はてなキーワード: 文法的とは
AIにも聞いてみたよ
Q.
A.
文章の構造
文章が伝えている意味
原告と被告の関係
訴訟の性質
訴訟の結果
要約
この文章は、暇空茜という人物が太田啓子弁護士を名誉毀損で訴えた訴訟において、裁判所が暇空茜の主張を全面的に認め、暇空茜側の完全な勝訴という結果になったことを伝えています。
Q.
この文章はひっかけであって、「暇空茜が太田啓子弁護士を訴えた名誉毀損訴訟」で勝訴したとは書いたが、誰が勝訴したのかは書いていない。
A.
この主張は**妥当ではありません**。日本語の文法的な観点から説明します。
日本語の文法構造
元の文章:「暇空茜が太田啓子弁護士を訴えた名誉毀損訴訟で全面勝訴しました」
主語の特定
文の骨格
なぜ「引っかけ」という主張が成立しないか
- 日本語の文法規則として、「AがBを訴えた訴訟で全面勝訴した」という構造は、明確にAが勝訴したことを意味する
- もし太田啓子弁護士が勝訴したことを述べたいなら、「暇空茜が太田啓子弁護士を訴えた名誉毀損訴訟で、太田啓子弁護士が全面勝訴しました」または「太田啓子弁護士が全面勝訴しました」のように別の主語を明示する必要がある
結論
この文章は文法的に明確に「暇空茜が勝訴した」ことを述べており、曖昧さや引っかけの要素はありません。「誰が勝訴したのか書いていない」という主張は、日本語の文法規則に反しています。
きっかけは、学生時代にちょっとしたレポートでテキストの単語出現頻度を数えようとしたとき、「あれ、そもそも日本語ってどうやって単語に分けんの?」って疑問が出たところからだ。
英語ならスペースで切れるけど、日本語はそうはいかない。で、いろいろ調べて「形態素解析」って言葉にたどり着いた。
その瞬間にちょっとハマったんだよね。
辞書をもとに文を機械的に切り刻んで、品詞をラベル付けして、統計を取って、構文を推定する。まるで人間の頭の中を数理的に覗いているようで。
そこからMeCabとかJumanとかKyTeaとか、いろんなツールを触った。
Pythonでテキスト処理のパイプラインを組んだり、mecab-ipadic-NEologdを突っ込んで新語に対応させたり。
「言葉を数理で扱える」って発見が、ちょっとした中毒になった。
その頃はMosesとかGIZA++とか、ああいう統計翻訳系のツールも触ってたね。
単語アラインメントの確率モデルをいじって、「確率的に対訳辞書を作る」みたいな遊びをしてた。
とにかく、NLPの世界には「人間の言葉を数学で再現できるかもしれない」という変な魅力があった。
深層学習がまだ主流じゃなかったから、n-gramやHMM、CRFなんかが主戦場で、論文読むたびに確率式の展開を手で追ってた。
最初はPoC(Proof of Concept)しかやらせてもらえなかった。
感情分析とか、Stance Detectionとか、「この文は文法的に典型か非典型か」を判別するための言語モデルの構築とか、エンティティリンキング、質問応答(Question Answering)。とにかくNLPの典型的なタスクを一通り。
学術的には面白かったけど、現場で求められてたのは「論文再現じゃなくて、実用的な精度と速度」だった。
PoCで終わって、実装には至らない案件が山のように積み上がっていった。
あの時期、NLP業界全体が「技術的にはすごいけどビジネスには落とし込めてない」って空気だった。
でもさ、LLM(大規模言語モデル)が出てきてから、世界がひっくり返った。
正直、最初は「Transformerの延長だろ」と思ってたけど、数ヶ月で実感が変わった。
それまでチマチマ特徴量を設計して、分類器を学習して、F値を0.02上げるために夜中までパラメータをいじってたのが、全部一瞬で過去になった。
ChatGPTが出て、蒸留やファインチューニングでほとんどのNLPタスクが置き換えられるようになったとき、「あれ、今までの俺の知識、ほとんど無駄だったんじゃね?」って一瞬マジで虚無になった。
でも、そこで終わらなかった。プロダクション環境を任せてもらえるようになって、推薦システムとかパーソナライゼーションの設計をやるようになって、ようやく「ユーザーベクトルを使う」という文脈でNLPが再接続した。
単なるテキスト処理から、「テキストを媒介にして人間の行動を理解する」方向に進んだ。
埋め込み表現をベースにユーザーの嗜好を推定して、レコメンドやメルマガのパーソナライズをやる。
自然言語はもう目的じゃなくて、インターフェイスになった。そうやって初めて、「NLPがビジネスに食い込む瞬間」ってのを肌で感じた。
PoCなんてやってても金にはならん。動くシステム、回る仕組み、再現性のある成果、それを出せないと、どんなに学問的に立派でも意味がない。
実際に触ってみる前のイメージは「どうせ劣化chat GPTだろ」だったが(実際chat GPTベースなので)、触ってみたら1つオリジナルにない面白い機能がついていた。
教員が事前に組んだプロンプトをアプリケーションの様に保存して、他の教員だけではなくて生徒とシェアができる。
