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はてなキーワード: 写真家とは

2025-11-15

写真家写真作品」と「現代アートとしての写真作品」は異なる

写真家作品は、視覚的な美しさや美的な構図を重視し、光や構図やシャッターチャンス、プリント技術など、写真固有の技術を追求する

現代アート写真は、コンセプトを提示する手段として写真採用し、アート史との接続批評性を重視する

平たく言えば、視覚的な美しさに寄るのが写真、コンセプトの道具として写真を使うのが現代アート

2025-11-08

写真家を名乗る「プロ」が技術的に映像処理を理解していない悲しみ

本当に残念なことに、デジタルカメラ時代の「写真家」を名乗る人間ほとんどが自分RAW処理ソフトウェアの開発をしたことはなく、審査員を名乗っている人間の多くは、実際に行われた処理の内容を想像することすらしない。

主観的に良し悪しを判断するのは間違いではないのだが、何が行われて写真撮影ができているのか、そしてそれをどうやって鑑賞できているのか知らない人間ばかりなのである

ただひたすらに画角がどうの、コントラストがどうの、彩度がどうのなどと言ってみているが、RAW処理ソフトの「コントラスト」や「彩度」というパラメーターがどのような実装になっているのか、或いはトーンマッピング処理について理解して審査しているまともな人間がどれほどいるというのか?

例えば「ホワイトバランス補正」と言われて「色温度」と思った人は、実写の画像処理に対する理解が足りていない可能性が高い。

特に静止画撮影者は技術面に明るくないものが多く、動画の人のほうがよっぽど技術面に詳しい。実際には同じことをやるのに。

もっとも重大な誤解は、ある種の「無加工」と信じられている実写映像と肉眼が十分に近い、と思われがちだというところだろうか。

カメラが見ているものCGは非常に近いが、人間の見ているものカメラが見ているものには大きな乖離があるという大前提が抜け落ちてしまっているのだ。

なにせ撮って出し信仰者なんてものもいるのだからカメラの中でどういう処理がされているのか少しでも理解しようとするならば、撮って出しを「真」とするのがいかに愚かなことであるか、初期の段階でわかるはずではないのか。

例えばFUJIFILMのように、この辺りを踏まえて「一般消費者メーカーの言うとおりにすべきだ」と言わんばかりの姿勢を見せるメーカーもあるが、これはかなり理にかなっているとも思う。FUJIFILMは「記憶色」を謳ってきたが、これ自体は間違いではない。(もちろんFUJIFILMの色の処理が適切だとは微塵も思わないし「フィルムシミュレーション」などという、知識不足消費者PROVIA・ASTIA・VELVIAなんてあたかフィルム再現しているかのような名称で売るのはいかがなものかと思うけれど)

日本語意味合いとして「真を写す」なんてものにこだわるのは誤りだと言わざるを得ないが、せめて、何をしているか理解しようという姿勢を見せたらどうなんだ。

プリセット販売します」とか「フィルム再現します」とかいう、ただ消費されるだけの消費者を見ているのは少しばかり腹立たしくもあるが、それを利用して商売を続けてきた側は間違いなく悪い。

美術目的なら好きなようにやれ、と言うことに決めているが、理解した上で全ての利用者開発者になってくれれば、もっと自由世界が待っているのに……。

また、せめて複写をするようなプロは「Foveonは正しい紫色が撮れる」「Adobe Camera RawよりCapture Oneのほうが色が良い」「LUMIXは色が良い」「FUJIFILMは撮って出しで正しい色が出る」みたいなバカなことを言っていないで、画像処理フィルムデジタル動画静止画・実写・CGわず)の勉強をもう少しばかりやり直していただきたいものである

フィルム時代自分の手で現像プリントを試みることよりも、デジタル時代のほうが圧倒的に安定していてシンプル(同じ処理をすれば同じ結果が得られると言いたい)なのに、それをしない。

論文の入手も簡単で、独学でのプログラミングするハードルがとても下がった良い時代なのだから

2025-10-30

とある写真家について

三日画師さんという風景写真家がいる。

写真のことは完全に素人だが、どの写真も「いい…」としか言いようがない。

とりあえずflickrを見てほしい。膨大な枚数が丁寧にソートされており、見やすからも本人の仕事几帳面さが窺える。

https://www.flickr.com/people/mikkagashi/

三日画師さんを知ったのは通っていた大学の最寄り駅で大規模な再開発があり、その頃の風景が失われてしまったのがきっかけだった。

当時ガラケーだったのもあり写真が手元に全く無いことに気が付き、せめて気持ちだけでもと検索したところでたまたま三日画師さんのアルバムを見つけた。

しかもまさに自分が通っていた時代写真が大量にアップされていたのも驚いた。

その後flickrにアップされている写真はほぼ閲覧した。どの写真も凝りに凝った一枚というよりも、そこに住んでいる人の目に入っているであろう風景ありのまま撮影されている。三日画師さんとは生活エリアが近いようで、いくらでも見たことがある光景が出てくる(そしてもう見れない。ほとんど何かしらの再開発が入っているから)。

残念ながら三日画師さんのアカウントは長らく更新がない。twitterアカウント検査入院の報告で止まっている。それでもこの誰かの心象風景ときっと重なるであろう貴重な写真インターネットに埋もれていってしまうのが惜しいので、ひっそりとここにアップしておきたい。

2025-10-22

アンディ・ウォーホルは確かにキャンベル缶やマリリン・モンロー写真などを無断でモチーフにして作品を作っている

 

