はてなキーワード: なりたけとは
引き寄せの法則、名前からして胡散臭いと思ったが、その内容を実際に聞いてみたらいくつかのバリエーションがあることがわかった
まず最も多いのは「認識が現実を作る」というもの。例えば成功者になりたければ成功すると信じろ、みたいなタイプ
もう一つが「人生はネットサーフィンと同じ」というタイプ。つまり自分が注意を向けたものに感情が動かされるという論
前者を信じる人は「ポジティブ思考じゃなきゃダメだ」といって逆に自己検閲をして疲弊していることが多い。ネガティブ思考をすると自己嫌悪になるアホ
後者はむしろ「自分がコントロールできることに集中する」というストア派に近い。楽しい感情がほしければ、何が楽しいか自己分析して、実際に楽しいことをしろ、と言う
まず 「認識が現実を作る」タイプについて、タルムードは、人の思考や信念が行動を形作り、その行動が結果を生むと強調する。
たとえば
「人が進みたい道に導かれる」マッコート 10b
という有名な言葉がある。つまり、思考だけで現実が魔法のように変わるのではなく、「その人の意志や方向性が、その後の機会や結果につながっていく」という考え方。
タルムード的には「ポジティブ思考=それ自体で現実を変える」ではなく、「考え方がその人の選択や行動を左右するから、最終的に現実に影響する」と理解するほうが自然。
一方、「ネガティブを抑えなきゃ」と無理に自己検閲すると疲弊するのは、タルムードでも警告される点。
タルムード(ブラコット 30b)は「心の抑圧は人を病ませる」と言い、ネガティブを全否定するのではなく、相談し、方向付けをすることをすすめる。
一方 「注意を向けたものに感情が動く」タイプについて、こちらはタルムードにより強い共鳴がある。
つまり、感情は「外界そのもの」よりも「自分がどこに注意を向けるか」に大きく左右される、ということ。これは「ストア派に近い考え方」に対応。
またタナハでも、コヘレト(伝道の書)9:7–9で「喜んで食べよ、楽しんで飲め」とあり、楽しめるものを自覚して大切にする姿勢が推奨される。
幼い頃だったら、例えば野球選手になりたければNPBなりMLBなりを遠慮なく望むものだと思う。
Youtuberだったらヒカキンみたいになんか楽しげな事を発信して大人気、的なポジションだったり。
でも多くの人間はそこそこの歳になってくるとあまりデカい夢を抱いたり、少なくとも口にするのを控えるようになる。
実際に挑戦してみて己の限界を感じる人もいるだろうけど、多分それよりもずっと多くの人は大して何かを試したわけでもなく、なんとな〜く受け売りの言葉や考えで世の中甘くない、的な態度を取るようになっていくんだと思う。それが「大人」であり「リアリスト」だと。
ただ丸っ切り諦めるのでもなく、夢を下方修正することはままあると思う。
夢も言っても具体的なものというより、まあなんか漠然とした妄想だったり、
スポーツ選手ならプロリーグでなく会社のチーム所属の選手だとか、Youtuberならニッチなジャンルを見つけて細々ととか、作家なら
そうやって釣り合いを取ろうとする。
ただ実際それでバランスを取ったことなるかと言ったら、別にそんな事はない気もする。
最近のポルノのトレンドには、貧弱なオタク君がヘコヘコ腰を振ってもまるで動じない女性がしかし屈強な男性に抱かれると凄い事になってしまう、的なアレがある。
やわらかマゾ需要もあるのだろうし、マチスモの裏返し(あるいはそのものかもしれない)としての卑屈さもあるのかもしれない。
ただこれについても「釣り合い」の取り方として近いものがある気がする。
もとより都合の良いフィクションと言えど、流石に女は突っ込まれさえすれば快楽に溺れるというのはあまりに都合が良すぎる気がして、せめて弱っちい男にはなびかないという所でバランスを取った気になりたいというアレが。
ブルーピリオドの主人公は高2まで絵の経験ゼロでそこから現役で、つまり2年以下で藝大に合格する。
これで実際藝大に受かるのが普通なのかはさておき、ブルーピリオドでの美大予備校の描写を見ると、たった数ヶ月でネットのハウツーや小手先のテクニックを見ながら絵を漫然と描いてるインターネットお絵かきマンのはるか先を行くように思える。
まったくの未経験から1ヶ月で神絵師になりました!みたいな神絵師がたまに現実でも現れるが、決して人間に不可能なことではないのだろう。むしろ美大生なら全員爆速で通過した場所だといってもいいかもしれない。
神絵師になりたければイラストの専門学校やパルミーで学んだり神絵師に添削してもらうのではなく、美大に行くつもりで美大予備校で勉強するのがいい説。
TBSがお送りする、年末の大型スポーツバラエティ番組といえばSASUKEである。もともとは「名もなき男たちのオリンピック」を標榜し、SASUKEオールスターズに代表される一般人の参加を中心に据えていたこの番組だが、近年は芸能人の参加が目立っている。ゴールデンボンバーの樽美酒が著名だが、芸人やアイドルや業界問わず多数参加している。
一部のSASUKEファンはこの変化をよく思っていないらしい。とりわけ、人気アイドルグループSnow Manのリーダーである岩本照を取り上げすぎている、という声が時折聞かれる。彼はまだ自力で3rdに到達しているわけでもないのに、番組で尺を取りすぎている。もっと当初のように、名もなき一般人に焦点を当てるべきだ、というわけだ。
