めれば自分の人生の糧となる。
趣味は素晴らしいよ。はてなのみんなも、斜めや上から構えたはてな特有のセンテンスで集めたスターも確かに人生の素晴らしい糧ではあるが、
外に出て人と接する趣味もまた良い。