1960年代という時代背景では、今日ほどに著作権画像使用に対する意識や法的規制が明確・厳格では無かったから、やり過ごしていた面もある

ウォーホル自身活動が「ポップアート」の文脈にあったから、既製品マスメディア画像の「引用」が芸術運動手法として考えられている面も確かにある

 

ただ、著作権侵害をめぐる訴訟も起きていて、最近では2023年5月に米最高裁が、ウォーホルが別の写真撮影プリンス写真を無許諾で用いた作品は「フェアユースではない」と判断されている

後の裁判でアウトになるケースもあるということだ

これは現代日本でも一緒だろう

2025-10-20

ギネス認定証とともに展示した花火写真、1件のクレーム撤去

>「写真家宣伝につながりかねない」とクレームがあり、市が写真撤去した

 

撤去じゃねえだろ。そこは、嫉妬ですかぁ~~~wwwww悔しいでちゅねぇ~~~wwwwって煽れよ。真に受けてどうすんだよ。

2025-10-08

anond:20251008113626

草生えて草

普通の背景写真撮るわけねえだろ

写真に撮るってことは著作権があるようなものとるんだろ

結局のところ絵描き写真家ってのは学のない凡人でもできるから権利主張が激しくて

音楽とか建築とか専門技術必要ものは学も器も寛大だってだけの話

2025-10-07

anond:20251007151235

写真著作権があるからそれを使うのはまずいわけよ

例えば江口トレース元にしたファッション誌の写真

モデルスタイリストメイク家具小道具ロケ場所写真家……

って人達仕事結集した著作物からそれを絵にして収益にするのはまずいわけ

 

もちろん沢山の物を見て頭の中で混ざったり合成されたりしたものを絵として出せば

もはや「これの材料は私の著作物でしょ!」なんて言い難くなるんだけど

江口はそのままトレースし過ぎだね

 

からお前が自分友達写真を撮って

その写真を基にイラストを作るんならば

写真クリエティティイラストクリエティティもお前で

著作権的な問題は生じないよね

 

友達の顔なんて絵にした時点でわかるとも思えんから肖像権マターでもない

anond:20251007121358

写真家がこれは俺が描きましたって言ったら総すかんじゃん。

2025-10-06

anond:20251006105816

漫画トレースされた写真家裁判起こした例」では写真家側が負けた事例しか無かったと思うが。

anond:20251006103340

江口みたいにモデル着用の商品写真トレースするのは、商品画像を参考にするのと違って、モデルパブリシティ権写真家の著作権侵害するからアウトだぞ。

anond:20251006105027

まずワンクッションあるのが飛ばされてるんだが、

他人写真を了承をとらずトレースして発表する段階で、写真家の著作権侵害する行為になる。

から漫画トレースされた写真家が裁判起こした例が過去にあったよ。

取材旅行とか、漫画家側でカメラ用意して写真撮らないと権利問題があるんで撮りに行ってるわけね。

で、写真家の著作権クリアしても、その上で写ってる人物肖像権がある。

報道の映り込みはよしとされてるが、作品に使うとなると人物権利があるので、個別了解をとらなくてはならない。

漫画なんかは、被写体あくまモデルとして、別人のように描くよね、色々考えてる場合は。

2025-10-05

anond:20251005150202

本人の投稿でも書かれているようにほぼパブリシティ権問題であり、そこを解決したという話になるのだと思う。

肖像権はみだりに撮影公表されない権利と言えるが、違法判断侮辱的、名誉感情侵害等が強く作用し、広告利用で直ちに肖像権侵害とは言い難い。本件態様は駅貼り広告等であって、そこが「専ら顧客吸引力の利用を目的とする場合」に不法行為となり得るパブリシティ権に刺さっていたわけである。ただ、肖像権が完全に並走しないわけでもなく、また特に"写真撮影者"の著作権の許諾がはっきりとしていないように読めるので、そこに若干の懸念は残っているかもね。大きな問題とは思わないけども。

本人の投稿でも書かれているというのは「文筆/モデルなどで発信されている」という部分。職業的自己肖像・氏名に経済的価値がある者の顧客吸引力を無断で用いたと評価され得る状態問題だったので解決したという主張であり、弁護士が助言しているのだろう。

写真著作権混同されている方もいるが、判例的には構図・配置・色調・光線・背景の扱い等の写真特有個性的表現の持込みが重要であり、輪郭の一致は依拠推認に効くものの、「本質的特徴の直接感得」とは言えず、メッシュやほくろ位置一致も被写体事実であり写真家の創作的選択と言い難いか

2025-09-16

暇空茜、のりこえねっとに敗訴

暇空茜がのりこえねっとを訴えた裁判最高裁棄却され暇空敗訴


暇空茜、仁藤夢乃へのデマ叩き開始

動画サムネイルに仁藤の写真を使う

その写真はのりこえねっとが仁藤を取り上げる記事のために撮影されたもので、著作権はのりこえねっとにある

のりこえねっとが動画を削除申立て

暇空が異議申し立て動画復活

アノン漫画家知るかバカうどんが仁藤を描いた絵が代わりにサムネになる

暇空「写真権利写真家か仁藤にあるものであって、のりこえねっとは関係ない。のりこえねっとを訴える」

裁判所「暇空敗訴。写真家がのりこえねっと関係者だし組織写真著作権委託してるって」

写真無断使用で逆に写真家が暇空訴え勝訴

暇空→のりこえ訴訟控訴高裁でも敗訴

本日最高裁でも敗訴

暇空「色々と理不尽さを感じる事件でしたが、著作権者の証言が重視されるという結果は残念ですし、理不尽だと思います」(原文ママ)

2025-08-29

生成AIを使う技術

今、誰でも生成AIを使ってそれっぽい写真イラストを出せるけど

まだまだ不自然なところがいっぱいあって、炎上したりしている。

それについて「プロンプトをちゃんと書かないから」という意見があって、

プロンプトをちゃんと書くには、その知識技術必要ということになると

それを学習した、コツを習得した人に頼むことになる。

出力された画像が不自然かどうかを判断するのはある種の審美眼必要になるだろうから

使いこなせるデザイナーイラストレーターが出てくると思う。

 

ってことは、結局デザイナーイラストレーターに頼むことにならない?