だが考えてもみてほしい。この番組はすでに、山田勝己という狂気の一般参加者を輩出してしまっている。もう20年以上も前に、その後長きにわたりバラエティ番組で擦られ続けるかの名言を生み出した男だ。あの時代よりだいぶ平均的な倫理観が成熟した現代に、いったいどこに、山田を超える一般人エンターテイメントを生み出す余地があるだろうか。
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SASUKEの総合演出を務める乾氏は、「SASUKEが生んだモンスターは2人だけ」と語っている。一人は人間ドラマとしての番組の方向性を決定づけた山田勝己、もう一人は現役最強のSASUKEプレイヤーである森本裕介だという。SASUKEの主人公になりたければこの二人のバケモノのどちらかに勝たなければならない。森本に実力で勝つか、山田勝己を越える人間ドラマを演出するか、二つに一つだ。
前者がかなり厳しい道のりであることは論を俟たないだろう。第40回のファイナルステージ、森本は他二人のファイナリストに圧倒的な差をつけて鋼鉄の魔城の頂すれすれまで辿り着きかけた。第41回では愛媛銀行職員という新星が現れるも、彼すら森本と同じ位置で脱落してしまった。
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とはいえ、もう一つのルートも険しいものだ。山田勝己はSASUKEに打ち込むために、およそ常人が捧げられるあらゆるものを捧げ尽くしてしまった。命綱なしでクレーン車からぶら下がってファイナルステージの練習をし、SASUKEの練習に熱中して仕事を首になり、にもかかわらずあっけなく失敗する姿を見て妻が涙をこぼしてみせる。命、仕事、家族、真っ当な人間なら犠牲にできないものを全て。そうして暗い沼地に落下し、「俺にはSASUKEしかないんですよ…」とこぼす。本当に全てを賭けてしまい、ドラマのようには美しく勝てなかった男の言葉を。
だから山田に勝つためには、山田が持っていないものを賭けるしかない。総合演出の「SASUKEにはまだ林業やっている人がいない」みたいな戯言を間に受けて林野庁に就職した若者は自分の未来を賭けたわけだ。広大な土地に膨大な労力を費やして、巨大な模擬セットを作成した選手も一人ではない。あの実力者の愛媛銀行ですら頭取のハンコを持ってきた。もちろん、もうちょっとばかし穏当な、家族とか友情とか起業とかそういうアピールもあるけれども、それらは大抵、当人たちのテレビ映えする立ち回りのうまさと、着実に前半をクリアできる実力とセットになっていたりもする。
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そこにきて岩本照は、「トップアイドルとしての偶像性を捨てること」という間違いなく強いカードを持っている。彼は日本で最も売れているアイドルグループのリーダーだ。その彼が、割と平気で1stで落下する。初回はなんと冒頭のクワッドステップスで落ち、そこから少しずつ距離を伸ばして6回目にしてとうとう1stをクリアしたかと思いきや、新エリアの前にまた沈んだりする。特別回で3rdの良いところまで進める姿を見れば、練習はちゃんとやっているのだが、全体としての本番の成績は芳しくない。
要はぶっちゃけ、微妙なところで結構落ちてるのだ。きらきらとしたアイドルのリーダーが。あの汚い泥沼に。普通に考えて、アイドルがスポーツバラエティに出場する動機があるとするならば、その華麗な活躍模様をファンに見せつけるためではないのか。初回出場で1st最終エリアまで到達したり、あるいはクリアまでしている諸先輩後輩がそうであるように。
にもかかわらず彼はなぜか、「俺はこれだ」と確信し、自グループの冠番組でもSASUKEの番組名を連呼し、忙しい合間を縫って千葉の片田舎にあるセット練習に赴き、枕元には山田勝己カレンダーを置き、結果として見事にSASUKEキャラを確立している。他のメンバーがドラマとかダンスとか言ってる最中、リーダーのこの男のキャラ付けがSASUKEである。まあ冷静に考えたら何かがおかしい。まだアニメオタクとかの方が普遍的だし理解できる。トップアイドルがTBSの一企画にキャラクターを預けることがあろうか? あかつやクロちゃんじゃないんだから。例えばVS嵐のアトラクションに全てをかける後輩がいたら、相葉くんだってドン引きだろう。それでいて別に毎回クリアできるわけじゃないのだから、彼は間違いなく、ある種の「本物」なのだ。
SASUKEの熱心なファンは「SASUKEに全精力を費やすのは普通のこと」と考えている向きがあるようだがそんなわけがない。思い出してほしい。これは所詮、いちバラエティー番組なのである。
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そんなたかがバラエティ番組で、輝くことを求められるアイドルが、時にぶざまとも言える失敗を見せる。しかし、どれだけ恥をかこうがなんだろうが決して諦めたがらない姿、それこそ山田勝己が紡いできた物語のそのまま続きと言えないだろうか?