[採用している問題集をアップロード→アップロードしたファイルを参照し、ランダムな問題を1問表示→「正しい選択肢と英文の和訳を入力しなさい」→生徒の選んだ選択肢をファイルを参照し評価。また生徒の和訳が英文の文と照らし合わせて適切かを評価。もしいまいちであれば、何がどうなぜいまいちなのかを説明→間違っていた場合似たような問題を生成して解かせる→またランダムに1もん選んで表示]
といった自習用の教材を作ったりもできるし
[「じゃあこの会話の応答を自分で考えて入力してみろ」→その応答がシチュエーション的、語彙的、文法的に正しいか評価してフィードバック]
とか、1人で40人を教えていたら不可能だったアウトプット活動にに関するリアルタイムでのフィードバックも可能になる。
一方で、自然な英文を生成する、英文に対して評価を行う、という活動に対しては相当な安定性があるものの、日本の入試問題の様に、文法的に正しい選択肢を①~④から選べ、という活動に関してはchat GPTもgeminiも最新モデルですら結構間違うし、都立aiも実際間違えた。
エクセルすら満足に使えない教員がこのプロンプトを作って生徒に投げっぱなしにすると、間違ったことをいつの間にか教え込んでるというリスクはどうしても付きまとう。
テクノロジーは核戦争でもない限り後退しないのだから、活用はしていくべきだが、じゃあどう活用するかというのはとても個人の教員のセンスに依存するね。
また、自作のプリント教材、パワーポイントに加えて、aiという新たな教材準備が加わると、1回の授業のカロリーが非常に高くなるので、それも含めてどう付き合っていくかが難しそう。(特にまとまらない話)
端的に言うと、「洗う」の「う」は、昔の日本語ではワ行の音として扱われていたためです。
## A Special Rule for Verbs Ending in 「う」
まず、現代語のルールとして、「う」で終わる五段活用動詞を「~ない」の形にするときは、「う」を「わ」に変えるという決まりがあります。
• 言う → 言わない
• 使う → 使わない
• 思う → 思わない
「洗う」もこのルールに従っているわけですが、なぜこのような特別なルールがあるのかがご質問のポイントですね。
## The Deeper Reason: A Relic of Old Japanese 📜
昔の日本語(歴史的仮名遣い)では、これらの動詞は「う」ではなく「ふ」で書かれていました。
• 洗う → 洗ふ (arafu)
• 言う → 言ふ (ifu)
• 使う → 使ふ (tsukafu)
これはハ行(ha, hi, fu, he, ho)の活用をする動詞でした。動詞を「~ない」の形にするとき、活用ルールに従って語尾をア段の音に変える必要がありました。
ハ行のア段は「は (ha)」ですよね。そのため、昔はこう活用していました。
• 洗ふ (arafu) → 洗はず (arahazu) or 洗はない (arahanai)
• 言ふ (ifu) → 言はず (ihazu) or 言はない (ihanai)
その後、時代が下るにつれて、言葉の途中にある「は(ha)」の音が、発音しやすいように「わ(wa)」の音へと変化していきました。
変化のまとめ
1. 昔の形: 洗ふ (arafu)
2. 昔の否定形: 洗はない (arahanai)
3. 発音の変化: 「は(ha)」の音が「わ(wa)」になる
そして、辞書に載っている基本の形も、洗ふ(fu) の発音が 洗う(u) へと変化し、現代の書き方になりました。
このように、「洗わない」の「わ」は、元をたどればハ行の「は」であり、その発音が変化して残ったものなのです。
はい、その通りです。「遊んでる」という言葉において、「遊ぶ」が「遊ん」に変化しているのは動詞の活用の一環です。
1. 「遊んでる」の元の形
まず、「遊んでる」は「遊んでいる」の話し言葉(口語)での省略形です。
2. 「遊んでいる」の成り立ち
「遊んでいる」は、動詞「遊ぶ」と、補助動詞「いる」がくっついた形です。 動詞を接続するため、「遊ぶ」は「て形」と呼ばれる形に活用(変化)しています。
3. 「遊ぶ」の「て形」への活用
動詞「遊ぶ」の「て形」は「遊んで」となります。 この「遊ぶ」→「遊んで」という変化が、ご質問の核心部分です。
この活用は「音便(おんびん)」と呼ばれる、発音しやすくするための特殊な音の変化です。具体的には「撥音便(はつおんびん)」と言います。
1. 遊ぶ (asobu) の連用形「遊び (asobi)」に接続助詞「て (te)」がつく。 → asobi + te
2. 発音しやすくするために「bi」の音が「ん (n)」に変化する。(これが撥音便) → ason + te
3. 前の音が「ん」になった影響で、後ろの「て (te)」が濁って「で (de)」に変化する(連濁)。 → 遊んで (asonde)
このルールは、「~ぶ」「~む」「~ぬ」で終わる五段活用の動詞に共通しています。
他の例:
• 読む (yomu) → 読んで (yonde)
• 死ぬ (shinu) → 死んで (shinde)
• 呼ぶ (yobu) → 呼んで (yonde)
まとめ
「遊んでる」の「遊ん」の部分は、動詞「遊ぶ」が「~ている」の形に接続するために活用(音便)した結果です。文法的に正しい変化と言えます。
言葉のサラダとは?