もしくは、その技術をもった人に頼むとしたら、写真家やイラストレーターに頼むより

安く速くないと割に合わないわけで

それだと安価でぱぱっと写真を撮ってくれたりイラストを描いてくれたりする人に頼んだ方が

やっぱり良いやんってならないんかな。

それとも誰でも不自然ではない画像を出力できるようになる未来が来るのだろうか。

だとしたら技術習得する旨味もない気がするし。

2025-08-26

anond:20250826124745

カメラを始めたいと思っているあなたへ

2025年9月12日リコーからRICOH GR IV」が発売されます

これが、もしかしたらリコーが作る最後カメラになるかもしれない。

そう言われているこのGR IVカメラ初心者あなたにこそ、全力で、魂を込めてお勧めします。

なぜかって?

ポケットに収まる、世界

カメラって、大きくて重い、そして操作が複雑で、持ち運ぶのが億劫…そう思っていませんか?

GR IVは、その常識根底からします。

まるでスマートフォンポケットに入れるかのように、スッと服のポケットに収まるサイズ

しかし、その小さなボディの中には、APS-Cという一眼レフカメラにも使われている大きなセンサーが詰まっているんです。

このセンサーが、あなたの何気ない日常を、驚くほど美しい作品へと変えてくれます

シャッターチャンスを逃さない、鬼のような速写性】

「あっ、今だ!」と思った瞬間、カメラの電源を入れて、設定をいじっているうちに、その一瞬はもう過去のもの

そんな経験は、GR IVではありえません。

わずか0.6秒で起動し、次の瞬間にはシャッターを切れる。

まるであなたの眼と心がダイレクトに繋がったかのような、圧倒的なレスポンス

このカメラは、撮りたいというあなた衝動に、100%応えてくれます

【ただ撮るだけで、写真が上手くなる魔法

GR写真は、GRしか撮れない」

これは、多くの写真家たちが口にする言葉です。

その秘密は、計算し尽くされたレンズと、唯一無二の描写力。

特別な設定なんて必要ありません。

カメラ任せでシャッターを切るだけで、まるでプロが撮ったかのような、深みのあるモノクロ写真や、空気感まで写し出すカラー写真が撮れてしまう。

撮るたびに、写真の奥深さに魅了されていく。GRは、そんな写真の楽しさを教えてくれる、最高の先生なんです。

デジタルカメラでありながら、魂が宿る最後の名機】

リコーは、長年にわたり写真という文化真摯に向き合ってきました。

GRシリーズは、その歴史情熱結晶です。

もし本当にこれが最後カメラになるのだとしたら…

そこには、リコー写真に捧げてきたすべての想いが込められています

これからカメラを始めるあなたにこそ、その魂の宿った名機を手にしてほしい。

このGR IVは、ただの道具ではありません。

あなた日常を、人生を、豊かにしてくれる、唯一無二の相棒となるはずです。

さあ、この稀代の名機とともに、写真の旅を始めましょう。

このカメラは、あなたしか撮れない世界を、きっと見せてくれます

2025-07-09

映画国宝感想ネタバレ

結論:血の繋がりこそが全て


いやーー、終わり悪ければ全て悪しの典型みたいな映画だったわ、『国宝』。

最後最後に出て来たある登場人物のおかげで、それまでの内容が全部吹っ飛んで、映画の印象が最悪になった。

その登場人物とは主人公の実の娘。

役者の演技や舞台美術音楽がどんなに素晴らしかろうとも全てが台無し。上等なワインに泥水をぶち込むが如き存在だった。


この映画主人公はとにかく、歌舞伎役者として成功するに値する血統がない事に苦しめられ続ける。

主人公ヤクザの組長の息子で、家が襲撃されて父が死んだ時に助けてくれた有名歌舞伎役者に引き取られる。

その家には歌舞伎役者の実子として主人公と同い年のボンボンがいた。

そのボンボンは憎めない所もあるもの稽古をサボっていたり、その割に父が怪我でその代役に抜擢された主人公の演技の素晴らしさに打ちのめされて主人公彼女駆け落ち失踪したりと、とにかく迷惑野郎

主人公ボンボン失踪後に師匠歌舞伎役者を支え、名前を貰うまでになるが、師匠舞台上で倒れて最期に呼んだのは実の息子の名前

父の死後にボンボンが帰って来て、主人公から場所を奪う。主人公ヤクザの生まれである事や舞妓との間に考えを作った事実週刊誌報道されて落ちぶれる

紆余曲折あった末にボンボンとも和解し、そんなボンボンの死から16年。主人公結婚もせず芸に邁進し、遂には人間国宝に選ばれ、取材を受ける。

主人公取材する写真家は、主人公舞妓との間に生ませた実の娘だった。この娘の存在がとにかく最悪。

主人公に恨み言を吐くところで終わっておけばいいものを、舞台の上の主人公を称賛し、人間国宝選出を祝う言葉をかける。それから主人公舞台に上がり、師匠がかつて得意とした演目を演じる。

結局のところ、歌舞伎役者としての舞台への情熱や演技にかける狂気なんてどうでもよくて、女と交尾して子供を作っておけばいいよというオチでした!!マジでクソだな!