SASUKEがもしも、完全制覇をゴールとする英雄の物語だけだったならば、Mr.SASUKEの称号は長野誠のものだっただろう。けれども、ここには山田勝己が代表してきた、人間の物語がある。見果てぬ夢を見て、敵わぬ敵と戦い、届かぬ壁に手を伸ばす。それは冷静に見れば滑稽で、傍目には理不尽とすら思える情念で、ときに哀愁すら漂い、しかし不思議な輝きを放つ、奇妙な人間讃歌である。その世界に岩本は、アイドルらしい視聴率を手土産に、アイドルらしからぬ泥臭さで挑んでいるのだ。
*
というわけで、一般人にもっとスポットを当てろという意見、お気持ち大変よく分かりますが文句はこの際、森本と山田に言いましょう。エリア難易度をインフレさせた森本と、人間ドラマをインフレさせた山田に。でも次回にこそは、とんでもない素人のドラマが現れるかもしれないという希望もかすかに抱いて。
そんな今年のSASUKEはクリスマス決戦、12月25日18:00からスタートです。岩本照で何回CMを跨ぐのか。みなさん絶対絶対絶対見てください。
三四郎はあきれ返ったような笑い方をして、四人のあとを追いかけた。四人は細い横町を三分の二ほど広い通りの方へ遠ざかったところである。この一団の影を高い空気の下に認めた時、三四郎は自分の今の生活が熊本当時のそれよりも、ずっと意味の深いものになりつつあると感じた。かつて考えた三個の世界のうちで、第二第三の世界はまさにこの一団の影で代表されている。影の半分は薄黒い。半分は花野のごとく明らかである。そうして三四郎の頭のなかではこの両方が渾然として調和されている。のみならず、自分もいつのまにか、しぜんとこの経緯のなかに織りこまれている。ただそのうちのどこかにおちつかないところがある。それが不安である。歩きながら考えると、いまさき庭のうちで、野々宮と美禰子が話していた談柄が近因である。三四郎はこの不安の念を駆るために、二人の談柄をふたたびほじくり出してみたい気がした。
四人はすでに曲がり角へ来た。四人とも足をとめて、振り返った。美禰子は額に手をかざしている。
三四郎は一分かからぬうちに追いついた。追いついてもだれもなんとも言わない。ただ歩きだしただけである。しばらくすると、美禰子が、
「野々宮さんは、理学者だから、なおそんな事をおっしゃるんでしょう」と言いだした。話の続きらしい。
「なに理学をやらなくっても同じ事です。高く飛ぼうというには、飛べるだけの装置を考えたうえでなければできないにきまっている。頭のほうがさきに要るに違いないじゃありませんか」
「そんなに高く飛びたくない人は、それで我慢するかもしれません」
「そうすると安全で地面の上に立っているのがいちばんいい事になりますね。なんだかつまらないようだ」
「女には詩人が多いですね」と笑いながら言った。すると広田先生が、
「男子の弊はかえって純粋の詩人になりきれないところにあるだろう」と妙な挨拶をした。野々宮さんはそれで黙った。よし子と美禰子は何かお互いの話を始める。三四郎はようやく質問の機会を得た。
「今のは何のお話なんですか」
「なに空中飛行機の事です」と野々宮さんが無造作に言った。三四郎は落語のおちを聞くような気がした。
それからはべつだんの会話も出なかった。また長い会話ができかねるほど、人がぞろぞろ歩く所へ来た。大観音の前に乞食がいる。額を地にすりつけて、大きな声をのべつに出して、哀願をたくましゅうしている。時々顔を上げると、額のところだけが砂で白くなっている。だれも顧みるものがない。五人も平気で行き過ぎた。五、六間も来た時に、広田先生が急に振り向いて三四郎に聞いた。
「いいえ」と三四郎があとを見ると、例の乞食は、白い額の下で両手を合わせて、相変らず大きな声を出している。
「やる気にならないわね」とよし子がすぐに言った。
「なぜ」とよし子の兄は妹を見た。たしなめるほどに強い言葉でもなかった。野々宮の顔つきはむしろ冷静である。
「ああしじゅうせっついていちゃ、せっつきばえがしないからだめですよ」と美禰子が評した。
「いえ場所が悪いからだ」と今度は広田先生が言った。「あまり人通りが多すぎるからいけない。山の上の寂しい所で、ああいう男に会ったら、だれでもやる気になるんだよ」
「その代り一日待っていても、だれも通らないかもしれない」と野々宮はくすくす笑い出した。
三四郎は四人の乞食に対する批評を聞いて、自分が今日まで養成した徳義上の観念を幾分か傷つけられるような気がした。けれども自分が乞食の前を通る時、一銭も投げてやる了見が起こらなかったのみならず、実をいえば、むしろ不愉快な感じが募った事実を反省してみると、自分よりもこれら四人のほうがかえって己に誠であると思いついた。また彼らは己に誠でありうるほどな広い天地の下に呼吸する都会人種であるということを悟った。
行くに従って人が多くなる。しばらくすると一人の迷子に出会った。七つばかりの女の子である。泣きながら、人の袖の下を右へ行ったり、左へ行ったりうろうろしている。おばあさん、おばあさんとむやみに言う。これには往来の人もみんな心を動かしているようにみえる。立ちどまる者もある。かあいそうだという者もある。しかしだれも手をつけない。子供はすべての人の注意と同情をひきつつ、しきりに泣きさけんでおばあさんを捜している。不可思議の現象である。
