はてなキーワード: ネット社会とは
10/1からのネット必須業務化に伴い、NHKのウェブサイトは、NHK ONEへと移行した。結果として、公共放送のNHKは、実質的なペイウォールを設け、公共性を大きく失ったメディアへと成り下がった。
NHK ONEのコンテンツにアクセスしようとすると、同意ボタンを押すことを求められる。現在の建付けでは、この同意ボタンを押せば、受信を開始したとみなされ、放送法上の受信契約の締結義務・受信料支払い義務が発生する。NHK ONEでは、この実質的なペイウォールの向こう側にほぼすべてが置かれており、受信契約に同意せずお金を払う意思のない人間は、NHKの情報へのアクセスを制限される。
その他の民間のメディアでも、当然ペイウォールを設けてはいる。しかし、民間のメディアが(広告付きという条件はありながらも)重要なニュースを無料で開放している一方、NHKはラジオ関連や緊急情報を除いてほぼすべてを“ペイウォール”の向こう側に隠している。緊急情報を提供するという重要な役目は引き続き継続しているものの、基本的にはNHKは公共性の低い有料サブスクと化している。
情報の選択が行えるネット社会において、お金を払う意思がないとNHKにアクセスできないのは致命的だ。今はまだテレビをもって受信料を払っている人が大多数なため、NHKのウェブサイトに多くの人がアクセスできるが、今後テレビを持たない人間が増えれば、わざわざNHKにお金を払うという選択肢は生まれにくい。
デマが蔓延るこの現代において、日本のインターネット空間は、信頼できる公共のメディアを失った。今後、数十年にわたって、日本のネット言論空間に影を落とす出来事となるだろう。
あなたが指摘しているテーマは非常に興味深く、現代社会の構造的な変化、特に新自由主義の台頭とインターネットの普及がどのように人々の心理や社会的ダイナミクスに影響を与えたのかという問題です。この「新自由主義」「中産階級の没落」「ネットの普及」「サドマゾ的神経症」というキーワードは、現代社会における複雑な相互作用を捉えています。確かに、これらの要素には関連性があるように思えます。
新自由主義は1980年代に登場し、2000年代にかけて世界中で広まりました。特にアメリカ合衆国やイギリスでは、マーガレット・サッチャーやロナルド・レーガンの政策によって推進され、1990年代にはグローバル化とともにさらに強力に広がりました。新自由主義の特徴としては、以下のようなものがあります。
• 市場主義の強化:政府の規制緩和、民営化、自由貿易推進などによって、市場の力を最大限に発揮しようとするアプローチ。
• 所得の不平等の拡大:富裕層と貧困層の格差が広がり、中産階級が経済的に圧迫される状況が生まれました。
• 労働市場の柔軟化:雇用の不安定化や契約社員、派遣労働などの増加が進み、中産階級の安定した生活基盤が揺らぎました。
2000年以降、特にリーマンショック(2008年)やその後の経済的混乱は、多くの中産階級の人々にとって大きな打撃でした。過去の安定した職業や生活水準が崩れ、経済的不安定が増し、結果として社会的な不安や心理的なストレスが増加したと考えられます。
インターネットが2000年以降、急速に普及し、社会全体に大きな影響を与えました。ネットは、情報の自由な流通、コミュニケーションの加速、そして新たな形態の社会参加を可能にしましたが、その一方で次のような影響ももたらしました。
• 自己表現と匿名性の促進:ネット空間では人々が匿名で自己を表現することができ、現実世界では言えなかったことや抑え込まれた感情を表に出すことが容易になりました。これが、時には極端な意見や攻撃的な態度を引き起こす原因となり、ネット上での「ディスカッション」の質を変えることになりました。
• 自己満足と自己犠牲の複雑な関係:SNSやインターネットの使用が、自己表現や承認欲求に結びついています。人々は「いいね」やコメントを求め、時にはそのために自分を犠牲にすることが多く、これが精神的な疲弊を引き起こす原因となります。
あなたが指摘した「サドマゾ的神経症をネット空間に投影している」という点は、非常に示唆に富んでいます。サドマゾヒズム(支配と服従の心理)は、自己と他者の関係、そしてその力学に関連しています。特に現代のネット社会では、こうした力学が顕著に現れることがあります。