この娘の台詞主人公を恨むもので終わっていたら、映画の印象は全然違うものになっていただろうに。全てを失い肉親からも恨まれてもそれでも舞台に立つというオチならば、緩急が聞いて素晴らしいオチだった筈だ。本当に勿体無い。 


ていうかこの映画、出て来る女性陣が軒並カスなんだよね。実子に後を継がせる事に執着する歌舞伎役者の妻や、主人公裏切りボンボン駆け落ちする主人公彼女主人公駆け落ちしたが途中で見捨てる金持ちお嬢様、2号さんでもいいという安易な考えで婚外子を産む舞妓、そんな母を恨まず父だけを恨む主人公娘。原作者ミソジニーが強いのか、歌舞伎という題材だと自然とそうなるのか。

2025-07-08

テクウヨはなぜ著作権無視して創作文化破壊しようとするのか

何も生み出せなかった自分へのコンプレックス

テクウヨってさ、まず自分じゃ何も作れなかったやつなんだよ。

小説書こうとしても三行で止まる。

絵を描いても棒人間

動画編集も途中で投げる。

でも「自分天才のはず」って思ってる。

から自分が何者にもなれなかった理由を、社会とか創作者とか、女とかに転嫁するしかないんだよね。

やることと言えば女叩き

で、やることと言えば女叩き。

X(旧Twitter)とかで絵師叩きしてるアカウント、たいてい女性クリエイター粘着してんだよ。

「顔出ししてるやつは自意識過剰」だの「女は絵が下手」とか。

ほんとは羨ましいだけなのにさ。

見苦しいし、哀れ。

無断学習著作権を踏みにじる

画像生成AIもさ、テクウヨ大好物なんだよな。

だって他人作品勝手学習させて、自分は何も描かずに「俺の作品!」って言えるんだもん。

「ゴーホーゴーホー」ってうるせえんだよ。

学習からセーフって、それしか言えないのかよ。

じゃあ自分顔写真が無断学習されたらどう思うんだって話。

絵師写真家権利はどうでもいいってか?

表現の自由を守ってるふりして潰してる

規制するな!表現の自由だ!」ってテクウヨは言うけど、

あいつらが守ってるのは“機械によるパクリ自由”なんだよね。

本物の表現者は、自分の手で生み出してる。

一枚の絵に何時間もかけてる。

一行のセリフに悩んで、寝られない夜を過ごしてる。

そういう努力の上に創作文化は成り立ってるのに、AIに全部やらせて「これが未来」とか言ってんの、マジで破壊者だろ。

創作文化を守るためには完全規制必要

から言うけど、画像生成AIは完全規制するべき。

特に、無断学習で作られたやつは全部アウト。

それに反対するやつは、表現の自由の敵って自覚してくれ。

表現の自由を守れ!」って言いながら、実際にやってることは“表現者を潰す自由”だからな。

これに賛同しないやつは表現の自由とか二度と言うなよ。

生成AI完全規制、完全廃止賛同しないやつは全員表現規制派の人間からな。

技術の皮をかぶった劣等感モンスター

テクウヨって、結局“技術”を免罪符にしてるだけ。

自分AI理解してる!お前らは情弱!」ってマウント取るけど、

中身は「何者にもなれなかった自分」への怒りと憎しみでできてる。

から創作尊重しない。

から泥棒正当化する。

から文化を壊すんだよ。

まとめ:テクウヨ、黙ってろ

何も作れないくせに、作ってる人間に口を出すな。

他人の成果を機械に覚えさせて、それを「俺のだ!」って主張するな。

AIを使いたいなら、まず自分で描け。

描けないならせめて黙れ。

創作文化に近づくな。

画像生成AIを野放しにする限り、創作は終わる。

テクウヨよ、文化の敵であることを忘れるな。

2025-07-07

[]石岡丈昇のエスノグラフィ入門を読んで

子の付き添い入院経験してそれを何かの形にしたいと思っているのだけれど、その「形」とエスノグラフィは8割くらい被ってる気がする。「当事者研究」とも近い。

この本は、私が付き添い入院と付き添い入院の間、数ヶ月の在宅治療中に、「なんかメンタルが整うような本ないかな」と思って立ち寄ったスーパーの中にある本屋で、めぼしいものが見つからず、「じゃあ新しい学びでも得るか」と立ち寄った新書コーナーで見つけた本だ。「エスノグラフィってなんだっけ?」と思って手に取ったが、初めて知った言葉だった。

買って一日で読み切ってしまった。

この本では「エスノグラフィとは何か?」という問いに対し、冒頭に結論となる文章が書かれている。初見では分かりにくい文章だが、その中で登場するキーワードを、各章で細かく説明する形で理解を深めていくようになっている。

私の感想もその文章の各キーワードについて、「付き添い入院中に私がやってたのってエスノグラフィなのかな〜違うかな〜」など、思ったことを書いていく。

その文章説明をするところの前に「はじめに」と第一章の「エスノグラフィを体感する」があるので、そこの感想

はじめに

エスノグラフィは社会学の一部らしい。私は社会学部卒だったのでこの本を手に取ったのも必然だったか、という気持ち。あとこの「はじめに」の中に「在宅酸素療法」という言葉が出てくるのにも驚き。子がまさに酸素療法中だったので、「空気って大事なんだな」って話に非常に縁を感じた。