「言葉のサラダ」とは、
まるで言葉がごちゃ混ぜになった
具体的には、以下のような特徴が見られます。
連想の飛躍: ある単語から別の、一見関連のない単語へと話が飛んでしまう。
文法の崩壊: 主語や述語が一致しない、語尾が変など、文法的な規則が破られる。
https://www.nagahama-mental.com/entry.php?eid=263667
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どんな発言も、その単語の組み合わせだけでなく、どのような体勢表情仕草発声を伴って行われたかというノンバーバルな要素も込みで、というより「綴り」よりノンバーバルな情報こそ本心が込められているということくらい、人間の常識として知っておくべきだろう。
いくら口で「愛してる」という言葉を何千回も言ったところで、その相手に正対しているか等々で、その言葉は嘘である、ってことがわかり、そちらが正しいことがある。
ことがある、じゃない。
そちらが常に正しい。
ちなみに、この辺りは俳優修行の初期の初期に「意識的に」やることではある。
あの一連の発言の文字書き起こしだけを見るのではなく、発言前後の表情、なぜ聞こえるように発音しなかったのか、それまでの一連の騒動といった背景、コンテキストを考慮に入れてみるといい。
あの場面だけを拡大して何千回見ても、そこだけ切り取って確認するだけじゃわからんよ。
「なぜ聞こえるように発音しなかったのか」
これが全てだ。
聞こえないようにして「わかる人にはわかるよね」とやった。
自分の味方だけが集まる場である、と油断していたためにやらかした。
それ以外に、ない。
あそこが"by the way"であった場合、前後に断裂、歪みが生じる。
JKローリングが「作家」であり、「世界や人物の流れに注意深い人間」であることを、そこら辺の雑草と違って敏感な人間であることを考えれば、あの流れであのキャラクターが"bar one"以外の単語を選択はしないと判断したことは、あまりに当然すぎると思う。
エマワトソンを神と崇める連中は擁護しているようだが、それはない。
後になって本人がそれを否定したとして、そんなつもりはなかったと言ったとして、その全てはただの自己保身のための嘘だ。
全ては記録されている。
まぁ、自分のことしか考えられない絶望的に無神経な人間は、読み取れないで「絶対 "by the way" と言ってる!」ってなるだろうけど w
作家とか演出家とかいう人の中には、信じられないくらい敏感な人がいる。
そう言う人を誤魔化すことは、不可能だ。
もちろん、作家とか演出家とかを「名乗る人」全てが敏感な人である、とは言ってないからな www
(業界のあっち界隈にはそういうのが多すぎるんだが……)
で、なぜこの話を取り上げたのかというと、これはAIの危うさに直結しているからだ。
つまり、口だけで「愛してる」と言う人間も「愛している」と評価する存在だと言うこと。
古めのSF(サイエンス・フィクション)では、アンドロイドやロボットとの会話が噛み合わない、的な描写は大量にある(アシモフあたり)。
SF(サイエンス・ファンタジー)では話のためにそういうところをあえて、わざと外しているものが増えてくるが(例えばエイリアンとかは、科学的アンドロイドではなく、人間性の鏡としての存在だ、とかね)。
サイエンスフィクションの方が、人工知能が論理学の延長線上に構築されるというところから、したらこうなるよね、という思考実験から導かれている。
「我はロボット」とか読んで、人間とアンドロイドのやり取りのどこが面白いのか理解できないようだったら、そういうのに鈍感な人間だ、ってことだろう。
もすばーがーは文法的におかしい箇所ちらほらあるでしょ。同列にしてる時点で頭悪いなー
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文法的な誤りがない
ついでに言えば言葉のサラダにもなってない
最後の条件は満たされてなくてもその言語であるかには関係しないけどどっちにしろこれ全部満たされてるから日本語な
なんならaiに何語か判定してもらえよw
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最近、AIが書いたと思しき記事をネットでよく見かけるようになった。
一見すると、流暢な日本語で、文法的な誤りもない。しかし、読み進めていくうちに、どうにも違和感が拭えない。なんだろう、この「味気なさ」は。人間が書いた文章には、その人の個性や癖、感情の揺れがにじみ出るものだ。それは、論理の飛躍だったり、あえての誤用だったり、意外な比喩表現だったりする。
AIは、膨大なデータを学習して、最も「正しい」とされる文章を生成する。その結果、論理的に破綻がなく、誰が読んでも理解できる「模範解答」のような文章が生まれる。