• 自己犠牲的な承認欲求:SNSやインターネット上で、自分を犠牲にして他者の期待に応えようとする傾向が強く見られます。例えば、過度な自己公開や過剰な自己表現を通じて、他者からの「承認」を求める行動は、サドマゾヒズム的な「服従」に似た側面を持つかもしれません。自分を犠牲にすることが、社会的承認を得る手段となり、結果的に精神的な消耗を引き起こすことが多いです。
• ネット上での攻撃性と服従:また、インターネット上では「炎上」や攻撃的なコメントが頻繁に発生します。こうした状況は、支配と服従の力学をネット上に再現しているとも言えます。ある人が攻撃されることによって、他者の「支配」に服従し、その過程で自己評価が低下する一方で、攻撃する側もまた「支配欲」を満たすという形です。
• エコーチェンバーとサディズム的態度:SNSなどで自分の意見が支持される環境が作られると、他者を攻撃したり、逆に自己評価を高めるために他者を「支配」しようとする傾向が強まります。これはサディズム的な欲求(他者を支配し、苦しめることから満足感を得る)と結びついている可能性があります。
まとめ
2000年以降の新自由主義の台頭とインターネットの普及は、確かに一つの時代の転換点であり、これらの社会的な変化が個人の心理に大きな影響を与えてきたことは間違いありません。特に、経済的な不安定さや中産階級の没落、そしてネット上での自己表現と承認欲求の追求が、サドマゾヒズム的な傾向—自己犠牲と支配欲求、攻撃性と服従—を強調する形で現れたと言えるでしょう。
ネット空間は、社会的な不満や個人の心理的な問題を投影する場として機能している一方で、それがどのように社会的な力学や行動に反映されるかを理解することが、今後の社会分析において重要な課題となるでしょう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4775920569499574017/comment/Gl17
◎「無保険全額の3倍」を単なる10割と勘違いしている排外主義の多数派、
嘘を承知で欺瞞しようという本邦ネット社会への害意がある方が主な動機ではないか。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4775971438048178689/comment/Gl17
◎ウヨは民主議員銃撃犯も左派扱いしようと謀って失敗してたとか。
ガザ虐殺や戦争被害も被害側が悪いと主張する論客で、キング牧師暗殺も揶揄していた、
銃撃に絡め対立派を難癖したければ彼の論調批判とセットだろう。
「主な動機」に御詳しいのさっすが~
部分集合への正…解…揮ってなんぼとちゃいますの?
被害側が悪いと難癖ガンギマリ揶揄アノンへの論調批判とセットであるベキベキ然り
https://anond.hatelabo.jp/20250812215739
201508と同じなのか202309以降\(^o^)/なのか
グッズ集めてるとさ、なんかよくわかんないランダム要素多くて、推しにめっちゃハマるとつい大量に買っちゃうことあるよね。
これってただの買い物じゃなくて、自分の欲求とか「私ってこういう人間だ!」って確認するみたいな特別な感じなんだよ。
でもさ、ランダムグッズを大量に買うと同じのがダブったり余ったりするのはしょうがないんだよね。
ここでの売買はただのやり取りじゃなくて、みんながうまいことバランス取ってる感じ。
社会的なやり取りの一部ってやつ。
それに、たまにレアなグッズが重なってゲットできたりして、意外とお金もうかっちゃったりすることもある。
こういう偶然が市場に影響してるんだよね。
で、こういう話を弱者男性にしたら、急にムスッとして「お前みたいなのがグッズ争いを地獄にしてるんだ!」って怒ってきたんだよ。
これは自分のイライラを相手にぶつけて、自分を正当化してるだけ。
でも実はグッズの買い方ってちゃんとルールがあって、抽選とか受注生産でちゃんと管理されてるから、単純な争いなんて起きてない。