第一章 エスノグラフィを体感する

賭けトランプと棺の話面白い。ざっくりこの辺まで立ち読みして買うのを決めた。

エスノグラフィは何も隠されてはいない、ありふれた日々の「生活を書く」ことを基本にします』。付き添い入院が行われている小児病棟は、隠されているわけではないけど、限られた条件の人しか参加できない。ただ、そこでは少し変わってはいものの確実に生活が営まれている。

フィールドで見た場面と研究主題接続:これが私の書きたいこととエスノグラフィの違い。私特に主題っぽいものを持ってない。「貧困」とか「差別」みたいな。多分。問題意識はあるんだけどそれをいま書いて訴えたいかと言われると、ちょっとピントがズレる。

フィールド自分普段生活二重写しにみる:これはそう。付き添い入院を知らなかった私には戻れない。

フィールド調査十戒:これは基本的に「部外者」としての考え方だ。「当事者」として病棟にいた私が、より理性的振る舞うために何が必要だったか考えさせられた。寛大であることと関わる人を中傷しないことは難しかった。私は「奪われた」寄りの人間だったから、無駄に奪われないために戦う必要があったし、中傷もした。「そういう考え方もあるね」と俯瞰することもないではなかったけど。フィールド文化歴史を知るために調べて歩き回ることは意識した。付き添い入院がどういった背景で行われているのか調べ、実際に入院する前に病棟見学もさせてもらった。情報があまりにも少ないことが不安を生んでたからだ。偉そうにしないこととただの見学にならないように記録することも「部外者」の発想だと思う。

書くことについては、私は完璧に考えがまとまってから書くのでも、書きながら考えが立ち上がってくるのでもなく、考えた端から書きつけていかないと気が済まないタチ。不安や怒りといった感情とこれからすべきことは何かといった思考が絡まった状態脳内にあるので、言語化して要らない感情は捨てて、必要思考を拾い上げていく。整理してまとめ上げるというよりは断捨離

章間にあるコラム全部面白いストリートコーナーソサエティの付則が面白いって書いてあるのと似てるかもしれない。

さて本題の結論となる文章こちら。

エスノグラフィは、経験科学の中でもフィールド科学に収まるものであり、なかでも①不可量のものに注目し記述するアプローチである。不可量のもの記述とは、具体的には生活を書くことによって進められる。そして生活を書くために調査者は、フィールドで流れている時間参与すること必要になる。こうしておこなわれたフィールド調査は、関連文献を④対比的に読むこと着眼点が定まっていく。そうして出来上がった⑤事例の記述を通して特定主題(「貧困」「身体」など)についての洗練された説明へと結実させる。
①不可量のもの (第二章 フィールドに学ぶ

妊娠中に子が先天性心疾患を持っていることがわかった。付き添い入院必要があることが分かったのは生まれて1か月が経ったころ。2か月で手術をし、付き添い入院が始まり、4か月で退院した。現在子は7か月で、この先もう一度、手術と付き添い入院の予定がある。そしてその母親である私は、大変な記録魔である。それも、数字の記録はあまり続かず、起きたことを起きた時に感情と共に記録することを、携帯が普及し始めた学生時代からずっと続けてきた。そのため、子の病気に関することや私の生活についての数千件にも及ぶメモが分単位で記録されている。これは、不可量のものが記録されたフィールドノートになるのか?

客観化の客観化:エスノグラファーが研究対象に参加しようと努力するのに似て、私は自身自身の置かれている環境を観察できるよう、自分の心から離れた位置から事象を捉えようと心がけてたように思う。発生時点では一人称的な見方になるし、ショックも受けるが、落ち着いたら、相手立場に立ったり、制度面での欠陥がどこにあるのかを考えたりもした。冷静になりたかったし、付き添い入院経験したこと有益にしたかった。

この章に出てくる市について『2024年能登半島地震被害に遭った地域にある』との記述を見て驚く。待ってこの本いつ出たの?2024年9月!?出版されて一年経ってない本を私はいま手に取って「やべ〜めっちゃ今私が知りたかった視点だ〜」とか思ってるの!?「いまーここ」すぎる。

生活を書く (第三章 生活を書く)

私が付き添い入院中記録していたことは100%これだ。事件もあったが、日常をひたすら記録していた。というか、育児日記を書いているママ大勢いるから、生活を書いている人はたくさんいるんだろう。参与ではなく当事者研究に近い行い。

アフリカの毒については、退院後の外来で、他のママが「あの環境って独特ですよね。なんか連帯感というか」となんだか楽しげに言っていたのが印象深い。子の命が懸かっているので、アフリカのように無限に往復したい場所ではないのだが、そこを無視すれば、一種の寮のような共同生活は他にはない体験ができる場所だ。具体的にどこがとは言いづらいが、非常に「日本的」だとも感じた。

フィールドを『問題地域としてのみみなすような態度を取らない』ことは、付き添いが始まる前はどうしてもできなかったことで、始まってみて「どこにいようが日常は続くな」と思うようになったことを思い出した。ちょっと石岡先生の言いたいこととズレてる気もする。

ここで『かわいそうでもたくましいでもない』という記述がある。かわいそう、たくましい。この二つは患者家族がめちゃくちゃ言われる言葉トップ2だ。そうね。かわいそうだし、たくましくもある。そのあっさい感想で、あっさい関係性の人たちについてはもういい。だがもうちょっと地に着いた、実際どうなの?というところを知りたい人に対して、私はものを書きたい。この記述太字で書いてあって、後半にも出てくるから先生の中で通底してる考えなんだろうと思うととても嬉しい。