「これも場所が悪いせいじゃないか」と野々宮君が子供の影を見送りながら言った。
「いまに巡査が始末をつけるにきまっているから、みんな責任をのがれるんだね」と広田先生が説明した。
「わたしのそばまで来れば交番まで送ってやるわ」とよし子が言う。
「じゃ、追っかけて行って、連れて行くがいい」と兄が注意した。
「追っかけるのはいや」
「なぜ」
「なぜって――こんなにおおぜいの人がいるんですもの。私にかぎったことはないわ」
「やっぱり場所が悪いんだ」と野々宮が言う。男は二人で笑った。団子坂の上まで来ると、交番の前へ人が黒山のようにたかっている。迷子はとうとう巡査の手に渡ったのである。
「もう安心大丈夫です」と美禰子が、よし子を顧みて言った。よし子は「まあよかった」という。
坂の上から見ると、坂は曲がっている。刀の切っ先のようである。幅はむろん狭い。右側の二階建が左側の高い小屋の前を半分さえぎっている。そのうしろにはまた高い幟が何本となく立ててある。人は急に谷底へ落ち込むように思われる。その落ち込むものが、はい上がるものと入り乱れて、道いっぱいにふさがっているから、谷の底にあたる所は幅をつくして異様に動く。見ていると目が疲れるほど不規則にうごめいている。広田先生はこの坂の上に立って、
「これはたいへんだ」と、さも帰りたそうである。四人はあとから先生を押すようにして、谷へはいった。その谷が途中からだらだらと向こうへ回り込む所に、右にも左にも、大きな葭簀掛けの小屋を、狭い両側から高く構えたので、空さえ存外窮屈にみえる。往来は暗くなるまで込み合っている。そのなかで木戸番ができるだけ大きな声を出す。「人間から出る声じゃない。菊人形から出る声だ」と広田先生が評した。それほど彼らの声は尋常を離れている。
一行は左の小屋へはいった。曾我の討入がある。五郎も十郎も頼朝もみな平等に菊の着物を着ている。ただし顔や手足はことごとく木彫りである。その次は雪が降っている。若い女が癪を起こしている。これも人形の心に、菊をいちめんにはわせて、花と葉が平に隙間なく衣装の恰好となるように作ったものである。
よし子は余念なくながめている。広田先生と野々宮はしきりに話を始めた。菊の培養法が違うとかなんとかいうところで、三四郎は、ほかの見物に隔てられて、一間ばかり離れた。美禰子はもう三四郎より先にいる。見物は、がいして町家の者である。教育のありそうな者はきわめて少ない。美禰子はその間に立って振り返った。首を延ばして、野々宮のいる方を見た。野々宮は右の手を竹の手欄から出して、菊の根をさしながら、何か熱心に説明している。美禰子はまた向こうをむいた。見物に押されて、さっさと出口の方へ行く。三四郎は群集を押し分けながら、三人を棄てて、美禰子のあとを追って行った。
ようやくのことで、美禰子のそばまで来て、
「里見さん」と呼んだ時に、美禰子は青竹の手欄に手を突いて、心持ち首をもどして、三四郎を見た。なんとも言わない。手欄のなかは養老の滝である。丸い顔の、腰に斧をさした男が、瓢箪を持って、滝壺のそばにかがんでいる。三四郎が美禰子の顔を見た時には、青竹のなかに何があるかほとんど気がつかなかった。
「どうかしましたか」と思わず言った。美禰子はまだなんとも答えない。黒い目をさもものうそうに三四郎の額の上にすえた。その時三四郎は美禰子の二重瞼に不可思議なある意味を認めた。その意味のうちには、霊の疲れがある。肉のゆるみがある。苦痛に近き訴えがある。三四郎は、美禰子の答を予期しつつある今の場合を忘れて、この眸とこの瞼の間にすべてを遺却した。すると、美禰子は言った。
「もう出ましょう」
眸と瞼の距離が次第に近づくようにみえた。近づくに従って三四郎の心には女のために出なければすまない気がきざしてきた。それが頂点に達したころ、女は首を投げるように向こうをむいた。手を青竹の手欄から離して、出口の方へ歩いて行く。三四郎はすぐあとからついて出た。
二人が表で並んだ時、美禰子はうつむいて右の手を額に当てた。周囲は人が渦を巻いている。三四郎は女の耳へ口を寄せた。
女は人込みの中を谷中の方へ歩きだした。三四郎もむろんいっしょに歩きだした。半町ばかり来た時、女は人の中で留まった。
「ここはどこでしょう」
「こっちへ行くと谷中の天王寺の方へ出てしまいます。帰り道とはまるで反対です」
「そう。私心持ちが悪くって……」
三四郎は往来のまん中で助けなき苦痛を感じた。立って考えていた。
「どこか静かな所はないでしょうか」と女が聞いた。
谷中と千駄木が谷で出会うと、いちばん低い所に小川が流れている。この小川を沿うて、町を左へ切れるとすぐ野に出る。川はまっすぐに北へ通っている。三四郎は東京へ来てから何べんもこの小川の向こう側を歩いて、何べんこっち側を歩いたかよく覚えている。美禰子の立っている所は、この小川が、ちょうど谷中の町を横切って根津へ抜ける石橋のそばである。
「もう一町ばかり歩けますか」と美禰子に聞いてみた。
「歩きます」