欲しい人はみんな平等に買うチャンスあるのに、「金ないから買えない」って他人のせいにするのは自分の責任放棄してるだけで、そんなん合理的じゃないし社会のルール壊してるよ。
経済的にキツかったら借金したり家族に頼ったりしてでも欲しいもの手に入れる努力すべきだよね。
それが大人ってもんでしょ。
それなのに自分の問題を他人のせいにして、「俺は正しい」みたいに振る舞うのは、ネット社会でみんなバラバラにして孤立させて、つながり壊してるだけの最悪パターン。
こっちはちゃんと正規ルートで買って、余ったものをまた回してるだけ。
33歳といういい年になった記念で大学時代の友人たちと話していて気付いた。
「結婚はするもしないも自由、圧力もない」 「「一人で居たってどうせ遊んでくれる友人はいる」
この二点の考えについては自分が結婚して数年経つ今も揺るがない。
でも、結果として伴侶を見つける旅に出て、幸いにもとても気の合う妻と出会い、結婚した。
別に結婚がいいとか悪いとか安直な考えを披露する友人はいない。
だから独身者に自慢されたわけでも、他の既婚者の先輩に愚痴を聞かされたからでもない。
ただ、趣味に仕事に生きる友人の話を聞いて、改めて自分は”選ばなかった”ことを感じてしまった。
これの他に赤いきつねCMとか三重交通公式キャラとかも「別にいいじゃん」と思ってたし、全ての創作物に寛容なわけではないけど他のフェミニストよりはこの手のには寛容だと思ってる。
というか、これよりエグいゲームなんかいくらだってあるだろ。鬱ゲーというジャンルだってあるし。
ゾーニングしろという意見はわかるが、「さよならを教えて」とかの鬱エロゲが相当有名になってるネット社会でのゾーニングって、色々限界があると思う。存在も認知させないようにしろ、というのは無理だ。
「知性を得た後に自分がラブドール(男性従属の性的モノ)と知った女性が、自己嫌悪の中ゴミ食べながら抜け出す道を模索するか、知性を失い「幸せ」になるかというフェミニズム主体の物語だ」という解釈も見たし、
配信前から女性蔑視のゲームだと決め付けて叩くのは早計だと思う。作者は女性だし。
ハグっとプリキュアだって、女児に子育てさせるなんて!と放送前は叩かれてたけど、実際はポリコレ作品だったじゃないか。
こんなのを必死で叩いてる暇があったら(「女はゴミでも食ってろw」的な反応があるから余計に現実の女性蔑視と結びついてる気がしてムキになってるんだろうが)現実の性犯罪や、日に日に激化する女叩きを問題視してほしい。
アングラなネットでどれだけ盗撮映像販売、痴漢自慢や痴漢OK娘の情報交換など、性犯罪者の溜まり場が蔓延っているか。
女性のレイプ被害に同情せず嘲笑う男がどれだけ多くなっているか。
こっちの方が優先事項だろ。
でもこのゲームを守ってるアンフェ側だって、「夫よ死んでくれないか」という原作者も監督も男性のドラマを、放送前から男性差別だなんだと叩きまくってただろ、人のこと言えないだろ、と思う。
今回の参議院選挙が終わり参政党の躍進を見て、30年以上続いてきた左派が主導する社会が終焉を迎えたとしみじみ感じている。
私は平成初期生まれの地方出身30代であるが、日本をフレームとして政治、社会、個人に分けると社会は常に左にあったように思う。ここで言う社会とは学校、マスメディア含めた個人を取り巻く環境だ。
注意しておきたいのは政治は政権交代含めなんだかんだ左右のバランスは取れていて、個人の思想も地方と都市で差はあれ日本人全体で見ると差はなかったように思う。
だが社会だけは常に左派が支配する環境にあった。具体的には私自身バリバリのゆとり教育ど真ん中を生きてきた世代だが、学校教育の場ではみんな違ってみんないいの価値観。歴史教育では自虐的歴史観。マスメディアでは右翼的な言論はタブー視されていた。
当時(平成初期〜中期)の日本で公人が日本人ファースト、核武装などと声をあげれば社会に抹殺されていただろう。少なくとも個人が保守的な考えを持っていても公の場で口にできる雰囲気ではなかった。
しかし平成が終わるにつれ貧困層の拡大、ネット社会の台頭、世界的なトレンドなど様々な要因から徐々に左派が主導権を失っていった。
そして今回の参院選でついに長い長いある意味ディストピアが終わった。