例えば、新しいスマホのレビュー記事があったとしよう。人間が書けば、「このカメラの画質は素晴らしいけど、バッテリーの持ちがいまいちで、一日持たせるには工夫が必要だ」といった、使う人の生の声が感じられる。
一方、AIが書けば、「高画質なカメラを搭載しており、美しい写真が撮影できます。一方で、バッテリー容量が限られているため、長時間の使用には適しません」といった、当たり障りのない事実を羅列するにとどまる。
この「AI臭」の正体は、感情や経験の欠落だ。AIは、物事を体験したことがない。ただのデータの集合体だから、感動も、失望も、戸惑いもない。だからこそ、人間特有の「熱量」が文章から消えてしまう。
もちろん、AIの技術は日進月歩だ。いつか、人間の感情を完全に模倣した文章が書けるようになるかもしれない。しかし、それでもなお、本物の人間が書いた文章にしかない「何か」は、決して失われることはないだろう。
別に英語が苦手とかそういう話じゃない。むしろ得意だった。大学の頃はTOEIC満点を取ったし、海外出張も普通にこなしていた。妻も同じようなレベルだったから、たまにふざけて英語で喧嘩したりもしていた。
最初に違和感を覚えたのは、妻が「I loved you」と言ったとき。夜、特に大きな喧嘩もなく、何気ない会話の中でだった。文脈的に現在の気持ちを言ってるように見えた。でもその時制の選び方が気になった。
「なぜ過去形?」と聞いたら、「その方が感情がこもって聞こえるから」だと答えた。でも、”I love you”の方が普通じゃないのかと思った。疑問が少しずつ積もっていった。
それから何度も過去形が出てきた。「I thought you were someone I could trust」とか「I believed we were happy」とか。その度に現在の話なのか過去の話なのか、混乱した。自分でも滑稽だと思いながら、「英語における時制の選択のズレが、感情のズレに思えてくる」とメモを取った。
ある日、喧嘩の最中に「I’m trying」と言ったら、妻が笑った。「今さら現在進行形? もう過去完了で話す時期だよ」と。冗談かと思ったけど、その言い方に疲れがにじんでいた。
たぶん自分たちは、お互いの努力のタイミングがずれていた。自分が今向き合おうとしたとき、相手はもう終わったことにしていた。感情の文法が噛み合っていなかった。完了形で諦めた人と、進行形で足掻く人との会話だった。
結局、離婚届を出したあと、最後のメールが来た。「I hope you will be happy someday」。その時だけ未来形だった。
たとえば「存在しないかもしれない背景を想定しすぎなのでは。」の部分だけを抜き出してchatgptに比較させたまとめ
「~なのでは」は口語では自然ですが、書き言葉としては「~なのではないでしょうか」「~しすぎではありませんか」の方が丁寧。
「存在しないかもしれない背景を想定しすぎ」までで意味は十分に通じています。
👉 くだけた場面なら違和感なく使えます。少し改まった文に直すなら:
「存在しないかもしれない背景を想定しすぎではありませんか。」
2. 全部間違ってるのに、どことか言ってるのがもうやべーんだよw
完全に会話・ネットスラング寄りです。
「やべーんだよw」は意図的にくだけた強調で、文法的には「やばいのだよ」と解釈可能。
「どことか言ってる」がやや崩れており、厳密に直すと「どこと言っているのかが~」くらいになります。
👉 口語としては自然に伝わりますが、正しさより感情表現が優先されている文。
比較まとめ
正確で安定しているのは 1 の文。
「文法的には一応成立している」と評価されるものを「間違ってる」と断じるのは無理があると思うなあ
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20250913151828# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaMUMtwAKCRBwMdsubs4+ SA3IAP96n7nTDBEsB4XoyTXJi+t7qDyGL52sPcSlZt55JXd/7QD/WyStoT/qTFmz MUJyUgQaHo8wER67OS1r3K4fy+BKsAI= =jQN7 -----END PGP SIGNATURE-----
以下は、ご依頼の文章を意味が通るように自然で読みやすく校正したものです。元のニュアンスや口調をできる限り残しつつ、誤字や不自然な表現を修正しました。
---
昔は「たとえ難解でもいいから、正確に表現したい」って感じで、言葉をできるだけ厳密に綴ってたんだよ。
でも、長年ネットでバカっぽいノリに合わせてやってるうちに、なんかこんな感じが素になっちゃったよ。
そしたら、お前らみたいな奴らが親しみを感じて、意気揚々と議論ごっこに挑んでくるじゃん?