二人はすぐ石橋を渡って、左へ折れた。人の家の路地のような所を十間ほど行き尽して、門の手前から板橋をこちら側へ渡り返して、しばらく川の縁を上ると、もう人は通らない。広い野である。
三四郎はこの静かな秋のなかへ出たら、急にしゃべり出した。
「どうです、ぐあいは。頭痛でもしますか。あんまり人がおおぜい、いたせいでしょう。あの人形を見ている連中のうちにはずいぶん下等なのがいたようだから――なにか失礼でもしましたか」
女は黙っている。やがて川の流れから目を上げて、三四郎を見た。二重瞼にはっきりと張りがあった。三四郎はその目つきでなかば安心した。
「ありがとう。だいぶよくなりました」と言う。
「休みましょうか」
「ええ」
「もう少し歩けますか」
「ええ」
「歩ければ、もう少しお歩きなさい。ここはきたない。あすこまで行くと、ちょうど休むにいい場所があるから」
「ええ」
一丁ばかり来た。また橋がある。一尺に足らない古板を造作なく渡した上を、三四郎は大またに歩いた。女もつづいて通った。待ち合わせた三四郎の目には、女の足が常の大地を踏むと同じように軽くみえた。この女はすなおな足をまっすぐに前へ運ぶ。わざと女らしく甘えた歩き方をしない。したがってむやみにこっちから手を貸すわけにはいかない。
向こうに藁屋根がある。屋根の下が一面に赤い。近寄って見ると、唐辛子を干したのであった。女はこの赤いものが、唐辛子であると見分けのつくところまで来て留まった。
「美しいこと」と言いながら、草の上に腰をおろした。草は小川の縁にわずかな幅をはえているのみである。それすら夏の半ばのように青くはない。美禰子は派手な着物のよごれるのをまるで苦にしていない。
「もう少し歩けませんか」と三四郎は立ちながら、促すように言ってみた。
「ありがとう。これでたくさん」
「やっぱり心持ちが悪いですか」
三四郎もとうとうきたない草の上にすわった。美禰子と三四郎の間は四尺ばかり離れている。二人の足の下には小さな川が流れている。秋になって水が落ちたから浅い。角の出た石の上に鶺鴒が一羽とまったくらいである。三四郎は水の中をながめていた。水が次第に濁ってくる。見ると川上で百姓が大根を洗っていた。美禰子の視線は遠くの向こうにある。向こうは広い畑で、畑の先が森で森の上が空になる。空の色がだんだん変ってくる。
ただ単調に澄んでいたもののうちに、色が幾通りもできてきた。透き通る藍の地が消えるように次第に薄くなる。その上に白い雲が鈍く重なりかかる。重なったものが溶けて流れ出す。どこで地が尽きて、どこで雲が始まるかわからないほどにものうい上を、心持ち黄な色がふうと一面にかかっている。
「空の色が濁りました」と美禰子が言った。
テキサスホールデムは最初に確率の勉強をして(オッズの概念とかアウツの枚数とか4倍・2倍の法則とか)、
次にハンドレンジの概念を覚えて(相手がどのくらいの頻度でゲームに参加しているか、その頻度に含まれるカードの組み合わせはどれだけあるか、自分のハンドはそれらの組み合わせに対して有利か)、
さらに強くなりたければゲーム理論にまで手を出して(GTOとかエクスプロイトとか)、それでも最後は運なので勝てるかどうかわからない恐ろしいゲームなのです。
自分が参加してない間暇だ……というなら対戦相手の情報を逐一チェックすべし。
『ポーカーチェイス』でも『エムホールデム』でも各プレイヤーのVPIP(プリフロップ時点でチップを払ってゲームに参加した率)は公開情報としてプレイヤーをタッチすると見られるし、どのくらいの頻度でゲームに参加しているか、そして自分がどのくらいの頻度でゲームに参加する"と思われている"かはテキサスホールデムで戦う上で非常に重要な情報なんよ。
1ヶ月半でリタイヤwwwwアホやwwww
毎月14300円が不要になった、大儲け
そもそも公文など行かせたくなかったのだが本人がどうしても通いたいというので通わせた。
「勉強なんて小学校でやらされるんだから数ヶ月早くやっても意味はない、勉強なんて楽しいものではない、嫌な事など先送りすればいいじゃないか、今は好きなことして日々過ごせば良かろうゲームでもしてなさい、公園で走り回ってりゃいいのだ」と説得したが。
どーしてもと押し切られた
一つだけ注文をつけた、宿題を一度でも落としたら退会
しゅーりょーwwwwwはやっwwww
連日、「宿題したら?」「毎日ちょっとずつやりな」とアドバイスはした
何度も警告したがゲームを辞めない
16時になりようやく始めた
「こんなもの、ちゃちゃちゃーと終わらすでぇ」言うてる
だがお喋りと脱線ばかりで進まない
「集中してやりな」とアドバイスしても聞かない、むふふふふ、時間は刻一刻過ぎていく
まぁすでに間に合わないことは確定している
17時10分、ようやく国語が終わる
「パパ次は算数、出して」
「いいけど、やっても無駄だよ、もう時間過ぎたから公文は退会だから」
唖然とする息子
「え?今日は行かないって事?」
数秒考えて、大泣きし始めた、絶叫
「行きたい、まだ間に合うでしょ!お願い!」
うっせぇバカwしらんがな
「毎日少しずつやるようにアドバイスしたよね?今日もずっと注意してあげたよね?聞かなかったの誰?間に合わなかったら退会するのも最初から言ってたよね?