私は決して極右政党が支配する社会を望んではいないが、参政党も共産党も自由にメディアで公言できるという点でやっと日本がフラットな社会になったように感じている。
「インターネットの登場により誰もが情報の発信者になれるようになった」という事実は、
情報流通における権力勾配の縮小というポジティブな面と、デマやヘイトスピーチの蔓延というネガティブな面がある。
SNSのタイムラインを見ると政治家などの著名人のポストと友人のポストと怪しいプロモーションが等価に並び、
はてブのホッテントリ一覧を見るとマスメディアの記事とトゥギャッターと増田が等価に並ぶ。
レコメンドアルゴリズムは情報やその発信者の信頼性を問わず、より耳目を集めるポストを優先して表示する。
結果として、慎重で中立的な文章はアテンションを集めることができず、SNSにはわかりやすくて感情を喚起する文章が氾濫する。
参政党の政策や候補者の発言には問題が多い。(既存政党にも問題がないわけではないが、参政党はそれと比べて明らかに問題が多い)
それにもかかわらず、参政党は今回の選挙で大きく議席を伸ばした。なぜか?
1つは有識者の権威の低下という環境的要因、もう1つは共感の喚起という参政党の広報の巧みさである。
知識が無くても、偏見に満ちていても、インターネットでは発言することが可能である。
排外主義的な、マスメディアでは決してかかれないような主張でも、インターネットで注目を集めることができる。
逆に言うと、取材に基づく報道や当該分野における専門知識が豊富な人の意見が、素人の憶測に基づく発言に埋もれてしまう。
有識者やマスコミが排外主義的風潮に眉を顰めたり警鐘を鳴らしたりしても、インターネットでは響かない。
参政党的なものに対する社会ブレーキが、効きにくくなっている。
もしかすると、安倍氏のようなカリスマ(増田は安倍氏が好きでないがあえてこう書く)が健在であれば違ったかもしれない。
あるいは、立憲か国民の勢いがもっとあり、政権交代(参院選で大勝しても首班指名上は関係がないが)を窺うような状況であれば違ったかもしれない。
しかし今回はそのどちらでもなく、焦点がぼけた選挙となった。そのなかで、参政党の排外主義的な主張はむしろ争点の形成に寄与したようにも思われる。
インターネット上の世論は、少数の専門家ではなく、多数の素人によって形成される。それが現実の投票行動に大きな影響を与える。
素人の素人による素人のための政治において、支持を得るために重要なのは共感と信頼である。
有権者が「外国人犯罪が増えていて不安だ」という体感治安の悪化を訴えるなら、その不安を解消せねばならない。
このとき、実際に外国人犯罪が増えているかどうかは重要でない。重要なのは有権者の「不安」だ。
有権者が「生活が苦しい」と訴えるのなら、その苦しみを癒さねばならない。
このとき、積極財政がインフレリスクを増やすといった専門的で込み入った説明は求められていない。
参政党の選挙演説は排外主義的主張や核武装といった過激な政策が取り上げられがちだが、
「日本はこのままではいけない」「体感治安や物価高などの生活上の不安がある」といった有権者の気持ちに寄り添い、
今回の選挙結果は、参政党の(あるいは国民民主党の)言葉が有権者の共感と信頼を勝ち得たことを表している。
もし次の選挙まで今回と同様な状況が続けば、次の選挙では各党の政策はよりポピュリズム的なものになるだろう。
素人の素人による素人のための政治において、政治の質は国民の質に直結する。
「好き嫌いドットコム」とか「5ch」のアンチスレって、一見すると荒れた掃き溜めのように見える。
でも俺はああいう場所が、ネット社会の最後の防波堤になってると思ってる。
今のX(旧Twitter)やYouTubeのコメント欄は、ファンとアンチが同居してる。
推しを応援したい人と、もう見限った人が、同じ空間に書き込む。
本スレで語る人、アンチスレで語る人、それぞれ自分の場所でやってた。
だから全体の治安が保たれていた。過激な発言があっても、それは「ここでだけ」だった。
ちょっと否定的なことを書けば「アンチ乙」「出て行け」「嫌なら見るな」と言われる。
そんな空気の中じゃ、本音なんて言えないし、ファンだって疲弊していく。