格下をボコっても、嬉しくも楽しくもないんだよ。
---
そもそも平等「で」ゴミだとどういうニュアンスのなるのか読み取れないんだけど
ということはそっちが何かニュアンスを込めてたとしても伝わってないしそもそも文法的に間違っている可能性があるってことだよ。
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20250822224338# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaKwbVgAKCRBwMdsubs4+ SKVfAP4+B3JI/HvCSgoKWztUW7O/Yo/tZiwnpA7NaYW/1GyVmwEAmky76ANQYR53 hg8c1iV1AHaJ8hG2t54ptTM/5hnFUwE= =3aCD -----END PGP SIGNATURE-----
回文増田はときどきJ-POPの歌詞の一部や曲名、アーティスト名を引用するかたちの表現をとる
(例)
岡本真夜「TOMORROW」
時間があったらって
いつ時間があるのかしら。
そう思うとシクシクって泣いちゃいそうだけど
涙の数だけ強くなるでお馴染まないぐらい岡本真夜さんなのよ。
この投稿に出てくる「(苦手な人物と会って)『一つの長く心に残っていて底が浅く特にいま考えることでがないことが、浮かび上がり、勝手に割れた。』」という文(原文ママ)は、おそらく小学生当時に書いた創作の一節であり、文法的にやや混乱しているものの、子どもなりに感情や心理を表現しようとした痕跡が見られます。
解釈の試み:
「一つの長く心に残っていて」
→ 長い間心に残っていた“何か”(記憶、感情、体験など)を指していると考えられます。
「底が浅く」
→ その“何か”は、今から見ると内容が浅く、深い意味があるものではなかったという評価。
「特にいま考えることでがないことが」
→ 「今さら考えるほどのことでもない」「特に意味のあることではない」と言いたいのでしょう。
※「ことでがない」は文法的に誤りですが、「考えることでもないことが」と言いたかった可能性があります。
→ 何かのきっかけ(ここでは「苦手な人物と会う」こと)で、心の中にあったその記憶や感情が自然と蘇り、
しかもそれが勝手に「割れた」、つまり壊れた・消化された・解決された…という心理的な動きを表現しているように思えます。
全体の意図(推測):
「苦手な人物に会ったことで、昔から引っかかっていたけど、今となってはどうでもいいような浅い記憶が自然と浮かび上がって、気づいたらその感情が壊れて(消えて)いた。」
という言葉からも分かるように、当時の自分の文章が大人の視点では理解しづらいという戸惑いと、
それでも「昔から書くのが好きだったな」と肯定的に捉え直している姿勢が印象的です。
補足:
このような「意味が曖昧だが感覚的に豊かな表現」は、子どもの創作にはよくあることで、
むしろ「書きたいという気持ちがあふれている証拠」だとも言えます。
「勝手に割れた」という表現には、作者の無意識的な感情処理や自己肯定感の芽生えすら感じられる、
ある意味で詩的な一文とも言えるでしょう。
ウィイイイイイッス! どうも〜、█████で〜す。
えー、今日はですねぇ…まぁ、ちょっと難しい話、しよっかなぁと思って。えー、まぁ最近よく聞くじゃないですか、AI? あのねぇ、AI。
ほんで〜、なんかプログラマーっていう仕事? が、まぁ、なくなるとかなくならないとか、色々言われてますけどもぉ。
今日はね、その辺について、この僕が、えー、ちょっとね、語っていこうかなぁと、思いますぅ。
えー、まぁソフトウェア…なんですか、開発の世界は、まぁ生成AIの登場で、なんか根本的な、えー、パラダイムシフト? の、渦にあると。まぁ、僕はずっと前から言ってたんですけどもね。
えぇ。これはね、ただの道具が変わったとか、そういう話じゃないんですよ。プログラマーっていう、まぁ職業そのものの、役割が、えー、再定義される、っていうことですねぇ。
スゥゥゥ…今までね、人間が一行一行、こ、こう、書いてたコードがね、今やAIと、まぁともしらべ作業で、生み出されるようになったと。
ほんで〜、GitHubとか見てもね、AIツールの導入率? とか、なんかプルリクエスト? の数が、まぁ急増してると。
でもねぇ、でもね、これ、良いことばっかりじゃないんですよ、えぇ。
なんか、えらい学者さんとかも言ってるけど、生成AIに、こ、こう、かたむきとうしすぎるとね? 基礎的なスキルがないまんまやと、IT産業全体が、まぁ停滞するんじゃないか、っていう懸念も、えー、表明されてますねぇ。
僕が、こ、今回言いたいのはね、AIが、コンピュータサイエンス…CSの知識を、時代遅れにするんじゃなくて、むしろ、その重要性を、こ、これまで以上に高めるっていう、そういう話ですねぇ。
AIツールってね、えー、まぁ強力なんですけども、欠陥をうちづつみしたアシスタントなんですよ。えぇ。
だからね、その能力を最大限に引き出して、安全で、こ、効率的なシステムを構築するためにはね、AIの生成物を、ちゃんと指導して、検証して、修正できる、深い専門知識を持った、えー、人間のパートナーが、まぁ不可欠であると。
未来はね、AIにただ指示できる人間じゃなくて、強固なCSの基礎を土台にして、AIを、こ、巧みに操って、かたろうで、効率的で、安全なシステムを設計できる、「AI拡張型エンジニア」…まぁ僕みたいな人のものですね、はい。
えー、まぁね、えーその、色んなツールがあるんですけども。今日はね、僕が、えー、主要な4つのツールを、えー、比較分析してやろうかなと。