部落の話を通じて「いまーここ」を見つめようという話は、目を逸らしたい気持ちだった。自身の中にもいろんな偏見があって、正すべきだとわかっているけれど、今ちょっとそんな余裕がない。ごめん。の気持ち

エスノグラフィで記述されるのはすでにあるものって話も、私を勇気づけるものだった。こんな当たり前のこと書いてなんになるんだろうと思うような話ばかりだが、丁寧に調べて書けば、論文にすらなるんだと思うと心が晴れた。

買ってから気づいたのだけど、この本には挿絵が入っている。印象的な場面やキーワードをページ一枚のイラストという形でも表している。図表は一個もない。大学教授自身研究と参考文献を大量に提示した、論文に近い新書でこの形式はとても珍しいと思うが、文章だけでなく絵で切り取ってみるのも、エスノグラフィが一つの事例を深掘りし、「何が」を調べるものではなく、「いかに」を調べる学問であるという説明を強化しているなあと思った。

時間参与する(第四章 時間参与する)

その場に見学者としているだけではなく役割を持って参加することを持って「時間参与する」と表現しているようだ。私は当事者なので参与も何も、強制参加させられて日常に帰ってきたのちに、「あの経験エスノグラフィにできないか?」と、入り口ではなく出口としてエスノグラフィを使おうとしている立場である

参与観察はもう少ししたかった。他の家族がどうやって子を看病しているか、一日のスケジュールがどうなっているか経済状況、家族構成、抱えている困難。知り合いになった結果面倒ごとを押し付けられそうで、退院が確定するまで(いざとなったら逃げられる状況になるまで)他者を詮索するリスクを取れなかった。逆に言えば退院が決まってからめっちゃ人と話した。

④対比的に読む(第五章 対比的に読む)

この本を読む以前に私がやってきたことがエスノグラフィ(というか研究)じゃないのはここだなあと。大学時代にやったことだが、研究には先行論文を読むステップが欠かせない。ただ単に「これってこうだと思うんですよ!」だけじゃダメで、「この論文ではこう言ってて、この研究ではこういう結果で、でも自分はここの部分はこう思ってて。で実際調査してみた結果がこれ。ね?あってるでしょ?」みたいな。

そして今日この本を読み終わって思ったのが、「この本を読んだことで、私のエスノグラフィ始まったんじゃない?」ということ。まあ当事者なので完全にエスノグラフィにはならないし、仮説を立てるとか主題を持つとかする気はないのだけど、この部分はエスノグラフィっぽい、ここは違うな、と「対比的に読んだ」ことで、ただの雑記が、研究分析みたいな深みを得そうな気配がした。

それ以外にも「対比的に読む」ことはしていて、いま書こうとしているのと同じ媒体の、似たタイプの作者の書いたものを大量に読んで勉強している。書きながらやっているので、自分がぶち当たっている壁をどう解決しているのか教えてくれる最良の教科書として機能しているし、自分が書くもののどこがユニークなのかを都度確認もしている。

あとここで先生は『容赦なく書き込む』ことを推奨しているので、ここで初めてマーカーを手に取った。私は本を汚している感じがして書き込みをしない。けど、書いた人がそうしてというなら遠慮なくそうする。「はじめに」に書いていてほしかったな。なんでこんなど真ん中で…。先生の言うように初読の読むペースの時間経験の中で重要と思われる部分にマークしていくべきだった。珍しく凄まじいスピードで読んだから、この文章を書きながら再読している時の咀嚼感と全然違う。

対比的に読むことがデータをつくることに関連している:一回目の付き添い入院初体験だったので新鮮な驚きや緊張感で乗り越えられた気がするが、待ち受けている二回目に向けてのモチベがなくて困っていた。どういった姿勢で臨むべきか決めかねていて。そんな悩みに光を差す記述として、『フィールドで得た漠然とした問題意識を明確にするために文献を読み、着眼点を得て、その着眼点気づきを持ってフィールドに戻って、「データをつくる」ためにインタビューフィールドノートの記述をするのだ』(要約)と書いてありました。なるほどな〜と。二回目もやはり逃げられる状況になるまで他者インタビューリスキーではあるけれど、とりあえず一回目の振り返りをして、二回目はどんな記録をしていきたいか見定め、関連資料を探すことをしようと思う。

⑤事例の記述を通して(第六章 事例を通して説明する)

私は日常を書きたいだけで主題がないので、この章は自分のやってることとはちょっと違うかなということが多かったのだけど、主題があるとすればできることはあるなあと思った。前章の対比的に読むことや、社会学文脈で書くこともそうだし、比較するのではなく、対比することもそう。

子の闘病において、病棟で暮らすことと、家で暮らすことのほかに、「外来」という場所がある。退院後も月に一回程度はその病院外来に足を運んで検査をするし、外来を重ねてまた入院することもある。病棟にいるとよく聞く会話に「外来来るよね?」というものがある。最初耳にした時はそんなこと確認してなんになるのかと思ったが、別の日、外来に来た母親病棟にも顔を出すというので、病棟の外に大量の母親たちに、なんと医師看護師病棟保育士まで集合しているのを見た。主題を「人間関係」とかに置いた場合、「病棟」と「家」だけで見たら抜け落ちてしまものがこの「外来」という場所にありそう、対比して調査する場所として必須なのではと感じた。外来もまた病棟とは違った、独特な空気感を感じる場所である