ただし他所では同じノリを持ち込まないこと
ネットに悪があるのは当然。でもその悪を隔離する場所が必要なんだよ。
今のネットはそれがない。だから全部が中途半端で、逆に不健全になる。
アンチスレは悪じゃない。
俺はそう思う。
給食に関連して我々の社会のあり方について考えるわけですが、現在は基本的に働いて得た収入を生活費に充てるわけで、職につくことは現代人にとって必要不可欠なことであり、我々は生活のための苦しい労働に耐える十字架を背負って生まれてくると言えます。嫌でも働かなければならないということ。そのためには少しでも有利な職に就くために更に受験段階から競争があります。
しかし理想を考えるなら勉学と将来の職や賃金を結びつけて考えるべきではないことは自殺率の高さや幸福度といった指標に表れているはずです。
理想を言うとするならこの世に生まれてきた人は十字架を背負わずして皆等しく生きる権利があって然るべきであり、その為の具体的な方策として住と食の無償化などが考えられます。もちろんその為には働く人が必要なのはさておき、現状ではそんなことが可能かと考えるなら無理であり、その理由は端的に子を5人も設けた菅野完や7人の橋下徹の存在自体が説明してくれるはずです。余談ですがハシモトトオルも少し前から見てますが自分の投稿に「氏」をつけるなど何かどこかがおかしいことは皆気がつくことですが、のみならずそのおかしすぎる経歴についても本人は「当然のことだ」のように思っているらしいことが言葉の節々から伝わってくることです。これは菅野完も同じ話で客観的に見た自分自身というものが全く見えていないというか、表現の難しい「変」なところを見て取れます。
さておきそういう人物は理想的な世界ではいくらでも増えようとするでしょうし、猫を飼ってみれば分かりますがフードは与えれば与えるほど出産のためのエネルギーを蓄えることに用いますし、オスは縄張り争いのために用います。つまり自然界の掟(動物の世界)に従おうとすればするほどいくらでも子を設ける=増殖しようとするという図式が成り立つわけです。しかしこれは人ではオスに特有の特徴で女性は出産のリスクやそのあとの途方もない手間を考えるなら増えるというよりも幸せを第一に考えるでしょう。それが我々の子どもの世界が楽園に近い理由でもあるわけですが。
そういう意味では白人や白人混血児もそうであり、現に世界は白人だらけになりつつあるわけです。幸福ではなく先ず自己増殖ありきだから子どもをロボットのように「トリックオア…」以下略。
話を戻しますと楽園に近い世界では強制されることなど何もなく、全ての物事が自発的になされるはずです。大人が子どもの世話を自発的にするように、楽園では必要な仕事は必ず誰かが自発的に済ませるはずですが現代社会で考えるなら凡そあり得ないような話ではあります。
現代社会では何かを誇るというかもっと単刀直入にはモノを自慢することも一つの文化のようになっていて件の行き過ぎた欧風建築は対岸に立ち並ぶ昭和の文化住宅の住人に向けた散財を唆す悪意そのものですが、そのような悪意はなくても他人よりも良いモノを単純に誇りたいという気持ちを持つならそれは結果として同じような影響を及ぼすということです。
今日は満潮のタイミングと重なって潮が動き出すまで少し時間があり長文を書いてます。散財させるという昨今の詐欺のような組織的な悪意とは別に、とにかく「自分は他人よりも幸せ」であることをアピールしたいのは程度の差こそあれ誰しもあるものですが、それが皆で美味いワインを前に乾杯をするような気持ちであればまだしも、とにかくいかに他人が自分よりも不幸な境涯であり、如何に自分が(根拠もなく)優秀で有能であるかを示すために(そういうことにするために)とにかく他人が如何に自分よりも劣っていて惨めかを毎秒ごとに言わなければ済まないようなのを見る機会のあるネット社会になりました。