んで、忘れてもらっちゃ困るんだけど、あなたの希望する教育機会、チャンスは与えた
だけどやらなかった、チャンスを捨てたのは自分な、これはだけは覚えといて
先々、勉強したかったのに親がやらせてくれなかった、とは思わないでね、これ重要
パパは無理やりやりたくないことをやらせるつもりはない、自分が望む事をやりゃいい
ゲームしたけりゃゲームしてなさい、だけど目も頭も悪くなることは教えてやるが
それをどう判断するかは自分の問題、強制はしない、自分で考えて選択してくれ
公文に行きたいと言えば行かせてやる、だけど金をドブに捨てたら自動的に頭が良くなるわけではない、それも何度も教えた、頭良くなりたけりゃコツコツ学習しなきゃ身につかない、
それができないならやっても無駄だ、終わり、チャンスはやった、キミがそれを棒にした、それだけ覚えといて、人のせいにしないでね」
6歳の知能では言い返せまいw
諦めて泣き止んだ
公文やる前から足し算引き算は勝手に習得していたし、掛け算、割り算の概念もすぐに理解した
外遊びでも器用だし異常に体力がある
結果、万能感、自信過剰、ナメてる
小学校入学し、周りが先に進んでおり世界が広い現実を目の当たりにして挫折するが良い
その方がキミのためだ
時間や約束は守る、守れなかったら自分に大きな不利益を被る、わかったか?そういうことだ。
28600円で学べたと考えりゃ安いものだ
きちんと統計みろよな。
肉を食っても、野菜を食っても発がん率は僅差だよ。
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20160202-OYTET50007/20160202-036-OYTEI50016-L-JPG/
癌になりたくなかったら、肉を絶つまえに飲酒をやめろよ。
ヴィーガンは、どうやったってタンパク質やビタミンB12などの栄養素が不足する。
海外でヴィーガンをやってるインフルエンサーが死ぬ事件があったが、完全に栄養不足。
人類史を見ても、肉だけを食って生きることはできても、野菜だけ食って生きている民族はいない。
当たり前の話だ。野菜が安全に食えるようになったのは、ごく最近の話なんだから。
日本においては1945年くらいまで、人間の糞尿を腐熟させ下肥(しもごえ)を利用していた。
そのため、回虫や寄生虫のおかげで、野菜を食うのも一苦労。生野菜サラダなんて怖くて食えない。GHQの指導が入って、やっと変わった。
女性は便秘になりやすい人が多いが、原因のひとつは野菜の食べ過ぎ。
このように野菜は、どう考えても不健康になる要素満載なわけだが、いつまでヴィーガンにこだわるのやら。
そして、何を食っても癌は遺伝の問題もあるので、明らかに害のある食い物だけ避けて好きに生きろ。
正論がどうのって最近よく言うけど、正論じゃない考え方の方が珍しいでしょって思う。
が正論なら
腹減ったらドカ食いしよう
根本的な前提だとか、複数ある前提の優先順位が違うだけで、どっちも目的のために適切なアプローチをしている訳だし。目的そのものは共感できるかどうかだけで、正しいも間違いも問いようがないし。
正論じゃないって言ったらもっとこう、歌が上手くなりたければイソジンで足を洗いましょう、みたいな支離滅裂な事を言うんじゃないかと思う。
正論なのは当たり前でその上で順位をつけるって事なら、目的が同じで合理性を単純比較できるならどちらがより効果的かという話になるだろうし、そうでなければどちらにより共感出来るかという話になるんじゃないかと思う。
よく言われてる「正論」は一般的な社会規範に即している、だとかより共感を得やすい、くらいの意味合いで使われてるよなって思う。
続編書きました。
日々コンクリートジャングルをチンパンして回る、お前たちより少し先輩のチンパンジーだ。
お前らはまだブーブーを運転するには早すぎる。
早すぎるが、森を出てここに来たからにはお前らにも運転してもらうしかない。
車校または教習所では法律(ルール)と車両の動かし方(ハウツー)は教えてくれるが、
上手に運転する方法(ハウグッド)までをきちんと教えてくれるわけではない。
ムダに長いこの文章を読み切って実践し身につけた暁には、「運転のうまいチンパンジー」の称号を得ることだろう。
そして普段運転をしないチンパンジーも、知識として知っておくことで事故に遭う確率を減らせるはずだ。
無免許チンパンジーもジャングルに引きこもらずに表に出られるようになるだろう。
これはもう単純な話だ。お前がハンドルを握ったら、ぶつけてはいけない。
他の車は当然だし、カーブの途中にある十年に一度突っ込まれる民家にも
邪魔な電柱や信号にガードレール、オレンジ色のふにゃふにゃした棒にもぶつかってはならない。
未だに裸で暮らすチンパンジーも多い。
痴漢と同じで裸だからといって、それ自体が責められるべきではないし、やる方が悪いのは誰だって分かる。
ただし、この世の中にはわざとぶつかってくるやつもいれば、ヘッドホンに目隠しをしてふらつくチンパンジーもいる。
そんなライアーゲームの中で、お前にできる最大限の対策を行え。
この二つに共通していることは何か。お前が死なないことだ。
死なないまでも、事故を起こしたり、遭う確率を減らすということだ。