時間的予見を奪う:これは私に取って大きな学びだった。本書ではフィリピンの立ち退きに遭ったスラム住人の例が挙げられていたが、付き添い入院もこの困難を抱えていることを自覚たからだ。付き添い入院は始まる時も終わる時も未定で、予告されるのが数日前だったりする。病気を抱えているから当然だと思うだろうか?では、その入院する病棟が、盆正月GWといった長期休暇にはガラガラになることを知っても同じ感想を持つだろうか?病気の子人質医療者の都合が押し付けられているのだ。あーあ書いちゃった。まだ治療が続くので今は敵に回したくないんだけど、気づいたら書かずにはいられない性分で。先の見通しが立たないことは病児看護において日常になる。生まれから治療が終わるまで、年単位スケジュールが未定になる。純粋病気のせいの部分もあるが、先に書いたように医療者の都合による部分が確実にあるにも関わらず、それは私たちには容易には分からない上、付き添い入院は「家族がどうしてもやりたいっていうからやらせてあげている」ていになっているので、余計にストレスが溜まる。この気づきを得たのは大きかったな。

病棟が長期休暇になると患者が減ることは他の家族のインスタで知った。付き添い入院において背景や論理を知ることは難しい。先にも書いたように詮索することで子の手術や看護といった医療サービスが適切なタイミングや質で受けられなくなるかもしれない不安が付きまとうからだ。医療者の側から観察できればいいのだけど。もしくは保育士や清掃員とかで入るのもいい。

ある人々にとっての現実の把握:この、たった一つの真相を知るでもなく、多元的見方をするのでもなく、バイアスがかかっていることを自覚しながら観察するのは、当事者としてもいい見方だなと思った。私は当然患者家族であるので、その立場からものを見て言いますよと、自省的なのか開き直りなのか分からない姿勢にも自信が持てるというもの

ミクロ視点からマクロを見る:付き添い入院マクロにまで射程が届く研究対象なのは明らかだろう。付き添い家族ターゲットにしたNPOあるくらいだし。一方でその実態は泣く子と眠れない夜を明かし洗濯をし食器を洗いシャワーを浴びて食事をする、とても地味でありふれたミクロな場面の連続だ。

ルポルタージュとの違い:エスノグラフィは時間の縛りがない事がルポとの違いらしい。なるほど。昨日『ダーウィンが来た』で、動物写真家シロイワヤギを40年追っかけてるっての見たけど、そっちと近いんだろうか。文学とも重なる感じ。先生も書いてるけどエスノグラフィは「読み物として面白いものが多そう。まだ私一冊も読んでないけど、本書で引用されたものだけでも十分面白かった。けど、「研究」でもあるので、主題と紐付けて研究結果が出てくるところが、エッセイルポとの違いだろうか。エッセイでも面白いものはそうした「発見」みたいなのはちょいちょい見る気がするけど。社会学文脈にびたびたに浸って先人たちのあれやこれやを紐づけまくってその上に自分の見た事象から発見記載できればエスノグラフィなのかな。知らんけど。ここは明確な区切りがわからなかった。

長文の研究計画書を書くって書いてあったけど、そこに何書くんだろう?私は主題はなくてフィールド強制的に決められて問題意識(不平不満)と記録は大量にあるわけだけど、大学生とかは、①エスノグラフィというものがあるのを知り、②「子供貧困について研究したい!」とかって主題を決め、③エスノグラフィで調査しようと決めて、④主題関係が深そうなフィールドを探して(こども食堂とか?)、⑤主題に繋がりそうな場面に遭遇しないかな〜と思いながら参与観察するみたいな感じだろうか。やりてえ〜大学生に戻って。

研究お金の話は文系理系も似たような感じだな〜と思った。応用研究は金出るけど基礎研究にはなかなか出ないし長期での研究も難しいみたいなの話。

おわりに

私が今付き添い入院フィールドエスノグラフィができない理由はここまで書いた通りで、問題意識を表出すると角が立つからだなあ。当事者は奪われる側なので。できない分ここで社会学視点からみれそうな表現問題意識については書いたつもりなので、誰かやってください。ほんとはやりたいよ。今すぐ石油王になって付き添い入院病棟を全て個人産院並の、シャワートイレ冷凍冷蔵庫付きで親と子それぞれのベッドがある広めの個室にして、食事もついて、付き添い保育士外注できるようにして、その病棟看護師患者家族全員が参加 Permalink | 記事への反応(2) | 17:51

2025-06-03

anond:20250603172953

写真家特撮監督「撮ればいいんだからラク~」

画家アニメ監督「クソ~(こちとらまず描かなきゃ、だよ!)」

2025-05-26

Claude sonet4.0に質問したら自分の間違いを認識しててビビる

名前最後が長で終わる有名人を教えて下さい

名前最後が「長」で終わる有名人をいくつか挙げてみます

## 歴史上の人物

## 現代有名人

## スポーツ関係

## 政治・経済

実は「長」で終わる名前現代ではそれほど多くないんですね。最も有名なのは間違いなく**織田信長**でしょう。

他にも「長」で終わる有名人いるかもしれませんが、すぐに思い浮かぶのはこの程度です。もし特定の分野(政治芸能スポーツなど)に絞って探してほしい場合は、お知らせください。

セルフツッコミも出来るようになったんだな。

2025-05-11

anond:20250504004520

趣旨がズレるかもしれないが、動物ライブカメラ推したい。

今は子育てシーズンで、雛が育つところをリアルタイムで見られる良い時期。自分場合は常に見ているわけではなく、コメント頼りに時間を遡ってハイライト毎日チェックしてる。

海外のは適当翻訳かけてるので情報間違ってたらごめん。

birdsofpooleharbour (適当翻訳:港の鳥)

ミサゴライブカメラを見ることが多い。ミサゴについては後述。

Poole Harbour Osprey Nest Camera - Landscape View (適当翻訳:港のミサゴの巣カメラ

ミサゴ英語名オスプレイの子育てライブカメラミサゴは主に魚を食べる猛禽類で、食事グロくないので良い。雌雄協力して子育てする。今は卵を温め中。南イングランドらしい?