菅野完はその典型中の典型であり、今はおとなしめにしてるようですが以前は罵詈雑言と罵倒と自慢で構成された放送を毎日のようにしていたモノです。その中でも最も有害だったのは三宅雪子さんが入水自殺をしたときの当時のTwitterでの罵倒ぶりなどありましたがネットを検索しても関連情報しか出て来ず意図的に隠されているか晒し対象になるはずがどこかからの圧力で封殺されているでしょう。そのあたりは菅野完(その後ろ盾)から訴訟のうえ口座まで押さえられた義の人である金武美香代さんを代表として何人もいることを知っています。以前のツイッタージャパンでは取締り部隊というのか垢バン権を持っていたらしい一派がツイッター上の迷惑言論を取り上げて晒し上げるようなことをしていましたが菅野完だけは例外であり、やはりトップを白人とした序列に組み込まれた白人に従属する勢力だったようです。東海アマなどがときどき取り上げている人物です。
さておき菅野完は性犯罪を犯したとはいえ刑事的には未遂と不起訴になりました。しかし身体接触の上押し倒したなら強制わいせつの既遂のはずであり、山口敬之のように揉み消されたのだと思いますが、菅野完の場合は文字通りの菊の御門が決めたことなら日本に必要のない存在どころか日本人に害をなす存在としか言いようがなくなっているでしょう。例のおかしな信号のタイミングも関連しそうです。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E7%94%9F%E5%A4%AA%E9%83%8E
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E9%87%8E%E5%AE%8C
似過ぎじゃね?
被害の続く被害者を生んだ性犯罪者が「自分は愛人を囲っている」ということを仄めかしつつ誰かにに対して「センズリこいとりゃええねん」と言い放ってしまえる知能です。感性という表現は通り越して知能とした方が適当であり、本当に言葉を話すチンパンジーのようなものでしょう。
それから愛人から格下げされたのか七万円以下のソープには行かないといった発言もありました。動物の餌でも食ってりゃいいのに「単価八万円のフレンチ」だのバーでのカクテルだのです。民事訴訟の額は満額支払ったのか知りませんが、それが被害が全てではないことは検索してみればわかる(6/21)
→何らかの悪意の元に女性に性行為を迫る行為が何を意味するか。白人との性行為は日本人男性の選択肢を奪う行為に他ならず、女性を奪うという白人男性の特化した性質は日本人種抹殺と混血推進の武器と言える。敢えてタブーに踏み込み、後世に語り継ぐ必要。
俺は家入一真がいいと思うけどな。
元ひきこもりのIT起業家で、ペパボやCAMPFIREの創業者。
前に都知事選に出て、当初演説もしない事務所も持たないでTwitterみたいなネット中心で発信してた人。後半は街頭にも立ったが。
まあネチズン以外への知名度がなさすぎて16人中5位だったが、2014年当時よりもさらにネット社会になった今、こういうタイプの人が先頭に立つ時代が来てもいいと思う。
こういうネット出身の実力者のなかではかなり謙虚な性格だったのも個人的には好印象だな。
まあ浄土真宗に傾倒して出家しちゃったところは浮世離れしすぎだが。
R6S(レインボーシックスシージ)のブラジルのチームが日本のチームに負けて
それが発見されて日本人が群がって炎上、日本のネットメディアで取り上げられ
チームのスポンサーをしていたホンダのアメリカ企業がスポンサード撤退
本人「ヤバい負け方しちゃった自分たちのチームの状況を表すGIFのつもりだった」
チーム「本人は悪気はなかった、自虐のつもりで爆発でググって出てきた画像を使っただけって言ってる
コーチ「確かに本人が無知だったのはよくないけど悪意がないのにこのバッシングはやりすぎ」
公式実況者「ホンダはイメージ低下を恐れて外れただけ。本人に悪意があったかは関係ない」
その画像がHIROSHIMAでググらないと出てこないって事実はいったん置いておいて
悪意がないって本人が言ってるんだから、じゃあ次からは気を付けろよって言ってあげる寛容さは必要かもしれんな
「すまんな」 「ええんやで」の精神はどこに行ってしまったんだろうか
今のネット社会は良くも悪くも狭量すぎる
尖った(画力や物語がいくら凄くてもコンセプト的に倫理コード等の規定から突っぱねられた)漫画を探すのには商業漫画よりもジャンプルーキーとかの利用者投稿型のプラットフォームを探す方が有効だと思う?