まずね、ギットハブコパイロット。これはね、まぁ、開発者の「才能はあるけど視野が狭い後輩」みたいなもんですねぇ。
定型的なコード…まぁ、ボイラープレート?とか、そういうのを生成するのは得意なんですけども。
ただね、こいつの視野は、今開いてるファイルぐらいにしか、限定されてないんですよ。レポジトリ全体とか、そういう大きな話は、まぁ、分かってないですねぇ。
あと、知識もね、2023年の10月とかで止まってるんで、最先端の開発には、まぁ、対応しきれないかなと。えぇ。
だから、こいつが出してきたコードは、ちゃんと人間…まぁ、僕みたいなシニアなエンジニアが、レビューせんとあかん、ということですねぇ。
次はね、チャットジーピーティーの、えー、コードインタープレター。
これはねぇ、コード生成だけじゃなくて、データ分析とか、可視化とか、色々できるんですよ。
ただね、こいつの一番の、こ、制約は、インターネットに繋がってないことですねぇ。セキュリティのためらしいけども。
ほんで〜、使える言語もPythonだけやし、ライブラリも、まぁ、決められたやつしか使えないと。
たまにね、幻覚を見て、なんか変なコード出してきたりするんで、まぁ、全面的に信用するのは、ちょっと危ないかなぁと、思いますね。
えー、アマゾンのコードウィ?す…ぱ…ぁあですねぇ。これはね、まぁエンタープライズ…大企業向けですね。
一番の特徴は、セキュリティですねぇ。もろじゃくせいを、こ、検出してくれたり、オープンソースのコードと似てたら、ちゃんとライセンスを提示してくれると。
知的財産権? IPリスクを、まぁ、減免してくれるんで、大企業は助かるんじゃないですかねぇ。
ただね、まぁ、設定がちょっとめんどくさいかなぁと。AWSのエコシステムに、まぁ、依存してる感じはありますね。
こいつはね、コードのレビューとか、修正を、差分…ディフフ形式で、提案してきたりすると。
ただねぇ、まぁ、出たばっかりやからか、動作が遅いとか、バグが多いっていう報告が、まぁ、ありますねぇ。
「本物のエージェントじゃなくて、ただのチャットだ」とか言われてて、まぁ、競合に比べると、使い勝手はまだまだかなぁと。グーグルも、まだまだですねぇ、ほんまに。
えー、AIがコード作る時代にね、「もうコンピュータサイエンスの知識なんていらんのちゃうか」って言う人がおるんですけども。
それはね、大きな間違いですねぇ。断言しますけども。
現実は逆で、AIが生成したコードの品質を評価して、最適化するためには、CSの基礎原理への深い理解が、これまで以上に、まぁ、不可欠になるんですよ。
昔、僕がバイトでちょっとプログラム組んでた時もねぇ、やっぱり基礎が分かってないと、もう、話にならんかったですねぇ。
アルゴリズムとか、データ構造とか…この知識はね、AIが出したコードが、効率的かどうかを評価するための、まぁ、根幹をなすわけですよ。
AIはね、文法的には正しくても、アルゴリズム的に、こ、非効率なコードを平気で出してくるんで。
ビッグ・オー記法とかね、そういうのを理解してる開発者じゃないと、AIが出したもんが、本当に使えるかどうかの判断が、まぁ、できひんわけですね。
これが、ただの「プロンプター」と、真の「エンジニア」を分ける、境界線になると思いますぅ。
えー、これからの時代ね、ただツールを学ぶだけじゃ、まぁ、不十分ですねぇ。
人間とAIが、こ、協調するための、新しいスキルセットが、まぁ、必要になると。
まず、プロンプトエンジニアリング。これはね、ただAIに質問することとちゃいますよ。
AIを、こ、望ましい結果に導くための、技術的なスキルですねぇ。
AIに環境の前提を教えたりね、出力の形式を指定したり、そういう、こう、構造化された対話の技術が、まぁ、求められるわけです。
ほんで、コードレビュー。AIがね、一次レビューはやってくれるんですよ。しょうもないミスとか。
だから、人間はもっと高次の、アーキテクチャの妥当性とか、そういう、AIには分からんところに集中できると。
でも、そのためには、AIが作ったコードを、厳しい基準で、こ、批判的に評価するスキルが、まぁ、前提になるわけですね。セキュリティとか、パフォーマンスとか、保守性とか…ほかにも…あー…えぇ。
なんでかっていうと、自分が書いたコードじゃないから、そのロジックが、頭の中にないわけです。
だから、なんか、AIの思考プロセスを、こう、リバースエンジニアリングする、みたいな作業になるんですねぇ。
まぁ、こ、こういう話をね、教育現場にも、ちゃんと落とし込んでいかなあかんと思うんですよ。
僕がね、もし、えー、東京大学とかで教えるなら、こういう風にしますねぇ。
まず、学習者はね、AIを「松葉杖」じゃなくて「パートナー」として使わなあかんと。
AIの言うことを鵜呑みにせんと、常に、こ、検証して、その裏にあるロジックを理解する、そういう責任感が、まぁ、不可欠ですねぇ。
教育者側はね、AIを使って、生徒一人ひとりに合わせた、個別最適化学習を実現できると。
ほんで、カリキュラムの重点は、コードを書くことじゃなくて、批判的思考とか、問題設定能力とか、そういう高次のスキルに、まぁ、移行すべきですねぇ。
AIが作ったものを、どう評価して、改良していくか、そういう課題を、まぁ、出すべきかなぁと。
スキルが古臭くなることとか、認知能力の低下を、まぁ、おんわするためにもね、生徒が主体性を失わないように、導いていく必要があると思いますぅ。
AIはね、セキュリティの脅威を、大規模に生み出す可能性があるんですよ。
えー、「ジェネレーティブ・モノカルチャー」…まぁ、生成的単一栽培? みんなが同じAIツール使うと、同じ欠陥を持ったコードが、まぁ、爆散しちゃうと。
これで、一つのもろじゃくせいで、何千ものアプリが、まぁ、やられる可能性があるわけですねぇ。