小さいうちは親鳥が魚をちぎって与えるが、大きくなるにつれ自分で食べるようになり、そのうち子供同士の魚取り合いバトルが勃発する。

段々と空を飛ぶ練習をし始めて、オスプレイ名前に選ばれた由来らしいホバリング飛行ができるようになる。

飛べるようになっても時々巣に戻ってきて親がくれる魚を食べる。段々と巣に戻らなくなっていく。完全に巣立ったらライブ終了でまた来年へ。

稀に魚の活きが良すぎてびちびちはねて巣の外に落ちたりする。巣材の枝を持って飛んでくるが、雛の頭に直撃することもある。結構雑で面白い

巣が枝の集合体でまさに鳥の巣といった見た目なのもいい。高所なので景色もいい。

このライブカメラの魚はどうやら海水と淡水の両方から獲れるらしく、種類も豊富

雛が生まれたてふわふわ毛があって可愛い。親ミサゴの鳴き声が高くて耳に障るのがネック。

アングルカメラもやってることが多い。雛がよく見える。

アップになると虫がうじゃうじゃいるのが見えちゃうので苦手な人は注意。引きでもよく見るといっぱい虫がいる。

Nature Live Camera (適当翻訳自然ライブカメラ

デンマーク北部野生動物写真家によるライブカメラらしい。一年中設置されてるカメラと、今の時期だけの子育てカメラがある。

Inside a Tawny Owl Nest (適当翻訳:モリフクロウの巣の中)

モリフクロウの子育てライブカメラ。去年知って、雛が3羽いて巣立つまで見守った。今年の雛は2羽のようだ(卵は残り2個あるけど多分孵化しない)

去年の巣立つの瞬間をたまたまリアルタイムで目撃できたが、面白かった。ビビりの雛が1羽いて、他の雛が外に出ていくときにめちゃくちゃビビって謎の威嚇をしてた。今年も巣立つまで健康に育つといいな。

モリフクロウはどうやら一度巣を出たら戻ってこないようだ。でも外でまだ子育ては継続するらしい。

たまにうじゃうじゃ虫がいることがあるので苦手な人は注意。フクロウなので餌は丸呑みが多いが、たまに引きちぎったりでグロい時もあるので一応注意。ネズミが多いが、カエル小鳥のことも。

Inside a Kestrel Nest (適当翻訳チョウゲンボウの巣の中)

今はチョウゲンボウ(小型のハヤブサ的な鳥)が卵を温め中。どうも若い夫婦っぽいので上手くいくかは未知数。

去年は無かった気がするのでどんな感じになるか分からんが、多分だけどハヤブサは餌をちぎって食べるタイプなのでグロめかもしれない。トカゲを食べる率が高そう?

Wildlife In The Forest と Birds in the Forest (適当翻訳:森の野生動物、森の中の鳥たち)

常設カメラ。稀に不具合URLが変わるが、基本的にずっと放送してる。環境BGMにもいい感じ。

今の季節は夜になると狐とアナグマ?が仲良く餌を食べてるのを見れる。冬になると雪が少し積もったりして綺麗。

NamibiaCam (適当翻訳ナミビアカメラ

南アフリカナミビアライブカメラらしい。

追記トラバ過去バスったらしいことを知った)

Namibia: Live stream in the Namib Desert

水場にくる様々な動物を見られる常設ライブカメラ夜明けが綺麗で好き。

たまに置いてある塩ブロック動物が舐めにくる。

CarnyxWild

1日2回ほどURLが切り替わる。自動アーカイブが残るので遡りやすい。

色んなライブカメラがあると思ったら消えたりするが、この季節のミサゴは毎年やってるっぽい。パフィンのライブカメラもあったりなかったり。

Llyn Clywedog: Osprey Nest & Perch (適当翻訳ミサゴの巣と止まり木

ミサゴの子育てライブカメラミサゴについては前述で語ったので省略。こっちはイギリスらしい?

WildlifeWindows

よく分からんハヤブサライブカメラ率が高い。ライブカメラが増えたり消えたりする。

Andover peregrines

よく分からん教会にあるハヤブサの巣っぽい。今は結構大きくなった雛3羽がいる。餌をちぎってあげるのでグロめ。

Zeehondencentrum Pieterburen

去年あたりに日本でバズってからほぼ日本語コメントしかない、野生のアザラシ保護をしているプールライブカメラ保護なのでアザラシがいたりいなかったりする。今はいない。

日本人が増えすぎて日本語の説明も書いてあったりする。コメント内輪ネタが多すぎて、新規困惑するかもしれない。

上記以外も、日本ではツバメライブカメラとか色々あるようだ。楽しい

ちなみに野生動物なので、見守っていた雛が死ぬこともそこそこある。耐性がないとショックかもしれない。

anond:20250511084933

AIクリエイターって写真家みたいなもんやろ

誰でもできるけど売れるもん作ろうと思ったら差別化するために手間が無茶苦茶かかるっていう

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