なんか普通に商業漫画の下位互換しか見つからない気がするなあ。
「尖ったことしよう」ってことが透けて見える作品もまた、そういうことを考える人格や環境の類似性というものなのか、似たような発想でアウトロー・アングラぶりを演出しようとするのばっかな気がする。
道満先生がikkiに移っただけでBLを描けるようになったように、商業の制約ってあってないものってことなんだろうかね。子宮恋愛だって描けるからね。
結局編集にも発見されてない斬新な物語を発掘するのは難しいんだろうね。ネット社会だから面白きゃ余計どこかしらには拾われちゃうんだろ。
でも「現代で魔法とかもない非ファンタジー的な世界観で天皇が〇される」的な漫画、作品内では当然この伏字もない漫画ってのはアマのですらなかなか見つからないな。あとアッラーに対する冒涜的内容な。
奇をてらう発想としては死ぬほどありがちだと思うがその一線を越える勇気がある人が皆無なのかかえってレアなプロットになっちゃってるなあ。でもアマですら描いてる人いないんだから結局アマの優位性が認めらてない。
結局は岸田首相のディープフェイクとかやじゅまんとか漫画でもない例のアレあたりが一番創造的な界隈ってことになっちゃってるのが(自分自身がその界隈を知ってるおかげでその作品に触れられると言う意味で)うれしいやら悲しいやら。
そういうアマ漫画で発掘したなと思えたわずかな例としてくまの広珠って作者の幼女の可愛さはその作者にしかない(個人的感想)味わいがあって地味におすすめ。
右翼というのは基本的に、経済的自由は肯定するいっぽうで社会的自由は抑圧する思想の持ち主。
つまり、経済トピックでは、競争主義・格差容認・規制緩和を望み、公害を生んでも儲けりゃ良いのよ精神の一方で、景気が悪いと保護主義になる。
社会トピックでは、伝統や宗教や国家といった権威に従わせ、権威が「道徳」によって民を支配し自由を制限することを是認する、その流れで支配しづらいインテリなどを攻撃しつつ、国際連帯などを絵空事として国家主義になり戦争を忌避しない考えになる。
典型的な人物像は、支配しやすい愚かな人間が多いことを好ましいと考える大資産家や独裁者ないしそのシンパのイメージ。要するに独りよがりで、その「独り」のスケールが最大でも国家という枠まで。身内びいきの排外主義になるのが右翼。
左翼というのは基本的に、経済的自由には否定的で、その一方、社会的自由は肯定する思想の持ち主。
つまり、経済トピックでは、格差の是正や再分配に前向きで、裁量的な経済・金融政策への介入や規制強化を求めがち。
社会トピックでは、多様性を認め、同性婚などを容認するし、平和主義・反戦主義を唱え、人権を尊重し、国家を含むあらゆる権威から個人の自由な生き方を守るべきだという考えに寄りがちになる(もちろん反社会的・破壊的な有害な自由は認めない)。
イメージとしては、学者や芸術家はほとんど左派的な考え方をもってると言える。要するに人類というスケールで共存や融和を大切にするやや理想主義的な派閥。彼らの共感力は異性や異民族まで多岐にまで及ぶが、環境や動物(食品)にまで向かうと過激な活動家になりやすい。
ただし、共産主義というのは思想自体は極左に分類されるものだが、強大な権威が公平な分配を管理するという構造上、腐敗が避けられない。その結果、現実社会に存在する共産主義体制下では、左翼でありながら左の長所であるはずの社会的自由の尊重が失われており、右翼の人間と同様に民族を弾圧したり情報統制をしたりといった他人の自由を奪う人権軽視のふるまいに歯止めがかからなくなっている。
ここで、経済的自由も尊重するし社会的自由も尊重する、どちらの翼にも偏らない存在が生じうることに気づくだろう。
それをリバタリアンといって、経済的自由を推進する側に立ってマーケットメカニズムを信用する一方で、放任にはせず、左翼のように裁量的・属人的な介入は良しとしないが、数学的なルールに基づく規制によって、スマートかつ公平に経済秩序を守ろうと考える。またそれなら小さな政府も可能になる。