華麗で高速でイカレチンポンジーな運転をしたいのなら、ジャングルの奥地にあるサーキットで披露してこい。
お前と、お前の大切な嫁と子チンパンほか同乗者を守るためにもこの二つを徹底しろ。
では具体的にこの二つをどうやって対策するか、ということになる。
ここからはぶつける、ぶつけられない、それぞれに共通する項目もあるから、箇条書きにする。
警察発表の古いデータだが、平成24年に15km未満で取り締まられたのは速度超過違反全体222万件中の40件らしい。全体の約0.002%ということだ。
これを高いと見るか低いと見るかはお前次第だが、高速道路で5km、10km超過するなんてことは
ちょっとした下り坂に差し掛かればいくらでもあるわけで、そういったところでまで速度を厳守しろと言いたいわけじゃない。
そうではなく、特に住宅街や駅の周辺など自転車や歩行者が多い場所、子チンパンが多い学校や公園周辺なんかでは特に厳守しろと言っている。
いや、厳守どころか徐行さえしたっていい。周りに人がいないような時間帯でさえだ。
お前だって同じ森の仲間たち、例えばタヌキやハクビシンやアライグマを轢いてしまって夢に見たくはないだろう。
シカやクマやイノシシ?そいつらは俺たちが森を追い出された原因だ。それらは轢いて鍋にしてしまえ。
そりゃあ、森の中じゃ皆飲みながらフラフラ運転してあちこちの木々にぶつけてただろうさ。分かるよ。
けれどここはコンクリートジャングル。精密な運転が要求されるし、
ニンゲンの取り締まりもとても厳しい。悪いことは言わない、飲んだら乗るな。
もしお前が高級ブーブに乗っているのなら気をつけろ。
そもそも、チンパンジーは車に乗ると気が大きくなるという研究がある。
その上高級外車にでも乗ってみろ。さらに気の大きくなったお前は、信号さえ無視しだす。
そしてお前は横断歩道の前できちんと毎回止まっているのか?
チンパンジーは気まぐれだ。黒い板に夢中になっているかと思えば、突然顔を上げて走り寄ってきたりする。
どんなに急いでいても、全ての横断歩道前で止まるくらいの気持ちの余裕を持て。
例えば親パンが倒れたと聞いたとする。
地方では車しか移動手段がないかもしれないが、焦って車に乗るのはオススメしない。
可能であれば公共交通機関を使え。車しかないのなら、友パンに運転してもらうか
お前しかいないのなら、深呼吸を10回してから乗り込んでいけ。
親の死に目に会えないかもしれない?普段からもっと会いに行け。
お前は誰だ?森の王者チンパンジーじゃないのか。王者の風格を見せつけろ。
俺はチンパンジーだからリセールバリューとやらのお金のことは分からない。
ニンゲンたちがよく話しているのを聞くが、チンパンジーの俺たちには関係のない話だ。
だが、最近の車の安全装置の向上具合は目覚ましいものがあるようだ。
俺達チンパンジーの能力はといえば、数万年来向上しているわけではない。
俺たちは森の覇者ではあるものの、その反射神経なんかには限界があるし、
最近は寿命も伸びており、老チンパンジーが暴れまわっているようだ。
老いたチンパンジーに最新鋭の衝突防止機能。豚に真珠、猫に小判、暖簾に腕押し、糠に釘。
お前の親もそろそろ高齢パンまたは後期高齢パンになってきていないか?
実家のクルマはどうだ?20年落ちで安全装置が何もついていなかったりしないか?
たまには実家に帰ってクルマを見て、多少金があるのなら安全なクルマを買ってやれ。
駐車が苦手なやつも、なんと今は自動駐車機能を搭載した車種もあるというぞ。
年齢や素質によって出来ないことは出来ないで仕方がない。
だが俺達はチンパンジー。知恵と工夫とニンゲンの技術で対処していけ。
車検が切れる3年か、5年か、そのあたりで一度下取り価格を見てみるといい。
最近は納期が長期化しているようだからそのつもりで早めに動け。
いいか。俺たちチンパンジーには運転が許されていない車種に、トラックやトレーラーという車がある。
デカい車だ。こいつらは、デカくて重くて取り回しにくいらしい。
当然俺も運転したことはないが、ニンゲンであっても訓練が必要になり習熟には長期間を要するらしい。
お前らも交尾を他のチンパンジーに急に止められたら困るだろう。
彼らも同じだ。ちょっと隙間が空いているからといって無理に入らないように。
風の強い日などには、その積み荷から小さな石がこぼれ落ちることだってあるだろう。
陰謀論者の中にはチンパンジーを狙った犯行と騒ぐ物もいるものの
真相は定かではないし、たまたま積み荷が落ちてしまうこともあるだろう。
なるべくならばそういった車の後ろは走りたくないものだ。
右折するときだ。右折する時にはたいていの場合横断歩道を横切ることになる。
信号機付き横断歩道はチンパンジーたちが乱舞闊歩する社交場として有名なのは諸君もご承知の通り。
デカいのや小さいの、たまにゴリラやナマケモノ、あらゆる霊長類が数十秒に限って暴れまわる。
ルールやマナーを守る行儀が良いのがほとんどだろうが、たまに斜めに横断してきたり
最近は電動キックボードなどというオモチャに乗るナマケモノもいたり、想像以上に騒がしいとされている。
そんな危険な場所へ進入する際には、きちんと大回りで進入しろ。