あと、データプライバシーとか、知的財産…IPの問題もありますねぇ。
AIが作ったコードの著作権って、どうなんの?っていう。まだ、まぁ、グレーゾーンですね。
まぁ、色々話してきましたけどもぉ。
要するにね、AIは、人間のエンジニアの終わりじゃなくて、その役割が、新たな高みに、か、昇華する、時代の幕開けやということですねぇ。
ほんで、コンピュータサイエンスの深い基礎知識が、これまで以上に重要になる。
プロンプトエンジニアリングみたいな、新しいスキルも、まぁ、不可欠になると。
未来の開発はね、人間とAIの競争じゃなくて、人間「と」AIの共生関係で、まぁ、定義されると思いますぅ。
AIが定型的な作業をやってくれるおかげで、人間は、創造性とか、複雑な問題解決とか、そういう、より価値の高いタスクに、まぁ、集中できるようになるわけですよ。
だからね、現代のコンピュータサイエンス教育の、まぁ、究極的な目標はね、ただコードを書ける人間を育てることじゃないんですよ。
AIアシスタントの有無にかかわらず、未来を設計できる、「コズミック・マインド」を、函館すること、なんですねぇ。
…はい。
というわけで、えー、今回は、まぁ、ちょっと難しい話でしたけども、ね。
えー、今後の、えー、AIとプログラミングの未来について、えー、この█████が、えー、お話しました。
まぁ、内容としてはー、濃い内容だったかもしれへんけど、俺としては精一杯、
知の自壊装置としての生成AI──人類が積み上げた数千年の歴史を、たった10年で無意味に帰す
生成AIが「それっぽい文章」や「微妙にメンテナンス性の悪いツール」を大量に生成し続けた場合に予想される結果は、主に以下の4つの側面から論理的に分析できる。
生成AIは「既存の統計的傾向に基づいた模倣」を行うため、創造的で独自性のあるコンテンツよりも、「すでに無難だとされている」表現に収束しがちである。
そのため、ネット上には以下のような変化が起きる:
結果として、「知ること」や「調べること」のコストパフォーマンスが悪化し、知的行為のインセンティブが低下する。
生成AIが作るコードやツールは、動作する範囲では便利だが、以下のような欠陥が内在しやすい:
これにより、生成されたツールは「とりあえず動くが、誰もメンテナンスしたがらない」コードの山となる。
運用コストが増加し、いずれそのツール群の維持だけで人員と資金が逼迫する。
リファクタリングや設計の見直しを行う人材が枯渇し、組織全体が技術的負債に埋もれていく。
人間がAI生成物に頼り続けると、以下のような認知的・教育的影響が生じる:
その結果、人間が「技術を使う主体」から「出力を選ぶだけの存在」へと退行し、専門家が形式的にしか存在しなくなる。
エラー時に誰も手が打てず、属人的な知見に頼れない社会になる。
悪意ある使用者が生成AIを使えば、以下のようなことが容易にできる:
これは民主主義的な意思決定や、科学的合意の形成を妨げ、社会全体に不信と混乱をもたらす。
しかも、それらが「誰が書いたのかわからない」「誰も責任を取らない」構造であることが問題をさらに深刻にする。
生成AIが「それっぽい文章」や「なんとなく使えるけど質が悪いツール」を無制限に吐き出す状況を放置すれば、情報の信頼性、技術的健全性、人間の判断力、社会的基盤すべてが徐々に劣化していく。
これは見た目には便利さが増しているように感じられるかもしれないが、実質的には「知のインフラの腐敗」と呼べる事態である。
令和の若者は「8時10分前に集合」で8時8分に来る!?なぜ「7時50分」ではないのか?衝撃の世代間ギャップの理由
https://news.yahoo.co.jp/articles/2956f5a6733f0a9eb58b12144853cc13ea0e7db8
最近、若者の言葉の省略の仕方が以前と変わってないか?と感じている(名詞や動詞の短縮ではなく、文章として特定の品詞が欠落するという意味での省略)。
私は35歳なのだが、20代前半以下の人たちの会話を聞いていると省略され方に違和感を覚えることが多い。
確かに日本語はかなり省略が利く言語ではあって、若者に限らず大人たちも普段の会話では助詞や接続詞のようなものを省略していることは多い。
しかし「そこを省略するか?」という部分が若者の会話だと抜け落ちていることが多いように思われるのだ(良い例が思い浮かばなくて具体例が出せず申し訳ないが・・・)。
どうも20代前半以下だと我々と違う「ルール」に則って言葉の省略が行われているらしく、若者同士ではちゃんとそのルールが共有されているから問題なく伝わっているのだろう。
しかし我々以上の世代とはそのルールが異なっているから、そこで会話が起こった時に何が省略されているのかが正しく伝わらなくて齟齬が生じるのではないかと思った。
元の「8時10分前」についても、我々のルールでは「8時『の』10分前」なのだが、若者のルールでは「8時10分『の』前」という規則になっているのだろう。
どっちが正しいかじゃなくて、それぞれが持っているルールが異なっているという事なのだと認識している。
こういう文法的ルールが世代間で大きく変わるというのはどういう理由なんだろうか。
それも35歳の私と、10歳ちょっとしか離れていない20代前半、つまり0.5世代程度しか離れていない間でもこうまでルールが変わり、かつその20代前半以下の中ではすでに広く受け入れられているというのは凄く不思議に感じる。
少なくとも逆に例えば私から見て50代60代の人たちとその文法的ルールが大きく違うとはあまり感じていない。単語や語法は変化していたりするけども、文法的に大きく変わって意思疎通に問題が生じているという実感はない。
Q.