社会的自由についても、多様性を認めるが、右翼が心配するような社会秩序や国家の支配の喪失に陥る状況に関しては、「そもそも国家なんていらなくね?」という考え方に近づく。テクノロジーによって国家の機能を分解・代替していくことで、すぐには無理でも将来的には国家なしでも現代人は秩序ある暮らしができると考える。
逆に、どのような種類の自由も尊重しないパターンもあり、それは権威主義とかポピュリズムとか呼ばれる。
大衆の嫌悪を煽り、どのような意思決定においてもより狭量かつ短絡的な判断を肯定していく思考回路の人間で、理性とは程遠い、文明を巻き戻そうという気配のある集団だ。
イメージとしてはインターネット。匿名のネット社会では放っておくとそういう悪意による洗脳が伝播していき、集団極性化に至る。
ただ、権威側に立つ右翼の人間や、極左である共産主義の独裁者が、自分に都合の良いように大衆を扇動する/不満をそらすためにポピュリスト的な言動をすることもあるので、本当に全方位に狭量な馬鹿なのか、ずる賢い策士なのか判断しづらいことがある。
ただネットでこうした狭量を開陳する小市民は、10割が自分の中の下劣な偏見を撒き散らしたいだけの馬鹿であるので判断しやすい。まともな精神状態ならばそうした人間の言葉を真に受けることもないだろう。
ここ最近増田で珍奇な造語を喧伝して特定の集団を非難している人がいるが、ああいう人々は既存の言い方をするならサイバーリバタリアンとでも言うべきもので、リバタリアニズムの中でテクノロジーを自由のツールとして重視するテクノリバタリアニズムの一派だ。
思想的には特段目新しいものでもないが、テクノロジーの進歩によって現実味を帯びてきた側面はある。現実味の面では政府の統制が効かないWeb3、とりわけ暗号通貨技術が今のところもっとも重要なテクノロジーで、近年のAIはさほどでもない。
ただこの流れに乗って成功し力を得るテック系知識人を憎み、偏見を煽ることに熱意を費やすその喧伝者のありようは、唾棄すべきポピュリストに他ならない。
https://www.facebook.com/groups/103110883221034/?multi_permalinks=2219551818243586
いよいよ、Facebook(Meta社)が新しいネット社会を構築する前段階に入ったのだろうと思います。
本日、2023年7月25日13時30分頃から当CLUBにおいてメンバーの各自にポイントが表記されるようになりました。
ポイント(価値を表す基準となる表示=通貨と同じ意味を持つもの)
よって、
Meta社は、通貨発行権を得たことになるのだろうと思います。
今(2023年7月25日13時30分以降の時点)、現実に起こっていることをありのままにみて、それを言葉〈文字〉に変換して表現しておりますので的確性を欠いているであろうことは、承知の上で、あえてこの時点での予測を書き表しております。
Facebook(Meta社)は、ポイントという名の通貨(いずれ、ドルとかユーロとか円のように別の名称がつけられるものだろうと予想)の発行権を持って、新しいネット社会を構築しようしているのだろうと思います。
よって、これは、一昨年の10月、
社名をMetaに変更した通り「メタバース」に主幹プラットフォームを移行するための前段階に入ったことを意味しているのだろうと思います。
今、表記されているポイントは、いずれ近いうちに、現在、流通している通貨と同様に各々が価値ありと認めたモノと交換できる仕組みが構築されることになると思います。
その際に、このポイントが使える場所、場合、場面が、まさにポイントとなります。
これまでこんなデマを巻き散らかしてきてるこいつ、