カミソリのように鋭く入ってしまった場合、右側から迫るチンパンジーへの注意が向かなくなる可能性がある。
それに対し大回りで横断歩道に対し90度で正対した場合、左右どちらも見えることなり見落としが減る。
ここまできちんと守れるのなら、一人でコンクリートジャングルに繰り出していっても良いだろう。
そうして運転する中で、この先は右折専用だから左に寄っておこうだの
そういう小手先の瑣末事を学んでいってさらなるスマート・チンパンジーを目指すのも良い。
そしてここからは蛇足というか、もし守れるのならキャースマートね、と思われてチンパンジーにはモテモテになるための心構えになる。
お前の生命や財産を守るという観点においてはそれほど効果のないことではあるが、知っておいて損はない。
あるいは、ニンゲンとお付き合いすることだって出来るかも知れない。
助手席、という名前のその席は、古来からその名の通り運転を助手する者の席だった。
しかし、今やそれは形骸化し、運転するチンパンジーの口へバナナを運ぶだけのメスチンパンジーの定位置になりつつある。
電動化やらセンサーやらのおかげらしいが、チンパンジーの長たる俺にもよく分からない。
やることの無くなった助手席のチンパンジーにも運転手を寝かせない、という役割があるという者もいる。
ただ、そんなものはガンガンにユーロビートでもかけて飛び跳ねていれば問題ない話だ。
だから、そこのお前、お前だ。ハンドルを握っているチンパンジー。
お前は一生乗ることもないだろう高級車の後部座席に、ニンゲンを乗せて運転するチンパンジーがいる。
それを、お前もやることだ。そうすればとなりのメスチンパンジーもあれ、わたし寝ちゃってた。運転上手いから…照
と言ってその後の交尾チャンスも増えるわけだ。
この世にはきちんと運転ができるチンパンジーがどれほどいるか知っているか。
適当だがだいたい10%~20%くらいだ。彼らは、仮にルールや信号がなくたって運転することができるらしい。
けれど、それ以外。それ以外の90%近くは、お前たちの知っての通りチンパンジーなわけだ。
ほとんど出来ていないから、必要ある?って思う信号やガードレールや斜線や停止線があるわけだ。チンパンジーのために。
いいか。そんな環境の中で、例えばとろとろ運転するクルマや急ブレーキするクルマや禁止エリアで駐車するクルマや
はたまた横断歩道のない道路を横断しようとする歩行パンジーもいるのは当然なわけだ。
当然なことなのに、それに憤るのは何事だ?
人前に立つ際に、オーディエンスを全てじゃがいもと思え、という緊張感を和らげるためのアドバイスがあるが、あれと似ている。
お前以外の周りのクルマと二足歩行する動物は全てチンパンジーと思え。
そうすれば、ムッキーッ!と怒ったりイライラしたりすることも少なくなるだろう。
そもそも俺もお前もチンパンジー。チンパンジー同士、広い心で森の王者たれ。
別にこれが出来たからといって何も誇れるわけでもなんでもないが、
ちなみに勘違いした「おれ運転上手い」というチンパンジーについても紹介しておく。
例えば都会なら、どっち車線の方流れがいいだの何だのと言いながら
お前、お前一匹の15秒が一体何だって言うんだ?
そういうのはニンゲン様に任せておけ。
森を離れ、車もなしにチンパンジーの運転するコンクリートジャングルを歩くお前たち。
いつ、どこでアクセルとブレーキをふみ間違え、お前を跳ねるか知れない。
ニンゲンが自動運転というものを開発しているそうだが、それだっていつ始まるか俺達にはわかったもんじゃない。
だが、これだけセンサーとやらが発達しても、毎年100万匹もの同胞たちが、同胞たちの運転するクルマによって殺されている。
いいか、俺たちはチンパンジーなんだ。間違えることはある。眠いときもある。ケシの実を食べてハイになってるときだってある。
だから、信用をするな。
最近の若パンジーの中には、変な板に夢中になったり、耳栓をしながら歩いたりするチンパンジーがいるが
いいか、周りの車たちはいつお前を轢き殺そうかと狙っていると思え。
まるで悪魔に取り憑かれたかのように疑心暗鬼さで周りを見て歩け。
横断歩道を渡れ。信号を守れ。止まれは止まれ。スマホを見るな。イヤホンは周りが聞こえるやつか音量にしろ。メガネをかけろ。
右を見て、左をみて、さらに右を見て、左を見て、前を見て、左をみて、右を見て、後ろも見て、前を見てから進め。挙動不審すぎるだろうが。
ニホンザルには出来ないだろうが、お前たちは腐ってもチンパンジーの端くれじゃないのか。
王者たる所以を世に知らしめろ。広く世界にその名を轟かせろ、森の王者チンパンジー。
最近では自転車に乗るチンパンジーたちはヘルメットが義務になったのか、なっていないのか曖昧な感じになっている。
だが、特に若いチンパンジーなど元気の有り余っているやつらには付けさせておいたほうが懸命だろう。
ニンゲン共の話によれば、あと10年か、20年かすると自動で運転するクルマが開発されるかもしれないらしい。
そうなれば、俺たちチンパンジーの役目は終わるかもしれない。
こんなコンクリートジャングルではなく、バナナの沢山生えた緑豊かな真のジャングルに帰ろう。
それまであと少しの辛抱だ、同胞よ。