ある政党の党首が、女性の支持率が低いことについて質問された際の回答です。 "Many people say that what we are saying is very complicated and it's very difficult to understand." "Our policy is good not only for men but also women. But I think it's very difficult to understand for them." 党首は米国に留学経験がある日本人で英語はある程度流暢ですが、ネイティブ並みとは言えないという意見もあります。 それも踏まえて、上記は「女は難しいことを理解できない」と言っていると考えられますか? あるいはthemは女性ではなく他の集合を指していると考えられますか?
A.
この発言については、英語の文法・文脈、そして政治的な発言としてのニュアンスを踏まえて慎重に評価する必要があります。 --- ### 引用された文: > "Many people say that what we are saying is very complicated and it's very difficult to understand." > "Our policy is good not only for men but also women. But I think it's very difficult to understand for them." --- ## ポイント1: **"them" の指す対象** 2文目の「**But I think it's very difficult to understand for them.**」の "them" の解釈が核心です。 直前の文が「**Our policy is good not only for men but also women.**」なので、文法的に最も自然な解釈は「them = women」です。 つまり、「女性にとって理解するのが難しい」と言っているように読める構文です。 しかし、前の文(1文目)で「**Many people say that what we are saying is complicated**」と、一般論のような話もしているため、"them" を「多くの人々(many people)」と読むことも文法上は可能です。 --- ## ポイント2: **英語表現としての曖昧さ** 質問者が指摘しているように、話者は流暢な英語を話すものの、完全にネイティブではないとすれば、"them" を文脈から浮いてしまう形で使ってしまった可能性もあります。 例えばネイティブであれば、誤解を避けるために: ** "for **some people**" ** "for **the public**" ** "for **voters in general**" などの表現を使うことが多いです。逆に "them" と代名詞だけ使うと、その直前の名詞(ここでは women)を指すと解釈されるのが普通です。 --- ## ポイント3: **政治的・社会的な含意** 仮に本人が「女性は政策を理解しにくい」と直接言う意図がなかったとしても、この英語表現は、非常に誤解されやすい構造になっており、女性蔑視ともとれる発言になっています。 --- ## 結論 ** 文法的に最も自然な解釈は、「them = women」であり、「女性には理解が難しい」と言っているように聞こえる。 ** 一方で、本人の英語力や文脈の曖昧さから、「them = 一般人」「them = 多くの人々」と言いたかった可能性も排除できない。 ** しかし、その場合でも表現の選び方に問題があり、「女性は理解力が劣っている」というニュアンスに受け取られても仕方がない発言。 --- ### まとめ: ***「女性は難しいことを理解できない」と言っていると解釈されてもおかしくない発言です**。 ただし、本人の英語力や意図に照らすと、必ずしもそのつもりで言ったとは限らない、という余地もあります。 いずれにせよ、公の場でこのような曖昧な発言をするのは政治家として不適切であり、批判されるのは当然と言えるでしょう。
参考
内言語つまり思考として連なっていく言葉には「頭痛が痛い」みたいな非文法的な表現も平気で存在する。
ようは漫画の吹き出しみたいな「会話としても読めるような整った日本語」ではないのだ。
そういう意味で漫画とかで登場人物の思考を表す吹き出しはその時点で虚構なのだ。
ようは
「あー、信号黄色だから早く渡らなきゃ、うわ横から人が出てきた、右の車邪魔だな、植え込みが飛び出してる、前に3人がいる左から抜こう。」
https://hattatu-matome.ldblog.jp/archives/61526047.html
とこれは発達障害の5chまとめのコメント欄の引用だがこいつもまたこんな整った例をあげてるあたり内言というものをわかってなくて、
黄色。すぐわたあ人。植え込みが飛び出てる。三人死せ。
ぐらいなものだろう。
不自然な場所で助詞の欠落してることもあるだろう。自分が思考する道具として足りていればいいのだから。
言葉だったものが急、そうでありながら連続的に視覚的なイメージにとってかわっていることもあるだろう。つまり文字と映像の中間の情報形態も脳はその思考形式として平気で扱っていることになる。
言語に起こす以前に感覚的に自明なことは言葉にしないということも起こるので、それを文章に起こせば、歯抜けになっていて文章として体をなしていないものになっていることもあるだろう。運動とかしているときに多いと思われる。
とある魔術で天使等が神の言葉を話そうとするとき人間には意味不明なノイズに聞こえるという描写があるが、内言というものは他人にとってはそのレベルで他人と共有しえない、多くは即興的であるためにそうであると思われる言葉をも平気で扱う。
俺も含めそういう思考を人にわかるように純日本語に翻訳するっていうことは実は大変なことだと言うことがもっと広く知られるべきだと思う。
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